シスレーに触れて

シスレーについては色々と語れる程、観て来た画家ではない。
確かに画商でも評論家でもあるまいに、多くの作品や資料にあたる機会もないものだ。
大概、他の画家についても、絵をたまたま数点~数十点観ることで、(心地よい美に浸って惹かれてしまうなどして)それがその画家のイメージとなってきた。
ひとつの絵のなかにその画家の強烈な個性や創造性が渦巻いており、そのエッセンスを感じ取れれば彼~彼女のイメージが自分の内に生成されてゆく。
、、、考えてみると印象派には「風景画」の傑作が多い。
かつてない風景画が沢山生まれていることに気付く、、、
みんなチューブ絵の具をもって外に出て、五感全解で自然の神秘に、言葉~伝統を捨てて向き合ったのだ。
そこから生まれる生の風景の輝きが感じられる。
(生チョコレートでも生ビールでも、なんでも、生のつく美味しさである)。
わたしのなかでシスレーは、数少ない作品からイメージが作られている。
彼の絵では幾つかの「風景画」しか知らない。
如何にも印象派という風景画だ。
とても穏やかで美しい。
はっきりと分かる流麗なタッチと優しく鮮やかな色彩が心地よい為、血圧もスッと落ち着く(笑。
でもそんな絵である。
それだけで充分。
これだけ心地よい風景というものは、滅多に観れないことに改めて気付く、、、。
見直してみてつくづくそう思う。
その風景を観て、他に何かを探す~探る必然性も感じない。
シスレーを研究したいなどという気持ちも微塵もないため、気に入った風景画がシスレーそのものである。
絵の画題など知らず、シスレーで総称している。
実際、シスレーは「印象派の風景画」を極めた人のようで、生涯の作品のほとんどが風景画であったという。
かのピサロも認めた画家である。
作風もしっかり安定しており(恐らく変化も然程せずに)達者な印象派の手法で、次々に風景画を描いていった。
安定というより、しなやかで安らぐという感じか、、、。
一種の焦慮の念や郷愁も覚える。
そこに無性に惹かれる。何だろうかこのときめき。
特に、水辺(河)のある空気の広がった風景が好きでたまらない。

はじめの頃はとても裕福な家庭の息子であったため、絵が売れなくても何の不自由もなかったようだ。
シスレーの活躍した当時、印象派はまだ売れる段階にはなかった。
後に 普仏戦争と父親の破産のため困窮することになる。
後援者が現れ何とかやって行けたようだが、、、。
今日、画集で見直してみて改めてシスレーが気になって来た。
作品展があったら、何があっても行って、じっくりとタップリ時間を費やしてその世界に触れたい。