プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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セザンヌ

Cézanne001

セザンヌを観る度に頭を過るのは、「達人」ということばである。
彼の絵には、余白がそのまんまのこされているものがある。
余白と言っても背景とかではない。
人物の頭部や体~衣服である。
然も余白があってしっかり凄みのある絵となっている。

もしかしたら未完なのかも知れないし、もうこれ以上手を入れる必要なし、と謂って筆を置いた絵かも知れない。
だが、その絵の存在感は途轍もないものだ。
こんな芸当の出来る画家はそれ程いない。
日本の文人画などにはよくあるパタン~思想ではあるが、、、西洋の油絵である。
(絵に対する基本的な構えや画材そのものが根本的に違う)。
まずアングルに出来るはずはない(笑。
(あくまでも素描~エスキースとかは別として)。
アングルに限らず西洋画は偏執狂的充填の世界である。
ゴーギャンのように金がなくなってちょっとばかり絵に余白が残ったという例もあるにはあるが。

どこかセザンヌは孤絶している。
孤高の人である。
全ては円筒と円錐と球で構成されている、という彼の絵画論のなかの言葉があり、とても印象的というか学生時代にびっくりした概念がある。
先輩と絵の何処の部分が球で円筒で円錐か絵を探ってみたことがあった。
そうしているうちに、ちょっとそういう単純なパズル~構成を越えたものだという感じがとてもしてきて徒労感を強くしたことがある。

セザンヌのもっともセザンヌらしい絵の存在感は、そのタッチからくると思う。
アングルにタッチはない。(タッチは絶対残さない)。
タッチは厳禁という画家は結構多い。
(アングルは子供の頃は、ダリとともに凄い上手い画家として尊敬していたが、セザンヌに触れてのっぺりしたビニール製品の制作者のような感覚しか持てなくなった)。

やはりこのタッチが達人なのだと思う。
またタッチを積極的に造形そのものに反映させるひとは、そのタッチがそれぞれ個性的で異なる。
画家~身体性が違うのだから当然のことだが、それに見入るととても面白く示唆的だ。
ゴッホなど一つの絵でそれを実に繊細に使い分けている。
非常に多彩で変幻自在な使い方だ。

それに比べるとセザンヌのタッチは見て分かるゴッホのようなシステマチックで知的なタッチとはまた違う。
物凄く確信に満ちた豪放なタッチであることは間違いないのだが、余白も含めて何であろう?
天才の意匠であるか。

そういってしまえばそれまでである。
ただ、事象を日常的な概念~名称で見てしまうと、例えば大事な個性を示す顔だけはしっかり塗って体から離れた部分についてはその重要性が薄れるなどの塗り分け、が無意識的に起きてしまうだろうが、セザンヌの「全ては円筒と円錐と球による」という観念に沿って描くと、何処が有意味な中心とかいう分け隔ては少なくともなくなる。
全ては全く異なる形成力のもとで生成される。
これはひとつ、とても肝心なところだと思う。

ともかくこれ程、絵を観る快感の味わえる画家もいない。
恐らく、今流行りの何でもコンピュータで解析する流れで、この円筒と円錐と球による絵の構成とか、タッチの法則などを観てみても、何かが分かるとは思えない。
凄く潜在した造形への必然性を感じる。
全く違う文法で形成されたものがたまたまわれわれの知っている世界に重なっているような危うさと快感がある。

Cézanne002


絵画教室始動、、、

moonbow002.jpg

依頼があり、絵を教えることとなった。
と言っても、これまでも教えて来たのだが(笑、自宅で教えるのは初めてである。
家では、ちょっとした塾を学生時代にしていたくらいである。
ホントに久しぶりだ。

自分も描き始めたら間違いなく、のめり込んでしまう。
それで描かないでいたのだが、、、。
日々どうにもならないルーチンで占められ(雑事と育児であるが)、ブログの時間もほとんど取れないでこれまできた。
そこに映画を観るとやりくりが、かなりキツイ(爆。
勿論、観たくて観るのならよいが(早く観たいのが「ブレードランナー2049」だが)、時折何故だか嫌々ながら見てしまったという後味の悪い映画がある。
自分で見ておいてその時間の空費に物凄く腹が立つ。


少し「時間」を考え直したい。
その一日のなかのどこかに「絵」を入れたくなったのだ。

育児との絡みではあるが、最近娘たちも暇さえあれば「ゼルダ伝説」(ゲーム)に次いで絵を好き勝手に描いている。
本当は、これくらいピアノを自主的に練習してくれたら有難いのだが、そちらはなかなかやらない(テコ入れがそろそろ必要だ)。
その流れをうまく編成し、彼女らも絵の教室に入れてやっていこうと思う。
育児とわたしの創作も合流した濃密な時間が生まれればかなり良い。
(どれだけ良いかはやってみなければ分からないとは言え)。

丁度、長女が今回の夏休みの課題で描いたクレヨン画が入選したので、展示会に行くことになっている。
前回の入賞の時は授賞式に保護者一名だけの同伴であり、わたしは行けなかったのだが、今回は入選なのでお気楽に家族で作品展に赴ける。
少し表現が繊細過ぎた感があり印象を弱くしてはいたが、次女の作品の出来も今度ばかりは良かった。
ミニトマトのリズムがかなり愉しく美味しそうな絵であったのだ。だが、丁寧な絵作りに気を取られ過ぎたなと思う。
もう一つは題だ。長女は「ひきうすのたいけん」であり、伝統文化推奨に乗った感があった(笑。
だが、次女は「ミニトマト」である。余りに押しが弱かった。勿論表現が強くもっと豊かであれば目にも留ったはずだが。
かなり次女は残念がっていて絵に拘りを持ってきている。
長女はもともと豪放(日常ではひどく神経質)なところがあり、そのまま進めていったら面白そうだ。

娘と生徒さんと一緒に絵をわたしも描くことにしよう。
(これまでも描こうと思った時はあったが、そんな日に限って面倒な雑事が入ったり娘を病院に連れて行くことになったりしていたものだ)。
教えるのと創作はほとんど同じ次元で物を観ることになる。
教室にしてしまえば、今度はやるしかない。
丁度良い機会と謂える。


donkey001.jpg

ちなみに長女が今、一番描きたいのはロバらしい。
成る程、移動教室も必要か、、、。


花のお江戸の無責任

hananooedo001.jpg

1964年
山本嘉次郎 監督・脚本
田波靖男 脚本
萩原哲晶、宮川泰 音楽

植木等 、、、古屋助六
谷啓 、、、白井村の権八
ハナ肇 、、、播隋院長兵衛
草笛光子 、、、女房おぎん
団令子 、、、揚巻
池内淳子 、、、小柴
藤山陽子 、、、お菊


今朝、デッキに入っていたので、観た。多分、今回のBSプログラムでは最後の「無責任シリーズ」か。
もう少し観たいところだが、、、
すでに「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」「日本一のホラ吹き男」という快作を立て続けに放送してくれている。
これでも大サービスだと思う。
そしてとうとう江戸時代にまで来たか、と思ったら、、、(正直、題名を観て面白そうと謂うより、流石に不安になったが)。
余りに自然にあっけらかんとボーリングやっているので、よもやと思ってしまった。
江戸時代のボーリングについて、うっかり調べてしまった、、、もしかして伝わっていたかとか(爆。
そんな調子で、今回もテンポ良く歯切れ良く展開してゆく。

日本の侠客の元祖といわれる「幡随院長兵衛」を知っていればより入りやすいとかいう作品ではなく、わたしのようにそれを知らなくとも何という事はなく楽しめる。
なんせ、彼の一家に拾われた古屋助六たちがボーリング場の用心棒を命じられたりしているのだ(笑。
(史実~芝居には忠実に、長兵衛が若い者の揉め事を口実に旗本奴の頭領に呼び出され、殺されるのを覚悟で独り乗り込む流れなどは引用されている。ただし、この映画では、殺されずに町奴の頭領を引退するだけだ)。

のっけから「助六殿、どうしても(父上の)仇討に行かぬのですか?」(母)に対して、「でもねえ~背中の傷だけでは条件が悪いですよ~」(助六)と渋っていたのに、どうやらその敵がお江戸にいることが分かると、にわかに「こんなことでもなければ江戸なんてなかなか行かれないからな~」と満面の笑顔、母から貰った大金を懐に入れて「それでは母上、父の敵を花のお江戸でぶわ~っとはらしましょう!」ときた。
もう最初から飛ばし放題。

謂うまでもなく江戸ではもうハチャメチャである。
吉原での豪遊ぶりは凄まじい(笑。
ともかく、今回の植木は金を湯水みたいに使いまくる。
その都度、文無しになるが必ずどうにかなる。
ここが羨ましい。
相棒の権八は花魁の小柴を見受けするために助六に寄り添い金を掠めてけちけち貯めていく。

ここでの谷啓はこれまで見たなかでは一番面白い。
特に、親分が旗本奴の頭領の奸計によって殺されたかのかどうか女将さんをはじめ組の者たちが皆で気をもんでいる最中に、自分の財布の事で悩んでいたり、助六は吉原に戻っていたりの無責任・無関心ぶりにはホントに笑える。
まさに無責任名コンビだ。

hananooedo002.jpg

女優陣も花魁姿でなかなか堂に入っている。
「無責任シリーズ」では、一番華々しい上に、植木が侠客の世界に入ってしまったことから、やたらと調子のよい啖呵を切る。
これが小気味よい。このお江戸ならでは、というところだ。この時代の話法が随所に活かされている。
そして勿論、例の歌である。
またこれが良いタイミングでミュージカル調に入って来る。
曲調はいつも通り。キャッチーで粒ぞろいだ。
また、ここでも植木は女性~花魁にモテモテである。
花魁、揚巻のお陰で仇討ち相手も特定出来、その手下もろとも歌舞伎調に余りにあっさりと倒してゆく。
もうちょっと殺陣をやってもよかろうにとは思ったが、助六の圧勝である。

最後は吉原全員から拍手喝采でご機嫌この上ないお調子男である。
そして、仇をうったのだし、国に帰るのかと思いきや、何と播隋院長兵衛引退の跡を継ぎ組の親分におさまってしまう無責任ぶり(笑。
しかも一目惚れの吉原一の花魁、揚巻とも夫婦になる。
さらに権八もめでたく同郷の花魁(No.2の)、小柴と結ばれる。

華々しい大団円である。
というかドンちゃか騒ぎで終わる。

こうでなくちゃ、という感じか、、、。


日本映画は小津、溝口、岩井、、、あとは作品によってだが、、、確かに「シン・ゴジラ」「寄生獣」などよいものは幾つもあり、本シリーズなども特に異色で傑出したものだと思う。
しかし、それ以外の映画となると、高品質のアニメーション映画以外ではキツイものやピンとこないものがとても多い。
何故だろう?、、、やはり洋画の方に走りたくなる。






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