プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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鳴き声

piano.jpg

今日の夕刻、車検に出した車を歩いて取りに行く時、空で異様な鳥の鳴き声が響き渡っていた。

上を見上げ、木の枝を探しても鳥の黒影も何らかの動きすら見当たらない。

だがその音響からして、大変な数の鳥が潜んでいる事は想像に難くない。

舞台の背景のような青空に何かが充満しているのだ。

もう日は落ちかかっていたが、この時間帯特有の貼り付けた紛い物の青空であった。

この箱の内側で、きっと何かで迷い込んだ夥しい数の鳥が鳴いているのだ。

ずっと姿の見えない鳥の鳴き声の充満するなかを突っ切ってディーラーに入ると、途端にその音は止んだ。


暫く車のカタログを手に取って眺め、書類を確認し、キーを渡され、気を利かせた担当者から娘へとお菓子の詰め合わせを二つ貰い、そのまま家に車で戻る。

もうすっかり日は落ちていた。

空はほんとうに暗い。


部屋に戻ると、今度は耳を塞ぐような蝉の鳴き声が始まる。

鳴き声の分厚い壁が急に降りてきた。

どうにも、何にも集中できない。

強さでは、先程の鳥より何段も上である。


思わずiTunesを立ち上げた。

何でもよい。かかったのはSalyuであった。

そう、強度のあるボーカルものが良い。

クラシックでは恐らく太刀打ちできない。

いや曲によるか。

思い直して今度はモーツァルトのレクイエム、、、やはり狂気が昇まる。

狂気は狂気で打ち消す。

深く聴き入っていたら、いつしか蝉も寝静まっていた。


しかし最後の難関である。

今度は、階下から次女の泣き声、いやこれも壮絶な鳴き声である。

例によって、けたたましい姉妹喧嘩だ。

これが一番、ダメージが強い。

最近は、わざと間に入らず放っておく。


一時間くらいで音は止んだ。



月は満月を一日越えた16.4.だが、窓からは黒雲に隠れて見えない。

そこには夜気が禍々しく渦巻いていた。


このような自然の生理の発露は、どうにも止むことはない。



鳥が鳴き、蝉が鳴き(季節限定だが)、娘が鳴く。

この鳴き声三連打は、かなりわたしの精神の基調を揺るがした。

moon07.jpg


ゴースト・イン・ザ・シェル

Ghost in the Shell001

Ghost in the Shell
2017
アメリカ

ルパート・サンダース監督
士郎正宗『攻殻機動隊』原作

スカーレット・ヨハンソン 、、、少佐
ビートたけし 、、、荒巻大輔
マイケル・カルメン・ピット 、、、クゼ
ピルー・アスベック 、、、バトー
チン・ハン 、、、トグサ
ジュリエット・ビノシュ 、、、オウレイ博士
桃井かおり 、、、草薙素子の母


「人は個性を美徳とされてはじめて安らぎを見出せる」
荒巻が少佐に騙る言葉だが、、、公安9課の面々はかなり少佐を腫物扱いしていた。
何しろわたしは誰?と、出自に疑問を抱きそちらの方に突っ走り始める。

それにしても、物凄い都市の光景だ。既視感タップリとは言え。
こんな未来都市は嫌だ。
ひたすら、ドギツイ原色ネオンで、やはり雨も降っていたり、、、また酸性雨か。
グロテスクで巨大なホログラフィの広告なんてある街になど住みたくない。この趣味の悪さといったら、、、。
芸者ロボットまではよいとして、その顔の巨大な電光掲示はいただけない。
宣伝文句も流れていて煩く落ち着かないし。
今更、何のつもりだと言いたい。
都市デザインが全くなっていない。
こういうのが未来(デストピア)のフォーマットとなってしまっている(少なくともハリウッドでは)。
何となく東洋(元東洋か?)のような雰囲気を感じるが、日本なのか、台湾なのか?何処にしろ、、、。
変な所だ。

サイバーテロは脳をハッキングして情報を取り出したり書き換え操作するところまで来たという。
少佐は脳以外は全て義体~メカであり、サイバーテロ組織相手に闘う公安9課きっての戦士である。
ところが、ここでは自分とは何かという問いに悩み戸惑い葛藤した末、義体化する前の記憶である自分の名~素子と母を見出し、ドラマの決着となる。いや自分とは何か?ではなくわたしは誰?であった。
自分と言う存在ではなく出自探しであったか、、、と思ったが、ヒトは記憶によるのではなく、何をなすかが問題であるという前向きな認識に至る。
これでは、深みは出ない。アクション系の話にしかならない。
それでよいと思う。
ハリウッドのエンターテイメントムービーなのだから。

スカーレット・ヨハンソン~少佐のボディスーツであるが、かなり違和感があった。
スーツらしいスーツを着るか、ヌードぽく演出するなら、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のようにした方が良い。
どうも鈍重な印象を与えてしまい、上手くない。素早いアクションをしても美しく感じない。
こういう出で立ちなら、シャーリーズ・セロンにやってもらった方がよかろう。「イーオン・フラックス」みたいに見栄えが凄いはず。
スカーレット・ヨハンソンの個性と美しさは活かし切れていない。

バトーの目が何でああなったのか、少佐がこんな理由で義体化したのか、などの経緯を告げる映画であった。
少佐の義体の完成の域に達するまで実験で98体失敗作があったとか、、、
兎も角、少佐の身体性のあり方における孤独と記憶のコントロールによる出自の問題を提出している。
ここをまず抑えておきたかったということか。
しかし、これで”ゴースト”としての彼女を描写したというのか?




これを元に、次回作は荒巻大輔の指揮下で全面的にサイバーテロ相手の闘いとかが出るのか?
(そもそもこの作品がある程度は当たらないと次はないだろうが)。

荒巻~ビートたけしとバトーの雰囲気は良かった。
やはりビートたけしは存在感がある。
ジュリエット・ビノシュは、こういう風な映画にも度々(科学者とかで)顔を出す。
結構、好きなのかも、、、「ゴジラ」にも出ていたし、、、科学者も確かに似合う。
スカーレット・ヨハンソンもスーツさえまともなら、と惜しい感じであった。
それにしてもトグサに至ってはまるで存在感がなく、影が薄い。
これでよいのか、、、と思ったがここでの力点は少佐の昔の名前探しなのだった。
しかし、この辺をテーマにして運んでしまうとは、、、。
少佐のクールでハードボイルドな感じは味わえなかった。

吹き替えには違和感がなかった。
というより、吹き替えで随分、登場人物のアイデンティティが補完されていた。
音楽も妙に日本風なテイストが塗してあって耳を引いた。


しかし、今ひとつ感たっぷりの映画だ。


ピアノ発表会のビデオが来た

piano001.jpg
やっと7/22に行われた娘のピアノ発表会のBlu-rayが送られてきた。

写真も異なる業者に頼んだものが前日に届いていた。こちらはデータのみ、3カット。凄い値段でビックリなのだが(笑。
地味な撮り方でもあり、、、。基本的な撮り方と言うべきか。


長女、次女と一緒にそれぞれ観たが、彼女らにとっては、これ観るのも緊張するということだ。
しかし、家で練習しているときより良い音が出ていたので良かったではないかと聞くと、、、。
ステージのピアノが家のより良かったからだという。
確かにそうだが、どう見ても家ではいい加減な気の抜けた練習しかしていなかった。

ふたりとも、この時くらいしか着れない白いドレスで気も引き締まり良い感じで弾けたのでは。
撮影も2点切り替えで、会場目線とステージ奥からの密着視点で撮られていたので、保護者席からは到底不可能な特権的撮影ポジションであることは確かだ。
値段も値段だから当然だが。


保護者が会場でゴソゴソ三脚立ててカメラやビデオをいじっていると、どうにも落ち着かない。
集中して演奏を聴くには、カメラ・ビデオ禁止にするのは正解であると思う。
が、参加費もかなり支払っているのだし、もう少し写真・ビデオ代のサービスが出来ないかとも思う。
こういう感覚は、写真・ビデオのデジタル化で以前から比べると脅威的に手軽に、お安くいくらでも撮れるようになったことに慣れてしまったことからくる。
ほぼ、無料感覚でそれらが楽しめてしまう為、こういう場面で驚いたりするのだ。


こういう記録は貴重である。
随分前の写真や3年前のピアノ発表会のビデオなどやはりとても新鮮なアウラに、満ちている。
これは、ボヤッとした記憶ではとても補えない。
ビビットな顕在化である。
Blu-rayは早速、携帯で観られる形式に変換して、持ち歩けるようにした。
やはり、こんなところにもメディアによる時間と空間の身体性〜想念〜経験が変質している事がよく分かる。

わたしの子供時代には、動画は8ミリで撮った物をプロジェクターで観るくらいであった。
それには少し面倒な支度があった。
如何にもという感じの映像である。ノイズもあったりして、、、。
写真は写真屋で現像してもらった銀粒子写真である。
分厚いアルバムにいちいち貼り付けて、随時観ていた。
撮れる枚数は一度に24枚か36枚であったし、現像・プリント・サイズ指定も野放図には出来ない。
かなり予算も掛かるからだ。良いフィルムを買えば尚更。
これはこれで今や儀式めいていて趣深いが、もうパソコン前提でやり始めたら戻れない。

ただ半ば無意識に夥しい数を無節操に撮ってしまう為、ろくに観ずに溜まり放題になる傾向は高まった。
データの整理も疎かにしていると、大変なことになっている。逆にあったことを忘れて利用し損なう事もある。
整理が、もしかしたら前以上に大変な作業となって圧し掛かかっている現状でもある。
それ専用ソフトもあるが。
(この件を論じるつもりはまるでないのでやめるが、ハードディスクにはたんまり娘たちの記録が詰まっている。外付けだが)。


今年の発表会を観たので、昨年のも観ることにした。
実際、成長の早さに驚く。
面白いと言えば面白い。

やはり、記録は親にとっては、意味がある。




ジンジャーの朝 ~さよなら、わたしが愛した世界

GINGER ROSA003

GINGER & ROSA
2012
イギリス・デンマーク・カナダ・クロアチア合作

サリー・ポッター監督・脚本

エル・ファニング、、、ジンジャー(16歳の多感な少女)
アリス・イングラート、、、ローザ(ジンジャーの親友、父がいない)
クリスティーナ・ヘンドリックス、、、ナタリー(ジンジャーの母)
アネット・ベニング、、、ベラ(女性活動家)
アレッサンドロ・ニボラ、、、ローランド(ジンジャーの父)


エル・ファニング繋がりで(笑、、、。
アリス・イングラートは『ピアノレッスン』、『 ブライト・スター いちばん美しい恋の詩』のジェーン・カンピオン監督の娘。

それにしても「ジンジャーの朝」って何のつもりだ?まさか「レナードの朝」にあやかろうとか、、、?
向こうの映画には、シンプルに誰と誰という題が多い。そのままではだめなのか?二人の物語である。


まず、いきなり「1945広島」の原爆の光景が映し出される。
その年に生まれた、「ジンジャーとローザ」の物語である。
母親同士が産院で隣り合ったベッドであった。
それから二人は姉妹のように育つ。

思春期に差し掛かった時期に、キューバ危機である。
再び「核」の脅威が現実味を帯びた。
ジンジャーは「核兵器」の使用による全的崩壊に恐怖する。
そこに不安定で、外界に対しひりつく思春期特有の感性が更にそれを増幅した。
「こうして世界は終わる」と謂う終末観に日夜、浸り込む。
彼女は詩人で活動家でもあったが年相応の幼さと脆弱さのうちで酔いしれていた。

最初はふたりで核開発に反対する集会やデモに参加する。
ふらふらして高校をさぼり影で喫煙したりヒッチハイクなどしながらではあるが、、、。
二人とも何かに夢中になりたい年頃であり、自分の居場所~存在意義を見出したいと考える。

GINGER ROSA002

親友だと信じていたローザとの間が徐々に溝が生じてくる。
方向性がズレてきた。
ジンジャーはボーヴォワールを読み(フェミニズムに関心を深めて行ったかどうかは分からないが)世界と言う枠は意識化してゆくが、ローザは異性にそしてローランドのアナキストぶった言動や雰囲気に呑まれ惹かれて行く。
ローザがやけに大人びてお洒落になっている。
反核運動にも参加しない。しかし、ローランドと意気投合して共にいることが増えた。
ジンジャーはとても居心地が悪くなり、彼女と以前と同様には関われなくなる。
そして決定的となったのは、彼女がよりによって自分の父ローランドの恋人関係になってしまい、どうやら身籠もってしまったらしいのだ。

ジンジャーの父は、娘にお父さんとは決して呼ばせず、”ローランド”と呼ばせていた。
「お父さん~パパ」とは、彼にとって堕落した姿(の象徴)のようだ。
とは言え、リベラル路線で体制に反抗して投獄経験もあることはともかく、娘の親友と恋仲になって妊娠させるとは、自由をはき違えてはいないか、、、。一番大事な基盤となる信頼と愛情を踏み躙って自由も何もあるまい。
ジンジャーはこれまでローランドを尊敬していたのだ。
そのショックは、途轍もない。
彼女にとって丁度、核が炸裂したのと同等の衝撃で、世界の終わりを意味した。
親友と父を失ったことになる。
基盤が失せた。

しかし、親友のローザも彼に自分と同じ傷を見出し共感し、慕っていたのだ。
そこまではよいが、問題はその先の飛躍である。
法~集団幻想のレベルと対関係における幻想は次元が異なる。
体制からの自立~反抗が必要で運動~活動に身を投じるべきときもあろう。
ベラのように。
ローランドの場合、自己幻想ばかりが肥大し、全ての欲望を抑圧に対する反抗と自由として位置付け正当化している。
ないまぜである。対関係にある人間に対する想像力を著しく欠いていた。ローザも似た者同士であった。

GINGER ROSA001

世界が終わるとは、自分の世界の終わりを意味する。
(通常、誰もが「世界は~」と口にするとき、それは「わたしの世界は~」を意味しているように。キリスト教徒が世界は、と言う時、決まってキリスト教徒としての世界である)。

失意から自殺未遂した母ナタリーの入院する病院で彼女の回復を父と待つジンジャーのこれまでを総括する詩が書かれる、、、。
(ナタリーは文字通り、世界を終わらせようとした。それをもっとも敏感に察知したのがジンジャーであった)。


『夢を見ていた

一生親友でいるって
人によって生は終わりを意味する
今となってはわたしに明日はない
これだけの恐怖と痛みの中でも、わたしは世界を愛する
命を守りたい

ローザは許してと言った
いつか、ママが回復できたら再会するでしょう
そして伝える、愛していたと
残念だけどわたしとは違う
あなたの夢は永遠の愛
わたしの夢は生きること
生きられたらそれでいい

だから許すよ』


その時、世界が壊れていなければ、許すことになるのだろう、、、。

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ネオン・デーモン

The Neon Demon

The Neon Demon
2016
フランス、デンマーク、アメリカ

ニコラス・ウィンディング・レフン監督


エル・ファニング 、、、ジェシー(16歳の新人モデル)
キアヌ・リーヴス 、、、ハンク(モーテルの支配人)
クリスティナ・ヘンドリックス 、、、ロバータ・ホフマン(事務所オーナー)
ジェナ・マローン 、、、ルビー(メイクアップアーティスト)
アビー・リー 、、、サラ(ファッションモデル)
デズモンド・ハリントン 、、、ジャック(一流カメラマン)
ベラ・ヒースコート 、、、ジジ(整形ファッションモデル)
カール・グルスマン 、、、ディーン(カメラマン、ジェシーの友人)

かのダコタ・ファニングの妹のエル・ファニング。
『マレフィセント』でアンジェリーナ・ジョリーと共演していた。オーロラ姫であった、、、。
他の映画も見ていきたい。妹の方もこれから益々出番が多くなりそう。
ベラ・ヒースコートは『ダーク・シャドウ』にも出演している。
アビー・リーはスーパーモデルとしての実績が高いプロのモデル。
『ハンガーゲーム』でも活躍していたジェナ・マローンがここでも要の役かも。
何と彼女はあの傑作『コンタクト』で少女時代のエリーを演じていた。(子役からやっている人だ)。
『マトリックス』のキアヌ・リーヴスが酷くしみったれたモーテルのオヤジ役で出ていた。どういうこと?

昨日に続き、カニバリズム第二弾、、、。
今回も食べてしまうのだ。

メタファーが緩く続く極彩色の映画であった。
しきりに鳴りまくるシンセサイザーは初期の頃のシンセサウンドを彷彿させるノスタルジックな響きであった。
結構、ギラギラした色にマッチしていた。
しかし、ジェシーのモーテルの部屋に何で夜ヤマネコがいたのか。
何度も出てくる三角形のネオンシンボル。
光と鏡のイメージ。
ピンクのバラを受け取って失神するなど、、、そうしたシーンは幾つもあるが。
これらは何のメタファーか。
(さして追求することもないように思う、、、)。

The Neon Demon003

しのぎを削るモデル業界、ライバルは多い。
その中でジェシーは可愛らしさと若さでは際立っている。
勿論、綺麗である。ダコタ・ファニングの妹なのだから当然。
衣装はどれもゴージャスである。メイクアップも奇抜なアートになっていた。ボディペインティングも半端ではない。
エル・ファニングは、スーパーモデルのなかにあっても、実に様になっていた。
「硝子のなかのダイヤモンド」(ルビー)と評されるだけのことはある。
ドレスはさぞ一流ブランドのモノが集められたことだろう、とは思うがわたしにはどれが何処のブランドかは、分からない。

赤、白、緑の強烈な色彩とネオン?ライトが印象的。
自然な感じの月の夜景も綺麗であった。

ジェシーは19と偽り、一流事務所にすぐに所属し、とんとん拍子で認められ、成功し大物になる事が早くも期待される。
だが、親友ルビーの周辺のモデル、ジジやサラは彼女に嫉妬し敵意を抱く。
彼女らは、モデルとしての旬を過ぎていて、なかなかオーディションにも通らなかった。
一方幼く無垢な少女であったジェシーも著名なファッション関係者に認められ、ショーでもランウェイの最後を歩くモデルに名指しされるうちに、業界に染まって大きく変化して行く。
ジェシーは付き合い始めた、彼女を本気で心配するディーンとも別れてしまう。
こういう環境で友人や恋人という関係の維持は難しいものか。

結局、彼女に性的にも好意を寄せていた親友ルビーを拒絶した為、ジェシーは彼女の殺意をかい(可愛さ余って、、、か)、ジジやサラもそれに加わり三人に追い詰められた末、水の入っていないプールに突き落とされ絶命する。
ヒロインが嫉妬と愛憎の内に死ぬ~殺害されるのだ。

ルビーはそれを見てエクスタシーに浸り、後の二人はシャワーを浴びて血を洗い流しスッキリしている。
ここもたっぷりメタファーの効いた表現でシーンが彩られるが。
三人にジェシーは食べられてしまったのだ。

The Neon Demon002

レディ・ガガかと思ったが、ホントに彼女の御用達ブランドであった。

ジジとサラは、その後ジェシーを評価していた有名カメラマンの撮影にも参加する。
しかし、ジジはプールサイドから水を眺めているうちに気色が悪くなり、部屋に飛び込み上着を脱ぎ座ったところで、ジェシーの目玉を嘔吐してしまう。
そして体内から彼女を追い払おうという強烈な衝動からナイフで自分の腹を裂いて絶命する。
まさにジェシーの肉体が拒絶反応を見せたかの如くに。
(やはり整形モデルには消化出来なかったか)。

だが、、、
それを傍らで観ていたサラは、その目玉を拾って呑み込む。
何であろうが、わたしは美しいジェシーを自分の身体に取り込んでやる、という意地(執念)を見せたというところか、、、。
かつてのカニバリズムもそのような呪術的な要素が大きかったと思われる。
(単に腹が減ったというレベルではあるまい)。


昨日は言葉で騙り尽くしてイメージを豊かにするタイプの物語であったが、これはメタファー・イメージの連打で感性に強く訴えかける、食べちゃった映画であった。
どのように食べたかは定かではないが、意外にあっさりさっぱりした感触であった。



暗黒女子

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2017年
耶雲哉治 監督
秋吉理香子 『暗黒女子』原作
岡田麿里 脚本


清水富美加、、、澄川 小百合(文学サークルの副会長、いつみの親友)
飯豊まりえ、、、白石 いつみ(文学サークルのカリスマ会長)
清野菜名、、、高岡 志夜(ライトノベル「君影草」で作家デビュー)
玉城ティナ、、、ディアナ・デチェヴァ(ブルガリアからの留学生)
小島梨里杏、、、小南 あかね(洋食、スウィーツ作りが得意)
平祐奈、、、二谷 美礼(奨学金による入学生)
、、、、ここまで全員、聖母女子高等学院「文学サークル」所属
千葉雄大、、、北条(先生、 いつみの恋人、サークル顧問)
升毅、、、 いつみの父親(聖母女子高等学院、その他病院経営者、資産家)


妙に面白かったが、観終わってから何を観たかよく思い出せない。
ただ観ている間は夢中で観ていた。
書きながら思い浮かべて行こう。
結局、食べてしまったのだ。カニバリズム、、、。ここの闇鍋は究極の鍋だ。
山で遭難した時など、こんなことがたまに起きるようだが、、、。(かつては、結構食べていたようである)。
小百合~清水富美加が良い味出していた。
白石 いつみと澄川 小百合は学園の誰もが憧れるカリスマ女子である。


名門女子高である聖母女子高等学院の「文学サークル」が舞台。

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聖母女子高等学院でも選ばれた者のみ入会できる「文学サークル」の定例会が厳かに始まる、、、。蝋燭灯して終始、澄川 小百合が場を仕切る。

確か、まず最初に正体不明の具材を煮込んだ闇鍋を食しながら、会長の死~自殺の真相を突いた小説をメンバー各自から読み上げるように、副会長から促される。(しかしどういう趣味だと最初は思ったが、、、魂胆がしっかりあった)。
会長の死をテーマにそれぞれ自分の視点から物語を書いて持ち寄っているのだ。
校内では、メンバーのなかの誰かが会長を死に至らしめたという噂も流れているという。


誰の小説もひたすらいつみを美化したもので、しかも誰もが自分以外のそれぞれ違うメンバーを犯人だとする。
その為、全ての小説の内容がかみ合わない。
ただ、最後にスズランを胸にし死んでいたという事実だけが同じであるが、それの示す意味がそれぞれ全く異なる。
ここがお洒落である。
まずトップバッターは、二谷 美礼。
彼女の小説の朗読から始まる。

屋上でエズラパウンドを読んでいたら、いつみに文学サークルのサロンに呼ばれる。
T.S.エリオットやイエーツも噺に出てきて文学好きの美礼は舞い上がりメンバーにしてもらったことを心底喜ぶ。

ゲラン(Guerlain)のミュゲそのスズラン(キミカケソウ)の香り。
高岡 志夜のフランス直輸入のその香水の香りがここではキイとなる。
アルバイトのことをいつみに咎められるが、その代わりに白石家の家庭教師に雇われる。
バイト代も高く、その返礼の意味でいつみのような慈悲のこころを持つため、老人介護ボランティアを始めた。
ある日、美礼はいつみが父親の逆鱗に触れ車で連れていかれるところを目撃する。
暫く後、彼女から父が志夜に誘惑されていることを明かされる。
志夜の香りがするハンカチを父が持っていたことを知ったのだ。
その実際の親し気な現場を美礼も目撃し、いつみに深く同情をする。
友情の記念としてとても大切にしているバレッタをわたしだと思ってねと言われて髪に付けて貰う。
精神的なやつれも感じられ日に日にいつみの体調が悪くなる。そして、、、屋上から飛び降り、、、。
ダイイングメッセージとしてスズランを持って死んでいた。


小南 あかねの小説では、、、。
太宰治の斜陽の感想文が高く評価され校内新聞に載ったところをいつみに読んでもらいサロンに呼ばれる。
そこにはとても素晴らしいキッチンがあり、いくらでもスウィーツの創作・研究が出来る環境があり、彼女は飛びつく。
いつみの朗らかで気さくなところにも惹かれるようになる。
家庭教師として出入りしている美礼が彼女の家のモノを盗んでいる事を打ち明けられる。
いつみは段々無口になり塞ぎ込む様になる。
みんなでモーツァルトを聴いて、いつみを元気づけようとする。
あかねは人気者の彼女が常に様々な人間関係に悩んでいることを不憫に思う。

とうとう祖母に貰った一番大切なスズランのバレッタを美礼に盗まれた事を知る。
屋上で面と向かって話合うと言って出かけて行った後で、、、
ダイイングメッセージとしてスズランを持って死んでいた。

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ディアナの小説では、、、
いつみのブルガリアのホームステイ先がディアナの家であった。
ともに過ごすうちにディアナは、ヴィーナスのような輝きを放ち明るく奔放ないつみに強く惹かれていった。
帰国後いつみの計らいで聖母女子高等学院に留学できる枠が一つできる。
本当はディアナの双子の姉が日本に行く予定であったが、ツアーガイドの姉が誤って遺跡から落ちて怪我をした為、代わりに彼女が来ることとなった。
慣れない日本の女子のみの学園生活であったが、いつみに文学サークルに誘われる。
ひょんなことから、あかねの腕にスズラン型の火傷跡があることを発見した。
いつみの体の不調が目立つため、ブルガリアのローズオイルを彼女の体に塗って心配する。
環境のせいで勉強できない子供たちに寄付を続けるため、あかねにとり今やサンクチュアリである文学サークルを廃部にして孤児院に託すことにしたいつみに彼女は強く反発しているようであった。
あかねの作るいつみへのスペシャルスイーツに強く疑いを持つディアナ。
その後、徐々に体調を崩し、屋上からスズランを持って飛び降りてしまう。


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高岡 志夜の小説
次回作を書くにあたって、いつみは文学サロンをあげて協力してくれた。
彼女の父もマスコミとの間に入って何かとカヴァーしてくれた。
しかも親切にゲランのミュゲなどの高価なプレゼントもよくしてくれた。
いつみはキミカケソウの翻訳をしたがっていたが、新作に力を注ぎたかった。

そんな時、構想を練ろうと観ていた本でラミアにディアナ・デチェヴァが似ていることが気になり始める。
確かに怖い。
この学園に良い刺激を与えたら、自分の村からまた留学生を招待してくれる約束をした、と言い彼女は自国の花、スズランを植えていた。
しかし、彼女は毎年受け容れると言っていた留学生の件で裏切られ、夜にいつみから貰った人形に呪いをかけていた。
とは言え、呪いの言葉がエコエコアザラクと一緒だった。それでよいのか、、、。

呪いの為かいつみは、聖書朗読と聖堂に行くこと十字架を観ることを酷く怯えて拒否するようになる。
そして生気なくぐったりして来て、2週間後には、、、
手にスズランを持って死んでいた。

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そして最後に、白石 いつみ自身が書いた小説を澄川 小百合が滔々と読み上げる。
北条との恋人関係の描写からいきなり始まる。
小百合はいつみのことは、全てを知っていた。
いつみの行動・計画における参謀の役割を果たしてきたのだ。
全てが満ち足りているはずなのだが、いつみは不全感を抱えている。
文学サロンは北条との逢瀬の為の場所であったが、それだけでは何かもの足りなくなってきた。

その何かの正体を悟る。
わたしという主人公の物語を完成する為、優秀な脇役を屈服させ自分の引き立て役に仕立てることだ。
二谷 美礼は成績優秀だが家が貧しく老人相手の性的なアルバイトをしていてその現場を押さえた。
小南 あかねについては、実家の和食の老舗料亭の後を兄がいるため継げず、その鬱憤から放火した事実をその火傷から掴む。
高岡 志夜が中等部時代に出して受賞した小説は、フランスの小説にそっくりなものがあることを探り出す。
ディアナ・デチェヴァは、姉が事故に遭う直前にパスポートを作成していることを掴んでいた。
秘密を握ることは魂を握ることに他ならなかった。

自己顕示欲が著しく高く、狙った誰かを服従・支配しようとする者はまず、その相手の秘密の弱みを握ることでそれを実現させて来たようだ。彼女らを罪人と意識させ従属させることで主人公としての万能感をビビットに高めることとなった。
いつみ(小百合コンビ)もその手で目立つ優秀な人材を配下に据えてきた。
確かにメンバーらは、秘密を握られ手も足も出ないように見えるが、、、何故かいつみと恋仲にある北条との関係が彼女の父親に発覚してしまい破局の危機に瀕する。これはその関係を知る、メンバーたちの仕業に違いなかった。
ディアナは彼女を愛していたが、ブルガリアに同行した北条との関係を知り、写真に収めていた。
いつみの心労から体調を崩していると思っているメンバーのなか、食の変化から あかねに妊娠を悟られる。
病院看護施設に出入りして援助交際をしている美礼がエコー写真を手に入れ、、、これは少し強引だが。
志夜は彼女の父親と親しくなっていた為、密告は容易に出来た。
彼女らは、もういい加減、いつみから解放されることを強く望んでいたのだ。

しかしその為に、いつみは激怒した父に北条を追いやられ、妊娠していた子供も中絶させられてしまった。
すでに「スズラン」と言う名まであったのだ。
まさかの脇役に裏切られたいつみは怒り狂い、彼女らに復讐を誓う。



実は、この映画ここからが、見ものなのであった。ここまでは、これから先を見せるためのイントロなのだ。

小百合は、父に追放された北条の住所と携帯番号を調べていつみに教える。
それに元気づけられたいつみは狂言自殺をこれ見よがしにメンバーの眼前で図る。
(死体をどの程度確認したのか、、、よく分からないが、トリックであった)。
メンバーは衝撃を受け、自分たちの身を守る為、特定を避け誰もが疑わしいとする作文を申し合わせて作たのだ。
復讐による死によって永遠に支配されるのは御免である。
恥を隠す為、父親は本当にそのままいつみが死んだことにし、小百合はそれに協力する。
そして計画では、定例会でメンバーにスズランの毒を鍋に盛り、各自の書いた本を遺書とさせ完結させることにしていた。
小百合がそれを話すと、みんなそれを信じいつみが生きていて、この光景を覗いて笑っていると感じ全員パニックに陥る。
この時、雷が鳴って嵐が吹き荒れていたようだが、これは演出なのか、、、。
心底怯えていたことはよく分かる。

しかしそれは小百合の嘘であり、彼女によって計画は最後の最後に変更されていた。
小百合は、いつみが冷酷に自己中心にしたたかに美しく復活することを望んだが、恋の為か余りに凡庸な小さな幸せに満足する女に堕落してしまったことにこころの底から落胆し、彼女をスズランの毒を入れたお茶で殺してしまう。
鍋の中身はいつみの体であった。

みんなでいつみを食べてしまったメンバーは実質、小百合の奴隷となることになった。
これからは澄川 小百合の物語に彩りを与えなさい、と、、、。
小百合がいつみに替り、主役となったのだ。


ひとこと、面白かった。



パッセンジャー

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Passengers
2016年
アメリカ

モルテン・ティルドゥム監督
ジョン・スペイツ脚本


ジェニファー・ローレンス、、、オーロラ・レーン(上流階級出身のライター)
クリス・プラット、、、ジム・プレストン(エンジニア)
マイケル・シーン、、、アーサー(アンドロイドのバーテンダー)
ローレンス・フィッシュバーン、、、ガス・マンキューゾ(甲板長)


「ハンガーゲーム」のジェニファー・ローレンスと「ジェラシック・ワールド」のジム・プレストンの主演である。
アーティフィシャルでメカニカルな背景にとても映えるふたりだ。
貫禄のローレンス・フィッシュバーンも出てくる。
この人はかなりSFタッチの映画に出てくる人だ。『コンテイジョン』、『マトリックス』、、、大御所である。


出合えないはずの二人が出逢う。
運命であると謂ってしまえば、事後的には全て運命とはなろう。
という事であるが、、、

この出逢い方、エゴによるものである。
自分の孤独に耐え兼ねて他者を巻き添えにしている。
しかも後戻りできないものだ。
人の人生を奪っていることは否定できない。
ジムがオーロラを冬眠から起こしてしまってから、入り込み難い流れとなる。
(確かに120年の冬眠の末目覚めるはずが、30年程で独り起こされ、他に誰もいない~眠っているという絶望的光景はよく表現されていた。カスタマーセンターが役に立たないことによる究極的な寄る辺なさ、、、)。

移住船「アヴァロン」が舞台となる。惑星「ホームステッド2」に光の速度の二分の一で向かう超巨大な宇宙船である。
この船体、龍のようなフォルムと動きのある迫力充分な構造物で、壮大なスケール感においては「2001年~」にも肉薄するものであった。
船内の重力感覚も説得力ある表現であった。

長い冬眠を経て彼ら5000人の乗客は新天地に入植する。自分たちの新たな社会をそこに開拓するのだ。
しかし、後90年を残してトラブルにより、ジムは休眠ポットから起こされてしまう。
一年間絶望と孤独に耐え独りで過ごすが、ポッドに眠っているオーロラの姿(眠り姫)を見ているうちに(自己紹介ビデオも見て更に気に入ってしまい)、何と彼女を手動で起こしてしまうのだった。
溺れる者藁をも掴むような気持だったはず、とはガスの言葉であるが、確かに誰でも追い詰められて、そうなる可能性は感じる。

ジムは一度起きてしまったら、そのポッドで再び冬眠は不可能であることを知った上で彼女を起こしてしまった事実を隠し、彼女と親しくなり、信頼を勝ち得て恋人関係になってしまう。
だが、ある日その事実を知るバーテンダーのアーサーがペラペラ彼女にありのまま喋ってしまうのだった。
当然であるが彼女は烈火の如く怒り、ジムを拒絶するようになる。
ちょうどジムが指輪を彼女にプレゼントしようとしていた矢先だ。
兎角、人生においてはそういうものである。このタイミングは正しい、、、。

その頃、いよいよ船内のトラブルが顕在化し頻発して来た。
2年前、ジムが起こされた原因でもある小惑星の衝突のダメージが船全体の機能に及んでいたのだ。


終盤、ガスが現れ、そのお陰で絶対的な窮地から救われるが。
彼の何処にでも入れるIDがなければ間違いなく宇宙船そのものが爆破し5000人の乗客及びクルーが全員命を落としている。
このガスという男は、複雑なトラブルで起こされたため生命維持機能が不全ですぐに死んでしまう。
大事な時にふたりに重要な指針を示して管理者IDカードを手渡し、直ぐに死んでゆくというのも、都合がよい気もする。

またジムがエンジニアであるとしても、このような巨大な船の精密なメカにこれ程容易く迅速に対応出来るものだろうか、という疑問も生じざるを得ない。その辺もどうも引っかかりつつ観てゆくことになる。クルーをやはり起こして手伝ってもらう事を考えるのが自然に思える。(船員なら会社側とも無関係とは謂えない。責任上当然でもある)。
最後の破損したリアクターの熱を逃がし、機関室に及ぶ熱暴走を止めようとする作業は何とも緊迫感はあるが、、、。
どうにか船を爆発の危機から救い出すことに成功しジムは驚異的回復力で蘇り、オーロラが作業中に深手を負った腕は何ともないかのよう。そしてひとつ発見された冬眠ポッドは使わず、ふたりともそのまま起きて暮らすことにしたようだ。
冬眠ポッドの予備は一つだけ?クルーは交替で眠るとかして、一人くらい安全管理上起きていないのか、、、。
何と謂うか、やはり金儲け主義の会社の宇宙船だけあって、安全対策が余りに弱い感がある。

マイケル・シーンのアンドロイドの動きは巧みであったが、実際あれだけの認識力とコミュニケーション能力を機械~チップが実現してしまうというのも、不気味な感覚がある。
あそこまで喋りのセンスをもたせるのもどうか、、、。

ちょっとずつ色々と気になってしまう映画であった。


どうも話題の高さからこの映画を観てみたのだが、CMで謂われていた彼らが起きた理由など何もない。
単に偶然のトラブルで起きただけであり、オーロラは、ジムのエゴで起こされたに過ぎない。
それに理由を付けようとすれば、どうにでも付けられようが、理由などない。

他のSF大作から見るとかなり小粒な作品であった。
美術はかなり大掛かりで大作風に頑張っていたのだが、、、。
容れ物に対してプロットが弱い。
主演に今旬の役者を持っては来たが、それだけでは、どうも、、、。


「ブレードランナー2049」が待ち遠しい、、、。

途中下車の快楽

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最近、電車にほとんど乗らない為、途中下車に縁が無くなった。だが懐かしい。
はじめて途中下車したのは、大学時代で、とてもワクワクした。
毎日、電車の車窓から眺めるタマガワの川面の煌きにともかく魅せられたのだ。

その距離と速度の作る幻想美と、ルーチンの流れを切断する快感!からのウズウズした果ての行動である。
「美」とまで行かなくとも、何か新しい事、別な事をやるときには、決まって「もうや~めた!」という逃避の快感が伴う。
「けつをまくる」というやつだ。
以来、何度けつをまくって来たことか(爆。

ゾンネンシュターン(色鉛筆のシュルレアリストの画家フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン)の描いた「女からの逃走」という絵を観てほとほと、いやつくづく感心した覚えがあるが、追いすがる女性(らしき鬼のような者)から馬に跨りこれまた必死の形相(なのか歓喜に沸く表情なのか?)で逃走を図る男の絵であった。
関係性からの離脱・解放の欲望は誰にでも生じる。
(潜在する欲動があるとき忽然と横溢する)。

新たな関係性と切り結ぼうとしたときに限らず、まずは辞めちまおう、とするような衝動だ。
そんな時は、身の危険すら伴う場合もあろうが、それで更にスリリングになりワクワク感も昇まる。
サスペンス映画タッチにもなるかも。
丁度、今日マイケル・ダグラスの「サウンド・オブ・サイレンス」を観たのだが、これは典型的巻き込まれ型サスペンスであり、電車では車両事故か人身事故で途中降車させられた乗客みたいになってしまうので、それは困る。
受動的で無意識的でありながら思い切った賭け事に出るような主体性のある自動的な感覚が肝心なのだ。
(しかも集団でぞろぞろ先導されてとかあり得ない(笑)。

先程のゾンネンシュターンの絵をわたしに教えてくれたのは、やはり学生時代にジャズの魅力を伝授してくれた点描画家のS君であるが、ジャズは快感そのものであり、絶対に自分の空間~中に流しておきたいミュージックなのだと常々謂っていた。
その絵は確かに彼の説もあるが、常に快楽を求めて突っ走る人に見えたものだ。
(今思い返しても、そう感じる)。

何かを辞めようと思い立った時、それはもうプライドとか意地や見栄や外聞ではなく、自分の本能的で自己防衛的な純粋な欲動に従った時、であろう。
その、ある意味原始的な快感を求める力がなくなったら、人は狂うか死ぬしかなくなる場合もある。
何だろう、、、過労死なども自ら始めた責任ある仕事を途中放棄するなど恥である、というような理性~信念から突っ走っているうちに、もう脇見や飛躍の感覚が麻痺してきてしまうのか。身が重くなってきてしまうのか。
これも快感の裏返しの感覚なのだろうか、、、。

ともあれ、快感~快楽を求めるリビドーが身体性から枯渇すると、人は間違うと思う。
ズレ、切断し、逃避し、横断する。
リゾームからリゾームへと移動し続ける。
これがなければ、生きることはとてもしんどくなるはず。


然しながら、距離と速度の作る魅惑的な幻想は、今いる系にいてこそ、そう映るものである。
タマガワべりに降りた大学生のわたしは、目前に見るその川の即物性と汚濁に痛く幻滅した。
光は何処にもない、、、。
これも一種の観測の問題である(笑。


救われない映画のようなエンディングで、、、。
今日の所は。



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ラ・ラ・ランド

La La Land001

La La Land
2016年
アメリカ

デミアン・チャゼル監督・脚本
ジャスティン・ハーウィッツ音楽


ライアン・ゴズリング、、、セバスチャン・ワイルダー(ジャズピアニスト)
エマ・ストーン、、、ミア・ドーラン(女優志望)
ジョン・レジェンド、、、キース(ジャズバンド”Messengers”のリーダー)
ローズマリー・デウィット、、、ローラ

「ブレードランナー2049」に主演する人でないか!ライアン・ゴズリング!
今から待ち遠しい~(想。

ちなみにエマ・ストーンは「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でサム・トムソン役で目立っていた。
取り敢えず戻る。

この監督「セッション」の監督である。まだ若手でパワーがあって、ビビットである。
あの鬼教師J・K・シモンズも出ていてセバスチャンを首にしている。(クリスマスなのにクリスマスソング以外の曲を弾いた為)。
ここでも音楽的に非常に厳しい鬼だ。
こういう役柄固定の人なのか、、、。


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始まりのロスのハイウェイ渋滞のシーンで巻き起こる歌とダンスは良いイントロでかなり期待を抱く素敵な感じがしたものだが、、、
それからの流れが、確かに絵ハガキ的に綺麗な夜景でセバスチャンとミヤがタップを踊るところなどあるが、とりたてて感動するようなものでもなく、他にもステレオタイプの綺麗な風景と赤、緑、黄色のドレスのルームメイト?とのチョットしたダンスにこれは、と思うも、さっと終わり、、、。

それにしても、何であんなにつっけんどんだったセバスチャンが急にミアに惹かれて優しくなったのか、その辺の機微が分からない。
ミアがセバスチャンに惹かれたのは、彼のピアノ演奏かと思うが、、、。
彼女のプリウスがレッカー車に引かれて行ってしまい立ち寄ったバーで。
(最後も偶然立ち寄った、バーで彼に出逢う)。
ちなみに、ハリウッドで意識の高い俳優は(レオナルド・デカプリオとか)ずっとプリウスに乗っている。
ミアはこの点でも正しい選択をしているが、セレブなプールパーティに来た客の車がプリウスばっかり、と言うのは笑うしかない。
ジャズが命で、妥協を嫌う彼がミアの為、安定した収入を得る為にポップな曲を歌うバンドのメンバーとなるというのも、、、。
どうにも解せない。

全体的に、歌もよいと言えばよいが、今ひとつインパクトに欠ける。
曲は確かに良いと思う。

噺そのものに魅力が感じられない。
と言う程でもなく、主演のふたりにどうにもシックリこない。
という訳でもない。
ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンどちらも技術があり熱演には違いないのだが。
何と言うか、、、基本キャストをもっと目まぐるしく動かして歌とダンスが観たいのだ。
恐らくその辺の欲求不満が疼くのだ。

ルームメイト?の黄色、緑、赤のお友達も今ひとつ(こればかり、口癖みたいだが)どんな人なのか分からないし、ミアとの関りもとても希薄だ。人間を深く描いて欲しい訳ではない。
もう少し、絡みが膨らみ動的であってよいような、、、。


噺のうえでも、ジャズバーを持ちたがっているセバスチャンと女優志望のミアの出遭い、はよいとして急に仲が良くなり、そのまま行くのか、よい感じではないか、と思ったら5年後は、、、それまでに何があったのか、ここまで付き合わされたのだ。知りたいではないか!
お互いの夢を確認して頑張りましょうというところであったのだが、、、。
つまり、、ミアはオーディションが良い感じで、ハリウッドで活躍することになればロケなどで暇はなくなるし、セバスチャンはバンドのツアーで各地を回り、レコーディングでも缶詰になるなど、逢う時間が取れなくなるという、そういったレベルでの話か?
それで別れてしまったのか?

最後の5年後のシーン。
彼女が女優として成功を収め、セバスチャンがかつて彼女が薦めた「セブス」という名前のジャズバーのピアニスト兼オーナーとなっており、偶然そこに今の夫と来たところから、時間が逆回りして切ない空想シーン。
もし、そのままセバスチャンと結ばれていたなら、、、である。
ここは綺麗な編集が効いていた。
長くも短くもない無駄のない尺に思えた。

結局、別れを選択して、お互いに自分の念願の夢を叶えた男と女の物語か。
こういうことは少なくないと思われる。
特にこのようなショービジネス界では。


終盤(5年後)のシーンでしっかりまとめた作品ではある。

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何とも言えない成功したもの同士の、とっても寂しそうな別れの表情で終わる。
(本当はお互いに結ばれたかった、という気持ちはよく見える。が、やはり自分のやりたいことを優先すべきである)。
正しいのだが、切ないものだ、、、。
ということなのか。


もっと派手で尺をタップリとった歌とダンスが観られるかと思っていたのだが、意外にそれが少なめで、ライアン・ゴズリング(「ブレードランナー2049」頼むよ!)のキーボードが全編に渡って流れまくった。
勿論、それは良いのだが、ミュージカルなのだし華麗なダンスが観たいではないか。
広告・CMでこれは!と受けた印象と違った。
噺なんて基本どうでもよいのだ。ダンスが観たい。
率直な気持ち。


二学期始まる!

darkmoon.jpg

今年は雨、嵐が多かった。
降らないと思っていてもゲリラ降雨である。
今日は何とかもつだろうかと思い、物凄い晴れ間に洗濯物を干してみてえらい目に遭ったりしたものだ。
(それ以来100%室内干しで来ている)。
二人の娘は海外旅行で日本には中盤ほとんどいなかったが、帰って来てからも、天気は愚図つきっぱなしで、外で元気に遊ぶ余裕はさほどなかった。

花火は、彼女らが出かける前にそこそこ楽しんだ。
これをやらないと、我が家では夏休みの始まりを実感できない(らしいのだ)。
それから公園に2度行って、買い物にも2回行ったが一緒に出歩けたのは、そのくらい。
(やはり帰り際に雨に降られたが、それはそれで妙にロマンチックな雰囲気ではあった)。
プールの方は一度も行けなかった。
終盤、行こうとしていたが妙に天候が寒々しくなり行く気分になれなかったのだ。

宿題はみっちりやった。自由課題の絵は何を描くか、というところから一緒に考えた。
観察記録については、家にいるわたしが撮っておいたマリーゴールドと鳳仙花の成長過程の写真をもとにつけていた。
かなり丁寧に出来ていたと思う。
次女が相変わらず、字が小さい。
自分にだけ読める暗号にしているみたいだ。
暗号解除でオープンソース化を狙いたい。
提出物に関しては、3日前には、鞄に詰め込んで用意はできていたが、、、。

夏休み最後の昨は月齢が9.4の半月から二日目といったところで、黒い雲の流れる合間に顔を出した「お月様」を二人に見せた。
見えるときはとても克明に見えて、クレーターのそれぞれの表情を充分に楽しんだ。
それにしても黄色く明るい美しい天体だ。
いつもその色に魅せられる。
少しずつ遠ざかっているにしても、まだまだじっくり味わえる。
焦る必要もない。
また満月をゆっくり見よう。
6日が満月である。


長女とは、イソップ読みを毎日したが、絵本の挿絵もとても気になったようで、興味はもったようだ。
ここにあるような「物語」に馴染むことはとても肝心である。
(わたしは、幼少時代このような「物語」を読まずに、エドガー・ポーなどを熱心に読んでいたが、まずは最初に規範的物語を入れておく必要がある。そうしないと狼少年・少女になってしまう。これは中上健司も言っていた)。
次女は、相変わらず読み物は「怖い話」しか読まない。(平仮名のついたもの)。
かと言って、小泉八雲にはまだ乗ってこない。「雪女」は以前噺をして印象にはあるようなのだが。
その手の映画を選んできて見せると、怖いところになると別の部屋に逃げ込んでしまう。
それを含めての雰囲気が好きなのか、、、。
まだ鑑賞というレベルではない。


結局、ほとんどこれと言って新たな事が出来た訳でもない。
今年の夏休みは、ちょっと今ひとつ感がある。
彼女らが「ゼルダ伝説」以上に熱心に物事に当たっていた感はない。
飛躍はなく、そのままと言う感じか、、、。

変わるときは目に見えて変わるものだ。
宇宙物理学者が重力波の検出をするときの根気強さに比べれば、どんなことでも地道過ぎる事などない。
反復しかない。
方法を工夫しながら反復してゆく他にない。
毎日が生成過程である。

わたしももう少し観察日記をつける必要がある。


今朝も長女と一緒に登校した。
まだ続く、、、。


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