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大魔神 三部作

daimajin001.jpg

BSでやっていたので、とりあえず観てみた。3つとも。
監督がそれぞれ違うのに、話は完全にフォーマット化されていて、おんなじであった。
大魔神が現れるタイミングもきっちり同じであり、お姫様とか小童がお祈りして頼むと願いを聞いてくれる。
水戸黄門的な律義さで流れてゆく。

特撮はかなりよく出来ているが、魔人のスケール感がシーンによってかなりばらついていた。
身長は4.5mというのだが、明らかにそれより大きかったり、そのくらいだったりする。
一定に保つのは難しいことだ。
それから特徴として、何も話さないし吠えたりもしない。声自体出さない。
やはり口から何も発しないところが、神の威厳を保つうえで肝心なところなのだ。
(あの大きさで何やら声を出すと、ただの怪物となってしまう。ゴジラやガメラとの差別化を図らねばなるまい)。
ただその存在を大きな足音で知らしめる。
そして高くて頑丈な塀や石垣、岩などを怪力で崩してその姿を現す。
登場スタイルも皆同じ。

つまり2,3作目は1作目を基本フォーマットとして継承いたのか、或いは最初からシリーズはこの形でというものが決められていたのか。
チェコの映画『巨人ゴーレム』(1936)にインスパイヤされ日本の時代劇と融合させた形をとっている。
2作目は、「モーゼの十戒」からの引用か、湖が裂けて大魔神が移動して行く。
これ程の力があったのか、、、流石は神である。

daimajin003.jpg

ちなみに誰もが知っている戦闘時に顔が変わるシーンであるが、魔人の山に祭られている平時は古墳祭祀の際に使われていたような埴輪顔だが、腕を顔の前で交差するとたちまち仏像(仏教化するのだ)における憤怒の形相の 明王みたいになる。
ここが大魔神の大魔神たるところだ、、、。

daimajin002.jpg

必ず一度、魔人阿羅羯磨(あらかつま)を極悪非道な新たな領主が破壊を試みるが、かえって魔人を怒らせることになる。
当たり前だ。これでただで済むと思ってるのか!、、、である。
地震、地割れでまずは邪魔な子悪党を文字通り神罰で呑み込み、、、。
次々とお城や建物を壊し、なぎ倒し、砲撃を跳ね返して前進する。
後は何処までも悪い殿をのっしのっしと追い詰め、止めをさす。
「かみさま~」と圧政に苦しんできた村の衆や悪い殿に一族を滅ばされた姫や小童たちが拝んでおしまい。
魔人はその場で粒子化して崩れ、核部分が火の玉状となり飛び去って行く。
この青い火の玉が魔人の実体なのだ。


音楽が3作とも伊福部昭であることで特撮技術と相まってある種の格調の高さが生まれている。
噺自体は非常に単純な勧善懲悪の民話みたいなものである。
脚本と撮影も同じ人だ。これで作品に安定感というより、同じような話~絵となるわけだ。

領民に思いやりのある政をして慕われてきた領主~お殿様を悪辣で非道な侵入者(家臣)が悉く殺してしまい、自らがその地位を奪い統治してしまう。過酷な労働に駆り立てられ死にそうな目に遭う民が山の谷間のような秘密の場所に祀られている山の荒ぶる神に助けを求めに行く。だが、映画の終盤まではなかなか魔人は重い腰を上げない。誰がお祈りをささげて涙を流すか(自己犠牲的な仕草を見せるか)で、彼ははじめて動く。1,2作目は綺麗な姫の私の身を捧げますと言って流す涙。3作目は小童の拝んで雪に身を投げる姿、に呼応する。
(とは言え虐げられている村人が魔人に蹴散らされたり、村人の為に立ち上がった少年が自己犠牲的に川に流されても直ぐにドライに忘れ去られたり、可哀そうに思えるところはある)。

それから、何とも恐ろしいことに、全ての作品が1966年に製作されているのである。
映画によっては続編が10年以上後となるものなどいくらでもある。
これでは猶更同じようなものになるのでは、、、。それが狙いか。
でも、何でこんなに急いで続編を作ったのか?
一作目が結構ヒットしたのに気をよくしてそれにあやかろうとしたのか?


「大魔神」(1作目)
1966年
安田公義監督
吉田哲郎脚本
伊福部昭音楽
森田富士郎撮影

高田美和、、、花房小笹(一族を悪家老一派に滅ぼされた姫)
青山良彦 、、、花房忠文(姫の兄)
藤巻潤、、、猿丸小源太(忠文の懐刀)
五味龍太郎、、、大舘左馬之助(悪家老)

1518年(永正15年) 丹波にて

ここでは、民がどんな酷い目に遭っても動かぬ大魔神であったが、花房小笹(高田美和)が涙で頼むと、いうことを聞く。
噺と流れは、同じ。


「大魔神怒る」(2作目)
1966年
三隅研次監督
吉田哲郎脚本
伊福部昭音楽
森田富士郎撮影

藤村志保、、、早百合(姫、十郎時貞の許婚)
本郷功次郎、、、千草十郎時貞(民に称えられる千草の領主)
上野山功一、、、名越勝茂(千草の分家、早百合の兄)
神田隆、、、御子柴弾正(隣国から攻め込んだ悪殿)

1532年(天文元年) 八雲 にて

ここでは、早百合が捨て身で涙を一滴流して頼むと、言うことを聞いてくれる。
噺と流れは、同じ。


「大魔神逆襲」(3作目)
1966年
森一生監督
吉田哲郎脚本
伊福部昭音楽
森田富士郎、今井ひろし撮影

二宮秀樹、、、鶴吉
堀井晋次、、、大作
飯塚真英、、、金太
長友宗之、、、杉松
(どれも小童)

1543年(天文12年) 飛弾 にて

ここでは特に殿も姫も出てこない。
そこが1,2作目と異なる。
演技の下手な子役でもたせるのは、かなり大変。
(製作側も観る方も)。
やはり殿(直ぐに敵につかまり人質になる)と幼気な姫でやった方がすんなり観られるのだが。
噺と流れは基本的に同じ。

daimajin004.jpg
3作目で初めて剣を抜いたと思う。
それまでは、ほとんどただ歩くだけで、悪の主をやっつけるときも自分の剣は使わなかった。


どれも初めて見た。
ゴジラ、ガメラは明らかな怪獣であるが、こちらは荒ぶる神であった。
取り敢えず3部作全部見てひとやれである。


恐らくもう二度と観ることはあるまい。


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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