博士の異常な愛情
「または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」
(意味もなく長いような気はするが、、、ここまでが題名である。)

Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb
1964年
アメリカ、イギリス
スタンリー・キューブリック監督・製作
スタンリー・キューブリック、ピーター・ジョージ、テリー・サザーン脚本
ピーター・ジョージ『破滅への二時間』原作
ピーター・セラーズ、、、ストレンジラヴ博士(大統領科学顧問)
、、、ライオネル・マンドレイク大佐(イギリス空軍大佐で派遣将校)
、、、マーキン・マフリー大統領(アメリカ合衆国大統領)
スターリング・ヘイドン、、、ジャック・D・リッパー准将(戦略空軍司令官、極端な反共主義)
ジョージ・C・スコット、、、バック・タージドソン将軍(反共主義、自民族優越主義)
スリム・ピケンズ、、、T・J・コング少佐(B-52のパイロット)
「2001年宇宙の旅」、「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「アイズ ワイド シャット」、、、「ロリータ」は今度書かないと、、、。スタンリー・キューブリックだ。
わたしとしては、やはり2001ではあるが、、、。
これはこれで、、、コメディでモノクロの手強い作品だ(笑。
何と言っても、「東京オリンピック」の年の作品ではないか、、、それが過去の済んだことにも思えない、、、。
理由がよく分からないのだが、何故かピーター・セラーズが一人三役やっている(謎。
勿論、熟れた絶妙な演技であるが、敢えてそんなことしなくても、熟練俳優はいっぱいいるのだし、、、。
米空軍のマンドレーク大佐にリッパ―将軍から1本の電話が来る。
R作戦を発令だと。
R作戦は、ソ連の基地に対して核兵器による総攻撃を行うものであり、アメリカ本土が攻撃を受けていることを前提とする。
リッパ―将軍は軍にいる全ての人間からラジオを取り上げることを命令するが、マンドレーク大佐はラジオを聞いて、アメリカ本土に日常の時が平穏に流れていることを確認する。
核爆弾を積んだ戦闘機(B52)は暗号通信しか受け取れず、彼らを引き戻せる暗号はリッパ―将軍しか知らない。
執拗にマンドレーク大佐は、リッパ―将軍に水爆を搭載した戦闘機を戻すように説得するが、極端な反共主義者である彼は全く聞き容れない。これは単なる先制攻撃に他ならない。しかも核による壊滅的な打撃を加えるものだ。
病的な共産主義嫌悪であり、正気の域を逸脱していることは言うまでもない。
飲料水のなかに共産主義者がフッ素を入れていると真面目に主張している。
「ソ連」ということばの幻想にとり憑かれているのだ。
(リッパ―将軍は何故か捕虜になりそうな事態を前に自殺してしまう)。

キューバ危機の状況に重なる。米ソ冷戦の最中、一触即発の時期である。
両国とも核兵器を製造しまくっていたことからも、ひとつ間違えればこの映画のような展開も無いとはいえなかった。
今現在隣で、核開発と大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験している国もあって、何を考えているかは兎も角、かなり危険な情勢にはある。当時からソ連はしっかりICBMを飛ばす技術は備えていたが。
何が危ないって、特に隣などその技術的な面と体制(人)的な面からの誤作動が一番心配なのだ。その不安定さから。
少なくともこの映画の登場人物(国家首脳陣)ではいつ何をやらかすか分かったもんじゃない。
映画を観ていれば笑っていられるが、、、また、そうなった後の首脳陣による構想が飛んでもないのだ。
ああっ東京オリンピックも近いし、嫌な予感。狂気は反復し、回帰する、、、。
勿論、この映画は「映画はフィクションであり、現実には起こりえない」と断ってから始まる。
(そう断っても忽ちそのコントでこの世界に引きずり込むよ、という自信の表れみたいにも思える)。
何にしても、誤作動は何処にでも発生するし、何処の国でも安定動作など望むべくもない。
(元々、国という幻想がそうしたものなのだ)。

核爆弾に、またがりながら落下するコング少佐は、まさに使命感と犠牲的精神をもつカウボーイである。
やはり西部劇の国だ。
トップシークレットのマニュアル見ながら、事の次第を理解するB52搭乗員と言うのも覚束ない。
この隣にはプレイボーイ誌が置いてあるし。
まあ、それを言ったら全てコミカルなネタみたいなもので詰まっている。
ギリギリのところで回避暗号を解いたマンドレイク大佐が、大統領に公衆電話でそれを伝える。
(専用電話は線が切られているのだ)。
途中で小銭が無くなりコカ・コーラの自動販売機を銃で壊し小銭補充する。
その甲斐あり、4機は撃墜され残りは帰路に向かったと思ったのだが、実は撃墜は3機でコング少佐の1機は、損傷を受けたために燃料漏れに通信機器が壊れ不通となりつつも果敢に任務遂行のため飛び続けていたのである。
結局、その忠実で勇猛な働きにより目的地点の爆撃に成功する。
と同時に、ソ連の「皆殺し装置」が自動作動し、米ソどころか人類全体は風前の灯状態となる。
その装置の炸裂により、地上はその後100年は放射能で地獄化する。

かなり終盤に登場する大統領顧問科学者こそストレンジラヴという凄い名前の博士である。
もうコミカルなコテコテの演技で、帰化していても元ナチス党員であることが一目瞭然である。
自説を論じていて興奮するとハイルヒトラー!の敬礼を思わずしてしまうし、大統領を総督と呼び間違える。話し方も尋常ではなく挙動不審である。
そして肝心な説そのものが選民思想である。
コンピュータに条件を入力し選ばれた価値ある人間のみ地下で生活させるのだと。
男1に対し女10で20年後には現在の状態に復帰できるなど、、、無茶苦茶な構想を饒舌に説く。
それを聞いて一夫一婦制はどうなるんだ、とかコントにもならない質問も出る始末、、、。
結局、この映画まともな人は大統領とライオネル・マンドレイク大佐くらいのもので、ホットラインでつながったソ連の閣僚会議議長(書記長か)も電話に出ても酔っぱらってどうやらまともな話が出来ないようだし、おまけにヒステリーを起こす始末。
ソ連大使は、こんな人類全体の存亡がかかっている会議中にも関わらずスパイ活動をしている(笑。
一緒に最高機密の地下会議室に同席していること自体、尋常ではないのだが。
後は飛んでもないジンゴイストである。
水爆に乗っかって投下されたカウボーイなどこれらの人々からみれば清々しい愛国主義者である。
しかしその時の絵は印象的であった、、、。
『また会いましょう』(ヴェラ・リン)の甘やかでほのぼのする歌がかかる中、地上の世界は壊滅して行く、、、。
(意味もなく長いような気はするが、、、ここまでが題名である。)

Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb
1964年
アメリカ、イギリス
スタンリー・キューブリック監督・製作
スタンリー・キューブリック、ピーター・ジョージ、テリー・サザーン脚本
ピーター・ジョージ『破滅への二時間』原作
ピーター・セラーズ、、、ストレンジラヴ博士(大統領科学顧問)
、、、ライオネル・マンドレイク大佐(イギリス空軍大佐で派遣将校)
、、、マーキン・マフリー大統領(アメリカ合衆国大統領)
スターリング・ヘイドン、、、ジャック・D・リッパー准将(戦略空軍司令官、極端な反共主義)
ジョージ・C・スコット、、、バック・タージドソン将軍(反共主義、自民族優越主義)
スリム・ピケンズ、、、T・J・コング少佐(B-52のパイロット)
「2001年宇宙の旅」、「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「アイズ ワイド シャット」、、、「ロリータ」は今度書かないと、、、。スタンリー・キューブリックだ。
わたしとしては、やはり2001ではあるが、、、。
これはこれで、、、コメディでモノクロの手強い作品だ(笑。
何と言っても、「東京オリンピック」の年の作品ではないか、、、それが過去の済んだことにも思えない、、、。
理由がよく分からないのだが、何故かピーター・セラーズが一人三役やっている(謎。
勿論、熟れた絶妙な演技であるが、敢えてそんなことしなくても、熟練俳優はいっぱいいるのだし、、、。
米空軍のマンドレーク大佐にリッパ―将軍から1本の電話が来る。
R作戦を発令だと。
R作戦は、ソ連の基地に対して核兵器による総攻撃を行うものであり、アメリカ本土が攻撃を受けていることを前提とする。
リッパ―将軍は軍にいる全ての人間からラジオを取り上げることを命令するが、マンドレーク大佐はラジオを聞いて、アメリカ本土に日常の時が平穏に流れていることを確認する。
核爆弾を積んだ戦闘機(B52)は暗号通信しか受け取れず、彼らを引き戻せる暗号はリッパ―将軍しか知らない。
執拗にマンドレーク大佐は、リッパ―将軍に水爆を搭載した戦闘機を戻すように説得するが、極端な反共主義者である彼は全く聞き容れない。これは単なる先制攻撃に他ならない。しかも核による壊滅的な打撃を加えるものだ。
病的な共産主義嫌悪であり、正気の域を逸脱していることは言うまでもない。
飲料水のなかに共産主義者がフッ素を入れていると真面目に主張している。
「ソ連」ということばの幻想にとり憑かれているのだ。
(リッパ―将軍は何故か捕虜になりそうな事態を前に自殺してしまう)。

キューバ危機の状況に重なる。米ソ冷戦の最中、一触即発の時期である。
両国とも核兵器を製造しまくっていたことからも、ひとつ間違えればこの映画のような展開も無いとはいえなかった。
今現在隣で、核開発と大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験している国もあって、何を考えているかは兎も角、かなり危険な情勢にはある。当時からソ連はしっかりICBMを飛ばす技術は備えていたが。
何が危ないって、特に隣などその技術的な面と体制(人)的な面からの誤作動が一番心配なのだ。その不安定さから。
少なくともこの映画の登場人物(国家首脳陣)ではいつ何をやらかすか分かったもんじゃない。
映画を観ていれば笑っていられるが、、、また、そうなった後の首脳陣による構想が飛んでもないのだ。
ああっ東京オリンピックも近いし、嫌な予感。狂気は反復し、回帰する、、、。
勿論、この映画は「映画はフィクションであり、現実には起こりえない」と断ってから始まる。
(そう断っても忽ちそのコントでこの世界に引きずり込むよ、という自信の表れみたいにも思える)。
何にしても、誤作動は何処にでも発生するし、何処の国でも安定動作など望むべくもない。
(元々、国という幻想がそうしたものなのだ)。

核爆弾に、またがりながら落下するコング少佐は、まさに使命感と犠牲的精神をもつカウボーイである。
やはり西部劇の国だ。
トップシークレットのマニュアル見ながら、事の次第を理解するB52搭乗員と言うのも覚束ない。
この隣にはプレイボーイ誌が置いてあるし。
まあ、それを言ったら全てコミカルなネタみたいなもので詰まっている。
ギリギリのところで回避暗号を解いたマンドレイク大佐が、大統領に公衆電話でそれを伝える。
(専用電話は線が切られているのだ)。
途中で小銭が無くなりコカ・コーラの自動販売機を銃で壊し小銭補充する。
その甲斐あり、4機は撃墜され残りは帰路に向かったと思ったのだが、実は撃墜は3機でコング少佐の1機は、損傷を受けたために燃料漏れに通信機器が壊れ不通となりつつも果敢に任務遂行のため飛び続けていたのである。
結局、その忠実で勇猛な働きにより目的地点の爆撃に成功する。
と同時に、ソ連の「皆殺し装置」が自動作動し、米ソどころか人類全体は風前の灯状態となる。
その装置の炸裂により、地上はその後100年は放射能で地獄化する。

かなり終盤に登場する大統領顧問科学者こそストレンジラヴという凄い名前の博士である。
もうコミカルなコテコテの演技で、帰化していても元ナチス党員であることが一目瞭然である。
自説を論じていて興奮するとハイルヒトラー!の敬礼を思わずしてしまうし、大統領を総督と呼び間違える。話し方も尋常ではなく挙動不審である。
そして肝心な説そのものが選民思想である。
コンピュータに条件を入力し選ばれた価値ある人間のみ地下で生活させるのだと。
男1に対し女10で20年後には現在の状態に復帰できるなど、、、無茶苦茶な構想を饒舌に説く。
それを聞いて一夫一婦制はどうなるんだ、とかコントにもならない質問も出る始末、、、。
結局、この映画まともな人は大統領とライオネル・マンドレイク大佐くらいのもので、ホットラインでつながったソ連の閣僚会議議長(書記長か)も電話に出ても酔っぱらってどうやらまともな話が出来ないようだし、おまけにヒステリーを起こす始末。
ソ連大使は、こんな人類全体の存亡がかかっている会議中にも関わらずスパイ活動をしている(笑。
一緒に最高機密の地下会議室に同席していること自体、尋常ではないのだが。
後は飛んでもないジンゴイストである。
水爆に乗っかって投下されたカウボーイなどこれらの人々からみれば清々しい愛国主義者である。
しかしその時の絵は印象的であった、、、。
『また会いましょう』(ヴェラ・リン)の甘やかでほのぼのする歌がかかる中、地上の世界は壊滅して行く、、、。