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GOMA28

Author:GOMA28
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ラビット・ホール

Rabbit Hole001

Rabbit Hole
2005年
アメリカ

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督
デヴィッド・リンゼイ=アベアー脚本・原作
ニコール・キッドマン製作

ニコール・キッドマン、、、ベッカ・コーベット
アーロン・エッカート、、、ハウイー・コーベット(夫)
ダイアン・ウィースト、、、ナット(ベッカの母)
タミー・ブランチャード、、、イジー(ベッカの妹)
マイルズ・テラー、、、ジェイソン(加害者の高校生)

キャストの高純度の演技と演出が物語を研ぎ澄ます。
ニコール・キッドマン、やはり只者ではない。


並行宇宙~多元宇宙(マルチバース)というとき、他の宇宙は異なる時空にある為、原理的には観測はできない。
「人間原理」から謂っても、この宇宙に知的生命体はわれわれしかいないとわたしは信じている。
人間にとってこの宇宙は余りに絶妙に、最適化されたデザインで生成されていることがはっきりしている。
これはとても重い事態だ。

だが、「無限」という想念のもと、確率的には何処か他に異なる自分が異なる人生を送っていてもよいのでは、と想いたい(そういう事情に追い込まれる)ということは、ある、、、。
その想いが幾つもの理論~”Rabbit Hole”を生んでいる。


ジェイソンが並行宇宙の理論を下敷きにコミックに描いていたことは、象徴的であった。
つまり別バージョンのわたしたちの世界も何処かに存在するだろうと。
「幸せな私たちもいるのかも。」
彼女は、エウリュディケとオルフェウスの話を向ける。
それもまた、どうにも届かない運命の物語であるが。
そう、どうにもならない気持ちの再確認か。

「あの時、制限速度を少しオーバーしていたかも知れない。」
「犬をそのまま離さなければよかった。」
「わたしがそこで電話に出ていなければ、、、。」
気休めにもならない。
想い出の品を整理しようが、取り戻そうが、何も変わらない。
サポートクラブに通い続け、そのコミュニティーの中で傷を舐め合い完結しようとする人々、、、
自分よりもっと悲惨な人探しに来ている人を横目に眺め、では他に何かもっと創造的な生き方が可能か。
しかしどこで何をしようが、何も解決に繋がるものなどない。
それでも人は、個々に”Rabbit Hole”を探しながら孤独に他者と共に生きてゆくのだ。

われわれは「ここに」生きているのだから。

子供を目の前の事故で失った妻そして夫。
その親族。
彼らを取り巻くそれぞれの立場の人々。
そして加害者。子供を道に連れ出した愛犬。
これから先もずっと単一の世界を孤独に共有(間主観性において)してゆく。

「このままでは、やってゆけない。」
「つらすぎる。」
「無理だ。」
「子供を失うことは、人を変えてしまう。」
「お互いをダメにする。」
、、、こんな独白を漏らしながら、彼らの日々は更新されてゆく、、、。
反復されその度に美しさを増す想いに、傷口は生々しく押し広げられ。
それでも現実に向かい合う以外に、ない。
われわれは「ここに」しか生きられないのだから。

そう分かっていながら、どこかで”Rabbit Hole”を探している。


その思いは宇宙全体へ、あらん限りに押し広がり彷徨い、虚しく差し戻されるのだ。
救いなど、ない。



いや、あるとすれば、「時間」の果てに。
ナットのいう、~それは孰れ、ポケットの中の小石に~なってゆくのかも知れない、、、

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ムーランルージュ

Moulin Rouge!

Moulin Rouge!
2001年
アメリカ

バズ・ラーマン監督

ニコール・キッドマン 、、、サティーン(一番人気の娼婦)
ユアン・マクレガー 、、、クリスチャン(詩人)
ジョン・レグイザモ 、、、トゥールーズ・ロートレック
ジム・ブロードベント 、、、ジドラー(ムーランルージュの主)
リチャード・ロクスバーグ 、、、ウースター公爵
ギャリー・マクドナルド 、、、医者
ジャセック・コーマン 、、、アルゼンチン人
ケリー・ウォーカー 、、、マリー
マシュー・ウィテット 、、、エリック・サティ
キャロライン・オコナー 、、、ニニ
デヴィッド・ウェンハム 、、、オードリー
カイリー・ミノーグ 、、、緑の妖精


ユアン・マクレガー、「天使と悪魔」のカメルレンゴ非常に良かった。これが一番印象に残る。「ベルベット・ゴールドマイン」のカート・ワイルド、「ゴーストライター」のゴーストライター役、「ジャックと天空の巨人」にも出ていた。最近では「美女と野獣」のルミエールやってた(笑。しかし、何といってもこの人「トレインスポッティング」のマーク・レントンやってたのだ。まあ、何とイメージの極端に異なる役か、、、。「パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル」を参照のほど。
音楽系の映画が目立つが、歌が上手いということか。(確かに上手かった)。

ここでのニコール・キッドマンは他の出演作と比べ、余り魅力的とは思えない。
彼女は線が強すぎて華やかで、儚い娼婦という役はどうも似合わない。
前半は弾け過ぎていて、ちょっと怖いし。(フレディ・マーキュリー的な怖さもあった)。
もう少し内向的で可憐で線の細い感じの美女の方が適任に想える。
リメイクするとしたなら、レア・セドゥとか、、、余計に強烈な個性を放ってしまうか?、、、アマンダ・セイフライドとか、、、ダコタ・ファニングなら何でも頼めるか、、、自分があまり女優を知らないことがはっきりしてしまう、、、誰がいるだろう。

ジドラーがまるで、ロートレックの絵から飛び出て来た人みたいだった。
面白いが、素顔はどうなっているのか、と思ってしまう。
(確実にそこを狙っている)。

緑の妖精はカイリー・ミノーグだった!
気づいたときはチョッと嬉しかったが、それがどうというほどのことでもない。
(彼女は歌わない。勿体ない。ちょっと出の妖精だし)。

音楽は、全体的にあまり良くない。(部分的には良いのもあったが、、、)
ニルヴァーナがかかった時は少し驚いたが、、、全然良くなかった。
(だいたい、ここでニルヴァーナを使うか?であれば、デヴィッド・ボウイも同様そぐわない)。
ミュージカルなんだから、音楽は全てオリジナルにして欲しい。
既にあるポップやロックからの繋ぎ合わせアレンジでは(アレンジ自体も)、全然つまらない。
この噺~舞台に無理やり合わせているようだが、いまひとつ。

全編煌びやかな舞台のなかでの出来事のようであった。
サティーンの背後で、赤いイルミネーションの風車が回るのが印象的。
”ムーランルージュ”=「赤い風車」~キャバレーである。
衣装やネックレス(ジュエリー)は、相当なものだと思う。
退廃的でキッチュで、、、でも何か物足りない。いや足りないのではなく、、、。
要するに、単純で定石過ぎて大袈裟でわざとらしくてすんなり入ってゆけない。
音楽がどうにも受け容れ難いものであったが、ストーリーも演出も余りにベタである。
ダンスやフレンチカンカンも、もっとあってもよいような。

ニコール・キッドマンがそこそこ歌っているのは良いが(結核を押してのステージなのだが)、取り巻きの連中が余りに突飛に劇画化されてしまって、、、。
わたしが、モンマルトルのムーランルージュと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、トゥールーズ・ロートレックなのだが、これかよ?、、、という感じである(残。踊り子モデルに少しは絵でも描いてて欲しかった。
ただのオチャラケ・キャラである。品もない(誇り高き貴族の御子息にしては)。
極端に脇役が平板化されているが、それがロートレックやサティなのである。
その名前を使わず、架空のキャラならそれはそれで構わないとしても、、、。

このクリスチャンはモデルがあるのか、どうか。
愛こそ全て。
愛は酸素と同じだ。
と息巻くクリスチャン。
酸素濃度が濃すぎても体に毒だ。
余り優れた詩人には思えない。
お金大事のサティーンが急に惚れたのも何と言うか、、、詩の力なのか?歌か?

途中、7回ほどポーズして、アイスクリームとお茶やコーヒーやおかきやポテチやトイレに行った。
かなり、ダレた。


クリスチャンとサティーンが恋に落ちる。
分かり切った展開。予定調和で。
どちらにとっても初めての恋らしい。
だが、「ムーランルージュ」の経営は、ウースター公爵の権力と財力に支えられていた。
彼はサティーンを自分だけのものにしようとする。
ジドラーはそれに従う他ない。
公爵は厄介者のクリスチャンを手下に殺させようとする。

そしてすでに、愛より強い力がサティーンを捕らえていた。
結核。
彼女はもう長くない。

しかし「ショーは続けなければならない!」
”The Show Must Go On”(クイーンを思い出す)。
その通りだ。
「俺たちは裏社会の人間だ。恋することは許されない。奴を傷つけて救うんだ。」(ジドラー)
サティーンはクリスチャンを裏切り捨てる決心をするが、、、この先、わざわざ書くまでもない。
何というベタな筋か、、、とほほ、であるが。
最後の詰めも、えっ、そうなの?
それで終わり?
カタストロフとしては弱い。


どうにも乗れない映画というものがある。
これは、ホントにしんどい映画であった。

アイズ ワイド シャット

Eyes Wide Shut003

Eyes Wide Shut
1999年
アメリカ、イギリス

スタンリー・キューブリック監督・脚本
フレデリック・ラファエル脚本
アルトゥル・シュニッツラー『夢小説』原作
ジョスリン・プーク音楽
『ジャズ組曲 第2番 ワルツ2』ショスタコーヴィチ
『ムジカ・リチェルカータ』リゲティ


トム・クルーズ 、、、ビル・ハーフォード(開業医)
ニコール・キッドマン 、、、アリス・ハーフォード(ビルの妻)
シドニー・ポラック 、、、ヴィクター・ジーグラー(ビルの顧客、友人)
トッド・フィールド 、、、ニック・ナイチンゲール(ビルの旧友、ピアニスト)
マリー・リチャードソン 、、、マリオン・ネイサンソン(患者の娘)
トッド・フィールド 、、、ニック(ビルの旧友、ピアニスト)
ヴィネッサ・ショウ 、、、 ドミノ(娼婦)
アラン・カミング 、、、ホテルの受付係
ラデ・シェルベッジア 、、、ミリチ(貸衣裳屋)
リーリー・ソビエスキー 、、、ミリチの娘


アマゾンプライムで久しぶりに観た。ここでは、修正版である。
トム・クルーズ&ニコール・キッドマン夫妻主演で、夢か現かという、われわれの世界の実相を華麗にビビットに描く。
(この映画出演の後、二人は離婚となる。ここで全てを出し切ったか、、、って何を(爆)。

二人はともにパーティの華であり、ペアでももちろん目を引くが、個別にも誘惑がたくさん来る。
所謂、何処へ行っても花形夫婦であった。
しかしおざなりな返事などから、倦怠期に差し掛かっていることが分かる。
そんななかビルは妻アリスから、あるときたまたま出逢った海軍士官に惹かれ「求められたらすべてを捨ててもいいと思った」という衝撃告白をくらう!
何でわざわざそんな話をし出すのか、とこちらも思うが、、、マリファナ吸った勢いで打ち明けたようだ。
それを聞いて呆然とするビル。

Eyes Wide Shut001

ここからビルは変調をきたし、猥雑な夜の街へと彷徨い出す。
妻アリスが海軍士官と情交している妄想が走馬灯の如く巡り、悶々としてゆく。
彼は半ば逃避するように、ひとつ道を外れて誘惑に身を委ねてゆく、、、この重力感覚~浮遊感は分かる(爆。
道端で ドミノに誘われるとそのまま彼女の部屋について行ったり、患者のネイサンソンが急死した知らせに、お悔やみに訪れたところで、ほとんどお互いを知らぬ間の娘のマリオンに激しく求愛されたり、パーティで出逢った旧友ニック・ナイチンゲールがピアノを弾いているバーに行くと、非常に怪しげな会員制パーティのことを知らされ大いに興味をそそられてしまう。
仮装が条件の為、深夜の貸衣装屋に行くとそこでは店の娘と客との破廉恥な事態が生じており、主のミリチが客に対し警察を呼ぶと息巻く。妻からの電話は、適当に応対して切り、タクシーを拾ってニックから聞き出したパスワード”フィデリオ”で館に入り込む。
”フィデリオ”、、、「忠実」って皮肉ではないか。
誰もが皆、自分の素性を隠すように覆面の仮装で身を固め(女性は仮面一つの裸体で)、明らかに複数人、ビルのことを知っているメンバーがいた。
謎の人物がビルに向かって静かに挨拶をする。
リゲティの『ムジカ・リチェルカータ』は効いていた。

Eyes Wide Shut002

このパーティーこそが、この映画の肝であろう。
音楽(オルガンとコーラス)も黒魔術の儀式的な雰囲気を禍々しく怪しく愉し気に演出していた。
演奏はニックであった。目隠しをして弾いてる。
ありそうでいて非現実的で、危険に思えてこけおどしな、ミステリアスに見えてキッチュな、エロティックでいて白けていて、、、色彩はかなりビビットな高彩度で、密度の濃い空間だ。
だが、内容的には然程、ディープなものではない。
想定外の凄さや陰惨さなどはない。

儀式に参加している裸体の女性の一人にビルは呼び止められ、「ここはあなたがいる場所ではないわ。早く帰って。身の危険が迫ってるわ。」なんて囁かれる。
俄かに危険を感じはするが、好奇心の方が上回るというもの。この場所の価値が俄然跳ね上がってしまう、、、。
そのまま物珍しそうに徘徊していると、本当に、彼は正体~招かざる客であること、を見抜かれてしまう。
彼が独り、リムジンで招待された会員ではなく、タクシーで来ていることがバレる。

多くの仮面会員の取り巻くなかにビルは独り立たされ、秘密結社の主から尋問を受ける。
そして今にも制裁を受けようという矢先に、例の女性がここぞとばかりに現れ、わたしが身代わりになるから、その人を行かせてとホストに頼む。
かなり劇的な展開で、追い詰められたビルは無事にあっさり解放された。
これもかなり舞台がかっており、そのような手筈となっていたように受け取れる。
(ともかく、これでビルをかなりビビらせる効果はあったはず)。

衣装を返しに貸衣装屋を訪れると、例の店主と客が仲良くしており、娘をビルに紹介する素振りまで見せる。
しかも返す物で仮面だけが何故か無くなっていた、、、。
つい先ほどの様子からすると非常に奇妙な進展に戸惑う。
金で事情が変わったのかどうか、定かではない。どうにもはっきりしない事態が続く。
そして朝4時に彼女の眠るベッドに帰ると、彼女もビルが仮装パーティーで体験したのと同様の光景を夢で見ていたのだ!
ここで彼らの現実と夢の境界が曖昧となっていたことが分かる。

翌日ビルは館に出向くが、深追いするなという忠告の手紙を門で手渡される。
すると余計に真相を探りたくなり、ニックが宿泊しているホテルを訪ねるも、彼はすでにチェックアウトした後であった。
彼が顔に痣を作り怯えた様子で男二人に連行された事実をホテルの受付係から聞き、不安を募らせる。
しかも新聞記事でマンディが麻薬中毒で死亡したという事を知るに及ぶ。
マンディは以前ヴィクターの相手をしていた際、麻薬の使い過ぎで危ない状態に陥ったところを彼が蘇生させた女性であった。
ビルは病院に安置されていたマンディの遺体を確認し、彼女が自分の身代わりとなった仮面の女性であることを知る。

ヴィクターはビルを呼び出し、昨夜自分がその場にいたことを打ち明ける。
そしてビルが如何に危険な場所に紛れ込んだかを説明する。
ヴィクターは、死亡記事にあったマンディが昨夜の女性であることは認めたが、組織に殺されたのではなく自らの麻薬の過剰摂取の為の事故死であると言う。ニックもそのまま無事に自分の家へと帰されたらしい。(あくまでもヴィクターの騙る限りだが)。
昨夜の出来事はこの先、絶対に詮索せず、誰にも口外しないように忠告するが、同時にそれは単なる「ヤラセ」であり「狂言」だと想えばよい、とも謂う。
「嘘だと、、、想えと?」「そうだ、嘘だ!」

これは、面白い。ここまで来てそれを謂うか、である。
そう謂われてしまえば、全ての現実は、まさにそれであろう。
ホントだと思えばホントだし、嘘だと思えば嘘だ。
どうとるかは、本人(たち)に掛かっている。

Eyes Wide Shut004

家に戻ると、アリスは仮眠をとっており、その傍らには何と、館に忘れて来た仮面が置いてあるではないか!
彼は何故か号泣してしまい、アリスに自分がした体験を全て騙る。
その夜、ビルは妻と娘と連れ立って、クリスマスプレゼントを買いに行く。


お互いに危機的状況を何とか乗り越えたことを確認しあう。
(実際は、違った、、、)。





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記憶の棘

BIRTH001.jpg

BIRTH
2004年
アメリカ

ジョナサン・グレイザー監督・脚本

ニコール・キッドマン、、、 アナ
キャメロン・ブライト、、、 ショーン少年
ダニー・ヒューストン、、、 ジョゼフ(アナの婚約相手)
ローレン・バコール、、、 エレノア(アナの母)
アリソン・エリオット、、、 ローラ(アナの姉)
アーリス・ハワード、、、 ボブ(ショーンの兄、アナの義兄)
アン・ヘッシュ、、、 クララ(生前のショーンの浮気相手)
ピーター・ストーメア、、、 クリフォード(クララの夫)


何というか、イメージ映像で押してくる監督である。
一見、淡々としているようで、意味を込めたイメージのアップをかなり押し付けてくる。
映像で魅せるぞ、という姿勢はよく分かるのだが、、、。
小気味よく展開するサスペンスとは違い、徐々に濃密に重層して来る物語である。
「生まれ変わり」という特異(象徴的)な立ち位置を主張する子供を台風の目として深まってゆく、、、。


10年前に最愛の夫を亡くしたアナの前に、10歳の少年が「僕だよ君の夫のショーンだ。」と突然現れる。
アナについて色々詳しく知ってはいるが、その情報にはムラがある。
荒唐無稽な主張には当然、疑念は残すも次第に彼が生まれ変わりなのではないか、と真剣に受けとめ始めるヒトも出てくる。
(彼はショーンではないと確信する亡くなったショーンの兄やその妻もいるが、、、)。
特に、虚を突かれ、衝撃をじわじわと受けてゆくのはアナである。
アナ自身、亡くなった夫の想いが未だに強く胸の底に生きていたことを実感する。

その少年は、アンの母の誕生パーティのとき出席者のひとりクララの後をつけて、彼女が土に埋めた封を切られていないショーン宛のアナのラブレターを堀り出し、アナのことを知ったのだった。
ショーンの愛人であったというクララの妬みから、婚約して幸せをまた手に入れたアナにこれをプレゼントしたらどういう顔をするか確かめようとしたが、結局やめたものだ。
しかしこの噺もクララがでっち上げようとすれば出来ないことではない。
(実はショーンに来た手紙を彼が見る前に盗んでおいたとか、、、)。

しかしよく分からないのはその少年ショーンである。
10歳でも大人の雰囲気がある。
分かった様なことを堂々と述べ、ジョゼフとは結婚するなと平気で言い、生意気な態度や口を慎まない。
当然、ジョゼフはその無礼に激怒する。(大人気の無さに周囲の人間は引くが)。
勿論子供なのだが、アンの入浴中に普通にバスタブに入って来る、、、「どういうつもり?」「僕の妻を見ている、、、。」ハリウッド版クレヨンしんちゃん実写版という感じではない(念を押す必要あるか?
そもそも何故、大人びた表情で彼は、ショーンの生まれ変わりで君の夫だと、強く主張する(出来る)のか。
(それを咎められたら床に崩れ落ちたりして、イタコみたいである)。
つまり生まれ変わりというのは、前世の記憶を引き継いだ者を指すとすれば、、、
少年の場合、非常に強い確信というか前提でモノを言っているのだが、アナについての知識は手紙で得た範囲なのだ。
外から得ただけの覚束ない情報量で、この揺らぐことのない確信に充ちた態度がどうにも微妙なのだ。
つまりどういう精神状態なのか、、、一種の病気か。それともその核心を支える内的な確かな実感を伴ったうえでのものか、、、。
どうやら、それはアンをこころから愛している、という感情のようなのだ。
すると、、、ショーンは、、、浮気していた(勿論、クララの言う範囲であるが)とすればそれはどっちみち少年独自の純粋な感情なのだ、、、。
ここが何ともはっきりしない。

最後まで本当に彼が生まれ変わりなのかどうか、など分からない。本来分かることでは、ない。
また、彼が実際どうであってもそれは本質的なものではない。
だが、彼の出現が、彼らの本当の愛情の姿(在処)を曝け出だす。
アナは、長年に渡るジョゼフの求婚にやっとイエスを出したが、やはり彼女のこころを占めていたのはショーンへの愛情であった。
アナの姉や母があからさまに少年に拒絶反応を示し義兄やその妻が否定しても、アナはその少年を本気で信じてゆく。
結局少年はアナから、一緒に逃げて11年後に結婚しましょう、とまで告白される。

ちょっと、ここまでくると飛躍というより、突き抜けた純粋な想いを感じ取れる。
アナがそういうフラジャイルな精神状態に追い詰められ昇まってしまったことは分かる。
再婚を控えたタイミングでの謎の少年の出現は、アナの抑えていた意識の活性を図る触媒として働いたとも言えよう。
アナの本当の愛が顕となったのだ。

BIRTH002.jpg
ショーン少年は、亡くなった夫ショーンがアナからのラブレターを封を切りもせずクララに渡していたという話を、クララ当人から聞かされる。「あなたが本当のショーンなら、まず最初に本当に愛しているわたしのところに来るはずよ。」これはショックであった。
生まれ変わり少年ショーンは、アナへの愛を貫くため彼女から身を引き、歳相応の小学生として生きることを選ぶ。
「僕はショーンじゃない。」とバスタブに浸かって彼はアンに告げる。
アナは「騙したのね。」と怒り動揺する。

その後アナは気を取り直し、一旦離れた婚約者ジョゼフのところに戻り、今回の騒動はわたしのせいではないのよ、わたしは単に混乱に巻き込まれただけなの、仕方なかったの、と謂い許してもらう。
二人は結婚式をあげるが、海辺の波打ち際を彷徨う花嫁の不穏な表情で幕を閉じる。


全てがそのまま受け取れない、そうとも取れるがどのようにも受け取れる話だ。
真実の愛が一時の間、何をも押しのけて噴出したが、少年の退場に従い、元の秩序~あやふやな日常世界に戻ったというところか。

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

date.jpg

2016年
三木孝浩監督
吉田智子脚本
七月隆文原作


福士蒼汰、、、南山高寿
小松菜奈、、、福寿愛美
東出昌大、、、上山正一(南山の親友)


「時間が逆に進む隣り合った世界から来たの、、、」
、、、ってどういうことだ?
ここで思考停止してしまう。
ドラえもんのパラレルワールドか?
そこからやってきました、という強引さだけなら笑ってすませるのだが、、、。

取り合えず、観てしまったもので、一言感想を記しておく。


「時間」という観念の持つ、不自由さ~意のままにならぬ、その無常観をペシミスティックな演出装置として利用した青春ラブ・コメディなのだろう。
恋愛物語であれば、もっとも重要な要素は、時を濃密にともに過ごすことに他ならない。
その最終的願いとしてのひとつになるとは、同じ光景~時空に溶け込みたいという感情~気持ちであろう。それは一種の郷愁をも呼び込む。(時間と郷愁はとても親和性がある)。一期一会の想念との結びつきもあり。
(半面、時間は優れて理性~意識と不可分の観念~形式でもある。もっと謂えば、意識の前に時間はない)。

だがこの物語は、時間を演出・小道具に利用してはいるが、実は時間そのもの?とは何の関係もない、もしこんなことがあったらどうだろうというレベルの荒唐無稽で幼稚な発想レベルの産物である。
一言、あり得ない。というだけで終わる。が、、、
取り敢えずは、ヒロインの説いている話に沿って見てみる。面白いところもあるかも知れない。


よくあるドタバタ・タイムリープものなら、それはそれとして楽しむことも可能であるが、この噺は、福寿さんの主観~世界が一日毎に、過去に飛んでゆくというのだ。
それがあくまでも一日毎であるなら、「時間の逆流」などではない。
「時間」とすれば物理的対象として考察できるが、一日というのは、はっきり人間的(文化的)な区切りであり物理現象でも何らかの実体でも何でもない。ここでは、24時間を指しているのではなく、単に一日という枠を指している。その枠があたかも一つのパケットとして、「日にち」で遡行してゆくというのだ。その切断を意識流から考えると実に不可解な繋ぎだ。一日毎に記憶を失ってゆくのというのは。

彼女は病気なのではないらしい。何やら特異な(詩的な)妄想癖の持ち主でもなさそうだ、、、。
それでは、何らかの悪意をもってヒトを引っかけているのか、、、(その線ならあり得るし面白いのだが(笑)。
時間が逆行する異なる世界からやって来て、南山くんに合わせた生活をしているという。
彼もまんまとその話にスッと乗る、、、マジか!
彼女は、超越的視座から彼の世界に関わり、何やら手帳をもとに振舞っているらしい。
(「彼と彼女の変わった時間遊び」とか、そんなテーマならこれもよいかも知れぬが)。
この手帳は曲者である。

午前零時から午後零時までは、南山くんと同時時間を生きる(明らかに単一の世界を共有している)のだが、一日経った瞬間、一日彼女だけ戻るのだという?そのなかで何やら設定された恋愛を上なぞりするのだ。真面目な悲恋物語として進行?する。
イメージとしては、逆日めくりカレンダーみたいだ(福寿さんの方は)。

これは時間の流れとは全く別の事態であるから、、、何であろう。
一日毎のタイムリープか?
しかし、主体が現在にあってのそれではなく、存在自体がそのまま戻って行くというのだ。
だが存在自体が戻って行くということは、実はその環界も戻らなければおかしい。
時間が逆行(遡行か?)するとは、世界自体が戻ることを意味しよう。
南山くんたちの世界で福寿さんだけが独自の系で生きているというのは、一体どういう構造が可能か。
時間は完全に個人的で主観的な創造物である、としても。
われわれが時間を感知するとき、環界の変化~運動を拠り所としている。
それなしに異なる時間も何も認知しようもない。
また、自分の住む環界の時間が逆行すると、何を相対して確認するのか?
その系にいたら、単にそう思い、それが基本だと感じる~信じるだけではないか。
時間とは、基本的に外部に立ち現れる事象~表象の変化そのものとして触知される。
異なる時間系が同時に相手を確認するということは原理的にあり得ない。
二つの場所を同時に知る~存在することは、素粒子~ミクロの場でのみ確認されるにしても。

こちらの時間系に乗り込んでも、自分の時間系~存在様式は維持できるという俯瞰的に二つの系を眺めた場合にしか生じ得ない認識は、時間を空間化して見ているところからくる。つまり明らかに取り違えている。
ふたりの時間系は隣に独立してあるのではなく、何らかのハイパーな接点をもっているとかいうところで強引にもってきても、受け容れられる次元のものではない。
一方的に福寿さんの方が南山くん側に浸食してくる構造のようだが、、、
5年に一度、30日間だけ同じ空間で逆日めくり状態で共存できることの全体的なイメージが、わたしたちは端と端とが繋がっているのよ、と謂うトポロジーでは、成り立たない。
(ギリシャ時代の円環的時間でもあるまいし、、、まさか永劫回帰などと、、、)。
「月」がどう関係しているのかも。
この様相を果たして「時間」という観念でくくれぬのなら、何と表現できるか?やはり真面目にとれば「狂気」という他あるまい。


そもそも自然に不可避的に一日毎に遡って行くという生命のありようは、身体性から謂ってもイメージからも全く受け容れられないし、科学的~理論的には勿論のことである。
存在とはまさに今現在を生きるものだし、その今とは、過去という全記憶の総体の上に成り立つ。
つまり、記憶~思いの蓄積がアイデンティティを確立してゆく。
自分という根拠を重くしてゆく方向性は、線状的には前方、もっと謂えば垂直性にある。

知の蓄積も肉体的衰退~老化も逆方向に向く流れ、、、イメージは無理だが、、、では、そもそも生命自体の存続~持続が不可能ではないか。
肝心な発端はどうなのか。この短い物語においても発端と終末が全く体を成さない。
ともかく、どういう形で始まるのか。
そもそも未来が始点という未来とはどの時点なのか。

そして最期には母親の胎内に戻ってゆくというのか。
果たしてそんな虚しい存在があり得るのか。
悲恋物語どうのという前に、その逆行生物自体が余りに悲し過ぎないか!
映画のシーンで、彼女の絵を描く南山の場面があるが、その完成した作品は彼女の次の日にはなくなっているのか、、、芸術作品や文化的成果が徐々に消えてゆく世界だとしたら文明は早晩消滅し人類(生物)も消えてなくなるはず。
ともかく、どういう系のイメージ~考えによる世界観~設定なのか。
全く見えてこない。そしてそれを丸呑みして彼らのやり取りに寄り添うこともおよそ不可能である。
その内容もご当地ネタを絡ませてほとんど意味もない会話で何故かすぐにというより始めから恋愛モードである。
ここに何があるというのか?


最後に小松奈々が「馬鹿がまた引っかかったわ。」と言ってほくそ笑むところで終わるのなら、そこそこ面白い映画であった。あのどう見ても不可解な手帳もある意味、思わせぶりなトリックであり(ワザと南山に読まれるように置き忘れたのだろうし)、阿呆なイケメンをドラえもんネタで勾引かして楽しむ、「渇き」の謎の美少女以上に危ない美女の可能性もあったのに、最後までシリアス系であったのには、がっくりした。
あの電車に乗ってしゃがみこんで、泣いたフリして舌を出して笑い出すところを見たかった、、、。

この原作本がベストセラーということで、思わず別の用で本屋に出かけたおり、買ってしまった(爆。
しかし、読み始めたところで放り投げた。
、、、映画も好評らしい。どういう状況なのか?背筋が寒くなる、、、。


小松菜奈も出る映画を選ばないと、女優としての危機に陥ると思われる。
スコティッシュ監督の映画にも出ているそうだが、活躍の場をそちらにシフトした方が展望を感じる。
ハリウッド進出しても充分にやってゆけると思うが、、、。



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BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

The BFG001

The BFG
2016年
アメリカ

スティーヴン・スピルバーグ監督
ロアルド・ダール『オ・ヤサシ巨人BFG』原作
『チャーリーとチョコレート工場』の作者でもある。
メリッサ・マシスン脚本

マーク・ライランス、、、BFG
ルビー・バーンヒル、、、ソフィー
ペネロープ・ウィルトン、、、女王
レベッカ・ホール、、、メアリー


「ブリッジ・オブ・スパイ」の燻銀のソ連スパイ役のマーク・ライランスの主演である。
(その作品もスピルバーグ監督であった)。
あの達観したクールなスパイとは全く対照的な人の好い素朴なおじさんである(笑。

VFXは圧倒的であった。
動きの重なりや迫力、美しさもだが、ここではとりわけ、物の大きさの対比によるスケール感が見事であった。
そしてじんわりと巨人と少女とのこころの触れ合いを描く。
両者ともに孤独な存在である。
孤児院の夢見がちで本好きな少女とヒトを食べない人の好い巨人。

耳の大きい巨人は見慣れてくるとかなり良い感じのキャラクターに思えてくる。
特に笑顔である。(ソ連のスパイの時は、一瞬たりとも笑顔はなかった)。
少女もだんだんと可愛い子に見えてくる(笑。
(最初の頃はこまっしゃくれていて、あまり可愛げがない)。


なかなか眠りにつけないソフィーは深夜、孤児院の窓辺で巨人と目が合い、彼にさらわれ地図にない巨人の島にやって来る。
最初は、彼を恐れて逃げ出そうとするが、話をするうちに打ち解ける。
彼女は身長7メートルの彼が巨人の中ではとても小さく、ヒトを食べない特別な存在であり他の巨人に迫害されていることを知る。
そんな境遇もあって、ふたりは、程なく親友となる。

深夜密かに子供たちに夢をプレゼントする為に彼、 ビッグ・フレンドリー・ジャイアントは、夢を捕らえに行く仕事をしている。
ソフィーと一緒に美しい湖の湖面に映る影の世界に入り込むところがよい。
そこで夢を捕らえるのだ。
鏡に出入りする例は少なくないが、湖面でしかも面を境に対称に(逆様に)立つところはユニークである。
全編VFXの技術が遺憾なく発揮されているが、ここと巨人たちとの戦闘場面が特に際立つ。

完全な色鮮やかなファンタジーであるが、如何にも意地の悪そうな粗暴な巨人たちがふたりの前に立ちはだかる。
ここがまた一つの見せ場ともなる。
ただ綺麗なだけではファンタジーにはならない。
なくてはならないダークな部分をフレンドリーではない巨人たちが担う。
人食い巨人のボス、マルノミはまさにジャイアンであった。
「ニンゲンマメを隠してるな~っ」と言い、ソフィーを探し出して食ってしまおうと、BFGの家に雪崩れ込んできて暴れまわり部屋を滅茶滅茶にする。彼らは水に弱く、水を嫌う。
BFGは何とか彼らの暴挙から逃れるが、彼らの暴挙を止め、子供たちが食べられるのを防ぐ策を考えることにする。
結局ソフィーのアイデアで女王の助けを借りて、巨人たちをやっつけることになった。

そこで、捕らえた夢の中で酷く恐ろしい夢を瓶に詰め、女王に夢を観させた後で謁見する。
女王は夢で彼らの願いは確認しており、人食い巨人たちを軍隊を使って処分することを快諾する。
宮廷内でのもてなしの食事の風景は愉快なものだ。
BFJお手製「プップクプー」をお偉いさんが飲んだところなど、イギリス風のジョークか。
イギリス紳士が皆、フレンドリーですぐにBFJを受け入れて和んでいるところが面白い。

そして最新軍用ヘリでBFJの誘導により巨人の島へ、、、。
このテクノロジーの先端を行くヘリとこの巨人との取り合わせが、なんとも異質なコントラストであった。
まず、ソフィーが巨人たちに、彼らが自責の念に駆られる夢を瓶を割って観させる。
ジャイアン、、、ではなくマルノミだけは、夢を呑み込まないで出してしまい相変わらず凶暴に暴れる。
混乱を極めた巨人たちは次々にヘリの網にかけられ、宙吊りにして運ばれて行く。
ここは実に鮮やかな手際だ。しかし、こんなケースが軍事行動であるだろうか、、、手際が少し良すぎる感はした。
巨人たちは海に囲まれた小さな孤島に落とされ、彼らが嫌いなお化けきゅうりの種だけが与えられた。

「ジャックと天空の巨人」から見ると、まだまだ可愛げのある巨人ではあった。


「進撃の巨人」より面白い。

ダーク・プレイス

Dark Places

Dark Places
2015年
アメリカ

ジル・パケ=ブランネール監督・脚本
ギリアン・フリン『冥闇』原作、、、「ゴーン・ガール」の作者でもある。

こころの闇、、、


シャーリーズ・セロン、、、リビー・デイ
ニコラス・ホルト、、、ライル・ワース(殺人クラブオーナー)
クリスティーナ・ヘンドリックス、、、パティ・デイ(リビーの母)
クロエ・グレース・モレッツ(年老いてからアンドレア・ロス)、、、ディオンドラ・ワーツナー(ベンの恋人)
タイ・シェリダン(年老いてからコリー・ストール)、、、ベン・デイ(リビーの兄)

暗い画面の多い重苦しい映画であった。
噺はよくできていたが、「ゴーン・ガール」ほどのインパクトはなかった。
だが、見応えは充分あるよくできた映画だ。
リビー・デイの苦悩と彷徨と覚醒の物語である。

シャーリーズ・セロンのうらぶれた姿がずっと続くが、最後に本当の自分の生を生きなおすことができる、、、
希望の光の窺えるシーンで終わる。


8歳の時(1985年カンザス州の小さな町で)、一家惨殺事件(母と娘二人の殺害)に巻き込まれリビーはたったひとりあとに残される。
幼いリビーの証言もあり、犯人は兄のベンとされ、刑務所に服役し28年目を迎える。
1980年代当時のアメリカの農業不況は壮絶なもので、多くの農民が苦しみに喘いでいた。


リビーは定職に就かず、自堕落な生活を送っている。
人との接触を極端に嫌い、孤独に生きてきた。
幼い時の外傷経験の大きさを物語るものである。
善意の支援金や母の保険金や自伝の印税のお金も底をついたある日、「殺人クラブ」からの手紙を手にする。

そのクラブは、過去に起きた殺人事件を検証し直し、真犯人を見つけ出すことを目的としており実績もあげている。
リビーはクラブオーナーのライルから事件の重要な証言者として協力を依頼される。
金に困窮していた彼女はそれを引き受ける。今さら働く気力もないし、スキルも何も身につけていない。
他にどうすることも出来ない。

クラブのマニアックでディープな雰囲気は一種異様であったが、ずっと詳細に緻密に事件を追い続けてきたメンバーは、皆ベンの無罪を主張していた。しかし、まだ決め手に欠けるのだ。
事件の真相を突き止めるには、彼女自身が当時の家庭の真実にしっかり目を向ける以外になかった。
ベンも再審請求など出したことがなかったこともあり、彼女はひたすらそこから目を背け続けて生きて来たのだ。
その姿勢が彼女の荒廃した生活ぶりとして表れていたと言えよう。

「殺人クラブ」は、一言で謂えば完全にオタクの集合体である。
その為、集めている情報も半端なものではない。
リビーはその分厚い独自捜査資料に目を通しながら、とても兄が殺人など犯す人間ではないと思う。
では何故、兄は控訴もせず28年間に渡り沈黙を守って来ているのか、、、。
また、それが冤罪だとすれば、8歳当時混乱していたとは言え証言者は自分である。

真相に向き合うことの重さは、こちらにもひしひしと伝わってくるものだ。
だが、彼女は最初は金のため引き受けた事件の洗い直しへの協力であったが、自ら疑問を解決する為に捜査にのめり込んでゆく。彼女の中に思い出の断片に対する意味を求める問題意識が沸き起こってきたのだ。
何故母親はあの夜ベッドに入ったわたしに対して「愛しているリビー。あなたをこころから愛している。忘れないで、、、」と念を押すように囁いたのか。

今現在の動きと、8歳当時のその夜の光景が絶妙に交錯して、こころに引っかかっていた疑問が解けて進んでゆく終盤は秀逸であった。リビー・デイの”Dark Places”に徐々に光を当ててゆく、非常に優れた演出である。

彼女の母パティはとても真面目で愛情深い優しい女性であったが、女手一つ(さらに別れた夫は賭け事で負けては金を無心に来る)で農場を切り盛りすることは、当時の社会情勢からいって不可能であった。
息子ベンの悪魔崇拝も世間に知れ、様々な誹謗中傷を受ける中、彼女は最後の手段をとる。
自殺を他殺のかたちで請け負う業者に仕事を依頼してしまうのだ。(そのケースはかなりの数にのぼっていたという)。
彼女が書類にサインと遺言を書き、それは実行されたのだが、、、
間が悪く、その夜にたまたまベンの子供を身籠もった恋人ディオンドラが駆け落ちの為にその家に居合わせてしまった。
彼女は二人の素行のことなどいつも陰口を言い触らしているベンの妹ミシェルと言い争いとなり思わず手にかけてしまう。
ベンはそのディオンドラを逃がし、彼女の(ふたりの)子供を守るため、口を閉ざして服役することを選んでいたのだった。

ディオンドラは必ずリビーに見つかると、ずっと以前から言っていたらしい。
「人間は例え正しいことをやろうとしても間違えることはある。」
この絡みで縺れ進行してきたのだ。

全てが明かされ、事件から漸く解かれ彼女は、普通に生きてゆく気持ちが芽生える。
許すことで。
「普通の人生が今、やっと始まった、、、」
エンディングの音楽がとてもマッチしていた。


”Bon voyage.”

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