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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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下妻物語

shimotsuma.png

2006年
中島哲也 監督・脚本
嶽本野ばら 『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』原作
菅野よう子 音楽


深田恭子 、、、竜ヶ崎桃子(ロココ時代に憧れるロリータ少女)
土屋アンナ、、、白百合イチゴ(スケバン暴走族少女)
宮迫博之、、、桃子の父(ほぼヤクザのペテン師)
篠原涼子、、、桃子の母(たかのゆりビューティコンテストで惜しくも優勝を逃す)
樹木希林、、、桃子の祖母(桃子の理解者)
岡田義徳、、、磯部明徳(BABY, THE STARS SHINE BRIGHT社長兼デザイナー)
小池栄子、、、亜樹美(イチゴの敬愛する先輩)
阿部サダヲ、、、産婦人科医・一角獣の龍二(桃子の母の再婚相手・亜樹美の彼氏)
水野晴郎、、、何故か代官山のコンビニに現れる

菅野よう子が音楽担当と言うことで観ることにした。
が、音楽そっちのけで、物語に入り込んでしまった(笑。

これは友情物語か?!
しかし異様に面白かった。
土屋アンナはやはり芸達者である。
彼女の曲とMVはiTunesで随分買った。
ミュージシャンとしては、やたらカッコいいが。
深田恭子は、この時分が一番良かったな、とは思う。
ロリータ役が実にはまる。
飄々としていて、「行ってしまった感」の強い役が彼女にはピッタリだ。
ここでは、茨城県下妻のポンパドゥール夫人か。

”BABY, THE STARS SHINE BRIGHT”というロリータファッションブランドに憧れ、そのブランドのドレスで身を固める竜ヶ崎桃子は、茨城県の下妻市から足しげく代官山に通うロココ主義の17歳。
ロココ様式は、過度な装飾性とその宮廷趣味が退廃的と揶揄もされるが、繊細・優美な曲線模様にはやはり魅了される。
ブーシェ、フラゴナールなどわたしの大好きな画家でもある。
この映画を観て、そのうちにブーシェ、フラゴナール特集をやりたくなった(笑。
(わたしの注目するヴィジェ・ルブランもロココ風新古典主義とも呼べる美しい女性画家である)。
彼女にとっての「ロココ」とは、ロリータファッションに身を包んでひたすら着飾り、自分が満足ならそれでよし、というもの。
他人は関係ない。人は皆、独りで生まれ、独りで考え、独りで死ぬもの、友達など必要ない、という固い信念に貫かれている。
父親はいかさまペテンで稼いできた男だが、彼女に刺繍の腕は磨かせていた。
そのおかげで、天才的な刺繍の腕とファッションセンスは身につける。
離婚のとき、裕福な再婚相手を見つけた母が桃子を引き取ろうとするが、彼女はヤクザまがいの父といた方が「面白そう」という理由でそれを断っている。この場合の「面白そう」はかなり過激な選択を勇断させている。やはり独特の感性で、彼女ならではの理屈は通している。

一方の白百合イチゴはしっかりした裕福な家庭の娘なのだが、気が弱くいじめに遭い悩んでいるところに暴走族のトップの亜樹美に励まされ、自分もその暴走族に入って活躍することとなった。
暴走族の名前は”舗爾威帝劉”ポニーテールである!
(この手の当て字はひところ流行ったものだ(笑。少年漫画誌などで、、、わたしもみていた魁男塾(爆)。

桃子が父親の以前集めておいたバッタモンのヴェルサーチを売りにだしたところ、それに食いついてきたイチゴと、それぞれ身勝手な振る舞いをしながらの交流がズレつつも進展してゆく。
二人とも唯我独尊タイプである為、噺は合わないのだが、桃子は怖いスケバンスタイルで凄むイチゴにいつも言いたいことを臆面もなく言い放つ。その度に、てめ~っと言われヘッドパッドで失神させられるのだが、全く懲りない独特の感性をもっている。
別に根性がある分けではない。
他者が存在しない為、自分のその時々の思いをストレートに何に対しても言ってしまうというところか。
この二人に基本、対話は成立しない。

イチゴが先輩亜樹美の引退パレードに着てゆく服に感謝の意を記した刺繍を入れる為、代官山に伝説の刺繍屋を探しに二人で向かうが見つからない。(代官山に詳しいということで無理やり桃子は連れて行かれたのだが)。
諦めて帰るときに、代わりに桃子がイチゴの特攻服の刺繍をさせて欲しいと、申し出る。
イチゴは、全面的にその作成を桃子に任せる。
桃子は3日かけて、それを丹念に仕上げる。
その仕上がりは想像以上の素晴らしいもので、イチゴはいたく感動する。
その姿を見て生まれて初めて桃子は物を人のために作る喜びと感動を味わう。
恐らく、ここが肝なのだ。
自分の創造したものが他者のこころを揺さぶったという経験は、何にも代え難い。
これは、何にも代え難い。
そしてその創造行為に共感した二人の間に強い友情が自然に生じてきても何もおかしくない。
観ているこちらも嬉しくなる。
あの頑固に自分の主義に固執して閉じてきた桃子が、他者に対してこころを開いてゆく過程が殊の外優しく描かれてゆく。
こういう風な、友情物語なら、わたしも許せる(爆。

基本的にドタバタコメディ路線だが、主役の二人が綺麗で可愛らしい為、どんな場面でも決して絵が汚くならないのがよい。
途中でアニメなども入り、演出も面白く全く飽きさせない。
脇を固める俳優陣もベテラン個性派で、二人を上手く盛り立てている。
目立ち過ぎないところも良い(笑。

しかしジャスコの扱いには笑った。わたしもイオンには時折行くが、何も企業からクレームはつかなかったのか?
この土地では、生まれてすぐにジャスコのジャージを着せられ、死ぬときもジャスコのジャージで死ぬ、、、これは凄い。唸った。
この手の名言は、そこかしこに散りばめられている(爆。
深田恭子のナレーションの効果も良かった。
菅野よう子の音楽がどんなだったか、頭に残っていないのがうかつだった、、、。

阿部サダヲのリーゼントはやり過ぎに思うが、別にこの物語では不自然には感じなかった。

最後に水野晴郎氏に合掌。


めぐりあう時間たち

The Hours003

The Hours
2002年
アメリカ

スティーブン・ダルドリー監督
フィリップ・グラス音楽

1923年
ニコール・キッドマン、、、ヴァージニア・ウルフ(『ダロウェイ夫人』執筆中)
スティーヴン・ディレイン、、、レナード・ウルフ(夫)

1951年
ジュリアン・ムーア、、、ローラ・ブラウン(専業主婦)
ジョン・C・ライリー、、、ダン・ブラウン(夫)

2001年
メリル・ストリープ、、、クラリッサ・ヴォーン(雑誌編集者)
エド・ハリス、、、リチャード・ブラウン(詩人、小説家)
クレア・デインズ、、、ジュリア・ヴォーン(クラリッサの娘)
アリソン・ジャネイ、、、サリー・レスター(クラリッサの同棲相手)


音楽がフィリップ・グラスであったことが、この映画を観る決め手となった。

やはりフィリップ・グラス以外の何者でもない音楽であった。
映像も音楽に見合った充分な影を纏った美しいものであった。

生きる場所(時空)の異なる3人の女性の運命的なめぐり逢いを描いたものとしたいのか、この邦題は。
しかし、「時間」に「たち」等とつけるのは、余りに安易である。安物トレンディドラマじゃあるまいに。
何とも気色悪い。


一番重い役を見事に熟していたのは、ローラ・ブラウンのジュリアン・ムーアだった。
これは難しい役どころだろう。
1950年代の女性の立場、、、戦地から帰ってきた夫を慈しみ支えて暖かな家庭を築くという理想~超自我、をさほど抵抗なく引き受けられる神経の持ち主も多くいたことであろう。
しかしローラは、外見は何不自由ない幸せな家庭の模範的主婦として暮らしていながら、埋めようのない空虚~疎外感に追い詰められていた。
彼女は、世間体もとても気にして生きていただろう。特に夫に対するペルソナにおいては神経をすり減らしていたかも知れない。
その微妙な深部での揺れ動きは、幼い息子には敏感に感じ取られていた。
彼は長じて詩人となる感性豊かな少年である。
その彼が感じた母親の深い葛藤がさらに彼の感性と想像力を鋭敏にしてしまったことは、ある意味不幸でもあったか。
その暗部とは、何か?

例えばそれが具体的に、性同一性障害であったりするかも知れない。
統合失調症や躁うつ病という形で診断されてしまう場合もあることだろう。
だが、実はそれが、何であるかを言うことは出来ない。
実存と一口に言ってしまえばそれまでだが、、、。

ローラは、息子が追い縋るのを振り切って独りホテルに行き、そこで薬を飲んで自殺を企てる。
きっかけは子宮に腫瘍のできた友人が「子供を産まなければ一人前の女ではない」と言って泣くのを見て思わず抱き寄せキスをする。だがそれを彼女に拒まれたように敏感に感じたことが、その行為への引き金なったようだ。
人が自殺を決めるときなど、そんなものである。
しかし自分の寝ているベッドが水に呑み込まれそうになる幻覚に襲われ彼女は思い直す。
息子の下にもう一人の子供を授かったことに気づいたのだ。
ローラは一旦家に戻り、その妹を出産してから家族を捨て失踪する。
彼女は自分も知らない国、カナダの図書館に勤め、初めて独りで暮らす。
思い切った行動だ。勿論、世間から一方的な非難の対象となろうし、許されるものではない。
全くローラ・ブラウンらしからぬ異様な行為として窺える。


現代でも、過剰な(ウーマンリブ的な)自己主張をするわけではないが、いつも微笑みは湛えたまま、どこかで「本当に生きたい」と密かに強く望んでいる女性(男も当然)はいるものだ。
これは普遍的なものである。
ローラ・ブラウンの表情をした女性は確かに普通に何処にでもいる。場合によっては本人もそれと気づかず。

The Hours002

2001年の表向きは何の抑圧もないような素振りで、同性愛の相手と暮らしている自由なキャリアウーマンのクラリッサであっても、しっかりとした自立を勝ち得ているかと言えば、そうではない。かつての恋人でありエイズになった詩人の身辺介護をしながら彼に依存し、それを自分の存在意義の一つとして生きている。
彼の文学賞受賞パーティで、花を沢山買いパーティの為の料理や支度を念入りにし、彼を元気づけようとするが、彼の元恋人(男性)が現れ、話をするうちに感情的に混乱を極める。
自分の問題に触れる。自分が思いの他、解放も自立もできておらず、実は日々不安に苛まれていることに気づく。
彼はクラリッサをダロウェイ夫人とも呼んでいた。
パーティの迎えに訪れたとき、彼女の目の前で詩人リチャード・ブラウンは、アパートの窓から投身自殺する。
「君の為に生きて来た。でももう行かせてくれないか」と言い残して、、、。

ヴァージニア・ウルフは、もっとも自覚的で創造性のある女性である。
この物語自体が、彼女の『ダロウェイ夫人』の執筆に同期して流れてゆく。
(他の二人の女性ローラとクラリッサもヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んでいる)。
ヴァージニアが精神を病んだことから、夫レナードの計らいで田舎に居を移して療養生活を送っていた。
夫は出版業を営みつつ妻の執筆の援助と健康の回復を願っている。
だが彼女は自分の身を医者に任せたり頼る気など微塵もない。
彼女に必要なのは静養や保護ではなく、刺激に満ちた場所なのだ。
自分で物事を判断し決定して生きたい。
自立した個として自分を解放して欲しいことを夫に渇望する。
彼はそれを承諾し、彼らは元居たロンドンに戻ることにする。
しかし、彼女はその後、「私たちほど幸せな二人はいない」という書置きを残し川に入水自殺する。
(ローラの資質からすれば、空間的な距離を置くことで解決を図ろうとするが、ヴァージニアの場合、創造的な垂直性を要請する。ローラの場合の水は、新たな生命を守る羊水の象徴として現れたかも知れぬが、ヴァージニアの水は、創造性の枯渇~石を身に纏っての水没=下降の場となろう。もっとも彼女らしい選択である)。

非常に果敢に自覚的に闘い続けたヴァージニアが(そのためもあろうが)自死し、慎ましくひっそりと主婦の立場にいたローラが一人、他国の地で生き抜いてきたのだ。
ローラのかつて捨てた家族は皆亡くなっており、高齢となった彼女がたった独り生き残ったのである。
息子の死の知らせを受け、彼女はクラリッサの家に招かれてやって来た。
ローラ・ブラウンこそリチャード・ブラウンの母なのだ。
勿論、彼女は息子の文学賞を受賞した小説を読んでいる。
小説の中で自分は殺されており、それにはショックを受けてはいた、、、。

しかし、老女は騙る。
「後悔してどんな意味があるのでしょう。ああするしかなかった。誰も私を許さないでしょう。それでも私は死ぬより生きることを選んだのです、、、」
その確信の強さは絶対的なものであり、社会のあらゆる価値を凌駕する力を目に湛えていた。

クラリッサは、それを前にして何ひとつことばは出てこなかった。
その老女を見詰める事だけで精一杯であった。

The Hours001

クラリッサの若い娘であるジュリアが、リチャードの昔の恋人の男性と年老いたローラ・ブラウンの両者を「気持ち悪い」と評していた。
確かに彼らは反社会的であったりマイノリティであったりする枠以前の、実存的欲求に直結した生々しさを湛えている。
ヴァージニアは、それを生み出す創造者の側の立場である。


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