八十日間世界一周

Around the World in 80 Days
1956年
アメリカ
マイケル・アンダーソン監督
デヴィッド・ニーヴン、、、フィリアス・フォッグ
カンティンフラス、、、パスパルトゥー(フォッグの従者)
ロバート・ニュートン、、、フィックス刑事(フォッグを泥棒と間違え、追い続ける)
シャーリー・マクレーン、、、アウダ姫(フォッグたちに助けられるインドの姫)
ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を原作とする。
わたしの大好きな作家であるが、、、これは何とも言えないところで、、、。
「ナイル殺人事件」にポアロの親友として出ていたデヴィッド・ニーヴンである。
この人ほどイギリス紳士が地で行けるひともいないだろう。
トランプに興じる姿も決まっている。
「アパートの鍵貸します」のシャーリーマクレーンがとても高貴で礼儀正しいインド人の姫で好演している。
古い映画にしては、大変映像が綺麗で驚く。
そしてその世界スケールである。1872年の時代設定。
どの景色にしても凄い。
よくこれだけのロケーションが用意できたものだ。
勿論、ほとんどスタジオセットであることはわかるにしても。
だが、その国の描かれ方には、苦笑いをするしかない。
日本の横浜など、絶句である。どう見ても鎌倉の大仏なのだが(爆。
新橋 - 横浜間で鉄道正式営業開始された年でもあるが、名状しがたい光景だ。皆、侍だし(涙。
妙な舞台では、能や歌舞伎ではなく、松明を燃やし、人間ピラミッド~いや壁である、、、みたいなのを作っている、、、
その伝統芸能?いや曲芸に何故か来たばかりの旅行者パスパルトゥーも混ざっているではないか。
日本とは解放された、外人受け容れ度抜群の国なのだ。東京オリンピックでもこうありたい(爆。
何とも言えない、温かい描かれようだ。
一番の野蛮国に描かれていたのは、アメリカだ。
一行は、アメリカでもっとも酷い目に合う。
この国では、しょっちゅう列車が止まる。
止まらなくても、先住民が襲ってくる(笑。
(イギリス紳士はかなり憤慨する)。
インドにおける残酷な宗教儀式から美しく賢い姫を救い出す。
ともかくどの国もカリカチュアライズされた雰囲気なのだが、当時の知識~情報の限界か、ベルヌの奔放な想像力の賜物か。
フォッグは20,000ポンドを賭け、世界を80日間で一周してくることに挑んだ。
気球でいきなり飛び出すところでは、こちらもウキウキしてくる。
CGもないころに相当なVFXを見せてくれる。
旅の始まりはかなりのボルテージで期待度も上がる。
特に、スペインで着陸する際の建物の脇に気球が降り立つシーンなど臨場感抜群ではないか。
ちなみにまだ、ライト兄弟の飛行機の作られる前の時代である為、空を飛ぶにはこれしかない。
しかし、その後は通常の交通機関を利用する範囲に留まり、乗り換えや船やトロッコを選ぶにしても、普通の域だ。
緊急に組み上げた風力トロッコがちょっと面白かったが。
今ひとつ、奇想天外な交通手段が欲しい。これでは、80日は当時では難しかろう。
途中、鉄道がまだ目的駅まで伸びておらず、象に乗って移動するなど、呑気なところも多い。
ジュールベルヌなのであるし、何かが欲しい。
ただ、彼らが到達した地点がロンドンのメディア~新聞に直ぐ反映されるところを見ると、情報網はかなりの発達をしていたようだ。
(有線通信は、もう誕生していたと思うが。かなりのネットワークには違いない)。
途中で、ほんの一瞬、ピーター・ローレが出てきて歓喜したが、本当に短いシーンであった。
踊りや牛にあれだけ尺を割くのだったら、もっとローレを出せと言いたい!
だが、その他にもちょい役で、まず絶対ちょい役では通常出ない豪華キャストが出ているので、これも仕方ないか。
シャルル・ボワイエ、マルティーヌ・キャロル、ジョン・キャラディン、チャールズ・コバーン、ロナルド・コールマン、ノエル・カワード、マレーネ・デイトリッヒ、フェルナンデル、トレヴァー・ハワード、グリニスジョーンズ、バスター・キートン、イヴリン・キース、ヴィクター・マクラグレン、ジョージ・ラフト、フランク・シナトラ、レッド・スケルトン、、、調べただけでもこれだけの面々がちょこっとだけ顔を見せている。さぞ、金がかかったろうな、、、。エキストラでは済まないだろうが、新人役者で務まるところではあるはず。
話題性は高いだろうが、贅沢。
終盤になって急展開となり、最後はどうなるかと思ったが、パスパルトゥーの気づきのお陰で、日付変更線を越えていたことを知って屋敷を飛び出し数秒前にゴールとなる。勝利!
警官の誤認逮捕で拘留されている間に、80日を過ぎてしまいこれで万事休すに見えたのだが、、、。
最後の最後はスリリングであった。
この結末を引き寄せたのは、何と言ってもアウダ姫である。
彼女がフォッグに結婚を持ち掛けなければ、彼がパスパルトゥーに牧師を呼びに行かせなかった。
陰気なフォッグの邸宅に戻り、項垂れた彼を元気付け支えたいという彼女の想いが天に通じた感がある。
やはり幸せになろうという力が、それを引き寄せたと言えよう。
(気づかなければ、そのまま部屋で項垂れていて、本当に彼らは全てを失ってしまっていた)。
しかし、しかしだ、、、。
それまでが長い。余りに長い。
この長さではもたない。
それくらい、長い、、、。
ある意味、つらい映画であった。
スペインでのフラメンコの踊りとか闘牛のシーンなど、わたしなら全部で20秒で済ませたいところなのだが、あんなに延々と見せられることになろうとは、、、途中、デッキをポーズして何度他の用事に出かけたか、、、。
自主的”Intermission”を5回くらい入れてしまった(疲。
もう少し尺は短く出来たはず。
