壮烈第七騎兵隊

They Died with Their Boots On
1941年
アメリカ
ラオール・ウォルシュ監督
ウォーリー・クライン、イーニアス・マッケンジー脚本
モノクロ
エロール・フリン 、、、ジョージ・アームストロング・カスター
オリヴィア・デ・ハヴィランド 、、、エリザベス・"リビー"・ベーコン(カスターの妻)
アーサー・ケネディ 、、、ネッド・シャープ
チャーリー・グレイプウィン、、、カリフォルニア・ジョー(カスターの民間の部下)
ジーン・ロックハート 、、、サミュエル・ベーコン
アンソニー・クイン 、、、クレイジー・ホース(スー族の長)
ジョージ・P・ハントレー・ジュニア、、、バトラー中尉(イギリス人の副官)
スタンレー・リッジス、、、、ロームルス・テイプ少佐
ジョン・ライテル、、、、フィリップ・シェリダン大将
ウォルター・ハムデン、、、 ウィリアム・シャープ(悪徳商人)
ジョージ・アームストロング・カスター将軍は実在の人物だという。
やはり、一度戦地で極限状況を生き抜く体験をすると、退役軍人として平和で静かな家庭生活を送ることに耐えられなくなるようだ。
数々の武勲をたて人々から崇拝され、愛する人も得たならば、全く異なる第二の人生に邁進することもできたろうに、彼はまた再び戦地に戻ってゆく。
きっと、そういうものなのだ。
(そういう例を戦争映画では何度も取り上げられている)。
かなり重い。
昨日の、「ロビンフッドの冒険」でのエロール・フリン&オリヴィア・デ・ハヴィランド の人を食ったようなあっけらかんとしたコミカルさはなく、厳しい現実に毅然と立ち向かう二人がそこにある。
もっとも、出遭いから恋愛~結婚までの過程は、信じられないほどあっけない。と言うかウソっぽい(爆。
そこに至るまでの士官学校時代のあり得ない常識のなさ(破天荒)も含め、とてもコミカルに思える。
だが、南北戦争勃発から後は、すっかり調子が一転する。カスター自身、トントン拍子に出世する。
この物語は彼が南北戦争で一躍英雄となり、退役後再び戦地に戻りスー族との戦いで部隊(第七騎兵隊)が全滅するまでが描かれる。
カスター将軍が死を覚悟し「リトルビッグホーンの戦い」を前に臨む場面からは、異様に厳粛なトーンとなる。
先住民6000人越えに対し迎え撃つ第七騎兵隊は600人に過ぎない。
カスターの覚悟の程が分かる。
最初の頃から見ると、実に大きな差に見える。
二面性とも捉えられそうな部分でもある。闘いと責任を通しての彼の成長と受け取れるところでもあろう、、、。
だが、「名誉」を何より重んじるところは、一貫していた。
金は死んで持っていけないが、名誉は持っていける。
持っていけるかどうかはともかく、、、名誉については、この世において後の人々が評価を下す。
(勿論、それも一元的なものではない。誰がそれを読み直すかによる)。
高い評価を得ていても、イデオロギー~パラダイムの変遷により、全く逆の評価もなされる場合もある。
(時代の変化で名誉回復の例も多くみられる。それが歴史の常だ。彼の場合は、不幸にも現在は虐殺者扱いであるようだ)。
南北戦争はよいとして、先住民との闘いとなれば、歴史解釈としてナイーブで難しい問題となろう。
あの場合、アメリカ陸軍軍人としては闘う以外には道はなかったか。
それまでカスターは、クレイジー・ホースとの約束を守り、彼らの聖地ブラックヒルズを白人の侵入から守ってきた立場であった。
しかし、金鉱発見のデマを流し移植者を大量に迎え会社を作り、その地を乗っ取ろうとした悪徳商人シャープ父子らの陰謀で、先住民たちが怒り立ち上がったということだ。
そしてその鎮圧に軍が投入されたとなれば、カスターも迎え撃つ以外に立場はない。
移植者の命も危険に晒される。
最後の決戦場は、リアルで凄まじいものであった。騎兵隊の恐怖をも感じられる切迫感のある演出~撮影であった。
下馬して方形陣をとるも、先住民たちの波状攻撃に徐々に劣勢になってゆく。実際、時間の問題であった。
南北戦争の無鉄砲な采配で武勲を上げていた頃は、演出上激戦のイメージ的な撮り方~編集であったが、こちらは実に生々しく騎兵隊員がひとりまたひとりと死んでゆく。
VFXも何もない時代であるから、全て生身の人間のアクションである。
かなり過酷な撮影であったと想像する。
最後にカスターも銃の弾が切れたところで、撃たれて死ぬ。
結果として軍の全滅は免れ辺境地は守られた。

この映画は、後半に進むに従い重く現実味を増してゆく。
(勿論、フィクションであることは謂うに及ばないが、映画のストーリーとして)。
前半のコミカルな要素は微塵もなくなる。
カスターは戦地に赴く前に「臨終の供述」(証言として有効性が認められるもの)として妻~国宛に手紙をしたためる。
そして願い(条件)として会社を解散させること、先住民たちの権利を守ること、などが書かれていた。
リビーは大切な役であり、しっかり演じてはいたが、特にオリヴィア・デ・ハヴィランドが演じる必要もない感じはした。
最後までお供をするカリフォルニア・ジョーの存在がなかなか物語に深い味わいをもたせていた。
エロール・フリンの演技の幅は充分に活かされていた。特に後半の彼の凛々しさは際立っていた。
史実がどうであろうが(後の評価についても)、差し当たり関係ない。
とても引き付けられる英雄譚であった。