プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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追跡者

Marshals001.jpg

U.S. Marshals
1998年
アメリカ

スチュアート・ベアード監督


トミー・リー・ジョーンズ、、、ジェラード連邦保安官上級代理
ウェズリー・スナイプス、、、マーク・J・シェリダン
イレーヌ・ジャコブ、、、マリー
ロバート・ダウニー・Jr、、、ジョン・ロイス外交保安局捜査官

「逃亡者」は観ていない。特に観る予定はないが、この作品からすると観てもよいかとは思う。
(この映画は「逃亡者」のスピンオフものらしい)。
話や流れはよくあるものである。
カーアクションやガンアクションも色々見てくれば、特に際立つところはない。


マーク・J・シェリダンのタフさ加減は、ほぼスーパーマンっであった。
元海軍特殊部隊でCIA工作員でもあるが、そのレベルではない。
まあ「ブレイド」のひとであるから、アクションはお任せであろうが、ともかく丈夫である(笑。
とりわけしぶとさが魅力であった。
それを言ったら、敵役は「アイアンマン」のロバート・ダウニー・Jrである。若い!余りに若いが(笑。
トミー・リー・ジョーンズだって、「メン・イン・ブラック」である、、、。
つまりタフな人揃い、、、?何が言いたい(笑。
キャストは、とても濃いことは確か。皆よい仕事をしている。

Marshals002.jpg
スリルといっても、ひたすらマーク・J・シェリダンが中国に国家機密を売る組織から濡れ衣を着せられ、警察から命を狙われ続ける話である。逮捕ではなく命を狙っている。組織の陰謀に気づいており、邪魔で危険な存在なのだ。
彼は何度も絶体絶命の危機を強靭な体力と体術で切り抜けてゆく。
(勿論、推理やスキルも優れているが)。


片やジェラードのきびきび指揮官としての采配をとるところは、小気味よいものがあった。
渋い芸風で階段の登り降りや走ったり泳いだりはかなりキツそうで、こちらにもそれがよく伝わってくるのであるが、しっかり頑張っていた(笑。
追跡捜査の途中で、マークが本当に殺人犯なのか疑い始め、別の陰謀の存在にも気づいてゆく。
が、最後の最後まで真相には迫れず、マークが殺されかけた時に、はっきりとその実態を知る。
間に合ってよかった、である。

流れはスピーディで、アクションも凄く、特にマークがビルの屋上から電車に飛び乗るシーンは、してやったりの印象的な見応え充分のものであった。
やりやがったな、という表情で苦々しくそれを見守るジェラードの姿もよい。
この類の場面がいくつかあり、緊張を途切れさせないものだ。
ただ、黒幕が外交保安局捜査官(もう少し大物の方が説得力がありはしないか)である。
政府関係者の犯罪(陰謀)である為、仲間と思っていた相手(同僚)に撃ち殺されるショックがこの手の物語の特徴である。
丁度、SFで地球人に憑依した異星人が、唐突に次々と地球人を殺してゆくような構図だ。
ここでも感情移入していた若い刑事がジョンに撃ち殺される。
われわれとしては、早くジェラードがジョンの正体に気づいてくれないかと思いつつ、画面に食い入る。
そういう定石だ。

Marshals003.jpg
「ふたりのベロニカ」の素晴らしさには遠く及ばない(あちらは、芸術作品であり比べるものではない)が、イレーヌ・ジャコブはここでも魅惑的である。
(わたしは、まだ「トリコロール~赤」を観ていない。これは大変不味いこととは思いつつ、そのままだ)。
こういう人が一人出るだけで、ドラマが華やかになるという好例であるか。
ただ彼女の人物イメージはやや平坦すぎる描き方に思えた。


最後、悪の黒幕であったジョン・ロイスが病室のベッドに横たわるマークを殺そうとしたところに現れるジェラードとのやりとりは、かなりのカタルシスである。
ここまで、ずっと酷い目に合わされてきたマークがやっと、ほっと息のつける時が来たというもの。
ずっと、過酷な逃亡を図ってきたのだ。
いつ彼の嫌疑が晴れるのか、でこちらもハラハラしてきた分、ようやくスキっとする。

サスペンス・アクションの基本条件を満たす、渋く爽快な映画であった。
もう少し、イレーヌ・ジャコブを活かしてほしい気はした。
(彼女が走ったり塀にしがみついたりばかりでは、勿体ないではないか?)


ヒストリー・オブ・バイオレンス

A History of Violence001

A History of Violence
2005年
アメリカ・カナダ

デヴィッド・クローネンバーグ監督
ジョン・ワグナー原作

ヴィゴ・モーテンセン、、、トム・ストール(ダイナーの店主)
マリア・ベロ、、、エディ・ストール(トムの妻)
エド・ハリス、、、カール・フォガティ(トムのかつての仲間、マフィア)
ウィリアム・ハート、、、、リッチー・キューザック(トムの兄、フィラデルフィア・マフィアのボス)
アシュトン・ホームズ、、、ジャック・ストール(トムの長男)
ピーター・マクニール、、、サム・カーニー保安官

「イースタン・プロミス」でも監督とタッグを組んでいたヴィゴ・モーテンセンがここでもバイオレンスと絶妙の心理表現で魅せる。
相手の女優も何故かナオミ・ワッツ似のマリア・ベロという人である。
やはり物語は凄味のあるマフィアものだが。
この感じの主役の組み合わせが、監督(この映画)にとってジャスト・フィットなのか。


乾いたバイオレンス感覚で迫る映画であった。
強面の俳優が次々に出てくる迫力もあり、それだけでもワクワクする。
(マフィアものである限り、やたら怖い人が続々と出てくると嬉しくなるものだ)。
最初に出てくる二人組もかなり、残虐で肝の据わったコンビに見えたが、よりによってトムのダイナーを襲ったため呆気なく射殺される。彼の見事な銃さばきで、、、。
ここでは、トムは一般人の犯罪に巻き込まれた素人という扱いで、新聞メディアでその活躍をひたすら称えられる。
家族も、よかったねお父さん、というところだ。

だが、見るからに怪しく凶悪そうなトリオがその後、何度も接触して来ると家族の間に父の隠してきた過去対する不安が次第に立ち込めてくる。
彼らが父を昔の名前~本名?で呼び、馴れ馴れしくしてくるのだ。
勿論、トムはきっぱり否定し、誘いを断り続けるが、、、。
妻エディと娘がデパートで買い物中にも彼らは接近して来て不吉で意味ありげなことを言う。
エディは法的な措置はとるが、何とそのトリオは、家にまでやってくる。
信頼していた父に対する疑心暗鬼が強まり家庭は不安定な状況に陥って行く。


バイオレンスとともに家族の絆の微細な揺れ動きの感触が細やかに描きこまれる映画なのだ。
長男のジャックの複雑に揺れる心情の演技がとてもよい。
トムのダイナー店長としてのジェントルで繊細な雰囲気と豹変して闘う姿勢のタイミングも見事であった。
カール・フォガティと他二名のマフィアはかなりの貫禄と大物振りをみせていたが、父の危機一髪の際、いじめっ子を撃退し逞しくなった息子に助けられる。息子のライフルが、フォガティを撃ちぬいてしまう。
少し前までのジャックからは、想像しがたい姿だ。
息子の前で、トムが過去の自分をオーバーラップしたありのままの姿を見せたシーンの壮絶な表情が一番印象的だった。
ただ、これが俺だ、という、あからさまで余りに生な凄い表情であった。
息子ジャックの受け止めきれないが受け容れるしかない、と悟る表情が彼の立たされた状況を雄弁に物語る。


妻のエディは度々のマフィアの接触を通して、トムに対し不信感を募らせ、批判的で冷たくなっていた。
息子も一度さらわれて怖い思いもし、大いに揺れているが、、、。

トムはついに、フィラデルフィア・マフィアのボスである実の兄に呼び出される。
だがそこで、トムはかつてのキューザックに戻り本領発揮する。
兄のアジトで殺害されかかるが、返り討ちにして無事に帰宅する。
食卓では、すでに妻と息子と娘が食事を始めていた。
黙って幼い娘が、父の皿を用意してくれ、彼は静かに憔悴しきった表情で食卓につく。
すると、息子がパンを差し出す。
エディが彼の顔を真顔で見詰める。

A History of Violence002

ひとは、互いに本当の顔を見詰め合う時がくるはず。
あらゆるペルソナを外して。
余計な言葉はひとことも発せず。

夜の公園

yozora.jpg

長女と一緒に夜の公園を散策した。
かなり暗いのだ。
木漏れ日の路も薄っすらと仄かに光る夜空のお陰で辛うじて歩ける。
でも、いつも以上のペースで歩く。
何故って、夜だからだ。

メタセコイヤの路は、白い花の明かりを頼って進む。
そこかしこで、幾種類もの花弁が浮き立ち、昼間では見えない地図を描いている。
娘もわたしも、夜になると花弁がこんなに明るいことを知った。
花たちはこんな時に自ら光を零し、活き活きしているのだ。

ただ雲も怪しく艶やかな彩雲ではなく、濃い灰色のどんよりと重々しい。
何かが起きるという、清々しい胸騒ぎはなかった。


暫く歩くと、高台の方から賑やかで快活な声が零れてくるのに気づく。
顔を見合わせ、誰かいるの?
高校生くらいの声だね、、、。

そのまま進んでゆくと、人だかりの影が見える。
まさに高校生たちが3つのグループに分かれて、燥いでいた、
それぞれで輪を作り創作ダンスの打ち合わせと、練習をしているようだった。
確かに、ここは公園の中で最も高い場所で、照明も多く明かりも充分な場所だ。
こんな場所で、集まって踊るなんて、昼間では味わえない快感だろう。

ただ横切って行くだけでも、長女は楽しそうにしていた。
時折、全員で揃って踊る。
そのシンクロする姿は夜空に向けて生命力を誇示する花のようだった。
ひとは昔から、夜によく踊るものだ。
夜皆で踊るって、かなり根深いプログラムなんだ。


長女はここのところ、学校が嫌だと言って行きたがらない。
その分、わたしとの夜のお散歩が増えている、、、
どうしたものだろう。


曇天で、月が見えない、、、。

フォーリング・ダウン

Falling Down001
Falling Down002

Falling Down
1993年
アメリカ

ジョエル・シュマッカー監督
エブ・ロー・スミス脚本

マイケル・ダグラス、、、ウィリアム・“D=フェンス”・フォスター
ロバート・デュヴァル、、、プレンダガスト刑事(早期退職を控えた)
バーバラ・ハーシー、、、エリザベス(ウィリアムの元妻)
レイチェル・ティコティン、、、サンドラ刑事(プレンダガストの若き同僚)


主人公D=フェンスは、ストレスに対する閾値が低い。
他人事ではない。
彼も小刻みに爆発している。
(わたしも最近は爆発ネタが増えた。思う存分、爆発予定は立ててはいるが)。
そしてその爆発を異常に怖がり、事前に回避しようとする元妻。
(警察も呆れるほどの自己防衛)。

それに対比して描かれるプレンダガスト刑事とその妻。
プレンダガストは、所長に腰抜け呼ばわりされようと、同僚に軽く見られ邪魔者扱いされようと、異常に高い耐性を維持している。
この情緒的安定具合はどうだ。
職場でこの状況で、家庭の妻はと言えば彼に対し過度な依存をしてくる。
仕事中にもしょちゅう電話をかけてきて夕食の買い物まで頼む始末。
それでも彼は平気だ。
人間ができているということなのか、、、。

プレンダガストこそ、まさにD=フェンスを追い込む刑事に相応しい。
冷静沈着で推理も利くし鼻も利く。
しかし投げやりでやる気のない事務的に何でも済ませようとする同僚刑事からは、厄介者扱いだ。


D=フェンスはまず、工事によるとんでもない渋滞にから暑さにやられ、車を車道に放棄して、「家に帰る」と歩き始めてから、彼にとって世界の全てが許し難いものとなる。(その工事自体、予算確保のために意味もなく行っている空工事であった)。

恐らくそれまでにも、歩きすぎて靴が壊れてへたり込んだり、小銭の両替を拒まれたり、売値の異常に高い店に憤慨したり、ケチなゴロツキに絡まれ、不法に金を請求されたり、ホームレスにしつこく金をせびられたり、ハンバーガーショップで、3分過ぎただけなのに朝食メニューを断られたり、出された現物が写真サンプルとは著しく異なるクソ不味いものだったり、靴を買いに行った店のオーナーがいかれたレイシストのおやじであったり、道を真っ直ぐ進みたいのに高級会員制ゴルフ場が邪魔をして大きく遠回りさせられたりなど、、、そしていくら電話をかけ、娘の誕生日を祝いたくても離婚した妻が頑として受け入れてくれなかったりと、、、。

そういった流れが一気に一日のうちに打ち寄せることだってあるだろう。
いや、これほどまではなかなかないだろうが、わたしにも近い経験はある。
しかし、彼の場合、最初に絡まれたゴロツキどもから銃器をしこたま奪い取ってしまったため、ことあるごとに発砲してゆくのだ。
そりゃあ、銃を持っていれば誰だって撃ちまくりたくなるのは人情である。
それで事は次第に大きくなってゆく。
もはや彼にとってはどうでもよい。
彼にとっての至上命題は、家に帰ること(だけ)なのだ。端からそう、なのだが、周りは動いてゆく。

両替をしないぼったくりの店でバットで暴れるくらいで終わっていれば、問題はなかったはず。
空き地で休んで靴の応急処置をしているところでゴロツキに絡まれ、それを撃退すると今度は銃を車から乱射してきた。運よく?弾には当たらず彼らは自動車事故を起こし瀕死の状態となったところから、D=フェンスは銃器を全て奪う。
一瞬、ラッキーに思えたがそこから彼は本格的に奈落の底に向かって落ちはじめることとなる。

レイシストのナチ趣味に染まったおやじに銃を突き付けられるが、逆に銃殺し、ハンバーガーショップでも威嚇射撃をしまくり(暴発もあるが)、電話ボックス(懐かしい)も銃で木っ端みじんにし、工事現場では、バズーガ砲をお見舞いする。子供たちが面白がって寄ってくるところは、実際にもありそうだ。彼は使い方を知らず、黒人の坊やが全ての扱いを教えてくれる(笑。

途中で、黒人のビジネスマンがこれまでずっと取引してきた銀行を不良債務者だと締め出されたことへの抗議のプラカードを掲げて道行く人々に訴えかけている場面に出くわす。
しかし、彼はこうした形の抗議には出ない。彼の抱えている問題は、このように言葉で整然と訴えかけられる共有可能な問題ではなかった。
家に帰りたいというのは、シンプル極まりない要求のはずだが、家~妻娘までの距離は異様に長いのだ。
全てが彼にとり、不条理で腐っていた、、、。

彼はやっとのことで家に帰宅するが、妻子は思い出の埠頭に逃げている。
彼も居間で以前撮った娘の誕生日ヴィデオを観ていて彼女らの居場所に思い当たる。
そこにはすでに、名刑事プレンダガストが来てポップコーンをつまんでいた。

娘のために生きろと説得する刑事であったが、彼はもうその気はないことを示す。
銃の撃ち合いを申し出て、D=フェンスがポケットから出したのは、おもちゃの水鉄砲であった、、、。


マイケル・ダグラスはこういう不条理に追い詰められ逃げ場を失う役柄がもっとも似合う。
彼の右に出る役者は恐らくいまい。
ロバート・デュヴァルもピッタリの名刑事であった。



久々のプール

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スポーツ公園にあるプールに娘二人と行った。
久々である。
水は生暖かく、想像と違って温度的には体に抵抗のないものだった。
わたしが一番気にしていたのが水の冷たさであった為、助かったという気持ちである。

水に浮かぶのは本当に気持ちよい。
重力の囚われから解かれた囚人のような感じがする。
そう、あらゆる重力からである。

気持ちよい気持ちである(笑。そういうコピーが昔あった。
水の心地よい密度が細やかに粘り強く与える身体への刺激感覚が、特に筋肉に効く感じである。
ひとことで言えば、ほぐれる。
更にこころもほぐれる(笑。

ちょっとばかり、上向きとなりわたしの一番得意な背泳ぎ、バタ足だけをやってみる。
これが一番楽な泳ぎであろう。
海のような激しい波がなければ、これならいつまでも泳いでいられる。
暫し、現実から遠ざかりそうになる。
この半ば、耳を水に浸けているこの音響感覚が現実を遠ざけることに大きく寄与しているはず。


だが、わたしは隣のコースでゆっくりマイペースで水中エアロビクスのひとつ、水中歩行を楽しんでいるご老人とは立場が異なっていることに気づく。
そう、わたしは、娘たちに水泳を教えに来たのだ。
自分のペースで動くことなど出来ず、彼女ら目を離さず二人のバタ足や腕のかき方をみてやらねばならない。
そのために来たのだから仕方ないが、、、。

ということで、一人ずつ代わりばんこで、手を引いたりお腹を支えたり、少し先で手を伸ばして、泳いでくるのを受け取ったりしていたのだが、最初から比べると、長女は何でも熱中する質からか、上達し泳げる距離が伸びた。それに余計な力みも感じられなくなってきた。
次女は、クラスのお友達が途中で現れ、持ち前の社交性を発揮し、その娘とプールの袖で遊び始めてしまい、肝心の水泳はほとんど練習せず、疲れたからといってサウナに入って寝転んでしまった。
困ったものである。

そろそろ既定の2時間となる為、帰ろうというと長女はもう少しやりたいと言う。
次女は暖かくして待ってると言うので、時間超過で長女専任で付き合うこととなった。
結局、3時間で出ることとなり、二人とも疲れたようであった。
(不思議に次女の方が疲れているように見えた)。


帰りに次女のリクエストで、レストランで好きなものを食べることになった。
今回は、ハンバーグであった。
これから暑くなって、しかも学校でプールも授業に入ってきて、プール遊び~泳ぎが週末あたりのうちの日程に組まれるのかなと思うと、、、いっそのことわたしも一緒に泳いでしまいたくなるのだった。


ギャング・オブ・ニューヨーク

Gangs of New York001

Gangs of New York
2002年
アメリカ

マーティン・スコセッシ監督・製作
ミヒャエル・バルハウス撮影
主題歌”The Hands That Built America”U2


レオナルド・ディカプリオ 、、、アムステルダム・ヴァロン
キャメロン・ディアス 、、、ジェニー・エヴァディーン(女スリ、アムステルダムの恋人)
ダニエル・デイ=ルイス 、、、ビル・ザ・ブッチャー(ネイティブズのボス)
ジム・ブロードベント 、、、ウィリアム・トゥイード
リーアム・ニーソン 、、、ヴァロン神父(アムステルダムの父、デッド・ラビッツの指導者)
ヘンリー・トーマス 、、、ジョニー(アムステルダムの幼馴染)
ブレンダン・グリーソン 、、、モンク(ヴァロン神父の用心棒、新保安官に当選)


1846年、ニューヨークのファイブ・ポインツ(殺人横丁)にて。

”都会が鋳造される溶鉱炉”と主人公のアムステルダムの表現する通りの街である。
スコットランド系ギャング、ネイティブズとアイルランド系移民デッド・ラビッツとの因縁の対決に、徴兵制(南北戦争)に反対し暴徒と化す市民、果ては陸軍や海軍も大きく介入してくる大混乱の修羅場が展開されるスケールの物語。
Gangs of New York002

ビル・ザ・ブッチャーが抗争のおりヴァロン神父を殺し、その後はずっとネイティブズの天下が続く。
そこへ当時幼い子供であったアムステルダムが、6年間入れられていた孤児院を出て、ファイブ・ポインツに帰ってくる。
そこはかつて以上に荒廃し暴力的な街になっており、ビル・ザ・ブッチャーの意のままの治世となっていた。
ブッチャーは、冷酷非道な殺し屋であり、カリスマ的指揮官でもあるが、アムステルダムの父ヴァロン神父だけは敵ながら敬愛していた。
そして毎年必ず、全面戦争でヴァロン神父を倒した日~命日に祝賀会を開いていた。
その日は、完全に街がネイティブズの支配下に治められた祝うべき記念日となっていた。

アムステルダムは、ネイティブズの中に巧みに入り込み、ブッチャーの腹心にまで地位を固める。
そして虎視眈々と父の命日に照準を合わせ、父の敵であるブッチャーの命を狙うが、予めアムステルダムの素性をジョニーが密告していたため、逆に囚われ酷い痛手を被る。(ジョニーはこころを寄せていたジェニーがアムステルダムを選んだことを妬んでいたのだ)。
全快してアムステルダムは、父の遺志を継ぎ、デッド・ラビッツを再結成する。
かつての仲間も戻ってきた。
そんな中、新保安官の選挙があり、デッド・ラビッツ陣営は父の用心棒でもあった凄腕のモンクを担ぎ、アイルランド移民の票を集めたいタマニー党の協力も取りつけネイティブズ候補者に選挙で圧勝する。
しかし、その直後話し合いに来た素振りのブッチャーにモンク新保安官は背後から斧を投げつけられ絶命する。
アムステルダムの怒りは絶頂に達し、ブッチャーとの~ネイティブズとの全面対決の運びとなる。

そして壮絶を極める対決である。
単なるデッド・ラビッツ対ネイティブズではなく、役人が金で徴兵制を支配していることに対する憤りから、市民が暴徒と化しその鎮圧に出た陸軍の銃撃、更には海軍の砲撃が街全体を襲い、アムステルダムやブッチャーたちも敵味方なく壊滅的打撃を受ける。
共に重傷を負ったアムステルダムはブッチャーに辛うじて止めを刺す。
ブッチャーは、これでアメリカ人として死ねると言い残し、息を引き取る。

何と言うか、皆役作りが凄い。
特に主役の二人のキャラの強さは際立っている。
デカプリオはここでも相変わらずの重厚かつ繊細な演技が光る。
だが何と言ってもダニエル・デイ=ルイスの怪演である。一筋縄ではいかないその人格をよく表現していた。
キャメロン・ディアスの存在感も際立っておりいうことない。

この年代の街の舞台作りも徹底したものを感じる。
血みどろの闘い、殺人シーンもかなり生々しく壮絶であった。
そういった感覚的に訴える力は強いのだが、物語自体は大味な気はする。
である為、ストーリーに引き込まれて感動するという感じの映画ではなかった。
ただ、個々のシーンや役者の演技、その時代の雰囲気の演出・美術には感心した。

その時代考察。役者の熱演で観る価値のある映画と謂えるか。



ミニー&モスコウィッツ

MINNIE AND MOSKOWITZ001

MINNIE AND MOSKOWITZ
1971年
アメリカ

ジョン・カサヴェテス監督・脚本

ジーナ・ローランズ、、、ミニー・ムーア(美術館に勤める学芸員)
シーモア・カッセル、、、シーモア・モスコウィッツ(駐車場係)
ジョン・カサヴェテス、、、ジム(ミニーの既婚者の浮気相手)
ヴァル・アヴェリー、、、 ゼルモ・スウィフト(親友に紹介された男)
キャサリン・カサヴェテス、、、シーバ・モスコウィッツ(シーモアの母)


物語は、ニューヨークに始まるが、早速主人公はカルフォルニアに向かいロサンゼルスに居を構える。
理由は分からない。
母に金を出して貰っている。(それを頼むため、豪勢なバラの花束を母にプレゼントする)。
彼は金などないのだ。
そして、、、シーモアはミニーという女性に一目惚れする。

この物語、次々に調子の外れたひとたちが現れ、好き勝手なことを声高に喚き立て去って行く。
それらは基本そこでお仕舞いで、どう伏線を張るとかいうものでもないし、後に回収されるものでもない。
実に下らないどうでもよいエピソードである。
しかし物語のトーンを一定の調子外れなものにしている。
そしてシーモアはミニーに強引に一方的に迫って行く(笑。

普段の生活では、ほとんど出逢いそうもない二人の男女が出逢う。
しかし、この二人何処か似ている。
彼らが身に纏うズレた感覚だ。
だが、他の誰もズレていない人などいない。
そうういう人たちだけが登場してきて、物語が何となく進行してゆく。
考えてみれば、われわれの現実もまさにそうで、みんな例外なく調子外れである。

ミニーが事あるごとにするサングラス(夜でもしている)は、何でだろうか。
自分の素直な表情を隠したい~物事に直面するのが怖い、、、など感がられようが、、、。
確かにゼルモに色々詮索されたときなどかなりの拒否反応を示していた。
プライベート~内面に立ち入られるのが特に嫌いであることが分かる。
言うことは、結構はっきり言うが、、、。
恐らく男の前で自らを曝け出すようなことはプライドからも許せないというものか。

片や、シーモアの赤の他人に対するバーでの厚かましい振舞など、他者との距離の取り方~空間に対する感覚のない男であることが分かる。
常に行く先々で、感覚的な問題を起こしているのが分かる。
この日常文脈の中でスムーズに事が運べない、彼らは似ている。
タイプは全然違うが。同じである。
相補的な関係かも知れない。

シーモアは愛を猛烈にアピールし、自慢の髭をハサミで切り、後ろ髪も切り落とそうとしたところで、ミニーに止められる。
熱意に負けたというより半ば呆れかえってというところであろうが、、、。
何故か一緒にプールに入り、クールダウンしたところで、結婚する意志を固め、双方の母親に連絡を入れる。
(どちらも母親だけなのだ)。
ここまで押されると判断力が消失するケースもあるように思うが。
(押し売り、かつての霊感商法等々、、、)。

シーモアの母は、息子についてホントにこんなので大丈夫かという身も蓋もない言い方で確認をする。
これは利口なやり方だ。
今後が流石に心配になってきたミニーの母が仕事について具体的に尋ねると、「大きな会社の駐車場係になる」と答えるところが何ともよい。
ミニー曰く、彼は車が好きなのよ。

数年後かどうか分からぬが、最後に子供を囲み楽しそうな彼らの様子が映されており、きっとそのまま良い感じで暮らしているのだな、ということは分かる。

別にそれがどうなのよ、という感じだが、観終わってみると何とも言えない味わいに気づく。
何があるわけでもない、そんな映画なのだが、、、。
アメリカ映画には珍しい感覚の作品であった。

MINNIE AND MOSKOWITZ002





Uボート

Das Boot001
Das Boot
1981年
西ドイツ

ウォルフガング・ペーターゼン監督・脚本
クラウス・ドルディンガー音楽
ヨスト・ヴァカーノ撮影

ドイツ海軍Uボート潜水艦「U96」

ユルゲン・プロホノフ、、、艦長
ヘルベルト・グレーネマイヤー、、、ヴェルナー少尉(海軍報道班員)
クラウス・ヴェンネマン、、、機関長
アーウィン・レダー、、、ヨハン(機関士)
マルティン・マイ、、、ウルマン少尉

ヘルベルト・グレーネマイヤーは歌手でもあるそうだ。


人の世の無常をこれほどまでに描き切った作品は観たことがない。
誤魔化しも大袈裟な演出もなく、ひたすらリアルで沈鬱であった。
勿論、生きてゆくためのユーモアや希望は必要である。
しかしその生を一瞬にして呑み込んでしまう絶望~無常の絶対性をはっきり垣間見てしまう映画であった。
それが、ある意味例えようもなく清々しい。


敵国イギリスの愛唱歌「ティペラリー・ソング」のレコードを館内で掛けさせる粋な艦長である。
自国の戦況放送やプロパガンダは信用していない。
そんな覚めた(しかし熱くもある)船長の下、古参の有能な部下と若い活きのいい船員たちで途轍もない困難を乗り越えてゆく。
絶望的な窮地を何度も脱してきた彼らであったが、敵の本拠地とも謂える狭いジブラルタル海峡を突っ切る命令の下、意を決して乗り込んだ彼らに対する攻撃は容赦ないもので、惨憺たる被害を被り潜水艇も耐えられる限界を超える水圧に落下し、今度ばかりは皆が死を覚悟する。

しかしそこで彼らは持てる限りの底力を発揮し、何と海面に浮上し、脱出に成功してしまう。
15時間を越えるメンテナンス作業を水底で繰り広げ、その結果水深を示すメーターが僅かに反応し浮上を開始した時のカタルシスはかなりのものであった。
彼らはナチスドイツ占領下のフランスの軍港ラ・ロシェルへと帰航し、無事見事に戻ってくる。
わたしとしては、もうここでよい映画だったと一息つこうと思っていた矢先であったのだが、、、衝撃のラストである。
このラストあってのこの映画であるのかも知れないが、暫く唖然とする。
映画館で観ていたのなら、なかなか座席を立てなくなる状況だ。


生きて戻るということが、戦争でも日常生活の些細な場であっても基本であり最も大事な事である。
(度合の差こそあれ、そんな場面の連続でもある)。
だが、それを達したと思った晴れやかで清々しい時に、まさに想定していなかった事態で命を落とすことがまた人生でもあろう。
船長は、漸くたどり着いた終着港で自分が生死を共にしてきた船がイギリス機に撃沈されるのを目の当たりにしながら息絶える。
この極端な運命の転換のシーンには、慄然とする。

しかしわたしは不思議に全く後味の悪さや悲壮感に浸る気持ちは生じなかった。
非常に本質的な無常を感じたが、それは人間であることの運命とも言い換えることは可能で、死なない人間はいない、と同義のものであった。
寧ろ彼らは、ほぼ絶望と謂ってよい海底にボロボロとなって沈んだUボートを例外的努力の末、修復して戻ってくるという濃密極まりない生を全うしたのだ。薄っぺらい人生を長く生きながらえるよりずっと生を思いっきり生きたともいってよいかも知れない。

暫く呆気にとられた後は、スッキリした気分に浸ることが出来た。
そんな傑作映画であった。


Uボートがソナーも無く、敵艦を耳で聴き分けたり、ほとんどは浮上しての目視に頼るところなど、実に覚束ない脆弱な形で善戦していたのだということを知った。
合わせて、あの船内の有様である。
むさくるしいなどというレベルを遥かに越えている。
あそこに入った途端、卒倒してしまいそうになる現場だ。
ネモ船長の潜水艦とは、やはり違うのだ。
あんなに狭いのだ。持ち場につくときの船員たちの移動がいちいち子供の遊技場の遊具のトンネル渡りのようだった。
そういう環境に閉塞されて敵に対し身体感覚を研ぎ澄まし、絶えず緊張を強いられる戦いをしていたのだ。
その現実の身体感覚がプンプン匂ってくるような生々しいリアルさであった。

みな個性が活きている無精ひげを生やした汗臭そうなキャストも申し分なかった。
音楽もピッタリ合っていて、よい。
これだけドイツ軍に感情移入して観られる映画も少なかろう。
だがこれは戦争という状況に留まらない、、、。


ここに描かれた世界は、たとえ薄められていようがわれわれの日々の戦いにも重なるところである。
何であろうが、生きる限り徹底的にやるべきことは、やり抜くしかないのだ。



シックス・センス

The Sixth Sense001

The Sixth Sense
1999年
アメリカ

M・ナイト・シャマラン監督・脚本


ブルース・ウィリス、、、マルコム・クロウ(小児精神科医)
ハーレイ・ジョエル・オスメント、、、コール・シアー(第六感~霊感を持つ少年)
オリヴィア・ウィリアムズ、、、アンナ・クロウ(マルコムの妻)
トニ・コレット、、、リン・シアー(コールの母)
ドニー・ウォルバーグ、、、ヴィンセント・グレイ(10年前のマルコムの患者)


霊は自分が見たいものだけ見る、、、。
別に霊でなくともそうだろう。
科学は数学的方法を使って、人が都合よく見ないことにしている領域に認識を導く。
生きてる間は、数学的直観~幾何学性は常に持ち続けたいものだ(笑。

いずれにせよ日常、人は自分の知っているもの~言語的に有機化して分節出来ることのみ見ている。
知らないことが分かるはずない。
また思い込みも大きい。だから目撃証言などが常にいい加減なのは致し方ないことだ。
霊は文字通り身体性を失っている分、その志向性は純化されるはず。

霊同士は見ることが出来ない。
基本的に霊に対応できるコール君みたいな人は稀にしかいないのだから、霊同士のコミュニケーションがなければ寂しくなってしまわないか?だから彼らはコール君のところに次々に陳情にやってくるのか?
お金払ってくれるなら、商売にしてもよいのでは、、、彼はこの先もその体質で暮らすのだろうし。
(どうやら広告は出さなくとも遠方からワープしてくるようだし、客には困るまい)。
成程、霊は霊同士見えない。そして見たいもののみ見る。分かる。

それから、死んだときの恰好~服装をしていると、、、。
それは死んだ際の想念がこびり付いているということか。
霊とはほぼ念によって形成されるものだろうから、大方死んだときの恰好をデフォルトにしているだろう。
しかし、物体に対し働きかけるだけの物質性は帯びているようだから、着替えようという気になれば出来そうである。
実際、マルコムは違う格好もしていた。
だが、それは着替えという人間的な行為によるものではない。

建物への出入りも扉を介している様子はないし、自分の部屋のキーを想起した際には、扉のノブは動かなかったが、普通にデスクに座って書斎の本も調べていた(ラテン語を)。ただ、妻が亡くなった夫の想いを封じ込めるために部屋の扉を家具で閉鎖した事情は、最後まで彼の目には入らない~気づかなかった。そんな事実は彼にとって、あり得ないからだ。
生きた身体であれば、絶えず異物感~非視覚的感覚によって異なる新たな事象に対し開かれているが、霊はその点、クローズドであろう。想念がはっきり更新されなければ(死んだ事実を認知しなければ)それに見合った光景は立ち現れないはず。

霊は、自分が死んだことに気づかない。
かのライアル・ワトソン博士が、死んだことに気づかない霊がたくさん普通にいることを「ロメオズ・エラー」で騙っていたが、やはり死んでも、ほんとに自分が死んだことをしっかり自覚しなければ、成仏(何と言うべきか、、、)出来ないとなると厄介なものである。
マルコム氏もコール君のお陰で、自分が死んだことに気づく。
恐らく彼の場合、市長から小児精神科医としての功績を称えられ「市民栄誉賞」を貰った晩に、かつての患者に撃たれたことが余程残念(こころ残り)であったのだろう。まさに大人しく死んでいる訳にはいかなかった。
その失敗を何としてでも取り返したいという想念が強烈であったのだ。

撃たれて一年後、マルコムは周りの誰にもこころを閉ざし不安に駆られている少年に出会い、彼を救うことで、自分も罪の意識が解消され癒されることと信じる。
実はその少年は日々死者に取り巻かれて追い詰められているのであった。
その実情は母にも打ち明けられない孤独なものであった。
少年は直ぐにマルコムを霊であると見破っているが、遠回しにそれを語るだけである。
孤立している少年が本当に霊との関係で苦しんでいることを知り、マルコムは霊から逃げずに、彼らのことばをしっかり聞き取る~願いを受け取ることを勧める。
そして二人してある少女の霊を救ったことからコールは自分の能力、というより両界における特異点としての自らの立場を受け容れ、力強く自立に向かう。
母に本当のことを打ち明けることで強い絆を確認し合い母を息子に対する苦悩から開放する。
更に担任の教師とも和解する。そしてマルコムも妻のこころを知り愛情を確かめ、彼の魂も救われて逝く。
自分が結婚指輪をしていないことに気づき、自分の部屋の前のバリケードの存在も初めて知る。
眠っている妻に「愛している」と語り消えてゆく。


われわれ生者の時空にパラレルに、死人の世界~全く異質な(亜)時空が存在しているのか?
自覚した魂は、その先何処へゆくのか、、、。

「われわれは何処からきて、何処へゆくのか、われわれとは何か。」(ゴーギャン)


ハーレイ・ジョエル・オスメント9歳の演技力は尋常ではなかった。
天才子役の墜落はよくあるケース。大人になっても頑張ってほしい。
ブルース・ウィリスの演技は、ちょうど「海洋天堂」でのジェット・リーの如くであった。いうことなし、である。

アン・ハサウェイの「パッセンジャーズ」とはまた異なる味わいの霊を巡る実に人間的な(愛情)物語であった。



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バーディ

Birdy.jpg

Birdy
1984年
アメリカ

アラン・パーカー監督
ウィリアム・ワートン原作
ピーター・ガブリエル音楽

マシュー・モディーン、、、バーディ
ニコラス・ケイジ、、、アル・コランバト
ジョン・ハーキンス、、、ワイス(軍医少佐)
サンディ・バロン、、、アルの父

これは、ドラマではなく映画だ、とつくづく思った。
映画以外の何物でもない映画である。
時折、日本の2時間ドラマか、、、と思てしまう映画を観ることがあるが、これは全く異質な映像世界であった。
ニコラス・ケイジの演技では抜きん出たものだと思う。
マシュー・モディーンはまさにバーディそのものだった。


基本、バーディとアルの二人の関係が過去と現在のクロスカッティングで語られる。
アル曰く、政府にまんまと騙されて従軍したベトナム戦後の。
心身に傷を負った二人の友の精神病院での再開である。

バーディは傷ついた鳥になっていた。
文字通り。

アルは顔を負傷し透明人間風の包帯を巻いている状態。
顔が元通りになるのか不安。


ハイスクール時代にひょんなことから二人は知り合う、、、。
元々バーディが鳥好きなのは、周知の事実であったが、いざ付き合ってみると趣味とかいう次元ではなかった。
彼の頭は、鳥のことで一杯であった。
他のこともアルの勧めで付き合うが、、、基本上の空であったりして、鳥のことを考えてる。
アルと二人で手に入れ走るように整備した車をアルの父親に売り飛ばされたり、
伝書鳩を訓練しようと鳩小屋を作って鳩を飼ったのに、小屋ごと親に燃やされたり、
のら犬を集める仕事を手伝うが、それが電気で犬を殺処分するバイトであることに気づきショックを受けたり、
鳥好きで鳥の世界に惹かれていたが、より人間の世界に嫌気を持つことにもなってゆく、、、。

更に初めての海にアルに誘われて、大はしゃぎする二人であったが、女子に大いに拘るアルに対しバーディは全く興味を示さず白ける。
このような、人間界における楽しみに悉く興味がなく、その残酷さに傷つく彼は、より鳥界に深く染まって行く。

はじめはアルも面白く、バーディに付き合い、伝書鳩用の鳩を捕まえ、鳩のコートを一緒に着て飼育したり、バーディの考案した羽で彼が空を飛ぶのを手伝ったり、、、色々彼の鳥の世界を共有してはみたが、プロムの次の日に女の子そっちのけで、カナリアを飼っている部屋の中で完全に鳥の世界をトリップしているバーディを知り愛想をつかす。
もう付き合いきれない。いい加減にそんな妄想やめて、こっちの世界に戻れ、、、と。
これを妄想と呼ぶのか、もはや夢と現の境界の消滅した世界と言うべきか、、、そこは何処なのか。

この時、バーディは本当に鳥の視座で真昼の外の世界を飛んでいたのだ。
「彼女の目で見て、彼女の翼で飛ぶんだ。」
「どこからどこまでが夢の中なのか、、、夢の中では僕を抑えるものはない。全てから解き放たれている。」
「現実にとどまる理由がない。」
そして、、、
「死んで鳥に生まれ変わりたい。」

その危うさにアルも何度も慌てふためいて見守っていたが、確信的な状況になっていた。
そしてアルが一足先に戦地に赴き、それを見守る間。バーディが大切にしていたカナリアがふいに窓から抜け出し、あたかも彼女もアルを見送るように弧を描いて飛び、部屋に向かって戻ってくるとき窓ガラスに激突して絶命する。

きっとそこで、何かが壊れたか。
彼もアルの後を追って戦地に向かうが、負傷者と乗っていたヘリが墜落し、何とか命は助かるも、眼前には大きな鳥が鳴き叫び、たくさんの群れを成して空を渡るなか、何度も間近に爆撃の轟音と炎が立ち昇る。
バーディは、あらん限りの叫び声を上げ続ける。

バーディが完全にこころを閉ざし、一言もしゃべらぬばかりか、人間的な反応を一切取らない~その関係性の拒絶に業を煮やした担当医は、かつての友人アルを病院に呼び寄せた。
彼ならバーディを正気に戻せるかと。

しかし、アルがどう語り掛けても、かつての思い出を一つ一つ語って聞かせても反応はない。
何もしゃべらず、ほとんど食事も摂らない。

病院の仄暗い部屋のベッドの上で、仄かな外光に当たり鳥になっている姿が印象深くも象徴的であった。
静謐で美しい構図である。


それまでずっと、粘り強く彼をこちらの世界に呼び戻そうと努力してきたアルであったが、自分にしても自分のありのままなど受け入れられない世界をバーディの姿を通して深く認識するに至る。
戻すだけの世界だろうか、と。
彼は初めて、おれも一緒にお前とここにいよう、とバーディに語って抱きしめる。
俺達には、自分を生きる方法がないんだ!と、、、。

そのときバーディは初めてアルにことばをかける。
アルは驚き喜び、ワイス軍医にそれを知らせるが、軍医に対しては一切口をきかない。
話す相手ではないと、、、その気持ちは痛いほどよく分かる。
アルは職員の制止を振り切り、バーディを病室から連れ出す。
ここから出ようと、やみくもに。
ふたりで屋上に向かうが、、、


度肝を抜くラスト!
これは何だ、、、。
脱力すると同時に、これから先はそんな大変でもない。どうにでも気楽にやっていけるぜ、、、という
全てが瞬時に不切れた、これからのふたりの行く末を暗示して終わる。
妙に明るい。


わたしの青春の一部でもあったジェネシスのピーター・ガブリエルが音楽であったが、もっと一杯彼の音が聴きたかった。
思いの他、抑え気味で少なかったと感じるのだが、、、。


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スリーデイズ

The Next Three Days001

The Next Three Days
2010年
アメリカ

『すべて彼女のために』(フランス映画)のリメイク
(これは、未見。こちらも是非、観てみたい)。

ポール・ハギス監督・脚本・製作


ラッセル・クロウ 、、、ジョン・ブレナン(大学教授)
エリザベス・バンクス 、、、ララ・ブレナン(ジョンの妻、殺人の濡れ衣を着せられる)
ブライアン・デネヒー 、、、ジョージ・ブレナン(ジョンの父)
レニー・ジェームズ 、、、ナブルシ警部補
オリヴィア・ワイルド 、、、ニコール(ジョンとララの友人)
タイ・シンプキンス 、、、ルーク(ジョンとララの一人息子)
ヘレン・ケアリー  、、、グレース・ブレナン(ジョンの母)
リーアム・ニーソン 、、、デイモン・ペニントン(7回の脱獄経験者、『塀を越えて』の著者)

「残された3日」


極限状況に追い込まれたとき、自問自答する。
自分の生を自分が支配しているか?生きるとは、まさにそこに尽きる!
差し当たり、善悪の判断など、思考の妨げになる価値意識は全て排し、純粋に考える。
自分だけの現実に生きるとしたら、それを狂気と呼ぶか?
しかし狂気であっても絶望よりはましだ。
と謂うより惰性~思考停止で生きているよりは、ましだというべきか。

重く息苦しく切羽詰まったこの映画。絶妙である。

妻が殺人の濡れ衣を着せられ、不利な(不十分な)証拠から冤罪を立証できず、長期監獄に3日後に移送されてしまう。
その3日の間に、夫が妻と子供を連れて、脱獄逃亡を決行する。
極めて綿密に建てられた計画により、それを遂行する。
こちらは、全面的にジョン・ブレナンに感情移入してしまう。
(しかし、妻の性格が今一つなのが、ちょっと妨げにはなるのだが)。

かのリーアム・ニーソンが脱獄のプロ、デイモン・ペニントンでちょっとだけ、しかし重要な役で登場。
ジョンはまず、彼に教えを乞う。
流石は大学教授だけあり、有効な学習方法の見つけ方は素晴らしい。

何をおいても、パスポート、免許証、社会保障番号を作らなければならない。
そしてkeyを見つけること。
情報は全て金で買うこと。
金がなくなれば協力者も消えること。
非情さと勇気が必要なこと。
脱獄自体は可能で、どんな刑務所であろうと、観察次第で日常と違う動きが見つかり、そこを突けば、惰性で仕事をしている者はミスを犯すこと、、、、。しかし脱獄に成功しても逃げ続けることこそが難しいこと、、、
などを教えられる。
おまけに、何処の刑務所だと聞かれ、ピッツバーグと答えると、にやりと笑ってそこは難易度が高い。ほんとにやる度胸があるか、と念を押される。
こちらとしても、充分にこの先の困難と息苦しさにこころが痛む。

それから、決行にあたり具体的に必要な技術は、全てウェブ上で学んでゆく。
ユーチューブで何でも丁寧な解説が得られる。
どんな鍵でも開けてしまう万能の鍵の作り方。
テミスボールを使った車のキーの開け方。
情報をどのような価値とするか、どのように活かすかは、その個人次第である。
情報それ自体は常に中立である。

そう、まさにこれは情報戦だ。
逃亡先の推察をかく乱する為にわざと異なる場所の写真を、見つかりやすいゴミ捨て場に捨てたり、、、
妻のカルテを巧妙に書き換え重度の糖尿病に仕立ててすり替え、病院に妻が移送されるところを狙う、、、。
事前の下見で、移送車が何分間停車するかもしっかり調べている。準備は変装も含め抜かりない。
地下鉄(交通機関を利用せざるを得ない場合)の手動で停車させその出口を、金網を切って作っておき、車を用意しておく、、、。
ピッツバーグの主要道路、交通機関が完全封鎖されるまでに15分、はクリアするも、子供を預けたパーティが想定外の動きを取ったため高速料金所に警官が配置されるまでの35分に間に合わないことになる。しかしそこで機転を利かし老夫妻をヒッチハイク的に(タクシー代わりに)車に乗せ、親子3人での乗車に絞った警察の検問を見事スルーする、、、等々。


そこに行くまでに、素人である為、何度も思いとどまり、しくじって危うい場面を経験する。
だが、彼はそこから学ぶ学習力がある。
何を実行するにも、勉強が如何に大切か。
そして思考を研ぎ澄ますことである。
子供と奥さんで手古摺りはするが、警察の思い込みを利用し、上手く目的地まで逃げ果せる。
それを事前に知っていたのは、息子の旅券を盗み見たジョージ・ブレナン、ジョンの父ただ一人である。
地図で彼らが逃避行した国を眺めて感慨に耽る父。このジョージの味わい深い演技はもう少し見たかった。

果たしてこの先、以前のような彼らの時間を取り戻すことが出来るのか。
いや、ずっと濃密な時間を生成できるはずだと思う。

The Next Three Days002
重くリリカルなサウンドも彼らの心象を雄弁に奏でていた。
最後にようやく刑事の一人が、当時雨が降っていて、落とした指輪が下水溝に流れ落ちたであろうことを思い立つが、寸でのところでその指輪を探し出せずに不本意ながら彼は諦めてしまう。
再度、確認すれば見つかるというのに、、、。
その無常さ、3人の束の間の休息を包み込む不安を、薄暗い闇に包んでエンドクレジットへ。


これは(リメイク版と謂えども)、恐るべき「傑作」であることは、間違いない!


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