プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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チョコレート

Monsters Ball001

Monster's Ball
2001年
アメリカ

マーク・フォースター監督

ハル・ベリー、、、レティシア・マスグローヴ(死刑囚の夫を持ち、ひとりで子供を育てる)
ビリー・ボブ・ソーントン、、、ハンク・グロトウスキ(ジョージア州立刑務所の看守)
ヒース・レジャー、、、ソニー・グロトウスキ(ハンクの息子、父と同じ職業)
コロンジ・カルフーン、、、、タイレル・マスグローヴ(レティシアの息子)
ピーター・ボイル、、、バック・グロトウスキ(ハンクの父、すでに退職しているが同じ職業)

「怪物の舞踏会」、、、死刑の執行前に看守達が行う宴会だそうだ。
「チョコレート」というのも謂得ている。良い邦題だと思う。(寧ろ邦題の方がよいかも)。
キャスト、脚本、撮影は申し分ない。引き込まれた。


差別主義者(男女、人種差別)の家系である。(土地柄か)。
バック~ハンクと非常に差別意識が強く、3代目のソニーは大変な生き辛さに苛まれていた。
彼は黒人に対しても誰に対しても差別意識を持たなかった事と、刑務所の看守の仕事を継ぎ、死刑執行に立ち会わなければならない立場に耐え切れないところから、軟弱者と蔑まれていた。(繊細さや想像力という概念~言葉が存在しないかのような環境だ)。

死刑執行当日、ソニーは途中で吐いてしまう失態により、その仕事に誇りを持つ父に激しく叱責を受ける。
あくる日ソニーは父ハンクに対して、自分を憎んでいるかピストルを突きつけて問いただす。
ハンクは、「ああ憎んでいるとも」と返す。
息子は「ぼくは父さんを愛していた!」と叫びその銃口を自分に向け、父と祖父の目の前で自殺する。
祖父は葬式の時までソニーを軟弱者呼ばわりする。

レティシアは死刑囚の夫の刑が執行され、肥満が心配の種である息子タイレルと経済的苦境に喘ぎながらも身を粉にして働いていた。
(彼女がウエイトレスを務める店に、ハンクはよくチョコレートアイスを食べに通っていた)。
彼女の夫には絵の才能があり、肖像画を紙と鉛筆で死ぬ直前まで描いていた。
彼がこの世で最期に描いた肖像画がハンクとソニー父子のものである。
「肖像画は人の内面を描きとる。人は人にしか描けない。」一体、そんな認識を持つ彼は何の罪で死刑になるのか明かされない。
執行はこの物語では、前提である。
その才能は子供のタイレルに受け継がれており、それが両親の誇りでもあった。

Monsters Ball003

ある夜、豪雨の中を母息子で歩いているとき、レティシアの目の前でタイレルが轢き逃げに遭う。
そこに偶然車で通りかかったハンクは、二人を乗せて病院に駆け込む。
彼も一人息子を失ったばかりの身だ。
そして、レティシアも此の夜に一人息子を失う。
絶望に打ち拉がれる彼女をハンクは家まで送り、それから交際が始まる。
(彼女は黒人である)。

ハンクは息子の死後、勤めを辞めガソリンスタンドを買取りオーナーとなる。
父親バックは頑なに刑務所の看守の仕事に拘り、「お前は母さんに似ている」と女性蔑視と結びつけ彼を批判する。
ハンクは、明らかに規範感覚が変わってきていた。
そう、彼は息子を認め、あれはいい子だった。自分は良い親ではなかったという認識を持つに至っていた。
車がダメになってしまったレティシアの為、自分の息子が使っていた車を息子と親交が篤かった黒人に調整を依頼する。

ハンクがレティシアに息子のためにこの車を受け取ってくれと頼む。
彼女はそのお礼に結婚指輪を売り、彼の家に帽子をプレゼントしにゆくが、そこにいた父親バックに黒人蔑視のことばを浴びせかけられ酷く傷つく。
車で帰る際に、その様子に気づいたハンクが追いすがるが、彼女は「あなたも同じ類の人間ね」と吐き捨て、取り合わずに帰ってしまう。
ハンクは、俺たちは家族だと息巻いている父を無感覚な物を見るような視線で眺め、意気消沈して家に入る。
彼はすぐに完全看護の老人ホームにバックを入所させる。
ホームの責任者に父親のケアを念を押して確認すると、「お父様を愛していらっしゃるのですね」と言われる。
ハンクは、はっきり「全く愛していない。父親だから仕方がない。」と返す。
部屋のベッドにかつての威厳もなくチョコンと座り、「もうどうにもならない、八方塞がりだ」と訴える父に対し、ハンクも「俺もその通りだ」と返し、「もうお別れだな」に、「そうださよならだ」と突き放して出てゆく。
同時にこれまでのパラダイムから完全に脱却した彼の姿勢である。
(もう少し早ければ息子を死なせずに済んだのだが)。

Monsters Ball002

ハンクはスタンドの看板をレティシアの店に綺麗に塗り替えた。
彼女が部屋を家賃滞納で追い出されたところに、彼は迎えにやって来る。
君を大切にしたい、と、、、。
二人きりで共に過ごせることを確認し、彼は好物の(ほぼ毎晩食べている)チョコレートアイスを買いにゆく。
それを待つ間にレティシアは、死んだ夫が描いたハンクの肖像画を見つけてしまう。
激しく動揺する彼女であったが、アイスを買い帰ってきたハンクが「おれたちはきっとうまく行く」と語りかける言葉に落ち着き、安堵した笑みを漏らす。

二人して夜空を見上げながら、チョコレートアイスを食べる、、、。


わたしもよくチョコレートアイスは食べる。
やめられない、、、。
今度、星空を見ながら食べてみたい。


パニック・フライト

Red Eye001

Red Eye
2005年
アメリカ

ウェス・クレイヴン監督
カール・エルスワース脚本・原案

レイチェル・マクアダムス、、、リサ・ライザート(一流ホテルマネージャー)
キリアン・マーフィー、、、ジャクソン・リップナー(テロリスト)
ブライアン・コックス、、、ジョー・ライザート(リサの父親)
ジェイマ・メイズ、、、シンシア(リサの部下)
ジャック・スカリア、、、チャールズ・キーフ(政府高官)


「夜間飛行便~べイ・ブリーズ」の意味~ことば掛けとなるか、、、。
しかしどう間違っても「パニック・フライト」ではない、、、勝手に3流映画にするな!と言いたい。
何で邦題はこうまでロクでもないものが多いのか、、、?

Red Eye005

とてもよく練られたサスペンス映画であった。
流れに無駄がなく緩急があり、飛行機内という密室で突然主人公に襲いかかる途轍もない災難とそれに立ち向かう彼女の恐怖と不安、葛藤と怒りに知らぬ間に同調している。
列車などより、地上30,000フィートという高度を保つ空間であるためか、その閉塞感も強い。
そのなかでいろいろ思案し策を弄するも、やはり彼女にやれることは限られている。
相手のテロリストの豹変ぶりと底知れぬ恐ろしさは絶望感を呼ぶ。
何と2ヶ月間もホテルマネージャーであるリサを観察して調べ上げており、要人の部屋を指示通り変えないと父親を殺害する、とまで迫られては何をやったにせよ所詮時間稼ぎのレヴェルだ。
追い詰められてゆくリサの心境がよく分かる。
Red Eye002
レイチェル・マクアダムスの凛々しさも文句なしであったが、キリアン・マーフィーのサイコなテロリストも最高だった。
そしてちょっとだけの脇役とは言え、11歳の聡明そうな少女が彼らの不自然さに気づき、飛行機から逃げ出すときにリサを庇うところがあるが、その女優の存在感はなかなかのものである。その後、どういう活躍をしているのだろうか、と気になった。

Red Eye003
ギリギリまで追い詰められ要人暗殺のほう助をさせられる羽目になるが、、、。
着陸を待って、彼女は過激な反撃に出る。
過去に駐車場で襲われたトラウマを抱えているが、もう絶対に負けないという反骨の精神に目覚めたのだ。
ロビーでの安酒べイ・ブリーズを呑みながらの会話などで、どことなくジャクソン惹かれていったリサは、その時点では素敵な出逢いを感じていたはずである。
彼女のトラウマがさらに深刻にならなければ良いがと途中から気になり始めてしまうものだ。(もう感情移入である)。

ボールペンで相手の喉を刺し、巧みに逃走しホテルのシンシアに連絡を図る。
だが携帯のバッテリーがほんの僅かしか残っていない。
この辺の流れは上手い。それに撮影(カメラワーク)もスリリングさをよく演出している。
ターミネーターみたいに喉を刺されても彼女を走って追ってくるジャクソンのサイコぶりが尋常ではない。

リサの指示を素早く実行したシンシアの働きで、要人たちは寸でのところで命を救われる。
何と釣り船からロケット砲をホテルの変更したその部屋向けて放ったのだ。
しかも、事前にロケット砲を海に沈めておいて、撃つ間際にそれが格納されたトランクを釣り上げるという用意周到ぶりである。
直前にその釣り船を警戒してやってきたSPもそこまでは気付かなかった。

そして彼女の家での父親を守るための攻防戦である。
父親を狙っていたテロリストの殺し屋は奪った車でひき殺したが、何とそこにジャクソンがやってきた。
ターミネーター級のサイコテロリストである。
手に汗握るリサのサスペンスアクションが続くが、彼女の窮地の場面で気絶から蘇った父にテロリストは撃たれる。
ここは予定調和だが、鑑賞者は当然この流れを歓迎するはずだ。

前半の空港ロビー、中盤の飛行機内、後半の街に出てからの各プロットがしっかり練られていて展開もよく、特別に驚くような場面はないが、充分スリリングにしっかり見せてゆく。

Red Eye004
最後は、よくやったわね、と自分の指示どうり動いて要人を救った部下を労う。
脚本も秀逸である。


そしてキャストもよく、よくできた映画であった。

オンディーヌ 海辺の恋人

Ondine001.jpg

Ondine
2009年
アイルランド

ニール・ジョーダン監督・脚本・製作
クリストファー・ドイル撮影

コリン・ファレル、、、 シラキュース(漁師)
アリシア・バックレーダ 、、、オンディーヌ
アリソン・バリー 、、、アニー(シラキュースの娘)
スティーヴン・レイ、、、牧師

「オンディーヌ」だけでは、ダメか?
海辺の恋人、、、実に安い邦題である。


シラキュースが網にかかった人魚を引き上げるところから始まる。
彼は禁酒中の漁師で、腎臓病の幼い娘を持つ。離婚しており元妻のところにいる娘の人工透析の時は必ず何時間もかけて付き添う。どうやら彼はその係を受け持っているようだ。
映像は全体的に、フリードリヒの絵画のような静謐さを漂わせ神秘的で伝承的な事件が起きそうな空気感に充満している。
(撮影者の感覚が現実とオンディーヌの世界の境界を質的に巧みに現出させている)。
引き上げられ息を吹き返した彼女は、自身をオンディーヌと名乗る。
そのまま信じたくなる登場の仕方だ。
人を避け、医者も頑なに拒み、素性も明かさない謎めいた彼女がオンディーヌと言えば、説得力がある。
オンディーヌとアニーの初めての出逢いの場面など、まさに幻想的で御伽噺が現実に起きたみたいな光景であった。
(この光景は、この映画の要のシーンである。とても素敵だ)。
だが、端から御伽噺ではないことは自明であり、どう展開してゆくのかリリカルなテンションの途切れることはない。

彼女はシラキュースの母が使っていた古い家に取り合えず匿われる。
オンディーヌが美しい声で歌えば、大漁となり運のよいことが続く。
彼女と共に過ごし服を買って着せたりしているうちに、シラキュースのこころに希望が芽生え始める。
出逢った時は二人とも生に対し後ろ向きであったが共にいること、そのことで確実にこころに変化が生じてゆく。
ここが本当に自然な流れであり、プロットがよい。
そして電動車椅子の支給され自由に動き回れるようになったアニーも父の御伽噺で興味をもっていたオンディーヌを探し当て目の覚めるような出逢いを通し、彼女に惹かれる。というよりお互いに惹かれ合う。
この二人の間にも希望~秘密の約束が生まれる。

青みがかった荒涼とした風景のなかで、オンディーヌの肢体が美しく映える。
彼女の泳ぎの美しさ~水中の光景も、幻想性の現実性を高めてゆく。
そう、知っていながら関係を引き延ばしてゆくシラキュースと彼女の覚束ない現実が維持されている。
村人みんなから好奇の目でジロジロ見られているのも彼らの際どいポジションを照射している。
だが、元妻の飲酒運転の自動車事故で夫が死に、その通夜でシラキュースは3年近く禁酒していたのに誓いを破りたらふく吞んでしまう。
その酩酊した勢いでオンディーヌとの関係をただの「御伽噺」に終わらせてしまおうと、彼女を近くの島に置き去りにしてしまう。
ここで、これまで故意にうやむやな形で維持してきた(幻想的)関係を現実の下、はっきり更新するときがやって来た。

それこそ「恋」の力であり、ドナーが見つかり移植手術の成功したアニーの活きのよい強い希望の力により更新が図られる。
特にシラキュースとオンディーヌの幸せになることへの恐れをアニーが吹き飛ばす。
そして生を真正面から肯定する姿勢が、改めて現実的に3人を強く結びつける。
この流れは映画の鑑賞者の希望にも重なるものであろう。

オンディーヌを連れ帰えるところで、彼女の素性が明かされ、以前の相方が彼女に託した麻薬を奪い取りに来る。
彼女は麻薬の運び屋をさせられていたのだ。(道理で誰からも身を隠そうとしていたのだ)。
彼らは絶体絶命の身の危険に晒されるも、アニーの機転により、泳げない相方を麻薬の在処を餌に誘導し、海で溺れさせ無事に危機を逃れる。

外国人であるオンディーヌを繋ぎ留める(強制送還から守る)には、結婚しかない。
最後はこの話から考えられる理想的な結末と言えよう。

Ondine002.jpg


神秘~幻想の力をリアルに感じるよい映画である。
カメラ~撮影のセンスによるところが大きい作品でもあった。
キャストが良かったが、アリシア・バックレーダの自然な美しさが際立った。
少女アニーのアリソン・バリーは注目株だ。

夜風

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何も手につかず、ボウっとするばかり、、、という時は夜風に当たりたい。

今日は、娘たちはバーバと一日中、お出かけであった。
その為か、ずっと開店休業状態で、思考も停止していた。
こんなときに、村上春樹を読むと目覚めるはずなのだが、、、。
もう少し冴えた時に読みたい。


今朝、亀の水替えをした後、すぐに書庫の前に作った小さな畑を耕してみた。
(元々、娘たち用に、、、情操教育ではないが(笑、何か植えて育てさせたくて場所を設けたものだ)。
ただ、体を動かしてみたい、というだけの欲求からやったことに過ぎないのだが、畝(うね)が出来てみるとと、畑という気がしてくる(爆。
何か植えてもみたい。野菜を、、。
その奥には、昨日行った空き地(今日アップした「緑の幻想 ~ サワガニ」は昨日書いたものである)に綺麗な紫の花を咲かせていた杜若が湿地でもないのにそこそこ群生している(笑。でもウチでは花を咲かせないのだ。湿地でないからだろうか、、、。


から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
たびをしぞ思ふ

(在原業平)
杜若はよい。
花よ咲け、、、。
明日から水を多めに蒔いてみようか、、、。


その手前の作ったばかりの畝を夜になって見たくなった。
兎も角、ぼんやりして何かする気になれないのだ。
夜風に当たれば、吹っ切れる。
そんな気がしてくるのだ、、、。

何かする気になれないのは、足りないのではなく、過剰だからだ。
いらないものが詰まり過ぎていて、すっきりしない、という恐るべき単純な原理による。
そういうことにしておく(爆!

ヒトは中空構造である。
中を風が吹かないと調子が悪くなる。
きっとそうだ。

外に出よう。
夜気の中に。
月の元へ、、、。




緑の幻想 ~ サワガニ

sawagani.jpg

娘たちとよく行く近くのスポーツ公園に車でふらっと行った。
この連休は、わざと何も計画は入れていない。
その日の気分で何かやることにしている。
今日は和みたいのだ、、、亀と暫く庭で遊んでから次女のリクエストで決めた。

やはり丈高い緑に囲まれると、光と風が違う。
しかし矢庭に、女の子たちの応援の声がひしめき、熱気が押し寄せてくる。
どうやらいつもの4,5倍の人は集まっている雰囲気で、スポーツ大会が盛大に3つも行われているではないか。
水泳大会。テニス大会(県中学校大会)。野球、、、と。
関係者、出場者の家族親戚、友人なども、、、集まっているはず。

普段はまずない光景である。
この5月連休を当て込んだ大会・行事であろう。
行事といえば、恒例の運動会が5月にある。いつも春先、初夏までは忙しない。
次女はここ2週間毎日朝練と称して走りはじめており、わたしは並走役である。6時起き、、、。
前回2位であったため、今回は狙っているという。
相手次第だとは思うが、、、。
運動会が終われば次がちょっと大変である。
7月にふたりのピアノ発表会、同じく7月に長女の国際交流絵画展入賞の授賞式がある。

ピアノは、ちょっとテコ入れが必要な時期になっている。
何とか刺激してやる気を出させたいところだ。
中弛みを感じるようになった。少しずつ難しくなっていることもあり、練習に入るまでが億劫のようだ。

絵画展の方は2万5千人規模の微妙な公募であり、式は日本の他アメリカ、カナダやベトナムなど外国の子たち5人くらいと一緒にやるらしい。
同伴する親は一名であるため、わたしは当日は行かないで次女とデニーズに行くことになっている(爆。
その後、全国14会場を回って展示されるので、その時に他の作品も含め観てみたい。
長女は「亀と自分」を水彩絵具とクレヨンではみ出すような構図で描いていた。
作品が戻らないのが、ちょっと残念だがそういうものだ。
(ちなみに次女はとても精確で説明的な「亀」の絵を描いており、面白みは当然なかったはずである(笑)。
双子だがタイプは正反対であり、日常生活においては足して二で割るとちょうど良いと感じることは少なくない。

暫く彼女らの得意業の土手登りをして遊んでから、少し離れたスーパーでオムライスなどを食べる。
近くに店はコンビニと31アイスくらいしかなく、レストランはちょっと先で行くのも億劫。
開店休業中に見えるおにぎり屋とラーメン屋があった。何故か異様に凝った建物の和菓子屋があったが今は用はない。
始めて来たスーパーでお昼にした。
必ずスーパーには電子レンジで温めた冷凍食品が食べられるコーナーがある。公園遊びのときは、これにはまりつつある。

そして今日はそのまま帰らず、車の激しい公園沿いの坂道にある細い脇道の探検に行くことにした。
以前、娘が生まれる前に夫婦で探検に行った場所なのだ(笑。
(そう話すとふたりともかなり興味を示した)。
今もまだあるか宅地にされマンションでも建っているか心配でもあったが、行ってみるとそこは地域の歴史的な価値もあり保存されている場所で、何も変わっていない様子であった。
道祖神もあり鏡の池(干上がっていた)とか川、三つの古くからの伝承にちなんだ場所や碑が残されているところなのだ。
花火の見物台もあるが、鬱蒼と生えた草に取り巻かれ眺望は恐らくよくない。
兎も角、ここは何があっても開発はされない場所だと確認した。
住宅街の車の交通の激しい地域のほんのその脇に、とんでもなく質の異なる(緑の)森の空間が存在する。
彼女らにとって、まさしくドラえもん的異世界への旅空間の入口となった、、、。

まず、非常に眩しく晴れた日なのにそこは緑で薄暗い。
入口からすると思いのほか広く開けた、奥行のある空間が広がっている。
そして下の土が異様に綺麗なのだ。木製のステップにしろ汚れが見当たらない。
放っておけば、空き地には草が生えてくる為、誰かによって密かに管理されていることが想像された。
緑の深く静か過ぎる光が、少しばかり異物の潜む不安感を醸す。
ワーッと走り回って遊ぶような感覚は生じてこない。
連休でどこも人がひしめいているのに、われわれの他はひとっこひとりいないのも気味が悪い。

彼女らはすぐに気づいていたが、広い空間の何処かに絶えず水の流れてゆく音がする。
キョロキョロと川をあたりに探すが見つからない。
鳥の鳴き声も絶えないが、そう言えば鳥も何処にいるのか分からない。
階段で降ってゆく脇道もあり、奥に進めば、隣の街というより異界に通じる結界がその先に控えている、、、。
そんな場所である。

まず、奥に進むことにした。階段はもう疲れていてしんどいからだ。
向かう先は緑の光で煙っているように見えた。
何かあるという予感通り、元湿地帯を想わせる場所に掛かった木の橋を抜け、晴れ渡る表に出たら、そこは道祖神の並ぶとても古い空気の充満した町であった。

もう10年も前のことだが、この風景を思い出した。
そこの碑に伝承で有名な姫の名と、3つの土地の境目である道しるべが立っている。
如何にも堺という磁場を感じる場所なのだ。
そして道脇には、防空壕?のような横穴が二つポッカリと空いていた。
ここまでの道すがら、心地よいとか和むというより、どこか感覚が泡立つ禍々しい感じが終始付き纏っていたのだが、、、。
この穴に象徴される何処かに何かこの世ならざるモノが潜んでいるような感触なのだ。
(木の根元にも大きな穴があり、地面にも多きなもぐらが出入り出来そうな穴がポッカリ空いていた)。

整備されていながらも、そこから 零れ出す名状しがたい何かを感じてしまうのだった。
長女が疲れたを連発し始めたが、昔サワガニもいた池と川を見せたくて、また戻って木の階段を降って行った。
川は一般的な住宅の並ぶ裏側を流れている何ということもない川で、昔わたしの同級生がもっと沖だがその川の氾濫でバイクごと流されたこともある。この川が氾濫するとは、感慨深い。
丈夫で無遅刻無欠席の彼が、一日無断で休んだあくる日、豪雨でバイクごと流されて学校に来れなかったとみんなに打ち明けた。
ちょっと間をおいて、教室は大爆笑となったものだ。わたしも涙が出るほど腹を抱えて笑いこけたことは、今でも覚えている。

生憎、以前ちびまるこちゃんに出てくる山田みたいな少年が瓶に入れたサワガニを見せてくれた鏡の池はほぼ、干上がっていた。
そういう時期なのだろう。鮠もいなかった。(一番深いところで4センチくらいの水で、20センチ四方しか水が張っていない(笑)。
ふたりはそれにはガックリしていた。
その為にスーパーで買った水の空ボトルを持ってきていたのだった。
おうちで鮠飼っていいよねと何度も念を押していたのだが。

川にも何もいないことを確認すると、確かによく遊んで歩いたこともあるが、疲れたを繰り返しながら車にやっとたどり着いた。


わたしにとっては、一度行っておきたかった場所でもあったため、子供と来れたことは、良かった。
明日は出来たら美術館にでも連れて行きたい。


スリープウォーカーズ

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Sleepwalkers
1992年
アメリカ

ミック・ギャリス監督
スティーヴン・キング脚本


ブライアン・クラウズ、、、チャールズ・ブレイディ
メッチェン・アミック、、、タニヤ・ロバートソン(チャールズの恋人)
アリス・クリーグ、、、メアリー・ブレイディ(チャールズの母)
猫、、、クロビス(保安官の飼い猫~後にタニヤの猫に)


スティーヴン・キング、ジョー・ダンテ、ジョン・ランディス、クライヴ・バーカー、トビー・フーパーがカメオ出演しているホラーファンにはたまらないお楽しみ映画でもある。
わたしはホラーファンではないが、墓守役でスティーヴン・キングが出ていることだけは、確認した。
ファンにとってはそれだけで得した気分に浸れるのだろう。(わたしは別に、、、)。

わたしにとっては、大好きな猫(今は家族に猫アレルギーがいて飼えないのだが)が沢山出てきて、保安官より頼りになるところが嬉しい。とは言え、かなり殺されたりするのでちょっとキツイが。
警官、保安官も次々に殺される。最後までタニヤを守るかと思われた保安官もあっさり殺される。
(結局、猫たちだけが頼りとなる)。
Sleepwalkers002.jpg

スリープウォーカーズという人間の精気を吸い取って生きる種族が何とか細々と生きながらえようと奮闘する姿が描かれるのだが、それが健気に描かれるのではなく、タニアという美少女を餌食にしようとするところで、彼らは悍ましい悪者となる。
しかしわれわれが牛肉食って生きているように、彼らは人間の精気が生きる上で必須のようなのだ。
生命一般の生きる権利から言ってこれは困ったものである。
(あの憎たらしい教師が餌食であれば、人間の法的には犯罪でも特に反感は買わないだろうが、清楚で気立ての良い美少女では分が悪い。しかもそういう少女でないとダメらしい、、、そうでないと腹でも壊すのか、、、)。
厄介である。そこが物語の契機でもある。
そして猫が天敵というのも大きなポイントであろう。
これで噺が面白くなる。
彼らも猫を殺すが、猫も自然に寄り集まってきて殺意をもって襲いかかってゆく。余程の敵対関係なのだ。
そしてもはやスリープウォーカーズも彼ら母子のふたりを残すのみか、、、母子相姦的な描写が彼らの種族の悲壮感を痛々しく表している。メアリーの狂態ぶり(アリス・クリーグの怪演)が彼らの置かれた寄る辺ない状況を説得力あるものにしている。

普通に見れば、チャールズとタニヤは理想的なカップルなのだが、男の方はクリーチャーなのだ。
この特殊な関係性がいつ破られるかとワクワクしながらデートの場面を見ていると、それは以外に早かった。
そして正体を現した(腹ペコで我慢が出来なくなり怪物に変身した)彼に、精気を結構吸い取られ警官など軽く吹き飛ばす腕力で襲われるにも関わらず、それを撥ね退け、やり返したりするこの女の子が実にタフだ。
タニヤのやられ強さには感心するばかり、、、(笑。
Sleepwalkers003.jpg

ブレイディ母子の能力が興味深い。
ものを消すのだ。
ただ腕力が凄いだけではない。
ただ、消したり出したりするだけなら、それだけのものだが、チャールズが車を消す前は赤いムスタングであったのに、再び現れたときは青いトランザムになっているという、この変化については特に明かされてはいなかったと思う。
これが妙に引っかかるところであった。わたしには、とても面白いのだが、、、。
最初そのように変化したときは警察をまくためだと思ったが、それだけの理由なのだろうか?
ここは、単にチャールズの車の趣味の問題のようにも思える。
車にかなりの拘りがありそうだし。

Sleepwalkers004.jpg
クロビス。準主役である。間違いなく。
何故なら、ガラスを割ってタニヤがメアリーに襲われている家に侵入するのだ。
そして狙いを定めて飛びかかる。シャープなアクション!
保安官より上、警官たちより数段上手である。
敵に背を向けて本部にたいへんだ~と電話している警官などあっけなくトウモロコシを刺されて絶命である、、、。
絵的にはユニークで印象深いものであったが。(トウモロコシ刺されて死ぬ登場人物は映画史上始めてではなかろうか?ウケるかどうかは微妙な線であろう。下手をするとここでホラーからコメディに転調する恐れも出てくる)。

クライマックスは、もう猫たちだけが頼みの綱となった状況で、次々にメアリーに襲いかかる猫たちが多くの犠牲を払いながらも彼女を倒すところか。
何故か猫に噛み付かれたところから発火して体が燃えてゆくのだ。
最期まで彼女はタニヤに、よくもうちの息子を殺したわね~と叫びながら死んでゆく。
いくら相手が相手であってもこの凄まじさを目の当たりにしたら外傷経験となってしまうだろう。
タニヤの今後の人生が心配になってしまう。(父は殺され母も怪我を負っているし)。


クロビスが最期まで生きて(飼い主の警官は殺されたが)彼女も助かり、猫とタニヤで呆然とする光景で終わる。
スリープウォーカーズは絶滅したのか、、、。
実際、現在1年間で4万種以上の生物が絶滅していると言われている。
ある意味このこと自体は、全く不自然なことではない。
だが、これは余りにも派手で壮絶すぎた。


マンマ・ミーア!

Mamma Mia001

Mamma Mia!
2008年
イギリス、アメリカ、スウェーデン

フィリダ・ロイド監督
キャサリン・ジョンソン原作・脚本


メリル・ストリープ、、、ドナ・シェリダン(エーゲ海の島のホテルの主)
アマンダ・セイフライド、、、ソフィ・シェリダン(結婚を控えたドナの娘)
ピアース・ブロスナン、、、サム・カーマイケル(アメリカ人の建築家、ソフィの父候補)
コリン・ファース、、、ハリー・ブライト(イギリス人銀行家、ソフィの父候補)
ステッラン・スカーシュゴード、、、ビル・アンダーソン(スウェーデン人紀行作家、ソフィの父候補)
ジュリー・ウォルターズ、、、ロージー・マリガン(作家、ドナの親友)
クリスティーン・バランスキー、、、ターニャ(ドナの親友)
ドミニク・クーパー、、、スカイ(ソフィの婚約者)

所謂、”oh my God!”


かつてロバート・フィリップ卿が「ABBAはよろしい」と語っていた。
わたしもABBAは決して嫌いではないが、この映画は以前観て、何が何だか分からず、30分ほどでリタイヤしている。
今回もきつかった。結局何が何だか分からず仕舞いであった。
「レ・ミゼラブル」や「ウエストサイド・ストーリー」や「シェルブールの雨傘」は気持ちよく見れるのだが、、、
(そう謂えば、どれも書いてはいなかった、、、そのうち書きたい)。
ABBAの曲の乗りもよく、そのシーンにもピッタリ合っていて、踊りのシンクロもそこそこよいのだが、、、
いまひとつ面白くないし、何を踊って歌っているのか、、、それ自体がすっきりこない。
もう少し話に面白味があって欲しいのだが。
話そのものに入ってゆけないのだ。

メリル・ストリープの力技で押し切っている感が強い。
何であっても彼女が主演すれば、形にはなる。
そこにアマンダ・セイフライドが入れば美しく煌びやかな見栄えになるが、はっきり言ってそれ以外は実に地味だ。
わたしの好きなコリン・ファースも出てはいてもそれほどパッとしない。
調べてみるとこの映画、イギリス史上最高のヒット作品で大変な興行収入を得た映画だという。
ゴールデングローブ賞や英国アカデミー賞に幾つもノミネートされたそうだ。
ピアース・ブロスナンが見事ゴールデンラズベリー賞・最低助演男優賞を受賞したそうだが、深く頷ける。
みんなこういう映画が好きなのか~と、感慨深いものであった、、、

どうやらわたしは映画ファンにはなれそうもない。
確かに映画がそれほど好きなわけでもない。どちらかと言えば観るのが億劫だ。
本当に心底心地よく観られる映画は、監督で言えば、タルコフスキーとベルイマン、、、ゴダール、テオ・アンゲロプロス、、、リドリー・スコットもよいが、、、。
作品単位では、幾つもあるにはあるが、、、ブレード・ランナーインターステラーオブリビオンオデッセイ第9地区コンタクトエクス・マキナパシフィック・リムミストビューティフル・マインド、、、おおそうだアラビアのロレンス、、、、挙げ始めたらきりがない、、、のに気付く。
役者ではジェフリー・ラッシュとマックス・フォン・シドー、ピーター・オトゥール、、、ピーター・ローレ、、、ゲイリー・オールドマン、ジョニー・デップもよいのだが、出る作品が必ずしも良いとは言えない、、、。おっとマット・デイモンを忘れてはいけない。
それからモーガン・フリーマンが出ていると、とても和んで安心する(笑。
女優を挙げていなかった、、、ジュディ・フォスター、もっとも尊敬する女優。

そうだ、ABBAの映画のことを書き始めていたのだ、、、。
いや”Mamma Mia!”である。

Mamma Mia002

感情移入は全く無理で、見て愉しむスタンスは全くとれず、、、ともかく何とか見終わることのみ目標に立てて観た為、そのレヴェルの達成感というか、、、
エンドロールに来たとき、子供時代の体育のマラソンでようやくゴールにたどり着いた、ホッとした気持ち、、、は、味わえたような。

まず、ソフィの家は母子家庭で、ドナの妊娠が発覚した際、彼女は家を勘当され母の手一つで娘を立派に育て上げた。
父と目される男は、ドナを置いて去ってしまったのだ。
しかしソフィは自分の父親を知りたい。結婚を控えそれを是非確認したいという気もちが抑えられなくなる。
分かるような気はする。
母の日記を盗み読みしたら、どうやら父の可能性の高い男性が3人見つかる。
式の日にその3人を母に内緒で招待する。3人にもサプライズだからと母には内緒にするよう頼む。
その間、誰が父親か分かると思っていたが、皆目見当がつかない。
3人は皆が自分が多分父親だと言い、それぞれソフィのエスコートを願い出てくる。
彼女はスカイに困って相談するが、今さら父を探さず、自分自身を探せと言われる。
ぼくも自分探しの旅を中断して君のために生きているんだとか、分かったような分からないことをいう。
エスコートはやはり母ドナにお願いする。彼女は喜んで引き受けた。

いざ式になってみると、3人の父を巡ってその場は紛糾しはじめる。
そりゃそうだ。
誰より母がびっくりする。
神父も当惑する。
結局、サム・カーマイケルが強引にドナに求婚する。
娘の結婚式はどうなったのだ、、、。
ソフィが、わたしたちの結婚式は延期しましょう、と提案する。
そうしよう!と抱き合うソフィとスカイ。
何だかよくわからないが、ともかくドナと彼女の親友のふたりの女性の歌い踊ること、、、。
思い返せばそればかりではなかったか。

アマンダ・セイフライドの誇張した演技に、所々で引いてしまった。
3人男が誰もいまひとつ冴えなかった。
歌はそれなりに良かったのだが。

だが、これは大ヒット映画なのだ、、、。


ABBAは運動会でよくかかっていた。この映画でも再評価されずいぶん使われていたと思う。
ABBA001.jpg

最前線物語

THE BIG RED ONE001

THE BIG RED ONE
1981年
アメリカ

サミュエル・フラー監督・脚本

リー・マーヴィン 、、、軍曹
マーク・ハミル 、、、グリフ(狙撃の名手)
ロバート・キャラダイン 、、、ザブ(文学青年、ヘミングウェイかぶれ)
ケリー・ワード、、、ジョンスン(痔が悩み)
ボビー・ディ・チッコ、、、ビンチ(音楽好きのサックス吹き)


栄光の歩兵第1師団というところか、、、。

実際の戦地で戸惑い悩む部下に「殺人」ではなく、ただ「殺す」だけ、と部下諭す軍曹。
彼は一次大戦の生き残りであり、(4時間前の)終戦を知らず1時間前に終戦を訴え歩いている敵兵を刺殺している。
それを少なからず引き摺っている面が感じられる。

戦場は冷酷であり、一番、、、二番、、、と軍曹の呼び声に従い兵士は敵に向かっていかなければならない。
この突撃の順番は生死において重要である。
早い順を引いた兵士はかなりの確率で死が約束される。

彼は二次大戦で、北アフリカ、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツ、チェコスロバキアと4人の部下を引き連れ転戦する。
この息をつかぬ横断ぶりが凄まじい。
普通はひとつの戦闘~作戦で戦果を立てれば暫し休暇ではないか?
(戦地にいないと精神に混乱を来す「戦争のはらわた」のシュタイナー軍曹の例もあるが)。
直ぐに次の戦地に彼らは迷うことなく飛び込んでゆく。
この精神状態は何なのか、この昂揚というか持続、いや反復は何なのか?

その歩兵隊にあっては、補充兵や新兵は入ってくるやいなや戦死してしまう。
これほど兵隊が個々に死んでゆく映画を見たことがあっただろうか。
爆弾などで一気に大量の兵士が死ぬ映画はあるだろうが、ひとりひとりが次々に死に、敵も味方もなく屍体が累々と積み重なってゆく光景がこれだけ続くのは、わたしにとっては始めてだ。
しかし、軍曹とその4人の「歩兵第1師団」は生き残り、敵兵を殺し続ける。
このしぶとく生き残る運の強さは何なのか、、、。

武勲を次々にあげ、勲章を沢山もらう。
彼らは英雄としてかなり有名になっていた。
新兵たちからも敬われる。
小説家(志望)のサブは、戦争を題材に小説を書いていたが、母親を通して映画会社に本が多額の金で売れる。


精神病院で入院患者を装ったレジスタンスの女性の導きで油断しているドイツ兵を倒してゆくシーンがあるが、その時入院患者が銃撃戦を見て「美しい」と感動して、自ら銃を持って撃ちまくっていた。
サブは彼を「正気」だとその時思う。
最前線における人の正気と狂気に、どれほどの差異があるか。
正気とか狂気と言える場を超えた心象のなかをただ、生き残ろうと謂う本源的な動機だけで突き進んでいるように受け取れる。
すでに死んでいるドイツ兵にありったけの銃弾を浴びせ続ける兵も同質な感覚にいるだろう。
それが美意識にも解放される~振り切れる。
ウイーン幻想派のレームデンなどの画家も「戦争は美しい」と感嘆して戦場の絵『戦車の戦い』などを描いている。


戦車による蹂躙から村を解放して、婦人たちから大変な歓迎を受け豪華な食事を嬉しんだり、身籠もったフランス女性の出産~赤ん坊の取り上げを乗っ取ったドイツ戦車内で献身的に行うとか、過剰な(祭典~ハレとしての)生へのこだわりも殊更強く映し出される。パーティも盛大にやっている。凄惨な戦場でレコードプレイヤーから音楽を流しているのも意外であったがよく分かる気がした。(音楽好きが隊にいることもあるが)。
折角、救った少年(国籍は分からない)が自分が肩車しているうちに衰弱死してしまうところなども軍曹の生の脆さ危うさへのトラウマに静かに伸し掛っていったようだ。

そして最後にまた軍曹は、一次大戦の時と同様、終戦だと両手を挙げて歩いてくる敵国兵をナイフで刺してしまう。
部下が4時間前に終戦となったことを彼に告げる。
また、わたしだけがそれを知らなかったと言って、項垂れてそこを去ろうとする。
その時、刺した男がまだ生きていることを部下から知らされる。
今度こそ、絶対死なせないよう彼らはあつく彼の手当をする。
ここで戦争~トラウマから軍曹(たち)は解放されようとするかのように。
最初と対称の構造だが最後は、生への希望を強く感じさせる。

この映画は「生き残った兵士に捧げる」で終わる。
死者へのレクイエムではない。


実際の監督の従軍経験から綴っているだけあり、煽るような演出のない、淡々とした生々しい臨場感があった。
それにしてもよく兵士が死んでいく映画であった。
軍曹と部下の4人は不死身であったが。
(実際、そういう事があるのだろう。歩兵第1師団=THE BIG RED ONEはまさにこの映画の通りに活躍したという)。

THE BIG RED ONE002

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