アンタッチャブル

The Untouchables
1987年
アメリカ
ブライアン・デ・パルマ監督
エリオット・ネス の自伝を原作とする実録映画
デヴィッド・マメット脚本
エンニオ・モリコーネ音楽
ケビン・コスナー、、、エリオット・ネス(財務省捜査官)
ショーン・コネリー、、、ジム・マローン(シカゴ市警警官)
アンディ・ガルシア、、、ジョージ・ストーン(射撃の名手、若手警官)
チャールズ・マーティン・スミス、、、オスカー・ウォーレス(財務省簿記係)
ロバート・デ・ニーロ、、、アル・カポネ
ビリー・ドラゴ、、、フランク・ニッティ(アル・カポネ腹心の殺し屋)
今では「マイインターン」で優しさと包容力一杯の役などを好演しているロバート・デ・ニーロの鬼気迫るアル・カポネである。
ビリー・ドラゴの殺し屋は妖気さえ漂わせていた。もう紙一重である。
ショーン・コネリーは味わい深い役をしっかりこなしている。この映画の中核を成していることは間違いない。
アンディ・ガルシアは瑞々しくシャープでスマートであった。
チャールズ・マーティン・スミスの個性はこの物語に幅を持たせていて、過度の緊張を和らげる存在でもあった。簿記係なのに銃撃戦でも予想外の活躍なのがちょっとコメディ調でもあった。
ケビン・コスナーはこの役にピッタリであった。正義に拘り名誉も気にし揺れ動く主人公の繊細なこころの動きをうまくなぞっている。
丁度「ゴッドファーザー」の裏側の話だ。
禁酒法時代の話である。
酒が作れず売ることも呑む事もできなければ、世は荒れるだろう。
当然、それにつけ込む人間は出てくる。
呑みたい人間は金を出す。(ポテチが食べられないくらいで、ネット上で大金が動くのだ(笑)。
酒の密造とカナダからの密輸で大儲けする組織が出来る。
アル・カポネがその最大勢力のボスであった。
法はあくまで法であり、彼がチーム「アンタッチャブルズ」によって、逮捕されてすぐ後に禁酒法はなくなり、何時でも好きなだけ酒が呑める事になる、、、。
法とは法である。法以外の何ものでもない。
ただ、この物語の発端にあるのは、ギャングの酒の売り込みを拒絶した店主の店を爆破したことによる10歳の少女の巻き添えの爆死である。
この深い悲しみから市民に対する暴力の阻止のためエリオット・ネスたちが立ち上がったと言えよう。
しかし、捜査は難航を極める。
権力の深みにまでアル・カポネの金の力が浸透していたのだ。
勿論、警察の中に内通者がかなりおり、エリオット・ネスの最初のガサ入れは見事失敗する。
失態は大々的にメディアに乗って物笑いの種にされ、権威の失墜も含め、人身のマインドをもコントロールしてしまう。
昨日の、コルレオーネの勢力も政治家や警察やメディアを抱え込むことで強大化していた。
その構造は同じである。
この映画では、暴力~銃に対しては暴力~銃で叩き潰すという基本姿勢である。
シカゴ流なのだ。後半に至るまで、これをグイグイとジム・マローンが引っ張る。
かなり血なまぐさい。
壮絶である。
人物がよく描かれている分、「アンタッチャブルズ」のうち二人が死んでしまうのは、こちらの胸も痛くなった。
そして撮り方である。
緊張を如何に保つか、生理的に心理的に微細に尺の長さを調整していることは明らかだ。
脚本的~流れにも焦らすような効果を取り込んでこちらを緊張の内で揺り動かそうとしている。
また、その道具立てと場所だ。
クラシックカー(1930年代)や騎馬隊(車ではないのか)が贅沢に出てくる。
ちょっと小屋も含めて西部劇を連想してしまう、、、。
そして「階段」での「乳母車」越しの銃撃戦である。
度々上下の高さを使った攻防が巧みに描かれていた。
ここが非常に緊張を高めるところで、主に神経を極限的に使い、決断を下す場面となる。
冒頭での少女の爆死から事実上の最後の決着を着けるところも子供絡みである。
かなりの危うさであるが、ジョージ・ストーンの射撃の腕に託された。
母親としてはその事態に不安と恐怖でたまったものではないが、、、。
(爆死した少女の母親がエリオットに犯罪組織の撲滅の懇願に来ていたことの対比でもある)。
全体を通し音楽は実に演出効果を上手く務めていた。全体をスムーズに流す作用がよく効いていた。
今日はマフィアに戦いを挑む法の側の物語であったが、これ以降の暴力、汚職について改善はみられたのだろうか。
(確かに改善された部分はあると思われるが、、、寧ろ裏切り者は許さないというアルの姿勢の徹底化が進んだようにはっきり思えるところである。その極端な例がプリズム!ある意味、全世界的に透明化したマフィアに覆われたような恐ろしい世の中となったものだ)。