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sakura.jpg

朝から雨で桜が心もとない。
今は真っ暗で花びらも見えない。
冷たい。花冷えであろうか。風はふいているのか、、、

風邪を引き込みなかなか治れない。
時折、起きてはパソコンを打つ。
わたしにとってパソコンに向かうのがもっとも自然な姿勢なのだ。
外の雨も冷たさもさくらの花弁の舞い散り具合もわからない
キーを打つ不確かな音だけが夜気に、夜の明かりに、響く。

特に調子が悪くなく、やることもないときは、平均12時間はパソコンの前にいる。
以前は、パソコンは音~音楽を作ったり、3Dや動画を制作するためのツールとして使っていた。
だが最近は、ネットで調べ物をしたり、ブログを書いたりし、時折うたたねをする以外に使うことはなくなってきた。
だから、昔のようにハイエンドパソコンをなにも購入する必然性はなくなった。
特にわたしは3Dゲームはしない。グラボは外付けすることはない。
よく映画を見るため動画再生支援機能はあれば、とてもよい。

ブルーレイを見ている途中で落ちてしまっては、どうにもならない。
今日それで直しに出したノートが帰ってきた。
余りの疲労と睡魔のため、セットはできない。
特にルーターのパスワードを失念している。そこから先には進めまい、、、。
睡眠導入剤を30分前に飲んでいるため、視界も朦朧としてきた。
頭の方も理論的な向きには働かない。
さしずめ自動筆記みたいな感じになっている。
ダリの演出映画を見たためか、視界はやたらとシュールである。
色々なところが剥がれ捲れて見える。

ここでどんな筋書きを考えたにしても、思考力が一歩先にも届かない。
もうわたしの3分の2は眠っている。
真っ暗な雨の窓に外部の何かや音は全く透過しない。

恐らくわたしの神経機関に届かないのだ。
もうヒッチコックは何も見せてはくれない。
ならば、、、
ハンニバルと一緒にあのオペラを、会場の前の方の椅子で観たい。
おおこの曲だ、、、。
この曲だけは聞こえてくる、、、。

「堪能しましたか?」
「ええ、眠ってこのまま続きを聴きます。」
「では、おやすみなさい。」


リーガル・マインド 〜裏切りの法廷〜

The Trials of Cate McCall

The Trials of Cate McCall
2013年
アメリカ
ドラマ映画

リーガル・マインドは『柔軟、的確な判断』をいうが、原題は『ケイト・マッコールの試練(裁判)』というシンプルなものである。
邦題は内容を吟味した上での題であろう。言いえていると思う。

カレン・モンクリーフ監督・脚本

ケイト・ベッキンセイル、、、ケイト・マッコール(弁護士)
ニック・ノルティ、、、ブリッジズ(弁護士)
ジェームズ・クロムウェル、、、サンプター裁判長
マーク・ペルグリノ、、、ウェルチ刑事
アナ・アニシモーワ、、、レイシー(殺人犯)

ケイト・ベッキンセイルは「レタッチ」で見ていたが、もう女の子をもつ母親役であった。
随分大人になっていたが、確かにあちらは1994年のものだ。こちらはそれから19年後だ。あたりまえか。
明日辺り、「レタッチ」もう一度見直してみようか、、、。

それから「ホワイトアウト」なども、、、観始めて止めていた物がある。


さて、この話だが。
殺人事件で有罪判決(終身刑)を受けた女性レイシーの弁護を、アルコール依存症と闘う女性弁護士ケイト・マッコールが請け負うところから始まる。
彼女はアルコール依存症のため、幼い愛娘の親権すら失って自身が保護観察処分中なのだ。
しかも親権を勝ち取った元夫は、遠くに引っ越してしまう。
会うに会えないが、これまでも裁判、弁護の激務のためほとんど娘に会う時間がなかった。
(ある意味、自分の野心のためでもある)。
アルコール依存症もそのストレスから来ている。
悪循環である。キャリア・ウーマンにとって誰もが少なからず抱える深刻な悩みではないか、、、。

そんな身の上だが、彼女の信じる正義のためブレずに戦ってきた矜持が支えであった。
これまで多くを犠牲にして、敏腕弁護士として名を売ってきたのだ。
しかし、元夫や恩師の弁護士に言わせると、単に勝つことが目的であったり自己中心主義であると批評される。

今回引き受けたレイシーの弁護はすでに大変不利な状況で固められており難しい仕事になった。
しかし初めから事件を洗い直すことで警察・検察側の証拠や証言の捏造などが見つかり一つ一つ覆してゆく。
ケイトは苦戦するも逆転無罪を勝ち取る。
だが無罪放免となって喜んでいたレイシーの実態を知って驚愕する。
涙を流し、しおらしい表情で冤罪を訴えていた彼女とはまるで別人であった。

そして何よりレイシーは冤罪などではなく、彼女こそが真犯人であったのだ。
自分が確認した証拠に見落としがあったことに気づく。
軽蔑し反目していた相手と自分が同レヴェルであったことを思い知らされる。
検察・警官側の腹黒さにばかり目が向き、もっとも肝心な部分に洞察が行き届かず、先入観にも邪魔されていた。

全体の「風の向きは変えられないとしても、船の帆は調節できる」のだ。
かつての過ちを侘び、敵であった相手と和解し、味方のように振る舞い利用しようとする相手とは決別する。
ここで彼女は自己解体し、一回り大きく再編成する。
見守ってくれる良き恩師~アドヴァイザーがいたことも良かった。
本当の味方の言葉に耳を向けることが肝心である。

彼女は戻ってきたレイシーの弁護につくが、名誉の敗戦にもってゆく。
レイシー有罪の決定的物証を検察側に渡していた。
折角上手く無罪を勝ち取ったと思い有頂天でいた彼女は法定で激しく暴れて取り乱す。
彼女の本性を見た時である。

事の真実は大変見え難いし、観る者の立ち位置によって変わる。
これらの真偽を確かめそれらのピースをパズルとして組み合わせなければならない。
元々人の罪を測るなど人の目~能力でどれだけ可能なのか。
どれほど法を整備しても、人の施行することである。それが前提だ。
人を法に掛けて審判する人も等しく生身の生活を送っており、その現状はときに大変険しい生をいきているものだ。
しかし極めて高い見識の元、行われなければならない仕事であるしそれを要求されるはず。
実際はそうでもないようだが、、、。
今回の事件でもっとも成長できたのは、ほかならぬケイト・マッコールに思える。


これから先、彼女は娘に受け入れられるのか、、、。
すべて彼女自身にかかっているだろう。


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白い恐怖

Spellbound001.jpg

Spellbound
1945年
アメリカ

アルフレッド・ヒッチコック監督

サルバドール・ダリが演出に関わっており、音響には「テルミン」も使われている。
夢が重要なファクターであれば、シュールな効果に期待は膨らむ。

イングリッド・バーグマン、、、コンスタンス・ピーターソン博士
グレゴリー・ペック、、、エドワァズ博士(新院長)、ジョン・バランタイン
レオ・G・キャロル、、、マーチソン(前院長)
マイケル・チェーホフ、、、ブルロフ(コンスタンスの指導教授)


『魅了された』

フロイドの精神分析(夢判断)の手法を武器に真相に迫るピーターソン博士を演じるイングリッド・バーグマンであるが、彼女の知性美のオーラ極まる映画である。

これが終戦の年に製作された映画とは、驚きである。
カメラアングルも面白い。牛乳を飲む当人目線でのカメラ~コップから白への繋がり、、、などちょっと笑えてしまう。
白そして縞の線の伏線がやがてスキー場のゲレンデへ、、、。
スキーを滑っている際の合成画面だけは、時代を感じさせ残念であった。
あそこのシーンだけは、ロングショットかクローズアップで上手く表現~演技して、中途半端な距離感は持たせないようにした方が良かったと思う。

噺は、精神病院の院長を長年勤めてきたマーチソン博士が更迭され、新たに著名な著書を幾つも出版しているジョン・バランタイン博士が院長の座に就く日から始まる。
非常な堅物で仲間内でも有名であったピーターソン博士であるが、彼を見るやいなや恋に落ちてしまう。
しかし、そのバランタイン博士は、白地に線の入ったものを見ると急に発作に襲われ取り乱してしまうのだ。
ピーターソン博士は更に、筆跡から彼が別人であることにも勘付いてしまう。
ここからスリリングなサスペンスドラマが展開してゆく。

ピーターソン博士は、ジョン・バランタインの強迫的罪悪感の分析を彼が途中で何度も投げ出し逃げようとするにもめげず、追いすがって徹底的に行う情熱的かつ理性的な女性である。患者側からすれば、真実など分からぬままで病気の奴隷となっていたほうが楽なことが多い。
「何故、自分自身から逃れようとするのか。」
「真の姿を知りたくないからだ。」
「ヒトは別の重い病気にかかってそれを忘れようとする。」
印象的なセリフが多い。(どれも無駄はなく細やかに伏線となってゆく)。

この場合、そのままにしておけば、彼は殺人犯とされてしまう。
彼女としては、分析を続け彼を治して、罪の意識から開放してあげたい。(さもないと一生そのトラウマからは逃れられない)。
警察も動いており、一刻を争う事態に追い込まれている。
ピーターソン博士は理論と感性・直感の両者を信じて一途に突き進む。
(バークマンはこういうブレない知的な役柄が実に似合う)。
分析だけでなく推理も冴えており、探偵みたいな感覚もあるし行動力も凄い。
(ジョンは恋人というより息子みたいに手を引っ張られ連れて歩かれている(笑)。

ただ、最初は高名な精神分析界の学者であるエドワァズ博士に惚れた部分は大きいと思うのだが、彼女はあくまでも正体の分からぬ場合によっては殺人犯かも知れぬその男に全く変わらぬ思いを寄せることができたのか?
「あなたは誰?」と問いを発したとき、想いが覚めるより研究者としての知的好奇心・探究心が発動した部分は大きいだろう。
そしてジョンが悪い男ではないと直覚していた。(所謂、女の勘だ)。
信じる力は大きい。やはり、ここか?
彼女は実際にジョンが記憶を喪失したときの状況を再現してその時を思い出させる療法に出た。
もしその時殺人をしていたら、かなり危険な事態ともなりかねない。
ジョン自身も自分が犯人であることを認め諦めようともしていた。

彼の場合は発作が起こると自らを失い危険な状態に陥る。
相当に根深い、幼年期のころの強いトラウマがあるのだ。
結局、彼の抵抗(防衛)をかわしながら分析を詰めるうちに、ジョンとエドワァズの関係は明らかになる。
エドワァズと一緒にゲレンデを滑っていたジョンは、彼の所属していた医療部隊が銃撃を受け火傷を負ったときのPTSDの治療をエドワァズから受けている患者であった。しかし雪のゲレンデで、エドワァズが崖から転落してゆく様子と子供の頃誤って事故で弟を死なせてしまったシーンとが重なって大きなショックとなり、彼はエドワァズ博士に同一化してしまったのだ。その際、自分自身の記憶は封印された。ただ、無意識的に意図的に弟を死なせた子供の頃からの記憶から逃れるためにエドワァズ殺しで埋め合わせようとしていたのだ。一種の合理化である。
彼女の分析のお陰で、彼はエドワァズには一切手をかけてはおらず、子供の頃に死んだ弟も事故であったことをシーンとしてありありと彼は思い出す。

分析終了。
彼と彼女は無実と確信したのだが、警察からその件は事故ではなく殺人だと告げられ、逮捕されてしまう。
死体には銃で撃たれた跡があったのだ。
この急展開に酷く落胆はするが、彼女ピーターソン博士は諦めなかった。
その後、彼女は院長がエドワァズ博士と旧知の仲であることを会話の中で知り、矛盾に気づく。
彼マーチソン博士は引き継ぎの際、ジョン・バランタインをエドワァズ博士として普通に迎え入れていたではないか!
おかしい。ここで彼女は確信し、マーチソンを問い詰める。
マーチソンは院長を更迭された恨みから後任のエドワァズ博士をスキー場で背後から射殺したのだ。

最後のピストルを構えられた時の冷静な理路整然とした彼女の説得はこれまた大したものだが、一番ハラハラさせられた。
マーチソンは彼女に向けた銃口を自分に向けるしかなくなる。

Spellbound002.jpg
目の描かれたカーテンを引き裂く。
ダリの絵が夢の世界の表象となる。
このシュールな夢シーンからは、ヒッチコック監督の実験的な映画に挑む野心を感じた。
ダリを起用とは贅沢だ。

無駄のない、締まった映画であった。

プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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