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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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乱気流 タービュランス

Turbulence.jpg

Turbulence
1997年
アメリカ

ロバート・バトラー監督


ローレン・ホリー、、、テリー・ハロラン(客室添乗員)
レイ・リオッタ、、、ライアン・ウィーバー(凶悪殺人犯)


何故か録画されていたので観てみた、、、。
この映画はレイ・リオッタのための映画であろう。
「グッド・フェローズ」でもバカ笑い(おべっか笑い)がとても印象的であったが、これはもう、、、
彼の独壇場であった。
初っ端に警官に逮捕され、その後の流れで本人が主人公に述懐するように、実は冤罪を着せられた良い人なのか、、、と思いきや想像を超える狂気のサイコ殺人犯の本性を剥き出したようにも見え、結局は捏造された証拠で自分は死刑になるところから来る自暴自棄なのか、、、着陸せず何処かで墜落したいみたいな、、、微妙に反転しつつ緊迫した線を貫いてゆく。
ここの綱渡り、、、文字通りこれは高度の異常に高い綱渡り映画であり、、、とてもハラハラさせられる。
しかしそのハラハラが、主人公テリー・ハロランのいい加減さからも大いに来ている。
どうやら少し気弱でお人好しとか、世話焼きというのではなく、集中力のない判断力不足の間の抜けた女性なのだ。
現在置かれた状況における行動の優先順位が付けられない人である。

わたしは、この主人公には、ある意味サイコのライアン・ウィーバーよりびっくりさせられた。
飛行中にも関わらず旅客機の機長は殺され副機長も自分で頭を打って死んでいる。
乗員乗客は拉致され、ライアン他ひとりの犯罪者を護送してきた警官は4人とも殺されている。
乱気流も確実に進路上に控えている、そんな危機的(いや、絶望的)状況下にあって、、、

誰も操縦する人間がおらず、ようやくわたしが管制塔からの指示に従い飛行機を無事に着陸させねばならないと決心した矢先に、ライアンに友達が怪我したから救急箱持って手当に来てくれと呼ばれて、再三担当刑事から全て嘘だから絶対に取り合うなと言われているにも関わらず、乱気流突入直前も分かったうえで、平気で操縦桿から離れて階下の客室まで箱を持って降りてゆくのだ。
この神経は異常だ。
彼女がその友達を頼りに(依存)してきたのは分かるが、そんなことをしている場合か、、、と思わずパソコンモニタに向かって叫んでしまった。わたしも乗せられやすい、、、。いいお客だ(爆。
友達はすでに殺されているし、これまでの流れからも少しは想像力を働かせるべきだ。
普通、この飛行機をコントロールできるのは今自分しかいないと悟り、乱気流に突入することも知らされていて、操縦室を平気で後にするなんて、まず有り得ない。管制塔からの機体のコントロールについての指示が出ている最中に、、、。

少なくとも、多少はライアンのいうことに信憑性を覚えて友達の怪我が気になったなら、操縦室のドアを一瞬開けて、救急箱を外に投げ出し、これで頼むわね、と任せればよい。自分が医者なら別だが救急箱があれば、どちらが診ても同じであろう。
だいたい、ライアンが何を企みどう出るか、極めてリスキーなのはもう十分に分かっていることだ。
飛行機が都市の上空から墜落すれば、乗客はおろか、飛んでもない数の死傷者の出ることは明白だ。
客室乗務員としての自覚がない。

結局、テリーは、ライアンに散々おちょくられ、言いくるめられ騙されつつも、旅客機の優秀な自動操縦の機能にも救われ、次第に逞しさを極限状態のうちに身につけてゆく。ライアンは多分にテリーに惹かれるところはあり、テリーも彼に微妙な好意は覚えていたことは確かだ。しかしやりすぎた。ライアンはテリーに撃ち殺される(これはライアンが仕向けたところでもある)。

最後はFBIに戦闘機によってロサンジェルス上空につく手前で撃墜されるところだったが、それを強く拒否し(誰だって拒否する)、「わたしにチャンスを頂戴。必ず自分の手で着陸させてみせる」、と言い切るほどしっかりしてくる。そして指示を出す地上の機長の言うことを確実に実行し、無事着陸させる。
(ジェット戦闘機のパイロットの命令に背き彼女を支援するところも何ともクールである。「アウト・ブレイク」にもそういう場面はあった)。
ライアンが言っていたように、乗客は皆殺しにはされておらず、監禁されていただけであり、彼が故意に狂態を演じている部分はあった。これは、刑事に証拠を捏造された当てつけでもあったことは分かる。


この映画は、刑事と地上から誘導してくれた機長に迎えられ、よくやったと賛辞をもらうテリーの途轍もない逆境を通し短時間で見違える程に成長した姿を描いた青春根性ドラマであったことを知る、、、。
彼女、出世間違いなし(爆!
(とは言え、クリスマス・イブに11人の乗客で飛行機飛ばしている会社である。厳しいといえばかなり厳しい)。





時間についてほんの一言

sands of time

モーガン・フリーマンの顔を見て思い出した。
昨日観た映画もある意味、時間との闘いとも言えるスリリングなものだ。
しかし、時間を考え出したら、これは結構、厄介である。

そもそもこの時間体験はどこから生じるか、、、
われわれの身体の大きさレベルにおいては、熱から生じている。
物質と熱の相互作用が目に見える変化を生むため、時間を体験する。
熱力学の法則により、物体は低エントロピーから高エントロピーへと一方向に向かってゆく。
それが時間の矢と見える。
時計の針と相関する。
(変化~動きの相関関係としての時間)
勿論、われわれ生命は大きなエントロピーの矢のなかでの非平衡開放系~ネゲントロピーに属している。

しかし、その熱はあくまでも統計学的な見地におけるこの世界の大きさにおけるものであり、素粒子レベルでは通用しない。
つまり、ニュートン的な日常のスケールのなかでのみ馴染むものである。
量子力学に”t”がそぐわないことは当初から問題になっていることで、時間概念を外した量子論を作り直している人も少なくない。
素粒子の相互作用の世界には”t”が当てはまらないのだ。少なくとも”t”だけ単独では取り扱えなくなっている。
光に対して時間と空間というものが個別に扱えないことは、アインシュタイン以降、もう前提となっている。
時間だけをとりだした考察はもうできない。
素粒子間の相互作用を正確に把握できないためわれわれは、エネルギーを統計学的な(平均値で)温度としてとらえている。
素粒子の運動そのものには、時間的方向性はない。

そんな時間がわれわれという段階の生に必要な尺度に過ぎない幻想であると述べる物理学者もいる。
モーガン・フリーマンのナビゲートする情報番組をたまたま観ていたらこの話が特に気になった。
時間の矢(エントロピーの矢)は絶対であるということを前提に話している科学者の噺は退屈だった。


時空連続体を「粒」として面白い見解を(学説を)述べていたのが、その次に登場した女性科学者であった。
その粒が連続的に生み出されてゆくというもの。
流れるのではなく、時空が非常に短いスパンで連続的に生成されていくのだ、というものである。
もともとこういった理論はイメージは不可能である。
(科学理論を比喩などに変換すると大概間違ってしまう。12次元理論など、イメージのつくものであるはずない)。


そもそも時間があるとかないとかどちらかに決める必要はあるのか、、、
取り敢えず、日常時間は時計で測って過ごせばよろしい。うちでも目覚ましで子供は起きている。
そもそも時間というものは、こういうものですと解明されたとしても、われわれの身体的実感として馴染むものかどうか、疑問である。

わたしにとって、とりわけ魅力を感じる時間は、「永遠」と「瞬間」だ。
いやそれ以上に吉本隆明氏の「固有時との対話」の「固有時」だ。
アインシュタイン以前に、このような時間の観念は出てこなかったと思われる。

日常の「時計時間」も(古典)物理学の「時間の矢」もある意味で正しいとはいえ、無粋な気がする。
やはりキリスト教の作った時間神話の定着なのか、、、世界の創成から終末をリニアな線で表わしてしまったことの。
ニュートンはそれを科学的に保証し時間の矢を絶対化し強固なパラダイムと化した。
日常生活において、常識以前の前提となってきた。
日本は、、、と言っても、仏教であるが(仏教が身体化したひとはそれほど多いとは思わないが)、「現在有体過未無体」(人間存在~現象界は、現在現れているかぎりにおいては実有であるが,過去,未来においては無である)は、ある意味西洋の最新の時間論~物理理論に通じるものはある。

西洋でもニーチェの永劫回帰などの思想も唱えられたが、むしろ異質な思想であろう。
(ギリシャ哲学においては、循環的な時間概念も唱えられていたが)。
社会通念に影響を及ぼすには至るものではない。やはり大きいものはキリスト教の教理というより世界観だ。
すでに絶対時間(線状的時間)と絶対空間(均質空間)が確立されていた。デカルト~カントに及び。
そして成長、発展、進化、、、などの社会通念が時間観念を地固めしてきた。


だが、今世紀に入ってからいよいよ、時間はない(われわれの意識が要請する物語)というひとから、時空連続体を前提とした、観測者のいる系の速度により伸び縮みする時空(これはアインシュタインが初めから言っていたこと)や、生成され続ける時空の粒まで出てきている。


何にしても、「時間」というかたちで何かが語れることは、なくなって行くとは思われる。


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