初恋

2006年
塙幸成監督・脚本
中原みすず原作
1968年12月10日に起きた「3億円強奪事件」の真相を明かす物語、、、
かなり斬新な設定である。
宮﨑あおい、、、みすず
小出恵介、、、岸
宮﨑将、、、リョウ
小嶺麗奈、、、ユカ
柄本佑、、、タケシ
青木崇高、、、テツ
松浦祐也、、、ヤス
彼らは、ジャズ喫茶「B」をたまり場とする。
しかし、そこで何を話すでも企てるでもない。
何となく集合しているだけだ。
現状を確認しているだけだ。
殺伐とした諦観の内に皆が沈み込んでいる。
外では刹那的で衝動的な暴力絡みの生活に明け暮れている。
リョウはみすずの実の兄。(その関係でみすずはこのバーに来ている)。
その関係は、表立っては誰にも明かさない。
だいぶ昔のこと、TVのニュース特集で観たのだが、女子校生が自分が必要とされているところなら、そこで何でもやると言い右翼の宣伝カーに乗ってアグレッシブに活動している姿が印象に残った。
この映画の主人公みすずも、孤独に耐える生活を強いられている。
父を幼くして亡くし、母が兄を連れて消えてしまい独り残され、望まれずに親戚に預けられる。
高校生の多感な時期に、この境遇は厳しい。
みすずはあるとき「お前しかいない」と言われ内容を聞く前に、岸に「やってくれるか」と問われる。
彼女は、自分を必要としてくれるなら、何であろうが「やるよ」と返す。
しかし、その計画―内容は政治的な意図を持ち、同時に犯罪にほかならない。
もしこれが、オウムのようなテロであったら彼女ならどうするか。
まだ、全体を俯瞰して行うものならその内容を掴み多少なりとも判断の余地も残ろうが、テロ行為の一端を担わされ、受け持った行動の総体的意味―結果が判らない場合など恐ろしい。
それでもやってしまうか、、、やりそうな気もする。
自分を何かに繋ぎ留め、日常を変えたいという気持ちが何より大きいのだ。
(実存の空虚に耐えろと言ったのは、シモーヌ・ヴェイユか)。
みすずは、岸の勧めで表向きは自転車屋の主、柏田(藤村俊二)にオートバイと車の運転を習う。
そこで、柏田の手伝いをしながら、メキメキ運転技術は上達してゆく。
但し、免許はとらない。
決行当日、雨がひどく、白バイが泥濘に嵌まりこんだり、併走したトラックの荷台シートが落ちて絡みついて来て取り除けなかったりのアクシデントから、シュミレーションからみてかなりの時間をロスしてしまう。
彼女は、やはり変えられないのか、、、ダメか、、、と諦めかけたその時、眼前を現金輸送車が通ってゆくではないか、、、。
偶然、先方も予定から遅れて走って来たのだった。
「うそ、、、!」後は練習通りに輸送車を止めたらこっちのもの。
中の人間を爆弾が仕掛けてあると言って脅して車外に出したところで車を乗っ取り逃げるだけ。
あっけにとられて、発炎筒を覗き込むだけの職員たち、、、。
上手く行き過ぎて、気の抜けたような2人。
それで、もうお別れであった。
「また会えるよね」というみすずに「ああっ」とだけ微妙な返事を返して。
ここに、いや全体に漂うのは、ニヒリズムだ。
それに窒息しそうになりながらも、なんとか生命力は燃やし続ける。
だが、虚無の呪縛は重い。
ここ「B」のメンバーは、主人公の2人以外で夭折していないのは、離婚して家業を継いでいるユカだけだ。
岸は、ずっと行方不明のまま。
3億円はとっくに時効であるが、札は今日まで一枚も使用されていない。
みすずが岸の借りていたアパートに、大学入学後に移り住み、彼をやるせなく待ち続けるある日、彼がいつも読んでいた本のページを捲ってゆくと、彼女への一生に一度限りの純粋な初恋の想いが綴られていた。
この気持ちを告白すれば、彼女の瞳を曇らせる方向にしか向かない、ということから彼は想いを封印して別れたのだ。
と言うより、岸は全て父親の側近に事件について調べ上げられており、日本に留まる事が出来なかった状況でもあった。
みすずは、女性で無免許であることから、捜査が及ぶ可能性は極めて低かった。
宮崎あおいのMTの車の運転やバイクに乗る姿がとても健気で可愛らしかった。
当時の車やバイク、街並みに部屋の家具・電化製品など、わたしも当時を知る(あまり覚えてはいないが)者として、よく雰囲気は演出されていたと思う。
宮崎あおいにとっては、実生活でまず乗ることなどない車を運転した貴重な体験ではなかったか。
相変わらず宮崎あおいの絶対的な存在感が、物語を支えていた。
演技が上手いとかセンスが良いとか、そういったレヴェルではない。
こういう女優―存在は、滅多に出ては来ないだろう。
「害虫」をふと思い出す場面もあった。
