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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ダンサー・イン・ザ・ダーク

dancer001.jpg

Dancer in the Dark
2000年
デンマーク
ラース・フォン・トリアー監督・脚本
ビョーク音楽
ビョーク2作目の主演。(1作目は「ネズの木」

ビョーク、、、セルマ
カトリーヌ・ドヌーヴ、、、キャシー


音楽と踊りは、いつも突然始まる。
そしていつまでも終わらない。
(クラフト・ワーク)

最後から2番目の歌。
巨大なウエディングケーキのようなグランド・フィナーレにゆく前の。
最後から2番目の歌を聴いたら。
カメラが上がってゆきラストの合図が出る前にホールを出てしまう。
最後の歌は聴かない。
永遠にミュージカルが終わらない魔法の方法だ。
よいことを教わった。

工場の残業で始まるインダストリアル・ミュージカル。
あらゆる機械音が突然、大いなる喜びに共振する。
リズムとメロディの洪水が誰をも巻き込む。
ささいな色と鈍い光とぼやけた陰が、ビビットで優しく清らかなステージライトに変幻する。
一瞬にその場所は、めくるめく夢の世界へ接続する。
全く新たな時空の生成。

そうだ。
そこは極限なのだ。
飛躍的な共感の。

個人的な苦痛や悲しみから最も遠く離れた場所に生じる振動。
非主体的な身体の身振り。


これは確かに音楽やダンスばかりではない。
絵画も彫刻もそうだ。
小説だってそうだ。
例えば、胸を病んでいるカフカにとって唯一の喜び、快楽は書く事だけであったはず。
ひたすら非主体的に書くことのみ。
中心のないところに終わりはない。
無限に物語は精緻極まりなく機械状に記述され、喜びは持続する。
彼は作品の朗読会でもマックス・ブロートらと腹を抱えて、大笑いをしながら読みあったという。

日常がどのような苦痛と悲しみの文脈にあろうが、機械的に生成される芸術とは原理的に喜びでしかない。
ミュージカルが続く限りは。

ミュージカルを終えないようにする方法が必要だ、、、。

その原理が、苦痛や否定や支配・抑圧を原理とした道徳や宗教・政治権力に封じ込まれると、突然われわれは死刑を前にした人生に立ち戻っている。
暗く殺伐とした視界の中に立ち惑う。
何故、わたしはこんな刑を背負い込まざる負えなかったのか、、、。
カフカはそれをも面白おかしく淡々と精緻極まりない記述を機械的に続け、喜びと化したが。

やはり”Music Non Stop”である。


ビョークには言葉もない。
ビョークが音楽も担当。圧巻であった。(ビョークのMV的魅力にも溢れる。不可避的に)。
レディオ・ヘッドのトム・ヨークとのデュエット曲もある。
「わたしはもう見た。」
「見るべきものはなにもない。」
セルマを陰日向に支えるカトリーヌ・ドヌーヴの抑えた地味な演技がいぶし銀であった。


どの音もビョーク以外の誰のものでもなく、、、

急にビョークの音が無性に聴きたくなった。
”Biophilia”と”Vulnicura”を聴き耽った。
圧倒的な強度―差異である。



火星のカニ

Mars001.png

火星に「カニ」がいて、その移動の軌跡の画像がNASAに届く。
火星探査機「キュリオシティ」撮影の微妙な解像度の写真だ。
なんでも、激写されたらしい、、、。
確かに移動の軌跡らしきものは見られるが、肝心のカニの形が不明瞭だ。
その形から、何故「カニ」としたのか根拠も分からないのだが。
(絶対カニと言うなら食ってもらいたいものだ)。

「こびとのゲート」というものもある。
自然の造形は様々なものを連想させるものである。
地球上の岩石においてもそうだ。
そういうものはわれわれの子供時代の道端に幾らでもあるではないか。
月面に「うさぎの餅つき」だって日本人は長いことみんなで投影してきたものだ。
(それは穏やかに、、、)。
「ゲート」のひとつやふたつ、どこにあっても可笑しくない。
その気になって探せば、地球上にもあるだろう。
しかも何らかの特殊な建造物であれば、それだけ孤立してあるというのもどうか。
環境(遺跡という場所)として見た場合。

あらゆる面から、主体・理性・人間自体の限界が露呈している。
この社会は閉塞感に窒息寸前だ。
外部に何らかの主体・理性・人間を求めたい無意識―欲動が発動するのは、無理もない。
見たいという言語作用で見えるものは少なくないはず。
かつてユングもUFOの存在を人間が調和や平和を求める象徴的形態(円形の完全性)として虚空に描く無意識であると説いたことがある。(実際のUFOの破片のニュースでがっかりしたとか、、、)。
火星にはすでに、「タコ」「うさぎ」果ては「体育座りをするおじさん」まで登場してきている?!
更に火星上空をUFOまで飛んでいたと、、、。
火星にとってみれば、「キュリオシティ」自体が立派なUFOだろうが。

原始生物の存在はやがて確認されるにしても、、、。
この性急さ安易さ尋常ではない。
(また、何かの要因でコロッと飽きられるかも知れないが)。


宇宙―われわれの外に生きる生命体―他者への夢はいよいよ募ってきたことは確かだ。
外部といえば、以前火山の火口を出入りするUFOのことを取り上げたことがある。
確かに今も地底王国の存在など一部、取り沙汰されている。
(いつも一部で、ではあるものの(笑)。
それなら、深海も放っては置けまい。
(こちらは堅実な捜査が静かに続けられているのだが)。


しかし一見外部(未知)の領域への視線に感じられて、やはり完全に内部のありふれた物語である。
既視感とお馴染みの感性に塗れた日常の噂ー都市伝説レベルのネタに過ぎない。
すべては自動的に呑み込まれる。
そしてあいかわらずの反復があるのみ。


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