いつもの公園まで歩く

長女と以前、歩いて行って帰ったこともあり、わたし1人なら気楽に行って帰ることのできる公園には違いなかった。
雨が降る前には、行って帰ってきたい。
そこで足早に歩いた。
何故歩くかと言えば、運動の為である。
血圧が低い日は、早朝に歩くことに決めた。
病院の雑誌にこれでもか、というほどRUNに勝るウォーキングのメリットが書かれていた影響を受けたのだ。
よくある健康本だ。
車でいつも行く道の歩道を歩いていたが、排気ガスをこれほど吸いながらそこを歩く必要はあるまいと感じ、脇道を途中から選んだのだが、、、。
脇道はどんどん脇に逸れるばかりで、公園方面から遠のいていくのだ。
折角、緑舗道みたいなところに入ったのに、これは虚しい。
いよいよ遠ざかってゆく。
道なりにしか歩けない不自由さに愕然とする。
カフカの「城」状態になってしまうではないか。
車や自転車ならすぐに戻ることができるが、徒歩だと修正に費やすエネルギーがかなりのものになる。
徒労感のダメージがのしかかりつつ何とか戻った。
やはり素直に大通りの車道脇の道をひたすら歩くのが近かったと思い知る。
脇路に入るとかえって突然車がスレスレに入ってきて危ないことも分かった。
特にバイクである。
かなりの速度で曲がってくる。
日頃歩かない道を実際に歩いてみて道路事情を知った。
足早に歩いて調度一時間かかった。
そんなものだろう。
缶コーヒーを飲んで、噴水近くでマイナスイオンを浴び(その気分に浸り)、木漏れ日の道で森林浴をして、すぐに帰路に着いた。
降りそうな気配である。
「うまみ」というコーヒーを飲んだが、面白い味の缶コーヒーが出たものだ。
ちょっと意外だった。
帰り道はいつもの車道脇の歩道をそのまま歩いたが、かなり歩きにくかった。
自転車である。
やはり車道は怖いので彼らも歩道を走る。
右側走行の自転車がかなりの速度で背後からすり抜けてゆくと、ビクッとする。
勿論、前方からも来るが、それには準備できる。
だがやはり多少のストレスは感じてしまう。
スポーツ公園にあるジムでトレーニングするのとどちらが良いか考えながら歩いた。
結局公園でのんびりできる方に決めた。
時間的に、だだっ広い芝生にほとんど誰もいないのだ。
そこが待っているなら、途中はそこにたどり着くまでのゲーム的な道程である。
それはそれでよしとしたい。
道にも慣れてくるはずだ。
考えてみれば、これまで健康を目的にした時間というものをこんなに取ったことがないことに気づいた。
ストレッチを何かのついでにした記憶はあるにせよ、しっかりした体操などわざわざした覚えがない。(忘れてるだけか?)
わたしのなかでは、単に健康のために時間を費やすということに価値はなかった。
眠ることの重要性に最近、気づいてきたところである。
サーカディアン・リズムは血圧にも大いに関係するという。
そう、自分に最適なリズムを得る為に時間を割り振る事は、認識面においても肝要ではないか、と感じる。
歩くことは、続けてみようと思う。
脚が鈍感になっているのか、、、筋肉痛とかこれといった疲れの感覚はない。
今後どうであるか、、、。
顕著な変化があれば、報告したい。