トランセンデンス

Transcendence
イギリス、中国、アメリカ
2014年製作
ウォーリー・フィスター監督
ジャック・パグレン脚本
主人公 ジョニー・デップ
その妻 レベッカ・ホール
親友 ポール・ベタニー
恩師 モーガン・フリーマン
AIが極まった時、ヒトはそれにどう反応し、対応するか?
AIとはかけ離れた、ヒトそのものを逆照射しないテクノロジーであれば、大衆感覚を逆撫でする事は少ないと思うが。
「貴方は神になろうとするのか?」
という拒否反応がどうしても出てくるだろう。(特に宗教家などに)。
ジョニー・デップによって何度も繰り返される言葉「ヒトは解らないものを怖れる」
これから先も魔女狩りが起こる可能性はある。
歴史的に見ても、パラダイムを超えてしまった学者や芸術家の悲惨な運命は少なくはない。
しかし、科学や哲学、芸術においてヒトは少なくとも神の摂理を知ろうと事象の始まりと終わりに関して、そして最も根源的で至高のビジョンを得ようとする欲動の元、弛まぬ探求を続けて来たはずである。
文明が滅びない限り、後戻りはない。
(誰も知る前には戻れない)。
この映画のように、意識-自我がデータとして転送でき、ネットを通してそれが無限成長することが 可能であれば、ヒト自体の概念が一変する有史以来最大の事件となろう。
管理者の身体は地球及び歴史そのものを覆い尽くす。
生身のヒトもいなくなり、みなハイブリッド化し、やがて病や怪我などの苦痛からも解放されてゆくだろう。
これまでもヒトの身体性は、文明と自然史と共に幾度もの変質を遂げて来たはずだ。
ナノロボットのアイデアは特に秀逸だと思われる。
ネットワークと無限増殖するナノロボットがあれば、地球環境の究極のコントロールが可能なはずである。
(当然戦争などに利用されれば、とんでもない事になる。その管理が困難を極めるであろうが)。
その他にも取り分け印象的であったのは、AIをヒトの意識の転送データをベースに創造してゆくという方向性と、AIが人々に脅威を与えるのではなく、人々の共通意識こそが足枷となり、脅威をもたらす危険に満ちているという点である。
結局、ジョニー・デップ演じる天才博士が最大の犠牲者であり、愛する科学者でもある妻や親友の科学者、更に恩師にも理解されなかった事は本当に切ない。(死ぬ直前に妻は解ってくれたが、余りにも遅すぎる)。
ただ、博士もヒトの内面・心情を大ピラに探るようなことは、すべきでなかった。
生理的に嫌悪感を持つことは、当然であろう。
生体としての防衛本能からではなく、観念の動物であるヒトとしての拒否反応である。
端的に言えば、デリカシーが必要ということか。
その違和感が妻を感情的に疎外した面は小さくない。
それにしても、モーガン・フリーマンが愚かな役をやるのは、抵抗がある。1人くらい理解者がいてもおかしくないはずだ。
しかも演技自体に冴えがない。(あまりこの役に乗り気でないのか?)
寧ろ1人くらい理解者がいる方がストーリー的にも自然である。
この点は少し残念であったが、科学技術の発展に人々が管理・翻弄されるという月並で陳腐な内容ではなく、確かなメッセージをもった刺激のあるSF映画であった。
最後にウイルスデータで環境を浄化する彼の計画が頓挫するが、この天才博士自身の再生現象と取り敢えず切り離し、この画期的な環境浄化及び医療システムまで、チャラにしてもったいなくないのか?
妻は、これが自分が理想と思い描いてきた世界に繋がるとは気付かなかったのか?
博士の研究を葬る過激派と言われる連中も、多くはこのように非常に保守的で無明な集団であることが多い。
博士の庭で、密かにナノロボットが活動を続けていた(スタンドアローンで生きていた)ことが僅かな救いか?
そこからの増殖が期待される。
相変わらずジョニー・デップの役作りには説得力がある。
親友の科学者も葛藤する内面がよく伝わってきた。
妻も熱演であったがやや平板な感じが否めない。
ただ1つ、わたしとしては意識の対象化について、あの保守的な親友科学者に同感である。
前提をそのまま認めて見る分には、充分見応えある映画であった。