ユナイテッド93

9.11について何らかの情報を発することは非常にナイーブな問題が絡んでくる。
また映画である以上、それがドキュメンタリーであろうが、創作である他ない。
しかし、すでにわれわれが現実と呼ぶものも、2重の意味で編集・創作されている。
知覚認識における遅延-分節化による言語的編集・創作。
さらに、当の表象自体が不可視の意図によって創作されている場合が考えられる。
それらも踏まえたうえで、如何にフィクションで事の真実に迫れるかがこの映画の狙いであると思う。
”UNITED 93”
2006年アメリカ
ポール・グリーングラス監督・脚本
昨日とは違う角度、ハイジャックされた航空機からの映画である。
2001年9月11日。この日、旅客機4機がハイジャックされた。
その複数の飛行機は2機がワールド・トレード・センターに突っ込み、1機はペンタゴンに。
93便だけが乗員の抵抗により目的が阻止されたと言われる。
機は、ホワイトハウスを目指していたが、ペンシルバニア州シャンクスビルに墜落した。
十字架のように地面に突き刺さっていた。(youtubeの映像)
乗客・乗員全員死亡。
16kmに渡って遺品が散乱しており、地元住人によってそれらは集められた。
”UNITED 93”
遺族の言葉を聴いて作られたフィルムだ。
遺族にとってこの事件は、何年経っても昨日のように苦痛を伴い蘇る。
しかしその真実を伝えたいという意志でこれは完成をみた。
「真実を語るには最善の方法だわ。」(遺族の女性)*
「映画化するのは、無か全かの選択だった。それ以外にありえない。」(遺族の女性)*
「(ビン・ラディンを憎むか、に対して)ぼくは知らない人間を憎めない。この事件自体が憎しみの結果だ。」(遺族の男性)*
役者はその役を演じる当人の遺族と会い充分に人物像を固めて役作りをしたようだ。
その日のユナイテッド93の真相が描かれている。
胸の痛みは半端ではない。
聖書を唱えるヒトとコーランを唱えるヒト。
この映像が何度も現れる。
最期に縋るものか。
どちらも自らの信じる道を歩んできた。
何れも犠牲者であり同時に英雄でもある。
ハイジャックされたことで乗客はショックを受けるが、当初は身代金目当てで、人質とされても空港に着陸後救出されると楽観する向きもあった。
しかし、ワールド・トレード・センターにハイジャックされた旅客機2機が突っ込む自爆テロが起きたことを一人の乗客が知るに及んで、機内の緊張は極限に達する。
これまで、犯人に従順に刺激しないようにしていた乗客たちの意思が変わる。
「絶対に目的を遂げさせてはならない。」
「自分たちも助かるための最善の努力をする。」
この共通意識が乗客を繋ぎ、犯人たちに挑みかかる。
武器となる物を集め、集団で決行する。
目的は半分は叶った。
この映画の制作を機に、彼らの遺族同士が固く繋がる。
家族以上というヒトもいる。
自分の子供を演じた役者にまさに当人を見た人もいた。それは複雑な気持ちであろう。
映画は、一切演出・役作りを感じさせない、淡々としたドキュメンタリーのごとく刻々と進展してゆく。
過剰な内面描写など無く、本当に起きたことだけを、描写しようとする。
乗客に対する共感というより、身体的な緊張に共鳴する。
辛く苦しい。
「真摯な映画だった。犠牲者として描かれていなかったことが嬉しい。敬意が感じられた。」(遺族の男性)*
「記憶が蘇り、現実を突きつけられた。この映画に対しては誇りに思う。」(遺族の男性)*
「よかったわ。クダラナイお涙頂戴のドラマになっていなくてホッとした。」(遺族の女性)*
*全て遺族へのインタビューより。
日本も広島・長崎の本格的なフィルムを作るべきでは、、、。
旅客機の高度でこの当時、携帯が地上に繋がるかは、この映画では問題にされない。
(終盤は恐ろしく低空飛行になっていたが)。
実際に家族へ最期のメッセージは何件も届けられてはいる。
この映画のように、コクピットの扉はこじ開けることが出来なかった事は、確認されている。
ここで描かれている事実を根本から否定する「陰謀説」も当時散見された。