
ゲイリー・オールドマン 、、、ドラキュラ伯爵
ウィノナ・ライダー、、、ミナ・マーレイ / エリザベータ
アンソニー・ホプキンス 、、、エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授 / 司祭
キアヌ・リーヴス 、、、ジョナサン・ハーカー(ロンドンの弁護士)
サディ・フロスト、、、ルーシー・ウェステンラ(ミナの親友)
リチャード・E・グラント 、、、Dr.ジャック・セワード
ケイリー・エルウィズ、、、アーサー・ホルムウッド卿
ビル・キャンベル 、、、クインシー・P・モリス
トム・ウェイツ、、、R・M・レンフィールド
モニカ・ベルッチ 、、、ドラキュラの花嫁
ジェイ・ロビンソン、、、 Mr.ホーキンス(ジョナサンの上司)
Bram Stoker's Draculaとしてコッポラ監督による原作に忠実なドラキュラ映画。
1992年アメリカ制作、ゴシックホラー映画である。
ゴージャスな作品で、見応えは半端ではない。
美術装飾・衣装デザイン・撮影・キャスト全てが豪華絢爛である。
ルーマニアのトランシルヴァニア城の城主であったドラキュラ伯爵の悲恋物語と言えよう。
昨日は特殊メイクに目を奪われたのだが、今日は圧倒的に衣装・美術である。
アカデミー賞で衣裳デザイン賞(石岡瑛子)を受賞している、その衣装が尋常な迫力ではなかった。
わたしは、石岡瑛子氏についてはほとんど知らない。
名前は知っており、それとなく気にはなっていた世界で活躍するデザイナー(アートディレクターか?)である。
ドレスの類は勿論だが、紳士のフォーマルスーツや甲冑そしてガウン、花嫁衣裳の超時代性には驚いた。
また、何と呼べば良いのか、あの最後に身につけていた金の装束である。
クリムトも多分に入っていたことは分かる鮮烈なものだ。
雄弁でソリッドで躍動的なフォルムであり線だ。
官能的で高貴で怪奇な雰囲気が全編を満たしていた。
石岡瑛子氏はコッポラに拘っていたらしい。
彼の監督映画で、ひとつ魅せようとしたのだと思う。(恐らく)。
やはり赤が際立っていた。
PARCO劇場のポスターや西武美術館の「NUBA」(レニ・リーフェンシュタール)のポスターでも赤は印象深かった。
日本人であるが、いかにもジャパネスクという要素はない。
しかし、時空において超越的な造形を0から行ったような潔さを感じた。
そう言えば、彼女の映画美術デビュー作"MISHIMA"はまだ、日本上映は封じられたままか、、、。
ぜひ見てみたいArt directionである。
金閣が真っ二つに割るという、、、。
わたしは彼女が演出したビョークの"Cocoon"を何故か持っていなかった。
慌てて今日、注文した。(ビョークのヴィデオは全部持っていると思い込んでいた)。
曲はよく聴いたものだが、PVはビョークの白い肌の上を、赤い紐が繊細で奇妙な動きをしてゆく印象が強く残っている。
何というか、脚本を読み、時代考証を元に監督の構想も受けてデザインをするはずだが、Visualizationというものは、取りも直さず、創造行為にほかならない。
また、チームであたることの難しさも当然あるに違いない。
どれだけの想像力と手順・段階を経て具現化するのか、久々にそんなことを漠然と想い巡らした。
"Discipline"が肝心なのだろう。
(そういう感想が自然と湧いて来る)。
このような意匠へ到達するまでには。
映画であるが、日記形式で進んでゆく。
原作もそうみたいだ。
フランケンシュタインや
狼男との大きな相違点は、「性と死」が極めて濃密に描かれることだ。
であるから、最も純文学として高められるポテンシャルを持っていると言えよう。
ある意味、人間に関することをすべて持ち込む余地はある。
性愛から神(影の存在)との関係まで、全てが入り込む。
更に、環境的には城主様であり上流階級のパーティーであり、装飾的にもいくらでもアイデアを凝らせる場である。
ただ、尋常ではないのは、ヒトの血を吸わないと滅んでしまうということだ。
吸われた人間も吸血鬼と化してしまう点である。
この究極的な点において、社会から追いやられる宿命をもつ。
しかしこの乾きは、血=愛でもある。普遍的テーマだ。
映画作りには、やりがいが充分な題材ではなかろうか。
恐らく、作る人によって主題は多岐にわたるだろう。
(それで夥しいドラキュラが跳梁跋扈し始めた)。
コッポラの本作は、ドロドロした永遠の純愛とでも言ってしまいたくなるような、物語になっている。
これぞデフォルトのドラキュラではなかろうか。
わたしとしては、ヴァン・ヘルシング教授の存在が大きかった。
久々にアンソニー・ホプキンスに会えて嬉しかったものである。