ビューティフル・マインド

「現実」をどう手懐けるか。
自分だけの現実が厳然と存在し。
客観的に実在する現実は基盤としてある。
どちらも確かに存在価値を持つが過剰であり過酷である。
二重に重なる現実を病とすれば、我々にも少なからずその病はある。
彼の学生時代に現れた親友は誰もが持つ自分の影だ。
自分だけでは出来ない大胆な行為を影はそっと背を押して実行させてくれる。
窓から机を投げ落とす快感。
こんなこと一人で出来るか。
それは研究においても。
必ずしも病はマイナスではない。
彼はおまけに尋常な社会性も持ち合わせていない。
彼の自尊心は数学的な才能だけに支えられる。
それが彼を高邁にもさせ、孤独にも追いやる。
しかし彼は他者と真に共有出来る現実を希求していた。
全てを支配するシンプルな数学的理論によってそれはきっと実現できる。
冷戦下にソ連の暗号のコードブレイクに任用され高く評価される。
政府からの仕事のストレスと冷戦の不安は過敏な彼の神経に大きく響く。
もしかしたらカーチェイスと銃撃戦もしてみたかったのかも知れないが。
自分だけの現実が病として対象化されるにつけ、彼はその現実~幻想に秘密裡に対処しようとする。
その力が妻や大切な人に及ぶことを恐れ。
力は次第に強まり日常生活に明らかな支障を及ぼすまでになる。
この混乱を戸惑い葛藤しながらも受け止める妻の愛情。
膨張し彼の現実を侵食し尽くそうとする病から彼を救ったのはやはり妻だ。
彼が苦痛にもがきながらも求め続けてきたのは最適化された現実だった。
妻にも親友にも受け入れられる現実。
秘密裡に暗号解読を脅迫的に続けながらも、次々に発表する論文。
そしてアダムスミス(見えざる手)を覆す均衡理論。
彼の求めた理論がようやく誰からも受け容れられる。
まだ彼だけの幻想~現実はしっかり内包されて存在するが、彼はそれをすでに手懐けている。
もはや誰もがもつ心の中の他者に過ぎない。
ノーベル賞授賞式のありきたりなスピーチに見えて全くその言葉通りの鮮明な意味。
彼のテーブルに学者たちから一つまた一つ置かれてゆく万年筆。
これが彼の長年に渡る苦闘の末に勝ち取った現実だ。
ラッセル・クロウとジェニファー・コネリーの繊細で抑えられた迫真の演技に圧倒された。
監督の演出、脚本、他のキャストも完璧である。
ジョン・ナッシュ夫妻のご冥福をお祈りします。