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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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シャレード

Audrey Hepburn07
Charade
1963年
アメリカ

スタンリー・ドーネン監督・製作
ピーター・ストーン脚本
H・マンシーニ音楽

オードリー・ヘプバーン 、、、レジーナ・ランパート(未亡人)
ケイリー・グラント 、、、ピーター・ジョシュア(謎の男)
ウォルター・マッソー 、、、ハミルトン・バーソロミュー(情報局長)
ジェームズ・コバーン 、、、テックス(元OSS金塊強奪犯)
ジョージ・ケネディ 、、、スコビー(元OSS金塊強奪犯)
ネッド・グラス 、、、ギデオン(元OSS金塊強奪犯)
ドミニク・ミノット 、、、シルヴィー(レジーナの親友)
ジャック・マラン 、、、グランピエール警部(司法警察)
             *OSS、、、CIAの前身

”MISS HEPBURN CLOTHES BY GIVENCHY”が売りでもあるようですが、、、わたしには、基本的に何着ているのか分からないもので。いつもながらファッショナブルだな、とは思いますが。
サスペンスとしては見応えがありました。
絶えず疑いと心を許しかける振幅が続く、レジーナ(ヘップバーン)のストレスは伝わります。
かなり早いうちに真犯人は分かってしまいますが、それは鑑賞するうえでは重要なことではないでしょう。
サスペンス仕立てのラブコメですから。

しかしどうもこれまでに見たヘップバーンの役柄の中では、感情移入しにくいものでした。
25万ドルの金を巡り、誰がそれを隠し持ってるのか、誰もそれを知らないのか、誰が殺人犯なのか4人(実際は5人)の男とヘップバーンの心理戦ではあります。
疑心暗鬼になったり、思いっきり信じてみたりの心理描写はよいのですが、人間像-精神も恋愛感情もさっぱりつかめない。
と言うか、名前がたくさんあって分けがわからなくなるケリーグラントに最初から心奪われていて、その素地の上で事件に翻弄されている、混乱もある、というところなのでしょうが、どうもこちらの感情的に納得がつきにくいところで展開がすすみます。

ヘップバーンそのものに、何を着ているかは兎も角として、"Love in the Afternoon"のときのような輝きとともに深みがなく、粗雑感が否めない。人格的な厚みが感じられない。
命を狙われながらも何かを信じたい、信じられるものを見出すために戦う、そんな健気で可憐な役はヘップバーンの十八番だと思うのですが、今回その瑞々しい魅力がほとんど発動しない。

”MISS HEPBURN CLOTHES BY GIVENCHY”でファッショナブルに決めてみましたという映画であるか。
ヘップバーンに魅力が感じられなかったら、ヘップバーン映画はそうとう厳しいものに成らざるを得ない、と言えるでしょう。
謎解きの最後の場面で彼女宛の封筒に貼られた切手3枚が25万ドルの値打ちがあった、ところは上手いと感心しましたね。

昼下がりの情事 ~魅惑のワルツ

Audrey Hepburn04
"fascination"これぞ映画と言うしかない。
最高のコメディ。
コメントなんぞ書きようがない。
コミカルで楽しくもう最初からどうなるのか分かりきっていても引き釣りこまれる。
予定調和に文句なく感動である。

オードリーとモーリスシュバリエ(父役)のかけあいが特に面白い。
お互いに思いやりがあり、軽妙でいい感じ。
私立探偵である父の書類を隈無く調べ上げている好奇心旺盛な娘に、然りげ無い包容力で受け止める父。

それにしてもアリアーヌ(ヘップバーン)の無垢なコケティッシュは無敵だ。
どんなプレイボーイでも徐々に侵食されてゆく(笑
まっすぐな瞳で、”Mr.Franagan”
魅惑的な語りかけ。

ゲーリークーパーは渋い。
オードリーが一方的に彼(フラナガンさん)に夢中だったのが、いつの間にやら、、、立場が逆転。
特にオードリーの魅力に翻弄されだしてからの狼狽ぶりがなんとも。
ボートでのやりとり、ホテルリッツでの自棄酒(ここでも楽団が盛り上げる)、まさかの父親に調査依頼!
父親に諭されてはもうきっぱり別れるしかない、と覚悟を決めるが、、、。
旅たつ駅での、感極まった表情で「アリアーヌもういい」と言うあたりは、堪りませんな。
乗せるな、と思っていたらヒョイっと抱き上げて乗せた(笑
このタイミング!観る者との一体感。
絶妙である。

それを見守っていた父の表情も。
粋ですねえ。
人間が出来ている。
セリフがいちいち粋で。

もうひとつたまらない魅力があの4人組楽団である。
まさかサウナの中までも。
あんな楽団どこへでも引き連れて恋愛ゲームのムード盛り上げをさせているなんて、、、。
とても共感は出来ないが、面白すぎる。
レコードではだめなのか?
少なくとも、わたしはあんなことされては、落ち着かなくてしょうがないはず。
バイオリンの人が特に面白い。
フラナガンさんにギリギリまで迫ってきてピッタリ演出(演奏)してくる。
なにもあそこまで、入り込むことないでしょうに。
ああいうサービス業もあるのだ。
普通の音楽家では出来ない。

いつも小道具にしては大きすぎるチェロケースを持ち歩くヘップバーンが印象的だった。

流石、ビリーワイルダーの職人芸。
それに3人の圧倒的な魅力である。
プラス楽団も。


何も言わずに観ていれば良い映画である。


暗くなるまで待って

Audrey Hepburn

映像技術に拘わり刺激ばかりが強い最近の映画からみると、プロットで魅せる、しっかり作りこまれたサスペンス作品だ。
オードリーヘップバーンの実質最後の作品か。
写真家の盲目の妻という難しい役どころだ。
派手な演出やアクションなどなく、ひたすら心理的なやり取りで進む。
音や匂い研ぎ澄まされた感覚での応戦。
主人公が盲目であることがこの映画のサスペンスのポイントである。
また、盲目である彼女の恐怖がこちらにも実感できる演出に工夫が凝らされている。


夫が空港で偶然、マリファナの入った人形を手渡されたことで降りかかる災い。
それを狙う悪党に対峙する、まさに思いもかけぬ事態に突然突き落とされる彼女。
聡明で健気な女性が悪党3人組と執拗な心理戦を演じることになる。
場面のほとんどが彼女のアパートの一室。
出入りしているメガネの少女一人が唯一の外部との接触のアンテナである。
オードリーは彼女を上手く協力者にする。
メガネ少女も面白がって乗ってくるが、スリリングである。
基本とても濃密な空間での息つまる展開となる。

確かに彼女は聡明であるが、次々に化けの皮が剥げてくる悪者3人に対抗できるだろうか?
自分が頼りにしていた夫の戦友として接してきた男。
刑事に扮してやってきた男。
はじめは鵜呑みにして信用していたのに。
彼らのの裏切り、その実像によるショックに、よく気丈に耐えて応戦できると感心するが、、、
主人公のあの頑張りは、夫への愛情表明のように思われた。

最後に彼女は明かりをことごとく壊して悪党に挑む。
勇敢である。
ここからがこの映画の最大の見せ所だ。
3人の男相手に盲目であることを最大限利用して一人で立ち向かう。
最後まで甘えないところに、こちらも彼女をピッタリと応援してしまう。

あの一見冷たくも思える、夫の突き放すような励ましが、彼女を窮地にあっても、あれだけ強くしたのだ。
彼の愛情の向け方は、正しかったのだ。
そう感じた。

サスペンス映画の醍醐味をたっぷり味わうことのできる作品であるが、それだけにとどまらない厚みがある。
脚本・演出・カメラワークも無駄がなく、優れているが、、、
これは、オードリーヘップバーンの役柄を深く理解した演技力によるところが大きい。
また、3人の悪者もそれぞれにしっかりした個性が生きている。


味わい深い名作である。







娘の蒸発

okasi.jpg

午前中に娘たちの好きないつもの公園に行くことにした。
はっきり言って、今日で3日連続である。
しかも支度をしてから車に乗るまでが、次第に伸びている。
おめかしにかかる時間が増えているのだ。
髪を何時までも梳かしており、服も何着も着替えている。
公園に遊びに行くんだよ。
というのだが、白いドレスを着込んで姿見で確認していたりする。
あまりかかるものだから、もう行くよと言って玄関を出ると、流石に急いで着いてくる。

だが、変なコーディネートだったりする。
あまりにおかしい時は、着替えさせる。
汚れては困るものも、お着替えである。
公園で泥団子になるのにお洒落は禁物だ。
しかし、そこそこのお洒落はどうしてもしたがる。

今日も何だかわからぬヒラヒラした格好で車に乗ってきた。
しかも、チャイルドシートを先週外したのが嬉しいらしく、助手席か一番後ろの席に座りたがる。
決してこれまで座らされてきた、真ん中席には座ろうとはしない。
シートベルトも自分でさっとやってしまう。
違う席に座るだけで楽しそうだ。

大人になった気分に浸っているのが分かる。
走っている最中にも、スピードや車線の注文をしてくる。
大好きな手島葵の曲になると音をふたつ上げてなどと言う。
今日も自転車の予備輪をいつ外すかという話になった。
外す前に何処で練習しようとか、練習の必要性があるかどうかという長女からの疑問も出た。
そんな相談をしているうちに公園に到着する。

いつものように緑ネットの山をてっぺんまで登って降りてくると、フィールドアスレチックに行きたいという。
少し前までは、フィールドアスレチックのコーナーは、うんと大きなお兄さんお姉さん専用の場所で、彼女らには敷居が高かった。
しかし、もうすぐに自分から走ってコーナーに入り、どんどん綱を渡って行ったり、ネットをくぐって登っていったり、ぶら下がったり、ボールに立って乗って向こうまでスーっと滑って行ったり、自在に遊べるようになっている。
いちいち手出しをする必要もないし、特に安全を確かめる必要も感じなくなっていた。
わたしは彼女らが目に入る木の幹に腰掛けて、暫くiPhoneのメールを確認していた。
6plusに替えたばかりで、設定が一部気になるところもあったため、少しばかりそちらに専念してしまった。

ふと周りに目を向けると長女は芸亭めいたことをしていた。
が、次女が視界にいない。
落ち着きのない次女である。
どこかをちょこちょこしているのだろう。
と思いつつ長女を呼び、徐々に場所を移して探し始めるのだが、一向に見つからない。

かなり範囲を広げて長女と二人で探すのだが、それらしき娘はいない。
長女も流石に少し心配そうにしている。
いつもじぶんかってにどこかいっちゃうんだから。
確かに落ち着きはなく、何も考えずに何かやってるのが次女である。
脳裏に園内一斉放送の間の抜けた予感が過る。
われわれも暫く彷徨いながら、なんとも言えない不安な気分になってゆく。
これはちょっとまずいかも、、、。

と思いかけた時である。
ニッコニッコ顔の次女が、そう背の丈からすると小学3年生くらいの男子と一緒にいるではないか。
しかも何か食べている。
すぐにつかつかと大股で近づき、何やってんだ!パパの傍を離れちゃダメじゃないか!
そんなことしてるともう何処にも連れてかないぞ!
公園中に聞こえるほどの大声で怒鳴り、次女の腕を掴みグイグイ引いて駐車場に向かった。
あの子は確かアスレチックに入った時に次女に妙に馴れ馴れしく話しかけてきた子だ。
知らぬ間に行動を共にしていて、クッキーもあげていたようだ。

普通なら、もう充分遊んだから帰ろうと言っても、もっと遊ぶとダダをこね大概、後一時間ね、となるのであるが。
今回は、二人ともすごすごとついてくる。
顔は凍りついている。
長女がもう帰ろうね、パパがすごくおこってるし。
と、次女に事態の確認をしていた。

それにしても危ない娘である。
美味しいお菓子あげるよ、でフラフラついていく可能性がある。
うちに帰ってとくとくと話して聴かせねばならない、と思いを巡らしつつハンドルを握った。
いつもは煩いくらいお喋りの絶えない二人であるが、一言も話さず、真ん中の席に並んで座っている。


エデンの東

Eden.jpg
East of Eden
1955年
アメリカ

エリア・カザン監督
ジョン・スタインベック原作

ジェームズ・ディーン、、、ケイレブ(キャル)・トラスク(アダムの次男)
ジュリー・ハリス、、、アブラ(アロンの恋人)
レイモンド・マッセイ、、、アダム・トラスク(父)
ジョー・ヴァン・フリート、、、ケート(酒場主人)
リチャード・ダヴァロス、、、アロン・トラスク(長男)


以前観た覚えがないのだが、今回見て随分前に見ていた事を思い出した。

しかしはじめて観たかのように、とても新鮮な映画体験であった。

父と息子との愛憎劇のルーツでもあろう。
見応えは充分であった。
何かを踏襲しているようなものではなく、まさに元型を観た思いだ。

しかしキリスト教になぞりつつ、実際に聖書の引用もしながら進めるストーリーにわたしは然程馴染めなかった。
詳しい人はいちいち当てはめて観ていくのであろうが、わたしは特にカインとアベルを意識して見るようなことはできない。
アダムはそれとして、アブラはどうなるのか、アブラハムのことか?などと混乱してしまう。
ややこしいだけだ。と言うより精神的な実感が伴わない知識でドラマは味わえない。

それらは門外漢のわたしには分からない、としてそれらを外して単にストーリーの流れに身を任せる。

まず、ストーリーから突出してジェームスディーンという存在が際立つ。
彼の動き、演技以前の仕草、表情に次第次第に惹きつけられていく。
何か癖になるような役者だ。
唯一無二の存在であることがひしひしと分かってくる。
女優では、オードリーヘップバーンにあたるだろうか?
凄いスターだ。

そして家族の構図はよく理解できる。
さもあろう、と思う。
聖書の教理に従い正しくあろうとする善人として猛威を振るう父親。
当然彼は周囲から人格者と呼ばれ尊敬を集め、その役を全うしようとする。
影の人格の投影を母似の息子に無意識に行う。
そうしないと人格のバランスがとれない。
自分の中での切り捨てるべき人格を投影してその役を彼に全面的に負わせる。

当然、弟と正反対の役を兄に任せることになる。彼も積極的に父親に似ようと模範的人格を体現しようとする。
それにより、家は父と兄とがダメで愚かな弟を寛容に許しながら庇護してゆく構図で安定する。
母親は、夫の強力な影の役から免れるため早々に逃避している(死んだことにされて)。
心身ともに拘束されることから逃れるには、権力者からの絶対的な距離が必要である。
そのため、弟一人に過剰な役回りが課せられ、あのように繊細さや内省に欠ける極めて不安定で制御困難なfragileな人格になる。それをあそこまで巧みに演じきっているジェームスディーンには脱帽である。

アブラの役がとても微妙なのだが、登場人物の中では目立って自由な精神を保持出来ている。
子供時代に父親の非情を許す関係が築けたからだと彼女は説く。つまり父親の権力から独立した立場を得たということか。
そのため、他の人物に比べ超越的な視座でヒトに接している。
肝心の?恋人であった兄の精神的破局は弟の暴走により阻止できなかったが、常に正確な情勢把握と見通しをもっている。自分というものに忠実であろうとしている。
彼女の調停のおかげで、主人公と父親の関係が最後に修復に向かう事になる。
しかし、あの歳で無理に父親と関係性を再構築する必要があろうか?
むしろ、完全に離れたほうが健康的だと思われるのだが。
アメリカがプロテスタントであるからか?父親との膠着は日本人であるわたしには理解できない。
母親はすでに自分に似た彼の登場により完全に劣勢に立たされてしまっている。
(母親はもう彼らのネットワークには入ってしまっている)。

兄は死んだ母親が全く自分の認められない人格として生きていることを暴力的に知らされ、一気にバーストしてしまう。
実際の母親の生々しい姿に、こころの許容範囲を超えてしまった。
アブラが自分の投影(理想的母親像)に従わない存在であることを悟り不安定になって塞いでいる時に、ダメ押しの決定的一発となってしまった。
戦争に大反対であるのに、徴兵列車に自ら乗り込む兄の自殺的行為に父親も破滅的打撃を被る。
同じタイプの人間-権力者が自らの影の人格による逆襲を受け同時に破滅する。

実質これによる罪の意識で弟も潰れてしまうところであるが、アブラによる救済が働く。
父親とどう関係が築かれるかどうかより、あの場合彼の贖罪が問題である。
父が自分の世話を頼んでくれたことで、彼に植えつけられた罪の意識も課せられていた役割も消え、道なき恋愛の壁も崩れ去る。
彼の解放は、ひとえにアブラのおかげである。
今後彼らの関係においての負の役割は父と母が受け持つことになる。
兄は戻ってこないはずだ。聖書では弟を殺すがここでは兄が殺される。

きっとキャルとアブラは重荷を解かれて楽に暮らせることが予想できる。




ニュースの天才

news.jpg

文字通り、呆気にとられた。

スティーブン・グラスで”shattered glass”正に、その通り。
「ニュースの天才」という邦題もイケてる。

何でこんな捏造記事を彼は次々に書いてしまったのか。
半端な数ではない。
書いて面白がられているうちに、止めようにも止められなくなったのか。
ランニング・ハイのようにあるところを超えるともうやり続けることが恍惚感にすらなっていくのだろうか。
少なくとも当人にとってかなりの充実感をもって続けられて来たであろう事だ。

勿論、言うまでもなく全てのニュースは作られている。
創作であることからは免れない。
しかし、意図的な捏造となれば立派な犯罪以外の何物でもない。
ちなみにIPCCの地球温暖化のイメージを支える論理的根拠となった例のグラフは完全に犯罪としか言いようのない悪質極まりないでっち上げであった。あれにノーベル平和賞である。ホントに平和なものだ。
(真にノーベル平和賞に値するような人は、そもそも賞になど興味はない。平和賞は廃止すべきだ。)

と考えると、ちょっと前に日本でも似たような出来事があったような気がする。
*保方事件である。
わたしはあれに、まともに騙された。
わたしの代ではダメだろうけど、娘の時代にはきっと立派な医療として確立しているのだろう等と期待を寄せてしまった。
久々の「明るいニュース」に思わずウキウキしてしまったものである。
全く甘かった。勿論それを受け取る自分の責任である。
細部のケアレスミスとか検証における詰の甘さとかいうレヴェルの問題ではなかった。
一体何の実験を行っていたのかという前提に関わる問題であったのだ。
後から後から出てくる事実のくだらなさに、まるで自分の落ち度を確認するかのごとく、ただただ辟易してしまう。
不確かな「ノート」が取りざたされるのもスティーブン同様であった。

しかし、面白い(驚く)のは、当人に何にも悪びれた素振りがないことである。
他の14人の共同執筆者はどうなのか等という責任のとり方の問題ではない。
研究という名に値する事を何も行っているわけではなかったという驚愕の事実。
なのに、あの饒舌な一般向けプレゼンである。
これに関しては道徳や倫理を問う気すら起きない。
全く実体のない場所から何を根拠にあのような希望に満ち満ちた未来像を人々に得々と語り遂せたのか。
この尋常ではないグロテスク極まりない光景-心象に愕然とする他ないのである。


この呆気にとられる感覚が同様のものなのである。

思い切り虚しい映画であった。
考えてみれば、これほど虚しく淋しい思いに晒される映画を見たのは初めてである。
しかし、同様のことが現実にいくらでも起きている。
この映画はその中の一つを見応えのある作品として切り取って見せているに過ぎない。

たまたまデータの一部に対する疑惑から全体そのものの誤り-全くのでっち上げが確認されるに至ったのであるが、全体としてとんでもない誤りであるのに、その枠内での論理は非の打ち所のないというものはいくらでも作ることが出来る。新新興宗教などに見られるものである。記憶-パラダイムを操るSF映画もそこをついている。
実際、スティーブンの発覚までの記事は100パーセントでっち上げのものが、全て編集会議を通ってきたのだ。
これは、考えてみるに恐ろしいことである。
一度、中に入ってしまえば(受け容れてしまえば)、その場からはそれ自体-全体の検証は極めて困難となる。人の目が行くのはことごとく細部の論理関係であり、表現の適切さであり、誤字脱字表記法の誤りの追求だけとなる。それで通ってしまうのだ。まさかそれが本当のことなのかという時点からの確認は、通常しないであろう。やはりよく書けているかどうかから始まるものだ。そしてそれが人々の興味を惹く魅力あふれる楽しいものであれば、手放しで受け取りたくなるものだ。
まさか実験がデタラメであのような発表が出来るとは、よもや思わぬものである。

また一言付け加えておけば、スティーブンの場合、甘え上手で気さくでもあり、同僚からの信頼が篤く好印象をもたれるタイプだ。*保方女史の場合も、ピンクのムーミン研究室に割烹着(これは理研がやらせたらしい)でマスコミもおせっかいに学生時代の美談などを紹介し、好感度をしきりに演出していた。
彼の編集長はギリギリまで彼のことを気遣いつつ、真相を追っていたが、結局クビにする段で部下に敵視されている。あたかも彼が悪者であるかのように。
この無意識的だが意図的なイメージ戦略に気をつけなければならない。(よく見れば穴だらけであることに気づくのだが)。とかく其の辺から人は絡め取られてしまうものだ。

映画の構成はテンポよくスリリングであった。
母校への凱旋講義?が途中何度も挟まれつつ展開していく手法は、虚しさを際立たせる表現において見事であった。



ダークシティ

darkcity.jpg
エターナル・サンシャインがすぐに思い浮かぶ作品。
しかし、メトロポリスやゴシック・ホラーを思い起こす雰囲気でもある。
レトロで、箱庭的な模型性にときめいた。
夜0時に誰もが眠りこみ、その間に建物がニョキニョキ蠢き増殖する様は圧巻である。
この無意識的な物質性が堪らぬ魅力となっている。
ガストン・バシュラールである。
ここだけとってもこの作品は、メトロポリスと肩を並べる傑作と言えよう。
キーファー・サザーランドの博士がこの風景とまことに馴染み、良い味を醸していた。
主人公の目も狂気を湛え印象に残る。

ここでも「記憶」である。

それは「場所」である。
「感情」に繋がれた。

”シェル・ビーチ”
という誰もが知っている、誰も行き先を知らぬ名前-看板でしかない場所。
陽の全く射さぬ都市の何処かにある、燦々と煌く太陽に照らされた海辺。
ことばでしかない場所-故郷。
だから誰もがおかしくなっている。生の感覚がぼやけている。
今日、昼間がなかったことに気づかない。
思い出の憧れの場所が完全に超越的記号となって宙吊りとなっている。

あなたにもないか?
そんな遠い感じの掠れた大切な場所が。
いや、われわれ誰もがそんな”イデア”の場所をもってしまってはいないか?

ならば、あなたも、わたしもダークシティの住人だ。

球体の惑星の上に果たして住んでいるのかどうか、自分で調べて確かめてみるほうがよい。
何者かに騙されてはいないか?
薄明の中の幼少期が誰かの手に落ちてはいないか?
あなたは確信を持って自分の濃密な生を生きているか?

ある時、何者かに連れ去られれて、記憶を消去された上に新たな記憶を注入され。
それに合わせて0時に次々に建て替えられる建造物。

刻々とメタモルフォーゼする街並みと同時に記憶を書き換えられて過ごす日々。
何かが変だが、どう変なのかがはっきりしない。
時折、何かの拍子に見つかる虚無-時空の破れ目。

わたしの病状ではないか(爆

あなたは大丈夫か?

ストレンジャー(エイリアン)が記憶-場所をチューニングしながら人の心の実態を探ろうとする。
しかしどうにも果たすことができない。
主人公が最後に頭を指さしながら「お前たちはそれを探す場所を間違えてる」と告げる。
彼らには「個としての身体性」-「心」がないためそれが分からない。
彼らはひとつでしかないのだ。
つまり、人間の次元では所詮同調して生きることはできない。

感情のない思考しかないため「心」という場所が生じ得なかった。


darkcity kiefer




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娘のピアノ発表会

piano.jpg

一昨日、長女のピアノ発表会に行った。(双子の次女の方は別の教室なので後日である)
第一部で29人。と全員合唱。
第二部で18人と先生方の発表。
さらにアンサンブルが4つ。
第一部では一人二曲づつ。いったい何歳なんだというような小さな子ばかり、可愛らしい曲を弾く。

大変な曲数であり、発表者であり、休憩と移動バス時間を含むと結局まる一日の大仕事であった。
しかも、緊張しまくり状態で、喉もカラカラ、三脚にビデオを乗せひたすら撮ることでなんとか自分を落ち着かせた。
(わたしのことだ)
娘は多少は緊張感は見られたが、おちつきはらっていた。

暫く発表の続く中で、わたしはとんでもないことに気づく。
最初の頃は楽曲が簡単だから楽譜を見ないのか、と思っていた。
しかしいつまで経っても楽譜を見て弾く子がいない。
まさか!と思っているうちにうちの娘の番が来た。
ニコニコしながら舞台で挨拶する娘の手には楽譜がない。
袖に送り出す時には持たせていたのに!
わたしはフリーズした。

少なくともわたしが家でみていた範囲では、常に楽譜を見ながら注意しつつ弾かせていた。
一度も練習で楽譜を見ずに弾かせた事がない。
いきなり本番で初めて譜のない状態で弾くなんて、、、。
こりゃ無理だ!
暗譜してないし。
失敗した。
何でそこに気付かなかったのか。
先生は譜を見ずに弾くようにとはひとことも言っていなかった。

長女はお気に入りのワインレッドのドレスで椅子に座り、暫く手を鍵盤上に置いたまま動かない。
わたしは思わず固唾を呑んだ。
時間が止まったように思えた。
やがて間合いをおいて静かに弾き始める。

タッチが弱い。全体に弱い。
しかし、その中での強弱、抑揚はついている。
中間トーンのデッサンを見る思いだ。
ミスタッチも特にない。
リズムは問題ない。
このまま行け。祈るように聴いていると、、、

最後まで行った。
終わった。

わたしに曲想を楽しむような余裕などもとより無い。

椅子から降りて、彼女は舞台中央で無表情にお辞儀をし、袖へと去ってゆく。
どっと疲れが出る。
わたしが疲れてどうする。

小学生に入り、高学年くらいから皆楽譜を見ながら弾き始めていた。
まだ、娘くらいの段階では見ながら弾くほどのものではないのか?
そういうことではないと思うのだが。

戻ってきた娘に聞くと「先生が楽譜はいらないって。」
それで持って出なかったの?
「そう。」
暫く動かなかったけど、困っていたの?
「あたまの中でがくふを思いだしてた。」
それで弾き始めるまで少し待ったのね。
「うん。」
わたしではその状況では、とても弾けない。
娘が逞しく思えた。
アンサンブルでのベル演奏でも音の大きさが少し小さかったがタイミングはしっかり鳴らせていた。
彼女はちゃんとやっていた。
問題はわたし-保護者である。

最後のお花である。
パンフに先生に渡す花は、係りを前もって決めているため、その生徒のみ放送に従い前に出て渡すようにと記されていたため、全くお花のことは、頭になかった。
ところが、最後の記念撮影でみんなが各自、自分のためのお花を持って舞台上に集合となった。
3人の先生の教室の寄り集まった発表会であったが、うちの先生の生徒がほぼみんな花を持っていない。
わたしは焦った。
よく確認しておけばよかった。
コンサートホールに1時間早く到着していたので、花屋に買いに行くことくらい軽く出来たものだ。
幸いお花は何列にも並んで撮るため隠れて見えなくなっていたが。

娘に申し訳ない。
こちらの不甲斐なさに、ほとほと参った。
親はなくても子は育つと言うが、いつの間にかしっかり育っていた。
せめて帰りは娘の好きなイタリアレストランで食べることにした。

ショパンの「子犬のワルツ」がこんなに良い曲だったことに初めて気づいた。
娘が今度上がる小学校の先輩が弾いた「荒野のばら」がとても素敵であった。
「風の丘」のような久石譲の曲を弾く子が何人かいた。クラシックの中に混ざって新鮮に聴こえた。
一番面白かったのは、ルパン三世の格好で出てきた男の子のジャズアレンジ版ルパン三世のテーマであった。
彼はスター性も抜群であった。


クラッシュ 2004

crush.gif

バラード原作クローネンバーグ監督の1996年度制作のものではなく、2004年ポール・バギス監督の作品。

これがロスの光景ー物語なのか、、、。夜景が痛ましい。香港とは違う(笑
カリフォルニア州だったな。メキシコから移った場所だ。宇宙事業が盛んで、確か何度も独立しようとしていたはず。
ヒッピー文化・Counter Cultureの発祥地?
ロスは、ニューヨークに次ぐ大都市。
ニューヨークとの違いなどわたしに分かるはずもないが、ルー・リードとジャクソン・ブラウンとの違いというなら実感できる。
ウエストコーストロックはわたしには然程馴染みがないのだが。
グレートフル・デット、アメリカの良心と言われたジャクソン・ブラウンのLPは何枚持ってたか。
彼は本当にかっこよかった、、、。おう、そうそう、リンダ・ロンシュタット!なつかしー。
また聴きたくなってきた。すごく聴きたくなった。急にロスが近く感じる(笑

その程度の覚束無い偏ったイメージしか浮かばない。
ロス。
しかし”クラッシュ”は何処にでも起きている。
わたしたちはクラッシュー不条理だらけの世界にあって、自らも頻繁に当事者となって生きている。

とは言え、あれだけ多民族が混ざり合い複雑な思惑と異なる前提(習慣)の交錯する場所でのクラッシュは、濃い。

大変な質量を感じる。
インパクトー負荷が半端ではない。
よくああいうところで、生きていけるな、と素直に思ってしまう。
タフな人たちだ。マイノリティーもマジョリティーもない。凄まじい相克・葛藤・疑心暗鬼渦巻く過酷な現場があちこちで発光する。
誰もが銃を持っているから、あらごめんなさいでは済まされない。
修復不可能なこの現実は、途轍もなく重く救いがない。

イギリス(ヨーロッパ)などにおける内面化したキリスト教の圧力とはまた異なる、差別・偏見の圧力と暴力が非常にビビットだ。病み方が違う。

そのためか、彼らの創造性や表現にも現れてくる。
日本のもの作りとは、方向性が違うことが分かる。

かつてイギリスのようなロックは絶対に日本からは生まれないと思ったが、アメリカの独自性もここで強く意識させられた。


それぞれの交錯し絡み合いつつ進行するエピソードには瑞々しいリアリティがあり、緊張が途切れることがない。
この映画を最も特徴付けるものはこの「緊張」だ。
ペルシャ商人が善良な鍵職人を逆恨みし彼の娘を背後からピストルで撃つシーンには危うくわたしの心臓も止まりかけた。
これほどのショックを映画で受けるとは想わなかった。
現実のシーンよりもビビットで生々しいものであろう。
若い正義感ある警官が誤って咄嗟に黒人を撃ち殺してしまう。
「なんてことだ、、、」途方に暮れる警官。しかしもうどうにもならない、現実。
銃は使う人間の問題ではない。
銃という存在そのものが問題なのだ。
もとより人間に何かを期待すること自体が間違っている。

救いは、ペルシャ商人の娘が父親の銃から銃弾を抜き取っておいたことだ。
このような些細なしかし決定的な配慮・機転が物事ー世界を180°変える。
また、このような方法以外に事態を最悪の状況から救い出すことはない。

ペルシャ商人が「私たちは救われたのだ」「あの娘は天使だった」と自分の娘にすがりついて語る言葉は、本当に身につまされる。
全くその通りだ。
本当にあのペルシャ人父娘は救われたのだ。
文字通りあの鍵職人の娘は、天使であった。

そしてあの若い警官には救いは無い。

他のどのエピソードもこの両端の物語の間に振幅していた。

情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実

911.jpg

今更であるが、何故か2つのフィルムを観てみた。
どちらもセンセーショナルなフィルムではあったが、感動を覚える類のものでは、全くなかった。
そして「情報」というものをやはり考えさせられる。
情報の「意識」と「無意識」である。

やはり、戦争や環境危機など生命の危険を煽る物事は、人々の関心を強く惹きつけ、ビジネスチャンスも飛び抜けて大きい。
そういうものだということがよく分かる。
本当はエネルギー、食料問題が途轍もなく大きいものだが。

またその情報は、見事に階層構造の下、政治的に操作された形で降りて広がる。
既得権(オイルマネー、小泉も大いに絡んでいる)と軍事ビジネスの拡大のため。
「華氏911」においては、何より改めてアメリカの「意識」または「無意識」が非常に気になった。
ブッシュの悪巧みをクローズアップすることで、それらをグロテスクにコミカルに描きあげている監督の手腕は見事である。
ここにアメリカ覇権主義の本質が様々な局面から露呈されていると言える。

わたしが、終盤のノイローゼとなった米軍兵士や息子を亡くしたアメリカ婦人に素直に同情できない点でもある。
少なくともイラク国民の解放などと謳って、民間人をCDを聴きながら砲撃したり爆撃することが何を意味しているか、どれほど教育のない貧困層であっても分からぬはずがない。知識の問題ではない。
いかに情報の操作を受けていて(イラクが核兵器を製造している)、貧困から逃れる術であったとしても。
自分の大切なひと、家族を顧みたことがないのか?
これは、想像力の欠如もあるにせよ、そもそも想像しようという意思すらない歴史的傲慢さのなせる業である。
差別主義丸出しであるこの点だけもってしても行為の正当化など出来るはずもない。
なにもアメリカがブッシュの時だけ悪事を働いてきたわけではない。
華氏911は、「アメリカ」に風穴を開けるよい機会を提供してくれた貴重なフィルムのひとつだと思う。
ひたすら不気味極まりないホラーではあったが。


映画「バベル」のあの言葉がまた蘇る。
「わたしは悪い人間ではない。ただ愚かなだけです。」
これは、情報を操作された環境にあれば、誰にも当てはまってくる。
何も北朝鮮だけが特殊な場所ではない。
日常にいくらでもその場所は発生する。
映画「コンプライアンス」を観ても、どれだけ人が権威に操作・翻弄され易いか、暗示・催眠にかけられ易いかが、まさにグロテスクなまでに描ききられていた。

さらにそれを仕組んだように思われているヒトもそんな意図など全くもっていなかった場合も有り得る。

SF作家バラードの言うように、懐疑的な思考と視座は緩めてはならない。
また自分の身体感覚を軽んじてはならない。
わたしも改めて肝に命じたい。


さて、ブッシュにまんまと大統領の椅子を攫われたアルゴアの「不都合な真実」である。
CO2の保温効果で地球温暖化が進み、その気候変動よる自然災害が全世界的に引き起こされるという物語である。流石はプレゼンテーション・広告の国、アメリカという出来栄えである。体系的に構築された手法によって作られている。
タッグを組む元データを提供するIPCCはCO2=地球温暖化を前提としている。
これもまたホラーである。

このフィルムにとってもっとも致命的となったのは、データの改竄と誇張であり、それによる扇動である。
科学的な説得の根拠ともなっていたあのホッケースティックグラフがまっかな嘘であり、ここ百年気候は大きな変動もなく推移している元データも公表されてしまった。
IPCCの気候変動報告書の改竄(クライメートゲート)はまことに決定的であった。
(その後続々とCO2=温暖化を覆すデーターが明るみに出てきてしまう。1940~1975にCO2が急激に増加した際、地球は寒冷化状態であった。人為的CO2排出のない中世の方が気温は高かった等々。)
アルゴアのフィルムにある北極の氷が溶けてしまう予想に反し、今その氷は増量している。
仮に北極の氷が全て溶けても、それが原因で海面が1mmすら上昇することはない原理は小学生も心得ている。
南極も気温が上昇すれば返って雲が多く発生し、それによる雪で氷が増えることがシュミレートされている。

しかし過去100年で、0.7度上がっているという研究者もいれば、0.5とかほとんど変わりないと主張する人もいる。
そもそもわたしなどは、この気温というもの、どこでどう測っているのかも分からない。全体イメージは難しい。
ヒートアイランド現象などに常日頃馴染んでいる都心のビジネスマンなら、温暖化イメージは入りやすいだろう。

気象状況など、大変複雑極まりない要素の絡み合いで決まってくるはずであり、誰もが局所的体験しか持っていない。そのへんの把握の難しさ共通感覚の持ちにくさがデータの改竄を呼び込む余地を作っているところもある。

しかし基本として、その決定要因は太陽活動とされる。
地球の気象-温度を決める大きな要素は、太陽活動、その影響による宇宙線量に従った雲の生成、比熱の高い70パーセントを占める海と潮の流れなどである。
そこに人為的CO2の作用はほとんど無い事が以前から根強く科学的に説明されている。
地球の地表レベルで(保温効果で)閉じるものではなく、絶えず宇宙との関係において地球環境が決まる。

現に今、確認できる情報の範囲でも地球温暖化が感覚的に納得できない状況にある。
世界各国のこの冬の圧倒的な寒気と歴史的積雪など、身に染みている人は多いはずだ。
ナイアガラの滝が凍りつき、エジプトに雪が降り、人々は学校・勤めをサボって珍しがっていた。
夏の猛暑日もなかった。
これまで温暖化研究の陰に隠れていた研究者たちの見解によれば、現在地球は寒冷化に向かっており、今後更にそれは進行し2045年から少なくとも2055年には小氷河期に突入するという。
太陽の活動が周期的減衰期(11年周期)からいつまで経っても回復しないのである。
太陽にいつまでも活発な活動を示す黒点が見られない。
この現象は、200年に1度起きると言われるマウンダー極小期にあたるという。

アルゴアのこの科学的にも感覚的にも了解し難い政治的プロパガンダの目的とは何か?
(ノーベル平和賞という権威に預かっても、アメリカにおける学校上映は、保護者からの提訴で上映禁止になっている。このフィルム、科学的根拠と人々の共通感覚にそぐわなかった事がよく分かる。)

CO2と温暖化を結び付け、CO2を原理的にほとんど出さない原発のクリーンエネルギーを印象づけるためである事が最も考え易い。
原発推進派や温暖化ビジネスの利権を守る又はこれを拡大する目論見であろうか。
しかしアルゴア自身が原発推進派であることからしても、余りにそれは見え透いている。
労力対効果がこれでは割に合わない。
これだけ大掛かりな装置まで作ってやらなくても他に効果的な方法はいくらでも見つかるはず。
彼は、恐らくこのドキュメンタリーを使命観をもって作っているようには窺える。
思想背景の一つとして考えられることといえば、スティーブ・ジョブスにも多大な影響を与えた「ホールアース・カタログ」のスチュアート・ブランドが、原発推進派に転向したことが思い当たる。グリーンエネルギーを提唱する指導的立場のエコロジストであった彼の動向は波紋を呼んでいた。彼の背中を押す思想は様々なものがあったはずだ。
反ブッシュ(共和党)の姿勢も政治的に勿論あったはず。

わたしは、アルゴアの主張そのものには同意し難いが、化石燃料にこの先も依存し続ける部分に対しては同様に反対だ。
CO2の固定に関しても、同様に賛成だ。
循環可能エネルギーの開発についても賛成だ。
そもそもオイルがマネーとなる世界はなんとか終焉してもらいたい。
そしてエネルギー問題、CO2の固定、食糧問題。
今、何より取り組むべき事業は、人口増における食糧とエネルギー問題である。
これをなおざりにして、利権の保持拡大を図る輩の操作に乗ってる場合ではない。
寒冷な環境下にも耐える食物の栽培と充分な栄養素の確保。
有限な化石燃料に変わる循環可能エネルギーの生成である。
日本のベンチャー企業「ユーグレナ」の奮闘に期待したい。

日本がこのブームにやけに軽く乗ったのは、何故であろうか?

早急にビジネスチャンスと判断したのだろうか?
実際、CO2は金の成る木と言われていた。
あのエコ対策。ゴミ分別。有料ゴミ袋。エコバッグ。
炭素税・環境税がらみの税金に加え、温暖化研究者には、予算が計上される。
ハイブリッド・カー。エコカーの奨励。TVCMも多方面、沢山あった。
美術の時間に生徒の描いた、地球が水没するポスターなどが街頭に貼られてもいた。(あんまりである。北朝鮮と変わらない。)

それがそのまま無批判に受け取られていたなら、寒さに凍えながら温暖化に怯える光景が現れる。
ピーター・ブリューゲル(16c)がこの状況を見たらどの様な絵を描くであろうか?
彼は丁度、前回の小氷河期に(マウンダー極小期)オランダに生きた画家である。
彼の絵をよく見て欲しい。あの貧しい農村の果てない雪景色を。
穀物の収穫は大打撃を受け、更に黒死病が大流行した。
あの当時、イギリスのテムズ河は完全に凍りついていたそうだ。
あの絵のまさにひりつく美を。(可視光線を吸収する物質が大気中になかったことに感謝である。)

入院した病室は広くて助かったが、とても寒かった。何故か心細いものであった。
その感覚が今回この事を一言書いてみたい気持ちを呼んだ。
アングルの名言が思い浮かぶ。「人は暑さで死ぬことはないが、寒さに死ぬことはある。」
自分をドラクロワと比較して述べた言葉だ。
これ自体は彼らの違いを浮き立たせる絶妙な表現だが、結局どちらにしても人は死んでいる。

最近よく宇宙物理で話題になる「人間原理」でも説かれているが、人はこの宇宙という途轍もなく微妙で特殊な物理の数値上に、辛うじて発生し生かされている事が判明している。
ここに神を見る科学者も少なくない。(インフレーション理論では神を持ちだなくても説明可能となるが)。
要は、人類の生存(発生)にとって環境が如何に肝要であるかである。
その生存欲求に対してはやはり誰もが生命体として過敏になる。
つまりは、それをある意図の元に上手く操作すれば、全世界的な動きになりかねない、と言える。
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今を生きる 

Leonardo da Vinci

暫く寝ていると、とは言え家のなかはゴタゴタ続きであるが、様々な想いにとらわれたりする。
あくまでも、たりする、だけであり囚われっぱなしになるのではないが(笑
トリプタノールとリリカの痛み止め系を2週間止めたことで、すっきりしてきた。
これまで無駄な副作用に甘んじてきたことが分かる。
日々重層的な副作用にやられている可能性にも注意深くありたい。

また副作用と言ってもわたしには関係ないレヴェルのものではあるが。
しばしば心理療法に、過去のトラウマに対しフォーカスすることから始まる類のものをみかける。
過去もトラウマも創作された物語である以上、それらを自ずと作ってしまう精神傾向に対する治療なのだと思っていた。
しかし、実際その手の本を少しばかり斜め読みすると、当の物語を実体化してその同調に拘るところが気になった。
内面化するベクトルに対するのではなく、スタティックな物語-構造を対象としてイメージ操作を図らんとする。
固執・支配されている自己イメージの書き換え作業-エクササイズであったりする。

過去のトラウマも何らかの拘泥する意識的な表象には違いないであろうし何らかのフィルターともなろうが、
それがどれほどの質量を持ち得るか。
過去もトラウマも正に今の心的状況の反映であり、内容であり、その傾向のひとつであるに過ぎない。
自分についての過去時制のネガティブな物語に少なからず酔うことでかえってあらぬものへ固着を深める。
今、この瞬間の生々しい生の律動-リアリティから身を引いてまで行うべきことか。
関わること自体が自然から身体-存在を無限に遅延させる。
注目し対処すべきことが明らかに的外れである。

生命の存在原理からして、今この場所(時空間)にしか、われわれは存在し得ない-現存在として。
もし自分とは何か、と問うのなら。
正に、開示される表象の全てこそが、完璧なる答えであろう。
それ以外にあり得ない。

その表象に対峙する以外に本来的にわたしの有り様はない。
それを確かに意識化することから、今を生きはじめる。
あらゆる物質とちからが、今わたしという場所-存在を隆起させる。
宇宙の果てより光速で飛来する宇宙線もわたしに関与する。
わたしを形作るものすべての潜在意識、無意識、共同意識、集合的無意識も含めた身体そのもの。
それが高速に律動-現象する。
生命力、として。

方法論を内側を向いてあらぬところに求めていても埓のあく場合ではない。


痛みを止めてはならない。
(実際、わたしは痺れているのであって、痛いわけでは、ない。)

そもそも薬の調整と言うより、医療とは何か?

Leonardo da Vinci02




新たなスタートに向けて!

blackboard01.jpg

これから、1ヶ月間ほどお休みします。
(恐らく、この程度です)
戻りましたら、また宜しくお願いいたします。


入院中、iPhoneから更新できる余裕があればしてみますが、、、。
今回は、前回のように1人部屋ではないので、自由は効きません。
ともかく早く診てもらうため、空いたところに辷り込みましたので(笑
(寝たふりして本を読むのも無理でしょう)
手術も予定されているため、動くのはきついことが予想されます。


早く退院したいです。
今から、、、?!

しかし、TVから解放されるのは、清々しいものです。
病院にまで行って見たくもありません。


戻ったら、「インターステラー」観たいですね。
「コンタクト」以来の本格的SFだと言われています。
ご覧になった方、どうだったか教えてください。
(ネタバレもかまいません)
それから、美術館にも行きたい。
ここのところ、行きたかった美術展全部逃していましたもので、、、。
美術作品について書きたくなっています。



なお、メッセージ、コメントなどは、読むことは可能なはずですので、頂けると嬉しいです。
(返信は無理かもです)

では暫く更新はできませんが、みなさまの記事は楽しみにしております。


新たなスタートに向けて!

eri shiho002


春を前に

001.jpg

この時期の雨は大変冷たく、とても寒々しく感じます。
窓の外を眺めると尚更、冷たさが身に染みます。
空は、いつからこんなに灰色なのか?
と陰鬱な気分にもなります。
束の間の感情-感覚にすぎません。
これに溺れないようにしましょう。
イメージに囚われなようにしましょう。
イメージを常に更新し続けることは、恐らく健康に繋がります。


これから先、ダークマター(原子でできていない物!)やダークエネルギーが一体何なのか
それが分かってくると、面白い時代になると思われます。
(今のところは理論上、分布が見当されているだけですが)
しかしその「存在」により、宇宙の膨張速度は加速し続けているようです。
膨張速度が無限大になればそこで宇宙は張り裂けて終焉を迎える。
まだこの先、どうなるかは分かりませんが、いくつかの終焉のシナリオは想定されています。

とは言え、まだまだ身近に面白いことも潜んでいることでしょう。
異次元の問題もとても興味深いところです。
小さい世界なのにLHCとかリニアコライダーのような巨大装置が必要というのもなんですが、、、。
その際にブラック・ホールも生まれる可能性があるため、それはそれで楽しみです。
重力が5次元に漏れていくのが観測されれば、立証されます。
ワープというのも現実味を帯びてきます。


限りなく遠いところと限りない近傍はどちらも縁がボケてゆきます。
雪舟の墨のように幽玄な様相です。
300億光年先の銀河の消息もはっきりつかめるかも知れません。
(それより先は暗黒だといわれていますが)

エネルギー保存則も破られていることが判明しているようです。
宇宙には時間の原点があり、やはり終点に向かっています。
最初のひかりは可視光線ではなくなっています。
無限に波長は延び、痕跡も消える事でしょう。

もう生まれて137億年といいますしね。
永いサイクルです。

始まりと終わりも暈けています。





”Bon voyage.”

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地球が静止する日
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