オズの魔法使い

The Wizard of Oz
1939年アメリカ
ヴィクター・フレミング監督
ジュディ・ガーランド、、、ドロシー
レイ・ボルジャー、、、案山子・ハンク
ジャック・ヘイリー、、、ブリキ男・ヒッコリー
バート・ラー、、、ライオン・ジーク
ビリー・バーク、、、グリンダ(北の良い魔女)
マーガレット・ハミルトン、、、ミス・ガルチ(西の悪い魔女)
ジュディガーランドについては、基本的に薬物中毒で公私において大変苦しんだ才能豊かな大女優ということと、かのライザミネリの母というくらいの知識しかない。
確かガーランドと同時期の子役のスーパースターにシャーリーテンプルがいる。彼女は女優引退後は外交官として活躍した。
オズの魔法使いも当初、ドロシー役はシャーリーテンプルが予定されていたようだが20世紀フォックスに断られ、MGMの新人であるガーランドが起用されたという話は有名である。
この映画の魅力はかなりの比重でジュディガーランドが担っている。
演技のセンスにしろ、歌唱力、(エヴァンゲリオンファンなら誰もが聴いているオーバーザレインボーも彼女の歌である。)さらに可憐さ、凛々しさなどにおいて圧倒的な存在感を放っている。
この映画の主演で、この先の大ブレイクは目に見えている。
しかし、立て続けの映画主演をこなす為、周囲から(どういう形なのか?)睡眠薬や覚醒剤を勧められハードな生活を薬にどっぷり浸かって見た目元気に送っていたのだから、当然悲惨なかたちで早晩破綻はやってくる。
13歳くらいの子供が映画界入りして(それ以前は歌手として活躍を始めていた)、16歳でのオズの魔法使いのドロシーのころには、もう薬浸けが始まっていたかも知れないことを思うと、何とも言えない。
当時はまだこれらの薬の害についての認識も現在より薄かったこともあろうが、同時代の子役のシャーリーテンプルは、品行方正な超優等生で結局85歳で死ぬまで通してしまった。(女優を超えたアメリカ人のイコンのような存在として、、、どこかその姿はオードリーヘップバーンにも通じるものがあるが。)
何故こんなに差ができてしまったのか?
彼女自身の個性、性向にもよるところがあるのか?しかし、子供の個性はやはり環境に大きく影響・作用される。
才能有り余る彼女の薬物依存は、ハリウッド全体の問題なのか、MGM特有の問題か、又はガーランドの性悪な取り巻きたちの仕業なのかは、わたしには知る由もない。
ただ彼女が役者としても歌手としてもアカデミー賞を受賞しつつ、発作的な自殺未遂を繰り返し衰弱しながら47歳で死んだとき、ライザミネリが母はハリウッドに殺されたといい「母はハリウッドが大嫌いだった」と述べ、ハリウッドを拒絶しニューヨークで葬儀をあげたことは、本当に感慨深い。
悲運な女優であったことは確かだ。
単にハリウッドに食い物にされたという感も否めない(特に娘にとっては。)
シャーリーテンプルの代役的な抜擢で大スターになったとは言え、全く境遇は違う。
何故これほど違いがでたのか?
どちらかといえば、ジャニスジョプリンに重なるところが大きい。(風貌や雰囲気はかなり異なるが。)
資質はこちらに近かったのかも知れない。
天才肌の破滅型などと言えば紋切り型で情けなくなるが。
さて、オズの魔法使いであるが、子供に見せられる、また見せたい有難い映画である。
もう60年も昔の映画であるが、その後の映画やTVドラマがどれだけここから生まれてきたか、挙げたらきりがないだろう。
愛する友のために戦う過程で、自分にないと思っていたものが最初から自分に備わっていることを知るドラマの典型である。
映画として、全く破綻なく見事に作り込まれている。
カメラワーク、照明、ストーリー、配役、美術セット、音楽
特撮も全く今の映画と比べても遜色ない。
夢や超自然の表現が極めて自然であった。
音楽の出来は、むしろ上である。言うまでもなく、オーバーザレインボーは永遠の名曲だ。
わたしも間違いなく、子供時代に一回は見ているはずなのだが、、、既視感は十分にあった。
ストーリーの概略は知っていた。
まさにこのストーリーというより、このストーリーを綿々と受け継いできた多くのストーリー群を通して知っていたのだ。
しっかりとした骨格をもった、ファンタジーの古典であり、われわれの日常時空の背景輻射ともなっている。
そう、風と共に去りぬのヴィクターフレミング監督であった。