マンマ・ミーア~KARAを聴いて

こんな記事はこれまで書いたことはない。
アルバムやアーティストについてはあるが、一曲だけでわたしに記事が書けるとは到底思えない。
しかし、この曲のMVをiTunes Storeから購入しVideoで見ているのだが、あの滅法格好良いSpeedUpをも凌ぐ何かを強く感じる。そこを(その周辺を)ちょっとだけ語りたい。
この曲には、またこの曲を唱っているKARAには、あるところにたどり着いた、という雰囲気がある。
畳み込まれた時間が放つ郷愁とでも言うか。
遠い昔に滅んだ文明から続くCodeが琴線に触れた感触だ。
SpeedUpは徹底してスタイリィッシュを極めたMVであった。
ともかくハラさんがあまりに決まっていた。
全く隙のない凄い出来で、K-Popの中でも傑出していた。
しかし今度の”マンマ・ミーア”は、何の変哲もないユーロポップのCode進行の曲のようでいて、何とも言えない郷愁を覚えてならない。
KARAはドタバタ続きのようでいて、KARA自体(としか言い様のない何か)は相当な結晶化が進んだと思う。
(2人が抜け、新メンバーがひとり加わったばかりだが)
新しいヒトはピッタリマッチしてると思う。
カン・ジオンさんが出来れば戻ってくれればと思っていたが、これでいいと思い直した。
この音の方向性はとても素敵だ。
このサウンドがこのメンバーならではのサウンドであるなら。
これがKARAのベストかも。
(カン・ジオンさんのソロを聴く限り、明らかに方向性が違う)
他に、K-Popグループでこの傾向の音を出しているのは、Raniaかな?
彼女らの選んだプロジューサーがマイケル・ジャクソンのプロデューサーだったテディー・ライリーだ。
RaniaはKaraの他にわたしの大好きなK-Popアーティストでもある。
T-AraやAfter Schoolも個性的でとても気になる存在だけども。
Raniaや新生Karaには、えも云えぬ郷愁を感じる。
永い時間レヴェルの郷愁を。
この先、彼女らには期待したい。
しかしKARAは、ハラさんと新メンバー以外の2人はかなりの年齢になる。
グループで激しく踊って歌うという形に耐えるのか?ひとりの表現者として独立したほうが良いのではないだろうか。
(余計なお世話だが)
KARAとしては、なるべく早い時期に、ハラさんと新メンバーだけ残し、2人新人を入れて再起動したほうがよいかも。
中のメンバーが新しく若くなったとしてもKARAの結晶化はこのまま進むように思われる。
このKARAはハラさんの個性がいよいよ熟成してきた結果かも、という気がする。
勿論、コンポーザーとプロジューサーが曲を制作している、とは言え表現者は彼女らであり、彼女らに合わない曲ーイメージは提供できないはず。彼女らも一方的に作られるほど大人しい存在ではないのは明白だ。
同様にRaniaにも”STYLE”のような方向性を強く打ち出して欲しい。
ただ心配なのは、STYLE MVでも一際目立っていたRikoさんが休養中とか。
彼女は学生時代、日本留学をしていた頭脳明晰な方で、当時日本語による文章力なども高く評価されていた。
確か、NHKの韓国語講座でTVにも出ていたはず。
話はだいぶ逸れたが、今うちではこれが頻繁にかかっている。

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