Utadaさんのアルバムを聴いて ”Exodus”
今さっき、”Exodus”聴き返してみて思うのは、あまりにストレートだということ。
ストレートに自分のこころのありのままを叩きつけている。
すくなくともプログレッシヴな要素など微塵も無い。
勿論、実験性や新しさを狙うといった、そういう類のアルバムではない。
表現までの距離が感じられない。
余裕が見られない。
”EasyBreezy”、”Kremlin Dusk”など、かなり「楽曲」として対象化された感のある曲もあるが、アマルガムなレヴェルの曲も目立つ。
何でこんなにヘビーなのか?
普遍性(イデア)を琴線に覚えるフレーズも勿論沢山あるが、過剰な力が噴出している印象が強い。
完成度は高いが、何かヘビーすぎる。
力―意思が楽曲に昇華―構成されきっていないとまで言う気はないが。
ストレートでハードでヘビーで、痛々しい。と言うか、生々しい。
久しぶりに聴いてそう想った。
彼女の資質からも、精神性をひたすら研ぎ澄ましてゆく過程で表出された音楽だと思うが、
宇多田さんのいつもの音楽的な洗練と醸成とは別次元のものだ。
このヒトの曲は、いつも極めてエモーショナルだ。
歌詞と相まって非常に哲学的で啓示的な昂まり(至高感)をも感じさせる。(相当な文学少女でもあるし)
しっかりした世界観のもとに無意識的にも意図的に作られたものであることが分かる。
聴かせるところを丁寧に聴かせてゆく、それは精緻なガラス細工のように作り込まれ練りこまれて。
そのため基本的に彼女の曲は、どの曲についても文句なしに共感でき感動を呼ぶものだ。
しかし、Exodus(出エジプト記)―脱出は、もしかしたら自分の限界を越えようという意思をひたすらに具現化したものかも知れない、と思われた。かと言って、意表を突いた小細工など一切使わないケレン味のない方法でのアプローチ。
しかしそれは、視聴者に向いた表出(メッセージ)ではなく、自分のみに向けた極めてストイックなDisciplineとしての生成。
とすれば、これもまた如何にも彼女らしいアルバムとは言えよう。
ファンなら必ず聴く。わたしも聴いた。
わたしは何故かこのアルバムを聴いて、Scritti Polittiを思い出してしまった。
対極の洗練スタイルだろうか。
音構成をひたすら極めるアーティスト。芸術至上主義的な。
しかしまんざらでもないはず。
宇多田さんならこの方向でも、精神性を追求する音楽性を高めてゆくのも可能だ。
どうだろう。
と当時、思った。
うんと軽くてスタイリッシュな宇多田節。
このアルバムの5年後に出た”ジス・イズ・ザ・ワン”では見事に宇多田節の、ある意味洗練された姿があった。
完成度はとても高いことは分かる。重厚なものも多い。
しかし、ちょっと異質に感じたとても気になる(結果お気に入りアルバム)Exodusで放出されたスターダストがどれだけ芽吹いたかは、判断出来ない。"Apple And Cinnamon"や"On And On","This One"など極めて素晴らしい楽曲もあるが、"Come Back To Me"などは、どうしたものか?こういう曲からのExodusだったのではないか、と勝手に想像してしまっていた。あの激しいパワーは重厚さに落ち着いた。
”ジス・イズ・ザ・ワン”は、”Exodus”をどういう形で受け継いだのか?
異なる形で昇華・異化されてより完成された宇多田節に戻ったという感がある。
安心できる反面、うーん。
あれからもうかなり歳も重ねたし、、、
そろそろ次の場所―ステージでの楽曲が聴いてみたい。

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ストレートに自分のこころのありのままを叩きつけている。
すくなくともプログレッシヴな要素など微塵も無い。
勿論、実験性や新しさを狙うといった、そういう類のアルバムではない。
表現までの距離が感じられない。
余裕が見られない。
”EasyBreezy”、”Kremlin Dusk”など、かなり「楽曲」として対象化された感のある曲もあるが、アマルガムなレヴェルの曲も目立つ。
何でこんなにヘビーなのか?
普遍性(イデア)を琴線に覚えるフレーズも勿論沢山あるが、過剰な力が噴出している印象が強い。
完成度は高いが、何かヘビーすぎる。
力―意思が楽曲に昇華―構成されきっていないとまで言う気はないが。
ストレートでハードでヘビーで、痛々しい。と言うか、生々しい。
久しぶりに聴いてそう想った。
彼女の資質からも、精神性をひたすら研ぎ澄ましてゆく過程で表出された音楽だと思うが、
宇多田さんのいつもの音楽的な洗練と醸成とは別次元のものだ。
このヒトの曲は、いつも極めてエモーショナルだ。
歌詞と相まって非常に哲学的で啓示的な昂まり(至高感)をも感じさせる。(相当な文学少女でもあるし)
しっかりした世界観のもとに無意識的にも意図的に作られたものであることが分かる。
聴かせるところを丁寧に聴かせてゆく、それは精緻なガラス細工のように作り込まれ練りこまれて。
そのため基本的に彼女の曲は、どの曲についても文句なしに共感でき感動を呼ぶものだ。
しかし、Exodus(出エジプト記)―脱出は、もしかしたら自分の限界を越えようという意思をひたすらに具現化したものかも知れない、と思われた。かと言って、意表を突いた小細工など一切使わないケレン味のない方法でのアプローチ。
しかしそれは、視聴者に向いた表出(メッセージ)ではなく、自分のみに向けた極めてストイックなDisciplineとしての生成。
とすれば、これもまた如何にも彼女らしいアルバムとは言えよう。
ファンなら必ず聴く。わたしも聴いた。
わたしは何故かこのアルバムを聴いて、Scritti Polittiを思い出してしまった。
対極の洗練スタイルだろうか。
音構成をひたすら極めるアーティスト。芸術至上主義的な。
しかしまんざらでもないはず。
宇多田さんならこの方向でも、精神性を追求する音楽性を高めてゆくのも可能だ。
どうだろう。
と当時、思った。
うんと軽くてスタイリッシュな宇多田節。
このアルバムの5年後に出た”ジス・イズ・ザ・ワン”では見事に宇多田節の、ある意味洗練された姿があった。
完成度はとても高いことは分かる。重厚なものも多い。
しかし、ちょっと異質に感じたとても気になる(結果お気に入りアルバム)Exodusで放出されたスターダストがどれだけ芽吹いたかは、判断出来ない。"Apple And Cinnamon"や"On And On","This One"など極めて素晴らしい楽曲もあるが、"Come Back To Me"などは、どうしたものか?こういう曲からのExodusだったのではないか、と勝手に想像してしまっていた。あの激しいパワーは重厚さに落ち着いた。
”ジス・イズ・ザ・ワン”は、”Exodus”をどういう形で受け継いだのか?
異なる形で昇華・異化されてより完成された宇多田節に戻ったという感がある。
安心できる反面、うーん。
あれからもうかなり歳も重ねたし、、、
そろそろ次の場所―ステージでの楽曲が聴いてみたい。

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