Stay Gold 大好きだから、ずっと、、、。
Stay Goldはスティーヴィーワンダーの曲がよく知られてますが、うちでは宇多田ヒカルのStay Goldです。
日本のポップスをまともに聴き始めたのは、宇多田さんの曲を聴いてからです。
はじめて、超越的な美を目の覚めるような思いで感じたのが宇多田さんです。
それまで全く日本のロックやポップスには感じなかったもの。
宇多田さん以前は、日本のものでなければ取り敢えず何でも良い、という感じで聴いていましたから。
未だにロックはそのままですが。全く変わらない。
かつてのイギリスの発狂寸前の甘味な毒物ものや、ドイツの破壊的・観念的で徹底したもの、アメリカというよりニューヨークの乾ききった退廃的なもの、イタリアの潔癖な構築美(しかしもっとも虫唾の走る類の音も伊製のものですが)、に惹きつけられていましたから。(*伊は、アルティ・エ・メスティエリ、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ、アレアくらいです。どれもよいのは。チェレステも捨てがたいが、レ・オルメ、オザンナもアルバムによる。その他は、あまりに無残なものばかりが目立ちました。)他の国ではオランダのメカノ、フランスのオルケストル・リュージュがトテツモナイ特筆ものですが、他は目の覚める、、、まではいかず。そこそこいいね、というところでした。
所謂、思春期ずっとそれらに呪縛されていました。
はっきり言って、日本はロックの生まれる土壌ではないですね。
一神教による内面化された尋常でない抑圧もないし、八百万の神のいる、中空構造の国というのは、ある意味救われてしまってますね。石と鉄でなく木と紙という建物も外と内という関係が流動的で、溜まり滞るものがない。
そもそも自我も生じない。
ロックも生じようがない。
流行に乗って真似してみたものの、何も生まれなかった。
必然性がないから。
しかしそれが必要で、なければ生きていけないヒトもいます。
海外から、他者から、しか得られない薬が。
文化に根付くものと根付かぬものは確かにあります。
それで良いと思います。
それを取り寄せる怪しい店はあります。
宇多田さんがニューヨーク生まれというのは重要なファクターです。
単に才能が飛び抜けていた、というだけの問題ではないでしょう。
それだけでは、何も生まれない。
何も、誰も惹きつけない。
あの過剰さは、何か(生命レヴェルのもの)を強烈に守ろうという意思(無意識)を想定してしまう。
つまり、瀕死の状態から生きようとする根源的で盲目的な力、、、。
こういうことを言ってしまうと超越論というかやはり本質論になってしまうが。
少なくとも幼い頃から音楽に慣れ親しんでいますから、というところから出てくるものではない。
(そういう人の音楽は思いっきり詰まらぬものが多い。パンクの対極にある。)
わたしがロックに求める場所を彼女の音楽はあの独特のキャッチーでヒット性の高いサウンドに宿していた。
パンクに快感を覚えていたわたしをも確実に捉えた。
昔、西新宿の雑居ビルの隣が学習塾をやっているレコード屋で”ノーニューヨーク”(LP)をGetしたとき、もう少し手にするのが遅かったら、そこに来ていた女子高生にその最後の一枚を奪われていたことを思い出す。
とても綺麗だが過敏で内向的な表情をしたその女子高生(に見えたが、女子中生だったかも)も明らかに、暇さえあれば、いつもひとりでこういうところにアルバムを探りに来ている種族で、その日はまさにそれ目当てで来ていたのだった。わたしがそれを手に取ると、明らかに悔しいという表情を見せたのだ。
わたしと多分精神的な血縁関係者だと感じられた。
勿論、気の毒だが、そのアルバムは絶対譲る気などない。
当時ニューヨークで神と呼ばれていた、ブライアン・イーノプロデュースのコアなパンクアルバムだ。
大いに期待していたアルバムだ。わざわざ遠くから買いに来たのだ。(遠い割にはしょっちゅうやって来ていたが。)
ソリッドにも程がある、という音だった。なんにもないサウンドだった。乾いた残虐な涅槃の音。
こういう音しか聴けなくなった者がギリギリ何とか世界に繋がろうとしたとき、宇多田さんの音にはスムーズに連動できた。非常に懐の深い音なのだ。
詩がまた、とても良くかけている。
彼女の詩の朗読も好きだ。
あの女の子は、その後、宇多田さんの曲、、、”Stay Gold"でなくても聴いただろうか?
そのまま、西新宿のそのレコード店通ってるようでは、もうかなり前から生きてない気がする。
確率二分の一で。
この世に着地出来てるか?

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日本のポップスをまともに聴き始めたのは、宇多田さんの曲を聴いてからです。
はじめて、超越的な美を目の覚めるような思いで感じたのが宇多田さんです。
それまで全く日本のロックやポップスには感じなかったもの。
宇多田さん以前は、日本のものでなければ取り敢えず何でも良い、という感じで聴いていましたから。
未だにロックはそのままですが。全く変わらない。
かつてのイギリスの発狂寸前の甘味な毒物ものや、ドイツの破壊的・観念的で徹底したもの、アメリカというよりニューヨークの乾ききった退廃的なもの、イタリアの潔癖な構築美(しかしもっとも虫唾の走る類の音も伊製のものですが)、に惹きつけられていましたから。(*伊は、アルティ・エ・メスティエリ、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ、アレアくらいです。どれもよいのは。チェレステも捨てがたいが、レ・オルメ、オザンナもアルバムによる。その他は、あまりに無残なものばかりが目立ちました。)他の国ではオランダのメカノ、フランスのオルケストル・リュージュがトテツモナイ特筆ものですが、他は目の覚める、、、まではいかず。そこそこいいね、というところでした。
所謂、思春期ずっとそれらに呪縛されていました。
はっきり言って、日本はロックの生まれる土壌ではないですね。
一神教による内面化された尋常でない抑圧もないし、八百万の神のいる、中空構造の国というのは、ある意味救われてしまってますね。石と鉄でなく木と紙という建物も外と内という関係が流動的で、溜まり滞るものがない。
そもそも自我も生じない。
ロックも生じようがない。
流行に乗って真似してみたものの、何も生まれなかった。
必然性がないから。
しかしそれが必要で、なければ生きていけないヒトもいます。
海外から、他者から、しか得られない薬が。
文化に根付くものと根付かぬものは確かにあります。
それで良いと思います。
それを取り寄せる怪しい店はあります。
宇多田さんがニューヨーク生まれというのは重要なファクターです。
単に才能が飛び抜けていた、というだけの問題ではないでしょう。
それだけでは、何も生まれない。
何も、誰も惹きつけない。
あの過剰さは、何か(生命レヴェルのもの)を強烈に守ろうという意思(無意識)を想定してしまう。
つまり、瀕死の状態から生きようとする根源的で盲目的な力、、、。
こういうことを言ってしまうと超越論というかやはり本質論になってしまうが。
少なくとも幼い頃から音楽に慣れ親しんでいますから、というところから出てくるものではない。
(そういう人の音楽は思いっきり詰まらぬものが多い。パンクの対極にある。)
わたしがロックに求める場所を彼女の音楽はあの独特のキャッチーでヒット性の高いサウンドに宿していた。
パンクに快感を覚えていたわたしをも確実に捉えた。
昔、西新宿の雑居ビルの隣が学習塾をやっているレコード屋で”ノーニューヨーク”(LP)をGetしたとき、もう少し手にするのが遅かったら、そこに来ていた女子高生にその最後の一枚を奪われていたことを思い出す。
とても綺麗だが過敏で内向的な表情をしたその女子高生(に見えたが、女子中生だったかも)も明らかに、暇さえあれば、いつもひとりでこういうところにアルバムを探りに来ている種族で、その日はまさにそれ目当てで来ていたのだった。わたしがそれを手に取ると、明らかに悔しいという表情を見せたのだ。
わたしと多分精神的な血縁関係者だと感じられた。
勿論、気の毒だが、そのアルバムは絶対譲る気などない。
当時ニューヨークで神と呼ばれていた、ブライアン・イーノプロデュースのコアなパンクアルバムだ。
大いに期待していたアルバムだ。わざわざ遠くから買いに来たのだ。(遠い割にはしょっちゅうやって来ていたが。)
ソリッドにも程がある、という音だった。なんにもないサウンドだった。乾いた残虐な涅槃の音。
こういう音しか聴けなくなった者がギリギリ何とか世界に繋がろうとしたとき、宇多田さんの音にはスムーズに連動できた。非常に懐の深い音なのだ。
詩がまた、とても良くかけている。
彼女の詩の朗読も好きだ。
あの女の子は、その後、宇多田さんの曲、、、”Stay Gold"でなくても聴いただろうか?
そのまま、西新宿のそのレコード店通ってるようでは、もうかなり前から生きてない気がする。
確率二分の一で。
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