廃墟に関してー2

最近、パソコンの廃墟化(悪い意味で)が進み、FC2ブログを書いている最中、急にパソコン自体が落ちることが頻出している。昨日、「廃墟に関して」を9時に書き始め95%行ったところで落ちた。起動しなおしてブラウザ上で復元させようとしたが、データは戻らなかった。FC2がBloggerみたいに1字づつ自動でサーバー保存してくれたら、落ちても何の支障もないのだが。FC2は保存してしまったら、そのままアップされてしまう。だからワードに書いてそれをアップ時にペーストする以外にない。が、めんどくさくてそれをやらなかったときに、昨日二度目のダウンが起き、15時から書いたものがすっ飛んだ。やはり復元も出来なかった。
であるから、昨日アップしたものは22時半から書いたものだ。0から書き直したので。もう朝に何を考えて書いたか忘れてしまっていた。最初書いた分量の75%くらいだったので、だいぶ書き漏らしたはずだ。全部で2時間以上は空費した。
だが、その分はまた改めて書けばよいと思う。
肝心なのは、時間だ。
それ(建造物)が本来の役目を遂行出来なくなり、放置されるようになったとしても、それで「廃墟」になれるわけではない。「廃墟」としての品格に欠けたものは、最初からこの世に存在しなかった物として、完全にその痕跡もろともその名とともに永久に抹消されるだけのものである。記憶も消去される。
わたしがかつて入院したことのある病院は廃墟と言うより、単なるお化けスポットとなり、中に落書きをしこたまされた後、完全に解体され今は跡形も残っていない。そこにはずっと以前からあったかのように違うものが建っている。何が建っているかは、記憶にない。その付近に住んでいる人々も、かつての病院の名前を知っている人はいない。わたしも勿論、覚えていない。いつだったかそこに病院があったと知っている人が数人は残っているくらいの現状である。ヒトの延命のために存在した空間であったはずだが、自らは短命に終わった。もう誰にも思い出されることは無い。
「廃墟」と暗黙に認定され、廃墟として新たな時間を湛えて超然と存在するものは、いったいどこが違うのか?
昨日書いた、診察室も悪い意味での廃墟(他に何と名付けるか)であり、その中ですべてが間延びして逝く時間が支配する空間であり、あの部屋から何かが消失していく思いがした。いや、はじめから何もない、時間の締め出された耐えがたい空間であったのだ。例え毎日使われている部屋であっても、何らかの大変な欠落がある、何かの浸食が起きていることが分かる。空間の立ち腐れだ。そんな空間が都会のビルでは夥しい数に膨れ上がっているはずだ。わたしもかつてその一室にいた。
以前、ここで植物の無意識的な生長の話を書いたときに、高齢者のかつて一人住まいしていた空家のことも併せて述べた。これは植物に浸食されてつつ廃屋になっていくが、「廃墟」とはならない。
何というか、固有の時間性を宿す事が出来ず、ゴミ溜めに置かれたゴミ同様にそれは内側の細部からひたすら朽ちてゆくのだ。湿気や日照り、微生物や虫たちの活動も相まって。外部のエントロピーの流れに乗って逝く。
「廃墟」として屹立するものは、違う時間を保有する。
空間的にも何か圧倒する威厳を放つ。コンクリートでできていれば残るというものではない。病院もコンクリートだ。しかも、あの病院は単に経営者の問題で長く破綻後も長くほっぽっておかれた。
が、いっこうに廃墟になる気配はなかった。
ここで言葉の混乱と明らかな不足がある。急に廃墟について語りだしたため、所謂、「廃墟」と廃墟になりそこなった廃屋のようなもの、さらに日常使われているのに、すでに悪質な空間性を宿してしまっている場。そのへんを明瞭に分別する概念。それからこれらの関係やもっと一般化するための概念の導入がないと、この話自体が先に進まない。
要するに項が足りない。
そもそも何でわたしは、廃墟の話をし始めたのだろう?
それすらも、忘れている。
良いことだが(笑

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