攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEXを観る。

公安9課。攻殻機動隊。
「攻殻機動隊」と「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」とは時代設定と登場人物、ストーリーも異なる点が多く、「第三の攻殻機動隊」と言われる。
神山健治監督、士郎正宗原作、菅野よう子音楽
2003年「東京国際アニメフェア2003 公募・アニメ作品部門優秀作品賞」受賞。
わたしは何故かまだこれひとつしか見ていない。
これだけ見た範囲で感想を少しばかり。
SFものであると、存在学的な考察が深くなされたものでないと、10年も経てば単に陳腐なものになる。
テクノロジーは確実に当時の科学技術や想像を追い抜いている。
その多くのものは面白くない。
しかしこの映画は今が旬の内容だと思う。
さらっと見ただけだが、世界観と身体感覚がとてもしっくりする。
だからアイスクリーム食って、ポーズもしないで途中トイレに行っていても何ら問題ない。
同時代性がある。
そして普遍性がある。
日常的だから、面白い。
実は少し前に、韓国映画の”Yesterday”を見たのだが、実写と比べアニメ映画は圧倒的に自由度が高い。
思うように描けるのはアニメであることに間違いない。
思うようにと言うのは、正確にという意味だ。
集合無意識下で横断的に相互作用しあうリゾーム空間の広がりにハブ電脳を据え、総体としてある方向性を持たせるという発想はこれまでの識閾(下)を扱ったSF映画のなかでもはっきり現実味がある。
そんなこと既に行われていてもちっともおかしくない。
情報が技術的に一瞬にしてどこにも拡散出来る基盤があっても、国家があれば情報は管理される。
そのハッキング技術との鼬ごっこは現在も日常のことである。
ネットを介さずとも様々なメディアが重層的に絡み合い、情報が時空に横溢している。
様々な方向からの無意識への圧力・攻撃は絶え間なく加わっており、意識レヴェルのそれよりも遥かに深刻なのは言うまでもない。
それがわれわれの身体の現実である!
人間は加速度的に変わっている。10年前の人間と今の人間が同じ種と見て良いかどうか、無意識レヴェルの身体性を見てみないと分からない。と言うより、10年前の自分と今現在の自分は、はたして連続した存在なのか?
自分の名前を単に記憶している程度のアイデンティティの保証に、何を持ってわたしはわたしだなんて確信していられるのか?
私自身、最近頻繁に記憶が飛ぶ。
全く原因も分からないのだが、ある朝、突然腱鞘炎になっていて指の痛みが続いている。
これは何であるのか?単なる肉体的障害だけを見ればそれまでのことだ。
こんなことは誰にでもいつでも起こりうることだろう。
しかしその根拠が足りない。しっくりこない。
この映画で「精神」をほぼ同等の意味で「ゴースト」と呼んでいたと思うが、これに限らず、ネーミングが面白い。
ソリッドステイツしかり。
STAND ALONE COMPLEXしかり。
このへんでも、このアニメ映画には親近感を持つ。
それはそうとわたしが今まだ持っている3台のパソコンがXPのままなため、明日からSTAND ALONEとなる。
NETWORKから孤立し、まだパソコンとしてなんらかの意味があるか?
これは、そのまま人間にも当てはめられる。
このなんだかわからないロボット(乗り物)が面白い。


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