ダイアルM

久々にヒッチコックの”ダイアルMを回せ”のリメイク版アンドリュー・デイヴィス監督の”ダイアルM”を見た。
わたしは巧妙に筋の練られた映画より、空間的な重層構造を持った映画、なんというか絵画的で詩的な物質的深みを持つ映画を見ることが多いのだが、このようにあれよあれよといううちにグイグイ持っていかれるのも、ただもう面白い。
プロットの力だけで見せてしまう。
味わうというよりサクサク読むような映画だ。
しかし下手をすると行間まで読まされてしまう一筋縄ではいかないものだ。
速度とスリルがありよそ見をする余裕もない。
オリジナルのヒッチコックも良かったが(もうほとんど覚えてないが)、こちらの方の出来は素晴らしい。
この映画は、三角関係のつくる緊張感ー嫉妬・不貞による背徳感・発覚への恐れなどで揺れ動きつつ閉じている状態にあって、どうにもならない絶望感(ニヒリズム)と裏切りに対するストレスが基調になっている。そこに金の動機で殺人計画が綿密に練られる。鍵・携帯電話ヴォイスレコーダーなどによるトリックも決定的な要素として加わり物語を加速してゆく。
ガジェットとして最も大きく物語をカタストロフに導いたのは、ヴォイスレコーダーで、これの登場によりニヒリスティックな円環に閉じ込んでいた世界の色調が忽然と怒りの色に染め上げられる。急激にテンションが上がり列車でのナイフ殺人。主人公邸での夜の静寂に起きる拳銃殺人へと必然的に流れた。(その前に鍵のトリック(しくじり)を知った若妻がその流れの構造は作っている。)
これによって物語は内側に崩壊する。3人の構成人物だけで3人中2人が殺される。ひとり残ったグウィネス・パルトロウ演じる若妻は直接的に自分を抹殺して莫大な遺産を相続し会社を立て直そうとした夫を殺し、間接的に自分を裏切った(売った)浮気相手である画家を殺したことになる。何れも「怒り」による終局だ。
一つ大事な鍵は、デヴィッド・スーシェ演じる刑事とパルトロウが彼らだけのことばで意思疎通が出来たこと。この人間関係によって妻は問題なく正当防衛と断定される。映画の原題「完全殺人」確定である。
僅かな時間に培われた人間関係、しかしそれが信頼に繋がれば決定的な強度をもつ。
ことばの身体性の大きさを実感するところだ。
この物語の登場人物たちにもっとも欠けていたものはこの信頼関係であったためなおさらである。
少しだけ登場人物の心理レベルについて言及しておけば、マイケル・ダグラス演じる夫は、図らずも画家に心情を吐露しているが、妻とその男の親密な恋愛関係に対する嫉妬が彼を一番打ちのめしていることは間違いない。さらに自分の会社の破産を目前に資金繰りのできない無力感がこころを苛む。彼はすべてのレヴェルでの幻想が粉々に打ち砕かれ極めてニヒリスティックな状況におちている。妻を殺害させ相続金を会社立て直しに使おうという発想も、自分が宝石のように大切に扱っていた妻が自分を遠ざけようとしていることから生じたものだと言える。やがて詐欺師の画家がヴォイスレコーダーで金をゆすってきたことから、画家に対する激しい怒りが吹き上がる。しかしこの夫の殺意は、画家と妻に対してというより、2人の関係性に対する怒りであり、自分にないその安定した信頼関係を完全に打ち壊すことこそが目的であったであろう。殺した画家の電車内に飾っていたそれを具現化したカードサイズの作品が象徴である。彼はそれをポケットにしまう。
画家においては、最初の殺害依頼を金目当てで受けたはよいが、実際に自分で手は下せないで失敗する。替え玉にやらせたことについて「自分の手を汚すのは嫌でね」と夫には返すが、金目当てで接したとは言え若妻に対しすでに恋愛の情は生じており、到底自分で殺すなど出来ない心境に至っている。実際暗殺が失敗したことを知って心底ホッとしていた。
さて、彼にとって自分で殺さず、夫から金だけせしめられないかが問題である。ここはダグラスよりモーテンセン演じる詐欺画家の方が犯罪に関しては一枚上手である。伊達にこれまで長い詐欺人生を送ってきたわけではない。最初の殺害打ち合わせをヴォイスレコーダーに録っていたのだ(さらにコピーを妻あてにも郵送していたのだ)。これが夫の怒りを極限にまで高めることとなる。明らかにやりすぎた。相手は崖っぷちにいて、もはや冷静に損得を分析出来る状態ではないのだ。知略に溺れて身を滅ぼすこととなった。
グウィネス・パルトロウは浮気による背徳感で過敏になっており夫の存在に怯える可憐な若妻である。彼女は知的で勘も冴えており、いろいろなことに気がつく。鍵の件から調べていって夫の会社がすでに終わっていることを突き止め、夫が殺人未遂に大きく加担していることまでわかってしまう。しかし知的である分、夫の屁理屈に丸め込まれる傾向もあった。
少なくともこのドラマの中でグウィネス・パルトロウは徐々に逞しくなっている。または本性が出てきているのか?
やはりヴォイスレコーダーが決定打となり彼女の2人に対する怒りも静かに爆発する。
「やはりお前が死ぬしかない」と向かってくる夫を銃殺する。
最後の殺しっぷり、これは相当な悪意が窺えた。
これは確かに正当防衛には違いない。
が、最初から彼女は銃を隠し持っていた。
この映画、役者も見事にハマっている。
こういう役をやらせたら右に出るものはいないマイケル・ダグラス。
知的で清楚でフラジャイルな魅力を持つ、発音しにくいグウィネス・パルトロウ。揺れ動く若妻を繊細に演じている。
ロード・オブ・ザ・リングでお馴染みヴィゴ・モーテンセン。この人は詩人でもあるという。なお、映画に出てくる絵はこの人の作品だそうだ。
デヴィッド・スーシェという刑事役の人がまた大変インパクトがある。名探偵ポワロシリーズの主役で有名な役者だそうだが、わたしは見ていない。2002に大英帝国勲章を授与されている。
感想を言えば、一言、マイケル・ダグラスいえあの夫には本当に哀れみを感じる。
彼は、端から悪丸出しで細かい計算ばかりして追い込まれていく人間に見えるが、自分がもっとも大切にしているものに排除されて生きる深い孤独を抱えている。自分が本来望んでいる関係性が決して望めないと認識するや、深いニヒリズムに陥る。自棄っぱちである。せめて最後は妻に撃たれて殺されたかったのかも知れない。そんな気がする。
わたしも結局のところコミュニケーションの問題なのか、この夫のような立場に立つことが幾度となくあった。
しかしだから共感できるかと言えばそうではなく、彼のような人がいたらやりにくいだろうなとつくづく思ってしまう。
自分に似ている分とてもキツイ。
そんな人だ。もしかしてマイケル・ダグラスその人もこんな人なのだろうか!?
そんな気がする。

にほんブログ村
