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多肉植物も元気になってきた

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冬のあいだ多肉植物はどうしても弱々しくなる。
葉っぱが薄くなり、萎れ、完全に茶色くなり萎びくれて枯れるものもある。
庭に野晒しというわけにはいかないので、簡易温室に入れておいたが、やはり寒い時は寒い。
寒さに特に弱いものは、毎年繁茂の規模が小さくなってゆく。
比較的強いものは、持ちこたえ、蘇る。
中にはビクともしない種類もあるが。

ここ最近覆いを外し、単なる棚の状態で一日中外に置いている。
日中陽の光をずっと浴びていると、冬を密かな力で耐えることができたものたちは、葉っぱもふくよかさを取り戻し、日に日に元気になってゆくのが分かる。

如何に存在の冬の時期をもちこたえるか。
その期間に出来ることを、それは決して生産的なことではないだろうが、積んでおくことは大切だと思われる。
見た目には単に籠っているように見えても。萎縮しているような様子であっても。
それが活動できるようになってから、その密かな蓄積は生きてくるはずだ。
過激に活動を止めるー仮死状態になるのも有効な方法だ。

しかし、それだけとは言えない。

温暖化が進んでもかつてない寒波も押し寄せる。
環境はあらゆる面で過酷になっていることは確かである。

やはり、存在はすべからく外壁を強化し、内的宇宙を豊かにしていく方向性が加速する。

種よりも個としての進化が進んでゆく。
個の系の流れは止まらない。

冬を越した多肉植物の顔を眺めていると、1年毎にそれぞれの株が自分独自の場所の顔になっていることに気づく。
同じ種なのに、ずいぶん違う。少し離れていれば光の当たり方、空気の流れ、微妙な温度差も異なるが、それ以外にも何か見過ごされた要因も感じる。

「サボテンが話した」という本を思い出した。
彼らに語りかけると個人的に?話に応じてくれるものがいる。
ここには危険はないからと言って、納得してくれたサボテンは針を自ら落としてくれたと。

ヒトのような複雑系においては、、、。
かえって何もかも見えにくくなってくるが。

やはり過酷で予測不能な歴史においては強靭な壁で内界を守りつつ、独自な創造溢れる宇宙の系があらゆる空間を交錯して走る。
これがときおりリゾーム状に接続してはスパークするような関係性が生じれば生命存在にとって良い刺激にきっとなる。
個々に系を繋いで、新しい存在形態が生まれてゆく。
精神が外部に依存するものは確かに激減している。

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ロスト イン トランスレーション

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ソフィア・コッポラ脚本・監督の作品。
2004年アカデミー脚本賞にも輝いている。

ビル・マーレイ、、、、ボブ・ハリス(サントリーウィスキー撮影のため来日)
スカーレット・ヨハンソン、、、、シャーロット(ジョンの新妻)
ジョバンニ・リビシ、、、、ジョン(カメラマン)
アンナ・ファリス、、、ケリー(映画女優、記者会見で来日)


確かに脚本賞は分かる。このスカスカの淡々とした荒涼感はとてもよい。
作品賞、監督賞、主演男優賞もノミネートされていたが、とってもおかしくないものだ。
以前”ヴァージン・スーサイズ”を見たがほぼ共感不能であった。それから見るとまったく違う監督作品に見える。
良い監督になったなと思えた。
ビル・マーレイも何とも言えない倦怠感があり良い味が出ていた。ロキシーミュージックの”モア・ザン・ジス”はわざと下手に歌っていたのかどうかが不明であったが、恐ろしく下手だったのが印象に残る。
「真珠の耳飾りの少女」で好演したスカーレット・ヨハンソンは4つくらい上の女性の役であるが、ここでも感受性豊かな内省的で知的な演技をみせていた。彼女ももらっても良いと思う。

ディスコミュニケーションとまでは言わないが、どうにも埋めがたいズレはコミュニケーションにおいてはどこにおいてもある。そこからくる孤独は誰においても生まれる。
この映画のテーマは普遍的である。
誰にも翻訳できない言葉を誰もがもってしまっている。

この映画に描かれたような男女はいくらでもいる。
東京のありふれた光景。
どこにでもいる人びと。
別に舞台が東京である必要もない。
どこでもよい。京都にも女性の方は行っているが。

監督によってかなり異様な日本像を描く人がいるが(未だに日本だか中国だか分からないメデタイものもある)、彼女の描く日本は、ニュートラルで磨かれた感性による過剰な思い込みのないものだ。
その分主人公たちの儚さと浮遊感が際立つ。
(間違っても旅先で自由を満喫するとかいうものとはまったく異質のものだ。)
東京という異文化の中でその寄る辺なさ、その漂流する様がくっきり浮かび上がってくる。
同じ国の年配の男と大学出たての若妻が波に浮かんでいれば、藁にすがる気持ちも分かる。
そして感情も少し通じ合えば、淡い恋も生じるであろう。
そう、その色調で統一された映像である。
微妙で繊細な流れに乗ってほとんど何もない時間が過ぎてゆく。
2人の主人公たちも、ここで別れたらもう一生会うこともない関係性だ。
お互いに空虚を共有している。ではどこでなら濃密な関係性がしっかり築けるのか?
結局そんなところはないという確信だけはこの滞在を通して持てるかも知れない。

映像はほとんど脚色を感じない、しかし低予算のチープさはない、
一言で言えば、ニュートラルな美が感じられる映画であった。
通常、人は生きているうちに必ず偏奇してしまう。
ニュートラルな眼差しは相当に概念を相対化した果てでないと身につかない。
このあとの作品は観ていないが、ぜひ観たいと思わせる監督である。



最後にわたしが一番印象に残ったところは、京都の寺で神前結婚式をあげる新郎・新婦の姿を柱の影で頬を明るくして見つめるシャーロットことスカーレットの表情だ。
スカーレット・ヨハンソンという人は、静謐で儚く繊細な演技が光る女優だとよく判った。
フェルメールの映画でもそれはつくづく感じたものだ。
彼女の出演作もまだ2つしか観てない。
他でどんな演技をしているのか興味が増した。


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マイノリティーリポート

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予防的治安維持機能を遂行する「犯罪予防局」がプリコグという預言者3人を管理して殺人発生を未然に防ぐという、そもそもプリコグとは一体何なんだ?人間であるプリコグをシステム‐機械の中核に据えて利用するという犯罪予防システムとはいかがなものか、という違和感がまずはじめにこちらの脳裏に蟠ってしまう。人間なら寿命もあるだろうし、システムとしての永続性はどうなんだ、という点も含め。その水槽のある場所を神殿?とか呼ばせてその「生贄」の存在を正当化している。そのかいあって犯罪発生率は90パーセント減少し、システムが稼働してから殺人事件は0となる。犯罪が発生する前に警察が踏み込み殺人予定犯人が逮捕されるからだ。
今現在はワシントンDCにおいて実施されている。

殺人予告が3人の予知夢から知らされるが、ときおり食い違う予知夢が一人から発生することがあり、それが「マイノリティーリポート」として秘密裏に破棄される。これが外部に知られるとシステムの信頼性が崩れ、とても全国規模での民衆の支持は得られない。当然だ。
さらにそれだけでない主人公にも絡んでくる重大な問題(犯罪)をこのシステムはその起源において秘めていた。
予知夢にエコーというその映像をプリコグが反復してしまう特性を持つことが物語の鍵になっていく。
そして何より「予知」とは?
人にとって予知とは何か?

ストーリーの中で出色なのは、主人公はシステムの改ざん秘密を探るため、当局から追われる身となり自分の目玉を他人のものと入れ替え、至るところに張り巡らされた網膜スキャナーをかい潜り潜入して行くところ。まさにスリルとサスペンスてんこ盛りの場面であるが、この過程で次々現れるテクノロジーや奇妙な改造された植物などの登場に、興味というよりたまらなく好奇心を強く刺激された。
何をとっても2001年宇宙の旅の精緻なテクノロジー演出をブラッシュアップし強烈にアクティブにしたものだ。ブレードランナーに比べても、謎解きサスペンスも加わり、遥かにスリリングで息もつかせぬ速度感がある。網膜を求め温度センサーで探りまわるスキャナー蜘蛛や潜入時に自分の目玉を袋から落としてしまい、転がる目玉を追いかけなんとか一つだけ拾うところなど何とも言えない真に迫る直接性もある。(ここは思わず身を乗り出しヒヤヒヤしてしまった)
犯罪の予知発生時に透明管を転がってくる玉も、ロトのようなクジを想わせ面白い。その色によっても犯罪の種類が異なる。厳格なテクノロジーの中に秀逸な遊びの要素を感じるところも少なくない。
深紅のLexus Minority Report Sports Carにも魅了された。市販されたら買い手は5万だ。(値段ではない!)

大変な発明が実は麻薬「ニューロイン」の中毒患者から生まれた遺伝子疾患を持つ子供の治療過程から意図せず生まれたことや、主人公が「はめられた」場面でも、関係ない人物を射殺することを自分の意思では思い止まったにも関わらず結果的に予言通りに相手が銃で死んでしまうところなど実に感慨深いものであった。
通常われわれにとっての予知ー占いの類は、過去の解釈ー物語化である。(実際にそれとして経験された後の解釈によってはじめて評価が決まるため。それ以前に予知であったかどうかは構造上確認しようがない)
ここでの予知は犯罪に限られているが(選択されている?)それが絶対であればそれは現在の予定である。
しかしその事態を知った(超越的立場にいる)者にとっては、意思によって変更できるということがここでは要諦になる。つまり予知発生後にその加害者が超越者の立場であればその犯罪は未然に防げる(犯罪を犯さずに済む)というものであるが、予知通り被害者は出てしまう場合がある。

すべて「絶対的予知」に振り回されるという話の展開であったが、最後にその円環構造から解き放たれる。
それが意思による選択であった。

物語・道具立てともに重厚で稠密かつ優れたアイデア(実用的な)に富んでいる。
フィリップ・K・ディック原作、スティーブン・スピルバーグ監督作品はやはり最強であった。
紛れもない類を見ない傑作SF映画である。




これについての解説は映画の中ではなかったが、まず犯罪の予知というとき、どのレベルでのものなのか。原発テロとか国際組織的大規模犯罪などについてはどうなのか?予知が出る時間によっては間に合わない場合はないのか?それも計算しての予知か?国外に飛び他国の中枢にも深く潜入しなければならないものもある。あくまでも個人レベルの犯罪に関してか?予知に関しては対象外(選択)も存在するのか?
超越者の存在は最初に予知できないのか?
メビウスの輪のような問題になるが。

いろいろ思うところが出てくる映画です。(これらは書く気はありませんでしたが)

*ちょっとわたしがしっかり見ていなかったせいか、あのエコーのトリックを見破った検査官が黒幕(まさに犯人)に打ち明けたときに射殺されるところの予知夢はどうなっていましたっけ?まだプリコグは外に出されていませんよね。あの状況で削除する余裕もないはずですが。

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Lexus Minority Report Sports Car

余談ですが、プジョーのコンセプトカーMetromorphはまるでこの映画で使われていた車を思わせます♡
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殯(もがり)の森体験

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2007年
河瀬直美監督・脚本

うだしげき 、、、しげき
尾野真千子 、、、真千子
渡辺真起子 、、、和歌子
ますだかなこ 、、、真子
斉藤陽一郎 、、、真千子の夫

うだしげき(古書店「ならまち文庫」・古書喫茶「ちちろ」の店主)は俳優としてのデビュー作。


わたしが見る夢にちょっと似ている映画です。
話の展開も夢のような強引さや恣意的なところもあり、とても見やすく分かりやすいものでした。
アニミスムとか原初的な意識体験を追体験するような感覚も当然もちます。

物語というよりある場所のある人たちの現実をまとめて撮ったドキュメンタリー調の映像でした。
認知症のしげきさん?でしたっけ、の素人演技がよかったです。
演じていないような演技で、プロならもっとやってしまうところが素っ気ない。
介護の女性職員も同じトーンで絡んでいて素晴らしかった。
そこがこの映画の基調になっているように思います。
そこが重くならないことで、草叢を一斉にそよがせる風が入ってくる。
日光も射すし、水も流れる。
森の自然が生きてくると感じられました。
セリフも森の中の様々な物音の一つとなって溶け込んでいました。
わたしはほとんどセリフについては何言ってるのか聞取れていません。
が、なんとも不足感はありませんでした。

森の中で土を掘ってそこに眠るっていいな、と感じます。
「殯」感覚です。
これはよいと思いました。
わたしもやってみたい。
最愛の人の眠る場所で眠るっていうのは気持ち良いに決まっています。
わたしの場合、かつて飼っていた真っ白い猫の『ホキ』です。

この映画は最愛のヒトを亡くした者同士の関係を描きつつ進行しますが、
単なる風光明媚な場所にあるグループホームだけでは関係形成には限界があります。
もちろん理解‐関係を特に深く築く必要もないでしょうが。
しかし、ふと逸れた脇道から森の深みにはまるなんてことは現実によくあることです。
そこは濃密な生きられる時間が流れているかも知れません。

現実の世界は平坦なものではなくあちこちに穴はたくさん空いていますから。
シュルレアリスムのパンフレットもわれわれはもううんざりするほど目にしてきました。
認知症の人のナビゲートで脇道に入って、盗んだスイカをお互いの口に突っ込みおいしく食べて、
夜は冷えるので身を寄せ合い焚き火にあったって、
泥だらけびしょ濡れになりながら地面を手で掘る。
そして擬似的な死を体験する。
再生して帰る(笑
究極のリフレッシュです。
夢の中なら疲労感なくできますが、実際にもやってみたい。


でも夢の中のような体験を実際に映像で見ることができて、ちょっと現実にやってみたような感覚にも浸れ、清々しい気持ちになれました。
気持ちの良い映画です。


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真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)

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「青」について何か書きたいと思い、フェルメールが脳裏を過り、この映画にしました。

全編がフェルメールの絵といえます。

ここまでの絵に作り込んだ監督そしてキャストは素晴らしいという以外に言葉がないです。
美術セット、照明、衣装、時代考証だけでなくセリフのトーン、息遣い、ささやかな物腰にいたるまでフェルメールの絶妙な中間トーンを乱さず進行していました。
ピーター・ウェバー監督。
これが長編初作品!

この美しさを圧倒的な緊張感で支えたのがスカーレット・ヨハンソンの息を呑む透明な美しさ。
徐々に交響詩のごとく重奏する各役者の抑えた静謐な演技が際立ち始め。
画家の妻の激昂や暴力的な振幅も含みつつ、まさに芸術的なエロスが極まってゆきます。

美とエロスとはこういうものか、と今更ながらに納得する香り高い名作です。

一際ヨハンセン演じるところのグリートを魅力的にしているのは、その内省的な演技のみならず、セリフです。セリフについては、それを言うトーン次第でいくらでも綻んでしまう事を演技者誰もが認識して、ひとつの調和したタペストリーにしていることはとても見事ですが、とくに彼女のセリフはその間も含め言うこと無しでした。
雲の色を一つ一つ見出して発する間といい、カメラオブスキュラを始めて覗いて、驚いてする質問と表情、フェルメールの部屋掃除にあたって窓掃除の許可を妻にとるとき、自分の肖像画を見せられた時のことば、、、など。

これはドラマですが、実際にフェルメールもこんな下働きの女性が来てくれたなら、、、椅子が構図上邪魔だと判断し、夜のうちにどけてしまう。フェルメールはそれに気づくが、その案を飲み込みその構図で絵を仕上げてしまう。
構図を考えられる頼もしい助手であり理解者でもあり、雪の吹雪くなかラピスラズリも買ってきてくれ、色彩感覚に優れ、絵の具作りや光も計算に入れた繊細な掃除もしてくれ、モデルもこなせるのなら、、、深い孤独の中にいたフェルメールも、いやこの状況下では余計辛くなりますね(笑、まったく余計なことです。

わたしの一番好きなシーンがフェルメールが窓を開け放ち、こっちへおいでと窓辺に誘い、雲は何色だ?と聞くシーン。あそこから急激にこころが映像の流れに巻込まれていきました。そこから登場人物が様々な強度で絡み合ってゆき、グリートは、本当の助手のようにフェルメールの絵の具作りを隣でします。掃除・洗濯・料理よりもそちらが主体となってゆく。そんななかでの娘からの度重なる嫌がらせ、街の噂、とんでも無いパトロンの仕打ち、にもめげず画家の絵の具作りなどの支援に直向きに献身的に尽くす。これはひとつに彼女の中に眠っていた芸術的才能の覚醒があった。そして、作業中手を触れ合った時にはっきり感じたお互いの恋慕の情。これがそれ以降のドラマの展開の捩れて蛇行する中心線となってゆきます。大変、芸術的な強度をもった精神の触れ合うエロスです。現実的な状況が何であれ、それらを染め上げてしまうエロスです。これは色に例えれば、ラピスラズリです。

破れ目のない美しいフェルメール空間と繊細な演技のトーンが貫かれ「真珠の耳飾りの少女」に恥ずかしくない映画の完成をみています。

つくづく役者とは、何なのかを想う機会ともなりました。
また、時代考証。17世紀デルフトの街が色濃く堪能できました。


スカーレット・ヨハンソン の演技が素晴らしい。
フェルメール役の コリン・ファースも抑えた良いトーンを維持していました。
ピーター・ウェバー監督の実に丁寧な作りこみには感服しました。


これはまさしく最も美しい「青」 ラピスラズリの映画です。

017Scarlett Johansson



参考までにこのようなものもあります。
(悪乗りか?)

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深海魚は泳げない!適応とは

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ここのところ、これまで港に上がったことのない深海魚が次々に海上に上げられています。
シャチブリ、カガミダイ、リュウグウノツカイ、リュウグウノヒメ、カグラザメなどなど、、、。
珍しい形の魚をよくTVで見るようになりました。
さかなくんの解説もよく聞くようになりました。(TV出演増えてますね。さかなくん)

ダイオウイカは以前TVで放映された、潜水艦から撮られた範囲では大変敏捷で泳ぎが達者という印象でしたが、
ほとんどの深海魚はその棲息環境が大変静かでさして動く必要がないため、泳ぎが苦手なのだそうです。
ですからうっかり上にあがってしまった場合、泳いで自分の住処に戻れない。
それで水圧の低さもあって、死んでポッカリ上がってしまうようです。
お気の毒に。

彼らが浮き上がってしまうのは、強い寒気による海水の攪拌が原因と言われています。
黒潮と対馬海流との影響で。
しかしそれだけの原因かどうかはまだ判明していません。


これに限らず、自然環境が変わってきていることは誰の目にも明らかですが、
一般的には、いよいよ地球温暖化がのっぴきならない事態のようです(わたしには俄に信じ難いところですが)

そこで最近考えられていることは、その「温暖化」における適応だそうです。
どのように適応していったらよいか。

台風、高波、伝染病、食料さまざまな問題があります。
地球で生きていくにおいて適応策なしにはまずどうにもなりません。
それが他の動物・植物も守ることを考えると同時に、
二酸化炭素削減方法も考えていかなくてはなりません。
一つは政治的に、もう一つはテクノロジーによって。(もちろん二つはかかわり合わないとどうにもなりませんが)

CO2をアミンゲルによってまたはアミンシートによりCO2のみ取り込み、それを圧縮して地中の帯水層に溜め込む事が目下最善の策として実施されているようです。
CO2を閉じ込めるのにまた熱エネルギーや過剰なコストがかかってしまっては元も子もありませんが、その問題については解決され、今現在使われている発電等の残余エネルギーの利用で賄えるようです。

帯水槽の上部にはキャップロック(粘土の多く含まれる層)がありほとんど閉じ込めたCO2は逃げられないとのこと。
その見込み蓄積量は日本の放出する100年分が可能といいます。
しかしそれとて有限の量です。
これからはCO2の再利用。CO2の循環こそ考えていく必要があります。

種の絶滅等の起こらぬような、適応出来る範囲での環境調整が図られることを願います。

とは言え、ここまでの話をひっくり返す様ですが、少なくとも人為的CO2が地球の温暖化を進めているという科学的裏付けはありません。然も、今地球は寒冷化に向けて進みつつあるのは事実です。
巷に云われる、「温暖化」とは何か、少し探る必要があります。温暖化に関する研究は上記のような取り組みの他かなりありますし、その産業、ビジネスもあります。CO2を出さない事から、原発をクリーンエネルギーとして押す動きも根強いものがあります。
わたしもCO2の固定に関しては賛成です。また化石燃料は有限ですし、再生可能エネルギーの開発は急務で有るはずです。
しかし、地球の気象状況における、しっかり統一された診断はなされていない模様で、あるのは、政治的、経済的な動きだけのような気もします。


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無重力

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重力と電磁波あっての人間だと思いますが、最近よく大気圏外まで飛んでゆき、無重力を体験する人が出ています。
これ自体、やはり画期的なことだと思います。
半分人間の外に出たようなものですよね。

重力のないところで始めて見えてくるものがありますし。
重力がなくても起こる対流現象に、表面張力による対流があるようで
その昔、イタリアの科学者によって理論的に予見されていた現象でしたが、地球上では調べようのないものでした。
それが実証されました。
表面張力が温度に反比例することから起こるものです。
地球上では重力による熱対流が大きく、その現象によって消されているものです。

趣深いものです。
その覆われてしまっている作用などが芸術に関わる何かなどではないか、などといらんことを想うことがあります。

筋ジス(デュシャンヌ型)の治療薬の生成においても、そのタンパク質を作るにおいて重力下では結晶構造が歪んでしまい宇宙空間でしか作れないということです。

いずれにせよ、無重力空間での研究はもはや無くてはならないものになっているようです。
たんにわれわれが地球上で暮らすためだけでなく、火星とかで暮らしてゆくためにも。

火星は地球の三分の一の重力ですから、筋肉や骨の管理が大切です。
もっともそれは地球に戻るつもりならの話で、そこに定住するならその環境に任せておけば良いだけの話でしょう。
プロポーションもかつての漫画で出てきた火星人ぽくなるのかも知れません。
そこで火星人として立派に進化していけばよいでしょう。

重力値が異なれば、同じ種を蒔いても違うものが生えてくることは間違いありません。
向井さんが宇宙空間で育てた稲は重力の方向が察知出来ず、根も芽もあらゆる方向に向かってしまいました。
それに細胞壁がとても弱いものになったと。
確かにそうでしょうね。

ただ、無重力空間の効用をもう一つ述べれば、そこに少し暮らせば自分の故郷は日本(自分の生まれた国)ではなく、地球だという意識が大変強まるそうです。
容易に想像はつきますが。

最近、マレーシア航空機事故を巡っての人命そっちのけの各国の駆け引きを見るに付け、「地球意識」を持つことの重要さをやはり感じます。食糧危機やエネルギー(原発).環境問題などに際して、自国だけ守るなどという発想はすべて無意味ですし。

早急にロケットに乗せたい人いますね。
いや、乗りきれない。
火星移住レベルになってしまうか?

そう言えば、ブレード・ランナーはそういう状況下の地球の物語でした。
何処かに移住してしまったらおしまい。
もう自我しか生じない。その関係性しか見えてこない。
地に足をつけず、抽象でこそ出てくる貴重な発想があります。

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カルピス幻想

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最近、おいしい飲み物が飲みたい!
と思ったとき最も美味しい飲み物はカルピスです♡
わたしはカルピスは子供の頃から飲んでいるのですが、今ほど美味しくなかった。
最近、とても美味しくなっていますよね。
だと思うのですが、いかがなものでしょう?

ここのところカルピスは一日たりとも切らせませんね。

うちの娘は何故か、「子供の飲み物」です。
多分、あの瓶のデザインが良いのです。
いかにも漫画チックで大人のお酒風な。

微炭酸の飲み物は他にもありますし。
カルピスソーダもイマイチでしたから。
多分雰囲気です。

近くになくて、少し遠くのお店に車で買いに行かされました。
もうすぐ飽きるのではないかと思っていますが。

カルピスは飽きないですね。
一時期、体に良いということで水分を摂る際、決まってミネラルウォーターを飲んでいました。
今もすべてベースは例の原発事故以来ずっとミネラルウォーターなのですが、
でも水だとやはり味気なく、水ならではの抵抗(異物感)があり飽きます。

でもカルピスにすると飽きません。
白さと透明感。
なにかとてもニュートラルな優しい味覚なのです。
クセがなく爽やかで後味が良い。
重くない。
抵抗がない。
そこが一番なのです。

昔のカルピスには、抵抗があった。
飲み物という異物感がありました。
私たちの体を犯すモノ=食物という。
もちろんそれは体を作る(維持する)ものですが
同時に衰弱(老化)に向けるものでもあるという苦さも含んでいました。
食べ物・飲み物特有の。

わたしは実は娘と同じく食べるのが嫌いで、小食でした。
有機体を生長させ維持しようということは同時に衰滅を引き寄せていくことに繋がります。
必然的に。
娘たちも最近は食べるようにあらゆる矯正をかけられているため少しずづ食べるようになってきましたが、
無意識的には、人形のように器官なき身体としての強度を保ち続けたいのだと思うのです。
食べないで排泄もしない、そんな身体で時空を超越したい。
永遠のプリキュアみたいに。


今のカルピスは人形に与えてもスーッと入ってたちまち虚空に消えてしまうのみもののような気がします。

白地に青い水玉。
デザインも絶妙だと思います。


*おっと忘れてました。カルピスアミールもずっと飲んでました。
でもそれ以外のフルーツカルピスとかは無理。オアシスとかサワーとかはダメ。

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STAP細胞についてのNHKの番組見忘れました(残

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日曜日の夜、放送されたはずなんですけど、うっかりしていました。再放送しませんかね?
ぜひ見たい!

この時期だからこそ、STAP細胞(の研究)とはなんなのか、その実現性、有効性にまともに向き合った番組を見てみたいのです。
わたしもあの最初の会見に心躍らせた人間のひとりです。

「細胞外刺激により体細胞を迅速に多能性細胞へ初期化する方法を開発
 核移植も遺伝子導入も不要な多能性の獲得という新しいメカニズムを発見
 初期化された多能性細胞はすべての生体組織と胎盤組織に分化できる」(理化学研究所広報)

今の状況ががまるで悪夢のようです。


ここのところ、マスコミが次々に何やら暴き立てて攻撃の的にされている小保方さんですが、まだ彼女の研究していた万能細胞については何の結論も出ていません。そこが肝心なのですが。
確かにその研究の発表においての手続き上まずい点はありました。しかしそれとて彼女ひとりの問題とは言えません。論文などそれまでに何度書いてきたことでしょう。その過程で周囲の人間・教授らが何の指導もしてこなかったのでしょうか?もしそうなら、そもそも学校に行く意味がありません。教育の場とは言えません。これまでの指導者の責任こそ重大です。
一体彼女はこれまでどういう存在として扱われてきたのか、疑問に思います。

わたしはまず、小保方さんがSTAP細胞の一連の現象は間違いなく確認したのだと思います。
そこでいち早くこれを伝えたいという一心で(アメリカ側からの要請もあり)端折ってしまったところもあったと思われます。
もし一部で言われている、実験すら行っていないなどということがあったら、それこそこの茶番は一体何であったのか!
まさかそれで研究費がせしめられると考えている理研でもないはずです。

閉口したのは、理研がマスコミ向けに発表に合わせてあのピンクのムーミン研究室と研究員が調達・設えられたということです。さらに割烹着さえ副室長のアイデアで急遽決まったことだと。するとあのすっぽんもそうでしょうね。そう言えばやけにがらんとした手抜きセットのような研究室でした。ともかく研究費を取りたい理研の画策の一つでしょうが、なんという浅はかな策でしょう。およそ自民党が訳のわからぬタレント議員を選挙に擁立するような安易さです。後の展開に対する想像力の欠如です。こんなことを考える暇があれば、何故論文の致命的な欠陥に対する対応策くらい考えようとしなかったのか。これで余計に下世話な話題性を植えつけ、いろいろなことを暴露させる源となってしまったではないか。何となく理論の発表だけさらっとしておけば、これほど突っ込まれることもなかったかも知れない。研究室は雑然としていて良いのに必要以上に関心の裾野を広げすぎました。だから火のつき方も半端では済まない。

マスコミやWeb上の攻撃も、叩けると公認された対象に対しては、もう情け容赦ないですから。子供があるターゲットとして決めた相手を死ぬまで虐め抜くのと構造は全く同じです。今回もマスコミは実家にまで押し寄せ、まるで津波でもなかろうに、ご家族がそこに住めない状況にしてしまったようです。何故そこまでしないではいられないのか。個々の人間はどうであれマスコミという総体はそのような暴力装置としてしか働かないようです。そのやり口はTV・メディアで見ている子供にも自然に浸透していく最も有効な教育として機能します。またWeb上での罵詈雑言は想像を絶するものでさすがにちょっと見て、寒気がしてすぐ見るのを止めました。あんなのをまともに見たら心臓の弱い人なら命に関わります。

井口和基氏のブログを拝見すると、アメリカの研究所の政府からの研究費は大変少なく、どこも資金ぐりに困っているそうです。その対策として日本の理研などの政府から獲得した潤沢な研究費が当てにされているといいます。
何とバカンティ教授とは4人兄弟で、今回の論文の共著者に皆名前を連ねているそうです。
仮にノーベル賞を貰うにしても、彼らが受賞の対象になるそうです。
すべて日本の研究費で研究し、賞は自分たちのものにする。そのための日本人研究者の受け入れを積極的に行っているのです。

馬鹿げた理研の利権のためのチャチな工作。アメリカの日本の研究資金収奪のための駒。マスコミやWeb上の他罰主義の人々の格好の餌。
小保方さんはこれまで様々な思惑に翻弄されて生きてきた過程が窺えます。

若いということの諸刃の刃です。若ければ体力的にいくらでも無理が効き想像以上の仕事が出来ます。しかし周囲の海千山千の狸たちに対してはやはり経験がものをいう。


しかし、そんなことはともかく、あなたが一刻も早くやるべきことは、STAP細胞の研究結果の正当性を証明することです。すべては、それにかかっています。人の劣情や打算にいちいち関わっている場合ではありません。
これまで寝る間も惜しみ万能細胞の生成に向けて頑張ってきたのですから、それだけは必ず再現性も含め完全な形で示してもらいたいと思います。そしてこれまでの苦い経験を無駄にしないでもらいたいものです。
そこで始めて、あなたの価値が決定します!

人類の希望 STAP細胞はまだ生きています!

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ブレード・ランナー

Rutger Hauer

1982年の制作か。
もうこんなに経つのか、と思いました。
サイバーパンクの流れを先取りし、各領域への波及はおおきかったです。
この映画の果たした影響はどれだけのものだったでしょう。
少なくともわたしにとっては、決定的なものの一つです。

リドリースコットの「エイリアン」に並ぶ傑作。
原作はフィリップ・K・ディック「アンドロイドは伝記羊の夢を見るか」(トータル・リコール、マイノリティ・レポートに先立つディックの小説の映画化)バロウズの「ブレードランナー」とは関係ないが、その題名=職名だけ借りています。
音楽はバンゲリス・パパサナシュー

1993年にブレードランナーはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存されたそうです。
SF映画の金字塔として。
ハリソンフォードのナレーションのついた初回公開版、ユニコーンの夢のシーンの加わったロング版、ナレーションと最後のデッカードとレイチェルが手つかずの深い森へと逃げてゆくシーンをカットしたディレクターズカット版、さらに多くのシーンに細かい編集をし直し高精細化したというファイナルカット版(私は見てない)がある。(私の知る限り以上か?)

ディレクターズカット版で終わりだと思っていましたが、さらにファイナルカット版で最終版となったようです。
リドリースコット監督もこの映画にはとても思い入れが強いのでしょう。(ファンにとってももちろん。)
完成させたかった。
その完成には確かに、高精細化は不可欠であった。
あのレンブラント光線こそ高精細に霞む光線でリアリティをいや増しに増すはずですから。
わたしいやわれわれはあの光が見たいのです。あの光の照らし出す先を。その絵画を。
あの、ブラインドが遮る僅かな光に照らし出されたレイチェルの静謐な表情にレプリカントの内面が覗きます。
そんな空間ですべてが尽くされていれば、ナレーションなど入る余地はありません。

黒い雨の降りしきる電脳都市は新宿歌舞伎町か。デッカードはビルの谷間の屋台でうどんを注文する。
雨は明らかに酸性雨か放射能の濃度の濃い有害な雨だ。
この雨はこの映画以降、至るところに降り始めます。
メディア、アニメ、映画、現実にも、、、。

ブレードランナーやレプリカントのいる都市は、もうわれわれの都市かも知れない。
この禍々しい雨と郷愁などどこにもない巨大なスクリーンに映し出される女の顔とCMのイルミネーション。
逃げ場のない終末空間。
人工のフクロウ。
自らの記憶を求めて
何者が彷徨いでて来てもおかしく無い。

そんな夜道を何度見たことか。
新しい記憶がほしい。
生きた感情を。

白い鳩も最近見たことがない。


ファイナルカットは唯一私の見ていないVer.ですが、ハイリゾ時代にふさわしい再処理が映像全体に施されており、大変な高精細再現を実現しているようです。これだけひとつの映画が手を加えられて完成度を増し、フィルムが永久保存されることは、この映画そのもののの価値がいかほどのものかを物語るものでしょう。

わたしもいつか最終版を見たいと思います。勿論、Blu-rayです。

この映画で、一番印象的だった役者はルドガー・ハウワーでしたが、レプリカント役のショーン・ヤングとダリル・ハンナもこの映画でブレイクしました。(ダリル・ハンナは「スプラッシュ」でも人気は博していましたが)


おまけ
Daryl Hannah
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Sean Young
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マントルに大量の水が貯蔵されている!

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リングウッダイトをマントルから発見。
正確に確認すると、地球の上部マントルと下部マントルの間に挟まれた「マントル遷移層」から火山噴出時に吹き上げられたもののよう。
リングウッダイトは成分の実に1.5%を水分子が占めているため、地底に水が局所的にも存在することが証明された模様です。

マントルはここのところ注目を浴び、謎の深まった場所です。
地球の内部が何やら賑やかになってきました。
地底に海底に、まだ調べるべき事がたくさんあることが分かります。
相変わらず出たり入ったりしているものもいますし。

今回の発見は小川の川床で鉱物資源を採取していたグループのブラウンダイヤモンドの原石からだったといいます。
このダイヤとしてはなんの価値もない石の解析に数年を費やした結果、リングウッダイトであることが判明したということです。

水が地球内部にあれば、当然プレートの動きなどへの影響は大でしょう。
地震対策においても大変重要な鍵になるでしょう。
地球のこのアクティブさは、この内部の水の動きを抜きにして考えられないはずです。
ほかの天体を見ても内部に水を蓄えた星はその変化も激しいです。

スノーデン氏の騒動以降、マントルから目は離せません。
そこをもし操作されているのなら、米ソどちらからからでも、何らかの手を打ってもらいたいものです。
日本にとっては特に大問題ですから。

地球は本当に水の惑星です。



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カッシーニ ~ 土星付近は面白い♡

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1997年に打ち上げられた土星探査機です。
アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)との協力によります。(予算も莫大なものでした。それ以降の計画はいかに安くあげるかの競争になります。)

金星→金星→地球→木星の順にスイングバイを行なって土星軌道に乗りましたが、知っての通り土星にはリングがあります。氷の塊ですが、これに衝突すると大変です。手で持てる程度の小石くらいのものから、一軒家くらいの大きさのものまでありますから。
当然、大変慎重に起動・コースを計算して土星の重力を利用しつつ逆噴射を最低限使い(燃料の消費を抑え)、リングの合間を上手く抜けて無事軌道に乗りました。

ここで、多くの人びとが土星の輪がいかに綺麗なものか、その輪が何層にも分かれておりすべて性質・粒の密度の異なること、輪を真横から見ると見えなくなることなどを知りました。(厚さが30kmしかない)
また、輪を表から見たときの光の反射する白い部分が裏から見ると真っ黒に見えることなども映像で知りました。裏から黒く見える層は氷粒子の密度の高い層で光を通さないのです。
さらに輪っかの起源ですが、土星には大きな衛星はタイタンしかありません。しかしかつては木星のように大きな衛星が幾つも存在しており、軌道を周回していました。ところが次第に土星の強力な重力により、衛星を取り巻く分厚い氷の層が砕け土星の赤道上を巡り始めました。さらに衛星の地殻部分は土星にそのまま呑み込まれたということです。
つまり、太古の巨大衛星が今の輪っかとなっているようです。
また、カッシーニの間近からの観察により輪のある層にプロペラのような影がいくつも見られることが分かり、それをスパコン上で検証すると、ある大きさ(質量)を持った衛星がその中心部にあって、常にプロペラ状の模様が生じていることが判明しました。つまり土星には60を超えるユニークな衛星が存在しますが、それ以外に輪の中にいる、まだ名もない衛星が幾つも存在しているのです。

また土星は大変大きい惑星ですがガス状惑星であり水に浮く密度です。嵐が幾層にも渦巻く凄まじい気象であり特に極のハリケーンはとてつもない大きさを持っています。北極は6角形の嵐が起きており、南極は地球でも見られる円形の目をしていますが、その大きさも目で直径2000km、ハリケーンの大きさは20倍とのことです。
土星の中心部は液体となっています。
さらに、20年周期で巨大な雲が出来、土星の周りを巡るそうです。これは、カッシーニとアマチュア天体観測家によりはっきりと観測データが得られました。

また「一般相対性理論」の検証も行っています。重い星(ここでは太陽)の傍を光が通過するとその場の歪みにより到達が遅れることをはっきり確認しました。

さらにカッシーニは当然のごとくタイタンを調べました。この火星より大きな衛星は以前から大変注目を浴びていましたから、今回の探査の中心的なミッションです。
ガスが表面を取り巻いており、カッシーニが惑星探査機ホイヘンス・プローブをタイタンに送り込まなければ全く推論を出ることはありませんでした。
実際無事にタイタンの厚いガスの中を通過し着陸したので、ホイヘンスは電池が切れるまで多くのタイタンの地表写真を地球に送ってきました。
それを見た科学者はモニターに食入り皆ほぼ同じことを興奮して叫びました。
こりゃ地球との違いといえば、わたしが住んでいるイタリアとここドイツの違いくらいのものだ!
地球ソックリの地表であることに皆が驚嘆の声をあげたのです。
タイタンには流路がはっきり観測され、雨も降り、石ころが転がっており何かあることが分かりました。
今後の分析を待ちます。

さらに驚くべき最も大きなカッシーニの発見は、何を隠そうカッシーニが接近するまで全く注目されなかったエンケラドゥスの実態です。この衛星は南極に大変高温な地殻活動が見られ(土星との引力による摩擦)地表の割れ目から間欠泉が丈高く噴出していることが判りました。ここから吹き出ている氷によって衛星表面は常に塗り替えられているという。
表面の反射率の高さはこれによるものだということも確認されたのです。地下に大量の水ー海が存在しているのです。但しその大きさからこの衛星では大気を保持することはほとんどできません(薄い大気は存在する)。
この吹き出している水蒸気と氷ですが、塩化ナトリウムや炭酸塩を含み、カッシーニが土星のE環から同じ元素を検出していることから、土星のその環はエンケラドゥスから噴出した氷ー水蒸気によって作られたことが判りました。
またその海に有機物が検出されたことから、生命発生の環境が揃っている可能性と太陽系における生物の発生の糸口が発見されたと見る科学者が多い。
赤道が暑いのではなく南極が暑いのです。エンケラドゥス今大変な注目を浴びるようになっています。

その他、イアペトゥスが胡桃の形にソックリなこと。これは、イアペトゥスには土星のようにリングが存在しており、そのリングが重力の関係で衛星に引き寄せられ赤道上にすべて落下しエベレストより遥かに高い山脈が胡桃のつなぎ目のように出来たという説がありますが、異説もあり定かではないです。プレートテクトニクスや火山の影響さらに土星との距離と自転速度が重力上このような形を生み出す理由であったというものもあり何とも言えない状況です。

またパンドラがレモンソックリな形であること。これは土星の強力な重力圏によりレモンの形に歪められたことが分かっています。

中身がスカスカの衛星も多い、ともかく個性的な衛星ぞろいです。
土星やその近辺はともかく面白いです。

カッシーニは今もミッション遂行中です!
ご苦労様!

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すいせい ~ 「ハレー艦隊」だ!

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ハレー彗星が76年ぶりに接近ということで、結構ハレー彗星ブームとなったことを覚えています。
日本の「すいせい」(PLANET-A)探査機が1986年のこの日3月8日にハレー彗星に会合しました。
ハレー彗星の太陽に面した側の15万kmまでの接近を果たしました。

うちの近所の宇宙科学研究所を本部としています。

これが発射される少し前に「さきがけ」というテスト探査機が打ち上げられています。
これはハレー彗星にも700万kmまで接近してはいますが、主に打ち上げロケットのM-3SIIロケット2号機の性能チェックのためのものであったようです。さきがけにはこれといった探査装置は組み込まれてはいませんでした。

いままでほとんど意識していませんでしたが、140kgしかないんですね。探査機って。
つまり、白鵬関より軽いのです。
この身軽さで?紫外撮像によるハレー彗星の自転周期、水放出率の変化の測定、ハレー彗星起源のイオンが太陽風に捉えられた様子などを予定通り調べました。
その後、太陽風の観測を行い、地球スイングバイを実施し1992年8月20日、運用終了となりました。
ご苦労様。

ヴェガ(旧ソ連)・ジオット(ヨーロッパ)・アイス(アメリカ)と協力して、ハレー彗星を観測したので、これらの探査機は「ハレー艦隊」と呼ばれたそうです。外ー宇宙に向かうと国際協力はし易いですね。
かの土星探査機カッシーニのときもアメリカー欧州ーイタリア協力でしたが。しかしカッシーニは重かったはず。
そう、5.8tです!白鵬何個分だ?

ちなみに(どっかで聞いたことある)、ヴェガ1は1万m、ヴェガ2は8000km、ジオットは500km、までハレーに接近しました。


丁度、カッシーニを思い出したので、明日はカッシーニをちょっと書いてみます。
そう言えば、3月9日はガガーリンの誕生日です。

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サクリファイス~Sacrificatio

主人公のアレクサンドルの誕生日のお祝いで友人が訪ねてくるところから始まります。
いや、アレクサンドルと喉を手術して声の出ない幼い息子との散策から始まっていました。

見終わってから考えると、この息子が「はじめにことばありき」と話せるようになるまでの1日間を描いた作品です。
この映画はタルコフスキーの息子に遺す作品であるという位置づけです。


アレクサンドルの独り言に、これまでのタルコフスキーらしくないセリフが多かった。
ああいった直接的なメッセージではなくもっと象徴的であったり暗喩であったり、
なんというか、映像に内包された効果音的な詩の形をとることが多く、
映像の上にメッセージとしてかなり一義的に生に語られるセリフは聞いた記憶があまりない。
主人公が友人の医者からプレゼントされた「アンドレイ・ルブリョフ」のイコン画集を暫く眺めるシーンが印象的。
さらに窓に映るダ・ヴィンチの『東方三博士の礼拝』。
他にも声の出ない息子が家政婦マリアと一緒にプレゼントに作ったという家にソックリなミニチュア模型。

タルコフスキーの遺作になります。
脚本はタルコフスキー自身です。
音楽はJ・S・バッハと法竹の日本音楽その他民族音楽?
バッハの『マタイ受難曲』よりアリア「憐れみ給え、わが神よ」がいつもより耳慣れた音でした。
水は海を思わせる波の音。水たまりはいつも通りです。ミサイルの通過する音?で家が振動して棚からミルクがピッチャーごと床に落下して割れる。絶え間ぬ風の音。激しく燃えさかり崩れる家。
タルコフスキー4大元素は常に基調を奏でています。

核戦争が起き、非常事態が発生したとTVが伝え、その後停電に。
不仲であった妻は取り乱し、世界の終焉に皆が怯えます。

「わたしはこの日を待っていた」とアレクサンドル。
彼はすべての人々の救済を神に祈るのです。
救済されたのなら、自分は家も家族も息子もことばも捨てることを約束します。
無神論者アレクサンドルがこれを祈ることは、神への対決を込めてのことか。

夜、アレクサンドルにヨーロッパの地図をプレゼントしたオットーが窓の外からはしごをかけて彼の部屋を訪れ、マリアと結ばれることが奇跡を起こし人々を救済する最後の手段だと執拗に説く。マリアは実は魔女であると。
最初は相手にしていなかったが、自転車まで用意してきた彼の不条理な話に次第に引き込まれ、マリアの家に赴きます。

「鏡」のように二人が抱き合う姿が宙に浮く。

次の日の朝、気づくとステレオからは日本の法竹の音楽が流れており、電気は通じておりテレビも問題なかった。
いつもと全く変わりない日が訪れていました。
彼は、早速家族・友人を置き手紙で散策に出かけさせ、その間に「神」との契約を実行します。


息子がひとり父親が海辺に日本の盆栽風に植えた枯れ木に、約束通りにバケツで水を与えていました。
「はじめにことばありき」


1986年の第39回カンヌ国際映画祭で史上初の、審査員特別グランプリを初めとする4賞を独占受賞しました。

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昨日は新月でした。

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これは特殊な新月です。
 太陽→月→地球の順に並んだときに、地球から見て太陽が月に隠されます。新月ですが月の通り道(白道)と太陽の通り道(黄道)との交点付近で新月になると日食になります。太陽の周辺にコロナ(密度 地表の空気の1000億分の1、温度100万°以上)が現れます。写真は1999年の時のもの。


ついでに、昨日はソビエト連邦の金星探査機ベネラ3号(Venera「金星」のラテン語)が1966年3月1日に金星地表に到達しました。ベネラ3号は地球外の惑星の表面に影響を与えた最初の人工物となったのです。
金星といえば火星よりも軌道は地球に近いですが、表面の調査が遅れたのは、金星の過酷な条件のためです。
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オーストラリアほどの面積を持つイシュタール高地に、大規模な褶曲山脈を発見した。(ベネラ15、16号による)

このベネラ計画は、惑星表面への軟着陸、惑星表面からの映像転送、高解像度レーダーによる惑星表面の地図の作成等、どの探査機もすべてミッションをほとんど成功させるという大変優れた計画でした。


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ロシアンバッジで、「ベネラ3号」というのが330円で販売されています。
多分余程の通の方しか興味はないでしょう。

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ストーカー

タルコフスキー監督作品史上最も水量の多い映画。
いや、惑星ソラリスの方か?
登場人物が尽く水浸しとなるのは、ストーカーです。
1980年カンヌ国際映画祭特別賞作品です。
わたしが観たタルコフスキー最初の作品でもあります。

重かった。ともかく重かった。
まずは水浸し泥だらけで暗く重いという印象以外なかったですね。
「ストーカー」という単語もこのころは全く日常にないものでしたから、
人を聖地に誘う役を果たす伝道師のようなものなのかと思っていました。

この映画ではタルコフスキーは監督の他は「美術」を担当しており、脚本・原作はしていません。
しかし、如何にもタルコフスキーというセリフばかりが行き交います。
哲学の問いであり、大変重いものばかりです。
彼がてっきり脚本書いてると思って観ていました。
それにこの映画はロシアを大変重苦しく感じさせます。
彼の映画作品の中でもとりわけ感じさせるものです。
前面に文学・哲学が露出します。

1956年製作の「禁断の惑星」というスペース・ファンタジー娯楽ムービーでも、
イドの怪物が文字通り猛威をふるっていましたし、惑星ソラリスもまさにそれが思わぬ形で物質化していましたが、
この映画でも想いを反映すると言う「ゾーン」にある部屋がヒトの無意識を実現する場所としてありました。
ゾーンは巨大隕石の衝突によって出来たある不可知な領域であり、いつしかこの中の「部屋」に入った者は自分の願いが叶えられ幸せになれる、と伝えられるようになります。
ストーカーとは、その部屋までゾーンの罠を掻い潜りヒトを安全に導く案内人ースペシャリストです。

ストーカーは作家と物理学教授のふたりをその「ゾーン」に案内してゆきます。
ストーカーのナビゲーションに従い、細心の注意を払って進みます。それが唯一命を保証します。
途中までは当局の厳しい取り締まりに妨害されジープに向けてしこたま銃弾を浴びせかけられますが、
どうにか逃げおおせてゾーンに入り込みます。

ここからが、少し進むたびにヒトを試すかのごとく罠が”あるように見え”それに怯えつつ進む「ゾーン」です。
世界で最も静かで美しい場所とストーカーは言います。
しかしゾーンの状態はそこに現れるヒトの精神状態に左右されるという事です。
それによってゾーンは様々な罠を仕掛け、ヒトは命を落とすと。
水、風に打たれ、深い草叢に突っ伏し眠り。川の苔むす石の上で寝ながら人生について語る。
深い水を湛えた水路を幾つも渡り、深い草むらを遠回りに横断し、不気味なトンネルをくぐり、砂地を越し。
その度に存在に纏わる哲学談義が生じます。
次第にそれは攻撃的ななじりあいにもなってゆきます。
そして精神と肉体をとことん疲弊させるストーカーの案内の果てに唐突に「部屋」の前にたどり着きます。

ここで部屋に我先に入ろうとするかと思うと、2人は立ち止まり「矛盾」を語り始めます。
お互いに、意識を抉りあい、自己解体を突きつけます。
特に作家はこれまで語ってきたストーカーの話を分析し偽善者呼ばわりします。
ストーカーの言ってきたことはすべて自分の見た話ではなく、「山嵐(先輩)」たちから聞いた話ではないか。
全部、この行程はストーカーのやらせではないのか?
ここに入って、実際に幸せになった人物を見たのか?
わたしたちをダシに、単なる自己満足で面白がっているだけではないか?

もう信じることができないのです。
ストーカーも自分自身も。
ここで、ストーカー当人は作家たちから激しい攻撃に晒され、3人ともある意味、正体を晒すことになります。
作家は全てに懐疑をもち不信に陥り、教授はこの部屋を爆破する目的できたことを明かします。

ストーカーは「何故、信じることができないのか!」これだけを訴えます。
「あなたたちは信じることを知らない。」
さらに彼はこのゾーンがなければ自分は生きることが出来ないことを告白します。
ここを案内してヒトを幸せにすることだけが喜びなんだと尚も主張します。


結局大変な思いをしてたどり着いた「部屋」には誰も入りません。
無意識を恐れて入ることが出来ない。自分の本性など知りたくもない。
無意識はここでも恐れの対象です。
この恐るべき化け物のような無意識は作家にとっては本当の自分という位置にあります。

3人ともひどく疲れて帰り、特に、深く客によって打ちのめされたストーカーの疲れはひどものです。
奥さんに介抱されて、彼は涙ながら横になり無念を語ります。

最後のタバコを吹かしながら嗚咽しつつ話す奥さんの話がまた重い。
これはタルコフスキーのかかえるロシアの重みなのだろうか?

普遍的な問題として、ヒトが根源に抱える願望とは、その意識にも定かに登らない願いとは本当は如何なるものか、という問を発することで内面化ー遅延化がさらに進みヒトはますます観念的になり、幻想に深く囚われ動けなくなることにはなるはずです。
とは言え内面化していないヒトなどいるはずがありませんし、信仰がその病理を救うものとなり得るのでしょうか?

大概、この作家のように自分のインスピレーションを若返らせたい、等と言って来たとしてもその実、小説などより単なる功名心や金・女等への欲望が本質ではないか、というくだりはすぐに思い当たります。部屋に入りたくないのは当然で、自分に改めて絶望し、その腹いせにストーカーに当たっているのが実際のところです。
しかしこの作家は、ゾーンに入り道すがら「ゾーン」の物語による概念化した光景に取り巻かれて、その超越者の支配に畏怖の念をもちやってきたのは確かであり、部屋を前にして忽然と、概念が変容し全く次元の異なる「風景」に取り巻かれてしまったと言えましょう。そこで目が覚めたようにストーカーを攻撃するようになった。そこにもはや神秘は取り払われて自分の望みよりも本質的な欲望が生々しく感じられてしまったと言えましょうか?
何を契機にかは、はっきり分かりません。引き金は誰が先に「部屋」に向かうかという時のストーカーのマッチのクジに対する疑いからでしょうが。疑い。僅かな疑いー理性の積み重ねによるのでしょう。
ある冗長性を破って一気に相転換が起こりました。

その「物語」に必死にしがみつくストーカー。もはや物語は「風景」にとって変わった白けた作家。その物語ー概念空間を物理的に破壊しようとする物理学教授。

ここにおいて信仰とは如何なるものでしょう?



しかしこのような極限体験ツアーはある意味刺激を求める現代人に求められるような気がする。
あくまでもレジャーのような表面的なレベルですが。
これで自己解体してしまったら、富士の樹海みたいになってしまうかも知れません。
山奥の滝行などが、せいぜいのところか。

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プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
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