ローラーとバイオリン 少年期の記憶に共鳴
КАТОК И СКРИПКА
1960年
ソビエト
アンドレイ・タルコフスキー監督・脚本
アンドレイ・コンチャロフスキー脚本
イーゴリ・フォムチェンコ、、、サーシャ
ウラジーミル・ザマンスキー、、、セルゲイ
ニーナ・アルハンゲリスカヤ、、、少女
マリナ・アドジユベイ、、、サーシャの母
タルコフスキーの学生時代の作品。
映画大学監督科!の卒業制作である。
この手の作品は20分程度が普通らしいが、46分という長さ。
ちょうど良く感じた。
以前、ショート映画作品を幾つも見たことがある。そこではジェーン・カンピオンのもの以外さほど印象に残らなかった。
(イジー・トルンカのようなパペペットものなどはまた別格だが。)
ひとつのテーマが時間に沿って進むまたは引き伸ばされまたは循環するようなものが多かった。
短い映画はそれにふさわしい形式があるのかと思っていた。
ジェーン・カンピオンのものは、短い時間を最大限に生かした形式であった。
この映画は、短編とは言え、形式的には長大な映画と変わらない。
扱うテーマも内容もタルコフスキーの他の大作と基本的には同じだ。
いずれにせよ、
とても学生の作品とは思えない完成度だった。
場面の転換時などの窓の光の効果など。
シンプルに見せてかなりの巧みな技法が使われている。
なかには技法そのものが浮き上がって見えてしまう場面もみられたが。
安定した方法でフラジャイルな世界が煌めいたいた。
タルコフスキーは初めからタルコフスキーだった。
だんだんそれになっていったのではない。
これもロシアの日常がタルコフスキーを通して揺らめき立つ画像だ。
音、水、光、油、破壊音と廃墟、により構成される画面は、ちょっとした鏡の揺らぎで重層する違う世界に瞬時に変わる。
そんな危うさが、さらに故障がちなロード・ローラーと悪童たちに狙われるバイオリンで強調される。
それから少女に食べられたリンゴ、いつ壊れるか分からない赤と黄のロード・ローラー、褐色のパン、打ち壊される青壁、バイオリンの音、、、印象的な色彩と音色。
少年の意識ー目線に沿って場面が柔らかく展開してゆく。
そんななか。
サーシャ少年が心惹かれるロード・ローラーの運転手セルゲイの前で弾く音色。
共鳴状態の良い木漏れ日の綺麗な建物の谷間で響く調べ。「青い空」という楽曲。
実はわたしはこの場面が一番好きだ。
タルコフスキー全映画の中でも、5本の指に入るほど素敵な一時に感じられる。
7歳のサーシャ少年にとってはドキドキの冒険であったセルゲイとの昼食。(昼食前にはローラを運転させてもらった)
その短時間の冒険(初めての悪童との喧嘩や飲めない牛乳をガンガン飲んでみせるなど)の後の
少年音楽家と若い労働者の間の何者も邪魔できない美しくこの上なくセンシティブな空間の描出である。
こちらが少し緊張しつつ見入ってしまうところ。
というより見るべきところではなく、わたしがサーシャかセルゲイになるところだ。
雨水が突然、しかし絶妙なタイミングで屋根から垂れ落ち、バイオリンの音が奏でられる。
2人とも木漏れ日とそよ風を肌に感じつつ。天に響くバイオリンの音。
こんな時間が永遠に続いて欲しい。
わたしもこの少年もそう願う。
恐らく、セルゲイも。
しかしどちらも家に戻らなければならない。
セルゲイは今の仕事が完了しその場所を去る時が来る。
別れる前の晩にサーシャとセルゲイはあすの夜の映画を一緒に見る約束をする。
勿論、油の臭いを嫌う母親が彼を夜外に出すはずがない。
サーシャは窓の下で待つセルゲイに手紙を書いて飛行機を飛ばすが、彼には気づかれない。
一度も視線を交わすこともなく。彼は踵を返して行ってしまった。
こわれものを扱うような繊細な映画でした。
1960年
ソビエト
アンドレイ・タルコフスキー監督・脚本
アンドレイ・コンチャロフスキー脚本
イーゴリ・フォムチェンコ、、、サーシャ
ウラジーミル・ザマンスキー、、、セルゲイ
ニーナ・アルハンゲリスカヤ、、、少女
マリナ・アドジユベイ、、、サーシャの母
タルコフスキーの学生時代の作品。
映画大学監督科!の卒業制作である。
この手の作品は20分程度が普通らしいが、46分という長さ。
ちょうど良く感じた。
以前、ショート映画作品を幾つも見たことがある。そこではジェーン・カンピオンのもの以外さほど印象に残らなかった。
(イジー・トルンカのようなパペペットものなどはまた別格だが。)
ひとつのテーマが時間に沿って進むまたは引き伸ばされまたは循環するようなものが多かった。
短い映画はそれにふさわしい形式があるのかと思っていた。
ジェーン・カンピオンのものは、短い時間を最大限に生かした形式であった。
この映画は、短編とは言え、形式的には長大な映画と変わらない。
扱うテーマも内容もタルコフスキーの他の大作と基本的には同じだ。
いずれにせよ、
とても学生の作品とは思えない完成度だった。
場面の転換時などの窓の光の効果など。
シンプルに見せてかなりの巧みな技法が使われている。
なかには技法そのものが浮き上がって見えてしまう場面もみられたが。
安定した方法でフラジャイルな世界が煌めいたいた。
タルコフスキーは初めからタルコフスキーだった。
だんだんそれになっていったのではない。
これもロシアの日常がタルコフスキーを通して揺らめき立つ画像だ。
音、水、光、油、破壊音と廃墟、により構成される画面は、ちょっとした鏡の揺らぎで重層する違う世界に瞬時に変わる。
そんな危うさが、さらに故障がちなロード・ローラーと悪童たちに狙われるバイオリンで強調される。
それから少女に食べられたリンゴ、いつ壊れるか分からない赤と黄のロード・ローラー、褐色のパン、打ち壊される青壁、バイオリンの音、、、印象的な色彩と音色。
少年の意識ー目線に沿って場面が柔らかく展開してゆく。
そんななか。
サーシャ少年が心惹かれるロード・ローラーの運転手セルゲイの前で弾く音色。
共鳴状態の良い木漏れ日の綺麗な建物の谷間で響く調べ。「青い空」という楽曲。
実はわたしはこの場面が一番好きだ。
タルコフスキー全映画の中でも、5本の指に入るほど素敵な一時に感じられる。
7歳のサーシャ少年にとってはドキドキの冒険であったセルゲイとの昼食。(昼食前にはローラを運転させてもらった)
その短時間の冒険(初めての悪童との喧嘩や飲めない牛乳をガンガン飲んでみせるなど)の後の
少年音楽家と若い労働者の間の何者も邪魔できない美しくこの上なくセンシティブな空間の描出である。
こちらが少し緊張しつつ見入ってしまうところ。
というより見るべきところではなく、わたしがサーシャかセルゲイになるところだ。
雨水が突然、しかし絶妙なタイミングで屋根から垂れ落ち、バイオリンの音が奏でられる。
2人とも木漏れ日とそよ風を肌に感じつつ。天に響くバイオリンの音。
こんな時間が永遠に続いて欲しい。
わたしもこの少年もそう願う。
恐らく、セルゲイも。
しかしどちらも家に戻らなければならない。
セルゲイは今の仕事が完了しその場所を去る時が来る。
別れる前の晩にサーシャとセルゲイはあすの夜の映画を一緒に見る約束をする。
勿論、油の臭いを嫌う母親が彼を夜外に出すはずがない。
サーシャは窓の下で待つセルゲイに手紙を書いて飛行機を飛ばすが、彼には気づかれない。
一度も視線を交わすこともなく。彼は踵を返して行ってしまった。
こわれものを扱うような繊細な映画でした。