プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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パピエ・コレ~子供の貼り絵へ

georges+braque.jpeg

うちの娘が、色紙と雑誌、鋏と糊で切っては貼りを繰り返し、「ハイヒールとお花」とか言いながらいろいろな紙を組み合わせながら切り絵作品を作っていました。テレビをずっと見ていた後の今日の午後のことです。

それを観ていて何かを思い出しました。あのピカソとほとんど同質の絵を暫くの間発表し続けていた「ブラック」です。彼の「パピエ・コレ」という一種の貼り絵手法から生まれた絵に結構似ているものが出来ていて、思わずブラックの画集を引っ張り出してしまいました。
とても色が渋かったので、似ていると思ってしまったか?複雑さでは遠く及びませんが、雰囲気が(やはり色からくるか)似たものに思えました。実際比べてはいけませんね(笑かなりプリミティブですから。

でも貼り絵は面白いです。マチス最晩年の貼り絵など、マチスのそれまでの作品と比べても全く遜色ないもので、究極の到達点と思える物ですし、所謂いくらでも思い通りに細かい作業が可能に想える、絵筆による作業より構想がしっかり練れてさえいれば、説得力のある圧倒的な作品になります。単純明快であればあるほど、一切の誤魔化しが効かない。

ブラックのものは、本当にピカソの同時期の作品と見分けがつかない。同じような造形思想・感覚を同時的にもったのでしょうね。面白いです。とは言え2人のこの状況は、ほんの一時の共振に過ぎませんが。(ピカソはもともとスタイルの確立とか深化などという概念はありません。異なる対象に迫れば、また必然的に新たなスタイルが生まれてしまうだけです)
しかしこのブラックが形式としてずっと関ったこのスタイルは見れば見るほど刺激的ではあります。
非常に密度の高いコラージュです。
これまでブラックの作品をまともに見てこなかったことに改めて気付きました。
今日は娘たちのおかげで、発見がありました。
自分でも作ってみたいという造形意欲が沸いてきました!
ということで、ちょっと元気になりました。
ありがとう。
PICASO.jpg
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1964年の今日、マリナー4号火星に向けて発射!

mars03.jpg
1964年からもう火星にも向かっていたんですね。
TVニュースでは放送されていたのでしょうが、わたしはとうてい理解できる状況ではなかったはずです(笑
火星ですか。
TVで火星人との戦いを見た覚えがあります。
何か昔のSFものは怖い印象がすごく残っています。
th.jpg
やはり火星にも何かいて欲しいのですね。
地球人だけでは寂しい、もっとお友達が欲しい、ということでしょうか?
そんなに地球人は孤独なのか?
岩くれに自分の姿を思わず投影してしまうほどに。

ともかく、1964年の今日、マリナー4号火星に向けて発射したのです。
Mariner_3_and_4.jpg

マリナー4号探査機は、八角形のマグネシウム製筐体でできていて、筐体の対角は1270mm、高さは457mmである。筐体の上端には太陽電池パネルが4枚取り付けられていて、パネルの先端にある光圧翼を含めて端から端までは6.88mである。また筐体の上部には、直径1168mmの高利得パラボラアンテナが搭載されている。その隣には無指向性の低利得アンテナが取り付けられた高さ2235mmのマストがあり、探査機全体の高さは2.89mである。探査機の底部中央には走査プラットフォームがあり、テレビカメラが取り付けられている。テレビカメラにより撮影された画像は、デジタル変換により6ビット(0から63の64階調)からなる2万画素(200×200)の画像データに変換されて送信される(マリナー4号は、宇宙開発史上初めてデジタル変換した画像を送信した探査機である)。八角形の筐体内には、電子機器、ケーブル、中間軌道推進システム、姿勢制御ガスの供給タンクと調整器が収納されている。テレビカメラの他にも科学機器があり、磁力計、ちり検知器、宇宙線検知器、捕捉放射線検出器、太陽プラズマ検知器、電離箱/ガイガーカウンターなど、大部分は筐体の外部に取り付けられている。


かなり頑張った装備だったと思います。
そして徐々にドラマチックになります。
火星に最接近です!

7ヵ月半の飛行中の1964年12月5日に中間軌道修正を行って、1965年7月14日から7月15日にかけて火星付近を通過した。7月14日 15:41:49 UT に惑星科学モードを開始し、7月15日 00:18:36 UT (7月14日 7:18:49 p.m. EST)から撮影処理が開始された。赤と緑のフィルタを交互に使って21枚の画像が撮影されたが、22枚目の画像は不完全であった。ところが当初得られた画像はほとんど真っ白だったため、調査した末に画像処理を施した結果ようやく画像化に成功し、3日後にようやく公開された。画像の撮影範囲は、火星の北緯40度東経170度から始まって南緯35度東経200度付近を通って南緯50度東経255度までの不連続な帯状で、火星表面の約1%を占めていた。火星への最接近は1965年7月15日 01:00:57 UT (7月14日 8:00:57 p.m. EST)で、火星表面からの距離は9,846kmだった。フライバイ中に撮影された画像は、搭載のテープレコーダに記録された。マリナー4号は、02:19:11 UT に地球から見て火星の裏側へ入り通信が途絶えたが、通過後の 03:13:04 UT に通信が再確立し、再び巡航モードにセットされた。テープに記録された画像は、通信再確立の約8時間半後から地球への送信が開始され、8月3日まで続いた。全データは2回送信され、データの欠落や誤りが無いか確かめられた。
探査機は、予定の活動を全て順調に実行して有用なデータを送信してきたが、地球からの距離が大きくなった(3億920万km)こととアンテナ方位の問題から1965年10月1日 22:05:07 UT に一時的に信号を捕捉できなくなった。


そして短い3年ほどの任務を終えます。
子供向けの絵本に「ブルトーザーのガンバ」がありますが、同様の哀愁があります。
しかし、宇宙空間における「流星塵」は人工衛星にとっては厳しい問題ですね。

1967年後半からデータ収集が再開された。9月15日には、まるで流星群の一部のような衝突が17回、15分間に渡って宇宙塵検知器に記録され、一時的に探査機の姿勢が変化したり、熱シールドにわずかな損害が起きたものと思われた。後の推測では、恐らく D/Swift彗星 (D/1895 Q1) の分裂した核またはその破片から2000万キロメートルしか離れていない距離を探査機が通過したのではないかと考えられている[1] [2]。
12月7日には姿勢制御システムのガスを使い果たし、12月10日と11日には合計83個の流星塵の衝突が記録され、その結果として探査機に摂動が生じて信号強度が低下した。マリナー4号からの通信が途絶したのは1967年12月21日である。


今思い出しましたが、”ゼロ・グラビティ”がまさにそれです。「流星塵」は今後もさらに増え続けます。自然のものと人工衛星の破片、残骸。これらは益々脅威となっていくはずです。すでに宇宙にも公害を撒き散らし始めている気がします。
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脳の検査~内科も。朝から7時間。病院。

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早朝4時頃、長女が冷たい水が飲みたい、というので飲ませたところ、5時頃になってお腹が痛い、と苦しがりだし、一度少量ベッドで吐きました。その後一階の温かい部屋で寝転んでいるうちに嘔吐を激しくしました。
これは尋常ではない、と救急扱いでかかりつけの少し遠いところの総合病院に担ぎ込みました。
電話での対応とは裏腹にかなり待たされましたが、どうにか診てもらえました。
結果的には救急車を使わなくてよかったと思います。どこに行くかわかりませんから。今後を考えても。
また明日、経過を確認しに行きます。

考えてみれば非接触で人の脳をスライスするというのは、すごいことだと思ういます。
娘の脳スライスを見るというのも、また何とも言えないものです。
見た目、きれいでしたが、何の問題なく、出血や骨の異常も見られない、ということで。

口腔のレントゲンを見るのも、ドキドキします。
顎の骨はまっすぐきれいか?乳歯の下の永久歯は大丈夫か?
もっとも、折れている部分やひびが入ったりしていたら、堪りません。

しかしこうして中身を開くことなく見れるということは、大したものです。
わたしも最近人間ドックオプションで、普段検査していなかったところを検査しましたが、特にMRIのスライスは、独特のものがあります。少なくともこれは自分に属する物ではないという意味において。

通常、私たちが見て接しているこの子たちは、個性をもった精神です。身体というある種の広がりを帯びた個体として関わっています。こういうときこのような物質としての娘を見せられると、突き放されたような大変な違和感を覚えます。ひとり砂漠のまただ中にいるような。

今のところ大丈夫、と云われると、やはりひとまず安堵感はもてます。
というか、余計なことを気にする必要がなくなります。
これは時間を有効に使う上でも大事なことです。

しかし、今日は一連の検査、血圧から始まって、SPO2、尿、血液、胸と口腔のX線、頭部MRIの検査の上、問診、受診、結果確認、そして3時間超の点滴(吐き気止め入り)は、大変きつく、長女よりはるかに親と付き添いの次女が参りました。長女がめきめき元気になってゆくのが表情からも言葉からも分かります。反比例してわれわれは披露混迷していきました。

普段の付き合いでは、幻想のなか、(対幻想)のなかでの関係性をわたしは彼女らと生きていますが、物質的な側面(メカニズム)を突きつけられると、自然そのものの深淵を垣間見る気がします。一瞬ですが、「自然」の在り方というものを。もしかしたら、、、。

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未だドングリ撮れず

昨日は全てのブログはお休みしました。
長女が椅子に乗ったまま顔から床に墜落しまして、大出血!
泣くは泣くはでみんなオロオロ。
次女もそれを見て大泣きで、「かわいそう、死んじゃうの~」と階段の途中に腰掛け蹲ってしまい、、、。

確かに舌を噛み切らなくてよかった、というほどまではいきませんが、
ガッツリ両側を噛んでいて大変な傷となっていました。

長女は以前も公園の背もたれのないベンチに座らされたときに、後頭部からそのまま落下し、コンクリに激突したことがあります。
この時は本当に驚き、MRIを撮りに、すぐに車でかかりつけの病院に救急扱いで担ぎ込みました。
特に異常はないということで、大きなタンコブが出来ただけでしたが、その後も後遺症が出ないかヒヤヒヤして見守っていました。
これはもう全面的に親の過失で申し訳ないことをしました。

しかし、今回はもう五歳で、再三椅子は座るところで、そこに乗るものではない、とても危険だしお行儀が悪いと、脅かしたり、お利口シールなどをチラつかせて、注意をしていたのですが、やってしまいました。
車などに対しては、危険認識が作動するのですが、こと家の中では本棚に足をかけて登るは、ピアノに登ろうとしてバーバに大目玉を喰らうは、窓のさんに登って遠くめがけて飛び降りるは、、、ともかく危なっかしくて仕方ないのですが、、、これは痛みを知って覚えれば良いということでは、ないですから。
その失敗が取り返しのつかないことになったら、それまでです。

イメージのチカラで何とか意識をもたせようと、怖い鬼の話やいろいろ絡めて忌避させようとしていたのですが、それよりわんぱくが過ぎてしまいました。2人というのがさらに相乗効果を生んでいます。
どっちが勇敢かで競ってしまうのです。
必要以上に服やアクセサリーで女の子しているくせに、やっぱりプリキュアでしょうか。
私の頃は、鉄人でしたが、プリキュアの方が比べ物にならないスピードと迫力がありますから。
そのうえに、かわいい文化もたっぷりふりまき。
プリキュアはファッションと暴力の両面で多大な影響をやはり幼児の精神に与えていますね。
想像以上に。

ちびまるこちゃんなどをほんわか、しみじみ見る意識が育つ前に、直接的な刺激として単純に過剰に入ってきてしまうものは、怖いです。
やはり見せるもんではなかったか、と思います。
絵を描いたり、ハサミで細かい工作に熱中する面は見られますが、、、。
何しろ、アウトプットよりもインプットの量が凄まじいものです。
明らかに非対称です。
それなら質の良いインプットを、、、。
音楽がとても好きなので、良い音楽をたっぷり聴かせて落ち着かせていこうか、と今現在思っています。
テレビはもう一度見てしまったら、もうどうにもなりませんし。
長女は「もうゆるせない」などと言って、バーバをぶったりしてましたが、それはプリキュアの決まり文句で、相手をけちょんけちょんにする際に必ず言う、免罪符的掛け声です。
正義であれば武力攻撃は正当である、という国も確かにありますし。それがまた国内の矛盾を外に向けるためだったりするところがさらにタチが悪いですが、実際に存在します。
話は逸れましたが、一方的にいろいろな角度から入ってくる刺激情報を自分の中で消化する素地と余裕がないような場合、それはほとんど稚拙で一次的な昇華されない形でアウトプットしてしまいますね。

躾といえば躾の問題なのですが、文化の問題はやはり大きいと思います。

電話で耳鼻科を勧められ、すぐにかかりつけの耳鼻科に車を飛ばし、優先的に診てもらったのですが、とりあえず薬で対応で済みました。
こちらも消耗しましたが、長女も何しろ口の中が痛いものですから、刺激の少ない味と温度のスープを中心に食べています。痛い痛いと言いながらも何故かいつもよりお腹が空くのか、おかわりなどして食べています。


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SeaSong の行く末に関して

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すみません。うちわのことです。
私の二番目のブログ”SeaSong"ですが、作ったばかりで長いこと投げ出し状態になっておりました。
もうかれこれ、、、うんヶ月。
理由は今ひとつ編集しにくい、とくに画像とテキストの関係など。ヤフー
それから、何より紹介しようと思っていたものを集められなかった、私の怠慢が原因です。
もう年末ですし、整理をしなければなりません。
ということで、そのブログこれからどうするか、消し去るのかなのですが、、、

これまで何事もなかったかのごとく、続きをそう3日にいっぺんくらいの頻度でアップしていこうと思うのです。
いかがでしょう?
なんて、知ったことか好きにしろ!だと思いますが、とりあえず好きにします(笑

廃物利用でもないですが、せっかく開いたブログですので、使っていきたいと思いました。
本当は解約がメンドクサイノデス。(え?何語ですか?わかりませーん)

一応、小回りの効く、作りやすく集めやすい、調べやすいものをご紹介したいと思っています。
それではちっとも面白くないではないか!
お怒りの声も聞こえてきそうですが、わたしもマチュピチュの取材に飛んだり、ブラジルのUFOについて現地人にインタビューなどしたいのはやまやまなのですが、ちょっと無理があります。(ちょっと?)
そういうのは「世界不思議発見」に任せ、わたしはローカルな話題に特化します。ハイ?

SeaSongは大昔私が毎日更新していたHP(5つあったうち)の一つでもあります。
タイトルだけはとても想い出深いものなのです。まだまだ実は想い出深いタイトルは控えており、今年度中にもしかすると、永い眠りから覚めるかも知れません。
あくまでもわたしに余裕があればの話です。
わたしは最近、娘の隣で仮寝をすると、いつの間にか一緒にそのまま朝まで眠ってしまうのです。
人類は徐々に眠る時間と眠る深さが増大してゆき、植物化してゆくという話を読んだことがありますが、よい話です。(実は書いたのはバラードです)
すべてのヒトタチが月の元にソウナッテほしい、、、(宮沢賢治風に言ってみました)。

だんだん何を言おうとしていたのか、定かでなくなってきました。
私が最近、一番自分の中での著しい変化と感じているのは、記憶力です。
ほとんど覚えていない。何も。特に都合の悪いことはほぼ、すべて蒸発してゆく。
買ったものも忘れている。
落とした自分も忘れてしまい、うちに帰ってくる始末。
稲垣タルホか?自分なりによい境地に至ったものだ。
ってなんのはなしでしたっけ?

そうそう、ブログを再生するはなし、でした。
そこでこうします。
買い物などの帰りに、私のもっているカメラでRICOHのGRを使うことを縛りとして、路上観察委員会的なオブジェとおぼしきものを1分程度で撮る、としてみたいと思います。(その際、買ったものを落とさないように注意する!)
RAW現像ものは載せません。あくまでも画像確認用JPEGを小さなデーターにしてアップしますので。
画質どうこうという写真作品ではなくあくまでも何があったかの、「何」を載せます。
宜しくお願いします。

まずは何を撮るか、「どんぐり」だろうな、、、


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物質の未来 少年期への回帰 ムンクから

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ムンクやキリコに凝る時代がある。(今回はムンクのみ)
わたしは凝ったことないと言う人が多いことは承知の上であえてそう言わせて頂きます。
象徴的にこういう時代、ってどういう時代かは下で述べるとして、を潜った人は多いのでは、と。

それは、あらゆる苦痛(精神・身体)に対して神や仏に縋るのではなく、医者にかかるのでもなく、遊びや部活・勉強に解消したのでもなく、素手で正面から表現ー自己表出によって自分を支えたという経験、というか時期のことをわたしなりに指したものです。
あらゆるインプットに対して過剰なアウトプットをして弾き返さないと、どうにもならない時期を通過した経験を、簡潔に小泉元首相風に言ってみたものです。

ムンクはどう見てもあれらの絵を、趣味で楽しく描いたとは思えません。
明らかに、止むに止まれず切羽詰まって描いたものです。
描かなければ狂ってしまう。
後がない、という場所で。

ムンクはノルウェーの古い家風の厳格で信仰深い医者の父親と母親と一つ上の姉のいる家に生まれます。
しかし5歳で母親を結核で亡くします。
父親はより信仰に深く沈んでゆきます。
ムンク14歳のときに、同じく結核で姉が他界します。
父親はさらに信仰にのめり込んでゆきます。
元々無口な父親は、さらに家庭を暗くしてゆき、病弱で不安定な健康状態に悩むムンクにさらに重荷を背負わせてゆきます。
貧民街の患者を無料で診たりして、経済的にも困窮するようになります。

父親には祈るという行為しか最終的に残っていませんでした。
しかし、ムンクは描くことで突破しようとしました。
彼は神を認めない!
父を認めないのと同様に。

「病める子」
これがその最初の答えです。
彼の原体験の至高の結晶です。
この絵を部屋のどこかに飾りたいなど思いも及びませんが、
時折、そっと確認したい絵です。
ムンクはこの後彼の特徴でもある(本質か)同一テーマの反復・変奏を行ってゆく。

ムンクは印象派を通過し所謂、世紀末美術に共振します。
彼は個展を次々に開催します。
これはそのまま時代に対する挑発行為でもありました。
接吻、情欲、嫉妬、不安、乾き、死、憂鬱、妖婦、、、
これらが影のテーマとして作品に秘められているといったものではなく、
タイトルそのものよりも激しく強烈な画像に表されている作品群です。
その強烈な野心作のパワーはいかほどのものだったか?
スキャンダルにより、展示会の会期を短く打ち切られたり、観客が警察を呼んできて個展を潰そうとしたり、ということが巻き起こります。

やりますねえ。

ここまで行かなくとも、こんな時期は少なからずあるものだと思います。誰にも、とは言いませんが。

ノルウェーと言えばイプセンですね。
革命的な思想のため28年故郷に帰れなかったひとです。
ムンクは個展で貴重な人々の知遇を得ます。
やはり大きく開かれた場での発表というのは大事ですね。
スキャンダラスならなおのこと人を沢山呼び込みます。
そのなかに本物が必ず確率的に混じってきます。
ムンクは「僕を信じたまえ。敵が多ければ多いほど、味方も多いものだ」と激励をイプセンからもらいます。

油絵を版画に変奏した作品や連作はかなり増えていきます。
あの「叫び」も生まれ、「マドンナ」、「生命のダンス」
傑作と呼ばれる作品が生まれ、それらも反復・変奏・連作が後に続きます。

この頃になるとムンクは芸術家として高く評価されますが、これは時間的な問題というより空間的問題です。
客にボイコットされた展覧会はベルリンです。そこでは、印象派さえまだ認知されていません。
これがパリに来るとここはすでにポスト印象派地帯です。
場所によるのです。
まだWebがある訳ではないですから、世界がフラットな認識地平にありません。
しかし、Webがあってもなお、人の認識が同レベルとなる訳では決してありません。
基本パラダイムは均質に時代を覆っていようと。
こればかりはどうにもなりません。
相変わらずアカデミズムや~派(イズム)というのも残りますし(笑

ムンクは自己省察を深めていくかのように「自画像」連作を生涯を通し多く描いています。
神等の超越者に頼ることなく、常に内省的にニンゲンというものの本質を自己において抉り抜いて曝す作業を続けていった作家と言えましょう。

ヒトはあるところで恢復、和解、成功、充足してしまうものです。
ムンクは成功はすれど、他者の評価などとはおよそ異なるところで、少年期の危機をずっとずっと訴え続けた作家であったと思います。
二次大戦の予感が高まる中、ナチスからムンクの作品は退廃芸術の烙印を押され美術館から撤去されます。
生涯独身であったムンクは自分の子供に等しい作品たちの行く末を気遣いながら心臓発作に倒れます。




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物質の未来 少年期への回帰 その2 ”Disp-Air

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少し前の記事の、SFから現実にで、「リープモーション・コントローラー」のお話を少しばかりしました。
今、月を見ながらこれを打っています。
私の部屋の小窓からはここのところ良い丸みの月が常に登っていて、平安時代の歌詠みのような心地でキーボードに向かえます。しかし、インターフェイスがキーボードでなかったら、「風情」はどうでしょう?
もっと贅沢な気分に浸れるでしょうか?
ロシアのベンチャー企業が、”Disp-Air"という完全に空中でタッチパネルを操作するように、パソコンを操作できるデバイスを開発したそうです。
もうすでに量産に入っているとか。
このディスプレイは何と霧に画像を投影する仕様だそうです。
空中でまさに画像を手に取るようにマルチタッチで操作すると!
、、、、、、。
これは想像するに、人によっては優雅に見えるかもしれませんが、場合によってはひどく滑稽に見えたり、単に不審な動きにしか見えたかったり、いきなりみんなに失笑されたり、、、犬が吠えたりしませんかね。
勿論、マイノリティ・レポートのトム・クルーズのように真剣にやっていれば、大抵の人は大目に見てくれるでしょう。
自分の部屋でひとりでやるのなら、手馴れたキーボードでよいかな。
それをひとりでやっていたら、、、それも慣れか?!
でも折角、霧でやるのですから外でやりたい。
最近、外で多くの人がめいめいに、大声でひたすら喋っていますね。Bluetoothのガジェットで。
その隣で、Disp-Airを操る人々がいて、時折、傍らをGoogleglassをかけた人が通り過ぎてゆく。お互い同士は全く意識していない「集団」というのも面白い絵です。
バルチスの描く街角です。
ポール・デルボーや裸婦や骸骨たちもきっとやってきます。
月のもとで集まれば、
素敵です。

メディア・アートの分野では、霧ディスプレーシステムとして3D仮想空間の創出は実証済みです。インスタレーションにも充分応用は効きます。恐らく映画にもそのまま使えることでしょう。時空を超えた場所体験は様々な用途が開けています。医療にも大変有効かと。

さて話を戻し、その量産モデル、加湿器のような装置から出る霧スクリーンに映る画像に対し、開発者らしき人が全身を使って踊るように操作をしています。
トム・クルーズ状態です。
果たして、この霧安定しているのか?
我々はこれまでディスプレイにはホントに悩ましい思いを抱き続けてきました。
ドット抜けがあったらもう胃が痛み、ASUSは一つでもあったら交換してくれていましたが、他のメーカーは4つくらいは許容範囲だと言って知らんぷりだったり、AppleがRetinaディスプレイを発表したらもう他のディスプレイは見る気がしなくなったり、有機ELディスプレイは今どうしたのだ?携帯でがんばってるか?、外でも操作したいモバイルノートはやっぱりノングレアだとか、視認角度の広さを厳しく追求したり(上下に弱いディスプレーが意外に多く)ともかくスペックが高くなるに従い、見る目は厳しくなっている現状でストレスも感じやすくなっています。で、その炎のような揺らめくアラジンと魔法のランプのようなディスプレイは大丈夫なのか。
夢はあるが、精度は実用において疎かにできない。

チョット見てみましょう。百聞は一見に如かず。見学者が操作を行っている映像です。
Disp-Air
こりゃ、外ではまだ無理ですね。
でも何か楽しそうです。
が、複雑な画像処理仕事とかは無理かな。
バックミュージックはいただけない(笑

これからが楽しくなります。
我々は確実に少年期に漸近的に接近しています。
houseki10.jpg

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物質の未来 少年期への回帰 その1

oumu1.jpg
わたしは小学生のころ決まって風呂場でなのですが、自分が死んで消滅した後、この世界はどうなるのだろうと思い、めまいに襲われることが何度となくありました。
そのとき自然に、いえ自明に自分=この世界、なのですね。
それ以外に考えようもない。考えるまでもないことです。
わたしが死んだ後、この世界は誰がみるのか?
これほど寄る辺ない思いというのはないです。
自分がないのだからすでにこの世界はない。
ないとは?
奈落に無限に落ちてゆく思いでした。
言うまでもなく、これは問いではあり得ません。
答えを求める問いかけには最初からならないのですから。
そもそも外に発することばにならないのです。
しかし、やはり何よりも切実な問いなのです。
何かにすがりつく思いの、最終的な問いなのです。
tuki.jpg

いつの間にかこんな気持ちになったことなどすっかり忘れて
英単語覚えや歴史の年号覚えなどに専念していました。
若いため、情報が入りやすいので暫くはその線で安定してしまいます。
吸収のみで。
何の疑問もなく。
とても暢気に。

でも
なにか気になる。
他のことが気になる。
違う何かをしたい。
でも本当にすべき「何か」を探すのではなく。
「他の」こそが肝心であることが分ってきます。
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他のことがしたい、と絶えず思うようになりました。
これはつまり、既存のレールが自分にとって塞がれているという直覚から来るのでしょうか?
ダンゴムシも自分がおかれた環境によっては、かつてしたことのない行動を起こします。
苦手な水の中に自ら飛び込み泳ぐことを選ぶとか。
男らしいダンゴムシだ!
心、の問題。
潜在する活動部位。
確かに、微妙だが言い換えるということは、それだけでそれが指し示すところのものを活性化する。
または異化する。
すべてのものことは、言葉でできている。
ならば言葉を変えるべきだ。
意図的・意識的に戦略的に言葉を変えることです。
さらに付け加えれば、と言うより最も力を発するのは、「詩的に」です!
多分これからは、誰もが「詩人」となることです。
現状の打開、乗り換え、超克のためには。
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眠りを巡って

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人は一生の中で、7年間も夢を観ているそうです。
26年もの間寝ているうち。
素敵です。

夢では私の場合特にそうですが、物凄く激しいアクションをしています。
でも全く疲れない。
そういう世界ですよね。

夜の睡眠活動を昼の運動の歩数計のように計測する機器をオムロンが開発していたそうです。
2012年5月のことです。
この機器を使うと睡眠時間が測れると。
「睡眠計」
HSL-101
何かよいですね(笑
かなりしっかり「測れる」ようです。
就寝中の身体全体や胸の動きで連続的な動きがあれば、覚醒だと判断することで本当に眠っていた時間を計るということ。
電波センサーからの信波が身体の動きを捉えて、その反射波から機器が判断します。

アメリカではガジェットなどかなり売っているそうですね。
腕に装着して加速度センサーで身体の動きを見る。
iPhoneなどになくてはならない機能でもあります、加速度センサーですね。
HSL-101は非接触で測れます。
日常的に使う上では、さらに使いやすい。
今や睡眠産業というものが成立しているそうです。
所謂、ヘルスケアの観点からこうしたものが今後も発売されてくるでしょう。
パターンをみることで、疾病のリスクも見えてくる。

ただ製品カテゴリーとして、「睡眠計」というのはまだない。
購入時、血圧計のようにちょっと試すというのも無理だし。
でも「不眠症」で悩んでいる人は少なくないです。
「睡眠時無呼吸症候群」も怖いです。
PSGという機器がもっとも総合的(レム睡眠・ノンレム等)に測れるのですが医療機関に泊まらないと出来ない。
そこで緊張していつもの状態が測れないケースもあると。
わざわざ行ったのに、ということで。
オムロンのHSL-101ような機器が大変有用となってきます。

「手軽にいつもの睡眠が正確に測れまーす!」てな具合に。
アフィリエーターは準備しておいたほうがよいかも(笑

オムロンではそれらの計測データをサーバーにアップし蓄積しているようです。
もう機器を購入してサービスに登録している人が数千人とのこと。
データ解析も進んでいる。
そういうところから自分の総合的な身体管理をやってもらう、という発想は誰もが持ちやすいですよね。
他の様々なデータも一緒にアップして。
血圧から何から何まで。
これは凄いサービスに成りえます。
大きなサービス産業へ。

月額いくらからで。
コンサルも発生しますね。
何と最近知りましたが、「睡眠健康指導士」という民間資格もあるそうです。
日頃どのような仕事をなさっているのでしょう?
私も資格を取りたい。

うちの娘たちも寒くなってからは特に、寝起きが悪い。
起こすとずっと不機嫌で泣きます。
早めに寝かしてはいるのですが。
総合的な生活習慣にも起因するー躾とかーでしょうが、睡眠の質の問題もあるかも知れません。

ケースに応じて睡眠自体に積極的に働きかけるマシンも当然考えられるでしょう。
前に映画「アルタード・ステイツ」でお伝えした、アイソレーション・タンクなども思い起してしまいます。
眠りのコントロール!
これでかなり人生が変わるはずです。
人自体が変わる。

現と眠りは生と死に重なる。
しかし、死は死期を変化させることは出来ても死にはいかなる介入もできない。
もうその個体性を離れているので、そもそも意味もない。死がなんであるかも分からない。
でも眠りはあくまでもその個における別の意識(無意識)状態である以上、介入は可能。
渡辺謙とレオナルド・デカプリオの「インセプション」は示唆に富んでいます。
眠りはまだ未知数の人類の広大な資源であることは間違いないです。
リフレッシュ効果が期待できるだけでもずいぶん違うでしょう。
睡眠の質の確保はともかく大切です。

専門家によると、記憶の定着はしっかり睡眠を取ったかで決まるといいます。
ずっと起きていると、「睡眠負債」が起きる。
われわれは眠ってその借金を返しているのだと。

眠らないでいると一時的に頭が冴えた感覚に陥ることがありますが、実は「睡眠負債」のためダメージが溜まっていく。後でそのつけを払うことになる。


結局、心地よく眠りにつくということは、一日良い生活をし終えることが前提となります。
睡眠にとって日常の生活の質がなにより肝要です、言うまでもなく。
どんなことをして、それに満足しているか。
運動はどれくらいして気持ちよかったか。
食事は何をどれくらいとって美味しかったか。
生活環境全般と精神活動・身体活動、、、日常生活自体を総合的に捉えることが前提となり、

その積み重ねが「人生」であり、その結果が「死」であれば、分かり易い。ですよね。
これは勿論個人の実存の問題ではあります。
でも睡眠をポイントにおいた場合、全人類共通の問題でもある。
その睡眠を支える「生活習慣」にこそ焦点を当てる。
これは実に正しい。
「実存」とかいうことばで終わらせてはいけない。

福祉社会がこのまま進展していくと、ヘルスリスクの観点からのインフラが構築されて行くことが考えられます。
監視カメラではなくセンサーがいたるところに設置され。
多分これにGoogleが目を付けないわけはない。




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秋です!美術展! グループ「瑛」展&水彩スケッチ「一和会」展 より

相模原市民ホールにて11/19(火)まで開催。あと少しでおしまい。暇なら行こう!

今回の展示は、とても身近に感じる方も多いと思われます、アマチュア絵描きさんたちのグループ展二つからです。
とは言え、上手な方には得るところがないかといえば、そうではありません。
考えさせられるものはしっかりあります。
作者の方もニコニコしながら受付席に座っておられます。
お話もいくらでもできます。
お友達にもなれそうです。(しばらく話すうちに旅行の話になっていた方もいました)
「わたしは絵になる場所を知っている」、、、強みです。
出かけられればかえって、このようなローカルな場所の方が絵を見るだけでなく、気軽にお話もはずむと思われます。大きな美術展では、これは到底無理です。
ただ静かに多くの人の間から絵をかいま見て帰るだけです。

さて、意外とこのような美術展は、リラックスして楽しんで好きなように描いてやる、という人は少なく、構えて上手に描こうという人が多いように感じます。エミール・ボンボワみたいな観る側がワクワク楽しくなるような絵を探すと、あまりないですね。ちょっと淋しい。

その中で、とても良い印象を持ったのが、自分ならではの手法を試行錯誤しながら見つけて、描いているものです。試行錯誤などというと苦行に聞こえますが、遊びの意識でこうやったらもっとよくなる、さらにこうやればもっと見事なものになる、という全く自己満足で良いのです。それが自分にとってホントにいいなあ、と思えれば恐らく多くの人もそう思います。そうして描いたものは、こっちに訴えかけてくるものも大きい。
単にこちらの思惑なしに対象にしがみついていても、一本の線がここだと決まってこないでしょう。何故なら我々の認識は、対象に依存してはおらず、対象こそが我々の認識に依存しているから、という単純な構図から言うことができます(カントをひくまでもなく)。ですからそこからさらにこちらの想像力により超越的な世界に飛翔して良いのです。
そのへんに観る面白みがあるのですから。
物の単純化により描き方をパタン化し、いくつものパタンで描き分けてとても幻想的に魅せたり、背景の色質に拘り絵の具以外のものも試し、これはという自分のやり方を見つける。その過程を楽しみながら結果を見ているものがいくつかありました。本人にとってはその発見が嬉しくて、お客さんに話したくてたまらない。子供のような楽しみです。

技術的には、クロッキーをたくさんやることですが、対象を的確にn-1の精神で捉える。描線はまだ足りないところで終わる。しかし微妙(微細)な揺らぎには神経を沿わせる。
講師の先生の作品に比べ、会員さんがたの作品は線の数が多すぎ、しかも神経の通っていない線が目立ちすぎました。
透明水彩絵具の重ねについてもです。重色・混色の妙がとても大切です。ただ余白がどう残るか。


こちらも視線を線や色の方向に沿わせて楽しむこ
とのできる絵を観たいものです。

またこのような機会を楽しみたいと思います。




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女子美美術館収蔵作品展

夏目三久的モデル

子供連れで行ったため、落ち着いて見れませんでした。
で、こちらでは、いろいろ膨らめつつお話できたらと思います。
女子美の美術館自体、わたしは好きです。
あの自動で開く二重の扉は、「禁断の惑星」のセットの扉よりカッコ良いです。

多分、女子美の学生さんかと思われますが、モデルのような方が受付に3人おられて娘を気使う言葉などもかけて下さり、大変雰囲気が良かったです。近頃世間が殺伐としてますから、良い環境で絵が見られるなとちょっと嬉しくなったものです。

そのまま行こうと思ったら今日は300円頂くことになりますと言われました(これまで女子美の美術館に入るのにお金払った記憶がありませんでした)。普通の美術館は1500円が通常価格で帰りにその企画の本を買えばもう3800円、お土産に絵葉書買えば一枚60円で最低10枚は買いますので、僅かなものです。なるほど、今回は学生作品ではなく収蔵作品だしな、と合点しました。

さて娘ふたりと入ると、すかさず一人の方(女子美の学生さん?)が監視に入ってきてこちらの動向を見ています。娘たちは相模原公園で遊びまくった帰りなので、その延長で広い館内を走ります。それだけならともかく、おやおや絵に触ろうとします(小さい子はまずそうですが、知らないものに対しては手で触って確かめます)。これはまずいと思い次女に声をかけようとすると、私より早く監視のお姉さんがこの白線の外から見てねと言われました。娘二人はそれからは、それを守り白線上をただずっと歩いております。

明らかに何を言われたか理解していない様子なので、「絵は少し離れて見ないと何が描かれているのか分からないよ」というと「あっそうか」と分かったようでした。それからは彼女らなりに二人で何やらぼそぼそ言い合ってあっちこっちの絵を見て回っていました。二人で注意しあい適度な近さを守って。

それからは意味の分からぬことを言ったり、二人が「これ何」とか「このおねえちゃんの絵綺麗」とか質問や感想を述べ始めました。(基本敬称略で失礼します)

二人が一番気に入ったのは、三谷十糸子の「秋の流れ」1963年だそうです。紙本着色でした。
女性立位像で真正面を向いたものです。背景は秋の気配の流れなのでしょうか、水色を主調とし、とても単純化された平面的な色面が弧を描き流れるように構成されています。女性は色と形態は単純化され、彩度を抑えた色彩と緩やかな優しいフォルムで体は描かれ、瞳はモジリアニのように塗り込められており表情を抽象化しています。太く強い輪郭線も使われておりステンドグラスの趣もあり、少しムンクも思わせる神秘性溢れる内省的な作品となっています。

またかの三岸節子もここの卒業生だったのですね。1970年作の「夜」(油絵)は娘たちが背後で暴れていようと少しのあいだ見入ってしまいました。(この絵だけですけど。後は絵より娘の動向が気になって)
重厚な絵です。この作者にしか描けない絵ですね。バーントシェナかもっと赤い色だったかがほとんどの面を覆い、縁どられた三日月が空に貼り付き、何か特別な夜それも階層を成す重苦しい不安な夜を想わせます。塗り重ねてますね。重厚の代名詞のような絵です。

後はなんとも美しい柿内青葉作「十六の春」1925年作「月見草咲く春」1926年作(絹本着色)と題名だけでめくるめく大正浪漫を感じさせるものですが、モデルの女性も凛とした知的で端正な美しさで、そう今の時代で探すと夏目三久さんでしょうか?
まさに日本画ここにあり、という卓抜な技能で精緻に描かれた正当な日本画です。が、女性の顔を見ても、和服を見ても時代の違いを感じさせないものなのです!これには正直、驚きました。そもそも大正浪漫の時期は女性は「ハイカラ」で自立心があり爽やかで、着物はアールデコ調の大胆な柄が流行っていたということを思い出しました。そうしてみると夢があってますます素敵な絵に見えてきますね。その時代背景ともども、今のような放射能の驚異と経済の低迷による閉塞感に苛まれている地点からは一種のオアシスのように映ります。(あえてユートピアとは申しません)
そのほかに、日本画では、北八代の「たちあおい」(絹本着色)がまた艶やかな作品で一際目立っていました。しかし、超時代性となると、柿内青葉の作品ですね。その超絶さから言うと。古き良きものという感は全くありませんから。
そう言えば「モダンガール」と言われるドレスを着たコケティッシュな、丁度パリのキキのような女性もあちこちに出現して、その姿を竹久夢二や中原淳一が描いています。しかしながらそれらははっきり特定の時代性を纏っており、柿内青葉のような普通に和服を着た定型通りに見える絵の方に圧倒的超絶性が窺えるのです。これはもしかしたら、柿内青葉の個人的な資質の問題でしょうか。初めて知った柿内青葉のファンになりました。他の絵もぜひ見てみたい!

さらに自分の物知らずを思い知ったことですが、「日本刺繍」という分野が古くからあるのですね。この辺にとても疎いものですから、以前、「相模原の女性画家展から7人ほどまとめ」という取材を姉妹ブログ”Low"に載せましたが、その際、山田美佳作の海の光景の刺繍にただ驚いてしまっていましたが、大正生まれの田沢澄江の作品にすでに十分完成された日本刺繍の作品があることを知りました。この流れが現代まで脈々と流れているのですね。
ということで娘たちに悩まされつつも、良い勉強にはなりました。とは言えもう少しじっくり絵が見たかった。
以上。


柿内青葉はまたどこかで見てみます。画集も確認しますが、よくご存知の方、情報いただければと思います。




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原発0賛成

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小泉元首相が「原発0」を例の調子で主張した。「日本記者クラブ」において。
相変わらずCMメディア的口調で、掃除しながら聞いていたが、すんなり入ってくる。
なんでほかの政治家は話があそこまで聞き取りにくいのだろう。
何言ってるのかTVの前でしっかり見ていてもさっぱりなのもいる。
350人の報道関係者が詰めかける中、1時間半の会見時間のほとんどを「原発0」に費やした。

政治が方針を決めろ。――>まず方針が決まらなければ始まらない。
放射性廃棄物の最終処理場が決まっていない。――>これはある意味決定的。
総理がここで権力を行使せよ。――>権力の行使をどこですべきかが肝心。
野党はみな賛成。――>総理の決断次第で現実化する。
代替エネルギー問題。――>方針を決めれば実現のための知恵はいくらでも集まる。
即0.――>具体的道筋は示さないが。

後で具体性がないとか、責任あるエネルギー政策が肝心とか、結論がそもそも間違っているとか言われていますが、今日本には稼働中の原発は一基もないので、事実上「原発0」状態。
これだけ原発事故の事後処理がめちゃくちゃな状況で原発を再稼働させていく方がはるかに非現実的でしょう。
なにやら、なし崩しで不明瞭な形でだらだらと再稼働なんてことにはならないようお願いします。
ぜひとも即0方針で進めてもらいたいです。
方針が決まれば、具体的道筋は立ちます。
専門家もいますが、現にドイツが長いことそれで進めています。経済的問題もありますが、十分に参考になるはずですし。

自民の現政治家たちは、どういう利権の絡み(既得権)があるのでしょう。どの政治家がどういう得があるのでしょう。原発にここまで拘るというのは。吉本隆明さんは原発推進派でしたが。そのレベルで推進というわけではないでしょう。個人的利権だと思います。

代替エネルギープロジェクトを原発事後処理と並行してすみやかに加速させてもらいたいです。
いつまでも魚が食べれないのは、正直つらい。
あれ以来、水をずっと買い続けていますが、これだって負担は大きい。
日本を離れるにも適当な外国が見当たらない。



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隕石ブーム~それはロマンチックな

今年2月15日にロシアに巨大隕石が落下したことは承知の事実である(直径20m質量3000t)。私も以前にブログ上に述べている。様々な角度から撮られた映像がTVによく流れていた。ロシアは交通事故が多く、自分の身をまもるために、車装カメラをどの車も乗せているため、その手の映像の撮れる可能性も高い。つまり別の意味で面白いわけだ。
被害は半径100kmにも及び、チェリャビンスク市では割れたガラスの破片などで725人が市内で手当てを受けた。各地で112人が入院したという。
隕石は低空突入の圧力のため高度70~30キロで3回爆発した。 ここが、様々な疑惑・憶測の生じたポイントでもある。南東から北西に向け白煙を引いて空を横切りながら、地上に対し45度の角度で落下したようだ。白い閃光を広範囲に放ちながら、爆発音は遅れて届く。撮った人たちは其の臨場感から、さぞかし圧倒的な迫力と恐怖と眩暈を味わったことだろう。マッハ30で飛んで来てそのまま落ちて爆発するのだから。
チェバルクリ近郊の湖に張った氷に、隕石落下によるとみられる直径6メートルの穴が見つかったという。
このレベルのもので死者が出なかったのは幸いだ。

火星と木星の間は小惑星が夥しく存在する。大きいもので半径1000kmに及ぶという。その一部が地球の軌道に重なれば大気圏突入時に燃え尽きないものは、地上または海面に落下する。

そもそも隕石が頭に当たって死んだ人っていたのだろうか?中世のころとか。いたら恐らく絵に残されたと思われる。恐竜などではいたかも知れない。まだそのような化石は発掘されていないが。いても骨は粉微塵になっているだろう。いずれにしても、宝くじに当たるより難しいし、仮に当たったらその時が最期だ。当たってみようという人も少ないと思われる。

古来から隕石は人々から恐れられてきたが、其の石は神聖なものとして、とても珍重されたそうだ。

1500年前、ヨーロッパにも巨大隕石が落下し、そのクレータが今も残る。南ドイツである。1億年に1度の確率!

しかしそのクレータはそのままの形を残しリース盆地となり、そのなかにやはり丸い輪郭の街ができた。丸い城壁で囲まれた街であるが、その○がクレータの輪郭と相似なのである。ドイツのネルトリンゲンである。素敵である。おとぎ話に出てくるような赤い三角屋根の街並。もしかしてもうおとぎ話や絵本もできているのでは、、、。1961年にここが隕石のクレータ内であることが判明した。つまりそれまではただの街だったらしい。随分な街興しになったに違いない。街そのものが大変なグレードアップを果たしたはずだ。新たな歴史が畳込まれたのだから。バイエルン王国だけでなく地球規模で誇れる歴史である。
その街の岩は隕石の衝突によって生まれた岩で、決して自然界に普通に存在する物ではないのである。
スーバイトという高温・高圧によって生まれる特殊な石。
実は其の石でできた街がネルトリンゲンであることが解ったのである。聖ゲオルク教会そのものも。

深い何層もの地層を巨大隕石の衝突により分断し、化石を一気に掘り起こしたそうだ。
3億年前からの8種類もの地層を混ぜ合わせてしまったという。
まったく隕石というものは何をしでかすものか。大変なエネルギーである。
しかしこの盆地によって内側は風や寒さから守られ、緑豊かな土地となり、人々の定住しやすい場所となった。であるから多くの出土品もある。文化も豊かだ。

また面白いのはこのような隕石クレータで水生生物が繁殖し易い深さ―規模である場合、様々な珍しい種類の動物の化石が発掘されていること。
幅広く生物が生息し易い芳醇な環境が生まれるのだ。
隕石落下は恩寵となる。
ネルトリンゲン付近の小規模隕石クレータがまさにそれである。

現在も実はしょっちゅう落ちているらしい。
大小さまざまに。
ホントに頭に落ちた人はいないのか?
いても気づかぬ人とか、、、。
いないか。
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SFから現実に

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最近、アメリカでは、SF映画に描かれているアイテムを製品化する「仕事」が現れているそうです。
あのインテル社には未来研究員がいるといいます。
そのなんとかさんは(お名前は忘れました)、
自分の部屋みたいな仕事部屋(結局自分の部屋か)には、SF本とDVDがぎっしり、勿論日本アニメも、壁をずっと覆っており、そこでニコニコと本などを読み仕事に励んでおりました。
(GoogleといいIntelといい、自由だねー。多分、appleもそうでしょ。)


15年先の人が何を思うか考え、どういうスペックが求められるのかを検証し製品開発するそうです。
彼がいま開発しているのは、画面が宙に浮くタブレット端末。
これはスターウォーズにヒントを得たものと言います。

そう言えば、あのGoogleglassもターミネーターから発想されたとか。わりと考えやすいものではありますが。

いまアメリカのベンチャー企業から、「マイノリティー・レポート」でトム・クルーズが空中で両手を動かし、コンピュータを操作する場面から、「リープモーション・コントローラー」というのが生み出されたといいます。
専用アプリはアメリカで1000000を超えるダウンロードを記録したと。
まさに、あの場面です!

と言いたいのですが、10センチ程の装置の上で手を動かして操作するのですが、グラフィックが出るのは、パソコンのモニター上です。まあ、空気中という訳には行きませんよね。いくらなんでも。するとタッチパネルとどれほど違うのか?
気持ちの問題か?これについては、、、普通のユーザーであれば、その装置の値段にもよりますが、タッチパネルでもいいんじゃない?という気がしないでもありません。
ただ、距離をもってジェスチャーで操作できるということは、メリットは確かにあります。

日本では既に手術の現場で活用されているようで、それは「オペクト」という装置として、手術の際、患者の患部をDr.が手のジェスチャーだけで自由に的確に視認できることで衛生な上、効率と正確性を高めているそうです。
執刀医が助手にいちいち指示をだしつつ執刀するというのは確かに大変でしょう。医者もストレスが減ったと話しています。ちなみにこの技術は日本独自開発だそうです。

ともかくこれからは、device.はどんどん軽く小さく目立たなくなり、又は他のアイテムの中へ取り込まれ見えなくなっていく方向を辿るでしょう。
そしてグラフィックを見るためには、以前仮面ライダーが変身するときにモノを映す鏡があればよかったように、何か平らな面-壁さえあれば、いつでもそこに投影して確認し、ジェスチャーで自由に操作できるなんていうガジェットも出来ることでしょう。多分。もう少し進めば、頭に直接繋ぐという方向性しか残らないでしょうね。


今年もイベントには900社が集まり、様々なロボットなどをお披露目したそうです。
アメリカではこういった催し自体が盛んです。
ある意味、大人が子供の遊びの延長を遊んでいるようなところも見受けられました。
しかし、大人が遊んで悪い訳はない。
これからは、大人も精一杯遊ぶべきです!




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第14回「相模原市写真連盟展」

相模原市民ギャラリーにて11/12まで開催。相模原市写真連盟主催。
またしても、結果的プライベートビーチ状態の「相模原市民ギャラリー」での取材です。
こんなに小忠実にこのギャラリーの取材を律儀に行う人が果たして関係者以外にいるでしょうか?
なお、本来は絵画・写真の専用ブログとしています"Low"で行うはずなのですが、今プロコル・ハルムの紹介をしている最中なので、こちらで失礼します。

では、今回もわたしのローカル取材です。(作者の敬称略です)

まず本展覧会は加盟写真グループ単位での参加のようです。8団体参加しています。かなりの点数でした。
すべてを見渡してみて思うことは、「趣味」です。

やはり趣味の世界でした。
ただ、他者に見せるに十分な質はもっていました。

モチーフは、鳥、花、建物(古民家)、路地、公園、人物、彫像、樹々、雪景色、紅葉、渓谷・水、炎、一瞬の動き、反映する光、、、

まず、最近目が悪いせいか、距離をもつと物がぼやけて困るのですが、こんなとき異様にモチーフが際立って浮かび上がって見えてくるのは、背景を思い切りぼかして深度の充分にある写真です。

まるで3D画像のように見えました。
それは特に霧の遊歩道ii(興水サキ子)や秋たけなわ(酒井邦男)をはじめ、鳥や花をモチーフとした写真にはほとんど見られます。
また、色彩の鮮やかな作品に祭りをテーマとした物が目立ちました。「ハレ」の日(堀口浩幸)などに見られる色相の対比と凛としたモデルの佇まいの美しさ、収穫の秋、お彼岸の頃(柳一郎)にはさらに強烈に色の対比-コントラストが見られます。
反対に色のトーンを落とし、細やかなグラデーションで魅せるソフトな作品も多く見られました。
あからさまなソフトフォーカスという訳ではなく、グラデーションと色彩の対比(補色)で絵をまとめている物に、斜光(高橋豊吉)や夕映えの渓谷(倉本勝美)があります。オレンジと青の補色対比は霧と水繁吹の質感の対比にもかさなってとても柔らかく鮮やかです。
静寂(藤野富一)の鈍い黄から深緑までのグラデーション、グリーンの夜明け(金井勝利)の深い豊かな緑の光。

これらを見ると自然に写真は「光画」とも呼ばれることを思いおこします。
本来、光を切り取る芸術であることを。

また、写真ならではの作品として、砂丘遠望(篠崎明弘)があり、砂丘の中をずっと歩いてゆく小さな人々の後ろ姿を追うものです。さらに必ず展覧会にはある、ここぞという瞬間ショット。今回も何枚もありました。
また、絵画的な世界を狙った、射光の朝(吉永進作)の不思議な樹木の影。光Ⅲ(山口元秀)のモネかと思う印象派絵画のような光の画像。新緑(藤波彰)の構図の面白さ(ジョージア・オキーフみたいな)。

わたしが今回の写真展で最も繊細で美しさを感じた作品は、「凍てつく湖畔」(坂本武昭)です。
池の水面の風で乱れる波紋の表情をそのままの姿で凍結した薄氷の美。
自然の幽かな気配を見事に形象化していて感動的な作品でした。
それから、「合わせ鏡」(滝沢達巳)ですか、澄んだ水の最も説得力ある表現は、このような時間を止める鏡状の水面ですね。全くの合わせ鏡になっています。この水、これこそ純粋なメディアです。存在を表そう知らしめようとするとき、必要なのは、そのものではなく、このようなメディアに他ありません。

今回の写真展で今ひとつ観ることが辛く感じるものに、絵葉書タイプの写真があります。
これは構図・構成、色相、コントラストなどあまりに綺麗に収まりすぎていて、完全に閉じてしまっているため、他者のイメージを拒絶するようなものです。一見見事なのですが、とてもペラペラに見えてしまうのです。
技術は大したものですけれど、キレイに撮る以外の何かを感じさせないのです。
ある特定の場所の紹介写真などでしたら必要十分なものなのですが。これは山の写真や瞬間切り取り写真にかなり見受けられました。「絵葉書」によいと思いましたが。

写真は記憶と関連します。ですから基本的に個人的な重みを孕むものです。撮った本人が満足ならそれで良いはずなのですが、作品として発表するとなると、それは何からも中立して第三者-観る者の目に晒されるものとなります。わたしはその場所を切り取った意思が見えるモノに魅力を感じますが。
趣味的な楽しさはしっかり伝わってくる展示会でした。


以前、ここでの絵画展でご紹介したことのある、鈴木英子氏の絵画作品が別コーナーで展示されておりました。
大きい油絵が4点、小品が6点くらいだったと思います。
大きいものだけしか観ませんでしたが、やはり作風は不変もので、ポテロとルソーが混じってお洒落なトーンにまとまったような世界です。
「、、、ここはわたしの楽園です。動物も植物も、そして「私」も幸せに生きています。」
と作者の言う世界は、理想郷を作り、自然と共生する文字通り「秘密の楽園」であり決して今日-今ではありえず永遠の「NEXT DAY」であり永遠の「明日」であるしかない。しかしこの画布の中でだけは「NOT ALONE]なのであります。不可避的に有り得ないモノ達と有り得ない時空に共生する。ひとりじゃない、、、と絶対的な場所に住まう。
作家とはそのような者なのでしょう。





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禁断の惑星~Forbidden Planet をDVDで観て

Forbidden Planet002
Forbidden Planet
1956年
アメリカ

フレッド・マクラウド・ウィルコックス監督
シリル・ヒューム脚本

アン・フランシス、、、アルティラ
ウォルター・ピジョン、、、モービアス博士
レスリー・ニールセン、、、アダムス機長

確かこの映画は、映画館とTVでも何度か観た覚えがあるのですが、いつごろのことだったか思い出せません。
昔観たTVというのは私にとって何故かとても神秘性が纏われまして「禁断の惑星」もその例外ではなく、何か特別な映画に想われてきました。
なのに妙な思い込みが災いしてか、最初の導入部でこりゃーとんでもないことに時間を空費することになりそうだ、という気持ちになりました。

1956年制作映画とは、はたしてこういうもんだったか、、、。23世紀の世界だそうですが。
このころになると地球人は太陽系以外の惑星の征服に乗り込むとのことです。
小振りの雑居ビルの一室を思わせる宇宙船内のとてもあっさりしたセット。服も街角にいても違和感のない清掃員のつなぎにも似ていて、そっけないものです。
ハイパードライブで光速を遥かに超える速度で、彼らはアルテア4という惑星に1年かけて到着します。
特に秘密にしておくような任務ではないようにおもわれますが、到着少し前に初めて乗員に今回の任務が明かされます。ただ、20年前の遭難者たちを救出するという呑気な特命自体、秘密にしたいと言われればその通りです。
ともかくそれまで船員たちは何も知らずに乗ってきたわけです。
船長が古い航海図にはないとかびっくりするようなことを言ったり、海賊船のチョイ悪コックという感じの人物が酒のことばかり考えてチョロチョロ自由に動き回ったり(これは劇中ずっと。彼の存在意義も不明)。
船窓?モニタ?から見るアルテアは隣の酒屋の壁に貼られた公告の絵の様。
ヒュんヒュんヒュん~いかにもその頃の漫画に使われていたようなキッチュな効果音で円盤(宇宙船)は宇宙空間を移動する、が背景はあからさまに絵です。
確かに航海図のようなものにペンで印をつけて船を動かしているし、円盤の位置を確認する透明の球体羅針板のようなものも地球儀から発想されたであろうことはよくわかります。
船長は、酸素と重力の値だけで、さっさと何も身に付けずに降りて良いと命令します。
着陸時に着陸を拒むモービアスと言う言語学者からの通信がきます。生き残った人がいたわけですが、余計なお世話ですぐ帰れと言われます。
かなり強硬に着陸を拒むものでしたが、強行着陸してからは、結構無礼な船員たちに対し、とても親切なおもてなし、、、。これまでの船員たちの死んでゆく経緯を船長の質問に対し丁寧に答えていきます。
博士の娘(この映画唯一の女性)が突然現れ、一緒にいたクルーを差し置き、中尉がしゃしゃり出て口説きにあたります。全く初対面で地球人はそんなことしましたっけ?博士以外の人間に接した経験のない娘はあっけにとられますが、この厚かましさには普通の地球人も呆れます。しかも娘に言い寄るのに船長の悪口をたらたら言いつけ。宇宙船の乗組員というより、チンピラ船乗りの航海もののようで、わたしももうこの辺にしておきます、という感じになるのですが、R2D2の原型とも言える”ロビー”というロボットがなかなか良い味を出しているので、とりあえずこのまま見ようということにしました。
前置きが必要以上に長くなりました。これは本当にこの辺にします。

しかし
上に述べた最初の部分だけを寛容な心でやり過ごせば、けっこう面白く見られる映画と言えます。

IQ増幅器というのは笑えますが、博士の「クレル」というアルテア4の高度に発達した文明人たちの栄枯盛衰の話や、透明の怪物の正体を巡る伏線もできていて、流れは破綻もなくそこそこ良いです。
ちょっと不思議な奔放な美女アルタ(タモリをどうしても思い浮かべてしまうのですが)もプロポーションの大変良いマリリン・モンローという感じでロボットや博士と良い絵を作っています。ずっと素足で登場していることが地球人との差別化のようです。それから地球より少し重力が少ないからか、脚が素晴らしく長いのでしょうか。
どこの段階で船長に心を移したのかはっきり分かりませんでしたが、普遍的に女性というものは、突っぱねるような男に惹かれるようです?!

Forbidden Planet003

中盤以降のクレル文明の地下の壮大なエネルギーシステムや機械の自動修正装置やイマジネーション増幅機などをシャトル・カーを使いツアーガイドのように多忙の中にもかかわらず船長たちにレクチャーしてくれる博士は、ひどく横暴で秘密主義かつ偏屈な男扱いですが、とっても良い人にしか見えません。娘にも優しいですし。反対にそっとしておいてくれという博士の研究をしょっちゅう中断させるべく乗り込んでくる連中の方が失礼ではないか?

”idの怪物”というのはとてもありうる現象です。ただ、物質文明を脱し精神的な存在として進化する矢先にID(潜在意識-無意識)に急襲されるなんて結構間抜けな感は否めません。一夜にして滅びたというのですし。が、このドラマの中心線ですので、そういうことは十分有り得るということで観ていけば、かなり重厚なテーマを置いたSF映画です。そのなかで特に博士、ロボット、娘(あえてアルタはやめておきます)はとても良い仕事をしています。船長たちもなくてはならない存在でしょうね。仕方ありません、IQが低いので。
この映画は何かというと、「やはりIQを高めなければ」と言って博士の研究所にあるクレル人の作ったIQ増幅器に頼ろうとするところが何ともオカシイです。そういう問題か?いやそこにだけこだわったのならIDに急襲されても不思議ではないですが、精神文明を築くという段階でそれはやはりないですね。その解決がその前提です。

結局わたしはいっぱいカットしたい場面がありました。
この映画、むしろ博士を完全に主人公として描いてもよいはずです。その方がパースペクティブが強くなり、臨場感もあり迫力も増すのでは。

とは言いましたが、良い映画です。一度は観て損はないと思います。




ロビーのソフトフィギュア売っています。これもオススメです!
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2001:a space odyssey ~スタンリーキューブリック~について

2001-3.jpg

STANLEY KUBRICKの2001年宇宙の旅です。
25年ぶりでしょうか?それくらい前な気がします。
DVDで観ました。
違った意味でゴダールのアルファビルと同様に、
とても新鮮でした。
確か月面初着陸より前に制作されてますし、45年以上前の作品ですね。

最初のヒトザルがこれほど生々しかったとは、今回見てまるでそのものを見ているような気がしました。
猿の惑星よりリアルで驚きです。
モノリスに触れてから、そのヒトザルが動物の骨を打楽器のように(演奏に合わせて)粉々に砕き、
その骨を武器にして水場争いを制し、骨を放り投げると宙空で人工衛星に成る(重なる)。

SFXの黎明期ですよね。ここまでやるかという大変な力作であることを再認識しました。
現在の科学の成果と付き合わせてどうの、地球の色がどうだなんてことは全く意味がなく、
映画作品としての完成度はとてつもないものです。
その世界そのもの(ストーリー)の構築と共に、
SF映画の最高峰であることは疑うべくもありませんね。
そう言えばこれほどの映画なのに、観たのは2度目でした。

ゴダールは、テレビ画面でも何の問題なく見切れるものですが、
この映画は、巨大スクリーンものですね。

まず道具立ての凄さに圧倒されます。
ゴダールの素っ気無さにも違う意味で圧倒されましたが。

さて、2001年の宇宙船とその環境に関して、
当時の科学で考えられる範囲の装置を科学考証を元に組み上げたと思いますが、あまりに緻密で明瞭で誤魔化しめいたものがないところが、気持ち良いです。
スペースポッドも細かい作りとそれに見合った操作と張り詰めたパイロットの神経の連動が美しい。
やはりディテールに拘りますね。
巨大なコンサートホールのような室内(これは宇宙ステーションだが)も隅々まで神経が行き届いいています。
ちょっと面白いのは、磁力靴ですね。コミカルな感じもします。あの360°回ってしまうところ。凄いですが面白い。何度も出てくる、見せ場の一つです。
重力操作も場所場所で行っていますね。トイレとか。食事場面とかもストローで吸引したり、ナイフですくって食べたり、普通にかじって食べたり。
照明は全体的にフラットで、作りこまれた装置を過不足なく的確に自然に見せています。
HAL9000もある意味現在の巨大スパコンよりも優秀で妙に人間臭く良い味を出しています。口の動きを見て逆上して人殺ししたり、下手な言い訳して命乞いの懇願したり、、、最後に歌で締めたり、、、Daisy Bell。

ここでの音楽はあまりに有名ですね。
ツァラトゥストラはかく語りき。真っ暗な場面を最初にあれだけ見せられては、お客の中には何かの故障かと早合点した人もいたことでしょう。3回に分けて使われていました。2001と言えばこの音が頭の中で鳴り響きます(笑
美しき青きドナウの軌道に乗る人工衛星のなんというか一種、楽感的な雰囲気も優雅で良いですね。
リゲティはSF映画には使われやすいですが、例のソラリスでもリゲティ的な音楽が使われていました。

生き残ったボーマン(ですよね?)さんはアーサー・C・クラークの本を見ておくと、途中で巨大モノリスを通過しスターチャイルドに進化を遂げたことが分かりますが、終盤は多少の解説が映画の中に入っていたほうが良かったかなと思います。勿論、映像だけで抽象的・哲学的な流れをしっかり見せることが監督の力量であり、その意味でも類希な映画作品になっていることは確かです(リドリー・スコットもディレクターズカットでナレーター箇所を消しまくっていました)が、やはり終盤はひたすら難解になってしまいましたね。どう見ても、情報が足りない。スターゲイトの特殊効果はかなりの説得力です。これがなければ、アルタード・ステイツもなかった。

クラークの作品は、確か映画より後に出ていたはずです。読んでみると結構違いました。土星に磁力が向けられていたし。別の優れた作品と云えましょう。

キューブリックとクラークの共作とあらば、このクオリティはいきます。。
「地球幼年期の終わり」もやってほしい。
多分、涙なしには観られません。
「結晶世界」
、、、、、、

映画にしたいSF小説ベスト10をどなたかやってください。(やられたら連絡ください)
対談なんかしてみたいです(笑
ブログ対談?!



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マギカ・テフニカ~MAGIKA TECHNIKA

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イジー・トルンカのパペット・アニメーションを観て。
チェコの絵本作家でありパペット・アニメのパイオニアと呼ばれるトルンカは、日本の人形劇の巨匠川本喜八郎のお師匠でもある人です。ジャン・コクトーにも「子供と詩の王国」と評価され、カンヌ映画祭ではウォルト・ディズニーを抑えて大賞を受賞し絶賛されたそうです。
彼の仕事の中から、それぞれ時間を隔てた4作品が収録されたマギカ・テフニカより。

1.悪魔の水車小屋
民話をもとにトルンカが脚本・美術・監督を行った人形劇。
手回しオルガンのハンドルを交換することで同じ曲なのに全く違う曲想になる不思議なオルガンを使い、水車小屋で悪魔と戦います。
トルンカ初期の作品で1949年のものです。
やはり良い作品は照明に個性がありその場面に的確な質感を与えています。

2.2つの霜
トルンカ脚本・美術・監督
この作品は人形アニメとセル画のアニメが混在する実験的なアニメーションですが、全く違和感なく作品世界に浸って観ることができます。というより、ふたつの形式が統合されることで、より作品に広がりと説得力が生じています。霜の精がふたりで人間を懲らしめようとします。人間は人形で、霜はセルで描かれています。
1954年の作品。

3.電子頭脳おばあさん
イヴァン・クリーマ原作 トルンカ脚本・美術・監督
よくトリュフォーの「華氏451」と比較される作品。
ディテールにこだわった非常に作りこまれた大作で、何度見ても見飽きません。
洗練された極めて完成度の高いSF作品と云えましょう。
おばあさんの家から両親の家に行った少女は、そこで奇妙な椅子型ロボットおばあさんに迎らえ奇想天外の体験をします。
1962年の作品。

4.大天使ガブリエルと鷲鳥婦人
ボッカチオの「デカメロン」より トルンカ脚本・美術・監督
信仰の深い美しい婦人と天使の扮装をして近づこうとする怪しい男とのやりとり。
エロティシズムとデカタンスを濃厚に感じさせるファンタジーとも言えます。
1964年の作品。


どの作品も適度な長さで一気に観ることができます。
また一つ一つが全く作風が異なり技法も違い細やかで豊かな表情をもっています。
さらに人形の持つ抽象性が醸す神秘的な呪術性がことさらに私を引き込んでゆきました。
これを実写で撮ったらどうだろうとも思いましたが、無論雰囲気はかなり変わるでしょうが、この監督であれば素晴らしい作品に仕上げると確信しました。
この照明やディテールの作り込み、カメラワーク(これは他の人ですが)はメディアが変わっても質に影響の出るものではありません。

とても多彩な技法を持っている作家です。また表現する世界も多様です。
シュヴァンクマイエル的なものからブラザーズ・クエイを思わせるところなどありますが、確固たる個性の光る真に創造的な作家であることは間違いありません。



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”Bon voyage.”



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