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ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
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写真についてーⅡ
去年マリエンバートで
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「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
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TAMARA 2010 を観て

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3Dで精緻に描かれるdarkな夢の世界を
エスカレーターで登ってゆくロボットのタトラ。
それに交錯して対比的に描かれる現の世界は平面的なモノトーンの2D世界。
単純化されたレトロタッチのキャラクターたち。
タマラが歩くたびに、鉄腕アトムと同じ足音がキュッキュと鳴る。
とてもキッチュだ。
物語はほとんどこの2Dアニメで展開してゆく。

主人公は永遠に1歳の雌猫。アメリカン・ショートヘアーと日本猫のハーフのタマラ。
Catty&coという情報戦略により成長した巨大企業のシンボルマーク。
不死であり謎の猫。
殺されて蘇ることでその世界(惑星)を再生させるということ。
傍若無人な振る舞いで、タメ口で粗暴。
彼女は「ファッキンな一日が始まりますね」と言い、怖いものなしの冒険に出かける。
(それもCatty&coの策略、、、)

タマラは彼女を「糞猫」と呼ぶにんげんの母のいるオリオン座に向かう。
途中で宇宙船に隕石が衝突しQ星に不時着することからドラマが繰り広げられる。
彼女の存在がQ星を混乱させはじめる。
「最近、この辺モノが増えたわねえ」住民も変化に気づいてゆく。
ポップに暴動、破壊、殺戮、腐敗が進む。
タマラの無軌道な動きにここで知り合った「モアモアちゃん」ことミケランジェロも振り回され
タマラも警官のケンタウロスの手にかかる。
が、結局甦り、、、。


音楽はサブミナルなサウンドで映像とストーリーにマッチしている。

結局どうなったかはよく分からなかったが、Catty&coが敷くcode自体見えない。
われわれの世界自体も見えない。


見終わって何も残らないところがよい。
面白かったのかそうでもなかったのか。

こういう映画も珍しい。



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アルファヴァル~ゴダールを観て

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昔見たときは機械がしゃべるおどろおどろしい声と、長く縦に伸びる薄暗いライトの廊下が印象に残っていました。それからモノトーンいいえ、モノクロの何ともエキゾッチックな映像全体の雰囲気も。

SFなのか探偵ものなのか分からないが、近未来のマスター・コンピュータ(アルファ60)による統制で「記憶」と「演算」によって全てを管理する世界を舞台として展開していきます。
SF的な舞台や特別な仕掛けやオブジェなどなにもありません。
主人公も他の惑星”アルファビル”に来るのに、自動車で最後まで走ってきます(帰りもまた)。
すべてこの映画制作当時のままの地球のパリ街そのものです。
建物も室内も、生活様式もほとんど同じ様子です。
そういった意味でもこの映画は実験的です。
ひょっとして革命的かも知れません。

面白いのは、ホテルの各部屋には必ず、「聖書」と称した辞書が置かれており、その辞書はどうやら毎日更新され、消されていく言葉と、新しく付け加えられる言葉があるのです。
ヒトを完全に操るには、言論の統制ではなく、必然的に言語の統制となります。
ここでは、感情や心理や芸術・詩的な言語が最初から「聖書」にはないようです。
「意識」も削られていました。「愛」も勿論ありません。
2級誘惑婦とか3級~とか言う職業の女も必ずホテルには完備されています。
挨拶も完全に型に嵌っています。

ここでは有名な「祭典」というものがあり、プールでヒトを銃殺刑に処するのですが、すべての罪人は思想犯や「聖書」にない言葉における行為をした者たちです。
そのプールにはフランスでも大変力を入れている競技のシンクロナイズド・スウィミングの選手が水中に控えていて、撃たれた罪人の息を止める役をします。
ある死刑囚は妻が死んだとき涙を流したという罪です。
彼は最後に自分の訴えを叫びます。が、話し終わる前に撃たれて水中に落下していきます。
スウィマーがすぐに落下地点に泳ぎ着き、まだ叫ぼうとする罪人を水に沈め息の根を止めます。
すると首脳陣や来賓たちの観客が拍手喝采が谺します。

主人公は新聞記者と偽り、この惑星に乗り込み、この惑星の支配者とされるフォン・ブラウン博士を連れ戻すことが目的のスパイです。
銃撃あり、殴り合いありのハードボイルドな場面もあり、コンピュータから尋問を受ける場面もあり、ナターシャ(アンナ・カリーナ)というブラウン博士の娘と出会い恋に落ちたり、ゴダール映画の中では最も筋を追いやすい見やすい映画となっております。
それにしてもこの映画の~街などについている名前は著名な科学者か哲学者の名前ばかりでした。
フォン・ブラウンはロケット開発者の代名詞ですが。

さて、この映画は失われた言葉を自ら探し出し人として救われようというものがテーマとみて良いでしょう。
主人公は仕事を果たすとナターシャを助け出し、車で逃走します。
アルファ60が壊れたのか、フォン・ブラウンが射殺されたためか、皆動きがおかしくなっています。
ナターシャもそうですが、主人公が言葉を思い出せ、と促します。
車はそのままアルファヴァルを後に2人を乗せて走ってゆきます。

ナターシャは「あなたを、、、」
と「聖書」にない言葉を主人公に向けて放ち、救われます、、、。
人らしい表情を取り戻します。


カメラワークとライティングもお洒落で簡潔で無駄のない、ポイントを押さえた映像で統一されています。
例えば、マイクロフォンだけでアルファ60の全体像(イメージ)を感得させたり。
このようなnー1の手法がゴダールの洗練した手法なのかも知れません。
そうこの対話する男女を交互に正面から映す手法は、ハリウッド版”ソラリス”でも使われていました。これはゴダールの発明した手法でしょうか?しかもゴダールはライトを交互に当てます。斬新です。
不確定性原理や文化人類学、ヴィトゲンシュタインの論理学等の用語は道具立てのひとつに過ぎず。
ゴダールのこだわりはヌーベルバーグ、新しくしかも色あせない映画をいかにして作るか、という問題意識に絞られるように見て取れます。


見終わって感じるのは、この映画は少なくとも思想とか何かの想いを表明しようなどというものでは全くなく、ともかく新しいカタチのスタイリッシュな「映画」を撮りたい、それだけで出来た映画だと思いました。
それから、ゴダールが映画作りが好きでたまらない人なのだということ。




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「鏡」を観て~タルコフスキー

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元地質学者で、シベリアの空気で肺病が一時良くなったという、タルコフスキー。
そのさい、自然に対する彼の向き合い方も決まったという。
彼の根源的な物質的想像力もそこに育まれたのでしょうか。

この「鏡」は36シーンで成ります。
全て幼少期の詩情溢れる想い出と現在の彼の想いの錯綜するもの。
母と幼少年期の自分と今の自分と妻。
暗示的な冒頭から、幻想的な美しさで全編が綴られてゆきます。


脚本はタルコフスキーとミシャーリンが半分ずつ分けて書き上げていますが、どのシーンが誰の作かは秘密となっています。
映画の中での詩の朗読はタルコフスキーによるもので、詩の作者は詩人として名高い父であるアルセーニー・タルコフスキーによります。

各シーンの組み合わせは、タルコフスキーもミシャーリンも大変苦心し結局、6シーン残ってしまったそうです。最終的にこの混迷した事態を解決し、ピタリと全シーンを見事に流れるように組み合わせたのは、タルコフスキーの奥さんだそうです。
全く自然に、抵抗なくただ美しい想い出の片辺となっています。見事としか言い様がありません。
しかし、もともと意識とはこのような重層的な流れによるもので極めてリアルな内面世界の現実が描かれていると思われます。こればかりは言葉では表現不可能であり、タルコフスキーの天才が映画の形式を極限まで使い、なし得たものでしょう。

他のタルコフスキーの映画に比べても線状的なストーリーが乏しい分、短めのシーンの完成度の高さとその切り替えがめくるめくものです。秘めやかな予感と気配に支配されて。ここはある意味ノスタルジア以上に。

特に、テーブルの上のカップが置かれていた事を窺わせる、湯気の跡が静かに消え去ってゆく場面や「なんとかなるさ」と鳥が放たれ、羽ばたき飛び去ってゆくと、妻が横たわったまま宙に浮いている美しい結晶的シーン。
窓のガラスが突然割れたと思うと、風が草叢をなびかせて渡り、テーブルの上のランタン?が転げ落ちてゆく、、、。いたるところでギリシャ時代の哲学者のごとくタルコフスキーの宇宙の基本元素が触知されるものになっています。
水・火・土・気(風)さらになびく草の雄弁さ手触り感が印象に残ります。

後半のバッハのヨハネ受難曲以外はタルコフスキーの映画音楽観を熟知しているアルテミエフによるアンビエント?ミュージックによって映像に的確な説得力が与えられています。このような音楽を当時使う監督はいなかったとアルテミエフは言っていましたが、それは必然的にその音楽を必要とする映像はタルコフスキー以外の人間に作れなかったということであり、それひとつとっても彼の独創性が窺えます。映像・音楽が一体化しており本当に世界に浸り込めるものです。



二次大戦・中ソ国境紛争、原爆等のフィルムの挿入もあり、この映画は体制批判が含まれていると、当局から圧力が加わり国内でも上映がほとんどされず海外のコンクールにも出せないありさまでした。
その過酷な環境下においてこれほどの作品が制作できたタルコフスキーの天才には圧倒されるばかりです。
「鏡」はロシア人誰もがそこに自分の人生を見るまさに鏡である、という内容の言葉をヤブリンスキーはインタビューでこたえていました。

タルコフスキー。
亡命先のパリにて54歳で死去。

その後、ロシアにおいて、自由(また異なる種の抑制は何時の時代にもあるが)に制作できるようになったにもかかわらず、良い作品が生まれてこないことを嘆く映画ファンや映画関係者が多いようです。




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SOLARIS~タルコフスキーが気になり

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ソダーバーグ監督のSOLARISを語ってしまったら、タルコフスキー版がだんだん思い起こされてきまして、一言加えておきたいと思います。

救いのなさについて、です。

タルコフスキーはやはりノスタルジアが一番好きで、サクリファイスが次で、ストーカーと鏡が次かなと思っています。
勿論、SOLARISが傑作であることは、私にも分かります。
タルコフスキーのSOLARISがスタニスワフ・レムの原作の哲学的主題を深く捉えているのは確かです。
妙に生々しい「プロメテウス」の船内。
水の断続的な滴り。
饒舌なお喋り。
散らばる本。
海の表情。
宇宙ステーションの中でも間違いなくタルコフスキーの世界。


SOLARISの海に、島のように主人公の家とその周辺が父親とともに再現されていくところは、見事に彼ケルヴィンの絶対的孤独を描ききっていると言えます。

自ら消えた妻がやがて出現するのかどうかはともかく、主人公が最後にすがったのは父親だったのですね。
いや、その姿はケルヴィンにも像の結べない何者かの代理。
もはや、現実に彼が身を寄せる場所も受け容れてくれるヒトもなかったのですし。
ケルヴィン自身、唖然として見つめた、あの父親の姿を借りたものは、追放された楽園における神。
SOLARISそのものです。
ヒトが内奥に抱えている他者性-虚無の現出です。
でも主人公はそれにすがるしかなかった。
他にどのような身振りが残されていたでしょう。

あの広大な海の中のあまりに小さな寄る辺なき島。


存在の本源的孤独を表現させたら、タルコフスキーの右に出る監督はいないと思います。

ソダーバーグの方は、バックエンドは妻と確定している分、安定を覚えます。
温度も風もないないような。
そのため、
この映画は究極的な円環構造に閉じており他者はいません。

タルコフスキーのものは、同様な円環構造に対し垂直に虚無の軸が、主人公の実存として伸びています。


救いのなさは果たしてどちらでしょう?
どちらにしても、どちらもわれわれの世界に他ありません。




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SOLARIS~ソダーバーグ監督版を観て

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わたしにとって他者とは何か?
死と生とは何か?
そして
夢と現とは何か?
善・悪とは?

存在学的問いを科学・哲学的議論や説明なしに極限まで問いつめ、ゆくべき道を
躊躇しつつ確かに選びとってゆく存在の姿を情感豊かに描ききった映画であると言えます。


主人公の親友ジバリアンは
「われわれが必要なのは別世界ではない
自分を写す鏡だ」と述べます。

さらに「ソラリスは観察されているのを知っている」
とも

主人公ケルヴィンはジバリアンの要請でソラリスの観測ステーション「プロメテウス」に到着する(呼び戻される)が、初っ端からジバリアンの自殺を確認し、訪れた途端に目的を失う。
そこから


あらゆる言葉の無力な、夢と錯綜する現実の深みにはまりこんでゆく。

主人公ケルヴィンのもとに、昔自殺した妻レイアが突然現れる。
まさに夢の続きのように。
はっきりと受肉して

「客は来たか?」(スノー)

「あれはなんなんだ」(ケルヴィン)

スノーの呪いの言葉
「戻ってきて欲しいのか?」

宇宙空間に追放しても
反復して睡眠の内側から立ち現れる
レイア

「わたしは何も覚えてない
あなたのことしか覚えてない
窓の外はなんなの」

「ソラリス」

「記憶はあるけど
体験はない
何が起きてるの

でも知りたくない」
レイアも悩み始める
存在の根源的な苦悩を抱える。

そして孤独を知り
絶望に打ちひしがれる
彼女はまさに彼と同等の「人間」となる

彼女は液体酸素を飲んで自殺する
が、再生してしまう
死ぬことも出来ない
「人間」

ケルヴィンは
彼が愛する者は、ヒトではなく自分の記憶の反映・投射体でもない他者、ほかならぬ「レイア」
そのものだった。

そのために闘う意思を固める
レイアへの思いを断ち切れないからではなく
相手がなにものであろうが夢であろうが現実であろうが「レイア」とともにいるために
死や生など関係なく、善悪の彼岸で「彼女」と一緒にいる事を選ぶ!

そもそも他者とは何か
他者とは何か


そこには善も悪もない
あらゆる想念を洗い流し
すべての記憶を消尽した後でも

自分の他に永遠に残る何者か

そして 
存在者には
ただ選択だけが残されている
恐らく死後においても


勿論、主人公は選び取った。自らの意志で。


それが何処であっても
彼らの場所は彼らのために用意される。

「わたしたちはすべて許されたのよ」
レイアのことばでだれもが救われる?
果たしてそうか?



原作はあまりに前、中学の時に読んだのであまりはっきり覚えてません。
タルコフスキー版は今回は基本的に積極的に言及しないことにします。
比較しても意味はないので。映画そのものの捉え方、前提が異なると思われるので。
ただ、幾分かタルコフスキーの方が原作に忠実な気はします。
しかしある意味、レムの原作・タルコフスキーの映画より、主演の二人の関係性においてはこの作品の方が一歩深化していると言えます。
なぜなら、ソラリスによって作られた、ケルヴィンの鏡に過ぎない「レイア自身」も存在の苦悩を十二分に負うているからです。「存在」すること「存在者であること」で負う苦悩を人間以上に背負っているからです。
 
ソラリスに、敵意・害意は感じられない。
ただヒトの想念・意識を鏡のように見せてきただけ。
見つめる存在を見返すように。

しかし、孤独でシニカルで時に軽薄な主人公は、確実に強く深みのある人間になってゆく。
特に、彼女を受け容れる決意をしてからの生気ある力強い姿。
レイアもソラリスの一部でありながら、一個の存在として苦悩し自立してゆきます。
ソラリスもただ想念を映し示すだけでなく、手を差し伸べてきます。
ほとんど宗教画とも言えるあの場面、あの天使は親友のこどもか、2人の失われたこどもか?ソラリスの明瞭な意思の現れ、そう彼に自由な選択を迫ってきたのです。


「2001年宇宙の旅」「ブレード・ランナー」「ソラリス」(タルコフスキー)をSF映画の3金字塔と呼んでいるそうですが、この「ソダーバーグ版ソラリス」はある意味原作やタルコフスキー版より異質に受け取れて、テーマを見事に深めている点ではタルコフスキー版に勝るとも劣らない世界を現出している映画作品と言えます。なによりもレイアの存在の豊かさこれは格段にこの作品の存在学的重みを増しています。

この映画の説得力は、リゲティをオマージュにしたクリス・マルティネスの曲に負うところも大変大きいです。静かな空間に非常に禁欲的に流れる映像と完全に一体化した音楽。音楽をバックミュージックと意識させない雄弁な音楽。流れていたことを思い出せないほどの。

またブレード・ランナーにも比較できるライティング。あのレンブラント光線に対し、こちらはあくまでも静謐で内省的で禁欲的な照明。しかしこのトーンがなければこの世界は描ききれなかったことは確かです。
物質的で平面的な効果を産み出した人物の浮き立たせ方は、時にラトールを思い起こさせます。

さらにディテールの徹底した物質的なこだわり。これは、タルコフスキーにもリドリースコットのブレードランナー・エイリアンにおいても同様に見られるもので、この物質性(物質的ディテール)を徹底的に追い詰めることで不屈の名作足りえたと考えられます。(エイリアンは恐らくそれのみで世紀の傑作となった例です)
この物質性の追求はどれだけ強調してもし足りないところです。

タルコフスキーとレム原作は「海」が主人公でした。絶えず描かれてゆくソラリスの海の表情。あの恐るべき知的生命体。コミュニケーションを拒む海。
こちらは徐々にその大きさ(重力)を増してゆくシナプスのスパークするような火の玉のようなソラリス。しかし常に窓の外から見られる不思議に穏やかな惑星。

ジョージ・クルーニーとナターシャ・マケルホーンの緊張感いっぱいの張り詰めた演技も然ることながら、ジェレミー・デイビスのサイキックな演技は圧倒的なものでした。それに加えて唯一の理性と合理主義を守り続ける物理学者のゴードン役、ビオラ・デイビスもなくてはならない象徴的な存在を力強く演じきっていました。
総勢五人の、狭い宇宙船内の限られた空間でのサイコスリラーでもありますが、夢-思い出と現、生と死、自己と他者、善と悪、、、これほどのテーマをここまで追求した映画(あえて映画とします)は、そうはないと思います。
またこのテーマを徹底的に追求するに、SFという形式は最適なものでしょう。
やはりこの映画と対等に評価できるものは、先に挙げた作品(金字塔作品?)に落ち着くと思います。






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Mac Pro 年内発売!

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ようやくAppleが、面白いところから、本来の革命的製品を発表してくれます。
正直、ホッとしました。
MacProの完全フルモデルチェンジです!
iPhoneのような広く世間に浸透するものではなく、プロ用コンピュータのフラッグシップモデルです。
当然、販売台数も限られたもので、この売上で直接Appeもわれわれの生活スタイルも変化する訳ではないのですが。強いて言えば、画像・動画(4K)処理が盛んになるとか?

ただし、トヨタが何故レクサクを立ち上げたのか。
それと同じ効果はあります。
フラッグシップモデルの出来はその企業のイメージをアップさせます。
それにかえってコスパにこだわる必要がないため、思い切ったイメージを具現化出来ます。
その企業の総力をかけたものを作ることが出来ます。

特にiPhone、iPadやMacBook Airの携帯・モバイル系に押されて影の薄かったディスクトップパソコンの概念を変える試みは、意味が充分あると思います。
もう専門家も一般もディスクトップはもう終わったという認識にあります。
勿論、映画の3Dアニメ制作とか、デザイン系ではまだまだ必要ですが、一部の専門家以外のシェアではかなり存在感は薄くなっていることは事実です。
しかし4Kvideoが一般化し、それをシームレスに編集したいという一般ユーザーがすでに潜在的にはかなりいるはずです。そうなるとvideoパワー(GPU)は半端なものでは済みません。AMDのワークステーションのGPUを2基搭載し、フル解像度の4Kディスプレー3台繋ぎつつ、4Kビデオを編集しながら同時にエフェクトのレンダリングもラクラクこなせるそうです。
まだ製品自体が公開されておらず、関係者以外は何も知らず、勿論レビューもないので、何とも言えないところですが。外形を写真で見た範囲でも十分な期待感が持てるものです。外観からして、やりました!というのが充分見えますから。
高価でしょうがMacProは売れるのでは、と思います。ディスクトップ市場にも変化が出てくるかも知れません。当然他のメーカーも動くでしょうし。

全てにおいて斬新で革新的な技術とデザインということです。
黒い円筒形です。
初代のキューブのような雰囲気(心意気)を感じさせます。
それがうれしいですね。
内部コンポーネントのアーキテクチュアを再考した結果の筐体のようです。
かなり小型になっています。
サーマルコアを中心に全てを配置してみたら、静かに軽くスリムで効率の良い構造になりその結果が
この美しい緻密でシンプルな円筒形デザインとなったということのようです。
実際に早く見てみたいです。
今年中に出るそうです。

やはりこういうものを見ると、久々にフラッグ・シップモデルを買いたいという気持ちになります。
画像処理をやりたいから、ではなくこれを使った画像処理をしてみたいから。
スペックは先を見据えたCPU,GPUにメモリに拡張性に冷却機能で、性能・機能面では現在考えられる最高のものです。それを最適に具現化したものがこの筐体デザインにまとまったのですね。
下手な彫像芸術より遥かに美しく説得力があります。

ここのところ新しく出たものが、ちっとも新しくないので、
ワクワク感があって待ち遠しいです。



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南伸坊「歴史上の本人」

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よく知られる前衛芸術家で美術評論家の赤瀬川原平氏のお弟子さん?可愛いイラストを描くイラストレーターであり、美術手帳の編集長も長髪でなさっていた文芸評論家の南伸坊氏の名作(迷作かも?)、「歴史上の本人」。
日本交通社刊。1997年、1月元旦発行、ご紹介。

現在の流れから抵抗なく戻るには、氏の思想に一ぺん浸かるのが最適だと思いまして、、、。
いろいろ探しているうちに、久しぶりに出逢いました。

表紙は凛々しい(が少し優しげな)「織田信長」。

「、、、人生五十年~をどのタイミングでやろうかとワクワクしている顔にも見えて」。

本書は南氏が歴史上の偉人の謎を解明するためには、まさにその人になってみなければ分からぬ!
という、これまた歴史上に類を見ない氏独自の思想の下、当の人物の活躍した場所で数日間その人に成りきり、あたかも巫女のごとく謎を解き明かすことで、その人物像をより鮮明に活き活きと歴史上に浮かび上がらせた思想界に新たな波紋を投じた書でもあります。
なお、この成りきるという方法は単なるコスプレ?衣装を着て言動を真似るなどという小手先の手法などでは全くなく、顔自体もそっくりに真似ることで、思考・感情レベルまで本人となってしまう(これも氏独自の「顔面学」によるもの)、つまりなったことすら忘れてしまうことで未だに残る歴史上の偉人の謎に極限にまで迫ることのできたダイナミックな方法論であり新機軸として注目を浴びたものです。ちなみにそのような形式のもであるため、南氏がなんと言って、何をやったかを第三者として記録する重要な役割を奥様が果たしているようです。写真撮影も含め。なお彼女は、南氏が考察(変身)した人物になくてはならぬ衣装や持ち物の制作・管理・持ち運びもしている影のたて役者であると言えます。メイクもしてますし。しかし書そのものは旅のルポルタージュというものに酷似した作りになっており、氏が色々な場所で衣装を身に付け、小物を持った写真がたくさん掲載されているうえに日本中の様々な土地を旅行もでき、まんざらでもない気分を味わえたであろうことも想像に難くないです。

「、、、私は自分の顔を歴史上の人物本人の顔にして、本人として、ゆかりの地を訪れ、そこでちょうど記憶喪失の人が、自分の記憶を取りもどすように歩き回り、思い出そうとした。」
そして彼は本人でなければ思い出せないようなことを次々に思い出してゆくのであります、、、。

一言私見を述べさせてもらえれば、この学問的実践は一般化出来るものではなく、南氏でなければ実践成果が期待できないもののような気がしてなりません。

さて、その成果がどのようなものであったのか、ここで言ってしまっては、身も蓋もないので、、、。

南氏がいったい誰に迫ったのかだけ、お伝えしたいと思います。


二宮尊徳

金太郎

仙台四郎

松尾芭蕉

シーサー

キジムナー

徐福

聖徳太子

大村益次郎

大国主命

左甚五郎

清水次郎長

樋口一葉

西郷隆盛

小野道風

天狗

織田信長

運慶


改めて南伸坊氏の守備範囲の広さには驚愕しました。中には人とは思えないものやホントにいたのかと思うものも混じっていたような気が若干しますが、そんなことは読み進めるなかでは、何ら障害となるものではありません。
保証します。





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折角ですから、お笑いのネタを少しばかり

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昨日のお笑いの効用で、笑うとガンの予防になったり、免疫力を高めるお話をしました。
肝心のお笑いネタでどんなものがあるか、少しばかりご紹介しておきます。
ペーソスに溢れており、自分もへたをするとやってしまいそうなものもあります。
これらのネタですが、はっきり誰のオリジナルかわかればよいのですが、
複数のサイトにほぼ同様のものが掲載されており(もう定番なのかも)、作者が特定できませんので、幾つか無作為に、引用させてもらいます。あしからず。


『鈴木でございます』

今日久しぶりにレストランに行ってきた。
隣のテーブルにカップルが座っていて、ウェイターが料理を持ってきた。
「鈴木でございます」とウェイターが言った。

カップルの男のほうが「久保田でございます」
女のほうが「細谷でございます」と言った。

ウェイターは、背中が小刻みに震えながら、
「本日のお勧めの魚のスズキでございます」と説明していた。



『ボケ防止の本』
昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。

今日も買ってきた。



『尊敬語にして言ったら』
ある日上司が髪の毛を短く切ってきました。
それを見た同僚のS君が、自分の頭を指差して
「頭行ったの?」を上司用に尊敬語に変換して言いました。

「あたまいかれたんですか?」
笑い死ぬかと思いました。



『死んだ息子からの電話』
半年前に交通事故で息子を亡くしました。
しかし世の中には不思議なことがあるものです。死んだはずの息子から
電話があり、事故を起こしてしまいどうしても金が必要なんだと言う。
ああ、自分が死んだことを理解できずに彷徨っているのか、そう思った私は
「お前はもう死んでいるんだよ」
と泣きながら説明してあげたら、その後二度と電話がかかってくる事は ありませんでした。



『母編』
うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。
母は、「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」 と言って
ニコニコしていたが、ウチの家族で男はお父さんしかいない。
母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか・・・・・。


うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。
先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、暗闇の中をフラフラしながら台所 へ。
冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、おでこにのせて眠りました・・・。
翌朝、目が覚めてみると、母の枕元には解凍されたイカが 転がっていました。


母はそそっかしく、いつも殺虫剤をヘアスプレーと間違え頭にかけている。
先日は水虫の薬を間違えて目にさしてしまった。急いで眼科で見てもらい、
「どちらの目ですか」
と聞かれ、
「両方です」
と答えて驚かれた。
「普通は片側で気づくんですがねえ」


甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。
店員さんが、「田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに「はい、新潟です」と答えてしまいました。


『父編 』
酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に寝てしまった。
重くてとても寝床まで運べない。「這(は)って行ってよ」と
何度も声をかけたが、そのたびに夫は 「ハッ!ハッ!ハッ !」と答え た。


お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。
「大変、大変!どっかから鼻血が出てる!」 いったい、
父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか・・・・?


「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを新しく敷いた 
夫は「J」 の文字を踏んでいたらしく、トイレをでるなり、「あのマットはなんだ」とのたもうた。


先日、父はメガネを作りに行った際、
「無色ですか?」
と店員にレンズの色を聞かれると、何を勘違いしたのか、
「いえ、銀行員です」
と、自分の職業を答えていた


『息子・娘編』
一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、
公衆電話から他人のふりをして家に電話してみた。「もしもし、お母さんいる?」
息子「いらない」。


もうすぐ4歳になる娘が、保育園でお父さんの絵を描いてきた。
めがねをかけ、無精ひげを生やしたお父さんはかなり上手に描けていると思ったが、
うちの主人はめがねをかけていない。
娘の父親はいったい誰なのか家族中の話題となっている。



『友達その他編』
友達に
「就職活動の資料請求の際、葉書に企業名の後は「様」ってつけるの?」
と聞かれたので
「御中(おんちゅう)の方がいいよ」と言ったら
「○○会社 Want You 」
と書いて本当に投函してしまったらしい。
その後彼は
「資料が届かない~」
と嘆いていた。


私の友達は仮免中に教官に 「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」といわれ、
何の疑いも無く、信号が赤信号のまま交差点を右折した。


私の友達は物心ついたときからずっと、父親に
「動物園だ」
といって毎週競馬に連れていかれていた。
小学校の遠足ではじめて本物に行き、
「馬だけじゃないんだ」
と目を輝かせていた。


友人IIに借りた日本史のノートによると、
織田信長は「本能寺の恋」で明智光秀に破れ、自決したらしい。


結婚した教え子から年賀状が来た。「性が変わりました」と書いてあった。


弟は中学時代野球部で、監督から
「お前はうちの秘密兵器だ」
と言われ3年間、本当に秘密にされてしまった。


美術の時間に
「印象派の画家を3人答えよ」
という問題が出て、とある男子が
「マネ・モネ・ソネ」
と書いて美術教師の曽根先生から丸をもらっていた。
「世渡り」ということを知った。


以前聞いたことのあるものも含まれており、定番のお笑いネタなのかも知れません。
結構、わたしは気にいっています。
たまには肩の力を抜きましょう。
では。




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笑いの効用をひとつ

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たまたま間違って開けたウェブ・ページが「お笑いページ」で、たわい無い言い間違いや聞き間違いの類の話なのだが、何気なく読んでいくうちにツボに入り、笑いが止まらなくなってしまった。

しばらく笑い転げて、PCから離れたら何とも身体がすっきりしていた。

そうか、昔聞いたことがある。

誰の身体でも、1日約3000~5000個のガン細胞が発生しており、ガンの発病の危険にされされている。しかしそのまま発病に至らないのは、ガン細胞を破壊するNK細胞が発動するからだと。
NK細胞の働きが弱まると発生したガン細胞を殺しきれずにガンが発病してしまう。また、ガンが発病してからも手術や放射線などの治療効果を上げるためにはNK細胞の働きが大きく影響するという。
このNK細胞を活性化するのがほかならぬ「笑い」だそうだ。

実感できる話だ。
多くの哲学者も笑いについて考察し、芸術家も作品を制作しているが、
眉間に皺を寄せて笑いについて研究するよりまず、「お笑い」を笑って思いっきり楽しみたい。


たとえ詰らない話だなと最初は思っていても、続けて似たようなものをいくつも読んでるうちにあるところから急に可笑しくなる。一旦ツボに入るともうどうにもならない。なんで笑っているか分からないが大笑いしている。

でもこれ、毎日やってみてもよいかも。
体に良いことは積極的にやってみたい今日この頃。



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志賀 理江子氏の作品から~幻想のありか

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相模原市民ギャラリーで、総合写真祭「フォトシティさがみはら」という催しが、10/11~10/28の期間、駅ビル(セレオ4F)にて執り行われております。

そこで今回取り上げたいのは、プロの作家の志賀 理江子氏です。
氏は1980年愛知県生まれということです。ロンドン芸術大学チェルシーカレッジ・オブ・アート卒。
しかし若い新たな感性などと言って括れるような作品ではありません。

「快適に整えられ自動化された日々の生活と社会に身体的な違和感を感じるところから表現を始めた」そうです。
そして身体と密接な土地との関係を求め宮城県を見出し、その後何度も訪れて太平洋側の北釜に出会います。現在そこに暮らしながら地域のカメラマンとして祭り等の公式行事の記録さらにオーラルヒストリー(口述史)の作成も進めているそうです。そして自分自身の写真制作の活動を精力的に続けています。
2007年にはすでに木村与兵衛写真賞、2009年にICPインフィニティアワード新人賞、2012年東川賞新人賞を獲得しており、個展もオスロやメルボルン、シンガポール、バンコク等日本だけでなく海外で積極的に行っています。

今回の展覧会のプロ4人の中で、最も想像力を掻き立て呼び起こす作家が志賀氏でありました。
作品は何か民俗学か文化人類学の学者がフィールド・ワークで土地や人や言い伝えや神話を調べなぞり直すような作業も思い浮かべるものです。また、地質学者のような目でその土地を作る鉱物を肖像写真のようにその表情を精緻に撮り分けています。
鉱物の写真はすべて時間?数値で記されていました。

人もたまたま写っていますが、あくまでも茫洋とした風景の部分として、
または何かの影のごとく、通り過ぎ又は屍体のように無名なものとして在ります。
誰が執り行っているのか分からぬ何かの儀式や痕跡(穴)も一部見られます。
しかしなんの儀式かその名前も目的も誰も思い出せません。
名もない宇宙人も寄る辺ない石ころのように、ころがっています。
ここにはいささかも奇異な物などなく、奇妙な関係・組み合わせもありません。
ここには名や生や死は何の意味も持ちません。

非常に物質的な、場所というものを志向した作家だと感じます。
写真を撮った時間帯は夜(深夜)か、夜明けのトワイライトゾーンのように見えます。
草や木が生き生きとした異次元の動物のように待ち構えていたり、
ヒトも一体となった不思議な存在となって場所を形作っています。
次の朝、太陽の下では何も残ってはいません。


写真の主人公はあえて言えば、「場所」に他ありません。

そしてやがて場所から立ち上がってくるもの、これが「ことば」であり「光景」であり撮るべき「写真」
-「イマジネーション」なのでしょう。
非常に生々しい、生まれたての言葉で捉えられた、初めて目にする光景ー事象はイマジネーションそのもの。
氏はイマジネーションは自分の中に生じる個として持ち運べるものではなく、このような氏をひとつの媒介といてその場に立ち表れるものとして捉えているようです。
観測者ー撮る側も数式に組み込まれて成り立った場所-世界です。

ここが幻想というリアルな世界の有り様なのではないかと思います。
別に科学と呼んでも良い。



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軍事ロボットは意外に面白い

WildCat
ご覧頂けましたでしょうか?
Boston DynamicsがDARPA(国防高等研究計画局)の下で開発中の軍事用4足歩行ロボット”WildCat”です。
これの前のタイプが「犬」でしたね。
あの面白すぎる。
”alpha dog”いえ”Big Dog"でしたっけ?

それにしてもあっちが”前”だったんですね。
いきなりコケました。
それにしても良い走りです!
ほぼ完璧な四足走行です。
足の運びに違和感ないですね。
大したものです、ここまで来れば。
最高速度45kmも出るそうです・
サイズもちょうどいいですね。
本当の猫よりはかなりでかいとはいえ(笑

何より安定しており、バウンド、ギャロップ、コーナーのターンも効率的で面白くてよいです。
さらに特筆したいのは、背中の揺れが小さいことではないですか。
鞍を装着すれば、人の乗れるレベルだと思います。
惜しむらくは、音ですね。チェーンソウかと思うような大騒音!
動力をポンコツバイクから取ってきたようなエンジンではなく、静音モーターにはできませんかね?
いえ、プロトタイプのテストだからこれで良いんでしょうね。
これが無音ならば、使えるところは沢山ありそうです。
勿論、軍事予算を湯水のように使って開発したものですから、、、
軍事用なのでしょうが、どう使うのか?
やはり空からあからさまに接近できず、車両の入れない場所から隙をついて攻撃しようというものでしょうか。
まさに獰猛な野獣そのものですね。
(確かに奇兵隊に取って代わるものです)
ワイルドキャット!
あまりアーティフィシャルな外形より自然の動物に重なる形態・動勢を持ったものの方が相手に与える恐怖感は大きいと思います。
われわれの集合無意識に訴える力は、切羽詰った状況ならなおさら直接的で生々しいのでは。
コミカルな動きは、謎!(制作者の趣味か?)
群れになって彼らが重機関砲装着で崖を次々に飛び越えアジトに乗り込んできたら
敵はもう白旗です。
待てよ、白旗理解できるか?!プログラムに入れておいてね。
戦争の経済効率が変わるでしょうね。きっと。

しかし一般的にも便利に使える場面はありそうです。
地雷除去のために開発されたロボットがもう、うちで2年以上律儀に働いてくれていますし。
i-RobotのRoombaはその代表軍人の一人?だと思います。とても頼りになります。

平和利用ということを考えたら、二足歩行の実に優秀なロボットが開発されていますね。
勿論これも軍事用ですが。
PetMan
このロボットの特徴はセンサーで化学物質の漏れをチェックが出来るそうです。
動きはほぼ完璧な滑らかさです。
不思議なほどに人間臭いです。
かえって衝撃的です。
日本のアシモもこの歩行技術を利用しています。
このようなロボットが一番必要な国はいま日本に他ありません!
何とかこの人たちに原発事故の後処理をお願いしたい。
こういうところにお金は使えないのか?
日本は今こそロボットが必要な時ではないのでしょうか?

最後
おまけにビッグ・ドッグです。
過酷なテストを受けています。
健気です。
がんばっています。
Wild Catに取って代わられました。何と、、、(悲
Big Dog



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UFO 断片補遺

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ロシアはUFOに対しもっとも開けている。
昨年暮れにモスクワで行われたメドヴェージェフ首相の記者会見で、「首相になると、地球を訪れた異星人に関する情報を網羅した機密ファイルを受け取る」と暴露しており「パニックになるから、地球に忍び込んでいる異星人の数は言えない」ときたらしい。こんなにあけすけにとんでもない事を普通に報道陣に話すのかと日・米との違いをつくづく感じましたがメドヴェージェフさんもマイクがオフになっているつもりで話していたそうです。
しかし、後日にあれは冗談だったという釈明など一切せず、そのままなので、それはもう彼らの間で暗黙の了解がさせている事柄と受け取れます。

それ以前、ロシア非常事態省の「自然災害に関する報告」というミーティングの席で、当時のプーチン首相が「地球がなも知れぬ地球外の存在に侵略されている」と語っていた隠しようのない事実があります。

そして極めつけは、89年ボロネジ事件。
モスクワ南部ボロネジ市では巨大な球体方のUFOが、市内の公園に着陸し、多くのヒトが目撃しているそうです。
しかも体調3.5mの異星人が中から現れたものだから、地元はパニック。
タス通信も事実として放送し、ニューヨーク・タイムズも空想の産物ではないとはっきり断言していました。

ロシアのプーチン氏は今のところ、様々な異星人や地底人から、地球を守ってくれているようです。

今ロシアで流行のドライブレコーダーですが、車に乗るヒトは事故に遭遇した際、自分の身を守るため必ずダッシュボード上に設置しておく事情があるようです。そのためか、メキシコの火山定点カメラによく映るように、UFOと隕石撃墜の際の映像もかなり色々な角度から撮られているようです。

しかし、昨日わたしが書いたものはロシア当局側のもので、ドライブレコーダーの映像を調べた市民研究家たちからは、大型隕石が地表に撃墜する間際にその隕石をUFOが粉々に打ち砕いてくれたものだ、というほぼ誰もが統一した見解に納まっています。だとすると、S-400はどうしたの?何処に飛んでったの?という覚束ない話になってしまいます。しかし考えてみても、広島型原爆の30倍のエネルギー(どういう形で測定したのか?)が地上に着弾していたら数十万人の犠牲者は少なくとも出るでしょうが、死者は一人もおらず、1500人の怪我で済んでいます。
要はS-400が撃墜したのか、UFOなのかということでしょう。

地元の人々はUFO様のおかげで救われましたと手を合わせるヒトがかなりいるそうで、ヒールではなく地球を守るヒーローとなっているようです。
なんでもそうですが、事象そのものに意味や価値があるのではなく、特定の立場から見ることで意味や価値が其の都度、生成されるものですから。その上事態が今ひとつ正確に掴みきれていない状況です。

とは言っても、今回のアメリカのやり方はどの方向から見ても、言い逃れの効く問題ではないですね。
自分たちは好き放題のことをやり、他者がそれをやると許さない、その姿勢はこれまで何度見てきたことか?
アメリカは今や英雄視されるネットワーク界のこれで二人のスター(もう一人は言うまでもなくジュリアン・アサンジ氏)を敵に回し、ダブル・スタンダードというよりマルチ・スタンダードの方針で進んでいるというしかないでしょう。
根強い反発は何処の国にもあり、特に反米各国からは、それ見たことか、中国などつい矢先まで、サイバー攻撃だと米から激しく攻撃されていたところですから、今はもう余裕たっぷりです。
でもまともに弁解すらしない米。国力をちらつかせれば各国も黙ってしまいます。
しかし、裸の王様であることは間違いない。
これからが大変です。

スノーデン氏を許し、そろそろ持ってる資料を公開してしまい、そちらに世界の目を向けてしまったほうが、むしろ得策かと、、、。
地底人にもお出まし願い。これは危険ですが。
ちなみに現在地球上には15くらいの異なる異性ではなく異星の方々が駐在されているそうです。

これはもう下手なSF映画どころのものではありません。
みんな、エキストラでは済みません。
語り合う気などさらさらない方たちもいるそうです。
確かにわれわれもありんこと真剣に話すヒトはいませんしね。

どうなんでしょう?



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プリズム~UFO

Icosahedron.gif

高度情報化社会ともなれば、各国・各企業・政治団体など情報傍受も当然含めた苛烈な情報戦を繰り広げることになりますね。
中国・北朝鮮がしきりにサイバー攻撃等で話題をさらってきましたが、今回主役は米国です。
ああ、思い出します。
エシュロン。

ご存知の方もいらっしゃるはずです。
わたしはその内容を知ってから、自分の街の非常に多くを占める米軍基地に、昔から聳える白い巨大なレーダーを象徴的に思い浮かべたものです。幼少時から肥しの匂いプンプン漂う広い畑の向こうには、テクノロジーの結晶のような米軍の巨大な白いレーダーが常に存在していた記憶があります。何処からでも見える月のように丸い(もしかしたら多面体の)半ば浮き上がったレーダー。
本当の月は昼間は見えませんが、あの人工の月は白々しくいつでも見れます。
いつでも?
否、そう言えば最近全く見えませんね、、、。

どうしたのだろう、正二十面体に進化して透明化したのだろうか?
あれは一瞬の白昼夢だったのか?
どこかの記憶には違いありません。
わたしが大人になったからだろうか?
星の王子様か?!

いま、プリズムシステムと言うのがスキャンダラスに語られています。
かつてのエシュロンとやっていることは同じでも精度が恐らく段違いなのでしょう?!

ほぼ世界中(特に同盟国)のすべてのネット上に流れる情報、つまりメール・チャット・動画・転送ファイル・ビデオ会議・登録情報・電話等を米国が傍受しているという件。そのような諜報活動は、今更とも思えますが、元CIA職員のエドワード・スノーデンというヒトが自分が実際に携わった仕事として英紙ガーディアンに告発して一気に表沙汰になり、各方面で喧々諤々の議論がもちあがっている次第です。
彼は中国のネットワーカーからは英雄扱いにされ、アメリカに連れ戻されると懲役200年とか言われております。

現状をまとめるとスノーデン氏は米国家安全保障局(NSA)がネット上の市民の個人情報を極秘に収集していたことを許せない行為として実名・顔出し(普通はあり得ない)で訴え、米当局の訴追を逃れるために亡命(今現在ロシアに留まって動けないでいるようです)を図っているという状況です。彼は米当局の虚偽を非難し、NSA側はそれにより何件ものテロを未然に防いできたと反論。中国のスパイではないかとの疑いも掛けられ、背後の勢力についても取りざたされています。しかし、EUなどはこの諜報工作にかなり激怒しており、米当局の何らかの釈明は正式に求められることになるようです。
確かに、かつてドイツ企業が事前に情報傍受により動きを悟られ大変な痛手を負ったこともありました。

それはさて置き、テクノロジーの現状から言って米・ロが最もそのような活動が盛んなのは言うに及びません。
とくに米は、IPアドレスの4分の3を当初から独占しており、特にアジア圏はIPアドレスの枯渇が問題視されてきた経緯があります。勿論現在は、IPv6に移行でき、128bit(2の128乗→340京の1京倍のアドレス空間)であることから世界中の人間の体を構成する体細胞のひとつひとつにIPアドレスを振ってもお釣りがたんまり来るくらいに潤沢になったので、問題は解消を見ましたが。ともあれ米がWebを最初から制していたのは事実なので、このようなことは特に驚くほどのことではないはずです。

無論、個人情報を傍受すること自体、許されぬことです。よく電話の盗聴などの事件の後、メディアから質問を受けたヒトが「僕は何一つ悪いことはしてないので、盗聴されても構いません」といったことを述べているケースがありますが、とんでもない事です!人類の敵であることを宣言してるようなものです!それを許したら「個」など何処に存在できるのですか!どんな専制も食い止められなくなり、すべての者は傀儡と化します。IPアドレスではなく地球最後の資源である「想像力」が枯渇してしまいます!

とは言え、強者の力で出来てしまうことには変わりありません。原爆が出来てしまうとの同様に。しかしわたしが先のスノーデン氏の件で噴出してしまったと述べた事というのは、実はこんな事ではないのです。

やっと、本題に入ります。今回、前置きが長すぎました。

いよいよわたしの世界がやってくるのか!
別に氷河期ではありません。
プーチンはここのところ「それ」と戦っているとのことです。
人類の代表として?

米・ロはここでも先頭を走っております。

まずUFOの飛来その目撃者がここ数年大変急増しています。
ごく最近では、メキシコのテオテワカンのポポカテペトル山(標高5426m)の火口にUFO(長さ1Km幅200m)が入っていってすぐ後に大噴火が起きました。その後TBSがポポ山麓で番組撮影中に火口の周囲を高速回転しながら飛ぶ銀色のUFOをはっきり捉え、それもしばらく旋回した後に火口に入っていきました。一部始終TVで見ることが出来ましたが、誰が見てもUFO以外の何者でもありませんでした。つまりわたしも生まれて始めてUFOをテレビ画面で見ることが出来たのです。TV撮影用カメラの性能が良いので肉眼で見るより確実に明瞭に観れました。素人の市販カメラではとても無理です。ちなみにその周辺の住民はUFOを見たことのないヒトはいないようです。火山の活動状況を記録する定点カメラには普通に写っていますし。

ロシアでは先ごろ巨大隕石が落下し1500人が怪我をするという事故がありました。
広島型原爆の30倍の衝撃だったそうです。
その際、隕石を誘導するような格好でUFOがそれに寄り添うように飛来してきたといいます。
そして地表間際、UFOが軌道を逸れて隕石の前に出たところを、ロシア自慢の米パトリオットを凌ぐS-400地対空迎撃ミサイルでこれを撃墜したそうです。隕石落下後、明け方まで上空に怪光が光り続けていたらしいですが、それについての情報・見解は見つかりません。

アメリカもついこの間、「エリア51」の存在を公式に認めたばかりですが、これからどういう形で資料が出てくるのかと待っている矢先、今回のスノーデン氏が一気に太っ腹超機密情報大開示ときたではないですか!
まだまだ多くの特典が付きそうで、目が離せません。
もう、荒唐無稽などと暢気な事、言ってる場合ではないです。

血沸き肉踊る凄まじい情報です!
わたしはこれで随分元気になりました。

で、なぜことごとく火口に姿を消していくのか、の点なのですが、地殻の下層に位置するマントルにわれわれを遥かに凌駕する知性を持った地底人が長いこと生息しているのだそうです。火口は出入口なのでしょうかね。
確かに、円盤の出入り口が宇宙飛行士によって、南極と北極の中央にあるという報告された事実があります。さらに空軍のパイロットが火口から物凄い速度で飛び立つ円盤を目撃した事件はしばらく話題になり、米当局も否定できない事実として扱っています。海底の熱水噴射口に入ってゆく姿も何度も確認されており、BASHARも15年ほど前のチャネリングの機会に地球には皆さんのほかに知的生命が地下にいます、とはっきり述べていました。多くの符号が後から後から出てきます。

ここ暫く忙しなくしているのはどうやら地底人のようです。地底ーマントル部分でしたら環境変化が小さく途中途切れることなく、安定して進化を継続することが可能なはずです。

地底人とは生き残った恐竜が地底に下り、その恵まれた環境で長年に渡る進化を果たし、現在地上の民との対話のタイミングを図っているということです。否失礼、それはドラえもんの映画だった。

オバマさんはかなりの間、彼らの意思伝達を受けており、なんとか極秘条約が結べたようです。
もっとも彼らからすれば地表人は「蟻」レベルのものだそうでテクノロジーにも文明にも圧倒的な差があり、どういう関係が築けるかどうか怪しいです。人口が過密になったから地表にも移り住むとか言われたら事ですが、地表の問題をもしかしたら手際よく解決してくれるかもしれません。東電の代わりに。しかし専門家筋では、基本的にわれわれに関心はなくコミュニケーションをとろうと言う意思はないとのこと。地底人はちょっと怖いです。もと恐竜ですから。いえいえそれはドラえもんだった。

日本でUFOが一番よく目撃されるのは北海道で、渡島半島の乙部村では毎晩同時刻(5時から9時)に必ず目撃されているようで、拠点となる基地があるのではと噂されている状況です。
メキシコのテオテワカン状態です。

スノーデン氏からは今後も情報が明かされるかもしれません。当然、他の天体から来る正当な異星人もダイレクトなコンタクトを近いうちにとってくるころだと思います。

時熟したと言ってよいかどうかは、分かりかねますが、、、。

わたしは超越論は嫌いですが、超越者は大好きです。
是非、お目にかかりたい、です。
待ってます。




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「新世界より」TVアニメを観てひとこと

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「想像力がすべてを変える」
と作者はバラードのように締めくくってくれたのですが、それでホッとするにはあまりにもキツイ物語でした。
後味が悪すぎる。胸が重苦しく虚脱感で暫く身動きできない。最終話のブーツ・ストラップが効きました!

無表情に唐突に切れ切れに断続的に世界についての情報は様々な形をとってわれわれに送られてきます。
それらを想像力を稼働させて自ら練り上げれば、物語として成り立ちもしましょう。
でもまとめ練り上げる軸がない。あまりに日々漠然としていて。私自身も情報も。

「新世界より」(ドボルザーク家路から)わたしも幼い頃、登場人物と同じくこの音楽で夕日の中、家路に向かった記憶があります。そこから自分も精神の基調を成している少年期へと自然と誘われます。
原作は全く読んでいませんし、コミックも手にとったことはなく、TVアニメで観ただけですが、想像力の核を確かに感じる物語でした。特にTVアニメであったため、イメージは端から限定される分、強烈です。
しかしディテールの描き込みが緻密なため、ストーリーの基盤が活き活きしていて抵抗なく入り込めました。
さらにこちらをグイグイ巻き込んでゆく比類ない展開が生半可なものではありません。これは発想豊かな作者の技量によるものです。ほとんど今と変わらぬ性の問題や殺戮なども生々しくリアリティーに溢れています。
登場人物にも魅力と奥行があり、それぞれに立場の理解やそれなりの共感はストレスなくできます。特に自分の種族?のために自己犠牲も厭わぬ侍映画の主人公のような奇狼丸と異様に人間臭い策士のスクィーラは取り分け魅力的な存在でした。ここでは新人類に歴史的に貶められてきた2人の異形の脇役が一番覚めていたと言えます。だからこそあまりに悲壮です。

未来の社会の設定も現実に、ある国を考えれば充分に成り立ちうるし、現実はフィクションより非現実的であることは珍しくないものです。特に思いを物質化すること、これは波動(存在密度)を上げれば可能となることで、われわれの次の存在段階に当たります。ですから学校教育に呪術の授業があるのも順当なことでしょう。しかし、思念の力がいとも簡単に破壊や大規模殺戮に向けられてしまったり、コミュニケーション手段もテレパシーなどへの発展が見られないのは、もしかしたら想像力の乏しさが能力的に決定的な欠陥としてあるのか、政策上の遺伝子操作の結果としてのもの(副作用等)なのかと思われてきます。それをするなら政府としては無意識の破壊本能の発動制御にまず総力を挙げてフォーカスすべきでは、と自然に考えてしまいますが。合法的に肉体的に始末するより。

しかしこの物語は、その(コントロール出来ない)呪力の破壊力を持て余して初めて成立する世界となっています。もしそれがなければこのような暗黒譚ではなく楽しい「ドラえもん」の世界になっていたことでしょう。
前提を改めて押さえた上で、この物語はわれわれの日常世界と相似してきます。ある意味歪に進化してきた新人類ですが、われわれも現時点で多くの歪さを抱え持っています。原発の後処理・汚染水問題が何故ここまで滞り拡大し続けるのか等、現実は理論では動きませんし、思想も常に歪曲され、力を持ち優位に立つ者の利己的な采配に従ってなし崩しに流れてゆきます。子供の被爆基準値が跳ね上がるなど様々な矛盾のなか、わたしたちは生きなければなりません。「わたしは生きなければならない」数々の困難や悲しみや死別、記憶操作を受けながらも何度も発するこの言葉は、主人公であり共同体の将来を託された早季の真の資質をあらわす言葉なのだと思いました。

しかしこの先、この共同体を少しでも立て直してゆくにも、真相を知っているのは早季たち2人だけです。バケネズミの学名の謎も知らない民衆は、新人類が過去においてどれほどの残虐な遺伝子操作をして新たな劣等種族を作り社会の安定を図ろうとしてきたか、然してそれが必然的な戦乱を招き寄せたという原因にも思い及ばず、従って何ら反省の機会もなく総括をする術もないままです。それで良いのか?
早季たちもその歴史的事実を知り、その考えられない暴挙に対し悲しみの涙は流しますが、意外にもすぐに立ち直り、明るく前に進んでいきます。わたしは大変ショックでした!最終章の虚脱感の大きな部分はそれです。何故、早季は怒りを示さず悲しむだけだったのか?
この受容的・肯定的な姿勢、しかし「清濁併せ呑む」という前にこの共同体の歴史的な批判と総括を民衆の前でまずすべきだと思います。でなければ多くの同胞、スクィーラや奇狼丸たちも浮かばれません。
「この世界がよくなるかしら」「きっとよくなるよ」
どうでしょうか?
「想像力がすべてを変える」
だれが想像力を働かせるのか、いささか不安で心配です。
何故ならこれはわたしたちの、パラレルワールドなのですから。
同時に進行する。




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Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
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