ブロンズィーノ

ブロンズィーノの画集を眺めながら、マニエリスム期の画家の鑑賞でもしようか(まとめでもLowでしようか)、と思いつつページをめくっておりますと、彼の絵の中に大変なものを発見してしまいました!ここ暫く、さほど驚くということはなかったものですから、驚いたことがまた新鮮に感じたもんです!
それは「ビア・ディ・コジモ・デ・メディッチ」(1542年 60×45cm)というコジモ・デ・メディッチ1世の庶子であったが大変可愛がられた「娘」の肖像画です。ビアですか、、、この子が、親バカとかでなく客観的に観て、うちの長女に「そっくり!」なのです。この時期の作家ですから顔などは極めて写実的に描きますから、実際描かれた通りの少女だったはずです。(マニエリスムですと身体を長く引き伸ばしたり、不思議に誇張された構図が特徴ですが肖像画はそういうものはほとんどないです)だとすると本当に似ている。残念ながら少女は熱病で幼くして亡くなりますが、コジモ公は大変嘆き悲しんだと言われています。当たり前です。昔は誰の子であっても、幼くして亡くなるケースはとても多く、親はどれほど悲痛な思いをしたことでしょう。想像もできません。
何にしても、そろそろ娘の絵でも描こうかと思っていた矢先なので、ビックリです。これまでもたまにそんな気になることはあるにはありましたが、未来派でも追いつかない運動体なもので、暫くは手につかないなと思っておりました。
それにしても、ブロンズィーノの絵は上にある「愛の勝利の寓意」に代表される冷艶な官能性を打ち出した様式美が特徴ですが、ビアの肖像画は他の時代の肖像画群と比べても、この格式張った様式の内に、これほど少女の生の魅力を湛えたものはないでしょう。彼がとても暖かい目で捉えたであろう優しさに彼女は向き合っています。彼自身、ビアには特別な親愛の情があったのではないかと想われるのです。ここにいるのは本当に果敢なくも可愛らしい血の通った、生きた少女なのです。彼女はこの絵の中で永遠に輝いて生き続けます。もし当時写真機があったとしても、こんなに生きた少女は撮し取れなかったはずです。きっとブロンズィーノと良い関係が作れていたのだと想います。
うちの娘たちには、絵ではなく現実の日常世界において活き活きと遊んでいてもらおうと思いました。
やはり。

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