記憶の連続性

最近私は恐ろしく記憶が剥落する。次々に違う自分に乗り換えていくようなめまぐるしい、それでいて残酷なほどの睡魔にも襲われ続けている毎日です。疲労混迷しております。
そんななかで、私の学生時代の知のアイドル荒俣宏氏の懐かしい本を思い出しました。大博物時代という、他の本なら100ページに渡って書かれる内容が1ページに凝縮されており、面白くて読み始めると本が置けない、こんな本は他にはライアル・ワトソンとカルロス・カスタネダなどでしょうかね。すごい本です。
ちょっと手に取ります。やけに日に焼けているではないですか
魚は最近になって稚魚と成体が繋がる例がいくつも出ているようです。
つまり、幼虫(芋虫)、蛹、成体がそれぞれ別の種扱いされている魚類がまだかなりいるようなのです。最初に芋虫が蛹の形になりそれが蝶に変身するその飛躍的連続性を掴んだ学者?はどう思ったことでしょう。このような生命の神秘は勿論、魚類にも見られ、博物学者で作家でもある荒俣宏氏は、1980年ごろの夏の八丈島の海に潜って、コノハベラの成体がススキベラであることを突きとめました。それまではコノハベラとススキベラはその特性と形態の違いから、別種のモノと考えられていたのです。荒俣宏氏は海の中でコノハベラが今まさにススキベラに変身する場面を押さえたのです。
この歴史的発見から氏は、ひとつの個体は成長の段階で複数の種を体験するのではないか、という示唆にとむ仮説を提示しています。しかも、それぞれの変身において、新しい自意識と感覚と記憶をセットで交換するはずだと。つまり、芋虫であった時と蝶になってからの時の間に何らかの関係は一切ない。
この後、氏は、エラズマス・ダーウィンやビュフォン、キュヴィエ、ラマルクをタップリひいて進化をいえ、博物学を縦横無尽に論じています(なかでもマリー・アントワネットと植物画家PJ・ルドゥーテの出逢い、そして彼がそれまで忌み嫌っていたジャン・ジャック・ルソーの植物研究書の挿絵を描く事になるくだりなど、涙を誘わずにはいない感動の挿話もあります。)勿論、ロマン派(ロマン派的思考)は博物学には欠かせません。
さて、話はかなり無理な飛躍をしますが、魚の性転換もある意味ダイナミックな変身ですが、最近盛んに取り上げられ巷で話題の人アンソニーロビンズをメンターと仰ぎ、メソッドを受けたとたん、まさに別人の様に急に変わって億万長者になってしまった、などどう解釈出来ましょうか?取り敢えず記憶の連続性をもってして、昔の私はなどとのべてはいるが、結構怪しい連続性を偽装してはいないか?ここらへんからSFノベル作ってもよいのかも、と思います。われわれの体内などいつだって遠い宇宙の果てから来る無数の宇宙線が通過しています。何があってもおかしくない。
そこの急にアフィリエイトで儲けだしたお兄さんだけでなく、わたしたちも人生の何処かの過程で大きく変身しているかも知れません。わたしは少年期など覚えていることなどほとんどない、です。最近のわたしはかなり入れ替わりが激しく飛んでいるのか、単なる痴呆症なのか、、、。何にせよSFホラーです。
これは完全に逸脱した連想かもですが。

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THEME:博物学・自然・生き物 | GENRE:学問・文化・芸術 |