強靭な爽やかさ

ヘーゲル Ⅱ~精神現象学~シラー/友情 エストリルのクリスマスローズ を拝読して
「他者不在の哲学に対し
徹底的に他者を取り込み
一般”精神”にアウフヘーベンしてゆく・・」
(コメントにしようと思いつつ少し長くなりそうなので、メインカラムに述べさせて頂きます。)
柔らかな語り口で、これほどすんなり入り込めるヘーゲルはないです。もっと長編も読んでみたいという気持ちになるのは私だけでしょうか?ヘーゲルを語ってこの爽やかさ、軽みは何でしょう?学生時代の哲学講義はぜひ、SAKI様にして頂きたかったものです。
何でもそうですが、軽みはとても大事です。どんなに難解で深刻な問題を論じていても、軽みがあり、聴き易い、読み易い事はある意味大変有難い事だと思います。しかし、この辺りの思想をこんなに爽やかに述べられるには途轍もないバックボーンの存在が容易に想像されます。しなやかな完成された文体は、つい心地良くさらっと読めてしまうのですが、かなり骨太でダイナミックな思考運動により生成されていることが触知されます。才能と蓄積があっての事と言ってしまえば簡単ですが、なかなか稀有なものです。
先ほど述べました軽みですが、言い換えれば普遍性です。まさにアウフヘーベンの螺旋的運動を経て獲得された知でありましょう。このレベルが実現できてはじめて、圧倒的な読者の獲得も可能となるのですね。難しい内容は敬遠されるとかいうレベルではないのです。難しかろうが何であろうが、それが真理に繋がっているとひとが直覚出来るものであれば何であってもひとはそれを求めるものです。私もそれを触知した際にはいかに理解が大変でもまず読んでみます。それが本質力を持っているのなら。そうでなければそもそもヘーゲルなぞ誰がわざわざ読むもんですか!
そして、此処を目指すのかもしれません。いえ、此処に至るのかも知れません。
「如何なる時も見失わない幸せとは
あらゆる哀しみをもってしても
マイナスとは受け止めない
熟成された確かな精神の中に
見出す感覚なのかもしれません・・。」
「ーー最終的に得る精神の王国の盃から精神の無限の力が沸き立つーー」

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