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Cubaseで音作り

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ここ数日間、高熱で幼稚園をお休みし、夜もうなされほとんど寝れずに泣いてばかりいた長女が少し復活し、遊び始めました(また、例の育児日記か?)。そうです。育児日記です(苦)。何で、、、。

そろそろいくら話しても種の尽きない「多肉植物」に行くタイミングをみていたのですが、例の2人がよりによって、8時過ぎに、KORGのKAOSSILATORとKAOSSILATOR PROさらにROLANDのSP-555を鳴らし始めボーカルマイクでうたも歌い始めているではありませんか!
Macの音(主にiTunesの音)をチューナーを通しアンプからスピーカー(JBL)に出しているのですが、Macが起動中はチューナーに繋がっているデバイスはみな起動スイッチひとつで唸り始めるようにしてます。ですからやろうと思えば何時でもこうなるとは言え、お歌と音だしは土日のお昼と決めていたのに、熱のためかちょっとよくなったところでこれまでの鬱憤を晴らすつもりか、やりだしてしまったのです。

怪獣です。

すぐに止めると後が怖いので、ちょっとだけよ、と言いMacのCubaseを起動します。
それをみて彼女等も自覚的に音を出し始めます。明らかに先ほどまでのひたすらノイジーなルーリードのMetal Machine Musicみたいな音ではなく(失礼:私はルーリードの大ファンです)、初期タンジェリン・ドリームを髣髴させる音が出てきたりします。しかしすぐ不安定になり曲想もままなりません。とは言え時折、SP-555のシーケンサーに絶妙に絡むKAOSSILATORのかすれ音、そこに妙にこちらの琴線を刺激する長女のボーカルいえ、スキャットが入り(ほんの一瞬、ロバート・ワイヤットまさか)、おおっこれは、と言うほどのものではないですが、3つのトラックにここぞと、とり込みます。チューナーで調整しつつ、親ばか以外の何者でもない。しかしジョン・ケージの言うチャンス・オペレーションではないですが、偶然に鳴り響く音への最小限の介入(コントロールまでいかない)で録れる音は面白いものが、あります。
実際、結構溜まっています。

結局9時過ぎまでやって、ベッドに入りました。

いまこの時間(10時)、また熱が出てきたようで愚図り始めました。今夜また、大変です。発散させてあげたのですが、まだまだ本調子ではありませんでした。

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情報とは

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まず最初に、本日29日午前にお越しいただいた方々にお詫び申し上げます。
「平面性の主張」5行目に、明らかに訂正すべき個所が見つかり、最小限の訂正を早朝行ったのですが、正午前に何気なく確認したところ、その部分が「文」になっておりませんでした。訂正しそこなった残骸が露呈したままになっていることに気付きました。約3時間半ほどの間でしょうか。申し訳ありませんでした。すぐに直しましたが、今後気をつけていきますので、これに懲りずこれからもご訪問頂き、ご意見ご感想等頂きたく存じます。宜しくお願いいたします。

上記の件も「情報」の問題ですが、情報の歴史をちょっとここで考えてみると(唐突ですが)はじめは情報は生物の内部を高分子タンパク質の形で伝播するのみでした。水中から陸に生物が移るにあたり、神経系が発達しはじめ、中枢神経まで出来きるにあたり、ネットワークが複雑化します。そして長い時を経て、声と手指の分節化と操作性の高まりにより、情報の表出への場所が開かれます。アルタミラ、ラスコーの壁画で(この少し前に引っかき傷が残された壁面があったはずですが)わたしたちは始めて生命系の外に「情報」を記録・保存しました。大変な出来事です。絵画、文学、人工知能などに至る情報(外部情報系)の起源となります。
あそこにあって、あのヒトたちはどれほどの名状し難いめくるめく感情とともにあれを抉り込んだのでしょうか?その感動はとうてい想像できるものではありません。
多くの芸術家は、そんなはじめての行為に魅せられ、その経験・芸術を再現しようとしたことでしょう。誰もが何かを(情報を)作った時に感じる感動のまさに起源だと思います。

その情報のビッグバンから今日まで、人にとっては、内部情報系を外部情報系が遥かに上回り、遺伝子情報より大脳新皮質の獲得する文化的情報の方が多い、特異な系を形作る事になりました。もともとヒトは体外胎生期という生理的早産により文化的学習を前提づけられていましたが。その分、本能の破壊等と言われる部分も取りざたされています。確かに文化情報によって立つ部分が大きければ、本能、元型、集合無意識、遺伝的な次元の流れは抑圧されていくでしょうね。少なくとも上部構造が下部構造を支配する形にはなる。勿論、環境がすべてを決定するようなことはなく、至る所に深層から特異な情報がほとばしり出るのをわたしたちは目撃しています。

一つは神の問題。これはきわめて初期に発します。大脳の発達と絡んで出てくる問題とも言われています。

ラフスケッチは書きかけで終わります。



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外の空気を吸ってみたい

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多様性への追従。これが今後、はっきりポイントになると思います。
柔軟であり身軽であることが基本フォーマットとなると思います。
何を作るにしても。
そして、わたしたちのありかたも。

物凄くヘビーなものはそれなりの成果を生みますが、汎用性が低く、環境が変化したときに対応が困難です。
インターネットもずっとここまで変遷を重ねながらも破綻せずに発展し続けてきたのも、7つのレイヤーに分かれた構造をもっているからでしょう。
各レイヤーはシンプルで自立性をもち、お互いのことを考える必要がないフレキシブルな構造であるため。
これはメンテナンス時・根本的な修正時に大変重要なことです。

何においても軽量で柔軟性をもつことは、今後さらに拍車がかかる縮小化、wearableで多種・多様なデバイス(プラットフォーム)、メディア形式への移行に追従しやすいはずです。つまり生き残れる。


いまだに日本は横並びの風潮であるとか、超脱への抑圧(レイン)が超自我・無意識レベルであるという論調がいろいろなメディアに散見されますが、果たしてそうでしょうか?

少なくともはっきり言えることは、誰もが同じ方向を向いた巨大集団はたちまち崩壊するというテーゼです。

ありの社会でも反応閾値の高いありと低いありが様々にいて、働き者と働かない者とでうまく多様性を生きて集団として存続しているそうです(長谷川英祐)。

個が存在している社会。身軽で、柔軟な。
多様な繫がりをもって。
インフラは整っていますから。



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平面性の主張

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アイズピリの絵を箱に入れようとして、久々に見てみました。
しまうことにします。
何か娘の絵を見比べるときと同じような意識で観てしまいます。
確かにわざわざ画廊に行って購入している作品です。
充分に修練を経た職人的なデッサン力はそこにはっきり確認出来ます。しかし、、、
偉大な芸術作品とは明らかに異なる何かです。恐らくその類似多産性からもそう想わせる。
とは言え、商業デザインや模様とはまた異質のもの。
間違いなく”絵”です。
単なるポピュラー絵描きの絵と言ってしまえばそれまでですが、自分が何枚も買ってしまった言い訳をしておきたい。自己弁護を。しまうにあたり、これが無駄使いだったとは思いたくないですし。そんな気もしませんし。

---平面性の主張---

「すべての芸術は表面であると同時に象徴である。」(オスカー・ワイルド)

遠近法によって描かれた絵はそれがどのような出来であるかにかかわりなく、その絵の背後に控える時空間を我々は意識せざる負えない。線遠近法・空気遠近法と言う形式は、ルネサンス期に確立して以来、「本物らしさ」と「物語」を絵画に与えるための鋳型の役目を果たしてきた。時空間というものを二次元性の内により正確に整序して表現しようとすることは必然的に、その絵が指し示す対象であったものことを、その絵や作者をも含め、思い巡らすことを我々に不可避的に強いることになる。言わばその絵は、結果であり、なにごとかのモニュメントであり、過ぎ去って失われているものの再現であり、指示であり、よって二義的なものであることから逃れることの出来ないものである。どれだけ多くの視線に晒されてもなお、その絵はその絵の示す、当のものことによってのみ、その意味が決定され、価値が計られるだけの、物でない「もの」と言えよう。それ自体で成立するものではなく、常に従属する現実または歴史によって計られるもの。まさにプラトンの述べた、絵画はその再現性により、イデアの影でしかない物を更に写すだけの最も精神にとって堕落したものであり、よって絵や画家というものは排除されねばならない、という理論が想い起される。

しかし、絵をより厳密に描こうとした画家達が、発明されたばかりのチューブ絵の具を持って屋外に出かけ、光と影の中に色を発見していく過程で、色のマッスによってつくられる表面のたわむれの描写に強く傾倒してゆき、やがて遠近法や奥行きの解体がはじまる。浮世絵の発見もそれに拍車をかけたはずだが、印象派の最大の功績とはこの平面性の露出にあったと言えよう。合わせてこの時期、応用芸術であり、版画芸術であるアールヌーボーの線によるグラフィカルな絵画が日常生活の中に浸透していく。自分の家の壁などを、自由に装飾出来る「線」というものの独自性と創造性の発見である。「自然の中には線も、色もない。線を創るものは人間である。」とボードレールの言うように、印象派による色の解放と、平面性の獲得、アールヌーボーにおける線の自覚が、この後に現れる構成主義などと相まって、絵画そのものを現実の対象から形式的にも解放していくこととなる。そして、その解放の場所こそ、なにより「平面」に他ならない。「平面」とは絵画の可能となる唯一の場所であり、その二次元性を絵画自身が何にも従属しない生きた線と色とを獲得して強く主張することによって、創めて絵画は第一次的な創造物となりうる。ある対象にまとわりつく時空の影に従属せずに対象を能動的に、自律的に、一回的に生成する、二次元性自体の主張である。

アイズピリの絵は、彼が好んで作るリトグラフの特性にもあっているが、必要最低限と見られる線と色で構成されている。線は無造作に軽妙に一気呵成に引かれ、クレーのような知的な繊細さはない。まるで幼児が引いたような線である。また色に厚み(マッス)はなく同じ面に全く均質に広がっている。その絵に立体を意図した表現は見られない。セザンヌの主張した意味でのボリュームは感じさせる。つまりモノがそこにある、と言う意味での。彼の絵には奥行きが無い。絵そのものが、即座にそのものとして見える。徐々に明かされる何者かを隠していない。あまりに明証的な「絵」以外の何者でもない。幼児が初めて描いたようなピンクのバラは黒い輪郭線と少しぶれあいながら、創めてバラという生きた意味を鮮明にわれわれに語りかける。初々しく。バラという意味。ピンクの放つ意味。額に入れられた絵の背景には何もなく、その絵という平面上にまさに今、新たにピンクのバラが創めての意味を生成しつつ生きている。ここで「輪郭線」は重要な要素であり、更に平面性を強化する働きを持つ。物の背後への回り込み、物同士の関係で生じる空間、物のわずかな厚み、を完全に断ち切る。(昔のアイズピリの絵にはこのような輪郭線がなかった。)平面性は表面と言う場所を際立たせる。表面に対する内面を、構造を、背後を、すべて表面にトポロジックに析出させる。そして様々な幻想を滑り落とす。やがて我々がよって立つ地平は表面でしかないことを想いださせる。

表面とは優れて象徴的である。表面それ自体に限りない奥行きがある。もしアイズピリの絵に多少なりとも奥行き感と立体感を付け加えたとしたらどうなるか。言うまでもなくひどく貧しいぺらぺらな絵になってしまうだろう。すべてのものは影となって精気を失ってしまう。この絵の平面性こそがプリミティブで、無意識的で、時間と空間を締め出した永遠の世界を生んでいるのだ。まさにイデア界の「ピンクのバラ」。まるで遠い昔の夢に出てきた花を想いださせる鮮明な色。バラは見慣れたバラではなく、すでに知っており、想い起こされたバラである。アイズピリは目の前のピンクのバラの影を写したのではなく、そのイデアをこそ描いていた。無垢なイマジネイションによってそれを把捉し。「人間に残された最後の資源はイマジネイションだ」とJGバラードの述べるように、絵画においてイマジネイションの発動する場所こそ、この平面性の無意識なる主張のうちにあった。絵画はここで創めて自立する。

 

アイズピリ。作品は作者から離れて独り歩きする。それは確かだ。しかし我々は「モナリザ」のような大傑作のようにこれらの夥しい小作品群を見ることはない。私は彼の作品の名で正確に覚えているものはない。自分で買った絵の名も知らない。7枚とも。もっとも題名自体、見れば分かる即物的な名であったから、知る必要もない、といったものであったが。花にたかった,大きすぎる蟷螂、テントウムシ、その他の昆虫。そして、鳥。それから少年とアルルカンたち。港の光景。モデルを描く画家のいる室内。同じような構図のブーケの群れ。これらの絵は”アイズピリ”と総称してよいだろう。どこでもそうだ。アイズピリといっておけば、知っている人は誰もがそれらを思い浮かべる。アイズピリという異様なほど目の生き生きした幼い表情の小さな老人とともに。度肝を抜く独創性。技巧。強烈さ。荘厳さ。華麗さ。奇怪さ。としてではなく、何処にでもありそうでいて希有なものとして、私は「アイズピリ」を見ている。

 

アイズピリ。かれの夥しい絵画群は深刻な考察の対象となることをすり抜ける。この絵はそんな視線を好まない。押し殺した呼吸をゆっくりとした長く深いものに変える。そして微笑みを誘う。この絵は、悪戯っぽい遊びに満ちており、無邪気で、ほのぼのとした波動に包まれている。考えることなく、味わうもの、際どいほどに通俗的で、無防備、箱庭的で趣味的、そして、小さな室内楽曲の心地よさ。この快感は、幼年期の全能感を静かに幽かに想い起こさせる。年を負うごとにそぎ落とされていった結果のこった、単純。無垢。絵いわゆる自分にまつわる肥大した幻想を振り払った先に向こうからおとづれて来た、イデア。何処にでもありそうでいて希有なもの。

アイズピリの絵というのは、どうしても数枚買ってしまいますね。リトグラフとはもともとそういうものですが、この画家のものは特に一枚では何か物足りない気がする。カトランの場合、1枚傑作を購入すればそれで充分ですが。なぜなんでしょう。同じような構図のものを何枚も見比べてみたい。比較ではなく、ただそれぞれをぼんやり楽しみたい。片やカトランの場合は、ギリギリまで単純化された色面構成が構成主義的な完成度の尺度(度合)で観ることをこちらに要請するところがあり、この絵よりこちらの方がよい、と言ってどれかを選んでしまう。アイズピリはほとんど同時期の絵であれば、そもそも作品に優劣をつける気になどならないし、額縁の気に入ったのを買ってしまうような世界です。

カトランのブーケは、アイズピリより遥かに自覚的に構成主義的であるが、まだ意味ー内容をもったブーケと名づけ得るものである。しかし、さらに自覚的・意識的にこれを一歩踏み出してしまうと、もう名づけ得る名前ー対象を失ってしまう。だが、そこにいくまでには、恐らく越え難い断絶・飛躍がある。アイズピリ・カトランともにそのような資質はもっていない。

構成主義とは明らかに絵画における自己批判である。
平面を極めたもう一つの流れ。観念的に極端な揺れを見せるロシアでとくに盛んであった構成主義をもう一度確認してみたい。構成主義の絵画の題名が簡潔に示す、その虚無性。対象の喪失。または純粋な記号性。存在と交感する場所を持たないものを我々は享受できるだろうか。他者を容れる宇宙の存在しない世界という背理。いやそんな問いは意味を持たない。彼らは、それを完全に計算に入れたところから始めている。しかしそのことは、結局自意識の呪縛に窒息することにならないか。それはまた作者そのものが前にしゃしゃり出てくる、だまし絵のようなものになりはしないか。後の退屈なコンセプツァルアートのように。絶対抽象詩の世界。そのもの自体が新たな創造物でしかない。それを語る言葉もない。根のないもの。構成主義の絵画は必然的にのっぺらぼうである。何かを語ってはならない。あるいは見られることの拒絶。あるいは丸裸な絵。というものがあるのなら。しかし絵それ自体と言う存在は不安以外の何をもたらしてくれるだろうか。あるいはそれこそが我々の意識に風穴を開けるものなのだろうか。覚醒に向けて?だが意識というものは一筋縄では行かない。すぐに慣れてしまう、というより麻痺してしまうだろう。驚き、不安、苦痛は長続きしない。ひらめきはすぐに忘れ去られてしまう。

わたしが絵に求めるものとは一体何か?
絵画への問いは自分の精神を逆照射する契機となる。

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Let It Grow

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今回は前回拾い損ねたアルバムをいくつか。
手元にレコードがないため、すべて思いつくままに並べたものです。
どれも古いもので、あるところまで聴いたのですが、その後、見失っています。

1.ヘンリク・ミコワイ・グレツキ 2.ジョン・ケイジ 3.モートン・フェルドマン 4.スティーブ・ライヒ 5.フィリップ・グラス 6.ジョン・アダムス 7.ペンデレツキ 8.リゲティ 9.クロノス・カルテット.  

作品:1.Symphony No.3 2.In a Landscape 3.Only 4.Tehillim 5.HydrogenJukebox 6.Hoodoo Zephyr 7.Clarinet Quartet/String Trio 8.Works for Piano 9.Winter Was Hard

あまりに有名どころで、わたしが何かコメントを差し挟む必要を感じません。

1.JOY DIVISION 2.NEW ORDER 3.TODD RUNDGREN 4.KLAUS SCHULZE 5.KIG CRIMSON 6.THE CURE 7.ROBERT WYATT 8.LOU REED 9.ARTI+MESTIERI 10.PROCOL HARUM 11.ROXY MUSIC 12.STEVE HACKETT 13.GENTLE GIANT 14.CAMEL 15.EGG 16.GRYPHON  17.GENESIS 18.CARAVAN  19.ORCHESTRE ROUGE  20.SPLIT ENZ 21.HATFIELD AND THE NORTH

WORKS:1.CLOSER 2.REPUBLIC 3.A WIZARD, A TRUE STAR 4.IRRLICHT 5.THE NIGHTWATCH(Live at the Amsterdam) 6.WISH 7.ROCK BOTTOM 8.BERLIN 9.TILT 10.GRAND HOTEL 11.AVALON 12.VOYAGE OF THE ACOLYTE 13.THREE FRIENDS 14.BREATHLESS 15.CIVIL SURFACE 16.RED QUEEN TO GRYPHON THREE 17.NURSERY CRYME 18.IN THE LAND OF GREY AND PINK 19.MORE PASSION FODDER 20.TIME AND TIDE 21.THE ROTTERS' CLUB


5にあげた、クリムゾンのアムステルダムライブは今聴いても、その緊張感に背筋がぞくっと来ます。この音源がそのまま例の「太陽と戦慄」になったんですね。あれは聴いた当時楽譜をもとにしたスタジオ録音以外の何者でもないと思っていました。いかにクリムゾンのライブが、研ぎ澄まされた技量に支えられたカオスと創造の現場であるかが分かります。”Islands”は楽譜は確かにある筈です。

9のアルティ・エ・メスティエリ(芸術家と職人)ですが、彼らが南ヨーロッパのバンドでなければ恐らくキング・クリムゾンと同格のアーティストとして名声を得ていたことと思います。ジェントル・ジャイアントとツアーも同行しその実力は20年後に突然出た"TILT"のLIVE音源で、証明・再認識されてはいますが、アルバムが出るたびにk・クリムゾンのようにリーダーのフリオ・キリコ以外全員が入れ替わるなどして曲想も変わり(フリオは作曲には関っていないため)サウンド全体が変転しながらも、質の高いジャズロックを作っています。が、やはり1974年に発表されたファースト”Tilt"が特別の出来です。

それともう一組 Henry Cow&the Slap Happy/In Praise of Learning とてつもない名作です。カンタベリーファミリーの音はどれをとってもしなやかで優しく言葉の真の意味でプログレッシブでよい。つまらないものはなし。これを言ってしまうと、ArtBears/NationalHealthも挙げないわけにはゆきません。ついでに今思い出したのが、オランダのMECANOあのイアン・カーチスが生きていればジョイ・ディビジョンはこういうグループになったはずだといわれた「それ」です。胸が痛むほどにすさまじい緊張を強いるあの楽曲群はどうなったのでしょう。Autmatismまでは聴いているのですが。


DECADES
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THEME:ロック | GENRE:音楽 |

To Be A Rock Not To Roll !!!

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Rockについて、ではなく今だ接続し続け、連動し続けているRockの精神というより生理を記述できたらと思います。
まだRockを対象化するほど血は浄化されてません。いえ、清められるためにRockに浸りこんだと言えます。あらゆるものから逃げ込むように。ある意味恐ろしい自己満足であり、退行または胎内願望紙一重ととられるものかも知れません。あるいは、とんでもない蕩尽。意味のない、理解しがたい時間の浪費。しかしわたしにとって、不可避の選択で、運命的出遭いでした。思春期のわたしにとってRockは空気そのもので、空気の振動がRockのリズム・リフでした。メロディ・サウンドは血管を流れていきました。勿論、わたしはアポロンではなくディオニソスですが、ニーチェのいう意味でのディオニソスです。


これから何回かに分け、単にわたしが好きな曲・アルバムをご紹介してゆきます。
そのうちに「まとめ」をします。今回はオールディーズ。


”もう一つの耳にループする音”

----音楽をことばであとづけようとするその不毛と困惑-----


LOST AND FOUND / PETER HAMMILL (OVER-1977)

*Van Der Graafとはまた違うサウンド。でもピーター・ハミル以外の何者でもない極私的な音。甘味で退廃的で知的で、とか文学的な音楽、などと言う前に、ともかく波動がせつないほどぴったり合ってしまうサウンド。この何よりも確かな静謐な昇まりは何か。ファンはみなそう感じているのでは、そしてきっと求めている。言葉の届かぬ先にあるつながり、共感を。全体性を。深く、自分の存在の核に触れることを。

VANISHING POINT / NEW ORDER (TECHNIQUE-1989)

*Joy Divisionからこの音楽世界に帰結するとは。でもNewOrderから遡行するとやはりJoy Divisionの青白い灯が確かに垣間見えてきます。Technique以降の作品群の強度はどれも圧倒的。

A DREAM GOES ON FOREVER / TODD RUNDGREN (TODD-1974)

*この曲の入った"Todd"こそポップソングのもっともクリエイティブで豊潤な頂。このガラス細工のように繊細な小品ひとつの煌めきがすべてを反映している。

ISLANDS / KING KRIMSON (ISLANDS-1971)

*ロバートフリップにクリムゾンの歴史から抹殺されたアルバム。音楽的にと言うよりアメーバーのごとく分裂し続けるクリムゾンの抱えた組織、人間関係の問題からか。しかしこの音宇宙はクリムゾンの第1期の究極であることは確か。「美しさ」の意味がこのアルバムを最後に次元を変えてゆく。"Islands"こそ古典的な美の幕引きにふさわしい傑作。

SEA SONG / ROBERT WYATT (ROCK BOTTOM-1974)

*白日夢の残酷な美を完ぺきに描き切った楽曲。繊細で過激な夢想を紡ぐ牧歌とも言えるボーカリゼーションと重奏し逆流するフリージャズインプロビゼーションサウンドとの希有な融合。いや、ただ一言。永遠に胸を打って止まない曲。うみのうた。

DISINTEGRATION / CURE (DISINTEGRATION-1986)

*キュアーならではの音。病の内にいつづけることの甘味な快感。何も変える必要など無く、何も生む必要も無い。ただ自分の病を濃密に生きればよい、と。毒を吸い込み食らい続けながら、束の間の快楽の中に浸り続け。音楽が最も強い麻薬であることが分かる一曲。

I REMEMBER CALIFORNIA / REM (GREEN-1988)

*表現手段を得た自閉症児の曲。そうROCKが唯一可能な表現手段である人たちがいる。全く必然的にROCKに関わる人。病んだアメリカの知性が生む繊細で荒涼たるサウンド。いや結構骨太か。ニューヨークとはまた違う光の色と渇きがあります。

SMELLS LIKE TEEN SPIRIT / TORI AMOS (CRUCIFY-1992)

*ニルバーナのあまりに有名な曲のカバーですが、見事に彼女のオリジナルと化しています。大変な力量。この曲がこれほど美しい曲だとは、これを聴くまで分からなかった。と言うより原曲をはるかに凌駕している?

THE MAN WITH THE CHILD IN HIS EYES / KATE BUSH (KICK INSIDE-1978)

*凡作の一つもない人の特に素敵な一曲。別に何を選んでもよいが、これはカバーが比較的しやすい曲でしょう。かなりサイケデリックな仕上がりのカバーものもありました。それにしても桁外れの才能。追従者は出ないでしょう。

知己知彼 / 王菲 (1994)

*フェイ・ウォンのケイトブッシュかと思うような透明な美をたたえたナンバー。歌がうまいこともつくづく分かる。

RUTHLESS AFFECTION / NAIMEE COLEMAN (1997)

*どうもわたしは女性アーティストの作った曲で素晴らしいものを聴くとケイトブッシュみたいだ、と感じてしまう癖があるようで、と言うより素晴らしい女性アーティストの代名詞として彼女がいるのかも知りませんが、この人のこの曲を聴いたときもそう感じてしまいました。実際この作品が似ているとか言うわけではないんですが。二十歳の作です。才色兼備の人です。

IN LIVERPOOL / SUZANNE VEGA (99.9F-1992)

*気だるく切ない彼女らしい旋律だと思います。そしてもっとも体質に合う曲。懐かしい、焦慮の念の込み上げてくる伝統的なリヴァプールロック。

MONTREAL / KARI BREMNES (SPOR-1991)

*ノルウェーの「美空 ひばり」と言われるカリ・ブレムネス。歌唱力も確かに凄いが、何と言っても曲の出来が圧倒的。やはり歌は曲自体が良くなければ、と当たり前のことをこれを聴きながら心底思います。

THE OTHER WOMAN / RENAISSANCE (THE OTHER WOMAN-1995)

*1969年のファースト以来あの気品にあふれたクラシックロックの代名詞的存在がいまや熟成した苦いワインのようなラブポップスを奏でています。透明でどこまでも涼やかな構築美から、と言うより聖少女の無垢な音世界を出ることを知らなかった彼らが、大人の情念の世界へ。これはこれで......。アニーハズラムが抜けるとこうなるの。

IN A LIFETIME / GLANNAD (PAST PRESENT-1995(1989))

*U2のボノとの共演。叙情の極み。小節も効いていて思わず力の入る叙情です。ボノが入るとこれです。ケルト民族の血の波打つうた。北アイルランドのある日の光景が目前に浮かぶよう。

HYPER-BALLAD / BJORK (POST-1995)

*ビョーク大好きな人に何が好き?と聞くと、これが返ってくることが多いです。もちろん私も好きで何度となくお楽しみMDに入れています。この人も天才です。北欧は面白い。

MACHINE GUN / SLOWDIVE(SOUVLAKI-1993)

*MY BLOODY VALENTINEかと想うようなギターサウンド。この手の物に私は弱い。ただそれだけ。この曲こそ、その手の代表。身体を完全に麻痺させ、現実など全くどうでもよいと、ただひたすら甘味に思い知らせてくれる。"40DAYS"がまた良い。もう起きる気しない。

THREAD OF LIGHT / PALE SAINTS(IN RIBBONS-1992)

*昔の自閉プログレッシブロック(?)を思い起してしまうサウンド。"SHELL"など特に。自分が透明なクラゲとなってほの明るい海洋に漂い始める。SLOWDIVEの後にこれなど聴くと、もう戻ってこれない。食べ合わせには気をつけねば。まあいいけど。

BEWARE OF DARKNESS / GEORGE HARRISON (ALL THINGS MUST PASS-1971)

*I'd have you anytimeと一緒によく聴きました。ジョージ以外の誰からも出てこない名曲中の名曲。クラシックとして永遠に残る曲でしょう。完璧なドラッグサウンド。ドラッグの生んだ至高の成果。

PERFECT DAY / VARIOUS ARTISTS(Single-1997)

*こんなに面白いシングルはちょっとない。プロモヴィデオを何度観たことか。ともかく興味が尽きない。楽しい。歌自体はこの上なく荒涼とした美しくも悲しい曲だが、こんなに面白い。"CARLINE SAYS II"とともに私の大好きなルーリードのもっとも悲しい曲。それを細切れにみんなで歌うなんて、いったいどういう企画なんだ。

ACHILLES LAST STAND / LED ZEPPELIN (PRESENCE-1976)

*アルバムではフォーシンボルズが一番のお気に入りですが、曲ではこれです。しょっちゅう鳴ります。耳の中で。疲れますけど。そうなぜROCKは疲れるのか。耳の中で何度も鳴り続けるから。魂の中で鳴り続けるから。それって何なの?

RISING / MIDGE URE(PURE-1991)

*多分これほど前向きで明るく力強いロックもないのでは。運動会の徒競走のバックミュージックに使うと盛り上がること請け合い。栄養ドリンクを飲んだときのような過剰パワーが出る。ウルトラヴォックスの蒼白いロマンの面影は引きながら、一人になると何故か元気が出て、突っ走ってしまうようです。もともと体力のある健康な人なんでしょう。

GRACE IN GRAVITY / THE STORY (GRACE IN GRAVITY-1991)

*アーティスティックなスザンヌベガと言う感じで妙な力みが無くセンスが光ります。よく出来た曲です。凛とした女性デュオの淡々と奏でるオシャレな曲。

NOAH'S DOVE / 10000 MANIACS (MTV UNPLUGGED-1993)

*LIVEの生々しさと体温がよく伝わってくる。本当の歌。泣けます。ナタリーマーチャントの歌はやはり絶品です。曲ももちろん素晴らしい。と素直な感想を述べ。

CHERISH THE DAY / SADE (LOVE DELUXE-1992)

*プロモーションビデオが素晴らしいので、CDを買ってみたら落胆したと言うことがありますが、これは全く大丈夫でした。気だるく乾いた生暖かい都会の高層ビルの奏でる旋律。

THE REPER / BLUE OYSTER CULT (AGENTS OF FORTUNE-1976)

*アルバムすべてが毒入りの名曲ぞろいですが特にこの曲にはきます。甘いボーカルはギターのドナルド・ローザで、他の曲もみんな彼ならよいのにと思ったのは私だけか。この危険なサウンドに最も合います。ロック。甘い毒。依存性の最も強い薬。

LADY GRINNING SOUL / DAVID BOWIE (ALADDIN SANE-1990)

*ある意味でもっともボウイらしい曲かも。アルバムで言えばもっと良いものがあるにしても、代表作でもないし、決してベスト版にも入る曲でなくても、この曲はとても繊細で美しい。自意識過剰で根が耽美的なボウイらしい。余韻のいつまでも残る珠玉の名曲。

BLUE MONDAY / NEW ORDER (Single-1983)

*いちばん耳の中に唸る曲。第二期キングクリムゾン、キャバレボルテール(スリーマントラズ)、そしてその次がこのブルーマンディでした。この曲を聴いてすぐに浮かんだ語彙はファシズムです。

BOOK OF SATURDAY / KING CRIMSON (LARKS' TONGUES IN ASPIC-1972)

*様式美の極地からインプロヴィゼイションの美へと展開したなかでの最初の感動的小品。Fallen Angelとともに忘れられない美しい名作。

JOE LE TAXI / VANESSA PARADIS (M&J-1987)

*フレンチポップスのもっともチャーミングな要素を結晶させた曲。ヴィデオでも、隙っ歯でにこにこしながら、黄色いタクシーの隣で長いTシャツ着て、くねくねしながら歌っているだけでしたが、ジオラマの様なアーティフィシャルで一番印象的なナンバーでした。本当の人形の歌っているような過激なかわいさ。

BANYAN DAY / SARA DAVIS (TUNDRA-1994)

*アルバムをサラッと聴いてこの曲が飛び抜けて良かったのでそれ以来他の曲はいっさい聴かずこればかり聴いています。一枚通して何度も聴けば良い曲が見つかるかも知りませんが、最初に気に入ったこれだけを相変わらず聴いています。サラ弱冠二十歳の文句なしの傑作。

POSSESSION / SARAH MCLACHLAN(FUMBLING TOWARDS ECSTASY-1993)

*初めて買ったDVDソフトがサラのミラーボールのきらきら光るライブものでした。ロングドレスを着てアコースティックギターとピアノを弾きながら裸足で歌う姿が何かゴージャスな自然さを感じさせます。その中で、特にお気に入りのエモーショナルなナンバー"ポゼッション"がやはり一番よかった。ただ単に好きというだけですが、伸びやかな声がとても活きる曲です。

THE TREASURE / FRA LIPPO LIPPI (single-1983)

*彼らのファーストシングル。普通のポップバンドになってしまった彼らも出たころは何と、フィンランドのジョイ・ディヴィジョンと言われていましたっけ。それだけのことはある、シンプルで美しいちょっと歪んだゴシックロマン?危険なほどシンプルなピアノからは耳を離せない。

THE HERLD / COMUS (FIRST UTTERRANCE-1970)

*急に思い出した曲。昔はこんな曲があった。の代表曲の一つ。女性ボーカルにヴァイオリン・ヴィオラ・フルート・オーボエそしてギターが絡みアコースティックな重厚で鬼気迫る演奏が展開する。典型的なこのころのプログレッシブロックか。他にもいくつか思いつく曲がありますが、どれもいまだに、いや今でこそ、美しい。

MILES FROM NOWHERE / THE ONLY ONES(THE BIG SLEEP-1993)

*ピーターペレットのアクの強いボーカルでこの曲を最初に聴いたのは何時だったか。70年代だったことは確か。いま手元にあるのはこのベスト盤だが、やはり出来のよい曲の中でもこれが耳に残る。ルーリードの最も荒涼とした世界と重なる音。ダイナソーやREMもここから出てきたはず。

HEATWAVE / DAVE STEWART&BARBARA GASKIN(THE BIG IDEA-1990)

*大好きなEGGのオルガン奏者デイブスチュアートがバーバラガスキンと組んで出した渋くて味わい深いポップアルバムから。どれも良いけど、一つ選ぶとしたらこのスコットランドのブルーナイルというグループの曲のカバー。ホントに良質なポップとはこれです、と確信をもって言えるのですが、なぜこんなにせつなく物悲しい曲なのか。

NEW OPENED EYES / TRACY THORN(A DISTANT SHORE-1982)

*エヴリシング・バット・ザ・ガールのトレーシーのソロから。といってもバックのアコースティックギターはベン・ワットだから、このころの淡々とした涼やかなエブリのサウンドそのもの。さらに穏やかか。しかしその歌の確かな説得力は、ベルベット・アンダーグランドに通じる。決して癒し系のほのぼのサウンドなどではない。一音一音の物質性はブライアン・イーノをも思い起こさせる。

AS HIGH AS YOU CAN GO / THE CHAMELEONS(SCRIPT OF THE BRIDGE-1983)

*最初期のU2の叙情性をさらに過激に強度を高めたサウンド。リリカルサイケデリックサウンドの極。名曲ぞろいの極めてテンションの高いファーストアルバムから、息苦しいほどにストイックな一曲。

THE PERFECT KISS / NEW ORDER (single-1985)

*12インチシングル盤のロングバージョンとあのヴィデオクリップともども、ずっと心に残っています。ギリアン・ギルバードがヴィスコンティの映画の女優のような風貌で、とても素敵でしたが他のメンバーもやたら絵になっていて、ただドキュメンタリー風に撮っているようで、すごくゴージャスなカメラ/アートワークなんだなとつくづく感心しました。

DECADE / JOY DIVISION (CLOSER-1980)

*すべてが終わって真っ暗になった後、だれ一人残っていない場所で唐突に鳴り始める音。何もない暗黒で。この音の絶対的重さはプロコルハルムのロバーツボックス(グランドホテル)の様な、最後に昇華し突き放してしまう救いがない。これも一つの冗談だよ。幕は降りた。もう一つの現実-夢に戻りなさいな、と言った距離がない。場所が無い。表現者と作品との距離がない。ときにオーディエンスとの距離がない。次が無い。ブラックホールへ。Rockとは、本来こういうものか。This is the way - step inside



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ときどき探してしまうアルバム(現代音楽/World Musicを含む。クラシックは別のサイトで)

SUE / FRAZIER CHORUS 1989

INNERVOICES / RICHARD STOLTMAN WITH JUDY COLLINS 1991

ANAMORPHOSEE / MYLENE FARMER 1995

FEVER IN FEVER OUT / LUSCIOUS JACKSON 1996

PAGS/THE GOLDDIGGERS / LINDSAY COOPER 1991

THE YELLOW SHARK / ZAPPA 1993

MIRROR MAN / CAPTAIN BEEFHEART 1988

CYBORG SALLY / RICHARD PINHAS 1994

UN REVE SANS CONSEQUENCE SPECIALE / HELDON 1993

THIRD / SOFT MACHINE 1970

PATION PLAY / JETHRO TULL 1972

UNREST / HENRY COW 1979

LEARN TO TALK / SKELETON CREW 1983

WITHOUT MERCY / THE DURUTTI COLUMN 1987

FORCE THE HAND OF CHANCE / PSYCHIC TV 1982

SOME BIZZARE/TORMENT&TOREROS / MARC &MAMBAS 1983

BEFORE AND AFTER SCIENCE / BRIAN ENO 1977

THE WOMAN'S BOAT / TONI CHILDS 1994

IS THIS DESIRE? / P J HARVEY 1998

CINEMATAZTIC / CAROLINE HENDERSON 1995

MANBO NASSAU / LIZZY MERCIER DESCLOUX 1982

SONGS FROM A SECRET GARDEN / SECRET GARDEN 1995

RODRIGO LEAO & VOX ENSEMBLE / AVE MUNDI LUMINAR 1996

LA PLUITE ET BEAU TEMPS / DESAUNAY 1991

SHAKESPEAREN FISH / MELANIE DONE 1996

TREASURE OF THE CELTIC HARP / KIM ROBERTSON 1995

STAR OF WONDER / PETER BUFFETT 1996

CAROLAN'S COTTAGE / JOEMY WILSON 1986

ARDAS/BLESSINGS / CRIMSON 1991

FREEDOM IN THE BGROOVE / JOSHUA REDMAN 1996

KECAK AND SANGHYANG OF BALI / GANDA SARI 1990

CATCH THE FALL / THE DOLPHIN BROTHERS 1987

THE QUEEN IS DEAD / THE SMITHS 1986

SABOTAGE / BLACK SABBATH 1975

SPARTACUS / TRIUMVIRAT 1975

POWER WINDOWS / RUSH 1985

TRILOGY / E L P 1972

MEDDLE / PINK FLOYD 1971

HERGEST RIDGE / MIKE OLDFIELD 1974

MAXIMIZING THE AUDIENCE / WIM MERTENS 1984

GLASS WORKS / PHILIP GLASS 1982

DIFFERENT TRAINS / STEVE REICH 1975

MISERERE / HENRYK MIKOLAI GORECKI 1994

DOLMEN MUSIC / MEREDITH MONK 1997

LOCUS SOLUS / JOHN ZORN 1991

POMP AND CIRCUMSTANCE ENIGMA / ELGAR - SOLTI 1974

AKI-SATIE SELECTION 1 / 高橋 アキ 1974

RYUICHI SAKAMOTO PIANO WORKS / CHITOSE OKASHIRO 2000

SYMPHONY NO.2-SYMPHONY NO.4 / ARTHUR HONEGGER 1993

MUSIC FROM A ROUND TOWER / MONT CAMPBELL

LES INSPIRATIONS INSOLITES D'ERIK SATIE 1990

CONCERTO GROSSO NO.8 IN G MINOR.OP.6 NO.8"CHRISTMAS" / CORELLI - KARAJAN 1969

REQUIEM,K626 / MOZART - HOGWOOD 1984

KONZERT FUR KLAVIER UND ORCHESTER NR.20 KV 466 D-MOLL / MOZART - SVETLANA STANCEVA 1991

3MOVIMENTI PER SASSOFONO CONTRALTO,PIANOFORTE ED ARCHI / 上野 耕路 1992

BITCHES BREW / MILES DAVIS

MAKE BELIEVE / PINEFOREST CRUNCH 1996

BURY THE HATCHET / THE CRANBERRIES 1999

ABRIDGED / TIM STORY 1979-1988(Best)

HYBRID THEORY / LINKIN PARK 2000

BORN TO DO IT / CRAIG DAVID 2000


そして、わたしの唯一のRockArtistは”Procol Harum”です。誰がなんと言っても唯一のバンドです。
その唯一の作品は”Grand Hotel”です。
完全無比の至高の傑作。

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THEME:ロック | GENRE:音楽 |

音についての存在学 断片補遺2

Ashi.jpg
ジョンケージは体内音によるレコードを作りました。InnerSpaceMusic
また、街でふとわれを忘れ、耳を澄ますと、いかに多くの音が弾け合っていることでしょう。
スマートフォンのボイスレコーダーで録って歩くと、思わぬ音を拾いまくることになるでしょう。
私たちの日常は、音を遮断することで成り立っているようなものです。(障害から音の遮断が困難なヒトもいます)
音マップの編集はきっと面白い私たちの街を現出させることでしょう。
中学生の夏休みの宿題にどうだ?!

私たちは無音には耐えられません。いかに視覚が支配的な環境にあっても。大気がないと生きれないように。
写真からも音を聴いている。
ウイン・バロック、アンセル・アダムスらは特に音楽の聴こえる写真を撮る作家として讃えられています。
”ニューメキシコ上空の月”(アダムス)
音の聞こえる写真100選まとめ!
中学生の夏休みの宿題にどうだ?!
いや、私がやりたい。

音は自らが発するものである以上に、「外部」から来臨します。
「外部」とは、あくまでも意識の外部(自己の外部)です。

Rock、現代音楽、クラシックにせよ、音を自己の表出という次元で扱ったものは、「表現」止まりと言えます。自己(人間)中心に置いた表出は、それがどのようなものであれ暴力・権力になります。制度にも成り得ます。

制度とは限りなく多様に持続している音ー律動の中から「特定の音」のみ限定して聴かせる暴力です。
ジャック・デリダは「音声こそが意味である」と述べます。音声しかも自分の声です。
ヒトは内語ー独言を黙っていても喋っています。その内なる声を根源的直感として本質を語ります。
しかしその声は、言語によってつくられた意識という産物になぞられます。それは意味・価値という排除・限定に他ありません。

「同じ民族は同じ現実を見る」とエドワード・ホールは説きます。同じ民族とは、同じ音声ーことばー意味を共有するものたちです。現実とは、ことばによって差分され(分節され)有機化されたものを指しますから、当然同じような現実に関する共通感覚を有するはずです。そして同じ事柄を好み(正義とし)、同じ事柄に生理レベルから嫌悪感をもつでしょう。美的感覚から宗教観まで。

よく言われることに、日本人は西欧人が非言語脳(右半球)で処理している動物や虫の声や感情音を言語脳(左半球)で言葉として処理している、ということがあります。そのメカニズムをみると日本語の母音性(西欧は子音です。)とさらに表意語と表音語との差が見逃せないという説があります。表意文字はひとつの意味(音声)よりも多義性、物質的な形態性をもちます。さらに母音は前後の子音の影響で音が変わります。(決まった音を持たない)一方、西欧の表音文字は、音声ー意味に結びやすい透明さを特徴とします。子音性とあいまって人工的で直接性をもっています。前者は構造化、論理体系の構築には不向きでも直感を「よびこむ」性質をもっているようです。後者は、引っかかりなく輪郭のシャープな線の引ける機能をもち、構造を捉える上で有効だと。

古くから日本人は自然に溶け込んで短歌や俳句を作ったり、輪郭のぼけた水墨画や遠方の景観をそのまま自分の庭つくりの一部として取り込む(借景)等、開かれた技芸(アルス)に秀でていました。西欧は常に分析のための対象化をすべての物事において行ってきました。形而上学的な距離(空間)を何においても設定してきたのです。その意思は一神教(たった一者の眼差しー声)の構造を動かぬものにしました。構造はそのままで、やがて神の場には自己が置かれー近代的自我の成立(人間中心主義)、そして貨幣の元にはすべてのものことが平等ー市場社会の成立、というように抽象的な中心を元に世界的な文明が築かれました。

絶対的な存在としての自分がおり、その周りを客観世界が取りまく、と言う世界観が崩れたのは、その世界を支えてきた制度的根拠である科学という思想が、量子物理学における「観測の問題」にぶち当たってからでした。20世紀初頭です。究極の素粒子を見つけようとする過程で、観測対象が観測者の意思によって変質してしまう状況が表れたのです。電子の運動量を測ろうとすると位置が確率的になってしまい、位置を測ろうとすると運動量が不確定になってしまう。観測とは光子(フォトン)をもってするのですから、猫を見るのなら確定的な観測が可能であっても、光子によって明らかな影響を受ける素粒子については、観測者の意図ー精神次第で対象が変わってしまうのです。
見ることは宇宙の生成に不可避的に関与してしまうこと。
では、聴くことは。
これもどう聴くのかにかかってきます。

かつて日本では風鈴にあの舌の部分がなかったそうです。
つまり鐸(さなぎ)の部分だけだったわけです。そういえば銅鐸がまさにその形ですね。遠方の山の向こう(外)から自分の内にやってくる神々の音連れを軒先に下げた鐸を震わせる幽かな気配音によって知ったと言われます。

また、「音」という文字は「日」が「立」つと書きます。日が東の地平線に立ち昇ることが「音」だと。
太古、日本人は日の立つ音を文字通り聴いていたととるべきかも知れません。しみじみと或いは畏敬の念を持って。「聴くこと」自体、変質してきているはずです。

「創造的なミュージシャンを私流の比喩で言えば”ラジオ受信機”となる。決して”放送局”ではない。」(ロバート・フリップ)

内語を聴くのに耳は使いません。本当に耳を使うこと、これは極めて創造的な行為になるはずです。
「聴く」というより「成る」ような。巫女のように。

人は自然界の音そのものを聴くのは不可能だそうです。何故なら、誰もが耳から音波(1000~2000ヘルツ)を出しており、その音と外界の音とが干渉し合って生じるパタンを音として聴いているようです。となると音を音として真に聴いているのは少なくとも耳ではなく、脳、いえ精神と言えます。

聴覚は皮膚から耳が発生したように、感覚の中で視覚とは対照的に受容的な器官です。しかし参照波を常に発し、触覚で物を捕らえるように音を捉えています。その音は空間的に構築されます。

スピリトゥスは大気という意味でもあります。

「地球大気の組成と温度は驚くほど安定しているが、大気が生命圏そのものと何らかの繋がりが在ると想定しない限りその説明はつかない。つまり、大気は地球上のありとあらゆる生命の総体と結びついている。」(ジェームス・ラブロック)

大気層まで含めた地球の全体をひとつの巨大な生命圏(ガイア)と捉えるラブロックに習えば、私たちは大いなるスピリトゥスの中の数々の鐸のような存在でしょう。(ある人は鐸ではなく竹輪だと言っていましたが、確か糸井重里だった、意味は同じでしょう。)

内なる鐸が幽かに騒ぎます。

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音についての存在学 断片補遺1

Air.jpg
分子間距離が音の波長以下の分子密度をもつ空疎な空間では音は伝播しません。10万km上空になると音の存在はなくなります。音は、大気圏内に現象します。ちなみに大気圏は概ね500km以下とされています。

大気圏内には、ヒトの精神を伝え育む音声をはじめ、多様な音が鳴り響いています。音楽もそのひとつ。

しかし地球には音を必要としないものもいます。魚や亀に耳はありません。「ガメラ!」と子供に呼ばれてヒョイっとそっちを向くガメラは、少なくとも、亀ではありません。

一方、ヒトにとって、中世までもっとも優位に置かれていた感覚は、聴覚でした。神の御言葉を聴く。本を読むのは音読を意味した。等、、、。

またヒトによって、優位感覚は異なります。聴覚系のヒトは相手のちょっとした声の変化やイントネーションなどにも敏感です。騒音があると集中できないので、何かをするときには静かな環境を整えることが必要になります。耳から入ってくる情報が学習の元になるようなヒトです。

「すべての芸術は音楽の状態に憧れる。」という言葉があります。音は輪郭を形成しません。この音、あの音などといった言い方は誤りです。音は距離をもって捉えられるものではなく、常にやってきているものです。音は具体性から解放された、極めて抽象的で直接的な力です。詩はまさに!

視覚優位にある現代、物事はことごとく空間化(対象化のための距離感覚のもとに統合)されがちです。しかし音は、持続(時間)に属します。

音は自立しません。音は律動します。自然界の諸現象に深く結びつき、生命現象については、それをもってはじめて生命と呼ばれる本質的なものです。種としての律動、個体を形成する諸器官の律動、器官を構成する諸要素の律動、そして分子レベルにおける諸律動、さらに諸個体の個性としての律動、つまり精神という潜在する持続、これも音声を常に伴う律動です。

とは言え、「音楽」というものは、わたしたちの内でイマジネイションの力により空間的に構築されはじめてそれとして聴こえるものです。モーツァルトの一度曲を聴くとすぐに全曲暗譜できる才能もその空間マップによるものによると言われます。

音は耳障りなノイズともなります。いえ、もともと音はノイズでしかなく、わたしたちがそのノイズの洪水のなかから有意味な、あるいは可聴範囲(20~2万ヘルツ)のものを所謂「音」としていると言えましょう(可視光が電磁波の一部であるように)。風のそよぎがときとして何か恐ろしい呪文に聴こえたり、聴こえるはずのない低周波(7ヘルツ)が体にひどく悪い影響を与える例もあります。それを研究しようとして内臓がドロドロに溶けたヒトもいたそうです。

われわれの世界音=地球音

「われわれひとりひとりは全生物界と同じほど古く、そしてわれわれの血の流れは、生物界のすべての記憶を集めた大海の支流なのである。」(J・Gバラード「沈んだ世界」)

ヒトのからだは、原始地球に発生した生命音(律動)をそのまま数え切れないほど宿しています。例えば、細胞内にまだ完全に融合していないような形で(共生的に)重要な役割を果たしているミトコンドリアや血液中の白血球、それにRNAも太古ウイルスとして飛来し、生命維持になくてはならない存在(要素)となったと言います。1980年レトロウイルスという逆転写酵素をもったRNA型ウイルスが発見され、宿主のDNAの遺伝情報を勝手に書き変えることが分かりました。エイズです。

とは言え、それと共生関係を結べば、それなしで生きれない新たなヒト(ニュータイプ)とわたしたちはなることでしょう。
人類はこれまで何度もそれを経てきているようです。
存在の数だけ律動があります。存在とはレベルを異にする他者との絡み合いの過程で現象します。

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眠らないこどもをねかすために

sakura.jpg
我が家では、双子の娘は必ず私がお風呂に入れています。
娘が私でないとだめだと言うからです。
何故なら、頭を洗うのが誰よりも上手だからです。
娘も安心できる。
私も少しばかり、嬉しい。
でも毎日のことです。

娘2人は、近くの公園はバーバと、遠くの公園はパパと、と決めています。
休みの日など、娘たちを連れて遠くの公園に行き、ブランコと滑り台とジャングルジムを
文字通り死ぬほどやり、いえ死ぬほどつき合わされ、呆然として車で帰宅します。
これは休日のことです。
しかし、その後は。

お風呂。特に長女は風呂好きで、なかなか出ません。
アヒルと遊びながら、いっぱいおはなし尽きません。
もう出る?と聞いてうん!と言われた頃は大概のぼせています(私が)
それから夕食、歯磨き。これも私の大切な仕事です。
そして、寝付かせる。

実は、これが一番の大仕事なのでした。
ねない!
もっと遊ぶ、と言って聞きません。
次々に無理難題を押し付けてきて、「じゃあ寝ない!」

車なら良く寝るので(特に次女は)
それから延々と夜のドライブにお出かけしていました。
兎も角、彼女らが寝ないと、私ひとりの時間は生まれないのです。
ドライブでは最終的に寝ることが多いですが、
時間はそれなりにかかってしまいます。
少しでも子守唄になればと思いいろいろな音楽をかけます。
その結果、分かったのは、
2人のお気に入りが、手嶋葵と遊佐未森ということです。
よく音楽と一緒にうたっています(特に長女は)
お歌が聞こえなくなるとホッとして帰宅です。
とは言え毎日のいえ、我が家の深刻な課題でした。

毎晩のドライブはさすがにキツイです。
なかなか長女が眠らず、そのまま帰宅のケースもありました。
でも、手嶋葵と遊佐未森の音楽は特別な効果が認められることは分かりました。
落ち着くのです。沈静し覚醒します。α波とか1/f揺らぎとか環境音楽いろいろかけても、
沈静は愚か、騒いだり泣いたり怒ったりしていたのですから。
クラシックは音のレンジのゆれ幅が大きく車では無理です。
結局、よい歌声と楽曲そのものが入りやすいもの
勿論、それらが融合して質の高いもの、という認識を得ました。
何より私が好きなんですから。(日本のものはほとんど聴かない私が)

そこで、私なりに2人の偉大なミュージシャンのBEST版を作ることにしました。
より効果的にドラマチックにでもやりすぎずに自然に入っていくように、
構成してCDに書き出し、ベッドルームに静かに流すことにしたのです。
すると、
その音楽で2人はたちまち、すやすや眠りに落ちてゆくのです。
100パーセント寝付きます。熟睡します。夏でも冬でも。
とてもよい寝顔で。娘の寝顔ほどかわいいものはありません。
それから毎晩です。

車にわざわざ乗せていたのは、何だったのか?

自分たちからベッドに入って、「ねえ、音楽かけて」
後は、アンプのスイッチを押すだけ、5分から10分です。
眠りにつくのは、です。
でも寝たからといって直ぐに音は切らないほうがよいです。
そのまま最後まで聴かせてあげる。
彼女らは最後のほうの曲をよく知っています。
睡眠学習ではないですが、入っているのですね。
よいものが、深いところで入っているのです。
そう想います。

今では私はブログなどする余裕も生まれてきました(祝)。
人生にとって一番大切なものは時間です。
生きられる時間(ミンコフスキー)です。
今を深く実感できる生を生きること
これは私にとっても、娘たちにとっても
よいことです。

育児日記でした。

無料レポートではないですが、どういう構成のベスト版か
興味のある方、子供の寝付かせでお困りの方、どうぞお気軽にご連絡くださいませ(笑)。
お教えします。お試しください。
なお、誰にも万能であるかは、まだ分かりません。
また、それに付随する諸条件もあるかも知れません。
こちらが気づかない潜在するPRE作業とか何らかの環境的要因等。

でもストレートに音楽のおかげだと想っています。
音楽の力だと
再現性は高いはず!
私はアフィリエイターか?(笑)

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THEME:音楽のある生活 | GENRE:音楽 |

NOSTALGHIA

lake.jpg
また昔話になりそうです。すみません。それも相当古い。

先だって娘が私の青いクロッキー帳を持っていたお話をさせてもらいました。
そのときすでに彼女らは、作ったことも忘れていた同人誌(笑)も入手していたのです(恐)
お絵かき用にとって置くつもりだったのか?(彼女らには文字はノイズか?)
ボロボロだったので、にわかにそれと判断出来なかったのですが、”InvisibleCollege No.1003”(薔薇十字か?)
でした(笑)その当時、ルドルフ・シュタイナーに入れ込んでおり、中でもアーカシャー年代記の空前絶後の圧倒的内容にただただ幻惑されており、神智学というものに傾倒?しておりました。
それらについては、そのうちに。

今回は、書庫など久しぶりに掃除すると、こねずみが喜ぶという話ではなく、タルコフスキーのノスタルジアについて、かつて私が学生時代書いたことを、自分のために再度ここに書き写しておきたいというだけの話です。
何とそれ以前に出した同人誌もタイプを外注していたのに、これは手書き印刷なのです。
今と関心の方向が同じだし、とりあえず残しておきたい、と言うだけの行為です。すみません。
「ノスタルジアを読んで、一言」というだけの題。

部分あるいは、一要素が文脈のなかから異様にはみ出ていたり、物語がどうもつかみにくい、端的に言えば、わけが分からない映画というものを観たことがあると思います。しかし、わけは分からないが、何か心にズシッとくるものがあった、妙に心が騒ぐ、と言った経験も一度や二度あるのではないでしょうか?

日常生活では分からないことがあっても、別に気にしないで過ごしてしまうことは容易です。何かしっくりしない事柄に出会っても、自分のよく分かるところ(よく話の分かる友達)だけに関わっていればよいのですから。しかし映画を観たり、本を読んだりするとなると、分からないことについては(それを投げ出さない限り)首を傾げながらも付き合わなければなりません。まず、それをつきつけられているのですから。

では、分かるとはこの場合、どういうことでしょう?ひとつには物事を明確に分けてそれを並べて整理できない、、、物語にならない、、、というところにあると思います。そしてそこに誰もが苛立ちを覚えるのではないでしょうか?物語、、、言説の持つ線状構造、、、にうまく絡め取れないと不安になってしまう。

しかし、日常的な世界自体、関わり方、意識の持ち方次第でいくらでも異なる(時に不安な)世界に変質するものです。映画も日常的な意識でスムーズに追って楽しめるものが多いです。でもここでお話しする「ノスタルジア」は違います。かと言って楽しめないものと言う意味では全くありません。質の異なる楽しみ方が出来ます。

ノスタルジアにおいて、所謂日常性の中の局面、夢と現、内と外、部分と全体、時間と空間、見るものと見られるもの、、、等の遠近法的な関係が全体として崩されています。ノイズも沢山あり、主と従の関係も定かではなく感じられます。でも物語は単なる混沌や無秩序とは明らかに異なる稠密さと郷愁に貫かれてゆきます。

主人公のロシアの作家がイタリア・トスカーナにいるはずなのに、唐突にロシアの故郷の風景の中にいたり、鏡に映った顔が彼が興味を寄せる誰からも排除されている狂人(但し、作家は宗教者と呼ぶ)の顔となっていたり、、、その映像が彼の内面なのか外界の光景なのか、戸惑う場面は数多くあります。
また、水、雨、ワインの空瓶、自転車、扉等の物たちがオブジェとして異様に鮮明に、まるで異なるレベルの現実法則の元に存在しているように見えます。少なくともそれらは、物語を進める上での道具立てではありません。文脈を解体して自らの存在を浮き彫りにしていると言う他ないのです。

この映画の構成が分かりにくい、物語性が希薄と言うより、わたしたちの日常生活もこのようなあり方をしているのではないかと視線が逆照射される説得力・物質性をこの濃密な映像はもって徐々に迫ってきます。
世界は物語(起承転結)の中に収まるものではなく、何時でも部分は全体を呑み込んでしまうし、わたしたちにとって明確に区別できる内と外などないし、時間と空間も人の作り上げた悟性形式に過ぎない。
そんな考えが強烈な郷愁と共に実感を伴ってくるのです。

この映画は特定の思想を伝えようとするものではありません。何事かの再現でもないし、描写でもないです。唯、自明性を覆し世界の実相を感じさせようとする。タルコフスキーはそれを「世界感覚」と呼んでいます。別のところでは「詩的関係」と述べます。
この映画の中で問われる言葉「幸福より大切なものがあるのが分からないか」
これがずっと残ります。

もともと人は一義的な論理で言い表せない世界感覚を詩によって描いてきました。詩は分かりにくいと言われがちですが、単に実相に出来る限り近接しようとした、または限りなく精確に世界を描ききろうとした結果と言えましょう。
自己実現とか自己表現などと言うレベルのものでない限りは。

タルコフスキーはそれを映像をもってしました。
他にも水やワインの空瓶が現れる映画は勿論ありますが、単なる書割ではなく異質な固有の時間性を湛えた水やワインの空瓶は見られそうでいて実際なかなか見られません。ワインの空瓶が時として物語全体を飲み込んでしまうかのような不安を醸す程の物質性を放っているなど。

いろいろな事柄がわたしたちの計り知れぬところから漂ってくる気配と共に引き起こされます。そして気配が飽和状態を迎え、カタストロフの予感に耐え切れなくなるとき、雨がザーッと降ってきたり、水溜りに倒れた自転車が煌いていたり、ワインの空瓶や止め処ないお喋りが、これまでの気配を引き取っていきます。
そんな事が何度か続く何か幼い頃の白昼夢を想い起す世界。

しかし、終局は突然訪れます。夢からハッと醒めるかのように。
火がそれまでこの映画世界を支えてきたロシア作家の影のような存在である「狂人」を呑み込むのです。
世界の救済を石像(マルクス・アウレリウス像)の上から切々と訴えた後の焼身自殺です。
ガソリンを被って「音楽を!」(第九が鳴ります)と叫びライターで火を点ける、この何とも言えない行為。

もう話も終わった、と思える蛇足のような場面で(多分舞台なら明かりは消え、幕も閉まった後で)ロシア作家は小さな火を蝋燭に点して温泉をこちらから向こう岸へと渡り始めます。狂人が生前、焔を守りながら温泉を端から端まで渡りきらなければならないと言う強迫観念(宗教的要請)を何度も何度も作家に訴えていたのです。「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される。」

作家が数歩、岸から離れるたびに風が火を吹き消します。すると、また元の位置に戻っては火を点け直し、また渡ってゆきます。何度となく風は火を吹き消してしまい、その度に作家はやり直す。時に後ろ向きに歩を進めてみたり、もどかし気に火を点しては手や外套で風を遮り、幾度も幾度も汗をかきながらやり直す、この何とも言えない行為。狂人ー宗教者の死んだ後、作家はついに課せられた行を達成します。作家はその後、安堵したように倒れます。彼も不治の病をもっていたのです。
しかしこういった行為ほど、わたしたちの同化できる行為はないのではないでしょうか?私は彼と共にもどかしく、火を点し、体で風を遮り、幾度も幾度も身を運ぶ思いをしました。

カーチェイスや恐怖映画のクライマックス等でワクワクドキドキするような距離を明確に置いた場所で楽しむこととは明確に違うこの次元こそが詩的関係と呼べるものでしょう。
詩人の岩成達也も、真の詩は行為によるもので、読者の身を運ぶものでなければならないといったことを説いていました。

ひとり蝋燭に火を点し温泉の中を最後まで火を守りながら横切るという何とも言えぬ愚かしい行為こそ、この世界を全体として支えている何かではないかという気持ちが禁じえなくなります。「狂人」と呼ばれる意味付けしようのない者たちの存在と共に。

*物語性の解体と言う点では、アラン・ロブグリエ原作「去年マリエンバートで」監督アランレネがいます。
*物質性と光に拘る監督にはブレードランナー、エイリアンのリドリー・スコットがいます。
*異なる意識レベルを追求した作品に「アルタード・ステイツ」(ケンラッセル監督)があります。
この後、タルコフスキーのその他の作品についての紹介が入りますが割愛します。

以上、同人誌の文面をそのまま打ってみました。スカスカでしたが、どうしても打っておきたかった。
打ちながら思い出すことがいろいろあり、私にとってよい時間でした。
みなさんにとっても何やら想いを導くところがあれば幸いです。

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THEME:哲学/倫理学 | GENRE:学問・文化・芸術 |

YAMANASHI

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マクラーレンホンダ復活だそうですね。かつてアランプロストとセナの競り合いはTVで欠かさず観ていました。
本当に興奮しました。何はともあれ、またあのような感動が味わえるかどうか、、、期待します!

ハリウッド3D映画が廃れてきたそうですね。
3D技術に頼れば良いというものではありません。

私も家の娘も、一番じっくり飽かずに何度も観ているのは、ジャストシステムから20世紀に出された、
宮沢賢治のパソコンで観る絵本シリーズです。圧倒的に格調高く、極めて繊細で美しいものです。
平面的でありながらイマジネーションのレイヤーが幾重にも積み重なってくる逸品です。
このシリーズ(1990年代)以降、パソコンメディア・プレイヤーの発達は目を見張るものではありますが、
面白い、よく出来ていて見応えがあると言う点では、後発のものなど問題外の素晴らしさです。
いまだにNo.1の出来であることを断言します。特に「やまなし」は特筆ものです。我が家の宝のひとつです。
ちなみにナレーションはあの松田勇作の奥さんです。非常に心に染み入る禁欲的な語りで(自己主張が抑えられていてその世界に沈潜しやすい)素敵なものです。
98でしかもクイックタイム2.1でないと観れないため、XPにバーチャルPC2007のエミュレーション環境で観ています。今の環境で観れる同シリーズ再版が出てくれることを望みますが。なんせXpもサポート終了で風前の灯火ですから。でもどうであれ、スタンドアローン環境でやはり観続けるでしょう。
良いものははっきりよいのです。観るまでにちょっとめんどくさいだけで。
何より内容・形式が極めて高いレベルで融合していることが肝心であると思います。

内容はともかく、3Dにすれば儲かるという姿勢はイージーすぎますし、客も興味は持ちません。
DVDで観たばかりの作品をまたすぐに3Dで見せようなんて、、、
3Dは高いですし、わざわざ足を運んで観る価値があるかどうかでしょう。
もう3Dだけで人が呼び込める時代ではありません。
むしろ過剰に説明的でイマジネーションを拒むような暑苦しい3Dに辟易しています。
形式・技術だけを拾って、みな総出で作ってしまうため、すぐに同じものが巷に溢れかえる。

ディズニー頑張ってください。
と言うより、ピクサー、ディズニーから独立しなさい。
appleに戻りなさい。それはないか(もともとappleのものではなくJobsの会社でした)
少なくともJobsはこんなまねさせるはずなかった。
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Time

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いまごろ出番のはずなのに。

David Bowieのアルバム”Aladdin Sane”にあった”Time"をtitleにしてます。
とは言え、David Bowieの話でもこの曲について書くわけでもありません。
”時間”で思い当たったことを覚書として書いておきたいということで。

ひとつだけ挙げておきたいのは、私の敬愛するSF作家、JGバラードのものです。
バラードはある意味、一貫して時間の問題を主題に或いは根底に据えて小説を書いていたと思います。
特に初期は。
顕著に現れるのは、「沈んだ世界」「燃える世界」「結晶世界」の長編3部作と「時の風」のような短編でしょうか。

彼によれば、線状的(リニア)な時間は、同時的な連続体である世界に我々の与えたひとつの遠近法に過ぎない。ただ膨大な出来事の系を分類して貯蔵するためにつくりあげたものだ、ということです。

すべては同時に起こっている。宇宙のすべてのことは、一時に起きてしまった。
こう書いている文が正に線状的(リニア)構造(制度)です。
言語を持たない生命体にとって世界・時間とは、という問いはそもそも意味がない。
原生的疎外に対する純粋疎外の次元が言語なしに成立し得ないことからも。
自己対象化つまり心についての心が生じなければ、その有り様を描写できない。
それが可能となる、つまり自然から疎外されることで、幻想にとりこまれる。
言語により時空間に遠近法を張り巡らす人間とは何なのか?
等質時間と等質空間の檻中で。
強度な共同幻想。
エッシャーの無限階段のなかの囚人のように。
これこそ人間の人間たる極み。
(とは言え、驚異だがバラードのように言語・論理によりそのことを析出してしまうヒトもいる)

「結晶世界」の稠密な郷愁。

遠い銀河の果てで、物質と反物質がぶつかり合い大爆発が起き、全宇宙から時間のストックがなくなって、ありとあらゆるものが結晶化してゆく世界。

何故、今までにこの小説が映画化されてないのか?
アラン・ロブグリエの「去年マリエンバートで」も映画化されているのに。
創れる監督がいないか?
リドリー・スコットでは?

いまごろ出番のはずなのに。

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hoki

hoki.jpg
私が少年期に共に暮らした猫です。
雪白の猫です。
神々しいほどに美しい猫でしたが、残念ながらこれしかデータが見つかりません。
とてつもなく賢く、いつも私の考えを何故か先回りして動いており、
とてもヤンチャで喧嘩好きで
長く真っ白いしっぽをスッと立ててトントントントンと音もなく歩いてきました。
鳴き声もとても複雑でまるでことばでした。
いつも私の膝で私のやることを見守ってくれ、一緒に寝ていました。
後にも先にも、もう出会う事はありません。
これほどの猫に。

ですから、"hoki"と別れてから、まともに”猫”と暮らしたことは、
ないですし、猫を意識しなくなりました。

それからだいぶ経ってですが、マルハのCMで「猫の民子」が流れました。
浅田次郎のです。バックには岩井俊二(LoveLatter)でお馴染みの?チャイコフスキーの弦楽セレナーデ。
あまりに自然な音楽で、流れているのに気付かないほどでした。
「ただ一言の祝福を告げるために、一度だけ戻ってきてくれた。」
hokiも姿を消した後、まさにそのように一度だけ戻ってきてくれました、、、
ほんの一時だけ。

涙なくしてみれませんでした。
後で本にもなりました。CMが本になるのは珍しいことだと思います。
他にAppleの”Think Different”等の感動的なCMは在りますが、いまだに私のベスト1のCMです。

話は逸れましたが、hokiとは、ホーキ星からとっています。
ですからたまたま軌道は逸れてよいのです。
そして気の遠くなるような道程を経て、邂逅するのです。
56億7千万年後。
彗星。ま白い彗星。hokiです。

彗星はアリストテレス以来2千年間、星ではなく気象現象の一種と考えられてきました。
さらに、夜空を長い尾を引いて横切る姿などが恐怖の対象とされ、疾病、飢饉、戦争を引き起こす「不吉な兆し」
とされたり、マルチン・ルターの時期は、人の罪が天に昇り神の御前で火となって燃える姿にみなされて来ました。やがて、チコ・ブラーエの観測により彗星は月よりも遥かに遠いところを巡っている星となります。その後、フレッド・ホイルとチャンドラ・ウィックラ・マシンジの共同研究により、生命の揺籃としての地位が与えられます。複雑極まりないタンパク質分子が生じ、それが自己複製能力をもつまでになるには地球の年齢では全く足りないため、生命誕生の根拠が彗星内におかれました。彗星の核内なら宇宙線によって、生成された物質が分解されることなく分子合成のための時間が永く与えられます。彗星は常に宇宙空間をチリをその長い尾から振り蒔きながら巡り続けています。地球上にも丁度良いタイミングに湿地帯にそれが蒔かれたはず、ということです。「生命は宇宙から来た」のです。神の恩寵か。

彗星は全天からほぼ均等にやってきます。
なにものにも平等に。
オールトの雲と呼ばれる球状に分布する場所からだそうです。
本当に生命の芽吹きがそこに始まるのなら
生と死のカルマもそこに生じました。
死、別れという謎。一期一会。絶対他者へのエロス的欲望。エントロピー増大。
そもそも時とは?

失った”もの”にもう一度、邂逅したいという祈り。
失われたものを取り戻したい、という願い。
われわれはもしかしたら、そのために、そのためだけに
生命を燃やし続けているのかも知れません。
時間を逆行したい。ネゲントロピーとは本来そういうもの。

「亡き女王のためのパヴァーヌ」
ラベルのピアノ(後に管弦楽曲にラベル自身により編曲された)曲は
「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、
「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」の意味である。
とレコードの解説には決まって書いてあります。
亡き人に捧げられたオマージュではないのですが、
あまりに繊細な美が奏でられます。
晩年、ラヴェルは自動車事故で重度の記憶障害となりました。その後、この曲を聴いて「この曲はとてもすばらしい。誰が書いた曲だ。」と感動して言ったそうです。
こんな皮肉な邂逅もあります。

どんな形であっても、hokiには逢いたい。
こちらが気づかなくても。
彼女が気づかなくても。
最近、しきりに想うのです。

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DECADE

Saturn.jpg
早いもので当ブログを始めて、10日が経ちました。
形式がなかなか定まらず、ジャンルも当初はっきり絞るのが難しく、書きたいままに来てます。
かなりの低空飛行で。
もう少し書いてから整理しようとは思っています。

決まって書きたいこと書きすすめていくと、ジャンルには治まらなくなります。
交錯・横断・接続・連動が起きます。
そしてリゾーム。
ツリー状に整理して書ければ分かり易いかと思いますが、
ノイズも出てきてやはり気が移ります。

書きたいことは、ITや自然科学やSF文学、それに現代音楽、Rockなのですが、
ここのところ、育児日記みたいになっています(汗)。

娘の存在なくして、私の生活があり得なくなっていることは確かです。
私の生存そのものが、かも知れません。
理由はないです。

DECADE 私の10年以上前に作成したHPの名前です。
あの頃はトップページにきまって”ブロードバンド推奨”なんて入れてましたっけ(笑)
再び戻って来た感はあります。少しづつ。

そう、思い出しましたが、マンガについてもその頃、幾つか書いていました。
岡野玲子、諸星大二郎、山岸涼子、、、が特に好きでした。
力んで感想を書いていましたが、私の資質が基本的にストーリーに弱いので
強力なストーリーテラーに魅かれるんですね。
バックボーンの体系だった思索、思想もさることながら、それを稠密なモノガタリに展開出来る
力ですね。

絵も勿論、圧倒的!お見事です。岡野さん、山岸さんはまだ追従者の出る余地はあろうかと思いますが、
諸星氏は孤高ですね、星野さんは沢山の追従者を出しましたが、やはり”絵”がそれを決めるでしょう。
勿論、内容的にも古典、文化人類学、科学等の尋常でない造詣を元に展開され、
独創的な異形の発想などにしても、それだけでも真似は困難ですが、
やはりあの一目で諸星氏と分かる“絵”です。
あの諸星氏の絵はコミックアニメの作家が時折真似してましたが、(つげ義春を真似するみたいに)
まずうまくいきません。誰もまともに真似できません。
手塚治虫氏も「諸星さんの絵だけは描けない」と述べていたそうです。

諸星氏の作品に優劣などつけようがありませんが、私の特に好きな作品は、「生命の木」です。
当然、ご存知の方も多いと思いますが、とりあえずあらすじだけ、Wikiより引用しておきます。

東北のある地方の隠れキリシタンの里が物語の舞台。「はなれ」と呼ばれる集落には、独自の創世記が伝わっている。それによると、太古、人間は楽園で暮らしていたが、禁断の果実を食べた咎で「でうす」の怒りを買い、楽園を追われたという。このうち「あだん」と「えわ」の夫婦は知恵の木の実を食べたが、もう一人の人物「じゅすへる」は生命の木の実を食べたという。このため「じゅすへる」とその子孫は神と同様に不死身となり、この事を憂えた神は「いんへるの」を開き、「じゅすへる」の子孫は生まれてから一定後に「いんへるの」に落され、「きりんと」が来る日まで尽きぬ苦しみを味わうのだという。

若き考古学者である主人公は、そんな「はなれ」の里を地元のカトリック教会の神父と共に訪れようとしていた。神父の話では、この里も江戸時代に切支丹弾圧の嵐を受けたが、不思議なことに一人の殉教者も出ていないとのことだった。さて一同が村に着くと、何故か人の気配がない。一人だけ残っていた老人・重太に尋ねると、「いんへるの、いっただ……」と答えるばかりで要領を得ない。不思議がる主人公や神父の前に、妖怪ハンターこと稗田礼二郎が現れる。

稗田は村に残る創世記と、3日前にこの村で発生した殺人事件を結びつけ、村の伝承が現実になろうとしていると語る。実は、殺された善次という男は十字架上で磔にされていたのだ。スキャンダルを恐れた神父は密かに善次の死体を十字架から降ろし、十字架を処分していた。重太に導かれるように村の奥の洞窟にたどりついた一行の前に、「三じゅわん様」と呼ばれる奇妙な3人の男が現れる。彼らが「い、いんへるの」と震える指で指差す下では、数限りない亡者の群れが蠢いていた。

一行は「いんへるの」を目の当たりにして確信した。一般に知られるキリスト教の聖書で語られる救世主キリストは、「あだん」と「えわ」の子孫だけ救うものだ。だからこそ、地の底の「いんへるの」に落された「じゅすへる」の子孫達を救う救世主が必要であると。と、重太が「ぜずさま!」と絶叫に近い声を上げる。そこに現れたのは、十字架にかけられ殺されたはずの善次だった。3日後に復活した救世主である善次は「いんへるの」でうごめく人々に、

「おらと いっしょに ぱらいそさ いくだ!」と呼びかけるのだった



ストーリーだけでなく、絵で魅せる感動的な作品なので、まだご覧になっていない方は是非、ご覧ください。確か映画にもなっていたと思います。でも使えない言葉もあり、また今後映像化されるにしても自主規制とかが入り、中身が貧しくされなければよいですが。

マンガの方に話は逸れましたが、”ブロードバンド推奨”から昔話にスリップしました、ここで一区切りをつけ、
今後に向け、ひとこと。
まず、カントが4つのアンチノミーで論じていたことを確認しておきたいと思います。
世界は単純なものか、世界に始まりはあるか、自由はあるか、神はあるか、に原理的に理性はこたえられない。
理性はどちらも説明してしまう。中世の魔女狩りしかり、今話題の松本なにがしのオウム真理教しかりです。
いえ、普通の生活しかりです。ああ、現象学が出てきてしまうか?

ただ基本的に、そのヒトが何を信じて何を望んでいるか、何を識っているか、によって世界は決まる。どんな世界でもその内では論理は整合性をもってしまう。最初に書こうと思ったことです。ここは押さえておきたい。
AnotherSideStoryにリゾーム状に乗り換えて行けたらと思います。
(ジャンルやタイトルは相変わらずで行きそうだ)

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Low-altitude flight

Kaleidoscope

娘が、最近娘がひっきりなしに出てきますが、ページを破りながらがむしゃらにクレヨンで何やら描いているので、何を描いている?とその青いクロッキー帳を覗いてみると、何とそれは私が大学時代に愛用していたものではないですか!懐かしい、、、と言うかそれどこにあって、どうして見つけて、何でつかってるの?ちょいと、もっとだいじに扱ってよ!

詩画集の最初の下描きがそこにはあって、長女の豪腕タッチとペン書きの私のか細く震える線が絶妙なハーモニーを醸す訳なく、ほとんどの部分を紺と茶、ピンクの彩雲と言うより暗雲に呑まれ、時折私の線描と文字が切れ切れに、息絶え絶えに顔を出すというモニュメンタルなコラージュ作品が出来つつあるのでした!なんとやってくれたな!

娘たちの作品は描き上がる度に最近は整理し保管し、飾りつけ、一時期何を思ったか憑かれたように買い捲った”アイズピリ”の絵を少しずつ押しのけ、娘の作品が場所を占めだしている今日この頃なのですが。今回のはいただけない。

すぐに違うスケッチブックを与え、そのクロッキー帳を確認すると、まだ4ページは無傷で、元何を描いてあるのか判別できるのが3ページだけ。後は壊滅的被害を受けていました。事故です。

しかし、それでも昔描いたと言うか書いたものは恍惚と見入ってしまいます。すでに全く他者の作品でありながら、やはり私の作品なのです。痛手を負っている分、修復技術者のように丁寧に見ます。

その間、その作品のレベルがどうのと言うのではない次元で、とても芳醇な時を過ごす事ができたのです。病気のときのために予め自分の血液を保存しておいたかのような、今の自分ではないのに何ら違和感を起こさせない、ましてや拒絶するような要素の全くない、それは今の私のための薬とも言えるものでした。

もう描けないけど、やはり自分のものであり、なお今だ一部であり、認める認めないなどの選択の外、無条件でとてもかわいい大事なもの、まるで娘のようなものなのです。娘も言わば私の作品といえばその通りです。作品はすべて無意識の契約によって産声をあげ、そうであるからこそ、宿命的なのです。

”それ”を再び見せてくれた娘に感謝し、どういう意味でも文化的な気づき?発見は”事故”により起きますね、また再び娘の手に渡らないように隠しました(笑)。

最近、ドライブに行く暇があまりないので、気になった後半やられた詩画集を。

"無彩蝕"というもの

水晶球に入った薔薇の花びらに稲垣タルホの本に添えられるような尖ったビルが幾つも包まれている絵に、詩のようなものが纏いつくように綴られて、、、います。


果てしなくつづくHighway
一定した速度は
私たちに新たなときを生み出す

心地よい眠りに似た覚醒
静かに沈んでゆくあなたの瞳に
わたしはたしかに見た 再び点る燭火を
迫り来る途方もない 世界の物語を

ほんのわずか ほんのわずかだけ
あなたの彼方に於ける苦悩を 生を 死を

わたしは垣間見た

オレンジ色のナトリウム燈に照らし出される
死の街はいつしかさらに禍々しい緑の毒に染まり始め
天空には血色の月が凍りついている

闇の奥に空いた穴さながらに
何の輝きもなく
まなうらにいくら青い鳥 青い花 青磁器の冷光を追っても
言葉が眼球の黄色の太陽に焼き焦がされてゆくばかり

残るのは焼きただれた薔薇よ
宙に解ける灰よ
すべてがすべりおちたことばよ


このあとから、かなり判読困難になり

一面の雪だ

で終わっています。
多分、その間、光の三原色からあいだの7色それぞれのイメージを
ギラギラ書き連ねて行くようです。でさいごに白で締め。

タンポポと花火の合体した絵もその間に埋められています。
それから深海魚も。その間を回遊している(笑)。

言葉が観念的で、身を運ぶ具体性に乏しい。
シートに包まれ高速時に時間が緩やかになり
想いだけが溢出し出すときの様子、あとトンネルですね。最後にトンネル抜けると雪国(笑)

自分にとっては良い時間でした。

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Strange Stroll

CIMG0420.jpg

トトロが好きなうちの娘は、好奇心いっぱい。
公園の遊具でもそうですが、やたらと小さなトンネルに入りたがります。
探検ですね。多分。
「何あれ、行ってみよ、はいろう」

私も覚えていますが、
夜、ダンプカーを押しながらついに敷居をまたぎ、隣の暗い部屋に入ってしまう
暗くて怖い孤独な探検。
娘たちの洞窟の果てに輝く眩しい世界に向けての元気で騒々しい探検は
かなり異質に想われます。

私の場合は、結局内界の迷路にからめとられてゆく行く末が見えます。
娘たちは、万華鏡の中をトトロのうたを歌いながら勢いよく進んでいきます。
出る先は最初から分かっています。
女の子は賢く愉しみます。
私はどうにもロマン派です。
ナイーブです。

彼女らは元気よく、小走りに。

とある美術館の庭園を散策中に、オブジェの中を普通に通過しました(笑)。

フランシスベーコンを想わせる、笑える写真もあります。(ベーコンの絵は笑えませんが)
ご覧になりたい方にはお見せしますね。
よろしければご連絡ください。面白さは4つ星です。

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Title

どうやら、タイトルというものは、簡潔に総括的に内容を示すものであり、
それを見てたちどころに、内容が把握、想像出来るものであることが基本のようですね。
アフィリエイトなどはそれが鉄則で、しかも左側・文頭に主となる単語が位置し
すぐ後に具体的な数値・成果が明確に示されていなければならないと言います。

わたしのは、タイトル読んで何を云わんとしているのか、何が書かれているのか
まず、判るものは少ないはずです。
読んでからタイトルを味わってもらうことがお勧めですが、、、。
そんな暇な人、いない事は承知しています。
位置的にはメタファーまたは象徴ですね。
詩の題と思って頂ければ助かるのですが。

私の場合、画像が本来のタイトルの役目を担っていると言えるかも知れません。
そうでもないものもあります(単なる挨拶代わりのような)。
とりあえず、画像で内容の異化、イメージの放逸は止めるように心掛けています。
どうでしょう?

何れにせよアフィリエイトはとても無理ですね。私がやったら1円も入らないでしょう。
と言うより、検索にかからず集客ゼロか?

何やらいい訳めいた事を書き連ねておりますが、実は一昨日、ブログ村というサイトを訪ねました。
ご存知の方も多いと想いますが(私ははじめて)、大変巨大なスペースで、なんと言うのか”村”でした。
村長さんという方も居られるくらいで。システムの充実したコミュニティなんですね。
私が勝手に師と仰がせてもらっている方に習い、登録させてもらいました。多分出来たと想われます。

そこで私が立ち往生したことは、タイトルではなく、ジャンルです。
数あるジャンルの中から選ばなければならないのですが、ないのです。ピッタと来るのが。
私のものは結果的に、つまりタイトルの在りようのように、結果的に生まれたことを確認する
と言ったものなので、あえて言えば存在学なんですね。オントロジー。

でも毎日オントロジーしてたら、朝起きれなくなるので、しかも選択肢ないので、
"LifeStyle"と言うのが見つかったのでこれにするか、と思いました。
でも考えてみると、それで検索して来た方が肩透かし、となるな、と。
かなり疲れて、寝てしまいました。
最近、何事に対してもすぐに疲れ、寝てしまうのです。耐性がない。普通には根性がない(笑)?

そうだ!スッポンでもアフィリエイトしよう!
これなら、その気になって無料レポートとやらも書けるかも?
栄養ドリンクは結構好きだし。1日1本守れないし、、、。

何の話だったか?

私の本質的な問題・テーマは、
テーマがない、こと。
さらに書くことが実は何もない、と言うこと。
これまでも書き終わるまで何が書かれるのか分かっていたことない。
でも、書きたい欲望はあるのです。無意識に。
自閉せず、耳を済まし、目は開けたままでいたいと思います。
何が写し撮られるかは分かりませんが、解像度を高めていくつもりです。

ブログも5月3日から始めてもう一週間過ぎたので、振り返ってみたのですが。
今後行く先など分かりませんが、どうか暫くの間は温かい目で、宜しくお願いします。

taitle.jpeg

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Foxtrot

双子02

2人はわたしのiPhoneで、お絵描きするのが大好きです。
余りに背景を考えない2人のスナップ写真に、加工を施してもらいました。

ハートに切り抜いたのは、わたしですが
その他は、基本的に2人でやりました。
保存寸前にバランスを少しなおしました。

この写真のポイントは勿論、風船です。
はじめて風船に顔を描いたので、少し興奮気味です。
とても得意になってます。

確かにはじめて風船にペンで線を引く時、
ドキドキ感はあるでしょうね。何とも言えない感触。
跳ね返る感覚、それはわたしもキャンバスに筆を押し付ける時、
微妙な感触として残ります。あの布の抵抗、押し返し感。

わたしたちは、世界と関わる時、何らかの制作を通して関わります。
その時の感触、ドキドキしたり、気持ち悪かったり、
プチプチのように恍惚となって、われを忘れてしまったり。

それらの感覚の記憶の総体が世界の質感を作っているんでしょうね。
内容ではなく、器としての。閾としての。
生きていれば、いろいろなことはあります。
でも、基本的な枠がしっかりあれば、やっていけるはずです。

2人にとって、世界が親和的で心地よいものでありますように。
これからも、ずっと。

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Nursery Cryme

双子01

全く似てないですね、

2卵生の双子です。

4歳になります。

娘です。

普通の姉妹より似てません。
どんな姉妹よりライバル心が強いです。

容姿、個性、性格全く違い、

能力も異質で

一緒に遊んでいても
直ぐに喧嘩
です。

寝顔は可愛く、
時に、とても優しいことを言ってくれたり、
お手伝いもしてくれるのですが、
大変な芸術家で、物壊しの天才でもあります。
泣いたら手のつけようがありません。
そしてなによりも”女”です。
女という以外に属性を言い当てられません。
それに関して
文化的に身に付いたものなど僅かです。
本質的に本源的性としての女です。

娘を見ていてつくづく分かるのは、
性としてヒトはあるのだということ。
今更ながら「人間」などと言うモノはほとんど実質の無いものだという事実が
当たり前ですが、はっきりと実感できます。

人間などと言うモノはたかだかここ200年のモノですし、子供も産業革命期の発明でした。
フーコーの美しいフレーズ”波打ち際の砂浜の表情のようにやがて人間は消えゆくであろう”

まだ地球上に死が導入される以前から単細胞生物に見られる接合というエロス的行為。
それはまだ性以前の他者を本源的に求めんとする衝動であれ(ゾウリムシにもともと性はないし)、
死以前に地球上に性の芽生えはあったのでは?と想われるのです。
そんな元型的な次元と、あのアーサー・C・クラークのChildhood's End のようにわたしは
なすすべもなく彼女らを見守るしかないのか、という新しいもの(他者)を前にした漠然とした
愛情と恐怖のないまぜになった感情に中吊りになりながら
今日もこれから近所の公園にお出かけしようかとしています。
連休最後に撮った写真です。

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On The Threshold Of A Dream

NewThreshold01.jpg
大切な知人の結婚式にどうしても参加出来なかったので、絵を2つプレゼントさせてもらいました。
これが”新たな閾値パート1”です。

NewThreshold02.jpg
これが”新たな閾値パート2”です。

知人が写真を送ってくれました。

何の記録もとらなかったことを言ったら
夜中に撮ってくれたのですが、フラッシュの光の邪魔が入ることなく画像が見れます。
結構苦労されたかなと思うと、恐縮します。
今、家には新たな閾値パート3から6まであります。
これらとは作風は異なります。
ご覧になりたい方は、ご連絡ください。どんな形でも結構です。
サイズはF6。カンバスです。
リキテックスによるもの。
詩のはいっているものもあります。

では、今日はあっさり、お休みなさいませ。

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YUKINKO

音楽教科書0001mini

今から、12年ほど前の音楽の教科書です。昔の話で済みません。
教育出版から出ている公立学校の無償配布の教科書です。他に教科書会社は教芸しかないので、
公立学校の半分のヒトはこの時期、教科書改定までの期間はこの教科書を使っているはずです。
テーマが与えられ、それを元に作曲をする小4の単元です。

音楽教科書0002mini

最近はこういう事はやっていないそうです。
ここでは一つのストーリーを4つの場面に分けて、展開を図っています。
下敷きとなっている話はポールギャリコの”雪のひとひら”です。
雪ん子が冬の寒空の深い雲の中で下界の物音を聴き、目覚めます。
下界に降り立ち、冬の楽しげな幾つもの音を耳を澄まして聴き入ります。
冬も終わりを告げると、氷の張っていた川の水も勢いよく流れ始め、雪ん子も一緒に流れの中に溶けて逝きます。
川は大海に流れ込み、雪ん子も海の真ん中から春の暖かな青空に立ち上り、天に向かって還るのです。

実はこの4枚の絵、一つだけ教科書に採用されなかったモノが混ざっています。
一枚ここに無い絵が教科書には使われ、この中の一枚の絵は陽の目を見なかったのです。
このブログがアップされるまでは、本当に長い間。
この2ページは白本のもので、編集会議で検討するプロトタイプ、前段階の本のページなのです。
ところであなたは、どれが没になった絵だと思いますか?

次回に続きます、としたいものですが。

使われなかったのは、3番目の雪ん子が川に流れて逝く場面です。死を想わせるという理由だそうです。
実際、死なのですが。私の一番気に入っている絵でした。ちょっと、プレラファエル派を想わせる、、、
おこがましくも。自分で言う事ではないですね。
替わりに差し替えた絵は、雪ん子がニコニコしながら泡立つ水の中に溶けていくものです。
どちらかと言うと、シュールではあります(笑)。でもその分抽象的な画像になっています。
そちらは今回紹介は省かせてもらいます。
今回の目的は、一度も公開されなかったページをお見せしようというモノですので。
そうだったのか?

今現在は、教育出版の中学の教科書及び器楽の副読本計、4冊の表紙を描いておりますが、
それは現在発行中のモノなので、私がここに載せる権利は持っていません。
どこかで、現物をご覧になって頂ければ、と思います。私の名前が分かってしまいますね。しまった(笑)
雪ん子はもうすでに古いものなので、見せてもOKという事でした。
没のものはもともと関係ありませんが。
もし表紙ご覧になられた方、ご感想など寄せて頂けたら、嬉しいです。
では、また。

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Iron Man 

tetsujin28

Black Sabbathではありません(笑)。勿論、Sabbath大好きですけど。
ハリウッドの3D映画制作に使われているMAYA(Alias)で作った”鉄人28号”です。
3Dでは私の処女作です。11年前の物です。とりあえず作り方を確認しただけで、
とは言え、そのために1台ワークステーションを購入したのですけど、、、(Mayaはグラボを選びます!)
それ以来まともに取り組んでいません。
カメラ・スポットに凝ってみました。後、下から見ると、ロケットエンジンの噴射口を凝りまくりました。
勿論このアングルからは見えませんが。3Dは言うまでもないですが全方向から作りますので、
360度から見れます。(一方向からのみ見せるのなら、裏は作らずカメラ・スポットで誤魔化せます。)
ここからアニメを作ったら、もうきりがなくなります。
でも一度倒れるまで作ってみたいですね(笑)。

何故、鉄人なのか?私が一番最初に衝撃を受けたモノだからです。
それが何であるのか、分析できるものではないです。
ただ鉄人が子供のころの記憶の特異点として在ります。
遡行してみるでもなく、0から作ってみたかった。なにもないところから、、、
ちょっと逸れますが、あの主題歌、千住明さんですよね
あの人、何歳であれを作曲したのですか?
どなたかご存知の方、教えてください。
私は今でも、”蘇る無敵の兵士””増殖する危機”等を耳にすると、ざわめきます。
少年期の憧憬と焦慮の念にゆさぶられ、、、”闇にうごめくもの””慟哭と悲哀”、、、
私の原風景のゆらめく一片”鉄人の正体”とは何か?

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Steve ありがとう でも 

Andromeda Galaxy


Steveと言えば、本当にありがとうと言いたくなるヒトが何人もいます。どこかの雑誌に”Steveありがとう”でしたっけ、タイトルの特集がありましたね。Steve Jobsの追悼特集でしたが。私もSteve Reich、Steve Hackett、Steve Jobsには特別な感情があります。
よくSteve Jobsは太陽に例えられます。距離を持って接している分には恩寵のみ受け取れるが(全くその通りで)、近づきすぎるとイカロスのように焼かれてしまうと(追っ付刃というより翼で、高く飛びすぎてはいけない)。
彼についてよく言われること。一つのことに異常な集中力を発揮すること、眼光が鋭くそれでヒトを操る術をもつこと、自分の主張をどこまでも通し、しばしば関係を修復不可能にすること、、、。
3点目について少し考えてみます。
通常、話してすぐ分かり合えるというのは、勿論細部においての食い違いや勘違いはあったにしても、平和的なコミュニケーション関係として収まります。そこから何が生まれるかとかは別にして。しかしアイデアを持ちかけたら直ぐに成程、と還って来るのはもうすでにそれを相手は知っているという事に他ありません。本人が気づいていなくてもそれがそれとして分かる、という関係はすでに意識が構造化されていなければ生じ得ません。すでに知っていることを確認し合っているとき一番、我々は安心し穏やかな気分になります。又は適度に高揚した気分に浸れます。丁度メディアに接しているときがその典型ですね。マクルーハンがメディアはマッサージだと、いみじくも言っているように。
Steve Jobsの周囲には並はずれた才能が集まっていました。天才と呼ばれるようなヒトたちが。でもそのヒトたちでも彼の言う事はほとんどチンプンカンプンだったようです。Jobsはそのことが不思議でなりません。彼にとってそれは正に目の前にありありと想い浮かべることのできる物だったからです。それを何とか分からせようとしますが、誰にも見えてきません。通常の言葉は役に立ちませんでした。それを知らせる言葉は見つかりませんでした。

そんな立場に立ったらどうしましょう?言葉の本来の意味での孤独。

彼の周囲のヒトたちも話してすぐ分かる程度のことならとっくに自分でやってます。
Steve Jobsはマーケットリサーチで人々が欲しがっているものを見つけようとか、既存のものを少し便利に改良しようなんて考え、微塵も持ち合わせておりませんでした。まったく新しいライフスタイルを、今ない考えを、まったく新しいアイテムの提供により人々に根付かせようとしました。彼は「宇宙に衝撃を与える」つもりでやっていました。今、私もそれをベースにした暮らしを普通に送っています。コミュニケーションは文化の交通というレベルで考えると戦争が一番飛躍する時でしょう。その交通関係は得てして個人レベルにあっても、一種の強烈な飛躍を要請する関係となりましょう。でも誰もが後で口々に、Steve Jobsは私の可能性を120パーセントに引き上げてくれた、と感謝のコメントを残していることも事実です。かなりの衝撃を食らったとしても(笑)。
人間、本当に分からないことは、本当に分かりません。
discommunicationとよく言いますが、分からない人とはとことん分かり合えません。しかし、命がけで分かり合わなければならない時というものもあり得ます。きっと誰にも。

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DenseTime

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「反対称」の著者ロジェカイヨワには、厳密な論理と尋常でない凝視から結晶した希書「石が書く」があります。彼の詩に対する苛烈な批評は痛快極まりないものでしたが、この書は彼の詩と言えるものに他ありません。彼の著作としてはいささか異質に想える瑪瑙に魅せられた夢想・オマージュとなっています。そんな書物の一角に載せられていてもおかしくないこの鉱物の断面。
誰の作品だと思いますか?
   今回から訪問された方を意識した話をさせて頂きます(笑)。

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Bill Atkinsonの写真集からの作品です。Steve Jobsのもとで初期のMacの主要ソフトを作り上げたプログラマーです。QuickDraw、HyperCard、MacPaintなどの仕事はあまりに有名ですが、Winがフォルダ表示が角のある長方形しか表示できず、重なりあって表示なんてとんでもないころ、ジョブスに自然界のもので角の角ばったものなどない、と言われ角を丸めた重なって表示もできるフォルダをディスクトップ上に実現したのが彼でした。GUIの実現自体、彼なしにはできなかったはずです。Appleを退いた後、彼は自然写真家としてまた再び世界に注目されるヒトとなりました。その際、カラーマネジメントパイプラインを開発し、高画質で出力できるこのような印刷技術を生みます。最近ではiPhone用のアプリケーションも作ってますね。

bill_03.jpg

カイヨワがこの写真を見たらどう想うでしょう?
彼は「石が書く」の前に「石」を出していましたが、また新しい石の本を執筆していたかも知れません。
反シュルレアリズムの立場を貫き、論理による厳密さを追求してきたカイヨワがやはり論理・プログラムを駆使しバーチャルな自然環境を構築してきたビルの克明過ぎる自然の描写をどう見るか、興味深いものがあります。勿論、自分が今は亡きカイヨワにならないといけませんが。

bill_04.jpg

はっきり言って、ここまでテクノロジーによって厳密に再現されるとシュルレアリスティカルな映像になってしまいます。やはり対象に迫りすぎると不可避的に夢想を纏うのですね。マックスエルンストのような本物のシュルレアリストの生みだす絵をも想い浮かべます。逆説的に。


稠密に畳込まれた時間のめくるめくひととき。

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Love Will Tear Us Apart

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唐突ですが、一番パワーの漲っていた時期っていつごろですか?
そんな事を思うのは、自分が枯れてきたことを実感しているからかも知れませんし、
これからまた、骨の折れることを物好きにもやってみようとしているからでしょうか?
私の場合は中学、高校のときですね。それは。
正に、カオス・ディオニソス状態の真っただ中。
中学時代は毎日ビートルズその他を6時間は聴いていましたね。
高校時代はプログレッシブRockを中心に、日本のものはすべて厳格に排除してました。
リアリティーが無かったから。それは日常にも。ある意味、音楽で分厚く防壁を作っていた。
柔らかな自我の繭を爆音の中で静かに育て上げるように。
それらを聴きながら絵を描いたり、詩を書いたり、大好きなフランツ・カフカを読んだり、
受験勉強をしたり(笑)をごく普通にしていました。
単に体力があったのでしょう。

ブログというものを遅まきながら始めるにあたり、個人情報を吐き出しておりまことに失礼します。
ある程度、吐き出してから、何か出来ることを諸先輩より教えてもらいつつやっていこうと
想っておりますが、ここは今しばらくお願いします。

大学は横浜国立大学で、友達の影響もあり、現代音楽にも漬かりだしました。どっぷりと以前より、
人生の中で一番レコードを買いまくった時期でもあります。特に、Steve Reich!
カントを初めて読み(ショーペンハウエルの方が衝撃的でしたが)、物心がついたと想ったものです(笑)
それまでは起きてるのか眠ってるのか皆目分からない状態で白昼夢の中を生きていましたから。
今も勿論、単に異なる夢の中を生きているだけかも知れませんが。

そう、引き裂かれた果敢ない夢を。

いささか疲れてきたので、プロローグはこの辺にします、、、。

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fallen angel

fallen angel

自己紹介は苦手です。
正直なところ、自分でも自分がよく分かっていません。
もしかしたら、自分が1番分かっていないふしがあります。
取り敢えず、ごそごそと進んでみるだけです。


Ian CurtisやKeith Reidに触発され、2002まで6年間は5つHPを立ち上げアップデートに明け暮れていたものです。
そのあげく、あまりにそれぞれのHPが巨大化してしまい、どうにもならなくなって、投げ出しました。それっきり、
仕事も忙しくなり、時折PCでの3Dの制作や画像処理、リキテックスでの絵画制作をするくらいで
創造的な仕事はあまりしていませんでした。ちなみに一番感性豊かな大学時代は詩をひたすら書いていました。
詩画集も作ったりしていましたが、もうなかなか、、、何か始めるのが正直、億劫で。
最近物置に眠っていたフルートを本当に久しぶりに吹き(ヘンデルのフルートソナタ)かつての記憶が
脳裏を過りました。丁度、村上春樹も新作を出したところで、私も少しばかり創造意欲が頭を擡げてきました。
11年振りのWeb復帰です(笑)時間があまりとれず、少しずつですが皆様のなかに溶け込んでいきたいと想います。

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Blue Monday!

はじめましてGOMA28です。呼ばれる際はGOMAで構いません(笑
括りは、芸術ということになるかと思います。
これから、いろいろなことに挑戦していきます。
色々なものを横断・連結して行けば、何かが見えるかもしれません。
期待してください。
面白い情報を流していきます。
宜しくお願いします。
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プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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