プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
シャイン
鑑定士と顔のない依頼人
英国王のスピーチ
やさしい本泥棒
末期の目
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

ファントムワールド

Phantom World004

夢と現というが、われわれの現実が脳~言語作用の作り出す画像そのものであれば、どうであろう。
ただ、「その世界」があるのみである。
表象とは悉くそうしたものであろう。

するとしかしわれわれに果たして外部~他者というものが可能であるか?
それには自己対象化能力~空間に対する感覚(距離感)如何であるところは大きい。
少なくともわれわれの現実は、自らが作り上げた~投影した、ファントムである部分が不可避的に含まれると考えた方がよい。

「無際限ファントム・ワールド」は目一杯、娯楽性を高める形でそれを表していたが、実際の日常には愚劣なイメージの相克に終始する場合が多い。わたしも愚劣極まりないイメージの投影から酷い迷惑を被った経験がある。


今日は京アニの「氷菓」(TV版)を6話まで観たが、学園ものドラマとしてこれほどの水準のものを見たことない。
勿論、学園ドラマを見たことは少ないとは言え、瞠目する内容と表現形式~演出の妙であった。
斬新なキャラクタも創造し、日常の時間をここまで精緻に描きだせる制作集団はこの他にあるだろうか。

「氷菓」でいよいよこの京アニの途轍もなさが実感できた。
と同時に、京アニの熱狂的なファンと批判的なアニメファンの存在も強く意識した。
これだけのものを作れば当然、両者が生まれることだろう。
しかしそのどちらも、適切な距離(空間性)を保って対象に接していたはずである。


今回、スタジオを襲撃した者は、その距離感を持たない(対象化できない)ことが分かる。
自らが生み出したファントムを現実とする者であった。
自分が応募した原稿が選ばれなかったくらいで逆恨みをする人間は恐らくそうはいまい。
もし確信をもった自信作が相手にされなければ、普通ならファンをやめる方向に行くであろう。
そんな選択肢自体がこの男には存在しなかった(「俺にはそんな余裕がない」という叫びがもはや他の世界がないという魂の叫びに受け取れる)。

その男は間違いなく「京アニ」に熱狂し、激しく愛していた(自宅の京アニグッズなどからも)。
しかし愛憎は表裏一体のものである。
この男の憎悪は、強い愛情の裏返しの狂気に相違ない。
距離を持たない~自己対象化の経験の欠如した者の及ぼす悲劇。
他者に対する空間感覚の欠如が大きな悲劇を生んだ例だ。

こういったことは日常にたくさんある。
この世はファントムだらけである。
子供に対する他者感覚の微塵もない(距離のない)親もはっきり存在する。
こうした親は、間違いなく子供の魂を無意識に殺害する。
このような親と全く同質の精神構造の男と言えよう。
ジョンレノンを殺害した男も彼の熱狂的なファンであった。





スピード・フラット SPEED FRAT 女子美で観る

speed flat001

アリオに乃木坂の4期生が3人来たので娘二人と見に行った。
連絡が来たのが始まって少し経過してからであった為、我々が到着して会場に辿り着いた時には歌もトークも終わってCDの販売と握手会になったところであった。
もう人だかりで、娘たちには何にも見えない。これで帰るわけにもいかず、わたしが交互におんぶしてお目当てを見せた。
顔はしっかり生で見えたので、その点は取り敢えずは納得したとはいえ、ちゃんと始まる前に情報を入れなかったことで、母親にはふたりが携帯で噛みついていた。確かにもうちょっとしっかり姿を拝みたかったものだ。
ちなみに、来ていたのは、賀喜遥香、金川紗耶、筒井あやめ、、、の3人であった。
うちの娘は、いくちゃんを推している筒井あやめさんを贔屓にしている。
見れたので取り敢えずは、よし、、、とまでいかないので、帰りに何処かに連れてゆくことになった。


女子美のアートミュージアムに、そのままワープした(笑。
”SPEED FLAT”というのをやっていた。
スーパー・フラットと謂うのはよく聞いたものだが、スピード・フラットという流れもあったのか。
「~フラット」ということで、無関係な概念とも思えない。

「素早くものを創造すること」をさすひとつの取り組み~プロジェクトらしい。
素材は、布や紙やシートなど、、、をこれまでにない製法で作るもののようだ。
金沢美術工芸大学、首都大学東京、湘南工科大学、多摩美術大学、法政大学、武蔵野美術大学と女子美術大学の7つの大学がそれぞれのコンセプト~角度で「スピード・フラット」を実現していたような。

女子美の出品作は、「モバイル・オフィス」で、具体的にはスマホで作ったトートバッグが壁一面に展示されていた、、、。
スマホで撮った写真(画像)などを元に(スマホ上でレタッチを加えプリンタ印刷でもして?)作ったみたいである。
「モバイルオフィス」とは、通常、ネットワーク(インターネット)やモバイル機器を使い、自由に移動できる事務所に近い環境を適宜、構築したものを指すと思うが、そのオフィスの様々な形態や作業例等を見せるというより、それによって作った作品を陳列したということらしい、、、?
しかし、どうなんだろう。このようなものは、特に「モバイルオフィス」環境云々と謂うより、主婦が育児の傍らにちょっとした暇に作れるもので、どう「モバイルオフィス」ならではのものなのか、どのような「モバイルオフィス」でこれを作る必然性があるのか分からなかった。そもそもトートバッグは奥さんが隙間時間を利用して家で作り(奥様の手芸の会などで美味しいクッキーと紅茶でも頂き歓談しながら作ったりして)出来たものをそのままお買い物などに使うのが適当ではなかろうか。暇のない奥様方は店で気に入ったものを買う。ただそれだけ。テーマのスピード・フラットとどういう繋がり方があるのか、特に説明もなく意図がよく分からないままで終わった(個別に見て絵柄の面白い~魅力的なバッグもなかった。店に並んでいたらスルーである)。

或いは、同一形状のきれいに並んだバッグは、極めて日常的に(日常の尺で)使えるものを手軽に素早く量産できることを全体で象徴的に示したものなのか。しかし実際にモノはそうした方向で作られており、何ら新しいことではない。素材や作り方、こんなところで、このような場面でも作れるみたいな背景~説明がほしいものだった。敢えて何故モバイルオフィスなのか。何処でも全てがフラットにモバイルオフィス空間なのだということを主張したいのか。何かこじつけにしか思えないが。つまりわざわざそう名付ける必要もなかろうに、という意味で。また、無理やりモバイルで完結させるより、じっくり機材の充実したディスクトップ環境に移して行う方がストレスがない場合も多い(こちらの方が素早くインスピレーションを形に出来ることが少なくない)。

わたしが面白いと思ったコーナーは、首都大学東京の「ストリートファニチャー」であった。
思考のプロセスを示したとあったが、これは分かる気がした。
ファニチャーを風景に溶け込ませる。
確かにベンチを形成するドットが周りの景色の保護色になっていたものだ。
これをもってフラットな景色だと言って喜べるかどうかはともかく、面白く楽しいものではあった。
こんなベンチを実際に各場所に設置してみたら、皆が改めてその生活環境の色を微分して捉える事が出来、差異と価値に敏感になる装置となるのではないかと思える。

もう一つ挙げると法政大学の「拡張する照明」に興味を持った。
そこに来たものに対するセンサーもあるのか、光量が変化したりサイズや装置の動きが変わり見ていて楽しい。
また、その時に出る音が何とも言えないものであった。
今日の展示においてもっとも気になったのが、そこの動く照明器具から発せられる音と言ってもよい。
音は、色~光とともに外せない重要なファクターである。
音派の人間も多い。これを忘れてはなるまい。


ここまで娘たち(小5)を連れてくるのも、軽いおんぶと同等な仕草~支援である。
乃木坂を見に行く同じ姿勢で基本的に(飛躍も断絶もなく)連続してこれらを観れたのは、スピード・フラットであったからか。
乃木坂に盛り上がる(握手会)会場も実にフラットであった。あの場には確かに個別空間はなかった。
開け放たれた内面性を異様に感じたものだ。彼女らのコンサート空間もきっと、フラットでボーダーレスな場所なのだと想像できた。

時々面白いなと思って観ている「ガールズ・クラフト」というNHKの番組がある。
いつも極めて手際よく身近にある素材を使い、気の利いたアクセサリーを5分枠で綺麗に作っている。
これなど、ある面でかなりスピード・フラットを実行していないか。

それを言い出したなら、次々に出てきそう、、、。


そうだわたしが最近とみに意識している旅行もフラットであることを確認する運動なのか、それとも神韻縹渺たる多様性を感得しようというものなのか、、、。
わたしは後者であるつもりなのだが。
選択や創作を素早くやる必然性もわたしにはないし。



破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画



リボーン Reborn 

Moonwalker002.jpg

現在の状況を作っている原因が掴めると、まずは落ち着いた足場が与えられる。
それを的確なことばで顕わにできれば揺ぎ無い体勢がとれる。
繊細な作業となるが自分のなかで腑に落ちてゆけばよい。

しかしそれを元にした再生への具体的な対処方法を明確に打ち出せるかとなると問題がある。
この時、他者(第三者)の協力を不可欠とする場合、それを得る当てがないと何らかの代替存在が必要となる。
(たとえどれほど優れたAIをもってしても身体性がなければ意味はない)。
となると、自分しかない。
自分の中に自分の上位存在を出現させなければならない。
超自我を食い破ってもよい。
自分がかなり明瞭にふたりになるか。

新たな自分が親を引き受けることになる。
それ以外に、ない。

生まれ直す。

果たして人は自分独りで”Reborn”可能か。
この実験となる。
もっともまったく記憶にない時期についての情報~素材は、他から収集しなければならない。
出来る限り準備は整える。

そして
大きく変えてゆく。


人は生れて来たからには、健康に生きたい。


Angel002.jpg


中野区 アフガニスタン

syoku006.jpg

「店は独立国家である」、、、確かに!
良い店はそう感じる。
(これは、本屋にしても、、、そうだ)。

「孤独のグルメ」 ”Season5”の第五話を見た。
これまでにも、「孤独のグルメ 」は2Season分くらい観ているが、ブロ友花音さんの記事を見て行きたくなったが行ける状況ではないので、その店を松重豊がとても嬉しそうに美味しそうに食レポする映像で我慢することにした(笑。

アフガニスタン料理である。「キャラヴァンサライ」という店頭が屋台風で人目を惹く店らしい。
遊牧民料理ではないか、、、。
この店も各テーブルで、客が自分のペースで思い思いに楽しそうに好みの料理を食べている。
テーブルごとに、客層も(国籍も性別も年齢も)大きく違い、それぞれ別世界という感じだ。
まさに世界が様々であることが分かる。
こういう場所でそれをまざまざと知ることになるのだ、、、。

syoku001.jpg

最初にお通し(オードブル)ではないが、ヨーグルト・ドリンクみたいなものがやって来る。
わたしはヨーグルト物は何でも好きだが、かなり食欲を刺激するような飲み応えのようであった。
旨そう。
羊の肉はわたしも好きだ。家でもよく食べる。
串焼きを人が食べているのを見るとやたらと旨そうなのだ、、、。
「スパイスが燥いでいて、やんちゃな肉だ」とは、とても分かり易い。
そうだろうな~と感じる。

syoku003.jpg

このヒト食レポ上手いね。
ラム肉と羊のつくねを串から前歯で抜きつつまた、旨そうに食うね~。
美味しいものは誰が食べても美味しい。
食が全く異なる人同士を繋げているのか。
食文化の特殊性と普遍性を感じる。
そう彼らは遊牧民~ノマドであった。

syoku004.jpg

この人みたいに色々頼んでも、コース料理みたいに、ちゃんと一品ずつ出て来て、これも食べ易い。
(店によっては頼んだ幾つもの料理が、一度に運ばれてしまうところもある)。
わたしは羊の生を食べたことがないが、オリーブオイルで食べる、たたきが旨そうだった。
全然、臭みもないらしい。
生、食べてみたい、、、牡蠣だって生が一番旨いし、、、。

そしてメインの鉄鍋と来る。
兎も角、羊に肉に癖がないことが特徴のようだ。
癖がない美味しさの為、クセになるそうだ。
リピーターは、皆そうらしい。
食べ易そうだ。
その羊鍋をナンでいただく。
確かにナンが合いそう。
分厚くて噛み応えのありそうなナンだ。
相性よさそうではないか。

syoku002.jpg

今日は娘たちにも、カレー(中辛)にナン(ヨーグルト風味)で食べさせたが、ナンは羊鍋にはきっと合うだろうなと思う。
ナンは「オールマイティ」。確かに、何を付けても食べられるし、ナンそのものでもバターやチーズがたっぷり入っているのもあって、美味しく食べられる。わたしは以前、職場の近くのインド料理専門店によく行ったものだが、昼時はナンのお替りが自由であった。でもそれほどナンばかり食べられないと思っていたら、現地人と思しき人たちが凄く沢山のナンを食べているのに驚いた。この映画でも全く同じで、やはり現地の人であろうが、テーブルに山ほどナンを乗せて食べてる。
(イタリア人が物凄い量のスパゲティを頬張っているのをよく映画でも見る、、、単なる大食いか?)

ところで、この店は、辛いのか、、、。
店によっては出すもの全てが辛いところはある。タイ料理の辛さは大丈夫なのだが、、、。
わたしは、基本的に辛いのは、ちょっと苦手である。
松重氏の、「食べるほどに、辛さのマイレージが溜まって行く」、、、には少し心配になった。

syoku005.jpg

そして「ラグマン」、、、って、この人毎回そうだが、よく食べる。
昼にこんなに食べて大丈夫か?
(普通のサラリーマンだったら、午後の仕事の前に昼寝をしてしまいそう)。
見た目は香辛料(香菜)の利いた焼うどん(手延べ麺)みたいな感じであったが、、、
「濃い味系混ぜ麺」だという。香菜というと宇多田さんの曲をすぐ思い出すが、、、コリアンダー~って(笑。
日本人の味覚にとても合うという。
見た目からしてホントに合いそうだったが。

BGMが店のものか映画のものかよく判らなかったが、(終わりの頃のは)映画のものだろう。
店に流れていたものをそのまま使って欲しい。
常に安定している食レポ映画だ。
松重豊のイメージが固定しなければよいが、、、余計なお世話か。


まさに食文化映画だ。
シリーズで物凄く沢山あるので、到底見切れないが、また何処かのモノを観てみたい。
「乃木坂工事中」と同じくらい面白いではないか。



荷物が届かない

yuki002.jpg

ライフラインは殊の外脆弱である。
通常、頼めば明くる日に届く荷物も、二日経っても届く気配がない。
雪は大昔から降っていた。
しかし雪になると交通は途切れる。
学校はすぐに登校時間を繰り下げる。

荷物の届くのが一日、二日遅れようがべつに大したことではない。
しかし自然の僅かな偏差でかくも大きな影響が出る事自体、生活(下部)基盤は余り変わって来た気はしない。
そのもっともはっきりした露呈は地震災害である。
これが原子炉と絡むと解決困難な事態に運ぶ。
今のところ、予知が出来るか、またはその精度の問題に留まっている状況だ。

このレベルにおける文明~テクノロジーの進展はその規模からしても困難をかなり含むようだ。
しかしこのような唐突な様態「変化」と「自然」の実感は貴重な亀裂を意識に齎す。
ここに何らかの鋭いゾンデを垂らすことが出来れば、とも想うが、、、。
わたしの場合、恍惚とした一種の眠気が優しく覆ってくるのだ。
これは何らかの罠かも知れぬとも感じながら。


届かぬ荷物を待ちながら、外をぼんやりうち眺めていると、雪かきをしている人が何人もいた。
スコップの音とその間をチェーンを巻いてゆるゆる横断する車。どちらの金属音もこんな日にしか響いてこない。
轍が丁度良い歩道になっていた。
自転車で走り去る強者もいる。
わたしの高校の頃は、毎年このくらいは降っており、自転車で朝しこたま転倒しながらも登校していたことを想い出す。

その当時は、冬は雪が積もるのは当たり前であったため、誰も雪かきなどしていなかったと思う。
学校も朝からあった。
子供心に雪に寝そべりたいという気持ちが深くから湧いてきたことを想いうかべる。
今のわたしも白銀の世界のままがよい。
荷物は当分着かなくてよいから、分厚い白銀世界にくるまれていたい。


日光がいつもより一際強く眩しい。
積もった雪でそこらじゅうが輝いている。
煌めき輝きに包まれている。
こんな時があってよい。
窓を思いっきり開け放った。

アミーボを買いに

Zelda.pngLinkRider.jpg

昨日は疲労からほとんど何もできなかった(疲。ブログもアップしてない。

今日は午前からamiiboというのを娘たちと買いに出掛けた。
(それはお年玉で買うという約束で)。
スウィッチのゲームに登場する「キャラクターにちなんだアイテムや能力をゲット」するための装置で、形はそのキャラのフィギュアである。
しかも自分の育てたキャラクター情報をそこに書き込んでゆき、自分だけの amiiboになるという。
使い進めるうちにきっと愛着も増してゆくはず。買っても良いな、とは思ったが。

今一つよく分からなかったが、彼女らがネットで調べた amiiboがしっかりデパートのおもちゃ屋に並んでいる。
成る程、見た目はゲームのキャラクターフィギュアだ。よく調べたものだ。わたしが知らなかっただけか、、、。
世の中、知らないことは実に多い。そして若い世代はともかく見つけるのが早い。
しかし一軒目には、欲しい人気 amiiboは売り切れており、少しローカルな二軒目のデパートに行くと、狙っていたものが残っていた(笑。
早速、長女は「ゼルダ姫」、次女は「馬に乗ったリンク」(主人公)を選んだ。
本当にこれがゲーム上で作動して世界を広げてゆくのか、、、ちょっと心配もあった。

ついでに彼女らのショルダーバッグもバッグ屋さん?で購入。~いつもコアラちゃんバッグを手に持って行動しているのが心配で~こちらはわたしが払うという事でわたしの使っているものより高いものを二つそろえた。(ただし次女のモノは長女のより一回りサイズが小さい。その方が可愛くてよいそうだ。ともかく拘る(苦)。
更にタイ焼と晩の料理の食材も買って、急いで帰路につく(勿論、アイテムを早くやってみたいからだ)。
帰るやいなやすぐに二人はamiiboを取り出して普通にゲームを始める。
凄い。コントローラーにフィギュアを乗せる(Rスティックボタンにタッチする)と、ゲームのコンテクストに合った新たなアイテムがポロリと現れ、それを使って手際よく敵を倒していくではないか、、、。
もう両手のコントローラー捌きは自由自在に意のままに操っており、ピアノもその調子でやってもらいたいとつくづく思うが、、、。
当然の如くamiiboは作動して、娘たちはよりゼルダに埋没してゆくのであった、、、。

上手い商売だ。
こうした広げ方(繋げ方)があるのだ。
これまでの複合メディア商戦でやっているのとは異なる深化だ。
単にあれもこれもの薄い拡がりではなく、そのゲームをこうした形のアイテムの連結で更新してゆこうという。


ちなみにわたしは、本家に行ったときに叔父が購読していた「現代農業」を棚から勝手に取って読んでみて、とても刺激を受けその中で紹介されていた「鹿沼土」の活用法を真似しようと思った。
娘と同じでわたしもすぐに影響を受ける方だ。
面白さから言えば、鶏の効果的な活かし方(これはやたらに面白い)やビニールハウスのコスパの好い一元管理システムの紹介であったが、これらはわたしの世界に地続きではない。しかし観葉植物の鹿沼土での育成法は直接役立つノウハウであった。
晩の食材と共にその土も買ってきた(笑。

本もついでに借りてくればよかったと思っている。
とても面白い情報が詰まっているのだ。
やはりどの分野でも専門雑誌は面白い。その道に拘り抜いた達人や研究者の見解はまず噺としてもとても興味深いものだ。
その上、役に立つ。この雑誌は何巻か、この次叔父から借りようと思っている。


やはり、ふと得た情報で世界は拡がる。
お金は掛かるが、面白い事に使う分には悔いはない。
そういうものだ。


漸く冬休み

moonbow.jpg

子供たちが冬休みとなった。
今夜から少しだらけてのんびり過ごせる。
相変わらず長女は朝が弱く、次女は文字が小さいが、取り敢えず学習意欲は上向いてきた。
これで姉妹で喧嘩せず、ちゃんと起きてちゃんと大きい字を書いてくれれば、少しは楽になる。

今日はわたしも気が抜けて?映画を3本観てしまった。
そのどれもが面白かった。
深い詩情で魅せるもの、軽妙でエスプリの効いたもの、畳みかける構成とスリリングな展開で見せるもの、、、。

やはり良いものは良いし、下らんものは下らん。


最近、メッセージは、ここのメッセージ機能、ツイッター、フェイスブック経由で来ることが多かったのだが、電話(勿論、番号知っている友人だが)からくることも、、、。
考えてみれば電話で長く話すのは、学生時代以来の事だ。
最近は、ほとんどメール、SNSで完結している。
ホントに手短な簡潔なやり取りだ。
電話で話すのは、新鮮な経験であった。
間や戸惑いや驚きやノイズ、逸脱、聞き間違い(笑、などあって面白い重層的なコミュニケーションが発生する。
こういうのも時々良いな、とつくづく感じた。
そう、考えるというより感じることが多い。

S君の仕事については本人から賛辞が送られてきたので、まずは安心した。
人の事を書くのは途中から思わぬプレッシャーを覚えるようになったことは確かだ。
残りの絵と各作品についての形式的な資料も整えたものを元にそのうちまとめたい。


いろいろ今年もあったが、やはり子育てが圧倒的に大変であった。
それにはITもかなり活用した。
お陰で子供も随分パソコンに馴染んだ。というより馴染んでしまった。
もう勝手に好きな事をいろいろとやっている。
子供はテクノロジーと打ち解けるのが思いのほか早い。

しかしこれから先は、マンパワー(他者)を投入してゆきたい。
まずは、お友達である。
いやでも関係性の多くが今後お友達に移行してゆくだろうが、そこにこそ面白い世界への多様な接続が見えてくる。
わたしもそこに賭けたい。
(よく考えてみれば、パソコンはそれ程のものではないし)。


来年度への徹底した自己解放に向け、今年度中に充分な基盤を作っておきたい。



光は遅い

Trump.jpg

また久しぶりにTVを観た。(途中からだが、、、いつもそう)。
はじめて火星の写真を新聞で見たときは鮮烈な体験であった、、、ことを思い出す。何故か過剰に赤かった!

キュリオシティの健気で瑞々しい写真映像群から、俄かに火星の話題がそこかしこでクローズアップされている。
政治的な思惑もあり、火星の植民計画に拍車がかかっているようだ。特にアメリカでは、、、。
国際宇宙ステーションの管理や気候変動監視から撤退し、浮かせた財源で火星の有人探査に振り分けようとしている。
トランプの鼻息も荒い。その方面でまた権威をみせようというものだが、火星を覇権対象にして荒らしまくるつもりのようだ。
確かに金にはなろう。ビジネスチャンスだ。民間主導での開発も活発になってきた。
御用学者たちもイケイケドンドン状態で、10年以内で人類を火星に送り込むことが可能だ、と息巻いている。
(ただ送り込めば良いのか?人々を、、、闇雲に送る前に考えることはないのか、、、番組ではそんな事知ったことではないようだ)。

しかし、火星に人を送るということは、片道切符という覚悟で行く事にもなる。
月のようにさっと行って帰ってくるという具合にはならない。
文字通り別世界なのだ。

火星まで月の160倍距離があり、有人飛行であればその間(10ヶ月間)、宇宙放射線をずっと浴び続けることにもなる。
(ハッブル宇宙望遠鏡や国際宇宙ステーションなどは地球低軌道の作業で地球磁場内にいるため、人体に極めて有害な宇宙放射線からは守られている)。
火星は、重力が地球の3分の1である。気温は最低気温がマイナス140℃。地表には水は存在しない(気圧の関係から)。
太陽のエネルギーの量は半分程度。ただし大気が薄いため(地球の0.7%)、宇宙放射線の影響をかなり受ける。
磁場が存在しないため、太陽風の影響もまともに受ける。それで大気が剥ぎ取られ、気圧が下がり沸点が下がり水が宇宙空間に消えた経緯は確認されている。
軌道は地球よりももっと潰れた楕円軌道であり、受ける太陽エネルギーの変化が大きい。
気圧については、水の沸点が氷点と等しく、水は氷から直接水蒸気となるため、液体の状態で存在できない7ヘクトパスカルである。人にとっても低すぎるため、外では与圧服装着なしでの生存はできない。更に放射線の影響もあり完全密閉の宇宙服が必要となる。
大気の主成分は二酸化炭素であるが、宇宙放射線の関係から植物の生育はそのままではまず無理。
(土が赤いのはそのため。しかし、地下には粘土質の土壌は存在するが)。
少ないとは言え、大気は凄まじい竜巻や砂嵐を巻き起こすことは、映画「オデッセイ」でも観た通りだ。マット・デイモンが苦闘を続けていた。
この辺は従来から確認されている点だ。

まずは、行って帰ってくる技術を確立させねばならない。
最短距離で火星に到達するように宇宙船を飛ばしても、着陸するころは地球は遥かに遠ざかっている。
この距離はばかにならない。
火星ベースキャンプを月軌道で作り、ハブを元にして居住棟、実験棟、司令船、そして火星まで到達できる大型ロケットを連結して火星に向かう計画が有力視され準備に入っているという。2017年発射の予定という。

着陸は甚だ難しい。気圧がないため難しい逆噴射技術が完成していなければならない。これまで、この着陸でほとんどの機体が破壊されゴミと化している。また大気がほとんどないとは言え、1900℃の摩擦熱での突入となる。
また人を乗せ最低、1年は滞在しなければならないため、食料を積むと宇宙船は途轍もない重量となる。

さて火星で活動を始めて、何らかのトラブル(想定外のトラブルは必ず起こる~そのことだけは想定内なのだ)が起きても、地球から出向くとなると数ヶ月単位の時間が掛かり、現実的なサポートではない。
また、電波の指示であっても、最短3分、離れると20分掛かり、今まさに起きている事態には対応できない。
光は遅いのだ。
光の助けを借りずに自分で自立して生きねばならない。

それもあり、やはり人より先にお膳立てをするのはロボットのようだ。
リスクは最小限にしなければならない。
電力システムや居住棟の建設をして人類をお迎えするそうだ。
すると何よりロボットの自立(自律)性が前提となる。AIの問題となる。
光では遅いのだ。
光の指示、コントロールを待たずにその場の窮地を事前察知、自己判断で脱し、目的を遂げなければならない。
ロボットの製作風景が映されていたが、これから10年はかかると博士が言っていたが、わたしの見た感じでは100年後なら何とかなりそうに思ったのだが、、、。


そして白眉は、テラフォーミングである。30年以上前から提唱されてきたらしい。クリスマッケイという博士である。
知らなかった。
正直、ここまでの話は全く面白くなく、いつTVを止めようかと思いつつダラダラ見ていたのだ。


火星を何と地球化するのだそうだ。
温室効果ガスを発生させ火星表面上を覆い、それによって気圧と気温を上げ地下の水を滲み出させるらしい。

フロンガスをプラントにより作り出し温室効果を狙う。
ドライアイスが溶け出すと大気中に二酸化炭素が放出され更に気温は上昇する。
同時に超伝導リングで火星全体に磁場を形成する。
これによって太陽風から、発生した大気を守る。
地下から液体となった水が地上に溢れ出す。
その地に、地球から持ち込んだ微生物を振り撒くという。
これで栄養素が自立的に循環を始めたら植物が顔を出すと。
光合成によって酸素が生み出されれば、動物もでてくる、、、。

何百年単位で実現可能と言っているが、実際出来るのかも知れないと思った。
しかし、このテラフォーミングには条件があると博士は言う。
「火星で何らかの生命体が発見され、地球生命と違う祖先を持つ場合、人類は入植しない」そうである。
独自の生命がいる場合は人類は定住してはならない。

それを聴いて何故か安心した。



しかし、監視し繁殖を助けるなどはするのだそうだ、、、?!
これはやはりディープに関わることを意味する。(テラフォーミングはするのだ、、、微生物の存在をどう捉えるかにもよろうが)。
(この地球にもそういう存在はいそうな気もするのだが、、、薄々)。

続きを読む

AIは自然(偶然)に生まれる

TetsujinNo28.jpg

最近のAIの真しやかな成果~プレゼンは、はたしてどうなんだろう。
この前にもそれについて「楽観的なこと」を書いてはみた。
要するに、自立的AI基盤を作っておいて、後は彼ら(彼女ら)の自主的な学習に任せるという。
その反復を深めてゆけば、ついに感情~意識が芽生え新たな自立系が誕生するだろう、、、と。
新たな創造的な知性の系が立ち上がる、のでは、、、という希望的なお任せ、、、。

そう、、、、
結局、後は運に任せる!
の一言だ。

なんという神秘的(かつ楽観的)な賭けだろうか。

これまでのわれわれのモノ作りとは、完全に異なる全く新たなモノ作り、、、というより誕生の手助け、いや賭けとなろう。
少なくとも人類は、どれだけ複雑な難易度の高いものでも、何を作るかは明確でありその設計図は明晰に用意されたものをもって作ってきたはずである。

しかし意識は言うまでもなく、原理的に対象化できない。
われわれは目覚めとともに諸表象に一点の破れ目もなく取り巻かれている。
世界が世界であることに驚愕したヴィトゲンシュタインの謂うように。
視覚的表象から非視覚的表象まで全てが総動員して完全なる世界を生成する。
常にそうなのだ。これは確かに神秘であり驚愕に値することだ。
それらを立ち上らせる地平こそが意識であり、その裏側に回り込む超越的芸当など論理矛盾である。
そこは世界の縁である。

この辺の際で何かを作ろうとするのが芸術家であろうが、科学者はそうではない。
まるごとヒトと同じ構造のものを作りたいのだ。
構造化できないものを承知の上で。
分からないものをも、作ってみせたい。
その衝動は分からないでもないが。

われわれは絶対に対象化不可能な(難しいではなく原理的に不可能な)ものを作ろうとしている。
ある基礎を作り作動させて、複雑さが増してゆけば、、、と様子を見ようということだ。
冗長性からの相転換でポッコリ意識が生じると。

それが彼らのスタンダードな姿勢だ。
手堅いとはお世辞にも言えないスタンスだ。

「意識」をそもそもどう捉えているかにもよる。
それこそ哲学者の肝心要のテーマでもあった。
どうやら無意識も意識に作用する重要な力を持つ。
人間のようなロボットと言うなら、無論、無意識も匂わせていなければならない。
無意識的な痼を感じさせるロボットだ。
であれば、当然、夢も見る。
ある朝、ロボットが歩み寄ってきて、「わたしは昨夜、こんな夢を見ました」と話しかけるというのもありだろう。


もし仮にそれが創造的に成功し、そのまま進展すれば、驚く程の速度で人類には全く理解不能なレベルでAIが独自に働き始める可能性も当然高くなるはず。
しかし、現在の動きからは、うんと限られたレヴェルの運用に留まると思われる。
こちらがコントロール不能なブラックボックスはそうやすやすとはできるものではないし。
(勿論、出来るといいはるヒトはいるが)。




ロボットに想う

TetsujinNo28.jpg

ちょいとTVで見たロボットの特集番組であったが、、、途中から見たのだが、、、。
言語の学習メカニズムと発達メカニズムを予め与えられているだけのロボットが言語を独自に発明し、それを互いに(複数体で)習得仕合っている様子が報じられていた。
ゆくゆくは言語を体系化してゆくのだろうが、その時間はきっと恐ろしく速いと思われる。
それにしてもやはり、言語の発生は、身体の認識から始まり、他者の存在が必要不可欠であるとが分かった。
面白い。
ロボットがわれわれには見当もつかない言語で、人間そっちのけで何やら相談し始めたら痛快だ。

何よりAIにとって難儀であった、パタン認識もディープラーニングにより、人間を超えるほどの精度が見られるようになったらしい。
量子コンピュータの進化も前提となろうが、全てにおいて人間を凌ぐロボットの誕生も夢物語ではなくなったようだ。
感情が発生し、意識の生じたロボットだ。
逆にそこまでいかなければ、人間を超えることは出来ない。


プロキシマ星bに”Breakthrough Starshot”(数千個のレーザー推進の超小型宇宙船を送り込む)計画が2020年当たりを目処に実施されるというが、そこは太陽系にも最も近い恒星である赤色矮星プロキシマ・ケンタウリの惑星である。
ブレークスルー・スターショットは、光速の20%の速度で飛ぶため、4光年先のプロキシマ星bに20年で到達してしまう。
具体的なハビタブル・ゾーン探索と、感情をもち言語体系を生まんとするロボットの誕生は、同時に急激な盛り上がりを見せそうだ。
どちらもそう遠くないうちに、かなりの成果が得られそうな気がしている。
とは言え、探査の末、本当に生命体が見つかり、、、原生生物は遠からず水を吹き上げているエウロパあたりから見つかるも知れないが、、、高度な知性をもつ生物となるとどうであろう、、、。
もう少し先は長いと思われる(わたしは、いないと考えているが)。
まあ、いたとしても、、、

地球のイニシアチブは人類からロボットに引き継がれ、他のハビタブル・ゾーンに発見された異星人が招待を受けてやってきて、ご対面ということもあるかも知れない。
その頃までには、幾度かの小惑星の地球激突の驚異を避けておかねばなるまいが。
(つい最近、「アポフィス」が見つかってNASAも真面目にそれをTV発表し、世界中が色めきだったことを思い出す。いや、もう15年以上前だ、、、いやだな、、、最近のことはすぐ忘れるのに、、、)。
ご招待する前に、地球が吹っ飛んでいては(吹っ飛ばないまでも大打撃を受けてしまっては)、元も子もない。
いまの時点で、人類が確率上危険な小惑星に色素を吹付けその軌道を逸らすという妙案を捻り出し、具体化している。
ヤルコフスキー効果(天体の熱吸収率による軌道のズレ)を利用したもので、その天体の組成を探査しなくても一様に効果が見込める。
「アルマゲドン」みたいに、ミサイル衝突(核爆発)させるとなると、その惑星の組成を調べなければならなくなる。
探査機を開発、打ち上げ無事着陸させ、サンプル・リターンを待ってから実働に移る手間とコストも大変なものだ。
小惑星の多くは小さな瓦礫みたいな石の解体しやすい集合体(緩い結合体)であったりする。
一枚岩みたいな構造体でない場合、闇雲に爆破させてもほとんど意味はない。(弱い重力での結合体には効果がない)。
色を塗って熱放射に変化を加え大きく軌道をズラすなんて、、、芸術的でエレガントな方法だ。コストもかからない。
これは、次世代のリーダーのロボットも採用してくれるのでは?
いや、まず2020年代には、「アポフィス」に早速、色を塗りに行くようだ。
これはもしかして、本質的なアートである。
何故か、ワクワクするではないか、、、。
(このへんの感覚の引継ぎが肝心なのではないか、と強く感じるのだ)。


地球の代表種ロボットと宇宙のお隣さんの初の?出逢いというのも素敵だ。
その頃、人類はどこでどうしてるかは、ともかくとして、、、。
絶滅危惧種としてどこかに保護されているかも知れないが、歴史上の生物としてデーター化してしまわれていてもよい。

わたしには関係ない。
(だが、まず2020年代には、いろいろ面白いことが具体的に始められることは間違いない。その結果は、むすめたち世代がある程度は知るはずだ)。







ラーメン屋へゆく!

ramen01.jpg

昨日、ピアノが2人とも全部(最近、2曲づつとなった。まだ簡単な曲だからだろう)上がったら、美味しいラーメン屋さんに連れてゆく、という約束をしていた。
上がったので約束通り、連れてゆくことになった。

まだ、2人ともラーメンをドンブリ一杯食べ切れたことがない。
それでこれまでは、小鉢に分けて食べさせていた。
しかし、今回は2人とも大きくなったからドンブリ一杯食べきるぞと意気込んでいる。
彼女らは舗道を走ってはわたしのところに戻り、また走って来ては戻りと、、、準備運動しながらお店に向かう。
そんなに走っては、食べる前に疲れちゃうよ。
食べきれなければ、残していいから。
こう言うと、安心したようで、普通に歩きだした。

今、結構何にでも目標を立ててそれを達成しましょう、という気風に取り巻かれている。
やるべきことを自ら増やしてしまう傾向も見られる。
これは、実際キツイ。
寧ろ大事なことを選別し、気の抜ける環境をこそ作りたい。
(塾も随分削ったし(笑)。
ゆとりである!
ゆとり世代の何が悪い!(わたしは勿論その前の世代だが(爆)。

そういえば、企業の過重労働で使い捨てにされたり、自ら命を絶ったりするケースがよくメディアで報告されるが、何で途中で「やーめた!」と言えないのか?
いつもの駅で降りず、違う駅で映画でも見て、ラーメン、、、でなくともスィーツでも食べながら考え直せないのか?
そこのテーブルで退職届書いてもよいし。そういかないのは何故か?
プライドからか?余りに疲れて身を守る判断がつかないレヴェルにきてしまっているのか?

優等生でずっと過ごしてきていたり、厳しく躾けられてきて、途中下車の出来ない体質、、、自縛状態なのか、、、。
何にしても過労(更に強い超自我)から、自己防衛能力が発揮出来ない状況に至っているのは確かだ。
もう大人なんだから親が手を出したら過保護になるなどと放置される対応が少なくないと思うが、それよりも精神が衰弱した危機的状況下の隣人であるという捉え方こそ必要であろう。
もはや大人とかこどもの問題ではない。
周りの人間の見極めがかなり重要となってくるはず。
(その対象への強制力の発揮も必要になる場合もあろう。これは親か親友くらいしかできまいが)。
電通の人のケースなど、独立して事業主としてネット上で仕事を始めてもよかったのでは、、、ノウハウも吸収しただろうし、まだ若く時間も能力もたっぷりある。じっくり自分のペースで未来を構築してゆけれたら、、、と思う。本当にもったいない。

実際、世の中に大事な事なんて、ほとんどなにもない。
考えてみれば、どれもどうでもよいことばかりだ。
命をかけてやる仕事など、ない。


何と、、、わざわざ出向いたお店が臨時休業であった!
「えーっ」と長女。
3人で夜道を歩いて15分である。
大変微妙な距離でもあった。
上手くいかないことは、そりゃ沢山あるものだ、、、。
これも良い経験、とは言え、、、。

仕方ないので、コンビニで2人の食べたいおやつを買った。
彼女らも柔軟性が出てきたのか、店にはがっかりしていたが、ラーメンが他のものに変わったことには文句はないらしい。
確かに美味しいものは、世の中には沢山ある。別のもので良い、、、。


その店もこれで4回臨時で休業である。
たま~に行くうちでさえこうなのだから、、、休業率はかなりのものではないか、、、。

かつてラーメン店の名店(迷店も含め)は、臨時休業が多かった。
グツグツ煮込んだスープの出来が今ひとつだったので、今日は臨時で休むというもの、、、。
店頭にその札がぶら下がっていて、ガクッと来たことは何度もある。
それ程まずかったのか、、、まあ、店名に響くほどの不出来であれば仕方ないが、、、。
とは言え、わたしがラーメンに最も拘るところは、麺とスープの絡みである。
スープだけ美味くてもどうしょもない。
寧ろ麺の方に拘る。

思えば、、、以前の職場近くは、ラーメン激戦区であった。
わたしは、TVでも放映されたと或る有名ラーメン店で食べるのを楽しみにしていたのだが、、、
その店も臨時休業がとても多い店であった。
職場の仲間は何度も休業で引き返す憂き目に遭っていたため、そこで食べるのを最初から諦めているところもあった。
しかしわたしはその店のすぐ脇を通って帰る事が出来た為、店先を確認して開いていたらすかさず店に入り、ラーメン好きの仲間にメールを打つことが出来た。
「上弦の月登る」、、、戦争の暗号みたいでちょっとわくわくしたものだ(笑。


スズキ会長が謝罪とは、、、

baleno.jpg

排ガス測定の偽装工作が三菱で発覚し、ついに日産ゴーンの傘下に入ることになったばかりであるが、何とスズキまで、、、。
と、ショックを感じWeb上の記事を確かめたが、それほどの深刻な事態ではないようで、ひとまず安心した。
スズキを特別贔屓にしているわけではないし、スズキの車に乗っているわけでもないのだが、ここのところの新ラインナップには、意欲的な取り組みを感じていたため、注目度はかなり高いものだった。

まず、アルトのマニュアルシフトのワークスである。(他にターボRSがあるが、あちらはオートマである)。
ちなみに、わたしは自動車教習所で、マニュアルしか運転したことはない(笑。
車を持った当初、5速ギアとクラッチがないことにかなり当惑したものだ(汗。
アルトワークス、かなりのレスポンスで小気味良く走るらしい。
勿論、軽であるためパワーの自己規制があり、端から限界は見えるが元々アウトバーンで走るわけでもない。
日常走行でスポーツフィーリングを味わってみたいのだ。
あの小さくて如何にも軽そうで、軽には珍しい引き締まったボディには魅力を感じる。(ツーシーター以外では)。
大概の軽は、トールワゴンタイプが多く、実用性に傾きすぎる。
その為、中国で不格好などと陰口を叩かれることもある。
勿論、日本の交通事情から軽しか走れない場所はあり、居住性も考えればベストな体型なのだが、分からない国では仕方ない。
ただ、そこに過剰な装備を施してゆけば、重くなる。値段も高くなる。おまけに軽を優遇していた税制が廃止され、近頃販売台数がかなりの落ち込みを見せていた。
そこに、根本的に軽の枠組みを見直しデザインされたアルトは、コンセプトがはっきり外観に現れている。
軽量コンパクトのインパクトは確かにあった。ワークスはカラーリングも決まって軽で一番カッコ良いと思う。
実を言えば、スタイリッシュで質を追求したセルボが生産終了になったことに一抹の寂しさを覚えていたのだが、あの方向性ではただ車が濃く重くなってゆくしかないことは明白である。スッパリ断念して、アルトの方向を取ったことは、正解だと思われる。

次に、イグニス。
これは、ソリオが軽のスペーシアタイプのトールワゴン系を踏襲した形で、まさに軽(スペーシア)より少し大きめのコンパクトカーで用途としてはその延長という位置にいるのに対し、はっきりどこでもない新たなポジションに、アルトテイストの軽量コンパクトミニSUVを投入したという感じだ。かなりユーザー任せの自由度は高い。
自ずと限定されるソリオのポジションから見ると、かなり広く老若男女からユーザーは集められると思われる。
形はアルトに似ているが、かなりのヒットを飛ばしたハスラーの発展形に受け取れる。
ハスラーも自由度の高い新しい軽の使い方を提案して予約待ちの人気機種となっている。
イグニスに目新しさがあることもあってか、時折街で見るとなかなかのものである。なんというか雰囲気がヨーロッパのイケるコンパクトカーに感じるものに似ている。この軽量ボディに、スイフトスポーツあたりの1.6リッターターボを積んでも面白い車になるはず。
勿論、シャーシーとトランスミッションから見直す必要が出てくるが、バッチリセッティングされれば、スイフト以上のスポーツタイプになると思われる。
基本はコスパの良い自在性の高い取り回しの良い車であろうが。
様々なタイプを用意することも、イメージを高めることに繋がる。
もうスイフトに少し遅れて出された、スプラッシュのような中途半端をやらなくなったことは、スズキの開発コンセプトがしっかりしてきたことを感じさせるところだ。

そしてバレーノ。
これは、まだ街で見ていない(笑。どれくらい売れているのか、、、。
まだ発売されて間もない車である。評価もこれからでああろう。一見してスタイルデザインに力を入れた車であることが分かる。
この面で、スイフトで満足できない層の取り込みに向けたものであることは察することができる。
だが、言えることは、車幅が確か1745くらいであったか。ならば、ほぼSX4と同じサイズだ。
このクラスだと通常1695であり、充分なコンパクトカーのサイズである。それでいながら、何と重さが950である。
下手をすれば軽の方が重い。これに驚き、重さだけはしっかり覚えている(爆。
ここのところのスズキの統一基本コンセプトがよく分かりすぎる車種である。
軽いということは、燃費も走行性能も自ずと良くなるものである。
写真で見たところ、一番リーズナブルなタイプはインテリア的にはいささかチープ感が漂うが、基本必要な装備の網羅されているタイプなら問題ない。エンジンも非常に特徴的な2タイプが用意されている。
直列3気筒直噴ターボの1リッターのものが、111PSである。文字通り、リッター当たり111ということで普通に言うスポーツ仕様のように想えるが、単なる1タイプ扱いである。但し当然無縁プレミアムガソリンだ。
もう一つが、直列4気筒のもので、これまでスイフトやソリオに使われてきた1.2リッター91PSものである。これは当然無鉛レギュラーでよい。充分使われてきたエンジンであり信頼性は高いはず。
で、用途はどうなのか、、、これは単純に数値上でどうこうは言えない。実際乗り比べてみないと分からないものだ。ただこちらの方は、車両重量が何と910Kgという車の大きさから言えば信じがたい軽量なのである。このメリットは安全対策が万全(シャーシーの剛性等)なら、小さくない。
面白い車が出てきたものである。わたしが子供の頃夢中になっていた車なら、同種類では排気量が大きい車の方を高出力に設定するのが普通であった。総合的に見てどうなのかは、道にいっぱい見つかる頃に分かるはずである。


所詮、燃費などというものは、メーカーが発表している数値の半分と見て間違いない。
実際に使ってみれば、だいたいそんなところだ。
しかし、カタログ上のほんの小さな数値の差(誤差程度)にやはり気が向いてしまうものである。
適正な形で数値は出しておかないと、メーカーとしてのイメージダウンによる損害はそれこそ計り知れない。
せこいことをすると大損するという教訓か、、、?

スズキはほんとに大丈夫だろうか、、、



続きを読む

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: