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GOMA28

Author:GOMA28
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ラーメン屋へゆく!

ramen01.jpg

昨日、ピアノが2人とも全部(最近、2曲づつとなった。まだ簡単な曲だからだろう)上がったら、美味しいラーメン屋さんに連れてゆく、という約束をしていた。
上がったので約束通り、連れてゆくことになった。

まだ、2人ともラーメンをドンブリ一杯食べ切れたことがない。
それでこれまでは、小鉢に分けて食べさせていた。
しかし、今回は2人とも大きくなったからドンブリ一杯食べきるぞと意気込んでいる。
彼女らは舗道を走ってはわたしのところに戻り、また走って来ては戻りと、、、準備運動しながらお店に向かう。
そんなに走っては、食べる前に疲れちゃうよ。
食べきれなければ、残していいから。
こう言うと、安心したようで、普通に歩きだした。

今、結構何にでも目標を立ててそれを達成しましょう、という気風に取り巻かれている。
やるべきことを自ら増やしてしまう傾向も見られる。
これは、実際キツイ。
寧ろ大事なことを選別し、気の抜ける環境をこそ作りたい。
(塾も随分削ったし(笑)。
ゆとりである!
ゆとり世代の何が悪い!(わたしは勿論その前の世代だが(爆)。

そういえば、企業の過重労働で使い捨てにされたり、自ら命を絶ったりするケースがよくメディアで報告されるが、何で途中で「やーめた!」と言えないのか?
いつもの駅で降りず、違う駅で映画でも見て、ラーメン、、、でなくともスィーツでも食べながら考え直せないのか?
そこのテーブルで退職届書いてもよいし。そういかないのは何故か?
プライドからか?余りに疲れて身を守る判断がつかないレヴェルにきてしまっているのか?

優等生でずっと過ごしてきていたり、厳しく躾けられてきて、途中下車の出来ない体質、、、自縛状態なのか、、、。
何にしても過労(更に強い超自我)から、自己防衛能力が発揮出来ない状況に至っているのは確かだ。
もう大人なんだから親が手を出したら過保護になるなどと放置される対応が少なくないと思うが、それよりも精神が衰弱した危機的状況下の隣人であるという捉え方こそ必要であろう。
もはや大人とかこどもの問題ではない。
周りの人間の見極めがかなり重要となってくるはず。
(その対象への強制力の発揮も必要になる場合もあろう。これは親か親友くらいしかできまいが)。
電通の人のケースなど、独立して事業主としてネット上で仕事を始めてもよかったのでは、、、ノウハウも吸収しただろうし、まだ若く時間も能力もたっぷりある。じっくり自分のペースで未来を構築してゆけれたら、、、と思う。本当にもったいない。

実際、世の中に大事な事なんて、ほとんどなにもない。
考えてみれば、どれもどうでもよいことばかりだ。
命をかけてやる仕事など、ない。


何と、、、わざわざ出向いたお店が臨時休業であった!
「えーっ」と長女。
3人で夜道を歩いて15分である。
大変微妙な距離でもあった。
上手くいかないことは、そりゃ沢山あるものだ、、、。
これも良い経験、とは言え、、、。

仕方ないので、コンビニで2人の食べたいおやつを買った。
彼女らも柔軟性が出てきたのか、店にはがっかりしていたが、ラーメンが他のものに変わったことには文句はないらしい。
確かに美味しいものは、世の中には沢山ある。別のもので良い、、、。


その店もこれで4回臨時で休業である。
たま~に行くうちでさえこうなのだから、、、休業率はかなりのものではないか、、、。

かつてラーメン店の名店(迷店も含め)は、臨時休業が多かった。
グツグツ煮込んだスープの出来が今ひとつだったので、今日は臨時で休むというもの、、、。
店頭にその札がぶら下がっていて、ガクッと来たことは何度もある。
それ程まずかったのか、、、まあ、店名に響くほどの不出来であれば仕方ないが、、、。
とは言え、わたしがラーメンに最も拘るところは、麺とスープの絡みである。
スープだけ美味くてもどうしょもない。
寧ろ麺の方に拘る。

思えば、、、以前の職場近くは、ラーメン激戦区であった。
わたしは、TVでも放映されたと或る有名ラーメン店で食べるのを楽しみにしていたのだが、、、
その店も臨時休業がとても多い店であった。
職場の仲間は何度も休業で引き返す憂き目に遭っていたため、そこで食べるのを最初から諦めているところもあった。
しかしわたしはその店のすぐ脇を通って帰る事が出来た為、店先を確認して開いていたらすかさず店に入り、ラーメン好きの仲間にメールを打つことが出来た。
「上弦の月登る」、、、戦争の暗号みたいでちょっとわくわくしたものだ(笑。


スズキ会長が謝罪とは、、、

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排ガス測定の偽装工作が三菱で発覚し、ついに日産ゴーンの傘下に入ることになったばかりであるが、何とスズキまで、、、。
と、ショックを感じWeb上の記事を確かめたが、それほどの深刻な事態ではないようで、ひとまず安心した。
スズキを特別贔屓にしているわけではないし、スズキの車に乗っているわけでもないのだが、ここのところの新ラインナップには、意欲的な取り組みを感じていたため、注目度はかなり高いものだった。

まず、アルトのマニュアルシフトのワークスである。(他にターボRSがあるが、あちらはオートマである)。
ちなみに、わたしは自動車教習所で、マニュアルしか運転したことはない(笑。
車を持った当初、5速ギアとクラッチがないことにかなり当惑したものだ(汗。
アルトワークス、かなりのレスポンスで小気味良く走るらしい。
勿論、軽であるためパワーの自己規制があり、端から限界は見えるが元々アウトバーンで走るわけでもない。
日常走行でスポーツフィーリングを味わってみたいのだ。
あの小さくて如何にも軽そうで、軽には珍しい引き締まったボディには魅力を感じる。(ツーシーター以外では)。
大概の軽は、トールワゴンタイプが多く、実用性に傾きすぎる。
その為、中国で不格好などと陰口を叩かれることもある。
勿論、日本の交通事情から軽しか走れない場所はあり、居住性も考えればベストな体型なのだが、分からない国では仕方ない。
ただ、そこに過剰な装備を施してゆけば、重くなる。値段も高くなる。おまけに軽を優遇していた税制が廃止され、近頃販売台数がかなりの落ち込みを見せていた。
そこに、根本的に軽の枠組みを見直しデザインされたアルトは、コンセプトがはっきり外観に現れている。
軽量コンパクトのインパクトは確かにあった。ワークスはカラーリングも決まって軽で一番カッコ良いと思う。
実を言えば、スタイリッシュで質を追求したセルボが生産終了になったことに一抹の寂しさを覚えていたのだが、あの方向性ではただ車が濃く重くなってゆくしかないことは明白である。スッパリ断念して、アルトの方向を取ったことは、正解だと思われる。

次に、イグニス。
これは、ソリオが軽のスペーシアタイプのトールワゴン系を踏襲した形で、まさに軽(スペーシア)より少し大きめのコンパクトカーで用途としてはその延長という位置にいるのに対し、はっきりどこでもない新たなポジションに、アルトテイストの軽量コンパクトミニSUVを投入したという感じだ。かなりユーザー任せの自由度は高い。
自ずと限定されるソリオのポジションから見ると、かなり広く老若男女からユーザーは集められると思われる。
形はアルトに似ているが、かなりのヒットを飛ばしたハスラーの発展形に受け取れる。
ハスラーも自由度の高い新しい軽の使い方を提案して予約待ちの人気機種となっている。
イグニスに目新しさがあることもあってか、時折街で見るとなかなかのものである。なんというか雰囲気がヨーロッパのイケるコンパクトカーに感じるものに似ている。この軽量ボディに、スイフトスポーツあたりの1.6リッターターボを積んでも面白い車になるはず。
勿論、シャーシーとトランスミッションから見直す必要が出てくるが、バッチリセッティングされれば、スイフト以上のスポーツタイプになると思われる。
基本はコスパの良い自在性の高い取り回しの良い車であろうが。
様々なタイプを用意することも、イメージを高めることに繋がる。
もうスイフトに少し遅れて出された、スプラッシュのような中途半端をやらなくなったことは、スズキの開発コンセプトがしっかりしてきたことを感じさせるところだ。

そしてバレーノ。
これは、まだ街で見ていない(笑。どれくらい売れているのか、、、。
まだ発売されて間もない車である。評価もこれからでああろう。一見してスタイルデザインに力を入れた車であることが分かる。
この面で、スイフトで満足できない層の取り込みに向けたものであることは察することができる。
だが、言えることは、車幅が確か1745くらいであったか。ならば、ほぼSX4と同じサイズだ。
このクラスだと通常1695であり、充分なコンパクトカーのサイズである。それでいながら、何と重さが950である。
下手をすれば軽の方が重い。これに驚き、重さだけはしっかり覚えている(爆。
ここのところのスズキの統一基本コンセプトがよく分かりすぎる車種である。
軽いということは、燃費も走行性能も自ずと良くなるものである。
写真で見たところ、一番リーズナブルなタイプはインテリア的にはいささかチープ感が漂うが、基本必要な装備の網羅されているタイプなら問題ない。エンジンも非常に特徴的な2タイプが用意されている。
直列3気筒直噴ターボの1リッターのものが、111PSである。文字通り、リッター当たり111ということで普通に言うスポーツ仕様のように想えるが、単なる1タイプ扱いである。但し当然無縁プレミアムガソリンだ。
もう一つが、直列4気筒のもので、これまでスイフトやソリオに使われてきた1.2リッター91PSものである。これは当然無鉛レギュラーでよい。充分使われてきたエンジンであり信頼性は高いはず。
で、用途はどうなのか、、、これは単純に数値上でどうこうは言えない。実際乗り比べてみないと分からないものだ。ただこちらの方は、車両重量が何と910Kgという車の大きさから言えば信じがたい軽量なのである。このメリットは安全対策が万全(シャーシーの剛性等)なら、小さくない。
面白い車が出てきたものである。わたしが子供の頃夢中になっていた車なら、同種類では排気量が大きい車の方を高出力に設定するのが普通であった。総合的に見てどうなのかは、道にいっぱい見つかる頃に分かるはずである。


所詮、燃費などというものは、メーカーが発表している数値の半分と見て間違いない。
実際に使ってみれば、だいたいそんなところだ。
しかし、カタログ上のほんの小さな数値の差(誤差程度)にやはり気が向いてしまうものである。
適正な形で数値は出しておかないと、メーカーとしてのイメージダウンによる損害はそれこそ計り知れない。
せこいことをすると大損するという教訓か、、、?

スズキはほんとに大丈夫だろうか、、、



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立体の認識

headset.jpg

われわれの生活において視覚の占める部分が如何に大きいか、今更ではないがつくづく感じた。

赤ん坊が獲得する立体感は、其の物のあるところにはいはいして行き、手で触ったり舐めたりを繰り返すことで得られる。
目ではまだ何も確認出来ない。距離と立体感は視覚だけでは得られない。
移動運動と触覚によって立体感を含む空間感覚が獲得される。
ある意味、視覚と触覚は不可分であった。

だが、一度身に付いた空間感覚、立体感(形状感覚含む)は、視覚に統合される。
視覚だけで認識ができる。
五感は全て視覚に左右される。
視覚で感覚の全てを操り、擬空間に「没入」させる事が可能であるようだ。
触覚による形態知覚を視覚によって操作するのも容易である様子が窺えた。
寒暖の感覚も視覚次第である。

NHKでやっているサイエンス紹介番組をたまたま見たのだが、VRの特集であった。
ヘッドセットをつけた司会者が、スキージャンプのシュミレーションで恐怖に尻餅をついていた。
怖い怖いと驚くばかり、、、。
そうなのだ。
最近のVRは、その「没入感」で特にゲーム業界に深く浸透しつつある。
(ゲームのみならず、様々な実用的な分野にも進出を始めた)。
ジャイロセンサーと加速度センサーによる追従性がとびきり良くなったおかげで、普通に見渡すのと変わりなく「外界」を見れる。
しかも視野角がこれまた普通に見るのと同等に広く(100度)、その上充分に高画質なのだ。
もう、そこにいるとしか思えない。
恐怖も寒さも感じる!

つまり、取り囲まれている世界に対し「違和感」がなくなる。
これに司会者たちは、驚いているのだ。
その特異でお手軽な自然さに、、、。
行こうと思えば、アルプス山脈のてっぺんにいるプログラムを起動させれば、その場でそれを十全に味わうことが出来る。
瞬間移動のSF映画かドラえもんの「どこでもドア」であろう。
このコンテンツを充実させたら、旅行業者はどうするのか?
わざわざ危険な「旅」をして赴くより、こちらを選ぶひとも少なくないだろう。

コストも、スマフォで開発されたセンサー技術の組み合わせで実現できるため、かなり安く仕立て上がる。
確かにスマフォから随分生活形態も変わってきた。
誰もが充分に滑走路を滑ってきた。
後は、揃って離陸か!
ヘッドセットの価格もアマゾンで見ると一頃よりお手頃になっているではないか。
これは一般に広まる。
皆がヘッドセットを付けて、各々の世界で好き勝手な身振りをする光景が当たり前となる日も遠くはない、、、。


リアルとは何か、今後「感覚の技術」によって、定義がズレてゆく事が感じられる。
その認識と世界観は、絵画の制作にも他の芸術にも影響を少なからず落とすはず。


その番組で、隣に司会者の相棒がいることを知っていてもなお、あれだけ怖がることが出来るというのも、その感覚技術と言うより視覚技術の高度化とともに、視覚優位(視覚依存)の人間の有様を強く認識するものであった。






境界線上のガジェットⅡ

iron man

「ハイゲンキ」という治療機がある。(あった)。
先日、掘り出した(笑。

普通の大きさのアタッシュケースにスッポリ組み込まれたよくあるタイプである。(よくあるかどうか知らないが)。
蓋を開けると電源スイッチと、測定端子と照射ヘッドと個々のインジケーターが付いているくらい。
シンプルさは、鉄人28号の操縦機並みである。
これももう、20年近く経つはず。いや、もっとか?

これこそ、宇宙の氣、怪しいと言ってしまえばそれまで、を中継する装置であり、正直なところ何が照射されているのか分からない。
照射した祭、その部位に余りに抵抗がない為、何も出ていないような気もする画期的な気の照射機なのだ。
購入時に診察を受けたみたいで、覚えてないがわたし用のカルテと専用使用書が入っていた。


そこには、胃上げ200カウント(くるぶしと膝の真ん中で、むこうずねの少し外側にある胃昇穴に照射)。
胃止め20カウント(臍とみぞおちの中間にある胃止めの気穴に照射)。
その他、その時の症状別治療(頭、腰、肩、脚等、1点につき20カウント)。早速、頭に試したい。副作用が無いぶん思う存分できる。
外気光治療15分(本体スイッチを連続にし、照射ヘッドのスイッチを入れ自分に向ける。動きが出てきたら抵抗せず身を任せる?!)。
これにほぼ似通った、ワークショップのことを思い出した。
これについて語るのは、少々難しいが近いうちにわたしの読者のみに明かしたい(爆。

他に気マットというのもあったようだが、見つからない。
当時とは体の状況も変わってはいるはずだが、本質的に変わってはいない実感がある為、このとおりに当分使ってみる。

毎日行うようにとあったが、20年間やっていない。今日から再開しよう。
基本は自然治癒力を高めるということだ。
願ってもない。


こういった機器がやたらと掃除の時に発掘されるのは、医者に頼らず、自分主体に体を把握し、健康というより、快適に過ごしたいと言う意思が無意識的にも発動していた為と思われる。
あと純粋な物珍しさ、好奇心によるところ、更に普通にあるものがみな信用できない、胡散臭いという事もあっただろう。
その為、余計胡散臭い新新興宗教系の物にもかなり手を出したが、それがどう作用したかは未だはっきり分からない。
もうほとんど内容も忘れたが、、、。


ひと口に言ってこれらは、美の翳りの領域のもがきでもある。
それらのガジェットたちは、その物質化とも言える。
ベッドの皺の延長が鏡―ガラスの割れ目になっていたところから出てきたものである。

奇形の面白い物体が、長い事眠っていた。
今この時を待っていたかのごとく、何の不具合もなく目を覚まし、作動する。
他に見つかっているものもどれもそうだ。


これから実際に、毎日使ってみたいと思う。

ただ、快適な環境を生成したい。
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境界線上のガジェット

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実はその昔、学生時代に池袋のサイ科学関連の機械やグッズを扱う販売兼ワークショップも開く店舗によく足を運んだ。
ワークショップも予約で参加出来るもので、首が凝るとか言って特別な機器をかけてもらったり、マッサージと「気」を入れてもらったりしたものだ。それなりに効いた気がする(笑、が値段は結構高かった。
そこへは主に鉱物・化石・テーブルウェア・グッズやガジェットを買いに行ったものだ。


今はもうほとんど捨てられてしまい、先日最後の湯飲み茶碗の縁が割られ、食器類はもう無くなってしまった。
底に良い波動を発生すると言う「パタン」がコバルトブルーで描きこまれたものである。
わたしがパタンやデザインに興味を持ったきっかけの1つである。
かなり気に入っていたのだが、もう手には入らないだろうな、、、。
うっかり水を注いだまま忘れていても、他のマグカップだったら捨てているが、それは有難く飲んでいた。
水が柔らかく胃に当たらなくなっていた気がする。味もまろやかに思えた。


水滴と炎の形態を融合させた端正な宝珠の形の水晶と両手にしっかり握れる形の水晶の棒2つはまだ大事に放置されており(笑、今もすぐ目前に置かれている。
確かそこが波動研究所でもあったため、良い波動や気を送り込むというのが主な効能であったはず。
それから波動を発生するプラスチック性の定期券大のカードが数枚、、、。
よく財布に入れていたものだ。


機械の方は2つ買ったものはそのまま残っている。
20年近く寝かしっ放しでいたのだが、最近、掘り起こしたのだ。
何故かたいそう陽に焼けてはいた。
実はまだあったことに驚いたくらいだが、使ってみるとまた驚きであった。
しっかり使える!(と言うか今のところ電気が入るというレヴェルで、成果についてはこれからだ)。

ひとつは自分の身体波動をプリントして、液体やジェル系の物に転写するガジェット。
つまり、薬やオイル、化粧品、飲み物全般に使える。
これによって対象を摂取することによるアレルギーや抵抗、不具合、副作用が軽減できるという。
自分にとって親和性のある吸収しやすい有益な物体にしてしまうのだ。

使い方は、ベース上の丸い2つパネルの右側に右手を置き、左側のそれに対象物を置くだけ。
後はその物体の密度により、4段階に分かれているうちの該当スイッチを押す。
ジェルは4であり、トロトロしたりツブツブの混ざったものは3位にしてみる。その他の状態のものは、微妙(笑。
そしてスタート。
赤い光が幾つも順番に点滅してゆく。
暫くして適当なところで切る。
転写が済んだら自動的に止まるのではなかったらしい。
長いこと使ってなかったので忘れてた。
次の機械もこちらも説明書がどこかに隠れているため、よく分からないのが現状である。

もうひとつの機械は、α波(14Hzから8Hzの周波数領域)とθ波(8Hzから4Hzの周波数領域)を発生させてバイオサウンドとしてイヤホン又は外部音源を通して流し、神経を鎮静させ学習における集中力を増し、創造力を高めるための装置である。(α波とθ波を発生することだけは覚えていた)
これも、時間は自分で決める。
設定もかなり細かく調整が効く。
balance volume depth(変調の深さ) position(変調周期α波~θ波の調節)。
特にpositionにおいて集中力・創発力促進からひらめき・創造力さらに超リラクゼーション効果まで、幅広い調整ができることになる。
外部音源に繋ぎ、振幅変調を掛けることは、これからやってみたい。
(この機能は試したことが無かった)。

兎も角、瞑想モードというところで、プレーンでヘッドフォンを通して聴いてみる。
驚くべきことに、耳にイヤホンをした瞬間、ただ、ブーンといっているだけなのに、深く静かな心境に浸ってしまう。
何故、毎回たちどころに、こうなってしまうのかが不可解である。
暫く時間をかけて、少しずつ慣れてくるとかいうのも変だが、、、。
これだと人間、自分がシンプルな機械であること、神経ー精神メカニズムが結構簡単な原理で成り立つような気がしてしまう。
スイッチを入れた途端、余りにスッキリしてしまうのだ。
兎も角、機械的にすぐに落ち着く。しかも一定の状況が安定して維持される。
逆に人工知能があながち荒唐無稽な領域でもなさそうな気がしてくるものだ。
わたしはAIには元々懐疑的なのだが。
この2つの機械の使用感・効果については、これから先もお伝えしたい。


ともすると、価格的なところから霊感商法と受け取られ兼ねないものでもあるが、(そう、絵などになると正にそれとの差別化は難しそう)単に面白い以上の経験と認識は得た。
但し、物凄く古い機械になってしまい大丈夫かという点も若干の不安ではあるが、他に何があるでもないので、試してみたい。
これからは真面目に自分の身体で、それらの実験を続けてみることにする。
そうtDCS(経頭蓋直流刺激)へも繋げてゆきたいのだ。
(まだ、その環境がないのだが)。


秋葉原や池袋には、異世界とのボーダー上でモノを売る店があり、異世界のヒト、絵になるマッドサイエンティストみたいなヒトが、何かを嬉しそうに怪しく作って(取り寄せて)は、売っていた。値段が張るのが玉にキズなのだが。
今はどうだろう。(もう全く、足が遠のいてしまっている)。
街はかなり洗練されて小綺麗になってしまったものだが、、、。
コスプレ姉さんたちだけでは、余りに寂しい。
未来のイブが出てくるならまだしも。

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tDCS(経頭蓋直流刺激)とは

tDCS.jpg

まず、これはまだ手探りの実験段階に過ぎないこと。
と言うよりお試しか?
実は、当初わたしもやってみたいと思ってしまったものであるが、、、。

NHKの情報番組でも、先日3/7に放映されていた。


人の運動には意図せぬ可塑性を招く場合があると、番組では「局所性ジストニア」を取り上げていた。
その症状である「巻き込み現象」である。
キーを押さえる指の上下動が、巻き込む癖となってどうにも治らない。
本人にとっては深刻な問題である。
それに対して、左脳と右脳を結ぶ脳梁に注目し、その塑性を取り払う、誤った情報を左右の脳の間で書き換えることが可能であるということだ。
何やらそのメカニズムの説明があるわけではなく、やってみたらそうなった、だからそれでいこうみたいな解説である。
ここは一口で言って上書きによって、元の状態(運動)に戻すというらしいが、どうも根拠が薄い。
それは、この研究・実践全般に言えることである。
根拠が薄く、現在の事例からは問題ない、と言われているだけの気がするのだ。
今後、様々な副作用や不具合が報告されそうな予感だけはする。

説明、映像を見ていても、行き当りばったりの手探りを見る思いであった。
わたしが連想してしまったのは、接骨医の光景だ。(接骨医が行き当たりばったりと言うつもりは毛頭ない)。
それぞれの認識(運動)野にあたる部分に電極をセットして微弱電流を一定時間流して様子を見る。
つまり純粋にリハビリの質を高める、理学療法の補助的な使用とかに向くものなのか。

しかしその結果報告はもう400件を超えるとか何とか、、、。

1―2mA程度の弱い直流電流を頭に通す研究で、脳梗塞後のリハビリや高齢者の停滞した学習能力アップに成果が見られ、鬱病、片頭痛、パーキンソン病などの治療に役立つ可能性が高く、アメリカ国防省では兵士の集中力をアップさせるプログラムとしても実査に行われているということだ。
しかし大雑把な説明しかない。
それぞれの病気のどの点においてどのように作用するのか、よく分からない。
また、各病気にはそれぞれステージと目される段階もある。
どこに効果があり、その際どう危険があるのかなどは、重要な部分である。

一回に5~30分程度の継続通電をして確認をとっているそうだが、まだ方法的に定まったものはなく、副作用や危険因子などはっきりしていない部分も多い。
従来のTMS(経頭蓋磁気刺激法)と併用すると良いとか、、、
その絡みがどう検証されそのような結論に至るのか、そもそもTMSはどの程度、検証を積んだ方法なのか。
以前からそのリスクとコストについては指摘がかなりある。
実はこれも何やらはっきりしない。

また、tDCSは成果に「個人差」が出ているという。
そもそも医療に降ろす段階であろうか?
まだ実際に臨床までは、来ていないようである。
やはりもっと研究・検証を進めてからにして欲しい。


いづれにせよ、まだ始めたばかりの研究で、それそのものが前提として正しいのかどうかも分からない。
解説において必要最低限の情報もまだ出せる準備が整っていないようであったし。(TVにおいてまるで説得力が無かった)。

わたしはこの実験の人柱には志願しないことにする(笑。
当初、その触れ込み(特に脳梗塞後のリハビリにかつてない効果をみせた等)に、触手が動いてしまったのだが。
強引にやってもらおうかなどと思ったこともある(爆。


しかし、少し見守ってみたい





整理する日

今日は一日中、整理に明け暮れた。

何も今時、モノの整理をするつもりは、なかった。
事のはじめは、次女に「怪談レストラン実写版」を観たいと言われそれがすぐに取り出せなかったのである。
あっちこっちの(各デッキとパソコン10台の側に、分配してDVDとブルーレイタイトルを置いている)ラックを見てまわるが、何処に置いたか見つからない。
整理が悪いせいであることは間違いないため、全部をほおり出して、ジャンル分けして置きなおすことにした。

それと同時に、気にかかっていた多肉の整理も始めてしまった。

幾つか、もうダメになってしまったものや、いらないタイトルも見つかり、廃棄処分も始まってしまう。
そうすると、パソコンのなかの、もういらないデータやユーティリティ、アプリケーションも気になり出す。

本も読んでいないものも含め何故か気になる。

それから、娘たちに以前から見せたいと思っていて、何処にしまったか分からぬ「絵」もついでに見つけたくなる。
そうなると、もう自閉的な持ち前の性向から、適当に済ませられなくなり、脳みそではある程度で切り上げて、映画でも見て記事書いて、子供を寝かしつけないと、とは考えるのだが、それより片付け整理リビドーの方がずっと強度を増してくる。


結局、冷静に見ればかなりの量がもう必要ではない、置きっぱなしとなるであろうものであることに気づく。
床にほっぽり出してみると、よくこれだけの量のモノが何処かに収まっていたものだと、途方にくれ真面に目眩に襲われる。
血圧にも悪い。
次女に見たいと言われ、6時間後に例のDVDが見つかる。

彼女らの就寝時間ギリギリに見終わる逆算であったため、すぐに見せることにはした。
その間に、残すものと捨てるものを見分ける作業に入る。
これは、狭い庭に散乱した「多肉」についてもである。
(この時点で、わたしの映画鑑賞は本日については、無くなる)。

ビデオテープものは、そこそこ整理ができたが、DVDタイトルはまださすがに、見直すかも知れないという気持ちには逆らえず、そのまま配置替えにとどまった。ブルーレイは勿論。
本も僅か数冊の廃棄で終わり、一番景気よく捨てられたのは、ケーブル関係であった。
懐かしいINTERFACEに暫し思いに耽る場面もあった。

ついでにプリンターもひとつ捨てた。
と同時にその分は注文した。複合機はそれ1台であったので。
E社のものはもう懲り懲りであったので今度はB社のモノにした。
B3ノビ対応複合機である。これがないと結構不便なのだ。カレンダー作りに。
web上で調べると、E社やC社、H社のモノに比べかなり評価が高かったため、わたしにとって初めてのメーカーであったがB社のものに決めた。
もう度重なるトラブルやランニングコストの悪さからいって、E社のものだけには手を出さないことにしていたが(肝心のプリントより、ノズルのチェックパタン印刷ばかり繰り返し行ってきた実績がある)、スレを見た範囲でB社のその製品には、ちょっと期待できそうな気になっている。
これは、整理というのか単なる更新・入れ替えに過ぎないのだろうが、仕方がない。
必要なものは、ないと困るのだ。

ちなみに、娘達がキッドピクスで描いた絵をプリントアウトに使っているC社のプリンターは、最初のクリーニングの挙動にはこちらの諦観を必要とするが、悟ればストレスは感じなくなるものである。
H社のランニングコストと普通紙印刷の綺麗さについては満足度は高いが、ドライバーやアップデート、ユーティリティには扱いにくさを感じる。
また、トラブル対処が為難い。
レーザー導入は、仕事で使う訳ではないので考えていない。


多肉については、もうお亡くなり寸前の鉢が残念ながら3つ見つかりそれは、空の鉢となってしまった(合掌。
小さい葉を他の鉢の隅っこに置いてみたが、厳しそうだ。
最近思うのは、寒さ対策だけでなく、冬でも水のコントロールが必要であることだ。
サボテンや冬眠する多肉は別だが、冬の乾燥期に適度な水分補給が実が結構大切だったりする。
土がカラカラに乾いてしまっているものには、水が欲しいかどうか聞いてみる必要があるようだ。


などということから、自分の性分の問題もあって、映画を見るどころの話ではなかった。
しかし、娘ふたりがかなり手を貸してくれたため(それは怪談ヴィデオを観たいからでもあるが)、親子交流がいつもと違う形で出来た。
かなり出来ることが増えている事に気づく良い機会でもあった。
また、頼まれてやることも嬉しいようで、やり終える度にドヤ顔をするのが面白かった。
確かに取り敢えずお買いものに行って何か買い与えて済ますことが少なくないことに、後ろめたさがあった。(教育上、あまり良いとは言えまい)。
これからは、なるべく彼女らの活動の場を多面的に作ることを特に心がけたい。
と、モノ整理を通して思った。


兎も角、息があがり切羽詰まったが、そこそこ楽しい一日であった。
終わりよければすべてよし、としたい。







情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実

911.jpg

今更であるが、何故か2つのフィルムを観てみた。
どちらもセンセーショナルなフィルムではあったが、感動を覚える類のものでは、全くなかった。
そして「情報」というものをやはり考えさせられる。
情報の「意識」と「無意識」である。

やはり、戦争や環境危機など生命の危険を煽る物事は、人々の関心を強く惹きつけ、ビジネスチャンスも飛び抜けて大きい。
そういうものだということがよく分かる。
本当はエネルギー、食料問題が途轍もなく大きいものだが。

またその情報は、見事に階層構造の下、政治的に操作された形で降りて広がる。
既得権(オイルマネー、小泉も大いに絡んでいる)と軍事ビジネスの拡大のため。
「華氏911」においては、何より改めてアメリカの「意識」または「無意識」が非常に気になった。
ブッシュの悪巧みをクローズアップすることで、それらをグロテスクにコミカルに描きあげている監督の手腕は見事である。
ここにアメリカ覇権主義の本質が様々な局面から露呈されていると言える。

わたしが、終盤のノイローゼとなった米軍兵士や息子を亡くしたアメリカ婦人に素直に同情できない点でもある。
少なくともイラク国民の解放などと謳って、民間人をCDを聴きながら砲撃したり爆撃することが何を意味しているか、どれほど教育のない貧困層であっても分からぬはずがない。知識の問題ではない。
いかに情報の操作を受けていて(イラクが核兵器を製造している)、貧困から逃れる術であったとしても。
自分の大切なひと、家族を顧みたことがないのか?
これは、想像力の欠如もあるにせよ、そもそも想像しようという意思すらない歴史的傲慢さのなせる業である。
差別主義丸出しであるこの点だけもってしても行為の正当化など出来るはずもない。
なにもアメリカがブッシュの時だけ悪事を働いてきたわけではない。
華氏911は、「アメリカ」に風穴を開けるよい機会を提供してくれた貴重なフィルムのひとつだと思う。
ひたすら不気味極まりないホラーではあったが。


映画「バベル」のあの言葉がまた蘇る。
「わたしは悪い人間ではない。ただ愚かなだけです。」
これは、情報を操作された環境にあれば、誰にも当てはまってくる。
何も北朝鮮だけが特殊な場所ではない。
日常にいくらでもその場所は発生する。
映画「コンプライアンス」を観ても、どれだけ人が権威に操作・翻弄され易いか、暗示・催眠にかけられ易いかが、まさにグロテスクなまでに描ききられていた。

さらにそれを仕組んだように思われているヒトもそんな意図など全くもっていなかった場合も有り得る。

SF作家バラードの言うように、懐疑的な思考と視座は緩めてはならない。
また自分の身体感覚を軽んじてはならない。
わたしも改めて肝に命じたい。


さて、ブッシュにまんまと大統領の椅子を攫われたアルゴアの「不都合な真実」である。
CO2の保温効果で地球温暖化が進み、その気候変動よる自然災害が全世界的に引き起こされるという物語である。流石はプレゼンテーション・広告の国、アメリカという出来栄えである。体系的に構築された手法によって作られている。
タッグを組む元データを提供するIPCCはCO2=地球温暖化を前提としている。
これもまたホラーである。

このフィルムにとってもっとも致命的となったのは、データの改竄と誇張であり、それによる扇動である。
科学的な説得の根拠ともなっていたあのホッケースティックグラフがまっかな嘘であり、ここ百年気候は大きな変動もなく推移している元データも公表されてしまった。
IPCCの気候変動報告書の改竄(クライメートゲート)はまことに決定的であった。
(その後続々とCO2=温暖化を覆すデーターが明るみに出てきてしまう。1940~1975にCO2が急激に増加した際、地球は寒冷化状態であった。人為的CO2排出のない中世の方が気温は高かった等々。)
アルゴアのフィルムにある北極の氷が溶けてしまう予想に反し、今その氷は増量している。
仮に北極の氷が全て溶けても、それが原因で海面が1mmすら上昇することはない原理は小学生も心得ている。
南極も気温が上昇すれば返って雲が多く発生し、それによる雪で氷が増えることがシュミレートされている。

しかし過去100年で、0.7度上がっているという研究者もいれば、0.5とかほとんど変わりないと主張する人もいる。
そもそもわたしなどは、この気温というもの、どこでどう測っているのかも分からない。全体イメージは難しい。
ヒートアイランド現象などに常日頃馴染んでいる都心のビジネスマンなら、温暖化イメージは入りやすいだろう。

気象状況など、大変複雑極まりない要素の絡み合いで決まってくるはずであり、誰もが局所的体験しか持っていない。そのへんの把握の難しさ共通感覚の持ちにくさがデータの改竄を呼び込む余地を作っているところもある。

しかし基本として、その決定要因は太陽活動とされる。
地球の気象-温度を決める大きな要素は、太陽活動、その影響による宇宙線量に従った雲の生成、比熱の高い70パーセントを占める海と潮の流れなどである。
そこに人為的CO2の作用はほとんど無い事が以前から根強く科学的に説明されている。
地球の地表レベルで(保温効果で)閉じるものではなく、絶えず宇宙との関係において地球環境が決まる。

現に今、確認できる情報の範囲でも地球温暖化が感覚的に納得できない状況にある。
世界各国のこの冬の圧倒的な寒気と歴史的積雪など、身に染みている人は多いはずだ。
ナイアガラの滝が凍りつき、エジプトに雪が降り、人々は学校・勤めをサボって珍しがっていた。
夏の猛暑日もなかった。
これまで温暖化研究の陰に隠れていた研究者たちの見解によれば、現在地球は寒冷化に向かっており、今後更にそれは進行し2045年から少なくとも2055年には小氷河期に突入するという。
太陽の活動が周期的減衰期(11年周期)からいつまで経っても回復しないのである。
太陽にいつまでも活発な活動を示す黒点が見られない。
この現象は、200年に1度起きると言われるマウンダー極小期にあたるという。

アルゴアのこの科学的にも感覚的にも了解し難い政治的プロパガンダの目的とは何か?
(ノーベル平和賞という権威に預かっても、アメリカにおける学校上映は、保護者からの提訴で上映禁止になっている。このフィルム、科学的根拠と人々の共通感覚にそぐわなかった事がよく分かる。)

CO2と温暖化を結び付け、CO2を原理的にほとんど出さない原発のクリーンエネルギーを印象づけるためである事が最も考え易い。
原発推進派や温暖化ビジネスの利権を守る又はこれを拡大する目論見であろうか。
しかしアルゴア自身が原発推進派であることからしても、余りにそれは見え透いている。
労力対効果がこれでは割に合わない。
これだけ大掛かりな装置まで作ってやらなくても他に効果的な方法はいくらでも見つかるはず。
彼は、恐らくこのドキュメンタリーを使命観をもって作っているようには窺える。
思想背景の一つとして考えられることといえば、スティーブ・ジョブスにも多大な影響を与えた「ホールアース・カタログ」のスチュアート・ブランドが、原発推進派に転向したことが思い当たる。グリーンエネルギーを提唱する指導的立場のエコロジストであった彼の動向は波紋を呼んでいた。彼の背中を押す思想は様々なものがあったはずだ。
反ブッシュ(共和党)の姿勢も政治的に勿論あったはず。

わたしは、アルゴアの主張そのものには同意し難いが、化石燃料にこの先も依存し続ける部分に対しては同様に反対だ。
CO2の固定に関しても、同様に賛成だ。
循環可能エネルギーの開発についても賛成だ。
そもそもオイルがマネーとなる世界はなんとか終焉してもらいたい。
そしてエネルギー問題、CO2の固定、食糧問題。
今、何より取り組むべき事業は、人口増における食糧とエネルギー問題である。
これをなおざりにして、利権の保持拡大を図る輩の操作に乗ってる場合ではない。
寒冷な環境下にも耐える食物の栽培と充分な栄養素の確保。
有限な化石燃料に変わる循環可能エネルギーの生成である。
日本のベンチャー企業「ユーグレナ」の奮闘に期待したい。

日本がこのブームにやけに軽く乗ったのは、何故であろうか?

早急にビジネスチャンスと判断したのだろうか?
実際、CO2は金の成る木と言われていた。
あのエコ対策。ゴミ分別。有料ゴミ袋。エコバッグ。
炭素税・環境税がらみの税金に加え、温暖化研究者には、予算が計上される。
ハイブリッド・カー。エコカーの奨励。TVCMも多方面、沢山あった。
美術の時間に生徒の描いた、地球が水没するポスターなどが街頭に貼られてもいた。(あんまりである。北朝鮮と変わらない。)

それがそのまま無批判に受け取られていたなら、寒さに凍えながら温暖化に怯える光景が現れる。
ピーター・ブリューゲル(16c)がこの状況を見たらどの様な絵を描くであろうか?
彼は丁度、前回の小氷河期に(マウンダー極小期)オランダに生きた画家である。
彼の絵をよく見て欲しい。あの貧しい農村の果てない雪景色を。
穀物の収穫は大打撃を受け、更に黒死病が大流行した。
あの当時、イギリスのテムズ河は完全に凍りついていたそうだ。
あの絵のまさにひりつく美を。(可視光線を吸収する物質が大気中になかったことに感謝である。)

入院した病室は広くて助かったが、とても寒かった。何故か心細いものであった。
その感覚が今回この事を一言書いてみたい気持ちを呼んだ。
アングルの名言が思い浮かぶ。「人は暑さで死ぬことはないが、寒さに死ぬことはある。」
自分をドラクロワと比較して述べた言葉だ。
これ自体は彼らの違いを浮き立たせる絶妙な表現だが、結局どちらにしても人は死んでいる。

最近よく宇宙物理で話題になる「人間原理」でも説かれているが、人はこの宇宙という途轍もなく微妙で特殊な物理の数値上に、辛うじて発生し生かされている事が判明している。
ここに神を見る科学者も少なくない。(インフレーション理論では神を持ちだなくても説明可能となるが)。
要は、人類の生存(発生)にとって環境が如何に肝要であるかである。
その生存欲求に対してはやはり誰もが生命体として過敏になる。
つまりは、それをある意図の元に上手く操作すれば、全世界的な動きになりかねない、と言える。
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ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス

VforVendetta.jpg

前回あえて書かなかったが、実質あらゆる文化的な枠組みから外れて遍在するテロ組織の最も有効な武器がヴィデオドロームだ。
映画にもあったまさに残虐・殺人シーンが繰り返されている。
プロパガンダの拡散にもっとも効果的というのか。
いまやプラットフォームはどこにでもある。
偏在し潜在しつつ何処にでも顕在化する新しい形態の「国」。
資金もやはりウェブから吸収する。
増幅する。
そのアメーバー状の組織に「国」を名乗っているのが象徴的である。
ヴィデオドロームに最適化した「国家」が現れた。

空爆はもはや実効性をもたない。
下にいるのはみな民間人である。

連中はアメーバーではなく「ウイルス」。
anonymousはそう告げている。
(あの「V・フォー・ヴェンデッタ」の仮面でイメージを浸透させているハッカー集団)
つまりネットの中ではじめて姿を見つけ出せる削除対象だ。
もうすでにかなりのSNSアカウントが彼らの手で処理されているらしい。
これをみても、完全に戦いは、ヴィデオドロームを巡っての攻防となる。
ドロームの路を断つこと。
またはリゾーム状に張り巡らされた経路を可視化すること。晒すこと(リストアップ)である。

もしそれができれば、「国」の弱体化は免れない。
少なくともそういう次元の戦争となっている。
anonymousが「国連」の代わりか?
少なくともアメリカのできることではない。
火種はアメリカであるし。
国では、もはや対抗不可能。

ヴィデオドローム2が今起きている。




透明な身体性

Perugino Keys

wwwを発明したヒトは大したものだ。
今、われわれが何かやる時の透明な前提は正にそれだ。
われわれにとって空気と同じと言ってもよいほどそれは抵抗がない。
完全に日常に溶け込み、電気が通っているところに端末は必ずあり、そこからほとんど何にでもアクセスが出来きる。
そもそも、
それがあっての仕事であり、趣味であり、遊びである。
また、友との繋がりである。
URLである。
そしてアウトプットの出来ない庶民からの飛翔である。
もう既に随分前から取り込んでいる身体性である。

勿論、今やアプリの世界がURLを隠蔽しつつあるが。
それでは、もうウェブとは言えない。
ウェブが見えなくなったらお仕舞いだ。
アナーキズムが無くなる。
アナーキストは、
やはりウェブが面白い。

しかし、ちょっとしたバグやミスでそこに入れなくなる。
これは体調を崩すというより、病気で動けなくなるに等しい。
いや、等しい、ではなくレアルに病む。
身体のかなりの核の部分まで血が巡らなくなる。
壊死してしまう。
早くメンテが必要だ。

早く入らなければならない。
ウェブの中に。



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廃墟の醍醐味(ストーカー〜ゾーン)

07fc865e.jpg

タルコフスキーの”ストーカー”は100%廃墟が舞台であった。
廃墟内での想像できる限りのことが描き尽くされている。
見事な映画である。
廃墟の堪能ということを考えると、もう”ストーカー”以外にない。
恐るべき廃墟映画。

われわれはここでないどこかに惹きつけられる。
だから旅行や探検もする。
しかし、旅行や探検も多くは日常時計にそのまま依存する”旅”だったりする。
仲良しグループで軍艦島ツアー、廃線後(鉄道)ツアー等の廃墟巡りもひところ流行った。
企画物として。
廃墟も色々有り、利用し尽くされた果ての建造物から完成にも至らず計画の頓挫したまま廃墟を迎えたものなど。

トマソンもこの廃墟にすぐに繋がる行為であったはず。
この行為が一番本格的な廃墟の入口に来ていたように思える。
タルコフスキーのストーカーも小説『路傍のピクニック』を原作としている。

どうやら、われわれにとってのどこかというのは、時間感覚を中吊りする場所なのではないか。
時計を持った身体性では、空間はどこへ行っても等質である。

日野啓三の小説に描かれる都市は全て廃墟である。
立ち並ぶ無機質の高い堅牢なビルディング。鉄塔。モノリス。
意識の皮膜が今にも破れそうな場所で、われわれは生の現実感を確かめようとしている。
静謐な緊迫感。そして罠。迷路に翻弄もされつつ。ひりつく濃密な空間にあって。
時間も音も止めて生の手応えをひたすら確かめている。
夢のなか、タルコフスキーのゾーンにあって。そう、廃墟のそれは別名か。

いや、われわれ追放者にとって楽園はこういう形でしか姿を見せないのかもしれない。
その垂直性には、炎や雨が共にある。
清められたい。
われわれの内奥にあるものを顕在化したい。
そう願うか?
イドの怪物を解き放ちたいか?
疾風とともに。死の予感とともに。
天への梯子(きざはし)に魅せられ。
ひりつきながら。
神を感じる。

廃墟は恐らくそのための場所だ。
失楽園にいるわれわれ「どこにいたって地獄だ」(ストーカー)にとっての楽園なのだ。
「マタイ受難曲」がその園にこそ相応しい。


人身事故

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ここのところ通勤電車がしょっ中、人身事故で止まる。
行きはさほどではないが、帰りによく遭遇する。
短い距離なら、一駅くらいなら歩くつもりなのだが。
しかしその一駅がやたらと長い。
電車なら距離がそこそこに思えても、実際歩くとなると、尋常ではない。さらに通行止めやら迂回など、徒歩の場合、線路沿いはなかなか真っ直ぐ進めない。
距離そのものが、結局想像以上に延びる。

歩くのは、疲れて帰って来るその日の最後の最後となる為か、かなり効いて来る。
翌日に残る疲労となる。

止まった駅構内でアナウンスされる振替輸送というものが分からない。振替輸送ですんなり帰れるのなら問題無いが、そんなものでどうにかなるものでない場合、さぞ有効な代替案があるようにアナウンスされても、ただ虚しい。わたしの場合、まあ、歩くしか無いもんで!歩けなければ、動くまで待つのみ!

歩くと判断した場合、大変な距離を暗い中ひたすら歩く。
帰ってから何か出来る状況ではない。
ブログを書く気力にも響く(笑

朝の出勤時であれば、これはもうやきもきして大変な状況である。
過去2度ほど完全に遅刻してしまった経験があるが、朝大概余裕を持って出かけているので、ほとんどはスレスレセーフとなっている。また、午後に起きた時よりも止まる時間も少ない。(もちろん事故にもよるのだろうが)


さて、人身事故にも色々あるようで、単に人身事故とアナウンスされても、どんな事故なのか具体的には分からない。時には内容を知り、それを人身事故と呼ぶのか?と言うものもあった。

別に具体的に内容を知りたいという野次馬的な好奇心があるわけでは無いが、こちらにも毎回、物理的にも肉体的にも時間的にもかなりのダメージがかかるのだし、わけの分からぬ、「人身事故」とかいうことでサラッといかれても納得がすんなり出来ない気持ちが残る。
そもそも人身事故ってなんなのか?
大概駅で起こるようだが、駅で電車と人がどうなるのか?
接触か?落っこちるのか?轢かれたのか?
しかし、何で?

急いでいたのか?
スマホをしていたのか?
死にたくなったのか?
なんだか分からぬ事故としか片付けようのないものなのか?
線路内での仕事中?これはシステムの上の問題?
もしかしたら自然災害?
人災?殺意をもった?
単なるオフザケ?

兎も角、われわれにあっては、いつ何処で何に巻き込まれるかは分からないよ、と言う警告ともとれる。

そんな風に受け取り、電車が止まった時の行動パターンを幾つかしっかり考えておく必要があろう。
自分の行動範囲において、一種のハザードマップを用意しておく必要はあろう。

巨大地震の起きる確率は年々上がっている。
こうした日々の災難を何らかの兆候と捉え、それが何かの始まりかもしれないと言う受け取り方もあるかと思う。
あくまでも受け取り方の問題ではあるが。
兆候ととれるのなら、それを無駄にしないことだ。(たんなるくたびれもうけに終わるのではなく)



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