プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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原風景Ⅱ ~All is lost

昨日の続きで、かなり違う傾向のものを。
いや基本的に全く同じであるが。
これらは皆ソースに過ぎないものであった。
(もう方付けようと思う)。


008.jpg
ただ、闇を撮りたかっただけか。
闇にも目印は必要だ。
この徴が十字架ならば、カラヴァッジョの救いのない闇だ。

009.jpg
どこの扉だろう。勿論、もうあるわけもない。中にあったものも諸共、、、まだあったとしても知りようもない。
仕舞い込まれて、明かされることのない無意識下に沈み込むもの、、、
または、ただの厚みも奥行もない書割であったか。


010.jpg
最近はとくに、こういう剥きだしのモノは見なくなった。災害とか事故のときなどにふと顔を見せるが。
ある戦いの秘められた名残にも思える。
そう残骸だ。


011.jpg
ほんとうに宇宙の隅っこ感が半端ではない。稲垣足穂に見せたい(笑。
この写真、好きだ。
こんな一角があった。


012.jpg
当時のわたしの心象風景か。
底知れぬ不気味な淋しさ。
絶対零度の光景があるなら、、、。


わたしのルーツであることは間違いない。





原風景 ~鉄

子供のおもちゃの片付けをしていたのだが、しまう場所がなくなった。
余りに多いのだ。
それでわたしの物品を少し整理し、その場所に取りあえずは置くことにした。

その時に、古い写真が掘り出された。
文字通り、そのように発見されたのだ。
1979年と書かれている。
多分、当時自転車に小さなカメラを装着して、うら寂しい光景を撮っていた頃のものである。
かなり夥しい数があった。

10%の画質でスキャンしたものを幾つか、、、。
紛れもなくわたしの原風景である。
これらのメモをもとに絵を描いていた。(写真作品としての価値は全くない)。
絵は、ほとんど抽象である。

ボードにリキテックスで描いていた。
リキテックスは性に合う。
わたしはせっかちであり、瞬時にものを仕上げてしまいたいからだ。
油絵はいつまで経っても乾かないため基本的には選ばなかった。

001.jpg
あらぬ彼方をうち眺めるダイナソーである。

002.jpg
ダイナソーが方向性をもって移動してゆく。

003.jpg
いつも自転車で通る道すがら、米軍の施設(設備)は常に肥やし臭い畑を挟んであった。

004.jpg
よく出逢った、電動車椅子の紳士である。今日はどちらの路にするか、というところか。

005.jpg
このようなカップルの写真はいくつ撮ったことか。かなりこの手のものはある。

006.jpg
独り者であるが、そこそこ楽しそうである。

007.jpg
わたしの写真の最も典型的なもの。実際、こういったところが結構有り、自転車でこの中を走ったこともある。
クモの巣に巻き付かれることもあり、充分先を確認しつつ走らなければならない。


大概、鉄との出逢いである。
鉄は最も安定した元素であり、地上のどこにでも見つけることのできる身近なモノである。
恒星の核分裂も鉄どまりである。

何というか、、、確かなものとの接続であった、と思う。



今夜は出てきた写真をしみじみ見ながらワインでも呑んで過ごしたい。


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ジャック・アンリ・ラルティーグ

lartigue.jpg

日中、ポカポカ陽気であったため、ベランダのいちごプランターの前で、思い切り寛いで本を見たいと思った。
文字を追うと、すぐにちょっとした単語に過剰反応して興奮し、落ち着いていられないのでドゥルーズとかは、やめる。
ロラン・バルトもダメ。モーリス・ブランショは多分眠る。ここで寝るのは危険である。

ということで、写真集を眺めることにした。
取り敢えず持ってきたのは、マン・レイアルフレッド・スティーグリッツロバート・フランク、ウォーカー・エバンス、アンセル・アダムス、ジャック・アンリ・ラルティーグ。
その他、リチャード・アヴェドンとか、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ダイアン・アーバス、そしてウジェーヌ・アッジェなどなど、、、大物が控えているのだが大判で重た過ぎるので、無理である。膝に置くと痛い。

選ぶまでもなく、ジャック・アンリ・ラルティーグにした。
書庫から運ぶ時点で決めていた。
思いっきりボケっとできる。

久々に見るラルティーグ。
純粋に、面白い。

大写真家アンリ・カルティエ・ブレッソンとはかなり違う(笑。
勿論、ジャック・アンリ・ラルティーグにも「決定的瞬間」写真は数多い。
というか、それ狙いの写真ばかりが目立つ。
だが、ブレッソンに比べると、ギャグみたいな光景だ。
本人もそんなつもりで撮っているに違いない。
やはりアンリ・ルソーを想わせる。
だが、ルソーは素朴ではあるが、結構技法的な工夫を見出して描いているのだ。
ラルティーグは興味と好奇心に満ちているが、探求は感じられない。
少なくとも芸術家の苦悩など、どこ吹く風だ。
面白いシーンを切り取りたい、童心に近い「一心」が窺える。

単に”アンリ”つながりの連想をしてしまった(笑。
しかし、ルソーと比べると面白い。
彼には実にルソー的な、スポーツ写真がいくつもある。
ルソーの絵の下写真に思えるほどのものだ。
だが、ルソーはかなりの時間と試行錯誤を経てその絵を完成させる。
それは勿論、「絵」という形式であるための制作方法的な要請としてでもあるが、それだけではない。
構成・構図・技法などを考え、構想して制作している。(所謂素人絵描きのボンボワ達の素朴派とは、一線を画する。しかし紙一重的な部分が無いとはこれまた言い切れない、、、)。
ラルティーグは、動くものを見据えて、ここぞという時の運動神経勝負である。
釣りのようなものか?
構成的な静物・風景・肖像写真家の要素はない。
マン・レイなどのカメラレスの熟考された芸術写真からは、程遠い。

しかし、ではプロの大作家の写真で、これ程軽妙洒脱な楽しい絵を撮れる人がどれだけいるか?
と思うと、多くは重厚で壮麗な方向に洗練を重ねて向かって行ってしまう傾向が強い。
そう、重くなり、それに従い、ノイズも無くなる。

ラルティーグは、重力を自我で調整しない。
それを強靭なディレッタント精神で許さない。
微細な存在-有り様を全てそのまま、活かす(解放する)。
単に細かいことは、気にしないのかもしれないが。
しかし大雑把な性格で撮れる写真ではないのは明白だ。

この際、作家はひとまず置き。
作品は、必然的に(物理的に)色褪せるが、この写真のイデアは瑞々しさを失わないことが判る。
いや、はっきりイデアの存在する何かであると言えよう。
今これ以上語る準備は、脱力中のわたしにはないのだが、、、
ずっと、多くの脳裏に残る写真であることは、間違いない。

そしてやはり、作家が気になる作品群である。
彼ラルティーグにとって、世界はおもちゃ箱をひっくり返したような愉しさに満ちたものだったと想われる。
そんな世界とは、恐らく微細で多様で異質なモノ全てを面白がり愛する精神を前提とするはずだ。
そしてその強度を保ち、畢生ディレッタントで押し通せることは、超人(ニーチェの)に近いと言ってもよい。


アッジェも後で、ゆっくり楽しみたくなった。
写真集は、見始めると面白い。

今日は思いっきり他力本願です(笑

シュールな世界をヒロイモノでご紹介♡

izumo012.jpg
何故か清々しくて、神々しくもある。

izumo019.jpg
楽しい。フィギュアも冷たいのか?なにか引っかかって落ちてこない気もしないでもないが。

izumo020.jpg
ノーコメント

izumo025.jpg
こっちは大変良心的な店だ。最近珍しいほどに誠実な。

izumo021.jpg
特徴がかえってよく分かります。だろうか?

izumo024.jpg
ホントにご無体な。

izumo023.jpg
信頼できるレベルまで来ました!ジョブズさん。

izumo027.jpg
すぐにあわてて終了させなくても、時折待てば復活することもあります。
うちのPCでも10回に1回くらいですけど。

izumo026.jpg
お茶目ですねえ♡
わたしの大好きなシトロエン♡

izumo016.jpg
最後は綺麗に。凛々しいお姿!ハイデッガーを思わせる


第二集もやるかもです(笑

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THEME:芸術・心・癒し | GENRE:学問・文化・芸術 |

SeaSong の行く末に関して

donguri.jpg


すみません。うちわのことです。
私の二番目のブログ”SeaSong"ですが、作ったばかりで長いこと投げ出し状態になっておりました。
もうかれこれ、、、うんヶ月。
理由は今ひとつ編集しにくい、とくに画像とテキストの関係など。ヤフー
それから、何より紹介しようと思っていたものを集められなかった、私の怠慢が原因です。
もう年末ですし、整理をしなければなりません。
ということで、そのブログこれからどうするか、消し去るのかなのですが、、、

これまで何事もなかったかのごとく、続きをそう3日にいっぺんくらいの頻度でアップしていこうと思うのです。
いかがでしょう?
なんて、知ったことか好きにしろ!だと思いますが、とりあえず好きにします(笑

廃物利用でもないですが、せっかく開いたブログですので、使っていきたいと思いました。
本当は解約がメンドクサイノデス。(え?何語ですか?わかりませーん)

一応、小回りの効く、作りやすく集めやすい、調べやすいものをご紹介したいと思っています。
それではちっとも面白くないではないか!
お怒りの声も聞こえてきそうですが、わたしもマチュピチュの取材に飛んだり、ブラジルのUFOについて現地人にインタビューなどしたいのはやまやまなのですが、ちょっと無理があります。(ちょっと?)
そういうのは「世界不思議発見」に任せ、わたしはローカルな話題に特化します。ハイ?

SeaSongは大昔私が毎日更新していたHP(5つあったうち)の一つでもあります。
タイトルだけはとても想い出深いものなのです。まだまだ実は想い出深いタイトルは控えており、今年度中にもしかすると、永い眠りから覚めるかも知れません。
あくまでもわたしに余裕があればの話です。
わたしは最近、娘の隣で仮寝をすると、いつの間にか一緒にそのまま朝まで眠ってしまうのです。
人類は徐々に眠る時間と眠る深さが増大してゆき、植物化してゆくという話を読んだことがありますが、よい話です。(実は書いたのはバラードです)
すべてのヒトタチが月の元にソウナッテほしい、、、(宮沢賢治風に言ってみました)。

だんだん何を言おうとしていたのか、定かでなくなってきました。
私が最近、一番自分の中での著しい変化と感じているのは、記憶力です。
ほとんど覚えていない。何も。特に都合の悪いことはほぼ、すべて蒸発してゆく。
買ったものも忘れている。
落とした自分も忘れてしまい、うちに帰ってくる始末。
稲垣タルホか?自分なりによい境地に至ったものだ。
ってなんのはなしでしたっけ?

そうそう、ブログを再生するはなし、でした。
そこでこうします。
買い物などの帰りに、私のもっているカメラでRICOHのGRを使うことを縛りとして、路上観察委員会的なオブジェとおぼしきものを1分程度で撮る、としてみたいと思います。(その際、買ったものを落とさないように注意する!)
RAW現像ものは載せません。あくまでも画像確認用JPEGを小さなデーターにしてアップしますので。
画質どうこうという写真作品ではなくあくまでも何があったかの、「何」を載せます。
宜しくお願いします。

まずは何を撮るか、「どんぐり」だろうな、、、


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第14回「相模原市写真連盟展」

相模原市民ギャラリーにて11/12まで開催。相模原市写真連盟主催。
またしても、結果的プライベートビーチ状態の「相模原市民ギャラリー」での取材です。
こんなに小忠実にこのギャラリーの取材を律儀に行う人が果たして関係者以外にいるでしょうか?
なお、本来は絵画・写真の専用ブログとしています"Low"で行うはずなのですが、今プロコル・ハルムの紹介をしている最中なので、こちらで失礼します。

では、今回もわたしのローカル取材です。(作者の敬称略です)

まず本展覧会は加盟写真グループ単位での参加のようです。8団体参加しています。かなりの点数でした。
すべてを見渡してみて思うことは、「趣味」です。

やはり趣味の世界でした。
ただ、他者に見せるに十分な質はもっていました。

モチーフは、鳥、花、建物(古民家)、路地、公園、人物、彫像、樹々、雪景色、紅葉、渓谷・水、炎、一瞬の動き、反映する光、、、

まず、最近目が悪いせいか、距離をもつと物がぼやけて困るのですが、こんなとき異様にモチーフが際立って浮かび上がって見えてくるのは、背景を思い切りぼかして深度の充分にある写真です。

まるで3D画像のように見えました。
それは特に霧の遊歩道ii(興水サキ子)や秋たけなわ(酒井邦男)をはじめ、鳥や花をモチーフとした写真にはほとんど見られます。
また、色彩の鮮やかな作品に祭りをテーマとした物が目立ちました。「ハレ」の日(堀口浩幸)などに見られる色相の対比と凛としたモデルの佇まいの美しさ、収穫の秋、お彼岸の頃(柳一郎)にはさらに強烈に色の対比-コントラストが見られます。
反対に色のトーンを落とし、細やかなグラデーションで魅せるソフトな作品も多く見られました。
あからさまなソフトフォーカスという訳ではなく、グラデーションと色彩の対比(補色)で絵をまとめている物に、斜光(高橋豊吉)や夕映えの渓谷(倉本勝美)があります。オレンジと青の補色対比は霧と水繁吹の質感の対比にもかさなってとても柔らかく鮮やかです。
静寂(藤野富一)の鈍い黄から深緑までのグラデーション、グリーンの夜明け(金井勝利)の深い豊かな緑の光。

これらを見ると自然に写真は「光画」とも呼ばれることを思いおこします。
本来、光を切り取る芸術であることを。

また、写真ならではの作品として、砂丘遠望(篠崎明弘)があり、砂丘の中をずっと歩いてゆく小さな人々の後ろ姿を追うものです。さらに必ず展覧会にはある、ここぞという瞬間ショット。今回も何枚もありました。
また、絵画的な世界を狙った、射光の朝(吉永進作)の不思議な樹木の影。光Ⅲ(山口元秀)のモネかと思う印象派絵画のような光の画像。新緑(藤波彰)の構図の面白さ(ジョージア・オキーフみたいな)。

わたしが今回の写真展で最も繊細で美しさを感じた作品は、「凍てつく湖畔」(坂本武昭)です。
池の水面の風で乱れる波紋の表情をそのままの姿で凍結した薄氷の美。
自然の幽かな気配を見事に形象化していて感動的な作品でした。
それから、「合わせ鏡」(滝沢達巳)ですか、澄んだ水の最も説得力ある表現は、このような時間を止める鏡状の水面ですね。全くの合わせ鏡になっています。この水、これこそ純粋なメディアです。存在を表そう知らしめようとするとき、必要なのは、そのものではなく、このようなメディアに他ありません。

今回の写真展で今ひとつ観ることが辛く感じるものに、絵葉書タイプの写真があります。
これは構図・構成、色相、コントラストなどあまりに綺麗に収まりすぎていて、完全に閉じてしまっているため、他者のイメージを拒絶するようなものです。一見見事なのですが、とてもペラペラに見えてしまうのです。
技術は大したものですけれど、キレイに撮る以外の何かを感じさせないのです。
ある特定の場所の紹介写真などでしたら必要十分なものなのですが。これは山の写真や瞬間切り取り写真にかなり見受けられました。「絵葉書」によいと思いましたが。

写真は記憶と関連します。ですから基本的に個人的な重みを孕むものです。撮った本人が満足ならそれで良いはずなのですが、作品として発表するとなると、それは何からも中立して第三者-観る者の目に晒されるものとなります。わたしはその場所を切り取った意思が見えるモノに魅力を感じますが。
趣味的な楽しさはしっかり伝わってくる展示会でした。


以前、ここでの絵画展でご紹介したことのある、鈴木英子氏の絵画作品が別コーナーで展示されておりました。
大きい油絵が4点、小品が6点くらいだったと思います。
大きいものだけしか観ませんでしたが、やはり作風は不変もので、ポテロとルソーが混じってお洒落なトーンにまとまったような世界です。
「、、、ここはわたしの楽園です。動物も植物も、そして「私」も幸せに生きています。」
と作者の言う世界は、理想郷を作り、自然と共生する文字通り「秘密の楽園」であり決して今日-今ではありえず永遠の「NEXT DAY」であり永遠の「明日」であるしかない。しかしこの画布の中でだけは「NOT ALONE]なのであります。不可避的に有り得ないモノ達と有り得ない時空に共生する。ひとりじゃない、、、と絶対的な場所に住まう。
作家とはそのような者なのでしょう。





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志賀 理江子氏の作品から~幻想のありか

ernst.jpg
相模原市民ギャラリーで、総合写真祭「フォトシティさがみはら」という催しが、10/11~10/28の期間、駅ビル(セレオ4F)にて執り行われております。

そこで今回取り上げたいのは、プロの作家の志賀 理江子氏です。
氏は1980年愛知県生まれということです。ロンドン芸術大学チェルシーカレッジ・オブ・アート卒。
しかし若い新たな感性などと言って括れるような作品ではありません。

「快適に整えられ自動化された日々の生活と社会に身体的な違和感を感じるところから表現を始めた」そうです。
そして身体と密接な土地との関係を求め宮城県を見出し、その後何度も訪れて太平洋側の北釜に出会います。現在そこに暮らしながら地域のカメラマンとして祭り等の公式行事の記録さらにオーラルヒストリー(口述史)の作成も進めているそうです。そして自分自身の写真制作の活動を精力的に続けています。
2007年にはすでに木村与兵衛写真賞、2009年にICPインフィニティアワード新人賞、2012年東川賞新人賞を獲得しており、個展もオスロやメルボルン、シンガポール、バンコク等日本だけでなく海外で積極的に行っています。

今回の展覧会のプロ4人の中で、最も想像力を掻き立て呼び起こす作家が志賀氏でありました。
作品は何か民俗学か文化人類学の学者がフィールド・ワークで土地や人や言い伝えや神話を調べなぞり直すような作業も思い浮かべるものです。また、地質学者のような目でその土地を作る鉱物を肖像写真のようにその表情を精緻に撮り分けています。
鉱物の写真はすべて時間?数値で記されていました。

人もたまたま写っていますが、あくまでも茫洋とした風景の部分として、
または何かの影のごとく、通り過ぎ又は屍体のように無名なものとして在ります。
誰が執り行っているのか分からぬ何かの儀式や痕跡(穴)も一部見られます。
しかしなんの儀式かその名前も目的も誰も思い出せません。
名もない宇宙人も寄る辺ない石ころのように、ころがっています。
ここにはいささかも奇異な物などなく、奇妙な関係・組み合わせもありません。
ここには名や生や死は何の意味も持ちません。

非常に物質的な、場所というものを志向した作家だと感じます。
写真を撮った時間帯は夜(深夜)か、夜明けのトワイライトゾーンのように見えます。
草や木が生き生きとした異次元の動物のように待ち構えていたり、
ヒトも一体となった不思議な存在となって場所を形作っています。
次の朝、太陽の下では何も残ってはいません。


写真の主人公はあえて言えば、「場所」に他ありません。

そしてやがて場所から立ち上がってくるもの、これが「ことば」であり「光景」であり撮るべき「写真」
-「イマジネーション」なのでしょう。
非常に生々しい、生まれたての言葉で捉えられた、初めて目にする光景ー事象はイマジネーションそのもの。
氏はイマジネーションは自分の中に生じる個として持ち運べるものではなく、このような氏をひとつの媒介といてその場に立ち表れるものとして捉えているようです。
観測者ー撮る側も数式に組み込まれて成り立った場所-世界です。

ここが幻想というリアルな世界の有り様なのではないかと思います。
別に科学と呼んでも良い。



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ダイアン・アーバスの写真に触れて

Arbus.jpg

アーバスの写真は真正面から撮ることが多いことを除くと、レニ・リーフェンシュタールの「ヌバ」にも似ていると思いました。純粋に他者(異物)の強烈な美の記録という点において。
普遍的な強度をもった。
またアーバスはその対象の異質さにより、リーフェンシュタールはナチに絡んだ過去によりまともに論じられることはなかった点も似ています。

アーバスが狂信的なバッジを付けパレードに参加する青年を撮ったのは、情熱にもえる恍惚とした憑かれた美が、ただ撮りたいからであって、同じ強度で夥しいフリークスも撮っていたのでしょう。そこには政治的・思想的な動機など微塵もなく、自身の生の根源的欲望に従って、まさに生の証として撮りたいものを撮るという一貫した姿勢がありありと窺えます。その点で、リーフェンシュタールはやはり芸術(写真芸術)を意識していたことは疑えません。
アーバスはファッション写真家からの転向のように捉えられますが、ある意味、ファッションにおける虚構美も「それ」と通底するグロテスクさが認められたはずです。少なくとも彼女にとっては等価のものだったかもしれません。アーバスにとってカメラは、嫌悪を抱かずにいられないのにどうしようもなく惹かれてやまない彼らーそれに対峙する唯一の道具だったでしょう。ともかく「それ」を記録しないではいられなかったのです。正面からキッチリと。その点においては、彼女はいかなる枠にも派閥にも属さない単独の記録者であったと言えます。結果的に作品が良識やタブーなどに守られた凡庸な美意識を逆撫でしようが揺さぶろうが、彼女の関心はひたすら「それ」に向けられるばかりでした。いえ、「それ」から逃れられなくなるのです。

しかしそのままいくと必然的に彼岸へ、彼岸のものへとひきずりこまれてしまうのでしょうか?
あの歓喜の群れのなかへと、、、

「略、、、船が火事でゆっくり沈んでゆくのを、わたしは知っていました。みんなもそれを知っているのに、明るく踊り、唄い、キッスして浮かれ騒いでいます。希望はありませんでした。でもわたしは恐ろしいほど興奮していました。撮りたいものがなんでも撮れるのです。」(アート・フォーラム71年3月)
アーバス最後のメモです。数ヵ月後に手首を切ります。

生前に写真集が出版されることはありませんでした。


”An Aperture Monograp”と”Diane Arbus Revelations”さらに”Magazine Work”が現在、アマゾンなどから手に入ります。
わたしも昔、写真雑誌に抜粋されたものしか持っていません。今度買おうかと思っています。

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ロバート・フランク

robert.jpg

これはまた静かなインパクトを湛えた写真ばかりなのですが、一番引っかかった写真は「ニューヨーク」です。
ほの暗い残照のなかニューヨークを突っ切りまっすぐに延びる道路。
両端にはビルの下、夥しいシミの様な人影がならんで歩いてゆく。
残照と共に揺らいで消え去ることは分かっている。
ひとつ残る道路に果てはない。
いやすぐ先で突然途切れて虚無をむき出しにしているのかも知れない。
そんな茫洋とした道路。

こんな虚しい道路はなかなか観ることはできないです。
勿論、観るものの精神状態でまたは価値観で見え方などどうにでも変わると言われるかもしれませんが、この道路にはまったく活力に満ち希望に輝くものなど見えない。

すべてが終わった後の未来の記憶の果てに浮かび上がる道路。
すべてそんな想い出を呼び起こすような写真ばかりです。
REMやDinosaurJr.の音でも抒情的過ぎるような荒涼とした。





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写真集を眺める

やっぱりジャック・アンリ・ラルティーグが面白い。まるでアンリ・ルソーを観る思いだ。

本人はずっと画家で写真は趣味だと主張していましたが、純粋に楽しい。個展が催されても作家の説明には確かアマチュア写真家と書かれていたはず。素朴派の絵画に似た味があります。構えて観る必要を感じさせない。プロだろうが、アマチュアだろうがこれは真剣に息を止めて観るような写真ではないですね。
これは紛れもなく生涯自分の好きなことをやり、好きなものだけを誰にも影響されず撮り続けたヒトの作品です。
素朴派と言いたいところですが(特定の流派などに属していません)、趣味という立場はとても強みなのかも、とつくづく思います。
ベル・エポック時代のノスタルジーとよく言われますが、確かにすべての写真が郷愁を纏っています。多分何か自分が幼いころ観ていたとっくに忘れた光景でしょうか。クラシックカーのレースの写真が多いのも嬉しい。
女性に真上に投げられたボール、スケートをやや斜めに傾きながら滑る3人組の男女、今まさに自転車ごと転んだ夫人、なぜか自分から前転する婦人、幅跳びの空中姿勢、疾走するオートバイ、浮き上がったタコ、いままさに離陸する飛行機、、、。運動を捉えた事が楽しくて楽しくてという写真ばかり。多分撮った結果に得意になっていたはずです。それが伝わってくる、少年のような写真家の写真。92歳まで生きること自体(カルティエ・ブレッソンに至っては95歳)、ストレスの少ない人生を生きたのではと、その作品群からはっきり想像できます。

結局、現在彼は「フランスの写真家」としてかのアンリ・カルティエ・ブレッソンと並び称されるほどになっています。
やはり素朴な趣味人は強い。疑問をもったり、無用に悩んでみたり、どこかの流派に属してみたりでブレないことが正解なのです。

きっとそうです。


今日は夏休みと決め込んでいたので、他に観てみた写真家は、ロバート・フランク、アルフレッド・スティーグリッツ、ウィン・バロック、マン・レイ、アンセル・アダムス、ウォーカー・エバンスでした。どれもそれぞれよかったです。明日、他の写真家についてひとこと、ゆるく書こうかなと思います。
では。



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アッジェのパリ

Atget_organ_grinder01.jpg
「アッジェのパリ」写真集を観て。
昭和54年に朝日新聞社から出たものです。
1932年に日本でも紹介され始めた写真家です。
日本の写真家では特にあのライカを使いこなし自然な街頭スナップ写真では神のような存在である木村伊兵衛が高く評価し自分の先駆者と考えていたそうです。木村もパリをよく撮っていましたね。昨年でしたかNHKの日曜美術館で実際に木村伊兵衛が撮った場所で、文化人緒川たまきさんが写真を撮って楽しんでいました。贅沢というか、、、。兎も角、木村になんであんなに良い写真が撮れるのか、不思議だと言わしめる写真家です。

ウジェーヌ・アッジェのパリの街頭の黄ばんだ写真を観たのは大学生の時がはじめてでした。

わたしは記録写真家だ、と言うのにやたらとアンテナ感度の良いアンドレ・ブルトンに、こともあろうに芸術家を通り越してシュルレアリストにされそうになったとかいう噂は聞いていました。彼自身は「資料」を残している、と言う意識だったようです。

確かに当時は題材が人物でも風景であっても絵画的形式に準じて撮影されていました。それから観ると彼はパリに住む庶民が普通に記憶に留める光景ばかりを選んで撮っていることが分かります。それは彼が留めなければ永久に失われてしまうはずの光景ばかりです。

当時、写真館はあってもまだ持ち運べる写真機はあまりなかったようで、アッジェは六つ切の組立暗箱と乾板にごつい三脚とで、手回しオルガンを奏でる老人や、娼婦、屑屋の家族や路地裏の建物、曲がりくねった舗道の敷石、ショーウインドウ、街角の物売り等、を撮り続けました。
しかし彼の「資料」は高値では取引されていなかったようです。文字どうり資料として買い上げられたり、画家の絵の資料に使われたり。

アッジェはいつも毎朝夜明けに起き、路地や建物に光がよおく回りこんだところを撮っていたそうです。1927年8月彼は70歳で亡くなりますが、死ぬまでの20年間、パンとミルクと少しの砂糖だけで食事をしていました。



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贅沢な時間

今夜は、「消滅した時間」奈良原一高/1975朝日新聞社刊をゆっくり味わいました。
写真というより光画と言う方が当たっているように感じます。

ニューヨークのゴールドラッシュのゴーストタウンやインディアン居住区などを撮ったモノクロ写真群は作者も言うように「別のプラネットの光景」のようです。

まず来るのは、これほど美しい光と影のコントラストを観たことない、という感動です。

フォトショップで加工された写真や特別フィルタを通した写真、特別変わった場所や物を切り取った写真はよく見かけるものですが、これは言わば、奈良原一高というフィルタを通し見られ切り取られた時間の断面と言えるでしょう。どれも見事に時間が結晶化し、消滅しています。時間の重層された鉱物の断面を見るような眼の奥の疼くような恍惚感に酔います。それでいて常温で醒めている。透徹した光景ばかり。浮遊感すらあります。そうかれの写真は何を撮っても重くならない。

これを見ると時間と言うものは単純なものさしではない、幅のある固有のものだということが想い起されてきます。

本当に贅沢な時間を過ごしました。

わたしが言うまでもありませんが、優れた画集、写真集は本を読むのと同様の特有の時間の流れがはっきり存在しますね。


以前エルンストのコラージュ画集でお伝えしましたが。
また、これはと言う写真集・画集のご紹介をしていきたいと思っています。




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”Bon voyage.”

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