プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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ラ・ジュテ

La Jetée001

La Jetée
1962
フランス

クリス・マルケル 監督・脚本
トレヴァー・ダンカン 音楽

エレーヌ・シャトラン
ダフォ・アニシ
ジャック・ルドー


「ボーディング・ブリッジ」
28分の映画。AmazonPrimeならでは。持っていても良い貴重な作品。

La Jetée002

1962年と言えば、キューバ危機。
実際に、核の脅威は充分に感じられる危機的状況だった。
であるから、この第三次世界大戦で核が使用され放射能汚染で地上に人が住めなくなったという状況は可能性としてあり得たものだ。
この現実味は、再び現在の世界においても感じられる不穏でシリアスな雰囲気~世界として蘇る。

モノクロ写真を連続して映す手法で描く”フォトロマン”を用いて全編が生成されてゆく。
スチール画にナレーションの絡みのみで進行するもの。
これが実に世界観を創造する演出的効果を高めていた。
通常の実査版では28分でこの凝縮した世界~イメージを描くのは無理だと思われる。
と謂うより、この手法で28分はピッタリの尺であった。

La Jetée003

地上は廃墟と化し地下生活にあっては、エネルギー資源と薬品などの欠乏が深刻化し科学者は未来にその解決策を求めた。
(未来がどうにかなってるのなら、今が貧窮を極めていようと何とかなるのでは、、、)。
地下研究所で捕虜を使い、意識を過去や未来の時間系に飛ばして、意識による交渉に当たらせようとする。
だが、被験者たちは実験途上で皆、錯乱したり死んでしまう。

そこで、過去に強い拘りをもつ想像力豊かな男が選ばれることに。
この男の最も拘りのある「ボーディング・ブリッジ」で見た女性の記憶を巡って噺が展開して行く。
実際に飛ばされた過去の意識がその女性と出逢う。
彼女と楽しい時を過ごしてゆくが研究者の都合で度々中断され場面が飛ぶ。
相手の女性もこの男性が異なる時間系から突然訪れる事を理解する。
逢瀬を重ね博物館でのデートが最後となる。
実験者が彼の意識を未来に向かわせるのだ。彼は初めて錯乱せず死亡もしない被験者であった。

La Jetée004

未来の意識は彼を拒絶したが、過去の地球が滅ぶとこの世界も消滅するという理屈で、産業を復活させる方法を持ち還ることに成功する。
暫くして未来の意識が彼を仲間に迎えようとするが、彼は平穏な未来より少年期に戻ることを切望するのだ。
その通りに彼はあの少年期に戻り、まさに「ボーディング・ブリッジ」で佇む女性を認め駆け寄る。
だが彼の抹殺を決めていた研究者たちの差し向けたスナイパーに撃ち殺されてしまう。
その瞬間を目にした少年こそ、その男自身であった、、、?

La Jetée005

これに関してとやかく言うつもりはないが、とてもリリカルな心象風景が描かれており、特異な優れた映像実験となっていた。
テーマ的にも現在に通用するものだが形式的にもこのような手法の可能性は継承され追及されて良いと思う。
(最近の作品でこのようなものを観たことない)。
良い映像体験が出来たものだ。









追憶の森

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The Sea of Trees


ガス・ヴァン・サント 監督
クリス・スパーリング 脚本
メイソン・ベイツ 音楽

マシュー・マコノヒー、、、アーサー・ブレナン(大学教授、物理学)
渡辺謙、、、タクミ・ナカムラ(会社員)
ナオミ・ワッツ、、、ジョーン・ブレナン(アーサーの妻、アルコール依存症、不動産業)


久々のナオミ・ワッツ登場の映画で、これは大丈夫だと思って観てゆける(笑。
主演キャストは、マシュー・マコノヒーと渡辺謙である(ナオミ・ワッツは回想)。
安定している(笑。
富士の樹海が舞台である(ホントに行ったのかアメリカの何処かなのか)。
わたしも行ったことはないが(笑。コンパスが効かない処なんて。ただでさえ方向音痴なのに。

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ちょっとしたボタンの賭け間違いで何もかもが悪く巡り、言い合いの絶えない険悪な状況に落ちることはある。
ブレナン夫妻もその悪循環に絡み取られていた。
そう言ったことも、病気などのアクシデントがきっかけでリセットされることもある。
しかし不運にもその時は既に遅い、場合もあるのだ。

このケースでは、奥さんは病ではなく、自動車の救急車への衝突というこれまた不運な事故によるものであった。
病気の脳の腫瘍は良性のもので手術で確実に助かるものであり、安心しきっていた矢先のことである。
漸くお互いに相手を思いやる気持ちの溢れ出た時期に。
人生とは皮肉なモノ。

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妻は生前、病院では死なないでね、と夫に念を押していた。
だから片道切符で、青木ヶ原樹海を選んだ。
しかし自殺しろとは言ってない。
それでタクミ・ナカムラが現れたのか。
とは言え微妙過ぎるだろ(ナオミ・ワッツが渡辺謙ってそれはちょっと。夫は絶対気づかないのは確かだが)。

夫はつくづくこれまでを思い返し反省する。
妻について事務的なことは、しっかり押さえていたが、彼女の好きな色とか好きな季節など知らないでいた。
死のうとしていた矢先に、タクミ・ナカムラに出逢い、彼がただ道に迷っただけで死ぬ気はなく助けてくれと縋る。
自分は死ぬつもりでいたが、相手は助けてやるしかあるまい、ということで二人して出口を必死で探すことに。

tsuioku011.jpg

だが、探し回ることでどんどん樹海に深く嵌って行く。
この試練~彷徨は妻との泥沼生活の再現にも想える。もう一度確認し直すための。
雨に降られ凍えそうになったり、防寒のためとは言え自殺者の服を剥ぎ取り着たり。
池を見つけて水を得るが今度は洪水に流されたりして過酷な環境に翻弄される。
かなり酷い怪我もして体力も尽きた当たりでガイコツ入りテントを何とか見つけ携帯も確保した。
ライターもあり暖を取ってどうにか命は繫ぎ止める。

今やここを脱し、生き抜くことで、二人の気持ちは一致していた。
アーサーはタクミに、これまでの経緯を語って聞かせた。タクミの表情は彼を超えた感情に支配されているかに見える。
妻を失った悲しみを嘆くとタクミは常に愛する魂は一緒にいると諭す。
だがそれを振り払うように妻もう死んだとアーサーは叫ぶ。
タクミが謝るとアーサーは、いや自分が悪かった、許してくれと何度も何度も泣いて繰り返す。
これは明らかにタクミを超えて妻に対する謝罪というより悔恨の情でもあろう。

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タクミは、自分の名前の他に妻はキイロで娘はフユだという事だけを伝える。
そして世話になったと語り、もう動けなくなったことを悟らせるのだ。
アーサーは必ず迎えに来ると言ってジャケットをかれに被せ、助けを求め携帯をかけ続ける。
すると電波の繋がるところに出て、レンジャー部隊が気づいて動き出す。
結局アーサーだけが救急車で運ばれ助かる。

2週間くらい後に退院して彼は再び樹海に入り、テントの傍のナカムラを寝かせた場所を見出す。
だがそこには、かつてナカムラが魂があの世に行くときに咲くという花が綺麗に咲いているだけだった。
彼はその花を自宅に持ち帰る。
大学に戻り学生の質問に答えている時、その学生が教授のメモをみとめる。
彼は日本にいたことのある学生で、その意味が掴めた。
アーサーが人の名だと思っていたのは、色と季節の名詞ですよと教えられる。

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やはりあれは、妻の霊であったのか。
ここで彼女の好きな色と季節を知ることになった。
「水辺にいると幸せ」というタクミの言葉も亡き妻の言っていたことだ。
あなたと愛する者は常に共にいます。今やアーサーもそう感じている。

こういう噺はアメリカ人は嫌うのか。
上映が終わるとブーイングの嵐だったとか。
(いくら何でもそれは、ねえ)。

わたしはとても過酷な試練を潜る再生への爽やかな映画だと思った。
あの花を自宅の鉢に植えた頃には、彼の表情は、はっきり生き返っている。
「楽園への階段」でもよかった(ナカムラが唄う示唆的な歌、わたしは題からLed Zeppelinをちょっと連想したが)。

わたしは、好きだが。こういう映画。
(アメリカだとブーイングなのね)。




WOWOWにて








絵を描く

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ブログ記事のかなりの年月を苦手な映画鑑賞にあててきた。
こうでもしないとわたしは自分から映画を観ない。
しかし本業の絵の方が全く進まなくなっている現在。
そちらの方で頑張りたい。

本もじっくりと読みたい。
シャドーワークが随分圧迫している現状であるが、やはりやるべきことはやらねば。
ということで、本、音楽、映画も時折、そして絵を描く。
こちらにシフトしたい。
だが、ブログに絵を載せるつもりはなく、では記事を何をテーマに書くかとなる。

これまでは、映画を切り口に自分の好き勝手なことを書いて来たものだが、何らかの素材なしにストレートに書くのはやり難いのだ。余りに生々しくなり過ぎるし。
恐らく読み難いはず。日記では。あるいはエッセイとか?それはまずない。
どうしようかな。

備忘録の役目もあり、毎日何かしら記事は書いておきたい。
一日中何も考えないなんてことは、無いのだから。
基本テーマは、感覚に引っかからないことを何とか書き記す。
知覚できないこと、身体ではどうにも認知できないことを認識するには、どうしたらよいのか。
手掛かりは絵だろうな。わたしの場合。

もしかしたらブログはこれまで通りのスタイルで行くことになるかも、、、

分からないが、自分の方向性だけは大切にしたい。



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小さな情景展 大盛況のうちに終わる

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ちょっと遅ればせながら、、、佐橋君の絵画展が大盛況のうちに終わったことをご報告。
8/27~8/29 平塚市 八幡山の洋館にて。
(娘たちが2学期学校初日であり、わたしもつられて一緒に起きたので、これを書くことにした(笑)。

現在の状況下で足を運ばれた方々には感謝したい。
コロナ禍における対策(入場・時間制限や消毒等)をしっかり講じたうえで、人の入りは予想をかなり上回るものであった。
懐かしい人々が一堂に会して、彼もとても嬉しかったそうだ。
わたしが招いた新しい仲間もおり、某大先生も仕上げに向かう大きな仕事と重ならなければ来られたところだった。
今回の彼の展示会を、待ちに待った人々が多かったことがよく分かる(新旧のファンはかなりいるし)。
かく謂うわたしは一身上の都合で会場には足を運べなかったが、彼の絵は生でいつでも見られる為、わたしとしては問題はない。
ただ、そこに集う人で、逢いたかった人は何人もいる。
(まだ、一度も逢ったこともないブロ友さんもいた。うちの娘がお菓子を頂いた。有難い繋がりである)。

わたしは少々長めの「解説パネル」と各絵画のキャプションを書かせてもらったが、殆どの人がよく読んでくれたとのこと。
特に「解説パネル」のあの部分では皆が決まって笑っていたという。
(わたし的に言えば、掴みはOKか(笑)。
佐橋君からも、絵と文との調和で更にその世界が深まったという趣旨の言葉を頂き、ホッとした。
(但し、直前で急に3点ほど追加したそうで、2点は以前わたしがこのブログで紹介していたもの~S君の仕事~からのチョイスであった為、そこの文を使ったそうだが、後一点のわたしの知らない最新の絵については彼自身の文で展示されたそうだ。ジオラマも3点ほど飾られ、凝っていて面白くうちの娘たちも大変喜んでいたそうだ)。

また次もやる、と急にやる気満々になってしまったので、来年もこのような絵画展が開かれる可能性はある。
ストックは多い為、絵画の点数には問題ない。今回出していないわたしのお気に入りの絵もまだあるし内容的には楽しみだ。
しかも発展形であるジオラマもかなりある。
次回はもしかしたらジオラマ展?と尋ねると、いえ絵画があくまでも主です、とのこと。
すると今回と構成的には同様のものとなるか。
(こういった展示会も彼特有の反復作業の一環に組み込まれてゆくのかも)。

そして何と言ってもBGMのピアノの生演奏である。
わたしと佐橋君の共通の友人の作曲家O君によるもので、ここでしか今のところ聴けないものである。
うちの妻が全曲録音していた為、LINEで欲しい人にも送っていた(笑。まだ、作曲家当人が著作権をかけていない為、うちわで普通に聴いてしまっている(笑。正式にレコーディングしたところでCDでなければ聴けなくなるはず。
プロトタイプとして聴いている。エンジニア次第でまた素晴らしいレコードになると思う。
ただ、今回の美味しかったところは、一日目にO君の友人の現代音楽の作曲家であるK君が自作の曲を生演奏してくれたことである。つまり曲と演奏者の異なるBGMが二日間に渡り聴けたことになる。
予めプログラムにあったのは、二日目のO君のものだけであったが、一日目の飛び入りにも佐橋君自身感動したそうだ(音源欲しい)。
初日に来てしまった人も充分愉しめたものである。

やはりそういったところが、ライブ空間の醍醐味だと思う。
コロナ禍において充分な注意は必要だが、ひとが集まるところには(想定外の)創造的なハプニングは度々起こる。
それが大きな芸術的感動や気づきを呼ぶことは少なくない。
新たな創造(創造的関係)の重大なきっかけとなることもある。
学校も始まったが、ひとの集まる場の重要性~価値は思いの他大きいものだ。
最大限の対策をもって、こういった機会を工夫し保障してゆくことは疎かにしてほしくない。


とてもゴージャスな花束を頂いたが、今もその香りで部屋が一杯である。
夏の暑さに爽やかな香りは効く。
一緒にその曲も流している。
この心地よさ、、、長生き出来そう(爆。


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小さな情景展 一口大コメ  その3


2018
「コンサバトリー」
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「湘南幻想青大将」(2007)や「湘南幻想ワニ園午後」(2010)の流れをくむ絵である。ピアノがやけに小振りで中央テーブルが大きくてゴツイ、ちょっとポール・デルヴォー空間でもあるが、長閑な時間の流れが窺える。
日差しと柔らかい菫色の影が気持ちを鎮静させる。こういう絵は描いていても心地よくなるもの。
ここでもポイントは、黄色だ。黄昏の色でもあるが、トワイライト・ゾーンの色でもある。こんな空間、欲しいものだ。

2018
「緑園都市」
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ゴッホの「夜のカフェテラス」を咄嗟に思い浮かべてしまった。黄色の独特の筆致からであろうか(ゴッホのような盛り上げはない)。
雨降りの夜景の雰囲気~濡れた煌めきがこの黄色のタッチでよく表されていた。佐橋氏も黄色の画家である。緑の森をよく描くがそのバリエーションとグラデーションは青に対する黄色の絶妙な混色次第で決まる。
お約束の電車も緑と黄緑の4両編成で黄色いライトを放ちながら走って来る。これまでで一番速い!

2019
「SunSetTown」
sabu0019aSunSetTown2019.jpg
「緑園都市」と同じ質感である。黄色~トワイライト・ゾーンの刹那。SunSetTownというが、尋常ではない。
滝みたいに道路が上から下へ落ちているこの構図には驚き、よくよく見なおしてしまう(笑。
高架橋を水平に列車(蒸気機関車)が走ってゆく。その対比からも、この道路の角度は凄い。遊園地のアトラクションみたい。
この地形では画面上方を登ってゆくゴンドラをわたしは選ぶ。あの道を登る車は気の毒だ。

2020
「TeaTimeInEnglishGardern]
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繊細で緻密な黄色から緑~深緑へのグラデーションが、安定した構図の広がりのなかで、何とも心地よく息づく。
敢えてどっしりとした高架線を中央に置き、その下方にほぼ左右対称に扇型に広がる池を配する。
最初、南禅寺水路閣みたいな水道橋かと思ったが、彼はここにも可愛らしい蒸気機関車を玩具の様に走らせてしまった。
違和感はない。その方が安心できる。絵のサインに等しい。遠くの緑の山から一番手前のテーブルまで、見事な調和と統一感でまとめられている。ここで是非、お茶をしたい。

2020
「農林総合研究センター」
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もう緑は名人芸、いや名匠という感じで、これだけで魅せてしまうが、上からはキングサリみたいな藤に似た植物が垂れている。
まさに緑三昧。
そこに白がポイントとなる。しかしこの白は目立ちはするが強い主張や方向性は感じさせない。
誰かの迎えを待っているようにも思える白。緑のなかの秘められたドラマ、、、。汽車に出番はなかった。

2021
「TeaTime]
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緑の”TeaTime”だ。恐らく毎日これに近い日々を送っているのだろう。外に張り出したガーデンテーブルみたいな開放的な場所は大変オシャレで、羨ましい限りである。コンサバトリーとは繋がりはなく別のコーナーであろうが、こっちでお茶したり、向こうで花に水やりしたりも良いものだ。ここから見やる緑の多様性も充分堪能できる。特に遠方の緑。とても詳細で濃い。
これは絵画である。一つの画面に沢山の固有時~場が活き活きと共存して響き合っていたらより楽しいではないか。

2021
「八幡山の洋館」
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この会場は、この外観で決めたそうだ。ピンクの外壁なのか。庭の青、赤、黄との調和も見られ、、、かなり可愛らしい場所だ。
O君の曲もピアノ生演奏で聴くことが出来る大変贅沢な時間が過ごせる日時が設けられている。
では、まだまだごゆっくり、、、。




佐橋氏が初期作品(佐橋前史)を加えることを検討しているとのこと。
決まり次第、ここでご紹介したい。





小さな情景展 一口大コメ  その2


2011
「世田谷線に乗って」
sabu0010setagayaline2011.jpg
長閑な光に溢れる早朝、電車がいつもの時間にホームにやってきて、線路を渡る少女はそのまま乗り込むに違いない。
「おはよう」と声に出さずとも、何気なくお互いに小さく手を振りあう。そんなフラジャイルな関係性。
こんな些細な日常が途轍もない宝モノとして晶結するのだ。それを誰よりもよく知る画家である。
道端の車がやけに小さいことからこの路線も特異な時間系に属しているのかも。彼の絵は油断できない。

2012
「夏休み」
sabu0011summervacation2012.jpg
次の世界に一歩踏み込めず佇んでいる時間~「夏休み」といったテーマは、リキテックス紀のものだ。
この薄い向こうの世界は額縁で仕切られているかのよう。再びその境界線に戸惑いとどまる地層に出逢う。
地続きに見えるのはマグリッド的なトリックか。それはインターフェイスの悪夢。
イデア界と現実界の狭間にも思えてきたりするとちょっとドキッとする。

2012
「スカイツリーと華厳」
sabu0012skytreeandkegon2012.jpg
スカイツリーを軸に、飛行船の飛行の線、鳥の飛翔の線、「華厳」の走行する線、煙突の煙のなびく線、暫し停泊している屋形船のこちらに向かう線、の各線が誇張された放射状のパースペクティブの構図を作る。更に画面の上下がほぼ半分に黄色と緑に分割されている。空を漂う系と水上を漂う系との質=色の差であるか。スカイツリーが中心を左にズレているところが、絵の力学において上手く全体をまとめている。無意識的な平面の正則分割的構成ではなく、意図的で意識的な幾何学的構成に作家的意欲を感じる。

2012
「窓辺の花」
sabu0013floweronthewindowsill2012.jpg
取り敢えずの彼の静物画タイプの集大成的な絵であろうか。勿論、このような絵が今後も描かれるのは想像できる。
初期の絵に一見、内容~要素構成が似ているのだが、空間の奥行きと空間自体の質量がいや増しに増す。
彼の絵には反復が目につく。テーマが同じでもその世界は徐々に自発的に破れ外へと解放されてゆく。
人が反復によって生きていることに対し、彼はとりわけ誠実である。

2013
「おめで東京タワー!」
sabu0014omedetokyotower2013.jpg
懐古的で回顧的な意匠だ。昔からの拘りをまとめてもう一回派手に描いてみたい、という欲望~快楽に身を任せてやっちまった。
これまで登場した多くの要素たちをセットして、スイッチを入れた途端に起きた大騒ぎ。キッチュなダイナミズム。
「わたしは趣味で生きてます」と以前騙っていたが、画集の表紙にも良いのでは(笑。
彼が誰であるかが分かりやすい絵と言えよう。必然的にジオラマを要請してしまう作品でもある。

2015
「江の島シーキャンドル・ハワイアンセンター」
sabu0015enoshimaseacandle2015.jpg
江の島は彼の拘りの場所のひとつ。特定のセンターであろうが、お得意の箱庭形式で決める。
好きなもの楽しいことを詰め込みたい。更に3D模型にも移行したい欲動が、この俯瞰可動的構図より伝わる。
この視座から、ジオラマもいいですね~と画策する顔が容易に浮かんでくるではないか。だが、ひとつ、、、。
絵の方が空間の歪みの描写は圧倒的に自在である。しかも空間の歪みが好き勝手な楽しさに還元された絵を他に見たことがない。ボスの絵にも空間的歪みは見られない。佐橋氏の場合、形式がほぼ完全に内容化している。その生理が意図的に無意識に作品を量産してきた。

2016
「StarDustNight」
sabu0016StarDustNight2016.jpg
横浜の風景のファンタジックな変性か。というよりこの照明からして、彼と環界との間に生成された薄い煌びやかな街なのだ。
インターフェイスに触れるには、こちらもアルタード・ステイツにあることが必要か。きっとそうだ。高級な酒でも一口吞んでみてはどうか。稲垣足穂の小説にある「薄い街」か細田守監督の「渋天街」な形で潜む余剰次元の街ではないかと思いたいほど薄い街なのだ。




明日、最終日に続く。




小さな情景展 一口大コメ


1979
「夏の午後」
sabu0001summerafternoon1979.jpg
この出で立ちの男の目撃される最後の絵であろう。
彼が去って佐橋氏の絵が本格的に始まる、記念碑的(前夜的)な作品。
(男は消滅したのではなく、絵からは退きどこかで出番を待っていることはお忘れなく)。
静謐に平面的にパタン化された要素の充填作品。これが基本~ベースとなる。絵の具はリキテックス。

1999
「妖精の泉」
sabu0002fairyfountain1999.jpg
「夏の午後」から20年が経ち、アクリルから油絵の具に変わっている。
ビビットな色と動きのある筆致で、世界が活き活きと煌めき出していた。
男の去った後の世界には、妖精の泉がぽっかり生まれているではないか。妖精も天使もこの場所とセットであろう。
しかしここを照らす光はどのようなもので何処からどのように射してくるのか。次元の異なる外部も示唆する。

2005
「紫陽花」
sabu0003hydrangea2005.jpg
この一様な照明と紫陽花と同様に装飾的な日光は、この世界が自然な環界ではないことを静かに物語る。
空間も遠近法が成立しているかに見えて、人物の位置関係から大きな歪みが生じていることが見て取れるものだ。
少女と少年は交わらない系に属する。しかしお互いに見ようと思えば見えるのではないか。
「光」はあらゆるところを隈なく照らしてくれるのだから。

2006
「学校への道」
sabu0004waytoschool2006.jpg
構図がまず目につく。同時に配色もハーモナイズされて意図を感じるが、充分に現実界との繋がりも覚える。
上部に重々しく水平に伸びる鉄橋と中心から逸れて垂直に伸びる舗装されていない道。それを挟んで両側へ広がる畑。
なかでも左下手前の少女のランドセルが鮮やかな黄色で畑と遠方の建造物(学校?)や、更に雲とも呼応し響きあう空間には、、、いよいよ郷愁が芽生える。

2006
「湘南電車幻想」
sabu0005illusionofsyonanliner2006.jpg
大きな芋虫のような列車の即物性が生々しく際立つ。
青い三輪トラックが小動物のように怯えているではないか。これは止まっているのか?
手前の彼の二人の子供さんも白いアヒルもこの暴挙に無頓着に思える(アヒルはこのままだと轢かれる勢いだが)。
このような緑に包まれた環界における生命の突然の侵害などの邪悪さも感じるメタファーのようだ。

2007
「森の遊園地」
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これは外部を特に意識させない場の強度が感じられる。それで「森」なのだ。特権的な場である。
常に光はトワイライトにチューニングされており、入園者も限定され完結する。
3方向に向けて停車している?玩具のような列車は、少女たちの向いた両だけアクティブで荷台から妖精が舞い上がっている。
確かにそれは見ものだろう。だが音が感じられない。

2007
「湘南幻想青大将」
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ここで初めて現実の光に出くわす。たまたま出逢った世界を切り取った繋がりと和らぎを覚える。
光景の捉え方と光と影の色調がとても自然な感触なのだ。黄緑の「青大将」はしっかり走ってきている。
緑が多様に萌えて匂い立つ。列車もトロッコもちゃんと行くべきところに着く安堵感すら漂う。
この場所の深みも猫が池を探る姿から想像できる。ここから何処へでも旅が出来てまた戻っても来れそう。

2010
「MoonLight Serenade」
sabu0008Moonlight Serenade2010
水平線の位置が尋常ではない。もしや水上に聳える建造物のすぐ後ろは、滝なのか、、、この静けさの向こうは大瀑布。
しかし波が岸辺に静かに打ち寄せている。月の潮汐力が働く遠い大洋から及ぶ力も感じさせる。
どうしても海洋~大海が感じられないのは、建造物と船の大きさにも起因するか。
そうだ、これは容器を使ったジオラマなのだ。テーマは音楽なのだ。そう想うとそれとして納得がいく。

2010
「湘南幻想ワニ園午後」
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「ワニ園午後」と時間帯まで指定される。より現実との繋がりが濃くなった。つまりゆったりと呼吸ができるのだ。
プレ・ラファエル派のモデルめいた女性といい、人格を持ったような鰐といい、ちょっと現実離れしていて、現実的な世界の切り取りも実現している。「湘南幻想青大将」と同様に現実の一齣として描かれている。どちらも「幻想」と題にあるが、飽くまでも彼の身近な現実を描き込むなかから溢出した豊かな幻想である。






一口コメント、明日に続く。






小さな情景展 序

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S君は結婚するまで、江ノ電の「鎌倉高校前」から白樺並木の高台にある実家に住んでいた。
興味深いのは、彼はそこで暮らしている間、一度も下に広がる海岸に降りたことがないということだ。
一度くらい海岸で海を眺めて過ごそうとか思わなかったのだろうか、、、。
遠方から朝5時に波乗りにサーフボードを抱えて人の集まるような海岸である。
(それを密かに見渡す小窓が彼の部屋にはあるのだが)。
無かったらしい。行ってみる気など。

確かにあからさまな海~海辺は描いていないのだ。
だが海が嫌いという訳ではない。
実際に海辺でスケッチしようなどという無粋な真似をしたくないのだ。なんというダンディズム!
、、、いやこれはわたしの冗談で言ったことであり、実際のところどういう理由であるかは、未だに彼には聞いていない。

彼の作品として、海を連想させる~海の楽しさを演出するかのような完全に人工的なテーマパークが幾つも生成されてきた。
そこは海や海辺から抽出した諸要素が(変容を経て)充填されていた。
あたかも下界に降りずに海の楽園を描くとこうなるのだ、、、というかのように。
以前、彼に言ったことがあるが「鎌倉高校前のレーモン・ルーセル」とでも、改めて呼んでみたくなる(笑。


彼の絵はどうしてもナイーブ派画家の範疇で観られてしまう余地はあろう。
確かに素朴さや懐かしさ~幼少年期の思い出は彼の絵にも多く見出されるところである。一見した印象には近いものを感じるはずだ。
しかし牧歌的で長閑な表象に映っても、尋常ではない平面性~歪曲した凝縮性に気づきときとして息苦しさも呼ぶ。
別にナイーブ派がどうのということではなく、何らかの一派として捉えてしまうことで微分的な差異を見落とすこととなり絵の魅力を味わい損ねる場合も多い。似て非なるものとはよく言う。

彼の描画の基本は点描であり、速乾性のリキテックス(アクリル絵の具)による隙間を潰し畳み掛けるような制作から始まった。その執拗な細密さと装飾性は自然の環界の感触、身体性からも程遠い。太陽光も特殊な照明器具を感じさせることが多かった。その時期の制作を自虐的なものだったと述懐していたことがある。その制作が彼の前期とも前史とも呼びたい20年間続く。
しかしゆったり時間を充分にとって新たなペースで制作したいという欲求と、主に緑(黄色の青への混色)の多様性の探求が容易に乾かない「油絵の具」の使用を要請した。
ここに展示された絵は1979「夏の午後」を除き油彩による作品である(但し、2012「夏休み」は明らかにリキテックス紀の内容であり、そのころの作品を油絵の具で再生したもののようだ)。

何より彼独特のデフォルメによるパターン化した形体と筆致。遠近法からの逸脱、そこから生じる空間の歪みと固有時の併存である、、、それは後半にゆくに従い多様化し広がりは見せてきているが彼以外の何ものでもない。
ある種喪失感はあるが、トラウマによる寂しさや物悲しさの痕跡の洗い流され構築された模型世界の様相を呈するのだ。
それは遠近法による整序を解かれた未知の光である郷愁~憧れに染めあげられた絵画とも謂うべきか、、、。
拡張された「郷愁」に彩られた絵と呼びたいものとなる。
その凍結した時間と物質的次元を持たない空間が、かなり俯瞰的で自在な構図と動きを生んでゆく。


実際、彼はこれらの絵をジオラマとして、粘土やベニヤ(ペンキで着色)やプラスチックのオーナメントや豆電球、モーターなどをもって細密に幾つも作っている。(子どもの玩具にもしていたそうだ)。
ほぼ何の躊躇もなく3Dにも置き換わってしまう世界。もしかしたら平面絵画はその設計図というか見取り図であったものか、、、。
単に素材は異なってもシームレスに続く創作行為に過ぎなかったのかも知れない。
それにしてもジオラマ制作も、集中と根気を要する作業であったはず。
愉しくて夢中になってやっているのではあろうが、やらずにもいられないのだ。きっとそういうものなのだ。

愉しい苦行かも知れない、、、。


兎も角、この行為は、現代美術の枠に対する批判~自己解体の知的作業でありかつ普遍性を目指した「藝術行為」の対極にあるものだ。そういった意味で、極私的~私小説的な絵画であり自己充足的な行為と謂える。
しかしその個人的で本当にあったか分からぬような秘密~記憶を垣間見るような一種の気恥ずかしさや恍惚さの方にわたしたちは共振する所が大きい。
その「郷愁」を感じる為、きっとまた暫くして彼のお宅に絵を観に行ってしまうはず。


ここには、S君の止むにやまれぬ「仕事」の最初期から最近までの作品が彼のチョイスにより並んでいる。
わたしとしては、何であの作品が無いのか、と思うモノも幾つかあるが、それはそのうちわたしのブログで紹介してみたい(笑。




S君 小さな情景展 Pre003

sabu0023europeanstyleofHachimanyama2021.jpg  ☆☆☆ Pre003

最終日。
これから後の絵となるとわたしの知らなかった、初めて観る絵ばかりとなる。
S君の”presence”が認識できる作品群となるか。
前回、特集した「S君の仕事」から、もうずいぶん時が経ったことを実感する。

また以前とパソコン環境が不可抗力により変わってしまったため、スキャンの精度がだいぶ落ちている。
その影響が出てしまった部分があり残念。
そこは改善しておきたい(こうした機会はそうはないが)。

2018
「コンサバトリー」
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わたしもコンサバトリー欲しい。中で多肉を(メダカも)育てたい。
最近、メダカを貰ってから、メダカにも凝り始めたところ。
(ここのところ人との良い交流もブログ上だけでなく増えて来た)。
ともかく、このような空間はそのうち何とかしたいものだ。
ここで思いっきりボーッと寛ぎたい(笑。

☆ Pre001で紹介した「湘南幻想青大将」(2007)や「湘南幻想ワニ園午後」(2010)の流れをくむわたしの好きなタイプの絵である。
ピアノがやけに小振りで中央テーブルが大きくてゴツイ、ちょっとポール・デルヴォー空間でもあるが、長閑な時間の流れが窺える。
日差しと柔らかい菫色の影が気持ちを鎮静させる。
こういう絵は描いていても心地よくなるもの。
ここでもポイントは、黄色だ。黄昏の色でもあるが、トワイライト・ゾーンの色である。

2018
「緑園都市」
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珍しい質感だ。
一見ざらついたテクスチュアに見えて、筆致による効果であることが分かる。
黄色の魔術だ。
ちょっとゴッホみたいではないか。
あのような超絶的な盛り上げこそないが、ゴッホの「夜のカフェテラス」を咄嗟に思い浮かべてしまった。
意外だが、S君とゴッホの感性的な近さを感じるところ、、、。
自分の快感原則に忠実に生き、絶対にそれを曲げない「頑固さ」はゴッホとどっこいどっこいか。

それにしてもこのタッチとあからさまな黄色の偏愛。
更に傘を見て分かったのだが(遅い)、雨降りである(笑。
成程、このざらつきと最初感じたのは、雨降りの夜景の雰囲気~濡れた煌めきであったのだ。
雨粒を具体的に描かず地面(アスファルト)の状態を光で絶妙に表している。
(これに気づくのが遅かったのは、スキャンが上手くいかなかったことにもよる。実物を鑑賞してほしい)。
お約束の電車も緑と黄緑の4両編成で黄色いライトを放ちながら走って来る。
今回はスピードも感じる(笑。

2019
「SunSetTown」
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「緑園都市」と同じ質感である。
黄色~トワイライト・ゾーンの刹那。
しかし何と言っても、この構図。
滝みたいに道路が上から下へ落ちている。
高架橋を水平に列車(蒸気機関車)が走ってゆく。その対比から見てもこの上から下の道路の角度には驚くしかない。
車が滑り落ちるように走って来るが、ここを登る車は気の毒だ。
この地形では画面上方を登ってゆくゴンドラが丁度よい。
しかしどうしてこんな構図・配置を思いついたのだろう。
普通の街に見えて、まるで遊園地みたいではないか。

2020
「TeaTimeInEnglishGardern]
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繊細で緻密な黄色から緑~深緑へのグラデーションが。
この安定した構図の広がりのなかで、何とも心地よく息づく。
緑はある意味、最も難しい色であり、基本的に青と黄色の微妙な混色によって様々なニュアンスとして生成される。
敢えてどっしりとした高架線を中央に置き、その下方にほぼ左右対称に扇型に広がる池(沼?)を配する。
最初、南禅寺水路閣みたいな水道橋かと思ったが、S君はここにも可愛らしい蒸気機関車を玩具の様に走らせてしまった(笑。
ここはお約束だから仕方ない。
いや、走っていなければ心配になるというもの。彼の絵に記するサインに等しいのだから。
ここのテーブルで是非とも紅茶を飲んでみたいものだ。
遠くの緑の山から一番手前のテーブルまで、見事な調和と統一感でまとめられているが、ただ一点ウェイターがその場所~地形から見て極端に大きい。この人はいらなかった、と思う。

わたしの大好きな公園にこれと酷似した構図の場所があり、とても魅かれる。
(これが一番好きな絵になったかも)。

2020
「農林総合研究センター」
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珍しく汽車が走っていない。きっと「農林総合研究センター」という現存する特定の場所を選んでしまった以上、近くに鉄道が無いことで描けなかったか、、、別にそんなことお構いなしに「幻想」と名付けて「突然やって来た汽車」と言うのも乙なものだが。
ここでは踏みとどまった(笑。もしかしたらこのフレームの外で出番を待っているのかも知れない。
緑はまさに名人芸、いや名匠という感じで、これだけで魅せてしまうが、上からはキングサリみたいな藤に似た植物が垂れている。まさに緑三昧。
そして更なるポイントは白であろう。
白っぽい猫から白い花、そして白い日傘の白ドレスの女性の後ろ姿。
しかしこの白は目立ちはするが強い主張や方向性は感じられない。
特に何かを期待させる彼方に誘うような強引さはなく、寧ろ二股に分かれたところで女性は佇んでいるように窺える。
誰かの迎えを待っているようにも思える白。
とてもひっそりとしたドラマを感じるところ。

2021
「TeaTime]
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これも素敵な、緑の”TeaTime”だ。
恐らく毎日これに近い日々を送っているのだろう。
羨ましい限りである。

この外に張り出した(設置された)ガーデンテーブルみたいな開放的な場所は大変オシャレである。
フレームの上に鳥が乗っているところが廃墟感を演出していて酔える(爆。
コンサバトリーとは繋がりはなく別のコーナーであろうが、こっちでお茶したり、向こうで花に水やりしたりも良いものだ。
ここから見やる緑の多様性も充分堪能できる。
特に遠方の緑。
ブロ友のST Rockerさんがお寄せくださったコメントにある「遠くにあるものの情報密度は決して近くのものよりも疎であるようには感じられないのです。」という卓見。全く同感!
遠くの緑が実に濃い。
よくTVのお絵描き審査の番組などで、全てのモノは線遠近法で縛り消失点に吸い込まれるように描き、遠くは空気遠近法を使い空に滲み暈けるように描くんですよ、とか解説しているが、遠近法で全てを整序すればよいというものではない(遠近法は一つの制度に過ぎない)。これは絵画世界なのだから、一つの画面に沢山の固有時~場が活き活きと存在して響き合っていたらより楽しいではないか。


時折用を思いついて電話をすると奥さんが「主人は散歩に出かけております」と言う。
お茶をして、散策を楽しみ、後は絵を描く、か、、、。

、、、勝手にしなさい。

2021
「八幡山の洋館」
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ここには、まだ行ったことが無い。
今回の絵画展の会場でもある。
とても素敵な空間が満喫できる場所だそうだ。
O君の曲もピアノ生演奏で聴くことが出来る大変贅沢な時間が過ごせそうである。

「わたくしここが気に入り描いちゃいました!」と言っていたが、ピンクの建物なのか、、、
目立つなあ。
青、赤、黄の調和も見られ、、、かなり可愛らしい建物だ。
ともかく内部空間が大変”comfortable”なことが夢想できる。
きっと、素敵な絵画展となるはず。



自分の作品もしっかり描かないと、、、。
ちょっと頑張ろう。
わたしは、歪めて描くことは出来ないので、平面抽象の生産をしている。
その他にも進めている計画もあるし(笑。
そろそろわたしも動き始めたい。



S君 小さな情景展 Pre002

sabu0023europeanstyleofHachimanyama2021.jpg ☆☆ Pre002

中日である(笑。
昨日より新しい作品群となる。
だが、彼の絵は滑らかに段階的に変わってゆくというタイプのものではない。
あるところで飛躍的な展開を見せたり、急に昔の作風を思わせるものが飛び出たり、何とも言えない過程をくぐってきている。
そこが面白いところでもあるのだが、、、。


2011
「世田谷線に乗って」
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これは初めて見る。
写真で貰っている為、サイズが分からないが、小さな感じがする。
品の良さそうな女子が二人、片や車上から、一人は線路を渡りながら手を振りあっている。
同じくらいの年恰好からクラスメイトか。電車登校ってちょっと憧れる。「花とアリス」もそうだった。
早朝、電車がいつもの時間にホームにやってきて、線路を渡る少女はそのまま乗り込むに違いない。
「おはよう」とお互いに声をかけているところだと思うのだが、、、。
光が長閑で優しい。
その為か、音が全くしない。
そんな一瞬。

刹那の凍結した想いは(誰にとっても)密かな宝物である。

2012
「夏休み」
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これが来たか。
S君の仕事-Ⅳで取り上げているが、もう少し古い絵だと思っていた。
「家の駅近くの米軍基地の住宅をふと連想する。
少女の眼前の曲がってゆく路は何処まで続くのだろうか?
(この路には魅了される)。
上呂を持って境界に立ち止まる少女には既視感を充分持つが、手にアイテムを持っていることが、絵画世界を饒舌にする。
ドラマ性と生気が揺らぎ立つ。
だが、一歩踏み込めずに彼女は立ち尽くす。」

まるで向こうの一角が額縁で区切られているかのような、別次元の入り口みたいに思える。
当初はお花に水をやりに来たのだろうが、今やそれも忘れ呆然と立っている少女。
彼女を誘惑するようなウサギもいたりするが、一歩を踏み出すことは出来ない。
手前にある鉢物の花と同じ花が向こうにも置かれている。
一見地続きに思えるのだが、、、そう薄い建物の窓を通して向こうの木々~連続する光景も窺える。

しかし鑑賞者から見てもそこが、眼前の建物の壁に描かれた「向こうの世界」の絵である疑惑も払いのけられないのだ。
(窓もトリックかも知れない。まるで、マグリッド)。
彼女はその絵を神妙に鑑賞しているのか、、、。これぞインターフェイスの悪夢。
イデア界と現実界の狭間にも思えてきて、、、向こうが本質でこちらからは渡る権利がないとか、、(笑。

そう、どこかでこんな戸惑いを覚えた記憶がわたしにもある。かなり怖い絵である。

2012
「スカイツリーと華厳」
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S君の仕事-Ⅴで取り上げたもの。
昨日の「学校への道」に似た絵である。縦長のパースペクティブを強調した絵であることを超えて。

「スカイツリーお出ましである。
飛行船も飛んでいる。(わたしも飛行船はよく絵に描いた)。
思い出深い電車特急「こだま」(151系)も走って行く。やって来たというより行くぞという方向性を感じる構図だ。
そう、スカイツリーを軸(ほぼ中心)に、飛行船の飛行の線、鳥の飛翔の線、「こだま」の走行する線、煙突の煙のなびく線、暫し停泊している屋形船のこちらに向かう線、の各線が誇張された放射状のパースペクティブを持つ。
これらは異なる時間流の輻射と受け取れるものだ。
更に画面の上下がほぼ半分に黄色と緑に分割されている。空を漂う系と水上を漂う系との質=色の差であるか。
スカイツリーが中心を左にズレているところが、絵の力学において上手く全体をまとめている。
無意識的な平面の正則分割的構成ではなく、意図的で意識的な幾何学的構成に作家的意欲を感じる(笑。」

今でもこれだけ見ると、上記と考えは変わらないが、「学校への道」を見てからだとホントに似ていることが気になる。
どちらも『黄色の郷愁』に染め上げられているからだ。
彼の絵の「色」についての側面を考えさせられる。
「こだま」は「華厳」という名がついていた。

2012
「窓辺の花」
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これもS君の仕事-Ⅴで取り上げたものだ。
「初期の絵に一見、内容~要素が似ているが、空間の奥行きと空間自体の質的厚さがとても濃厚である。
そして要素の置かれ方も奥行きを作ってゆく。
立体感と色彩の息遣いも初期の絵とは別物である。
わたしは、当初どの年代でも彼は同じ世界を描いているため、時系列の重要性はないということを述べた。
半分はそうなのだが、半分は違う。
テーマは同じであっても、その世界は徐々に自発的に破れ、外に解放されてゆくのだ。
創作とは、制作の反復とは、そういうものであるのかも知れない。」

特に付け加えることもなく現在も同様の考えだが、彼のこうした静物画タイプの集大成的な絵に思える。
今後、またこのようなモチーフで描かれることは充分に考えられることだが、、、。
何と言っても、人は反復によって生きている。
彼はそれに対し実に誠実な人であるから。

2013
「おめで東京タワー!」
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キッチュな昭和ジョークだ(ジョークだろうか)。
連続してS君の仕事-Ⅴで取り上げているもの。

「東京タワーである。
これはまさに懐古的な、また回顧的な意匠である。
今の時点で、昔やってきた絵をもう一回描いてみたいという気持ちか?
多くの要素を予めセットして、スイッチを入れた途端に起きた騒ぎ。
奥行きだけでなく電車やバスや飛行機や風船や傘のカップルたちが一斉に走り出し宙を舞うダイナミズムとちょっとキッチュな面白さ、、、。ひとことで言えば、趣味の世界。
どうしてもこういうのをやりたいヒトなのだ。
やはり時系列は余り関係ないな。
しかし絵は生命感があり気持ちよい。明らかに描画手法は繋がっている。」

やはりやってしまうのだ。何故か植木等を思い浮かべた(爆。
「分かっちゃいるけど、止められれない」のノリで描いているのがよく分かる。

2015
「江の島シーキャンドル・ハワイアンセンター」
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またもやS君の仕事-Ⅴから連続して。

「江ノ島である。
S君にとって江ノ島は楽しいところなのだ。
楽しいから、それを詰め込みたい。
先程の乗り物ラッシュではないが、ともかく好きなものが色々入って来るのだ。
ある意味、シンプルでナイーブな絵であるが、シンプル(省略)して単純化を図る方向性とは逆である。
様々なモノを収集し増殖する絵でもある。また作者でもある。

最初期にこんなテーマの絵があったが、もう構図は遥かに複雑になり、色彩も筆致も自在性はずっと増している。
ただ、技量が増したと言うより、解放され表現が深まり広くなったのだと思う。

しかしヒトは変わらない。
やはりS君なのだ。
彼は不変の人である。」

まったくである。
彼の絵の他に、空間の歪みが好き勝手な楽しさに還元されたものは無いのでは。
形式がほぼ完全に内容化している。
その生理が半ば無意識に作品を生産(量産)してゆく。

2016
「StarDustNight」
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本日最後は、S君の仕事-Ⅲで取り上げたもの。

「横浜の風景のファンタジックに変性したものか?
夜景であるが彼の場合、朝であろうが昼だろうが夜景であっても、それは単なる光力の差、色光の違いに過ぎない。
全て(モノによってはガラスケース内の)ジオラマを照らす特定の光源である。
S君のなかのイメージなのか?
寧ろインターフェイスなのだろう。
彼と環界の間に生成される薄い煌びやかな街なのだ。」

とても薄い街である。
稲垣足穂の小説にもあったが、、、。
ふとした街角に潜んでいるような、細田守監督の『バケモノの子』に現れる「渋天街」みたいに。
こちらもアルタード・ステイツにいる必要があるか。インターフェイスに触れるには。
彼の絵は時に「トワイライト・ゾーンの怪」という感じがする。


今日は一つを除き、見たことのある作品ばかりであった。
しかし新たな気持ちで観ることが出来た。
絵とはそういうものだ。



最終日☆☆☆ Pre003に続く。





S君 小さな情景展 Pre001

sabu0023europeanstyleofHachimanyama2021.jpg  ☆ Pre001

いよいよ8月下旬に迫ったS君の絵画展「小さな情景展」の作品一覧から第一弾(笑。
以下3回シリーズの予定で、S君より伝えられている作品ラインナップにあるそれぞれの絵を確認しておきたい。
(わたしにとってすでにブログで取り上げ知っているものと初めて見るもの、あれ何であの作品がチョイスされないのか、、、色々と想いは込みあげてくる)。
写真はS君より送って頂いたままのもので、実物より一回り小さくフレーミングされている感じのモノもある。
気にはなったが、彼としては、あくまでも展示するものが分かればよいというレベルのものだろう。
また、差し替えなどの変更もまだあるかも知れない。

一口に言って彼の絵は、癖になる。一度面白いと思って観てしまうと、次が気になり今どんな絵を描いているのかも気にしてしまうそんな関りが続いている(わたしにとって)。

なお、わたしが美術展の解説と一言コメントを仰せ付かっている関係上、ここでも全体を俯瞰した上での個々の作品についてのコメントも(以前書いたものも含め)取り敢えず記しておきたい。少し長めになるかも知れぬが、、、。
(当日用に改めて書くつもりではある)。


1979
「夏の午後」
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これはすでに取り上げている。S君の仕事-Ⅰにて。
「勿論、覗き見しているのがS君である。
本人も自分の中の鉱脈~郷愁に染められた記憶を覗き込んでいるという行為を対象化~自覚している様であろうか。
描くことを意識し始めたという、、、。しかし遠いね、彼女、、、。」
この絵から始めるのは分かる。
自分が絵を描く訳をはっきり意識し、晴れて好きなことを好きなように描いてゆくぞと決めた記念碑的な絵であろう。
実際にありそうな外界に見えて、とても概念的な記号で構成された隙間の無い風景であり、よく見ると結構恐ろしい(笑。

1999
「妖精の泉」
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この絵は、S君の仕事-Ⅲで取り上げている。
だが、この作品自体のコメントはしていない。
彼の拘りの強さに関して只管述べているだけ(笑。
大変色使いがビビットになり、世界が活き活きとしてキラキラ煌めき出す。
「夏の午後」から見ると20年も経った作品である。あ~っ感慨深い、、、。
絵を描き続けることで感性が解放され豊かになってゆくことが実感出来る。
形の捉え方は概念的なものが残るが、装飾的な昇華とも受け取れる上に、タッチや色彩の自由度がグンと高まった。
これをもって、テクニックも上がったと謂いたい。
小手先のモノではないのだ。
しかし何とあからさまに(臆面もなく)ファンタジック。

2005
「紫陽花」
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初めて見る絵である。似ている絵は少なくないが(S君の絵である以上、当たり前だが)ある意味典型的な絵でもある。
この隙間なく充満・充填したモチーフのフィギュア全てが何というか空気を締め出している(自然法則を無視している)彼ならではのもの。
それによる人工的な模型像が現出する。
光が強く射しているように見えて、一様に明るい。装飾的な日光。説明的な生垣(まず手入れは不要であろう)。
そして傘をさす女の子が佇むが何かを志向する気配は無い。その向こう川の飛び石に犬を連れた男の子がいるが、この二人を繋ぐ遠近法は成立していない。これだけの体の大きさの差はこの位置関係からは生まれない。二人は別世界にいるのだ。
この独特な歪みの配置構成。彼の好きなカミーユ・ボンボワをはじめとするナイーブ派の強度が感じられる。
一見、素朴で自然に感じられるのは、優し気な装飾性からか。粒や筆致の感じられないテクスチュアからか。
実は恐ろしく特異な世界が成立してしまっているのだ。
下手な判じ絵やだまし絵などよりずっと怖くてある意味、癖になる絵でもある。

2006
「学校への道」
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S君の仕事-Ⅳで取り上げた作品。
「面白い構図である。
画面上部、水平に鉄橋を走るのは貨物列車の先頭部か?
黄緑の車体であり、下に道を挟んで広がる畑も同じ黄緑である。
左下には黄色いランドセルの少女が何かを見やっている。
植物の上にとまっている白い鳥か。
空や雲や遠方の建造物も含め黄色がポイントである。
そうした時間の記憶がわたしにもある。」
そう、まさに彼の絵は自らの郷愁に接続させる装置なのだ。
モチーフの形態だけでなく黄色の郷愁である。
この色が幼少年期の詩情をチクチク刺激してくる。

2006
「湘南電車幻想」
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初めて見るが、何という暴挙。
極めて性的で原初的な生命エネルギー漲る不気味さだ。
青い三輪トラックが小動物のように怯えているではないか。
おまけで添えられた男女はあくまでもこのドラマには関与していない。
列をなして歩いている鳥とは同じ地平にいるようだ。
ともかく、この大きな芋虫のような列車の即物性が生々しく際立つ。
突然の侵害など、生命の邪悪さみたいなものを夢想する。
(S君もわたしも好きな怪獣ものを思い起こす)。

2007
「森の遊園地」
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この絵も初めて見る作品。広がりと時間が定かでない場である。そして特異な光の強度。
少女ともう一人幼い少女の他に入園者がいないこと、更に果て~先があるのかどうかはっきりしないところから、この地がここだけで完結した場であることが想像出来る。光から推測できる時間帯は、トワイライトか。
走っているのかどうか分からないが三つの種類の異なる小さな機関車が一台は我々の背後に向け、もう一台は前方彼方へ向かい、もう一台は高架線を画面右から左に真っ直ぐ横切る方向に乗る。但し速度は感じられず。停車している可能性は高い。行き場が無い為、置かれただけかも知れない。
そして画面を手前から彼方の奥行に向けて弧を描き伸びる線路の交差する上に妖精が宙に舞う。
S君の夢の中~ファンタジーの遊園地としてしまえばそれとして収まるが。
果たして森の遊園地(の時間)はどこかで息づいているのだろうか、、、。
全てが儚く緩やかに凍結しているトワイライトの時間。
彼の絵によく出現する後ろ向きの少女の視線は、ここでは背後に向かった汽車の荷台に置かれた馬の乗り物に向けられている。上方に浮かぶ妖精は注意を向けられる存在ではなく、少女と同格の何かを観る存在であろうか。
しかし何らかの対象への意識~志向性がほとんど感じられない。少女の手を引き何やら光る棒を持っているとても幼い少女が一番意識が何かに向かっているように思われるが、、、荷台から飛び出した妖精は彼女の棒の一振りによるものか。
妖精が何人か舞い上がってゆく、、、この絵の中での特異な動き~揺らぎである。
しかしこの妖精がわたしの部屋の窓までやって来る気配は無い。今ヤモリが歩いているところだ。


2007
「湘南幻想青大将」
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S君の仕事-Ⅴで取り上げている。
「緑の匂い立つ画像である。やって来る電車も緑。光がとても優しく、本当の光らしい。
俯瞰してるが、たまたま出逢った世界の切り取りである。
緑の木々の向こうから顔を出してくる電車はどことなく青虫を想わせる。もしかしたらかつて木々の内に見出した葉っぱの上を歩く青虫とのダブルイメージになっているのかも知れない。微視的・記憶上のイメージが様々な絵の要素と絡み融合している可能性は高い。
右側をカーブしてゆくトロッコが可愛い。しかしどちらに向けて走っているのか、又は止まっているのか分からない微妙なバランスを保っている。しかし電車との何らかの対応(力学的)関係はあるように想える。
この絵がわたしを引き込むのは、何より光と影である。
光がとても柔らかく繊細な煌きに充ちている分、影の癒しの効力も高い。
影が補色になって、とても居心地が良い。」
わたしはここで初めて今いる世界と繋がる。
今過ごしている世界の断面と出逢う。
この青虫電車~青大将はちゃんと次の駅に着くであろうし、このトロッコも何処かに必ず行き着くことが予想できる。
目の良さそうな猫がこちら(鑑賞者)を意識しながら水面辺りを探っている。魚がきっと潜んでいるのだろう。
そんな日常世界の厚みを感じる一幕に安堵する(笑。

2010
「MoonLight Serenade」
sabu0008Moonlight Serenade2010

初めて見る絵だ。
まず感じたのは、ここはどのような地形なのか、、、やけに水平線が凄い手前で切れてるなという印象。
事によると、その船のすぐ向こう、水上に聳える建造物のすぐ後ろは、滝なのかと思う。
するとこの静けさのすぐ向こう側は、飛んでもない瀑布が見られたりして、、、。
しかし、それは違うことが分かる。
向こう側から波が岸辺に打ち寄せているではないか。月の潮汐力が働く遠い大洋から及ぶ力が感じられもする。
それでもどうしても海洋~大海が感じられないのは、建造物と船の大きさにも起因するが、S君のなかでこういう構図が要請されたのだ。
水を使ったイメージのジオラマであり実際に不可能な場を絵で現したと謂うしかない。
所謂、絵なのである。S君のシステムにより成立する絵画世界なのだ。
S君が絵に拘る訳である。

2010
「湘南幻想ワニ園午後」
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S君の仕事-Ⅴで取り上げた作品。
「プレ・ラファエル派の絵だと謂っても信用する人は多いと思う。(電車があるのは変だが)。
新しい光と色彩と筆致を得たうえでの点描もフルに活かした制作だ。
かなりの力作である。
池には鰐もいる。
電車はやけにリアルで、上に観られた郷愁に染め上げられた車両ではなくすっきり洗い流された姿を見せている。
そして何と言っても植物の描き方の多様性であろう。
海と沖に輝く光はもうお手のものか、、、。
しかし一番異なるのは、いつもの後ろ姿の少女ではなく、横向きの座ってもたれかかり夢想に耽る妙齢の女性である。
わたしがプレ・ラファエル派と言ったのもそれが大きな理由となる。
左上部の木陰が少し彩度が高すぎる感じはするが、精緻で繊細でありながら全体構造がしっかりした調和のとれた絵である。」

以前にも書いているが、力作であり、わたしの好きな作品のひとつだ。
プレ・ラファエル派のモデルめいた女性といい、人格を持ったような鰐といい、ちょっと現実離れしていて、現実的な世界の切り取りも実現している。「湘南幻想青大将」と同様に現実の一齣として描かれている。どちらも「幻想」と題にあるが、飽くまでも彼の身近な現実を描き込むなかから溢出した豊かな幻想である。
彼の真骨頂と言えよう。




明日☆☆ Pre002に続く。




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ついに実現、S君の絵画展

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8月についにS君の絵画展が開かれることとなった(祝。
これまで周りから「いつ絵画展やるの?」とせっつかれていたものだが、やっと彼も重い腰をあげたようだ(笑。
作品数はもう膨大なものとなっているようだし、どうするのかと思っていたら、数をかなり絞って出すことにしたらしい。
平〇〇〇にある立派な洋館であり、その景色が気に入りそこを描いたことで、作品展示は是非ここにしようと決めたそうだ。
(彼に確認しその正式名と住所を公表してもよいことになれば、後日ここに載せたい)。

作品は厳選して出品するという。
素晴らしい。ワクワクだ。
そして、絵のコメント~解説文を依頼された。
責任重大である(笑。
なんせ彼のファンは幅広い。
絵を借りたまま返さない大学教授(もう故人か)とかその道の専門家(わたしも端くれだが)や音楽家やSEやその他諸々、、、
一番多いのは、学校の先生がただろうが、、、押し寄せるな(爆。

ここは、うんと詩的に行きたい(笑。
学校の教員で詩の分かるのはほとんどいないし(嘘。
彼から出品作の写真が送られ次第、作業に入りたい。
わたしの知らない新作もかなりあるとのこと(それはそうだろう)。
ホントは、直にその作品を見て書きたいのだが、このご時世である。ふらふら出かけてゆくのも大変だ。
本物は展示館で見ることにする。すでにわたしのコメもついてしまっている状態で(笑。

web上でも展示場を開ければよいが。
わたしの以前のブログくらいの形式でよければ、、、
しかしスケールがね。
まあ、どんなものかの見当をつけるくらいには役に立つかも知れない。

以前のS君の作品紹介。
S君の仕事-Ⅰ
S君の仕事-Ⅱ
S君の仕事-Ⅲ
S君の仕事-Ⅳ
S君の仕事-Ⅴ
S君の仕事-断片補遺

ここで紹介したものは、ほんの一部であり、わたしが久しぶりに彼のお宅にお邪魔して、部屋に飾ってあったものを写真に収めコメントと共にアップしたもので、ブログではせいぜいこの程度の解像度が限界となる。
実際に足を運んで観てもらう方が良いはず。
コメントはやはりこの線に落ち着くかも(笑。
もう少し面白いものにしたいが。
(まだ分からない)。


やはり自分の作品もしっかり頑張りたいものだが、今諸事情からそれを進める状況にない。
いずれ体制を立て直して臨むことにする。
まあわたしの方はゆっくりやってゆきたい。

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”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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