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GOMA28

Author:GOMA28
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3連作画を描く

blue sky


漸く新築祝い用に描いた3連作の絵が仕上がる。
一つのキャンバスはF6ほどのもの。F4も用意してある(F0も試したが小さすぎて見送る)。
まず一つの画布に運動の方向と強さを任意に決めた線を走らせる。カスレもしっかり残す~活かす。
その後から、空間を規定する面を滲みぼかしつつ塗り込んで行く。補色より線の強弱を有効に使った。
この時、余白を忘れない。描きたいのは余白という奥行きだったりする。
事後的に確かにそうなった。連想しやすいのは空の白雲だが、あくまでも平板な白には相当な強度の分厚い空間が固定された。
それが3つ。それぞれ自立しているが、相互に微妙に関連し合う形で最終的にはほぼ同時に仕上がる。
かなり複雑な運動と面つまりは場所に他ならないタブローが出来た。

その際に、そこから派生した他のパタンを試したものがあり(残った絵の具が勿体ないこともあり)、今そのパタンの3連作画を描き進めている(アクリル絵の具は乾いたらそこまでで終わる絵の具の為)。
これは、へたをすると止めどなく出てきそう、、、体力が問題であるが。
途方もない並行世界が存在するように。
マルチバース~気が遠くなるようで、とても親近感もある。
われわれはやはり何らかの形で飛びたいのだ。
違う場に。ここにいながら、そこに。
それを妨げるものを悉く破壊し尽くし。

3連作というのが面白い。
これまで一枚単位の絵しか描いたことがないこともあり新鮮な感覚というだけでなく、創作の自由度が飛躍した。
何と言うかとても手頃な範囲~組み合わせで多様性の試作が出来る。
とても狭い範囲で、秘密裏にこそこそと、違う場所に接続する。
絵を描くことの目的である快感と快楽の境地。
但し、どうだろう。
これを持って行って見せられた人は果たして何を想うか、、、。
今更ながら、そんな当たり前のことを漠然と思う。



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炎上

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Enjō
1958年
市川崑 監督
和田夏十、長谷部慶治 脚本
三島由紀夫『金閣寺』原作
宮川一夫 撮影
黛敏郎、中本利生(邦楽)音楽


市川雷蔵、、、溝口吾市
仲代達矢、、、戸刈
中村鴈治郎、、、田山道詮老師
北林谷栄、、、溝口あき(吾市の母)
舟木洋一、、、鶴川
浜村純、、、溝口承道(吾市の父)
洋館の女(らん子):浦路洋子
新珠三千代、、、花の師匠
信欣三、、、副司
中村玉緒、、、五番町の女(まり子)


「金閣寺」は幼少の頃から本棚に背表紙を観た来た。
それだけで、読んでない(笑。
三島作品は、随筆~エッセイしか読んでいない。
それでこの映画である。
三島文学をまともに読んでいない以上、飽くまで、この映画を観た範囲で、気になったことのみ書いておく。

映画作りにおいて三島本人も監督とディスカッション済みらしい。
この映画は原作者に認められたものとみて良いようだ。
映画の形式に変換され時間も99分と短い。
内容がどうそぎ落とされ、何をテーマに置かれて再構成されたものか。

市川雷蔵が吃音に悩む孤独な学生を極めて繊細に演じ。
仲代達矢が片足の不自由な理論武装した学生を豪放に怪演する。
中村鴈治郎がしたたかな(裏の顔を持つ)人格者の住職を好演する。
(この感じの人に、わたしはかなり出逢って来た覚えがある)。
映画において、金閣が「驟閣寺」(しゅうかくじ)と名を変えられているのは、何か訳があるのか。
モノクロの気品と壮麗さが充分に生かされていたように思われない。
「驟閣寺」はここでは神々しい程に美しくなければならぬのでは、、、

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この吾市という僧に成ろうとする学生、母との折り合いが酷く悪い。
肉親憎悪には、やるべきことをせず虐待などに変えて来たか裏切り行為(不貞)などの原因が多いと思うが、この場合後者のようだ。
非常に潔癖で純粋な性格であるため(吃音にもそれが影響している)、特にそのような不潔なことが許せない。嫌悪の対象となるのは分かるものだ。
その反動で病死した父を過度に神聖化しているように窺える。
父が生前、「驟閣寺」ほど美しい寺はない。一度お前にも見せよう、と実際に父と見て感動した想い出が彼の中で純化してゆき、そのイメージが(父とも重なり)途方もない価値になってしまっていた。
基本的にコミュニケーションが難しく吃音に対する迫害により著しく内面化が進みアイデンティティの拠り所を強く求める心性も生まれやすい。
今や「驟閣寺」は聖地であり、はじめからあった不変の場所となる。この世にあって変わることのない絶対的な価値である。
しかしこの感覚~世界は他者との共有は当然難しい。

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彼と対照的な懐疑的で退廃的な理論家である戸刈が世の中の全ては流転しており変化こそ本質であり変わらぬものなど何処にも無い、という至極もっともな理屈を諭されたことに対する反感もあろう。
吾市は彼の、鋭い洞察力から放たれる容赦ない言葉や、やくざな行いが受け入れ難く、そりが合わない。が一目置いている。
尺八を教えてもらい自分も吹けるようになり、影響もしっかり受けているのだ。
(出来れば、もっと尺八などに専念するような資質~感性があれば、放火などせずに済んだはずだが。芸術表現による他者との感覚共有は在り得る)。
このかたくなな吾市の価値観と、いつも呟いている「誰も分かってくれない」という常に底流する不満は同根に思える。

戸刈の知性のように全てを相対化すれば、これだけは分かって欲しい絶対的なもの~価値などない。
自分とは常に生成する過程~その途上の点に過ぎず、わたしはこういうモノだ、それを承認してくれなどという欲望は、少なくともプライド上見せないでいる。知性で論理は組み立てるが、心理的には強がりの裏返しでもある。自分の本心を巧妙に隠して生きている。
(彼も自分の脚をワザとひけらかして他者の憐れみを逆に利用しているに過ぎずコンプレックス自体はしっかり引き摺っている。だから片端呼ばわりを女にされるとやはり逆上する)。
この辺で、二人は言っていることは正反対でも、似た者同士でもある。

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父も寺も田畑も借金の埋め合わせに奪われた彼を暖かく拾ってくれた老師にはある時点まで絶対的な信頼を置いていたが、やがてそれも崩れ去る。尊敬する住職が妾を囲っていた俗物であったのだ。吾市はこういうのが一番許せないタイプであろう。
かつて一目惚れした(彼にとって人間離れした)美しい女性が、戸刈と男と女のドロドロの関係にあった。
このような落胆~絶望も重なり、父=「驟閣寺」の幻想を更に強固なものにしようとする。その内面化が極度に進み、揺らいでくる。その基盤を重力的に支えきれなくなってくる。
そしてその自分の気持ちを誰も分かってくれない。

これを吃音の自分が天に(もはや人ではなかろう)知らしめるには、父を火葬した時のように「驟閣寺」も炎に焼くしかない。
同時に自分も世界を失う。

飽くまでもこの映画を観た上での感想に過ぎないが。
溝口吾市が象徴的に「驟閣寺」を焼失させるにせよ、もうひとつそれを成す何かが欲しい。
別に何故、「驟閣寺」に放火したかの謎解きではない。
溝口吾市の孤独の様相にもう少し迫りたいところであった。








近松物語

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1954年

溝口健二 監督
依田義賢 脚本
早坂文雄 音楽

長谷川一夫、、、茂兵衛(手代)
香川京子、、、おさん(以春の妻)
南田洋子、、、お玉(女中)
進藤英太郎、、、大経師以春
小沢栄太郎、、、助右衛門(主手代)
菅井一郎、、、源兵衛
田中春男、、、岐阜屋道喜(おさんの兄)
石黒達也、、、院の経師以三
浪花千栄子、、、おこう


やはり琵琶湖に浮かぶ心中を図る小舟の幻想的な光景である。
ワンシーン・ワンカットの手法が大変活きている。
(他でもそうだが)。
近松門左衛門の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』と西鶴の『好色五人女』を下敷きにしているものだという。
染み入る様な歌舞伎の音楽がまた良い。
恍惚として魅入ってしまう。
ストーリーも大変リアルな不条理の連鎖を見事に描く。

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京の烏丸四条にて、宮中の経巻表装と暦で繁盛する大経師の店を舞台に。
この店の大経師以春は商人なのに苗字と帯刀が認められている。
暦はこの店が独占販売権を貰っているらしい。
まさに特別扱いをされており、以春は傲岸不遜を絵に描いたような男であった(分かり易い)。

美しい妻おさんの兄、岐阜屋道喜が借りた金の利子が払えず金の無心に妹の元を訪ねてくる。
夫の大経師以春は全く取り合わないことを知っている為に妻である妹に頼むのだが、彼女が苦しむことをどう考えているのやら。
おさんの母までが無心に来てはおさんに多大な負担をかける。
おさんは困り果てもっとも信頼のおける腕の良い職人でもある茂兵衛に相談を持ち掛けた。
茂兵衛は主人の印を使い御得意先から取り敢えず金を借りてその場の都合を付けようとしたが、助右衛門に見つかってしまう。
ここで助右衛門に賄賂を約束しこの件を上手く果たせば、この場はやり過ごすことは出来たはず。
(多分、またすぐにゴミのようなアホ兄が借金を作って泣きついてくることも目に見えるが)。
主人に正直に詫びに行ってしまったことから茂兵衛は逆鱗に触れ空き部屋に監禁される。この時点から運命の歯車が動き出し茂兵衛とおさんだけでなく、この格式と財産を誇る店もろともに転落~崩壊の一途を辿ることとなる。
ここから先の展開は見事である。

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事態は悪い方へ悪い方へと転がる。
以春が若い女中のお玉に手を出しており、それに憤慨したおさんが寝床をすり替えて待機すると、昼間助け舟をだしてくれたことに礼を言おうと茂兵衛が屋根伝いにやって来たのだ。
ここを使用人に見られ不義密通の誤解を受ける。この時代不義密通は街を晒し者として引き回され、磔となる重罪である。
金も作らなければならず、二人は取り敢えず店を離れ金策に向かう。
そして茂兵衛と共におさんは何とかまとまった金を実家に送ってその窮地を救うが、、

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おさんは、茂兵衛と駆け落ちした形となり、逃亡をそのまま余儀なくすることになる。
どこにも包囲網は張り巡らされ、逃げきれず琵琶湖で心中を決めるが、もう 今際の際でもあり胸のつかえを取って死のうと茂兵衛がおさんをずっと慕っていたことを告白する。
これを聴いたおさんは、死ぬ気が失せ二人でこのまま生き続けたいと願う。
お互いに愛し合っていたことに気づく二人。
もうこの愛の邪魔は誰にも出来ない。
静かだが燃え盛る思いに包まれる、、、と言ったところか。
このかなりの動きを交えたやりとりを小舟の上でするのだ。これは非現実的なシーンであるがまた大変リアリティを感じる瑞々しい場でもある。
このワンシーン・ワンカットこそ溝口の真骨頂なのだな、と納得する(勿論、他の場面も幾つもそうであるが、、、おさんが自分だけ出頭して彼女を救おうと身を潜めた茂兵衛を探して山道をはだしで走りまわり倒れるまでのロングショットなども)。

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兄は大変な迷惑をかけ、それを救ってもらったにも関わらず、おさんが茂兵衛と逃げる羽目になってからは、彼女を責め立てる。
捕らえられた後は、また大経師に追い返そうとするばかり。
岐阜屋道喜の自己中振り~クズは救いようもない。
昼夜妹が道なき道を泥だらけで彷徨い歩いて逃亡している最中、このアホは三味線の稽古などをして唄い惚けているのだ。

結局、おさんと茂兵衛は一緒に捕らえられたことで、不義密通となり掟通りに裁かれることに。
その罪人を出した大経師以春の栄華を極めた店は御取り潰しとなり主人と番頭は追放となる。

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しかしおさんは何の後悔もない。
人生の最後に本当に愛する相手を見つけたのだ。
だが茂兵衛の表情はおさんのようにすっきり晴れやかではない。
とても複雑な思いにとらわれた様子が窺える。
これで果たして良かったのか、という、、、。
お互いに真実の愛は貫いたが、この結末を呼んでしまった。
(他に何とかできなかったものか)。

わたしなら空ハンコの時点で助右衛門に賄賂を握らせるが。
「毒を食らわば皿まで」である。
一旦、急場を凌いだら、その後のことをじっくり考える。
だがこれでは、愛が目覚める契機がないかも。悲劇を前提にしたところで真の愛が見いだせたのだから。
何という悲恋物語、、、。













In Time

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In Time
2011年
アメリカ


アンドリュー・ニコル監督・脚本・製作


ジャスティン・ティンバーレイク、、、ウィル・サラス
アマンダ・サイフリッド、、、シルヴィア・ワイス
キリアン・マーフィー、、、レイモンド・レオン(タイムキーパー)
オリヴィア・ワイルド、、、レイチェル・サラス(ウィルの母)
マット・ボマー、、、ヘンリー・ハミルトン
ヴィンセント・カーシーザー、、、フィリップ・ワイス(シルヴィアの父、大富豪)


金が時間となった世界。人は生れると腕にデジタルタイマーが表示される。
それを見れば自分の余命がハッキリ分かる。
人口増加対策なのだそうだ。
人々は25歳から歳をとらない。(だから祖母も母も娘も同い年の容姿であったりする。ここが面白かった)。
その後は(1日毎の)余命となり、貧民ゾーンでは労働によって細々と生存時間を得て生活を営む制度となっている。
(そして人口調節の為、税と物価が同時に上がり多くの死者を出すらしい)。

資本層~支配層では時間は有り余っており実質不死の人間で構成される。
だが時間を持て余し、ただギャンブルに耽るだけという空虚な生活に苦痛を感じる者もいるようだ。
(ウィルに自分の時間を与えて死んだ富裕層の男もそのひとり)。
何か創造的なことをしろよ、と言いたい。
実際、ここまで退廃的になることは無いと思う。
貧困層のその日暮らしの実情は、確かに絶望的だが。

多くの人々は新たに時間を供給されないと、時間切れでその場で倒れて死んでしまう。
ウィルの母もそうであった。
まさに「時間内に」という映画である。
ハラハラしながら見た(笑。
そこが狙いなのだが。

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しかしウィルが時間を富裕層の男から貰って彼らのゾーンへ入ってゆくまでであった。
そこから先がしぼんで行く。散漫になる。
折角、アマンダ・サイフリッドとの出逢いもあるのに、これと言って驚くような展開がないのだ。勿体ない。
富裕ゾーンに乗り込んでからの展開が甘い~温いとしか言えない。
大物資本家~長時間保有者のシルヴィアの父親とポーカーやって勝った後、2人で海で泳いでからその後が、これといって無い。
彼は一体、何しに行ったのか、、、。「youは何しに富裕ゾーンに」である(笑。

ウィルがシルヴィアと共に、彼女の父の経営する銀行を破り、時間を強奪して貧民層に分配するのだが。
これって(このパタン)何かの映画でもあったな、、、。
特に計画に沿ってというものではなく、「タイムキーパー」に追跡され、ギャングに時間を狙われながら流れでやっているようなもの。
基本、逃亡者である。

ここでしっかりした策略を元にした(富裕層社会の打倒を目指す)行動とかがあれば緊張感も更にアップしたものになったはずだが。
時間切れの心配と、如何に監視員たちから逃げおおせるか、といったレベルのハラハラ感であった。
ここでゆったり愛を語っている場合かという(お約束の)場面もはさみ、行き当たりバッタリ感は否めない。
面白いのは、労働者の仕事が完全に機械にとって代わられたようなものであったり、車やバスが今の時代のものと変わらないのだ。遺伝子操作がずっと進んだ世の中なのだが、、、。なかなかに趣深い風景であった。

お金が時間にとって代わったという発想から、どのような世界観と主人公が何を目指して行動をとってゆくかが、十分に詰められないまま製作されたようだ。
結果的にゾーンの解体に従い時間が均等に広がり、社会制度の崩壊が進む様相を見せていたが、、、
その展開が何段階にも具体的に描かれないと、緊迫感がまるでないではないか。

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貧困層の人間は走るが富裕層はまず走ることは無いというのはとても説得力がある。
ウィルの得意なアームレスリングみたいな相手の時間を奪う1対1のバトルなどのアイデアもよかったが、もっとこういった細部も全体に欲しい。
ジャスティン・ティンバーレイクとアマンダ・サイフリッドの逃亡劇としての面白さはそこそこあったが、もう少しブラッシュアップして発表して欲しい映画であった。
二人ともよく走っていた。特にアマンダ・サイフリッドにはご苦労さまと言いたい(笑。





AmazonPrimeにて。






Walk on the Wild Side

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NHK日曜美術館で北海道の「シゲチャンランド」(大西重成氏の私設美術館)を観た。

ひとつ思い切ることが大事だ。
チマチマと現状維持の生活をしていては何も始まらない。
今の生活を~の為だから仕方ない、と誤魔化してはいないか。

いるべきところにいて、やりたいことを思いっきり自由にやる。
そんなオブジェアーティストのシゲチャンを見て、やはり圧倒された。

若い頃は、ニューヨーク帰りのグラフィックデザイナーで有名アーティストのアルバムジャケットなどを手掛けていた。
50歳で故郷の北海道に帰り、海辺などから拾ってきたものだけでオブジェを作る造形作家を始めた。

牧場跡地に美術館を作り、全て自分の拾ったパーツを組み立てて作る呪術的で生命力を感じるオブジェ作品で満たしてゆく。
町興しにも役立っているという。シゲチャンデザインのお菓子や土産物、店などもある。
作品を作って行く時間が歓びと驚きに満ちており、拾ったものを回収するように無駄が何処にもない。
制作理念としては、打ち捨てられていたものを成仏させるためにあるべきところに組み込むというものらしい。
(暫くの間、連れ帰ったモノを寝かしておき、対話してから組み合わせなどを決めてゆくようだ)。

一番驚いたのは、オブジェ作品を雪の中にポツンと置き、写真に収めてゆくのだが、その切り取りが名も知らぬ遠い惑星の光景を垣間見たような厳粛な感動を覚えるものなのだ。
オブジェは未知の生物にしか見えない。
孤独で崇高な存在を目の当たりにした。

色々盛沢山に情報があったが、わたしにとって、それだけで充分であった。
やはり、何かのせいにして、今の生活を正当化していても仕方ない。
要らない物を捨て、変えられるものは、出来る限り変えて、邪魔なモノとは徹底的に闘い、内部から変革して行きたい。
生きることは変わることであり、解放されることであり、濃密な時間を愉しむことに他ならない。

それにしても、凄いオブジェであった。
本当に何処かに存在するイデアを感じた。
何かをやることがそのままイデアに触れる方法ともなるのだ。
(それが自分にとって、ホントにやるべきことであれば、、、)


まずは明日から、必ずひとつ古いことを辞め、新しいことに手を付けよう。


ルー・リードの”Walk on the Wild Side”を改めて聴いた。
シゲチャンの大好きな曲だそうだ。

確かにやばい。


イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 断片補遺

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「売店のある美術館の出口」とは何ともニヒリスティックだ。
美術は常に商業主義と結びついてきた。
ただ個々におけるその結びつき方は色々ある。

昨日観た”イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ”で印象的であったのは、MBWことティエリーと大規模メディア展開した宣伝を見てやってきた民衆との共犯関係だ。その一点についてだけ、簡単な感想を述べておきたい。
この洗脳しようとする側と自ら進んで洗脳されようとやって来る人々との、鍋と蓋みたいな関係。
いみじくも「一連の現象は人類学的、社会学的に検証の価値はある」とシェパード・フェアリーが謂うように、この事例を少なくとも文化論として展開してもよいはず。
このバンクシーの対象化したドキュメンタリー映画自体が、何より良く出来たサンプルでもある。

また、こういうやり方もあるのだ、というMBW擁護論もあろう。
実際、彼の作品は売れ続けているらしい。
単なる初期洗脳でそのまま需要が続くものだろうか。
勿論、問題提起の形でこの映画を発表したバンクシーが権威の立場からMBWを鋭く批判すれば事態は変わる可能性も高いであろうが、彼は直接的に影響力を行使することはしないだろう。ただ、このような形で世界に託したものだ。
(当のMBWがバンクシーを大尊敬している捻じれ現象もある)。

バンクシーの作品が、これまでのポップアート画家の作品と同等な価値を認められるのは良く分かる。
彼の作品は寧ろそれ以上の強度を誇る。
所謂制作をしなくてもコンセプト次第で、アートはサインした便器をひっくり返して展示会に出しても成り立つ。
何れもアート~作品(場合によっては制作行為)そのものが目的であり、全身全霊の思考の産物であることは変わりない。
しかしそうではない見かけ上の「アート」で人を惹き付け続けることが可能か。
このMBWにとっては、アート自体は全くどうでもよい手段に過ぎないのだ。あれだけストリートアーティストを撮り続けて来たのに、彼らの仕事の一体何に惹かれていたのか。
彼にとっては、人を惹き付けることそのことがまさに目的である。
自らがイコン化し、ブランディングを高めてゆく。
サインされたその物が差別化され選択意思決定の単純化・固定化のレールが敷かれればよい。

彼にとっての勝負はやはり何より、最初の伸るか反るかの大規模な展示ショーにかかっていた。
ここで失敗していれば、別に世の中何事もなかったように明日を迎えたものだ。
バンクシーとシェパード・フェアリーという権威の影響力を利用し巧みな宣伝をかけて大勢の集客に成功したことで、この流れが生まれてしまった。新しい権威に縋りたい人々の要求を吸収する装置としてMBWは作動を始めたのだった。
要所要所でマドンナみたいなアーティストがアルバムジャケットなどを依頼することで、その流れは当面維持されてゆくのではないか。

中断


噺は全く変わる。
先日ウェブ注文した”GIRLFRIEND”のファーストアルバムが届き、聴いてみた。
YouTubeのステージ録音ではオリジナル曲の印象はイマイチであったが、このスタジオ版はかなり良かった。
この若いメンバーでの最初の録音としては相当な水準だと思われる。
もうセカンドも出ているし、そちらも注文したい。
彼女らは必ず日本最強のロックバンドになると確信した。





セカンドアルバム”HOUSE [CD+DVD]”



インターセクション

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INTERSECTIONS
2013年
フランス

デヴィッド・マルコーニ監督・脚本
リュック・ベッソン製作

ジェイミー・アレクサンダー、、、テイラー・ドーラン(スコットの妻、アメリカ人)
フランク・グリロ、、、スコット・ドーラン(ヘッジファンドマネージャー、アメリカ人)
ロシュディ・ゼム、、、サレー(自称モロッコ人の修理工)
マリ=ジョゼ・クローズ、、、オードリー(赤ん坊連れの女)
ムーサ・マースクリ、、、イサム・ベナム(護送中の凶悪犯)
チャーリー・ビューリー、、、トラビス(テイラーの愛人)


「交差点」~確かに交差する。交差~事件として。
リュック・ベッソンの映画みたいに宣伝されていたので観たが、監督は違った。
砂漠でこんな交通事故ってあるんだ。凄い確率に思える。
(だが、全てが砂漠の交通事故みたいな出来事で地味に展開する)。
そしてこんな人間模様ってあるんだ、、、という感じの珍しいパタンの(アクション)サスペンスドラマ。
確かにリュック・ベッソン的なカーアクションとクラッシュの凄い映画ではあった。
(しかしその後は、唐突な展開はあるにせよ淡々と進む)。

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そして何より際立つ悪女。こんなひどい女っているんだ、、、。顔を見ると如何にも薄情そうなので納得。
シチュエーション自体が特殊なので、いちいちこんなのあり?という感じで観てゆくが、サスペンス映画としては面白いか。
新婚夫婦のモロッコのゴージャス新婚旅行となるはずだったが、妻の画策で砂漠の真ん中で愛人に夫を殺害させようとしたのだが、夫がそれを事前に察知し、その愛人を金で買収し妻の計画は潰れたのだが、、、何だか調子に乗ってやってしまったカーチェイスで故障して止まっていたモロッコ人のバスと車に激突してしまい、何人もの死傷者を出し、そこに残されたものたちのサバイバルと個々の人間事情が露わになってゆく。そして実に厄介な流れとなり、、、。

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こうした映画だと最後は悪女が勝利してエンディングとなりそうなものだが、ここでは男が勝つ。
勝っても負けてもどうでも良いが、、、
登場人物は(赤ん坊以外)皆、ゴロツキなのだ。
誰にも共感は覚えない。

別に登場人物に共感しながら映画を見る必要はない。
人間性に共感が持てないというだけでなく、何でそういう行動をとるのか、とかいつそういう申し合わせをしたのか等の行動の謎も多い。不思議な意思疎通もあり新鮮味があった。彼らの意思や目的も今一つ分からないというか曖昧だったりする。
ダイヤの原石は誰でも欲しいというのはよく分かるが(笑。
あらま、と思いつつただ見ているのも楽しいもので。
距離を持ってモロッコの風景を眺めてゆくのも面白いものだ。
エキゾチックである。
キャストも皆、エキゾチックであり、飽きることはない。
TOYOTA車が結構多いことに気づく。

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最後に拾われたカメラのSDメモリーカードからまた飛んでもない事実が判明して警察やらが動き出したりするのか、とも思ったがそんな内容でもなかった。映っていたものは、かなり虚しい物悲しくもあるものであった。
飽きずに疲れずに観る事の出来る映画である。











形を作る

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実体のはっきりしないモノの漠然とした脅威。
結局、ウイルスとは何者?
いや教科書の解説が欲しいのではなくて、、、一体、細胞膜もない活動体とは、生命なのか何なのか?
(タンパク質合成も代謝力もない、、、だからパラサイトするのか、しかしそれに何の意味が、、、あるのか)。
つかみどころのない主役がわれわれの時の流れを危うくしているではないか。

一種の猶予期間~アドレッセンスみたいな日曜続きで、、、太ることが心配(爆。
何処にも目につく、あやふやな対応。仕方ないとはいえ。
情報は過多で錯綜するが、いずれも実情にそぐわぬ、麻痺する感覚。
何処かに湿布でも貼りたい。

こんな時は、「形」をはっきり作る。
部屋で籠ってやるには持って来いの精神活動。
精神衛生上もっともよい集中。
「形」を無欲無心に作ろう。

これは自己完結とは正反対で、自閉からは最も遠い行為。作業。仕事か遊びか。どうでもよい。
一気に(ミクロ~マクロ)宇宙に共振~直結する。


一切、周囲に惑わされない。混じり気の無い究極の快楽。とは、このこと。



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多肉の数だけ、、、

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娘たちだけでなく、わたしも最近、ぼんやり過ごすことが多くなった.。特に今日みたいに天気が良いと、、、。
多肉になった気分になることもある(爆。
他者との交わりは、生命にとって刺激を得る大切なことだと、やはり思う。


明日、学校に諸費と給食費を収めるのと、つでに突然の休校で持ち帰れなかった大きな重いもの(汗、を受け取りに保護者が召集されることになった。娘に聞くと、かなり重いものが幾つもあるよ、ということなので大きな頑丈なバッグを二つ持ってゆくことにした。
お金も4つの封筒にそれぞれ入れた。それから次女が休みに入る前に担任に渡し忘れたファイルも届けに行くこととなる。

ここのところなるべく人の集まるところには行かずに色々と買い溜めをして間に合わせていたが、流石に明日は日用品と食材を買う必要が出て来た為、午前中は大変忙しくなる(妻が公共交通機関を使いたくないということから勤め先までの送り迎えもしているし)。

学校から出ている宿題~課題も最近の中弛みでペースはとても悪い。
今日は、明日先生に進み具合を報告するからと、ハッパをかけて少しは進ませたのだが。
未だに理科の工作は面倒でなかなか手に付かない。
プラモデルを作るのは好きなのだが、、、

地道に進めなければならない学習一般、やる気が出ない。
自分から面白いからやるというのが、「数学パズル」と「ネイティブの発音で聴く英語」のワーク、そしてわたしと始めた「クロッキー」である。3日目になったがクロッキーははっきり進歩が見られる。
全体を一気に捉えながら、それぞれの葉っぱの特徴もそれとなく掴んでいる。
何より伸び伸び、活き活きと描けてきたことが良い。
これだけは褒めた(笑。
多肉はたくさんある。多肉の数だけ、絵は描ける。
モチーフには困らない(笑。

だが、ピアノはやらない。ほんとにサボってしまっている。これでは技能は後退してしまう。
わたしは、ピアノを一か月も休むことには反対であった。
だがこういった風潮が出来てしまい。何でもかんでもお休み、自宅待機となって、何より拙いのは子供にとって一番大切な学習がないがしろにされることだ。
やはり学校という場がないと、なんでもかんでもくまなく学習するということは、とても難しい。
学校と同様のペースで、自ら進んで出来る子はそうはいないと思う。
(今のようにパソコンゲームが好きなだけ出来る環境ではどうしてもそちらに流れてしまう)。


いよいよ、、、テコ入れをする時が来たようだ(爆。


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当分クロッキー

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娘たちとクロッキーをやり始めたら、これが面白い。
当分、クロッキーをやり続けることにした。

毎日、可愛い多肉を観察しながら、見る~描くワークが出来る。
こういう機会でないと、なかなかする気にもならない(ならなかった)。

集中力とセンスとテクニックが身に付けばよいが、、、。
それ以前に、何より自然のフィギュアの面白さ、奇妙さ、美しさに気づくこと、これが一番重要であろう。


描くこと~見ることには常に発見がある。
そこに驚きがあれば、謂うことない。

(無意識に触れるような、何かの契機になるような、、、)。



毎日が新鮮でありますように、、、。





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多肉と娘を描き始める

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今日は天気が良く風も心地よいので、庭で多肉の世話をしていた。
夕方からは、娘と多肉の鉢植えをモチーフにクロッキーを幾つかして、娘の絵を描き始めようかと、、、。
絵をキャンバスにしっかり描くとなると、、、
真面目にやるとすれば、何十年ぶりとなる(笑。

まず、キャンバスはジェッソで塗り潰して使えるものはかなりある。
絵の具はアクリルにする。
乗ってきたら油に切り替えたい。
まず画材の確認をして、今日の夜から始めることにした。

娘たちは、緊張感のない休みがダラダラ続くなか、最初のうちは学校の課題をやってはいたが、ここ3日くらいなにもやらずにパソコンゲームに興じている。おまけにピアノ教室も1か月お休みとなり、ますます堕落して行く。
ここで何とかしないと、、、子供にとって最も大切なものは、勉強である。

何とかしたい。
まず、一緒に絵を描くか、、、
それも良いかも。



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明日からゆっくり

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外に出れない為、室内で色々と片付け仕事を中心にガタガタやっていたが、取り敢えず一区切りがついた。
明日から、ゆっくりと絵を描くことにする。

実は今日も映画を娘と一緒に観たが、つまらなかったのだ。
「フレフレ少女」というもの。新垣結衣なら応援団ものでも面白いかと踏んだが、何のことはなく娘二人はお菓子ばかり食べていた。
正直、これはキツイ。
大体、小説ばかり読んでいる文学少女が、例え野球部員に恋をしたとして、ラブレターを書くまでは分かるが、応援したくて応援部に入って活躍して、、、なんてことで面白いストーリーを作ろうなんて、無理だ。
(個に向かう愛情が、チームや野球というスポーツに向かうには、飛躍がある。というか転換に当たる。全くベクトルの方向が異なるものだからだ)。
ラブレターの文を極めて行き相手の心をガッツリ掴むことに専念するか、その文がどんどん大きく膨らみ恋愛小説を一本仕上げ、それで賞など取ってしまう方向に昇華するとか、、、の方がずっとリアリティがあって物語も稠密なものが作れる。

発想が荒唐無稽だが、噺の内容は驚くほどありきたりで粗雑でリアリティの感じられない子供騙しであった(子供は白け切っていたが)。やはり何で彼女が応援部に入って応援そのものに目覚めるのか、その必然性が感じられないのだ。
まあ、製作側は最初から応援を題材にした映画を撮りたいところから入って行ったのだろうが。
最終的に謳われる応援の精神に行き着くまでの流れが何とも、、、そもそも彼女はどんな文学を読んでいたのだろうか、、、。
「今日はつまんなかったね」と謂われ明日からの映画鑑賞は、危ぶまれる状況にもなった。
丁度この機会に、わたしの生活の流れも変えてみようと思う。

折角だから娘たちと一緒に描くことにした。
クロッキー、素描をしてから、じっくり対象に向かうつもり。
思えば5歳位から、絵や数字は必ず毎日書いていた。

その頃の時間流に乗り移ろうとは考えていたものだ。
今がタイミング的に丁度良い。
ゆっくりと描き始めよう。

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