プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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相原求一郎

aihara001.jpg

冬の北海道の極寒の雪景色を描き続けた画家。
色味が少ないのは、生温い色が許せなかったのだ。
わたしの住む土地にも時折雪は降り、全てを白く覆い尽くす光景に酔うことがあるが、そんな生温い雪ではない。
本当の雪なのだ。
とは言え、この「天地静寂」という絵には、僅かな緑が描き込まれている。
福寿草が死の雪白の中に垣間見えるのだ。

aihara005.jpg

満州に4年間兵役に就いていたが、そこでもずっと絵を描き続けた。
死と隣り合わせの緊張の続く日々に満州の原野を描き続けたことが、帰国後も原体験となって彼を突き動かす。
そして満州の原野に見た赤い夕日を、冬の極寒の北海道にそのまま見たのだ。

それからというもの、北海道の山の初冠雪の時期にそれを描きに行くライフワークが生涯続く。
(どうやら「初冠雪」というのが山に拘る画家や写真家にとって外せない特別なタイミングとなるようだ)。

aihara002.png

寒風吹きすさぶ北海道。
実家は埼玉県の川越である。
長男であるため家業を継がなければならなかった。
実業家と画家の二足草鞋を生きることとなる。
そのため北海道への取材・制作旅行も5日程度が限界であったという。
だが彼は死の間際まで病を押してその場所に赴く。

どの絵も、固い氷の潜む白雪の極寒の様相が余りに鮮烈で痛々しい。

aihara003.jpg

面白いのは、北海道を訪れ自らのスケッチする風景を8ミリフィルムに収めているのだ。
後の人間にとり貴重な資料であるが、本人はどういう意図で撮っていたのだろうか。
だが、真っ白い過酷な風景に対峙する画家の強靭な姿に圧倒されるだけではない、何かを感じる。

彼は冬の断崖絶壁を潮風に晒されながら描いている。
普通なら数分と立っていられない場所であろう。
そこまでして彼を追い詰めるものは何であったのか。
戦争体験も大きなものであったに違いないであろうが、、、。

aihara004.jpg

「天と地と」(150号)
まさに両極性を強く感じる非常に重厚な絵である。
これが彼の絶筆であった。
この絵の前で息をひきとっていたという。

この絵だけは、風景をそのまま写実したものではなく、構想をじっくりと練り、雪の峰と黒い丘と鋭く落ち込んだ崖を再構成して構築した風景であった。
これまでに描いて来た大切な場所を統合・構成した集大成の画像となろう。
生涯をかけた宇宙の創造だ。

自分の生涯の終わりに、このようなモニュメンタルな作品を残したいと、、、少なからず誰もが思うものであろうが。
山をこのところ作品によく見る。
これまで自分のなかで、「山」について想う機会はさほど持たなかったことに気づく、、、。
山か、、、。


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秋野亥左牟

akino isamu001

昨日は、庭仕事で余りに忙しく、記事をアップするどころではなかった。
パソコンの前に座る暇もない状態で、ちょっと健康的な気分を味わった。
頭も空っぽになり、亀とも親交を深めた。
本当はこっちの方が正しい生活ではないか、と思う。
いや恐らくそうだ。

秋野亥左牟、、、例によって日曜美術館で観る(笑。
日本画家の秋野不矩の次男である。
絵本作家として高名なそうだが、わたしははじめて知った。
かこさとし以外の絵本作家で、これほどの人がいるとは、、、
(長新太はこの際、出さない方がよいか)。
かこさとしとも、全くタイプは違う。

机上に研究資料を積み重ね準備をしてから仕事に取り組むのではない。
基本は、天と地の間に身をひとつおく。
赤裸々に生きる。
そこに初めて何かが生まれてくる。
場所の魂を呼び込む巫女みたいな人だ。

akino isamu

所謂、雰囲気的にはヒッピーみたい。
流浪するヒッピー。
ただし、直ぐに地を横断して去って行くのではない。
まずその土地に暮らし、現地の人との交わりを通じてその土地ならではの伝統を継承したかのような絵~絵本を描く。
それが絵~絵本を描くプロセスなのだ。

彼にとっての旅~異国での生活とは、身に付けてしまったものを剥ぎ取る儀式でもある。
間違っても知識を蓄積して行く過程ではない。
彼は障子の巻紙を担いで旅をしたらしいが、その長い巻紙に現地の画家が描いたかのような作風による絵が生成される。
そこに押し付けがましい個性や自我は窺えない。
「プンクマインチャ」ネパールの民話を題材にしたものなどは、特に素晴らしい成果に見える。
TVで見る限り細密な様式美による線描と鮮やかな色彩である。
わたしにとってえらくエキゾチックな絵に見えた。

akino isamu002

今日、絵本は注文した(笑。
じっくり眺め味わたい。
日本の民話、伝承も怖いものが少なくないが、これもかなり恐ろしい噺らしい。
とても楽しみである。

彼は辺境を愛した。
中央が失ったもので生きているからである。
彼は終戦を経験したことで権力に対し酷く失意を覚えその後、高校時代に共産党に傾倒するもそこでも権威に翻弄されることになる。
当時、共産党は彼に危うい任務を課しておきながら後にそれは一部の党員の暴走によるものという形であっさり弁明~処理して終わった。その出来事はその後の彼の世界観~生き方の基調を形成したように窺える。
彼の母である秋野不矩は「亥左牟の運動には悲しみが肉体化していない」と語ったという。
確かにその歳頃特有な観念的な志向により足を掬われた感が強い。
母はインドで絵を教える仕事があるから一緒に来なさいと亥左牟を誘う。
この旅で、絵の力を真に実感することとなる。
これで彼の行く末が決定的となった。

akino isamu003a

旅の人生を彼は送ることとなる。
そして辺境の地を体験、時には漁師(海人)となり、海の中で独りを体験し、空~星~海を知ることとなる。
干潮、満潮、星の位置と動きを知り、生きた海~宇宙を悟った。
ある意味、贅沢である。
本の知識では得られない、身体に染み渡る英知であろう。
そんな場所から生み出された作品である。
どれほど凄いか、、、。

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わたしにとって、かこさとしと秋野亥左牟が絵本界の双璧となりそうである。


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平櫛田中

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平櫛田中
「日曜美術館」で初めてその存在を知る。
廃仏毀釈も手伝い、木彫が廃れてしまった時期に近代日本の代表的木彫作家として活躍した。
「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」
並々ならぬ使命感が窺える。

日本の伝統美術の価値を高く評価する岡倉天心からの影響で基本となる作風が決まる。
「不完全の美」
表現しない部分を残し見る側が想像力を働かせ全体像~世界観を把握する。
この代表作として「尋牛」が生まれる。

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この作品は特に時空間の拡張を伴う。
自分と重ね弛まぬ修練を続け歩み続けるその姿~場所である。
尊敬する岡倉天心の像も幾つも傑作を残す。

そしてロダンからの影響。
暫くの間、裸婦モデルを使った彫像による制作に没頭する。
西洋の彫塑作家のように人体構造などの徹底した造形研究を木彫制作にも活かしてゆく。
対象の構造把握をしない~対象に対する洞察をせずに制作技量だけ高めてしまう当時の木彫の水準を脱する。
その成果が「転生」となる。

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そして彼の代表作は何と言っても「鏡獅子」であろう。
国立劇場の正面ホールに置かれる「鏡獅子」は、圧倒的な大作である。
2mの高さで美しく彩色されたものである。

6代目尾上菊五郎をモデルに22年の歳月を経て完成させた途轍もない力作であるが、精緻な彩色が成されている。
この彫刻~立体像に彩色を施す意味とは何か。
仏像も、今現在全ての色が脱色し、所謂「わびさび」をしみじみ感じる様相を呈していても、かつては原色の極彩色で鮮やかに塗られていたものが多い。
彩色された像を見るとわたしは大変エキゾチックな印象を持ってしまう。
そして彫塑というより、人形を想わせる。
この辺がどうにも悩ましい。

hirakushi denncyuu004

だが、この「鏡獅子」に関しては、彩色は全く自然の不可避の造形要素であると感じられる。
モデルが尾上菊五郎という歌舞伎役者であるところも大きい。
ちなみに6代目尾上菊五郎の裸像もあるが、こちらもミケランジェロばりの筋骨が表現されており素晴らしい。
(6代目は数えきれないほどのモデルを務めてくれたそうだ。この協力あっての賜物であろう)。

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岸田劉生

『驚く可きは実在の力
自分は猶これを探り進めたい』

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「道路と土手と塀」
この坂の向うに何が控えているのか、どのような広がりがあるのか、とても怖いが好奇心は更に大きく疼く。
路に横たわる二本の黒い影が不安を煽る。

実在に迫る。
確かにそれが放つ力~面白さ~異様さに惹き付けられてゆき、想像力に接続する。
この土の路のボリューム(量感)とムーヴマン(動勢)はもはや尋常ではなく、それは想像力をエネルギーにしてせり上がる。
文字通りにせり上がる。
遊び心もあるかもしれない。
だがそれがどう展開し得るか、かなりの危うさを秘めている。

物は動いてゆくことをわれわれに思い起こさせる。

岸田劉生はデューラー(写実の極み)とウィリアム・ブレイク(幻視)に深く傾倒していたと謂うが、それは完全に血肉化されていることも分かる。
表面的に似ているなどの(影響は)感じさせない。
少なくとも彼は、ラファエル・コラン経由の折衷的(印象派と象徴派を口当たりよくミックスした)作風を西洋絵画として継承していた当時の日本油絵画家とは一線を画する。
おフランスから取り寄せたこじゃれた油彩ではない。
独自の思索を突き詰めた絵画である。


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「麗子像」
上下に圧縮されていて手がとても小さい。
そしてこの謎の微笑は、、、。
とても日本的に思える。
自らのルーツに遡った姿が娘の肖像「麗子像」へと昇華したかのような。
いつもこの絵を観ると仏像を重ねてしまうが、よくよく見ると尚更そう見える。
有難い気持ちに何故かなる。

写実を極めた先の帰結としてのデフォルメ。
最初からピカソやマチスの真似から入ったデフォルメではない。
本物の形。

『驚く可きは実在の力』

本物の絵もこの力を持つ。


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小早川 秋聲

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「國之楯」

従軍画家、小早川 秋聲の作品「國之楯」の静かな衝撃は未だに脳裏を巡っている。
はじめて見た時、ミケランジェロの「ピエタ」を想った。
しかし「ピエタ」は、神聖で荘厳な作品であるが、地続きに共感できる人間的ドラマも重ねて見ることも可能だ。
だが、この「國之楯」は、これを前にして無言で立ち尽くす以外に何もできない。
自分なりの言葉に絡めることが不可能なのだ。
何らかの形で押さえようとしても言葉が全て滑り落ちてしまう。

完全に隔絶されているのだ。
そこに見えていても、その場所は、この時空に存在していない。
全ての意味の文脈から断ち切れた。
まさに「死」の場所。
その姿が無限の重みとなっている。
顔は日の丸の旗に覆い隠され、手にも手袋をして横たわる身体は、生身を全く晒していない。
この身体は、もはや誰にも触れえないことが分かる。
如何なる言葉も受け付けない。
「死」の実相にこれほど迫った絵画があっただろうか。

小早川ほど長期に渡って兵士と同じ地平で共に過ごした従軍画家はいないと言われる。
自身、軍人であり僧侶でもあった日本画家だ。
常に兵士と行動を共にしてその最前線における生の現実を描き続けた。
つまり、突撃風景よりも寧ろ彼らの日々の生や死とそれを弔う姿~光景をすぐ隣で描いて来たのだ。
日本にいて写真などを元に戦意高揚のための観念的な絵を描いた戦争画家とは、明らかに一線を画する。
彼ら戦争画家は(例えば藤田嗣治の「アッツ島の玉砕」など)日本の兵士の死体など一切描かず、敵の死体が累々と積み重なるところを勇猛果敢な日本兵が死を恐れず突き進むといったものである。
(玉砕ならば、日本兵が全員死んだのである)。
または、真珠湾攻撃の様を上空から俯瞰した(航空写真の)構図でモニュメンタルに描いたものが傑作として残されている(これも藤田嗣治のものが有名)。

そうした絵のなかで、超然と際立つ作品である。
この作品は日本軍から受け取りを拒否された。
だが、この絵を観た兵士誰もが、帽子を取り敬礼をして動けなくなったという。

そう、それを前にして動けなくなる絵画である。




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サクラメント 死の楽園

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The Sacrament
2013年
アメリカ

タイ・ウェスト監督・脚本・製作総指揮
エリック・ロビンス撮影


AJ・ボーウェン、、、サム・ターナー(VICE社特派員)
ジョー・スワンバーグ、、、ジェイク・ウィリアムズ(VICE社カメラマン)
ケンタッカー・オードリー、、、パトリック・カーター(妹キャロラインを連れ戻しに来た兄)
エイミー・サイメッツ、、、キャロライン・カーター(パトリックの妹、教団信者)
ジーン・ジョーンズ、、、ファーザー(チャールズAリード、教祖)
ケイト・リン・シャイル、、、サラ・ホワイト(アーティスト、教団信者)


この映画は1978年「人民寺院の集団自殺事件」*(ガイアナ)をモチーフとしたモキュメンタリー映画である。
*918人が殺害・自殺によって命を落とした惨劇である。
POVによる臨場感は半端ではなく、実際のカルト教団の記録映画を見る生々しさであった。
突撃潜入取材の出たとこ勝負の命知らずの記者がやはり潜入によって(強固に見えて辛うじて成り立っている)共同体内部に亀裂を入れてしまう。

洗脳とはよく言われるが、ここでは麻薬もかなり使用されていたようだ。
共同体は教祖に心酔している者と覚めているが脅されて言いなりになっている者とに分かれていたが、外部から人が入って来たことにより、我慢していたなんちゃって信者がザワツキ始めた。
どんなに上辺を取り繕い貼り付けたような笑顔で暮らしていても、歪のある共同体はちょっとした外部~他者の侵食で瓦解してゆく。

The Sacrament002

思想統制と謂っても生まれた時からそこに住んでいれば、北朝鮮のように他の情報がないことで落ち着くとは思うが、これまで下界で過ごしてきてここに移り住めば不可避的に相対的な見方をするはず。
枠~システムを維持する為の抑圧装置があれば、当然反発が生まれる。
それに対する厳しい罰則があれば猶更のこと。

しかしここを出たらまた過酷な環境で惨めに耐え忍ばなければならない。
この理想郷の内部を外に曝すとアメリカ軍隊~外部の悪の象徴が、大挙してきて皆殺しにされるとか、殊更に外部を恐怖の対象として結束を固めようとする。荒唐無稽な脅しが有効性を持つこと自体、ここの成員の精神状態がどういう状況にあるのか。
日々冷静な判断の出来ない状態に追い詰められている可能性は高い。
「エデン」と名付けられたこの共同体はかなりキツイ環境となっていることが分かる。
教祖に心酔しているかに想われる人も薬漬けである可能性は高い。
それから祭り、音楽・ダンスを上手く利用する。
だが、それらに絡めとられない人はそこからの脱出のタイミングを計って堪えている。

The Sacrament003

であるから、外部からやって来て、直ぐに出てゆく人に取りすがろうとする。
内部がバラバラになって、どうしても特派員とヘリに乗って帰るという人が出てきてしまい、教祖はもう歯止めが効かぬことを悟り、集団自殺を強要する。
誰もが逆らえないなか、異を唱える者も出て来る。
自警団みたいなメンバーはマシンガンを携えていた。
素直に天国に行くことを承諾した者以外は、毒薬を強制的に飲まされたり、それを拒み逃げて行くところで次々に銃殺されてゆく。
パトリックは妹に毒を注射されて絶命し、妹は石油をかぶって焼身自殺する。
共同体の敷地に銃声が鳴り響く。
修羅場だ。死体がゴロゴロと横たわる。

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恐らく、実際の人民寺院の集団自殺はもっと凄惨であったことが推察できる。
人数もこの映画より多いが、殺戮がもっと陰惨であったようだ。
下院議員と代表団、ジャーナリストも射殺されている。


この映画では結局、生き残ったのは、サムとジェイクの二人であった。
共同体の信頼性はそこからの離脱も自由であることが保証されているところにあると思う。
誰もが無意識的にも何らかの共同体~体制に属している。
それを意識化し対象化して自ら選び直す必要はあるはず。


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ヴァージニア

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Twixt
2011年
アメリカ

フランシス・フォード・コッポラ監督・脚本・製作


トム・ウェイツ、、、ナレーター
ヴァル・キルマー、、、ホール・ボルティモア(オカルト作家)
ブルース・ダーン、、、ボビー・ラグレインジ(保安官)
エル・ファニング、、、V( ホールの夢に現れた美少女)
ベン・チャップリン、、、エドガー・アラン・ポー
ジョアンヌ・ウォーリー、、、デニース(ホールの妻)
アンソニー・フスコ、、、アラン・フロイド(牧師)
オールデン・エアエンライク、、、フラミンゴ(湖の対岸の若者グループのリーダー)
ドン・ノヴェロ、、、メルヴィン( 時計台の管理人)


コッポラ監督の幻想的な傑作に「コッポラの胡蝶の夢」があるが、それに比べれば、とてもこじんまりとした小品であった。
観ている最中に3回ほど眠ってしまった。
この作品と夢繋がりで観た気になってはいる。
ちょっと怪しいが。

何だか現実は、特にどうということもない、冴えない流れである。
とっても地味。
だが、そこに夢が侵蝕してくる。
Vという謎の美少女がボルティモアに助けを求めてくる。
ゴシックな風情であるが、ちょっと狙いすぎの演出過多で美しさに乏しい。
(折角のエル・ファニングが死んでいる。実際死んでいるのだが)。

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ほとんど夢の中の世界でホール・ボルティモアはエドガー・アラン・ポーに導かれ、二人で事件の真相を確認してゆく。
つまり次作のネタがしっかりモノに出来るのだ。
しかし何でも夢の中で解決では安易すぎないか?
エドガー・アラン・ポーが出てきてしまって、何でも聞けてしまうではないか。
Vというか、エル・ファニングまで出てくれば、夢に浸っている方が良いと思いきや、、、
大概、誰の夢でもそうだろうが、とてもダイナミックでスリリングな展開で、Vが吸血鬼の正体を現し噛みつかれるなど散々な目には逢う。

だが、ゴシックロマンとかいうほどの絵ではない。
場所がアメリカのどこだかの片田舎である。
ゴシックロマンであればヨーロッパの古いお城とかでないと雰囲気は出し難い。
それに代わる何かがあればよいが、どうも感じられない。
しかしエル・ファニングのあの様相は、それを狙っているとしか思えないのだが。

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夢の世界の出来事は、起きたらスッと消えてしまう危ういものだ、、、。
余程の夢でなければ白昼のもとに描き起こせない。
この夢が相当にビビットな出来事であることは分かるが。
彼はそれをしっかり書き留めて、新作として仕上げてしまう。
編集者にも好評で、売り上げもまずまずという、何ともどうでもよい結末であった。


ベン・チャップリン演じるエドガー・アラン・ポーがまるで本人が出てきたように肖像画そっくりで凛々しかった。
それに比べ、であるがホール・ボルティモアは終始、締まらなかった(笑。
エル・ファニングの出演した映画の中では、もっとも地味で彼女の魅力が活かされてはいなかった。
噺の上でも、自分の自堕落さが元で最愛の娘を事故死に導いてしまった自責の念から現れる娘のイメージ~霊と杭を打たれて死んだVの姿が重層してこんがらがっている。
夢が活性することで、深層の意識も無軌道に浮上した感じであろうか、、、。
単に混乱して整理がつかないようにも思える。
湖の対岸の若者たちの存在は、実際にいたようだが、何を意味しているのか今の時点ではピンとこない。
イメージの中ではそのリーダーのフラミンゴがVを殺人神父から救い、吸血鬼に変えたようだが、、、。
夢か現か分からぬ世界を描くことは、面白いが、物語の構造まで何やらあやふやで捉えどころがないものを見た印象であった。

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こうしたタイプの映画であれば、ギレルモ・デル・トロ監督が撮ったら凄いものになりそう。




暗い場面が多く、Blu-rayが鑑賞には適している。




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娘の表彰式

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今日は、午前中は桜木町で開かれる美術展○○の入選・入賞作品展に行き、どうにか締め切り日前に娘二人の絵を観る事が出来た。
会場で観るとまた面白味が違う。
ここでも遠藤彰子先生の言葉が脳裏を過るのだが、どう見てもこれは入賞だろうと思う作品やこれはちょっと、、、という作品など、その選定基準がどこにあるのか、今一つ判り難いところを突き付けてくる絵はあった。それは、最初からそういうものだとは思っているにせよ、、、。
子供らしいド迫力のパワー溢れる甲乙つけ難い絵が、片や入選で片や金賞であったりする。自分の娘の参加するコンペでこの差は流石に気になる。
カラーペンセットとスケッチブックというベーシックなご褒美は貰っているが、余り相性は良くない感じ。

普段桜木町まで滅多に来ないので、美術館に寄ったり美味しいものを食べたりして帰りたいところなのだが、今日は午後直ぐにもう一つの絵画展の表彰式がある。こちらの会はまた挨拶が長い。入れ代わり立ち代わりお偉いさんの訳の分からぬ話が続くので気は重いが副賞やお花なども貰えたりするので、娘たちはそこそこ愉しみにはしている。今回は、よく遊ぶピアノ友達も同じ賞で表彰される。
実は、今回の絵はうちで3人で一緒に描いたのだ。勿論、3人は個性も違いそれぞれ全然違うタイプの絵に仕上がったが、皆同じ賞というのは、結果的に良かったと思う。コレで一人でも違う賞だったらそれもそれ、なのだが何だか居心地は良くないはず。
3人ともかなり確かな手応えを感じているので、そこに優劣が挟まれると、造形表現の勉強と謂うより、人生を学ぶ機会になってしまう。
こうしたコンペで腕試しみたいなものは、どうなのだろうと思う。

メリットとしては、そこに集まるかなり強烈な作品群を目の当たりにする機会はとても良い刺激となるはず。
学校(校内レベル)では、これほど多彩な個性~表現に触れることは出来ない。
個別に講評を(専門家から)貰えることもひとつの参考になる。
但し、外的システムに照らして位置づけされることが、どう作用するかである。
やる気に繋がればよい、ということならそれはそれでよいとは思う。
だが、この時期は、何よりも内的な動機(必然性)とものを生む歓びだけで描くことを大切にしたい。
ただ、無我夢中で描くこと。
賞狙いで描いている子(と親)も確かにいる。
伸び伸びと描けていれば、動機は何でもよいかもしれないが。
自らの志向性や想像力というより想いを抑圧するような作用が無ければ、はっきり言ってどんなシステムを利用しようが構わない。
確信のもとに(自己肯定に裏打ちされた)創造性が発揮できれば、何があっても強く生きて行ける。


今回の主催者側のフェイスブックで、受賞作の中の序列付けについての反省が綴られていた。
ほぼ賞の見直しに近い自己解体の様相を呈している。
ある意味、誠実で良いと思う。
それくらい揺れ動くフレキシビリティはもって臨んで欲しい。



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最近、来客が増える

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今日は娘の友人でピアノが上手なHさんが来て、家で絵を描く(オマケに成績も良い)。
いつもは、ピアノを娘たちと弾いてからゲームをやって帰るという形なのだが、今日は絵である。
彼女は家で写生(静物画)を以前描いたが、とても上手かったので、今度は夏休みの課題を一緒にやろうということに。
スマホにたくさん海の生物の写真を入れて来た。

何といっても、絵は時間のかかる作業である。
夏はこれがどうにもめんどくさく感じる。特に今日のわたしはグロッキーな状態でこれに臨む。
カンバスならよいが、画用紙だと、やはりこうしようと方向性を変える場合、とても厄介なことになる。
例えアクリルガッシュで描いていたにせよ、描き直しはやりにくい。
紙がごわごわ(よれよれ)になってしまったりする。

Hさんの今回のテーマ「深海の世界」は神秘的で煌びやかでもあったりする。
それをファンタジックに描けば、それは楽しく面白いものだろう。
この点では、充分納得なのだが、問題は幾つもの構成要素をどう配置し空間(水中)の構図をどのような形にするかである。
各要素間の距離や見る側(自ずと生じる視座)からの奥行きとインパクト~ドラマ性そして各要素の生む運動・連動~リズム等。
これらに関しては最初から意識して入って行きたい。

だがわたしのスタート時の話しに今一つインパクトがなかったか、空間のほぼ中間領域に要素が綺麗に配置される形をとっていた。同じ形の要素を並べてリズム・方向性を意識したものはあるが、並ぶ軌道自体の形状や大きさ又は色の変化(グラデーション)は特にみられなかった。べつにそこまでデザインする必要はなかろうと言えばその通りでもあるが、実際にそのような運動・変化は自然界に普通に見られる現象であり、その多様な秩序を取り込んで絵作りした方が楽しいのではないか。
そしてわたしがはじめに例として示した、用意された要素から、小さなもの~クリオネとか、、、をうんと前面に大きく取り上げ、遠く~奥にダイナミックな鮫をうねらせてみるとか、深海の神秘な奥行きと運動に可愛らしいインパクトなども画策してみては、と持ち掛けていたのだが、構図上の動的な深み~奥行き感があまり意識になかったみたいであった。これはあくまでもひとつの演出に過ぎず、そうする必然性はないのだが、同じくらいの大きさのものが、ほとんど同地点に並列していても図鑑のような静かな雰囲気しか生じまい。

結局明日もう一枚、描いてみようね、ということになる。折角だし、少しでも攻めたものを彼女には描いて欲しい。
家の娘もお世話になっていることだし。
わたしも最初からサポートを意識したい。
(最近、どうも人に教えていない為、勘が落ちている)。
だが家の娘たちに至っては、すでに描き始めていた「浅間山噴火後の鬼押し出し」と「白糸の滝にて」を仕上げるところであったが、だらだらしていてなかなか制作に乗ってこない。
折角、わざわざ友達が絵を描きに来てくれているのに、わたしに安易に頼ってきて、集中もしないのだ。
これでは友達に失礼である。
ちょっとわたしも気分を害した。
だが、どうにも乗ってこない為、わたしがこんな動きもあると言って上から手を入れてみると、、、
そこから、絵を崩しながらも上塗りつつ絵を再び作り始めた。
壊したと言った方がよい代物だが、取り敢えずもう描けないというところまで行ったので、良しとした。
(今年は入賞は無理かなと思う。せめて入選だけでも、、、)。

友だちが帰ってから、ふたりはソルフェージュの教室に行く。
わたしがいつも通り送り迎えをする。
どうもシンドイ。

今日はどっと疲れた、、、。
すると日も暮れたころになって妻の友人が幼い子供連れでやって来るのだ。しかも泊りがけである。急にである、、、。
先日、S君、O君ファミリーに提供したのと同程度の料理が気前よく出て来た。
準備は極秘に進められていたらしい。
わたしは夏バテ気味であった為、かなり食べてしまった(抑制が効かない(笑)。
しかしその時、流れでついワインも飲んでしまったことで、何を書いているのか今一つ定かでない現状なのだ(爆。
ついでだが、幼稚園年中組のその男の子は、ずっと眼を据えてスマホのゲームをし続けていた。
見ているだけで凄く眠くなってしまう。
目つきが印象に残る幼児であった。


昨夜、色々なモノの整理で夜中の3時過ぎまで起きてゴソゴソしていたことが祟ったみたいである。
夏は特に睡眠には気を付けたいものだ、、、。



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かこさとし 最期のメッセージ

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わたしの敬愛する絵本作家、かこさとしの最晩年の姿が窺える貴重な番組を観た。
92歳で亡くなられたというが、最後まで大作に取り組んでいたことを知った。
腰を痛め長く椅子に座ることが出来ず、緑内障もありほとんど視界も覚束なかったようだ。
創作机は自作だという。天板自体が光り、トレースをしやすい仕様となっていた。
とっても短くなった鉛筆が整然と並び、パレットは使わなくなった子供用のディッシュがいつの間にかそれになっていたそうである。
素敵な書斎でもあった(わたしはひとの書斎を見るのが大好きなのだ)。

「日美」で観た。何か書いておきたいと感じた。
彼は戦時中、軍人になろうとしたが近視の為なれず、科学の研究でお国に貢献しようと決める。
東大に入学するもその年に終戦となり、周囲が何の反省も総括もせず民主主義者にあっさり鞍替えしてしまったことに驚く。
自分は償いをしなければならぬと考えた結果、自ら物事をしっかり判断できるような子供たちを育てようと決心する。
工学博士として研究所勤務の傍ら、「東大セツルメント」を立ち上げボランティア活動として子供たちに自作の紙芝居を作って見せるようになる。大変盛況であったようだ。
それも頷ける。発想や着眼点やストーリーも良いと思うが、それを具体化する「絵」が優れている。
余り数は紹介はされていなかったが、ものによってはモンマルトルのロートレックを想わせる構図・構成も見られた。

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子供には誤魔化しは効かず、ディテールで手を抜くとついて来ないという。確かにそう思う。
そして内容的にも、彼らが自ら必要~面白いと感じたこと以外には乗ってこないことを思い知らされる。
つまらなければ、彼らはザリガニやトンボを捕りに何処かへ行ってしまうのだ(笑。
彼はザリガニやトンボより面白いものを作ることに挑戦した。
即興で歌も飛び出した。

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幼児教育の本よりも実際の子供の活動から得ることの方がずっと大きかったという。
絵本も書き始めるが、ヒットの糸口は、子供の遊びから発想を得たことであった。
子供が蟻の動きを見て名前を付けたりして楽しんでいるのを見て、蟻を主体にストーリーをつけた。
紙芝居から絵本にシフトして、本業の知識を活かし「科学本」も本格的に制作を始める。
わたしが好きなのはこれだ!
蛇腹の本も作る。確かにページをめくるばかりが本ではない。そのままの面に続く~展開するほうが納得できる世界もある。
絵の世界も単なる平面を超えて半ばファンシーグッズみたいな形態にもなったものもある。
内容と形式は切っても切り離せない。
毎日ワクワクする楽しい仕事を進めていたことが良く分かった。

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こういうのをまさにライフワークと言うのだろう。
うちにも「宇宙」と「海」がある。
少ないか、、、。
これと「宇宙・不思議ないれもの」佐治晴夫の文と三嶋典東の絵による本も合わせて見ていた。
とても立体的に俯瞰しつつディテールまで見渡せた。


かこさとしは一望するモノを作りたいのだ。
そして何でもかんでも平等に並列させる。
全てを呑み込もうとする。
そう、身近なところからスッと入って行けるが、その先どこまでも、時空の果てまで見届けようとする。
きっとあの終戦時、19歳の彼がそう決めたのだ。
壮大で空前絶後の未完のままの最後の作品、、、
地球の進化を一望する大作。
「宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜」
福岡伸一氏(分子生物学者だがフェルメールの研究家)が解説に来ていたのも面白かった。
これは誰かが完成させなければならない。

松岡正剛さんあたりがやってくれるか。



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村山槐多

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久しぶりに「日美」(NHKのTV)を見て、わたしは22歳で夭逝した村山槐多という画家をはじめて知った。
1896年〈明治29年〉9/15 ~ 1919年〈大正8年〉2/20
若くして天才として認められた画家であり詩人である。
高村光太郎から「火達磨槐多」と呼ばれたそうだが、激しく生き急いだ画家でもあった。
「ガランス」の赤からの連想でもあろうが、高橋 睦郎は彼を「血達磨槐多」と呼んでいる。
何れにせよ「ガランス」の画家と呼ぶのが相応しい。

どんな作品を描いたのか、初っ端から見て驚いた。
真っ赤な(「ガランス」の吹き出る)裸僧が合掌しながら大放尿しているのである。
強烈で壮観だ。ある境地に確かに辿り着いている。

それまでは、セザンヌ、ゴッホを強く意識した作品を描いていたが、、、
野獣派のような表現を独自に編み出したようだ。
「尿する裸僧」(イバリスルラソウ)は自画像でもあると思う。
彼の悟りの(真の)姿である。
村山槐多の19歳の作品。すでに晩年に近い。
これでいいのだ、という感じの絵である。

こんな傑出した作品~画家がいたことに、何やらこちらまで元気が出てしまった。

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「紙風船をかぶれる自画像」
大正の青年は、こんなにモダンなのか、と思ってしまう。
この遊び心。軽やかなユーモア溢れるセンス。頭に紙風船を載せて実に似合っている。
親近感を呼ぶ。
きっと友達、ファンも多かったと思われる。
そして恋多き男でもあったようだ。
余りに激しい情熱をぶつけて相手をドン引きさせて逃していたらしい。
その失意の念を詩に書き、自らも含め多くの人を酔わせていた。
今生きていたらロックミュージシャンになっていたかも。
(モーツァルトがパンクをやっていたかも、と同じような意味で。詩人でもあるし)。
表現者として生き、死ぬしかない男であった。

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彼が好んで使用した深い茜色の「ガランス」がもっとも鮮やかに使われた「カンナと少女」である。
ホッペの「ガランス」は秘めやかにこの娘の性格~個性を匂わせている。
香しい生命力に充ちた可愛らしい絵だ。
こんな絵を手元に置いておきたい。
イバリスルラソウは、一度見たらいつまでも後を引くが目の前に置いておくにはちょっと強烈。
近くに置くには太陽より月が心地よい。
この少女にも恋心を抱いていたようだ。
そして常に恋文のようなものを書き、詩を書いては人々を唸らせていた。

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「湖水と女」
初恋の相手は中学時代の年下の男子であったそうだが、長じては年上の女性に恋をした。
しかし何と言うか自分の表現欲を刺激し高める相手~触媒という感じもしてくる。
それによって良い詩が生まれ、新たな絵が描ける。
全て(出来事~事象のすべて)は創造過程に統合されてゆくのだ。
詩が書きたい。絵を描きたい。「ガランス」を塗りたい。全てはその快楽に収斂されてゆく。
良い一生であったと想う。

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「自画像」
彼は自画像を多く描いている。木炭デッサンでもそれが多い。
まるでレンブラントの夥しい自画像群みたいに。
わたしとは何か?これは最後に来る最大の謎なのかも。
そして死の間際には、木をひたすら描いていったと謂う。
一日でも多く生きてこの木を描きたいと願いつつ22で亡くなった夭逝の天才ではあるが、不思議に悲壮さはなく、何か妙に前向きにさせてくれるこの画家の力を感じる。
「ガランス」は大変官能的で生命力に充ち満ちているのだ。

生命と快楽。
何をおいても、この基本なのだということをこの画家の人生が再認識させてくれた。



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ギュスターブ・モロー展に行く

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新橋のPanasonic汐留美術館に会期の最終日1日前に滑り込んだ。
物凄く混雑しており、整理券が出されていた。
整理券を持って食事に行こうかとも思ったが、ちょっと微妙な待ち時間なのだ。
だからあちこちふらふらして時間を潰し入館時間に並んだ。
チケットを買う窓口まで、待つこと待つこと、、、これほど美術館に入るのに時間を要した経験はない。
(大概、行ったところで券を買って入っている)。

モローってこんなにポピュラーだったの?
ルノアールやモネやゴッホならともかく、、、。
色彩の乱舞するこころを高揚させるハーモニーとは明らかに異なる世界だが。
(わたしはバルテュスやボッチョーニに並んで大好きな画家であるが)。

しかし、この入場制限は正しかったことに気づく。
何時も人気画家の展覧会は会場内の人混みが尋常でなく、落ち着いて長時間気になる絵の前に立ち尽くせない。
(気になる絵のマチエール~タッチやディテールを観始めたらきりがないのだ)。
人の頭でなかなか見れなかったり、人の流れが気になりじっくり見れなかったりするものだが、自分の問題意識に沿って好きな見方でどの絵も悠々と見る事が出来た。
良かった!

わたしが大分以前、学生時代に模写した「一角獣」がありしみじみ見呆けた。
もう一つ模写した「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」は残念ながら来ていなかった。
(これは今も額に入れて飾ってあるので娘がここで見たらきっと面白かったろうに)。

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代表作?そうユイスマンス的にいえば「L’Apparition(出現)」は極めてモロー的と謂えよう。
ここにも如実に見られるように、、、
ギュスターブ・モローは、色の付け方~塗り方~置き方が独自である。
画集ではなかなか分からないが、実物を近くで見ると、その入魂の大胆な一筆に呆気にとられる。
ベラスケスやフェルメールにも通じる大胆で計算し尽くされたタッチだ。
物凄く細密で規則的なシャープな線描が、水墨画を思わせる薄塗りの奥行きを持った空間と同居していたり、、、
抽象的で激しい動勢を伴う原色(又は高彩度の色)による厚塗りそのものもそれがあるべき部分を饒舌に充たす造形足り得ている。
通常、異なる複数の描き方~システムがひとつの画布(描面空間)に同居することは~絵としての又は主題としての求心性を逸してしまい~不可能なのだが、モローの象徴性(文学的抽象性)と過度な装飾性は、それらを必須の要素と化して呑み込んでしまう。
そして禍々しくも煌びやかで荘厳な美=狂気を現出させる。

ここで更に強調したいのは、前から気になっていたのだが、「パルクと死の天使」である。
この絵を敢えて言えばセザンヌに近いものがある。
パルク周辺が明らかに塗り残されているのだ。
セザンヌにも絵の中心あたりに塗り残しのある絵が幾つかある。
アングルなどには到底考えられないことであろう。
しかしこの絵の稠密性と深い神秘性の醸す重力は尋常ではない。
キャンバス地も造形の要素として昇華させていることが分かる。
彼は様々な実験を繰り返し、試せることは片っ端してきたのではなかろうか。
そしてそれらを見事なまでにシンセサイズしている。

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今回の展示会では、習作や下絵~アイデアスケッチ風のモノやデッサンも多かった。
基本的にモローの作品は未完が少なくないのだが、それも究極的に仕上がった作品に等しい強度を感じさせる。
この意味では、彼の弟子でモロー美術館初代館長のルオーにも言えることだが。


モローの絵は誰にも追従出来ない孤高の絵に相違ない。
しかし決して閉じてはいない。
楼閣のなかの絵ではない。
(ある意味、モローの城のような「ギュスターブ・モロー美術館」には、是非とも行ってみたいが)。

モローは隠者の印象が強いがその密室で描かれ続けた作品は、未知の領域に幾らでも接続出来る開放性を持っている。



うちの娘たちも、並んでいる時はしこたま文句を言っていたが、いざ絵を観始めると、神妙な目でディテールを追い続けていた。
お喋りの絶えない次女でさえも、会場内では一言も喋らなかった。
やはり確かな磁力があるのだ。


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是非こちらも参照のほどを。
ブルトン~モロー 「ピエタ返歌」
ギュスターブ・モロー ~ 時刻表を持った隠者


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