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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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妖怪大世紀

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2008

松宏彰 監督


第一話 「覺」(さとり)
、、、大石里沙
第二話 「七人ミサキ」
、、、堀有希
第三話「面霊気」(めんれいき)
、、、深澤ゆうき
第四話「濡女」(ぬれおんな)
、、、高瀬有紗
第五話「山地乳」(やまちちち)
、、、高梨麻衣、黒沢萌衣
第六話「天狗」(てんぐ)
第七話「滑瓢」(ぬらりひょん)
、、、田中涼子
第八話「河童」(かっぱ)
第九話「赤マント」
、、、安藤成子
第十話「座敷童子」(ざしきわらし)


妖怪ついでに、、、妖怪学習番組みたいな体裁のオムニバスもの。
「人の心に影があり、人の暮らしに闇がある限り、妖怪は今ほらそこにいる」で始まる。

老後は滑瓢(ぬらりひょん)に限る。
こんな風に余生は送りたいものだ。隙間でのんびりと、、、。
安藤成子ホント久しぶりに観る。これも15年前の姿だが。
他は、皆知らないヒトばかり。妖怪はかなり有名どころ。

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「覺」(さとり)は、管理社会が徹底した先の状況のシミュレーションみたいで最悪の事態を見せている。
人の内面を晒してしまったら個の尊厳など失せてしまう。こういう妖怪は要らないの代表。単に迷惑。

「七人ミサキ」って自殺志願者サイトと持ちつ持たれつの関係だったのね。7体の妖怪で構成される。
ひとり死んだら彼らの中の一人が成仏して死んだ一人が彼らのメンバーとなるシステムだと言う。
これはずっと続くな。

「面霊気」(めんれいき)は、面には念が入っていて、自分が作られた里に戻りたがっているそうだ。
その面は自分の念を被った人間に植え付け、乗っ取ってしまうこともあると。
まさにアイデンティティだね。

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「濡女」(ぬれおんな)海辺で何か貞子みたいな動きをするびしょ濡れの白装束の女。
それだけで絶対に近づかないが、ここに出て来た釣り人は「何かお困りですか?」などと惚けたことを言い、直ぐ近くまで行き、目を合わせてしまう。尋常な相手でないことを悟り逃げ出すが、もう逃れられない。目を合わせた相手には何処までも付き纏う。
こりゃ自己責任だわ。自宅の風呂から出て来られてはもう観念するしかない。

「山地乳」(やまちちち)寝てるときに寝息を吸われると死んでしまうという。但しその場面を他の人に見られると長寿が保証されるそうだ。ここでは水泳部合宿で同じ部屋に寝た高梨麻衣と黒沢萌衣でハッキリ明暗を分けた。黒沢は高梨に見られたためセーフでしかも長寿ゲット。高梨が吸われている時、黒沢は熟睡だったので、高梨は死んでしまった。その時、声は出せないのか?ちょいと起きてよとか。

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「天狗」(てんぐ)神通力使っていろいろと面白いことをする妖怪。7歳の男の子を攫い、旨いものを食わせたり人の知らない処を見せて回ったり、サービス精神も旺盛。数か月後に自宅押し入れに還って来た少年は「天狗文字」でお礼の手紙を書いていた。
これもアブダクションのひとつか。かなり良い体験をしたものだ。何で全国ニュースにならない?7歳の証言では無理か。

「滑瓢」(ぬらりひょん)全く目立たず、余りに自然にそこにいて、いることにすら気づかれない妖怪だそうだ。隙間に存在する。
しかし妖怪の親玉らしい。大概大物はそういうものだ。
それにしてもこの章の就活女子大生の田中涼子と滑瓢の関係はいいね。
時折いることを思い出すけど気にならない。
彼はそんなときはお茶を片付けてどこかに行っている。老後の参考になるわ。

「河童」(かっぱ)は、アメリカの宇宙人グレーとの類似性が取りざたされている。だが最近は温泉で女性客のお尻を触るくらいの事しかしていない。かつてはダム建設の際に精力的に手伝ってくれたそうだ。カッパの手のミイラとか見たことあるが、かなり人に近いところにいてほぼ無害の存在のようだ。カッパが撮られたビデオまで紹介されていた。しょうもない。

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「赤マント」安藤成子もこんなバイトしてたの?という感じで。もっとメジャーで受ける人のはずだけど。
やはりキョンキョンみたいに自己プロデュースを意欲的にしていかないと逸材でも埋もれてしまうね。
トイレに入り、質問に答えてしまうと悲惨な死にざまを晒すことに。彼女の友達が犠牲に。
赤マントって、ここでは1,2を争う凶悪妖怪だな。
トイレが異界への出入り口というのは分かる気がする。

「座敷童子」(ざしきわらし)これがかなり人目に付いている存在だと言う。
わたしは見たことない。これがいる家庭は繁盛し、これが去ると没落するそうだ。
最初からいないので、どうというモノではない。


机周りの掃除などしながら観るにとても合っていると思える。
BGMが余りにやる気ないどうでもよい感丸出しのモノ、、、トホホ。
しかし一見の価値あり。




AmazonPrimeにて





呪い

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Vier
2022
オーストリア

マリー・クロイツァー 監督・脚本

レギーナ・フリッチュ
ユリア・フランツ・リヒター
マヌエル・ルバイ
ローレンス・ルップ


a-ha の ”Take On Me”のスローソフトアレンジが効いていた。
これ、名曲だね。
「わたしを受け容れて」

母はこどもを受け容れなかった(確かに精神病院に入院中の母ではあるが)。
こどもを受け容れられない母は巷に結構いる。
うちもそうだ。紛れもなく。ほんの一秒でも受け容れたことはない。そういう親であった。これはまさに「呪い」である。
それを悲しむべきととるか、恐るべき運命だと呪うべきか、受け取り方は様々だが、その過程で被った外傷経験の深さがどれ程のモノかである。肝心なのはそこだ。

心身のバランスを著しく崩す程の、自我の形成を阻害する程の障害を被れば深刻な事態を生む。
大変な生き難さを味わうことになる。
繋がりが途絶えれば、害の継続が無ければ、ゆっくりとした解放と治癒も見込めるが(そう簡単なものではなくこびりついた記憶やフラッシュバックもある)、現世における接触が続く限りは、トラウマは随時、更新され病は根深くなろう。
「呪い」というのは謂い得ているか。

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自らも二度流産の経験を持つ婦人警官のユーリは今身籠っている。
夫婦ともに今度こそという期待と不安を抱いて暮らしていた。
そんな折に、14年前の女の子の失踪事件の絡む、幼児の白骨化した死体遺棄事件を彼女は上司と共に担当することとなる。
その失踪した少女は、ユーリと同学年の友達のいない人を寄せ付けないタイプの子クラウディアであった。

ユーリの母がそのクラウィアが失踪前に少女たちのパーティーで彼女の唄う姿の入っているビデオを探し出し娘に見せる。
ここで驚くのが、この少女クラウディアの顔立ちが、最近医師ルドウィックと共に引っ越して来たマチアス(ユーリと同年)そっくりなのだ。なかなかこういう人選は難しいはず。よくやったと思う。見事というしかない。
さらに圧倒的なロケーションであった。空の広大なこと、、、。

このマチアスという寡黙で優し気な青年は、共に暮らす医師とゲイの関係である。
片田舎の保守的な環境では、何かと噂の立つ難しい立ち位置にいた。
始めは勿論、少女はとっくに亡くなっているか、何処かで名を変え生きているかだと推測されていたが、家を捨てた母親が精神病院で生きていることが分かり、そこで母と懇意となり、信頼していた医者以外に打ち明けたことの無い事情をユーリに語る。
クラウディアは修学旅行を欠席しその後で失踪した。表向きには喘息によると言うものであったが、着替えに支障があり休んだのだ。
彼女は両性具有者であった。
母親はそれをひた隠しにしており、その他の兄弟たちは育てる意思もなかったようだ。
周りの住人とも全く関係を持っていなかった。
彼女はその子は産んで直ぐに殺す気にはなれず、少なくとも14歳までは、認めることは出来なかったが、共に暮らしていた。

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クラウディアは14歳で家を出てチェコで難民として過ごし、最近になり男として伴侶の男性医師と共に故郷に還って来たのだ。
発作の症状もありひっそりと暮らしていたが、ユーリは、何故還って来たのか彼の真意を尋ねる。
とても複雑な心情であり簡単に説明できるものではなく、彼はユーリを撥ねつける。
しかしユーリは、かつてのその母の自宅、今はルドウィックとマチアス(クラウディア)の住む個人病院となっている家に彼女を連れて来てしまう。
その母も彼も双方ともに気づいてはいるが、素知らぬ振りをして接触する、、、。
マチアスが地下室を案内すると謂った瞬間、母は強い拒否反応を示し直ぐに帰ると訴える(マチアスは以前、地下室で発作を起こしていた)。

母は病院の付き添い職員と共に帰ると言って車に乗り込む。そこへマチアスが強引に乗り込んで「何か言うことは無いのか」と母に詰め寄る。「直ぐに捨てることが出来たのにそうしなかった。でもそれは間違いだった」と彼女は返す。
職員は合わせるべきではなかったと謂い車を出すが、これは双方にとり、どういう意味を持ったか、、、。
単にユーリの独善的行為で彼らの平穏を乱し、もしくはトラウマを更に深刻なものにしてしまったか。
この荒療治が良い方向に向かう可能性はあるのか。

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その後、マチアスは村を離れたようだった。
ユーリは夫と車に乗りながら「わたしはどんな子でも受け容れるわ」とほほ笑んで語る。
a-ha のスローアレンジの ”Take On Me”が再び流れるが、とくに、、、
"Today is another day to find you"の歌詞が沁みた。
"I'll be coming for your love,,,,"そんな機会がないのなら生きる希望などない(に等しいではないか)。
何となく和んで終わるのだが、、、

ユーリはこの先もマチアスには責任があるぞ。




AmazonPrimeにて






ラ・ジュテ

La Jetée001

La Jetée
1962
フランス

クリス・マルケル 監督・脚本
トレヴァー・ダンカン 音楽

エレーヌ・シャトラン
ダフォ・アニシ
ジャック・ルドー


「ボーディング・ブリッジ」
28分の映画。AmazonPrimeならでは。持っていても良い貴重な作品。

La Jetée002

1962年と言えば、キューバ危機。
実際に、核の脅威は充分に感じられる危機的状況だった。
であるから、この第三次世界大戦で核が使用され放射能汚染で地上に人が住めなくなったという状況は可能性としてあり得たものだ。
この現実味は、再び現在の世界においても感じられる不穏でシリアスな雰囲気~世界として蘇る。

モノクロ写真を連続して映す手法で描く”フォトロマン”を用いて全編が生成されてゆく。
スチール画にナレーションの絡みのみで進行するもの。
これが実に世界観を創造する演出的効果を高めていた。
通常の実査版では28分でこの凝縮した世界~イメージを描くのは無理だと思われる。
と謂うより、この手法で28分はピッタリの尺であった。

La Jetée003

地上は廃墟と化し地下生活にあっては、エネルギー資源と薬品などの欠乏が深刻化し科学者は未来にその解決策を求めた。
(未来がどうにかなってるのなら、今が貧窮を極めていようと何とかなるのでは、、、)。
地下研究所で捕虜を使い、意識を過去や未来の時間系に飛ばして、意識による交渉に当たらせようとする。
だが、被験者たちは実験途上で皆、錯乱したり死んでしまう。

そこで、過去に強い拘りをもつ想像力豊かな男が選ばれることに。
この男の最も拘りのある「ボーディング・ブリッジ」で見た女性の記憶を巡って噺が展開して行く。
実際に飛ばされた過去の意識がその女性と出逢う。
彼女と楽しい時を過ごしてゆくが研究者の都合で度々中断され場面が飛ぶ。
相手の女性もこの男性が異なる時間系から突然訪れる事を理解する。
逢瀬を重ね博物館でのデートが最後となる。
実験者が彼の意識を未来に向かわせるのだ。彼は初めて錯乱せず死亡もしない被験者であった。

La Jetée004

未来の意識は彼を拒絶したが、過去の地球が滅ぶとこの世界も消滅するという理屈で、産業を復活させる方法を持ち還ることに成功する。
暫くして未来の意識が彼を仲間に迎えようとするが、彼は平穏な未来より少年期に戻ることを切望するのだ。
その通りに彼はあの少年期に戻り、まさに「ボーディング・ブリッジ」で佇む女性を認め駆け寄る。
だが彼の抹殺を決めていた研究者たちの差し向けたスナイパーに撃ち殺されてしまう。
その瞬間を目にした少年こそ、その男自身であった、、、?

La Jetée005

これに関してとやかく言うつもりはないが、とてもリリカルな心象風景が描かれており、特異な優れた映像実験となっていた。
テーマ的にも現在に通用するものだが形式的にもこのような手法の可能性は継承され追及されて良いと思う。
(最近の作品でこのようなものを観たことない)。
良い映像体験が出来たものだ。









追憶の森

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The Sea of Trees


ガス・ヴァン・サント 監督
クリス・スパーリング 脚本
メイソン・ベイツ 音楽

マシュー・マコノヒー、、、アーサー・ブレナン(大学教授、物理学)
渡辺謙、、、タクミ・ナカムラ(会社員)
ナオミ・ワッツ、、、ジョーン・ブレナン(アーサーの妻、アルコール依存症、不動産業)


久々のナオミ・ワッツ登場の映画で、これは大丈夫だと思って観てゆける(笑。
主演キャストは、マシュー・マコノヒーと渡辺謙である(ナオミ・ワッツは回想)。
安定している(笑。
富士の樹海が舞台である(ホントに行ったのかアメリカの何処かなのか)。
わたしも行ったことはないが(笑。コンパスが効かない処なんて。ただでさえ方向音痴なのに。

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ちょっとしたボタンの賭け間違いで何もかもが悪く巡り、言い合いの絶えない険悪な状況に落ちることはある。
ブレナン夫妻もその悪循環に絡み取られていた。
そう言ったことも、病気などのアクシデントがきっかけでリセットされることもある。
しかし不運にもその時は既に遅い、場合もあるのだ。

このケースでは、奥さんは病ではなく、自動車の救急車への衝突というこれまた不運な事故によるものであった。
病気の脳の腫瘍は良性のもので手術で確実に助かるものであり、安心しきっていた矢先のことである。
漸くお互いに相手を思いやる気持ちの溢れ出た時期に。
人生とは皮肉なモノ。

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妻は生前、病院では死なないでね、と夫に念を押していた。
だから片道切符で、青木ヶ原樹海を選んだ。
しかし自殺しろとは言ってない。
それでタクミ・ナカムラが現れたのか。
とは言え微妙過ぎるだろ(ナオミ・ワッツが渡辺謙ってそれはちょっと。夫は絶対気づかないのは確かだが)。

夫はつくづくこれまでを思い返し反省する。
妻について事務的なことは、しっかり押さえていたが、彼女の好きな色とか好きな季節など知らないでいた。
死のうとしていた矢先に、タクミ・ナカムラに出逢い、彼がただ道に迷っただけで死ぬ気はなく助けてくれと縋る。
自分は死ぬつもりでいたが、相手は助けてやるしかあるまい、ということで二人して出口を必死で探すことに。

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だが、探し回ることでどんどん樹海に深く嵌って行く。
この試練~彷徨は妻との泥沼生活の再現にも想える。もう一度確認し直すための。
雨に降られ凍えそうになったり、防寒のためとは言え自殺者の服を剥ぎ取り着たり。
池を見つけて水を得るが今度は洪水に流されたりして過酷な環境に翻弄される。
かなり酷い怪我もして体力も尽きた当たりでガイコツ入りテントを何とか見つけ携帯も確保した。
ライターもあり暖を取ってどうにか命は繫ぎ止める。

今やここを脱し、生き抜くことで、二人の気持ちは一致していた。
アーサーはタクミに、これまでの経緯を語って聞かせた。タクミの表情は彼を超えた感情に支配されているかに見える。
妻を失った悲しみを嘆くとタクミは常に愛する魂は一緒にいると諭す。
だがそれを振り払うように妻もう死んだとアーサーは叫ぶ。
タクミが謝るとアーサーは、いや自分が悪かった、許してくれと何度も何度も泣いて繰り返す。
これは明らかにタクミを超えて妻に対する謝罪というより悔恨の情でもあろう。

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タクミは、自分の名前の他に妻はキイロで娘はフユだという事だけを伝える。
そして世話になったと語り、もう動けなくなったことを悟らせるのだ。
アーサーは必ず迎えに来ると言ってジャケットをかれに被せ、助けを求め携帯をかけ続ける。
すると電波の繋がるところに出て、レンジャー部隊が気づいて動き出す。
結局アーサーだけが救急車で運ばれ助かる。

2週間くらい後に退院して彼は再び樹海に入り、テントの傍のナカムラを寝かせた場所を見出す。
だがそこには、かつてナカムラが魂があの世に行くときに咲くという花が綺麗に咲いているだけだった。
彼はその花を自宅に持ち帰る。
大学に戻り学生の質問に答えている時、その学生が教授のメモをみとめる。
彼は日本にいたことのある学生で、その意味が掴めた。
アーサーが人の名だと思っていたのは、色と季節の名詞ですよと教えられる。

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やはりあれは、妻の霊であったのか。
ここで彼女の好きな色と季節を知ることになった。
「水辺にいると幸せ」というタクミの言葉も亡き妻の言っていたことだ。
あなたと愛する者は常に共にいます。今やアーサーもそう感じている。

こういう噺はアメリカ人は嫌うのか。
上映が終わるとブーイングの嵐だったとか。
(いくら何でもそれは、ねえ)。

わたしはとても過酷な試練を潜る再生への爽やかな映画だと思った。
あの花を自宅の鉢に植えた頃には、彼の表情は、はっきり生き返っている。
「楽園への階段」でもよかった(ナカムラが唄う示唆的な歌、わたしは題からLed Zeppelinをちょっと連想したが)。

わたしは、好きだが。こういう映画。
(アメリカだとブーイングなのね)。




WOWOWにて








絵を描く

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ブログ記事のかなりの年月を苦手な映画鑑賞にあててきた。
こうでもしないとわたしは自分から映画を観ない。
しかし本業の絵の方が全く進まなくなっている現在。
そちらの方で頑張りたい。

本もじっくりと読みたい。
シャドーワークが随分圧迫している現状であるが、やはりやるべきことはやらねば。
ということで、本、音楽、映画も時折、そして絵を描く。
こちらにシフトしたい。
だが、ブログに絵を載せるつもりはなく、では記事を何をテーマに書くかとなる。

これまでは、映画を切り口に自分の好き勝手なことを書いて来たものだが、何らかの素材なしにストレートに書くのはやり難いのだ。余りに生々しくなり過ぎるし。
恐らく読み難いはず。日記では。あるいはエッセイとか?それはまずない。
どうしようかな。

備忘録の役目もあり、毎日何かしら記事は書いておきたい。
一日中何も考えないなんてことは、無いのだから。
基本テーマは、感覚に引っかからないことを何とか書き記す。
知覚できないこと、身体ではどうにも認知できないことを認識するには、どうしたらよいのか。
手掛かりは絵だろうな。わたしの場合。

もしかしたらブログはこれまで通りのスタイルで行くことになるかも、、、

分からないが、自分の方向性だけは大切にしたい。



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小さな情景展 大盛況のうちに終わる

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ちょっと遅ればせながら、、、佐橋君の絵画展が大盛況のうちに終わったことをご報告。
8/27~8/29 平塚市 八幡山の洋館にて。
(娘たちが2学期学校初日であり、わたしもつられて一緒に起きたので、これを書くことにした(笑)。

現在の状況下で足を運ばれた方々には感謝したい。
コロナ禍における対策(入場・時間制限や消毒等)をしっかり講じたうえで、人の入りは予想をかなり上回るものであった。
懐かしい人々が一堂に会して、彼もとても嬉しかったそうだ。
わたしが招いた新しい仲間もおり、某大先生も仕上げに向かう大きな仕事と重ならなければ来られたところだった。
今回の彼の展示会を、待ちに待った人々が多かったことがよく分かる(新旧のファンはかなりいるし)。
かく謂うわたしは一身上の都合で会場には足を運べなかったが、彼の絵は生でいつでも見られる為、わたしとしては問題はない。
ただ、そこに集う人で、逢いたかった人は何人もいる。
(まだ、一度も逢ったこともないブロ友さんもいた。うちの娘がお菓子を頂いた。有難い繋がりである)。

わたしは少々長めの「解説パネル」と各絵画のキャプションを書かせてもらったが、殆どの人がよく読んでくれたとのこと。
特に「解説パネル」のあの部分では皆が決まって笑っていたという。
(わたし的に言えば、掴みはOKか(笑)。
佐橋君からも、絵と文との調和で更にその世界が深まったという趣旨の言葉を頂き、ホッとした。
(但し、直前で急に3点ほど追加したそうで、2点は以前わたしがこのブログで紹介していたもの~S君の仕事~からのチョイスであった為、そこの文を使ったそうだが、後一点のわたしの知らない最新の絵については彼自身の文で展示されたそうだ。ジオラマも3点ほど飾られ、凝っていて面白くうちの娘たちも大変喜んでいたそうだ)。

また次もやる、と急にやる気満々になってしまったので、来年もこのような絵画展が開かれる可能性はある。
ストックは多い為、絵画の点数には問題ない。今回出していないわたしのお気に入りの絵もまだあるし内容的には楽しみだ。
しかも発展形であるジオラマもかなりある。
次回はもしかしたらジオラマ展?と尋ねると、いえ絵画があくまでも主です、とのこと。
すると今回と構成的には同様のものとなるか。
(こういった展示会も彼特有の反復作業の一環に組み込まれてゆくのかも)。

そして何と言ってもBGMのピアノの生演奏である。
わたしと佐橋君の共通の友人の作曲家O君によるもので、ここでしか今のところ聴けないものである。
うちの妻が全曲録音していた為、LINEで欲しい人にも送っていた(笑。まだ、作曲家当人が著作権をかけていない為、うちわで普通に聴いてしまっている(笑。正式にレコーディングしたところでCDでなければ聴けなくなるはず。
プロトタイプとして聴いている。エンジニア次第でまた素晴らしいレコードになると思う。
ただ、今回の美味しかったところは、一日目にO君の友人の現代音楽の作曲家であるK君が自作の曲を生演奏してくれたことである。つまり曲と演奏者の異なるBGMが二日間に渡り聴けたことになる。
予めプログラムにあったのは、二日目のO君のものだけであったが、一日目の飛び入りにも佐橋君自身感動したそうだ(音源欲しい)。
初日に来てしまった人も充分愉しめたものである。

やはりそういったところが、ライブ空間の醍醐味だと思う。
コロナ禍において充分な注意は必要だが、ひとが集まるところには(想定外の)創造的なハプニングは度々起こる。
それが大きな芸術的感動や気づきを呼ぶことは少なくない。
新たな創造(創造的関係)の重大なきっかけとなることもある。
学校も始まったが、ひとの集まる場の重要性~価値は思いの他大きいものだ。
最大限の対策をもって、こういった機会を工夫し保障してゆくことは疎かにしてほしくない。


とてもゴージャスな花束を頂いたが、今もその香りで部屋が一杯である。
夏の暑さに爽やかな香りは効く。
一緒にその曲も流している。
この心地よさ、、、長生き出来そう(爆。


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小さな情景展 一口大コメ  その3


2018
「コンサバトリー」
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「湘南幻想青大将」(2007)や「湘南幻想ワニ園午後」(2010)の流れをくむ絵である。ピアノがやけに小振りで中央テーブルが大きくてゴツイ、ちょっとポール・デルヴォー空間でもあるが、長閑な時間の流れが窺える。
日差しと柔らかい菫色の影が気持ちを鎮静させる。こういう絵は描いていても心地よくなるもの。
ここでもポイントは、黄色だ。黄昏の色でもあるが、トワイライト・ゾーンの色でもある。こんな空間、欲しいものだ。

2018
「緑園都市」
sabu0018agreengardencity2018.jpg
ゴッホの「夜のカフェテラス」を咄嗟に思い浮かべてしまった。黄色の独特の筆致からであろうか(ゴッホのような盛り上げはない)。
雨降りの夜景の雰囲気~濡れた煌めきがこの黄色のタッチでよく表されていた。佐橋氏も黄色の画家である。緑の森をよく描くがそのバリエーションとグラデーションは青に対する黄色の絶妙な混色次第で決まる。
お約束の電車も緑と黄緑の4両編成で黄色いライトを放ちながら走って来る。これまでで一番速い!

2019
「SunSetTown」
sabu0019aSunSetTown2019.jpg
「緑園都市」と同じ質感である。黄色~トワイライト・ゾーンの刹那。SunSetTownというが、尋常ではない。
滝みたいに道路が上から下へ落ちているこの構図には驚き、よくよく見なおしてしまう(笑。
高架橋を水平に列車(蒸気機関車)が走ってゆく。その対比からも、この道路の角度は凄い。遊園地のアトラクションみたい。
この地形では画面上方を登ってゆくゴンドラをわたしは選ぶ。あの道を登る車は気の毒だ。

2020
「TeaTimeInEnglishGardern]
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繊細で緻密な黄色から緑~深緑へのグラデーションが、安定した構図の広がりのなかで、何とも心地よく息づく。
敢えてどっしりとした高架線を中央に置き、その下方にほぼ左右対称に扇型に広がる池を配する。
最初、南禅寺水路閣みたいな水道橋かと思ったが、彼はここにも可愛らしい蒸気機関車を玩具の様に走らせてしまった。
違和感はない。その方が安心できる。絵のサインに等しい。遠くの緑の山から一番手前のテーブルまで、見事な調和と統一感でまとめられている。ここで是非、お茶をしたい。

2020
「農林総合研究センター」
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もう緑は名人芸、いや名匠という感じで、これだけで魅せてしまうが、上からはキングサリみたいな藤に似た植物が垂れている。
まさに緑三昧。
そこに白がポイントとなる。しかしこの白は目立ちはするが強い主張や方向性は感じさせない。
誰かの迎えを待っているようにも思える白。緑のなかの秘められたドラマ、、、。汽車に出番はなかった。

2021
「TeaTime]
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緑の”TeaTime”だ。恐らく毎日これに近い日々を送っているのだろう。外に張り出したガーデンテーブルみたいな開放的な場所は大変オシャレで、羨ましい限りである。コンサバトリーとは繋がりはなく別のコーナーであろうが、こっちでお茶したり、向こうで花に水やりしたりも良いものだ。ここから見やる緑の多様性も充分堪能できる。特に遠方の緑。とても詳細で濃い。
これは絵画である。一つの画面に沢山の固有時~場が活き活きと共存して響き合っていたらより楽しいではないか。

2021
「八幡山の洋館」
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この会場は、この外観で決めたそうだ。ピンクの外壁なのか。庭の青、赤、黄との調和も見られ、、、かなり可愛らしい場所だ。
O君の曲もピアノ生演奏で聴くことが出来る大変贅沢な時間が過ごせる日時が設けられている。
では、まだまだごゆっくり、、、。




佐橋氏が初期作品(佐橋前史)を加えることを検討しているとのこと。
決まり次第、ここでご紹介したい。





小さな情景展 一口大コメ  その2


2011
「世田谷線に乗って」
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長閑な光に溢れる早朝、電車がいつもの時間にホームにやってきて、線路を渡る少女はそのまま乗り込むに違いない。
「おはよう」と声に出さずとも、何気なくお互いに小さく手を振りあう。そんなフラジャイルな関係性。
こんな些細な日常が途轍もない宝モノとして晶結するのだ。それを誰よりもよく知る画家である。
道端の車がやけに小さいことからこの路線も特異な時間系に属しているのかも。彼の絵は油断できない。

2012
「夏休み」
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次の世界に一歩踏み込めず佇んでいる時間~「夏休み」といったテーマは、リキテックス紀のものだ。
この薄い向こうの世界は額縁で仕切られているかのよう。再びその境界線に戸惑いとどまる地層に出逢う。
地続きに見えるのはマグリッド的なトリックか。それはインターフェイスの悪夢。
イデア界と現実界の狭間にも思えてきたりするとちょっとドキッとする。

2012
「スカイツリーと華厳」
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スカイツリーを軸に、飛行船の飛行の線、鳥の飛翔の線、「華厳」の走行する線、煙突の煙のなびく線、暫し停泊している屋形船のこちらに向かう線、の各線が誇張された放射状のパースペクティブの構図を作る。更に画面の上下がほぼ半分に黄色と緑に分割されている。空を漂う系と水上を漂う系との質=色の差であるか。スカイツリーが中心を左にズレているところが、絵の力学において上手く全体をまとめている。無意識的な平面の正則分割的構成ではなく、意図的で意識的な幾何学的構成に作家的意欲を感じる。

2012
「窓辺の花」
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取り敢えずの彼の静物画タイプの集大成的な絵であろうか。勿論、このような絵が今後も描かれるのは想像できる。
初期の絵に一見、内容~要素構成が似ているのだが、空間の奥行きと空間自体の質量がいや増しに増す。
彼の絵には反復が目につく。テーマが同じでもその世界は徐々に自発的に破れ外へと解放されてゆく。
人が反復によって生きていることに対し、彼はとりわけ誠実である。

2013
「おめで東京タワー!」
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懐古的で回顧的な意匠だ。昔からの拘りをまとめてもう一回派手に描いてみたい、という欲望~快楽に身を任せてやっちまった。
これまで登場した多くの要素たちをセットして、スイッチを入れた途端に起きた大騒ぎ。キッチュなダイナミズム。
「わたしは趣味で生きてます」と以前騙っていたが、画集の表紙にも良いのでは(笑。
彼が誰であるかが分かりやすい絵と言えよう。必然的にジオラマを要請してしまう作品でもある。

2015
「江の島シーキャンドル・ハワイアンセンター」
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江の島は彼の拘りの場所のひとつ。特定のセンターであろうが、お得意の箱庭形式で決める。
好きなもの楽しいことを詰め込みたい。更に3D模型にも移行したい欲動が、この俯瞰可動的構図より伝わる。
この視座から、ジオラマもいいですね~と画策する顔が容易に浮かんでくるではないか。だが、ひとつ、、、。
絵の方が空間の歪みの描写は圧倒的に自在である。しかも空間の歪みが好き勝手な楽しさに還元された絵を他に見たことがない。ボスの絵にも空間的歪みは見られない。佐橋氏の場合、形式がほぼ完全に内容化している。その生理が意図的に無意識に作品を量産してきた。

2016
「StarDustNight」
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横浜の風景のファンタジックな変性か。というよりこの照明からして、彼と環界との間に生成された薄い煌びやかな街なのだ。
インターフェイスに触れるには、こちらもアルタード・ステイツにあることが必要か。きっとそうだ。高級な酒でも一口吞んでみてはどうか。稲垣足穂の小説にある「薄い街」か細田守監督の「渋天街」な形で潜む余剰次元の街ではないかと思いたいほど薄い街なのだ。




明日、最終日に続く。




小さな情景展 一口大コメ


1979
「夏の午後」
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この出で立ちの男の目撃される最後の絵であろう。
彼が去って佐橋氏の絵が本格的に始まる、記念碑的(前夜的)な作品。
(男は消滅したのではなく、絵からは退きどこかで出番を待っていることはお忘れなく)。
静謐に平面的にパタン化された要素の充填作品。これが基本~ベースとなる。絵の具はリキテックス。

1999
「妖精の泉」
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「夏の午後」から20年が経ち、アクリルから油絵の具に変わっている。
ビビットな色と動きのある筆致で、世界が活き活きと煌めき出していた。
男の去った後の世界には、妖精の泉がぽっかり生まれているではないか。妖精も天使もこの場所とセットであろう。
しかしここを照らす光はどのようなもので何処からどのように射してくるのか。次元の異なる外部も示唆する。

2005
「紫陽花」
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この一様な照明と紫陽花と同様に装飾的な日光は、この世界が自然な環界ではないことを静かに物語る。
空間も遠近法が成立しているかに見えて、人物の位置関係から大きな歪みが生じていることが見て取れるものだ。
少女と少年は交わらない系に属する。しかしお互いに見ようと思えば見えるのではないか。
「光」はあらゆるところを隈なく照らしてくれるのだから。

2006
「学校への道」
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構図がまず目につく。同時に配色もハーモナイズされて意図を感じるが、充分に現実界との繋がりも覚える。
上部に重々しく水平に伸びる鉄橋と中心から逸れて垂直に伸びる舗装されていない道。それを挟んで両側へ広がる畑。
なかでも左下手前の少女のランドセルが鮮やかな黄色で畑と遠方の建造物(学校?)や、更に雲とも呼応し響きあう空間には、、、いよいよ郷愁が芽生える。

2006
「湘南電車幻想」
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大きな芋虫のような列車の即物性が生々しく際立つ。
青い三輪トラックが小動物のように怯えているではないか。これは止まっているのか?
手前の彼の二人の子供さんも白いアヒルもこの暴挙に無頓着に思える(アヒルはこのままだと轢かれる勢いだが)。
このような緑に包まれた環界における生命の突然の侵害などの邪悪さも感じるメタファーのようだ。

2007
「森の遊園地」
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これは外部を特に意識させない場の強度が感じられる。それで「森」なのだ。特権的な場である。
常に光はトワイライトにチューニングされており、入園者も限定され完結する。
3方向に向けて停車している?玩具のような列車は、少女たちの向いた両だけアクティブで荷台から妖精が舞い上がっている。
確かにそれは見ものだろう。だが音が感じられない。

2007
「湘南幻想青大将」
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ここで初めて現実の光に出くわす。たまたま出逢った世界を切り取った繋がりと和らぎを覚える。
光景の捉え方と光と影の色調がとても自然な感触なのだ。黄緑の「青大将」はしっかり走ってきている。
緑が多様に萌えて匂い立つ。列車もトロッコもちゃんと行くべきところに着く安堵感すら漂う。
この場所の深みも猫が池を探る姿から想像できる。ここから何処へでも旅が出来てまた戻っても来れそう。

2010
「MoonLight Serenade」
sabu0008Moonlight Serenade2010
水平線の位置が尋常ではない。もしや水上に聳える建造物のすぐ後ろは、滝なのか、、、この静けさの向こうは大瀑布。
しかし波が岸辺に静かに打ち寄せている。月の潮汐力が働く遠い大洋から及ぶ力も感じさせる。
どうしても海洋~大海が感じられないのは、建造物と船の大きさにも起因するか。
そうだ、これは容器を使ったジオラマなのだ。テーマは音楽なのだ。そう想うとそれとして納得がいく。

2010
「湘南幻想ワニ園午後」
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「ワニ園午後」と時間帯まで指定される。より現実との繋がりが濃くなった。つまりゆったりと呼吸ができるのだ。
プレ・ラファエル派のモデルめいた女性といい、人格を持ったような鰐といい、ちょっと現実離れしていて、現実的な世界の切り取りも実現している。「湘南幻想青大将」と同様に現実の一齣として描かれている。どちらも「幻想」と題にあるが、飽くまでも彼の身近な現実を描き込むなかから溢出した豊かな幻想である。






一口コメント、明日に続く。






小さな情景展 序

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S君は結婚するまで、江ノ電の「鎌倉高校前」から白樺並木の高台にある実家に住んでいた。
興味深いのは、彼はそこで暮らしている間、一度も下に広がる海岸に降りたことがないということだ。
一度くらい海岸で海を眺めて過ごそうとか思わなかったのだろうか、、、。
遠方から朝5時に波乗りにサーフボードを抱えて人の集まるような海岸である。
(それを密かに見渡す小窓が彼の部屋にはあるのだが)。
無かったらしい。行ってみる気など。

確かにあからさまな海~海辺は描いていないのだ。
だが海が嫌いという訳ではない。
実際に海辺でスケッチしようなどという無粋な真似をしたくないのだ。なんというダンディズム!
、、、いやこれはわたしの冗談で言ったことであり、実際のところどういう理由であるかは、未だに彼には聞いていない。

彼の作品として、海を連想させる~海の楽しさを演出するかのような完全に人工的なテーマパークが幾つも生成されてきた。
そこは海や海辺から抽出した諸要素が(変容を経て)充填されていた。
あたかも下界に降りずに海の楽園を描くとこうなるのだ、、、というかのように。
以前、彼に言ったことがあるが「鎌倉高校前のレーモン・ルーセル」とでも、改めて呼んでみたくなる(笑。


彼の絵はどうしてもナイーブ派画家の範疇で観られてしまう余地はあろう。
確かに素朴さや懐かしさ~幼少年期の思い出は彼の絵にも多く見出されるところである。一見した印象には近いものを感じるはずだ。
しかし牧歌的で長閑な表象に映っても、尋常ではない平面性~歪曲した凝縮性に気づきときとして息苦しさも呼ぶ。
別にナイーブ派がどうのということではなく、何らかの一派として捉えてしまうことで微分的な差異を見落とすこととなり絵の魅力を味わい損ねる場合も多い。似て非なるものとはよく言う。

彼の描画の基本は点描であり、速乾性のリキテックス(アクリル絵の具)による隙間を潰し畳み掛けるような制作から始まった。その執拗な細密さと装飾性は自然の環界の感触、身体性からも程遠い。太陽光も特殊な照明器具を感じさせることが多かった。その時期の制作を自虐的なものだったと述懐していたことがある。その制作が彼の前期とも前史とも呼びたい20年間続く。
しかしゆったり時間を充分にとって新たなペースで制作したいという欲求と、主に緑(黄色の青への混色)の多様性の探求が容易に乾かない「油絵の具」の使用を要請した。
ここに展示された絵は1979「夏の午後」を除き油彩による作品である(但し、2012「夏休み」は明らかにリキテックス紀の内容であり、そのころの作品を油絵の具で再生したもののようだ)。

何より彼独特のデフォルメによるパターン化した形体と筆致。遠近法からの逸脱、そこから生じる空間の歪みと固有時の併存である、、、それは後半にゆくに従い多様化し広がりは見せてきているが彼以外の何ものでもない。
ある種喪失感はあるが、トラウマによる寂しさや物悲しさの痕跡の洗い流され構築された模型世界の様相を呈するのだ。
それは遠近法による整序を解かれた未知の光である郷愁~憧れに染めあげられた絵画とも謂うべきか、、、。
拡張された「郷愁」に彩られた絵と呼びたいものとなる。
その凍結した時間と物質的次元を持たない空間が、かなり俯瞰的で自在な構図と動きを生んでゆく。


実際、彼はこれらの絵をジオラマとして、粘土やベニヤ(ペンキで着色)やプラスチックのオーナメントや豆電球、モーターなどをもって細密に幾つも作っている。(子どもの玩具にもしていたそうだ)。
ほぼ何の躊躇もなく3Dにも置き換わってしまう世界。もしかしたら平面絵画はその設計図というか見取り図であったものか、、、。
単に素材は異なってもシームレスに続く創作行為に過ぎなかったのかも知れない。
それにしてもジオラマ制作も、集中と根気を要する作業であったはず。
愉しくて夢中になってやっているのではあろうが、やらずにもいられないのだ。きっとそういうものなのだ。

愉しい苦行かも知れない、、、。


兎も角、この行為は、現代美術の枠に対する批判~自己解体の知的作業でありかつ普遍性を目指した「藝術行為」の対極にあるものだ。そういった意味で、極私的~私小説的な絵画であり自己充足的な行為と謂える。
しかしその個人的で本当にあったか分からぬような秘密~記憶を垣間見るような一種の気恥ずかしさや恍惚さの方にわたしたちは共振する所が大きい。
その「郷愁」を感じる為、きっとまた暫くして彼のお宅に絵を観に行ってしまうはず。


ここには、S君の止むにやまれぬ「仕事」の最初期から最近までの作品が彼のチョイスにより並んでいる。
わたしとしては、何であの作品が無いのか、と思うモノも幾つかあるが、それはそのうちわたしのブログで紹介してみたい(笑。




S君 小さな情景展 Pre003

sabu0023europeanstyleofHachimanyama2021.jpg  ☆☆☆ Pre003

最終日。
これから後の絵となるとわたしの知らなかった、初めて観る絵ばかりとなる。
S君の”presence”が認識できる作品群となるか。
前回、特集した「S君の仕事」から、もうずいぶん時が経ったことを実感する。

また以前とパソコン環境が不可抗力により変わってしまったため、スキャンの精度がだいぶ落ちている。
その影響が出てしまった部分があり残念。
そこは改善しておきたい(こうした機会はそうはないが)。

2018
「コンサバトリー」
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わたしもコンサバトリー欲しい。中で多肉を(メダカも)育てたい。
最近、メダカを貰ってから、メダカにも凝り始めたところ。
(ここのところ人との良い交流もブログ上だけでなく増えて来た)。
ともかく、このような空間はそのうち何とかしたいものだ。
ここで思いっきりボーッと寛ぎたい(笑。

☆ Pre001で紹介した「湘南幻想青大将」(2007)や「湘南幻想ワニ園午後」(2010)の流れをくむわたしの好きなタイプの絵である。
ピアノがやけに小振りで中央テーブルが大きくてゴツイ、ちょっとポール・デルヴォー空間でもあるが、長閑な時間の流れが窺える。
日差しと柔らかい菫色の影が気持ちを鎮静させる。
こういう絵は描いていても心地よくなるもの。
ここでもポイントは、黄色だ。黄昏の色でもあるが、トワイライト・ゾーンの色である。

2018
「緑園都市」
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珍しい質感だ。
一見ざらついたテクスチュアに見えて、筆致による効果であることが分かる。
黄色の魔術だ。
ちょっとゴッホみたいではないか。
あのような超絶的な盛り上げこそないが、ゴッホの「夜のカフェテラス」を咄嗟に思い浮かべてしまった。
意外だが、S君とゴッホの感性的な近さを感じるところ、、、。
自分の快感原則に忠実に生き、絶対にそれを曲げない「頑固さ」はゴッホとどっこいどっこいか。

それにしてもこのタッチとあからさまな黄色の偏愛。
更に傘を見て分かったのだが(遅い)、雨降りである(笑。
成程、このざらつきと最初感じたのは、雨降りの夜景の雰囲気~濡れた煌めきであったのだ。
雨粒を具体的に描かず地面(アスファルト)の状態を光で絶妙に表している。
(これに気づくのが遅かったのは、スキャンが上手くいかなかったことにもよる。実物を鑑賞してほしい)。
お約束の電車も緑と黄緑の4両編成で黄色いライトを放ちながら走って来る。
今回はスピードも感じる(笑。

2019
「SunSetTown」
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「緑園都市」と同じ質感である。
黄色~トワイライト・ゾーンの刹那。
しかし何と言っても、この構図。
滝みたいに道路が上から下へ落ちている。
高架橋を水平に列車(蒸気機関車)が走ってゆく。その対比から見てもこの上から下の道路の角度には驚くしかない。
車が滑り落ちるように走って来るが、ここを登る車は気の毒だ。
この地形では画面上方を登ってゆくゴンドラが丁度よい。
しかしどうしてこんな構図・配置を思いついたのだろう。
普通の街に見えて、まるで遊園地みたいではないか。

2020
「TeaTimeInEnglishGardern]
sabu0020TeaTimeInEnglishGardern2020.jpg

繊細で緻密な黄色から緑~深緑へのグラデーションが。
この安定した構図の広がりのなかで、何とも心地よく息づく。
緑はある意味、最も難しい色であり、基本的に青と黄色の微妙な混色によって様々なニュアンスとして生成される。
敢えてどっしりとした高架線を中央に置き、その下方にほぼ左右対称に扇型に広がる池(沼?)を配する。
最初、南禅寺水路閣みたいな水道橋かと思ったが、S君はここにも可愛らしい蒸気機関車を玩具の様に走らせてしまった(笑。
ここはお約束だから仕方ない。
いや、走っていなければ心配になるというもの。彼の絵に記するサインに等しいのだから。
ここのテーブルで是非とも紅茶を飲んでみたいものだ。
遠くの緑の山から一番手前のテーブルまで、見事な調和と統一感でまとめられているが、ただ一点ウェイターがその場所~地形から見て極端に大きい。この人はいらなかった、と思う。

わたしの大好きな公園にこれと酷似した構図の場所があり、とても魅かれる。
(これが一番好きな絵になったかも)。

2020
「農林総合研究センター」
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珍しく汽車が走っていない。きっと「農林総合研究センター」という現存する特定の場所を選んでしまった以上、近くに鉄道が無いことで描けなかったか、、、別にそんなことお構いなしに「幻想」と名付けて「突然やって来た汽車」と言うのも乙なものだが。
ここでは踏みとどまった(笑。もしかしたらこのフレームの外で出番を待っているのかも知れない。
緑はまさに名人芸、いや名匠という感じで、これだけで魅せてしまうが、上からはキングサリみたいな藤に似た植物が垂れている。まさに緑三昧。
そして更なるポイントは白であろう。
白っぽい猫から白い花、そして白い日傘の白ドレスの女性の後ろ姿。
しかしこの白は目立ちはするが強い主張や方向性は感じられない。
特に何かを期待させる彼方に誘うような強引さはなく、寧ろ二股に分かれたところで女性は佇んでいるように窺える。
誰かの迎えを待っているようにも思える白。
とてもひっそりとしたドラマを感じるところ。

2021
「TeaTime]
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これも素敵な、緑の”TeaTime”だ。
恐らく毎日これに近い日々を送っているのだろう。
羨ましい限りである。

この外に張り出した(設置された)ガーデンテーブルみたいな開放的な場所は大変オシャレである。
フレームの上に鳥が乗っているところが廃墟感を演出していて酔える(爆。
コンサバトリーとは繋がりはなく別のコーナーであろうが、こっちでお茶したり、向こうで花に水やりしたりも良いものだ。
ここから見やる緑の多様性も充分堪能できる。
特に遠方の緑。
ブロ友のST Rockerさんがお寄せくださったコメントにある「遠くにあるものの情報密度は決して近くのものよりも疎であるようには感じられないのです。」という卓見。全く同感!
遠くの緑が実に濃い。
よくTVのお絵描き審査の番組などで、全てのモノは線遠近法で縛り消失点に吸い込まれるように描き、遠くは空気遠近法を使い空に滲み暈けるように描くんですよ、とか解説しているが、遠近法で全てを整序すればよいというものではない(遠近法は一つの制度に過ぎない)。これは絵画世界なのだから、一つの画面に沢山の固有時~場が活き活きと存在して響き合っていたらより楽しいではないか。


時折用を思いついて電話をすると奥さんが「主人は散歩に出かけております」と言う。
お茶をして、散策を楽しみ、後は絵を描く、か、、、。

、、、勝手にしなさい。

2021
「八幡山の洋館」
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ここには、まだ行ったことが無い。
今回の絵画展の会場でもある。
とても素敵な空間が満喫できる場所だそうだ。
O君の曲もピアノ生演奏で聴くことが出来る大変贅沢な時間が過ごせそうである。

「わたくしここが気に入り描いちゃいました!」と言っていたが、ピンクの建物なのか、、、
目立つなあ。
青、赤、黄の調和も見られ、、、かなり可愛らしい建物だ。
ともかく内部空間が大変”comfortable”なことが夢想できる。
きっと、素敵な絵画展となるはず。



自分の作品もしっかり描かないと、、、。
ちょっと頑張ろう。
わたしは、歪めて描くことは出来ないので、平面抽象の生産をしている。
その他にも進めている計画もあるし(笑。
そろそろわたしも動き始めたい。



S君 小さな情景展 Pre002

sabu0023europeanstyleofHachimanyama2021.jpg ☆☆ Pre002

中日である(笑。
昨日より新しい作品群となる。
だが、彼の絵は滑らかに段階的に変わってゆくというタイプのものではない。
あるところで飛躍的な展開を見せたり、急に昔の作風を思わせるものが飛び出たり、何とも言えない過程をくぐってきている。
そこが面白いところでもあるのだが、、、。


2011
「世田谷線に乗って」
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これは初めて見る。
写真で貰っている為、サイズが分からないが、小さな感じがする。
品の良さそうな女子が二人、片や車上から、一人は線路を渡りながら手を振りあっている。
同じくらいの年恰好からクラスメイトか。電車登校ってちょっと憧れる。「花とアリス」もそうだった。
早朝、電車がいつもの時間にホームにやってきて、線路を渡る少女はそのまま乗り込むに違いない。
「おはよう」とお互いに声をかけているところだと思うのだが、、、。
光が長閑で優しい。
その為か、音が全くしない。
そんな一瞬。

刹那の凍結した想いは(誰にとっても)密かな宝物である。

2012
「夏休み」
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これが来たか。
S君の仕事-Ⅳで取り上げているが、もう少し古い絵だと思っていた。
「家の駅近くの米軍基地の住宅をふと連想する。
少女の眼前の曲がってゆく路は何処まで続くのだろうか?
(この路には魅了される)。
上呂を持って境界に立ち止まる少女には既視感を充分持つが、手にアイテムを持っていることが、絵画世界を饒舌にする。
ドラマ性と生気が揺らぎ立つ。
だが、一歩踏み込めずに彼女は立ち尽くす。」

まるで向こうの一角が額縁で区切られているかのような、別次元の入り口みたいに思える。
当初はお花に水をやりに来たのだろうが、今やそれも忘れ呆然と立っている少女。
彼女を誘惑するようなウサギもいたりするが、一歩を踏み出すことは出来ない。
手前にある鉢物の花と同じ花が向こうにも置かれている。
一見地続きに思えるのだが、、、そう薄い建物の窓を通して向こうの木々~連続する光景も窺える。

しかし鑑賞者から見てもそこが、眼前の建物の壁に描かれた「向こうの世界」の絵である疑惑も払いのけられないのだ。
(窓もトリックかも知れない。まるで、マグリッド)。
彼女はその絵を神妙に鑑賞しているのか、、、。これぞインターフェイスの悪夢。
イデア界と現実界の狭間にも思えてきて、、、向こうが本質でこちらからは渡る権利がないとか、、(笑。

そう、どこかでこんな戸惑いを覚えた記憶がわたしにもある。かなり怖い絵である。

2012
「スカイツリーと華厳」
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S君の仕事-Ⅴで取り上げたもの。
昨日の「学校への道」に似た絵である。縦長のパースペクティブを強調した絵であることを超えて。

「スカイツリーお出ましである。
飛行船も飛んでいる。(わたしも飛行船はよく絵に描いた)。
思い出深い電車特急「こだま」(151系)も走って行く。やって来たというより行くぞという方向性を感じる構図だ。
そう、スカイツリーを軸(ほぼ中心)に、飛行船の飛行の線、鳥の飛翔の線、「こだま」の走行する線、煙突の煙のなびく線、暫し停泊している屋形船のこちらに向かう線、の各線が誇張された放射状のパースペクティブを持つ。
これらは異なる時間流の輻射と受け取れるものだ。
更に画面の上下がほぼ半分に黄色と緑に分割されている。空を漂う系と水上を漂う系との質=色の差であるか。
スカイツリーが中心を左にズレているところが、絵の力学において上手く全体をまとめている。
無意識的な平面の正則分割的構成ではなく、意図的で意識的な幾何学的構成に作家的意欲を感じる(笑。」

今でもこれだけ見ると、上記と考えは変わらないが、「学校への道」を見てからだとホントに似ていることが気になる。
どちらも『黄色の郷愁』に染め上げられているからだ。
彼の絵の「色」についての側面を考えさせられる。
「こだま」は「華厳」という名がついていた。

2012
「窓辺の花」
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これもS君の仕事-Ⅴで取り上げたものだ。
「初期の絵に一見、内容~要素が似ているが、空間の奥行きと空間自体の質的厚さがとても濃厚である。
そして要素の置かれ方も奥行きを作ってゆく。
立体感と色彩の息遣いも初期の絵とは別物である。
わたしは、当初どの年代でも彼は同じ世界を描いているため、時系列の重要性はないということを述べた。
半分はそうなのだが、半分は違う。
テーマは同じであっても、その世界は徐々に自発的に破れ、外に解放されてゆくのだ。
創作とは、制作の反復とは、そういうものであるのかも知れない。」

特に付け加えることもなく現在も同様の考えだが、彼のこうした静物画タイプの集大成的な絵に思える。
今後、またこのようなモチーフで描かれることは充分に考えられることだが、、、。
何と言っても、人は反復によって生きている。
彼はそれに対し実に誠実な人であるから。

2013
「おめで東京タワー!」
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キッチュな昭和ジョークだ(ジョークだろうか)。
連続してS君の仕事-Ⅴで取り上げているもの。

「東京タワーである。
これはまさに懐古的な、また回顧的な意匠である。
今の時点で、昔やってきた絵をもう一回描いてみたいという気持ちか?
多くの要素を予めセットして、スイッチを入れた途端に起きた騒ぎ。
奥行きだけでなく電車やバスや飛行機や風船や傘のカップルたちが一斉に走り出し宙を舞うダイナミズムとちょっとキッチュな面白さ、、、。ひとことで言えば、趣味の世界。
どうしてもこういうのをやりたいヒトなのだ。
やはり時系列は余り関係ないな。
しかし絵は生命感があり気持ちよい。明らかに描画手法は繋がっている。」

やはりやってしまうのだ。何故か植木等を思い浮かべた(爆。
「分かっちゃいるけど、止められれない」のノリで描いているのがよく分かる。

2015
「江の島シーキャンドル・ハワイアンセンター」
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またもやS君の仕事-Ⅴから連続して。

「江ノ島である。
S君にとって江ノ島は楽しいところなのだ。
楽しいから、それを詰め込みたい。
先程の乗り物ラッシュではないが、ともかく好きなものが色々入って来るのだ。
ある意味、シンプルでナイーブな絵であるが、シンプル(省略)して単純化を図る方向性とは逆である。
様々なモノを収集し増殖する絵でもある。また作者でもある。

最初期にこんなテーマの絵があったが、もう構図は遥かに複雑になり、色彩も筆致も自在性はずっと増している。
ただ、技量が増したと言うより、解放され表現が深まり広くなったのだと思う。

しかしヒトは変わらない。
やはりS君なのだ。
彼は不変の人である。」

まったくである。
彼の絵の他に、空間の歪みが好き勝手な楽しさに還元されたものは無いのでは。
形式がほぼ完全に内容化している。
その生理が半ば無意識に作品を生産(量産)してゆく。

2016
「StarDustNight」
sabu0016StarDustNight2016.jpg

本日最後は、S君の仕事-Ⅲで取り上げたもの。

「横浜の風景のファンタジックに変性したものか?
夜景であるが彼の場合、朝であろうが昼だろうが夜景であっても、それは単なる光力の差、色光の違いに過ぎない。
全て(モノによってはガラスケース内の)ジオラマを照らす特定の光源である。
S君のなかのイメージなのか?
寧ろインターフェイスなのだろう。
彼と環界の間に生成される薄い煌びやかな街なのだ。」

とても薄い街である。
稲垣足穂の小説にもあったが、、、。
ふとした街角に潜んでいるような、細田守監督の『バケモノの子』に現れる「渋天街」みたいに。
こちらもアルタード・ステイツにいる必要があるか。インターフェイスに触れるには。
彼の絵は時に「トワイライト・ゾーンの怪」という感じがする。


今日は一つを除き、見たことのある作品ばかりであった。
しかし新たな気持ちで観ることが出来た。
絵とはそういうものだ。



最終日☆☆☆ Pre003に続く。





”Bon voyage.”

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