プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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Walk on the Wild Side

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NHK日曜美術館で北海道の「シゲチャンランド」(大西重成氏の私設美術館)を観た。

ひとつ思い切ることが大事だ。
チマチマと現状維持の生活をしていては何も始まらない。
今の生活を~の為だから仕方ない、と誤魔化してはいないか。

いるべきところにいて、やりたいことを思いっきり自由にやる。
そんなオブジェアーティストのシゲチャンを見て、やはり圧倒された。

若い頃は、ニューヨーク帰りのグラフィックデザイナーで有名アーティストのアルバムジャケットなどを手掛けていた。
50歳で故郷の北海道に帰り、海辺などから拾ってきたものだけでオブジェを作る造形作家を始めた。

牧場跡地に美術館を作り、全て自分の拾ったパーツを組み立てて作る呪術的で生命力を感じるオブジェ作品で満たしてゆく。
町興しにも役立っているという。シゲチャンデザインのお菓子や土産物、店などもある。
作品を作って行く時間が歓びと驚きに満ちており、拾ったものを回収するように無駄が何処にもない。
制作理念としては、打ち捨てられていたものを成仏させるためにあるべきところに組み込むというものらしい。
(暫くの間、連れ帰ったモノを寝かしておき、対話してから組み合わせなどを決めてゆくようだ)。

一番驚いたのは、オブジェ作品を雪の中にポツンと置き、写真に収めてゆくのだが、その切り取りが名も知らぬ遠い惑星の光景を垣間見たような厳粛な感動を覚えるものなのだ。
オブジェは未知の生物にしか見えない。
孤独で崇高な存在を目の当たりにした。

色々盛沢山に情報があったが、わたしにとって、それだけで充分であった。
やはり、何かのせいにして、今の生活を正当化していても仕方ない。
要らない物を捨て、変えられるものは、出来る限り変えて、邪魔なモノとは徹底的に闘い、内部から変革して行きたい。
生きることは変わることであり、解放されることであり、濃密な時間を愉しむことに他ならない。

それにしても、凄いオブジェであった。
本当に何処かに存在するイデアを感じた。
何かをやることがそのままイデアに触れる方法ともなるのだ。
(それが自分にとって、ホントにやるべきことであれば、、、)


まずは明日から、必ずひとつ古いことを辞め、新しいことに手を付けよう。


ルー・リードの”Walk on the Wild Side”を改めて聴いた。
シゲチャンの大好きな曲だそうだ。

確かにやばい。


イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ 断片補遺

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「売店のある美術館の出口」とは何ともニヒリスティックだ。
美術は常に商業主義と結びついてきた。
ただ個々におけるその結びつき方は色々ある。

昨日観た”イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ”で印象的であったのは、MBWことティエリーと大規模メディア展開した宣伝を見てやってきた民衆との共犯関係だ。その一点についてだけ、簡単な感想を述べておきたい。
この洗脳しようとする側と自ら進んで洗脳されようとやって来る人々との、鍋と蓋みたいな関係。
いみじくも「一連の現象は人類学的、社会学的に検証の価値はある」とシェパード・フェアリーが謂うように、この事例を少なくとも文化論として展開してもよいはず。
このバンクシーの対象化したドキュメンタリー映画自体が、何より良く出来たサンプルでもある。

また、こういうやり方もあるのだ、というMBW擁護論もあろう。
実際、彼の作品は売れ続けているらしい。
単なる初期洗脳でそのまま需要が続くものだろうか。
勿論、問題提起の形でこの映画を発表したバンクシーが権威の立場からMBWを鋭く批判すれば事態は変わる可能性も高いであろうが、彼は直接的に影響力を行使することはしないだろう。ただ、このような形で世界に託したものだ。
(当のMBWがバンクシーを大尊敬している捻じれ現象もある)。

バンクシーの作品が、これまでのポップアート画家の作品と同等な価値を認められるのは良く分かる。
彼の作品は寧ろそれ以上の強度を誇る。
所謂制作をしなくてもコンセプト次第で、アートはサインした便器をひっくり返して展示会に出しても成り立つ。
何れもアート~作品(場合によっては制作行為)そのものが目的であり、全身全霊の思考の産物であることは変わりない。
しかしそうではない見かけ上の「アート」で人を惹き付け続けることが可能か。
このMBWにとっては、アート自体は全くどうでもよい手段に過ぎないのだ。あれだけストリートアーティストを撮り続けて来たのに、彼らの仕事の一体何に惹かれていたのか。
彼にとっては、人を惹き付けることそのことがまさに目的である。
自らがイコン化し、ブランディングを高めてゆく。
サインされたその物が差別化され選択意思決定の単純化・固定化のレールが敷かれればよい。

彼にとっての勝負はやはり何より、最初の伸るか反るかの大規模な展示ショーにかかっていた。
ここで失敗していれば、別に世の中何事もなかったように明日を迎えたものだ。
バンクシーとシェパード・フェアリーという権威の影響力を利用し巧みな宣伝をかけて大勢の集客に成功したことで、この流れが生まれてしまった。新しい権威に縋りたい人々の要求を吸収する装置としてMBWは作動を始めたのだった。
要所要所でマドンナみたいなアーティストがアルバムジャケットなどを依頼することで、その流れは当面維持されてゆくのではないか。

中断


噺は全く変わる。
先日ウェブ注文した”GIRLFRIEND”のファーストアルバムが届き、聴いてみた。
YouTubeのステージ録音ではオリジナル曲の印象はイマイチであったが、このスタジオ版はかなり良かった。
この若いメンバーでの最初の録音としては相当な水準だと思われる。
もうセカンドも出ているし、そちらも注文したい。
彼女らは必ず日本最強のロックバンドになると確信した。





セカンドアルバム”HOUSE [CD+DVD]”



インターセクション

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INTERSECTIONS
2013年
フランス

デヴィッド・マルコーニ監督・脚本
リュック・ベッソン製作

ジェイミー・アレクサンダー、、、テイラー・ドーラン(スコットの妻、アメリカ人)
フランク・グリロ、、、スコット・ドーラン(ヘッジファンドマネージャー、アメリカ人)
ロシュディ・ゼム、、、サレー(自称モロッコ人の修理工)
マリ=ジョゼ・クローズ、、、オードリー(赤ん坊連れの女)
ムーサ・マースクリ、、、イサム・ベナム(護送中の凶悪犯)
チャーリー・ビューリー、、、トラビス(テイラーの愛人)


「交差点」~確かに交差する。交差~事件として。
リュック・ベッソンの映画みたいに宣伝されていたので観たが、監督は違った。
砂漠でこんな交通事故ってあるんだ。凄い確率に思える。
(だが、全てが砂漠の交通事故みたいな出来事で地味に展開する)。
そしてこんな人間模様ってあるんだ、、、という感じの珍しいパタンの(アクション)サスペンスドラマ。
確かにリュック・ベッソン的なカーアクションとクラッシュの凄い映画ではあった。
(しかしその後は、唐突な展開はあるにせよ淡々と進む)。

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そして何より際立つ悪女。こんなひどい女っているんだ、、、。顔を見ると如何にも薄情そうなので納得。
シチュエーション自体が特殊なので、いちいちこんなのあり?という感じで観てゆくが、サスペンス映画としては面白いか。
新婚夫婦のモロッコのゴージャス新婚旅行となるはずだったが、妻の画策で砂漠の真ん中で愛人に夫を殺害させようとしたのだが、夫がそれを事前に察知し、その愛人を金で買収し妻の計画は潰れたのだが、、、何だか調子に乗ってやってしまったカーチェイスで故障して止まっていたモロッコ人のバスと車に激突してしまい、何人もの死傷者を出し、そこに残されたものたちのサバイバルと個々の人間事情が露わになってゆく。そして実に厄介な流れとなり、、、。

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こうした映画だと最後は悪女が勝利してエンディングとなりそうなものだが、ここでは男が勝つ。
勝っても負けてもどうでも良いが、、、
登場人物は(赤ん坊以外)皆、ゴロツキなのだ。
誰にも共感は覚えない。

別に登場人物に共感しながら映画を見る必要はない。
人間性に共感が持てないというだけでなく、何でそういう行動をとるのか、とかいつそういう申し合わせをしたのか等の行動の謎も多い。不思議な意思疎通もあり新鮮味があった。彼らの意思や目的も今一つ分からないというか曖昧だったりする。
ダイヤの原石は誰でも欲しいというのはよく分かるが(笑。
あらま、と思いつつただ見ているのも楽しいもので。
距離を持ってモロッコの風景を眺めてゆくのも面白いものだ。
エキゾチックである。
キャストも皆、エキゾチックであり、飽きることはない。
TOYOTA車が結構多いことに気づく。

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最後に拾われたカメラのSDメモリーカードからまた飛んでもない事実が判明して警察やらが動き出したりするのか、とも思ったがそんな内容でもなかった。映っていたものは、かなり虚しい物悲しくもあるものであった。
飽きずに疲れずに観る事の出来る映画である。











形を作る

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実体のはっきりしないモノの漠然とした脅威。
結局、ウイルスとは何者?
いや教科書の解説が欲しいのではなくて、、、一体、細胞膜もない活動体とは、生命なのか何なのか?
(タンパク質合成も代謝力もない、、、だからパラサイトするのか、しかしそれに何の意味が、、、あるのか)。
つかみどころのない主役がわれわれの時の流れを危うくしているではないか。

一種の猶予期間~アドレッセンスみたいな日曜続きで、、、太ることが心配(爆。
何処にも目につく、あやふやな対応。仕方ないとはいえ。
情報は過多で錯綜するが、いずれも実情にそぐわぬ、麻痺する感覚。
何処かに湿布でも貼りたい。

こんな時は、「形」をはっきり作る。
部屋で籠ってやるには持って来いの精神活動。
精神衛生上もっともよい集中。
「形」を無欲無心に作ろう。

これは自己完結とは正反対で、自閉からは最も遠い行為。作業。仕事か遊びか。どうでもよい。
一気に(ミクロ~マクロ)宇宙に共振~直結する。


一切、周囲に惑わされない。混じり気の無い究極の快楽。とは、このこと。



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多肉の数だけ、、、

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娘たちだけでなく、わたしも最近、ぼんやり過ごすことが多くなった.。特に今日みたいに天気が良いと、、、。
多肉になった気分になることもある(爆。
他者との交わりは、生命にとって刺激を得る大切なことだと、やはり思う。


明日、学校に諸費と給食費を収めるのと、つでに突然の休校で持ち帰れなかった大きな重いもの(汗、を受け取りに保護者が召集されることになった。娘に聞くと、かなり重いものが幾つもあるよ、ということなので大きな頑丈なバッグを二つ持ってゆくことにした。
お金も4つの封筒にそれぞれ入れた。それから次女が休みに入る前に担任に渡し忘れたファイルも届けに行くこととなる。

ここのところなるべく人の集まるところには行かずに色々と買い溜めをして間に合わせていたが、流石に明日は日用品と食材を買う必要が出て来た為、午前中は大変忙しくなる(妻が公共交通機関を使いたくないということから勤め先までの送り迎えもしているし)。

学校から出ている宿題~課題も最近の中弛みでペースはとても悪い。
今日は、明日先生に進み具合を報告するからと、ハッパをかけて少しは進ませたのだが。
未だに理科の工作は面倒でなかなか手に付かない。
プラモデルを作るのは好きなのだが、、、

地道に進めなければならない学習一般、やる気が出ない。
自分から面白いからやるというのが、「数学パズル」と「ネイティブの発音で聴く英語」のワーク、そしてわたしと始めた「クロッキー」である。3日目になったがクロッキーははっきり進歩が見られる。
全体を一気に捉えながら、それぞれの葉っぱの特徴もそれとなく掴んでいる。
何より伸び伸び、活き活きと描けてきたことが良い。
これだけは褒めた(笑。
多肉はたくさんある。多肉の数だけ、絵は描ける。
モチーフには困らない(笑。

だが、ピアノはやらない。ほんとにサボってしまっている。これでは技能は後退してしまう。
わたしは、ピアノを一か月も休むことには反対であった。
だがこういった風潮が出来てしまい。何でもかんでもお休み、自宅待機となって、何より拙いのは子供にとって一番大切な学習がないがしろにされることだ。
やはり学校という場がないと、なんでもかんでもくまなく学習するということは、とても難しい。
学校と同様のペースで、自ら進んで出来る子はそうはいないと思う。
(今のようにパソコンゲームが好きなだけ出来る環境ではどうしてもそちらに流れてしまう)。


いよいよ、、、テコ入れをする時が来たようだ(爆。


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当分クロッキー

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娘たちとクロッキーをやり始めたら、これが面白い。
当分、クロッキーをやり続けることにした。

毎日、可愛い多肉を観察しながら、見る~描くワークが出来る。
こういう機会でないと、なかなかする気にもならない(ならなかった)。

集中力とセンスとテクニックが身に付けばよいが、、、。
それ以前に、何より自然のフィギュアの面白さ、奇妙さ、美しさに気づくこと、これが一番重要であろう。


描くこと~見ることには常に発見がある。
そこに驚きがあれば、謂うことない。

(無意識に触れるような、何かの契機になるような、、、)。



毎日が新鮮でありますように、、、。





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多肉と娘を描き始める

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今日は天気が良く風も心地よいので、庭で多肉の世話をしていた。
夕方からは、娘と多肉の鉢植えをモチーフにクロッキーを幾つかして、娘の絵を描き始めようかと、、、。
絵をキャンバスにしっかり描くとなると、、、
真面目にやるとすれば、何十年ぶりとなる(笑。

まず、キャンバスはジェッソで塗り潰して使えるものはかなりある。
絵の具はアクリルにする。
乗ってきたら油に切り替えたい。
まず画材の確認をして、今日の夜から始めることにした。

娘たちは、緊張感のない休みがダラダラ続くなか、最初のうちは学校の課題をやってはいたが、ここ3日くらいなにもやらずにパソコンゲームに興じている。おまけにピアノ教室も1か月お休みとなり、ますます堕落して行く。
ここで何とかしないと、、、子供にとって最も大切なものは、勉強である。

何とかしたい。
まず、一緒に絵を描くか、、、
それも良いかも。



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明日からゆっくり

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外に出れない為、室内で色々と片付け仕事を中心にガタガタやっていたが、取り敢えず一区切りがついた。
明日から、ゆっくりと絵を描くことにする。

実は今日も映画を娘と一緒に観たが、つまらなかったのだ。
「フレフレ少女」というもの。新垣結衣なら応援団ものでも面白いかと踏んだが、何のことはなく娘二人はお菓子ばかり食べていた。
正直、これはキツイ。
大体、小説ばかり読んでいる文学少女が、例え野球部員に恋をしたとして、ラブレターを書くまでは分かるが、応援したくて応援部に入って活躍して、、、なんてことで面白いストーリーを作ろうなんて、無理だ。
(個に向かう愛情が、チームや野球というスポーツに向かうには、飛躍がある。というか転換に当たる。全くベクトルの方向が異なるものだからだ)。
ラブレターの文を極めて行き相手の心をガッツリ掴むことに専念するか、その文がどんどん大きく膨らみ恋愛小説を一本仕上げ、それで賞など取ってしまう方向に昇華するとか、、、の方がずっとリアリティがあって物語も稠密なものが作れる。

発想が荒唐無稽だが、噺の内容は驚くほどありきたりで粗雑でリアリティの感じられない子供騙しであった(子供は白け切っていたが)。やはり何で彼女が応援部に入って応援そのものに目覚めるのか、その必然性が感じられないのだ。
まあ、製作側は最初から応援を題材にした映画を撮りたいところから入って行ったのだろうが。
最終的に謳われる応援の精神に行き着くまでの流れが何とも、、、そもそも彼女はどんな文学を読んでいたのだろうか、、、。
「今日はつまんなかったね」と謂われ明日からの映画鑑賞は、危ぶまれる状況にもなった。
丁度この機会に、わたしの生活の流れも変えてみようと思う。

折角だから娘たちと一緒に描くことにした。
クロッキー、素描をしてから、じっくり対象に向かうつもり。
思えば5歳位から、絵や数字は必ず毎日書いていた。

その頃の時間流に乗り移ろうとは考えていたものだ。
今がタイミング的に丁度良い。
ゆっくりと描き始めよう。

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ヤン・ファン・エイク

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Jan van Eyck

先日ヤン・ファン・エイクの開閉式パネル絵24枚からなるゲントの祭壇画の特集を日美でやっていた。
少し前から話題にはなっていたが、あの中央に立つ”子羊”の顔が人面(異星人にも見える)であったとは、、、。
TVで見て、改めてびっくりした。
修復があたかも秘宝の発掘に思えるのだ。
ヤン・ファン・エイクの文字通り再発見であろう。
(番組ではファン・エイクの情報が出て来たと言っていたが)。
しかし肝心なところで、かなり微妙な感覚を味わう、、、

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どう見ても、加筆修正されてしまったついこの間までの子羊の方が「羊」であった。
普通の羊にしては神聖で凛々しかったが、所謂羊には違いなかった。
それが分厚い修正層を剥ぎ取る修復作業により、全く異なる子羊が立ち現れたではないか。
修復に当たった人の驚きの表情が目に浮かぶ。

しかし、あの超写実主義のヤン・ファン・エイクがよりによって何で羊を人面化~擬人化するのか、、、。
勿論宗教的な意味等あるのだろうが、やはりその他のモノの描き方から謂ってもそこだけが際立つ。
驚くべき細密描写に加え、空気遠近法による空間表現も、金属や鏡の反射、反映、光学を研究した上での光の屈折を正確に描き込むなどにより、世界の質感を余すことなく描写し尽くすヤン・ファン・エイクである。
ここで改めてTVでも充分わかる遠方の空は明らかに空気遠近法の先駆をなしていた。
レオナルドより早い。
透明絵の具の塗り重ねで光の乱反射を呼ぶ層の効果は、バルテュスに多用される。
軽い筆さばきで、ある距離で驚くべき質感を現出する技法は、ベラスケス、フェルメールへと繋がる。
見ることの科学を追求した最初の画家と謂えようか。後継者がレオナルドとも謂えるか。
だが、単に科学的な追及だけでないことが、この羊に表れていた。
意図はまだ分からない。

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そもそも、、、
このヤン・ファン・エイクの描いたベルギー、ゲントの聖バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊」が600年を経て70%まで加筆されてきたということ自体脅威である。
ナポレオンに奪われ、ヒトラーに略奪され、酷い損傷を受けながら修復を繰り返されてきたが、時代の風潮に合わせて図像まで描き替えられしまっていたのだ。
日本でも自然災害で水にやられ黴の生えた絵画の修復が細心の注意を払い最新の技術によって進められているが、それはオリジナル(原画)を守り維持するための作業である。

今回の修復で多くの加筆修正箇所が露わにされた。
風景の遠景の建造物の一角が丸ごと消されていたり、馬の顔が変わっているとか、かなり加筆修正が成されていたが、主役の子羊の変貌にはただただ唖然とする。
冒涜(犯罪)とも謂えるほどの描き替えだ。

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後世の人間によって手を加えられたものを「それ」と思ってきた者にとって、制作当初の姿が出現することによる当惑は小さくない。
単なる感動とは異質の何かであったりする。

この新たな子羊は取り分け、趣深い。
大概、後世に加筆された部分は醜く、剥ぎ取られたことでオリジナルの神々しさが解き放たれるのだが、この微妙な感覚はなんだ。
間違いなく、ヒトの目である。両眼視差の可能な、前面に配置された目になっている。
彼はここに何を込めたのか、、、

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丸い凸面鏡に自画像を大きく映り込ませている。
超絶技巧を愉しむかのような絵画。
わたしにとって、ヤン・ファン・エイクと謂えば小学校時代から、この絵であった。




相原求一郎

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冬の北海道の極寒の雪景色を描き続けた画家。
色味が少ないのは、生温い色が許せなかったのだ。
わたしの住む土地にも時折雪は降り、全てを白く覆い尽くす光景に酔うことがあるが、そんな生温い雪ではない。
本当の雪なのだ。
とは言え、この「天地静寂」という絵には、僅かな緑が描き込まれている。
福寿草が死の雪白の中に垣間見えるのだ。

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満州に4年間兵役に就いていたが、そこでもずっと絵を描き続けた。
死と隣り合わせの緊張の続く日々に満州の原野を描き続けたことが、帰国後も原体験となって彼を突き動かす。
そして満州の原野に見た赤い夕日を、冬の極寒の北海道にそのまま見たのだ。

それからというもの、北海道の山の初冠雪の時期にそれを描きに行くライフワークが生涯続く。
(どうやら「初冠雪」というのが山に拘る画家や写真家にとって外せない特別なタイミングとなるようだ)。

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寒風吹きすさぶ北海道。
実家は埼玉県の川越である。
長男であるため家業を継がなければならなかった。
実業家と画家の二足草鞋を生きることとなる。
そのため北海道への取材・制作旅行も5日程度が限界であったという。
だが彼は死の間際まで病を押してその場所に赴く。

どの絵も、固い氷の潜む白雪の極寒の様相が余りに鮮烈で痛々しい。

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面白いのは、北海道を訪れ自らのスケッチする風景を8ミリフィルムに収めているのだ。
後の人間にとり貴重な資料であるが、本人はどういう意図で撮っていたのだろうか。
だが、真っ白い過酷な風景に対峙する画家の強靭な姿に圧倒されるだけではない、何かを感じる。

彼は冬の断崖絶壁を潮風に晒されながら描いている。
普通なら数分と立っていられない場所であろう。
そこまでして彼を追い詰めるものは何であったのか。
戦争体験も大きなものであったに違いないであろうが、、、。

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「天と地と」(150号)
まさに両極性を強く感じる非常に重厚な絵である。
これが彼の絶筆であった。
この絵の前で息をひきとっていたという。

この絵だけは、風景をそのまま写実したものではなく、構想をじっくりと練り、雪の峰と黒い丘と鋭く落ち込んだ崖を再構成して構築した風景であった。
これまでに描いて来た大切な場所を統合・構成した集大成の画像となろう。
生涯をかけた宇宙の創造だ。

自分の生涯の終わりに、このようなモニュメンタルな作品を残したいと、、、少なからず誰もが思うものであろうが。
山をこのところ作品によく見る。
これまで自分のなかで、「山」について想う機会はさほど持たなかったことに気づく、、、。
山か、、、。


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秋野亥左牟

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昨日は、庭仕事で余りに忙しく、記事をアップするどころではなかった。
パソコンの前に座る暇もない状態で、ちょっと健康的な気分を味わった。
頭も空っぽになり、亀とも親交を深めた。
本当はこっちの方が正しい生活ではないか、と思う。
いや恐らくそうだ。

秋野亥左牟、、、例によって日曜美術館で観る(笑。
日本画家の秋野不矩の次男である。
絵本作家として高名なそうだが、わたしははじめて知った。
かこさとし以外の絵本作家で、これほどの人がいるとは、、、
(長新太はこの際、出さない方がよいか)。
かこさとしとも、全くタイプは違う。

机上に研究資料を積み重ね準備をしてから仕事に取り組むのではない。
基本は、天と地の間に身をひとつおく。
赤裸々に生きる。
そこに初めて何かが生まれてくる。
場所の魂を呼び込む巫女みたいな人だ。

akino isamu

所謂、雰囲気的にはヒッピーみたい。
流浪するヒッピー。
ただし、直ぐに地を横断して去って行くのではない。
まずその土地に暮らし、現地の人との交わりを通じてその土地ならではの伝統を継承したかのような絵~絵本を描く。
それが絵~絵本を描くプロセスなのだ。

彼にとっての旅~異国での生活とは、身に付けてしまったものを剥ぎ取る儀式でもある。
間違っても知識を蓄積して行く過程ではない。
彼は障子の巻紙を担いで旅をしたらしいが、その長い巻紙に現地の画家が描いたかのような作風による絵が生成される。
そこに押し付けがましい個性や自我は窺えない。
「プンクマインチャ」ネパールの民話を題材にしたものなどは、特に素晴らしい成果に見える。
TVで見る限り細密な様式美による線描と鮮やかな色彩である。
わたしにとってえらくエキゾチックな絵に見えた。

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今日、絵本は注文した(笑。
じっくり眺め味わたい。
日本の民話、伝承も怖いものが少なくないが、これもかなり恐ろしい噺らしい。
とても楽しみである。

彼は辺境を愛した。
中央が失ったもので生きているからである。
彼は終戦を経験したことで権力に対し酷く失意を覚えその後、高校時代に共産党に傾倒するもそこでも権威に翻弄されることになる。
当時、共産党は彼に危うい任務を課しておきながら後にそれは一部の党員の暴走によるものという形であっさり弁明~処理して終わった。その出来事はその後の彼の世界観~生き方の基調を形成したように窺える。
彼の母である秋野不矩は「亥左牟の運動には悲しみが肉体化していない」と語ったという。
確かにその歳頃特有な観念的な志向により足を掬われた感が強い。
母はインドで絵を教える仕事があるから一緒に来なさいと亥左牟を誘う。
この旅で、絵の力を真に実感することとなる。
これで彼の行く末が決定的となった。

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旅の人生を彼は送ることとなる。
そして辺境の地を体験、時には漁師(海人)となり、海の中で独りを体験し、空~星~海を知ることとなる。
干潮、満潮、星の位置と動きを知り、生きた海~宇宙を悟った。
ある意味、贅沢である。
本の知識では得られない、身体に染み渡る英知であろう。
そんな場所から生み出された作品である。
どれほど凄いか、、、。

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わたしにとって、かこさとしと秋野亥左牟が絵本界の双璧となりそうである。


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平櫛田中

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平櫛田中
「日曜美術館」で初めてその存在を知る。
廃仏毀釈も手伝い、木彫が廃れてしまった時期に近代日本の代表的木彫作家として活躍した。
「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」
並々ならぬ使命感が窺える。

日本の伝統美術の価値を高く評価する岡倉天心からの影響で基本となる作風が決まる。
「不完全の美」
表現しない部分を残し見る側が想像力を働かせ全体像~世界観を把握する。
この代表作として「尋牛」が生まれる。

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この作品は特に時空間の拡張を伴う。
自分と重ね弛まぬ修練を続け歩み続けるその姿~場所である。
尊敬する岡倉天心の像も幾つも傑作を残す。

そしてロダンからの影響。
暫くの間、裸婦モデルを使った彫像による制作に没頭する。
西洋の彫塑作家のように人体構造などの徹底した造形研究を木彫制作にも活かしてゆく。
対象の構造把握をしない~対象に対する洞察をせずに制作技量だけ高めてしまう当時の木彫の水準を脱する。
その成果が「転生」となる。

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そして彼の代表作は何と言っても「鏡獅子」であろう。
国立劇場の正面ホールに置かれる「鏡獅子」は、圧倒的な大作である。
2mの高さで美しく彩色されたものである。

6代目尾上菊五郎をモデルに22年の歳月を経て完成させた途轍もない力作であるが、精緻な彩色が成されている。
この彫刻~立体像に彩色を施す意味とは何か。
仏像も、今現在全ての色が脱色し、所謂「わびさび」をしみじみ感じる様相を呈していても、かつては原色の極彩色で鮮やかに塗られていたものが多い。
彩色された像を見るとわたしは大変エキゾチックな印象を持ってしまう。
そして彫塑というより、人形を想わせる。
この辺がどうにも悩ましい。

hirakushi denncyuu004

だが、この「鏡獅子」に関しては、彩色は全く自然の不可避の造形要素であると感じられる。
モデルが尾上菊五郎という歌舞伎役者であるところも大きい。
ちなみに6代目尾上菊五郎の裸像もあるが、こちらもミケランジェロばりの筋骨が表現されており素晴らしい。
(6代目は数えきれないほどのモデルを務めてくれたそうだ。この協力あっての賜物であろう)。

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