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荷物が届かない

yuki002.jpg

ライフラインは殊の外脆弱である。
通常、頼めば明くる日に届く荷物も、二日経っても届く気配がない。
雪は大昔から降っていた。
しかし雪になると交通は途切れる。
学校はすぐに登校時間を繰り下げる。

荷物の届くのが一日、二日遅れようがべつに大したことではない。
しかし自然の僅かな偏差でかくも大きな影響が出る事自体、生活(下部)基盤は余り変わって来た気はしない。
そのもっともはっきりした露呈は地震災害である。
これが原子炉と絡むと解決困難な事態に運ぶ。
今のところ、予知が出来るか、またはその精度の問題に留まっている状況だ。

このレベルにおける文明~テクノロジーの進展はその規模からしても困難をかなり含むようだ。
しかしこのような唐突な様態「変化」と「自然」の実感は貴重な亀裂を意識に齎す。
ここに何らかの鋭いゾンデを垂らすことが出来れば、とも想うが、、、。
わたしの場合、恍惚とした一種の眠気が優しく覆ってくるのだ。
これは何らかの罠かも知れぬとも感じながら。


届かぬ荷物を待ちながら、外をぼんやりうち眺めていると、雪かきをしている人が何人もいた。
スコップの音とその間をチェーンを巻いてゆるゆる横断する車。どちらの金属音もこんな日にしか響いてこない。
轍が丁度良い歩道になっていた。
自転車で走り去る強者もいる。
わたしの高校の頃は、毎年このくらいは降っており、自転車で朝しこたま転倒しながらも登校していたことを想い出す。

その当時は、冬は雪が積もるのは当たり前であったため、誰も雪かきなどしていなかったと思う。
学校も朝からあった。
子供心に雪に寝そべりたいという気持ちが深くから湧いてきたことを想いうかべる。
今のわたしも白銀の世界のままがよい。
荷物は当分着かなくてよいから、分厚い白銀世界にくるまれていたい。


日光がいつもより一際強く眩しい。
積もった雪でそこらじゅうが輝いている。
煌めき輝きに包まれている。
こんな時があってよい。
窓を思いっきり開け放った。

snow.jpg

雪が夜空を真空に置き換える。
声を文字を吸い取って行く。
クラシックがやたらと聴きたくなり。
聴いていくうちに感情だけが溢れ出す。

ヘンデルに取り分け揺さぶられる。
意味も価値もない、驚くべき音にそれは迫ってきた。
わたしは身体だけになっている。
殊の外ひりつく。

雪が音もなく激しく降って積り、たちどころに世界を隠蔽して凍結していた。
そこで魂が丸裸になる。
妙に明るくて明日が見えない。
昨日とも切り離された。


ただめくるめく不透明な白に覆われる。

もうしばらく、この寄る辺ない不安の温度に耐え続けたい。


できれば、世界がもう戻ってこないことを願い、、、。

カメの冬眠を巡り

kame03.jpg

家のカメは今度の4月でやっと2歳である。
誕生月は店で教えてもらっているが、誕生日は不明である。
そのため、4月の最初の日曜日にケーキで祝うことにはしている(笑。
今度は、公園に連れて行って思いっきり歩かせよう、などと長女が提案したが即座にみんなで却下した。
あの速さで二匹が違う方向へ走り出したらたちまち迷子で、恐らく見つかるまい。
放送もかからない、と次女が念を押していた。


カメは冬眠する。
家の銭亀も冬眠する水棲カメのひとつだ。
子亀は冬眠は難しいという話を聞いているので、うちのはまだ子亀というより幼亀でもあり、当分の間冬眠はスルーするつもりだが。
観ていても到底冬眠するどころではない。
多動みたいにひっきりなしに動いている。
餌を断って、うんちを出し切り、綺麗な水で水温5度ピッタリに保ち、甲羅の高さ位に水を張っておくと、砂(ミズゴケ)の中に自ら潜り込み冬を越すという。春になると何となく起きてくるらしい。
しかし失敗する場合もあり、冬眠が永眠に繋がってしまう。
大きくなったカメでもそれは起こり得ると。
野生のカメでも冬眠に失敗することはみられるという。

それを聞くと、リスキーなことはしたくない。
以前テレビで何とかという女優(名前を忘れた)が、毎日のカメの水取り換えがめんどくさいのよね~、冬は冬眠するからいいけど、などと言っていたが、水の取り替えくらいがメンドクサイ家で、冬場の冬眠中の環境管理(準備期間も含め)がしっかりできているのだろうか?しかし実際冬眠できてしまっているのか?
水温が何かの手違いで0℃まで低下してしまうと、カメは間違いなく永眠してしまうそうだ。
何かの拍子にコンセントが外れたなんてことがあったら、一巻の終わりとなる。


ウェブ上で冬眠中の管理を以前観ていたら、時折砂から掘り起こして脚を突っつき反応があるか調べて、また埋めるなどという記事もあった。いちいち眠っている時に体を突っつかれても迷惑な話に思える。カメも悪夢を見ないか?
水温だけでなく、準備期間中にしっかり腸内のうんちが出し切れていることも肝心なようだ。
もし残っていると、そこから細菌が増殖して眠っているうちに死に至るという。
しかしレントゲンで調べる訳にも行くまい。ホントに出きっているかどうか、これは絶食期間から推し図るくらいだろう。


冬眠中ずっと気をもんでいるよりも、普通に餌やりをしながら水の取り換えをしている方がずっと気楽で実際に楽である。
家は水温管理と日光については心配ない場所に置いているし。
同じく掲示板のアドヴァイザーの話だと、冬眠中カメを観察して(やはり掘り起こすのか?)もし具合が悪そうならすぐに温度を元に戻し通常の生活に戻しましょうとあったが、カメの寝顔を見てこれは具合悪そうな顔だと判断できる自信がまだわたしにはないため、当分は普通に冬だろうがいつも通りの生活を送らせるしかない。
あの生意気そうな表情がちょっと違う感じになるのだろうか?
想像しにくい(笑。
きっとどこか体全体の感じ、雰囲気が違って見えるのかも知れない、、、。
ちょと神秘的だが、生き死にに関わるのでは大変である。

奥が深い。
やはり余程見慣れて彼らのことを熟知しておかなければなるまい。
娘たちは、今度は猫がいいなどと言っているがとんでもない。
カメの餌すらまともにあげられないのに、他の動物どころではない。
(ほとんどの世話を全てわたしひとりでしている現状だ。猫が来たらまたわたしが引き受けることになる)。
ペットが我が家に増えることなど当分、ない。


まずは、みんなでカメに馴染みたい(爆。





ドルチェ~Dolce

Dolce.jpg

すでに二週続いて木曜日にブログを休んでいる。
定休日にしたつもりはないが、確かに木は忙しく、疲労も溜まり混迷も極める。
ブログなど手を付ける暇もなかった(毎日休みなく書いていた時期も木は余裕はなかった)。
家族と大喧嘩するのも木が多い。人に言う事ではないが(爆。

やはり一か月休んでから、ブログを書くテンションが明らかに変わった。
レイドバックした。
以前はブログを書くためにいちいち映画を観たりしていた。
当ればそれはそれでよい機会であるが、ハズレだと悲惨な想いになる。
自分に合う合わないではなく、明らかにつまらないものは、つまらない。

しかしいくらつまらなくても、SFは観てしまう(笑。
そういう体質なのだ。
勿論、詩的で神学的なものにも強く惹かれる。
だが、現実の上なぞり的な現状確認レベルの噺はつまらない。
わざわざ作って観てどうするのか。

今日は休んで寝ようと思ったが、ビール呑みながら少しだけ書いてみることにした。

娘が自分のピアノがどのように弾けているのか確認するための実に簡単な録音システムを用意した。
単にピアノ脇にレコーダーとパソコンをセットしただけのものだ。
すぐに弾いた後確かめられるようにした。

フルートでつくづく思ったものだが、ブレスを基本にしてリズムがしっかりとれていないと、思いの外ヨレヨレな演奏で恥ずかしい思いになることがある(吹いている時にはそれ程気づいていない)。
ピアノもまずはリズムができていないと聴けたものではない。
次女はせっかちな性格がそのまま出てしまう。
自分の対象化のひとつのツールともしたい。

長女の楽譜に”Dolce”が付いていた。
わたしはDolceが好きだ。
レストランで料理のコースの終わりにDolce~デザートが出されるとホッとする。
やさしさ~甘さ~柔らかさ、、、最後にとっても癒される。

そんな風に弾くようにという指示である。
もう勢いよく叩きまくっている。
風情がない(笑。
取り敢えず間違いなく弾くぞと言うところであり、まずはそこなのだが、やはり気持ちは最初からもちたい、、、。

わたしも日々を”Dolce”でいきたい。
木曜日は特に、、、(爆。



物語作り

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次女が物語作りに凝り始めた。
「ホラー」好きなので、その線である(笑。
パソコンに入力し、音声合成ソフトを通し、読み上げさせるのが面白くて仕方ないみたいだ。
ノート(紙)にこっそり物語を書き進め、何処かで意を決して友達に見せる(何らかの形で発表する)、とかではなく、その都度パソコンに読み上げさせ、大笑いしているのだから、、、どういう創作なのか、何ともよく分からない。
しかもホラーのはずだが、そんなに可笑しいのか?
自分たちが親しんで来た例の音声で読んでくれるのが嬉しいらしい。
(お気に入りの声優さんに自分の書いたものを読み上げてもらっているような、「こそばゆさ」は感じているのは分かる)。

いつも、iPad(今は取り上げている)で見ていた合成音声によるギャグ的な「ゲーム解説」ものみたいな感じで自分も作ってみたくなったのか。
しかし内容はあくまでホラーで、、、。
いまは分節の「間」の取り方を工夫している。
確かに怖さを演出するには、「間」と話す速度が大切だ。
他にも要素として抑揚(イントネーション)などあるが、一本調子がこのソフトの特徴でもあるから、そこは変えられない。

ゲームもスウィッチでやる「ゼルダ伝説」以外、パソコンゲームは全て「泣かせるホラー」系のRPG(role-playing game)ばかりだ。
いつもホラーゲームをやっては、感動した、と言っている。
それをこの面白ソフトをもって「騙り」でやろうとしているらしい。
どんなものになるのか。
いまのところ、全く怖いなんてものではない。
取り敢えず文章にはなっているが、まさに小3女子の噂話だ(爆。

そのうち、女子会で発表するかも、という。
わたしとしては、それを動機付けとして、ローマ字(入力)と文章表現の練習に役立てられれば、文句はない。
その発表の時にはわたしも混じって聴いてみたい。
爆笑が起きる可能性もある(わたしは笑わぬように気を付けたいが)。

そんな感じで横道に逸れているのもよいが、今日はピアノはふたりとも上がらない。
それはそうだ。練習していない、、、。
本業をしっかりやった上で、いろいろやってもらいたい。
とは言え、人間余所見や道草や回り道が好きな生き物である。わたしもそうだ。文句は言えない(爆。

しかし長女に頼まれて、譜を入力して聴かせてみたのだが、案外それで安心させてしまったものか?
譜は苦労して何とか自力で読みとる過程が大切であろう、という教育的不安は感じていたが、聴きながら読むのも悪くはないと思うが、、、どうであろうか。
それよりパソコンで遊ぶ可能性の方に(特に次女は)注目したか?
それはそれで構わないが。

技能を身に付けるには、極めてアナログ的で継続的な練習~我慢と努力は欠かせないものである。
(自分がこういうことを書くとは思わなかったが)。
その為の愉しい支援ツールとしては、これからも上手く役立てたい。


しかしパソコンのアプリケーションがあることで、何をやりたいという意欲が生まれ、その逆ではない。
ちょうど、手紙というものが発明され、それを書くという欲望~習慣が生まれたのと同様に。
起源はたちどころに隠蔽され倒錯する。
あたかもそれを欲したからそれが(手段として)生まれたかのような物語が成立する。
国家がまさにそれだ。


さて、作りかけのモノを全て保存して眠ろう。

花を植えまくる

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これまでわたしは、サボテン・多肉ならそれ用の培養土、観葉植物一般ならその土、バラならそれ用、ランならその土という感じでお任せ土を使ってきた。
しかし、農業の研究をしている叔父のところで読んだ本の影響で、それはやめた。
かと言って専門的なところに走る気も余裕もない。
ただ、土は無菌の(衛生的な)赤玉土(小粒)に鹿沼土(硬いもの)、そこへパーミキュライトと腐葉土(葉っぱのみで作ったもの)を適度(わたしの場合、丁度良い色合)に混ぜて、植え込む。挿し木の場合は、100%鹿沼土にする。
観葉植物も100%鹿沼土でもよいらしい。
酸性が強いため、それを好まぬ植物には向かないと言われているが、日本の植物なら問題ない。
日本は元々雨は酸性である。

海外から取り寄せた花であれば、調べる必要はあろう。
なんでもラン科の植物(対称性を破る生物のひとつ)も鹿沼土のみでスクスク育てている「鹿沼土専門家」もいるそうだ。
基本的に、ほとんどの植物は赤玉(弱酸性)などと一緒に使っていって問題ないはず。

わたしこれまで、根腐れでかなりサボテンや観葉植物を失ってきた。
サボテンなどポーカーフェイスであるため、死んでいても活きてるような顔をしているから気付かないでいたこともある。
或る夜、疾風に乗って鉢の上をシルクハットの如くサボテンが滑るようにすっ飛んでいったときは、言葉を失った。
根が腐って、それがそのまま本体全体に及んでいたのだ。
とっても軽そうであった。外皮だけだったのだ(拝。
余りに呆気ないお別れであった。
そのころは、ひどく忙しくほとんど何もしてやれなかった。

しかし、そうではなく、ホントに何もしなければまだよかったのかも知れない。
水と肥料を時折、与えていたのだ。(風通しと日光の問題はなかったとは思うが)。
水と肥料の分量と与える頻度がもとで根腐れが起きた可能性が高かった。

だが、叔父の書籍によると、一概にそうも言えないようなのだ。
出来合いの培養土を使うと最初の内は水はけと保水性もよいように窺えるが、暫くすると急速に固くなる。
これは体験上、よく分かる。
水はけが悪くなるだけでなく、悪い菌も繁殖する。
その辺が、根に悪影響を及ぼす。
頻繁に植え替えをすればよいかも知れぬが、それはなかなか出来ないし、その作業で根を痛める場合もある。
結局、菌のいない硬質の赤玉や鹿沼土を使用して自作することが好ましいようだ。

植物による比率も本には詳しく載ってはいるが、わたしは自己流でやっている(やりはじめた)。
色的に丁度良いところで、植えている(笑。
最後に土の表面には隈なく鹿沼土を覆いかぶせる。
水の湿り具合がよく分かるし、清潔感があるため(実際清潔で、虫も避けるみたいだ。粒の形状からも)。
更に、鹿沼土に場合、多少水をやりすぎても適度にはけ、菌もない為、根腐れは起こし難いという。

見た感じそのように思える。
暫く、この線で面倒をみてゆきたい。


今日はピアノのリズムがいよいよ難しいと言ってきた長女の為、MuseScore(UNIX系のフィナーレに近いソフト)に写譜してパソコンで聴かせた。実際に自分で弾きながらなんとか掴んだ方が勉強になるかとも思ったが、、、聴いてもそのまま弾くのが難儀そうであった(笑。
そんなことをしているうちに、読書もままならず、今日は終わりだ。
自分の過去に描いた気に入った絵をここのところ毎日探しているが見つからない、、、。
そんな感じで、、、一日が短くてほとんど何もしないままに終わっている実感がある。
だがホントに短くなったみたいだ。
その上今日は、午前中を歯医者で潰したのが痛かった(文字通り痛かった)。


学生時代は結構、長かった。
今思うと確かに、いろいろ出来たものだ。
そういうものかも知れない。

ゲーム機移動

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いつの間にか育児ブログと化しているこのブログ(笑。
今日ゲーム機をわたしの目の届く場所にあるディスクトップパソコンのパネルに繋いだ。
つまり、居間(ほぼプレールーム化している)のテレビからゲーム機を切り離し、少しストイックな環境にゲームを接続し直そうとした。宿題と分離しない背中合わせの環境だ。
パソコンはHDMIから DVI-Dに代え、スウィッチを優先して接続することにした。

スウィッチはHDMIのみだし、変換などメンドクサイ(出来るかどうかも調べる必要がある)。
ただちょっと驚いたのは、次女がノートにも同じ形状のコネクタがあるのを知っていて、自分がよくやるゲームの入ったノートにも繋げると、何とか自分の領地内にひき込もうとしたことだ。
確かにHDMI端子はどれにも(最近のノートには)ついているが、生憎ノートは会議プレゼンなどで利用する大型ディスプレイへの出力専用である。この端子を知っていただけ、意外であったが。
日々、彼女らにはちょっとだけ驚きと違和を感じる。

結局、わたしの管理下で(これまでは居間でおやつ食べながら適当にやっていた)宿題を自分の机でしっかりやってから、ゲームを30分だけすることとなった。
これで一件落着とまではいかないが、ダラダラやったり、ナガラでやることは防ぐ流れとなる。
宿題はあっけなく終わり、すぐさまゲームとなる(笑。
わたしも彼女らのゲームの手さばきを繁々眺める機会となった。
よくまあ、ここまで身体化したものだ。
わたしの目線を気にしながら自分のテクを披露したり、わざと派手で変化に富んだ面白い場面に迂回して見せたりしていることが分かる。得意になっている(爆。
ゲームもより面白くなれば、それはそれでよい、、、特に何かを期待はしない。


噺はいつものように飛ぶ、、、
今日は日中やたらと水(ストレート)で、モノを清めたくなった。
古い虫かごや水槽など片っ端から水で洗いまくった。
昼間は陽が強い為、干せばすぐに乾く。

本も読み直している。
マルクス関係のモノ。
「価値形態論」

すべてはことばの問題だ。
関係~差異(の戯れ)によって成立する価値。
しかしその起源はすぐに隠蔽されそれ自体で成り立ったように(価値の内在化として)倒錯する。
超越論~形而上学的システムが自明化する。

無意識にもっと迫る必要から、「価値形態論」というテクストが気にかかる。

本質に足を掬われてはならない。
寧ろ移動が肝心だと思われる。
真理をつかみ取るとかいうのではなく、テクストとして読む~関わる、という行為。


”エストリルのクリスマスローズ”のマルクス論を(テクストとして)拝読し、わたしの場所に繋がった部分とも思える。
考えてみれば、読むという行為はテクスト(叉は断片)として読む以外の関わり方があるだろうか、、、。



ストレスフリー

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ストレスフリーな生活を送ることにした。 何であっても。
まだ、、薬はどっさり飲みながらの休養中であることに変わりない。
これまでブログも毎日更新しようという意識~拘りの元でやって来た部分もある。
これからは、昨日みたいに忙しいからやめておこう、という選択もありにした。

確かに、生活、家事、こどもの面で大変忙しく、「絵」でも迷いがある。
まだ、病休~仕事を辞めてからの新しい生活のスタートは切れていない。
何を置いても、まずは体調である。
そんな折、ポカポカ陽気の散歩が格別であること。

そして全ての障害は隅々まで取り除く。
きれいさっぱり片付けること。
最近、ゴミ出しがとても気持ちよくて癖になる(笑。
そして植物の世話である。カメもやっているが。

生き物に注意深くしなやかに接する。
恐らくこれが健康の秘訣になる気がする。
夢想の時間である。
陽の光の中で。

普通に生活を送りながら瞑想しているような状態に保つこと。
ストレスという言葉を忘れる。
どうでもよいことを片っ端から忘れる。
陽の温かさを吸収すること。

まだ外気は寒いにしても。





n-1の試み

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3学期が始まったかと思うと、明日はピアノだ。
もう毎回、一つずつ上がれるような簡単な曲ではなくなっているが、一応、落ちるなよとは言っておく。
こちらとしては、2回で一つ上がれればよいという心積りではあるが。
しかし、この休み中のダラケぶりでは明日は危ない、、、。

ピアノを新しくしたのに、何故こんなにシラケているのか。
練習の楽しさより辛さが勝るようではそれまでである。
どうも尋常ではない。
何かを変えなくてはならない。

明日の学校の持ち物でも見つからないものが出て来て、大騒ぎである。
勿論、わたしが見つけて渡すと、それどこにあったの?である。
もうそろそろわたしも体力的限界で、面倒見切れない(笑、いやホントに。
いろいろ工夫はしてはみるが、すぐに散らかして不明にしてしまう。

エントロピーは確かに増大する。
物の管理は難しいものか、、、(わたしもよく置き忘れはするが、、、)。


娘は、主体として余りに脆弱なため、それが出来ない点が大きい。
多くのルーチンを(ルーチンであるべきことを)人に依頼している部分が多すぎるのだ。
依頼していることにまだ気付かない。
実際の事柄にしても精神的にも。
それで押さえるところをことごとくやり過ごしてしまう。
その上でアイテムへの依存性が大きすぎる。


実際に、ゲームをやってiPadで何やらずっと見呆けた後で、色々探し物をはじめたりするから夜更かしにもなる。
次の日の目覚めにも影響大である。
親として取り敢えず、iPadは使用禁止とした。
この怠惰な受動性と依存性はマズイ。

何でも使い方の問題である。
しかしそれが制御できない。
一種の麻薬である為、依存性も極めて高い。

依存は精神にとってよくない。
自律にとっても自立にしても。
依存はきっと無意識~身体性を蝕む。
もっとも怖い。
精神を蝕む。


浄化である。
「それ」なしで暮らす。
n-1をすべてに、、、。
今年は、それをテーマにしようか、と思う。

わたし自身にとっても。



明日から学校

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制度としての時間を意識する生活となるが、時間を忘れる愉しい事が少しでも多ければ良い。
気が付いたらもう帰りの時間だった、、、なんて感じで過ごせれば、言うことない。
まだかなあ、とずっと思いながら過ぎる時間の長い事。

まあ、最初の取っ掛かりだけの問題ならば、その流れに乗せればよいだけである。
前日早く寝かせようとしたが、なかなか寝ない。
ダラダラ、伸び伸び過ごしてしまったこれまでの日々より若干、早く寝た。

明日、早めに起こすだけである。
そこにかける。
フリーズしなければ、帰りまで普通に暮らしてくるものだ。

学校という集合場所に集まれればそれでよい。
暫くは、それを習慣化し、そのなかで自分のことばを見出してゆく。
制度を受け容れつつ創発性を発揮してゆく過程である。

兎も角、人間、朝が大事だ。
(夜の準備なしにそれは無理だが)。
朝の出だしが肝心であることは間違いない。

後は何とかなるものなのだ。
わたしの実感からして。
勿論、すんなりは無理だとしても。


さて、わたしも眠ろう。
朝の再生にむけて。
朝は確かに気持ちはよいのだ。


O君とバイクと「ひげまんじゅう」

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O君が久しぶりに、猫の縫ぐるみを沢山もって尋ねて来てくれた。
巨大な猫ひとつ。小さな猫5つ。
バイクでの訪問である。
こんなに大きな猫をよく持ってきてくれたものだ。
何と謂うか、大きい猫は、抱いて寝るにはちょっと大きすぎるくらいのサイズだ。
O君は大の猫好きである。
わたしもそうだ。大学の頃までは、常に猫と同居していた。O君は今も途切れなく同居している。

猫たちの名前(総称)は、「ひげまんじゅう」という。(株)アミューズ)
そのひげまんじゅうとは、「くちのまわりのふくふくしたひげの生えているところ」を指すらしい。
それがかれらのかわいらしさを象徴する部分で、呼び名にもなっているようだ。
個々の名前は、またそれぞれあって、「みーさま」、「黒豆」、「ふくにゃん」、「あんこ」、「まるこ」とかついている。
それぞれ顔つき~目つきが異なり、随分表情も個性的だ。
猫の特徴が可愛く抽出され柔らかく造形されている。

リンゴもいただく。
子供がアップルパイが好きだから助かる。
よくこれだけ沢山のモノをバイクで持ってこれたと感心する。

世間話をしながら七草粥と梅干、キムチ、キンピラなど極めて普通の家庭料理を振舞う。
O君が来て30分くらい経ってから娘たちが温泉から帰り、床に並んだ猫たちを見てすぐに飛びついた。
当然の如く、どちらが大きい方をもらうかで、二人の間で真剣な取引が始まった。
どうにか話が付くまでO君はそれを面白そうに見ていた。
二人とも縫ぐるみは大好きで、長女など5,6体の人形からその時々の気分で選んだものといつも一緒に寝ている。
恐らくその大きいのとも寝るのだろう。
布団に入ればよいが。

驚いたのは、それらの猫は全て彼がゲームセンターのUFOキャッチャーで獲得したものだという。
うちの娘も近頃いっちょ前にゲームセンターでお小遣いで遊ぶようになったが、何も獲得できずあっという間に終わってしまう。
ゲーマーの次女は凄いと言って、尊敬の眼でO君を見ていた(笑。
その後ふたりは、直ぐに「ゼルダ伝説」を始める。
もうゲーム中心の世界になっている気がして来る。
わたしだけがゲームをしていないような気もする、、、。

とは言え生きる事全部、ゲームと言えばゲームだ。
とてもエモーショナルなゲームを生きている。
-ハンデで始めたゲームかも知れなかった。

昔の友人と話していると、やはり記憶も呼び覚まされる。
S君の「絵」の噺と共に、その周辺を巡って、、、。

何とO君の会社でS君の絵が25枚くらいデジタルデータ化されているという。
つまりすでに画集になる品質にあるという事だ。
主要作品の四分の一ほど済んでいるというのは、いよいよだな、、、と思った。

しかし、どう出るか(展開するか)はあくまでS君の気持ち次第である。
周りがとやかくいう問題ではない。
わたしは、純粋なアートとして紹介されていけばよいな、と願っている。

O君は、大きいのをまたひとつ持ってくるね、と言い昏い闇の中をバイクで帰っていった。
O君が無類のバイク好きであることをはっきり想い出した。
大学の頃から、よく乗り回していたものだ。
うちの父もバイクを14台乗り継いだバイク好きであったが、バイクは速度をダイレクトに感じることが出来るもっとも身近なアイテムかも知れない。
存在速度を上げる恍惚感。
これはヒトにとって本質的な(郷愁に染まる)快楽のひとつだろう。






濃密な無音

onsen001.jpg

うちの娘たちは温泉が大好きで、今日はお台場にある温泉に朝早くから出掛けて行った。
その帰りに温泉からそう遠くない義兄の家に泊まる。
夜はそれで実質わたしの他は誰も家にはいない。
明日も、夜まで帰ってこない。

人の声がしない夜を過ごす。
暖房の音が微かにするだけ。
朝と違い、鳥の音も聴こえない。
夏ならかなり遅くまでセミの鳴き声が響くものだが、、、。

濃密に充満する無音が圧迫する。
やはり、自分の目の届く範囲に彼女らが息づいていることで安心できるものがある。
たまにはこの空虚感もよいが。
伸び伸び出来るかと言えば、そうとも謂えない。

今日は昼間から、コズミックネクストの「第九惑星」と映画の録画で入っていた「蠢動」、「ゴッドファーザーⅡ」といつもの「ぼのぼの」を見ていたらもう日が落ちていた。(第九惑星に惹かれる)。
ここのところ一日があっという間に終わっている印象なのだが、今日はそれが特に顕著であった。
周囲に異なる時間の流れがないと、殊更単調な意識流を生きる羽目になるようだ。

学校がまた始まると、例の切れ切れの時間が重層してくる。
これもじっくり沈潜して何かに取り組むことは難しくなる。
明日は誰もいない我が家に、友人が顔を見せに来てくれる日だが、其れを機に新しいルーチンを自らに課したい。
絵と読書、、、それから、、、効率的な運動である。




プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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