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黄昏時

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「君の名は。」にも出て来た「誰そ彼」の時である。
誰ですかあなたは、、、君の名は、、、か。

~黄昏時、、、

黄昏時の小町通を歩いているうちに空から赤みが消え失せて行く。
まだ行く当てがあったわれわれは、急いで江ノ電に乗ったが、空はすぐに藍色に落ちてしまう。
江之島を禍時のなか、ただひたすら歩いた。
何処へ向かうでもなく、誰もが道に沿って歩き続ける。
時折、止まって橋の欄干から漆黒の外を覗き込んでも、やはりあてもなく進むしかない路を進んで逝くしかない
そんな時に呑まれる。

娘に声を掛けられ、帰路についた。
電車に乗るまでずっと手を繋いで歩いた。

昨日のことだ。
おかげで、、、
今日も一日中、微睡状態でいた。
覚醒しないまま、また夜を迎えた。

昨夜の余波で虚脱感というか充満した感覚~眩暈が続き、時間が流れなかった。
ずっと黄昏時にいたようだ。


magatoki001.jpg

~黄昏時、、、

朝でも昼でも夜でもない宙吊りの場所である。
あらゆる枠が溶け規範めいたものは何もない。
無論、善も悪もない。

ただ昏い海辺で電車を待っている感覚。
ポール・デルヴォーに出てくるマネキンのような裸婦と骸骨が蒼い闇に沢山潜んでいて、耳を傾けると何やら話し込んでいる。
だがそれは上空にいる無数の鳥たちの鳴き声であった。
俄かに界隈が騒めき立つ。


それもいつしか潮騒に引き取られてゆく、、、。

3連休の終わり。
何やら淋しい。


江ノ電の旅

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今日は時間感覚ががズレ放題ズレつつ行動するパタンとなった。
どうもわたしは人と一緒に行動するのが苦手だ。
そもそも歩くペースからして合わない。
わたしはかなり歩く速度が速いのだ。
意識してそうしているのではなく、わたしとしては自然な固有リズムなのだ。
つまり個性~わたしの身体性である。
だから旅は一人旅でないとキツイ。

家族と江ノ電の旅をしたことで、生理的な感覚のズレでかなりのストレスを被った。
観念的なものなら処理できても感覚的なものは無理だ。
だから、目的地に着いて、ただボ~ッと座っていたり、波際の線~境界上で只管戯れたりは、恍惚とした時間となる。
海辺だけ。
救われた。
しかし心底、救われた。
「鎌倉高校前」


友人の実家が「鎌倉高校前」にあったため、学生時代は度々江ノ電でお邪魔した。
あの頃は、電車がホームを発つと、うち広がる海岸にただ独り残された気分に浸れたものだが、今は普通のホームになっていてがっかりした。本当に暫く振りで様子がかなり変わっていた。
高台を登って行き、白樺並木の先に彼の家があった。
友人は大学卒業まで、一度もそこの浜辺に降りたったことのない人であり、自分の部屋の窓から臨む、砂浜の広がる海の絵などを精緻な点描画で描いては部屋中を飾っていた。
まるでレーモン・ルーセルみたいな絵描きである。
(その場に行って描くようなことは絶対しないが、壁を隔てたところ~距離からその気配を察して描くのが趣味なのだ)。

海岸に向かう途上、丁度地区の祭りのようで、日焼けしたもう映画でしか見れないような男臭い初老の漢たちが祭りの出で立ちで準備を進めているところであった。
正直、映画の任侠ものに出てくる俳優よりも漢臭い面々が揃っていた。
スケッチブックをもっていたら描きたくなるくらいである。
そしてマフラー改造のバイクの群れに改造車、そしてクラシックなオープンカー、、、
鎌倉らしい。

砂浜に降りると、もう靴と靴下は自然に脱ぎ去っていた。
そこを革靴なんかで歩くことは出来ない。
(とは言え、ハイヒールで歩いている女性がいたが、、、勿体ない)。

海の風、海の匂い、潮騒、、、。
もう身を任せるしかない。
周囲の様相は変化したところはあっても、海や砂浜はそうは変わらない。
時間の流れが全く異なる。

娘たちにとって初めての海辺の世界は、時間は進むのではなく、ただ反復するのみであった、、、。
それは、わたしにとっても同様である。
ひと時、波と戯れた後、彼女らは細かく色とりどりの貝殻集めを始めた。
長女はついでに流木まで拾ってくる。
わたしも一緒になって夢中で拾った。


今日は、5つの駅で降りる予定であった為、そうも長く居れないこともあり、バッグを置いておく大きな流木に戻ると、そこに座って読書していたサーファーの男性が、娘たちに貝殻をたくさん分けてくれた。
ちょっと探してもわれわれでは採れない貝殻である。さらに親切に江之島近辺で大きな貝殻や蟹の見つかるスポットを詳しく教えてくれた。大変優しい目であり、ここ暫く忘れていた感触であった。
そうだ、こういう人との関わりがあったということを想い出したものだ。
他にも道端やレストランで、とても気さくに親切に観光アドバイスをしてくれた。
その目つきの優しいこと、、、。久しぶりにホッとする気分を味わった。

最近は特に、虚ろな自己を抱えこみ、コンプレックスや充たされない無意識的な欲望やその代替となる攻撃欲求を無自覚に外部の他者に投影して、その対象としてロックした相手を貶めよう、みんなで叩こうという行為~身振りが巷に目立つ。
スケープゴートを野良犬のようないじけた目つきで探し出し、対象を叩いて全能感に浸ろうとするものだ。
そんな、自分が謂れのない暴力を盲目的に振るっていることにまるで無自覚な輩は増えている。
歪んだコンプレックスからではなく正義感からやっていると信じ込んでいるからだ。

自分の行為や言動がまさにその人間が何であるかをそのまま呈していることにも気づかない。
(誰がどのような人間かなど、分かるはずなどなく、全ては原理的にその誰かに関する自分の思い込みに過ぎないことが、まるで理解できていない)。
ちゃんと見る人が見れば、どれほどアホで愚かなことかが分かるのだが。
それは自己対象化能力の決定的欠如からきている。
決まってその手の輩は、外部基準~世間にばかり気を取られていて、志も内省もない。

そのへんのことがリフレクトして返って来た(笑。
あの海辺にいれば、むやみな攻撃欲や人を貶めようなどという謂れのない欲望など抱く余地は生じようもないか、、、。
そんな気がした。


これが日本海側の北の海であったら、厳しく哲学的な様相を呈するかも知れないが。
それはまたそれで良いと思う。

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その後は、七里ヶ浜、長谷寺~高徳院の大仏や小町通りなどお決まりコースを愉しんだが、日の暮れと共に続きはまた今度という事になった。江之島水族館や稲村ケ崎の夕日は夜になってしまい、お預けとあいなった。美味しいと噂のパンケーキのお店も行ってみたらもう売り切れで店じまいであった。

また今度行くことになる、、、(笑。



朝の出来事

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朝、登校班で待っている間に次女が道路に落ちていた花弁と葉で顔を作って遊んでいた。
なるほど、子供は知らぬ間に何かをして楽しんでいる。
「かたち」で遊んでいることは多い。
よく観ると、花弁の表面を少し擦って(圧してか?)色素を滲み出させている。
リボンの強いピンク色に当たるところだが、そこが彼女の工夫の部分か?
後は、片方だけ見えている眉毛が顔として定着させている。無意識にやったのか。
実はここがポイントであろう。
(リボンは別物~装飾であり、顔の対称的でまとまりの緩さを眉毛がしめている。口と相似的な形の動きも面白い)。

公園に行くと、よく平らな土の上や砂地を素早く探し、木の枝で引っ掻き画を描いていたりする。
考えてみると面白い。
「かたち」とは何なのか。
かたちを作ろうとウズウズしてしまう気持ちとは何なのか?
(恐らくモノとの間の呼応関係が生じるのだ。そういう引力が互いに働く)。

今朝のものは構成による絵作りだ。
僅かな隙間の瞬間の。

足元にあった自然の美しさにふと気付き、それを手に取って何気なく観ることからそれは始まる。
本当に狭い範囲に、形、大きさ、色、素材の異なる要素がばら撒かれているのだ。
塀の傍等にそれらはよく集まっているが、そのバリエーションはちょっと凄い。
今の時期特有のものでもあろうが、貴重な贈り物にも感じられる。
風~気流の悪戯、もしかしたら鳥や虫も絡んでいるかも知れない。
偶然の集まりにしては意外に綺麗で、ちょっと驚く。
これも自然の摂理の一端なのかという趣を感じる。


後で聴くと、毎朝やっていたとのこと。
朝、集合場所でみんなが集まるまでのほんの一時である。
今日たまたま水筒を忘れていたので、届けに行ってはじめて気付いた。
いつも素材は異なり小石を使うこともあるらしい。
かなり手馴れてきて手早い作業になっている様だ。
毎回、何らかの絵はポツリと、ひとつ出来ているという。
直ぐに消えてなくなるフラジャイルな形を残して毎朝、登校していたのだ。
まさに不思議な鳥の消息みたいに、、、。
ちょっぴり香しい。


これから毎朝、観に行くことにした(笑。
早朝というのも気持ちよいし。
子供は何処かで必ず何かやっている生き物なのかも、、、。

だがさて、一方長女の方は、学校自体行きたくない人であり、朝の集まりの時間などまだほとんど頭は眠っている様だ。
恐らく環界に対して感覚が起きていないし、何も考えていない。
単に朝が弱いのか、、、確かに朝の苦手なことはよく分かる。
学校に着いてランドセルを降ろしたあたりで、はじめて目が覚めるらしい(笑。

身体リズムと(固有)時間がそれぞれ違うのだ。
人が違うのだから当然だが。
次女はやたらと早起きだし。


明日は教室初めで、「おもちゃカボチャ」を描こうと思う。
夕方であるから、少し疲れていても、頭ははっきりしているはず。
クロッキーは4,5枚やって、絵の具の使い方を確認して、はじめるつもり。

何だか面白くなってきたが、その前に雑事が幾つも重なってしまった。
実際どれくらい出来るものやら(笑。
なかなか計画通りには進まぬこともある。
今日の「お月見」は、寒いし月は隠れているということで、お団子とミカン(月の代用)で食べるだけ食べた(笑。




清々しい日々、、、

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いよいよ気候も過ごしやすくなってきた。
日差しは強いが風は心地よいし、気温も丁度良い。

お隣さんから大きなオレンジ色のカボチャを頂いた。
絵のモチーフに良いので教室に使うことにした。
この時期、お花屋さんには「おもちゃカボチャ」が出回る。
それも幾つか買っておこう。
大小の色とりどりで形も不揃いのモノを合わせてモチーフにする。
そう思って、ちょっと近所を何軒か周ってみたが、、、まだ出回るという程ではなかった。
明日また、店探しをしないと、、、。

今日は娘の個人面談の日である。
わたしはあいにく自宅待機となった。
娘たちがその間に帰ってきてしまうからだ。
ひとり誰かが待っていなければならない。

バーバはリハビリでいないのだ。
一番元気に外にも頻繁に出掛ける。
電話もよくしていて、忙しいらしい。
用が沢山あることはよいことかも知れない。

どうやら、娘は漢字が苦手らしい。
確かにイソップを読んでいても、あまり読めない。
帰って来てから、娘のリクエストで宇宙関係の本を一緒に読んだ。
イソップより、乗った。
何と謂うか、興味・関心のある分野の本から読みそのものに馴染んでゆく方が、動機付けから言っても好ましいか。
結構、地球が太陽に呑み込まれる件で図を描きながらの白熱した噺となった(爆。
ただ、赤色巨星がカンでなかなか言えない。


明日は「中秋の名月」
満月少し手前であるが。
(満月は10/6だ)。
薄(すすき)と月見団子だけ用意しておこう。
薄は、稲穂の代替~間に合わせのようだ。この辺が日本文化の奥ゆかしい趣深いところ。
本当は、枝豆・里芋・栗などを盛り、御酒もあればよいが、そこまではやらないな、、、。
酒は準備しよう。久々に呑みたい(笑。勿論、少量だが、、、。


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今度の休日は、海辺を歩くことにした、、、。
先程の本を読んでいて、例え噺に出て来た海辺が何であるか知らなかったのだ。
それでは、例えのイメージすら沸かないではないか。
話がいちいちその辺でつかえて前に進み難いということより、まだ一度も海辺を味わっていなかったことはある意味深刻であり、その体験は急ぐことにした。

確かに、知らないはずだ。
彼女らが生まれてこのかた、海辺に行ってはいない、、、。
わたしも思い切り一緒に海辺の空気を吸って、潮騒と波飛沫に浸りたい。

昨日の公園

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十月は小春の天気、草も青くなり梅もつぼみぬ、、、(徒然草)

この時期よく言われるのは『天高く馬肥ゆる秋』であるが(笑。
昨日は丸一日、家族で公園に行って過ごしたが、長雨の落ち着いた後の爽やかな空気が気持ちよかった。
十月桜も咲いているではないか。
そのせいか公園はかつてないほど混んでおり、5つある広い駐車場に停めきれないほど車が溢れていた。

等間隔に何処にも車がある。
面白い。
宇宙みたいだ。
星も結局、均一に分布している。
宇宙の等方性が謂われている。
そして中心はない。
ただ加速膨張してゆくだけ。
ちょっと眩暈がして、寂しくもなる。
星が将来は見えなくなるのだ。
幾世代後の噺だろう、、、。

考えてみれば中心も基準もないのは当然。
太陽系は秒速300Kmで(天の川)銀河の中心に対して回り、その銀河系もアンドロメダ銀河と謂わばペアを成す形で回っていて将来は激突する運命にあるらしい。それらを含む局部銀河群は、またさらにおとめ座超銀河団に含まれ、その超銀河団は大きな重力~グレート・アトラクターにひかれて移動してゆく、、、SFにもしばし登場するのだが、、、結局、動きなど何を取り敢えず基準に置くかにより説明可能となるだけで、静止基準などもともとないことから、もうただ凄まじい速度でピアノ曲線を描いているようなめくるめく感覚だ。よく地上に呑気に張り付いていられるものだ、と感心することもある。

ただ、光が眩しい、、、。心地よい眩しさだ。
光速度が一定であることから、時間の伸び短みを見出したのはアインシュタインだが、(時間の進み方によって光が見かけ上、一定の速度に見えること、が正確か)空間~身体に固有の「時間」が流れているという認識は、われわれにもとても馴染む。
そちらの方が生活の実質・実感に適う。
公園で日向ぼっこして、芝生で草の匂いを嗅いで寝転がっている時に、時計時間などいちいち気にしていられない。
寝転んで見ている限り、この公園、遠近法で整序しきれない。
時間がヒトの数だけあるような空であり空気である。
ルネサンス以前の絵をみるような感覚だ。
それから、音が面白く響く。
小さな音でも気に障る音があるが、大きな音でも心地よく響く音もある。
そう、潮騒などはその例だろう。f/1揺らぎか、、、。
いつの事だったか思い出せないが、海など何処にもないところで、潮騒の音が聴こえて、音源を確かめる気にもなれずに転寝をしたことがあった。
音には、昔から不思議な想い出~体験がある。
そんなことをゆらゆらと改めて想い浮かべた、、、。
本当に少し眠ってしまった。


帰る頃には月が出ていた。
まだ空は青空である。
藤原定家の「明月記」には、牡牛座に突如現れた超新星爆発のことが書いてあり、月より明るく数か月間も輝き続け、昼でもそれは明るく見えたという。1054年7月4日のこと、、、。

贅沢な噺だ。


色々あった日だ

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今日は大安であった。

早朝、公園でゆっくり読書し、昼過ぎに女子美に行ってみたらアートミュージアムで何かやっていることを知る。
寄ったらすぐに帰るつもりが、中国の山水画家の絵の展示であった。
わたしの守備範囲外であったため、サラっと眺めそのままホントに久しぶりに学食に行くことにした。
5年ぶりくらいか、、、。
ここの学食はとっても広い。
以前、二日連続で仕事で来たことがあった。
もう随分昔に思える。

ここのところ駅蕎麦も含め、蕎麦に凝っている。
選択肢がただの蕎麦とキツネとタヌキだけだったので、タヌキにした。
アート系女子大生に混じり、一人蕎麦をすすった。
割と近くで外国の留学生?がカレーうどんを食べていた(流石にヨーロッパでは食べられないだろうしな~。)
(それがどうした?)
なかなか旨かった。
値段は学食だと普通安いものだが、特に安くも高くも感じない(わたしの大学の学食はメッチャ安かった(笑)。
ただ女子大だけあって?、量は少なめ。(わたしの後ろの学生は大盛を頼んでいたが、分かる)。

わたしが最近見つけ、朝しつこく通い始めた蕎麦屋は朝だけサービス価格になっていて天玉蕎麦がとってもリーズナブルに食べれれる。まあ、こちらはダンプの運転手の集まる男臭い環境であるが。いまのところここが一番気に入ってはいる。結構旨いし。

女子美に朝から来れない。それに朝から学食やっていたかどうか、、、今度確認しよう。
(わたしのところではやっていた)。


帰ってからビデオデッキの容量空け作業。
デッキ本体と外付けHDの二つでやり繰りしているが、かなり厳しくなってきていた。
観ないで消すのも心残りであるし、Blu-rayメディアに片っ端逃がした。
ほとんど映画だが、科学系のドキュメントもある。複数回観るかどうかは、自信ない。
だが、面白い部分が少しでもあるかも知れず、取り敢えずとっておこう。
が、時間はどうしてもかかる。
ここで何より注意したいのは、以前コピーしたものとダブらないことである。
すでに10タイトルくらいそれをやってしまっている(痛。
NHKは再放送が多い。同じ「いきものがかりライブ」を2回もコピーしたときは情けなかった(怒。

ついでに映画を一つ見るには見たが、これがまた酷いもので~途中からは早回し、日本映画は事前に評価をたくさん見て、そのうえで見るかどうか(直ぐ消すかを)判断することに決めた。
くれぐれも愚にもつかぬことに自分の貴重な時間を吸い取られないよう心がけよう。
ちなみに、今日コピーした「アウトレイジ」は楽しみだ、、、(カット版かな~)。


娘たちと昨日雨で出来なかったワークショップをすぐ近くの公園でやってみた。
周りの遊具が気になり、遊ぶ体制が強すぎて、事前の心構えを作ることが出来ず、ただ形だけやるにとどまった感が強い。
感想を聴くと、ちょっと不安だったという答えに、少し手応えは感じたが。
(もっと心細さを用意しないといけない。次回はそうしよう)。
後は、遊具で遊び、虫を発見して(と言っても木登りするカメムシの模様と木肌が同じなのを知って)驚き、駆けっこをしてから5時のサイレンで帰った。
不思議に、5時のサイレンが鳴ると、どの子も蜘蛛の子を散らしたようにいなくなる。
これがわたしが今日一番驚いたことか?


月齢8.9

ホントに久しぶりに月を娘たちと見た。
欠けてぼやけるあたりのクレーターがとりわけクッキリ観えて気持ち良い。
相変わらず表情豊かだ。
(いつも同じ面しか見せないとは言え)。
これが静かに遠ざかって行くというのは、、、感慨深い。

だが、月だけではない。
このままの速度で宇宙が膨張し続ければ、われわれの子孫は夜空に星なんて見ることすら出来なくなるはず。
今、この時代に生きているから宇宙についての様々な思いを巡らすことも可能だが。
漆黒の闇しかなければ、空を見上げることもなくなるだろう。



カメが落ち着く

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青いデカいタライに移り住んだカメであるが、漸く落ち着き、自分たちの住処という気持ちになったようだ。
動きもゆったりしてきて、餌をよく食べるようになった。
(以前、嵐の日に水槽ごとテラスに出しっぱなしで忘れていた時、かなりのストレスをためたのか、家に入れても随分激しくふたりで手足をばたつかせたり~顔を神経質に互いに突っつき合ったりしたことがあった)。
結構、環境に対しナイーブのようなので、こちらも一安心。

カメは大きくなるとペットショップの店員にも言われたが、その後も遊びに来た親戚にも心配そうな表情で「大きくなるけど、、、」と何度か念を押されてきた。
確かにみるみる大きくなっている今日この頃、、、(笑。

昨年6月に買った時は3センチ程であったが、今は16センチである。尻尾と頭(首か)を伸ばせばもっとか?
やはり初めに謂われたように30センチにはなりそうだ。
だとすると、新しく取り替えた青タライでなんとかなる。
二つの亀島を大きな亀島一つにでも置き換えれば、中で泳げない訳ではない。

顔つきは変わっていない。
人ならそれだけ成長すると顔も変わって来るが、ほぼ同じである。
長女のカメは少し大人しめの穏やかな顔で、次女のカメは結構、文句のあるようなきつめの表情をしている。

今もそれぞれの亀島に乗って首を伸ばして外界を窺っている。
好奇心があるのか、ただまっしぐらに歩きたいだけなのか、外に出すとひたすら速足で前方に進んでゆく。
かなり速い。
先ほど少しだけ、お散歩させたが、どうなのかこんな風に時折歩かせた方がよいのものか。
亀島に登る際に、しょっちゅうロッククライミングになっており、そこで筋力はつけている気はするが。

動きを観ていると、ホントに飽きないひとたちである。
癒される、、、。


今週の土曜は、次女のお茶会~ハロウィンパーティなのだそうで、そのなかにカメとも遊ぶコーナーがあるらしい。
学校のカメと家のカメが丁度同じくらいの大きさで、以前彼女らが押し寄せて来た時も、カメに馴染んでいた。
その時は、会の名称は「女子会」であった。
「お茶会」と「女子会」とどう違うのかは分からない。
メンバーも同じだし、、、。
お菓子やケーキや紅茶は同じように用意している。
恐らく遊ぶ内容が微妙に違うのだろう。
今度聞いてみたい。


取り敢えず、カメも落ち着き一安心。
餌が残り少なくなってきたので、次女と一緒に買いに行こう。




カメの家騒動

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カメの水槽の底硝子に亀裂が走った。
気付いたのは、二日前。
直ぐに替りのモノをアマゾンに注文した。
硝子はやはりキツイ。どうしても割れ易い素材なのだ。
重くて、ぶつからないよう扱いにも注意を払いながらの水の取り換えも大変で、ずっと難儀であった。
やはり割れが入ったか、、、。

下を覆うプラスチックの枠が頑丈で、水漏れは当分ないようだが、いざ漏れたらそれまでである。
早いうちに取り換えた方が無難であろう。
そこで今度は青いタライにした。(選択肢の範囲では、青しかなかった)。
よくあるタライだ。四角いもの。
最大の利点は、底に栓が付いていて水換えが楽な事。それに割れない。これも肝心なところ。
大きさはどれも今より大きい為、一番小さいタイプにした。それでもひと回り大きい。
(大きいものだと、大の大人が水浴びに悠々使えるとのこと)。

60L、80L、120Lの三種類から60Lを選んだ。
今日届いたものを見ると縦横は良いが、やはり深すぎる。
そのためカメたちにかなり圧迫感や閉塞感を与えないか、、、。
実際彼らを入れてみると、ずっと手足をバタバタしている。落ち着かない。
やはり環境の変化~悪化か?、、、に戸惑っているのが分かる。
カメはかなりしっかり目で見て生活していることは確か。
(とは言え、目が良いとは思えないが)。

これまでは透明で外が覗えたのに、気味の悪い青く高い絶壁しかない。
実際、彼らにとってどんな感じなのだろうか、、、。
ただ、餌を食べない。
ここ3食程だが、(ほとんど)食べようとしない。


基本的に慣れさせるしかないのだが、、、。
娘のアイデアで餌の時だけ、水替え時に臨時で入れていた今や狭くなった水槽に移動させて食べさせようということにしてみたが、ヒーターを入れると場所もなく、手狭感が半端ではない。餌にも食いつかない。
そこで少し大きめの洗い桶に移して様子を見たら、得意の相手の甲羅の上に乗っかる方法でいとも簡単に脱出して悠々と部屋を闊歩しているではないか。それは高さが浅すぎたのだ。
餌より何より、自由に開放的な空間を満喫したいのか、、、。
好奇心が旺盛なのか何なのか兎も角、真っ直ぐ何処までも歩いてゆきたがる。
前向きで後先考えない人々ではある。
(その為、外で脱出するとよく車に轢かれる)。

どうなのか、タライでも見通しは悪くても、そこそこの広さは確保されている。
水中からは確かに周囲が観えないが、亀島に登って首を伸ばせば外は覗える。
こちらとも顔は逢う。
やはりそのまま、底の深い青タライで様子を見て行こうということになった。
娘が言うには、硝子の面に映る自分の顔や姿と遊ぶのが楽しそうだったよ、と言う。
どうなんだろうか?

兎も角、様子を見ることにする。


カッシーニ・グランドフィナーレ Ⅱ

Cassini Huygens001

Cassini Huygens

今朝気付くと、余りに美しくも哀しく愛おしい映像~カッシーニ・グランドフィナーレが入っていた。
NHKの「コズミック・フロントNEXT」、、、この番組では、これまでのなかで一番良かった、、、。
本当に涙なくして、到底観れるものではなかった、、、。


結局、人工衛星で居続けることは許されなかった。
土星初めての人工衛星カッシーニ。
全くトラブルなくミッションをことごとく遂行し続けてきた。
1997年に打ち上げられ、7年かけて土星の周回軌道に乗り、2017年9月15日(11:55:46)消滅するまで、、、
45万枚もの写真、635Gに及ぶデータを地球に送ってくれた。1時間半かけて。(高速で70分かかる距離なのだ)。
木星~タイタン~エンケラドス~土星、、、そのほかの衛星、ミマス、イアペトゥス、、、。
-180℃のタイタンに日本列島より大きな湖もあった。その数100以上。
液体の正体はメタンであった。タイタンの水は液状メタンなのだ。

タイタンには傾きがあり季節の変化があり、メタンの雲とその循環があった。1.5気圧。
それは、生命が生まれる前の地球の姿にそっくりだという。

Cassini Huygens002

すでに太陽系外に去ってしまった先輩探査機ボイジャーの残した宿題をカッシーニは次々に解いていった。
大きな発見ばかりであった。
カッシーニの探査によって判明する事実は送られたデータの今後の解析によって更に明らかにされてゆくだろう。
その中には驚くべき事実がまだたくさんあるかも知れない。

カッシーニには、ヨーロッパ(ESA)で開発された6つの観測機器の装備されたホイヘンスが搭載され、直接タイタンの地上に耐熱シールドと3段階パラシュートにより軟着陸して、地表写真と風を切る音も送って来た。
接近した地表の姿は、地中海のコートダジュールに酷似していたようだ、、、。
石は氷、砂は有機物の粒であった。
ホイヘンスの収集したデータはカッシーニのその後の観測に役立てられる。

Cassini Huygens003


地球を離れて20年、、、わたしは、これまでに、、、

土星の30万キロにも伸び渦巻く巨大な嵐を観た。
土星の輪の正体にもギリギリまで迫った。
輪と土星本体との間を22回、タイタンとのスイングバイでダイブした。
そこが”Big Empty”であることを身をもって知った。

タイタンとはずいぶん長い付き合いとなった。彼女とのスイングバイはわたしのメインエンジンの代わりでもあった。
タイタンにメタンの広大な海と秒速1mでゆっくり注ぐ1㎝の大粒な雨とそれを集めて流れる河と、、、。
窒素とメタンが宇宙線に晒され高分子有機物となって積り生まれた砂丘に疾風が鋭い直線を抉ってゆくのを観た。

エンケラドスの極地点で漆黒の宇宙空間に丈高く噴射し続ける塩水の蒸気も観た。

そして土星軌道上から遥か彼方に煌めく故郷の地球を観た。
それは小さなラピスラズリの光点のひとつであった、、、。

わたしは惑星間の諸地球を観て周った。


いつしかブレードランナーのロイ・バティーの最期の言葉~回想にも重なって逝く、、、。



タイタン、エンケラドスに生命体の発生(存在)可能性が高い為、それらの衛星に影響を与えることを危惧したNASAは土星大気圏に突入して燃え尽きることをカッシーニ最後のミッションとした、、、。
使命のひとつである地球外生命体の探査を全うし、その成果の為に自らの消滅を選ばざる負えなかったのだ。
生命の探求とはこれ程デリケートなものなのだ。無菌状態で組み立てられ発射されたにも関わらず万が一、細菌が付着していたら関与する環境にある生命系への影響が生じる可能性がある。
しかし実際はどの星も外部からの隕石や宇宙線(太陽風)の影響は多大なものとしてあるのだが、、。
地球人の影響~痕跡は残したくなかったのだ。
(確かに、これまでにも征服に来た民族の運んだウイルスにより相手国が壊滅した例もあった)。



土星に突入の為のタイタンの重力を使った最期のスイングバイをNASAでは「さよならのキッス」と呼んだ。
確かに、13年間にも及ぶ付き合いである。



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謎の自動販売機

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今日も歩いて公園に行き、あちこち新しくなった花壇などを見て回りゆっくりしてから帰ることにしたが、同じ道を帰るのは面白味がない。
そこで違う道を周ることにした。
車の激しくない道に逸れる形で、脇道を選ぶようにして歩いてゆく、、、。

思いの外、自動車や巨大なトラック、ジープなどが沢山置かれている場所が多いことに気付いた。
しかし得体の知れない機器や部品や鉄骨類の集積場所はもうない。
昔はそこここにあった。写真にも撮ったものだ(銀粒子)。
最近、米軍基地近辺にも、とんと足を運んでいないので、不思議で怪しい建造物にもお目にかかっていない。
(遥か昔のことだ)。
畑も減った。肥料の匂いも最近はしたことがない。
ちょっと風景に物足りなさを覚え始めていたころ、、、。

青春真っただ中風の男女の高校生カップルがキャーキャーと自転車に乗って、前方の路地を左に入って消えた。
その角の入り口に何やらかなり大きな箱状のモノが置いてある。
初めて差し掛かった路でもある。
とても興味をひいた。

彼らが入っていったと思う所まで来ると、かなり広い自動車の部品(パーツ)売り場が奥行きを取っていた。
しかし今風のショップ、ではなく昔の販売店と謂った感じのところだ。看板がやけに小さい。
そして例の大きな箱は、その入り口脇の自動販売機だったのだ。
チョッと見ない無骨な箱の販売機で、箱入りの煎餅を何種類も売っている様だった。その隣は、観たこともないしかし遠い昔に駄菓子屋で売られていたようなお菓子が何箱もサンプル表示されていた~味が想像つかない。
(最近デパートの一角で見られる如何にもといったノスタルジックな駄菓子屋に置いてあるようなものかどうか分からぬが)。
そしてその脇~とば口に先ほどの男女の自転車が置かれていて、奥に通路が真直ぐに伸び、見たこともない妙にトキメク自動販売機群が並んでいるのだった。
その通路の真ん中へんで、若いカップルが自販機を興味津々の様子で具に確認している。

どうやらジャニーズ風の男子がこの場所を乃木坂風女子に教えたらしく、彼女はいちいち珍しがって喜んでいる。
(ここを紹介した男子は得意気な表情である。これで株を上げたぞという感じだ)。
それほどの物なのかと訝り、わたしも一つ一つ見ていくのだが、、、これが見事に荒唐無稽なのだ(笑。
まず機械そのものからして、古めかしく酷く危なっかしい。
妙にデカく角ばっていて生めかしくペカペカしている。
(何だか安っぽい塗料で塗られた感じもして)。

まずラーメンの自販機。隣にはウドンの自販機。蕎麦の自販機。使ったカップ・どんぶりを返すトレーに残ったスープ等を捨てる水場、冷水・温水器、水道の蛇口、コップ、爪楊枝まで置いてあるスペース、、、屋外にである。それに続き、原色のきつい不思議な駄菓子の自販機、おお、あのシガレット・ココアとミントもある、、、麩菓子や裂きイカみたいなものも、、、そして古い形のガラス瓶に入ったジュース類、その中にはわたしがほぼ毎日飲んでいるドクター・ペッパーもあった。(ちなみに長女も飲んでる)。
その隣には、箱に入った得体の知れない小ぶりな何種類ものパンの自販機、次は調理パンと菓子パンの自販機、缶入りではあるが、おでん、焼き鳥、筑前煮、甘酒、スープ、ラーメン~豚骨・醤油・味噌、ポタージュ、、、(普通の缶ジュース・コーヒーはない)の自販機、さらに続いて、おにぎり、焼きそば、フライポテト、、、の自販機(スパゲティや唐揚げもあったか?、、、)、ホントに食べても大丈夫なのかという気もするのだが、使用後のプラスチックどんぶりがかなり重ねられているところから見て、保健衛生上の問題はこれまでに出ていないように思える。(何かあればきっとニュースにでもなろう?)。味はチャレンジするしかなかろうが、、、。
割とありがちなカップ麺の自販機もあった。

おっと、「機械が大変古い為、品が出て来なかったら、こちらに連絡」と電話番号が走り書きしてあるではないか(爆。
人間の関与と連絡も取れるということで、ちょっと、気楽になった。肉筆なのも気に入った(笑。
実はSFによくある打ち捨てられた文明の跡のような雰囲気もそこはかとなく漂っていたのだが、、、。

そしてアクセサリー、しかしこれは、ディスプレー部分に空きが多く、もしかして何者かに幾つか抜き取られたものか?、、、少し心細くなる自販機もやはりあった、だがわたしにとって極め付きは、その隣のフィギュア自販機である。
全く知らない正体不明のモビルスーツ?が6体も並んでいるのだ!
外箱からすると中身はちょっとキツそう。
どうやら日本のフィギュアとは思えない大雑把な出来具合を想わせる(笑。
(実際日本製ではない感じがする。この自販機がもっとも危なそうに思えてくる)。
500円なので一体だけ買って行こうかと、少し悩む。

家でフィギュア全盛期に100体くらい並んでいたころの光景が思い浮ぶ、、、。
もう随分処分して減らしてきているし、ここでまた増やす分けにもいかない。
(鉄人のみ残して後は処分を考えている今日この頃。ちょっと精度が怪しいし、買うのはやめた)。


一台ずつ自販機をiPhoneで撮って娘に見せようかとも思ったが、例の二人がいるのでやめた。
女の子の方がしきりに「いい匂い、いい匂い」と燥いでいる。
若いカップルは、どうやら珍しい食べ物に触手が動いているようだった。きっとスープ系だ。もしやラーメンか?
それはチャレンジャーだ!
(当然、奢るのは男子だろうな)。
帰ることにしたわたしが傍らを通り過ぎるときに乃木坂女子が「ねっ。面白いでしょ。」という同意をキラキラする目で求めて来た。
取り敢えず「確かに」という表情を返したつもりでいたが、実際は無表情で通り過ぎただけだと思う。


この一角だけ日本ではない気がした。
少なくとも、時間がズレている。
きっと寄り道したからだ。
確かに最近はこんなものも売っているのかという自販機を目にすることは多い。
しかし、見るからにハイテクの近未来的なこじゃれた自販機である。

実際ここで見たモノは大阪あたりならありそうな気はする。
(あそこらへんは、タクシーからして日本ではないし)。

丁度トイレに行きたくなったとき、そこを少し進めば家の先祖の霊園があることが分かった。
これは実際に娘たちを連れて来易い。
トイレに行ったついでに墓参りも出来た。



地図にない場所

アーススキャナーというNHK番組(ここのところ連続)が録画されていたためディスクに移してそれを見ていたら、半分ほどで切れた。丁度、その頃デッキが一杯になって途中で録画出来なくなっていたのだ。
これは、ちょっと惜しい。だから、わたしが観たのは、マココの水上集落と、シーランド公国の途中まで(トホホ、である。

makoko.jpg

上空から見た映像ではしっかり猥雑な風景が映っているのに、地図では真っ白という地帯がナイジェリアの「マココ」という場所だ。
ナイジェリアのラゴスの普通の商店街を歩いていて、道路脇の狭い路地を入ってゆくと急に小さな船着き場があり、そこから岸を離れるとすぐに海上集落へと迷い込む形となる。

水に囲まれて(包まれて)住むというのは、どんな感覚なのだろう。
ゲストに呼ばれた、ボビーオロゴンもここの事は知らなかったそうだ。
いちいちびっくりしていた(笑。彼は彼らから魚を買うだけの立場のヨルバ族ということ。
(しかし、ボビーの話し方、独特の話術は癖になる面白さがある)。

水上に夥しい手作り家屋が柱で組まれて建っており、その間を縫うように沢山の荷物の積まれた小舟が走る。
家には子供たちが燥いでいたり、活き活きした生活臭が漂っている。舟の荷を見ると、それぞれ異なり興味が尽きない。
謂わば、生活に必要な衣食関係のモノは全てその移動マーケットで賄えるようになっているようだ。
何と砂土で埋め立てられた学校まである。小さな校庭が微笑ましい。
総勢で10万人がいるという。
凄い広がりだ。

漁に出る父子、水に潜って泳いで遊ぶ幼い子供たち。
家族の結びつきも親密で一見、楽園的な光景にも見える。
だが、そこにいる住民たちは選択の余地なく、そこに暮らしているのだった。
彼らは漁師であり、魚を採って暮らす以外に術がない。

ナイジェリアのベニスとか司会者は言っていたが、水は濁っていて汚い。上下水道などのインフラなどあるはずもなく、衛生状態は悪い。医療関係も如何にも厳しそうだ。電気も内陸から住民が個々に電線を引いてきている状況である。
ここに住むエグン族は漁労民族で、昔から先祖代々ずっと魚の採れる水域を見つけるとその近辺に移住し漁師として生活を続けて来た。
フランス・イギリスの占領下に入ってから後、その海上に住むこと自体が違法となっている。
過去に政府側から一方的な強制撤去が強行され、建物を壊され住民が放り出されたことがあったという。
それで子供たちを病気でかなり失ったそうだ。

彼らが他の形で漁業が出来るようにする工夫とか、雇用の創出をするなどが同時に図られないと、単に元に戻るだけである。
逞しくまた水上集落は更に膨らみ続けているようだ。


sealand001.jpegsealand002.jpg

北海の南端、イギリス南東部のサフォーク州の10km沖合いに浮かぶ放棄された構造物を領土と主張するシーランド公国である。
かつて海軍の海上要塞で対ドイツ軍のレーダーや高射砲を備えた物騒な海上の建築物であった。
それに住み着いた人々の国で現在187人の国民を抱えているという。
国旗もある。
何とも実に趣味的で大人の秘密基地そのものだ。
見張りも随時独りたてているという(笑。


場所と建造物的にはワクワクするが、国となっていては余り行く気もしない。
法もあり、面倒な人間(上下)関係があれば、陸地から船で40分の謂わば孤絶した海の中に閉ざされた場所である。
わたしは普通の陸地の国家にいた方が気楽でよい、とかまず思った。
しかし、デッキから海と月を眺めてワインなど飲んでみたら、それは不満など薄れてしまうかも、、、。

塩で老朽化(確かに70年経過)しているが、北海の強い風を利用した風力発電や頻繁に降る雨水を濾過した水回りなどは、しっかり設備が整えられていた。地下7階くらいあり、高級ホテル並みのベッドルームもあって、大人の仲間と暮らす趣味の共同生活にはよさそうであったが、何と一番下の方には礼拝堂、首脳陣の会議室、その下には刑務所まであった。
多分ジョークであろうが。

今のシーランド公の父に当たるパディ・ロイ・ベーツという人が、放送法違反で訴えられた「海賊ラジオ」の拠点として占拠したのが発端であったが、イギリス政府が何とかそこを立ち退かせようと裁判に持ち込んだ。しかしその場所がイギリス領海外であったためにイギリス司法の管轄外ということになり決着した。
切手やコイン(メダルか)や金で買える伯爵の爵位(証明書)などを発行(販売)して財源を確保する等なかなかぬかりはない。
現在、世界中から国民となるための問い合わせが相次いでいるという。
世界情勢からみれば、頷けるものである。
(但し、人口から謂ってもうギリギリだと思うが)。


ただの大人の趣味の遊びではなくなっているのかも。
(最初から切実な行為であったことは分かる)。
個人があらゆるものから自由になるための場所として確保されたのだ。
問い合わせをして来る人々にとっても最後の砦的な場所なのかも知れない。


地図にない(認められていない)地帯、というロマンチックでアナーキーな場所であるが、実際に住むとなれば、どうなのだろうか。
インフラも含めて、不自由を感じ出したら厳しい現実の方が頭を擡げるように思われる。

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ルナティクス

moonbow.jpg

夜空に雲が垂れ込め、月が見えないことが多かった。
どうもじめついた日が続き、娘と外で遊ぶのも憚れる。
傘を差して歩くというなら、これまでもピアノや買い物の行き帰りにあるが、ただ散策と言うのは動機から言って設定が難しい。
雨の中の散歩に適した場所も今ひとつ。

それにしても雨が多すぎるのだ、、、。

どうせ雨が降るのなら、雨のしずくが月の光を反射したときに作られるという「月虹」(げっこう)を観たい。
いつか、、、絶妙な条件下で、運が良ければ、、、。
月にかかる虹を観てみたい。
死ぬほど美しいという月の虹~moonbow。

moonbow003.jpg

写真で観ただけでもうっとりする。
「ゆらぎ」を光で観たらまさにこんな感じか。

moonbow002.jpg

~moonbow


美しいものを観るには、やはりひとところにいては、物理的に観れないこともある。
これは確かで、NHKの「プラネットアース」など時折見ても、それは感じる。
しかしタイミングは難しい、、、。
そう遠くないうちに行こうと思っていた「九寨溝」はどうなっただろう。
あの翡翠のような「火花海」は、、、地震で決壊して水が流失してしまったことがニュースで伝えられたが。
これも水と光による究極の「ゆらぎ」の美である。

美は儚さと常に同居している。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


今日は、はっきり言って暑い。
朝、外に出しておいたカメを入れた予備の水槽の水が風呂より暑くなっていた。
カメが暴れているはずだ。

晴れの取り得は洗濯物がよく乾くことと、夜までそのままなら、月が観えること。

今日の月齢は22.4、、、下弦の月(月相21)、、、三日月に近づいてゆく。
これもよい。

ちなみに、上弦の月(月相7)は28日。


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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