PICKUP
ザ・ミスト
末期の目
美しき冒険旅行
レヴェナント: 蘇えりし者
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
シャイン
トイレのピエタ
カッシーニ グランドフィナーレ
ゴッド ファーザー
それでも恋するバルセロナ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
魔術師
ブラック・スワン Black Swan
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
LUCY ルーシー
ミツバチのささやき
娘ふたりと女子美へ☆彡
父 パードレ・パドローネ
写真についてーⅡ
去年マリエンバートで
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

忙しい一日の終わりに

time.jpg

忙しいと思うのと時間がないと感じることは、ほぼ同じである。

われわれが日々行う作業は何であれ、常に時間に追いまくられ、時間を気にして行う(関わる)ものである。
基本、時計時間の呪縛から離れられない。
人間的な、余りに人間的な日常にいる。

意識から解かれ茫漠とした世界にたゆたっている場所には、はっきりした時間は存在しない。
例えば夢のなかでは。
時間を気にする夢は見たことがない。

基本、時間は人の環界への身体性の関わりが、産む。
何らかの関りを意識したと同時に自己という引き剥がされ~超脱してしまった身体性が時間という振る舞いを要請する。
それが記述され時間として外在化されて、生活空間、いや宇宙空間を測る目盛りとなる。
源意識~前言語的には、生命としての膜構造の生成により、自然の流れからの遅延を始めた時点で、源時間性は自然から立ち上がり始めたと思われる。

環界から切り離された抽象的存在=人間とは、意識であろうが、やはり身体性=無意識も生命体としての乖離ははっきり自覚しているはず。
そう、生命としての必然が時間を分泌始めたと謂ってよいか。
エントロピーに逆らう身体性を意識し死~終末に向けての確認・自覚の目盛り~形式として産んだものが時間である。
われわれは、宇宙を考える時、必ず起源から終末までの時間について考えを巡らす。
われわれは何からも切り離された超越的存在として、常に自らの死~自然の流れ~全体性を意識している。

ここで例えビッグバンが変化のひとつの過程に過ぎず、それが何度でも循環(又は円環構造)的に起きていると仮定しても、生きて=乖離・超脱して死ぬ・一様になることに変わりはない。

そのことを絶えず心配する時間的な存在(存在形式)こそ実存であろう。


とりあえず、寝る前の一時の反省として。




ストロベリームーン

StrawberryMoon001.jpg

ストロベリームーンをわたしだけ、観る。
もう天体望遠鏡は処分してしまったので(残。
二階のベランダから双眼鏡で観ただけ。
一眼レフも今は無い為、敢えて写真は撮らない。

確かに赤い月だ。
暫く見呆ける、、、。

呼んでも一向に、遊び(ゼルダの伝説の任天堂スウィッチ)に夢中の娘たちは上がってこない。
ちなみに、ゼルダの伝説は、攻略本も熱心に見ながら、恐ろしい熱中ぶりだ。
(一日30分と取り決めしたが、恐らく胡麻化されている)。
諦めて、わたしは他のことをやっていると、かなり経って娘たちがやってきた。

だが、もうその時は雲に遮られていた。
全く月は見えない、、、。
あれは、ほんの一瞬のチャンスだったのか?
やはりチャンスは待ってはくれないのだ。
観るべき時に観るのだ!
あの時、願い事でもしておけばよかったか。
しかし、観るだけで良いことがあるそうな~。

月の高度が低いことで、月は赤みを帯びる。
その赤みは、、、神秘性を確かに纏う。
甘酸っぱく、美味しそうでも、あった。
やはり、”ストロベリームーン”だ。


これを観ると、幸せになるそうだ。恋の期も熟すらしい、、、。
いいねえ。
我が家では、このわたしだけが、その恩寵に預かることとなった。

いい気味~。

StrawberryMoon002.jpg



夜の公園

yozora.jpg

長女と一緒に夜の公園を散策した。
かなり暗いのだ。
木漏れ日の路も薄っすらと仄かに光る夜空のお陰で辛うじて歩ける。
でも、いつも以上のペースで歩く。
何故って、夜だからだ。

メタセコイヤの路は、白い花の明かりを頼って進む。
そこかしこで、幾種類もの花弁が浮き立ち、昼間では見えない地図を描いている。
娘もわたしも、夜になると花弁がこんなに明るいことを知った。
花たちはこんな時に自ら光を零し、活き活きしているのだ。

ただ雲も怪しく艶やかな彩雲ではなく、濃い灰色のどんよりと重々しい。
何かが起きるという、清々しい胸騒ぎはなかった。


暫く歩くと、高台の方から賑やかで快活な声が零れてくるのに気づく。
顔を見合わせ、誰かいるの?
高校生くらいの声だね、、、。

そのまま進んでゆくと、人だかりの影が見える。
まさに高校生たちが3つのグループに分かれて、燥いでいた、
それぞれで輪を作り創作ダンスの打ち合わせと、練習をしているようだった。
確かに、ここは公園の中で最も高い場所で、照明も多く明かりも充分な場所だ。
こんな場所で、集まって踊るなんて、昼間では味わえない快感だろう。

ただ横切って行くだけでも、長女は楽しそうにしていた。
時折、全員で揃って踊る。
そのシンクロする姿は夜空に向けて生命力を誇示する花のようだった。
ひとは昔から、夜によく踊るものだ。
夜皆で踊るって、かなり根深いプログラムなんだ。


長女はここのところ、学校が嫌だと言って行きたがらない。
その分、わたしとの夜のお散歩が増えている、、、
どうしたものだろう。


曇天で、月が見えない、、、。

更新 Ⅱ

paso2.gif

何か更新する際は、時間をしっかり確保し、ゆとりをもって慌てずに行いたい。
忙しく集中できないときは次の日に回した方が、早道だったりして、、、。


1.しっかり完全シャットダウン

今更、書くまでもないが、とりあえず、、、。前回急いでいて書かなかっとこともあり、、、。

1)オンオフ~Shift押しながら再起動~PCの電源を切る。
2)設定~更新とセキュリティ~回復~今すぐ再起動する~PCの電源を切る。

どちらかのパタンで、切れるが1)の方が手軽か。
「Shift押しながら再起動」で覚えてしまえば、とっても楽である。
これはかなり肝心で、管理者権限でとか、うまくインストール(アンインストール)が効かないなどという際に、一度完全終了してから試すと上手くゆく。
(実は、iTunesを初期化後に再インストールする際に、すんなり行かず完全終了かけた後に右クリック管理者権限でインストールではじめてインストールが可能であった。)完全シャットダウンは、何かあったらとりあえずやってみる価値はある。


2.OSの再インストール

わたしは、クリーンな初期化をして暫しスッキリした気分を味わうも、メーカーバンドルソフトのブルーレイ再生及び書き込みソフトの関係もあり、パソコンのDドライブ(パーティション)経由でメーカー独自初期設定をし直すべく、サポートボタンから再度初期化を図ったのだった。
勿論、終了ではなく完全シャットダウンの後である。
時間は一定時間どうしてもかかるが、すんなり買った時を思い出すディスクトップとなっていた。
(あ~あ、またこれかよ、、、というものだが何故か懐かしくもある、、、使わないもの盛沢山)。
しかしクリアすべきメンドクサイ問題がひとつ立ちふさがっていた(笑。
わたしのノートは工場出荷時に戻すとWin8.1になってしまうのだ(爆。
まだ8.1の時に買ったパソコンだからあたり目のことだが、やはり愕然とする。
その後、10が出たところで直ぐにアップグレードして使っていた。
当然、そちらで馴染んでいるため、更に少しでも長くOSを使うため10に戻そうと思ったが、ここで気づいた。

10への無料アップグレード期間はすでに終わっているではないか(驚!!
一瞬、クラっとした。
最近わたしは情報弱者なもので、そういう方向にアンテナが伸びていないのだ。
だが、ちょいと調べてみると、一度アップグレードしたことのある端末であれば、戻せると理解できる文面であった。
早速、マイクロソフト・アンサーディスクに☎である。
最近は、どこのサポートも一律によい対応である。昔はとんでもない対応もあったものだが、、、。

初期化しても残っている以前の更新時のkeyか向こうで持っているlogでそれは直ぐに判明するはずだ。
早速、ダウンロードできるページのURLを教わり、そこから時間をかけてダウンロード。
これが結構時間がかかるため、途中で何かあったらまた連絡してくださいといったところで、受付番号を出されてサポートとは、さよならとなる。また何かあったらその番号言ってということだが、データーさえ貰えばこっちのもんである。

ファイルはISOファイルでダウンロードされる。
実行かDVDに書き込むかという選択では、迷わず書き込みにする。
また何かあったとき面倒は御免だ。
(マウントしてそのままインストールできますよとは言われたがメディアで分離して持っていた方が心強い)。
コピー後DVDからセットアップ~アップデートのインストール。
更新プログラムのチェックをしないにすれば早く終わるとはサポートの人に言われたが、後からWinアップデートからするのは忘れそうだし、同時にした方がスムーズに進むと推奨の文面もあったので、更新ファイルを見つけインストールしながら進めることとなった。時間はかなりかかるも、クルクル矢印が回っている間に、通院して薬も貰えたので、特に時間を潰した感覚はない。ついでに血液検査と尿検査もしてきてしまったではないか、、、。(別に時間を有効にと言う話にはなっていないと思うが、、、)。

ということで、エヴァノートとドロップボックスとリネーマー、エディターあたりをインストールすれば、使い始められることになった。
わたしの場合は、”mitaka”も。星はいつでも見たい。
おお、アンチウイルスソフトは大切だ。
これから少しずつ余計なメーカー・ユーティリティーを外し、極力増やさないようにしてゆきたい。
最近は全くハードな仕事はしていないため、画像・動画編集関係のソフトは、頃合いをみてからにしよう。


リナックス関係については、また後日にでも、、、。





更新

paso001.jpg

今、我が家の流行はスリム化である(笑。
出来る限り小さくして、使わないものを処分する。


1.iPhoneの更新

つい先ごろ(1週間前)、ようやくiPhoneを7に更新した。
スリム化を図り、64Gから32Gに落とし、バックアップからすんなりiTunesでこれまでのように再現できずにちょっと戸惑ったがApplestoreをタップしてこれまで買った(ダウンロードした)多数のアプリから必要なものだけインストールした。
かなりコンパクトに収まった。

いままでは、ともかく何でも更に大きく、多くで、来てしまっていたのだ。
でも6plusの画面の大きさは、表示スピードとバッテリーを犠牲にしていた。
謂わば機能性を蔑ろにして無駄な大きさを確保していた。
結果、丁度良く収まるポケットがなく、これまでの歴代iPhoneの中で唯一、落としてパネルに罅を入れてしまった。
それからは、そのガジェットに対する愛着も失せてしまったものだ。
バッグに入れると取り出すのに面倒だし、、、女性用のハンドバッグならよいかも知れぬが、、、羨ましく思った。


2..パソコンOS初期化

古くなってOS自体もうそろそろネットにも繋げなくなるVISTAのノートをリナックス系OSでつかうことにした。
ついでにメインで使っているマシンも初期化した。

しかし、現在大失敗状態なのだ。
OSの初期化を何を思ったか、通常のマイクロソフトの初期化でしてしまったのだ。
設定~更新とセキュリティ~回復から、、、
ずっと長いこと特に初期化もせず(システムに影響を与えるほどの大仕事など一切せず)、やってきたためか、初期化の何たるか忘れていたところもある。
かつて画像処理にばかり注力していたころは、少し変調が見られると、即初期化をしていた。まさにその時の気分だ。
だが、その当時は、特にMacもWinもメーカー特有のアプリケーションを付属させていなかったため、初期化(修復用)ブートCDから簡単に初期化できていたし、問題も一切なかった。
今回、とてもウザく思っていたメーカーのユーティリティたちをを亡き者にしたいという無意識も働き、ついうっかり全面的な普通のショップパソコン並みにしてしまった。直後はスッキリしていて気持ち良かったのだが、、、。
そう、初期化用ブートCDがついてこないのは、ちょっと困るのだ。特にメーカー特有のお飾り付きOSで、しかもブルーレイの再生及び書き込みソフトバンドルものである場合、OSのクリーンインストールではどうにもならないではないか。
しかもテンキーもデフォルトでは使えない状態であった。
直ぐに完全に電源を落とすことが必要となった。(これ、「完全に電源を落とす」が肝心なポイントのひとつである)。
うっかりしていた。

このノートには、サポートボタンというのがあって、シャットダウン後に押せばリカバリーメニューが現れるということで、やってみたが、通常のシャットダウンではなく完全に電源を切る方であったかと後で思いあたった。
これについては、明日改めて確認してみたい。
普通のシャットダウンでは、サポートボタンを押しても、ただいつも通り起動するだけであり、それで余計にうざっと来たのであった。
しまった。である。
ともかく、無意識にやりすぎた、、、。

それにこれから先が大変である。
データだけ選別してバックアップしているが、アプリケーション、ユーティリティの移行(設定含み)などは全く考えていないでやった。
盛りだくさん環境にうんざりしたので、必要性を感じたときにはじめて一つずつ入れていくことにしたのだ。
いずれにせよ、これまで通りに使えるようになるまで、少々かかりそうだ(苦。


3.OSのチェンジ

もう、ネットにも繋げるのが不安なVISTAノートをリナックスで動かす気になった。
以前、MacをMacOSとLinux(レッドハット系)とBeOSのトリプルブートにして切り替えつつ動かしていた。
大分前のことで、MacのOSがまだ、8~9代のころである。Xの出る前、というよりXではそんな遊びは出来ない。
その頃の楽しさを思い出して、Ubuntuを入れてみようかと思ったのだが、上記の失敗もあり慎重になっている。
ISOイメージをダウンロードしてCDに書き込み、CDからクリーンインストールするか、仮想ハードディスクを作り仮想OSとしてまず様子を見ようか、、、つまりベースOSをとりあえず残しておくか、、、このノートはアプリケーション環境は何も移してはいないのだ。
ろくなものは入っていないと思っていてもあまりに無意識に使っていて、あることを忘れているソフト、またそういうものに限ってその製品にバンドルされた特別なソフトであったりもする。*2でのように。
しかしもうVISTA主体では動かせないのと、Ubuntuなら仮想環境でも問題なく動くのではないかと思うので、とりあえずやってみようかと思う。
GUIが気に入ったら全面的に切り替えたい。


きょうは、娘の遊びの付き合いと、女子美で作品鑑賞、それに「これ」という大忙しで、今書いているのもサードノートであまり設定やインストールをしていない、乃木坂宣伝のマウスノートから書いている。(だが、うちで一番高い処理速度と良いグラボを持ってはいる)。今後もこのパソコンには、極力余計なものは入れないようにして使ってゆきたい。

満月

moon.jpg

何かで観たが、、、読んだのか、、、忘れたが、満月の日に願い事はしない方が良いらしい。
願い事は新月の際にすると良く、満月の時はもう終わりにしたいこと、手放したいことを解放すれば良いらしい。
具体的には、それらの項目を紙に書き、破り捨てる。
これ、とっても感覚的にもしっくり来る。
思い出したのでやってみた。
みんなわたしの場合、人である。
さよなら~。

そして次のステージへ、、、。
この物謂、、、スピリチュアル系だ。
そうだその手の本で見たのだ、、、。
最近全く読んでいなかったから忘れていた。

捨てるものは、モノばかりでなく、関係も捨てなければならない!
大いに捨てたい。
何故か、スッキリした(爆。

そして何でもカラにして置くと良い気が入り込んでくる。
それは、とても分かる気がするものだ。
ずっと、何やら昔の物が詰め込まれたままの鞄など、何か悪霊が棲み込んでいるような気がしてくることがある。
財布とか鞄を一晩カラで寝かせておくのが良いとあったはず。
手元に本がないので、あと何が書いてあったか定かではないが、これはやってみて良いと思われる。

では、新月の時は、、、ついでに。
願い事に適しているのと、この日から何か新しい事を始めるのが良いらしい。


夜空を見上げ月の満ち欠けを確かめる行為は、、、
要するに、始めたり終えたり(解放したり)の「サイクル」を実感する契機だと思われる。
この「サイクル」の感覚こそが身体の健康にとって、肝心なのだ。

貯めたり、溜まってしまったり、空っぽにしたり、解放したり、、、。



夜風

moon04.jpg

何も手につかず、ボウっとするばかり、、、という時は夜風に当たりたい。

今日は、娘たちはバーバと一日中、お出かけであった。
その為か、ずっと開店休業状態で、思考も停止していた。
こんなときに、村上春樹を読むと目覚めるはずなのだが、、、。
もう少し冴えた時に読みたい。


今朝、亀の水替えをした後、すぐに書庫の前に作った小さな畑を耕してみた。
(元々、娘たち用に、、、情操教育ではないが(笑、何か植えて育てさせたくて場所を設けたものだ)。
ただ、体を動かしてみたい、というだけの欲求からやったことに過ぎないのだが、畝(うね)が出来てみるとと、畑という気がしてくる(爆。
何か植えてもみたい。野菜を、、。
その奥には、昨日行った空き地(今日アップした「緑の幻想 ~ サワガニ」は昨日書いたものである)に綺麗な紫の花を咲かせていた杜若が湿地でもないのにそこそこ群生している(笑。でもウチでは花を咲かせないのだ。湿地でないからだろうか、、、。


から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
たびをしぞ思ふ

(在原業平)
杜若はよい。
花よ咲け、、、。
明日から水を多めに蒔いてみようか、、、。


その手前の作ったばかりの畝を夜になって見たくなった。
兎も角、ぼんやりして何かする気になれないのだ。
夜風に当たれば、吹っ切れる。
そんな気がしてくるのだ、、、。

何かする気になれないのは、足りないのではなく、過剰だからだ。
いらないものが詰まり過ぎていて、すっきりしない、という恐るべき単純な原理による。
そういうことにしておく(爆!

ヒトは中空構造である。
中を風が吹かないと調子が悪くなる。
きっとそうだ。

外に出よう。
夜気の中に。
月の元へ、、、。




緑の幻想 ~ サワガニ

sawagani.jpg

娘たちとよく行く近くのスポーツ公園に車でふらっと行った。
この連休は、わざと何も計画は入れていない。
その日の気分で何かやることにしている。
今日は和みたいのだ、、、亀と暫く庭で遊んでから次女のリクエストで決めた。

やはり丈高い緑に囲まれると、光と風が違う。
しかし矢庭に、女の子たちの応援の声がひしめき、熱気が押し寄せてくる。
どうやらいつもの4,5倍の人は集まっている雰囲気で、スポーツ大会が盛大に3つも行われているではないか。
水泳大会。テニス大会(県中学校大会)。野球、、、と。
関係者、出場者の家族親戚、友人なども、、、集まっているはず。

普段はまずない光景である。
この5月連休を当て込んだ大会・行事であろう。
行事といえば、恒例の運動会が5月にある。いつも春先、初夏までは忙しない。
次女はここ2週間毎日朝練と称して走りはじめており、わたしは並走役である。6時起き、、、。
前回2位であったため、今回は狙っているという。
相手次第だとは思うが、、、。
運動会が終われば次がちょっと大変である。
7月にふたりのピアノ発表会、同じく7月に長女の国際交流絵画展入賞の授賞式がある。

ピアノは、ちょっとテコ入れが必要な時期になっている。
何とか刺激してやる気を出させたいところだ。
中弛みを感じるようになった。少しずつ難しくなっていることもあり、練習に入るまでが億劫のようだ。

絵画展の方は2万5千人規模の微妙な公募であり、式は日本の他アメリカ、カナダやベトナムなど外国の子たち5人くらいと一緒にやるらしい。
同伴する親は一名であるため、わたしは当日は行かないで次女とデニーズに行くことになっている(爆。
その後、全国14会場を回って展示されるので、その時に他の作品も含め観てみたい。
長女は「亀と自分」を水彩絵具とクレヨンではみ出すような構図で描いていた。
作品が戻らないのが、ちょっと残念だがそういうものだ。
(ちなみに次女はとても精確で説明的な「亀」の絵を描いており、面白みは当然なかったはずである(笑)。
双子だがタイプは正反対であり、日常生活においては足して二で割るとちょうど良いと感じることは少なくない。

暫く彼女らの得意業の土手登りをして遊んでから、少し離れたスーパーでオムライスなどを食べる。
近くに店はコンビニと31アイスくらいしかなく、レストランはちょっと先で行くのも億劫。
開店休業中に見えるおにぎり屋とラーメン屋があった。何故か異様に凝った建物の和菓子屋があったが今は用はない。
始めて来たスーパーでお昼にした。
必ずスーパーには電子レンジで温めた冷凍食品が食べられるコーナーがある。公園遊びのときは、これにはまりつつある。

そして今日はそのまま帰らず、車の激しい公園沿いの坂道にある細い脇道の探検に行くことにした。
以前、娘が生まれる前に夫婦で探検に行った場所なのだ(笑。
(そう話すとふたりともかなり興味を示した)。
今もまだあるか宅地にされマンションでも建っているか心配でもあったが、行ってみるとそこは地域の歴史的な価値もあり保存されている場所で、何も変わっていない様子であった。
道祖神もあり鏡の池(干上がっていた)とか川、三つの古くからの伝承にちなんだ場所や碑が残されているところなのだ。
花火の見物台もあるが、鬱蒼と生えた草に取り巻かれ眺望は恐らくよくない。
兎も角、ここは何があっても開発はされない場所だと確認した。
住宅街の車の交通の激しい地域のほんのその脇に、とんでもなく質の異なる(緑の)森の空間が存在する。
彼女らにとって、まさしくドラえもん的異世界への旅空間の入口となった、、、。

まず、非常に眩しく晴れた日なのにそこは緑で薄暗い。
入口からすると思いのほか広く開けた、奥行のある空間が広がっている。
そして下の土が異様に綺麗なのだ。木製のステップにしろ汚れが見当たらない。
放っておけば、空き地には草が生えてくる為、誰かによって密かに管理されていることが想像された。
緑の深く静か過ぎる光が、少しばかり異物の潜む不安感を醸す。
ワーッと走り回って遊ぶような感覚は生じてこない。
連休でどこも人がひしめいているのに、われわれの他はひとっこひとりいないのも気味が悪い。

彼女らはすぐに気づいていたが、広い空間の何処かに絶えず水の流れてゆく音がする。
キョロキョロと川をあたりに探すが見つからない。
鳥の鳴き声も絶えないが、そう言えば鳥も何処にいるのか分からない。
階段で降ってゆく脇道もあり、奥に進めば、隣の街というより異界に通じる結界がその先に控えている、、、。
そんな場所である。

まず、奥に進むことにした。階段はもう疲れていてしんどいからだ。
向かう先は緑の光で煙っているように見えた。
何かあるという予感通り、元湿地帯を想わせる場所に掛かった木の橋を抜け、晴れ渡る表に出たら、そこは道祖神の並ぶとても古い空気の充満した町であった。

もう10年も前のことだが、この風景を思い出した。
そこの碑に伝承で有名な姫の名と、3つの土地の境目である道しるべが立っている。
如何にも堺という磁場を感じる場所なのだ。
そして道脇には、防空壕?のような横穴が二つポッカリと空いていた。
ここまでの道すがら、心地よいとか和むというより、どこか感覚が泡立つ禍々しい感じが終始付き纏っていたのだが、、、。
この穴に象徴される何処かに何かこの世ならざるモノが潜んでいるような感触なのだ。
(木の根元にも大きな穴があり、地面にも多きなもぐらが出入り出来そうな穴がポッカリ空いていた)。

整備されていながらも、そこから 零れ出す名状しがたい何かを感じてしまうのだった。
長女が疲れたを連発し始めたが、昔サワガニもいた池と川を見せたくて、また戻って木の階段を降って行った。
川は一般的な住宅の並ぶ裏側を流れている何ということもない川で、昔わたしの同級生がもっと沖だがその川の氾濫でバイクごと流されたこともある。この川が氾濫するとは、感慨深い。
丈夫で無遅刻無欠席の彼が、一日無断で休んだあくる日、豪雨でバイクごと流されて学校に来れなかったとみんなに打ち明けた。
ちょっと間をおいて、教室は大爆笑となったものだ。わたしも涙が出るほど腹を抱えて笑いこけたことは、今でも覚えている。

生憎、以前ちびまるこちゃんに出てくる山田みたいな少年が瓶に入れたサワガニを見せてくれた鏡の池はほぼ、干上がっていた。
そういう時期なのだろう。鮠もいなかった。(一番深いところで4センチくらいの水で、20センチ四方しか水が張っていない(笑)。
ふたりはそれにはガックリしていた。
その為にスーパーで買った水の空ボトルを持ってきていたのだった。
おうちで鮠飼っていいよねと何度も念を押していたのだが。

川にも何もいないことを確認すると、確かによく遊んで歩いたこともあるが、疲れたを繰り返しながら車にやっとたどり着いた。


わたしにとっては、一度行っておきたかった場所でもあったため、子供と来れたことは、良かった。
明日は出来たら美術館にでも連れて行きたい。


カッシーニ グランドフィナーレ

Cassini Grand Finale001

NASA(アメリカ航空宇宙局)とESA(欧州宇宙機関)の共同開発によって1997年に打上げられた土星探査機カッシーニ
当時、34億米ドルを使って送り出された。(これ以降、かけられる費用はどんどん減ってゆく)。
太陽電池ではなく原子力電池で運航、作動。(太陽光が僅かなため)。
ついに燃料もなくなり、いよいよ最期のミッションに入る。
時折、気になりNASAのHPを覗いていたものだが、、、。
まりのるうにいの絵でもお馴染みの土星である。
稲垣足穂の短編ではヒトでもある。
(輪っかをバーの入口に置いておいたら誰かに盗まれたとか、、、)。
ここでは、その土星専門機カッシーニ(パイオニアやボイジャーは通りすがりの探査)の噺を少しばかり、、、。

Cassini001.png
金星→金星→地球→木星の順に重力フライバイして土星に到達。
これが使える条件(並び)が600年に一度のチャンスであったという。
その後、搭載していた惑星探査機ホイヘンス・プローブをタイタンに着陸させ大気の組成・風速・気温・気圧の観測を行った。
カッシーニ=ホイヘンスのやったこと、、、。

○ホイヘンスプローブのタイタンへの着陸。
衛星エンケラドゥスの氷の噴煙の吹き上げを観測。
○土星のリングが30以上あり、自転速度もそれぞれ異なる活発で動的なものであることを発見。
○今もリングのなかから衛星が形成されている。現在62個の衛星が発見されている。
○タイタンが地球の他に唯一降雨があり、川、湖、海を持つことを発見。
○ただし、タイタンのメタンは生物由来ではないことも確認。
○2010-2011年の土星の北側で起きた大規模な嵐を調査。
○土星からの電波パターンは、土星内部の回転には拘束性がないことを確認。
○リングの垂直構造~捻じれ(外側の2本のリング)を明らかにする画像を初めて取得。
○環と環の隙間に存在し環の崩壊を防ぐ役割の衛星ダフニス(他4つ)の発見。
○衛星イアペトゥス表面で30カ所もの巨大な地滑り跡を発見。(大きさ比で表面地形の高低差が最も激しい)。
○土星両極の巨大なハリケーンを発見。
○北極の6角形の様子をカラー撮影。ジェット気流下の風に押されることで幾何学模様が形成され崩れないことが解明される。
Cassini Grand Finale003
環の間の衛星。
HEXAGON.jpg
ヘキサゴン。(モノクロ)
Cassini Grand Finale002
天然色の環。AとBリング。

そして、「グランド・フィナーレ」
土星本体と環との間へ飛び込み、通り過ぎる軌道を22回繰り返す!
さぞや荘厳なヴィジョン~「末期の目」であろう。

これまでに、2004年に土星に到着してから127回、衛星「タイタン」をフライバイし探査してきた。
4/22に最期のフライバイを行い、4/26から「グランド・フィナーレ」に入った。

この間、磁気と重力の精巧なマッピングと上層大気の接写を行う。
土星最近傍からカッシーニが見るはずの景色を夢に見たい。
9/15に土星大気圏に突入し流星のように燃え尽き、13年にわたる土星探査を終了する、、、。


今ほとんど宇宙の探査といえば、地球外生命の探査とも言える状況となっているが、、、。
例えば、タイタンの低温の炭化水素の湖に生命の可能性を探るとすれば、地球とは異なる化学の系を必要とすることになる。
生命の系という観点から見れば、太陽系に独立した起源を持つ2例目の生命が存在する探査を意味しよう。

Cassini-Huygens.jpg

末期の目

Michelangelo Pieta003

>美は緊張のなかにこそ
>拡張され
>鮮烈に受容される


かつてアンドレ・ブルトンは「美は痙攣的である」と述べていた。
まさにそれを想わせる。

緊張。のなかにこそ。拡張され鮮烈に受容される
これはアルタードステイツとも謂えよう。

わたしも「ことば失う」体験として、いまでも記憶に残るものがある。
音楽であるが、、、。
気がついたら鳴っていたものだ。
たちどころにアルタードステイツの状態に入っていた。

その体験は、不安と恍惚に全身の神経がざわめき立つものであった。
ゆったりした全能感と一体感とともに際どくスリリングな極彩色の想いに揺蕩う。
しかしいつまでもその状態には耐え切れない。
頭を巡らしその曲名~ことばを思い出す。
すると嘘のように眼前を七色に輝き煌く波模様を見せていた大河が消え失せてしまう。
色を失った現実が後に残骸となって残る。

そんな体験がこれまでに幾度かあった。
少なくともロックで2回、クラシックでも2回はあった。
しかし、かなり若い頃のことである。

つい先ごろ、亡くなったアラン・ホールズワースの名状しがたい複雑で柔らかな浮遊感をもったギターの音色にそれがあった(事後的に)。
その時は、何の誰の音か全く判別(命名)できず、とても危うい精神状態で身を任せた。
受容体としての自分という枠ギリギリまで薄くなったところでの感受は、その感動もあり得ないレベルに拡張していたことは確かである。
(それにしてもまた、天才と呼ばれる音楽家・演奏家が世を去ってしまった。ここのところ本当に相次ぐ)。
*フランクザッパがもっとも評価していた音楽家であり革命的なギタリストであった。

彼の曲をユーチューブでも聴き直してみたが、自身のソロアルバムより寧ろ他のアーティスト(グループ)のなかでのアンサンブルに、一際彼らしい、言葉の追いつかない美を垣間見た。
まるで人と違う誰にも似ていない奏法とフレーズも特徴である。
そのサウンドは、どこまでも上昇し昇華し溶け入ってゆく、、、。(とくにソフト・マシーン、ゴングがよかった)。
老いてからも円熟味が全てをカヴァーしていた。

それに近い以降の音楽体験は、わたしの日々更新する世界観の造形の方向性を、決定つけたことは確実であった。


そして、、、
今に舞い戻ると、、、。
音楽は余り聴かなくなっており、絵画や小説にもほとんど触れているとは言えない。


>掛軸や、彫刻
>其処に息衝く陽光、幽光。

川端康成の生活環境は、国宝級の調度品で設えられていたと、、、!。

>美とは、日々の生活に根付いてこその
>美なのかもしれません。


全くその通りで、わたしは日々、美が足りないという念を慢性的に持って生きている。
と言うよりそんな病にある。
「美」が足りないのだ。
もっと「美」を!これはまさに「もっと光を!」である。
人間存在は過剰を求める原理をもつが、過剰と欠如は表裏一体で欲動の発現を促す。

国宝級の調度品まで欲しいとは言わぬが、、、。
(鉄人の稀少フィギュアなら持っているが(笑)。
最近、何やら感動から遠のいた場所にいる。
受容体としてのこちらの問題~劣化が次第に大きくなっていることに気づく。
今現在のわたしの抱える最大の課題だ。

美に向かう欲動はとりもなおさず生命力~志向力を源泉とする。
きっかけは、亀の水槽で屈折して投影する虹であっても良い。
それを受け取る生命力の瑞々しさ(鮮度)が、いよいよ問題となってきているように感じる、、、。


死を意識した瑞々しく鋭利な眼と、ただ死に漸近的に近づく身体性にある衰えた眼とでは、、、。
何とか成らぬものか、、、。



          (全て引用は「エストリルのクリスマスローズ」より)


ノートパソコンのキータッチ インターフェイスの恍惚

sakura005.jpg

以前、わたしは14台ほぼ同時に家でパソコンを稼働させていた時期がある。
サーバーも入れてだが、、、。
それぞれ役割が違うのだ。名前も違うが、、、。
ディスクトップのタワー型に独立して接続しているキーボードのキータッチはストロークが長く深い確実な入力感の恍惚を味わうことが出来る。構造はラバードームでキートップを支えるものでメンブレンと呼ばれるものだ。
一方ノートは、パンタグラフ方式のため、軽くて浅いキータッチである。キーの中心を叩かなくても垂直に力を伝える。
だが、わたしはこのノートのキータッチには、これはこれで良いと思うものと、どうにも心もとなくチープで悲しくなってしまうものがある。

実はパソコンに期待するものは仕事に合ったスペック等いろいろあるのだが、全般においてキータッチが思いのほか大きい。
昨日、修理からかえり、交換部品はメモリーであった。16GB(8GB×2)積んでいるが、これがいかれていたらしい。
まだ正常に動くかどうかはあす試してみるつもりだ。メモリー不具合は結構あることだ。
ブルーレイ映画2時間強のものをドライブがしっかり再生しきれれば、取り敢えず問題ないとする。
いつも再生が終わってからは、キーボードのフル活動という番になる。
戻ってきたノートのキータッチというのが、実にふにゃふにゃ感が強い。
タッチしてゆく感覚が心もとない。
それはそこで~パソコン上で書く事柄にも何となく現れてしまう。

パソコンというと、基本スペックを文字記号の上で調べて購入を決めてしまうことが多い。
あまり実際に店頭でキーを打った感触で決めて買ってくることは少ない。
だが家に持ってきて実際に使うときは、もうキーを打ちまくる以外にないのだ。
例え問題症状が治っていたとしても、チャッチイキーの感触にどことない情けなさを感じ続けるのだろう。
この文はそのパソコンから今打っているところ。

昨夜心配したルーター繋げは問題なく済んだ。
今後も軽めでも3Dの制作はせずに3Dを動かす程度のことは、やるはずだ。
いざ作るとなるとアプリケーションはグラボを選ぶ。
まず、DirectX系ではなくOpenGL系となるし、MAYAをやるならGforceでなくELZAを選ぶことになる。
そこまではやらない。わたしは寧ろ動画を滑らかに再生するための動画再生支援機能のあるグラボ(今は普通についている)が大切だ。今回のトラブルもノートでブルーレイのタイトルを見ている最中におっこちたのだ。そして再起動戻ったらまた最初、では一向に先に進まない。これは致命的でどうにもならない。初期化程度でなんとかなるものではなかった。
だが、そんなことを色々しながらもキーは打ち続けているのだ。
このキータッチはインターフェイスの基本中の基本要素である。
疎かにできないものだ。
今回、スペックだけでノートパソコンを選んでしまい、その部分が考慮に入れていなかった。


何かを決める~押すときのその意思に対する外界~対象の抵抗の心地よさ、、、
これが大切で基本である。


sakura.jpg

朝から雨で桜が心もとない。
今は真っ暗で花びらも見えない。
冷たい。花冷えであろうか。風はふいているのか、、、

風邪を引き込みなかなか治れない。
時折、起きてはパソコンを打つ。
わたしにとってパソコンに向かうのがもっとも自然な姿勢なのだ。
外の雨も冷たさもさくらの花弁の舞い散り具合もわからない
キーを打つ不確かな音だけが夜気に、夜の明かりに、響く。

特に調子が悪くなく、やることもないときは、平均12時間はパソコンの前にいる。
以前は、パソコンは音~音楽を作ったり、3Dや動画を制作するためのツールとして使っていた。
だが最近は、ネットで調べ物をしたり、ブログを書いたりし、時折うたたねをする以外に使うことはなくなってきた。
だから、昔のようにハイエンドパソコンをなにも購入する必然性はなくなった。
特にわたしは3Dゲームはしない。グラボは外付けすることはない。
よく映画を見るため動画再生支援機能はあれば、とてもよい。

ブルーレイを見ている途中で落ちてしまっては、どうにもならない。
今日それで直しに出したノートが帰ってきた。
余りの疲労と睡魔のため、セットはできない。
特にルーターのパスワードを失念している。そこから先には進めまい、、、。
睡眠導入剤を30分前に飲んでいるため、視界も朦朧としてきた。
頭の方も理論的な向きには働かない。
さしずめ自動筆記みたいな感じになっている。
ダリの演出映画を見たためか、視界はやたらとシュールである。
色々なところが剥がれ捲れて見える。

ここでどんな筋書きを考えたにしても、思考力が一歩先にも届かない。
もうわたしの3分の2は眠っている。
真っ暗な雨の窓に外部の何かや音は全く透過しない。

恐らくわたしの神経機関に届かないのだ。
もうヒッチコックは何も見せてはくれない。
ならば、、、
ハンニバルと一緒にあのオペラを、会場の前の方の椅子で観たい。
おおこの曲だ、、、。
この曲だけは聞こえてくる、、、。

「堪能しましたか?」
「ええ、眠ってこのまま続きを聴きます。」
「では、おやすみなさい。」


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

*当サイトはリンクフリーです。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QR
最新トラックバック