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カッシーニ グランドフィナーレ

Cassini Grand Finale001

NASA(アメリカ航空宇宙局)とESA(欧州宇宙機関)の共同開発によって1997年に打上げられた土星探査機カッシーニ
当時、34億米ドルを使って送り出された。(これ以降、かけられる費用はどんどん減ってゆく)。
太陽電池ではなく原子力電池で運航、作動。(太陽光が僅かなため)。
ついに燃料もなくなり、いよいよ最期のミッションに入る。
時折、気になりNASAのHPを覗いていたものだが、、、。
まりのるうにいの絵でもお馴染みの土星である。
稲垣足穂の短編ではヒトでもある。
(輪っかをバーの入口に置いておいたら誰かに盗まれたとか、、、)。
ここでは、その土星専門機カッシーニ(パイオニアやボイジャーは通りすがりの探査)の噺を少しばかり、、、。

Cassini001.png
金星→金星→地球→木星の順に重力フライバイして土星に到達。
これが使える条件(並び)が600年に一度のチャンスであったという。
その後、搭載していた惑星探査機ホイヘンス・プローブをタイタンに着陸させ大気の組成・風速・気温・気圧の観測を行った。
カッシーニ=ホイヘンスのやったこと、、、。

○ホイヘンスプローブのタイタンへの着陸。
衛星エンケラドゥスの氷の噴煙の吹き上げを観測。
○土星のリングが30以上あり、自転速度もそれぞれ異なる活発で動的なものであることを発見。
○今もリングのなかから衛星が形成されている。現在62個の衛星が発見されている。
○タイタンが地球の他に唯一降雨があり、川、湖、海を持つことを発見。
○ただし、タイタンのメタンは生物由来ではないことも確認。
○2010-2011年の土星の北側で起きた大規模な嵐を調査。
○土星からの電波パターンは、土星内部の回転には拘束性がないことを確認。
○リングの垂直構造~捻じれ(外側の2本のリング)を明らかにする画像を初めて取得。
○環と環の隙間に存在し環の崩壊を防ぐ役割の衛星ダフニス(他4つ)の発見。
○衛星イアペトゥス表面で30カ所もの巨大な地滑り跡を発見。(大きさ比で表面地形の高低差が最も激しい)。
○土星両極の巨大なハリケーンを発見。
○北極の6角形の様子をカラー撮影。ジェット気流下の風に押されることで幾何学模様が形成され崩れないことが解明される。
Cassini Grand Finale003
環の間の衛星。
HEXAGON.jpg
ヘキサゴン。(モノクロ)
Cassini Grand Finale002
天然色の環。AとBリング。

そして、「グランド・フィナーレ」
土星本体と環との間へ飛び込み、通り過ぎる軌道を22回繰り返す!
さぞや荘厳なヴィジョン~「末期の目」であろう。

これまでに、2004年に土星に到着してから127回、衛星「タイタン」をフライバイし探査してきた。
4/22に最期のフライバイを行い、4/26から「グランド・フィナーレ」に入った。

この間、磁気と重力の精巧なマッピングと上層大気の接写を行う。
土星最近傍からカッシーニが見るはずの景色を夢に見たい。
9/15に土星大気圏に突入し流星のように燃え尽き、13年にわたる土星探査を終了する、、、。


今ほとんど宇宙の探査といえば、地球外生命の探査とも言える状況となっているが、、、。
例えば、タイタンの低温の炭化水素の湖に生命の可能性を探るとすれば、地球とは異なる化学の系を必要とすることになる。
生命の系という観点から見れば、太陽系に独立した起源を持つ2例目の生命が存在する探査を意味しよう。

Cassini-Huygens.jpg

末期の目

Michelangelo Pieta003

>美は緊張のなかにこそ
>拡張され
>鮮烈に受容される


かつてアンドレ・ブルトンは「美は痙攣的である」と述べていた。
まさにそれを想わせる。

緊張。のなかにこそ。拡張され鮮烈に受容される
これはアルタードステイツとも謂えよう。

わたしも「ことば失う」体験として、いまでも記憶に残るものがある。
音楽であるが、、、。
気がついたら鳴っていたものだ。
たちどころにアルタードステイツの状態に入っていた。

その体験は、不安と恍惚に全身の神経がざわめき立つものであった。
ゆったりした全能感と一体感とともに際どくスリリングな極彩色の想いに揺蕩う。
しかしいつまでもその状態には耐え切れない。
頭を巡らしその曲名~ことばを思い出す。
すると嘘のように眼前を七色に輝き煌く波模様を見せていた大河が消え失せてしまう。
色を失った現実が後に残骸となって残る。

そんな体験がこれまでに幾度かあった。
少なくともロックで2回、クラシックでも2回はあった。
しかし、かなり若い頃のことである。

つい先ごろ、亡くなったアラン・ホールズワースの名状しがたい複雑で柔らかな浮遊感をもったギターの音色にそれがあった(事後的に)。
その時は、何の誰の音か全く判別(命名)できず、とても危うい精神状態で身を任せた。
受容体としての自分という枠ギリギリまで薄くなったところでの感受は、その感動もあり得ないレベルに拡張していたことは確かである。
(それにしてもまた、天才と呼ばれる音楽家・演奏家が世を去ってしまった。ここのところ本当に相次ぐ)。
*フランクザッパがもっとも評価していた音楽家であり革命的なギタリストであった。

彼の曲をユーチューブでも聴き直してみたが、自身のソロアルバムより寧ろ他のアーティスト(グループ)のなかでのアンサンブルに、一際彼らしい、言葉の追いつかない美を垣間見た。
まるで人と違う誰にも似ていない奏法とフレーズも特徴である。
そのサウンドは、どこまでも上昇し昇華し溶け入ってゆく、、、。(とくにソフト・マシーン、ゴングがよかった)。
老いてからも円熟味が全てをカヴァーしていた。

それに近い以降の音楽体験は、わたしの日々更新する世界観の造形の方向性を、決定つけたことは確実であった。


そして、、、
今に舞い戻ると、、、。
音楽は余り聴かなくなっており、絵画や小説にもほとんど触れているとは言えない。


>掛軸や、彫刻
>其処に息衝く陽光、幽光。

川端康成の生活環境は、国宝級の調度品で設えられていたと、、、!。

>美とは、日々の生活に根付いてこその
>美なのかもしれません。


全くその通りで、わたしは日々、美が足りないという念を慢性的に持って生きている。
と言うよりそんな病にある。
「美」が足りないのだ。
もっと「美」を!これはまさに「もっと光を!」である。
人間存在は過剰を求める原理をもつが、過剰と欠如は表裏一体で欲動の発現を促す。

国宝級の調度品まで欲しいとは言わぬが、、、。
(鉄人の稀少フィギュアなら持っているが(笑)。
最近、何やら感動から遠のいた場所にいる。
受容体としてのこちらの問題~劣化が次第に大きくなっていることに気づく。
今現在のわたしの抱える最大の課題だ。

美に向かう欲動はとりもなおさず生命力~志向力を源泉とする。
きっかけは、亀の水槽で屈折して投影する虹であっても良い。
それを受け取る生命力の瑞々しさ(鮮度)が、いよいよ問題となってきているように感じる、、、。


死を意識した瑞々しく鋭利な眼と、ただ死に漸近的に近づく身体性にある衰えた眼とでは、、、。
何とか成らぬものか、、、。



          (全て引用は「エストリルのクリスマスローズ」より)


ノートパソコンのキータッチ インターフェイスの恍惚

sakura005.jpg

以前、わたしは14台ほぼ同時に家でパソコンを稼働させていた時期がある。
サーバーも入れてだが、、、。
それぞれ役割が違うのだ。名前も違うが、、、。
ディスクトップのタワー型に独立して接続しているキーボードのキータッチはストロークが長く深い確実な入力感の恍惚を味わうことが出来る。構造はラバードームでキートップを支えるものでメンブレンと呼ばれるものだ。
一方ノートは、パンタグラフ方式のため、軽くて浅いキータッチである。キーの中心を叩かなくても垂直に力を伝える。
だが、わたしはこのノートのキータッチには、これはこれで良いと思うものと、どうにも心もとなくチープで悲しくなってしまうものがある。

実はパソコンに期待するものは仕事に合ったスペック等いろいろあるのだが、全般においてキータッチが思いのほか大きい。
昨日、修理からかえり、交換部品はメモリーであった。16GB(8GB×2)積んでいるが、これがいかれていたらしい。
まだ正常に動くかどうかはあす試してみるつもりだ。メモリー不具合は結構あることだ。
ブルーレイ映画2時間強のものをドライブがしっかり再生しきれれば、取り敢えず問題ないとする。
いつも再生が終わってからは、キーボードのフル活動という番になる。
戻ってきたノートのキータッチというのが、実にふにゃふにゃ感が強い。
タッチしてゆく感覚が心もとない。
それはそこで~パソコン上で書く事柄にも何となく現れてしまう。

パソコンというと、基本スペックを文字記号の上で調べて購入を決めてしまうことが多い。
あまり実際に店頭でキーを打った感触で決めて買ってくることは少ない。
だが家に持ってきて実際に使うときは、もうキーを打ちまくる以外にないのだ。
例え問題症状が治っていたとしても、チャッチイキーの感触にどことない情けなさを感じ続けるのだろう。
この文はそのパソコンから今打っているところ。

昨夜心配したルーター繋げは問題なく済んだ。
今後も軽めでも3Dの制作はせずに3Dを動かす程度のことは、やるはずだ。
いざ作るとなるとアプリケーションはグラボを選ぶ。
まず、DirectX系ではなくOpenGL系となるし、MAYAをやるならGforceでなくELZAを選ぶことになる。
そこまではやらない。わたしは寧ろ動画を滑らかに再生するための動画再生支援機能のあるグラボ(今は普通についている)が大切だ。今回のトラブルもノートでブルーレイのタイトルを見ている最中におっこちたのだ。そして再起動戻ったらまた最初、では一向に先に進まない。これは致命的でどうにもならない。初期化程度でなんとかなるものではなかった。
だが、そんなことを色々しながらもキーは打ち続けているのだ。
このキータッチはインターフェイスの基本中の基本要素である。
疎かにできないものだ。
今回、スペックだけでノートパソコンを選んでしまい、その部分が考慮に入れていなかった。


何かを決める~押すときのその意思に対する外界~対象の抵抗の心地よさ、、、
これが大切で基本である。


sakura.jpg

朝から雨で桜が心もとない。
今は真っ暗で花びらも見えない。
冷たい。花冷えであろうか。風はふいているのか、、、

風邪を引き込みなかなか治れない。
時折、起きてはパソコンを打つ。
わたしにとってパソコンに向かうのがもっとも自然な姿勢なのだ。
外の雨も冷たさもさくらの花弁の舞い散り具合もわからない
キーを打つ不確かな音だけが夜気に、夜の明かりに、響く。

特に調子が悪くなく、やることもないときは、平均12時間はパソコンの前にいる。
以前は、パソコンは音~音楽を作ったり、3Dや動画を制作するためのツールとして使っていた。
だが最近は、ネットで調べ物をしたり、ブログを書いたりし、時折うたたねをする以外に使うことはなくなってきた。
だから、昔のようにハイエンドパソコンをなにも購入する必然性はなくなった。
特にわたしは3Dゲームはしない。グラボは外付けすることはない。
よく映画を見るため動画再生支援機能はあれば、とてもよい。

ブルーレイを見ている途中で落ちてしまっては、どうにもならない。
今日それで直しに出したノートが帰ってきた。
余りの疲労と睡魔のため、セットはできない。
特にルーターのパスワードを失念している。そこから先には進めまい、、、。
睡眠導入剤を30分前に飲んでいるため、視界も朦朧としてきた。
頭の方も理論的な向きには働かない。
さしずめ自動筆記みたいな感じになっている。
ダリの演出映画を見たためか、視界はやたらとシュールである。
色々なところが剥がれ捲れて見える。

ここでどんな筋書きを考えたにしても、思考力が一歩先にも届かない。
もうわたしの3分の2は眠っている。
真っ暗な雨の窓に外部の何かや音は全く透過しない。

恐らくわたしの神経機関に届かないのだ。
もうヒッチコックは何も見せてはくれない。
ならば、、、
ハンニバルと一緒にあのオペラを、会場の前の方の椅子で観たい。
おおこの曲だ、、、。
この曲だけは聞こえてくる、、、。

「堪能しましたか?」
「ええ、眠ってこのまま続きを聴きます。」
「では、おやすみなさい。」


長女の質問

batoukin002.jpg
「長女の質問」からはじまる話である。

馬頭琴の演奏後何か質問やお写真撮りたい方など、いらっしゃいますかという担当者からの言葉があると、すかさず長女が手を挙げた。
まるで、学校の授業参観気分だ、、、。
おおっ、と思って何を聞くのかと見守ると、すたすた演奏者の真ん前に進み、馬の頭はそのまま使わないのか何でそんなに小さいのか、もっと大きいと思う、というものであった、、、?
楽器が気になっていたのだ。

少なくとも彼女がわたしに話したなかで、楽器を作る際に馬の頭をそのまま使ったというくだりはなかったが、はっきりどの部分にどの器官を当てたという話もなかったはず。
しかし頭は馬のからだから生まれた楽器であるシンボルとして付いている装飾と普通は捉える。
彼女もそういった認識だと思いこんでいたのだが、、、。

まさにその楽器はスーホにとり、また彼に感情移入して物語を読んで来た者にとって、白馬の生まれ変わりであろう。
その馬頭の部分はその象徴的で肝心な部分であるには違いない。
ちょっと面食らって、その対応を窺っていると、馬の頭は最初は大きかったのだけど、だんだん小さくなり形も変わって今のようなものになりました、という答えであった。
何とも差し支えない答え(笑。

そこが気になったのか、と思い後で本人に音楽はどうだったと聞くと、とても良かったと。また聴きたいとも答えていた。
だが、気になったのは馬の頭だったのだ。

馬の頭がそのまま付いているか、実物大の大きさであったら、これは重くてでかくて扱いにくい楽器になるはずだ。
馬の体の各器官全てを使って作ったとは書かれてはいなかったようだが、馬の頭も木彫ではなく、そのものを利用するしか無いと考えていたのか?しかし、やはりそこに少し違和感を感じ確認を改めてして気持ちを整理したかったのか?

恐らく木の部分というのが、違うのでは無いか?という所から来ているのだと思う。
白馬が自分の体で作ってと願ったのだから、全てをそれ〜馬の体で作ってあげないと、、、。
これなら、わたしにも分かる気がする。
実際、彼はその時はどうやって作ったのか?
木彫の技能を持っていたとか、そのような特別な木材が用意されていたとも思えない。
きっと物語上、全部馬で作ったのだろう。そうしたら、最愛の馬の頭も使ったはずだ、と。
(共鳴箱の部分はさすがに木でないと厳しいであろうが、、、実際は上質な白樺の木だそうだが)。
血生臭い想像すれば、グロテスクな感じもするが、実際そうした話である。

その辺の想像力は、映画にも絵画にも表れるもので、プリミティブなもの〜根源的なものはみなグロテスクでもある。
そうした暗い美を湛えている。(ペラペラな綺麗事~美ではない)。
そういう部分を考えさせる言い伝えでは無いはずだが、自ずと考えさせるものは、どんな伝承や民族譚、昔話にもある。

本当にその対象を愛しているのなら、その屍体も最愛のただ美しいだけのものなのだ。
「戸嶋 靖昌 ~ リアリズムとは何か」で戸嶋の語るように。



多肉を整える

taniku.jpg


多肉植物を暫く放って置いたら、かなりの乱れが生じていた。
デタラメさが増大していた。
しかし、これは死に向かう無秩序ではなく、生への無意識の造形である。
かなり無慈悲に暴れまくっていた(笑。
廃墟に通じる感覚もある。

棚に収まりきらない拡張も見られ、枝ぶりを整理した。
盆栽みたいである。
基本は同じだと思う。
「整いました。」
TVで以前よく聞いたな、、、最近見ないが。


花殻や枯葉を全てどけていたら、虫喰われや病気も見つかった。
(乾燥しすぎていてもこのような事が起きる。風通しもビニルで保温していたためよくなかった)。
やはり株分けして増やしてしまったため、棚奥の余り目立たない鉢に異常があった。
昨年、大きな鉢で寄せ植えしてかなりの見栄えとなっていたものが、突然全滅したときは驚き唖然としたものだ。
常に何かが潜在的に進行している。
微分的に変化している。
そして忽然と相転換。

こちらも怠惰が過ぎた。


暴れていても、植物である。
われわれとは時間性が異なる。
声ももたないため、動勢を感じにくい。
ほとんどいつも、彼らは「静物」として確認される。
植物は「静物画」としていつも制作される。(食虫植物のように瞬時の動きを見せるものはあっても)。
また静物画として描かれた生きた動物の絵は見たことない(剥製は物である)。

やはり、植物とは生きられる時空が異なるのだ。
そんなことをふと想うが、実はこれは大変なことかも知れない。


彼らと意思疎通が出来たら、恐るべきことに迫れるのかも知れない。
分厚い「サボテンが喋った」と言う本を持っていたが、今はもう内容は思い出せない。


水をやる時期であるからたっぷりあげた。
肥料も少し。
周りのビニルの覆いを外した。
2階の窓辺でいつも確認しながら育てているものより、環境的には良くない。
外は冬の間は過酷であった。
寒気と強風である。
それに加えて密封。これは気にして風は入れるようにしていたが。
ほとんど、何かを共感し合うような間柄ではなかった事は確かだ。

亀にかまけていたし。
これからは、多肉にもっと濃密な共振時間を割こう。


彼らを眺めてボウっとしているだけで、確かに清められる感覚があるのだから。





パラレルワールド

Morgan Freeman

ドラえもんでもお馴染みである。
モーガン・フリーマンのナビゲートする科学特集番組でやっていた。
「パラレルワールド」
その番組をとっかかりとはするが、またほとんど違うことを書き出すことだろう、、、いつも通り(笑。

映画で過去に戻ったり未来に飛んだりという安易な物語がよく作られるが、パラレル・ワールドで一つ作ってみたらどうだろうか、、、と、思った。
最近の科学は、ミクロと広大なマクロの世界に別次元の世界の手がかりを見つけている。

今回も(以前も途中から見ているのだが、、、時間の話で)。
何人もの博士が出てきて、刺激的な話はしてくれている。


まず、無限である。
無限であることを前提にすると、統計学上、ありえないことが起こる可能性が生じてくる。
全てのパタンは反復する。微妙な差異を伴いながら。
となれば、無限の果てまで探しに行けば、どこかで自分と同じ存在が、自分とは異なる生を営んでいる可能性がある。
ウッディ・アレンではないが、人は生の現実に常に不全感を抱いている。
別のもっとましな生活をしている自分という幻想に憧れる。
しかし、ここではそれが理論上は存在し得るということだ。

それはまた、究極の何でもあり理論で、ドラえもんにぴったりでもある。
ご都合主義の映画にも持ってこいに思えるが。

一つ疑問なのは、観るということは何であるのか、、、。
その定義が分からない。
観察、測定により、一つの粒子が異なる場所に同時に存在している(確率的に)のを、ひとつに確定してしまう行為というが、、、。
そもそも観るということは何なのか。
このことが、保留されたまま話はどんどん進む。

測定前の全ての存在は消え去ったりしない。
それらは、それぞれ別の次元で現実化するという。
掴みどころのない飛躍に聞こえる。

量子力学的運動をわれわれのスケールの日常空間に無理やり当て嵌めようとしているようだ。
だから、自分の分身があちこちにいるような話になる。
それでもよいのだが、現実的展望はない。

ただ、観えないのと存在しないことは、別のことである、というのはその通りだと考えられる。
しかしだからといって別の存在が別の次元(世界)で生きていても、それは原理上知ることはできない。
一つの現実を選び取っても、まだ他の現実が消え去った分けではなく、別次元でそれは現実化されているという考え。
この認識には前提として、それら多次元の世界を包括的に(俯瞰して)観ることのできる超越的な立場の存在が措定されている。
彼らは単に帰納的に(論理的な推論から)それを述べていると言うにせよ。
宗教的な匂い~枠も感じる。

ともかく論旨の根拠は、どのような物体も複数の箇所に同時に存在できることを証明できれば成り立つと考えているのが分かる。
シュレディンガーこのかた、量子の振る舞い~観測の問題で、ミクロレベルでの認識(確率論的な位置と運動の関係)は周知のとおりであるが、物体レベルとなると、どう話を持ってゆくのか、、、。
番組では単に、わたしだって原子の集まりである以上、同じように他の世界に存在してもよいはず、というだけのもの、、、。
他の博士によって、絶対零度に近い低温下で、金属片を使った実験がなされていた。
そこでは、金属片そのものが量子的振る舞い~振動をしていたという。

そして、マクロ、、、大宇宙においては、まず反物質から話を始めている。
ビッグバンで生じた反物質の世界をパラレルワールドとして。
正直、インフレーション理論をもとにしたパラレルワールドについては、何を言いたいのか分からなかった。
ブレーンワールド~膜宇宙については、イメージがつきやすいものだった。
膜自体は相互作用はないパラレルだが、相互の重力を観測することはできる。
重力場が巨大になると、二つの膜が繋ぎとめられる。
その場所こそがブラックホールだと、、、。

ブラックホール内の物質はエネルギーは保存したまま、ホワイトホールとして噴出する。
その現象こそがビッグバンである。
つまり、ブラックホール~臍の緒を通ってパラレルワールドとわれわれの宇宙は繋がっている。
パラレルワールドからの情報(メッセージ)は、すでに伝えられている。
ガンマ線バーストがそれにあたると、、、。

ひとつの現実だけがあるのではない。
ヒトは一つの結果だけを認識するが、同時に異なる結果がどこかに存在する。
という科学的理論を作ろうとしている人たちがいる。
ということを、知った。
とても眠かった。時間が時間である。これからは録画して見たい。

死もこのような別世界への目覚めという科学的?な認識に移行してゆくのか、、、。
死の解明も物理学的に為されるのかも知れない。


「あなたはもうひとりのあなたの夢を生きているのかも知れない」
最後のモーガン・フリーマンのことばだけが、やけに沁みた。











光は遅い

Trump.jpg

また久しぶりにTVを観た。(途中からだが、、、いつもそう)。
はじめて火星の写真を新聞で見たときは鮮烈な体験であった、、、ことを思い出す。何故か過剰に赤かった!

キュリオシティの健気で瑞々しい写真映像群から、俄かに火星の話題がそこかしこでクローズアップされている。
政治的な思惑もあり、火星の植民計画に拍車がかかっているようだ。特にアメリカでは、、、。
国際宇宙ステーションの管理や気候変動監視から撤退し、浮かせた財源で火星の有人探査に振り分けようとしている。
トランプの鼻息も荒い。その方面でまた権威をみせようというものだが、火星を覇権対象にして荒らしまくるつもりのようだ。
確かに金にはなろう。ビジネスチャンスだ。民間主導での開発も活発になってきた。
御用学者たちもイケイケドンドン状態で、10年以内で人類を火星に送り込むことが可能だ、と息巻いている。
(ただ送り込めば良いのか?人々を、、、闇雲に送る前に考えることはないのか、、、番組ではそんな事知ったことではないようだ)。

しかし、火星に人を送るということは、片道切符という覚悟で行く事にもなる。
月のようにさっと行って帰ってくるという具合にはならない。
文字通り別世界なのだ。

火星まで月の160倍距離があり、有人飛行であればその間(10ヶ月間)、宇宙放射線をずっと浴び続けることにもなる。
(ハッブル宇宙望遠鏡や国際宇宙ステーションなどは地球低軌道の作業で地球磁場内にいるため、人体に極めて有害な宇宙放射線からは守られている)。
火星は、重力が地球の3分の1である。気温は最低気温がマイナス140℃。地表には水は存在しない(気圧の関係から)。
太陽のエネルギーの量は半分程度。ただし大気が薄いため(地球の0.7%)、宇宙放射線の影響をかなり受ける。
磁場が存在しないため、太陽風の影響もまともに受ける。それで大気が剥ぎ取られ、気圧が下がり沸点が下がり水が宇宙空間に消えた経緯は確認されている。
軌道は地球よりももっと潰れた楕円軌道であり、受ける太陽エネルギーの変化が大きい。
気圧については、水の沸点が氷点と等しく、水は氷から直接水蒸気となるため、液体の状態で存在できない7ヘクトパスカルである。人にとっても低すぎるため、外では与圧服装着なしでの生存はできない。更に放射線の影響もあり完全密閉の宇宙服が必要となる。
大気の主成分は二酸化炭素であるが、宇宙放射線の関係から植物の生育はそのままではまず無理。
(土が赤いのはそのため。しかし、地下には粘土質の土壌は存在するが)。
少ないとは言え、大気は凄まじい竜巻や砂嵐を巻き起こすことは、映画「オデッセイ」でも観た通りだ。マット・デイモンが苦闘を続けていた。
この辺は従来から確認されている点だ。

まずは、行って帰ってくる技術を確立させねばならない。
最短距離で火星に到達するように宇宙船を飛ばしても、着陸するころは地球は遥かに遠ざかっている。
この距離はばかにならない。
火星ベースキャンプを月軌道で作り、ハブを元にして居住棟、実験棟、司令船、そして火星まで到達できる大型ロケットを連結して火星に向かう計画が有力視され準備に入っているという。2017年発射の予定という。

着陸は甚だ難しい。気圧がないため難しい逆噴射技術が完成していなければならない。これまで、この着陸でほとんどの機体が破壊されゴミと化している。また大気がほとんどないとは言え、1900℃の摩擦熱での突入となる。
また人を乗せ最低、1年は滞在しなければならないため、食料を積むと宇宙船は途轍もない重量となる。

さて火星で活動を始めて、何らかのトラブル(想定外のトラブルは必ず起こる~そのことだけは想定内なのだ)が起きても、地球から出向くとなると数ヶ月単位の時間が掛かり、現実的なサポートではない。
また、電波の指示であっても、最短3分、離れると20分掛かり、今まさに起きている事態には対応できない。
光は遅いのだ。
光の助けを借りずに自分で自立して生きねばならない。

それもあり、やはり人より先にお膳立てをするのはロボットのようだ。
リスクは最小限にしなければならない。
電力システムや居住棟の建設をして人類をお迎えするそうだ。
すると何よりロボットの自立(自律)性が前提となる。AIの問題となる。
光では遅いのだ。
光の指示、コントロールを待たずにその場の窮地を事前察知、自己判断で脱し、目的を遂げなければならない。
ロボットの製作風景が映されていたが、これから10年はかかると博士が言っていたが、わたしの見た感じでは100年後なら何とかなりそうに思ったのだが、、、。


そして白眉は、テラフォーミングである。30年以上前から提唱されてきたらしい。クリスマッケイという博士である。
知らなかった。
正直、ここまでの話は全く面白くなく、いつTVを止めようかと思いつつダラダラ見ていたのだ。


火星を何と地球化するのだそうだ。
温室効果ガスを発生させ火星表面上を覆い、それによって気圧と気温を上げ地下の水を滲み出させるらしい。

フロンガスをプラントにより作り出し温室効果を狙う。
ドライアイスが溶け出すと大気中に二酸化炭素が放出され更に気温は上昇する。
同時に超伝導リングで火星全体に磁場を形成する。
これによって太陽風から、発生した大気を守る。
地下から液体となった水が地上に溢れ出す。
その地に、地球から持ち込んだ微生物を振り撒くという。
これで栄養素が自立的に循環を始めたら植物が顔を出すと。
光合成によって酸素が生み出されれば、動物もでてくる、、、。

何百年単位で実現可能と言っているが、実際出来るのかも知れないと思った。
しかし、このテラフォーミングには条件があると博士は言う。
「火星で何らかの生命体が発見され、地球生命と違う祖先を持つ場合、人類は入植しない」そうである。
独自の生命がいる場合は人類は定住してはならない。

それを聴いて何故か安心した。



しかし、監視し繁殖を助けるなどはするのだそうだ、、、?!
これはやはりディープに関わることを意味する。(テラフォーミングはするのだ、、、微生物の存在をどう捉えるかにもよろうが)。
(この地球にもそういう存在はいそうな気もするのだが、、、薄々)。

続きを読む

またもや赤色矮星!

TRAPPIST-1.png

まだ、ほとんど情報が伝わってきてはいないが、、、(わたしが知らないだけか?)
NASAの発表があったそうな。
TRAPPIST-1という赤色矮性の周りに7つも地球型惑星(系外惑星)が存在すると。
つまり岩石惑星で大きさもほぼ同等、ということは重力も近いか。
そのいずれにも水のある可能性が高いという。
その上、3つの惑星は、地表に水を湛えているらしい。
(地中になら太陽系の惑星・衛星に幾つもある)。

水瓶座の方向約39光年(9兆4600億km)という、これまでからすると、非常に近いところに見つけた訳だ。
(しかし水瓶座の方向というのが今の時代に象徴的である。アクエリアスの時代になって、、、)。

また、何よりロマンチックなのは、それぞれの惑星間距離が近いため、ひとつの惑星に着陸すると、月より大きな天体が6つも空に拝めるということらしい。(しかし近いといっても40光年である、、、星間移動の技術革新は前提となる)。
尚、赤色矮星はわれわれの太陽より表面温度は随分低いが、遥かに長生きする。
惑星がうんと近くを回っていようと、それほど熱くはならない可能性が高い。
ただしどれもが非常に近い軌道にいれば、朝夕ロックはかかっていて、地球に対する月みたいに、同じ面を向けて周回することにはなろう。しかし大気と水があれば循環が起こる。

まだ、情報はこれから明かされててゆくのだろうが、いよいよ「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」の出番となろう。
2018年打ち上げである!
それによって、随分多くの事実、というか実態が判明するはずだ。
まずは、大気成分の解析、地表や水も分析ができるはずである。

この恒星は、ともかく非常に長い寿命(数十兆年)がある。
ということは、進化に充分な時間がかけられる。
ハビタブルゾーンに3つも惑星が入っているというのも、かなり科学者たちの期待増であろう。

地球が生命の住めない環境になるまでに、ヒトが生きていたなら移動可能であれば、重要な候補地が見つかったということであろうか。その星から平和に地球の滅亡を眺められることになろうか。
その前に人類は完全に絶滅しているかも知れない。
だが、人類の跡を継いだ生物がいれば(ロボットかもしれないが)それが住める場所になるだろうか。

とは言え、その星が環境が整ったところであれば、先住民がいる可能性も高く、われわれが侵略者ともなり得る。
地球人の侵略に対抗する正義の異星人(その星のnative)という構図になりそうだが。
そんなこと、今から心配しても仕方ない(笑。

ともあれNASAの科学者は、生命のいる星があるかどうか、からいつそれを発見できるかという段階になった、という。
深夜TV(ユアタイムの市川さんの薀蓄も含めた)短いニュースコーナーで見た範囲であるため、何とも言えないが、今後の動向に注目したい。
「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」の稼働によって大きく動くと思われる。


何というか、、、宇宙探査が生命探査と同義となってゆきそうな様相である。

生命力

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あくまでも「生命力」とは、ではない。
そこを説くのではなく、「生命力」の恍惚を再認したいだけである。
昨日のマルキの映画でつくづく感じるところが、「生命力」であった。

その過剰とも言える「生命力」が危なっかしくも非常な魅力を感じる。
われわれがあれほどの迸る生命力を発揮し得るか?
単に幽閉され迫害を受けた事に対する反発や、予め備えている反骨精神と強靭な肉体(彼の場合は更に放逸な性エネルギー)だけで、あれほどの「表現欲」が生じようか?単なる破壊活動や殺人に向かっていてもおかしくはない。
マルキにとっては、何よりことば~物語が殊更に身体的~性的欲求・欲望を充たすものであったのだ。
そこへあらゆる欲望を抑圧から解き放つ純粋な表現欲を彼が真摯に認めた結果であろう。
彼にとり、あの「表現欲」こそが「生命力」そのものなのだ。

われわれは、自らの意思で閉じ篭もり、それを封じ込め枯渇させている。
ときに宗教的(道徳的)な美徳で合理化し。
(後にそれをアンドレ・ブルトンは痛烈に批判した)。
自ら囚われ人となり、その枠内で物事に悩んで抜けられないあのエッシャーの版画の男のように。
その枠をもっとも原初的で本源的なエネルギーをもって内奥から打ち壊してしまうことば~物語の力に彼の小説は満ちていた。
だから人々はそれ~焚書を(秘薬のように)隠し持って読んだ。
(恐らく論理をもってしなくとも、人々を解放し得る唯一の方法であったかも知れない。そう言ってしまうと宗教はどうなんだという声が聞こえるが、仏教の「南無妙法蓮華経」はこれに近い過激さを感じる。キリスト教についてはすでに書いている)。

表現は他者あってのものである。
創造はその新しさを他者が認めるところにある。
彼は生粋の作家~芸術家であった。
彼もまた他者を何よりも必要とした。読者がいることが彼をワクワクさせた。
次作をみんなが待ってるわと言われれば、書かないわけにはいかない。
どんな障害があろうとも書かないではいられないのだ。
神父は書くことで自らの「毒」を対象化し、精神が清められると期待していたが、マルキは日記を書いているつもりなど微塵もなかった。
彼は端から開放系に属する。隠し事もまるでない。
(物語の後半からは、布一枚身につけていない(爆!)
それ以前に、自分が毒に犯されているなどとこれっぽっちも思っていない。
言うまでもなく(宗教の)阿片に毒されているのは、お前たちだ、となる。
確信は絶対的なものであった。
彼の強さの根拠である。

彼こそ健全であった。
その激烈な生命力こそが証である。真理である。
旺盛な表現欲は生=性そのものの発露であったのだ。
そしてその対象である読者~他者とは、マドレーヌであった。
ストイック(プラトニック)な彼女への愛が底知れぬ「生命力」=「表現欲」の源であった。
恐らく、、、。


まず、なんといっても生命力を枯れさせてはならない。
それを強く再認識する作品になっていた。


冬さがし

snow man

ちょっとでも雪が降ると必ずどこかの隅っこに作ってある。これは近くの公園に、、、。
冬~雪へのオマージュなのか。


今日は娘たちと、「冬さがし」をした。恐らく学校の「生活」の授業にでもやったのではないかと思う。
雪も降ったことだし、、、彼女らのスイッチが入ってしまった(笑。
これだけ寒いんだから冬だよ、と言っても、そういうことではない。
形を探すということである。
「冬」の形を、、、。
朝から冬さがしで、われわれは家の庭からその周り、近くの公園まで道端を探って廻った。
日光は強いが風は冷たい。


家、庭周りでは、霜柱、ポリバケツの底に溜まった水が凍っていたり、、、だがそこに枯葉が絡みちょっと乙であった。
それから、草花が白く凍りついていたり、小さな葉っぱには水滴と見紛う氷の水晶がチョコっと乗っていたり、、、
普段は見れないキラキラした光景が楽しめた。
狭い裏庭にはわたしは滅多に行かないのだが、彼女らは度々探検しているらしく、木や花の場所をよく知っていた。
霜柱をザクザク踏むのも靴裏の感触が楽しめ、普段できない体験である。
だが、その程度であれば綺麗で面白かったね、くらいで終わっていたのだが、、、われわれ探検隊は、エッジにおいて驚愕の造形に出逢う!

次女がこれこれ!と言ってわれわれを呼んだところ、、、

場所は家の塀とアスファルト路面の間~縁である。
土が吹き溜まった結果できた謂わば結界みたいな細い場所である。
そこに生成された圧倒的な自然の表情であった。

先だって、女子美に展示された、地面に生じた罅割れそのものの作品があったが、その定型(基礎形)を非常に高スペックなコンピュータでパタンを複雑化した後、更に魅惑的に絶妙な崩しを施し、氷点下の気温と水分を加え、神秘的に仕上げたという感のある罅割れに、われわれ親子はただ魅了された。

形には生気が欲しい。はじめから力を感じない表面の克明ななぞりではなく。
受け側と力を及ぼす側との、その地と図との間のせめぎ合いの強度~微分方程式が欲しい。
この前展示会で見たのは、質を感じない余りにスタティックな~形骸化した、ものであった。


混沌のなかに刃に似た鋭さが目立ち、自然の覇権への闘士すら感じる。小さな場所でのある闘い。
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ディテールへ、、、それは残酷な爪か牙か。
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激しい闘いの反復。これまで何度繰り返されてきたのか、、、。
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境界~エッジを前にそれらは留まる。ある法則に従い。記憶に留める。
crack boundary


思い切っていつもの公園にそのまま行った。
sagamihara p
いつもとは、別世界であった。
(僅かばかりの雪で、、、)雪とは何か、、、?
                           *写真は全て長女。


ふたりは、帰りに美味しいハンバーグ専門店に行く相談をしている、、、。
冬さがしは、最後に高くついた(苦。


AIは自然(偶然)に生まれる

TetsujinNo28.jpg

最近のAIの真しやかな成果~プレゼンは、はたしてどうなんだろう。
この前にもそれについて「楽観的なこと」を書いてはみた。
要するに、自立的AI基盤を作っておいて、後は彼ら(彼女ら)の自主的な学習に任せるという。
その反復を深めてゆけば、ついに感情~意識が芽生え新たな自立系が誕生するだろう、、、と。
新たな創造的な知性の系が立ち上がる、のでは、、、という希望的なお任せ、、、。

そう、、、、
結局、後は運に任せる!
の一言だ。

なんという神秘的(かつ楽観的)な賭けだろうか。

これまでのわれわれのモノ作りとは、完全に異なる全く新たなモノ作り、、、というより誕生の手助け、いや賭けとなろう。
少なくとも人類は、どれだけ複雑な難易度の高いものでも、何を作るかは明確でありその設計図は明晰に用意されたものをもって作ってきたはずである。

しかし意識は言うまでもなく、原理的に対象化できない。
われわれは目覚めとともに諸表象に一点の破れ目もなく取り巻かれている。
世界が世界であることに驚愕したヴィトゲンシュタインの謂うように。
視覚的表象から非視覚的表象まで全てが総動員して完全なる世界を生成する。
常にそうなのだ。これは確かに神秘であり驚愕に値することだ。
それらを立ち上らせる地平こそが意識であり、その裏側に回り込む超越的芸当など論理矛盾である。
そこは世界の縁である。

この辺の際で何かを作ろうとするのが芸術家であろうが、科学者はそうではない。
まるごとヒトと同じ構造のものを作りたいのだ。
構造化できないものを承知の上で。
分からないものをも、作ってみせたい。
その衝動は分からないでもないが。

われわれは絶対に対象化不可能な(難しいではなく原理的に不可能な)ものを作ろうとしている。
ある基礎を作り作動させて、複雑さが増してゆけば、、、と様子を見ようということだ。
冗長性からの相転換でポッコリ意識が生じると。

それが彼らのスタンダードな姿勢だ。
手堅いとはお世辞にも言えないスタンスだ。

「意識」をそもそもどう捉えているかにもよる。
それこそ哲学者の肝心要のテーマでもあった。
どうやら無意識も意識に作用する重要な力を持つ。
人間のようなロボットと言うなら、無論、無意識も匂わせていなければならない。
無意識的な痼を感じさせるロボットだ。
であれば、当然、夢も見る。
ある朝、ロボットが歩み寄ってきて、「わたしは昨夜、こんな夢を見ました」と話しかけるというのもありだろう。


もし仮にそれが創造的に成功し、そのまま進展すれば、驚く程の速度で人類には全く理解不能なレベルでAIが独自に働き始める可能性も当然高くなるはず。
しかし、現在の動きからは、うんと限られたレヴェルの運用に留まると思われる。
こちらがコントロール不能なブラックボックスはそうやすやすとはできるものではないし。
(勿論、出来るといいはるヒトはいるが)。




プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
日々思うことを綴ってゆきます。
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ることもあります。
悪しからず。
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