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公園での読書

sagamihara p


最近ハマっているのが、これである。
わたしは図書館での読書が好きではない。
雰囲気が暗く閉塞的で空気も悪そうな気がするのだ。
ひっそりと本を読みたいのだが、人が何分多すぎる。

図書室だと声が出せない。
そのくせ咳が(強迫的に)やたらとあちこちでしたりする。
全く自分の中に入っているならよいが、妙に相互監視している節がある。
何かピリピリしているのだ。

公園であると、噴水を見ながらベンチでのんびり独りきりで本が読める。
鳩や烏も風の仲間で気にならない。
青空のもとで解放感に浸りながら時々欠伸をして。
不意に、持ってきたチキンを食べたりする。
(そう急に食べたくなるのだ)。
喉が渇けばDr.Pepperと決めている(笑。

自然に食べたくなり、飲みたくなる。
(あの時代のギリシャの人ならパンとワインか。対談いや対話もあんな風にしてみたい)
わたしは本を読むときかなり食欲が出る。
であるから、図書館は基本的に、無理なのだ。
誰かの家の書斎で呑むなんていうのもいいな、と今思う。


食べたいときに食べ、、、
読みたいときに読み、、、
観たいときに観る、、、
少しの間、映画は休みたい。

寝たいときに寝る。
散歩したいときにして
買い物を思いついたら買いに行く
泳ぎたいときに泳ぐ。
(大概娘と一緒だが)


取り敢えず、まずは公園でぼ~っとしてから決める。

最近、車に読みたい本と水着は入れて走っている。

ただ、本を入れるものを手提げバッグからナップザックに変更した。
手に色々持っていると最近、一つ落っことしたりする。
この前は新品のこれから読む本二冊の入ったバッグを落とし角が見事に潰れてしまった。
わたしは使用しているうちに自然に摩滅して行くのは寧ろ心地よく感じるのだが、事故で痛んだりするととても落ち込んでしまうのだ。とてもその辺が神経質なのである。

そうだ、今度は話もしてみたい、、、。
最近、とんと人に逢っていないのだ。
もうかなり長いことそうである。
(今気づいた)

独りでいるとどうも細かいことに気が行ってしまう。



yokoyama park





雨の公園~朝のチキン

rain.jpg


雨が降りしきる時間帯に車で公園に向かう。
反対路線の車の混みようが尋常ではない。
この時間帯はいつもそうなのか、帰りは違う道を使おう。

駐車場はガラガラに空いていた。
誰もいない公園。
貸し切り状態であった。

独りの贅沢を愉しむ時間。
家にいると独りが贅沢に思えない。
家事をしてしまうからだ、それは予定調和の片付け仕事である。

突然雨が止んだかと思うと
一陣の風が雨滴を舞い上げて行った。
木々が大きくそよぐ。

足場が何か揺らぐ。
雨と風と揺れで輪郭が撹乱する。
ブレる。

木漏れ日の路に入るところで、木に鳩が登っているのを見る。
初めて鳩が木に登るのを見た。
雨で人がいないことをよいことに、好き勝手な事をしている連中がいるのだ。

低いところ
高いところで
密談が微かに零れる。

木漏れ日の路で空を見上げると、曲がった軌道で雨粒が落下してくるのを具に見ることが出来た。
水滴は真直ぐは落ちない。
時折、でかい鳥の鳴き声。

突然10時を知らせる花時計のオルゴールが鳴る。
聴いているのはわたし一人か。
いや、鳥も何処かで猫も聴いている。

外の独りはヒトの会話がないだけ。
密かな情報のやりとりに取り巻かれる。
鳥は明らかに喋っていた。

何故かお腹が空いたので、コンビニに行く。
チキンナゲットを買う。
女子大生が沢山いたので車に戻って食べた。

こんな時間にもうお昼を買いに来るのだ。いやおやつか?
コンビニのチキンは種類も多く美味しい。
もっとも、彼女らはサンドウィッチを買ってたみたいだが、、、

食べてしまったら、気持ちが一区切りついてしまった。
もう帰ることにする。
朝のおやつチキンも悪くない。


chicken001.jpg




プール

pool002.jpg

むすめ二人とひさびさのプールに行った。
抵抗ない冷たさで水面が心地よく煌めく。


こんな水に浸かると
何か安心する

何かうきうきする
からだがうくばかりではない

こころもまたうく

ラッコになってポッカリうく

わすれる

きっと重力から救われるからだ
重力は記憶に関係する

記憶と離れることで
ほぐれる

純粋に現在の身体だけになって
本来のかたちに展開する

ふと身体だけの重さとなり


あと二つの大事な重さと向き合う
笑う


pool001.jpg



ブルートゥースを少しは活かそう。

Bluetooth.jpg

マウスを全て無線化。
ということにした。すでにメインで使っているものは、かなり昔からそうしてきたが、、、
如何せんレガシー機器の有線マウスがまだかなり残っている現状である。

有線の確実性もあるし、もったいないから使ってきたのだが、線はやはり邪魔になり鬱陶しい。
マウス自体もかなりの使用感が感じられるようになって来た(笑。
(特に娘たちが頻繁に使うようになってから、、、チョコがくっついていたりする。水を零されるよりはマシだが)。
物は取り替え時というのもある。机も少しでもスッキリさせたい。

それから、何よりもUSB端子を浮かせたいのだ。
iPhoneや外部ストレージを急遽繋げる時等、いちいち外して付け替えるのは面倒なもの。
うちはいくつも外付けHDを繋げてしまっている。それにクーラーにLEDEライト、スピーカーなどでUSB端子がキツイ。
サーバーをUPS共々止めてしまってから、どう見ても退行しているが、HDを幾つか繋げてデータによっては手動レイドも組んでいる(爆。
以前は全てユーティリティで自動同期していた。勿論レイドを組んで。
だがいつのまにかその時々の細かい設定分け、気分によるものも含み、手動レイドに切り替えとなってしまっていたのだ(笑。
つまり微妙に異なるコピーデータのストレージを複数取っておくようになった。
飽くまでも、何となくのレベルである(笑。
そんなこともあり、何種類かの外付けを繋いでいる。

その為、無線化によるスッキリとUSBを浮かせたいことから、ブルートゥースとなる。
ブルートゥースのヘッドホンは使っているが、他にほとんどブルートゥース機器は繋げていない。
以前iPadにキーボードを繋いでいたが全く使わなくなっている。
iPadで文を打たなくなったせいだ。
(iPadで長文を打つのはシンドイ)。

今、ノートで使うとすればうちではマウスしかない。
(ペンタブレットはどうなのだろう?)


散歩もしたいので、近所の店に長女と買いに行く。
とりあえず2つばかり買って帰ったが、先ほどアマゾンで見たら、同じマウスが店で買うより450円安い。
店でも特売品とあったのだが、2つで900円違う。下手をすれば定食が1つ食べれそうではないか(せこい。
時間を使って買いに行く手間もない上に安い。やはりWebの利便性と経済性は大きい。
そもそも何故その店に行ったかというと、ちょっと前に何度も貯まったポイントを使いましょうというメールのお誘いがあったのだ。
それで行ってみたのだが、既にポイントも大部分は失効していて、使えたのは250円くらい(笑。行くまでもなかった、、、。

帰りに娘にパンをねだられた。
途中に美味しい焼きたてパン屋さんがあるのだ。
これは無理もない。
驚いたのはそこで先日、女子美のギャラリーでサインを作家さんに頂いた、まさにその本が置いてあったのだ。
木版で制作された美味しそうなパンの本。
彼女がとっても喜んでいる。意外だったのだろう。わたしも何となく嬉しくなってページを繰って一緒に観てみた。
内容はすでによく知っているにしても、、、新鮮な気分に浸ったものだ。


実際に外に出て歩くということの意義は、こうした局面にあるのかも知れないと思った。
何となくの散策でも、何かに当たる可能性はある。
Webでの買い物では、形式上寄り道は出来ない。



Bluetoothの噺から、思わぬ外部への接続を経験した。
妙な幻想や(オドロオドロシイ)アートより自然で健康的な時間の乗り換えの可能性はきっとある。


遠くの公園

aikawa002.jpg

「登ってみてえな~っ」と言って見上げている若いお父さんがいたが、気持ちは分かる。
ボルダリングとかが流行っているし、その感覚で見れば、まさに手足を引っかける手ごろな凹凸でもあれば絶妙な「面」であろう。
わたしには、そんな感覚はないが、見るだけで快感を覚えてしまうロケーションではあった。


少し遠くの公園に行ってみた。
いつもの公園の4倍ほどの距離にある。
(同じ公園ばかりでは、ちょっと寂しい感じがしたのだ)。
山々が背景に聳える小高い丘に広がる場所だ。でっかいダムもある。
道路は広く整備されているが、上に登るカーブは激しい。運転は面白い(笑、が長女が酔わないように気を付けなければならない。
昼頃の時間に行くと渋滞や駐車場で大変な目に逢うはずなので、朝公園が開く5分前到着を狙って家を出た。

高校時代、この地区からわたしの通う高校にバス、電車で来ている友人が何人かいた。
片道、2時間半である(それ以上か、、、)。
でもそういう人ほど、休まない。
ほとんどが「皆勤賞」だったと思う。
皆、真面目で勉強熱心な生徒であったし。
そんなことを思い出した。

丁度、門の開く5分前に駐車場に並ぶ自動車の列に並び、楽々駐車である。
600台以上停められる場所なので、このタイミングで来れば心配ない。
ただし昼頃着いたら危ない。
(休日の公園はどこもそうだ。いつも行く近くの公園も5つ大駐車場があっても空いていないことがある)。

aikawa003.jpg

いつもの公園と違い、高低差が激しい。
平らに広がる面を歩くのではなく、登り降りなのだ。
見下ろしたり見上げたりのロケーションを愉しむ。
その空間の深みのスケールは普段味わえない。
暫くボーっと眺めいってしまう。

ほとんどは汽車型のバス?やエレベーターで移動するので、あまり階段やスローブの辛さはない。
勿論、階段派も充分愉しめるのだが、わたしたちが使わないだけである(笑。
ともかく広いので、ハイキングの感覚で運動にもなる。
わたしたちは運動と謂うより、気晴らし目的といった方がよい。
風は時折強く吹き、ベンチに座ってスマフォ弄っているお父さんの頭部に飛んできたテントが直撃したりしていた。
家族用の小さなテントが夥しい数あちこちにあったが、テントの設置技術~マナーが問われるところでもある。

川(人工の池みたいなところ)があって、子供で賑わいほとんどが水着でキャーキャー遊んでいた。
うちは何故か、よりによってふたりが足に怪我をしていて、水に入るどころではない。
次女など左足はギブスに包帯なのだ。
それでも、その近くに並ぶ巨大な白いトランポリンに飛び乗る。
これはしかたない。
目にしたとたん吸い寄せられてしまったのだ(爆。
これを始めると、なかなかやめられない。
あのピョンピョン跳ねる上下動が心地よいのか、いつまでもやっている。
(これは待つ方には、いささか退屈である)。

竹をばちで叩いたりするのも不思議にのめり込む。暫くふたりでユニゾンを愉しんでいた(笑。
工芸作品の製作体験コースやその工房で作った椅子や机を売っていた。
どうやって麓の駐車場まで運ぶのかは知らないが。
やはりそこで作られた和紙の灯篭が幾つも灯っていて、その涼し気な薄闇のなかでスナップを撮った。
売店では弁当を売っているが、公園でのお昼はお弁当持参と決めている。
(タコウインナーがなかったら一大事ではないか)。

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ここは水の公園と言ってよい。なかなか風情を感じる小さな滝もある。
遊具(アスレチック)はあるが混んでしまって充分に遊びにくいし、並ぶのもメンドクサイ。
(運動会の親子種目みたいに親子でやらないと出来ないものもあるが、あっという間にゴールで終わってしまうのだ)。
それよりダム側に行って、上から貯水湖を眺めたり、遥か下の河を臨んだりした方が清々しい。
解放的な気分に浸れる。
疲れないし汗もかかない(それでよいのか、、、これでよいのだ(爆)。

小ぶりの第二ダムもあり、そこはもう少し水に近づける。
とは言え大きな欄干のある鉄筋の頑丈な橋から湛えられた水を距離を持って眺めても余り強烈な威圧感はない。
わたしは子供の頃、これ程大きなダムではないが、湛えられた水とほぼ同じ高さのコンクリの堰の上に何故だか立っていた記憶が鮮明にある。立ちすくんでいたと言った方が正確か、、、。そんなことになった経緯は分からないが、、、。
今でもその感覚を覚えているのだが、分厚く深い圧倒する緑色の不気味さと謂ったら例えようがない。
、、、どういうつもりだったのか、、、。

謎の多い少年時代、、、。

謎と謂えば、謎の塊のようなふたりである(爆。
これについては言及しない。話し始めたらきりがなくなる(苦。
ここで苦労話をしてもはじまるまい、、、(泣き笑。


再び聳え立っているダムの外壁をしげしげ見上げて、アイスクリーム食べて帰ることにした。
(牧場がすぐお隣にあるのだった。自動的に行ってしまうではないか)。






トラピスト1に寄せて

TRAPPIST 1 001

TRAPPIST-1
みずがめ座の方角にある直径が太陽の10分の1ほどの赤色矮星である。
その惑星が7つも見つかり何れも地球とほぼ同じ大きさ~つまり岩石惑星であることがわかる。
確か2017の2月の事だ。

あの4光年先に見つかったプロキシマ・ケンタウリbが2016年のことであった。
この辺から皆、色めきだったと思う。
それにしても何故これ程、他の惑星の生命に拘るのだろう、、、。
丁度、エドワード・シザーハンズを面白がりたいのと同じ心境か。

究極的には、他者に対する根源的な畏敬の念~神の希求が無意識にあるのか?
第二の地球などという言い方からすると、自分に都合の良い対象を求めるだけの単なる自我の拡張意識からくるものか?
本当にそこに「他者」~エイリアンがいたらどうするつもりなのか?!
生存欲に根差す覇権主義、、、移住を狙っての、、、やはり「新天地」が一番のウエイトか。
、、、個人的な富と名誉と権力欲も絡み、資源をまたも枯渇させて増殖してゆく侵略者たち、、、、


ケプラー宇宙望遠鏡が星のひしめいている明るい場所を捜索している時、見つかった惑星は4000以上、、、と言ってもスーパーアースがほとんどで、大きさが微妙に大きく岩石か氷か分からない惑星ばかりであった。本当に地球型(岩石惑星)と思われるものは20程と謂われている。生命を考えるとまずは岩石惑星が基準となった。しかもそれは3000光年先であったり、500光年先(2014年)であったり、1200光年先(2015年)であったり、でおよそ現実的な範囲のものではなかった。遠すぎて詳細も掴めない場所にあるのだ。

しかし、、、
ケプラー宇宙望遠鏡の姿勢制御機構に故障が生じ、偶然天の川の暗い場所を捜索することになった時に、それは見つかった。
見つかってしまった、、、これはなんにしてもはっきり一つの段階が進んだものだと言えよう。

これまで宇宙の4分の3を占める(多数派の)赤色矮星に照準を合わせることが無かったため、このような好条件の惑星が発見されなかったようだ。赤色矮星は小さく暗いが、その前を惑星が過るとその明るさの変化はとても大きい。波長の異なる光の変化も掴みやすい。つまり酸素があるかどうかの光の波長の詳細も掴める(トランジット法)。生命を考えるなら、この酸素の波長が決め手になる(酸素を生成する生物の存在が推定できる)。
これが太陽大の恒星の前を地球大の惑星が過っても光の変化は微々たるものであり、そのせいからこれまでよくってスーパーアース(地球の数倍、天王星のような氷惑星よりは小さいもの)までしか見つけにくかったのかも知れない。

そもそも惑星そのものは観測は出来ない。
光るものの影でその存在を推し量ることが出来る。
そう、われわれ自体、電磁波と重力の賜物であった。


プロキシマ・ケンタウリbは4光年先でうっかり現実性を感じてしまう距離だが、如何せん地球から見ると恒星の前を通過しない(横切らない)惑星なのだ。
であるから、公転する惑星の重力により生じる恒星の揺れでその存在を推し量ることになる(ドップラー偏移)。
影も掴めないのだ。(それなのにNASAのHPを見ると行って来たかのような凄いイラストが描かれているではないか)。
だがそこから分かることは、大まかな大きさと公転周期くらいであり、詳細を知るには観測機を実際に飛ばすしかない。

そうなると、4光年先であっても詳細情報を得るまでに少なくとも44年を要することになる(もっとかかる可能性は高い)。
これがスターショット計画”Breakthrough Starshot”(ホーキング博士お墨付きプロジェクト)である。
(ホーキング博士は以前から、人類は他の星に移住するべきであると主張しておられる)。
お金はロシアの大富豪が持ってくれるらしい。ほんとに移住可能な星ならその富豪の孫の代には飛んでもない大富豪と化していよう。
地球からのレーザー光線で推進する超小型探査船である。
切手大のチップに様々な機能が乗っている(ナノテクノロジー)。それを1m程の帆にとり付け高速の20%を実現するという。
一度に一杯飛ばすようだ。沢山飛ばして精度を高めるのだ。
だが現在はプロジェクトを立ち上げた段階で、技術開発に入ったばかりだという、、、娘にどうなったかあちらで聞くことにしよう(爆。その探査船そのものは魅力的である。

Breakthrough Starshot


そうなると恒星の前を揃って通過するトラピスト1惑星系の方が詳細判明は遥かに早い。
ちょっと忘れていた頃にNASAが大発見ニュースを報じるはず。
b~hまでの7つの地球大惑星が小さく暗い赤色惑星のすぐ近くに密集して公転しているのだが、そのうちのefgがハビタブルゾーンに当たるという。単に水が液体であるだけでなく、恒星の活発なフレアの影響をどう対処する機構を生命(いたとしたなら)が身に付けているか、環境がそのフレア、X線、宇宙線を良い形に転嫁できているか(オゾン層の生成とか)も大きい要素だと思う。

一番遠いhの公転周期が20日という近さの内に彼ら(彼女ら)はひしめく。
太陽系では最も内側の水星が88日だ。
しかし恒星に対し余りに近い為、潮汐ロックがかかっている。(地球に対する月のように)。
永遠に昼の部分と裏側の夜の部分に分かれる。しかし、水が液体として存在する環境であれば、大気があり雲も生成され、海(海流による)対流があり、その循環によって裏側もそれほど寒くはならない。
温暖な気候が保持されている可能性はある。

世界も赤の感度を基本にした豊かな色彩世界~その表象により成り立つのだろう。
地球人は知っての通り黄色の感度を元にした色彩世界に生きて、藝術を育んだり語ったりしている。
基本、彼らが(いたとしても)共通感覚は期待できない他者である。基本(究極のパラダイム)が違うのだから。
しかし、かなり安定した(落ち着いた)世界を想う。
地球のように公転と自転をもつ環境は変化が激しい。朝から昼、夜と一日だけでも大きく移り変わる。
知性をもつにしても観念~概念の差は大きいはず(度合いの問題ではないか)。

但しefgの何れにも生命が誕生し進化を遂げているのならば、星同士お互いに知り合う知性は備えているだろう。
赤色矮星の寿命は長く、時間は充分に与えられている(太陽は100億年。赤色矮星は核融合がゆっくりだから1兆年~10兆年をゆうに超えたりする。質量によるが、これは面白い。宇宙の誕生から現在までの時間より遥かに永いのだから、まだ死んだ赤色矮星はひとつもないのかも知れぬではないか。不慮の事故?とかなければ)。

TRAPPIST 1 003

すでにお互いに差別し合い(生存と存続に排他性がどれほどの基本的属性であるかであるが)、泥沼の闘いに至っていたなら、地球人の移住どころの噺ではなくなる。
その悪魔の侵略者に対し3つの星が結束する契機を提供することになるか。
地球でも移民問題は大きい。決して彼らもわざわざリスキーな外者を受け容れようとはしないだろう。
どう考えても受け容れて得はない。特に地球人である。のこのこやってくる頃には事前調査の済んでいる可能性は高い。
恐らく、巨大宇宙船などで近づいたところでたちどころに総攻撃に出喰わすはず。
まあ、侵略者が滅びて和平がしかれるならそれに越したことはない。
面白いが他人ごとである。


どうでもよい妄想に浸っていてもしかたないが(笑、
まだまだ、地球の表面でも分からないことだらけであるし、地球の過去についても謎だらけである。
ヒトにおいても、、、。まさにそうだ。
これまでに生命は幾度も滅亡と隆盛を繰り返して来た。
地球が滅亡するのならそれに最適化されて生かされてきたわれわれも運命を共にするのではいけないのか。

その辺は、科学や哲学の役割だけでなく、まずはSF映画などが人々に対し果敢な仮説を提示していってもよいはず。
ジュールベルヌみたいに、、、。

TRAPPIST 1 002



花の取り換え時期

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先日、次女が家出をすると言って出てゆくところを車に迎えたは良いが、その時に持って出た赤い大きなナップザックが車の中にまだ置き去りになっていたので、家に戻したついでに中を見ると、何と厳選された縫ぐるみで一杯であった。
勿論、家出をするのだから、着替えは入っていた。それから筆記用具と携帯。
わたしは、ひとりで家出するのだから食べ物(缶詰めとかカロリーメイトやチョコ、ペットボトルなど)や着替えとサバイバルグッズなどを連想してしまっていたのだが、お気に入りの縫ぐるみとアクセサリーがとても幅を利かせているのが感慨深かった。
筆記用具は、学校で何処に行くにも持たされるから習慣化したのだろう。それは良いことだ。できればスケッチブックも持たせたい。
ジャケットのポケットにお財布くらいは入れていただろうが、、、。
確かに生活感覚は希薄である。
しかし、価値意識(自分流の美意識)というか、拘りは持っているなとは思った。
その感覚~感性がまず肝心である。
それなしの生活は、あり得ないし。


今日も娘の下校が早かったので、3人で買い物ついでに、ホームセンターで「デルフィニウム」のミントブルーを買った。
夏に弱いと聞いているが沢山店頭に出ており、元気そうなので思わず買ってしまった。
丈も高い。
宿根といっても枯れるものは一年で枯れてしまう。
もともと寒いところの(モンゴルだったか?の)花である。
心配はある。以前、NHKの園芸番組で観て欲しいとは思っていたものだ。
忘れたころに巡り合うものは結構ある。
文字通りの「青い花」である。そこがポイントである。
(花言葉は「高貴」らしい。そういった目で見ると確かに頷ける)。

もうひとつ、「トコナツナデシコ」というナデシコを買った。
耐寒性多年草とある。さらに「四季咲き」とあったので気に入った。
こちらは赤である。赤のグラデーションが美しい。
しかし多年草でも一年で枯れるものは多い。
管理が上手にできるかどうかであろう。
(ちなみに花言葉は「純愛」みたいだ。)
今日買ったのは何れも寒さに強いようだが、これから春~夏を迎えようとする時期である。
何で暑さが好きな多年草を出していないのか、、、。

どちらも冬以外は水はタップリのようだ。
日当たりと風通しの良いところが好きだが、あまり暑いのはダメそうだ。

肥料はデルフィニウムの方が意識的にあげないといけないみたいだ。
ナデシコは月一固形肥料でよいようだ(以前もそんな感じで3年位咲いていたか、、、)。

白い波の中で、赤と青がリズムを豊かにする。


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今日から4年生♡

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この話題を引っ張るのは、本日まで(爆。
何と今日の下校時刻が9:00なのだ!
こんなことがあってよいのか、、、である。
案の定、わたしがカメの水を取り替えている最中に次女が帰宅して来た。
次女はいつでも早い。走って来る。
長女が帰るのは、決まって次女より45分遅れるのが常だがその通りに今日も遅れて帰って来た。
風呂掃除をしている最中であった。
何でもともだちと魔法の練習をしながら帰って来たそうな。

今日は明日の持ち物で、4年生用の新たな名札が必要かどうかが二人の間で論争になっており、長女は絶対必要と説き、次女はそんなもんいらないと吐き捨てていた(論争ではない)。今日帰ったらともかく買いに行こうと誘っていたのだが、次女はそれをきっぱり断っていた。
だが、持って帰った予定表の持ち物欄を見ると、明日の持ち物に4年生の名札も入っている。

次女は「いいも~ン」といって、3を4に斜線で直してクラスが同じだし(偶然)といって直して済ませている。
いつからこういう娘となったのかと訝りながら、長女と買い物ついでに名札を買いに行く。
(名札くらいでそもそも何で言い合いになって意地を張るようなことになるのか)

そこそこ離れたところに学校専用の文具店がある為、ふたりで道沿いの家庭の花をぼんやり見て歩くと、まあよく手入れされていて、皆綺麗に小さな花々が咲き誇っているではないか、、、。ビオラ系が多かったが、、、スミレ、パンジーなどもかなりあった。
中には巨大なウチワサボテンが家の丈位までそそり立っており、ちょっと嬉しくなる家もあった。
中南米でもあるまいし、冬をどう越しているのだろう。

二人に帰ってすぐに聞いたところでは、今度の担任はどちらも新しい(新任に近い)男の先生であるらしい。
4年生はある意味、一番新しい先生に任せ易い学年でもある。
いずれにせよ、家庭訪問もあるし、名札と支柱の他に、ほぼ瀕死状態にある家の鉢植えの花を更新しようという事になった。
つまり花屋にも寄ることに。(花に興味のある先生かどうかは分からないが)

文房具屋では、名札を「二つ」買った。
支柱と丸い囲いはその近くの100円ショップにも丁度良いものがある。
それらを持って(担いで)、ちょっと足を延ばして花屋で花を物色。
最近、白が家ではブームの為、白い花でそれ程、道々で見なかった花にしようという事になる。
結局、丈の大き目の真っ白なマーガレットを二種類買った。
他にもスミレ系の可愛らしい赤と黄色のものも加えた。
(持って歩くのは、意外と大変であることに気付く。いつもは車である)。

ちょっとマーガレットが大きすぎたが、鉢はかなり余っていたので適当なものが選べた。
多年草であることも良い。長女は地植えを望んだが鉢の方が顔色を窺って場所の移動が出来る。
瀕死の鉢物は裏の方へと移し、正面にそれらを置くことに。
土の調合は長女に任せた。保水性・排水性をもつ団粒構造の土とはよく言われているが、、、わたしがやるように彼女も、、、
基本的に、鉢底石を敷いてから赤玉と鹿沼土とバーミキュライトに腐葉土を適度に混ぜて作っている。

まだ、これだという確信の持てるフォーマットは出来てはいない。
当然、植物によっても異なるものだし、、、難しいものだ。
兎も角、出来合いの培養土は直ぐコチコチになるので、使わないことにしている。

わたしはその間、枯れ葉が庭の至る所に落ちている為、とくに射干やミニトマトやイチジク周辺にそれが多いので、虫害を考え徹底的に落穂拾いを行った。モネを想いうかべる余裕もなく、ちょっと自閉的に事を進めていた(笑。
3年ほど前からある名前も知らない端正な青い花を今度、写真に撮って調べることにした。
恐らく鳥が運んできた花である。
この狭い範囲でも、そういう花(多年草)がかなり定着しているオープンスペースであることをつくづく認識する。

かなりきつかったがビニール袋3個分ちょっと危険因子が集まっていた。
その後、暫く寝込んで休んだことは言うまでもない。
まだ、体調も良くなく、睡眠も取れていないのだ。
(眠剤が普通の病院では今後出せなくなってくるらしい)。
わたしも健康的な睡眠スタイルに移行するつもりなので頼らないようにしている。
弱い導入剤であっても痴呆症に繋がる危険は以前より囁かれてきた。


われわれ共々生命の微妙な息吹の(リズムの)絡み合いで環界を生成している。
この極狭い場であっても何とも言えない一体感を醸している。
ミニトマトが採れるだけでもとっても嬉しくなるし、それは買った物より味が濃くて美味しい。
(トマト独自の臭みと酸っぱさが生命力を感じさせる)。
庭に何処からか運ばれてきて定着した花であっても自分の身体性の輪郭内或いは縁に常に存在して揺らいでいる。
それがこちらの意識に登らなくなると(感覚にひっかからなくなると)、枯れていたりするものだ。

次女に真っ新な名札を渡すとまんざらでもない笑顔で受け取った。
ほとんど、庭の植物と変わらぬ反応である。直ぐに名前とクラスを書き込んでいた。
かなり遠回りして、買ってきたというのに、長女は間違えて3年と書いてしまい、それを適当に4に直していた(残。
、、、全く、、、そういうものなのだ。

流れが不意に千切れて逆立したり喪失したり妙な具合に繋がってみたり、、、不協和音も軋むなか、、、
何であっても、、、
健康的な流れに全体として乗ってゆきたいものだ。

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胡蝶花~射干(しゃが)が咲き誇る

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”Iris Japonica”

3年目についに咲く。
しかもすごい勢いで一気に咲き乱れている。
昨日はまだ蕾であった。
つまり、今朝咲いたのだ。
3年前に公園の土手で自生していたのを一株抜いて、家の庭の壁の脇、日陰に挿しておいたらどんどん株自体は強力な地下茎を張り巡らしつつ増殖していったが、一向に(この2年間は)花をつける気配すらなかった。

3年目にやっと咲いたのだが、まだまだ蕾が沢山あり、全部咲くとかなりの花の群れになる。
これだけで気持ちが晴れやかだ。
白い蝶が群れて舞う。
軽やかなリズムに接続する。
とっても爽やかになる。

アヤメ科の常緑多年草で黄色と紫の斑点が絶妙であり、わたしは以前公園の大木の下や湿地に群生していたのをよく眺めながら通り過ぎていたものだ。
色々な公園や神社の日陰に咲いているのが目につき、いつも気になっていた。
今年は近くの公園やお寺では、まだどこにも咲いていない。
(夕方にしぼむのだが、午前中に行っても咲いていない)。

中国原産の帰化植物らしい(しかしとても古くの)。
葉は結構鋭い剣状で檜扇(ヒオウギ)に似ているところから、その漢名である「射干」と名付けられたそうだ。
「胡蝶花」は、ひっそり日陰に咲く様が、蝶が群がっているように見えることからついた別名とのこと。
わたしは後者の方により共感する。
ちょうどそのような感じで眺め入ってきた。
とてもお気に入りの花のひとつだ。
近くで暫く見ていたい。
飽きのこない花なのだ。

全体が青紫のものは、「姫著莪」と呼ばれる。


今うちの庭で沢山咲いているのが、この胡蝶花こと射干と白に薄紫のクリスマスローズと多肉の小さなアーティフィシャルな花々だ。サボテン系の花はなぜこうも人工的な雰囲気なのか?(やはり夕方しぼむ。勤め人には拝めない花かも)。
ツツジも咲いてきた。どれも白が基調でとてもよい。


白はよい。
ちょっと他の色の混ざった白、、、。


「労働疎外より人間疎外」によせて

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、、、、、、、、、

あらゆるものの物象化の時代
人間の個々の価値意識こそに
その解決の糸口が
潜んでいるものありましょう、、、

          「労働疎外より人間疎外」から終盤部分の引用。
        ”エストリルのクリスマスローズ”より。


最近、わたしがつくづく身に染みて感じていることを、いつもながら精緻に論理的に然も詩的にまとめ、指針も示して貰ているので、触発された勢いで、この機にわたしなりに本文に則して反芻しておきたいと感じた、、、。

わたしは、様々な物事に対し距離をもって批評する(俯瞰する)余裕が日頃ないため、いつもじたばたした記事にもあるように生活者として過ごすことが多い(またそれを強いられている)。しかし時には沈潜し遡行し、自分自身の方向性と今後の展望も考える間をもちたい。だがこれに再考の余地があるかどうか、、、。今日は幸か不幸か風邪でずっとベッドにいるので丁度良いところかも知れない。


貨幣(市場)経済によってすべてを平等に測れるものにしてしまったことで、物象化が世に徹底したものだと思う。
その、ものとしての取引や操作、評価は、そのまま人自身~その関係性を支配する構図として定着する。
それが単にシステム上~ことばにより取り決められるやいなや起源は忘却され(透明化され)システム上におけるそのものの価値が内在化し、あたかも本来もっている価値~本質であると信じ込んで疑わない倒錯が自明の状態となる。
共同体の規範(道徳や規律・規則)や認識枠~パラダイムとなる。

自然の流れから、膜構造をもって遅延した段階で自然(エントロピーの方向)から疎外された存在~生命としてわれわれは誕生した。やがてことばを持ちそのことばによって(いや文字をもって)純粋に疎外される(つまり自然を遮断し心的シュミレートを完全に行うことを可能にする)ひとの段階になる。そして記号~貨幣による市場社会において更に(決定的に)疎外される。その関係性によって外傷を受け(リビドーが)内面化することで内面と外界とを現出させる意識が発生し、風景も現れるに至る。
自然というより環界との親和性が極度に低下したことによる風景の現れと物象化~人間関係の希薄化~の極まりは同時(単なる)異なる側面であったか。


引用の最後のところ、「個人の価値意識にこそ解決の糸口が潜んでいる」というくだり、、、。
実際に、そこにしかないとしか言えない。
これまでも、これからも、、、。
そういうものだと思う。
わたしにとっては、個の系をひたすら垂直に伸ばしてゆくイメージでもあり、非常に孤独な闘いである。
(これまでもずっとそうしてきたが)

それに続く結びの「人生とは自己意識の発展プロセスそのもの」というヘーゲル的な一節。
(ヘーゲルの云う自己意識とは他者の承認を要する~前提とする~意識でもある)。
そして自らの価値意識を確認・強固にし拡張するうえでの「制作」~対象化はやはり不可避の行為となろう。
具体的な形態が必要だ。
ヘーゲルは、それを「労働」としていたか。(「主人と奴隷」において)。マルクスもしかり。


具体的な取り組み(労働)を進めよう。計画通りに。
(計画は遅々として進まぬが、、、)。
しかし地塗りは済ませている(爆。




リズムの問題

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風邪で家族全員、屋内待機状態である。

もう何も手に着かない為、ボヤっと過ごす。
子供は二人とも外に出れないので、朝から晩までゲームをしている。
調子悪くてもゲームをする体力はあるのだ。
その後は、訳の分からぬナンセンスアニメをアマゾンプレミアム動画で見ている。
感覚的な堕落はどこまでも出来る。
そういうものだ、、、。
(しかし最近訳の分からぬアニメが多い)。


わたし以外、みな病院に行き、たんまり薬を飲んでいる。
わたしは、血圧関係の薬を7種類毎日飲んでいるので、更に増えると訳が分からなくなる。
だからもう薬は貰わない。
医者との関係も最小限としたいのだ。
それを言うと、店との関係も最小限にしたい。
(全てウェブ取引と宅配にしようかと思っている)。
こちらが主体であるにも関わらず、注意しないとかなりそれを揺るがそうという動きに出てくるからだ。
油断できないし疲れる。


二人はピアノをいつまでもやらないのだが、こちらも寝ていて声をかけられない。
どうにか9時半にやらせることができた。
二番目にやる長女は12時までやることになる。

咳が酷いがやらせる。
次女はリズムがどうにもとれていない。
いつもの事だが、そのあたりの甘さで、上がらないことがある。

何時だろうがやらせたいのだが、騒音を考えて、明日にその分をやらせることにした。
何とも甘い。


躾は出来ていないかと思う。
確かに物語は教え込んでおく必要はある。
それは健康にも影響してくるはず。

リズムの問題である。
リズムを身体性のレベルから教え込むものである。
優秀なスポーツ選手のコーチが言っていることを聞くと、どうやらその辺に骨格があるなと踏むことがある。

理論をサラッと説いたところで、身にはならない。
反復してもっとも好ましいリズムに身体を馴染ませるエクササイズが必要だと最近とみに感じる。
毎日のルーチンを大切にしたい。


ここのところ明治プロビオヨーグルトR-1の瓶入りのものを宅配で毎日飲ませているが、これもそのひとつだ。
飲み終わった瓶を湯直ぐのも含め、繰り返しをひとつでもふやしてみたい。
別に明治の回し者ではない。
先日たまたま親戚を駅に送った帰り道に入った店(オーケー)でそれを複数買おうとレジに持っていったら、ひとり一本だと言われ強制的に一本だけ残して他は戻されてしまった。
これはショックであった。「どうして?」と聞くと
その時、「つれはいるのか?」と聞かれ何のことか分からず唖然としているうちに、「持ってって」レジ店員が別の店員に指示を出し、さっさとレジを終わらせてしまった。「なるべく多くのお客に飲んでもらう為です」とかなんとか言っていた。
そこで何やら言い争うような真似はする気もなかったのだが、、、
「つれはいるのか?」ってどういう意味なのか、、、未だに分からない。

娘に最低2本必要であったため、他の店で購入したが、他の店は購入制限などなかった。
(どこがオーケーだ?)
もうそこ(オーケー)には二度と行かないが、そもそも行く必要もないが、ろくな店ではない。
それは断言する。
娘ふたりに飲ませる分も提供できないくらい入荷が覚束ないのなら、そもそも店頭に出すな!
それからレジにゴロツキを置くな!

噺は逸れたが、なるべく店と病院の関わりは最小限としたい。
リズムの乱れる関係性は極力排除したい。

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次女と公園に

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春休みで天気も良い。
3年生も終わる。

ちょうど姉妹の大喧嘩ついでに、次女が家出するというから車で送ろうということで、公園につれて来た。
長女と公園を訪れることはかなりあるが、次女と来るのは久しぶりであった。
勿論、ふたり一緒に連れ立って来ることが、一番多い。
しかし最近は友達との約束などあって、社交的な次女がわたしと来る機会が減ってきたことは確かだ。
(親離れの傾向である)。

長女はわたしと座るとき、ピッタリ横に腰を落とすが、次女は空間を開けて隣に座る。
だから水ボトルを渡すときにも、手を伸ばして差し出す。
この距離感がそのまま、わたしと次女の距離感である。
長女とは明らかに違う。

暫く、あちこちで買い食いをしてから、熱帯植物園のいつもわたしが読書する公園の噴水の見渡せる椅子に座る。
ちょっとコーヒーを飲むのに適したコーナーだ。
そこで、わたしのメモノートを差し出し、彼女に自分の考え、気持ち、興味などを書かせることにした。

するとすんなり集中して書き始めたのだが、その内容は彼女自身の創作した「怪奇譚」なのだ。
小さい文字で普段使い慣れないボールペンで書いたものだが、自分が友達との遊びの中で経験した「怖い噺」が元になる。
実体験という、昔あるところではない、地続き間~臨場感があり、幼いながら面白い噺であった。
(詰まり、不可思議な出来事ではあるが、特に恐怖感はない(笑)。

わたしがかなり興味を示すと、調子に乗って今度は一作目の二倍以上の分量の噺を書き込んでゆく。
これも実際、友達と経験した怖い噺だという。
「怒らないでね」というからどんな内容だろうと思って読んでみると、、、
ああ、こんなことして遊んでるのか、とちょっと強めの炭酸を飲んだときのような気分になる。

呪いとか御呪いとか都市伝説などから彼女らなりに収集した情報~結束をそれによって強めるというような秘密~から恐る恐る取り出したルールを元に、エレベーターのボタンを決まりに従い順に押していき、途中の階で、誰が入ってきたらどうだとか、女の子が最後に入って来ると自分が死ぬこともあるとか、ホントに死んでしまったら困るから、その前にこうしようなどと葛藤する話が拙いながら臨場感をもって伝わって来る。
結構、それなりに面白いのだ。

噺としては、最初に書いた柳田國男の集めた民間伝承みたいな風合いを感じるものの方がよかったが。プリミティブという面でだが(笑。
一話目の方が好きだというと不服そうであった。


彼女らが真剣に(かかりポゼッション的に)、マンション(10階以上でないとダメなそうだ)のエレベータの前で密談している様子が目に浮かぶ、、、。
学校の隣の公園に集合してから、公民館で遊んでいるとばかり思っていたのだが、そんなところを遊び場にしているとは今まで気付かなかった。
彼女ら固有の濃密な空間が恐らく街のあちこちに点在しているのかも知れない。
そう言えば、長女も秘密基地がどうのと喋っていたことがある。

異次元がまだ残っている場に暮らしている彼女らが羨ましい。
一度、等質空間・線状的時間にくくられてしまうとそこを超脱するには、何らかの理論・御呪いを必要とする。
それでじたばたしているところもある。
いやまさにそれで苦労しているのかも知れない。


まあ、それはともかく、喧嘩はいい加減にしてもらえないか、、、それが一番の頭痛の種である。


Pluto moons



プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面でご覧ください。

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