涼しい夜

次女の強い勧めで「地獄楽 1~8」まで観たが、ここで感想は無理。
この後の大展開が、分からないけどはっきりあるのだけは確かなので、今書くのは難しいというより意味が無い。
最近、Tvで観ている「水星の魔女」もそうだが、人間描写が深いね。
「Dr.Stone」などは、キャラ自体は魅力的だがドラマもとても単純でシチュエーションで愉しませるタイプだ。
地獄楽、葛藤し苦悩する人間がとても魅力的である。
誰にも肩入れ出来る。惜しまれるキャラが直ぐ死んじゃったりして残念だけど、、、。
そして不死の薬~仙薬を探しに行く島~「こたく」が余りに飛んでもない。
そこに飛んでもない連中で乗り込むと向うには更に途轍もない奴ら~天仙様が待ち構えていて、もう凄いことにしかならないが、、、。
キャラも場所も荒唐無稽なのだ。
しかしわたしが例えスーパーマンであったとしても、絶対行きたくない島である。
島の中心部に仙薬がありそれを飛んでもない(いくらでも体の再生する)天仙様とかが守っており、その薬は人間から作られているそうだ。ひとの体中に花が咲いている、、、。
出て来るクリーチャーがこれまたやたらと趣味が悪いキッチュな連中。
仏像や植物全般に趣味が悪すぎる。あんな変な島到底耐えられない。
1分いたら発狂するわ。
趣味が良いのはオープニングとエンディングの曲くらいか。
兎も角、このアニメは全部観終わったところで感想を書きたい。
展開が凄まじすぎる。絵~キャラも申し分ない。
凄く嵌ることは確か(うちのふたり娘はどちらもドはまりしている)。
日本のアニメの質の高さはホントに驚異。
ではなく、驚愕。(笑。
何と言うかそれはよいのだが、、、。
アニメ全話観ると謂うのも大変。
一度に観るのは体力的にシンドイ。
一話ずつ観るのはゆったり見られるにせよ、最初の頃どうだったか忘れている。
何に対しても、何においても、情報を得るということは、生半可なことではない。
科学モノの本やTVを見ていつも感服するのは、科学者たちの事象に対する真摯な姿勢と弛まぬ努力である。
あの姿を観ていると、ひとはこうであらねばと思う。特にあの継続と集中。
画家の対象に向かう姿勢もそうだ(何処に対象を定めるにせよ)。
気持ちがチリ散りで、常にあちらこちらに振り回されている身としては、沈潜する場が何より欲しいし貴重である。
最近では猫~トラが実にタイミングよくちょっかい出して来る。
子供がもう一匹増えた気もするではないか。
取り分け痛いもののひとつに、「ねえ、あれ何処に在るか知らない~」である。
これでわたしの一日がほぼ崩壊する場合があるのだ。
情報を持続的に集中して得る時の対極に追いやられる状況であろう。
翻弄されるばかりの日がここのところ続いている。
ここに創造や発見は無い。
良くって失くしたモノが見つかるくらい、、、。
(実は、まだ探し事が続いているのだ)。

毎日公園散策

毎日の公園。人混みは、コロナ前とほぼ同じ。
しかし場所によっては、3時間を過ごしても、地元の人ひとりと外国の御夫婦一組しか逢わずに広々とした鬱蒼と茂る緑の中で過ごすことも出来た。
このGW中の混雑・人混みのニュースからは別世界の空間である。
3つの中で一番大きな公園の何もない空き地には、キャンプ用のテントが密集して犇めいているのには笑った。
これでは、緊急避難所だ。
3つの近場の公園に自転車で行ったが、どれも空気と水が良い。
一つは人混みは、以前の休日に戻っていたが、他は少なかった。
そして地元のわたしのような者しかしらない、一歩奥に足を延ばせば、ほとんど人とは出逢わない、濃密な緑の匂いの充満するなかで癒されて帰って来るのもアリ。

明日から二日間、雨という事で外には買い物で出るくらいであれば、晴天の内に出掛けておいて良かった。
雨の日の散歩もまた違う楽しみはあれど。
そして外出中、猫がわたしの部屋に忍び込み、猫のおやつ用に買っておいた、通常の餌よりかなり高めの御馳走の袋をほとんどすべて爪を立て食いちぎり、床に零しばら撒き散らしていた。
オマケにかなり暴れていたらしく、ルーターの電源を入れたコンセントのスウィッチまで切っている始末。
ちょっと甘やかし過ぎたか。
しかし娘に比べれば、、、
それ程ではない。しかるべき時は叱って来た。
猫に「娘はどうなんだ」と言われたら返す言葉もない。
ただ、猫はそんなことは言わない。比較などしないから。自分の道を行くだけ。

欲望の赴くままに。
猫が時々抜け出して何処かに行っていたのも、わたしが公園に行くのと同じような気分であったか、どうか。
しかしわたしは、猫程、吹っ切れてはいない。
もう少し手放さなければ、、、
身を重くするものを。

トラ又もや外遊か、と思いきや

昨日、トラ(猫)が突然、長女の部屋から姿を消す。
扉もベランダへのサッシも全部閉めてあったのに、と思いつつ小さな出窓も確認してみると何とそこの網戸が全て破れているではないの、、、そこから屋根をつたえば簡単に外には降りられる、、、。
またしても、、、と思ったが、前回も前々回も5日、3日で帰って来たので、まあ一周間は様子をみようという事になる。
気候も良くなってきて寒さの心配は無いし風は強いが大丈夫だろうということで、久しぶりに猫のいない一夜を過ごした。
勿論、前の時のように玄関先に餌と水は置いておき、、、。
すると何と今朝、それもかなりの早朝である。2階の廊下で「にゃ~にゃ~」声がするではないか。
何とか起き上がり、時計を見れば、まだ4時過ぎというところ、あれまあトラちゃんお早いお帰りね~と言って取り敢えず餌をあげるが食べようとしない。前回は何やら聞いたこともないことばみたいなのを喋りながらガツガツ食べたのだが、お腹も空いていないくらいのスパンで戻ったのね。
2階は全て部屋の扉はきっちり閉めてあるので、いきなり廊下に存在することは不可能。
とあらば、一階から廊下を上がってやって来たことになる。
何処から来たのかと謂えば、勿論異常に朝の早い母親の部屋から中に入ったのだ。
母は起きた瞬間、全ての窓という窓を開け放つのだ。きっと何かのお告げでも受け取るために違いない。
だから猫はその前で待っていれば、サッと入ることが出来る。
しかし母は猫の入ったことは全く気付かない。
そうしたものだ。宇宙の摂理に適っている。
後で、実は猫が昨日外遊に出て今朝帰還したことを妻から初めて聞くと、そういえば昨日外でトラそっくりの猫に出逢い、「トラちゃんか?」と聞いたら向うの猫がじっとこっちを見ていて、ふたりで暫くの間ずっと見つめ合っていたそうだ。
そのままふたりとも踵を返して離れて行ったようだが。
トラもきっと答えようがなかったのだ。
トラでなくても誰もが答えられまい。
そうしたものだ。宇宙の摂理に適っている。
空いた窓から何が入って来るかは分からない。
常に宇宙線は我々に降り注ぎ、ニュートリノは地球を射抜いて行く。
勿論、我々は磁場と大気に守られアイデンティティは保たれ何となく生きてはいるが、、、。
マレビトも音連れていたかも知れない。
もしかしたらこの「にゃ~」かも知れなかった。

雨が降れば寒い
ウルトラマンで暑い

「シン・ウルトラマン」の主題歌「M七十八」(米津玄師)ほぼ毎日聴いている。
そのMVがまたとても良い。そのMVだけで全ての回想が出来る構成となっていて素晴らしい。
しかしゼットンがあんなにグレードアップしていたかと驚愕した。
ウルトラマンでもここのところ、、、、
「ウルトラマンデッカー」を少しづつ観ている。
まだ4話目だが、何とも言えない。主人公が脳筋過ぎる。
ヒロインが一生懸命で一杯一杯な感じ(中国国民も応援しているはずだが、余裕が欲しい)。
ウルトラマンってもう少しミステリアスな雰囲気が漂っていなかったかしら。
カプセル怪獣と昔懐かしい怪獣が出て来るのは、素敵。エレキング嬉しい。
娘二人は、「機動戦士ガンダム 水星の魔女」がやたらとお気に入り。
これもそのうちに観ないと、、、。
「ブルーロック」のSeasonーOneが終わったようなので、感想は書いておきたいところ、、、。
スポーツアニメはこれまで観たことが無かったし、サッカーファンでも何でもないのにこんなに面白いアニメは正直観たことない。
UNISON SQUARE GARDENの主題歌も良かった(わたしは、日本ではこのグループに注目している)。
それから「DoctorStone」のSeason2がTVで始まっている(水星の魔女もそうだが)一緒に楽しみにしたい。
実に受け身の生活姿勢だ(爆。

ここ数日間、直ぐに汗ばむので、太るのはホントに不味いと思っていたのだが、単に気温が上昇したせいでもあったことに気付く。
ともかく、暑い。ちょっと動くと暑い(これはふとったせいか?)
食べ過ぎに注意と散策を目標にしたが、気を許すと自転車に乗っている。
長距離ツーリングなら運動~代謝に役立つが、近所にお買い物では、ほぼ何にもならない。
今日は長女が少しばかりランニングしたいということで(脚の捻挫が快方に向かって来たので)調整に付き合う。
自転車で(笑。
何と言うか歩き方がしっくりこない、と言うか歩き方を忘れてしまった感がある。
これから何でも自転車というのも悪くないが、出来ればウォーキングをそれらしく決めたい(笑。
ダイエットの為にも、それ用のスーツは買い込んだので、何とかしたいものだ。
汗をかくなら大量にかきたい。
きっと気持ち良いはず。
明日から始める。
決めた。
「シン・ウルトラマン」の主題曲、この勢い、覚悟で頑張りたい(なんのことだ?
”微かに笑え あの星のように”
”痛みを知る ただ一人であれ”

猫、突然の帰還

早朝、長女が猫が帰って来た夢をありありと見た、という。
午前中、近所の奥さんがお宅の猫ちゃんがさっき、玄関先で餌を食べてたわよ、と教えに来てくれる。
おまけに野菜まで持ってきて教えてもらい、有難いことこの上ない。
(今、野菜が貰えることは、もっとも嬉しい(笑)。
そして二時にベランダに干した洗濯物をそろそろ入れようかなと思っている頃、、、
猫の鳴き声が。
また二階から入って来たのだ。
恐るべき、忍者猫。
しかし驚いたのは、鳴き声と鳴き方。
これまでに聴いたことが無い大きな厚みのある声と人の喋りを真似たようなちょいと文節を感じる複雑な鳴き方、なのだ。
わたしが子供時代に共に暮らした白猫のホキも人の喋りみたいな発声をよくしていた。というよりそれに意味を持たせていた。
このトラがよもやそのレベルにまで迫ったのか、、、と驚くが、、、。
ちゃんと戻って来たので、美味しいおやつをわざわざ買ってきて食べさせるとこれまでに聴いたことの無い何かを大きな声で何やら言いながら一心に食べている。
これは、うちに必ず一度は餌を食べに来ていたとはいえ、まともなものは喰えていなかったかひもじい思いをして来たのでは。
だがそれと同時に、何か賢くなったようにも想える。同じ顔はしているが、、、
さすれば、独り旅もまんざらでもない。

しかし暫く一緒にいるうちにこれまでのトラでしかないことも分かって来る。良くも悪くも。
身体を猫用除菌ティッシュで何遍も丁寧に拭いてあげると喉を鳴らし気持ちよさそうに、向こうからも身体を擦り付けて来る。
でれっと横たわりリラックスしたかと思うと、わたしの腕を噛んで来た。咄嗟に腕を引っ込め、ダメというポーズをとるとスッと身を交わして棚の上に飛び乗って身を隠す。
そうなのだ。この猫は噛んだり引掻いたりが、ある意味親愛の情を示す所作でもあるようだ。
その辺は、一生変わらないのだろうな。
これからも、撫でていて目をつぶっているような時でも一定の緊張感のうちで微妙な距離感も保っていなければなるまい。
まあ、そういう猫なのだから、それを踏まえて関わっていくことになる。
この猫がよもや腹を上にして万歳ポーズで寝るような場面は想像つかない。
これも個性だ。
夕方に長女が帰宅し、猫を発見して喜ぶ。
猫が帰って来たこともそうだが、夢が正夢であったことに対するものでもあろう。
猫と繋がったね、と言うと殊更嬉しそうにしていた(しかし確かにそうかも知れない)。
今朝は登校前に次女と大喧嘩してどうなる事かという流れであったのだが別の流れが救ってくれた。
そう、われわれはいくつもの流れを乗り換えながら一日というスパンを生きていると思える。
必然とか偶然とか言いながら、、、。

今日は、最近の話題作「ぼっち・ざ・ろっく!」全12話一気に観てしまった。
明日、感想を軽く書いておきたい。
猫

今日、ピアノ塾の先生が、お宅の猫ちゃんじゃない?
と、わざわざ隣の車の下にいる「トラ模様の猫」を見つけて教えてくれた。
有難いことである。
気にかけてくれているのだ。
丁度、犬の散歩中に見つけてくれたようだ。これまた、ただ歩くのとは趣が異なる。
何でもジェラール・ド・ネルヴァルはエビと散歩していたというから、かなりの異世界を探検していた可能性が窺えるというもの。
確かに、この散歩というのが、自転車や車の速度・視界では見えないものに出くわす可能性を開く。
単にディテールの確認というだけでなく、普段目に入らなかった建物に初めて気づいたりも、、、。
その中にいる住人と目が合ったりすることもある。
車や自転車でそれはまずない。
最近、わたしも散策するようになったことから、その感覚~マップ感が面白い。
その身体性と速度による世界が生成されている。

猫を気にしていれば、自ずと猫の時間系に入って行けそうな、、、。
そうそんな気持ちでいる時は、やたらと猫に出逢うことが多い。
確かに、猫になっている。自分が。
何かに気付き追ってゆく後姿やずっと座り込んで様子を窺っている猫にスッと出くわす。
交差する。生垣の中で。車のボンネットで。電信柱の脇で。軒先で。暖かいテラスの下で、、、観葉植物の葉っぱに鼻を摺り寄せて。
そう、他者になるなら、いっそ猫になりたい。
時折、カラスも面白そうだが、、、。
エビはちょっときついか。いきなり外骨格はない。
猫に見つけられたら喰われるかも。
猫は不在でも結構楽しませてくれるモノ。

重い

導入した”遊び”のマニュアルを読んでいるのだが、指示されているものが何処に表示されるのか分からなかったり、どの窓で確かめるのかも判然としなかったり、とても困っている(爆。
アプリケーションの使い方など、普通は直ぐに鳴れてしまう方なのだが、今度のは戸惑い続けて一日過ぎた(笑。
何だかまた、爆食いしそうな気配だ。
最近、思うように物事が進まないと、スウィーツとかやたらと食べてしまうのだ。
しかしちょっとその前は、肉類をバクバク食べていたのだが、どっちがまだマシなのかは、分からない(苦。
ともかく、今日は一日ダメ。
全くダメ。
重い。
心身、特に頭が重いのだ。
どうしてしまったのだろう、自問自答。
自在に使いこなせれば結構楽しいはずなのだが、、、。
これは大変だぞう。
恐らく読んでいる方には何のことだか分からないものだろうが、わたしもよく分からないので説明も付かない(爆。
少しでも状況が好転した時にお話し出来たらすることに。
これはイントロだったのか、、、。

猫は相変わらず外遊を続け、玄関先に出してある餌と水はしっかり補給しているみたい。
みたい、というのは、うちの庭を他の猫も横断するのを見たことがある為、必ずしもうちのトラとは限らないのだ。
兎も角、二か月ほどは様子をみたい。
元々、余り人に懐かない半野生猫であったものだし、餌だけ食べに来る通い猫でもよいと思う。
それは、彼が決めればよいこと。
こちらとしては、どちらでもよい。
自分の好きなように自立してゆけばよい。
それしかないし。
わたしはホントに自立しているのか、、、何だ唐突に。
恐らく、今関わっているスキームを攻略出来たら自立している、という事にしたい(爆。
それくらいの壁である。
乗り越えたいものだ。

何かこういうものって必要なのね。
何をやっても何処にいてもコード化された光景に取り囲まれていると、、、。
他者の取り込みの契機でもある、きっと。
それにしても今日が重い。
今日は新しい遊びを仕入れた

毎日のルーチンだけ熟していると全てが遅くなってくる。
動きがとても緩慢になる。
そんな感覚に陥る。
わたしの場合において、であろうが。
固有時の問題~実感を騙っているのでそれまでの事。
要するにもっと素早く動きたいのだ(笑。
最近、ノロノロし過ぎている。
重くなったし。単純に太ったことが大きいが。鈍重なのだ。
自分では、料理以外は全て遅くなった気がして、何とかしたくなった。
という事で、ちょっとしたゲーム感覚で出来る遊びを導入することに。
場合によっては、多少の小遣い稼ぎにも繋がるか。
どうかは、分からない(笑。
それはともかく、面白ければそれでよい。
Web上で出来る事である。
そこだけで完結する事。

もし何かそれなりの成果が出たらここで(具体的)ご報告はしないと思うが、記事に何らかの反映はするかも。
妙に前向きになったり、明るく成ったり、やる気になったり(爆。
そんなことが起きてもわたしとしては一向に構わない。
ダダの人たちみたいにシャツを取り換えるみたいに自分を取り換えて行けたら随分、加速するはず。
しかし今回もまた、端末でのアクションによるもの。
課題の「ウォーキング&ダイエット」が実質、残る。
更に、本が全然読めていない。
もうしばらく、色々と下拵えが必要なのだ。
ここに居ながら地下活動(爆。
確かに企ては常に必要。
とは言え、散策だけは無理やりでもやるぞ!
(こう宣言でもしないと、やらないな)。
そうだ、新しいゴミ箱がひとつ欲しい。
では、そういうことで。

おやすみなさい。
皆旅行中

猫がここ数日、外遊中なのだが、妻と二人の娘も温泉で有名な土地に旅行中である。
母親はいるにはいるが、恐らく生まれてこのかた、自分のこと以外に興味・関心を示したことがない人間の為、コミュニケーションの発生はない。
他の生物との接触は、多肉と観葉植物に水をやり、カメの餌やりと水取り換えの時くらいである。
この際に、ことばのやりとりは一切ない。念のため。
こういう時に気を付けなければならないのは、わたしの場合、ひたすら食べてしまうこと。
これだけは意識的に注意しなければならない。
ただでさえ最近非常に太って来ているのだ。
とても疲れやすい。
動いていないこともある。
わたしは基本的にとてもお喋りな方であり、誰とも話さない日がこうまで続くと、流石に色々な機能がエコモードになる。
一般的に言えば、沈んでくる。
発話が無くても、ブログがあれば、内言語が吐露できるものだが。
健康上、多少は役立つとは言え、、、
ある程度、精神面においては、というところ。

だから散策はしている。
こういうのが得意という人(それなりのスーツで決めてウォーキングを愉しめるタイプ)は良いが、、、
わたしはあてもなく歩くのは苦行となる。
何処かにリュックを背負い買い出しに行くとかいう目的で歩くのならストレスないのだが。
独りで暮らす分には、これといって買うものもない。
食料は、結構備蓄されているのだ(意味もなく)。
賞味期限スレスレのモノを昨日はかなり食べてお腹がパンパンになってしまった。
今日は朝からずっと気持ちが良くない。
気の出入りが悪い感じ。
やはり人間は「ちくわ」状態なのが一番りそうてきなのだ。
何でも自在に出入り出来ることが肝心。
恐らく吉本隆明が、春の宵子と吉本ばななのお弁当に必ず「ちくわ」を入れていたのは、そういうメッセージもあってのことだろう。
ともかく、わたしの当面の課題は、ウォーキング&ダイエットである。
後は、映画に飽きた。
どうしよう。
元々好きでもないものに関わって来たのだが、それでよく3292記事まで続いたものだ。
そうこのブログもどうしょもない形に太ってしまった。
外遊から肥満の噺に繋がってしまったが、体が重いと軽やかなフットワークも出来ない。
自分の外に出て、自分の中にも自在に出入り出来るような、そんな場でありたいものだ。
色々と考え直す時になったような、、、。

全て良好

特にどうということはないが、これは進めようというものと、これは辞めたと踏ん切りのついたものとで、スッキリしてきた。最近のことだが。気持ちの上では、どっしり落ち着いた(笑。
勿論、不安定要素は幾つかあるが、それも想定内でこちらのコントロール下にあれば問題ない。
要するに制御できれば気にするところではないというもの。
毎日、相変わらずの雑事に追われており、それに加えて煩雑な設定作業も入ってくる今日この頃。
又しても以前見た映画を初めて観た気分でつい先ごろまで観ていた(爆。
だから今日は感想は書けない。
最初の5分で気づかなければ重症かも。
記憶が今一番、不安ではある。
そう、言葉が最近素早く出てこない。
ゆっくり話すと娘がイライラしだす。
ゆっくり噛みしめるように話すと感動的な場合もあろうが、虚空に言葉の端々を探ってたどり寄せて喋るものだからもどかしいし、そのリズムは娘にとりイライラなのだ。
とはいえ、そんなに遅いという訳ではない。
かつてのように、滑らかに淀みなく話せなくなったのは確か。
だから他人と話すときは、短いセンテンスで用を足すようにしている(笑。
以前はかなり長い話を整然と話していたものだが。
感覚としては自分が自動的に話すのを聴くという感じ。
本来、話すとはそういうものだろう。
自分という他者のことばを聴く行為。
そこには決まって、驚きがある。
自分の騙りに瞠目することすらあるもの。

ある意味、喋ることは芸術的行為でもあるか。
そういえば、話は若干逸れるが、最近頻りに取り沙汰されているChatGPTだったか、従来のAIからは飛躍を覚える自然で熟れた文章を生成するAIであるが、それがWinのEdgeに標準搭載されているBingに使われているようだ。
試しに早速質問などしてみたが、どうやら開いているページの内容に即した答えを生成しているみたい。
丁度、メディアの再生ソフトのページから質問をしたものだから、その質問とメディアプレイヤーを絡めた、見事な商品売り込みブログにそのまま使えるような洒落た文章がしこたま溢れ出てくるではないか。
呆れた。これだとブログの商品売り込みコンテンツの量産など造作なくできてしまうぞ。
検索力(学習力)と絡めた流暢な文章生成力は、使いみちは物凄くあるはず。
ともかく文章がとっても自然なのだ。
ここが凄い。
何でもこのChatGPTはGoogleを超えているみたいだ。少なくとも現時点で。
当然、Googleも盛り返してくるにせよ、最早Google一強の時代ではなくなることからくる波及は各方面に対し大きそう。
わたしとしては、もうこれから言葉がどこから舞い降りてこようが構わない(笑。
ちょっとした言葉の投げかけで、思いもよらぬ面白い文章〜お喋りが還って来る分にはなんであっても良いことだ。
これからは、Bing遊びに熱中してしまうかも。
(これでまた再びマイクロソフト〜ビル・ゲイツが強大になるな)。
ちなみにChatGPTはOpenAIという会社の開発した画期的な人工知能チャットボットである。
ビル・ゲイツはそれに対し多額の資金援助をしているみたい。
その一番上の方の情報はほんとにお宝ですな。
ともかくこれからは激変する。車の自動運転、燃料、学習を超えた即興的な文章作成、、、など
おそらくAIが囲碁の勝負で名人を負かすように、小説家より面白い本を書いてしまう日も近いかも。
音楽や詩も作ってしまうと言うし、、、。創造の点でも人を凌駕してきそうだ。
わたしとしては、その能力〜システムを自分の為に利用したい。
ともかくワクワクするだけ。
