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お気に入りCDを作る

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娘たちのお気に入りの曲が増えて、あちこちからその都度選んで聴くのが面倒になって来たので、ゲームをやる時間を切り上げて、「お気に入りCD]を一緒に作ることにした。
Web上から直接聴いているものは、ソースがないので今度お店に調達に行くことにした。
取り敢えず、長女の好きな曲を集めてプレイリストにする。
同じ人で3~4曲あったりするが、今回はなるべく一曲に絞る。色々聴きたいのだ。
アニメ系の曲がどうしても多くなるが、ポップスの名曲~逸品も入って来る(笑。


水曜日のカンパネラ、、、桃太郎(アニメを見ながら聴くと更に味わい深い)
夢みるアドレセンス、、、サマーヌード・アドレセンス(文字通りガールズ・アドレセンスパワーが弾ける。歌詞が良い)
ももいろクローバーZ、、、Moon Pride(これしかない。ただアニメで歌われていたVersionの方が更にかっこよい)
中谷美紀、、、砂の果実(これはわたしの青春?長女も気に入っている)
上白石萌音、、、変わらないもの(366日でもよかったが、何となくこちらにした)
Ceui、、、mellow melody(彼女が昔よく聴いていた曲。アニメはまだ観ていない。『sola』のエンディングテーマ)
石川智昌、、、アンインストール(『ぼくらの』オープニングテーマであるが、アニメはまだ観ていない。歌詞が印象に残る)
乃木坂46、、、何度目の青空か?(いくちゃんセンターの曲!PVがこれまたよく出来ていて面白い)
菅野よう子*手嶌葵、、、Because、a little becuse(アコースティックギターの音色と手嶌さんの英語ボーカルが心地よい)
清浦夏実、、、すぐそこにみえるもの(アニメ『ささめきこと』のとてもリリカルでしっとり聴かせる曲)
菅野よう子*清浦夏実、、、お弁当を食べながら(ほっともっとのCMソング。聴くたびに感動する。流石は菅野さん)
遊佐未森、、、野の花(一曲絞るのは困難。歌詞が好きだからということで)
本田美奈子、、、天国への階段(この曲はアレンジを受け付けない曲だけど、本田さんの雰囲気で)
手嶌葵、、、テル―の唄(谷山浩子作曲の『ゲド戦記』の劇中挿入歌。萩原朔太郎に影響を受けた歌詞だという)
宇多田ヒカル、、、初恋(この中に入れるのはちょっと強引。だがお気に入りなので。天才の名曲)


の錚々たるアーティストのよく聴く曲を選んで、かなりランダムに並べてリストにした。
1時間10分程なので、一枚にすっぽり焼ける。

下川みくにと高橋 洋子は、今回は割愛したが、多分明日作る次女のCDには入る予定。
やはりエヴァンゲリオン不在ではちょっと、手落ちであろう。
次女だと「進撃の巨人」も入って来るか、、、。

ここのところ、二人が凝っている”東方Vocal”については手持ちのソースがないため、わたしが暇な時(常に暇だが)ダウンロードか近くのお店に見に行くことになるはず。しかし、「東方Project」というものはまだわれわれはよく分かっていない。
シューティングゲームのBGMのアレンジからはじまっているそうだが、歌手(ボーカル)もインディーズの趣味系の人ばかりらしい。
確かにインディーズ臭の強い面白いプロジェクトだ。曲はノリが良くって歌詞も韻を踏んでいたりしてついつい聴いてしまう。
CM曲では”電気グルーブ”の「ガリガリ君」も強烈だが、些か強烈過ぎる。
この中には入れられない。だが、これもお気に入りの曲だ。
わたしとしてはアニメ「コジコジ」のエンディングテーマ「ポケット カウボーイ」が一押しだが。
これも周りの曲に馴染ませるのは難しい(笑。
菅野さんで行けば、Origaのボーカルを配した”Exaelitus”(LEXUSのCM曲)が重厚でインパクトは充分である。
彼女の攻殻機動隊の一連の曲を想い起すものだ。
BGMであれば、菅野さんはたくさんある。例えば「中国12憶人の改革開放」(NHK)などかなりの名作だ。
完全にクラシック~現代音楽になるが。
娘たちも自分の弾く曲から次第にクラシックに近づいて来ているので、そのうちクラシック・現代音楽お気に入りCDも良いが、一曲が長いため色々集めるコラージュの面白さがないか、、、。

色々選んでいるうちにとても懐かしい曲に出逢い、暫し感慨に耽ってしまうものだが、そこがこんな作業の愉しいところでもある。
ひとつは木村弓の「いつも何度でも」久しぶりに聴き入ってしまった。

記憶の再編に関わる仕事~遊びでもある。
人生をゆったり味わうための。


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東方ボーカルとは、、、



「メイドノココロハ アヤツリドール」 【森羅万象】

娘たちがハマっているピコピコサウンド。
わたしにとっては、とても懐かしい。
かなり身体に馴染みザワザワする音だ。

ただ、【東方ボーカル】なるものが、どういうものなのか知らない。
プロジェクトとして存在するらしいが。
もう10年以上も前から流行っているといいうから、曲がやたらと多いのも分かる。

わたしもたまたまこの曲から入ったが、他にもツボを刺激する曲は幾つもあった。

ときどき聞いてみたくなるピコピコ音である。
こうした音のわたしにとってのルーツは、やはりYMOか、、、。
そういえば「細野晴臣イエローマジックショー2」というのを昨晩やっていた。
昭和テイストの間延びしたスカスカの物凄く臭い、いい感じのコント番組であった。
ドリフのコントより落ちのないやつだ。
途中で寝てしまったのでどうなったか知らないが、見るまでもなくどうにもならないものだろう。
また来年も見て途中で寝たいものだ。

初恋の分析

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今日は、娘の女子会があり、わたしも「マーブリングで綺麗なセンスを作る」という講師に呼ばれその時だけ参加した。
後は、わたしの関与したのはわたしの部屋でシーケンサーを使い、ハウスミュージックを即興で鳴らしまくった時くらいか。
お友達はピアノやキーボードも弾きまくっていた。娘たちにも刺激になったと思う。
どれにしてもパソコンに入れればいくらでも編集して面白い曲に仕上がるものだが、iMacが壊れてからは何もしていない。
お友達が帰ってから、録画しておいたTV番組をいくつか見た。
そこで思ったことなど、、、

論理的な分析は想像力の届かぬ場所にわれわれを導き、その思いも及ばぬ帰結に(過程であっても)新鮮な驚きを与えてくれるものだ。
飛躍した認識~外部の思考を共有できる(過程の流れの理解は別としても)。
芸術においては、例えば天才的な芸術家の閃き・洞察などは確かに驚異的で素晴らしいが、その認識はやはり彼だけのものに留まる。
彼の「未知の言語」~表現(形式)を畏敬の念で見る(聴く)ことで感動することは出来、貴重な体験を得るが、知的にそれを利用できるかというと、それ自体は無理だ。
作品(帰結には違いないが)を見て驚き圧倒されても、それは現時点の自分が個人的に感じ取るなにものかであって、自分なりの読み解きが可能なだけだ(ほとんどは無言のしこりみたいにずっと持ち越すことになる)。

わたしが科学に惹かれ、科学特番が気になるのは、明快に新たな認識が得られる(少なくともその契機となる)ことからだ(そんな番組は限られてくるにしてもとっかかりにはなる)。
そのため、番組表にそれらしきものがあると予約を入れてしまう。アマゾンでその関係の本を注文してしまう。
(TVでは、科学特番と美術・クラシック音楽番組と乃木坂46ものと、時折映画を観るくらい、、、そうだスケートも最近観るか)。

だが、芸術に意味がないということを言うつもりなど毛頭ない。
(どちらかと謂えば、わたしはそちら側ばかりを論じてきている(爆)。
芸術は極めて感覚的・感性的な形式である分、身体的であり距離がない。
言語以前の領域に働きかける部分が大きいため、すぐさま意識の変容を齎すというものではない。
しかし、芸術に触れることで確実に存在そのものは変容する。

科学は抽象的な内容であっても普遍的な概念~言語の獲得によって知的な認識~志向性・探求が可能となる。
何処までも微細に大きく遠方に又は異なる次元にマルチバースに展出する。
芸術は身体~無意識に訴えかけ、知らぬうちに受容性を深め~感度を高め、存在そのものを変えてゆく力を持つ。
われわれにとって、車の両輪のようなものではないか。いやひとつの鋳型の片割れ同士のようなものか。
両者は(人間の思考の根底では)、もともと切っても切れないものなのかも知れない。
有名どころでは湯川秀樹の「素領域」という概念(の発明)が李白の漢詩「夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり」や 芭蕉の句の「月日は百代の過客にして行き交う年も又旅人也」にインスピレーションを得ているということ。


そこで「素領域」みたいな概念の発明が生まれれば、幸いである。
ジル・ドゥルーズは哲学とは概念の発明である、と述べる。
そう、全ては思想である。
言語の営み~作用である。

何を言おうとしているのか、、、今日はすでに酒が(シャンパンだが)入ってしまっている、、、
わたしのブロ友のST Rockerさんがいよいよ宇多田ヒカルの「初恋」の数学的分析に乗り出した。
(以前、わたしが頼んだ件だ)。
はっきり言って”面白い”。
こういう試みは、とても刺激的なものだ。
ある意味、芸術を科学することにもなろう。
(これまでにも雰囲気的にはあったとは思うが、もっと徹底したものである)。

ウンベルト・ボッチョーニなどの未来派などは、科学の成果を取り込み応用し芸術を革新した。
写真から発見された様々な運動(法則)を絵画に昇華させた作家も多い。
写真そのものの化学的性質を利用して作品化したマン・レイ等。
更に活動写真の芸術への影響は大である事は良く知られる。

その逆側からのアプローチとなる。
これほど誰をも唸らせる芸術の感動がどこから来るのか、、、。
その構造を探る。
どうやらf/1揺らぎ等とは、関係ないとのこと。
音の数の少なさ、少ない音の分布等々から見えてくること、、、その他。
これからが楽しみである。

とても興味深い考察となる。
わくわくする。

レキシ - SHIKIBUを聴いてしまって、、、

SHIKIBU001.png

この”レキシ - SHIKIBU”、ブロ友の”日々ゆらり。”のAuthorであるmuzi-qさんの紹介で初めて知った。

”SHIKIBU feat. 阿波の踊り子”というのが正式名なのか、、、。レキシのファーストシングルのMVだそうだ。
何となく聴き始めてから、今や中毒状態であり、わたしよりも長女の方が重篤である(苦。
「もう一回聴く」と言って、何度も聴いて(観て)いる。
わたしとしては、特に、、、

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
     雲がくれにし 夜半(よは)の月かな~

、、、これが詠まれるところで戦慄を覚える。
やはりセンスである。異様に(不気味に)高揚して美しい。
サウンドに完全に融合し、古典的で神聖な雰囲気すら帯びる。
ここのところ、この歌を長女と一緒に唱えている。

ご存知の通り紫式部の歌で、天智天皇に始まる『百人一首』の57番にも付されている。
(折角逢えたのに、月がすぐに雲に隠れてしまうように去ってしまわれた)。

ひたすら京都の寺(建仁寺や知恩院や清水寺に木屋町通りあたり)を駆け抜ける紫式部に公家が追いすがるだけのシンプルで悪乗りのコミカルMVなのだが。紫式部のコスプレをしてタフに逃げ回るのが”レキシ”=池田 貴史という人らしい。
児童の登校の旗振りの保護者(先生か?)が笑っていたのが印象的。
歌も何ともキャッチ―でハイテンポのベースラインの効いたノリのよいサウンドだ。

こういう系統のものとしては、”水曜日のカンパネラ” の「桃太郎」など思いつくが。
「桃太郎」もmuzi-qさんの紹介で知って、中毒になった。何度繰り返し聴いた(観た)ことか、、、依存症か?

だがこのヴィデオの飛んだところは、MVの途中で「長篠の戦い?」が突然挟まれるところだ(レキシだからか?)
「武田、織田に派手に負けたな~」とか言っていたから多分そのはず。だがそっちはどうでもよく、馬のことばかり唄っていた(馬はいいよな~、パカパカいうしな~、みたいな?)。
飛んでもないシチュエーション~別の文脈が、突然割って入るのだ。
しかも曲の構想を練っている(ディスカッションの)こじんまりとした一場面?で、パーカッションに合わせてセリフを唄っているというような、、、もの。
この違和感がこれまた妙にしっくりして、更に面白いコラージュMVの世界を創りあげていると謂えるか。
これも「桃太郎」に引けを取らない「絶妙なナンセンス」である。

ともかく、くどくど述べても埒は明かない。
百聞は一見に如かずで、観てもらえれば、一発で納得であろう。
池田 貴史氏の走り方のバリエーションにも注目あれ。もう最後の方はエイリアンばりである。
(宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の妖怪みたいでもある)。
兎も角、「しきしきぶ~ぶ~ しきぶ~ぶ~」で飛ばしまくる5分超のMVであった。

紫式部像前で出だしと同じ「ヘイ!」で終了するが、また出て来て、、、
ああ、よく走って疲れたわい、、、と鳥が飛んでゆく中を、ふたりで並んで帰って行く、舞台裏みたいな感じでフェイドアウト。

また、観たくなる(笑。






Epitaph ~ Sea Song ~ Grand Hotel

今は亡きグレッグ・レイクによる” Epitaph ”



クリムゾンの” Epitaph ”が少しスマートになっている。
音楽の歌詞に最初に共感した曲。


そしてロバート・ワイアットによる” Sea Song”



感性が溢出する。箍を外れて、すべてを覆い尽くすほどにひたすらそれは美しくてよいのだ。


絵とロックとコンピューターそしてカフカをはじめ何人かの作家がいなかったら、わたしはどうなっていたことか、、、。


最後に、わたしにとっての唯一のロックグループ、プロコル・ハルムの”グランドホテル”


ロビン・トロワーとマシュー・フィッシャーがいないが、彼らの最高傑作が生まれた。


病を完全にあっけらかんと対象化しきっている。
一分の隙もなく完璧な構築美によってぬけぬけと作品にしている。
わたしの方向性がはっきり見えた。



続きを読む

ブルー・マンデー


何度もリフレインされる
”Tell me how does it feel”
”Tell me, how do I feel”


わたしの今の心境を表す曲か、、、
聴きたくなった。
フロッピーディスクのジャケットだ。
その制作コストから売れるたびにファクトリーは赤字になったという。
これは、NewOrderにとっての最初のヒット曲だ。

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話を聞いていても何も受け取れてはいない。
自分の言葉にも確信がない。
かつての人々は確信に満ちた言動がとれたし、後から振り返ることもなかった。
でもいまわたしは言うべきことを伝えられるとは思えない。

わたしがどんな気持ちなのか分かる?

きっとわたしは間違っていたんだ。
あなたの話を聞いたと思っていたのに。

港に停泊するあの船に乗り込んでもいい。
あなたの不幸がなければ、今日は天国の気分だろう。

あなたと岸辺を歩いているとき、わたしはほっといて、と言った気がする。
あなたはその時どう感じていたんだろう。
こころが冷たく凍えていったのか。

今わたしは、ここに立ち尽くすばかりだ。


ことばの過剰な意味がただ溢れてゆく。
Emulatorによってどこまでも反復する。
それは暴力的であやふやだが、どうにもならない。
こころもあやふやなのだ。
コミュニケーションなど所詮成り立たない。
ただ、このことを身体でどう感じているか。
どう感じてゆくか。
いや、どう感じたらいいのか。
教えてくれ。


それを確かめるしかない。
不在のあなたに対して。


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初恋-Ⅱ

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暇になったので長女と一緒に歌ってみたが、花音さんの言う通り、ホントに日本語(の文節)のメロディに乗せ方が、まるで英語の乗せ方みたいだ。完全にメロディーリズムの作り方は欧米のコンテンポラリーミュージックのもので、とても際どくスリリング(トリッキー)に日本語の音が乗る形になっている。だがその詩そのものは日本的な宗教感を深く感じさせるものだ(アルバム全体の生死観などにおいて)。
ストリングスのアレンジが徐々に畳みかけてきて、打楽器も素晴らしい効果を挙げている。
(この辺のプログラミングは熟達を感じる。)
「メロディーが細かい周期で上下を繰り返し、全くの対称なのではなく、ややずれながらうねっている。宇多田さんの声と歌い方はバイオリンかギターのチョーキングのような感じを受けます」というST Rockerさんのわくわくするような分析が愉しみである。

ただわたしとしては、もう少しミニマルミュージック的な反復と重層(さらに重奏)と変化を愉しみたかった。
ラベルのボレロみたいな昇まりを、、、。
ロングバージョンとかもあって欲しいな。
楽曲全体として、余りに完璧に綺麗にまとまり過ぎている感じもした。
宇多田さん自身、完全主義者なのだと思う。
そしてやはり天才だ。

欲しいものが
手の届くとこに見える
追わずにいられるわけがない
正しいのかなんて本当は
誰も知らない


まさに「初恋」の澄み切った瑞々しい衝動である。
そして、これは、初恋に限らない。
いや、この「初恋」の衝撃~欲動と同質のエネルギーで、科学が芸術が哲学が生まれるのだ、きっと。
正しいかどうかは、後になって分かる。が、そんなことどうでもよい。

宇宙のすべてのイベントは、こちらが追うと同時に向こうからやってくる。
その瞬間のうるさいほどの胸の高鳴りが真実であることをはっきり告げ知らせる。
(古くは内的必然性などと呼ばれてもいた)。
後の意味づけなど歴史のやること。もはや関係ない。

風に吹かれ震える梢が
陽の射す方へと伸びていくわ
小さなことで喜び合えば
小さなことで傷つきもした


自然の摂理に従うように、この身を任せてみれば
些細な出来事がとても愛おしく感じられる、、、

狂おしく高鳴る胸が
優しく肩を打つ雨が今
こらえても溢れる涙が
私に知らせる これが初恋と


高鳴る胸が、肩を打つ雨が、溢れる涙が、、、切々と狂おしく重層する。
内なるリビドーの突き上げであるのか、天からの愛撫なのか、もはや内も外も混然一体となり、ただ涙だけが溢れ出て止まらない。
その溢れ出る涙そのものが、(その身体性の昇まりが)まさに「初恋」と名付けられた。


生きる意味を恋の中に見出す。
 これもまた真理

 ~エストリルのクリスマスローズより。



そう、至高体験に見出す真理。







初恋

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宇多田ヒカルの「初恋」は、必ず一日に一度は聴く。
はじめて聴いたときに、静かな激しい衝撃を受けた。
クラシックの名曲を聴いたときのような。
(わたしは、初めてラベルの「ボレロ」を聴いたときのような充足感を覚えた)。
他の曲とどう違うのか、、、これこそ強度としか言えない。
「桜流し」、「道」など好きな曲はそれは幾つもあるが、、、。
天才が閃きと才能で作ったというのではない、彼女の畳み込まれた経験からはじめて晶結した曲だと思った。
本当に詩に旋律にサウンド~アンサンブルに稠密な構築美を感じる。
(ただの才能とセンスに溺れない)。
デビュー『First Love』から20年後のアルバム(曲)が『初恋』という符合はとても興味深い。
長女も大好きで、いつも一緒に聴いている。
「初恋」
今もふたりで聴いている。
(酒が呑める歳になったら一緒に呑もうと約束した。関係ないが(笑)。


彼女のインタビュー記事があった。
それを読んで成程と納得するところがあった。

人は生きていく上で、最終的には他者との繋がりを求めますよね。浅いものから深いものまで。その関係性の築き方には誰しもモデルがあって、それはやっぱり最初の原体験というか、自分を産んでくれた人なり、面倒を見て、育ててくれた人たちとの関係だと思うんです。それがその人の一生の中で、おそらく多くの場合は無意識に作用して、他者との関係性に影響していく。その無意識の影響を紐解いては、「何故なんだろう?」と追求したり、時には受け入れようとしたりする。


わたしも(未だに、いや今こそかも知れないが)「何故なんだろう?」と追求したりはしている。
人は誕生と死は自分の自由には出来ない。
特に誕生は決定的である。暫くして気づいたら「こうしている」のだ。
違和感さえ抱けない。まだ何も相対化する立場にない。ただ苦痛と恐怖が持続した(わたしの場合)。
苦痛と恐怖は実際に(知識としての)外部を知らなくても、身体に外部性をすでに齎している。
今~この場~から遅延し内面化(純粋化)を果たす方向性をとる。
苦痛の度合に応じてその加速度は異なる。精神の病の域まで遅延する場合もあろうが、、、。
どうであろうが、芸術家にも作家にも科学者にも学者にも引き籠りにも狂人にもなんにでもなっていよう。
ただ、自分を(どれだけ)語れるかどうか、そこに掛かって来ると思う。
その契機が他者との繋がりの場に立ちあがってくることは多いはず。
何にしても、ひとは自分という縁まで語るので精一杯だ。

それを小説に書くか、絵に描くか、音楽に乗せるか、科学で語るか、哲学に論じるか、、、等々であろう。
勿論、宇多田さんは、音楽に見事に昇華している。
とても誠実に、人生の経験を凝縮し光輝かせる。


そして、声が違う。
他の誰とも違う。
素晴らしい声だ。
(これはきっとf/1揺らぎではないか、、、ST Rockerさんに分析をお願いしたい)。
これは、長女がよく言っていることだ。
わたしもそう思う。
「声が違う」
これこそ強度としか言えない。

そしてストリングスの極めて効果的な導入。
アレンジはいつも素晴らしいが、このストリングスは絶妙である。
Macにlogic9でプログラミングしているそうだ。
生オーケストラで聴いてみたいが。

そして詩には、あらゆる制約(検閲)を解かれた自由な”ことば”が踊っている。
「パクチー、ぱくぱく、、、」これも良い曲だ。
優しい生命力、、、を全体に感じる。

「初恋」という曲も、恋の始まりとも終わりともとれるように書いています。初恋というのは、それを自覚した瞬間から、それ以前の自分の終わりでもあるので。


始まりと終わり~生死観の感じられない曲は、薄っぺらい。
とても聴くに耐えない。
しかし、それを自覚した瞬間にそれまでの自分は無いというのは、まさにユリイカ!である。
「初恋」とは、それ程の強度をもつものなのだ!
その自覚の元に書かれた曲であるから、これ程の名曲なのだ。


わたしたちは、「初恋」に夢中だが「夕凪」も大好きだ。
ここにも水のイメージのうちに生と死が煌めきたゆたっている。

引用はREAL SOUNDより。

まだ半分も書けていない。
そのうち続編を、、、。



トッド・ラングレンを聴きながら

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映画は午前中に「ワンダーウーマン」を途中まで観た(笑。
ここまでフォーマット化されていて、古いコードの上なぞりはどうにかならぬものか、、、?
特に男女の関係の既視感とわざとらしさに辟易する。
息詰まり、別のことをすることにした。

昼過ぎに長女と買い物がてらウォーキングをたっぷりした(実は店を探して彷徨った)後、iTunesにしこたま入れているトッド・ラングレンを聴きながらモノの整理をして過ごした。
「全能の人」なんて呼ばれる音楽家であるが、やはり音の魔術師であることに間違いない。
マルチプレイヤー(マイク・オールドフィールドに並ぶ)で有能なプロデューサーであるだけでなく、類稀なコンポーザーである。
更に特別なヴォーカリストだ。
一聴でとり憑かれてしまう魔力が、そのサウンドには秘められている。
忽ち体細胞の隅々にまで染み渡るのは、きっと、、、。
そこには、コード進行やサウンドの斬新さを越える(支える)思想的な強度が息づいているのだ。
(音の達人は他にニック・カーショウなど何人もいてその出来には確かに感心するが、トッドの煌きは感じない)。


心地よくて、、、結晶的な快楽感に浸れる、、、健康にきっと良い。
ときどき聴こう。

ざ~と聴いていて、いつもはあまりかけていなかった”Nearly Human”の"Fidelity"が如何にもトッドという感じのリリカルな美しさで手が止まり、暫し聞き惚れた。
(トリスタン・ツァラに近似的人間という詩があるが、あれはとても音楽的な詩であった、、、単に連想しただけだが)。
煌きという点では、”A Dream Goes On Forever”が頂点かも知れないが。
これも本当に良い。やはり非凡だ。
このアルバムは彼の作品のなかでは、地味なものに思えていたが、エッセンスは充分に行き渡っている。

”Healing”も久々に聴いて、癒された。マンマだが(笑。
代表作以外にも名作揃いであった。


さて、寝る前にとっても懐かしい”I Saw The Light”と”Hello it's Me”でも聴いてみたい。
今聴いても最高だろうな、、、。


では、おやすみなさい。





フラクチャー ~ Frakctured

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Nuovo Metal(ヌーヴォメタル)時代の曲を最近また聴き始めた。

わたしがクリムゾンでもっとものめり込んだインプロビゼーション期『太陽と戦慄』、『暗黒の世界』、『レッド』の黄金期から『ディシプリン』のニューウェイブ期(まるでトーキングヘッズみたい~ポリリズムのせいだ~と揶揄されたが”Discipline”は秀逸)からまた重量感たっぷり(ダブルトリオ編成)のヘビーでソリッドなメタルサウンドを信条としたヌーヴォメタル期(2000)に至る。


無論、『クリムゾンキングの宮殿』、『ポセイドンのめざめ』、『リザード』、そして余りに精緻で儚く美しい『アイランズ』、、、音源は悪いがクリムゾンが創造的ライブアーティストであることを立証した『アースバウンド』までのクリムゾン初期が、、、この後に続くミュージシャンや世界中の聴衆の世界観(人格形成)に多大な影響を与えたことは言うに及ばない。

この後にフリップがメンバーを完全に入れ替え(もっともアルバムを作るたびにそのアルバム制作用のメンバーを編成してきているのだが)全く異なる音楽アプローチを始める。
それが二期のインプロビゼーション期である。
”Larks' Tongues in Aspic”(太陽と戦慄)、”Starless And Bible Black”(暗黒の世界)、”Red”(レッド)であり、バーカッションの壮絶な強度、ライブによる即興の神憑り的な創造(まさかアルバムの大半がステージライブのテイクとは知らなかった)、フリップのディストーション・ギターのリフのカッコよさ(笑、ジョンウェットンのヴォーカルの説得力、、、。
基本的には軸のメンバーが不思議に変わっていない。フリップ・ウェットン・ブラフォードである。
ここにデビッド・クロスとジェイミー・ミューアがいたが、クロスは太陽と戦慄と暗黒の世界のみ。
ミューアは太陽と戦慄を録ってから仏教の修行に旅立ってしまう。

通常ライブはそのアーティストがどのくらいアルバムに近い演奏が出来るかの確認レベルのものになることが多い。
しかし、クリムゾンの場合、ほとんどライブの方がスタジオ録音を凌駕したものとなる。
驚愕の音の破壊と創造~生成の場となる。
それをもっともはっきり示しているのが、この時期のライブ音源だ。
そしてそれをかなりの割合でとりこんだ3枚のアルバムであり、その他のライブアルバムであるがどれも遜色がない。
(アムステルダムライブ等々)
レッドをもってこの期にやるべきことを終え、フリップの鶴の一声で解散。『USA』ライブが出ている。バイオリンのパートはクロスのものが削られエディー・ジョプソンの演奏に差し替えられはした(元々彼はクラシックから抜け切れず線が細かった)。

その後、ニューウェイブ期と取り敢えず付けたがディシプリン・クリムゾンとも呼ばれる。
『ディシプリン』、『ビート』、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』である。
かえってクリムゾン名義にしなかった方がこの優れた3枚のアルバムが正当に評価された気はする。
しかしキングクリムゾンのもっとも魅力的な音色を奏でていた管楽器もバイオリンもピアノ~メロトロンも封印されてしまう。
この楽器編成からして根本的コンセプトの違いは明瞭だ。
ヴォーカルチューンも残るが詩は意味を失い単なる単語の羅列となる。
(それまでは詩人ピート・シンフィールド~リチャード・パーマー・ジェームスが詩を提供していた)
抒情性や哲学的文学性は排除されたビートサウンド改革である。
3枚でスッキリこの期は終焉し、2期のサウンドをオリジナルとして似て非なるものに生まれ還らせる実験が始まる。

スティック(特殊なベース)を使ったヌーヴォメタル期では、ダブルトリオ(ドラム2、ベース2、ギター2の編成)となる。
インプロビゼーション期の驚異の傑作”Fracture”(突破口)がヌーヴォメタル期には”Frakctured”と化している。
”Larks' Tongues in Aspic”(太陽と戦慄)も”Larks' Tongues in Aspic PartⅢ・Ⅳ”として生まれ変わって行く。
全て隙の無いスコアと化し、サウンドが分厚く充填し尽され平板化したこと。 
超絶技巧化し、フリップでさえ練習で音を上げる程のものになる。
(自分で作っておいて)。
情け容赦ない厳格な暴力的ニヒリスティックなサウンドである。
『ヴルーム』、『スラック』、『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』となる。最後に『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』を発表。
わたしは最終作はそのなかの数曲しか聴いていない。

当初は空間的な広がり~解放が感じられない、音が一気に流し込まれた煮えたぎる鉄みたいな圧迫感に息苦しかったのだが、、、
これは系を乗り換えた音であると感じられるようになった。
”The ConstruKction of Light”を聴いてからはっきりそう思った。
これは”エイリアン”~他者の(聴く)音だと。
特に”Larks' Tongues in Aspic PartⅢ”の前半部分のサウンドである。
最初聴いたときに強烈にゾクゾクしたが、まさにそこなのである。
変身の誘いか、、、?(まさかリアル・カフカの「変身」)

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マスターピースである”In The Court Of The Crimson King”(クリムゾンキングの宮殿)をその文脈の中で聴くことは今でも充分に可能だ。
深淵な世界を構築した楽曲でありアルバムであるが、そのメロトロンの煽るドラマ性に(その表現形態に)少し距離を覚える。
音楽が古いというのではない。”Epitaph”はまさに今日の、、、いや永遠の課題とも言えよう。
表現の上での壮大に構築されたドラマ性に感覚的についてゆけなくなったところが少なくないのだ。
(その意味でとても映画を観るのが辛くなっている)。

ただ今でも、2期~インプロビゼーション期の音に時折触れると瑞々しく胸に込み上げるものがある。
特に”トリオ”、”偉大なる詐欺師”、”フラクチャー”などには何度聴いても深く感動し、”土曜日の本”や”堕落天使”には涙腺まで緩んできてしまう、、、。
だが、どうやら曲を聴いて感動してばかりいられない、自分がそんな状況でもあるのだ。
寧ろ、外骨格の昆虫のように反応して行動しなければならない事態~日常にいる。


今のわたしにとっては、ヌーヴォメタルのエイリアンとして動く必然性がある。



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デトロイトでのパニック

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”Panic In Detroit”

「アラジンセイン」(1973)はわたしの大好きなアルバムだが、なかでも「デトロイトでのパニック」がたまらない。
どの曲も狂気に染まった緊張極まる曲揃いだが、そのなかでもこれは針が振り切れている!
(マイク・ガーソンのピアノがキレまくっている)。

チェ・ゲバラにそっくりな男に出逢って書いた曲なのか、、、。
「普段は目立たぬ男だが人知れず隠れ家に銃を隠し持っていた」、、、から始まる。
歌詞世界もゾクゾクするスリリングなものだが、サウンドが凶暴に美しく捻じれて歪み圧巻である。
何とも「間」が良い。
畳み込むサウンドのなかの真空の場に狂気のリズムとスキャットが雪崩れ込む。
そう、ミックロンソンのギターリフも。

これぞロックである。
身体の生き還りには必須のサウンドとなる。
自己の解体~再編成・再組織化には、この爆音洪水を浴びる必要がある。


このアルバム、ボウイの初期のコズミックドライブのかかったものやダイヤモンドドッグズのような近未来SF的なロマンや浮遊感は一切ない。
極めて加速した街の光景の浮かぶ、現在の地上を横断する破壊力あるリズムであり戦慄すべき旋律だ。
そして、この時期のボウイの「アメリカ」への拘り。
彼の(曲の)変身は彼の場所の変遷に重なる。
「Low」はベルリンとなる。
カフカ的に「アメリカ」を彷徨い疾走中のもっとも突出した曲が”Panic In Detroit”


時に、音楽は日常のあらゆるリアルな経験~体験を凌駕し激烈な高揚その垂直的な認識を齎す。
「彼はわたしに家でおとなしくしていた方がよいと言っていた、、、」
それで充分なのだ。
音楽が全てを加速度的に革新してしまう。

映画も音楽でその厚みと質が確定する。
岩井俊二の「リリーシュシュのすべて」をはじめ彼の映画全て音楽の位置づけは極めて大きい。
「ブレードランナー」の”Vangelis”も同等であろう。
あの映画を想いうかべるとき決まってあの荒涼として哀愁を帯びたサウンドが流れる。
「ザ・ミスト」の”Dead Can Dance”もあの終曲「セラフィム(熾天使)の主」で映画が完璧に完結する。

これは挙げ始めたらキリがない。話がこれだけになってしまう(笑。


アラジンセインはマイク・ガーソンの煌びやかで分裂症気味なピアノが基調を作っているが、特にアグレッシブなジャズ的アレンジの効いた”Time”と美しく儚げな”Lady Grinning Soul”で際立つ。
これらも詩がすこぶる良い、、、。
このアルバムの隠れたテーマは「時間」である。
”Lady Grinning Soul”、、、香りを纏った刹那の永遠性を歌った曲でこれ程の名曲があろうか
更にロック以外の何ものでもない”Watch That Man”をかなり反復して聴いていたが、やはり”Panic In Detroit”で再生!である(爆。


”Panic In Detroit”

疾走するカオスが増幅し突き抜ける。
違う時間と系にノリコムにはこんなサウンドがよい!
ボウイもきっとそうして来た。
無数の場所~時空に無数のわたしがいるのだ。
家でおとなしくしていてもよい。
(例え籠っていようが、、、)。
そのためのRockである。


ただ気持ち良い、、、



ジョン・ウェットンに捧ぐ 土曜日の本

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ジョン・ウェットンが2017年1月31日に亡くなった。
癌であった。
何とも言えない虚脱感に襲われ、それを記事に書こうなどという気持ちは微塵もなかった。
わたしにとってジョン・ウェットンは、キング・クリムゾンがもっともそれらしかった第2期を支える柱である。
彼の死によって、確実にひとつの時代がプッツリと終わった。

カール・パーマーはここのところ、連続して追悼の意を発表し続ける立場である、、、。
(このあまりに重い連続追悼を彼はどう捉えているのだろう、、、彼もさすがにキツかろう)。
キース・エマーソン、、、グレッグ・レイク、、、ジョン・ウェットン、、、考えてみると恐るべき才能の消滅だ。
(彼らは、まさに才能と技量のみで生きていたことを確認する。変な付加価値は必要としない)。
今日、何気なく、エイジアのファースト(1982年)を聴いて、楽観的でポップな気分に浸ったためか、少しだけジョンのことを書いてみたくなった。

わたしは、あまりクリムゾン以外の彼に興味はなく(ファンの風上にもおけないが)他の音源はあまり聴いていない。
だが、彼のインパクトがわたしにとって絶大であることは間違いない。
クリムゾン二期が余りに絶対なのだ。

かのロバート・フリップをして「彼はわたしのヒーローである」と言わしめた男である。
それにしてもどのような文脈でこれをフリップが言ったのか、さっぱり覚えてはいない。
何にしてもロバート・フリップに尊敬されるようなヒトはまず、そうはいまい。


クリムゾン以外でわたしが彼を聴いたものは、ないわけではない。
だが、やはり創造の水準が異なりすぎる。
有り得ない強度~微分的な演奏によって生成と解体の間を行き来するクリムゾンの世界は驚異であり別格なのである。
他のアーティストのものは、いくら緻密に複雑に構成されていたとしても程よい計算のレベルに想える。

とは言え、彼の参加した優れたユニットを強いてあげれば、UKか。
確かに、ありえない程の布陣であった。

ジョン・ウェットン 、、、vocal/bass guitar/moog pedal bass
ビル・ブラッフォード、、、 drums/percussion
エディ・ジョブソン、、、 organ/CP-80/CS-80/minimoog/electric violin/backing vocal
アラン・ホールズワース、、、 guitar/backing vocal

スーパーグループであり、この強烈な個性から持つはずはないと思った。
勿論、出た瞬間に購入した(笑。
直ぐに空中分解すると思っていたし、、、。

最初から分かっていたとは言え、予想を上回る凄まじい演奏であるが、尺の長くてテンションのやたらと高い曲にリスナーはついて行けなくなる。そのため、セールスは伸びなかった。それがわたしにも予感できた。
フリーキーなハイテクジャズロックより更に凄いものであったが、時代は違うものを求めていた。
斯く言うわたしも、その芸術性の高い造り込まれたサウンドに引込まれはしたが、彼らメンバーの名前で聴いていたふしはある。
極めて高い水準で作られたコンテンポラリーミュージックであったが、この方向性は直ぐに途絶える。


それからジョン・ウェットンが音楽ファンの誰にも広く認知された商業的にも大成功を果たしたエイジア。
売れ線は一切聞かないつもりのわたしも、さすがにこのグループのファーストは聴いた。

ジェフ・ダウンズ 、、、 Keyboard (元バグルス、イエス)
ジョン・ウェットン 、、、 vocal/bass guitar/moog pedal bass (元キング・クリムゾン、UK)
スティーヴ・ハウ 、、、 guitar (元イエス)
カール・パーマー 、、、 drums/percussion (元ELP)

ジェフ・ダウンズの役割(主導権)が大きい印象があり、エイジアはやたらとポップであった。
正直、戸惑った。バグルスを重厚にスケールアップさせたようなサウンドに思えた。
ジョン・ウェットンのボーカルは美しく、ベースも相変わらずアグレッシブであり、作曲にも携わっているのだが、、、
UKにまだ残っていた作家性や芸術家気質は抑えられているようであった。
彼の新しいポップで爽やかで明るい局面を覗いた気分であった。
とてもある意味キャッチーで短いポップチューンでアルバムは構成されていた。
どれもシングルカットでヒットを狙えそうなものばかり。
確実に、アルバム一面で一曲(ともかく長く複雑な曲構造)というプログレ時代からの脱却であり、それを求めるヒトがこのサウンドを待っていたのだ。時代に迎え入れられたに違いない。

しかしどこかわたしには寂しい感触が残った。
それまでの深淵から響いてくる知的な翳りに染まったジョン・ウェットン節は影を潜めてしまう。
例えば、在り来りな曲を書くことでみんなから辟易されていたユーライア・ヒープに短期間在籍した時も、彼の書いた曲だけ飛び抜けて重厚で美しく変幻するメロディーをもち、際立っていた。当然アルバム全体のリズムが格段にレベルアップしていることも素人にも明白であった。ジョン・ウェットンが少しでも絡んだユニットは確実にそれまでにない荘厳な響きを纏ってきた。
彼のベース、魅惑的なボーカルも他にないものだが、わたしは彼のもっとも特筆すべき才能は作曲にあると思う。

しかし、彼はこの「エイジア」の方向性がとても気に入っていたようだ。
あくまでもエイジアの活動を主体にして、他にも色々なプロジェクトに参加はしていた。
ジェフ・ダウンズとの曲作り、も含めこのふたりがグループの中心であることは、明白である。

ここでは、ソロでいくらでも目立てるヒトが、皆抑制を効かせて、短くタイトなポップチューンをまとめることに専心している。
とは言え元々ポップ路線のバンドでは、こんなアレンジとダイナミックな演奏など、まず無理であることが分かる。
超絶技巧のミュージシャンが、ソロプレイを封印してポップな曲作りに専念した結果のカラフル(複雑)で前向き(そうまさにそれだ)なサウンドを提供している、と言える。
しかしこのグループもぶつかり合いは激しく、メンバーも安定せず、ついに主要メンバーのジョン・ウェットンも永久に抜けてしまった。
それでも元イエスのメンバーの補充で(わたしはその人を知らない)今後もグループは続行するそうである。
しかし、ジェフ・ダウンズの受けた喪失感はやはりとても大きいようだ。

「彼の作曲はこの世のものとは思えなかったし、彼のメロディとハーモニーも現実のものと思えなかった。彼は文字通り『特別な人』だったんだよ。」


これまで二期のクリムゾン(太陽と戦慄、暗黒の世界、レッド)を定期的に聴いていたのだが、、、。
そうしないと、感覚が麻痺してしまう。
このギリギリの神秘的ですらある創造のパフォーマンスの一角が欠けてしまった事実~空虚は思いの他大きい。
暫くは聴けそうもない。
ボーカルである分、尚更響く。

一期のクリムゾンのボーカルは、グレッグ・レイクである。
エピタフが更に現実味を帯びている今日、、、。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


でも、「土曜日の本」は、聴きたくなった、、、。
この曲と「堕天使」。
改めて、、、。

John Wetton002

プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

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