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GOMA28

Author:GOMA28
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Wim Mertensを聴く

From Brussels With Love001

ジェルジ・リゲティやヘンリク・ミコワイ・グレツキ、スティーヴ・ライヒやテリー・ライリーからほぼ同時期にうまれたといわれるミニマルミュージックであるが、音楽評論家でもあったマイケル・ナイマンが概念として「ミニマル」を初めて提唱したらしい。

ミニマルミュージックを語るうえで忘れてはならない作曲家~ピアニストにベルギーのヴィム・メルテンがいる。
「ブリュッセルより愛をこめて」が1980年にベルギーのクレピュスキュールレーベルから生まれ、このなかではじめてヴィム・メルテンを知った。
このアルバムには、イアン・カーチスの死を悼むドゥルッティ・コラムの名曲「スリープ・ウィル・カム」やエリック・サティーのピアノ曲にジャンヌ・モローの語りの絡むトラックや彼女とブライアン・イーノのインタビューも収録されていてとても興味深いものであった。
マイケル・ナイマンやハロルド・バッドの如何にも彼ららしい曲や、トーマス・ドルビーの瑞々しく高揚感のある曲などどれをとっても美しいものばかり。そのなかでもっともわたしの興味を惹いたのがヴィム・メルテンのClose Coverであった。これもまたピアノのいたってシンプルな名曲である。
このアルバム以降、ヴィム・メルテンはわたしのヘビーローテーションとなった。

先ほどから”Maximizing The Audience”がずっと部屋を優しく深く充たしている。
漆黒の外は雨か、、、。

今日は娘たちを三種混合の予防接種に連れて行ったり、そのご褒美?にレストランにも行ったり、、、またいつものようにせわしない一日であった。
落ち着かない日々のルーチンの締めには、その干乾びた反復のすべてを清め煌めかせてくれる星々の創る静寂のような彼のミニマルミュージックしか思いが及ばない。
少なくともわたしにとって、、、。

一日を終える最後の大切な時間~音楽は。








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O君とS君ファミリー集まる

piano001.jpg

今日は家でO君とS君ファミリーを招き、食事会を開いた。
楽しかった。
だが、名残惜しい。
もう少し時間があったらな、と思う。
小2の作文ではないが、今日はみんなよく食べよく喋り、よいピアノを聴いてよい時を過ごした。


ちょっとしたO君のシークレットライブであったが、もう少し聴きたかった。
曲は即興モノと譜面モノであったが、3曲というのは惜しい。
(弾く人が弾くとこれほど音の響きが違うものか、、、ピアノの奥の深さを想う)。
それはフランス印象派的な現代音楽とでもいうか、、、。
何故か余韻のなかで、わたしは「クープランの墓」を想い起してしまった。
そんなクラシックではないのだが、質的なレベルでそう感じたのか、、、。
彼が作曲コンクールで賞に輝いた曲をお願いしたら、難しくて弾けないとのこと。
確かに自分の作ったスコアが難しすぎて弾けない作曲家の話しは結構耳にはしていたが。
それにしても、近いうちに曲そのものは聴いてみたいものだ。

娘たちが、発表会で演奏した曲を弾いてみせたが、発表後一度も演奏しないで堕落した日々を過ごしていたためか、ミスタッチもあり今一つの演奏に終わった。
しかし、O君との音色の違いには驚く。
うちのピアノはこんなに良い音がするのか、と見直してしまったほどだ。
これは、定期的に開きたい。
とても得した気分だ。
お土産の大きな猫の縫い包み(ひげまんじゅう)にはふたりともとても嬉しがっていた(抱っこして寝るそうだ)。


S君は、最新作を絵ハガキにして持って来てくれた。
S君の仕事」シリーズをちょっとばかし再会したい。
ちょっとばかしというのは、思ったより(その後の)近作が少ないのだ。
どうしてかと尋ねると、何とジオラマそのものを制作しているのだそうだ。
「ジオラマってねえ、写真に撮りにくいのよ」ってホントにジオラマに行っちゃったの?
確かに彼の絵は「平面ジオラマ」とも謂える世界であったから、3D化したところで驚くことではない(寧ろ普通の形になったようなものだ)が、これはもう展覧会でもひらくしかあるまい。
わたしとしては、2D世界に堪えて欲しかった。その方が抽象性も高いし香しい。
周囲では彼の展覧会をそろそろ開くべきだという声も多い。
わたしもS君のコレクションの数々も含めた「S君記念館」を作ることを提案しておいた。
(彼は最近、ジャズ・クラック以外のコンテンポラリーな曲を聴き始めているそうで、それを集めたCDを貰った。そのうち感想もここに書きたい)。

彼の奥様も見え、わたしのコアともなる書庫を見学されてその屋根裏までしげしげと観察された。
「これをご覧になれば、何故S君とわたしがお友達かお分かりになるはずです」とだけ伝えておいたが。
(非常に複雑な面持ちであった)。
お嬢さんにはかつてうちの娘が遊んでもらっており、今日をふたりとも楽しみにしていたので、後半になってパソコンで自分たちの趣味の「東方」や「ゆっくり」を見てもらい嬉しかったようだ。
うちでは、また見ているのか、早く勉強しなさいくらいしか声をかけられないので、すこしでも共有してもらった感は貴重なものだ。
今日は以前より遊んでもらう時間が少なく、もっとゆっくりしていってほしかったようだ。
(わたしは例の「ゆっくり」は、どうにも生理手的にダメだ。「東方」は良い曲があり一緒に聴いたりはしている)。


今日は妻のサムゲタン中心の韓国料理のフルコースであったが、とても旨かった。
ヤクルト入りのマッコリと八麦茶にスイカ・桃入りフルーツポンチも良かった。
出来れば定期的にやりたい。
O君のピアノはもっと聴きたい。S君の2Dの所謂、絵をもっと見たい。

残念なのは、ドライバーがアルコールを呑めないことだ。
3人ノンアルコールビールで我慢は正直辛かった。
バス電車で集合してもらうのは、何とも面倒なことでもあるが、最寄り駅までの車の送迎は、勿論アリ(爆。


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娘のピアノ発表会

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いつもの会場で今年も発表会が開かれた。
最近、幾つかの高級なピアノ~NY・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイを弾く機会があり、キータッチなどに煩くなってきたふたりであるが、ステージのピアノのタッチもそこそこよかったようだ(笑。
きっとこの前、映画(「羊と鋼の森」)で見たような調律がなされていたのだ、多分。
そんなことを連想しているのは分かった。

発表は、これまでのベストパフォーマンスであった。
ふたりとも、ミスタッチはなく(大変速い音符も滑るところがなく)一音一音の粒がクリアに響いていた。
特に妹の方はペダルがとてもタイミングよく効果を充分に発揮していた。
姉の方はタッチの強弱がしっかり効いていて一つのまとまりとして説得力のある演奏になっていた。
ともかくミスが見られなかったうえにそれなりの曲想が窺えるものであった。
(長女の演奏は家で弾くものと雰囲気が違っていて、弾き方を少し変えていた)。

ともかく、よい演奏であった。
朝、姉妹で大喧嘩して、家の中がかなりグラついた割には、よく持ち直したものである(苦。
こちらとしては、3日前あたりから気が気ではなく、生きた心地もしなかったため、ホッとした。
3つ降りた5Fのサンマルクカフェでフルーツパフェやフレンチトーストを取り敢えず食べ、帰路に就く。
今日はわたしの車で来たのではなく、タクシーで会場まで乗り入れた為、電車である。

ご褒美が欲しいというので、ビルを出る前に、長女には乃木坂文庫二冊(いくちゃんと高山さんの推薦本)。
次女には、たこ焼きを買ってあげた(現在、彼女はたこ焼き命なのである)。
帰りはプラプラ歩きたい気持になったので、電車を降りてバスには乗らず、あちこち寄り道しながら帰った。

発表会後に貰ったトートバッグがかなりお洒落で、二人とも気に入ったようであった。
いよいよ発表会用のドレスもちょっときつめか。
来年は新調しないといけないかな、、、と思う。



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ジャズ幻想

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6月15日。
都内某所。
夕方。
雨。
地上からとても高い場所にて、ジャズのシークレット・ライブを堪能した。
(こんな高い場所に2台のグランドピアノとアップライトが1台置いてあるのがちょっと不思議な感覚であった)。

わたしは、ハッキリ言ってジャズには疎い。
友人のS君は、50年代ジャズ愛好家で、わたしが幾つか聴かされたものはどれも贅沢で豊潤な味わいの穏やかなモノであった。
嵌れば癖になるのはよく分かる。聴きながら眠ってしまうような心地よい音楽なのだ。
だが、その当時の自分の心境や置かれた状況から、そこに耽溺できる余裕がなかった。
わたしも、ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレットに チック・コリアにセロニアス・モンクあたりは、そこそこ聴いてはいたが、、、。

さて、今回のシークレットライブは、世界的に有名なジャズピアニストのT氏によるもの。
かなりの枚数のCDアルバムを出されているそうである。
ここでは、コール・ポーターの曲がふたつ、マイルス・デイヴィスの「フラメンコ・スケッチズ」が演奏家のアレンジで聴くことが出来た。それからヴィラ・ロボスの曲(「ブラジル風バッハ」は聴いたことがあるが)やフェリーニの映画音楽が余りに印象深いニーノ・ロータの曲~ここではゴッド・ファーザーであったが~粋なアレンジで、聴き応えがあった。
知らない作曲家のものも幾つか、、、曲名は聞いたが忘れた。そしてオリジナル曲では、わたしも行ってみたいフィンランドのヘルシンキで見たアウラン湖からインスピレーションを得たという「アウラン湖の妖精」が披露された。
所謂、4ビートのスウィング系のジャズからは、かなり離れた複雑な造形だ。
フリージャズではないが、印象派的な色彩を感じさせるカテゴライズを逃れようとするような音楽であった。

圧倒的なテクニックで「表現」される音の洪水にそれは酔いしれた。
ピアノもその会場のオーナーである調律師が選び抜いたNY・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイの極上の二台による演奏である。そりゃあ、CDで聴くよりずっと良い。特に澄んだベース音(左)と煌びやかな高音(右)がともにビビットにクリアに響く。
このピアニストによると、NY・スタインウェイであっても、10台中7台は、外れだそうだ。
ここのオーナーの選んだNY・スタインウェイは、特に素晴らしいものらしい。そしてハンブルグものも、いうことないそうで、やはり調律師は耳が違う。それこそ普段から調律や手入れも十二分に施されているはず。

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終盤のお弟子さんの才能豊かな女性ピアニストとのインプロビゼーションの共演は凄かった。
ふたりが、交互に演奏し合うものだが、その場の緊張感が一気に高まる。
最初の一曲目はうちの娘の白鍵のみの4音によるテーマで、これはとても馴染み易い音楽となった。
2曲目のテーマは、現代音楽風のモダンジャズになりそうなものであったが、ふたりの展開がこちらの予想を超え、実にスリリングでゾクゾクする演奏となった。二曲目が断然よかった。
この阿吽の呼吸の、研ぎ澄まされた演奏そのものに間近に接し、インプロビゼーションの醍醐味もタップリ味わえた。
お弟子さんがかなりアグレッシブな演奏であったのも驚く。モダンジャズというか現代音楽風のフリーキーなジャズが好きそうな気がする。
この次の「ソロ演奏」を聴いてみたくなった。かなり過激な演奏なのではないだろうか。
(わたしは、実験的なジャズロックなどが好きであるため、期待してしまうところがある)。

そして予想外の(わたしにとっての)嬉しいハプニングいやサプライズか。
一曲だけだが、フルートが絡んだ。
フルートはわたしも大好きで、幼少の頃、吹いていた(笑。
今も随分の間吹いていないムラマツのフルートがある。
そして曲が”フォーレのパバーヌ”なのだ。
あの哀愁あるたまらない曲!「ギター伴奏のフルート」でよく聴いたものだ。
これはもう、涙ものだ。
(わたしは、やはりクラシックが好きだ)。

だがこのチューンはジャズアレンジだが原曲の哀愁がタップリ味わえた。
とても惹かれた。
特に、低音部の音の厚さが大変官能的であった。
わたしは高音の伸びより分厚い低音にドギマギする。
(かつて習っていたころ、あなたは低音がとてもよく出るわね~と褒められた影響もあるか(笑)。
直ぐに演奏者に声をかけ、ファーストアルバムを購入した。
セカンドよりもクラシックのポピュラーな名曲がタップリ入っており、パバーヌがあるのは、こちらだから。
しかし、家で聴いてみると、フルートは変わらないが、この日に聴いたものの方が伴奏が良かった。
このピアニストと組んでライブアルバムを出して欲しい。
でも”フォーレのパバーヌ”は好きだなあ~。


なお、シークレットライブであるため、プレイヤーのお名前、ライブの場所等全て伏せております。


ここのところ、現代音楽~ミニマル・ミュージックをよく聴いていたこともあって、またダイナミックでセンシティブな音楽を聴いてみたくなった。フルートの音色の影響が大きい。

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音楽を聴きたくなった。

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かつて
ヴィバルディのヴァイオリン協奏曲を
バッハがチェンバロのためのそれに
編曲していましたけれど

メロディラインは、殆ど変わっていない
ですが言語がまったく異なっていて

そして
その違いが美し過ぎて。


音色とは
文字通り
音の色彩ですが

その感覚

その”響き”には
思想が内包されていると
気付いたのは

まさに
この”美しき違い”によってだったのです。



部分的に引用するつもりが、全部引用となってしまった。
『編曲者 バッハが教えてくれたこと』~エストリルのクリスマスローズより

わたしも以前から編曲の妙には酔いしれていた。
そんな機会は突然やって来る。
日曜美術館をぼんやり見ていたら、ヘンデルのフルートソナタをバイオリンに代えた演奏が流れて来て完全に感覚が音楽に集中してしまったり、、、。日常生活の中で偶然遭遇することがわたしの場合多い。

この美しいズレを愉しんではいたが、引用文にあるような洞察には至らなった。
意識的に原曲と編曲を比較して聴くという経験はしてこなかったと思う。
それに原曲と編曲の両方をよく知っていることは少ないと言える。
実際、編曲を原曲と思い込んで聴いて馴染んでいたりすることも少なくない。

印象派のピアノ曲はよく管弦楽に編曲されていて子供のころから聴いてはいた。
ドビュッシーの幾つもの曲、ラヴェル(特に「亡き王女のためのパヴァーヌ」)、サティも「ジムノペディ」がドビュッシーによって管弦楽に編曲されている、、、挙げればきりがないが、、、「美しき違い」を単に楽しんでいたような。
(特に印象派の音はとてもカラフルで流暢であり、、、)。
いま思うとわたしは、ほとんど音楽を分析的に聴いた経験がないようだ。
(分析というと語弊がある。この記事からすれば直覚的に洞察を得るであろうか)。

最近わたしも音楽の分析に興味をもち、「ビートルズの新しい解析のページ」にも度々お邪魔している。
(宇多田ヒカルの「初恋」の分析をいきなりお願いしてしまった)。


「メロディラインは、殆ど変わっていない
ですが言語がまったく異なっていて」
というところはとても共感できる。
本当にそうだと思う。
その言語~差異(響き)こそ、その音楽家の思想~身体性なのだ。

示唆に富んだ記事に触れ、思わず何か喋ってみたくなったのだが、それよりも音楽を聴きたくなる。
そんな気持ちに導かれるハッとする記事であった。
(いつもながら)。

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ピアノ発表会

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昨日、恒例のピアノ発表会があった。
毎年、緊張するものだ。

これが終わるまでは、夏も落ち着かない(わたしが)。
幸い今年は7月の最初に時期が早まり、夏休みはゆっくり過ごせる(笑。
今回もまだまだ年少組の為、順番は早い。
次女が8番、長女が10番。
順番が早い方がドキドキ待つ時間も少なくてよい。
後はお姉さん方の演奏を聴いていればよい。
ショパンの凄い演奏なども聴けたりする。
(今回は先生方のなかからショパンが聴けた。あの「幻想即興曲」である。得した気分になった)。


次女は大抵一か所はミスってハラハラさせる。
本人は結構落ち着いているのだが、、、。
今回も同様に(苦。
練習段階で(家で)間違えずに弾けていても、当日うっかりやる。
最小限に誤魔化して流していたが、こればかりは誰にも分かってしまう。
音楽の怖いところだ。一瞬が目立つのだ。
しかし曲の表情と強弱はついており、リズムも問題なかった。
聴かせようという意識は感じられて、まずまず楽しい曲になっていた。

長女は、事前にわたしがプレッシャーをかけ過ぎていた。
それまでほとんどなかったのだが、本番間近になって、やけにタッチミスが入り始めてきたのだ。
気を抜いて弾いている部分もあるかと思い、集中して間違えないように弾くことがまず基本と結構繰り返していた。
何とか前日にそれまでの指が滑って他のキーに触れてしまう?という感じはなくなったのだが。
10番目の演奏において、弾き間違いはなかったが、全体にタッチが弱いかんじであった。
終わってから「弱気になった?」と聞くと「きんちょうした~っ」とはにかんで言っていた。
「ご苦労さん」と自然に言葉が出た(笑。

その夜(昨晩)、先生からのメールで知ったのだが、舞台袖で非常に緊張していて手を握ったら汗をかなりかいていたそうだ。
相当プレッシャーがかかっていたかな、と思う。
緊張していたが綺麗な音色で曲想豊かに弾けていたとあり、とてもホッとした。
「あの子だけ音色が違うわね」と他の先生に褒められたと書き添えられていて、これは嬉しい限りであった。

全体に少し弱い面はあったが、ペダルもタイミングよく合って綺麗な音色を出すことは意識出来ていたと思う。
最後に、生徒たちがより成長出来るようにがんばります、と締めくくられており、こちらとしても是非末永くお願いしたいものだ。

音楽を通して学べることは実に大きい。
楽理的なことや演奏技術や藝術的素養は勿論だが、、、
精神的に強くなることがとても大切なことである。
(これがまず彼女らには一番必要なことかも)。


将来的に音楽で自分を表現できるようになれれば言う事はない。


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演奏会の良いところは、他の人~先輩方の演奏を鑑賞できることだ。
その感想として、ふたりとも早くショパンが弾きたいそうだ。
わたしも聴きたい(笑。

ピアノ決まる!

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いきなりピアノが決まってしまった。
昨夜、近くの楽器店で決めた。(混んでいなければ車で15分のところ)。
かなりの部分、ノリもある~(笑。

娘の先生のピアノを長い事調律している音楽活動も広く行っている方の店で、今後の調律~メンテを考えるとそこが良いとふんだ。
周辺の小中高にもピアノを卸している店であり、音楽イベントも学校などで開いている地域に根差した店だ。
つまり店で決めた面も大きい。(販売だけでは、心もとない)。
使い続ける限り、電子ピアノでなければ、維持において調律は不可欠である。
そのことも含めると、信頼のおける近くのお店と関係を築いておく事は結構大事。

Yamahaの木目調の背の高い方のアップライトだ。
店に30台くらい置かれていた中でタッチが良く、最も低音から高音まで響きと深みがあって格調を感じる音の出るものにした。
お値段は、グランドの小さめのと同じくらいであるが、我が家ではグランドはその大きさから元々無理なので、それに表現力がある面で迫る物があれば良かった。(基本的には違うものではあるにせよ、、、そうキーの戻りの速さがグランドは凄い)。

何と言っても表現力、、、まさにそこである。
電子ピアノはどう弾こうがハイブリッドも含めサンプリングの音である。
基本的に音の強弱はあってもそれ以上のものではない。
それにタッチがどうしてもスイッチぽい。(ハイブリッドはアクション機能を持つ分、タッチにはアコースティックに近いものはあるが)。
考えてみれば、電子ピアノを選択肢に入れる必然性はないのだった(爆。

また、バイオリニストの友人が防音対策をどうするんだと言っていたが、もうかれこれ50年オヤジの代から、そんなこと考慮に入れたことないことに家族みんなで驚いた。
そうなのか、、、これからはそちらも考えに入れて行こうという事に取り敢えずは、なった。
(電子ピアノなら確かにヘッドフォンで弾けるが、深夜の練習ということも場合によってはあるのかなあ、、、娘に)。


だがやはり、触っただけでも電子とアコースティックは全然違う楽器だ。
先生がこちらを強く薦めたのは、よく分かる。
それに今回決めたものは、明るい木目調で、見た目も穏やかで端正なところがポイントであった。
家具としても充分に映える。
一週間後に来るのが楽しみである。
今、次女が一番楽しみにしている。
それで作曲をしたいのだと、、、?
わたしもワクワクでメトロノームはすでに準備して置いてある(笑。


それまでにボロいピアノを処分しておくことになる。
音の出ないキーがひとつあるのが心配なのだが、持って行ってくれるだろうか、、、。
頼んだ引き取り業者は海外輸出をしているところのようだ。
成る程、それで少しばかり値が付いたのか、、、。

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憧れの馬頭琴 そして”フォーミー”

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馬頭琴の話は、学校の国語の題材で採り上げられていたもの「スーホの白い馬」で、長女がその話に感動し、その楽器の演奏を聴いてみたいということで今回の運び〜泊まり掛けのモンゴル体験になった(笑。
コンサートだけなら東京界隈であるのだが、モンゴル気分を味わいたいとの事。
どちらがメインかどうもはっきりはしない。
馬頭琴はともかく聴くとして、ゲルのお泊まり、後は食事と、衣装を着た撮影くらいか、、、わたしは風邪で出掛けるのも辛いものだったが。
毎年、那須高原は初夏には必ず訪れていた頃もあったので、懐かしさからお伴した。

その馬頭琴という楽器の由来であるが、、、
スーホという男の子が拾った白馬を逞しく美しい馬に育てあげる。
その立派な馬で彼は王様の主催する競馬大会で優勝する。
褒美としてお姫様と結婚できるはずであったのだが、何と馬は奪われ彼も手ひどく痛めつけられてしまったという。
馬は王様の自慢の名馬として囚われの身となっていた。
しかしある日、隙を見て白馬は王様の所からスーホの元に逃げ帰えろうとする。
その途中で追っ手の放つ沢山の弓に射られ、スーホの元には戻るも明くる朝、息絶えてしまう。
嘆き悲しむスーホであったが、ある夜の夢にその白馬が現れ、どうかわたしの尻尾や毛や骨で楽器を作ってください、と彼に頼むのだった。
スーホは目覚めて直ぐにその馬から楽器を作り、人々にその音色を聴かせると、みなが疲れも忘れ、こころを深く揺り動かされたという。

馬頭琴という楽器はこうして生まれたそうだ。
(、、、ここまで全て長女談、物凄く短縮(笑)。


その楽器の演奏をホールで聴いた。
日本で活躍中のモンゴル人の演奏家ムングン氏によるものだ。
2つに分かれた太く白い弦は、片方が馬の尻尾の毛が130本、もう一方が100本縒り合わされたものだという。
それを同じく馬の尻尾の毛180本で作られた弓で弾く擦弦楽器だ。
棹の先端が馬の頭部の形をしたところが何より特徴的であり、モンゴル語で「馬の楽器」の所以である。
鼓弓に似た感じのものだが、とても艶やかで力強い音色が出る。
躍動感に溢れ同時に、情感あるリリカルな楽曲が楽しめた。
この2玄でよくここまでの表現の幅を出せると感心するものだ。
しかし、ここで、更に驚くべき音楽体験をする。

それは人間業とは思えないフォーミーという驚異のボーカリゼーションであった。
何とも形容し難い音世界である。
ひとつ間違えると、超人隠し芸みたいな部門で話題になってしまいそうな危うさを秘めている。
同時に異なる音を2種類発する特殊な発声法によるもので、説明は聞いたが今一つメカニズムについては、イメージ的にも掴み難かった。
シンセサイザーでも余り聴かない非常にハイパーな電子的音響世界である。
何かの描写や叙情表現を超えている還元不可能な音なのだ。
聴衆もみんな呆気にとられて口を開けて、観ていた。
そう、何処からその音が出てくるのか、だた観入ってしまうのだ。
正直ビックリした。ロバート・ワイアットのボーカリゼーションに浸ってばかりはいられない。
彼のボーカルが普通に思えた。


朝食では肉とサラダがモンゴルものだそうで、それ以外は普通のホテルの洋食バイキングであった。
ミネストローネは美味しかった。アイスクリームは推しである。わたしはパンとジュースだけいただく。
後は、もう1つの楽しみでもあった衣装を着ての写真撮影である。
こういう事は彼女らは好きだ。何処へ行っても全種類の組み合わせを試してしまう。もう途中からついて行けなくなる。任せる。
帰りにここでしか買えないと宣伝する温泉饅頭やチーズケーキを買う。
お土産分以外は、電車内で彼女らが食べてしまった(笑。


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到着当日の前日譚。(上の本文は当日の夜から2日目である)。
昨日アップしたものは削除。高熱の為か締まりのないグダグダ文を書いていた。

栃木の黒磯にあるモンゴリア・ビレッジ・デンゲルという施設に泊まり掛けで来た。長女のリクエストである。
馬頭琴の話を本で読んでから、モンゴルはマイブームなのだ。
宿泊する部屋は一戸ずつ独立したテント〜ゲルであった事にちょっと新鮮な驚き。遊牧民族である。扉は低く小さい。中は、テレビで観たことのあるモンゴル調にアレンジされた中央にテーブルと椅子があり周りを微妙な色彩と模様に彩されたやはり如何にもモンゴル調のベッドに取り囲まれた赤基調の円形空間であった。モンゴルテイストの日本人に使いやすくセットされた部屋という感じか。天井の天窓風の丸い明かり取り部分が天気の良い日は取り外しが効くという。小物入れの蓋みたいだ。勿論、テレビ、冷蔵庫、エアコン、電話はある。
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彼女らは直ぐにモンゴル温泉?に出向くが、わたしは風邪が思わしくなく、温泉は諦め部屋で寝そべっていた。
外はにわかに冷たい雨が降り始めていた。
雨音が香ばしく立って聞こえる。よい音だが、はっきり響く。夜中もこれだと眠れるか?
外には、、、出たくない。体にこたえそうだ。
夜の料理は、モンゴルに関係ない、プレート焼肉料理であった(笑。普通。


参考までに、近々開かれる馬頭琴コンサート、、、ここでもし”フォーミー”も体験できたら、、、

「アサル国際馬頭琴アンサンブルコンサート」
2017年5月20日(土)18:30会場19:00開演
国分寺市立いずみホール

問い合わせ:090-4703-4824


Lux Virenz ~ジョセリン・モンゴメリー

Jocelyn Montgomery

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、、、作曲

ジョセリン・モンゴメリー、、、ボーカル

1998年 ポリグラム
デヴィッド・リンチ、、、プロデュース「アシンメトリカル・スタジオ」リリース。

12世紀
所謂、宗教歌曲集である。
グレゴリオ聖歌の調和と秩序の美とは、また趣が異なる。もっとフリーキーな(非定型又は諸形式の混淆した)楽曲である。
神聖さのなかに時にカオスを感じ不安に襲われる。

ヒルデガルトは、中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であると同時に、ヴィジョンを(定期的に)見る女性自然学者(医学にも通じた薬草学者)でもあったという。この曲集の曲も彼女の作曲であり、幻視家で作曲家であった面は、今世紀に入り特に注目されている。
彼女の映画もある。”VISION Aus dem Leben der Hildegard von Bingen”というドイツ映画。
「ハンナ・アーレント」のマルガレーテ・フォン・トロッタ監督によるものだ。
未見である。ずっとこのまま未見かも知れない(笑。

大分以前、チェックしておいてそのまま過ごしてしまったアルバムである。

現在、廃盤のためアメリカ直輸入で手に入れた。
マルホランド・ドライブ”の監督が製作したアルバムということがよく分かる世界だ。

サウンドは、現代のアレンジが慎重に施されている(彼らの言葉によると、最新のパースペクティブによって蘇らせている)が、恐らく原曲を壊さない編曲になっていると思われる。
デヴィッド・リンチ流のプロデュースと言うより、曲集から察するに彼本来の感性にこの音楽がピッタリであったというのが正解に思える。それを今聴けるように忠実に再現した感がある。
シンセサイザーが生々しく耳に障ることはない。

ジョセリン・モンゴメリーは、あの懐かしい”ミランダ・セックス・ガーデン”のトリオのひとりである。
パースル音楽学校で出逢った3人組で結成。それについて少々、、、。
MIRANDA SEX GARDEN
このMADRAは、マドリガル(ルネサンス・マドリガーレ)の16世紀手法による全てアカペラの歌曲集であり、耽美的でゴシックな要素漂う名作だ。カオスも感じられる。カンタータ以前の歌唱というものを蘇らせている価値は大きい。
セカンド(フルアルバムとして)の”サスピリア”ではインストゥルメンタルの要素が加わり、一般的に効き易いエモーショナルでハードなサウンドに変わり、明らかに方向は転換する。サードの”フェアリーテールズ・オブ・スレイヴァリー”になると、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのギタリスト、アレックス・ハッケがプロデュースし、歌声はさらに強度を増し、魔的で呪術的でノイジーなサイケデリックサウンドと化している、、、。
もう、ロックとして聴けるではないか。
わたしはここまでしか彼女らを追っていないためこの後の消息は知らない。

彼女らは”マガジン”(ハワード・ディヴォートをリーダーとするポストパンク~ニューウェイヴロックグループ)のベーシストであり、映画音楽家のバリー・アダムソンに見出され、彼の映画音楽「Delusion」のサウンドトラックに参加し、サイモン・フィッシャー・ターナー、デレク・ジャーマンの映画音楽にもその後、参加していく。
ミランダ・セックス・ガーデンは中心となるのは、ソプラノのキャサリン・ブレイクであり、彼女以外のメンバーの入れ替わりが続いた。(セカンドからすぐに3人構成ではなくなる)。

さてここで主役のジョセリン・モンゴメリーは、グループを早々に脱退している。
彼女は6歳からバイオリンを弾いており(祖父がバイオリン職人)、音楽キャリアはバイオリニストから始まったようだ。
Jocelyn Montgomery002

デヴィッド・リンチの「アシンメトリカル・スタジオ」でジョセリン・モンゴメリーの歌声にあえて調和を崩した球体状に纏わるサウンドが生成された。
ジョセリン・モンゴメリーのこの歌声~歌唱も、美しいとか清らかとか神聖な響きとかでは到底収まらない、不安な異和が漂う。
声の質はあくまで、伸びやかで透明で美しい、とはいえ。
サウンドそのものに、えも言われぬ暗黒の霧が充満し、歌声もそれに相応している。
何というか、美に一滴の狂気の毒が混ざっている。
それはときに、静謐の中に極めて鋭い線を走らせる。漆黒の闇に音もなく切れ目を入れる雷光に似て。
彼女の時折弾くバイオリンの音もサウンドに溶け込んで一体化して響く。
効果音もやはり、映画監督がプロデューサーであることからか視覚的な感覚を広げるかと思いきや、全くそんなことはない。
鳥のさえずりが長閑な草原を思わせるような要素にはならない。
視覚や音響を逆に吸い取る静謐なダークエネルギーに満ちた恐るべき歌集である。

Jocelyn Montgomery003

わたしは、ミランダ・セックス・ガーデンのアルバムより、こちらに身を委ねたい。
特に眠りにつくときなど、、、


クラスター~ハルモニア


chinode.jpg「地の出」

これをロックには入れたくない。
現代音楽である。
敢えて言えばのはなし、、、。

身体をリセットしたい。
中庸にしたい。
ナチュラルにいや、ニュートラルにしたいというとき、、、

音楽が一番効果的かも知れない。
”クラスター”や”ハルモニア”のような、、、。
これ以上に自己主張のない音楽を知らない。

AQUAのような音である。いやちいさなそよ風か、、、。
自然が秘めている音源がいつしか漏れ聴こえてきたかのような音。
”Cluster & Eno 1977”のアルバムジャケットは、草叢から天に向けた一本のマイクの写真(アートワーク)である。

その通りの音である。
Harmonia の”Musik Von Harmonia”も気持ちいい、、、ジャケットは青い洗剤のポリタンクだ!
プラスチックで、ただ気持ち良い反復。

身を任せてたゆたう、、、。
遊星的郷愁に。
雨の夜が煌く。

ディーター・メビウスとローデリウスによるクラスター(結成当初はクラフトワークのコンラッド・シュニッツラーが中心人物として在籍していた)は、所謂、電子音楽の先駆的存在であった。初めての電子音楽のアーティストであった。
この後にどれだけのロック現代音楽の作家が続いたことか、、、。

そしてミヒャエル・ローター、ローデリウス、ディーター・メビウスによるハルモニア。
なんだ、、、ミヒャエル・ローターがいるとハルモニアで、いないとクラスターかい。
と、当時思ったがまさにその通りなのだ(笑。

クラフトワークの雇われメンバー同士で作ったミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーで、あの栄光の”NUE!”ノイ!が生まれる。
その後、ラ・デュッセルドルフに引き継がれ、これも更に気持ちいい。
確かに、ドラムの無機的リズムが刻まれるとハルモニアで、それがないとクラスターである。

クラスターは、アンビエントミュージック、ヒーリングミュージックの始祖となり、、、
ハルモニアは、典型的クラウトロックと言える心地よいミニマル・ミュージックであり後のパンクミュージックにも繋がってゆく。
無機質の魅惑。

昆虫の音楽。
あの優雅で優しいアゲハ蝶の。
または、地中で眠るカブトムシの幼虫の寝息。

いや、縞瑪瑙の夢。
晶結するトワイライトゾーン~
黄昏時にようこそ。


上白石 萌音の366日を聴く

Kamishraishi Mone

youtubeで何人ものヒトが「366日」を歌っているのを聴いた。
ここでわかるのは、同じスコアでも歌い手によって全く異なる曲になるということ。
わたしは、長女と聴けたのは、上白石 萌音さんのものだけだった。
他のものに魅力を覚えず、聞流してしまったが、彼女の歌だけ何度も反復して聴いた。
純粋さ清らかさ、果敢なさは上白石さんの声によってこの曲の特徴となる。
うちのむすめたちのなかでは、いくちゃん(生田絵梨香)のショパンの次にきている。
(今日観たような映画で、バイオリンではなくピアノ編があれば生田女史が主役で演じるのもよいのではないか)。

こういったそよ風のような刺激って、良いなあと思う。
アコースティックギターによるもっとも理想的なバックに聞こえる。


Vが曲の内容に関連していないところが、逆に身体的な同期性を感じさせる。




The fosse - Wim Mertens ~ 「夜の概要ⅴ」



”The Fosse”のライブステージ演奏ものがあったため、拾った。
(今日も続きをするつもりは全くなかったのだが、偶然見つけたからには載せたいと思ったのだ)。

アルバムMaximizing the audienceのチューンの方がそれはビビットで安定しているが、これも良い雰囲気だ。
若々しい頃のウィン・メルテンを見ていたため、月日の流れをいやが上にも感じた。
これは、そのまま見続けると昨日載せたものより面白い構成になっていて見応えはあると思われる。
そう、聴き応えというより、ライブコンサートとしての見応えである。
ヴォーカルの女性との連弾もあり、変化のあるアンサンブル自体が嬉しい。
わたしのように、コンサートに行けない身の上からするとささやかな楽しみにもなるというもの。

”The Fosse”の後にもう2曲(4 Mains、Struggle for pleasure)聴くことができるが、その後はLudovico Einaudi(ルドヴィコ・エイナウディ )の映画の挿入歌になってしまうみたいだ。(これは、いまひとつ、、、わたしにとっては)。
3曲目で止めたい。

ウィン・メルテンを聴くとマイケル・ナイマンの「ピアノ・レッスン」みたいな映画音楽を作ってもよいのでは、、、とも思う。
非常にリリカルでドラマチックですらある。
いつも感じるのは、知的になってしまいがちな現代音楽(ミニマムミュージック)のなかで大変emotionalなのだ。
映像的である。


昨日の”Close Cover”とは違い、BGMで詩は詠めない(笑。
とはいえ、トリスタン・ツァラの詩で、もう一つ載せたいものがある。
単にそれだけの理由だが、、、。
今日のものは、昨日の詩より遥かに短い。


勝利の真昼から
「夜の概要ⅴ」

もろもろの溜息は声高に毛皮の時刻からつくられた
そして私は悔恨のない時刻の水のなかで
無感動な歌のように生きたのだ 新しい慈愛は競売で絹の帆を揚げる
その時ひとは愛を何に変えたのか
砂の上低くラヴェンデル香の木の眼の下で断ち切られたもやい綱よ
長く広い祈祷の空間から訪れた汽笛よ
湿り柔らかい妖精の周囲に示される帰還の飛翔よ
執拗な悦楽で輝き 牡牛どもの角のある光明を埋没させる この黒い夜よ
おお 饒舌な海の瓶どもよ――その時ひとは愛を何に変えたのか――

愛の大いなる純真さのように
単彩画を膨らませながら 暖炉の火の皺をのばしながら――
錯乱した木の葉から 息をつめた壁から 凝視する眼から
あるいは生そのものを孤児たちの遊びに変え
絶望を小学生のわめきに声に変えるカードの配り手から
愛の純真さを誰も護りえなかったゆえに
もの静かで揺るぎないひとつの歌が
柏の束を積んだ川船の風にきしむ言葉で 愛を奏でるのだ
その時ひとは愛を何に変えたのか――そして声は沈黙した
棍棒のひと打ちが虚空に跳ねるように
穏やかなひとつの歌がありもはや亀裂はなく
柱時計はなく
下流に狐があり
人形はなく
遠くに別の人形がある
私は何なのか私は何を避けるのか
アザレアの門の向こうにまたひとつの門がある


        「ツァラ詩集」 浜田明訳(思潮社)より


dadaの中心人物であったが、そのグループの詩人では大変、親しみやすい(というかエモーショナルで詠み易い)。
過激で知的なのも面白いし刺激的なのだが、こういう詩が好きだ。



なお、このシリーズ?はここまでにしたい。
明日から通常の形態に戻る事にする。
(と言っても毎回、好き勝手な記事を載せているだけであるが(笑)。



”Bon voyage.”

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