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生田絵梨花 〜 猫

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ふたりの娘がかなりの生田絵梨香ファンである。
セーラームーン・クリスタルへの熱気は去り、2次元から3次元に移行してきたか?
ももクロ唱うタイトル曲は、相変わらず車に乗ると大声で合唱してはいるが。

普段、「いくちゃん!」と呼んで2人はTVの彼女を喜んで見ている。
やはりピアノと歌が上手なのがよいのだと想うが、可愛らしさも勿論あってのお気に入りなのだろう。
受け答えも凛としているし、時折放つボケ(天然か?)のズレ具合も印象的だ。
好きになる要素は色々あると思われる。

アイドルやタレントも学業との兼ね合いなどもあって大変だと思う。また人気を手にしたとしても、居心地が良いとも限るまい。実際のところはどうなのだろうか。(結局個々の問題に落ち着こうが)。
どんなにスポットライトを華々しく浴びても、自分だけの場所は確保したいであろうにと要らぬことまで考えてしまう。


ひところ(わたしが高校生頃)の彼女らとは、かなり違う印象を持つ。
現在広く人気を博している指原莉乃という人のトーク番組を見て思ったが、自分の言いたいことを何の気兼ねもなくポンポン言い放つ。
そういう芸風を作られて被せられているのとは、明らかに違う、生な表出を見せつけられる。
私立女子高のケラケラ高笑いながら道を横に並んで闊歩してゆくお姉ちゃんがたの語り(テンション)、そのものに近い。
ホントに屈託無く活き活きしていて、思わずつられて笑ってしまうのだ。(笑う以外にない)。

わがいくちゃんの乃木坂46の番組でも同様だ。(乃木坂冠番組が幾つもあることを知った)。
そこの様々な企画でメンバーたちが、結構それぞれ言いたいことを言い合っている。
(実際、学校ではあんな面白いことをやってはいられない。メンバーにとってはそこをめいっぱい補う場でもあるのか)。
実際、確かにそうだな、とこちらも頷きながら聞いている。
とてももっともな事を言っていると思う。
そこが、昔と違う。昔はそんなんじゃなかった。
もう、はっきり言わされてつまらぬ話をしている事は見え見えで、時折自分のことばをうっかりこぼすと大きなボロを見せる。
このパタンであった。

今のアイドルは、感性を押し殺さず、活かしてゆける環境が用意されていると感じる。
だから、頭が良い。

先日、乃木坂番組でメンバーが猫の真似をする企画があった。Vを見てその仕草を真似るのだ。
これは正直、受けた。
こちらが面白いと言うより、やっている当人が愉しいだろうな、と思う類の面白さだ。
所謂、普通の生活を営んでいる範囲では、こんな事出来る機会はない。
独りでこれを部屋でやっていたなら、間違いなく家族が内緒で病院に連絡するだろう。
仲良くみんなでキャーキャー言いながら、猫になって、最後に「かわいいーっ」と賞賛し合う。
メディアを通し全国に流れ、ファンも喜ぶ。
確かにホントに可愛いのだ。ケチのつけようがない。
こういうハレの儀式を定期的に出来る事は、快感であろうし、健康的だと思う。
ここに時折、自分だけの時間も保証されれば、いう事あるまい。

最後に「とっても素敵な企画ですねえ。また是非やりましょうね。」とメンバーが視聴者の気持ちを代弁するようなコメントを放っていた。君はプロデューサーかい、と言いたくなるところだが、思ったことをかなり自由に話せる場なんだと感じる。
ノイズや偶発性も含め編集でカットするより、それをそのまま拾って受ける番組にする方針が窺える。
そのなかで、言語感覚を研ぎ澄ませてゆくのだろうと思う。いやそれだけではない。

この番組の前回の特集で、いくちゃんの絵が紹介されていた。いくちゃんの描いた絵である。
いくちゃんは、ピアノと何処ぞの民族音楽だけでなく、絵も凄かった。
これなら、個展や画集をやってもかなりの人を集められると思った。
ラインに進出するのも良いのではないか?
田辺画伯が痛手を負う可能性があるが、新規参入は常に想定していなければならない。
恐らく、田辺画伯の絵に飽きてきている人や、さらなる刺激を欲する人が飛びつくはず。勿論、いくちゃんファンは突然であろう。

表出の機会が様々にあるショービジネス界というのは、やはり当人が1番磨かれる場なんだろうな、とつくづく感じた。
ここでつけた力は、後々も色々な面で生きるのだろうな。



指原氏はそのうち自民党からの出馬要請がかかるかも知れない。
あれだけ喋りが達者で票集めが上手いのだ。
自民がほっとくはずがない。
(いつだって政治信条など二の次だし)

妖怪ウォッチ、、、妖怪は流行っているのか?

jibanyan.jpg
妖怪、、、人知を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを引き起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在を一般に指す。

娘も妖怪の話が好きだし興味をもっている。
以前、のっぺらぼうの話をしてから、夕暮れどきなどに、「のっぺらぼうが出そうだね」と言って適度に怖がる。

今は地方の伝承というより都市伝説などに絡む面が大きいように思える。
そういったものは特に女の子のお喋りネタに事欠かない。
まさに口承される噂話である。秘密の共有であるため、少し怖さがあると秘めやかで丁度いい。
真実かどうかは問題とはならない。(しかし真実らしさ-リアルさは求められる。経験者は語る的な)。
とは言え、真実であったら都市伝説ではない。
ただのニュースであるに過ぎない。
現代の発祥のもので、妖怪の他、幽霊・怪獣・宇宙人まで含まれているものも少なくない。
魅力的で生々しくスキャンダルなニュースであれば深夜ニュース的な価値ーダークな感じも滲み出る。
勿論、うちの娘はその域まで来ていないが。
ウルトラQや怪奇大作戦もその文脈に重なる要素は大きい。
あのくすぐったい面白さ。

それからすぐに宮崎駿の映画 「千と千尋の神隠し」を連想してしまう。

言わずと知れた歴代興行収入NO.1の大ヒット作である。
トンネルの向こう側が異界であった。というさもありそうな世界が濃密に描かれていた。
わたしを強烈な郷愁の世界に誘うものであった。
これは共同無意識に明らかに通底している。(だからヒットした)。
あのオドロオドロシイ世界がまさしく妖怪ー八百万の神の世界だと思う。
迫力もあり充分にそれを堪能できた。
しかし、やはりあのような民族学的で重厚な物語があれだけ受けるのには驚いた。
妖怪の放つ非日常的な不思議さと神秘性そして不気味さの魅力をまざまざと感じる。


妖怪ウォッチも娘達がよく見るTV番組である。

ポケモンの流れを確実に引き継いでいるが、話の構図はドラえもん的であり、もっと笑える要素が強い。
モンスターから妖怪へ。ピカチューからジバニャンへ、であろうか。
性別に関係なく受ける。
例えばファッションアイテムの「ほっぺちゃん」となれば女の子限定だ。
妖怪ウォッチのメディア展開(メディアミックスというのか?)には隙がない。
ゲーム、おもちゃ、カード・メダル、アプリ、音楽、DVD、映画、プレゼント投稿企画、グッズ、ニュース・トピックス、漫画、TVアニメ、、、。ゲームに火がつけば攻略本も売れまくる。
レアアイテムで購買欲を釣り上げ、海外展開など、、、考えられることは全てやっている感がある。
ゲームと絡めメダルなどのコレクター欲望を刺激していく戦略はよくわかるが逆らえないというところか。
大人にも飛び火していることが分かる。(あれは必ずしも塾で忙しい子供の代わりに行列に並んでソフトを買っているだけではない)。

しかし、これが「妖怪」というものへの興味かといえば、それだけではない気もする。
ここでの妖怪は、地方の伝承に基づくものではなく、純粋なキャラクターである。
基本的にポケモン路線を受け継いでいる洗練されたキャラクター戦略である。
むしろ昨今のゆるキャラブームとも相まって、親しみやすく愛らしいキャラがもてはやされる。
おかあさんといっしょでも「ようかいしりとり」の歌がヒットしているが、妖怪の危険で怪しい部分を脱臭して面白さコミカルな特徴だけを残したものだ。

それにしても、妖怪はキャラの宝庫といえるだろう。


妖怪人間ベム。
「早く人間になりたーい」がとかく有名である。
再放送を録画して娘たちと見たが適度に怖く、話も面白いためお気に入りのアニメとなっていた。
見返りを期待せずに、ひどい扱いを受けても人間を助けようとするところは、娘たちにはピンと来ないようで、わたしと一緒だ。妙に人間臭い妖怪ではあり、親近感は持てる。特にベロについては。


「ゲゲゲの鬼太郎」は職場の傍が本拠地であったため、接することも多かった。もっとも当人にではない。

水木しげる作となれば、むしろ大人に受けの要素が濃い。
妖怪本来の特徴を大切にし、あの独特の渋いリアリティある作風・描画である。
登場人物にもそれぞれペーソスあふれる癖者がいっぱい登場する。
魅力的な妖怪は山ほどいる。塗り壁、一反木綿など秀逸なものばかりだ。
しかしキャラについては大人ならば共感できるという面も少なくない。(ネズミ男、子泣きじじい等)。
ここに親しみやすさや愛くるしさを求めるのはキツイ。
ネコ娘でさえ、子供が共感するタイプとは思えない。
人気はやはり大人が支えているところだと思う。統計を知らぬが。


今の妖怪ブームは、社会情勢の不安定によって起きている、と小松和彦氏は述べている。
未知なるものへの恐怖心それに対して名前をつけて何らかの対象化を図り落ち着かせようとする。
それが妖怪となって現象する。わたしの勝手な解釈で小松氏はこうは言っていないが。
妖怪としての定着は、安定を求めようとする心の生んだものとは言えよう。

彼によれば、見えないものに対する不安からその時代・土地の文化情勢を探る手がかりが見いだせる。
その未知なる存在は、ヨーロッパのような一神教では必然的に悪になってしまうが、日本では八百万の神のひとつになる場合もある。

確かに菅原道真の霊なども祀られることで、怨霊ではなく神となっている。

ボルヘスも妖怪事典を出していることを思い出した。
これは後日、じっくり語りたい。

時代性から見ると、江戸時代に入ると道具が妖怪になったりする。
使い捨てされる道具が次々に妖怪となって異議申し立てをする。
種類もどんどん増えてゆき、キャラクター化が起きる。
文脈は異なるが、キャラクター化は今現在かつてないほど盛んに行われている。
その後、人間関係が生活において重要な要素となると、四谷怪談のような人間の妖怪が主流になる。
その視点で今を分析すると面白いことが沢山見いだせると思われる。
物語性は、ドラえもん的なファンタジーに移行しているが。

今日は取り敢えず、糸口だけ提示するに留める。


想像力のもつ面白さも窺える場所である。


こちらに妖怪のデータベースあり。(国際日本文化研究センター)



ガラダマ ~ウルトラQ

galamon.jpg

「ガラダマ」をホントに久しぶりに観た!
Blu-rayに録画したものだ。
とても綺麗な画像である。
かつて観たときの印象そのままだ。
全く色褪せては、いない。(モノトーンだが)。
それは時代を先取りしているとかいうことではなく、もともと日本昔ばなしのような普遍性とノスタルジーに満ちた作品であるという意味で。

子供が、薪を拾いに行ったら、落ちてきたガラダマ(隕石)を見つけ、ひょいと荷車に乗せて先生に見せに来る。
のっけから、お伽噺だ。
未知の物体を漬物石のように扱っている。
しかも、とても軽々しく。実際凄く軽く、それはフワフワと落ちてきたそうだ。
しかし、フワフワ落ちるところは特撮でも難しいはずで、ここは巧みに子供の証言で話を進ませていく。

その隕石落下から、デリンジャー現象、短波障害、電離層の攪乱がみられると博士たちが慌て始める。
通常、太陽フレアが原因となる現象だが、どうやら今回はガラダマの仕業らしい。
そのため長距離通信に障害をきたしている。

博士によると、その隕石は珪酸アルミニウムを高温で合成したガラス状結晶体であり、チグソナイトという地球上にない物質だそうだ。
博士といつもレギュラーで出てくる記者たち一行は、拾った小学生を道案内にしてすぐさま落下地点を探りに行く。
ガラダマの精査は研究所の研究員に任せて。

ガラダマが落ちた地点に着いた博士一行の目前を、今度は巨大な隕石が落下してくる。
そこはユミガサキという土地のダム近くの湖である。
ガラダマとはこの土地の隕石の呼び名であり、そこは有名な隕石スポットでもあるという。
ガラダマは凄まじい水しぶきを上げ、湖に着水する。
周囲の物は津波で押し流される。

ガラダマにはヒビが入り、ポンっと巨大モンスターが飛び出る。
出た瞬間、瞑っていた目をパッチリ開ける。
スイッチが入った感じだ。

そのモンスター、動きは良いが物に関わるには今ひとつ不自由に見える体つきである。
姿からしてキモかわいい部類に属すると思われるが、やることは破壊活動のようだ。
それにしては、そぐわない形である。
今流行りのゆるキャラの元祖とも言える。動きもピョンピョン移動し長い指をしきりにブラブラ動かす。
愛嬌はあり剽軽な動作が目立つが、顔は確かに獰猛な部類である。

こんな稀有で危険な状況であるにも関わらず、それに対応しているのは、博士とその研究室にいつもの記者たちだけである。国防からの危機管理対応・体制は全く発動しない。
通信障害だけの問題か。電話はちゃんと通じていた。単に知らせないだけのことか。

しっかり伏線もあり、思い出の湖底の街を偲ぶ乗客もろとも、船がガラダマの墜落で岩山の高みに跳ね飛ばされ、それを救助する流れが緊迫感を物語に与えて展開していく。
乗客はかすり傷程度である。余程飛ばされ方が良かったらしい。
見た目、飛行機の墜落と変わらぬ衝撃に思えたが。
ふたりの女性を例の記者たちが救い出す。
このとき「早く、早く」を連発する。他の話でもこの言葉がやけに気になる。
アドリブなのか、台本なのか分からないが、やたらにこのフレーズが耳につくのは残念である。
モンスター(ガラモン)が近づいて来る切迫した盛り上げどころである。映像シーンの演出だけで高める工夫がもっと欲しい。

一方、小学生が見つけた隕石を調査中の研究所では、オシログラフにその物体から特徴的な電波が例の場所に発信されていることが分かり、その電波でモンスターが操縦されていることが推測される。
面白いのが、そのコントローラーをノコギリで切断・分解しようとすると、ガラモンがむず痒そうにして転げまわったりするところだ。しかし、ノコギリでは文字通り歯が立たない。

現場にいる博士は、そのモンスターは高度な文明を持つ異星人が地球侵略のため送り込んだものだと看破する。
彼らは先に操縦機を地球に送りつけ、その後カプセルに乗せたモンスターをよこしたのだという。
しかし、高度な科学力を持つ宇宙人も、その操縦機を薪拾いの小学生に持ち去られることは想定できなかったのである。

そしてその操縦機に電波遮蔽ネットを被せることで、唐突に地球の危機に幕が降される。
ガラモンのお手柄は、体当たりでダムを打ち壊したところで終わり、彼は来た時のように目を閉じ、そのままバタンと倒れて動かなくなる。

体を覆うヒレが風に静かにそよぎ、余情を残す。
ちょっと見た目が多肉植物を想わせる。


改めて名作に触れた感動を味わった。

ガラモンは、ゴジラ、ガメラに次ぐ怪獣のアイドルに違いない。
特に、今の時代にはぴったりの、、、。



「新世界より」TVアニメを観てひとこと

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「想像力がすべてを変える」
と作者はバラードのように締めくくってくれたのですが、それでホッとするにはあまりにもキツイ物語でした。
後味が悪すぎる。胸が重苦しく虚脱感で暫く身動きできない。最終話のブーツ・ストラップが効きました!

無表情に唐突に切れ切れに断続的に世界についての情報は様々な形をとってわれわれに送られてきます。
それらを想像力を稼働させて自ら練り上げれば、物語として成り立ちもしましょう。
でもまとめ練り上げる軸がない。あまりに日々漠然としていて。私自身も情報も。

「新世界より」(ドボルザーク家路から)わたしも幼い頃、登場人物と同じくこの音楽で夕日の中、家路に向かった記憶があります。そこから自分も精神の基調を成している少年期へと自然と誘われます。
原作は全く読んでいませんし、コミックも手にとったことはなく、TVアニメで観ただけですが、想像力の核を確かに感じる物語でした。特にTVアニメであったため、イメージは端から限定される分、強烈です。
しかしディテールの描き込みが緻密なため、ストーリーの基盤が活き活きしていて抵抗なく入り込めました。
さらにこちらをグイグイ巻き込んでゆく比類ない展開が生半可なものではありません。これは発想豊かな作者の技量によるものです。ほとんど今と変わらぬ性の問題や殺戮なども生々しくリアリティーに溢れています。
登場人物にも魅力と奥行があり、それぞれに立場の理解やそれなりの共感はストレスなくできます。特に自分の種族?のために自己犠牲も厭わぬ侍映画の主人公のような奇狼丸と異様に人間臭い策士のスクィーラは取り分け魅力的な存在でした。ここでは新人類に歴史的に貶められてきた2人の異形の脇役が一番覚めていたと言えます。だからこそあまりに悲壮です。

未来の社会の設定も現実に、ある国を考えれば充分に成り立ちうるし、現実はフィクションより非現実的であることは珍しくないものです。特に思いを物質化すること、これは波動(存在密度)を上げれば可能となることで、われわれの次の存在段階に当たります。ですから学校教育に呪術の授業があるのも順当なことでしょう。しかし、思念の力がいとも簡単に破壊や大規模殺戮に向けられてしまったり、コミュニケーション手段もテレパシーなどへの発展が見られないのは、もしかしたら想像力の乏しさが能力的に決定的な欠陥としてあるのか、政策上の遺伝子操作の結果としてのもの(副作用等)なのかと思われてきます。それをするなら政府としては無意識の破壊本能の発動制御にまず総力を挙げてフォーカスすべきでは、と自然に考えてしまいますが。合法的に肉体的に始末するより。

しかしこの物語は、その(コントロール出来ない)呪力の破壊力を持て余して初めて成立する世界となっています。もしそれがなければこのような暗黒譚ではなく楽しい「ドラえもん」の世界になっていたことでしょう。
前提を改めて押さえた上で、この物語はわれわれの日常世界と相似してきます。ある意味歪に進化してきた新人類ですが、われわれも現時点で多くの歪さを抱え持っています。原発の後処理・汚染水問題が何故ここまで滞り拡大し続けるのか等、現実は理論では動きませんし、思想も常に歪曲され、力を持ち優位に立つ者の利己的な采配に従ってなし崩しに流れてゆきます。子供の被爆基準値が跳ね上がるなど様々な矛盾のなか、わたしたちは生きなければなりません。「わたしは生きなければならない」数々の困難や悲しみや死別、記憶操作を受けながらも何度も発するこの言葉は、主人公であり共同体の将来を託された早季の真の資質をあらわす言葉なのだと思いました。

しかしこの先、この共同体を少しでも立て直してゆくにも、真相を知っているのは早季たち2人だけです。バケネズミの学名の謎も知らない民衆は、新人類が過去においてどれほどの残虐な遺伝子操作をして新たな劣等種族を作り社会の安定を図ろうとしてきたか、然してそれが必然的な戦乱を招き寄せたという原因にも思い及ばず、従って何ら反省の機会もなく総括をする術もないままです。それで良いのか?
早季たちもその歴史的事実を知り、その考えられない暴挙に対し悲しみの涙は流しますが、意外にもすぐに立ち直り、明るく前に進んでいきます。わたしは大変ショックでした!最終章の虚脱感の大きな部分はそれです。何故、早季は怒りを示さず悲しむだけだったのか?
この受容的・肯定的な姿勢、しかし「清濁併せ呑む」という前にこの共同体の歴史的な批判と総括を民衆の前でまずすべきだと思います。でなければ多くの同胞、スクィーラや奇狼丸たちも浮かばれません。
「この世界がよくなるかしら」「きっとよくなるよ」
どうでしょうか?
「想像力がすべてを変える」
だれが想像力を働かせるのか、いささか不安で心配です。
何故ならこれはわたしたちの、パラレルワールドなのですから。
同時に進行する。




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THEME:哲学/倫理学 | GENRE:学問・文化・芸術 |
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Author:GOMA28
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悪しからず。
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