プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。


*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
レッド・ファミリー
キューブ CUBE
ドント・ハングアップ
キャット・ピープル
パラサイト 半地下の家族 -2
パラサイト 半地下の家族 -1
ヘンリー・ムーア~彫刻に見る普遍性
911爆破の証拠―専門家は語る 前
9/11:爆破の証拠 - 専門家は語る 後
アポロ 11
シャチ~優しい殺し屋~
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
アリータ
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

広島・長崎の特集番組を見て

kinoko001.jpg

NHKで放送された広島・長崎の特集番組を見て思うこと。
結局、自分のその体験とは何であるのか?
それを各自が自分の場所で徹底して問い詰めること。
それが語られていた。

全くその通りだと思う。
わたしも自分の場所~身体の縁から一歩たりとも離れず、いまこの体験は一体何を意味するのかを考えつづけなければならない。
それ以外は一切考えたり語る必然性~意味がない。
これが倫理だ。

体験が常に学びであること。
そうでなければ、生きる意味などありはしない。
だから彼女らは語り継ぐのではなく、語り合う方法を選択した。
あの長崎の女子高生の方向性は正しいと思う。

わたしは風景画を描くことにした。
この場と社会~自然に連動するに都合がよい。
虚構を簡単に立ち上げるのではなく。
そこに籠められたコードを読み取るならば、定義はし易い。

静かに語り合うための、、、。



破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画

氷菓 その3

hyouka004.jpg

2012年
武本 康弘 監督・脚本
米澤穂信 原作


                         声):
折木奉太郎(古典部、推理の達人)、、、中村悠一
千反田える(「豪農」千反田家のひとり娘、古典部部長)、、、佐藤聡美
福部里志(奉太郎の親友、古典部、総務委員会、手芸部)、、、阪口大助
井原摩耶花(漫画研究会、図書委員、古典部)、、、茅野愛衣
入須冬実(総合病院院長の娘、女帝と呼ばれる)、、、ゆかな
糸魚川養子(神山高校教師、司書)、、、小山 茉美
十文字 かほ(荒楠神社の宮司の娘)、、、早見沙織
折木 供恵(奉太郎の姉、元古典部、インドにいる)、、、 雪野五月
遠垣内 将司(壁新聞部部長、父が教育界重鎮) 、、、置鮎龍太郎
田名辺 治朗(総務委員会委員長)、、、福山潤
陸山 宗芳(生徒会長、絵が上手い)、、、 森川智之


二つ目の山は何と言っても文化祭である。
千反田えるのキラキラ瞳の「気になります!」はずっと健在であるが、「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」というモットーはまだ基本に置いている折木奉太郎ではある。
文化祭は、部室に文集「氷菓」第46号が200部山積みされているところから始まる。
摩耶花の手違いで発注してしまった部数らしい。もとは30部の予定であったそうだ。
上手いイントロである。だが要するに売ればよいのだ。千反田えるは相変わらず前向きだ。
彼らは部活の知名度を上げつつ文集を宣伝し、よい場所に売り場を設けようとするところで、話は動いてゆく。
イベントなどに古典部の名で積極的に参加し、好成績を収めて目立つ。総務委員会にも売り場の拡張をえるが掛け合う。
折木奉太郎はモットーに従い、部室で売り子としてお客を待つ。
だが、わらしべプロトコルを実行して、お料理コンテストで窮地にある古典部を救ったり、単に推理の時だけ役に立つのではなく、普通に考える人になっていて、時折自ら有効な行動にも出たりするのだった。

hyouka023.jpg

古典部がクイズに出たりお料理コンテストに出たりするなか、怪盗「十文字」が現れ特定の物品を盗み、後に犯行声明を残してゆく。狙われる部活に法則性が窺え、奉太郎のいつものスウィッチが入って謎解きが始まり、この回の軸となる。
そう、この物語全体はミステリーであった(謎解きはするも日常描写が濃いため、そのイメージが薄いのだ)。
今回は、漫画研究会の井原摩耶花の苦しい立場や彼女と副部長との傑作とは何かを巡る論戦も加わる。
摩耶花は「夕べには骸に」という漫画に絶大な賞賛をよせており、作品自体の質より全ては読者の感性次第という副部長と激しく対立する。
昨年発表された「夕べには骸に」という傑作同人漫画が最後までキイとなる。「響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」にあるように、才能という問題が同時に語られてゆく。主に福部里志の心情の吐露からだが。
つまり、文化祭のなかで起こった十文字怪盗事件の展開に絡み、「夕べには骸に」を巡って傑作とそうでない作品はどう違うのか、その表裏となる才能と凡庸(諦め)とが切実に描かれてゆく。

hyouka022.jpg

蛇足ではあるが、コンテストで仮装したお料理部部長のコメントが実に面白い。この辺の脇役の個性~魅力も忘れてはなるまい(声優陣の充実が挙げられる)。

時折姉のコントロールが強く感じられ、ちょっと何かの秘密機関の諜報員みたいで怖いところがある。
特に「夕べには骸に」を店番している弟のところに絶妙なタイミングで届けるところなど、この人は誰?という感じ。
この「十文字事件」は、その後記の内容と予定され未だ形を見ない「クドリャフカの順番」なしには解決しえないものであった。
彼女は明らかにヒントというより核心をついたものをここぞとばかりに持ってきたわけであるが、、、。

傑作「夕べには骸に」の次に今年発表されるはずであった「クドリャフカの順番」が完全に宙に浮いていた。
「夕べには骸に」の制作に携わったのは、原作者のアンジョウハルナと作画担当の生徒会長陸山 宗芳、その手伝いをした総務委員会委員長田名辺 治朗であるが、田名辺は「クドリャフカの順番」の構想を「夕べには骸に」の後書きで期待を込めて記していた。原作者アンジョウは、転校してしまい、不在である。
だが、その「夕べには骸に」をも超えるはずのアンジョウ渾身の作「クドリャフカの順番」の原稿を、渡された陸山は読んだ気配がなかった。元々、陸山は絵を続ける(漫画を描く)意志はなかったように見受けられる。ほかの二人と陸山との温度差は大きい。
田名辺は、その原稿~シナリオに従い、文化祭の最中を狙い「十文字事件」を起こしてメッセージを送るが、当の陸山は全く気づきもしなかった。50音順に参加団体(者)からこの音の物品(古典部は「綱領原稿」)をターゲットにするが、「く」は抜かす。「く」で始まるものが失われた、というこの田名辺の手の込んだメッセージは、陸山へ向けた絶望的な期待とアンジョウへの思慕の念と文化祭を賑わせたい悪戯心の成せるものであったようだ。
文化祭の最後に陸山は田名辺に単に「お疲れ」と言葉をかける。この虚しさ。
文化祭の賑わいの中でことばのぶつかり合いとすれちがいと宙吊りのままで終わる様々なことばが何とももの哀しさを湛えていた。

hyouka021.jpg

登山家の先生の話は割愛。弘文堂の件も楽しい推理ゲームであるが割愛。おみくじの話も奉太郎が千反田えるの着物姿にぽ~っと見惚れる面白いものだが割愛。バレンタインデーチョコの里志と摩耶花のストイックな恋愛事情も割愛。ことばは実を結ばない。

hyouka028.jpg

3つ目の山、生き雛祭りの話。
「遠回りする雛」桜の幻想が見事に描かれていた。物凄いセンス!
格式ある名家の伝統行事の準備の忙しなさと、面子と仕来り、統制の難しさ、そこに付け込む他者。
それは美しく仕上がった千反田えるの生き雛~女雛。そして入須冬実の男雛。人々が息を呑む。
コースの乱れは、狂い桜が原因であった。
これを見るために帰省してきた写真家志望の若者が、わざとコースを変え狂い咲の桜の近くを生き雛たちの幻想的な行列が通ることでこの世と思われぬ光景に化学反応を起こすことを狙ったのだ。無論、写真に撮るためである。
傘持ちに参加した奉太郎も彼の信条である省エネ主義が脅かされる(しきりに参加を悔やむが後の祭り)。
桜と空のピンクの絶対的光景に、ついに彼のグレーは上塗りされた、、、。

hyouka027.jpg


そして、ここでも奉太郎のえるに対する内面描写はいとも鮮やかであった。
全てをピンクに染める桜と風が素晴らしい効果をあげていた。
このアニメ以外にない演出が極まった。

hyouka025.jpghyouka026.jpg


これからも多くの優れた仕事を成し遂げたであろう監督の非業の死を心より悼む。





破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画








氷菓 その2

hyouka005.jpg

2012年
武本 康弘 監督・脚本
米澤穂信 原作


                         声):
折木奉太郎(古典部、推理の達人)、、、中村悠一
千反田える(「豪農」千反田家のひとり娘、古典部部長)、、、佐藤聡美
福部里志(奉太郎の親友、古典部、総務委員会)、、、阪口大助
井原摩耶花(漫画研究会、図書委員、古典部)、、、茅野愛衣
入須冬実(総合病院院長の娘、女帝と呼ばれる)、、、ゆかな
糸魚川養子(神山高校教師、司書)、、、小山 茉美
十文字 かほ(荒楠神社の宮司の娘)、、、早見沙織
折木 供恵(奉太郎の姉、元古典部、インドにいる)、、、 雪野五月
遠垣内 将司(壁新聞部部長、父が教育界重鎮) 、、、置鮎龍太郎
田名辺 治朗(総務委員会委員長)、、、福山潤
陸山 宗芳(生徒会長、絵が上手い)、、、 森川智之


古典部初代「氷菓」編集長で、えるの叔父である関谷純が、如何なる経緯でこの文集を作り、学校を去って行ったのか。
権力闘争が熱狂しエスカレートする様がよく窺える。
これは人間の性である。
戦争の原動力とも謂えよう。
たかが文化祭を巡っての学校側の理不尽な縮小通達に対する生徒会の反発・反抗行動であろうが、それが熱に浮かされた暴力による舵のとれない攻防となれば、先は知れている。
大きな逸脱が起きて双方とも驚いて鎮まるとか。
コメディというかギャグに近い。

ここでは生徒たちの焚いた火が格技場に燃え移り、全焼したことで一応の終結をみる。
文化祭は従来通りに開催され、生徒の要求は通るが学校は火災の責任をけじめとして彼らに取らせた。
結局、運動の実質的なリーダーは表には出ず、名目上のリーダーとして祭り上げられていた関谷純が生贄となり退学処分となる。彼は表向きは静かにそれを引き受けた。だが、それに対し誰一人として彼の身の潔白を主張する生徒はいなかった。
彼を学校~権力から生徒の文化祭~自主性を取り戻した英雄扱いすることで学校と生徒双方が事の本質を隠蔽した。
優しい英雄として彼を葬り、その後暫く文化祭は神山祭ではなく関谷(せきたに―>かんや)祭と生徒の中で呼ばれることとなる。欺瞞である(誰が望んでそんな英雄などになるか)。
関谷純は退学を予感したときに、古典部の文集を創刊しその名を無理を通して「氷菓」とした。
「氷菓」~アイスクリーム~”I scream”これが折木奉太郎の受け取った(暴いた)メッセージであった。
そして幼いえるが叔父に文集「氷菓」の意味を問うた時に、その恐ろしさに絶句して泣き出しその記憶を封印した当のものであった。その翌日、彼は姿を消した。
彼は幼いえるに、強くなれ、さもないと悲鳴すらあげられなくなる、それは生きたまま死ぬことを意味する、と説いたという。
その時の記憶を彼女は取り戻し、聞いたときと同様に涙が溢れ出す。

わたしは、このことより寧ろ、えるが優しかった叔父に何を聴いたのか、いつも気になりながらも思い出せないでいることを奉太郎に訴えた際、時が経てばそれも時効になると謂われ、何としても今、思い出そうと彼にすがった事に共感する。
時効でとても大事な思い(しかもそれがどうしても思い出せずにいる思い)が消えてなくなることの恐怖こそ真の恐怖である。
わたしは今を生きている。今(もっとも)気になることは、今それを知りたい。自然である。
これがえるの原動力であった。これが奉太郎をも動かした。

hyouka009.jpg

この後、蛇足みたいな感じで、数学の授業での進度を教科担任が誤ったことに関して、何故そう言うことが起きたのかという推理を奉太郎が行う。何とも些細な日常にフォーカスしたものだと思うが、それをストーリーとしてまた面白く料理してしまう。
このホントに小さなエピソードが京アニらしさを如実に表すところか?
この件で、えるがその数学教師に対し抗議して怒ったことを7つの大罪と絡めて語って特に不自然さを感じさせないところもなかなかのもの。
結局、数学教師ならではの進度を記録する際のD組~”d”とA組~”a”の文字表記の見間違えということであった。確かに在り得る。

それから、部活の合宿で温泉旅行に繰り出す噺が続く。
直ぐにバスに酔ってしまい温泉でものぼせる奉太郎のイベントを楽しめない宿命を摩耶花に指摘される回。
その旅館で首つり自殺が以前あったことを知らされたうえで、その夜女子二人が向かいにある使われていない本館の窓にそれらしき影を観てしまう。当然の流れで奉太郎が推理を頼まれる。えるに頼まれたらやらざるを得ないパタンが確立してゆく。
目の錯覚ではあろうが、どういう錯覚なのか、、、
温泉旅館のふたりの小学生姉妹の性格を捉えたうえでの推理が冴える。
無断で借用した浴衣を雨で濡らしたことが姉に言えない妹が、かつて首つりのあった部屋にそれを干していたのを見たものであった。幼い姉妹の間の大変ささやかな、しかし充分にあり得るエピソードを何か郷愁に染め上げて描いたものであった。
一人っ子のえるの姉妹願望が一瞬揺らぐが、最後に姉が妹を労わる仲の良いところを目にして救われる光景で終わる。

古典部4人が招待されて2-Fの試写会に参加するところから始まる「万人の死角」は圧巻であった。プレ文化祭の回となる。
文化祭で発表する2-Fビデオ映画の脚本家が倒れたということで、撮影が途中でストップしてしまう。
そのピンチを彼らが救うという話である。
これがまたよく出来ている。女帝と呼ばれる入須冬実に最初はオブザーバーとして関わるように誘われるが、結局奉太郎が脚本家のその先の部分を推理するのではなく、推理作家の役をやらされ脚本創作を噺の最後までさせられてしまうのだ。
人心を操ることにかけて特別に秀でているために付けられたあだ名である「女帝」の名に恥じない乗せようである。
奉太郎が終盤、それに気づき怒りを顕わに食い下がるも、女帝は冷静にそれをかわす。
脚本家は、登場人物は誰も死ぬ設定をしていなかったにも拘らず、スタッフたちの暴走で死人を出してしまい、それに意見できずに本を進められなくなる。それを察し冬実が病気ということで彼女を降板させ、その続きを他の者に推理させて最後まで撮り終わろうとする名目であったのだ。しかしそれでも脚本家の考えがまずは第一のはず。入院中であろうとその先のプランくらいは聞き出せるであろうが敢えてそれをせず。

奉太郎としては、途中までの素人臭い映像を忠実に読み取り、他の生徒が批判するカメラワーク・演出の悪さ、稚拙さを彼女の積極的な意図であると受け取り考える。
何処にも死角のない密室殺人のトリックを、カメラを回しながら役者たちについて回る第7番目の役者として撮影件懐中電灯(照明)担当と捉えることで破綻なく見事解決する。
これでカメラが超越的視座をもたず、同時にあらゆる場所から情景を写したりする演出が取れないことが分かる。要所要所でカメラ担当者は光の必要な際に懐中電灯で対象を照らす。これも登場人物たちにピッタリ寄り添って移動する一人の役者であるところから自然な動きであることが分かる。そして他の6人がそれぞれの場所に散った後、彼はおもむろにマスターキーを堂々と取ってターゲットに接触して殺すことが楽々できた。所謂、叙述トリックを敷いていたのだ。

奉太郎の示した線で続きが制作され、誰もが唸る作品に仕上がり、冬実からも感謝される。だが、古典部の他の3人からは、それは奉太郎の作品であっても脚本を担当した生徒の真意ではないことを説かれる。その何れもがもっともなものであった。そして彼らの話を聞いて自分が脚本をテクストとして読み取るだけで、脚本家の気持ちに思いが向いていなかった事を確認する。つまり彼がテクストに向き合っているときに他の3人は脚本家自身に想いを馳せていたのだ。そこから導かれた結論はミステリーより彼女の思いを反映させた随分とロマンチックな内容であった。もう撮り終えた後であり、再考する意味は失せたにもかかわらず奉太郎は食い下がる。
(恐らく冬実の真の意図は、脚本自体が面白くないため極力誰も傷付けない形で、それをうまく書き換えて上映し成功させたかったのであろう)。
奉太郎の「やらなくてよいことはやらない」モットーは、えるや冬実さらに姉のお陰でとっくに破綻していた。


思いの外長くなったので、文化祭の回は、明日にでも、、、。



破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画


氷菓 その1

hyouka002.jpg

2012年
武本 康弘 監督・脚本
米澤穂信 原作


                         声):
折木奉太郎(古典部、推理の達人)、、、中村悠一
千反田える(「豪農」千反田家のひとり娘、古典部部長)、、、佐藤聡美
福部里志(奉太郎の親友、古典部、総務委員会)、、、阪口大助
井原摩耶花(漫画研究会、図書委員、古典部)、、、茅野愛衣
入須冬実(総合病院院長の娘、女帝と呼ばれる)、、、ゆかな
糸魚川養子(神山高校教師、司書)、、、小山 茉美
十文字 かほ(荒楠神社の宮司の娘)、、、早見沙織
折木 供恵(奉太郎の姉、元古典部、インドにいる)、、、 雪野五月
遠垣内 将司(壁新聞部部長、父が教育界重鎮) 、、、置鮎龍太郎
田名辺 治朗(総務委員会委員長)、、、福山潤
陸山 宗芳(生徒会長、絵が上手い)、、、 森川智之

ライトノベル~TVアニメ~実写映画と流れて作成されている作品であり、今回は全22話のTV版を観てみた。
(いつもながらノベルの方は未読)。

監督は、京都アニメーションにおいては「らき☆すた 」、「涼宮ハルヒの憂鬱」の監督も務めている。
更に「日常 」、「中二病でも恋がしたい! 」、「たまこまーけっと 」、「Free!」、「境界の彼方」、「響け! ユーフォニアム」、「無彩限のファントム・ワールド」、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、、、等の演出、作画も精力的に行っている。

声優陣がとてもゴージャスで有名な作品でもあるらしい。
確かにそのせいか、アニメ門外漢のわたしにも大変心地よく物語に入り込むことが出来た。
精緻に描かれたキャラの表情・動きに声がよく合っているというレベルを超えた融合~調和を感じる。
つまりこの二次元の表現芸術がとても身体的に自然フィットするのだ(わたしはいつも多少の違和を感じるのだが)。
特にこの「声」に馴染んでしまうと実写~役者がやるのはきつくなるはず(実写への展開の難しさは実はこの「声」ではないか)。
(この物語は殊更、ことばに拘り、ことばを大切にしている)。
表情の細やかな変化~内面の変化は役者の技量でこのレベルの演技は可能であろうが。

hyouka006.jpg

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」
折木奉太郎、とてもよいモットーだ。
しかし千反田えるが彼を焚き付け難問推理にあたらせるうちに、自他ともにその推理・洞察力を認めることになる。
そのため徐々に非効率的なエネルギー消費に自ら向かってゆく羽目となる。
確かに才能は、こういった形で引き出されてゆくことが多い。
(彼の姉はどの辺まで計算して彼を古典部に入部させたのか?)

「わたし気になります!」
あの目を綺羅めかせ訴えられると、取り敢えずは真実はどうでもよいが、えるを納得させる必要は感じてしまう。
奉太郎の必死さは分かる(笑。この時点で省エネモードはすっ飛ぶ(笑。
探求よりディベート要素もかなり感じるところでもあるが。
これで奉太郎も覚醒して行き、グレーの生活信条からピンクも良いなと思い始めることに繋がる。
えるは奉太郎に対する信頼度が高まり摩耶花も彼を大いに見直してゆく。
元より奉太郎に一目置いている里志はジェラシーを覚える。大らかで開放的に見える彼は自分の力を限定しており、「データーベースは答えは出せない」というのが口癖である。奉太郎につられ彼も揺らぎ始める。

hyouka007.jpg

この作品も「無際限のファントム・ワールド」や「境界の彼方」と異なり、日常のディテールを静かに丁寧に拾ってゆく。
それこそ、えるの髪の毛の動きひとつも見逃さないくらいに。
すべてが微細な感情表現に連動する。
ひとつの動きが様々な関係性に広がって行く。

そうか、こうしてアニメーションというものはつくられてゆくのか。
ふと、合点したような気になる。

hyouka008.jpg

古典部の文集「氷菓」がどういう経緯で作られたのかを、45年後の部員が解いて明かすという謎解きはとても粋である。
この第五話までの流れはとてもワクワクした。
また古典部の面々がストイックで直向きなのが微笑ましくもあった。
彼らはいつの間にか、よい高校部活生活を送っている(奉太郎などまさに姉の思う壺ではないか)。
特にえるのお屋敷で開く限られたテクストから抽出する各自の読み取りと仮説の発表。
今更ながら、わたしは羨ましい。
こんな経験は各自にとっての宝となるはず。
そしてここで奉太郎のまとめた物語の整合性に皆が感心し納得する。

しかし、失踪した彼女の叔父、関谷純の人物像にえるが感情的な齟齬を覚える。
実は奉太郎もそうであった。物語に理屈の上での破綻がなく綺麗にまとまっても、えるが納得しなければ意味がない。
これはえるの深層心理に沈んだ叔父の物語を白昼の元に引き上げる作業なのだ。
えるの感情を揺さぶれないことには、感情が納得しなければ、まだそれが真相に迫り切れていないことを意味した。
ここからの展開が一つの山である(時折、姉がインドから超能力者のようなヒントの電話をくれるところには笑ったが)。
とてもリアリティがあって良かったと思う。



犠牲~生贄を生む構造とはそうしたものだ。
当時がそんな風潮であったかと言えば、そんなことはなく寧ろそれは歴史的な問題というより人間社会にはいつでも起こりうる不条理な事件である。わたしは、こうしたことは今でもいくらでも起こりうると確信をもって謂える。
"I scream"のダジャレは、こちらも言われる前に気づいていたが、そんなことはどうでもよい。
感動した。

ひとつ蛇足であるが、何も限られた僅かなテクストから真相を掬い出すだけでなく、狭い街のようであるし当時の事件にかかわった年配の方からの証言を取って回っても良かったのではないか?個々の受け取り方の差はあろうが、より生々しい情報が得られる可能性は高いと思われたのだが、どうなのであろう?それはNGなのか?



破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画






PRE「氷菓」

hyouka001.jpg

2012年~
武本康弘 監督

折木奉太郎 、、、中村悠一
千反田える 、、、佐藤聡美
福部里志 、、、阪口大助
伊原摩耶花 、、、茅野愛衣
折木供恵 、、、雪野五月
遠垣内将司 、、、置鮎龍太郎
入須冬実 、、、ゆかな
糸魚川養子 、、、小山茉美


今現在、パソコンで「氷菓」の21話まで観終わった(昨日から観始めて)。
明日、最終話の22を観てから、山﨑賢人, 広瀬アリス主演の実写版も(余裕があれば)観てみたいと思う。
一日に、短いTV版であろうと、こんなに観れない。
いろいろやることもありビデオだけ眺めて一日中過ごせる訳ではない。
非常によくできた話であるため適当に流して観れない。
作画が「けいおん!」に劣らず良い。
「響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」と同じくらいか?
絵がよくできているため、内容に深く沈潜できる。

5話までの古典部文集「氷菓」初代編集長の関谷純(千反田えるの叔父)の人物像を巡る展開だけで充分な気がしたが、その後も大きな山が二つも現れる。最後にまた現在の文化祭から文集「氷菓」に戻り、見つからなかった創刊号(の内容にも触れること)で絞めて、終わるのかと思いきやそうではなかった。
そのまま先へと展開して行く。
灰色だとか省エネとかいろいろ謂いながらも、綺麗な桜の咲く中、折木奉太郎 と千反田えるの希望に満ちた終わり方となる。
こういう方向性なのね、と思った(がっかりしたわけではないが)。

映画版は5話までの関谷純の人物像を追った「氷菓」に絞り込んだ内容となるはず。
そうしないとダイジェスト版みたいな構成になり、薄っぺらいものしかできないはず。
ただしキャストが心配である。少しオリジナル(高1)設定ではキツイのではないか。
(それも演技力によるか?)

明日から特に印象的であった事柄を拾って簡略な感想を記してゆきたい。



無彩限のファントム・ワールド

Phantom World001

Myriad Colors Phantom World
2016年
石原立也 監督
秦野宗一郎 原作

          声):
一条 晴彦、、、 下野紘(チームE所属、ファントム封印、召喚)
川神 舞、、、上坂すみれ(脳機能エラー対策室、チームEのリーダー)
和泉 玲奈、、、早見沙織(チームE所属、ファントム・イーター)
水無瀬 小糸、、、内田真礼(防衛省直属の「対ファントム要員」、チームE所属、声を武器とする)
姫野 アリス、、、井上喜久子(脳機能エラー対策室顧問)
ルル、、、田所あずさ(妖精ファントム、晴彦の無意識から生まれた少女)
熊枕 久瑠美、、、久野美咲(チームE所属、初等科、ドールマスター)
アルブレヒト、、、久瑠美のクマの縫い包み、巨大化してファントムと闘う


テーマは荒唐無稽で、遺伝子組み換え研究を行っていた阿頼耶識社がテロに襲われたことから、人々の脳に異変が生じはじめ、彼らの生みだすファントムが誰の眼にも見えるようになった(人の生みだす化け物が可視化するようになった)。そのなかで人に実害を与えるファントムの処理の為、特異能力者が集められ、事に当たることになった。
この物語の主人公たちは皆、独自のファントム退治の特異能力を有し、専門機関に所属しチーム或いは単独で様々なファントムに立ち向かっている。彼らは、ホセア学院高等部に所属しクラブ感覚で顧問の下、活躍している(熊枕 久瑠美だけは初等科4年で加わっている)。
その過程で、自己の確立や仲間との友情を深めてゆく姿が描かれる。この辺は完全に少女漫画の世界でもある。

TVアニメーション14話を続けて観てみた。
こんなことははじめてである。面白かったが大変であった。
わたしの何時も頼りにしている「劇場版」がないのだ。一回で観れないのはキツイ。

しかしTVアニメも一話完結型のものであり、それぞれの回で事件は盛り上がってちゃんと解決を見る。
しっかり枠内で、スリルやアクション・バトルありナンセンスや笑いや感慨深い流れも用意されている。
それと共に、脳機能エラー対策室のチームEがはじめは川神 舞と一条 晴彦の2人だけの弱小チームであったが、ファントムイーターの能力を持つ厳格な家の娘の和泉 玲奈や縫い包みの強大な力を有するアルブレヒトを操る初等科の少女、熊枕 久瑠美や防衛省直属の「対ファントム要員」に幼い頃にスカウトされたエリートの水無瀬 小糸をチームに入れてゆくことで、学園一の最強チームに育ってゆく過程も描かれる。

Phantom World002

全体として京都アニメーションにしては異色な、セクシーな巨乳美少女が活躍する青春ファンタジック・コメディとでも呼ぶべきか。
京アニ、守備範囲は広い。
科学ネタを散りばめつつ、オカルト・お色気ファンタジー路線で大変キャッチーなアニメーションを構築している。

絵が相変わらず綺麗で、一回分が30分弱で、今回は登場人物誰もが可愛らしいこともあり、興味を惹かれて鑑賞するも、何とも電信柱のファントムが出て来て、宮沢賢治の世界みたいですね、ってそれはないだろ。
電信柱たちの挑戦を受けて川神 舞と電信柱ファントムがリンボーダンスで競い合うところなど、このアニメの基本線がよくわかる。
彼女が巨乳である分、闘いは不利かと思われたが、、、。

全てがこの路線内なのだ。この後のエピソードもこういったものばかり、手を変え品を変えである。
どれだけナンセンスであっても、作画の出来で魅せてしまうものだ。
特に学園の校庭に露天風呂が突然できていて大猿相手に闘うところなど、この最たるもので、ほとんどジョークの世界である。
京アニの力技でちゃんとエピソードとして形になっていた。

楽しくセクシーなエンターテイメントとして焦点が絞られ、しっかり作り込まれたアニメーションであった。
充分、続編も出来る余地もあり、劇場版も生まれておかしくない。
(TV版から見て、劇場版が一番作り易いタイプのモノであるに違いない)。
こういう作品も作れる京アニには、是非とも頑張ってもらいたいものだ。







破格の値段で5つ★ホテルと豪華な食事の愉しめる旅を! 東京オリンピックまでに自由を手にする無料動画



生田絵梨花 〜 猫

neko.jpg

ふたりの娘がかなりの生田絵梨香ファンである。
セーラームーン・クリスタルへの熱気は去り、2次元から3次元に移行してきたか?
ももクロ唱うタイトル曲は、相変わらず車に乗ると大声で合唱してはいるが。

普段、「いくちゃん!」と呼んで2人はTVの彼女を喜んで見ている。
やはりピアノと歌が上手なのがよいのだと想うが、可愛らしさも勿論あってのお気に入りなのだろう。
受け答えも凛としているし、時折放つボケ(天然か?)のズレ具合も印象的だ。
好きになる要素は色々あると思われる。

アイドルやタレントも学業との兼ね合いなどもあって大変だと思う。また人気を手にしたとしても、居心地が良いとも限るまい。実際のところはどうなのだろうか。(結局個々の問題に落ち着こうが)。
どんなにスポットライトを華々しく浴びても、自分だけの場所は確保したいであろうにと要らぬことまで考えてしまう。


ひところ(わたしが高校生頃)の彼女らとは、かなり違う印象を持つ。
現在広く人気を博している指原莉乃という人のトーク番組を見て思ったが、自分の言いたいことを何の気兼ねもなくポンポン言い放つ。
そういう芸風を作られて被せられているのとは、明らかに違う、生な表出を見せつけられる。
私立女子高のケラケラ高笑いながら道を横に並んで闊歩してゆくお姉ちゃんがたの語り(テンション)、そのものに近い。
ホントに屈託無く活き活きしていて、思わずつられて笑ってしまうのだ。(笑う以外にない)。

わがいくちゃんの乃木坂46の番組でも同様だ。(乃木坂冠番組が幾つもあることを知った)。
そこの様々な企画でメンバーたちが、結構それぞれ言いたいことを言い合っている。
(実際、学校ではあんな面白いことをやってはいられない。メンバーにとってはそこをめいっぱい補う場でもあるのか)。
実際、確かにそうだな、とこちらも頷きながら聞いている。
とてももっともな事を言っていると思う。
そこが、昔と違う。昔はそんなんじゃなかった。
もう、はっきり言わされてつまらぬ話をしている事は見え見えで、時折自分のことばをうっかりこぼすと大きなボロを見せる。
このパタンであった。

今のアイドルは、感性を押し殺さず、活かしてゆける環境が用意されていると感じる。
だから、頭が良い。

先日、乃木坂番組でメンバーが猫の真似をする企画があった。Vを見てその仕草を真似るのだ。
これは正直、受けた。
こちらが面白いと言うより、やっている当人が愉しいだろうな、と思う類の面白さだ。
所謂、普通の生活を営んでいる範囲では、こんな事出来る機会はない。
独りでこれを部屋でやっていたなら、間違いなく家族が内緒で病院に連絡するだろう。
仲良くみんなでキャーキャー言いながら、猫になって、最後に「かわいいーっ」と賞賛し合う。
メディアを通し全国に流れ、ファンも喜ぶ。
確かにホントに可愛いのだ。ケチのつけようがない。
こういうハレの儀式を定期的に出来る事は、快感であろうし、健康的だと思う。
ここに時折、自分だけの時間も保証されれば、いう事あるまい。

最後に「とっても素敵な企画ですねえ。また是非やりましょうね。」とメンバーが視聴者の気持ちを代弁するようなコメントを放っていた。君はプロデューサーかい、と言いたくなるところだが、思ったことをかなり自由に話せる場なんだと感じる。
ノイズや偶発性も含め編集でカットするより、それをそのまま拾って受ける番組にする方針が窺える。
そのなかで、言語感覚を研ぎ澄ませてゆくのだろうと思う。いやそれだけではない。

この番組の前回の特集で、いくちゃんの絵が紹介されていた。いくちゃんの描いた絵である。
いくちゃんは、ピアノと何処ぞの民族音楽だけでなく、絵も凄かった。
これなら、個展や画集をやってもかなりの人を集められると思った。
ラインに進出するのも良いのではないか?
田辺画伯が痛手を負う可能性があるが、新規参入は常に想定していなければならない。
恐らく、田辺画伯の絵に飽きてきている人や、さらなる刺激を欲する人が飛びつくはず。勿論、いくちゃんファンは突然であろう。

表出の機会が様々にあるショービジネス界というのは、やはり当人が1番磨かれる場なんだろうな、とつくづく感じた。
ここでつけた力は、後々も色々な面で生きるのだろうな。



指原氏はそのうち自民党からの出馬要請がかかるかも知れない。
あれだけ喋りが達者で票集めが上手いのだ。
自民がほっとくはずがない。
(いつだって政治信条など二の次だし)

妖怪ウォッチ、、、妖怪は流行っているのか?

jibanyan.jpg
妖怪、、、人知を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを引き起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在を一般に指す。

娘も妖怪の話が好きだし興味をもっている。
以前、のっぺらぼうの話をしてから、夕暮れどきなどに、「のっぺらぼうが出そうだね」と言って適度に怖がる。

今は地方の伝承というより都市伝説などに絡む面が大きいように思える。
そういったものは特に女の子のお喋りネタに事欠かない。
まさに口承される噂話である。秘密の共有であるため、少し怖さがあると秘めやかで丁度いい。
真実かどうかは問題とはならない。(しかし真実らしさ-リアルさは求められる。経験者は語る的な)。
とは言え、真実であったら都市伝説ではない。
ただのニュースであるに過ぎない。
現代の発祥のもので、妖怪の他、幽霊・怪獣・宇宙人まで含まれているものも少なくない。
魅力的で生々しくスキャンダルなニュースであれば深夜ニュース的な価値ーダークな感じも滲み出る。
勿論、うちの娘はその域まで来ていないが。
ウルトラQや怪奇大作戦もその文脈に重なる要素は大きい。
あのくすぐったい面白さ。

それからすぐに宮崎駿の映画 「千と千尋の神隠し」を連想してしまう。

言わずと知れた歴代興行収入NO.1の大ヒット作である。
トンネルの向こう側が異界であった。というさもありそうな世界が濃密に描かれていた。
わたしを強烈な郷愁の世界に誘うものであった。
これは共同無意識に明らかに通底している。(だからヒットした)。
あのオドロオドロシイ世界がまさしく妖怪ー八百万の神の世界だと思う。
迫力もあり充分にそれを堪能できた。
しかし、やはりあのような民族学的で重厚な物語があれだけ受けるのには驚いた。
妖怪の放つ非日常的な不思議さと神秘性そして不気味さの魅力をまざまざと感じる。


妖怪ウォッチも娘達がよく見るTV番組である。

ポケモンの流れを確実に引き継いでいるが、話の構図はドラえもん的であり、もっと笑える要素が強い。
モンスターから妖怪へ。ピカチューからジバニャンへ、であろうか。
性別に関係なく受ける。
例えばファッションアイテムの「ほっぺちゃん」となれば女の子限定だ。
妖怪ウォッチのメディア展開(メディアミックスというのか?)には隙がない。
ゲーム、おもちゃ、カード・メダル、アプリ、音楽、DVD、映画、プレゼント投稿企画、グッズ、ニュース・トピックス、漫画、TVアニメ、、、。ゲームに火がつけば攻略本も売れまくる。
レアアイテムで購買欲を釣り上げ、海外展開など、、、考えられることは全てやっている感がある。
ゲームと絡めメダルなどのコレクター欲望を刺激していく戦略はよくわかるが逆らえないというところか。
大人にも飛び火していることが分かる。(あれは必ずしも塾で忙しい子供の代わりに行列に並んでソフトを買っているだけではない)。

しかし、これが「妖怪」というものへの興味かといえば、それだけではない気もする。
ここでの妖怪は、地方の伝承に基づくものではなく、純粋なキャラクターである。
基本的にポケモン路線を受け継いでいる洗練されたキャラクター戦略である。
むしろ昨今のゆるキャラブームとも相まって、親しみやすく愛らしいキャラがもてはやされる。
おかあさんといっしょでも「ようかいしりとり」の歌がヒットしているが、妖怪の危険で怪しい部分を脱臭して面白さコミカルな特徴だけを残したものだ。

それにしても、妖怪はキャラの宝庫といえるだろう。


妖怪人間ベム。
「早く人間になりたーい」がとかく有名である。
再放送を録画して娘たちと見たが適度に怖く、話も面白いためお気に入りのアニメとなっていた。
見返りを期待せずに、ひどい扱いを受けても人間を助けようとするところは、娘たちにはピンと来ないようで、わたしと一緒だ。妙に人間臭い妖怪ではあり、親近感は持てる。特にベロについては。


「ゲゲゲの鬼太郎」は職場の傍が本拠地であったため、接することも多かった。もっとも当人にではない。

水木しげる作となれば、むしろ大人に受けの要素が濃い。
妖怪本来の特徴を大切にし、あの独特の渋いリアリティある作風・描画である。
登場人物にもそれぞれペーソスあふれる癖者がいっぱい登場する。
魅力的な妖怪は山ほどいる。塗り壁、一反木綿など秀逸なものばかりだ。
しかしキャラについては大人ならば共感できるという面も少なくない。(ネズミ男、子泣きじじい等)。
ここに親しみやすさや愛くるしさを求めるのはキツイ。
ネコ娘でさえ、子供が共感するタイプとは思えない。
人気はやはり大人が支えているところだと思う。統計を知らぬが。


今の妖怪ブームは、社会情勢の不安定によって起きている、と小松和彦氏は述べている。
未知なるものへの恐怖心それに対して名前をつけて何らかの対象化を図り落ち着かせようとする。
それが妖怪となって現象する。わたしの勝手な解釈で小松氏はこうは言っていないが。
妖怪としての定着は、安定を求めようとする心の生んだものとは言えよう。

彼によれば、見えないものに対する不安からその時代・土地の文化情勢を探る手がかりが見いだせる。
その未知なる存在は、ヨーロッパのような一神教では必然的に悪になってしまうが、日本では八百万の神のひとつになる場合もある。

確かに菅原道真の霊なども祀られることで、怨霊ではなく神となっている。

ボルヘスも妖怪事典を出していることを思い出した。
これは後日、じっくり語りたい。

時代性から見ると、江戸時代に入ると道具が妖怪になったりする。
使い捨てされる道具が次々に妖怪となって異議申し立てをする。
種類もどんどん増えてゆき、キャラクター化が起きる。
文脈は異なるが、キャラクター化は今現在かつてないほど盛んに行われている。
その後、人間関係が生活において重要な要素となると、四谷怪談のような人間の妖怪が主流になる。
その視点で今を分析すると面白いことが沢山見いだせると思われる。
物語性は、ドラえもん的なファンタジーに移行しているが。

今日は取り敢えず、糸口だけ提示するに留める。


想像力のもつ面白さも窺える場所である。


こちらに妖怪のデータベースあり。(国際日本文化研究センター)



ガラダマ ~ウルトラQ

galamon.jpg

「ガラダマ」をホントに久しぶりに観た!
Blu-rayに録画したものだ。
とても綺麗な画像である。
かつて観たときの印象そのままだ。
全く色褪せては、いない。(モノトーンだが)。
それは時代を先取りしているとかいうことではなく、もともと日本昔ばなしのような普遍性とノスタルジーに満ちた作品であるという意味で。

子供が、薪を拾いに行ったら、落ちてきたガラダマ(隕石)を見つけ、ひょいと荷車に乗せて先生に見せに来る。
のっけから、お伽噺だ。
未知の物体を漬物石のように扱っている。
しかも、とても軽々しく。実際凄く軽く、それはフワフワと落ちてきたそうだ。
しかし、フワフワ落ちるところは特撮でも難しいはずで、ここは巧みに子供の証言で話を進ませていく。

その隕石落下から、デリンジャー現象、短波障害、電離層の攪乱がみられると博士たちが慌て始める。
通常、太陽フレアが原因となる現象だが、どうやら今回はガラダマの仕業らしい。
そのため長距離通信に障害をきたしている。

博士によると、その隕石は珪酸アルミニウムを高温で合成したガラス状結晶体であり、チグソナイトという地球上にない物質だそうだ。
博士といつもレギュラーで出てくる記者たち一行は、拾った小学生を道案内にしてすぐさま落下地点を探りに行く。
ガラダマの精査は研究所の研究員に任せて。

ガラダマが落ちた地点に着いた博士一行の目前を、今度は巨大な隕石が落下してくる。
そこはユミガサキという土地のダム近くの湖である。
ガラダマとはこの土地の隕石の呼び名であり、そこは有名な隕石スポットでもあるという。
ガラダマは凄まじい水しぶきを上げ、湖に着水する。
周囲の物は津波で押し流される。

ガラダマにはヒビが入り、ポンっと巨大モンスターが飛び出る。
出た瞬間、瞑っていた目をパッチリ開ける。
スイッチが入った感じだ。

そのモンスター、動きは良いが物に関わるには今ひとつ不自由に見える体つきである。
姿からしてキモかわいい部類に属すると思われるが、やることは破壊活動のようだ。
それにしては、そぐわない形である。
今流行りのゆるキャラの元祖とも言える。動きもピョンピョン移動し長い指をしきりにブラブラ動かす。
愛嬌はあり剽軽な動作が目立つが、顔は確かに獰猛な部類である。

こんな稀有で危険な状況であるにも関わらず、それに対応しているのは、博士とその研究室にいつもの記者たちだけである。国防からの危機管理対応・体制は全く発動しない。
通信障害だけの問題か。電話はちゃんと通じていた。単に知らせないだけのことか。

しっかり伏線もあり、思い出の湖底の街を偲ぶ乗客もろとも、船がガラダマの墜落で岩山の高みに跳ね飛ばされ、それを救助する流れが緊迫感を物語に与えて展開していく。
乗客はかすり傷程度である。余程飛ばされ方が良かったらしい。
見た目、飛行機の墜落と変わらぬ衝撃に思えたが。
ふたりの女性を例の記者たちが救い出す。
このとき「早く、早く」を連発する。他の話でもこの言葉がやけに気になる。
アドリブなのか、台本なのか分からないが、やたらにこのフレーズが耳につくのは残念である。
モンスター(ガラモン)が近づいて来る切迫した盛り上げどころである。映像シーンの演出だけで高める工夫がもっと欲しい。

一方、小学生が見つけた隕石を調査中の研究所では、オシログラフにその物体から特徴的な電波が例の場所に発信されていることが分かり、その電波でモンスターが操縦されていることが推測される。
面白いのが、そのコントローラーをノコギリで切断・分解しようとすると、ガラモンがむず痒そうにして転げまわったりするところだ。しかし、ノコギリでは文字通り歯が立たない。

現場にいる博士は、そのモンスターは高度な文明を持つ異星人が地球侵略のため送り込んだものだと看破する。
彼らは先に操縦機を地球に送りつけ、その後カプセルに乗せたモンスターをよこしたのだという。
しかし、高度な科学力を持つ宇宙人も、その操縦機を薪拾いの小学生に持ち去られることは想定できなかったのである。

そしてその操縦機に電波遮蔽ネットを被せることで、唐突に地球の危機に幕が降される。
ガラモンのお手柄は、体当たりでダムを打ち壊したところで終わり、彼は来た時のように目を閉じ、そのままバタンと倒れて動かなくなる。

体を覆うヒレが風に静かにそよぎ、余情を残す。
ちょっと見た目が多肉植物を想わせる。


改めて名作に触れた感動を味わった。

ガラモンは、ゴジラ、ガメラに次ぐ怪獣のアイドルに違いない。
特に、今の時代にはぴったりの、、、。



「新世界より」TVアニメを観てひとこと

sinsekai2.jpg

「想像力がすべてを変える」
と作者はバラードのように締めくくってくれたのですが、それでホッとするにはあまりにもキツイ物語でした。
後味が悪すぎる。胸が重苦しく虚脱感で暫く身動きできない。最終話のブーツ・ストラップが効きました!

無表情に唐突に切れ切れに断続的に世界についての情報は様々な形をとってわれわれに送られてきます。
それらを想像力を稼働させて自ら練り上げれば、物語として成り立ちもしましょう。
でもまとめ練り上げる軸がない。あまりに日々漠然としていて。私自身も情報も。

「新世界より」(ドボルザーク家路から)わたしも幼い頃、登場人物と同じくこの音楽で夕日の中、家路に向かった記憶があります。そこから自分も精神の基調を成している少年期へと自然と誘われます。
原作は全く読んでいませんし、コミックも手にとったことはなく、TVアニメで観ただけですが、想像力の核を確かに感じる物語でした。特にTVアニメであったため、イメージは端から限定される分、強烈です。
しかしディテールの描き込みが緻密なため、ストーリーの基盤が活き活きしていて抵抗なく入り込めました。
さらにこちらをグイグイ巻き込んでゆく比類ない展開が生半可なものではありません。これは発想豊かな作者の技量によるものです。ほとんど今と変わらぬ性の問題や殺戮なども生々しくリアリティーに溢れています。
登場人物にも魅力と奥行があり、それぞれに立場の理解やそれなりの共感はストレスなくできます。特に自分の種族?のために自己犠牲も厭わぬ侍映画の主人公のような奇狼丸と異様に人間臭い策士のスクィーラは取り分け魅力的な存在でした。ここでは新人類に歴史的に貶められてきた2人の異形の脇役が一番覚めていたと言えます。だからこそあまりに悲壮です。

未来の社会の設定も現実に、ある国を考えれば充分に成り立ちうるし、現実はフィクションより非現実的であることは珍しくないものです。特に思いを物質化すること、これは波動(存在密度)を上げれば可能となることで、われわれの次の存在段階に当たります。ですから学校教育に呪術の授業があるのも順当なことでしょう。しかし、思念の力がいとも簡単に破壊や大規模殺戮に向けられてしまったり、コミュニケーション手段もテレパシーなどへの発展が見られないのは、もしかしたら想像力の乏しさが能力的に決定的な欠陥としてあるのか、政策上の遺伝子操作の結果としてのもの(副作用等)なのかと思われてきます。それをするなら政府としては無意識の破壊本能の発動制御にまず総力を挙げてフォーカスすべきでは、と自然に考えてしまいますが。合法的に肉体的に始末するより。

しかしこの物語は、その(コントロール出来ない)呪力の破壊力を持て余して初めて成立する世界となっています。もしそれがなければこのような暗黒譚ではなく楽しい「ドラえもん」の世界になっていたことでしょう。
前提を改めて押さえた上で、この物語はわれわれの日常世界と相似してきます。ある意味歪に進化してきた新人類ですが、われわれも現時点で多くの歪さを抱え持っています。原発の後処理・汚染水問題が何故ここまで滞り拡大し続けるのか等、現実は理論では動きませんし、思想も常に歪曲され、力を持ち優位に立つ者の利己的な采配に従ってなし崩しに流れてゆきます。子供の被爆基準値が跳ね上がるなど様々な矛盾のなか、わたしたちは生きなければなりません。「わたしは生きなければならない」数々の困難や悲しみや死別、記憶操作を受けながらも何度も発するこの言葉は、主人公であり共同体の将来を託された早季の真の資質をあらわす言葉なのだと思いました。

しかしこの先、この共同体を少しでも立て直してゆくにも、真相を知っているのは早季たち2人だけです。バケネズミの学名の謎も知らない民衆は、新人類が過去においてどれほどの残虐な遺伝子操作をして新たな劣等種族を作り社会の安定を図ろうとしてきたか、然してそれが必然的な戦乱を招き寄せたという原因にも思い及ばず、従って何ら反省の機会もなく総括をする術もないままです。それで良いのか?
早季たちもその歴史的事実を知り、その考えられない暴挙に対し悲しみの涙は流しますが、意外にもすぐに立ち直り、明るく前に進んでいきます。わたしは大変ショックでした!最終章の虚脱感の大きな部分はそれです。何故、早季は怒りを示さず悲しむだけだったのか?
この受容的・肯定的な姿勢、しかし「清濁併せ呑む」という前にこの共同体の歴史的な批判と総括を民衆の前でまずすべきだと思います。でなければ多くの同胞、スクィーラや奇狼丸たちも浮かばれません。
「この世界がよくなるかしら」「きっとよくなるよ」
どうでしょうか?
「想像力がすべてを変える」
だれが想像力を働かせるのか、いささか不安で心配です。
何故ならこれはわたしたちの、パラレルワールドなのですから。
同時に進行する。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

続きを読む

THEME:哲学/倫理学 | GENRE:学問・文化・芸術 |
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

SF PickUp