PICKUP
ザ・ミスト
末期の目
美しき冒険旅行
レヴェナント: 蘇えりし者
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
シャイン
トイレのピエタ
カッシーニ グランドフィナーレ
ゴッド ファーザー
それでも恋するバルセロナ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
魔術師
ブラック・スワン Black Swan
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
LUCY ルーシー
ミツバチのささやき
娘ふたりと女子美へ☆彡
父 パードレ・パドローネ
写真についてーⅡ
去年マリエンバートで
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ベッドを買いに

bed.jpg

カラッと晴れた日だ。
気持ち良い。
今日は、子供の二段ベッドを買いに行った。
今まで和室で布団に寝るか、わたしのベッドに入り込んで寝ていたが、1人で自分のベッドで寝れそうになってきた。
下が簀子で本棚付きの物にした。
通気性とお化けの本が寝る前に読める事、ここがポイントである。
ベッド下の引き出しは無論。
親と彼女らの意見を総合して決めた。

マットレスは天然椰子の実繊維の物にした。
匂いも問題なさそうだ。
通気性の点でも店員から推された為である。
長女が自分たちだけの空間に一番乗り気であった。
彼女は帰ってすぐにそこで寝るつもりであった。

しかし届くのが何と10日後である。
長女の落胆ぶり、、、。

すると何だかやたらと鼻が出る。
次女は大変長引いた風邪がぶり返しそうである。
ふたりとも、鼻をかみっぱなし。
困った。
また、添い寝しながら介抱せねば、、、。
だが、今度来るベッドではそれも出来ない。

体調管理がふたりとも、もっとしっかり出来るようにならないと、個別に寝るのは厳しいものか?
まあ何であろうと、一晩中見守るのは、こちらも体力的にもう出来なくなってきている、、、。


彼女らがただのベッドではなく殊更二段ベッドを欲しがったのは、上と下でお化けの話が出来ることがひとつ。
隣に寝て面と向かってするのとは、やはり雰囲気が異なり怪しさは、きっと倍増する。
少し公園のジャングルジムではないが、遊具的な佇まいも感じるところ。
更に、以前食べ物まで運び込んで遊んでいた室内テントの『森の小人の家』の続き(又はその郷愁から)。
トヨタやデパートの子供服売り場などに行くと必ずそこに入り込んで遊ぶキッズスペースのような聖域として。
二段ベッドのあの形体は、その身体性にフィットする隠れ家的空間に成りうると思われる。
(少なくとも長女は、そう想っている)。

自分(たち)専用の空間が欲しいというのは、分かる。
親のわたしでさえそうなのだから。
子供も大人も関係なく、ひりつく身体性を心地よく包み込み、その恢復を促すようなある種の身体の拡張空間は、必要なのだ。
つまり、自分の身体の現状を素直に察知し、リラックスしてあるべき状態にもって行ける場所の確保である。
それは、やはり部屋の中の小部屋のような物に当たるかも知れない。
風邪をひくのは仕方ないとしても、余りに長引くのは、ストレスによるホルモン分泌異常の影響もある(副腎からのコルチゾール)。
自律神経失調症とも呼ばれる症状になると、実際風邪もなかなか治りにくい。
現状をみると、そんな感じである。


これまでの彼女らのデスクが妙に広い部屋に二つ向かいに並んでいて、ふたりの居心地がいまひとつだったように想える。
ノートパソコンもそれぞれ置いていたのだが、最初の頃こそ自分の机上のパソコンで遊んでいたのだが、少し経つと片方のパソコンを2人で使ってお絵かきや、ネットや音楽再生をして遊ぶようになった。
空間の片方に寄り、狭いところで仲がそれほど良い訳でもないのにくっついて何かをやっている。
やがて、モノの多いバーバの部屋にiPadを持って立て篭るようになっていた。
バーバは良い迷惑だ(笑。自分の仕事(主に手紙書きとミシンがけだが)がやりにくい。


単に寝るためではなく、小さな空間の確保として二段ベッドがあってよいはず。
健康に寝る為にも、必要に思われる。(寝ている時に風邪は引き易い)。
わたしも一時期、子供時代に使っていたことはあるが、特に何とも思わなかった、、、。
が、取り敢えず試してみたい。




笑顔~笑い

033funny.jpg

昨日、観た映画のジェット・リーの演技でもそうであったが、笑顔の効用というものは大きい。
彼の笑顔を観てつくづくそう思った。
(あの映画、彼は脚本を気に入り、志願してノーギャラ出演しているそうだ)。

「笑顔」という型である。
これはまさに生活の姿勢―習慣の作るものであろう。
「コクリコ坂から」でも取り上げたルーチンをしっかりこなすなかでできる。
反復が作るものだ。
(差異を孕む反復とは偉大なものだ)。


エルンスト・マッハが「感覚の分析」で人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、と述べているが、まさに身体の反応があり、後付けでその理由が埋まる。
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい、のだ。
(笑いについては、かのジル・ドゥルーズに大きな影響を与えたアンリ・ベルグソンの考察もあった。学生時代に斜め読みしたが、もうほとんど覚えてはいないが、、、古典喜劇モリエール論であったか)。


ここでは、原理的なことではなく、単に結果的な効用のみ扱う。
健康面からの笑いの効用に留めることにする。
笑い自体、、、
型から入ることで、内容―意味も付いてくる。
それは顔の筋肉のほぐしにもなり、神経をリラックスさせることができる。
このときすでに脳はα波を発している。
ストレスが軽減され心拍数も落ち着く、、、。
脳内物質エンドルフィンも増加し、気持ちが鎮静し酸素消費が増す、、、。
ちょうどウォーキングをした時と同様の感覚だ。
これを続けることで顔の筋肉自体も鍛えることになる。
所謂、弛み予防である。
(美容効果(笑)。
そう言えば、お昼の番組でそういうエクササイズをやっていた。
(講師は中国の人であった)。

確かに自律神経の副交感神経を活性し脈拍、呼吸、血圧を緩める事になるようだ。
そして、ホントに笑えば、より効果は増す。
わたしは血圧が高いため、最近お笑いビデオも見ている(笑。
文字通り笑うつもりで笑っているうちに、本当に笑えてくる。
脳の血流も良くなり、脳梗塞の予防そして回復にも繋がってゆくという、、、。
(これは朗報である)。
海馬にも良い影響があり、記憶力の維持・アップも見込める。

いずれにせよ後で、気持ち良い脱力感がある。
これがよい。放心に近い。(ベルグソンの謂う)。
しかも、笑っている時は、腹式呼吸になっているではないか、、、。
わざわざ意識してやる必要はない。
昔から腹式呼吸は勧められてきたが、意識しないと極めて浅い呼吸で過ごしている。
分裂病的篭って見る呼吸だ。
落ち着いた大きな呼吸でいたい。
実際に活性酸素を取り除く作用がある。
活性酸素は、老化を早める物質でもあり、病気にもなりやすくなると云われる。

また、最近の科学番組(NHKなどの)でも報じられているが、笑うことがNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化し、免疫力を高めることに繋がるという話はよく聞くようになった。
それについては、このページに詳しい情報があった。


わたしは、「お笑い」等を見てひとつ思い当たるのは、「普通の感覚からの絶妙なズレ」がポイントになっていると思う。
以前にもほとんど似たことを書いていた。
こちらは当時あっちこっちから拾ったネタであるが、結構クスッとできるかも(笑。
写真も拾った。暇だったようだ(笑。


002funny.jpg



ウォーキング ~ 木漏れ日の道 

komorebi001.jpg

今日は、娘たちと実質、一日中歩いた。
いつもの車で行く公園に往復徒歩で行ったのだが、公園でも遊び回った為、歩きっぱなしと言える。
途中、基本何も考えずに歩くつもりであったが、車道に向けて斜めに傾くアスファルトの歩道を歩くのは、姿勢にもよくない。
身体的に不都合(ストレス)があると、気分にも影響する。
夢と同様の仕組みで心的領域に及ぶのだろうか。
外界にレイヤーが被さる。
異なる視覚的表象から感情的(非視覚的)表象までかなりの強度で重なってくる。
昂った攻撃的な表象が。
これがまたストレスを生む。
謂わば悪循環を始める。

こんな時は、自販で冷たい水を買う。
それでかなり鎮まる。
水の精神に及ぼす力は大きい。
味が無いようで、自己主張する味が無いだけだと知る。
ニュートラルな味とでも言うべきか。
それでもはっきり、硬水と軟水は違うし、硬水・軟水の中でも口当たりはいろいろある。
何にしても神聖な液体が身体の隅々に染み込んでゆくのだ。
疲労の中で冷たい水を飲むと、所謂ジュース類が無粋なものに思えてくる。
「アラビアのロレンス」の砂漠の水はまさに聖水だろう。
しかし、街中も基本的に砂漠と変わらない。
蜃気楼の代わりに殺意と狂気が見える。

わたしは基本的に外の風景が嫌いだ。
わたしがアスファルトや傾斜した歩道の他にとても気に障るのが電柱である。
駅前通り以外、街中には普通に電柱が立っている。
電線共々これ程、無粋な物はないだろう。
実は、わたしの部屋の窓の前にもつっ立っているのだ。
(心身共に悪影響があるはず)。
まだ、村に木の電柱がところどころ立っている宮沢賢治的な光景ならまだしも。
夜空も明るい昼間は埃っぽい、灰色を基調とした剥き出しの風景は感覚を引きつらせる。
(小池都知事が全てのケーブル類を地下に埋めると言っていたが、ここでもやってもらいたい)。

水を飲みつつ、漸く公園の脇の入口、「木漏れ日の道」に到着する。
娘たちも健脚になったものだ。
かなり速いペースで休みも取らず歩いたにも関わらず、ちゃんとついて来ている。
「全然疲れてない。」と長女が一言。(少し無理をしている)。
2人とも水はよく飲んだ。
来るまでに500ml2本。
これはきっと大切なことだ。


木漏れ日の道の林の中を歩くと、急に癒される。
これが自動的に癒されるのだ。
この機械的作用がいつも不思議であった。
いや、今もそうだ。
身体の火照りが速やかに掻き消される。
木々の葉が空のほとんどを隠す。
だからか、隙間からの光が有難い。
娘たちも気楽に喋り始めた。
(ここに着くまでほとんど声を聞かなかった事に気づく。疲れではない緊張があったのだ)。
「シェルタリング・スカイ」と言うが、もう一層のシェルターが必要なのかも知れない。
われわれには、、、。





睡眠障害にも効く

dream.jpg

朝から医者に来ている。
腰に違和感が有った。
整骨院で診察を受け、マッサージと低周波をしてもらう。

体がかなり、固くなっていたことを知る。
柔軟性がまるでない。
これから、それを少しずつ、ほぐしてゆくことになる。
毎日通うことになった。
これはこれで、大変である。

しかし、マッサージは本当に気持ち良い。
だいぶ以前、自由が丘の按摩屋さん(診察とかせずに揉んでくれるところ)に随分通っていたことがある。
その時以来であるが、相変わらず専門家に手で揉んでもらうというのは気持ち良い。
一度病院で、理学療法の電気治療と機械によるリハビリは受けたことがある。
だが、手によるマッサージには、遠く及ばない。
適度な痛みも心地よく、またクセになる。
これは、うちの椅子型マッサージ機や、ジムではとうてい望めない。(ジムでは逆に体を痛めるかも)。
特に、整骨院では念入りに診察した上でやってくれるので効果が期待できる。
如何にも構造的な把握の下の微妙な圧によるさじ加減を感じる。
通うことは、面倒だが然程、苦にはなるまい。

レントゲンで異常が見つかったとあれば、整形外科となるであろうが、あのような完全な病院にはなるべく行きたくない。
外科的手術とかが必要でなければ、街のこぢんまりとした、余り人を待たせない整骨院がよい。
病院みたいにでかくてシステマチックでなく、院長の顔が見え、個別的な雰囲気が良い。
山本周五郎の「赤ひげ診療譚」にあるような小石川養生所みたいなところも魅力的だ。
凄い先生は、やはり威厳があって頼もしい。(確かに時折、見る)。

しかしわたしは担当医は、コンビニかファミレス店員みたいな感じのヒトを望む。
専門知識は豊富でも、さらっとした性格でないと、長丁場はキツそうだ。
必要なこと以外喋らないが、愛想はよく、淡々とやるべきことを進めてくれる。
一番気楽に付き合えるタイプのプロだ。
腕があってもクセの強い人は、やたらと自分を押し付けてきたりする。
そうなると、すぐ行かなくなってしまう。
わたしは、すぐにやめるのが得意なのだ(笑。


今回の人は、コンビニ・ファミレス系で良かった。
何人もいるため、カルテを下に次はどんな人が診てくれるか分からないが、恐らく大丈夫だと想える。
全体に何でも明るい。説明もそこそこ分かりやすい。挨拶が柔らかい。体に良いという水も旨い。
気楽である。
そこが一番大事だと思う。
思い起こせば、昔の医者は、誰も本当にクセが強かった。
合わないとなれば、徹底的に合わない。
最近、そういうのは、少なくなった。
良いことだと思う。
個性など邪魔なことのほうが、遥かに多い。

マッサージは、リンパ・血液の循環を促進したり、筋肉の緊張を緩和する効果が期待されるが、それによる自然な睡眠も大いに期待できる。(覚醒よりも睡眠、である!)
わたしは、今強烈なだるさと眠さに耐え、というよりトイレに起きたところで一気に書いている(笑。
つい先程は娘の歯医者に付き合い、待合室でiPhone握ったまま、ふと眠ってしまった。
その後はもう、ゴロゴロしっぱなしである。


今日は疲れが出ますよ、だるくなりますよ、と言われたが強烈であった。
睡眠障害の人にもマッサージは是非、勧めたい。



2度目の小学校運動会

undoukai002.jpg
上を見上げたくもなる、、、。

小学校2度目の運動会になる。
早朝、割と涼しいなかに、始まった。
応援席は前から2番目を取った。
1箇所、1番前が空いていたのに気付いたが、前年度次女の担任の先生にバッタリ会い、話をしているうちになくなった(笑。
(その先生は他の学年に移ってしまたが、元気そうで安心した)。


娘が登場するのは、3つあるのだが、最初の1つめの創作ダンスは、遂に長女が最後まで見つからず、次女も見つけたはよいが、動きが速くて4枚撮るのがやっとであった。そのうち1つは後ろ姿である。
ゲッツ&ターンなのだ(爆
動きの速さだけでなく、ポジションが大きく移動するためスパイダーマンかスーパーマン頼むしかない。
撮影場所をその都度確保することは、大変難しい。足場も無いという感じだ。
演目によって、見る場所は確実に変わるのだが、実際移動はままならない。
トラックの周りをドーナツ状に物凄い密度で人がひしめく、、、。

開門前から並んで取った場所は、取り敢えずの家族の集合場所であり、休憩場所にはなったが、演技を見る場所とはならなかった。そこからは、娘は何処で何しているか分からないのだ。
来年度は、何処であろうと1番後ろに場所を取ってテントを張り、折り畳みの椅子も隣に置こうと思う。
単なる詰所であり、演目の時だけ飛び出して行く基地というおさえである。
晴天で暑い場合はその方がずっと良い。
今年は曇天の為、テントが無くても大丈夫であったが、前から2番目の場所に特に何の意味もないのだ。


バックミュージックに、流行りの新しい音楽がかなり使われていた。
親たちもみんなノリノリだ。児童も楽しそうなので、言うこと無い。
わたしはここのところずっと、ヴェルヴェット・アンダーグランドに浸かっていた。
彼らの毒気のある依存性ある綺麗なメロディとノイジーで暴力的サウンドに麻痺していたため、BGMが何か異質な効果音にも聞こえた。
ふと目が覚めた感はある。


徒競走こそ、自分の娘が走るとき以外見処は無い。(ダンスはどこの学年のものも楽しく見れるものだが)。
娘が多少なりとも速く走れるようになったかどうか確認できる機会である。
しかし、ゴール近くに何とか捻じ込んで入り込んで見たが、走順を聞くのを忘れていた為、全く何処で走っているか、またも分からなかった(爆。
わたしは、最近かけ始めたメガネのせいで、ファインダーを見るようにすると遠方の確認が取れず、遠方を見れるようにすれば、ファインダーがサッパリ見えないのだ。
結局2年生全レースを盲滅法撮ってみた。1レース3回シャッターを押しただけだが。
しかし6走者全員の幅は一度に上手く入らない。次女は1コースと聞いていた、、、。
調べてみると、、、長女しか写っていない。次女はフレーミングに消えてしまった模様。
しかし何と写真に撮りにくい競技か!運動会自体がそういうものか?(視力の問題が大きいが)。

写真からスッパリ解かれよう。
それがいい。

そう運動会とはみんなでピクニックみたいに楽しくお昼を食べる機会なのだ。
食べる前に運動してお腹を空かせて、美味しく食べましょう、という特別なパーティーなのだということにする。
特に気を揉む必要は無い。

お弁当は、昨日買い出ししておいたものが、全部出ていた。
わたしとしては、 メロンが1番美味しかったが。(元も子もないか?)
徒競走は、長女が3位で次女が2位だったようだ。
幼稚園の頃はビリから2番目位だったりしたから、少しは走れるようになったとしたい。
すぐ隣のご家庭に聞くと、どうやら子供のソックスに工夫を凝らしているそうだ。
光るソックスとか特別目を引く柄を配しているらしい。丈も長いものにするとか。
(後で台風の目を確認すると、凄い特徴あるソックス履いている子が確かにいるではないか!)
そういう手があるのだ。参考になった!
そのお家にお弁当のお裾分け。
エビフライと肉団子が返ってくる。
2人ともよく食べた。


午後の団体競技。ネーミングからは分からなかったが、何と懐かしい台風の目ではないか。
一緒にやる仲間との力加減のバランスが取れないと上手くちゃんと走れない。
1人が速くても駄目なものだ。かなり微妙な身体の協調関係が必要となる。

案の定、転ぶ子が幾人も出る。
こういう場面で協力の精神が育まれるのかどうか、、、。
うちの子は、次女が僅かに写った。(まだ写真に拘る(笑)。
「運動会」
やってることの全体は伝わるが、我が子-ディテールはほとんど捕らえられない1日であった。
もどかしい。


長女は先日、転んで顔をかなり怪我した。
転んで何で顔を怪我するのか聞くと、ともかく顔から地面に着いたのだと。
手は何の為にあるのか、じっくり話し合う事となった。
何か夢中になって小物を作っていたそうで、どうやら手の方は忙しかったらしい。
自分1人の動きにおいてもかなり微妙なのだ。
様々な運動によって、身体を守る為の統合感覚と調性がとれるようになっていかないとな、、、と思う。


「運動会」はともかくとして。
うちに帰って来ても、2人は今また、暴れまわっている。

「早く風呂に入ろう。」
わたしにとっては、もう風呂しかない。



いつもの公園まで歩く

rhythm.jpg

長女と以前、歩いて行って帰ったこともあり、わたし1人なら気楽に行って帰ることのできる公園には違いなかった。
雨が降る前には、行って帰ってきたい。
そこで足早に歩いた。
何故歩くかと言えば、運動の為である。
血圧が低い日は、早朝に歩くことに決めた。
病院の雑誌にこれでもか、というほどRUNに勝るウォーキングのメリットが書かれていた影響を受けたのだ。
よくある健康本だ。


車でいつも行く道の歩道を歩いていたが、排気ガスをこれほど吸いながらそこを歩く必要はあるまいと感じ、脇道を途中から選んだのだが、、、。
脇道はどんどん脇に逸れるばかりで、公園方面から遠のいていくのだ。
折角、緑舗道みたいなところに入ったのに、これは虚しい。
いよいよ遠ざかってゆく。
道なりにしか歩けない不自由さに愕然とする。
カフカの「城」状態になってしまうではないか。

車や自転車ならすぐに戻ることができるが、徒歩だと修正に費やすエネルギーがかなりのものになる。
徒労感のダメージがのしかかりつつ何とか戻った。
やはり素直に大通りの車道脇の道をひたすら歩くのが近かったと思い知る。
脇路に入るとかえって突然車がスレスレに入ってきて危ないことも分かった。
特にバイクである。
かなりの速度で曲がってくる。
日頃歩かない道を実際に歩いてみて道路事情を知った。


足早に歩いて調度一時間かかった。
そんなものだろう。
缶コーヒーを飲んで、噴水近くでマイナスイオンを浴び(その気分に浸り)、木漏れ日の道で森林浴をして、すぐに帰路に着いた。
降りそうな気配である。
「うまみ」というコーヒーを飲んだが、面白い味の缶コーヒーが出たものだ。
ちょっと意外だった。

帰り道はいつもの車道脇の歩道をそのまま歩いたが、かなり歩きにくかった。
自転車である。
やはり車道は怖いので彼らも歩道を走る。
右側走行の自転車がかなりの速度で背後からすり抜けてゆくと、ビクッとする。
勿論、前方からも来るが、それには準備できる。
だがやはり多少のストレスは感じてしまう。

スポーツ公園にあるジムでトレーニングするのとどちらが良いか考えながら歩いた。
結局公園でのんびりできる方に決めた。
時間的に、だだっ広い芝生にほとんど誰もいないのだ。
そこが待っているなら、途中はそこにたどり着くまでのゲーム的な道程である。
それはそれでよしとしたい。
道にも慣れてくるはずだ。


考えてみれば、これまで健康を目的にした時間というものをこんなに取ったことがないことに気づいた。
ストレッチを何かのついでにした記憶はあるにせよ、しっかりした体操などわざわざした覚えがない。(忘れてるだけか?)
わたしのなかでは、単に健康のために時間を費やすということに価値はなかった。
眠ることの重要性に最近、気づいてきたところである。
サーカディアン・リズムは血圧にも大いに関係するという。

そう、自分に最適なリズムを得る為に時間を割り振る事は、認識面においても肝要ではないか、と感じる。
歩くことは、続けてみようと思う。
脚が鈍感になっているのか、、、筋肉痛とかこれといった疲れの感覚はない。
今後どうであるか、、、。
顕著な変化があれば、報告したい。






歯痛

kaminari.jpg

痛み。
これは、何かで誤魔化せない。
痛み以外の何ものでもなく、それ自体であり、還元不可能の感覚である。
誤魔化して何とかなる程度の痛みは、ただの気持ちの問題として解消されてしまう。
そもそも相手にされない。
根性とか、精神力など、の領域で語られともすれば、説教の対象とされる。

そうではない、必ずオカズを口に入れるとビックっと痛む歯痛などは、治療以外に成す術もない。
これに対して説教を垂れる人はいない。
おかあさんに、しっかり歯を磨かなかったからよ、と原因について叱られるにしても、今現在の痛み自体については、話は別である。

この痛みという直接性。
ぼやっと生きているより、遥かに生であり、生半可な現実感覚より明瞭で明確、鋭く一義的である。
しかも、よく言われる他人の痛みを感じなさい、が如何に馬鹿げた戯言かをこんな時に忌々しく思い知る。
痛みはそれを感じる個体のみの感覚であり、それは絶対に共有不可能である。
想像で大変だろうなということは、自分の過去の経験から推察可能としても、痛みという表象を身体的に感じとることは原理的にできない。
喉元すぎれば熱さ忘れる、の方が絶対的に真理である。
それは言うまでもない。
そういうものだから。

他人の痛みを感じるとは、精神的なことだ。
悩みとか、辛さとか、に対するCompassionを意味するものだ、とか当然くるものだが、、、
このぼやーっとした現実感覚で、ぼやーっとした思考判断で、ぼやーっとした悩みだか辛さとか、、、
そんなもんに共感してられないというのが現実。
歯の痛みはレアルそのものだが、そんな吹けば飛ぶような心理なぞ糞くらえだ!
勿論、そんなものと一緒にされては困るという、何かの被害者の方などの苦痛もあるはずだ(殺人とか)。
しかし、それはなおさらのこと、共感は絶対的に不可能だ。
容易く同情するなという位相になる。

何れにせよ、痛みの共有など出来はしない。
客観的というのは、感覚的にはほとんど意味をなさないばかりか、事件などで状況証拠とかに参考にされでもしたら極めて危険である。
先入観や常識などその人の持っていることばによって事実は無意識に編集される。
そこで車のクラクションなど鳴っていないのに、何度も鳴ったのを証人は聞いてしまう。
自己対象化してない人ほどその傾向は強いと思われる。
自分のもっていることば(パラダム)に無関心でいるため。

歯医者に行く。
極めてレアルな体験である。
これは、どのようなパラダイムに内包されていようとその地平を垂直に打ち破る痛覚を激烈に刺激する。
目は一気に醒めるが、痛みと涙で何も考えられないし見えない。
この状況では知者とはなり得ない。
ただの、痛い人どまりである。

痛みがなくとも、知性の働きのみで覚醒しなければ、意味がない。
さらに、もう歯医者には行きたくない。
しかし、後3回は最低でも行くことになっている。
予約もとった。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加





不眠

sands of time
眠れない日々が続く。
この為に、かなりの休暇を以前とったことがあるのだが、普通に生きてる限り、改善はみられない。
謂わば、不治の病である。

どうしてこれほどまでに眠れないのか、と思う。

夜中にムックリ起き出し、キッチン周りの片付けをする。出しっ放しのものをしまう。ゴミを集めて捨てる。鍵を確認する。付けっ放しの電灯を消す。
本や小物の整理を意味もなく始める。

パソコンを見出すと、1〜2時間は知らぬうちに消えてしまう。深夜、特に面白いものを見出すことはない。
最後にメールのおもに返信すべきものだけチェックする。

限りのない作業。
そういうものは、大概する必要もないものがほとんどだ。
しかし、そうとも言えない。
鍵が掛かっていなかった扉を発見したこともある。
ちょっとした掃除が、無くなったと思っていた小物を発見したこともある。
少しばかり気持ちの整理がつくこともある。
何故か、大きな問題よりも瑣末な事柄がヒトを悩ますことがことの他多い。
こんな時、ほんのちょっとしかし確かにスッキリする。

些細なことの効用。
と言うより、些細で当たり前な事の連動で世界は生成し、反復継続している。
それで円滑に流れていく。


後は何処でその円環を破るかだ。
しかし、今のままの不眠状態では、一向に埒があかない。
不眠は辛い。常に睡魔に襲われる。
覚醒の正反対。
夢の対局にいる。
疲労が余計に身体を興奮させる。
この負のエネルギーは何処に蓄積されて行くのか?
質量をもたない鈍重な麻痺。
硬直。
鏡。

不眠。が、続く。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加









美味しいバニラアイスに渋めのコーヒー~嵐が丘

BSfrUWHCQAAhOvv.jpg
確かに、バルサミコヴィネガーをかけたら美味しい!だが、濃い渋めのコーヒーも十分美味しい。


生乳たっぷりの美味しいバニラアイスに渋いコーヒーをかけて食べるのがわたしの夏場の趣味である。
間違っても、コーヒーフロートではない。
アイスクリームに少しづつコーヒー入れながら食べるのだ。
これを食べていると、食べていること自体を忘れ、本などを読んでいても集中する。
「嵐が丘」が読めている。

最初、構えてしまい、入りがきつかったが今はスムーズに入っていける。
長時間はとても読むことが許されないため、(3分置きにわが家の双子キャシーが超絶的なお話をしに来るからだ)電車に乗っている間と、娘がベッドに入って寝た後の少しの間だけである。
今、丁度一日の中の唯一ほっと一息出来る時である。

最近、バッグに入れた本が変に押しつぶされ、かなり傷んでしまった。
(弁当箱やジャーががさばるので、ビニール袋に御握りにしているが、御握りが煎餅くらいに平たくなっていたことがある)
座れた時は膝の上でゆっくり読めるが、立って読む場合、本がかなり分厚いため、重い。
しかし早朝本を読むということは、頭にすっきり入り、良い読書であることは間違いない。
本当に気持ちの良い時間の気持ちよい読書となる。

イギリスのヨークシャーの荒野に建つ荒れ果てた館が舞台であるが、ここも廃墟性のある、魅力的な場所だ。
見える廃墟である。勿論、キャシーもヒースクリフも辛い目にあうが、館内の描写からイメージすると、たまらない物がある。
特にジョーゼフ爺さんは渋いしこの館になくてはならない存在だ。まるで暖炉か何かから湧いて出てきた精のような爺さんだ。実際に会いたくはないが、本の登場人物としては実に楽しめる廃墟にふさわしい登場人物だ。

いや、この物語について話すのはあまりに早すぎるし、性急に話すものではない。
まず、読み終わってからじっくり咀嚼したい。
今は、ハーゲンダッツ・コーヒーかけに心を没入しているところだ。
そして本を読む。
一口食べる。
どちらも心地よい。

後、30分読んだら、寝よう。
夢で何処かの場面が反芻されるかも知れない。
わたしの中の「嵐が丘」が少しづつ荒野に出来つつある。
少し甘めの「嵐が丘」かも知れない。
このコーヒートッピングアイスを食べながらだと。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加


キヌアがブレイクです!

kinua.jpg
今大変巷を騒がせている、「完全食品」キヌア。
日本では、受給率0でしたが、最近上野原でメイドインジャパンに着手した模様です。
腹もちもよく、NASAも宇宙食に利用するとか。

かのビヨンセも食べています。
健康的なダイエットや体調管理に適する、栄養バランスに優れた南米産の食材です。
必須アミノ酸をすべて含むということで、女性の注目度は大変高い。
必須アミノ酸は体内では、合成できませんし、それが理想的バランスで配合されていれば言うことなし。
すでに、美容と健康に、ということで盛んに広告が出ていますね。

鉄分、カルシウム、食物繊維だけ比べてみても、白米、玄米とは比べ物にならないくらい豊富です。
しかし、他の穀物と比べ澱粉は少ない。
その詳しい栄養に関しては、こちらのサイトに非常に詳しく掲載されています。
ここから ↓  どうぞ。

キヌアの栄養

レシピにも飛べます。

この先、キヌアを主食とする人が増えていきそうです。
ただ、これで先進国が猛烈に輸入などをはじめると生産国への悪影響が出ますので、そこもよく考えた普及を目指してもらいたいものです。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

THEME:健康食品、自然食品、サプリメント | GENRE:ヘルス・ダイエット |

カルピス幻想

karupisu500.jpg

最近、おいしい飲み物が飲みたい!
と思ったとき最も美味しい飲み物はカルピスです♡
わたしはカルピスは子供の頃から飲んでいるのですが、今ほど美味しくなかった。
最近、とても美味しくなっていますよね。
だと思うのですが、いかがなものでしょう?

ここのところカルピスは一日たりとも切らせませんね。

うちの娘は何故か、「子供の飲み物」です。
多分、あの瓶のデザインが良いのです。
いかにも漫画チックで大人のお酒風な。

微炭酸の飲み物は他にもありますし。
カルピスソーダもイマイチでしたから。
多分雰囲気です。

近くになくて、少し遠くのお店に車で買いに行かされました。
もうすぐ飽きるのではないかと思っていますが。

カルピスは飽きないですね。
一時期、体に良いということで水分を摂る際、決まってミネラルウォーターを飲んでいました。
今もすべてベースは例の原発事故以来ずっとミネラルウォーターなのですが、
でも水だとやはり味気なく、水ならではの抵抗(異物感)があり飽きます。

でもカルピスにすると飽きません。
白さと透明感。
なにかとてもニュートラルな優しい味覚なのです。
クセがなく爽やかで後味が良い。
重くない。
抵抗がない。
そこが一番なのです。

昔のカルピスには、抵抗があった。
飲み物という異物感がありました。
私たちの体を犯すモノ=食物という。
もちろんそれは体を作る(維持する)ものですが
同時に衰弱(老化)に向けるものでもあるという苦さも含んでいました。
食べ物・飲み物特有の。

わたしは実は娘と同じく食べるのが嫌いで、小食でした。
有機体を生長させ維持しようということは同時に衰滅を引き寄せていくことに繋がります。
必然的に。
娘たちも最近は食べるようにあらゆる矯正をかけられているため少しずづ食べるようになってきましたが、
無意識的には、人形のように器官なき身体としての強度を保ち続けたいのだと思うのです。
食べないで排泄もしない、そんな身体で時空を超越したい。
永遠のプリキュアみたいに。


今のカルピスは人形に与えてもスーッと入ってたちまち虚空に消えてしまうのみもののような気がします。

白地に青い水玉。
デザインも絶妙だと思います。


*おっと忘れてました。カルピスアミールもずっと飲んでました。
でもそれ以外のフルーツカルピスとかは無理。オアシスとかサワーとかはダメ。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加
THEME:美味しいもの | GENRE:グルメ |

ヴァネッサ・メイ(ワナコーン) ソチ五輪に選手として出場!?

vanessa-mae001.jpg

ヴァネッサ・メイはデビュー当時から知っており、随分昔ですがCDとDVDも購入しましています。スター性の高いバイオリストでClassicだけでなくコンテンポラリーな領域ともクロスオバーした音楽活動をしており、声楽のシャルロット・チャーチ(天使の歌声)らと共に大変な人気を博しておりました。
いえ今も旺盛に活躍してますが、この方まさかスキーの女子大回転に出場するほどの「スキー選手」とは知りませんでした。そりゃ趣味ではやるでしょうが、まさかそれほどのアスリートでもあるとはついぞ存じませんでした。それにまだ五輪に出場するような年齢でしたか?(勿論葛西選手もいるので文句をつけるつもりなど毛頭ありませんが)ヴァイオリニストとしてすでに20年以上に渡って活躍しているはずです。

最近、彼女の後継者かと思うようなニコラ・ベネデッティがスコットランドから出てきました。もっともニコラは純粋にClassicの範囲で演奏活動を続けるそうです。
スキーしてるかどうかは知りません(笑

荒川静香さんのあのトリノ金メダルのイナバウワーで有名なフリー演技のバイオリンを弾いていたのが彼女でしたね。
プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」はここから売れに売れました。
これは覚えている人も少なくないはず。

ヴァネッサはバッハのトッカータとフーガをよくコンサートでは演奏していおりました。
面白いのは、それまでのオリジナル曲からこの曲に移るとき、超ミニスカートをロングに履き替えて演奏していました。なんでもバッハに対する敬意からだそうです。
確かこれも日本のシンクロナイズドスウィミングに使われましたね。
オリジナルのムードクラシックとも言えそうな曲やロックとの融合(流行りました)のフュージョンもかなりあります。
レッド・ホットが特に注目されヒットしました。
兎も角、聴きやすいイージーリスニングな曲・アルバムでバックミュージックにも心地よかったです。
4人組のやはりクラシカルフュージョングループの”BOND!"(第一・第二バイオリン、ヴィオラ、チェロ構成)など思い出します。

何とTVの話では、4歳でスキーを始め10歳の時にはプロ級の腕前だったということです。
彼女はイギリス国籍ですが、父親の出身国のタイ代表で出場です。そのため、選手としての名はバネッサ・ワナコーンとなっています。

これからの出場ですが、怪我のないようがんばってもらいたいものです。
何といっても、まずはヴァイオリニストですから。


「バイオリンは人生の情熱。スキーは生涯の趣味」だそうです!


2月18日11:00(日本時間16:00)から予選、14:30(日本時間19:30)から決勝。


おまけ
nicola-benedetti004b.jpgニコラ・ベネデッティ
123.jpgシャルロット・チャーチ


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加
THEME:文明・文化&思想 | GENRE:学問・文化・芸術 |
プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

*当サイトはリンクフリーです。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QR
最新トラックバック