アヴちゃん先生とは?

長女の勧めで「アヴちゃん先生」という人のビデオを見ることになる。
普段は大概次女からくる類の情報でありお勧めの形を取った強要であるが、今回は長女なのでより急ぐこととなった(恐。
彼女、気が短いので(娘の言いなりになっている親はうちもそうだ。取り合えず首チョンパまではズレ込まないようにしたい)。
「アヴちゃん先生」のアーティスト育成教室(オーディション)らしい?「女王蜂」というロックバンドのヴォーカリストだそうだ。
大変洗練された中性的ヴィジュアルの人である。
わたしは邦楽の方はからきしなのだが、業界のカリスマ的存在とのこと。
テーマは、「オルタナティヴ歌謡・舞踊集団」を作るというもの、、、。
「裏島音楽学園」に16人の生徒(14歳から22歳)が選ばれ入学するが、課題ごとに選別されてゆく(つまり数が見る見る減ってゆく)。
更に、途中から別コースで育成された特待生が3人編入して来て異彩を放つと謂う何とも非情でダイナミックな構図。
この年齢での過酷な真剣勝負を見るのは正直、気が重いのだが。

オルタナティヴ・ロック(ミュージック)は、わたしにとってはヴェルヴェット・アンダーグラウンドに始まる。
始祖みたいなもので、だれもが言っているパブリック・イメージ・リミテッド、ポップ・グループ、キャバレ・ヴォルテールらで火が付く?
衝撃作はブライアン・イーノプロジュースによる「ノーニューヨーク」か。
この辺は何かにつけて取り上げてきたのでここでは特に触れない。
ともかく、商業ロックと決別した自分たちの現実に真摯に向かい合った音楽である。
何にも影響されない諂わない強度を持つ。
そして常に実験的な要素・姿勢を崩さない、その意味でプログレッシブである。
わたしにとってはその信頼性(矜持)を持つ音楽であることがオルタナティヴ・ミュージックであった。
そんな目線で見てみることに、、、。

全編(1~15話)、シビアな試練と試験が続くのだった。
こりゃ大変だねえと思ってみていたが、歌や踊りの課題を精いっぱいのパフォーマンスで熟してゆく姿には結構感動するものであった。学業やりながらのレッスンでもある。最もキツイ部活よりも大変なことも分かる。特に地方から新幹線登校の生徒など。
グループでの発表ともなると自己解体も迫られる姿にはもうハラハラする。
そして彼らの個々のファッションセンスは大したもの。
なのだが、140文字以内で詩を書く課題には呆れた。
文字数無視、内容が単なるお手紙レベル。
先生としては、少ない言葉でどれだけの表現が出来るか、歌詞を作る資質を見たかったのではないか、と思われるのだが、、、。
散文詩でよいと思うが、受け取った人が自分に引き付けて何かの思いを膨らめたり深く考えたり出来る契機となる必要もあろうかと。少なくとも多義的に受け取れる表現であるべきだ。意味が平易に伝わる程度の伝言で終わってよいはずはない。
ちょっと舐めてるのではとがっかりした。認められたものは、自分自身を鼓舞するものと母の応援に感謝するもので、言葉に詩的な厚みと力を感じさせるものではあったが、、、。表現者は言語感覚が基本だと思う(絵描きであっても勿論そうだ)。

またグループでのパフォーマンステストにおいて、アヴちゃん先生の作詞・作曲による曲を三組に分かれてそのパフォーマンスを競う課題が課せられる。なるほどと思うサウンドに絶妙の振り付けであった。
その際に、全体としてのアーティステックで優れたシンクロを重視するか、メンバーの個人技・個性を重視するかでもめるところが出てくる。
これは悩ましいところと受け取れもするが、専門の振付師がバッチリ型を決めているのだ。まずはそれを完璧に熟した上での個ならではの表現の域が見えてくるのではないか。そこに行く手前での個人重視とは、単に仕上がらなかったどまりにしか映らないのでは。
これは甘さ、いや甘えであろう。技術の習得と自己表現が上手く嚙み合って上達すれば言うことなしだが、その途上に妙な又は過剰な自己実現欲が孕むと、歪な自己承認欲求ばかりの際立つ結果を招き易いと思う。
才覚のある人々が集まっているには違いないが、詩のところでも窺える、甘い解釈が気になった。認識の幼さか。

それで授業ごとにふるいに掛けられ脱落者を出す。これは忍びないが表現者の世界である。こうした世界をこの先、生き抜いてゆくのだということを知らしめるやむを得ない手段でもあろう。
だがアヴちゃん先生の観点と判断は的確なものだ。
ただ、オルタナティヴ・ロックは、商業的成功や人気を第一義的に置いてはおらず、飽くまでも確固たる自分の思想~問題意識に対し忠実に生きることをコアにしている。そこに本質力があれば人はついてくるという姿勢だ。
(これはある程度、人として熟して来てからのベクトルの問題かもしれぬが)。
先生の指導はまずは業界を勝ち抜き人を引き寄せる魅力を目覚めさせることにあろう。
矛盾せずそれは繋がってゆくものと思うのだが(わたしとこの先生の捉え方が違うかも知れぬが)。
確かにミュージカル試験の後、Aグループのキャプテンに全体の中での順位をつけさせたり、結構キツイことを強要してくる。
集団内で切磋琢磨するということは相互評価も意識せずとも絶えずしてゆくのは不可避に思える。
この先生は悉く現状と自分の置かれた立場を意識化させ自覚を促すことを心掛けているようだ。
ショービジネス界で生きる基礎力がまずは肝心なのだ。きっと。
それから切羽詰まった時点でのコミュニケーションの努力の重要さである。
グループで動く際の前提となろう。
ディスコミュニケーションとか言って、したり顔ではいられない窮地がある。ここにちょっとした勇気と真の努力の余地があろう。
ここで一歩を踏み出せるか否かで状況は全く異なって来る。
変えるしかないのなら踏み出すしかない。暗闇でもジャンプするのみ。
わたし自身に言い聞かせていることでもある(家も同様である(笑)。

そして才能が秀でている者、これまでの蓄積が豊富な者、リーダー格の頼りにされる者が次々に追いつめられてゆく。
ここが凄いところ。誰もが現状維持は許されない。安定したポジションなどない。化けることの出来ない者は振り落とされる。
特にグループリーダーになど抜擢されるとえらい目に遭う。ここはとってもよくわかるところ。
(組織・権力論の入って来る泥沼だ。どんな規模であっても)。
そもそもこうしたグループ、いや芸能界自体が生成変化し続ける有機体であろうし。
この学園も絶えざる異化を突き付けられ要求される動的構造をシュミレートしている。
この先生主導でやってる仕組みならやはりカリスマだ。
しかも課題曲としみじみ歌う校歌まで先生自前の曲というのが強み。
この権威は教育にとって大変有効に機能する。
集団のメリットが最大限に生かされるのだ。
相互作用が活性し自己解体と感情の解放が加速する。
密度を高められる。
強度が高められる。
「怒りを開放せよ!」この言葉が一番、響く。
わたしもこの凄まじい怒りを溜め込んだままではいられない。
この怒りを何兆倍のエネルギーとして叩きつけてやらねばならない。
それはともかく、、、強力な「オルタナティヴ歌謡・舞踊集団」になってもらいたい。
見ているこちらも充分刺激を受けた。
先生が生徒に向け「地獄へようこそ」と入学時に言っていたが、、、
こちらも一話から十五話まで、このスペックを一度に観るのは流石に地獄だった(笑。
残った生徒の解放度はどれほどのものか。もう表情が違う。
スッキリと化けていた。

生徒は最終的に7人に絞られ学園を卒業し、「竜宮城」というグループでデビューとなった。
プロジュースはアヴちゃんである。
途中で去った生徒も二人別のプロジェクトでデビューを果たす。
他の人も是非、自分の道を見つけてもらいたいものだ。
ホントにそう願う。
YouTubeにて