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GOMA28

Author:GOMA28
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ゼイラム

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ZEIRAM
1991

雨宮慶太 監督
雨宮慶太、松本肇 脚本
松本肇 原作

森山祐子、、、イリア(マイス星系の捜索者)
螢雪次朗、、、神谷(ゾーンに巻き込まれた電気工)
井田州彦、、、鉄平(ゾーンに巻き込まれた電気工、神谷の後輩)
吉田瑞穂、、、ゼイラム(凶暴な宇宙生物)
半田雅和、、、ボブの声(イリアの相棒AI)

「最強の特撮ヒロイン」というだけあり、その美しさに凛々しいカッコよさは、「スーパー戦隊シリーズ」ではなかなか見られない女性戦士ぶりであった。電子戦隊デンジマンの桃井 あきら、炎神戦隊ゴーオンジャーの須塔美羽、特命戦隊ゴーバスターズの宇佐見ヨーコ、警察戦隊パトレンジャーの明神つかさ辺りが同レベルのヒロインであるか?何とも言えぬが、これが1991年に作られていたとは、、、洗練されている。ヒロインものであるから、この主役にかかって来る比重はどうしても重い。
このヒロインでもっている部分は大きいが、噺もしっかりできているし、脇のキャストも充分に盛り上げている。
これで面白くない訳はない。

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ヒロイン、イリアの相棒はAIであり、コンピュータのパネル上で意思疎通を行っている(お喋りが少し多いが)。
CGも、この時期のものとしてはかなりのクオリティだ。
ストーリーはシンプルで、生物兵器として作られた宇宙の御尋ね者みたいな怪物を賞金稼ぎであるイリアが相棒と共に捕獲に乗り出し地球の電気工とも協力し合い悪戦苦闘してそれに成功するというもの。噺を単純にしてゼイラムの造形の変化やアイテムを使っての戦闘~攻防を工夫を凝らして描いて行く。捕獲の空間をゾーンとし街並みは同じだが時間制限付きの無人密閉状態とする。
つまり誰もいない夜の街で捕獲作戦を実行するというもの。
(低予算で効率よく撮るには、良いアイデアだ)。

メティス砲など特別なアイテムを色々と出すが、ともかく相手がねちっこい。
やられても、違う形態として復活して襲ってくる。
しかし、最初から本体は相棒AIが割り出しているし、そこをダイレクトに狙えば効率よかったのでは、、、と思うが。
その本体が白塗りの歌舞伎の面のようにも舞妓さんにも見える顔でヘビのように首が伸びて噛み付く。
不気味で日本的(笑。
登場時のBGMからも東洋的である(お寺で聴くサウンドである)。日本の妖怪にも通じるフィギュアだ。本体が兜の額の位置に埋まっている。

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最初は現地人とは一切関わらず、口もきかないようにしていたが、電気工がひょんなタイミングでイリアと一緒にゾーンに転送してしまい、彼女も関わらざる負得なくなる。
現地人を死なせてしまうと賞金どころか賞金稼ぎの資格も失ってしまう為、彼らの命を守りつつ、思いの他手強い生物兵器の御尋ね者を捕らえようとする。
しかし敵が強すぎて捕らえることは難しく、退治してしまうことに。

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ハラハラさせる演出が上手く、相手のしぶとさが生きているが、強さが今一つ分からなかった。
物凄い破壊力を発揮するのに人に押さえ込まれていたりして、その実力のほどが掴めないもさもさしたところも、ハラハラさせる要因でもあった。
音響がなかなか面白く、随所で演出効果をあげている。
イリアも地球人を遥かに凌駕するタフさで、やられてもダメージを感じさせないところなど高度な異星人らしさを見せていた。
アクションは地球の格闘技にも通じるものであったが、、、。


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低予算であることが分かるが、ただ狙った獲物を倒すだけという余計な思想的なものを排した、無駄なく作り込まれた作品であった。
毎週放送のTVドラマの形でも充分に成り立つものだと思う。

続編もあるようで、AmazonPrimeで観る事が出来れば是非見たい。

ZEIRAM006.jpg

最後は仲良くなって記念撮影。
2人の電気工は地球の英雄扱いに。

やはりヒロインの映画であった。





ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

EVANGELION001.jpg

EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.
2009年


庵野秀明 総監督・原作・脚本・製作総指揮
摩砂雪、鶴巻和哉 監督
宇多田ヒカル「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」主題歌
鷺巣詩郎 音楽

碇シンジ(声:緒方恵美) 、、、エヴァンゲリオン初号機パイロット
綾波レイ(声:林原めぐみ) 、、、エヴァンゲリオン零号機パイロット
式波・アスカ・ラングレー(声:宮村優子) 、、、エヴァンゲリオン2号機パイロット、ドイツ出身
真希波・マリ・イラストリアス(声:坂本真綾) 、、、エヴァンゲリオン仮設5号機パイロット、イギリス出身、NERVユーロ支部所属
渚カヲル(声:石田彰) - EVANGELION Mark.06パイロット、月より飛来
葛城ミサト(声:三石琴乃) - NERV戦術作戦部作戦局第1課課長
赤木リツコ(声:山口由里子) 、、、NERV技術開発部技術局第1課所属、E計画担当・エヴァンゲリオン開発責任者
加持リョウジ(声:山寺宏一) 、、、NERV主席監察官
碇ゲンドウ(声:立木文彦) 、、、NERV最高司令官、シンジの父。
冬月コウゾウ(声:清川元夢) 、、、NERV副司令


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の間の作品。
ヱヴァンゲリヲン」で一度、大分以前に”Q”以外を見てまとめを書いているが、あっさりし過ぎである。
ちなみにQは、「序破急」の急になろう。

取り敢えず今回、AmazonPrimeに宣伝があったため、これに絞り改めて観てみることにした。

何と言うか、大サービスのエンターテイメントである。
それ以外に言葉もない。

真希波・マリ・イラストリアスが突然、新エヴァとともに出て来てかなりのインパクトで活躍してしまうのも唐突だが初っ端から凄い畳み掛け。
華麗で派手なご登場の式波・アスカ・ラングレーの第7使徒との空中戦からして、ビビットで痛快な何でもあり感が正当化される。
SEELEの月面基地では、渚カヲルが普通に月面に座っているし、、、。
何がどうなるか、ただあれよあれよと受け容れていく快感か。
しかしそこには絶えず傷みが伴う(こちらも)。
毎度のことながら、使徒の赤いコアを粉砕することも何とも直截的な赤い液体の~死の生々しい溢出である。


エヴァも初号機・零号機・2号機に加え、仮設5号機とMark.06もお目見え。
使徒との死闘も迫力タップリだが。過酷で激しい(見ていて痛々しい)シーン満載である。
真希波・マリ・イラストリアスのエヴァンゲリオン仮設5号機と第3使徒との激しい闘いに始まり、終始陰惨な死闘が繰り広げられる。
仮設5号機もマリ脱出後に爆発するし、光を歪める強力なA.T.フィールドを持つ第8使徒との初号機・零号機・2号機での総当たり迎撃も壮絶であった。更に3号機の起動実験にアスカが志願搭乗するが、3号機の体はすでに使途に乗っ取られており、第9使徒と見做される。シンジはアスカの乗った3号機~第9使徒の破壊を命令されることとなる。シンジはそれに背くがダミーシステムに切り替えられ初号機は狂った獣のように使徒を貪るように食いちぎってゆきアスカを守るエントリープラグまで噛み砕いてしまった。アスカは一命は取り留めるが感染の危惧から隔離されてしまう。
シンジはもはや精神面でも耐え切れずパイロットを辞めて出てゆく。だがこれまでにない強力な第10使徒が来襲し、マリがエヴァ2号機で迎撃する。通常形態ではとても太刀打ち出来ず、獣化第2形態に変身させて闘うが圧倒的な力の前に撃退される。そこでレイが零号機でN2航空誘導弾を抱えて自爆攻撃をかけるが、A.T.フィールドを全て突破して撃ち込んでも肋骨でコアを守り切り、何とレイごと零号機を捕食してしまった。これを目の当たりにしたシンジは、パイロットであることを自覚し初号機に乗り込む。零号機を取り込んだ第10使徒はヒト型に変形したことでNERV本部のメインシャフトにそのまま入り込むことが出来、第一発令所まで降りて襲撃に及ぶ。父ゲンドウの目前で使途を食い止める初号機のシンジ。
そして初号機の内臓電源の切れた後、疑似シン化第1覚醒形態となりシンジに一体化した初号機は、圧倒的な拒絶体である第10使徒をも一蹴し、レイを死力を尽くして救い出す。このシーンはアニメ史に残る劇的シーンであろう。


闘いばかり並べてしまったが、そんななかでの日常生活。
クラスメイトとの和やかな関り、シンジの自分の他にアスカ、ミサト、レイの弁当作り、、、元々彼はこういう仕事が好きなのだと言うことが分かる。細やかな気遣いの出来る心優しい少年なのだ(エヴァに乗ることには大変な葛藤を抱いている。無意識的にはとても和むのだが、戦闘行為には馴染めない)。
葛城ミサトの家にシンジとアスカが同居するところなどコメディタッチで微笑ましいところでもある。
加持リョウジが、シンジやレイたちを第二インパクト前に生息していた海の生物の水族館(海洋生態系保存研究機構による試み)を見学させるところなど、一番好きなシーンだ。そのころは、海に生物が棲んでおり、海も赤くなかった。その世界を彼ら若者は知らないということなのだ。
綾波レイが碇シンジと父ゲンドウとの軋轢を少しでも解消しようと手作りの食事会を予定するところなど、ほっこりする日常も描かれる。何とレイとアスカがそれぞれ料理にも打ち込み始めるのだ。仄かな恋心~三角関係みたいなものも生まれる。大きな意味を持つはずのレイ主催の食事会、それも闘いの為に流れてしまう(3号機の起動実験)。
そしてその想いは膨らみラストのレイを取り戻すシンジの激烈な迫真のシーンに収斂されてゆく。


疑似シン化第1覚醒形態の初号機によりサードインパクトが起ころうとした矢先に、EVANGELION Mark.06が月から飛来する。
パイロットは、渚カヲルだ。
いきなり初号機のコアに槍を討ち挿しサードインパクトを止める。

「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」



実は、この後、”Q”も観たのだが、観なければよかったかも知れない。
シンジが眠りから覚めた14年後、「ヱヴァンゲリヲン」が「宇宙戦艦ヤマト」みたいになってるではないか、、、
シンジと一緒に訳が分からなくなった。
彼は、あまり幸せそうでは、なかった、、、。
何よりも、レイがかつてのレイではなくなっていたのだ。
それは何より絶望的ではないか。これにはわたしも深く同情する。
余りに切ない。











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サークル

The Circle001

The Circle
2017
イギリス

ピーター・キャロウ監督
スコット・オニール脚本


ロス・ノーブル、、、ポール・ロックウッド(探検家?)
エドワード・ベイカー=デュリー、、、カール・マークソン(考古学教授)
セセリア・オラフス、、、メロディ(勉強熱心な学生)
エヴァ・マリー・クン、、、クレア(派手な女子学生)
グリフィン・スティーブンス、、、ジョー・ストリート(素行の悪い学生)
コリン・バーニクル、、、アーチ―(真面目な学生)
エミリー・ヤロウ、、バンシー


またも観難いPOVか、、、と思ったが、出だしだけだった。
このPOV探検家は、位置づけからして、物語の始まる以前の超越的な場面にいる。
不穏な空気に慄き自らの最期をビデオに撮っていた。
そして考古学調査の一行を怪しい島に送った、大変怪しいボートの男(自称港長)も終わりに実際に出て来る。
最初の探検家と港長は実在する(した)ことが分かる。
バンシーも男のビデオにその姿と声が入っていた。特にその声~音である。
この3者、冒頭の探検家、チャーターボートの男、バンシーは実在すると謂ってよい。
そしていつの間にかジャックと名の付いていた犬も。彼女が目覚めた時に彼女のもとにやって来た。

考古学教室のゼミで集まった学生が教師と共にフィールドワークに出発する。
それにしてもジョーという学生、素行が悪すぎる(ウザすぎる)。
こういうのと一緒に真面目なフィールドワークは無理だ。
いやそれ以前の問題で、こいつのせいで、車が事故を起こしたのだ。
そこで彼らの時間が止まる(異なる時間系に亜流する)。

寒々とした光景(色調)や民族音楽の響きがよく合っていた。
特に森の禍々しい雰囲気は良い。高みから靄のように差し込む太陽光線などまず普段経験できない。
絶えず光と音で緊張感を維持する演出もなかなかのもの。
派手さはないがダレない。
夢の中の世界の運びにも似ている。

(メロディの)想像世界はかなり複雑で錯綜していてシンボリックでもあり面白い。
古墳のはずが、石碑がサークル状に並び内側に向いた面に古代文字でマーキングがされている。
そのメッセージを教授と同じレベルで読み解くメロディ。
「彼女は炎のように燃える、、、」彼女は蛍光塗料で書かれた碑文を発見し懐中電灯で浮かび上がらせ解読に取り組む。
ストーンサークルがシェルターになる事を読み解き仲間の命を守ることにも役立てた。
彼女にとっては実り多いフィールドワークの経験となったか。
キリスト教要素は入っては来るが残酷で生々しくもある。
羊や犬も出て来る。
痙攣も起こる。痴話喧嘩も。しかしメロディは、カール教授の事は尊敬していたはずだが、識域下ではそのような疑念も抱えていたのか?
ジョーにとっては、片思いの彼女(それ目的の参加)が教授に取られて最悪の事態に。教授が被害者ではあるが、彼も何もこんな場所でいちゃつくこともあるまいに。
携帯が圏外なのは、彼ら自身が圏外であるから。

青く光るランタンを持ったバンシーともうひとつ凶暴なまさに悪魔「バズリア」が徘徊していたが、この両者の間に何らかの関係性は見出せなかった。
2人とも恐らく違う方法でこの島に来た侵入者を夜の間を狙い惨殺していたようだが、その経緯やこの連中の素性ももう少し解かれれば噺に更に深みや広がりも出て来たと思われる。
ストーンサークルに逃げ込めば、バズリアはバリアで入れないことと光で彼らを遠ざけることが出来る特性は、メロディの解読から分かったが。

汽笛を鳴らしボートが迎えに来たかと思ったら、彼らを確認したあの男は踵を返して遠のいて沖に行ってしまう。
助けを呼ぶ声が男にとってはまだ生きていたのか、という確認合図というところか?まさに悪夢である。
太陽の光と夜間でも懐中電灯やUVライトでも彼らを遠ざけることは出来る。
そしてクレアは瀕死のカールを見つけ、ことの真相を知る。教授が嫉んだジョーに刺されたことを知らされたのだ。
クレアは持っていたUVライトを井戸に投げ込み、その後すぐにバンシーにジョーとクレア二人とも殺害される。

そしてサークルを出て二人を助けに出たメロディもバンシーに襲われるが、その声が救急車のサイレンに変化する。
(バンシーは 人の死を叫び声で予告するという)。両界にまたがって存在するモノか。
彼女は悪夢と謂うよりパラレルワールドから、こちらに戻って来たかのように救助隊に介護され助かったことを知る。
ジョーが車内で立ち歩きクレアに執拗に絡んでくるため教授が席に戻るよう再三注意している時に出合い頭に羊を積んだトラックに危うくぶつかりそうになるも、何とか目的の港に到着したはずであったが、実は教授のワゴン車はトラックに見事に衝突しメロディ以外全員即死であったのだ。あるいは、あちらの世界で全員死んでしまった為に、こちらでは自動車事故で死んだことに時間収束した、のかも知れない。

この2つの時間の干渉具合が、バンシーの鳴き声が船の無線ノイズや救急車のサイレンとも絡みあうことで絶妙な感覚を生んでいた。
そしてあの不気味な船頭が橋渡しをしているのだろう。

どうしても「サークル」とくれば、エマ・ワトソンとトム・ハンクスの映画であるが、2017同じ年に公開されてもいたものだ。
こっちは、全く話題にもなっていなかったみたいだが、かなり上手くまとめた作品だと思う。
(この映画の情報は、どこにも見つからなかった)。
男女関係の縺れの比重が少し大きすぎた感もあるが、キャストも良く見応えもあった。





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レフト・トゥ・ダイ/悪夢のバカンス

LEFT TO DIE001

LEFT TO DIE: THE SANDRA AND TAMMI CHASE STORY
2012年
アメリカ

レオン・イチャソ監督


バーバラ・ハーシー、、、サンドラ・チェイス
レイチェル・リー・クック、、、タミー・チェイス


実話を元にした冤罪もの。
エクアドルで麻薬の運び屋と間違えられた熟年カップル、サンドラとニック。
(サンドラの鞄からこれ見よがしのコカインの詰まった包が二つも見つかったのだ。彼女が犯人であればこんなバカげた運び方などするはずがない。彼女の言う通り、運び屋が危険を察知して彼女の鞄に密かに入れて身を守ったと言う方がずっと信憑性がある)。
しかし捕まったら最後、しっかりした取り調べも裁判もなく、劣悪極まりない牢屋に放り込まれたまま、出られる目処はない。
そこに長年住み着いてしまっている囚人たちの質が悪いこと。持ち物全て身包み剥がされてしまう。盗み・暴力は日常茶飯事。
何を訴えようが警察側は聞く耳もなく弁護士も当てにならない。何をどう持ち掛けようが一向に話は進展しない。
そもそも何も動いてはいないのだ。速度が遅いのではない。
そこは人権など全くない無法状態であり、アメリカ大使館も働きようがない状況であった。

LEFT TO DIE003

サンドラには持病があり、継続的に医者に診てもらう必要があったが、エクアドルの刑務所には基本的人権に配慮する余地はなかった。
時間だけが徒に過ぎ、何と2年が経とうとしていた。

結局勝因は、メディアを使って世界に実情を発信したことであろう。
(兎角、メディアは興味本位を掻き立て大衆を在らぬ方向に煽動する厄介な面が目立ちはするが、その力を上手く利用することで国自体を揺り動かすような効果も生む)。
国は国際社会におけるイメージに気を遣う。
更に気骨のある黒人女性政治家が世論に訴え動いてくれたことが大きい。
白人男の政治家どもはみな、尻込みして時間がかかると言い実質逃げてしまう。
お陰で速やかにサンドラは釈放となり、その後不法に拘束されていた800人以上が釈放となったそうだ。
それにしても飛んでもない国だ。

但し、何処に住んでいようが落とし穴は幾らでもある。上手い噺には乗らないことである。
この母娘はお人好しで上手い噺に乗り易い。
(娘は仕事では、上司から将来を嘱望される出来る女なのだが)。
無防備で直ぐに相手の言うことを鵜呑みにしてしまう。
母はニックの法外な誕生日プレゼント~エクアドル旅行を娘の勧めもあって受けてしまう。
娘は娘で、偽物弁護士に身元をしっかり確かめもせず大金(3000ドルの手付金)を送金してしまい。それまで。
彼氏が警察官でしっかり者なのに相談する暇を惜しんで独りで動き失敗する、おっちょこちょいでもある。
その後も散財し通しで、最後はニックの仕込んだ脱走案で母サンドラの預金(3万ドル)を全てニック指定の口座に振り込み、結局何の手筈もなく、ニックがムショでリッチな生活を送っていただけであった。
これで母はニックという男の本質を知る。

LEFT TO DIE002

結局、釈然としないまま終わってしまったが、サンドラをエクアドル旅行に誘ったニックは、この麻薬密輸事件にどれだけ関与していたのか、、、彼が全くの白でサンドラ同様に巻き込まれた立場とはどうにも思えない。
自分の立場、環境を良くする為に脱獄を持ち掛けサンドラの貯金の3万ドルをすべて巻き上げ、自分の牢屋をゴージャスな環境にして悠々と過ごしていたこと自体まずまともな男ではない。
間違いなく、麻薬取引にも関与しているはず。
この男の実際の罪状とその後どうなったのかも知りたいものだ。


日本も詐欺は横行している。
ここ最近、かなり要注意ものがあった。
上手い噺には気を付けたい。

LEFT TO DIE004


第3逃亡者

Young and Innocent002

Young and Innocent
1937年
イギリス


アルフレッド・ヒッチコック監督
ジョセフィン・テイ『ロウソクのために一シリングを』原作

デリック・デ・マーニー、、、ロバート・ティスダル(脚本家)
ノヴァ・ピルビーム、、、エリカ・バーゴイン(警察署長の娘)
メアリー・クレア、、、マーガレット(エリカの叔母)
エドワード・リグビー、、、ウィルじいさん(修理屋)
パーシー・マーモント、、、バーゴイン大佐(警察署長、エリカの父)
ジョージ・カーゾン、、、ガイ(クリスティンの嫉妬深い夫、ドラマー)

AmazonPrimeで観たが、修復はされておらず、かなり傷みの見える画面であった。
ノイズも入っていてホラー映画の趣もあり。ヒッチコックでなければ集中できなかったかも知れない。


「若さと無邪気」がなんでこんなに固い題になるのか、、、
「第三者」という定義からすれば、確かに当事者ではない逃亡者の噺であり、その通りだ。
だがヒロインに視点を置けば、「若さと無邪気」の方が的を得ている。こちらの方が映画の内容にそぐう。

Young and Innocent001


終盤のカメラの寄り方が尋常ではなかった。
登場人物たちが誰も知らぬうちに、先に超越的視座から真犯人をでかでかとフォーカスしてくるのだ。
どういうつもりだ?という感じ。
ヒッチコックという人は、鑑賞中に必ず監督自身(彼の考えやスタイル)をこちらに強く意識させて来る。
決まってヒトこま自分が出演するが、それよりはるかに大きなインパクトで映画の作り自体をひけらかしてくる。
そちらに目を向けさせる。
何と言うか、映画がホントに好きな人なんだなあと思う。

しなやかで繊細な美しさを湛えたヒロインは素敵であった。
ヒッチコック映画の女優は、確かに違う。
そのつもりで観れば隅々まで彼の趣味で作られているのでは、と思えてくる。
ストーリーとしても、まずあり得ない話だが、ファンタジーとして面白い。

Young and Innocent003

いきなり知り合いの女優の絞殺体を海岸で見つけてしまったロバートは、警察に走り届けたことで犯人にされてしまうということ自体、カフカの小説のKに当たる。
不条理から始まる逃亡劇であるが、自分の盗まれた「コート」を探し出せば、全ての疑いが晴れるということで、警察から逃れて逃亡しそれを探しに行く。
とても目的が単純化され、そこに警察署長の娘が加わる。
その娘エリカが物語を実質引継ぎ引っ張って行く。ずっとハラハラさせる上手い運びが続く。
酒場の乱闘、叔母の家の誕生パーティーなどへの巻き込まれや炭鉱でエリカが崖から落ちるところを何とか助け出す等々。
全く観る者を飽きさせない。
エリカは最初は事件に興味本位であったが、ロバートに関わるうちに徐々に彼の無実を信じ惹かれてゆくのだ。
しかし思いの他、コート探しにてこずり、コートを犯人から貰ったというウィルを見つけ出すが、肝心のベルトだけない。
終盤には、その修理屋のウィルが肝心な役割を果たす。
ロバートのコートをウィルにくれた人物をエリカと組んでグランドホテルに探しに行くのだ。
その人物というのが、「瞬きの激しい男」だという。よりによって瞬きの激しい男って、、、。

ヒッチコックはその犯人をわれわれ視聴者には勿体ぶってズバリアップで教えてくれるが、エリカたちには見つけさせない。
どう展開して行くのか、終盤はそれで気を揉む。
ホテル内の人は余りに多い。警察も待機している。猶予はない。
そんななか、、、余りに意外なかたちでその男が見つかり、あっさり自白してしまう。
やはり好奇心旺盛で何にも首を突っ込むエリカの勝利と謂える。
最初、警察で卒倒したロバートを(ほぼお節介で)介抱したのも彼女であった。

物凄いハッピーエンドというか、、、観ている方がきょとんとしてしまう。
ヒッチコック映画のエッセンスの詰まったような映画か。









ファイナル・アワーズ

THESE FINAL HOURS004

THESE FINAL HOURS
2013年
オーストラリア

ザック・ヒルディッチ監督・脚本


ネイサン・フィリップス、、、ジェームズ
アンガーリー・ライス、、、ローズ(拾った少女)
ジェシカ・デ・ゴウ、、、ゾーイ(恋人)
ダニエル・ヘンシュオール、、、フレディ(友人)
キャスリン・ベック、、、ヴィッキー(フレディの妹、恋人?)


南半球の映画である。
北大西洋に大きな(どれくらいか?)隕石が激突して衝撃波が北米大陸の東海岸と西アフリカを襲う。
西ヨーロッパは跡形もなく消滅だそうな。
かなりの隕石である。これは少なくとも地表の生き物は全滅だ。白亜紀の恐竜絶滅時に勝るとも劣らぬ規模であろう。
海だって大激変であるが、深海の生物はどうか、、、辛うじて生き残るとすれば海溝の底辺りに棲む微生物くらいか、、、。
12時間後にオーストラリアも終わることとなる。
絶対終末のもとで残りの時間をどうするか、、、よく小学生の頃に友達と神妙な顔して話したものだが、、、。
大概、何を腹一杯食うとか、そんな類だったような気がする、、、。

ただもう自暴自棄の群衆や、ソドムとゴモラ状態でそのまま地獄に落ちてゆきそうな連中ばかりであるが、最後を厳粛に締めくくろうという意識はないらしい。
カプリコーンビーチから恋人ゾーイを独り放置してパニックになって逃げ出すジェームズ。
彼は途中で、暴漢に襲われそうになった少女ローズを助け出し、彼女を送り届けようとするがガソリンがない。
そこで姉夫婦の家にまで行って何とかしようとするが、姉夫婦と子供は皆、無理心中を遂げていた。
行く先々で自殺者もあちこちに見られる。集団自殺もあった。彼は姉の車に乗り換えるが、車もガス欠の度にその辺に転がっている車に乗り換え、取り敢えず進む。彼も自分を見失い、友人のフレディのところに逃げ込む。そこもまさにソドムとゴモラであった。
かつての恋人ヴィッキーもおり地下シェルターも備えてあったが、到底自分のいるべき場所ではなく、相棒みたいになっていたローズが妙な薬を飲まされ、介抱の為もありそこを脱出して、縁を切っていた母の家に行きローズの回復を待つ。
元気を取り戻したローズを乗せガソリンを貰って母の家を発つ。ある意味、このタイミングで会っておいたことは良かったことかも知れぬ。

THESE FINAL HOURS005

全的崩壊の前では、各自悟る他ないと思う。自分のいるべき場所に戻り。
もうすでに科学に見捨てられ宗教にも縋る気もない主人公としては、拾った娘を父のところに連れて行き、自分の子を宿した恋人のところに還り最後の一時を共にすることであろう。
それ以外に、何らかの意味のあることなどあるまい。
こういう時に必ず、地下に穴を掘って助かろうとかする者もいるが、釜茹でになるのがオチだ。
(巨大隕石だとマントル域にまでインパクトを及ぼす可能性は大で、地球内部からの突き上げも覚悟しなければならない)。
大気がもっと荒れているはずだが。ちょっと静かすぎる。

THESE FINAL HOURS003

そして漸く、ローズの父のいると言う彼女の叔母の家に着く。
しかし、その中庭で皆が自殺していた。
ローズは気丈に、死んだ父と共にいると言い、ジェームズには恋人のところに戻ることを促す。
まだ、僅かに時間は残されているのだからと。
ジェームズが見えなくなるまで手を振るわと言って送り出すローズ。
ここは、胸に熱いものが来た。
ローズの健気さが荒涼とした風景に最後の安らぎを齎す。
ジェームズは厄介に思っていたローズと共にこの荒れ野を横断するうちに自らの場所に気づき取り戻すことが出来たのだ。
最後の時を過ごす良きパートナーに違いなかった。

THESE FINAL HOURS002

アンガーリー・ライスという女優を観たことだけでも価値はあった。
今後、この女優の出る映画はしっかりチェックしたい。
はじめてダコタ・ファニングを観た時に近い感じがあった。
(大人になったら普通の美人女優になってしまうような危うさもあり何とも言えないが)。
この映画での子役がピークなんてことにならぬ事を願いたい。

THESE FINAL HOURS006

ジェームズは何とか元居たカプリコーンビーチまで戻って来た。
家は空であったが、独り佇むゾーイが海辺にいた。
ゾーイは自分を独り残して出て行ったジェームズを責めるが、遠方から押し寄せて来る凄まじい事態を前に全てを許す。
衝撃波~更に真っ赤な巨大噴煙が海の沖から津波のように迫って来る。
ジェームズとゾーイは共に抱き合いそれを恍惚の表情で見詰める。
ゾーイが思わず洩らす「キレイ、、、」と。
此処はうっとりする神々しい光景だ。
全てが真っ白く包まれる。


スッキリテーマの絞られた良い作品であった。
だがわたしが観て来たこのような全的崩壊もののなかでは、「メランコリア」がやはり圧倒的ナンバーワンである。
この作品もローズの存在で救われているが(人類は全滅するも)その気品と重厚な美から言って「メランコリア」には遠く及ばない。









洲崎パラダイス 赤信号

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1956年

川島雄三 監督
井手俊郎、寺田信義 脚本
芝木好子 原作
眞鍋理一郎 音楽
今村昌平 助監督

新珠三千代、、、蔦枝 (義治の彼女)
轟夕起子、、、お徳(千草の女主人)
河津清三郎、、、落合(ラジオ店の店主)
三橋達也、、、義治 (蔦枝の彼氏)
芦川いづみ、、、玉子(そば屋の女店員)
植村謙二郎、、、伝七(お徳の夫)
牧真介、、、信夫(トラック運転手)


勝鬨橋で始まり色々あってまた初め~勝鬨橋に戻る。
双六みたいな映画だ。物語としてよく出来ている。
「洲崎パラダイス」というギラギラした電光看板が橋の入り口にあり、そこを越えた先が異界となっているところは、千と千尋の神隠しみたいだ。
文字通りのパラダイス~晴れの場なのだが、忌諱の場でもある。
そこの手前で色々な幻想を抱きながら、堅気に生きる面白さを描く。
そんな映画。
はじめて観るタイプの映画で、とても新鮮であった。

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驚いたのは、出て来る男たちが皆、マザコンなのである。
それも女々しいマザコンだったり、能天気マザコンだったり、壺振り師風マザコンとか(爆。
この時代の男ってえのは皆、こんな風だったのか、、、。
そんな気がする。
その分、女がやたらと生きが良い。
女に振り回されっぱなしの男たち。


巨大遊郭「洲崎パラダイス」に行く橋の手前がまるでこの世の縁、特異な襞のような地帯に想えた。
そして女たちの平べったい声が幾重にも木霊する河を臨む夜の橋や河原の光景が今の日本の原風景なのだと主張しているような、、、何ともうら寂しい。
街には大型トラックが何台も行き来していて、挨拶も飛び交い景気は良いように見えるが、主人公の二人のように今日の寝床にも困る者もいる。

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東京を彷徨う二人、元橋の向う側、洲崎パラダイスで娼婦をしていた蔦枝と仕事をクビになって金のない義治の動きを軸にドラマが流れる。

橋のこちら側(橋脇)の居酒屋「千草」の女主人のお徳のところに転がり込んだ二人は、蔦枝は客引き~客あしらいに才能を見せ、何やらやる気のない義治も尻を引っ叩かれお徳が探してくれた蕎麦屋の出前の仕事に就く。
「だまされ屋」という蕎麦屋である。如何にもというか、人を喰った名前の店で義治もダラダラ働き始める。
旦那が洲崎パラダイスに蒸発して以来、女独りで幼子二人を養い切り盛りしている居酒屋に普通に転がり込み、そのうえ女将に仕事を探してもらったりと、この頃の共同体は、余所者に対し実に優しく開かれていたようだ。「だまされ屋」主人も挨拶もろくにせずぼ~っとして突っ立っている何処の馬の骨か分からぬ義治を二つ返事で引き受けてしまう。大らかなのか、、、そうなのだろう。
「千草」に毎日届けられる氷が気持ち良い。

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蔦枝の方は、金回りのよさそうな神田の成金ラジオ商人落合をお得意さんにして色々と貢がせ、アパートまで借りてもらう。
さっさと義治に見限る形か、、、落合と駆け落ち?してしまう。なかなかドライな自由人である。
蕎麦屋「だまされ屋」には、玉子という若くて面倒見の良いしっかり者の娘がおり、何かと義治を心配して世話を焼いてくれる。
「千草」のお徳にもいろいろ世話をかけるが、仕事に集中せず、蔦枝に未練を持って追い掛け回ってばかりいる。
まあ、煮え切らない諦めの悪い男だ。神田で暑気にやられ倒れた際、助けてくれた土木作業員に頼んでそこで日雇い仕事でも始めるのかと思いきや、無断で飛び出してきた蕎麦屋にまた舞い戻り、親方へは玉子にとりなしてもらう。
何なんだこのマザコン。
蕎麦屋の玉子と結ばれれば、真っ当な人に更生できたかも知れぬが、、、。

「千草」の常連で、赤線から若い娘を救い出そうとする若いトラック運転手がやはり女将に彼女の堅気の仕事先を頼みに来ていた。娘は特に何も語ってはいなかったが、本心は果たしてどうなのか。
そして男が迎えに行く直前に娘は何処かに売られたのか、自ら去ったのか「洲崎パラダイス」から姿を消す。
嘆き悲しむ若い運転手信夫のドラマも傍らに流れる。
純情な青年みたいに描かれていたが、独り相撲のマザコン坊やにも見えた。

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それから、長年橋の向うに行ったきりであった夫、伝七がお徳の元にある晩ひょっこり帰って来る。
暫くの間、黙って外に突っ立っている。
還って来た放蕩息子みたいだ。お徳に呼ばれて無言で家に入って来てそのまま居つく。
一言もないまま、子供たちを連れて遊びに行ったり、下でやっている貸しボート屋の手伝いをちょっとばかりやってみたり。
ふらふらしている姿恰好は渋いツボ振りの旦那だが、子供がそのまま大人になったみたいだ。
カッコつけマッチョマザコンである。

結局、還って来て女将さんも一安心も束の間、向こう岸のかつての愛人に刺殺されてしまう。
トラック野郎の彼女もずっと貢ぎ続けて迎えに行く頃に消えてしまうし。
蔦枝も神田の落合に飽きて、戻ってきてしまう。この落合の乗るスクーターはとてもイケるのだが。
落合は、当時のお金で10万以上をアパート代や着物代に貢いで、全てパーになってしまった。
やはり橋を渡った向うの住人に過剰に関わると、とても痛い目に逢うことになるようだ。
確かに「赤信号」である。

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折角、玉子のお陰で蕎麦屋の出前仕事を真面目にやり始めたのに、舞い戻った蔦枝に逢ってしまい、義治は彼女とまた一緒に無一文のまま出て行ってしまう。例の勝鬨橋で振出しに戻り、今度何処に行く?である。
それもまあ、良いかも、、、。


なかなか、画面の構図も絵としてよく出来た映画であった。
BGMが独特のジャズテイストでキッチュで中毒性を感じる。
こういった感じの映画を観始めたら癖になってしまうかも、、、。
マザコン三兄弟みたいなのは、ちょっと、なんだが、、、。











レイニーのままで 消えゆく記憶

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A Million Happy Nows
2017年
アメリカ

アルバート・アラール監督
マリサ・カリン脚本

クリスタル・チャペル、、、、レイニー(有名女優、アルツハイマー)
ジェシカ・レシア、、、エヴァ(恋人)
デンドリー・テイラー 、、、、(レストランのオーナー)


「若年性アルツハイマー」に向き合う大女優とそのパトナーの女性の物語。
「記憶」という人間にとって最も大事なモノが消えてゆく恐怖との闘いが描かれる。
エミー賞の最優秀女優賞を受賞した後から発病する。
凄い賞を獲得した後というのがせめてもの救いか。
(トロフィー~記念の物は、何らかの効果を持つか、、、大概、記憶とは場所や物を拠り所にするが、病の前にはそれも無力か)。
セリフがぜんぜん覚えられなくなって降板し、パートナーの彼女と共に郊外の海を臨める静かな家を借りて過ごすことに。
しかし愛し合う者同士とは言え、いや寧ろそういう関係であるからこそ、記憶の消失による軋轢は厳しい。

女優の病状は進み、苛立ち不安定になる。寄り添いサポートするパートナーの女性も苦悩し葛藤する。
有名女優であること、しかもLGBTの件も、事態を複雑にする。
郊外にいてもひっそりと暮らすことは難しいし、いつまでも秘密には出来ない。
そう、全ては明かされてしまうものだ(特に芸能記者に興味本位の記事を出される危険は大きい)。
であるから、パートナーは妙な噂や曲解又は誹謗中傷されない為自分から先に事実を公表しようとする。
だが、女優は素直に割り切れない、、、。

A Million Happy Nows002

やはりジョギングなどで運動により進行を遅らせようとしても、外出により道が分からなくなる危険の方が大きい。
条件の良い施設に入所し落ち着いた新たな時を過ごし、恋人が時折訪ねて来るパタンがベターで好ましいものか。
ずっと、悩み続ける日々が続くが、事実を周囲の信用のおける人たちに話すことで、しっかりしたサポートにも恵まれる。
ふたりの間で語れることを語り尽くす。

そして、遠からず何も分からなくなり(記憶から飛び去り)、失ったこと自体も忘れ去ってしまう。
虚しさの極みを、知らずに生きることとなる。
女優は意を決し、予め恋人に先の事を全て託す。

アリスのままで」をちょっと思い出した、、、。
この映画はハードであった。
グッと実存的恐怖にフォーカスされていたと思う。

A Million Happy Nows003

そうだ、こちらで書けることはほとんど書いてしまった。
ただ、有名人であり公表が絡むとアイデンティティの問題はよりめんどくさくなってくる。
一般人が何者でもなくなるより、当人が気を揉むのも分かる。が、行くところに行ってしまえば変わりない。

記憶とは一体何なのか、、、改めて考えさせられる。
われわれにとって本質的問題であることは間違いないところだ。
(記憶の為に苦しめられ、救われもする記憶である)。
レイニーは、面会に来たエヴァのことも忘れてしまっているのに、共に過ごした世界の美しい片々を絵に描いて大事に飾っているのだ。
トロフィーも飾られていた。それが何であるかは忘れていても。
良きものだけが未だに魂に刻まれているというなら幸せではないか、、、。
レイニーが最後、エヴァに「あなた、また来てくれる」と願う言葉は、その証では。


相手役のエヴァが繊細なうえにしっかりしていて、理想的なパートナーであった。
この人がいたことでとても支えられ、その後の生も安らかに送ることが出来る。
(実際のところ、これ程のパートナーに恵まれることは難しい)。

A Million Happy Nows004

しかし、邦題が「 レイニーのままで、、、」という「アリスのままで」に瓜二つというのもどうしたものか。
どうしても同じ病をテーマにしていることから来る似たシーンは出て来てしまう。
殊更に比べられるように仕向けることはこの映画にとって不利である。
この映画は、この映画でジェシカ・レシアが素敵で見応えはあった。







ゴンドラ

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Gondola
1987年

伊藤智生 監督
伊藤智生、棗 耶子 脚本・原案
吉田智 音楽

上村佳子、、、かがり(小学5年生)
界健太、、、良(ビルの窓拭き)
佐藤英夫、、、良の父(元漁師)
出門英、、、かがりの父(作曲家)
木内みどり、、、かがりの母
長谷川初範、、、小学校教師
鈴木正幸、、、獣医


ごっこ」と「万引き家族」を直ぐに思い浮かべる。
ひと目~ファースト・インプレッションで、分かり合える者同士は分かり合えてしまう。
そこが共通する。

但し、これは自主製作映画である。
商業主義の映画では作れないものを作ろうとしたものか。
資金さえ何とかなれば、自分の思うように作れるはず。
監督処女作だそうだ。


よく処女作は越えられない、と言われる。
想いの籠った力作であることは間違いない。
絵で魅せる。見詰める目。視線、、、など印象的。
説明を極力抑えている、、、セリフも少ない。
かなり意欲的にエフェクトは入っている。
内界外界の間のような。ヒリツクプールの水と漁港の海の暖かさの対比など、、、。
ビルの谷間に現れる海の幻視などの演出も巧みである。
カメラアングルなどには、無意味に感じる部分はあったが。

時代を感じさせるのは、携帯の無い所だが、他に昔の映画と思わせる部分は少ない。
つまり舞台に違和感がない。
そして夕日が綺麗であった。
携帯が無いと空間がこうも清々しいことにも気づく。
(特にうちの娘たちを見ているとこの携帯依存にイラつくこともあり)。

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とげとげしいかがりの性格が、良の田舎で彼の家族と共に過ごすうちにとても自然に和らいでいる。
こどもにはこうした場が必要なのだ。
素朴な煮物を一緒に食べたり、一緒に風呂に入り裸の背中を流し合ったり、布団を並べて眠ったり、、、。
母のネグレクトで経験できなかった安らかな温もり~生活を知る。
自分の居場所のない荒涼とした都会のマンションと学校との行き来では経験できない沢山の活きた魚や人に触れてゆく。
まさに触れ合い。
生とは何か、、、暗示に充ちている。
これからも時々、この家に来ると良いのではないか、と思った。
(わたしの幼少期にも田舎があったことを思い出す。これほど暖か味はないが)。
作曲家で家を出て行ってしまった父(かがりは彼の思い出は大切にしている)と普段放っている(稼ぎは良い)母が、二人して娘の安否を東京で心配しているのだが、、、それはどうでもよい。

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結局、飼っている真っ白の小鳥が羽に怪我をし、呆然としているかがりの姿を窓を拭きに来た良が見つけ、両者の目が宿命的に合う。
直ぐに共振してしまうふたり。
同じように何処にも場所のない者同士で了解がついてしまう。
ゴンドラで窓ガラスを通して邂逅するというのも上手い。良いアイデアだ。
蜘蛛でも良かった気もするが、、、ドラマ化が難しくなるか子供向けメルヘンになってしまうか(笑。

怪我をした小鳥を仲立ちに出逢い、その遺骸の埋葬を巡る(場所探しの)時間が過ぎ、結局良の漁港の街で壊れた船を修繕して夕日に映える海に出てゆくまでのほとんど何があったワケでもない濃密な時間が描かれていた。
無事に海に葬る。
良が高層ビルの窓を拭いている時、下には故郷の海の穏やかな水面があったが、かがりの絵にもその場面が瑞々しく描かれていたその海である。
時が淡々と静謐に流れる、ここが彼らの場所なのだ。

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かがりと良のふたりの時間に何と言うか在りもしない郷愁の念を覚えた。
これは憧れのようなものかも知れない。
こんな時間が過ごせたなら、間違いなく宝となる。
(娘たちと一度は過ごしてみたいと思った)。


こういった映画にしては珍しく後味も良い。










親知らず

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2020年


宮嶋風花 監督

宮嶋 花奈、、、明日美(女子高生)
井上 悠介
上嶋 凜


監督の大学の卒業制作作品だそうだ。
AmazonPrimeのラインナップも最近、意欲的ではないか。

10代後半から20代にかけて生えてくる「親知らず」は親の知らぬ間に生えてくるため、全て自分のコントロール下に子供を置きたい親にとって想定外の異物であろうし、それを自分に許可もなく抜いてしまったらもう穏やかではない(許しがたい)そんな父と、二人暮らしの娘の物語~シリアスで滑稽なドキュメンタリーを見るような気分で噺は淡々と進行する。

これまでに見た大学卒業制作で最も凄い作品は、タルコフスキーの「ローラーとバイオリン」であった。
彼は最初から巨匠だったみたいだ。
不変の光の詩情がとても印象に残っている。

こちらの「親知らず」は、素人っぽくて清々しい。良い意味でフレッシュである。キャストのせいであるところが大きい。
(芸達者のキャストが演じたらとても重厚で息苦しいものになった気がする)。
そして、生々しいヒリツク感じは心地よい。
出だしから芸術作品を作ってしまう人もいるが、このような直截的な等身大の表現も好感が持てる。
デビューしたての尖った女子ロックバンドみたいで。
演奏力は基本はしっかり押さえてあり、今後も応援したくなる、みたいな、、、(笑。

透明人間みたいに目立たずに生きて来た自分とそう仕向けた周囲に対し強烈な怒りが静かに込上げる。
母を亡くした後、毒父との二人暮らし、、、凄まじく暗い意思疎通の無い家庭。
(この父親、自閉し我が子の幼年期のビデオばかり毎晩?見て過ごしている。典型的な完全憑依型の自立を阻む親か)。
貼り紙で一方的に用件だけを伝える父。それが偏執狂的にエスカレートする異様極まりない家庭環境において、健康な自分~主体がはっきりと頭をもたげたのだ。
「わたしは何も悪くない」「悪いのは周りの人間。この世界だ」という正しい認識を得る。
(こういう親や大人の作る環境にいる子は自分に罪悪感を持ってしまうパタンがとても多い)。
正直にニュートラルに生きる少女。
何にも囚われずにモノを見ようとする。

自分に見えるモノが見える人と見えない人がいる。
そのことを明瞭に知る。
この世には、自分を理解可能な人間と全く理解できない人間がいる。
自分を他者(独立した人格)と認めず、コントロールし支配しようとする全ての欲望に毅然と立ち向かう。

この映画、伝えたいものはぶっきら棒にしっかり届く。
ディテールの接写やパターンの組み合わせ、パタンの反復とその推移による構成など分かり易く説得力がある。
誤魔化しが無く率直・誠実であり、訳の分からぬ表現などは一切しない。
主演の宮嶋 花奈という女の子がとてもピッタリでよく役柄を理解していることが分かる。
エンディングでタップリ唄っているし。
これだけで終わっては勿体ない人だ。
今後も女優は続けて欲しいと思う。
キャストはこれで間違いない(妙に上手くない方が良い)。

ここで演じている人たちは、皆素人に見えるが、どうなのだろう。
どうみても素人にしか見えない。
素人ならではのぎこちなさがここでは潔い。
学校をサボって道端でギターの弾き語りをしてるクラスメイトの曲が彼女のこころを捕らえ解放した。
自分の想いが歌となって流れ出してゆくのを彼女は佇んで聴き入る。

皆、「変な人」を律義に演じているが、変にも色々あるから厄介だ。
まあ、変と謂えば皆変であり、単に色々と変な人でこの世が出来ているに過ぎない。
この終盤の道端ライブは、彼女の心に同調し彼女の目を外に向ける心優しい変な人が忽然と現れた父に刺殺されてゆくショッキングなシーンへと雪崩れ込む。
「もう大丈夫だよ明日美」と、お前とわたしは一心同体だみたいに立ちはだかる父を、今度は彼女が刺し殺して取り敢えず落着する。

その後、担任といつも弁当を作ってくれていた保険の先生と3人で和やかに会食していて、もっとしっかり食べなさいよとか言われている。
保健の先生が「いつでも私のところに来なさい。あなたの役にたちたいのよ」と向けるに対し、、、
「ありがとうございます。でもわたしは暫くは自分独りでやっていけますから、大丈夫です」と返す。
自立してゆく少女というのは気持ちよい。

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最初と最後の白いカーテンたゆたうジムノペディがピュアな映画であった。
勢いもある。

最後の彼女のボーカルによるエンディングテーマ曲もよく分かる、、、。
(道端ライブでギター少年が唄っていた曲だ)。
粗削りで危なっかしいところが、味である。
気に入ってしまった。

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美女と液体人間

The H-Man001

The H-Man
1958年

本多猪四郎 監督
円谷英二 特技監督
木村武 脚本
海上日出男 原作

佐原健二、、、政田(生物化学助教授)
白川由美、、、新井千加子(歌手)
平田昭彦、、、富永刑事
土屋嘉男、、、田口刑事
千田是也、、、真木(生物化学博士)
田島義文、、、坂田刑事
夏木陽介、、、男
佐藤允、、、内田(麻薬密売人)
小沢栄太郎、、、宮下刑事部長
坪野鎌之、、、小山刑事
藤尾純、、、西山(麻薬密売人)
園田あゆみ、、、エミー(ダンサー)


このタイトルは観ておかないと、、、Primeにあったので観てみた。
ウルトラQや怪奇大作戦の映画版と言っても良いノリであった。
面白かった。主題~モチーフが原爆であるがそれを水に籠めて表現しているため実にテクスチュアが表情豊かでイマジネーションを触発する。
物質的想像力を刺激するのだ。
水の本質的に持つ怖さと重なる。
そしてその不気味な漆黒の水面を走る紅蓮の激しい炎である。
このコントラストには恍惚感すら感じるものであった。
この水と炎のせめぎ合いが、ドラマそのものである。

The H-Man002

更に高級クラブの歌姫である新井千加子の歌はとても良かった。
2曲唄ったが、もっと聴きたくなるものであった。
水に火に音楽である。
雄弁で説得力溢れる流れが出来るものであろう。
警察とギャングから狙われる新井千加子自身もその質感のなかに溶け込んでおり、物質的にかなり芳醇な世界が生成されていた。
あの下水道内のスライムの移動と水浸しの千加子の移動は本源的な部分を擽る。
暗闇に潜んで襲い掛かろうとするスライムであるが、質感から言って不気味でも触ってみたい衝動もあり、疼くのだ。

そこへ、まさにウルトラQの顔である佐原健二が一科学者でありながら警察に付き纏い出ずっぱりなのである。
ウルトラQのハイグレード版であるか。
佐原健二も政田助教授になっているし。

The H-Man003

原爆の放射線で人が液体人間となる発想は面白い。
液体になって死ぬのではなく、液体状の新たな生物になるのだ。
それを頭の固い警察幹部に説明するのに、政田が「ガマ」を使って実験してみせるところも面白い。
何で「ガマ」なのか、、、。
それから被爆したモノにあまりに不用意に近づいたり平気で触ったりするところは上手くなかった。ドラマを壊すものとなる。
隔離や防護服は随時必要であった。
だが気になるところはそれくらい。

車も充分クラッシックカーで、ちょっとしたカーチェイスっぽいことまでサービスしてくれるし、、、
昭和の街並みもファッションもダンサーの踊り、ガジェットも風習、言葉の言い回し、単語の面白さすべてフェティッシュな魅力に溢れていた。
「ガマ」もそうだが、何度かしょっ引かれた「第三国人」とか「鏡台」など、今はもう聞くこともない。

The H-Man004

全体の雰囲気に魅了された映画であった。
この頃独特のVFXも味わい深い。
ウルトラQや怪奇大作戦ファンであれば愉しめること請け合いである。














ラジオ・コバニ

Radio Kobani006

Radio Kobani
2016年
オランダ

ラベー・ドスキー監督・脚本


ディロバン・キコ、、、ディロバン(女子大生、ラジオパーソナリティ)


Radio Kobani001

シリア北部のクルド人街コバニが舞台。
ISに侵略されるがクルド人民防衛隊と連合軍の空爆支援により解放される。
他の土地に避難していた人々が帰って来るが、街はもう瓦礫の廃墟に。

物語の前半は延々と戦闘で死んで土や瓦礫に埋もれたズタズタの死体をパワーショベルで掘り出し、トラックの荷台などに乗せて何処かで処分するために次ぎ次に運び出すシーンが続く。このような戦争時のドキュメンタリーでほんの一コマ映されるような光景がかなり続くのには驚く。その生々しさに。そしてもっと驚くのは、年端も行かぬ子供たちがそれを普通に見ているところだ。
きっと猛烈に臭いのだろう。みんな布で口鼻を覆っている。
中には原形を留めず体のどこの部位かも分からぬような死体(破片も含め)を掘り出しては積んで運び出す。
みんな慣れてはいるが、千切れた体の部分を触るのは抵抗があるようだ。

よくある脱臭されたドキュメントとは違う感触を得た。
戦闘は、収まっている様に見えて、ド~ンという音や機関銃の音が断続する。
カメラが急に忙しく動きだしたかと思うと、クルド人民防衛隊の後について、まさに戦闘場面そのものを撮り始める。
一つ間違えれば撃たれておしまいだ。撮っているのはラジオの女子大生か?そのお友達の方か?
流れ弾が飛んでくる可能性も大な立ち位置である。
大丈夫なのか。これには、ホントにハラハラしてしまう。
味方の女性戦闘員が倒したと言って銃を片手に降りてきたところで、その方向を写すと今倒れたばかりといった格好で敵兵士が横たわっているではないか。もう微動だにしない。

Radio Kobani007

手榴弾もかなり敵陣に放り込む。
上から狙いを定め、ロケット弾も。
そして恐らくスナイパー同士の対決もある。
撮影者の身近の女性上官のiPhoneに電話が入る。
学校の校舎に連合軍の爆撃機が後数分後に爆弾を落とすと言う。
(敵は学校に立てこもり攻撃を仕掛けているのだ)。
他の同志にその場を離れるように指示をすると、約束の時間にピンポイントで爆破された。
味方の表情に安堵感が拡がる。その距離感が尋常でないドキュメンタリーだ。
ともかく近い。
こんな時でも、兵士は床屋で髪を整え髭を剃る。
彼はここにスナイパーとしてやって来たと言う。
床屋が整髪しながら、ISの兵を何人殺したんだね、と聞くが兵士は直接答えない。
ただ、敵はマスクを被っていたり、髭で顔を隠しているから分からないが、殺した後顔を覗くと子供であることが多かったと。
夢にまで出て来て、心が痛むと語っていた。
向うを殺さないとわたしも友も殺されてしまう。
それが戦争というモノだという、、、。

Radio Kobani005

次のカメラでは捕らえられたISの兵士が、尋問を女性指導者から受けていた。
あなたは、ここで酷い虐殺を行いましたね。
~コーランの教えに従ったまでだ。ここの人間は信心深くないと聞いている。
何故、女性や幼い子供、老人たちまで殺したのか。
コーランの教えにそんなことが記されているのか。
~金で雇われたんだ。家族に会いたい。貧しくて金を稼がなくてはならなかった。
普通、金を稼ぐのなら他の方法で稼ぐであろうに。

何と愚かで単純な動機だろう。

ディロバンが始めたラジオで戦果の報告をしたり、毎回のようにゲストを呼んでインタビューを行っていた。
彼らは、皆SNSをやっているが、フェイスブックが主流のようだ。
母親とフェイスブックで知り合った彼氏のことを冗談を交えながら楽しそうにしていたりする。
彼氏選びが一番嬉しそうだ。
勿論、友達同士でも盛んに情報のやりとりをしていた。
女子同士の噺は何処の国でもどんな状況下においても同じ、、、。
女の子同士でバイクに乗っていると若者の乗る車が近づいてきてクラクションを鳴らす。
その男子を見てケラケラ笑う。こんな光景もまた何処も同じだ、、、。
しかしディロバンの幼馴染の一緒に男の子に声をかけようと約束していた娘は、ISに斬首され路に死体を晒されたという。
死はいつも隣合わせで、紙一重で生死が決まっている。

Radio Kobani003

ここも一時的に落ち着いても直ぐにロケット弾が夜空を飛んでくるのだ。
凄い音が遠くで鳴り響く。
その翌日にはその地点の民家で葬式が執り行われており、その傍らに泣き叫ぶその身内がいる。
そんな日常に、女子大生の体当たり取材で作られるラジオ番組「おはようコバニ」は放送されているのだ。
よくこの環境下で取材と出演交渉まで熟し、番組制作をコンスタントに継続出来ると感心する。
勿論、パーソナリティもだ。大した力量だ。これだけスキルとバイタリティがあれば世界の何処の放送局でも通用すると思う。
放送中、突然停電し、予備発電機に切り替え続けてゆく。
その辺もぬかりない。
しかし解放された後、発電用のダムがこちらに戻り、電力供給が安定する。
それでもこれまでの習慣で節電に気を付けてしまう。

Radio Kobani004

状況が安定すれば、直ぐにお友達とアクセサリーの店に行き、プレゼントを買ったりもする。
パン屋が窯で香ばしそうな大きなパンを焼き始める。
復興の兆しが見られ明るい表情もあちこちに窺えるようになり、、、
ラジオの力はより肝心なものになって行くはず。
きっと血液の循環を活性させるように。
(TV局になってしまうとこの機動性と良心は無くなってしまうかも)。
日本との違いといえば、、、直ぐ隣に死があるかどうかであろうか、、、。寧ろそのせいか彼らの生は力強い。鮮烈な覇気も感じた。
場所があるなら復興は可能だ。
(われわれに本当の場所があるのだろうか)。

Radio Kobani002

音楽が良かった。とても惹かれた。ここで演奏されたような音楽をもっと聴いてみたい。













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