プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。
友人から、お前はトマトか?と聞かれたので、だいぶ前に使っていた写真に戻します。

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ル・コルビュジエの家

El hombre de al lado001

El hombre de al lado
2009年
アルゼンチン

マリアノ・コーン 、 ガストン・ドゥプラット監督・撮影
アンドレス・ドゥプラット脚本
セルヒオ・パンガロ音楽


ダニエル・アラオス、、、ビクター
ラファエル・スプレゲルブルト、、、レオナルド
エウヘニア・アランソ、、、妻


「ル・コルビュジエの家」に興味惹かれて観た。
クルチェット邸というル・コルビュジエが唯一建てた私邸だそうだ。
全体像は掴めないが、何となく雰囲気は感じ取れた。
人間工学的にも住みやすい空間に思える。開放的な雰囲気の建造物である。
特に大きな窓辺に嵌め込まれた矩形の枠など娘も入って憩う姿が素敵であった。
原題は「隣人」のようだ。
ならば特にル・コルビュジエ設計の家でなくても良かった気もするが、、、。
椅子のデザインで成功を収めた高名なデザイナーであるレオナルドの裕福な環境は充分伝わって来るものだ。

El hombre de al lado002

強面で粘着質だが柔軟性と受容性も持ち合わせたユニークな隣人ビクターとの出逢いが彼が壁に空けた穴~窓によって生まれる。
ビクターの家の窓が開けば、窓同士が面と向かって出来てしまうことになり、プライバシーが保てない。
レオナルドの奥さんの拒否反応は凄まじかった。
娘は面白がっていたが。

壁に穴を開けるというのも気持ちよさそう。
同一画面で開ける側と開けられる側が映されるオープニングからして惹き付けられる。
構図・カメラワーク・インテリア・部屋に流れる音楽どれもとてもセンスが良い。
勿論、噺そのものもコミュニケーションの本質をコミカル(アイロニカル)なタッチで突いていてとても面白い。


壁に開けられた穴~窓を巡ってお隣り同士の奇妙な関係が生まれる。
片やプライバシーの侵害だと法的根拠を振りかざしてそれを阻止しようとする。
片や法はともかく、自分の家にも陽光を分けてくれという主張である。
普通に考えれば、視線が合わない位置で透明でない明り取り窓を設置すれば問題はでないのでは、と思うが。
その辺のアイデアを建設的に出すことはなかなかしない。本来ならレオナルドはデザインの専門家なのだから双方が納得できる妥協案をデザイン的に提示するべきではないか。
だが、レオナルド側にコミュニケーションをとる意思がそもそもない。

El hombre de al lado003

初っ端からずっと、その窓の設置を巡っての隣人同士(レオナルドvsビクター)の諍いが続く。
(壁を叩く騒音にかんしても)。
レオナルドはともかく壁を元通り塞ぎたい。
ビクターはレオナルドの言い分を呑みながらも何とか光を自宅に取り込みたい意志を様々な角度で伝える。
これがとてもしぶとい。押しも強い。
終盤で、摺ガラスの細い窓をかなり上方に作ることで妥協を得ることが出来たかに見えたのだが、、、
レオナルドの妻が頑として譲らずそれもダメになる。
夫婦仲も悪くなる。
娘は、両親から距離を置きヘッドフォンで自分の世界に籠っている。
どこもみんな断絶状態ではないか。
ル・コルビュジエの家の大きな窓の多い開放性に対して住む人間の閉鎖性が際立つ。

レオナルドはビクターと小さな摺ガラス窓で妥協を図りこの件を終わらせようとしたが、全てを拒絶する妻との仲を何とか戻したい。
間に挟まれ仕事もまともに手に付かなくなる。
納品の期日にも間に合わなくなり、困り果てる。

El hombre de al lado004

ここにあるのは、ディスコミュニケーションの問題と謂えるか。
同じ言語を喋りながらも思いはまったく共有できない。
よくある隣人同士の諍いと謂えばそれまでだが。
感情的にレオナルド側がビクターの存在自体を端から拒絶している。
これは階級意識と謂える。特に妻である。
(娘にとっては関係ない為、彼女はビクターのやることを面白がっている)。

先入観と価値観とその拘りが排他的に作用するだけ。
相手を理解しようという気持ちが微塵もない為、言葉はまるで噛み合わない。
多少でもその気持ちがあれば、妥協点はどこかに見いだせるものなのだが。
皮肉にも塞ぐ直前の窓から娘がギャングに拉致されるところを確認したビクターが彼女を助けに入ったところで撃たれてしまう。

外出から戻ったレオナルドは、ただビクターの傍らで手をこまねいているうちに彼は息を引き取る。
そして、ビクターの開けた穴は閉じられる。
何もなかったかのように。


とても良くできた噺だ。
最後はショッキングであったが、こう来たかと唸ってしまった。
センスの良いスタイリッシュな映画であった。






ふたりの人魚~娘の音楽発表会

futari001.jpg

蘇州河
2000年
中国、ドイツ、日本

婁燁(ロウ・イエ)監督・脚本
ボルグ・レンバーグ音楽
王昱(ワン・ユー)撮影

ジョウ・シュン、、、ムーダン、メイメイ【二役】
ジア・ホンシャン、、、マー・ダー(運び屋)
俺(カメラマン)


形式的に面白い映画であった。
終始、姿は一切見せない俺の(主観的)視座から描かれるのだが、特筆出来るのは、俺が見ている日常世界だけでなく、恋人のメイメイが俺に語った物語をやはり同様の視界で描き出してゆくところだ。
つまり何度もマー・ダーの語る彼女ムーダンの噺を聴かされたメイメイがその噺を俺に聴かせて俺が咀嚼した物語世界がやはり日常の光景のように映っているのだ。俺がカメラマン(映像作家)であるというところが上手く生かされてもいる。

今まさに広がる世界を映すだけでなく、物語られた世界(文学)を映像化して接続する。
この本来異質な像がシームレスに映像空間のなかに侵食してくる。
俺の想像や何処かの記憶など、何らかの心象であったりする。
もしかしたら夢であったり、、、。

それぞれの像は鮮明であっても境界はぼやけ、独特のイメージのコンテクストが綴られる。
ムーダン、メイメイの瓜二つの綺麗な女性がいるのか、本当は同一人物なのか実際どうなのか分からぬまま進み、ようやく二人が出会ったときは片方(ムーダン)は死んでいた。そして作り話と疑っていたマー・ダーの噺も本当のことだと確信する。しかしこの時点でムーダンとマー・ダーが死体となっている為、2人の存在以外のディテールはもはや確認しようがない。
しかし、マー・ダーが自分の元を立ち去ったムーダンを命がけで死ぬまで探したことは事実である。
メイメイは、俺にわたしが消えたらどうする?死ぬまで探す?と確認し、彼女もまた姿を消す。
俺はどうするのか、、、。
どういう物語を接続するのか。

futari002.jpg

考えてみれば、このような手法は他の映画でも(無意識的であっても)取り入れられている。
ただし、この映画はそれを意図的に方法として採用し曖昧にぼやけた心象世界を見事に作り上げている。
この映画を観ることでわれわれも、それを構造的に意識させられる。
形式面でとても綿密に練られた映画であると思う。

どうも上手くまとまらないのだが。
こちらも映像に浸っているうちに眠くなってきて何度か寝落ちしてしまった(笑。
感覚的なところに妙に意識が向いてしまうが、そのうちストンと気の抜ける映画だ。


もしかしたら単に疲れていたのかも知れない。
娘の学校の音楽発表会の日であった。
娘を集団の中で探すのがとても大変なのだ。
合奏では、リコーダーと鍵盤をやっているので、空間的文脈において探し当てはしたが、はっきり見えたとは確信できない。
合唱のフォーメーションのなかではもうさっぱり何処にいるのか分からず仕舞いであった。
ずっとあいまいなまま音だけ聴いて来た。
(実は音もどこか上の空になっていた。探す行為が集中する気持ちを疎外するのだ)。

今年はピアノの伴奏はやらないことにしていたが、一緒に遊ぶ(絵も描いて一緒に表彰式に行った)お友達が今年も伴奏をしていた。
長女が、複数曲あるので一曲伴奏に立候補すればよかった、と言っていた。
来年やればよいとおもうが。
ピアノならはっきり何処にいるのか分かる。
落ち着いて見ることも出来から、音にも浸れるはず。
今年はそのお友達の姿ばかりがよく確認できた。






スイス・アーミー・マン

Swiss Army Man001

Swiss Army Man
2016年
アメリカ

ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン監督・脚本
アンディ・ハル、ロバート・マクダウェル音楽

ポール・ダノ、、、ハンク
ダニエル・ラドクリフ、、、メニー
メアリー・エリザベス・ウィンステッド、、、サラ


ハンクという人の精神状態はかなり危ない。
どれくらいの時間~期間かは分からないが、思いを寄せる人妻の家の傍に潜み、動けない自分の助けを求め、ついにどうにもならず首吊り自殺を思い立ったところで、死体を浜辺に見つけた。
ここからがこの映画の真骨頂である。
彼の乖離性人格がその死体に投影され、後程メニーと名乗るその男が彼を元の場所に蘇らせる~自分を肯定させるのだ。
ここから暫くの間、下ネタとお下品なオナラネタ満載のファンタジー世界に飛ぶ。
まずは、その死体がオナラ~腐敗ガスか~の噴射を推進力にして、ハンクの見立てた孤島から彼を背中に乗せて脱出に成功する。
人の住む土地に来たにも関わらず、なかなか「故郷」~現実に戻れない彼は森(という見立て)のなかで躊躇・動揺している。
彼らの発する声を使ったボーカリゼーションによるBGMは、実にこのシュールな物語を饒舌に演出していた。

水が欲しくなると死体の口から水が滝のように溢れ出てくる。
あれだけ派手にオナラをしている身体から出た水をハンクは飲む。
旨いらしい。自然水なのかも知れない。
それまでハンクが一方的に話しかけていたその死体が言葉を返し始める。
最初は質問などから、まるで記憶喪失者みたいに聞いてくるが、何も思い出せないという設定の人格で、ハンクの過去をある意味封印したい人格をかなり煽ってくる。
徐々に言うことも達者になって来て、ハンクの方はいいように押されてゆく。
その人格は今のハンクを大きく揺り動かすものとして出現しており、その為何かとハンクをハンクたらしめる抑圧・隠蔽パーソナリティに対し、ずけずけと手厳しく指摘・批判して来る。下ネタ攻撃もそのひとつである。

このメニーと名乗ってから急速に饒舌になり洞察力も冴えてくる死体は、まさにスイス・アーミー・ナイフみたいに多目的に使える多機能男であった。
まずは水上ボートさながらにハンクを乗せてオナラで突っ走り、ミネラルウォーターサーバーみたいに口から水を吐き出し、いちいちもっともだが辛辣な見解を披露する。「お前は壊れてて、空っぽで、汚くて、臭くて、無用で、古い。お前はゴミみたいなもんだ、違うか?」には笑うしかない。
その他、重宝することは、硬直した腕で丸太を切れるし、歯で髭も剃れる。更に動物相手に口に籠めた小石を体内ガスで放出してピストル代わりにも使える。指を鳴らせばライターみたいに火もつけられ、火にお尻を向けて放屁すれば火炎放射器さながらである。
またあそこが、「故郷」の方向を示す磁石にもなる。いがらしみきおの漫画か(笑。
まったく都合の良い多機能人格である。
死体にここまでやらせるか。いや死体だからここまでできるのだろう。

Swiss Army Man002

通常、開放的で批判的な人格を想定し白昼夢のなかで思い描くにしても、もう少し現実的なあり得る人格を浮かべるのではなかろうか。
このハンク特有な強烈な乖離した人格なのだろう。
このメニーが死体であることが、逆説的で説得力も強いのだ。
生きていても臆病で何もできず、自分を否定して、自然な欲望を全て抑圧している。
自由も何もないではないか。それで生きていると謂えるかということを死体から終始突っ込まれているのだ。
そして森?のなかで人間が捨てたゴミを利用してハンドメイドのサラと出会ったバスの中の光景を再現してメニーと記憶~経験を共有し再認してゆく。結局これで自分を認める過程を辿ってゆく。この間メニーに指摘される事柄を皆ハンクは認めてゆくようになる。
もう一人の自分のメッセージにこころを開く。
それにしてもハンクという男、器用である。森のバスなどよく出来たファンタジー作品である。

そして過酷なサバイバルを恐らくうんと近場で展開してきた末、サラの家の庭に転がり込む(爆。
笑う箇所はたくさんあったが、これが一番吹き出した。

Swiss Army Man003

そこで、ハンクは愛しいサラを前にして、自分を初めて曝け出す。
逞しい姿を見せる。
ホントに彼にしてみれば過酷なイニシエーションを潜って来たのだ。
それは間違いない。
メニーは自分の役目を終えたかのように単なる死体となって横たわっていた。
ハンクは解放されたと謂えるか?
覚醒し自立(自律)を得たのか?


だが、それを見守るサラは、救急車は呼んでくれるも、何なの?という怪訝な表情を浮かべるだけであった。
そんなものなのだ。

そして最後に死体のメニーは再び放屁により海の中を突っ走ってゆく。
(ハリーポッター氏もこういう方向に行かなければ生き残れないところにきているのか、、、)。
それを見守る人々は、皆ついてゆけないという呆気にとられた顔で佇む。
この水上ボートみたいなもの、彼らにはどう見えているのか、定かではない。

とても印象に残る怪作である。






音楽がとても斬新で特筆すべき出来であった。





アトランティスのこころ

Hearts in Atlantis001

Hearts in Atlantis
2001年
アメリカ、オーストラリア

スコット・ヒックス監督
ウィリアム・ゴールドマン脚本
スティーヴン・キング原作

アンソニー・ホプキンス、、、テッド・ブローティガン(初老の紳士)
ホープ・デイヴィス、、、リズ・ガーフィールド(母)
デヴィッド・モース、、、ボビー・ガーフィールド
アントン・イェルチン、、、ボビー・ガーフィールド(少年時代)
ミカ・ブーレム、、、キャロル・ガーバー(少年時代の彼女)
アラン・テュディック、、、モンティ・マン
アダム・ルフェーヴル、、、ドナルド・ビーダーマン
トム・バウアー、、、レン・ファイルズ
セリア・ウェストン、、、アレイナ・ファイルズ
ティモシー・レイフシュナイダー、、、ハリー・ドゥーリン
ウィル・ロスハー、、、サリー=ジョン(少年時代の親友)


アントン・イェルチンの熱演とアンソニー・ホプキンスのいつもの名演でこの映画は素晴らしいものになった。
ふたりとも天才である。アンソニー・ホプキンスは、レクターよりもこちらのテッドに魅力を覚えるが。
また、この噺が良い。
原作は5編に分かれた大作だというが、上手く1話に完結させている。
脚本も良い。
少女との淡い恋に身勝手で 軽薄・狭量な母や「迷い犬」の貼り紙とか新聞読みのバイトや新品の自転車に観覧車など、、、それから定番のいじめっ子や不吉な黒い影法師、、、プラターズの「オンリーユー」等々が絡み、、、
ボビー・ガーフィールド少年と超能力者テッド・ブローティガンとの少年と初老の紳士との友情がリリカルに描かれてゆく。
まるでレイ・ブラッドベリの原作と謂われても納得するものだ。
明らかにスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』路線上にあるものだ。

Hearts in Atlantis002

父に先立たれ経済的に苦しいガーフィールド家の二階(貸し部屋)にふらっとやって来たテッドという初老の紳士と11歳のボビーとの出会いから始まる物語である。(やはりレイ・ブラッドベリぽいではないか)。
共産主義との戦いに超能力者を利用したという噺は聞いたことがあるが、テッドは政府の追手から逃げまわっていたのだ。
彼は千里眼(透視能力)でひとのこころ~隠していることが何でも読めてしまう。
テッドはボビーが淡い恋心を抱いているキャロルとキスをすることも予見する。
それを聴いたボビーは照れまくり誤魔化すが、実際にお祭りの観覧車で実現してしまう。
ボビーは「目の奥で気配を感じること」をテッドから教えられ、実行することでお祭りのカードゲームに勝って儲ける。

Hearts in Atlantis003

ボビーは母から疎んじられ、誕生日プレゼントも無料で手に入る大人向け図書券であった。
自転車が欲しくても母子家庭でそれは無理というのだが、自分は綺麗なドレスを幾つも買って持っているのだ。
彼は孤絶感と母に対する不満を抱え持っていた。
対等に語り合い尊重して接してくれる造形の深いテッドにボビーは、深くこころを惹かれてゆく。
ボビーはテッドが超能力者であることに気づき、その能力の為に悪者に狙われていることも知るに及ぶ。
彼は一生懸命テッドを守ろうとするが、息子についても周囲に対しても全く理解を示さない母によってテッドは通報されてしまう。
テッドは、彼らの家の二階に留まることは出来ず、ボビーを危険に晒さないために逃亡を諦め、影法師みたいな奴らに連行されていった。ボビーは銀行から下ろした逃亡費を手にその車に追いすがるが、もうなす術もない。
テッドはボビーに向い最後に伝える。「きみのことは、何があっても忘れない。」
、、、ボビーも全く同じ気持であった。
こんな想いが、お互いにこころの底から沸き立つなんて素晴らしいことではないか。

一方、母親は職場の上司に騙され痛い目に逢い、職すら失いお金もなくどん底の状況に陥る。
ボビーは、テッドに渡すことになっていた金を母に全てぶちまけ、これまで母のしてきた酷い仕打ちを非難する。
ここは通らざるを得ないところだが、実にシンドイものだ。
こちらもホントに同調してしまった。共感もした。
この演技を見るとこの子役が只ならぬ人であることが分かる。
(アンソニー・ホプキンス絶賛の子役であったらしい。彼はそのまま役者として大成してゆく矢先に27で夭逝してしまった。なんてことだ、、、)。

Hearts in Atlantis004

母の新しい職場が見つかり彼らはキャロルと別れ引っ越してゆく。
その車には、ボビーの欲しかった自転車があった。
母との和解が進んでいることも感じ取れる。


久々にお気に入り映画が見つかったという感がある。
アントン・イェルチンの出演する映画をチェックしてゆきたい。








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ドリームキャッチャー

Dream Catcher001

Dream Catcher
2003
アメリカ

ローレンス・カスダン監督・脚本・製作
スティーヴン・キング『ドリームキャッチャー』原作
ジェームズ・ニュートン・ハワード音楽
ジョン・シール撮影

モーガン・フリーマン、、、アブラハム・カーティス大佐
トーマス・ジェーン、、、ヘンリー・デブリン博士
トム・サイズモア、、、オーウェン・アンダーヒル将校
ジェイソン・リー、、、ビーバー
ダミアン・ルイス、、、ジョンジー
ティモシー・オリファント、、、ピート
ドニー・ウォールバーグ、、、ダディッツ


ここで度々出てくる”SSDD”とは、「クソのような毎日」という意味らしい。
Same Shit Different Dayの略。
最初、何かの作戦実行の為の暗号かと思った(笑。

”Nobound,Noplay”は、ここはボールが跳ねないから遊べない、、、から「どうしようもない」という意味で何度か出てくる。
ダディッツから貰った能力で結構楽しめたのでは、とも思うが、、、。
とってもキツイ日々を送っている大人たちのようだ。
幼馴染4人組の大人になってからの話なんて、まるで『スタンド・バイ・ミー』の続編みたいな感じもしてしまうが、、、。
かなりの悪夢である。

少年のある日、4人は虐められている知的障害のダディッツを助けたことで、彼を(象徴的な)中心として絆を強めた。
大人になって、ヘンリーは自殺願望がありピストルをこめかみに当てて危うく引き金を引きそうになる。
ピートはアル中らしい。ビーヴァーは彼の持ち歌らしい”ブルー・バイユー”からして経済的に苦境にあるようだ。
ジョンジーは、何度も事故に遭いその度に奇蹟的に生き返ってはいる。ダディッツに唐突に呼ばれるらしい。
ほとんど幸福と感じるような生活は送っていないようだ。

彼らが冬の山小屋に集まる(毎年の定例)のときに、物凄い急展開となる。
「スタンド・バイ・ミー」から飛躍し、人間世界の縁~ほぼ外部に放り出される。
何らかの感染症を疑う男を助けたところからそれは、始まった。
ここからはパンデミックホラーになる。地球の軍隊からもここは隔離されたと見放される。
彼らは得体の知れぬ敵に怯えつつ、国からもエイリアンもろとも焼き殺される運命に突き落とされるのだ。
あの「エイリアン」の幼体みたいな憎たらしいのが、感染した人の体内で育ち、お尻の穴から出て来て暴れるのだから始末に悪い。

しかしどれだけ成長が速いのか。その辺はよく分からないが、エイリアンは感染による地球支配を狙っているのだという。
何か体に異変を感じたら感染症を疑う必要はあるなとつくづく思っているところだが。
エイリアンに感染させられているかどうかはともかく。
ウイルスなどもともとエイリアンみたいなものだし(パンスヘルミア仮説をみるまでもなく)。
いやむしろあの卵から孵った小さな幼体が身体に入り込めばそのまま成長して出てくるのなら分かり易い。
むしろそっちか。
ともかく、異物は許さない。この典型がアブラハム・カーティス大佐だ。
確かにこのエイリアンは対話など可能な相手ではない。


4人とも良い奴なのだが、ここで、ビーヴァーが自己犠牲によりジョンジーを逃がすが、彼もまたミスターグレイ(エイリアンの親玉)に身体を乗っ取られる。(ちなみに、このミスターグレイというのは、ダディッツにかつて教えられた名であり、彼はこの事態をはじめから予測しており、全貌を知っていたようなのだ)。
やはり感染した女性を助けたヘンリーとピートであるが、ビールを呑んでおしっこをしているところで女性の体から這い出たエイリアンに襲われピートも絶命する。こんな風に主要キャストが次々に犠牲になってゆく。それも血みどろのおどろおどろしい惨劇に遭う。

“記憶の倉庫”に隠れる事の出来るジョンジーは身体を乗っ取られながらも、自分=意識を保ち続ける事が出来た。
この倉庫の映像が面白い。まるで秘密の地下図書館だ。
これはダディッツから得た能力なのか事故による臨死体験から生まれたものなのか今一つ分からぬが、お陰でそのミスターグレイが体外に出れば元の人間に戻れるわけだ。

モーガン・フリーマン演じる25年エイリアンと闘ってきて発狂したカーティス大佐が、ジョンジーに乗り移ったエイリアンを追い詰めてやってきたオーウェン・アンダーヒル将校とヘンリー・デブリン博士そして白血病をおして合流したダディッツにヘリで襲い掛かる。
大佐は住民もエイリアンも皆殺しにして始末する計画であり、自分の思い通りに動かぬ者は誰であろうと許さないのだ。
最後はスリリングなシーンで畳み掛ける。
ジョンジーは水源に一匹のヘビ状のエイリアンを投げ込むことで水を通して全ての人間を感染させる計画であった。
(これをすでにダディッツは見抜いていたのだ)。
カーティス大佐とアンダーヒル将校は相討ちになり、最後はジョンジーの体から出たミスターグレイとダディッツとの対決となる。
何とこの時、ダディッツも宇宙人であることが分かり、異形のもの同士の壮絶な闘いの末、双方もろとも爆発して消える。
とても面白いありそうでない印象的なシーンであった。
しかも最後に水に放り込まれる直前で仕留めたエイリアンの体内から転げ出た卵から孵化した幼体が水源に落ちそうになったところを自分に戻ったジョンジーが気づいて踏み潰す。
終始、かなりのテンションでもっていかれる映画であった。


IT イット』はともかく「キャリー」、「シャイニング」、「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」、「ミスト」など彼の作品で映画化されたものはどれも傑作揃いであることに、いまさらながら唸る。それにしても凄い。
これも癖は強いが、そこに並ぶ作品に違いない。





ファースト・マン

First Man001

First Man
2018年
アメリカ

デイミアン・チャゼル監督
ジョシュ・シンガー脚本
ジェームズ・R・ハンセン『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生』
ジャスティン・ハーウィッツ音楽
リヌス・サンドグレン撮影

ライアン・ゴズリング、、、ニール・アームストロング(ジェミニ8号・アポロ11号の船長)
クレア・フォイ、、、ジャネット・アームストロング(ニールの妻)
ジェイソン・クラーク、、、エド・ホワイト(アメリカ人初の宇宙遊泳をしたニールの友人。アポロ1号で事故死)
カイル・チャンドラー、、、ディーク・ストレイン(元テストパイロット兼エンジニア)
コリー・ストール、、、バズ・オルドリン(アポロ11号のパイロット)
クリストファー・アボット、、、デイヴ・スコット(ジェミニ8号のパイロット)
キアラン・ハインズ、、、ボブ・ギルルース(NASAのファースト・ディレクター)
パトリック・フュジット、、、エリオット・シー(ニールの友人。フライトテストエンジニア)
ルーカス・ハース、、、マイケル・コリンズ(アポロ11号の司令モジュールのパイロット)


デイミアン・チャゼル監督、あの大ヒット作『ラ・ラ・ランド』に続きライアン・ゴズリングとのタッグである。
ライアンは「ブレードランナー2049」の主役でもある。
監督の方は『セッション』も凄かったが、『10 クローバーフィールド・レーン』も撮っている。
それぞれ全く違う作り方だ。とても幅が広い監督だと思う。

この映画は、エンターテイメントな観易さを一切狙わない。
あくまでもドキュメンタリータッチでニール・アームストロングの目線で描き尽くす。
(ライアン・ゴズリングが寡黙で内省的な彼になりきっている)。
誰一人過剰な演技はしない。
大変リアルで(コクピット内などの)臨場感は半端ではない。
X-15の飛行実験など過酷さが直接伝わって来る(気がする)。
何と言うかドキュメントを新たに撮り直したような感覚だ。
宇宙空間の、光か漆黒かという過酷な光景が続いたところで、眼前に露わになった月面には、はハッとした。
寂寞感もよく出ている。そして地平線上に浮かぶ地球。そりゃあ世界観も揺らぐはず。

星条旗を立てるシーンが無かったとか(旗の立っているシーンはあったが)、ライアン・ゴズリングはアメリカ人ではないとか皮相なナショナリズムを喚起するところはあったらしいが。
ともかく、ソ連に宇宙では、アメリカはそれまで連戦連敗を喫し、何とか一矢報いる目的で多額の予算を投入したアポロ計画であることは間違いない。税金をそんなことに使うのか、という批判はかなりのものであったのは事実である。

終始ニール・アームストロングの視座で描かれる。
彼の内面が感じ取れる。
常に死と隣り合わせの生であった。
X-15では、命からがらに帰還することになるし、最愛の娘には2歳で先立たれ、これがある意味彼の人生観や仕事の目的を決定したように思われる。
そして仲の良かった同僚の相次ぐ死。
特にアポロ1号の悲劇は衝撃的であった(わたしたちにとっても)。
エド・ホワイトは隣人でもあり、アームストロング家が火災になった時、駆け付けて家族を助けてくれた友人ではないか。
(この際、夭折した娘カレンの写真、遺品など全てが焼失してしまったらしい)。
こういった経験が人格に与える影響は小さくはないだろう。

ニールが寡黙な分、映画も実に寡黙に淡々と進む。
船内の暗く冷たく荒涼とした光景。激しい振動。思わぬトラブル。制御出来なくなった際のジェミニ8号など生きた心地ではなかった。だが、彼は冷静沈着に幾度となく危機を脱する(映画を観た範囲でも3回は死んでいてもおかしくはない)。
カレンを失ってから、彼はアポロ計画にのめり込む。
月面に降り立ち、地球上の誰もが聴いたあの名言を吐いた後の、例の「空白の10分間」がひっそりと描写されている。
脳幹腫瘍で他界した長女の腕輪を彼はそっと谷に投げ入れる。
そのころバズ・オルドリンは陽気にピョンピョン弾みながらかなり遠くまで散歩に出ていた。

ちなみに、2人が月面で作業などをしてる間、月周回軌道上で司令船の操縦や月面の写真を撮影していたマイケル・コリンズは、彼らがトラブルで司令船まで戻れないときは、独りで地球に帰還することも任務として与えられていた。その恐怖も抱えていた。
ちょっとしたやりとり、おい、食べ物どうだ、ガム持って行くか、などにその辺の気持ちも窺える。


紛れもない傑作である。




画像に集中するには、この吹き替え版が好ましく思われた。


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少女椿

syoujyotsubaki001.jpg

TORICO 監督・脚本
丸尾末広『少女椿』原作
黒石ひとみ 音楽
佐々木健一 美術

中村里砂、、、みどり
風間俊介、、、ワンダー正光
森野美咲、、、紅悦
武瑠(SuG)、、、カナブン
佐伯大地、、、鞭棄
深水元基、、、赤座
中谷彰宏、、、嵐鯉治郎
鳥居みゆき、、、みどりの母親


丸尾末広の漫画は過去に幾つか見ているが、これは知らなかった。
しかし映画と漫画である。全く別の独立した表現芸術として成り立っているものである。
いちいち原作をうかがう必要はあるまい。

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中村里砂が中村雅俊と五十嵐淳子夫妻の三女だそうだ。驚いた。確かに綺麗で大きな目がキリっとしておりお母さん似か。
この映画がデビュー作だそうだ。
かつてわたしの同僚で、その人の趣味をディスプレーするHPをわたしが製作したこともあるのだが、五十嵐淳子さんと何度も一緒にPTAの仕事をしたことがあると言っていたのを思い出す。
娘さんが同じ学校の同学年の関係からのようだ。もっと上の娘さんだと思うが(長女あたりか)。
懐かしい。ババールの収集家である。


女性監督のようだ。如何にも女性が撮ったという感じはしなかった。
実写でありながらアニメーションも挿入されており、それが効果的であったかどうか、今一つピンとこない。
実写自体がアニメっぽい感じはする。
これならもっと様式美を狙って印象強く単純化を図り、極彩色など使ってもよかったかも。
色(美術)がその環境作りをどれだけできるかでも決まって来るはず。
アニメを時折入れるのなら実写をもっとアニメ化した方が良かった気がする。
丸尾末広の世界観を表すのなら、おどろおどろしさ、やグロテスクさは生半可なものでは済まない。
それから「昭和」ではなかろうか。あまりそういった感じもなかった。
その辺、果敢に攻めるしかないだろう。

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キャラクターは原作を知らないので分からないが、みどりとワンダー正光、座長の嵐鯉治郎はよかったが、後はあまりしっくりこなかった。カナブンは女優がやった方がピッタリくると思う。
ワンダー正光は所謂役者の演技だった。とても豊かな歪んだ愛情がたっぷりと表現されていた。
みどりとコンビの演技は哀愁があって光った。
みどりは、幼さがよく表現されていたと思う。
この先の精神的な成長も想わせる流れも彼女の演技に感じた。

しかし脚本・演出が何とも弱く、雰囲気からしてしっかりした形が見えない。
見世物小屋?サーカス?よく分からぬが、建物~空間の佇まいも、それぞれの団員が芸を披露する様子もない。みどりもワンダー正光の横にたつだけなのか?
芸の場面なしに話を進めるのは無理があり過ぎる。
ワンダー正光の瓶に入る芸は見事だがそれだけ。気持ち悪いと客に言われてキレるところまではよしとしてその後の人を念力で殺しにかかる場面はちょっとしょぼい。かなりチープなVFXが目につく。
そうしたところは幾つもある。
みどりがいびられ暴力を振るわれるシーンも今一つ迫力がない。
みどりが女優に引き抜かれて、ゴージャスな生活をしているところはもっと描写しても良いのでは。
変化の振れ幅はあった方がダイナミックな見応えを生むし。
ワンダー正光との揺れ動く関係の有様は描かれてはいるが、もう少し深く描き込んだ方が、彼が魔法力を彼女の為に使い過ぎて最後に力尽き倒れて死んでしまう場面のインパクトを強め物語も締まると思うのだが。
このふたりの人間関係は骨子に据えるものであろう。

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恐らく(見るからに)低予算での製作であったことは分かるが、しっかりしたコンセプト、原作の読み込みがあれば、それなりの感動を生むものが出来ていたと思う。
インタビューを少し見たのだが、若者層をターゲットとして統計を取って作品作りをしたとか答えていた。
あ~なるほど、と思った。
間があると退屈するからアニメシーンを挟んだのだという。
そういうレベルか。

ものをつくる以前の問題だ。
(中村里砂さんには、次回は良い映画、というより「映画」に出てもらいたい)。

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監督はファッションデザイナーで、中村里砂とは以前からのお友達らしい。
それで主演を頼まれたのか。確かに綺麗で可愛らしいが、いきなりこれでデビューというのは、如何なものか?
YOUTUBEで「少女椿」のアニメーションをやっているとのこと。
こっちの方は観てみたい。




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20世紀少年 ぼくらの旗

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3: Redemption

堤幸彦 監督
長崎尚志、浦沢直樹 脚本
浦沢直樹『20世紀少年』原作

第1章、第2章のメンバーに加え、、、

高橋幸宏、、、ビリー(ベーシスト)
福田麻由子、、、磯乃サナエ
広田亮平、、、カツオ
武蔵、、、厳道館師範代
高嶋政伸、田村淳、、、地球防衛軍隊員
コンサートの客、、、吉田照美、原口あきまさ、斎藤工、左右田一平


よく、これだけの有名俳優やミュージシャンやタレントを集めたものだと感心するが無駄使いみたいにも思える。
「ぼくらの旗」というほど、この旗(のイメージ)を取り戻すこと自体に力点が置かれているようには見えなかったが、、、。
しかしこの最終章はとっても面白かった。よく出来ていた。感動もしてしまった。
昨日の第2章が単に説明的であったのに対し、これは感情的に共感できる映画となっていた。
脚本が1章とこの章は、原作者が加わっている。その差か。
平愛梨と豊川悦司がやたらとカッコよく、パワー全開している感じであった。


子供騙しのSFみたいだと映画の中でも謂っていたが、そんな荒唐無稽な世界も簡単に信じ込んでしまい、突飛な偶像をどこまでも高く掲げてそれに依存し思考停止してしまう傾向をヒトは強く持っていることは否めない。そのコインの裏面に当たる自分たちとは異質な存在感の薄いヒトを差別、迫害しやがて無視しているうちにその存在自体を忘れ去ってしまうこともあるのだ。これは考えてみれば恐ろしい。何れも集団心理の属性である。ここで集団の上層にいる者は、虐げられている者の抱える気持ちなどに全く無頓着である。理解など及ぶべくもない。しかし、子供時代のこの関係が二十世紀少年~ともだちを生み出した。

ヤン坊、マー坊(佐野史郎)が子供の頃のようにまた太っており、面白かった。
「ともだち暦3年」の話である。
「世界大統領」というのになってしまっているともだち。
東京には巨大な壁が作られ、前章で防毒マスクのセールスマンたちが振り撒いた細菌兵器で荒廃した地を隔離していた。

ともだちは、気球から「8月20日」に宇宙人がUFOで来襲して極めて強力な細菌を振り撒き、世界が終わるとアナウンスする。
1章では、時間の関係でハリボテ風船ロボットだったものが、しっかり二足歩行できる巨大ロボットに完成された。
しかもそのロボットには中性子爆弾が積まれており、ともだちのリモコン操作により爆破する仕掛けであった。
敷島博士によって作られたものだが、彼はUFOを撃ち落とすための武器も製作していた。

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ともだちの部下、幹部たちも、やりすぎのともだちに心は離反する者が増えていた。
粛清される者も沢山出て、世界は滅びるという予言から、ともだち配下の者も一般人も、誰もが戦々恐々としている状況である。
そして、これまではわたしについてくるものは命は救われると繰り返していたのだが、実は一連の大量殺戮と救済劇は全て自作自演であり8月20日には全員滅ぼすとハッキリ真実を告げる。
これで、人々は頼るところを失い動揺し始める。

ヨシツネは、反政府組織ゲンジ一派のリーダーとして反政府活動の支援をし、カンナは武装蜂起でともだちを倒すことを掲げる氷の女王一派を率いていた。
そんななかで、ラジオから叔父のケンヂの歌が流れてくる。
生きていることを仲間たちは知る。
これでカンナやショーグンたちは勢いづく。
カンナは、捕えらえた際、実の父であるともだちとふたりきりで語り合う機会をもつ。
この時、彼を銃で撃とうとするが、それは出来ない。撃てばどうにかなるという考えは浅はかであったことを認識する。

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春波夫の付き人として身を隠していたマルオは、(ケンヂの姉の科学者)キリコの潜伏先を突き止める。
そこで、蕎麦職人として逃亡を図っていたケロヨンとも再会する。
ふたりは、キリコが自分を実験媒体として、ともだちが使用する新しい細菌兵器を無効にするワクチンを開発する様子をずっと眺めることになる。その実験は成功しワクチンが完成を見る。その生産がどうなったかは分からないが、巷で品薄のようだった。


いよいよ当日が来る。ともだちは、計画通りUFOを飛ばし、東京中に細菌を振り撒き多くの人々を虐殺してゆく。ともだちの配下の者も一般人も見境なく虐殺して行く。二足歩行の中性子爆弾内臓の巨大ロボットも地下工場から姿を現し歩き出す。中にはお面を被ったヨシツネが乗っていた。しかしヨシツネはともだちを止めようとして近づいた関係であり、本当のともだちはその後に現れる。
2機のUFOはショーグンとスナイパーをしていた田村マサオがともだちを裏切り片付ける。
ともだちは彼らがフクベエと呼んでいた男だった。彼はみんながフクベエだと勘違いしたのを利用しフクベエに成りすましていた。
ビルから墜落死したかに見せかけていたのだ。
しかし実際に彼が誰なのか、素顔を見ても分からなかったというのは、恐るべきことである。
そのフクベエは、かつての忠臣、万丈目に撃ち殺される。

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ともだちがあそこだけは守ると言っていた万博広場にカンナは出来る限り人を集めた。
そこでコンサートを開くのだ。
披露する曲は、地下でヒットを続け人々の心を支えていたケンヂの曲である。
会場には想像を遥かに超える人々が集結し、ともだちからケンヂに乗り換えたようであった(どうしても偶像に頼りたいのだ)。
巨大ロボットを止め、ともだちの死を確認してから彼は会場に駆けつけ、このステージに上がる。
彼は熱狂的に彼を迎える聴衆に向け、俺は君たちの考えるような男じゃない。ただの人間だと断ることを忘れない。
そして地球滅亡の危機は去った事を宣言し、仲間との再会を喜び噛み締める。

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ヨシツネはお面を被って虐めを受けた経験から、子供時代にお面を被り皆から酷い目にあっていた彼の気持ちが理解できた。
「ともだち」はおれたちが作ってしまった、と彼は分析する。
しかし、ケンヂはおれが作ったんだ。と言い、ともだちランドからバーチャル空間へ飛ぶ。
そこで少年時代の仮面をかぶった子が万引きをして咎められた件の濡れ衣を晴らす。
そして中学時代にお面を被った生徒が屋上から飛び降り自殺を図ろうとするとき、T.Rex「20センチュリー・ボーイ」を校内放送で流し、それを聴いた彼は自殺を思いとどまる。ケンヂは彼とともだちになることを了承するが、お面を外せという。
彼は迷うが結局外す。彼はフクベエではなく、かつまたであった。
万引き事件の日から彼はみんなから無視されるようになり、存在自体ないモノとされた。死んだものとされた。
実際に子供時代に死んだのはフクベエだったのに、その存在感のなさ~存在の否定から、かつまたが死んだことにされたのだ。
そして誰一人、その状況を疑う者がいなかった。
更に万引きをしたのは、ケンヂであった。ここで、彼は駄菓子屋の店主に自首してしっかり詫びる。そしてかつまたにも謝る。
この構造を作ってしまったことに。
彼とケンヂは、レノン=マッカートニーみたいなロックを一緒にやろうと屋上で約束する。
ケンヂの脳内バーチャル空間で。

虚しい。
起きてしまったことは、もうどうにもならない。
ヒトは後悔しないように生きるしかない。






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20世紀少年 最後の希望

The Last Hope001

2:The Last Hope
2009年

堤幸彦 監督
長崎尚志、渡辺雄介 脚本
浦沢直樹『21世紀少年』原作

昨日の第一章のメンバーに加え、、、以下のメンバーが加わる

藤木直人、、、蝶野将平(チョーさんの孫の刑事)
小池栄子、、、高須(ともだち幹部)
木南晴夏、、、小泉響子(カンナのクラスメイト)
小日向文世、、、山根昭夫(ともだちの友達、裏切る)
森山未來、、、漫画家(オッチョ~ショウグンの子分)
ユースケ・サンタマリア、、、佐田清志(ともだちを裏切る英語教師)
六平直政、、、仁谷神父(カンナの相談役)
陳昭榮、、、中国マフィア・王(カンナのファン)
Samat Sangsangium、、、タイマフィア・チャイポン(カンナのファン)
前田健、、、マライア(ニューハーフ)
荒木宏文、、、ブリトニー(ともだちから脱走したニューハーフ)
佐藤二朗、、、殺し屋巡査
徳光和夫、、、万博司会者
小松政夫、、、珍宝楼の店主・珍(カンナのアルバイト先)
西村雅彦、、、七龍の店主(カンナがラーメンを食べる)
古田新太、、、春波夫(万博テーマソング歌手)


佐田清志(サダキヨ)がトヨタ2000GTに乗っていた。
そこには鉄人28号までぶら下がっているではないか。
何と趣味が良いのだ。
わたしも乗ってみたい車だ。
サダキヨの再現した「ともだち」の家というのも昭和オタク記念館みたいで趣きがあって良い。
サダキヨに絶交だと叫び彼の粛清に向おうとしたともだち配下が、サダキヨが火をつけ燃えてゆくハウスを見て絶叫して惜しがっていた。そりゃそうだろう。保存した方が良いに決まっているが、ギャグコメディーみたいに見える。

確かにギャグめいてきた。それは良いのだが、どうにも乗れなくなって来た。
その大きな理由は、「ともだち」が何故これほどまでに強大な支配力を得たのかが全く分からない為である。
大衆のみならず海外の人々や各国要人たちをどのように洗脳していったのか、その過程が全く描かれていないために、いきなりローマ法王とともだちになったとかそんな場面を前提に進められても全くついて行けない。

確かに第1章で、選挙にも出て政界に進出する姿勢を見せてはいたが、ここには途方もない飛躍があり、ともだちの実績も人々を引き付けるカリスマ性などの魅力も何も描かれぬままにほぼ世界の偉人扱いがされている。あり得ない。
普通に見てきて、この組織に何らかの魅力も凄さも感じられず、構成員はまるでショッカーの人々みたいで、ギャグにしか見えない。
特に佐藤二朗の巡査が出てくる場面はコメディ性が強まりほとんどギャグの世界になってしまう。
このような政党が出ても、とてもオーム真理教ほどの求心力も持てないはずである。
このどうにも間の抜けた空虚な熱狂ぶりに、説得力など微塵もない。ギャグにもならない。白けるだけ。距離が大分できる。
少なくともわたしは、ともだちに何の魅力も憤りも覚えない。それ以前に存在感が余りに薄い。
あのマスクもそうだが、フィギュアにインパクトがなさすぎる。
その意味ではヒトラーの対極にある。やっていることは大量虐殺でも。

The Last Hope002

ただ、こういう筋であるからそのように描いたとでもいうかのようにその線で進んでゆく。
原作は充分なページをさいてこちらを納得させる情報を提供しているのだろうか。
魅力的な人物は、それなりに出てくるのだが、如何せん肉付けが足りない。
感情移入の出来るのは、カンナとヨシツネ、ショーグン(オッチョ)くらいか。
ともだちは、いつまでも謎にし過ぎて薄っぺらい存在でしかない。
ヤマネとサダキヨもとても薄くてペラペラ。

それから、カンナが(神の子であっても)警察やともだち教団からも徹底してマークされているはずなのだが、その割には自由に交通している。
大概、クライムものなら何処に潜伏しようがどういうルートをどんな交通機関でどのように取ろうが突き止められその都度ドンパチ始まったりするものだが、これにはほとんどない。田村マサオが唯一、要所要所で狙撃しては来るが。蝶野将平は存在自体があやふやなもので、こんな抽象的なキャラは置かない方がよい。ニューハーフもかなり邪魔な気がする。そもそもこの辺のエピソードは何なのか?大幅に削除してもっと濃く描くべきもの~ところを描かないと(物語の骨子に関わる部分を)。

The Last Hope003

やはり物語上一方の柱である「ともだち」が薄いと物語が成り立たない。
ワザとサダキヨに「ともだち」(マスクをしているから誰でもなれる)を撃たせても、それで本人が死んだのかどうかなど分からぬではないか。単に教団の演出で新宿を通って計算通りに(替え玉を)暗殺させたにしても、あのスカスカ感はない。そして万博の開催初日のセレモニーで世界各国に生中継のなかで生き返り、神となるなどというバカげた芝居に引っ掛かる人間がそもそもいるはずもない。
この場面は酷かった。いや全体に余りに現実味がない。荒唐無稽なファンタジーでも、もっとその文脈の上でのリアリティはしっかりあるものだ。

この第2章、カンナやヨシツネ、ショーグンが頑張っていたが、共感できるようなところは、少なかった。
ほとんどのキャストは良く、特にカンナ、ショーグンは絵になっていたのだが、この描き方では活きてこない。
小泉響子も面白いキャラで、流れと共にどう変わって行くか噛んで来るのかとちょっと期待したが尻つぼみで終わった。
昭和テイストやそれに対するオマージュも分かることは分かるが、弱い。
どうやら最後の最後で、ケンヂが生きているらしいことは見てとれる、、、。

The Last Hope004


最終章も観てはみるつもりだが、モチベーションは低い。






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20世紀少年 終わりの始まり

Beginning of the End001

Twentieth Century Boys
1: Beginning of the End
2008年

堤幸彦 監督
長崎尚志、福田靖 脚本
浦沢直樹『20世紀少年』原作


唐沢寿明、、、ケンヂ(元ロックギタリスト)
豊川悦司、、、オッチョ(ケンヂの幼馴染)
常盤貴子、、、ユキジ(ケンヂの幼馴染)
畠山彩奈、平愛梨、、、カンナ(キリコの娘)
香川照之、、、ヨシツネ(ケンヂの幼馴染)
石塚英彦、、、マルオ(ケンヂの幼馴染)
佐々木蔵之介、、、フクベエ(ケンヂの幼馴染)
石橋蓮司、、、万丈目(ともだち教団幹部)
中村嘉葎雄、、、神様(ホームレス、ケンヂの仲間)
黒木瞳、、、キリコ(ケンヂの姉)
光石研、、、ヤマさん(刑事)
井浦新、、、田村マサオ(ともだち教団暗殺者)
片瀬那奈、、、敷島ミカ(敷島博士の娘)
宇梶剛士、、、モンちゃん(ケンヂの幼馴染)
佐野史郎、、、ヤン坊、マー坊(二役、ケンヂの幼馴染のいじめっ子)
竹中直人、、、ピエール一文字(新興宗教の教祖)
遠藤憲一、、、深手を負った「ともだち」教団からの逃亡者
吉行和子、、、諸星壇の母
津田寛治、、、諸星壇
石井トミコ、、、ケンヂの母
竜雷太、、、チョーさん(定年退職を控えた刑事)

その他、、、まだ有名人は出てくる。
誰が何役とか書いていたら、それだけで疲れそう。

豪華キャストをこれでもかという感じで使っている。
例の如く原作は未読。
これは3章のなかの第1章に当たる物語。
以前、とても話題になっていたことは知っているが、話題作が嫌いなわたしは、今になって観てみようかと思った次第。


1997年と2000年について描かれ、彼ら登場人物たちの子供時代1969年についても何度も回想シーンが入る。
謎と記憶と不思議と陰謀に友情が加わり、世界を俺達で救うおうという話が、T.Rex「20センチュリー・ボーイ」(まさにテーマソングか)のグラムロックサウンドの勢いで一気に最後までもつれこむ。
どうやら少年たちのワクワクときめく秘密基地で作ったお話~「よげんしょ」を元にした事件が彼らが大人になった時代にそのままの形で実行されてしまう。しかも彼らの結束の印として作ったマークまで、そのまま使われている。

細菌兵器、羽田空港・国会議事堂の爆破、世界同時多発テロの発生、巨大ロボットが都市を襲い、人類は破滅に向かう。そこへ人類を救うためにヒーローが立ち上がるというありきたりな他愛もない噺なのだが。
まさか?という荒唐無稽な流れで、次々に自分たちの作った予言書通りに事が運ぶことになるに及び黙って見ていられなくなる。
子供時代の大切な思い出が悪夢となってしまったのだ。
そして預かっている姉の娘を彼らが奪いにやって来て、実家のコンビニまで焼かれてしまう。
それを企て実行に移している組織が「ともだち」という。
だが、そのテロを起こしている犯人はケンヂ一派とされ指名手配を受け追われる羽目となる。警察も「ともだち」に丸め込まれていたのだ。

その「ともだち」の首謀者はケンヂと少年時代に関りをもった人物のようだが、それが誰なのかハッキリ分からない。
彼は「忍者ハットリくん」のお面をつけているのだ。(ケンヂの思い出の中の少年時代にもそのお面をつけている少年がいたのだが)。丁度アノニマスのお面のようだ。
一体何のためにそんなことをするのか。
ただし、ケンヂに危険を知らせて来た彼らの大事な幼馴染が殺され、その他にも多くの死傷者を出している。
これは自分たちがかつて描いたシナリオであり、悪夢を振り払うためにもこの暴挙を止めなければならないという決心のもとに秘密基地仲間が集まり行動を開始する。
この流れは途切れたり弛むことなく何だか子供のごっこ遊びみたいなテンポで楽しく展開するのだ。

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ともかくホントの素人7人の幼馴染の集まりで、細菌兵器を使い世界同時多発テロや空港爆破、選挙戦などを組織的に繰り広げるような相手と闘う。その相手もその素人集団に対して遊び~世界征服を仕掛けているのだ。
目的は遊びである。世界征服ごっこであろう。
子供のお遊びの拡張版である。
何と贅沢な遊びだ。
限度を遥かに超えた途方もない遊びだ。
一体これは何なのか?
それを知るには、第2章、第3章を見る必要があるようだ。


ハッキリ言ってこの1章では、何も分からない。
そして終盤、ケンヂは巨大ハリボテ風船ロボットに自分で仕掛けた爆薬で爆死してしまった様子。
(フクベエもロボットを操縦していると思っていた男とビル屋上から絡み合って落下死する)。

最後に大きくなったカンナがゲリラ活動をして警察に追われているところが描かれる。
次を観るしかあるまい。






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こぼれる月

MOON OVERFLOWING001

MOON OVERFLOWING
2002年

坂牧良太 監督・脚本

河本賢二 、、、高(強迫神経症)
目黒真希 、、、あかね(高の彼女、やはり神経症)
岡元夕紀子 、、、千鶴(不安神経症)
岡野幸裕 、、、ゆたか(依存性、拘りの強い粘着気質の青年)
田島令子 、、、千鶴の母


ドキュメンタリーで描いた方がインパクトがあったのでは。、、。
というのも、理解度不足からくるあやふやな(おどろおどろしい)創作が入ってしまうと、病気~障害の誤解に繋がってしまう。
当人に出演してもらうこと自体が難しいところはあると思うが(治った人ならまだしも)。
その内的体験・衝動・感覚(苦痛)をどう伝えるか(描くか)である。実際その病をそれとして対象化するには、やはりいままさにその状況にある人には無理であろう。
かつて、わたしはその症状に苦しみました、と過去形で言える人の協力、出演の方が説得力は増すはず。
ドキュメンタリーの方が正確で力がある、と思う。
役者が演技しているということが、何かと引っかかった。
こぼれる月というほどの詩情も感じないし、あまりリアルにも思えないのだ。演技が上手い下手ではなく。こうした創作自体。

MOON OVERFLOWING002

わたしも身体が自分のものではない、乖離感に悩まされた時期がある。
それはまさに身体感覚としてであり、今現在の「場所」からその状態の記述~解説は困難なものとなっている。
その時の記憶は残っているが、(身体)感覚がきれいにない。
今考えると自分が自分の主ではなく、他者によって操られる、乗っ取られた感覚に近いものであった。
それはまた、あらゆる客観的な(外部の)法など、全くどうでもよいものという前提によっている(ここは今でも変わらないが)。
つまりそれくらいに第一義的であり、根源的で原初的な、そして代替不可能な(還元不能な)欲動そのものだったのだ。
だからと言って、それを本当の自分の姿、自分の真に望むもの~ことかと言えば、もはや自分がどうのという次元のものではない。
これについては、また改めて別の機会に考えたい(今日は全くそういった気分ではないので)。

本人が家に籠ってしまうことも、外には出せないケースもあることが分かる。
恐ろしいからだ。そして危険だから。保護するしかない。
わたしは、現在仕事を退き、基本的に家事(特にお料理)をやっているが、ほとんど家を出れない。
普通、これは精神的にキツイ。大変閉塞感を感じ煮詰まってくる。
部屋に籠っているということは、少なくとも自然ではない。清々しい天気の日や月の綺麗な夜など、、、。
(わたしは雨の日の散歩も好きなのだ)。
それでもなお、中に籠った方が安らぐとすれば、スイッチが入る事への恐怖があるからだ。
(強迫神経症については、場所は何も関係ないか)。
儀式がともかくやめられない。
分かっちゃいるけどやめられないことは誰にでもある。
これは、大目に見るしかあるまい。
時間を少し浪費するくらいのものだ。と思うしかない。

映画では、その病気とうまく付き合って行くようにと、担当医から言われていたが、薬をずっと飲み続けて症状を緩和する以外の方法を模索する必要はあろう。
つまり苦痛からの解放である。
ひとつは、自分をこのように在らしめた原因とその構造を突き止めることに他ならない。
それが出発点だと考える。すくなくともわたしの場合、そうであった。


度々ある顔~表情アップが邪魔に思える。
どうも構図も落ち着かない。
必要以上に暗すぎる場面がストレスになる。
水がやたらと零れていたが、それが何だというところ。
まさか、これがこぼれる月にかかるのか、、、ってどうでもよい。
わたしには、全く引っかかりがなかった。

この映画がこうした人~他者に対する関わり方の考慮に役立つのならひとつ意味はあると思うが、どうであろう。
自分たちとの違いを単に差別(弾圧)の対象としか見なかったり、質の悪い者はそこに自分の内面(劣情)を無意識に投影して、攻撃してきたりもするものだ(爆。
よくって自分もこういうことで悩み医者にも通ったとかいう人が感慨に耽る感じで終わる気がする。


鉄道員

Il Ferroviere004

Il Ferroviere
1956年

イタリア

ピエトロ・ジェルミ監督・脚本
カルロ・ルスティケリ音楽

ピエトロ・ジェルミ 、、、アンドレア・マルコッチ(鉄道機関士)
エドアルド・ネヴォラ 、、、サンドロ(末っ子)
ルイザ・デラ・ノーチェ 、、、サーラ(妻)
シルヴァ・コシナ 、、、ジュリア(長女)
サロ・ウルツィ 、、、リヴェラーニ(アンドレアの親友)
カルロ・ジュフレ 、、、レナート(ジュリアの夫)
レナート・スペツィアリ 、、、マルチェロ(長男)


いつものように、BSから入っていたその名は知っている名作映画。
「鉄道員」を誇りにしている父親をいつも尊敬の眼で観ているサンドロという幼い息子の目を通して語られる戦後イタリア庶民の一家族の生活模様~ドラマ。

きっといつかどこかにあった家族のドラマだ。そう想う。
わたしからは、とても遠い世界の出来事なのだが、、、。
勿論、感情移入も可能なところだが、「家庭」とか「家族」に何の価値も魅力も見いだせない身としては、別世界の愛おしい人々の営みの光景に見える。それこそパラレルワールドの。
そうだ無数にある諸地球の何処かでの、味わい深い人情模様だ。

Il Ferroviere001

物語が始まった時点で、酒飲みだが厳格で不器用な父の下、母と末っ子はそれでも信頼感を保ち暮らしているが、長男は賭け事に興じ定職に就かず、長女は流産して、何やら不穏な空気に包まれている。
末っ子のサンドロは、溌溂としたしっかりとした子で、周りの大人をとても冷静に観察している。
空気を読み、何か問題があったことも的確に察知して、様子を窺っている利発な子だ。
まさに語り部に相応しい。
やはりパパが好きで、父親を中心に物語られてゆく。
また、この家族をまとめているのは他ならぬ母である。
とても優しい母なのだ。この母は家族の誰とも親和的関係が常に保たれている。これは凄いことだ。
お父さんは流石にこうは、いかない。権威をつい振りかざしてしまう。それが普通の時代でもあったか。

Il Ferroviere002

父権に対する長男、長女の反抗が大きくなり、末っ子は覗き見しながら戸惑いつつ人生を学ぶ。
彼は「内緒と言われたんだけど」と断って洗いざらい父や母に報告する。
この関係の透明度が良い。
結局、この表向きは伏せておいてバイアスで真相が伝えられる回路がお互いの顔を立てて分かり合える良い方法となったようだ。
やはりこの家族、末っ子が機能しないとそれこそバラバラになったまま崩壊しかねない。
この子とパパのよく出来た親友リヴェラーニとの繋がりがまた理想的である。
この関係が外部からこの家族の分解を和らげ抑えていた。
そしてリヴェラーニとカフェのマスター他友人たちの器の大きいこと。暖かいこと。
何と言うか日本でいえばかつて存在した下町人情であるか。

Il Ferroviere003

父は特急の機関士であったが、カーブの視界を利用し自殺を企てた若者を轢いてしまい心を痛める。それを気にして赤信号に気づかず危うく大事故を引き起こしそうになり、小さな路線の汽車に移動させられてしまう。表向きと違い、繊細な神経を持ちこれまでも多くの困難を酒で紛らわせて家族の為に身を粉にして働いて来たのだ。

酒が元で体を壊して倒れ、絶対安静の日々が続いたが、クリスマスの夜気分が高揚して訪れるかつての友と共に楽しい時を過ごす。
そこには家を出て行った息子も戻り、やはり家を出て独り暮らしをしていた娘からも一度別れた相手と一緒に帰ると電話がかかって来る。
得意のギターを弾いて唄い、これほど良いクリスマスの夜はなかったとしみじみ語り、妻にセレナーデを弾いて聴かせる。
その音色のふいに途切れた時に、彼はこと切れる。
暫くは妻も帰って来た娘も気づかなかった。その顔がにこやかに眠っている様だったために。


暫く後、末っ子は、マルコッチ!と友達に呼ばれ更に快活に頼もしさが増した様子で学校に向かう。もうサンドロではないのだ。
長男はすっきり吹っ切れた様子で立派に仕事に就いていた。

、、、かつて、はっきりと存在した家族のドラマとして感慨深いものであった。






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