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犬神家の一族

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1976年
市川崑 監督
横溝正史 原作
小杉太一郎 箏曲「双輪」作曲

石坂浩二 、、、金田一耕助
島田陽子 、、、野々宮珠世
高峰三枝子 、、、犬神松子
三条美紀 、、、犬神竹子
草笛光子 、、、犬神梅子
あおい輝彦 、、、犬神佐清/青沼静馬
地井武男 、、、犬神佐武
坂口良子 、、、那須ホテルの女中・はる
小沢栄太郎 、、、古館恭三弁護士
加藤武 、、、橘警察署長
大滝秀治 、、、大山神官
寺田稔 、、、猿蔵
岸田今日子 、、、琴の師匠
三国連太郎 、、、神佐兵衛
川口晶 、、、犬神小夜子
川口恒 、、、犬神佐智
金田龍之介 、、、犬神寅之助
小林昭二 、、、犬神幸吉


今日は画家の噺でもと、思っていたらタイムリーにこれがBSで入っていた。
「犬神家の一族」は、”無責任シリーズ”と共に、観たいと思っていた映画であったので丁度よかった。
石坂浩二主演による”金田一耕助シリーズ”の第1弾となる。
(無責任シリーズに一族シリーズともに大ヒットした)。
お釜帽とトランクと絣の単衣の着物と羽織によれよれの袴で、ぼさぼさ頭と飄々としたスタイルは最初から確立されていたようだ。
(フケ症はちょっとやり過ぎかなとも思う)。
「わたしが全部作ったの。何が一番美味しかった?」(はる)と聞かれて普通に「生卵」と答えるところなどよい。
そして何より若い。走る姿も軽快だ。
(ちなみに、中原中也がお釜帽を好んで被っていたみたいだ、、、写真を見ても)。

他のキャストも豪華な顔ぶれである。
所謂、オールスターキャストというものか。三国連太郎があまりに勿体ない使われ方であったが。
島田陽子や坂口良子は実に瑞々しい煌めきがある。
特に最初の頃、犯人と疑われるなかでの野々宮珠世(島田)の毅然として凛とした姿は美しい。
身の危険もありながら湖の真ん中に単身ボートで出て行き、昼寝をしている余裕も素敵だ。
恐らくこの頃が一番女優としても良い時期だったのでは、、、。
女中・はる(坂口)もとても初々しく金田一に協力を惜しまない気さくで一途な姿に好感をもつ。
ただの女中にしては出番も多く金田一との掛け合いなどで映画のよいアクセントになっている。

そして何より「マスク姿の佐清」と「水面から突き出た足」である。
これは当時、色々な場面で使われたようだ。単なる真似やパロディで。
かなりのインパクトがあったことは想像がつく。
怖くて不気味で面白い。
受けるはずだ。(プールで真似した人が多かったらしい)。

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あくまでも金田一耕助は、探偵であり刑事ではない。
人を捕まえたり裁くことには興味はない。
捕まえるのは、ここでは「よし分かった。奴が犯人だ。」とすぐに早合点する橘警察署長であり、誠に頼りない。
単純で粗暴で暴力的である体制~世間の象徴的存在でもあろう。
ここで、風来坊(アウトサイダー)の彼が見事な推理で風穴を空け、颯爽とというよりそそくさと帰って行く。
(依頼者からのお金の受け取りシーンを丁寧に描くところも面白い)。

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基本、金田一耕助は人受けがよく、知り合う女性からは誰からも好感を持たれ、この物語で強面の猿蔵にも好かれてしまう。
母性本能を刺激するというか、どことなく頼りなげで人懐っこく、誰をも和ませる身体性がある。
そんなパーソナリティであるから、彼にはあなただけには喋りますがと、気を許してペラペラ大事なことまで語ってしまう。
あの口の堅い(自分で謂っている)大山神官でさえ、そうである。
彼が優秀な探偵であるのは、この辺がベースになっているところは大きい。
勿論、事件の謎解きや殺人のトリックを明かすことを無上の喜びとしている結果ではあるが。
(一族の相関関係図をとても丁寧に筆で書いている姿が全てを表している)。


ちなみに、わたしは犬神家の一連の殺人事件の犯人は皆目見当がつかなかった。
犯人が分かった後でも今一つ、実感はなかった。
そこまでやるか?という違和感は残った(爆。
ただ最後に野々宮珠世がしきりに犬神佐清に疑いの目を向けていたのは、彼の事を愛していたからだという事はよく分かった。
そこは成る程、と納得した(笑。


一度見ておいて損はない映画だと思う。
わたしとしては、島田陽子と坂口良子を発見した作品であった。


トイ・ストーリー

Toy Story002

Toy Story
1995年
アメリカ

ジョン・ラセター監督
ランディ・ニューマン音楽

ウッディ(カウボーイ人形)、、、声:唐沢寿明(確かに顔が似ている)。
バズ・ライトイヤー(スペースレンジャー人形)、、、声:所ジョージ
アンディー(ウッディやバズたちオモチャの持ち主の少年)
シド・フィリップス(オモチャを虐める悪ガキ)


もうこれが出てから20年以上経つとは、、、。
風邪をひいている娘と一緒に観たが、未だに古さは感じない。
(娘はモンスターズインクを見たがったが強引にこちらにした。あれはもう何度観たか知れない)。

しかし、、、流石は”Pixar”(Pixar Animation Studios)だ。
iPhoneといいiTunesといい、このPixarといい、スティーブ・ジョブスの慧眼による。
やはり彼の偉大な功績である。


普段、彼らは「おもちゃのルール」に従い、人間が来ればただのオモチャとなり、人気がなくなると生きた魂を持つ存在となる。
(この姿、はっきり言って今のAIロボットなどより1000年進んでいる、、、それ以上か)。
子供時代の一時期、そんな妄想に耽った経験は誰にもあるだろう。
オモチャは子供にとって不気味な何者かでもある。
特に人形は神秘(呪術)的な力もあり、持ち主との心の結びつきは強い。


さてここは、カウボーイ人形のウッディとスペースレンジャー人形のバズの出逢いから友情の芽生えまでのスリリングな物語の展開となる。人間はあくまでも脇であり、彼ら二人を主体とした噺である。
バズがアンディ一家にやって来るまでは、ウッディがオモチャ仲間のまとめ役で、信頼も篤かった。
しかもウッディは持ち主のアンディの寵愛を一心に受けていてその事が彼の誇りとなっていた。
だが、流行の最先端で機能も盛りだくさんの新入りのバズがアンディのお気に入りとなってしまいウッディは穏やかではない。
ウッディは背中の紐を引くと、「銃を捨てろ、手ぇあげな」くらいのものである。(数パタンあるが)。
そして何と言ってもカウボーイである。
バズの方は、アクションボタンでレーザービームを照射したり、翼が開いたり、ヘルメットが開閉したり、、、「無限の彼方へ さあ行くぞ!」(その他いろいろ)である。
ウッディは味があるが古さは隠せない木製の人形。バズはクールな最新のアクション人形である。
ウッディはバズに何かと突っかかる。
お互いに反目し合う。

Toy Story

ただ一つバズにも困った問題があった。
バズは自分が子供のオモチャではなく、本当のスペースレンジャーだと信じ込んでいたのだ。
ウッディがいくら言っても信じない。
成り切っていると、かなりの事が平然と出来てしまう事も分かる。
(空から落ちていても飛んでいるようにカッコつけて舞い降りてきたり、、、ある意味、真理かも知れない)。
ウッディが妬んで絡んできても超然とした態度で跳ね返し、物語通り銀河の平和を守るヒーローの志で行動をとっていた。
だが、アクシデントで窓から落ち、彼はオモチャを残酷な遊びで壊しているシドにウッディ諸共、捕られる。
シドの家のテレビで偶然、自分のCMを見る事で自分が最近売りだし中のオモチャのひとつだという事実を知り、意気消沈してしまう。(オモチャの自己認識の違いとは面白い点を突いたものだ)。
もうそれまでの勢いも何も無い。

ウッディの方は仲間のオモチャたちからは、妬みからワザとバズを窓から突き落とした悪者扱いされ「オモチャ殺し」とまで言われる始末。
ウッディもバズをシドの家から救おうとして二人とも捕まってしまい危機に陥る。
シドは強力なロケットをバズに取り付け空高く飛ばすつもりであった。
何とか助かろうと手を尽くすが、アクシデントもあり追い詰められる。
ウッディがかつての仲間たちに助けを請うも、人望を失っており協力を得られない。

シドの手から逃れ、引っ越しするアンディー一家の車に何とか戻る為に、ウッディとバズは力を合わせ奮闘する。
シドにグロテスクに改造されたオモチャの人形たちもウッディに快く協力してくれ、はじめて「オモチャのルール」を破りシドを懲らしめることに成功する。
シドはすっかりオモチャに怯え、もう残酷な悪戯は出来そうもない。
それはそうだ。相手が物ではなかったのだ。(かなりの外傷経験に違いない)。

後はスリリングでスピード感あるアクションの連続である。
この映画、取り残される、置いてけぼり、のシーンが幾つもあり、小さな人形が(車で走り去る等の)ご主人のところに如何に追いつくか~戻るかという心細いシチュエーションで惹きつける。
この関係性を上手くプロットに利用している。
特に子供には感覚的に共感するところは小さくないと思う。
よく駅やデパート、広場などで、親と不意に距離が出来てしまった事に気づいた瞬間、泣き叫ぶ子供を見たりするが、そんな潜在する記憶~思い出を擽るはずだ。

最後は散々な追跡レースの末、シドにくっつけられたロケットでバズとウッディが豪快に空を飛び仲良くアンディの車のサンルーフから座席の箱にすっぽり収まるという荒唐無稽でアクロバティックなハッピーエンドである。
それまでの展開から言っても、この流れは充分あり得る(笑。

試練を通してウッディはバズと親友になり信用も回復。
ただ面白い。こういう映画もたまには観ないと、、、。

Toy Story003

PLANET OF THE APES/猿の惑星

Planet of the Apes007

Planet of the Apes
2001年
アメリカ

ティム・バートン監督


マーク・ウォールバーグ 、、、レオ・デイヴィッドソン大尉
ティム・ロス 、、、セード(猿の将軍)
ヘレナ・ボナム・カーター 、、、アリ(人間の理解者の猿)
マイケル・クラーク・ダンカン 、、、アター
エステラ・ウォーレン 、、、デイナ
ポール・ジアマッティ 、、、リンボー
ケイリー=ヒロユキ・タガワ 、、、クラル
デヴィッド・ワーナー 、、、サンダー


是非続編が見たくなるような傑作であった。
オリジナルよりも面白かったかも。
『猿の惑星』のリ・イマジネーション作という位置づけのようだ。
確かにリメイクではない。
一から考え、作り直されている。
最後のショッキングさはオリジナルに引けをとらない。
ただしオリジナルはそのモニュメンタルな廃墟に絶望するがあくまでも距離を持った思想的な絶望となる。
だがこちらはもう思想どころではない現実の切羽詰まったパニック~絶望である。実際驚愕して唖然として思考停止状態であるはず。

最初からスリリングで惹きつける。
何とお猿が宇宙飛行士かい?
しかし彼はトラブルに遭遇し操縦不能でパニックとなる。
あわやと思うが、それはシュミレーション訓練であった。
もう掴みはOK。

土星間際での大型宇宙船において、猿も動員しての深宇宙の探査を進めている場面であった。
そんな矢先に船にも影響を与えている強力な電磁場を発見する。
その正体を探る為、例の猿がポッドに乗り込み磁場めがけて飛び込んでゆくも消息が途絶える。
強力な磁場からは、発せられてきた過去の電波が跳ね返されていた。
何とその断片の中にはその宇宙船の船長の緊急事態を必死に告げる画像もあった、、、。
不穏な空気のなか、レオは自分の手塩にかけて育て訓練して来た猿を自らポッドに乗って磁場に向かい救いに行く。

Planet of the Apes008

ポッドは翻弄され制御を失い、あらぬ星に不時着~着水する。
湖の中からレオは何とか岸にたどり着くと、地球に酷似した環境のその星には、地球と変わらぬ人と猿が棲んでいた。
ある意味、これは驚きではないか。ただし、人と猿の立場は完全に逆転している。
人は猿の支配下で奴隷として何とか生きながらえている有様であった。
しかしオリジナル同様に、テクノロジーは(敢えて)発達させていない。人間の轍を踏まぬためか?
その潜在的な脅威もあってか人に対する攻撃欲は酷く、レオも勿論囚われ過酷な目に逢ってゆく。

かなり強い野生を残した逆上し易い知性をもった猿たちである。
その猿メーキャップは、これまでに見た猿のなかでも際立って悪賢い威厳も備えた顔であり、個々の猿の内面~思想の個人差も見て取れるほどに雄弁な表情を持つ。この人格ではなく猿格の表現の多様さと深さは凄い。
どこか仏像の表情の描き分けにも通じるところを感じた。

人は虐待の限りを受けて虐げられており、猿はその実質的に支配的位置にいるセード将軍が彼らの超自我を神話なども利用して統率していた。特に人に対する憎しみの感情~意思のコントロールである。

Planet of the Apes005

しかし、セードの思いを寄せる権力者の娘アリは、その知性の高さから彼らの規範的な感覚から逸脱している。
彼女は人の知性の可能性に注目し、彼らに対し親和的な意思を持つ。セードには強く反撥している。
アリは自分の立場より自らの思想に忠実に生き、レオに深入りしてゆく。
同じくレオに思いを寄せる人間の娘のデイナと共にレオを支えることになる。

オリジナルと同様に、神話で忌諱されている場所にレオ達一行は踏み込んでゆく。
わたしたちの起源の謎がある場所よ。
勿論、それを現実に信じている訳ではないの。起源の物語によって猿たちの無意識を集合させまとめているだけの噺なの。
というところだろうが、そこで飛んでもない事実が判明してしまう。
ここからがこの映画の真骨頂だ。
何とその遺跡は、レオの乗っていた母船の墜落した姿であった。
エネルギーのまだ残る船体の操作系統を立ち上げ過去の航行記録を調べて一同驚く。
優秀な知性を持つ猿が反目し他の猿を煽り、乗組員を襲わせこの星にやってきたのだった。
セード将軍はそのボス猿の血をひき、先祖から人に対する敵意を叩き込まれてきた存在であったのだ。
猿と人の文字通りの起源の場所であった。道理で地球人と猿がその姿でこの地にもいた分けだ。

レオの事を聞き及んで集結して来た人と猿の軍隊との総力戦を迎える事となる。
到底人の勝ち目はない。
母船のエネルギーを利用し脅しをかけても、圧倒的な体力と腕力の差は如何ともし難いものだ。
絶体絶命の状況に陥るが、丁度そのタイミングで磁場に巻き込まれたあの猿がポッドに乗って彼らの群れのなかに光芒を放ち見事に着陸を果たす。「お前俺より着陸上手いな」(レオ)。
皆、跪いてそれを拝む。
神話通りの奇跡が起きたというのだ。

レオはその猿を迎え、猿たちにその事実を説く。
そして将軍以外の猿は、人との和解の道を選ぶ。
だが、セードは決してこれを受け容れることはしなかった。
散々抵抗するが、防弾ガラスの中に閉じ込められ意気消沈する。

Planet of the Apes006

レオは優しく賢いアリや美しいデイナに引き留められるも、もう彼の気持ちは地球に帰るモード100%になっていた。
彼はこの地に新しい世を切り開いた伝説の男となって、皆に惜しまれ地球に向けて発つ。

宇宙船を迎える管制塔の指示は、耳慣れたものであった。ただ制御の効かぬポッドは、ワシントンD.C.のリンカーン記念堂前に胴体着陸となった。
やっとのことで地球に戻れた彼は、すぐに記念堂へと入って行く、、、。

リンカーン像を目の当たりにして、全くレオと同時にわたしも仰天した!
(こんなことは映画を観てきてほとんどない。大概こちら観客は知っていることを主人公が知るのを見て感慨に耽るのだが)
まさか、セードが猿の解放者としてリンカーンの位置に祭られていようとは、、、
しかもこの世界を一瞬にして知ることのできる象徴的な場所にピンポイントで不時着するなんて、ついているのかいないのか、、、
ともかく劇的である。(ここは植木等映画的な強引さである)。

つまり、強力な磁気嵐の中でそれぞれが異なる時間系に乗ってしまったのだ。
面白い事に、最初に磁気嵐に突っ込んだ猿は、その後に発ったレオにかなり遅れてそこに到着し、レオを捜索するうちに猿たちの反乱で磁場に巻き込まれた宇宙艇が実は彼らの中で一番最初にその地に墜落している。
どうやら入った順番と逆に時間的にそこから吐き出される構造をもっているらしい。
であるため、一番最後に磁気嵐に入ったと思われるセードがレオより数世紀早く地球に到着して猿の支配する世界を樹立していたのだ。(例の猿からセードは母船に幾つもあるポッドの操作法を聞き出していたはずだ)。

時間のダイナミズムの波打つ作品であり、天晴だ(笑。

Planet of the Apes009

と言っても、これ程ショッキングな終わり方というのもなかなかあるまい。
猿たちに逮捕されたレオは心底、アリやデイナのいる~しかも猿たちと和解した~星に留まっていればよかったと思ったことだろう。磁気嵐を抜けた後、地球を捉え、峠の我が家気分で着陸したはずである。まさか、、、。
究極のやっちまった、、、である(爆。

いや彼の胸中、察するに余り有る。
流石はティムバートン。座布団三枚。いや脚本家にか、、、。
(ここでハッピーエンドでは、確かにちょっと物足りない。とは言え、これではいくら何でも、、、)。

この続編も観てみたいものだ。もう役者は総入れ替えとなろうが、主人公が充分タフな男であったし、あの地獄からの帰還、、、何処へ帰還かはともかく、何かもうひと暴れしてもらいたい。
20年ぶりの続編、期待したい。

大冒険

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1965年
古澤憲吾 監督
田波靖男、笠原良三 脚本
円谷英二 特撮監督

植木等 、、、植松唯人
谷啓 、、、谷井啓介
ハナ肇 、、、花井部長刑事
団令子 、、、谷井悦子
越路吹雪 、、、森垣久美子
犬塚弘 、、、乾刑事
石橋エータロー 、、、市橋刑事
桜井センリ 、、、加倉井編集長
安田伸 、、、石崎
アンドリュウ・ヒューズ 、、、ヒットラー(陰謀団の黒幕)
森繁久彌 、、、総理大臣
ザ・ピーナッツ 、、、クラブの歌手
佐々木孝丸 、、、警視総監
高田稔 、、、大蔵大臣
二瓶正也 、、、黒服の男
伊藤久哉 、、、日本艦隊将校
柳永二郎 、、、日銀総裁


「クレージー・キャッツ結成10周年記念映画」という位置づけであった。
かなり力の入った(金を使った)特撮映画である。

のっけから、ウルトラQ~怪奇大作戦を彷彿させるタッチの映像だ。
TVから各国の偽造紙幣の緊急ニュースの模様が流れ緊張感をもって始まる。
ここに植木がどう絡んで来るのかと、いつも通りの期待感で観始めるも、、、植木自身は雰囲気は同じだが、話はちょっと違う。
総理大臣により召集された偽造紙幣で経済撹乱を企てる国際陰謀集団に対する会議がもたれ、警察特捜本部による秘密裡の捜査が行われる。しかし実際の捜査官は勘頼りの花井部長刑事他クレイジーの乾、市橋刑事。
花井も植木と同じくらい間の抜けたところで歌を唄い出すいい加減さ。
円谷特撮がどんな風にこれに絡み展開するのかが見ものなのだが、主にそれは後半、特に終盤に炸裂した。
(ザ・ピーナツがステージに現れ歌う時にはなにやら「モスラ」を連想してしまったが、特撮が頭にあるからか)。

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今回は雑誌記者として活躍する植木である。サラリーマン復活(笑。
大法螺も忘れてはいない。
アパートの隣の部屋には友人の発明家である谷井啓介とその美しい妹の悦子が住んでいる。
彼女はまるで気がないが、彼は最初から彼女と結婚するつもりでいるところは無責任シリーズと同じである。
端から(部屋の中から)元体操選手である植松唯人の身のこなしが披露されるが、植木の身体能力がなかなかのものだと分かり、感心する(笑。
緑の上下スーツが何気なくルパン三世を想わせる。(余計な事考えすぎか?しかしルーツ的な存在かも知れない、、、)。

総天然色複写機を谷井啓介に発明させ、それの特許を取って大儲けするつもりであったが、そのテストですでに出回り始めた偽壱萬円札をコピーしてしまったために、警察と偽札製造陰謀団両者から狙われる羽目となる。
おまけに悦子を陰謀団に誘拐され東京から神戸までの壮絶な追いつ追われつの大混戦となる。
最後にヒトラーが出てきて、経済撹乱に乗じて自分の帝国を再び打ち立てようという魂胆を明かす。
潜水艦と孤島の要塞基地など円谷ワールドに植木・谷・団のトリオが入り込んでくることがちょっと場違い的な面白さだ。
日本支部の幹部の越路吹雪が終始クールである。
如何にも手作り感たっぷりなジュールベルヌ的な要塞内部とそこでの闘いも何だか間が抜けてズレている。
いちいち敵のテクノロジーを見て感心する植木・谷の様子も可笑しい。

アクションは全編にわたり相当ハードなものであった。
何度も車や電車に轢かれそうになり、銃弾の間をくぐり、馬に乗ったりして逃げまくる。
植木は、ほぼ走りどおしだ。
特に、橋やビルの屋上、断崖絶壁などから落ちそうになり、何とかつかまる命からがらのシーンも多い。
それでも不屈の根性で、「今度のしごきはきつかった~。さあ歌でも唄うか~」というが、いつもの無責任のお調子には受け取れない。この明るさ無理がある。汗だらけだ(爆。
思わず最後にお疲れさんと言いたくなるほどのものだった。
(谷啓と団令子もハイヒールでその運動量はかなり凄い)。
ストーリーは所謂サスペンスアクションもので、植木等がいくら面白く持っていこうが結構シリアスである。
(ご都合主義の展開や拍子抜けする歌が入ろうが)。
何しろ、植松~植木が悦子の兄の啓介に向かって少しは責任を感じろなどと諫めているのだ。
まんざらブラックジョークでもない。いつになく真面目だ。

砲撃を受けたヒトラーたちは、これが見えぬかと威嚇したうえで、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、中国等に向け本当にミサイルを同時に放つ。(今の北朝鮮は大丈夫か?!)
しかし、事前に谷井啓介がミサイル制御装置を弄っていたために、発射されたミサイルは自分の島に着弾してしまう。
という何とも言えない(冴えない)オチである。
これには拍子抜けしたが、丁度よい結末でもあった。
その後はすぐに植松唯人と谷井悦子の結婚式のパーティ場面に転換。
その出し物がクレイジーキャッツ結成10周年記念コンサートとなる、、、。

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もう充分観た気がする。
愉しいとか解放されるというのとはまた異なる感覚だ。
元々腹を抱えて笑う類のものではないが、爽快感というのでもない。
力作で面白くまとめており、豪華なスタッフによるものであったが、、、

この辺でいいかな、と思う、、、。


無責任清水港

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1966年
坪島孝 監督
小国英雄 脚本
萩原哲晶、宮川泰 音楽


植木等 、、、追分の三五郎(いかさまお調子男)
谷啓 、、、森の石松
ハナ肇 、、、清水次郎長
団令子 、、、お蝶(次郎長の女房)
浜美枝 、、、お雪(お蝶の妹)
平田昭彦 、、、大政
田崎潤、、、横山隼人(凄腕用心棒)
石橋エータロー、、、清次(仇討ちの弟~何故か女形)
安田伸、、、新助(仇討ちの兄)
加藤春哉、、、亀吉(次郎長の子分)
高橋紀子、、、お美代(小料理屋の娘、石松の恋人)


また、BSのNHKで無責任シリーズが入って来た。
それはとてもよいことだが、なにぶんNHKは短いスパンで同じ映画を繰り返しやり過ぎる。
観る暇がなくメディアに逃がしておいてそのうち観ようなどと思っていると、うっかり同じものを何度もコピーしかねない。
過去の名作はまだまだ沢山あるのだし、そこは何とかお願いしたいものだ。

いやまてよ、「無責任清水港」の前に「大冒険」が入っていた。
わが円谷英二の特撮が絡んだ映画のはず。これは明日観よう。
「無責任シリーズ」というより、「クレイジーキャッツシリーズ」という位置づけでの放送か?
このシリーズ放送はこのまま続けて欲しい。ちょっと嬉しいではないか。

さて、今回も植木等は苦境に立つとカラカラ(いや、はっはっはと)笑ういつもの調子で突っ走る(笑。
まあ、苦境と言っても彼にとっては屁でもないところだろうが、普通の人間にとってはやはり苦境か。
物事の捉え方が人とはひとつ異なるところは強調されて描かれてはいる。
しかしいい加減に見えて非常に確固たる信念はもっており、お調子者であるがその調子を維持する技能を備えている。
そして理解とか共感とかいうレベルでなく無理やり周りの人間を自分のペースに巻き込んでしまう。
周囲は訳が分からぬまま、乗せられて行ってしまう。
訳が分かって受容しているのとはちょっと違う。ここが凄いところだ。
(エイリアン~他者であるのにホイホイと誰をも乗せて行ってしまう、、、これが植木等のパーソナリティの真骨頂か)。

無責任とは言っても彼自身も、結局ノリで人情に篤い正義漢になってしまっている。
だんだんそうなってしまうのだ。ちょっと人間的に悩み戸惑うようなそぶりも見せて、、、。

ただし超然として飄々とした部分は、いかさまや縄抜けなどの特殊技能により保証される。
それがあることで正義感溢れる薄っぺらいヒーローにはならずにちょっとズレ出てゆく。
今回の彼の魅力はその辺に発するところは大きい。
そして相変わらず厚かましく迫まられた美女~お雪は、最後は彼に追いすがってゆくではないか、、、。
いつものパタンとは言え(笑。
究極のお調子者健在である。
谷啓~石松も思いを寄せていた「お美代ちゃん」もちゃんと彼の元にやって来る。
(この谷啓の「お美代ちゃん!」という語り口が何とも味がある。ガチョ~ンくらいある)。
究極の予定調和だ。


谷啓の役者ぶりはここでも際立つ。植木とのアウンの名コンビが確立している。
ハナ肇は人の好い親分さんが実によく似合う(それにしてもこれほど人の好い人相があろうか)。
団令子が女将さん役だと安心して観ていられる。
平田昭彦は如何にも大政で安心感タップリ。
飛んでもなく腕の立つ田崎潤演じる浪人があっけなく石橋エータローの構えているだけの刀に刺されて死ぬのもこの劇ならではのコミカルさだ。それにしても顔を三船に異様に似せているところが面白かった。
歌はいつも程入ってこなかったが、お約束は果たされていると謂えよう。


植木等の役としては随分丸くなっており然程無責任さはないが、世渡り上手というレベルを超えたお調子モノぶりは健在である。

明日は「大冒険」を観ることにする。



キングコング 髑髏島の巨神

Kong Skull Island003

Kong: Skull Island
2017年
アメリカ

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督


トム・ヒドルストン 、、、ジェームズ・コンラッド(元SAS大尉)
サミュエル・L・ジャクソン 、、、プレストン・パッカード(大佐、米国陸軍第三強襲ヘリコプター部隊スカイデビルズ司令官)
ブリー・ラーソン 、、、メイソン・ウィーバー(戦場カメラマン)
ジョン・C・ライリー、、、ハンク・マーロウ(中尉、第二次世界大戦中に島に不時着)
ジョン・グッドマン 、、、ビル・ランダ(地質学者、モナーク所属)
ジン・ティエン 、、、サン(生物学者、モナーク所属)
コーリー・ホーキンズ、、、ヒューストン・ブルックス(地質学者、ランダの助手、モナーク所属)
マーク・エヴァン・ジャクソン、、、スティーブ・ギヴソン(ランドサット衛星データ収集担当調査員)

何でもモンスターバースというワーナーブラザーズの企画で進められているシリーズの今回は第二弾であり、一弾目はあの『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督、2014年)であった。あの作品も実に格調高い傑作であったが、今作は力強さが途轍もない。


髑髏島にヘリ着陸と共にブラックサバスがかかる。
ワクワクする。
漸く任務から解かれ国に帰ろうとしたところへパッカード大佐に声が掛かかり再びスカイデビルズは戦地に赴く。
隊員たちもこれ程の地獄に連れて行かれるとは思いもよらない、というところからの展開となる。
いつもながらビル・ランダのような首謀者たち数人だけが行く目的を知っていて、周りの隊員たちが飛んでもない事態に巻き込まれる冒険パタンは一緒だ。
だが、そこに説得力がある。
この物語はシンプルで裂け目がない。

島には空洞の地下や湖の中や樹木の上から途轍もない怪物が狙っている。
この状況では、ちょっと気を許したとたんに怪獣に食われてしまう。
コングも徹底してハードボイルドな怪物である。
この突き放した魅力がリアリティを生む。

そう、コングと怪獣たちのリアリティは極まった。
これ以上のVFXは想像できない。
本当に力強い映画である。
隙が全く無い。
ストーリーもベトナム戦争と米ソ冷戦も絡めながらの人間ドラマもしっかり描き込まれている。
パッカード大佐の暴走は白黒つかぬまま犠牲者だけを大量に出した戦争へのストレスが大いに関わっているようだ。
コングに対して、全ての矛盾の象徴のように自分の無意識的な負のイメージの総体を投影している。
それに対して膨らむ忠実な部下たちの戸惑い。
コングの本当の姿と役割を認識するコンラッド=ウィーバー=マーロウ達の葛藤。
(コングを倒せばスカル・クローラーが繁殖し大変な事態となる)。
勿論、コング対巨大トカゲの怪獣スカル・クローラーとの死闘は凄まじい。
相手の強さは半端ではなく、最後までハラハラする。
そのバトルは最大の見せ場である。『キング・コング2005』のナオミワッツを守りながらの死闘も凄かったが。

Kong Skull Island002

役者はみな芸達者である。
ジェームズ・コンラッドのGACKTの吹き替えがかなりきまっていた。
パッカード大佐とコングとの睨み合いなど迫力の一瞬であった。
(しかしサミュエル・L・ジャクソン歳とったなあ~)
髑髏島の原住民の描写も異質さと自然さが上手く表れていた。
ネイティブには南洋というより日本人に近い感触がある。

取り敢えず、ここでもコングは戦場カメラマンのウィーバーを助ける。
基本的に島の侵略者ではなく、自分に対し好感を持っていることを察知しての事か。
そのうえで女性であることも大事な要素か、、、この辺はよく分からないが、なかなか素っ気なく男前のコングであった(爆。

最期30年ぶりに生還して妻と成人した息子初めて逢う家庭用ビデオのシーンは感動ものであった。
特務研究機関モナークにコンラッドとウィーバーが呼ばれると、そこにはブルックスとサンがおり、「実はこの地球を影で支配している生命が他にもいる」ことを彼らに仄めかすのだった。
そして、はっきりとこの続編となる次作の内容が暗示されて終わる。

Kong Skull Island001


なんでも今度は、ゴジラがまたこのシリーズで出てくるようだ。
ゴジラVSコングも控えているらしい、、、。
何処までやるのか?
やはりアメリカ~ハリウッドでまともにやるとこれだけのものが出来るのだ。
こういう映画を観て愉しみたい。
(日本映画でここまでの質は到底望めまい。アニメは別として)。


ガメラはかなり頑張っていたのだが、本当に終了してしまったのか。
ちょっと寂しい、、、。

花のお江戸の無責任

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1964年
山本嘉次郎 監督・脚本
田波靖男 脚本
萩原哲晶、宮川泰 音楽

植木等 、、、古屋助六
谷啓 、、、白井村の権八
ハナ肇 、、、播隋院長兵衛
草笛光子 、、、女房おぎん
団令子 、、、揚巻
池内淳子 、、、小柴
藤山陽子 、、、お菊


今朝、デッキに入っていたので、観た。多分、今回のBSプログラムでは最後の「無責任シリーズ」か。
もう少し観たいところだが、、、
すでに「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」「日本一のホラ吹き男」という快作を立て続けに放送してくれている。
これでも大サービスだと思う。
そしてとうとう江戸時代にまで来たか、と思ったら、、、(正直、題名を観て面白そうと謂うより、流石に不安になったが)。
余りに自然にあっけらかんとボーリングやっているので、よもやと思ってしまった。
江戸時代のボーリングについて、うっかり調べてしまった、、、もしかして伝わっていたかとか(爆。
そんな調子で、今回もテンポ良く歯切れ良く展開してゆく。

日本の侠客の元祖といわれる「幡随院長兵衛」を知っていればより入りやすいとかいう作品ではなく、わたしのようにそれを知らなくとも何という事はなく楽しめる。
なんせ、彼の一家に拾われた古屋助六たちがボーリング場の用心棒を命じられたりしているのだ(笑。
(史実~芝居には忠実に、長兵衛が若い者の揉め事を口実に旗本奴の頭領に呼び出され、殺されるのを覚悟で独り乗り込む流れなどは引用されている。ただし、この映画では、殺されずに町奴の頭領を引退するだけだ)。

のっけから「助六殿、どうしても(父上の)仇討に行かぬのですか?」(母)に対して、「でもねえ~背中の傷だけでは条件が悪いですよ~」(助六)と渋っていたのに、どうやらその敵がお江戸にいることが分かると、にわかに「こんなことでもなければ江戸なんてなかなか行かれないからな~」と満面の笑顔、母から貰った大金を懐に入れて「それでは母上、父の敵を花のお江戸でぶわ~っとはらしましょう!」ときた。
もう最初から飛ばし放題。

謂うまでもなく江戸ではもうハチャメチャである。
吉原での豪遊ぶりは凄まじい(笑。
ともかく、今回の植木は金を湯水みたいに使いまくる。
その都度、文無しになるが必ずどうにかなる。
ここが羨ましい。
相棒の権八は花魁の小柴を見受けするために助六に寄り添い金を掠めてけちけち貯めていく。

ここでの谷啓はこれまで見たなかでは一番面白い。
特に、親分が旗本奴の頭領の奸計によって殺されたかのかどうか女将さんをはじめ組の者たちが皆で気をもんでいる最中に、自分の財布の事で悩んでいたり、助六は吉原に戻っていたりの無責任・無関心ぶりにはホントに笑える。
まさに無責任名コンビだ。

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女優陣も花魁姿でなかなか堂に入っている。
「無責任シリーズ」では、一番華々しい上に、植木が侠客の世界に入ってしまったことから、やたらと調子のよい啖呵を切る。
これが小気味よい。このお江戸ならでは、というところだ。この時代の話法が随所に活かされている。
そして勿論、例の歌である。
またこれが良いタイミングでミュージカル調に入って来る。
曲調はいつも通り。キャッチーで粒ぞろいだ。
また、ここでも植木は女性~花魁にモテモテである。
花魁、揚巻のお陰で仇討ち相手も特定出来、その手下もろとも歌舞伎調に余りにあっさりと倒してゆく。
もうちょっと殺陣をやってもよかろうにとは思ったが、助六の圧勝である。

最後は吉原全員から拍手喝采でご機嫌この上ないお調子男である。
そして、仇をうったのだし、国に帰るのかと思いきや、何と播隋院長兵衛引退の跡を継ぎ組の親分におさまってしまう無責任ぶり(笑。
しかも一目惚れの吉原一の花魁、揚巻とも夫婦になる。
さらに権八もめでたく同郷の花魁(No.2の)、小柴と結ばれる。

華々しい大団円である。
というかドンちゃか騒ぎで終わる。

こうでなくちゃ、という感じか、、、。


日本映画は小津、溝口、岩井、、、あとは作品によってだが、、、確かに「シン・ゴジラ」「寄生獣」などよいものは幾つもあり、本シリーズなども特に異色で傑出したものだと思う。
しかし、それ以外の映画となると、高品質のアニメーション映画以外ではキツイものやピンとこないものがとても多い。
何故だろう?、、、やはり洋画の方に走りたくなる。






女が眠る時

WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING003

WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING
2016年

ウェイン・ワン 監督
ハビエル・マリアス原作

ビートたけし、、、佐原
西島秀俊、、、清水健二(作家)
忽那汐里、、、美樹(佐原と共に暮らす美少女)
小山田サユリ、、、清水綾(健二の妻、編集者)
リリー・フランキー、、、居酒屋店主
新井浩文、、、石原(刑事)


何と謂うか、、、作家である清水健二の妄想(夢)が現実と入り混じって進行する映画である、、、
時折侵入して来る剃刀と血の生臭い妄想などが、現実の世界と上手く繋がれてゆきミステリアスな雰囲気が醸し出されてゆくのだが、それがなければこれはほとんど何もなかった休日のホテルに缶詰め状態になった作家の悶々とした一週間に過ぎない。
やけに雨天が多く、リリカルさの微塵もない鬱陶しい空気感の充満するなか、ストレスも高まるだろう。
しかし後にこの滞在での体験がもとで3作目の小説が生まれたようだ。
その妄想を駆り立てたのが、ふとプールサイドで出逢った歳の差カップルである。

しかし、佐原を虜にし、健二を幻惑し、怪しい(登場人物全てが怪しいが)居酒屋店主もずっと拘り続ける魔性の美少女美樹(忽那汐里)と、かなり大胆に肢体を見せて頑張っている妻の清水綾(小山田サユリ)両者共に、ほとんど魅了されない~納得できないため、筋書きでその方向で乗せようとしているのは分かるが、どうにも噺に入り込めず、共感が出来ないまま最後までいってしまった、、、。

この物語は、設定上たまたま出逢ったうら若い女性が飛び抜けて神秘的で魅惑的(蠱惑的か)であったことから始まる。
しかしあの娘に対する清水健二の尋常ではない惹き込まれ様に、、、どうにも共振しかねるのだ。
親子以上に歳の離れたペアがプールサイドにいようと、そんなこと大きなお世話であり、それにいちいち干渉してしてきて付き纏う等、完全な犯罪行為以外の何ものでもない。何処の馬の骨だ、この戯けが!というところだが。
それでもこころを奪われ引寄せられるような相手というならそれ相応のモノでないと、、、。
(他に女優はいなかったのか、、、?映像の撮り方・魅せ方の問題も大きい)。

それだけではなく、ビートたけし、西島秀俊、リリー・フランキー、新井浩文の個性派芸達者の誰もが持ち味が上手く発揮されていないし、引き出されていない。みんながみんな不完全燃焼に終わっていて、活き活きしていない。
まあこの中では、こんなリリー・フランキーもありかな、、、とは思ったが。
西島秀俊はNHKの朝ドラで宮崎あおいと共演していた頃から見ると随分キツイ、、、別にそれと比べる必然性などないとは言え。
どうも、西島が一番のミスキャストに思えてくる。またその役がリリー・フランキーの方が合っている気がする。
だが、それでは少々怪しすぎるか?
それらの点で、とっても座り心地のよくない鑑賞となった。

プールサイドは、水と光の作用もあり殊の外、物も女性も魅惑的に見える場のはずだが、そんな感じは微塵もしなかった。
つまり、キャストと撮影・編集、それから脚本・演出に問題がある。
別に現実と妄想だけでなく時間系も錯綜して渦巻く映画などかなりあるが、グッと引き込まれる作品だって少なくない、、、。
だが、これについては厳しい。

WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING001

出てくる人々がみな芸術家肌のようだが、いまひとつ深まりも広がりも香りも感じられない。
佐原の「美樹を10年もずっとビデオに撮り続けている。」
然も「常に上書きで」というところなど、現代(前衛)ビデオアーティストか!とも一瞬思って少し前のめりになったが、、、。
後で、良いものはみな保管してあるって、、、違うじゃん!?普通のお父さんか?である。

あの娘の感情的?な行動もいまひとつ脈絡に生きてこない。
セリフによる説明など当然ない方がよいが、動きのコンテクスト上の流れに唐突で無軌道なだけで終わっている。
彼女のこれまでの成育歴が独特なものであったという背景は充分匂わせており、恐らく彼女は新しい自己編成の為、まず解放されたい一心の身悶えであったか、、、とも思えるが、何か物足りない。

この娘が殺されたのか失踪したのかどうしているのか、分からないのはそれでよいと思うが、こちらもさしてそんなことはどうでも良いところなのだ。
そう言えば、あれほど娘に取り憑かれた清水健二も特に血眼になって探すようなこともしない。
妻も作家と浮気をしたのかどうか、定かではない。
佐原がその娘の不在にどう関与しているのかも実のところ分からない。

ただ、それらを知りたいとか想像してみる気が起きないのだ。
それを味わいたくてもう一度観てみようという気も当然、ない。

WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING002


そんな映画だ。

リップヴァンウィンクルの花嫁

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2016年
岩井俊二 原作・監督・脚本

黒木華、、、皆川 七海
綾野剛、、、安室 行舛
Cocco、、、里中 真白
原日出子、、、鶴岡 カヤ子
地曵豪、、、鶴岡 鉄也
和田聰宏、、、高嶋 優人
佐生有語、、、滑
金田明夫、、、皆川 博徳
毬谷友子、、、皆川 晴海
夏目ナナ、、、恒吉 冴子
りりィ、、、里中 珠代

岩井俊二らしく、ここでは何度もバッハの“G線上のアリア”、“主よ、人の望みの喜びよ”が流れる。
それがとっても繊細でリリカルな情景に合っていた。
3時間であったが妙な重みがない為、長くは感じなかった。

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まず最初からして皆川 七海は、SNSで知り合った相手とすぐに恋人同士になり、結婚する。
同時に、声が小さい為に教員が続けられなくなる。
SNSでは、文字のやり取りだが、現実は声のやり取りである。

極めて希薄な身体性によるコミュニケーションによって、日常が流れてゆく。
だから、確信や信念めいたもの、信じあうとかいった関係性も希薄で脆弱だ。

皆川 七海 は知的だが、芯がなく(わたしもない)、主体性に乏しく優柔不断で全てに受け身で生きている。
しかも、引きこもりの生徒相手にSNSで勉強を教員退職後も教え続けるなど、生真面目な性格であるから巻き込まれやすいことこの上ない。
そこへ、何とも如何わしい(怪し過ぎる)安室が蛇のように絡んで来る。名前がなんせ「アムロユキマス」、、、冗談か?
更に、もうどれ程の闇を抱え持ってしまったのか、という人格の里中 真白が現れる。
強烈な個性の彼らに七海は翻弄され巻き込まれてゆく。
確かに彼らにとって皆川 七海 はよいカモである(となる)。

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日頃からNSN、ネット情報に依存して生きていると、実生活における生の情報の抱える厚み~裏側に対する感覚に疎くなる。
そういった意味で世間知らずな(人の事は謂えないが)七海 は、癖の強い狡猾な安室にはいいように騙され続ける。
その裏を取ることをしないため(そうした習慣がないため)実に簡単に翻弄され疑うこともしない。
ちょっと疑問を抱き質問を向けても、契約ですからそこの部分はお答えできません、などと謂われるとすぐに引いてしまう。
(振り込め詐欺やネット商材等にひっかかり易いタイプだ)。
離婚に持ち込まれる流れなど、完全に受け身であれよあれよという間に飛んでもないドツボに嵌っていた分けだ。
ここでは、一方的に安室を信じてこれに乗ってしまった結果である。
だが、単にはめられたかと謂えば、夫のマザコン度とその母の悪辣さも知って早々に見切りをつける機会でもあった。
(しかし、それも自分で確かめたかと言えば、安室の誘導の上でのことだ。結局、七海は全て安室の仕掛けたフィルターを通してものを観ている)。

現実は、度合いの差はあれ、実に不確かであり、本当だと信じていたことが、全くの嘘であり、何が本当なのか定かでなくなる、そんな場面に遭遇することは少なくない。勿論、立場~言語によって見え方も全く異なって来る。
基本的に現実という幻想は、落とし穴ばかりである。
特に如何わしさ100%といった感の安室みたいな男に目を付けられ流され始めると、全てが「不思議状態」(七海)であろう。
里中 真白の底なしの闇にも、引き込まれたら七海などひとたまりもない。
まさに文字通りいくところまで行ってしまう。
だが、七海の徹底した無垢さ加減が、彼ら安室・真白の策謀や闇をある意味、凌駕してしまう流れでもあった。

ふたりとも、それには呆れていた。
真白は彼女の人の好い一途さに。
安室は、想定通り真白と七海が一緒に死んだと思い込んでいたため、普通に目覚めたときのその狼狽え様には笑える。
(安室のキャラは実に傑出していた)。

そして七海は、ちゃんと着地点を見出している。
声もしっかり出るようになって多少、逞しさが感じられるようになった。
これはきっと真白との生活と別れ、更にその母との出会いが齎したものが大きい。
そして最後まで彼女にとっては謎の「何でも屋さん」安室の不可思議さも結果的には彼女を救っていた。

印象深いのは、代理(疑似)親族のバイトで知り合った疑似家族のメンバーが、真白の葬儀に親族として自主的に参加していたことだ。
そうなのだ。
現実における関係性の希薄さが、あらぬ場所で少しばかり質量を帯びた結びつきを生む。


もう一度、ゆっくり見直したい映画であった。
キャストは、誰も素晴らしい。
特に綾野剛の如何わしさ、黒木華の生真面目な流され易さ(よく分かる)、Coccoの狂気とすれすれの闇の演技は素晴らしかった。
りりィも凄かった、としか言いようがない。



サクラサク

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2014年
田中光敏 監督
さだまさし 原作

緒形直人、、、大崎俊介
南果歩、、、大崎昭子
矢野聖人、、、大崎大介
美山加恋、、、大崎咲子
藤竜也、、、大崎俊太郎


さだまさしの曲聴くなら、ボブ・ディランを聴いた方がいいなあ。

BSに入っていたので、思わず見てしまった。
朝のルーチンをしながらであるが(かなり朝は忙しいのだ)。


家族というものは、そもそもこういうものだ、がまずあってそこに向かうよう予定調和的に流されてゆくが、、、
どうなのだろう。
これが本来の家族です、みたいな像をこれまた花見桜みたいな場面で見せられたら、こっちは一体どういう顔してみればよいのか、、、である。
いや、単に見なければよいだけなのだが。

結局最後までズルズルと見て、ついに桜満開の(イメージ~幻想を共有して)木の下でみんながまとまって幸せそうに手を繋ぎ寄り添う姿には、気持ち悪さが残った。
家族とは、そもそもどういうものなのか、どういう制度なのか、、、。
そしてあるべき家族の姿というものが、これなのか、、、。
いやそんなものがあるのか?

少なくともあるべき姿なんてないし、出来得ない。
皆が心ひとつに何かに向かうなんてことが、果たして起こり得るか?
祖父~親~子供の世代が同質の幻想を尊重し合ったり、認め支え合ったり、理解・容認できたりするものか?
大概、歪み捻じれた権力関係で枠が維持されているだけであろう。
子供が幼い時分は親がよいように権力を行使するが、子供が自覚し自らの生に目覚めれば、従属から解かれ独自の価値意識を発動する。ことば~価値の通じない関には、権力関係しか生じ得ない。
ディスコミュニケーション生成は家族を根源とし指数関数的膨張の一途を辿る。


ちょっと戻る。
ここでは、祖父の認知症の悪化が発端となり、何とか上辺だけでも共同体として維持してきた家族があからさまな危機に陥る。
身勝手な構成員が取り敢えず眠りに集まってくるくらいの枠に思えていたが、案外この祖父を中心に回っていたことも分かる。
この人の好い老人の覚醒を願い、家族みんなで力を合わせて彼の記憶を呼び覚ます場所を探しに行く。
確かに記憶は場所に他ならない。
この為の旅には説得力はある。

しかし登場人物たちに現実味~共感が全くない。
この祖父、妙に品が良すぎて、記憶がない時はこれまた妙によく出来た人である。
さらに、あそこまでよくできた息子(孫)がいるか?
娘(その妹)も素直過ぎる。
妻がすねているが、家庭を全て任された上に、かつて浮気をされ、子供の事で相談しかけても夫は会社一番で、耳も貸さない。
最近は義父の介護まで重く覆いかぶさってくる。
これではますます気が滅入り窒息してしまう。せめてガーデニングに逃げて少しでも解放されたい。
ここにはかなり根深い時間的シコリが残っているなと思っていたのだが、、、
妻が、あなたが何を相談しても聞く耳を持たなかった、子供たちの為に父親参観やらなにやらの行事にも行ってくれなかった。
祖父が代わりに参加していた、、、などと涙ながらに打ち明けると、直ぐに謝罪して、仲直りしてしまったのには、危うく椅子から転げ落ちそうになった。暴力的な単純さにも程がある。

何ともペラペラな家族像である。何なんだこれ?!

わたしは親が何かに出て来たことなど全くないが、家族という物自体をあるべきイメージに沿って何とか再構成したい等と願ったこともない。
親とは何においても接点など微塵もなかった為、家族などという枠自体がそもそも煩わしいものであった。


が、しかし人は胎外胎生期も長くあり、その個体としての脆弱さからしてこの制度は、その程度の差は激しいにせよ無いわけにはゆくまい。認知症になるかどうかはともかく、老いの身体性においても同様である。
幼年期と老年期はともに人生におけるトワイライトゾーンである。
この神秘的でもある時間帯に偶然家族の構成員としてそれに関われることは、本来面白い事であろう。
DNAの内部情報系より、生後吸収する大脳新皮質に蓄えられる外部情報系~文化情報の方が大きいのが人間の最も大きな特徴だ。
どちらも記憶を授ける、記憶を呼び覚ます、情報のもっとも際どいやりとりの場である。
わたしはそのフラジャイルな瞬間~場に自然にしかし慎重に触れることは、人としての生活においてとても貴重なものだと思う。
まさに想像的で創造的な関係を実験する場でもある。

基本、家族は家族であるが為、危機に瀕しているのが常態であると思う。
もう凄まじい記憶のどよめきと渦の中を周っている。
このダイナミックで禍々しい共同体~家族という制度とどう折り合いをつけ、切り込むかだと思う。



今日はBSは「羅生門」をやっていた。
もう見て感想も一言書いたから観ないで消すが。
黒沢映画では一番好きなものだ。(嫌いなものの方が多いが)。


内田裕也氏の言うように、フォークはダメだ。
わたしも、ロックが良い。



日本一のホラ吹き男

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1964年

古澤憲吾 監督
笠原良三 脚本


植木等、、、初等(はじめ ひとし)/初等之助(先祖)
浜美枝、、、南部可那子(増益電気のアイドル社員)
草笛光子、、、清水花江(高級バーのマダム)
曽我廼家明蝶、、、増田益左衛門(増益電気社長)
山茶花究、、、大野総務部長
三井弘次、、、古井資料係社員
中真千子、、、山田富子(資料係)
谷啓、、、井川(研究所研究員)
安田伸、、、宮本(初等の大学の同窓生)
桜井センリ、、、社長の運転手
江川宇礼雄、、、西條社長(丸々電気社長)


様々なオリンピックの種目の競技練習風景から始まるが、違和感は充分ある、、、。
今ならジャニーズ事務所の若いタレントなどが選手で出てくるのだろうが、ここではおじさんポイ選手ばかりだ(笑。
そして何と植木等が三段跳び日本代表選手として見事な飛翔を、、、といったところで彼らしいズッコケ、、、。

何となくニヤニヤしながら緊張感の欠片もなく観始める。
そして「東京五輪音頭」がいきなり始まった(笑。
(ここでもミュージカル調に唱や踊りはいきなり始まる)。
もうすぐまた五輪だが、これを超える曲が出るか?
こんなナンセンスな歌は出て来ないだろうな~。
変な真面目な曲など出て来ないでほしい。聞きたくもないし。
そう言えば、、、三波春夫の「東京五輪音頭」というのもあった、、、。
でも、三波春夫なら『世界の国からこんにちは』(万国博覧会音頭)の方がキャッチーで耳に残っている。
あんなふうな曲がよいな~。ナンセンスであっけらかんとしていて、どうでもよくって。

他にも主題曲の「ホラ吹き節」や「馬鹿は死んでも直らない」とか「空の青さは僕のため」に「ガタガタ言うなよ(私はウソを申しません)」等々今回もC調の植木節は健在。でも無責任~の方が面白いかな、、、でもよくこれだけシリーズでたくさん作曲したと思う。


やはり脚本家が「日本無責任~」から代わっているが、こちらはダーティーな所はなく、ただひたすらがむしゃらに頑張るモーレツサラリーマンだ。
豪快に高笑いして、傍若無人で押しの強いキャラ設定は同じであるが。
必ず一度は、クビだ~クビ!と謂われるが落ち着いてかわし、次の一手がしっかり控えてる。
ちゃんと後がある。
でもちょっとこれだけでは限界あるな~。
ブラックさがほとんどない。
(あの目の前に転がって来たボールを、瞬時にあさっての方位にすっ飛ばしてしまう生理が失せている)。

初等(またこれだ)は、三段跳びの有力な日本代表選手であったが、アキレス腱を切り競技者生活を断念。
故郷に帰って暫く休むも、出土した先祖の古文書を読んで一念発起。
三段跳び形式でサラリーマンとして出世するぞ~っである。
こういったやる気が今の世では湧きようがないのが現実だ。
(ぼんやりと視界を覆う虚無感と閉塞感のなかを皆が佇んでいる状況だ)。
しかし様相は無責任男からはかなり変わっている。

機転の利く、やたらとポジティブな「出来る男」ではないか、、、。
無責任男からは随分距離がある。
ホラは吹くが、有言実行である。策略は練るが、詐欺や横領など非道なことはしない(爆。
先祖もホラを吹いても、剣術の腕は剣豪レベルではないか、、、。
わたしはてっきり姑息な手を使って相手を陥れて倒し、1万石をせしめたのかと思っていたが、正々堂々と勝ち取っている。
確かにいらんことはペラペラ喋るが、それに呑まれるようでは相手も大したことはない。
「ホラ」は謂わば自らを奮い立たせ鼓舞する呪文のようなものである。
しかも引き寄せの効果も充分に期待できることを実証している。
何だ、、、人生の達人ではないか、、、そういうことか。

典型的な口八丁手八丁男である。
電気業界最大手の増益電気でホップ、ステップ、ジャンプの要領で出世し、アイドル社員の南部可那子のハートも射止める。
全てトントン拍子で進むところが小気味よい。
植木等はこうでなければ、という感じに行くが、最後に特に驚かされる結末はなかった。
終始、植木等カラーで、お任せで乗せられていればそのまま行き着くべきところに運ばれてくる。

無責任男の植木からは脱皮してしまっているが。
(やっぱりダーティさに関して製作側からの意向とか入ったのだろうか?ちょっと残念)。


相変わらず面白いが、入り込めない距離感はどうにもならない。
しかし全く頭を使わず安心してニヤニヤ観ていればよい映画はとても貴重だ。
最近、映画を観るのが実は苦痛でならない。
押しつけがましさから気が重くなり途中で退場したりしている。
鬱陶しさがまるでないところが好ましい。


由利徹の出番が少なすぎた。
(どうしても期待してしまうのだ、、、あの味に。このシリーズもうひとつの個性ではないか?)




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ニッポン無責任野郎

musekininyarou.jpg

1962年
古澤憲吾 監督
田波靖男、松木ひろし 脚本

主題歌『これが男の生きる道』、『ショボクレ人生』 青島幸男 作詞、萩原哲昌 作曲
宮川泰 音楽


植木等 、、、源均/平均
団令子 、、、丸山英子
ハナ肇 、、、長谷川武
草笛光子 、、、静子
谷啓 、、、中込晴夫
浦辺粂子 、、、、中込うめ
藤山陽子 、、、石沢厚子
由利徹 、、、宮前社長
犬塚弘 、、、王仁専務
人見明 、、、幕田常務
中北千枝子 、、、幕田由紀子
岡部正 、、、近藤
土屋詩朗 、、、板倉
世志凡太 、、、会津
中真千子 、、、芸者初太郎
中島そのみ 、、、マダム満江
桜井センリ 、、大原
安田伸 、、、小山
ジェリー伊藤 、、、ゲーリー


BSに昨日の「無責任時代」とともに入っていたので観た。
実に拾い物である。
テンポもよく、アナーキーでコミカルで痛快である。
それにしても、団令子はどうしても役名に「丸」をつけられるのだ。
確かに丸いが、そんなに拘るところでもなかろうに、、、昨日なんて「まん丸」である(爆。ちょっと酷い。

自由が丘には、ほとんど毎日通って(途中下車していた)時期もあったが、こんな風情の頃もあったんだと、感慨深い。
何と言うか、全てがこれから始まるぞ、といった潜熱を感じる。
そんなところに、改札で切符も渡さず(買っておらず)、ヒトの煙草を瞬時にせしめ、体当たりした男の会社をすかさず狙う、源均のお洒落なイントロから始まる。

その(株)明音楽器は、丁度次期社長の椅子を巡り、王仁専務と幕田常務が対立し両派に分かれて争っている最中であった。
そこに目をつけ、すかさず利用する均。
両者(両派閥)に目配せして、お世辞を言って手懐け、両方に上手い噺を持ち掛ける。

谷啓の堅物振りもハナ肇の翻弄され振りも鼻の下を伸ばしつつも独特な威厳を保つ由利徹も前作同様、しっかり決まっている。

前作では一番最後となったが、今回は始まって早々、英子(団玲子)との結婚を果たす。
無責任スタイルでグイグイ迫り、そのまま結構お似合い夫婦となって愉しく暮らしている。
銀行の通帳を一円で作り、会社の未収金の取り立て金を自分の口座に入れて、英子には200万預金があると見せかけ信用を得る。式では、出来るだけたくさんの人を(幕田常務 の愛人も)呼んでその会費にあて懐を潤す(ちなみに、昨日は香典泥棒であったが)。新婚旅行は遊園地で済ませるが、乗せるのがうまい均にまんまと乗せられ、英子もいつしかご満悦。
その調子で、何か事があってもスルリと切り抜ける。

特に、アパートが狭いと愚痴をこぼす英子の要望に応えて、自分が取り持った中込夫婦の嫁姑問題の解決の為、彼らに姑から離れて暮らす提案をし、自分のアパートを中込夫妻に貸す。引き換えに広い庭付き一戸建てにお手伝いさん(長谷川の母)付きで住まうことにする。英子もこれには大満足。厚子は前から二人でアパートに住みたがっていた。双方がウィンウィンということだ。更に中込邸の植木を根こそぎ引き抜き、駐車場にしてしまう。これで入った収入をおばあちゃんにも渡します、とそこまでやるかである。駐車場の車係も始めた母うめも元気が出て矍鑠としてきたことで前向きな性格となる。結果、中込夫婦とも和解する。
何という、、、。


だが、サックス奏者のゲーリーをステージからいきなり拾って来て、アメリカのスミス楽器の社長の弟にしたて、彼とはオクスフォード時代の学友だったとか訳の分からぬ出任せを言って信用させ(入社時に何も調べとらんのか?(怒)、自分が両社の提携の仲立ちをしましょうなどと持ち掛けるが、それを王仁専務も幕田常務も双方ともすっかり信用し、源均に気前よく賄賂を渡す。それは勿論、均のポケットに。
会社の接待費で派手に飲み食いして、それで集めた未収金500万は自分の口座に入れ、おまけに賄賂までせしめ、これは犯罪以外の何物でもない、が調べで分かってしまい、王仁専務、幕田常務双方からクビを言い渡されると、じゃあ退職金は2倍貰えるんですね、とくる。細かいことだが、500万で利子で大儲けみたいに言っていたが、凡そ現実味のない昔話である。
もっと細かいが、煙草を頻繁にポイ捨てしていたが、今やったら罰金ものである。
時代の違いを思い知らされるところだ、、、。

ここでもクビになると何の未練もなく、サッサと高笑いで出てゆく。
だが、宮前社長のぞっこんの芸者・初太郎の社長友達情報から、また新たなカモ~会社を探し出していた(笑。
何と言うか、、、。

均の強みは、周囲にいる綺麗どころと直ぐに打ち解け仲良くなってしまう性格だ。上司長谷川が好きな高級バーのマダム静子や王仁専務の恋人のマダム満江、、、などそして上手く長谷川と静子の仲をとりもち、堅物の中込と彼が思いを寄せる石沢厚子との
仲も取り持ってしまう。この辺の繋がりから広がるネットワークは結構大きい。
均は一年ほど、英子のもとを離れ独り出てゆくが、王仁専務も幕田常務も前社長・宮前から社長失格を宣告されており外部の資本「北海物産」に乗っ取られることとなった。
新社長が明音楽器に乗り込んで来た時、社長と共に秘書としてやって来た男が、何と源均であり、英子以下社員はビックリする。そして彼を雇った社長が、平均であった。


もうこちらも唖然である。


どうしてもこんな風なエンディングに持ち込みたいのだ(笑。


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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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