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GOMA28

Author:GOMA28
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フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館

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2015年
イタリア

ルカ・ヴィオット監督

プライムビデオで鑑賞。

昨日と違い、解説がしっかりしていた(ウフィツィ美術館長アントニオ・ナターリによる)。
質の高いドキュメンタリー映画になっていた。

そして語り部~主人公がロレンツォ・デ・メディチである。
フィレンツェをこよなく愛した男である。
役者もフィットしている。彫刻で見た彼に似ている。しかし服装は現代のラフな服を着ている。
「フィレンツェが生んだ芸術を輝かせること。永遠に!」
「芸術がフィレンツェを形作り、フィレンツェが芸術を生み出す」
これが説得力を持つドキュメンタリー映画だ。
ロレンツォ・デ・メディチは卓越した政治家でもあるが、どれほど学問・芸術に肩入れしていたかが分る。
審美眼も一流だ。

そして権力を持つと、優れた美術品を収集したくなるのも自然だろう。それらがひとつの場所に会すると確かに凄まじい相乗効果が得られる。
自分だけの鑑賞室を持つ夢を実現したフランチェスコ一世など、何と贅沢な男だ。

ブルネレスキ(建築)~ドナテルロ(彫刻)~マサッチオ(絵画)の3人の天才の紹介から始まるが、ブルネレスキの斬新なドーム設計の説明を聞いても改めてその才能に感心するが、何よりドナテルロである。
ダヴィデはすこぶる魅惑的で、ミケランジェロとはまた異なるタイプの天才の彫刻であることを再認識する場となった。
そしてここから、レオナルド~ミケランジェロと流れる展開にはゾクゾクする。
(ひとつの映画でドナテルロとミケランジェロのダヴィデが見られるのもホントに贅沢である)。

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ブルネレスキ設計の二重構造のドームを持つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とミケランジェロのダビデ像(レプリカ)が立っているシニョーリア広場などもしっかり眺める事が出来、ドキュメンタリーとしてちゃんと機能している。ヴェッキオ宮殿内の絵画の並びにも惹かれた。そして何よりウフィツィ美術館。ミケランジェロの「聖家族」やボッティチェリのプリマベーラ~春が拝める。「ヴィーナスの誕生」は改めてじっくり観てみたい。
うちの近くの高校では、美術部に入ると、夏休み合宿で、この辺をしっかり見学できるそうだ。何と羨ましい。


レオナルドの「受胎告知」で解説者がこの絵の主役はあの山(遠近法の消失点)であると言っていたのは慧眼と思う。
まずわれわれの目は、あの海からせり上がって来た幻のような山に惹き付けられるはずなのだ。
「アンギアーリの戦い」は感慨深い。そう実験が過ぎて壊滅したのだった。
ボッティチェリの解読しなさいと突き付けてくるような寓意画がこれまで苦手であったが、時代背景も考えると制作する必然性も見えてくる。
寓意的神秘に達している「春」は改めて見事に思う。
新プラトン主義の意匠でもあるのだ。植物が500種類も描かれているのには参った。

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レオナルドの「東方三博士の礼拝」の修復後の画面がかなり観れた。
レオナルドの絵は、未完と兎角謂われるが、それ自体が至高の構造図みたいな作品になっていることを実感する。
アルテミジア・ジェンティレスキを初めて知った。怨念を感じる程の迫力の「ユーディット」は印象に深い。
ミケランジェロの弟子であり美術史家として高名なジョルジョ・ヴァザーリのフレスコ画も見られ建築家としての働きにも触れられた。
ベンベヌート・チェッリーニの「メデューサの頭を持つペルセウス」も初めて知る。
これらは収穫。
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」までの射程があった。
確かにこの作品、品格があって美しい。

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やはりレオナルドとミケランジェロのふたりが天才のなかでも飛び抜けた存在であることも彼らの作品を目にしながら流れの中で再認識できる。
そしてジョットがルネサンスの父と言ってもよい存在であることをしっかり確認できた。

とりとめもないことを並べてしまった。
色々と思うことが錯綜し、なかなかまとまらない。
この映画は観て損はない充実した内容に思う。




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レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮

Leonardo da Vinci004

Leonardo da Vinci - Il genio a Milano
2015年
イタリア

ルカ・ルチーニ, ニコ・マラスピーナ監督

ピエトロ・マラー二
マリア・テレーザ・フィオリオ
ヴィットリオ・ズガルビ
ヴィンチェンツォ・アマート
クリスティーナ・カポトンディ
アレッサンドロ・ヘイベル
ガブリエラ・ペシオン

Leonardo da Vinci005

何とも微妙なドキュメンタリー映画であった。
まず、解説者が前面にしゃしゃり出て、絵的に色々と邪魔をしながら結構長くしゃべるのだが、レオナルドの謎に迫るというほどでもなく、すでによく知られている内容を繰り返すに留まる。新しい資料や考察とか、変わった角度からの分析とかが披露される訳ではない。
ラファエロがレオナルドとの交流なしで、あのような偉大な画家にはなり得なかったという説には全く同感である。
(レオナルドに逢う以前の絵とそれ以降~晩年の絵では大変な質的な差が横たわっている)。
同感はするが、別に新しいことは何もない。
そこに関しては、邦題の通り、「迷宮」を確認するだけで、面白味などないに等しい。

それから姿を見せず、レオナルド(一人称)の語りが入るのだが、吹替の声と喋り方が全くイメージからかけ離れている。
これもうちょっとどうにかならなかったのか。
レオナルドのあの精緻で重厚な自画像を見たうえで、決めたのか?
知性も芸術性も微塵も感じられない喋りである。
どういうつもりなのか、、、

Leonardo da Vinci002

だが後半に至り、特に終盤の役者による小芝居はちょっと興味を引いた。
サライである。
サライも含め4人の愛弟子のエピソードはもう少し詳しく知りたいものであった。
もっと小芝居が観たいものだ。
この辺のドラマ性で押せば、面白い映画にはなったはず。
なかでもサライの役者が良い味を出してくれた(この役者に感謝したいくらいだ)。

わたしもサライについては、レオナルドが寵愛する美青年でモデルにもしていたことくらいは知っていたが、何とも人間味溢れる彼の姿~演技に触れると(勿論、フィクションであっても)ワクワクするものがある。
手癖が悪いこともどこかで読んだが、その上に大嘘つきで大食いというのには笑った。
それでも優秀な弟子たちに負けずに大事にされていたというからには、何らかの特別な魅力があったのだろう。
恐らく本物は(絵から察しても)、この役者より美男子で謎めいていた男だとは思うが、ここでのサライもなかなか印象深い。
サライが出てきたあたりからわたしは俄然観る意欲が高まった(そろそろ途中放棄しようと思いかけていたところであった)。

Leonardo da Vinci003

「最後の晩餐」と絡めて観てゆくと、ちょうどイエスに対するユダが、レオナルドに対するサライに思えてくる。
忠実な愛弟子がサライに噛み付き「お前はマエストロから全てを奪った」と憤慨していたが、そういう男だったのだろうか。
かなりいい加減で、適当な感じで、植木等みたいにカラッとしているわけではなく、ジメジメしている(爆。
ただ容姿が良いというだけで、ブドウ園を半分も分け与えられ、大事な絵画も何枚も貰い、かなりの裕福であったというのも腑に落ちない。レオナルドと同等の謎の男には違いない(謎の存在であることでは、負けていない)。

この映画を観た、最大のと言うか唯一の影響~興味の沸いたことは、サライについてである。
こんな面白い人物がいるだろうか?
サライはニックネームで、「小悪魔」だそうだ。
寧ろサライの視点が気になってくる。

Leonardo da Vinci006

是非、サライを主人公にした映画を作って欲しい。
映画「サライ」である。
誰かやってもらえないだろうか。
サライから観た他の(優秀な)弟子たちと、そのマエストロであるレオナルドが素描される、、、。
これは、絶対面白い作品となるはず。
資料にじっくりあたる必要はあるが、作り甲斐のある映画になるに違いない。
他の愛弟子の人間像やその作品もしっかり紹介して欲しい。
実際、愛弟子たちの優れた絵は幾つも現存する。
(何枚か観ているがかなり見応えのあるものばかりだ)。

そしてレオナルドと彼は一体どういう関係であったのか。
それがレオナルドの透徹したモノの捉え方や途轍もない想像力とどう関連していたのか。
恐らくサライとの付き合いもそのなかの一部(一環)であったはず。
サライの想う親方像からわれわれは、「レオナルド」を新たに洗いなおす、物語なんて結構斬新ではないか?
何にしてもサライはレオナルドと一番、関係は深かったのだ。
レオナルドが各地を転々としなければならなかった政治情勢や不遇に耐えなければならなかったところも、余り普通の美術書には書かれていないものである。これも是非忘れずに近場にいたサライの目で綴って欲しい。

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では、お願いします。





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マーニー

Marnie002.jpg

Marnie

1964年
アメリカ

アルフレッド・ヒッチコック監督
ジェイ・プレッソン・アレン脚本
ウィンストン・グレアム『マーニー』原作

ショーン・コネリー 、、、マーク・ラトランド(裕福な会社社長)
ティッピー・ヘドレン 、、、マーニー・エドガー(女詐欺師)
マーティン・ガベル 、、、シドニー・ストラット(マーニーの被害に遭う社長)
ダイアン・ベイカー 、、、リル・マインウェアリング(マークの亡き妻の妹)
マリエット・ハートレイ 、、、スーザン・クラボン(マークの会社の社員)
ブルース・ダーン 、、、船員(殺されたバーニスの客)
ルイーズ・ラサム 、、、バーニス・エドガー(マーニーの母)


久々にヒッチコックの映画を観た。BSで録れていたものだ。
朝食後に観始めたのだが、ヒッチコックの映画にしては、大変見ずらい映画で、何度も息抜きしながら何とか見終えた。
マーニーという幼少時に受けたトラウマが原因で盗癖と虚言癖が治らない女性がともかくキツイ。
この女性の言動に付き合うのがどうにも耐え難い。

」の翌年の作品だが、う~ん「鳥」が余りの傑作であったもので、それから見ると、、、ヒッチコックらしさは充分窺えるのだが、何とも見ずらい。
ここまで、重症になると余程の義理?でもない限り、こんなに面倒みるひとがいるか?

マークはマーニーが好きになったからだという。
う~ん。好きになるか?
好きになったというのだから、そうなのだろう。一目惚れか。
これだけ無私の態度で何度裏切られようが徹底して尽くす、、、決して諦めない。
そうか、自分の娘だったらそうするな。そうする以外の選択などありえないし。
まるで、娘の教育だ。親父の視線だ。それなら痛いほど分る。実際、ホントに痛いもの(爆。

でも、他人でここまで出来るか?
そう、好きだからと言っていたっけ。
そうか、好きなのか。
好きなら出来るか。
そういうものだろう。

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どうもこういう映画は手に余る。
このマーニーのシンドさは、途轍もない。
わたしは終始、マークはよくここまでやるなあ、と距離をかなり持って眺めているだけだった。
実際、TV画面から次第に距離を持って遠くから観ていたくらいだ(笑。
この映画にドップリ浸かって身を入れて観れる人こそ映画通という人であろう。
わたしは、基本的に映画というメディア自体が苦手なにんげんであるからして、生理的にキツイ映画ではすぐにヘタる。
映画そのものの出来だとかそういうレベルではなく、こういう登場人物に、まいるのだ。

勿論、彼女が精神に深手を負っていることは理解はできる。
一般に盗癖と虚言癖などは幼少期の母親との関係がとても大きく作用するものだ。
このヒロインもそうだ。母との関係に問題があることははっきりしている上に、衝撃的な事故(殺人)も経験してしまった。
当然、深いトラウマとなってその後の人生を支配してしまうだろう。
自分でもどうにもならない精神的基調の上を衝動に突き動かされて生きるのだ。
(この辺は、ヒッチコックの好きな題材の一つであることは分かるのだが。サイコのような面白さ、共感には繋がらない)。
確かに事務所の金庫周辺を行き来する緊張感は、ヒッチコックのものだが。

ひとつ映画に入って行くには、、、
その主人公の様々な動きに共感する条件として、生理的にも主人公と同等の生理・感情が働かなければならない。
わたしは、どうもこの主演女優に魅力を覚えないのだった、、、。
だからなのだ!(ほとんど、バカボンのパパである(爆)。

そういうレベルで引いていたのだ。
この主演女優がいくちゃんとまで行かなくとも、マリオン・コティヤールほどの女優であれば、わたしも主人公に共感して、一緒に彼女の動向や心理に対しハラハラして見守っていたかも知れない。
「映画」と言うものはそういうものだ?
そうした面は不可避的にある。

だからキャストは大事なのだ。
この映画以降、この女優は恐らく使っていないはず。
アルフレッド・ヒッチコック監督は元々、女優選びのセンスが良いことにも定評がある。
ショーン・コネリーは役柄にピッタリであった。
よく頑張った!
自然にこう言いたくなるではないか(笑。

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まずは、マークがムーニーにしたように、自らが抑圧した記憶にはっきり向き合わせるところから始めることが大切であろう。
その場を設けるだけの知性と行動力は必要である。
そして、こういう人が日常の中で無償の愛を注ぐことが出来れば、それに勝るものはない。
大病院に連れてゆき、専門医に任せるより、遥かに正しい。
これは断言できる。
(だが、これは極めてレアな例である。そういう奇蹟の物語である)。





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湿地

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Myrin
2006年
アイスランド、デンマーク、ドイツ

バルタザール・コルマウクル監督・脚本
アーナルデュル・インドリダソン原作
ムギソン音楽
ベルクステイン・ビョルグルフソン撮影

イングバール・E・シーグルズソン、、、、エーレンデュル警部
オーグスタ・エバ・アーレンドスドーティル、、、エヴァ(エーレンデュル刑事の娘)
ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン、、、オルン(コーラの父、難病の保因者)
オーラフィア・フロン・ヨンスドッティル、、、エレンボルク(女性捜査官)
テオドール・ユーリウソン、、、ルーナル(元悪徳刑事)
ソルステイン・グンナルソン、、、ホルベルク(難病の保因者、オルンの父、ウイドルの父)


「負の連鎖」にどう向き合うのか。
この問題は途轍もなく大きい。

今現在の苦悩~不幸~ここでは難病により最愛の娘が死に妻も自殺する。
この不幸に納得が出来ず、夫(オルン)がその難病について調べると、それは遺伝性のものであり自分もその保因者であることが分かり、その難病の因子は母ではなく浮気相手の男のものだと分かる(しかもそれは当初、レイプによるものとされてきた)。
オルンがその男ホルベルクを探し出し、詰め寄ったところで事件が起こる。

病という連鎖に男は打ちのめされる。
ここで最愛の者を失った。
自分もその病の保因者であり、それは引き継がれたものである。
だがそれだけであれば、その不条理は諦観のなかに霞んでゆくものであったかも知れない。
しかし、その病は母からでも父からのものでもなく、犯罪者(保因者)という他者のものと知る。
ここで、自分は父の実の子ではない、更に犯罪によって生まれた者(望まれて生まれたのではない者)であるという認識に直面する。
だが、更に警察が調べると、それはレイプによるものではなく母の不貞によるもの、裏切りによる結果であることが判明する。
この実の父となるホルベルクと言う者もどうしようもないゴロツキであったが、母も被害者などでは全くなく自分の行いを偽証して保身を図っていた(警察をも騙していた)女だった。
オルンにとっては絶望的なアイデンティティの問題~実存の問題となる。

遡行してその原因を突き止めたとしても、それで問題自体がどうなるわけではない。
変わらず不幸の実体はそこに横たわっている。
よく原因が掴めればもう解決したも同じだ、などという噺も聞くが全くそんなことはない。
訳の分からぬ不幸を言語化して構造として捉えれば、確かにそれを引き起こしたメカニズムは把握できようが、事態を変えることには繋がらない。
事態は全く動くわけではないのだ。原因が分かったところで回復させる手立て・方法がなければ変わらず受苦するのみである。
新たな場所を用意しなければならない(これには必然的に自己解体を伴う。自殺する場合も少なくない)。

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この流れでは行き着く先も見えていた。
無理やり事態を打開しようとすれば今回のように殺人などに直結する。
オルンは自分たちが遺伝学の医学者に「偏差」と呼ばれていると語っていた。
度合は違えど誰もがズレているのだ。
それぞれが偏差値を持ち、それは揺れ動くがやはりどうにもならない値はある。
「ぼくは何者だ」と自問し、エーレンデュルの目の前でオルンは自殺する。


この物語では、殺人事件からその犯人を探る流れで始まるのだが、、、。
(オルンがホルベルクを衝動的に殴り殺す)。

アイスランドの映画は以前、「静寂の森の凍えた姉妹」を観ているが、色調は同様のものであった。
空は広くて重くいつも仄暗く何かが常に鬱積して静かに渦巻いている。

雄大な自然のなかにあって、人はいたるところで負の連鎖を抱えて生きている。
そして破滅に至る者も少なくない。

主人公の刑事も娘に負の連鎖の芽をはっきり窺っているが、それをどうすることも出来ない。
(娘は成り行きで妊娠しているが、子供を産んだら虐待しそうで怖いと父に訴えている)。
寒々しい重苦しさが画面いっぱいに溢出ていた。

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エコール

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Innocence
2005年
ベルギー、フランス、イギリス、日本

ルシール・アザリロヴィック監督・脚本
フランク・ヴェデキント『ミネハハ』原作

ゾエ・オークレール 、、、イリス(6歳アジア系の少女)
ベランジェール・オーブルージュ 、、、ビアンカ(12歳の少女)
リア・ブライダロリ 、、、アリス(中等級の少女)
マリオン・コティヤール 、、、エヴァ(バレエの教師)
エレーヌ・ドゥ・フジュロール 、、、エディス(生物の教師)


エヴォリューション」の監督ルシール・アザリロヴィックのこれより11年前に作られた作品。
これは、少年は一人も出てこない。思春期前の少女たちとどこか生気のない若く美しい女性による世界である。
昨日の映画より設定も表現、演出も現実的で具体性もあり普通の映画として観易い。
「水」が出てくる場面~イメージが要所要所にあり、水を大事なメタファーとして扱う監督であることも分かる。
(昨日の映画でもそうであった)。


棺で6歳の少女が森の中の大きな屋敷に運ばれてくる。
そこは深い森の中にある秘密の学園であった。
6歳から12歳の女子生徒(児童か)で構成されている。
他には若い女性の先生2人と年輩の主事のような女性がいるだけだった。

新入生が来ると在校生みんなで棺を囲み迎える。
幼い少女に制服を着せてリボンを付けさせる。
最年少は赤、年長組は紫、年中さんは青のようだ。

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「新しい周期が始まる」(エヴァ)
このセリフは昨日の映画「エヴォリューション」でも語られた。
確かにヒトは何度か脱皮する。
その間際の時期は難しい。
一生を左右するような新たな時を迎えるのだ。変態するのだ。
少女たちの不安と焦燥、そして動揺は大きい。
「卒業」を待つことが出来ず、性急に事を起こして命を落とす少女も出てくる。
ここでは、ローラとアリスが規則を犯して脱走を図り、ローラは溺死しアリスも行方不明で絶望視される。
恐らく、イリスが棺に入ってこの学園に現れた時、その赤リボンはナターシャのモノだと同じ歳のセルマが叫ぶが、そのナターシャという娘もそのような逃亡で命を落としたのかも知れない。

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理由は分からぬが、こうした館に知らぬ間に運び込まれると、幼いながらも当然これまでいた世界が気になるはず。
そして外部に強い憧憬を抱く。亀みたいに脱走を試みたくなる。
この第二次性徴が現れる頃までの外界との隔離はなんであるのか、、、
その意義、目的は明かされない。誰の権利・意図で彼女らが連れてこられた(選ばれた)かも分からず仕舞い。

青色のリボンの年齢の少女を見に、年に一度校長がやって来る。
その時、校長の目にとまれば、彼女に外の世界に連れて行ってもらえるのだ。
それに賭ける少女も当然出てくる。
アリスがそうであり、熱心にバレエの練習にも取り組むが、最後まで選考に残るも惜しくも落とされる。

ここが自分の家よ、と言って落ち着いていられる子が無事に卒業まで漕ぎつけるようだ。
順応性の高いことが肝心なのだ。エヴァも落ち着かないイリスに年上の先輩(ビアンカ)に服従しなさいと勧めている。
ここにいるからには、その掟に従いそれなりに愉しんで暮らしている生徒が無事に外界にでてゆくらしい。
逆らうと罰があると、彼女らの中で囁かれる(噂では、エディスの脚が不自由なのは、かつて脱走を図って脚を折られたという)。

何やら語りながら森林の道を歩く彼女らの姿は美しい。

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湖や小川もある。
そこで水浴びもする。
森の大きな館ときたら、川や湖はなくてはならない。

自然に仲良くなったり、年長者に憧れたり、喧嘩をしたりするようにもなる。
脱走の相談も出たりする。

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バレエのレッスンが殊の外重要のようだ。
その理由も最後の方で分かる。
年長組になると、毎夜9時ごろに皆、外に出掛けていた。
実は彼女らは、踊りを見せていたのだ。
別の館に密かに行き客相手に舞台発表をしていた。
天使の羽をつけてバレエを踊るのだ。

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ビアンカは見えない暗闇の客席から「美しい!」と絶賛の声を浴び、バラの花を投げられる。
舞台で彼女らがバレエを見せることで学園経営費が捻出されていたのだ。
(どれほど高い演目なのだ)。

敷地には幾つも館があり、毎夜ビアンカが出掛ける秘密の館にはバレエの舞台があることをイリスも知ることとなる。
舞台からは客席は見えないが、いつも客(出資者たち)は来ていた。
いよいよビアンカたちの学年最後の舞台になり、彼女らはそれを終えると卒業が待っている。
(在校生、先生との別れを惜しむ)。

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この舞台のある館の地下は何と地下鉄に連結しており、そのまま列車に乗って表の世界に出られるのだった。
二人の先生に送られ駅を出ると別の大人の女性に迎えられ外には公園が開けており、大きな噴水があった。
卒業生たちはすぐさま靴を脱いで噴水に入って燥ぎ始める。
いつしか、若い男性が水に入っており噴水を挟みビアンカと笑顔を交わす。





マリオン・コティヤールは流石に美しいが、影のある教師でいつもの華やかさはない。
子どもたちが丁度小学生の年代であり、所謂低学年の子供のレッスン場面などが多くさかれ幼過ぎるきらいはあった。
美しき冒険旅行」のジェニー・アガターみたいな際立った少女がいないのは、全体の雰囲気を乱さないためもあろうが、キャストにちょっと小粒感はあった。

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エヴォリューション

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Evolution
2015年
フランス、スペイン、ベルギー

ルシール・アザリロヴィック監督・脚本


マックス・ブラバン、、、二コラ
ロクサーヌ・デュラン、、、ステラ
ジュリー=マリー・パルマンティエ、、、母親役

11年前の前作『エコール』はまだ観ていない。
思春期前の子供の精神世界~漠然とした不安、などを描くことが得意な監督か。
瑞々しい不安な感覚が何と言うかこそばゆい。
ともかく、大きな何か、、、思想や価値~メッセージを打ち出す類のモノではなく、幽かに残る間の時~トワイライトゾーン~を想起させるような映画であった。だからディテールが生々しくも残酷で美しい。
そして睡魔も呼ぶ。

オンド・マルトノで音を作っているそうだ。
なるほどと思った。あの独特な単音の作る空間。
映画そのものがオンド・マルトノの世界というか、ミニマリズムの世界である。
監督の狙いはよく分かる。

どうしてもすべてが象徴的に見えてきてしまうものだが、この時期の世界はとても濃くて重層的な意味に充ちている。
と謂うより、まだ意味が分化せずに(有機的に文節化せずに)豊かな塊として渦巻いてもいる。

この世界にどことなく郷愁を覚えてしまうのは、自分もかつていた世界の質感に惹かれるからか。
それを感じて場面を味わう見方でよいかと思う。
これを監督が判じ絵みたいに意味を組み込んだ、象徴を読み解く映画として見たら全く味気ないモノとなろう。
それはこの映画を観ていることにはならない。
単に特定の思想(の体系)に還元した別のモノになるだけだ。
しかしそういう「読み」を引き寄せ易い映画でもあろう。
確かに水に羊水、ヒトデとライトと星にステラとか、視線の向きなども含め、ある特定の世界~意味を志向することば(名称)や画像が特別な意味を帯びてくる、、、。
オンド・マルトノが効果的にその意味の拡散を留めている。

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壁の緑はどういう変化であったのか、その辺も気にし始めたら解釈に気持ちが流れてゆく。
二コラの海パンは補色の赤である。ヒトデも赤、、、血も勿論。
そうしたところからも、かなり危うい映画ではあるが。
病院があまりに人間世界のものに似ている、とくに服装~手術着など、この辺で明らかに何らかの文化的な交流も見えてしまい、この種族の立ち位置が覚束ないモノにも思えてくる。

とは言え、捉えて来た男の子に施術して自分たちの子供を産ませるというこの女だけの種族に、妙なリアリティを感じる。
この母役をしている吸盤を背中に持つ女たちが深夜、群れを成して海辺でウネウネしている様子などまさに悪夢である。
夜の暗闇にこんな夢に近い恐怖と不安を抱えていた時期を今でも時折想い起す。
彼女たちに表情がないことから、人ではないことは最初から察しはついていたが、どうやら人間の男の子は彼女らにとって単なる外部生殖器に過ぎないもののようだ。この他者性。
この異物性。孤絶感。このしこりのような感情は何故かリアルに残っている。

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その女の種族のなかの一人、ステラが二コラがかつていた人間世界に彼を帰還させる。
そう、彼は少年たちの中でただ一人、車や観覧車や実の母であろう女性の絵などをスケッチブックに描いていた少年だ。
(元居た世界の記憶があることが分かるし、彼のいる島の生活を対象化して捉える目を持っている)。
他の少年たちは彼女らの子孫を産んだ後、死んでいる様だが、彼はどうやら生かされて彼女の意志で戻されるようだ。
ステラは自分たちの子孫だけでなく、二コラ自身に特別な感情~意味を感じたようである。
彼を本来あるべき世界に生かしたいと思ったのか。
二コラを人間世界の灯の見える海上に独り残し、彼女はボートから何も言わず去って行く。

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このことばのなさがとてもよい。
ことば以前の世界に同調させる。
二コラの再生の時である。


仮の母親役のジュリー=マリー・パルマンティエは『マリー・アントワネットに別れをつげて』にも出演していた。

広告でデヴィッド・リンチが比較に挙げられていたが、確かに生の原初的なイメージは通じるところを感じる。








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ジョニー・イングリッシュ/アナログの逆襲

Johnny English Strikes Again007
Johnny English Strikes Again
2018年
イギリス

デヴィッド・カー監督
ウィリアム・デイヴィス脚本


ローワン・アトキンソン、、、ジョニー・イングリッシュ
ベン・ミラー、、、ボフ
オルガ・キュリレンコ、、、オフィーリア・ブリトーヴァ
ジェイク・レイシー、、、ジェイソン・ヴォルタ
エマ・トンプソン、、、イギリス首相


『ジョニー・イングリッシュ またまた登場』と謂ったところか、、、。
ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』の方が笑えたしカッコよかったし面白かったが、これも悪くはない。
オルガ・キュリレンコにもう少し出番があってもよかった。キャストの人物像もかなりペラペラな造形で、全体的に小ぶりな感じがした。
このシリーズは、ジョニー・イングリッシュがどれだけ意表を突いたおバカぶりを見せてくれるかに尽きるのだが、確かに一昔前のガジェットが沢山出て来て興味は引くも(真っ赤なアストン・マーチンやフロッピー・ディスクはよかったが)、アイデアや小ネタ、ディテールとスケールにおいて、「気休めの報酬」ほどではなかった。ネタの数はたくさんあったのだが。

Johnny English Strikes Again003

諜報機関MI7のエージェントの情報が全て漏れてしまうというサイバー攻撃に遭い、引退したエージェントに事態収拾を頼むことになり、よりによって小学校の先生をやっているジョニー・イングリッシュに出番が回って来るといういつもながらのあり得ない噺。
首相はG12サミットを控え、ロンドンで次々に起きるサイバーテロにも頭を抱えていた。
そこで、IT長者のジェイソン・ヴォルタを招き救いを求める。
(その前にサイバーテロ対策の政府専門機関があると思うのだが)。
すぐさまヴォルタは政府のネットワークに入り込み(ハッキングし)問題を解決してみせ首相の信頼を得る。
そしてイギリスの情報インフラは古くて問題があるとか何とか言葉巧みに、自分の会社のサーバーにデータを移動してしまう。
ジェイソンの会社でイギリスのビッグデータを一元管理する方向に強引に持ってゆこうとする。
ハッキングやネットワークを混乱させるサイバーテロを仕掛けたのがそもそもジェイソン・ヴォルタであったのだ。
という判り易いからくりである。

Johnny English Strikes Again005

ロシアスパイのオフィーリア・ブリトーヴァが序盤に電気自動車を華麗にコーナーリングを操り存在感を示したまではよいが、その後ジョニーとのスパイ同士の駆け引きやらで二転三転して盛り上がるような場面は特になく、終盤は2人で協力してヴォルタに立ち向かうあたりでは(あまりやることもなく)平板で尻すぼみな感じで終わってしまった。何と言うか本が弱い感じがする。

Johnny English Strikes Again002

今回、ジョニーのバカボンのパパのような悪魔的なバカぶりが面白いというよりちょっとやりすぎな面も目立った。
何も考えない、いきあたりばったりが単に危険でしかない、というのもどうか。
特にヴォルタに狙いを付けたのはよいが、その邸潜入のシミュレーションをVRゴーグルをつけて行う場面で、一般市民にかなりの迷惑と損害を与えている。ケガ人も出ている。これは単に狂人の振る舞いであり、笑えるところではなかった。
少なくともこういうコントは、悪人相手にすべきであろう。
それまでの捜査においてもレストランで火災を起こしてみたり、ツーリング競技の自転車に向けて催涙ミサイルを発射したり、、、の殆どすべてが民間人に対する危険行為なのだ。これらははっきり犯罪ではないか。
スパイを首相からクビにされるのも当然だ(首相にクビにされると言うのもありえないが)。

Johnny English Strikes Again006

G12サミットでイギリスの全システム管理をヴォルタに委託する同意書に署名させるというのもあまりに乱暴で荒唐無稽だが、この噺の流れからして妥当にも思えた。システムを全部ストップさせるぞと脅されヨーロッパの各国代表がサインすること自体考えられないが。
一番面白かったのは、ボフの妻リディアが艦長を務める潜水艦からミサイルを発射させ、ヴォルタのサーバーが装備されたドット・カーム号を破壊し解決に及ぶ、ところである。
携帯を誤って操作したために潜水艦からミサイルが(誤作動で)発射されることになり、以前ジョニーがドット・カーム号に仕掛けておいた発信機に反応してミサイルがそこに着弾するという、もうどうどうでもよい連鎖であったが、NHKのピタゴラスイッチふうに決まり、ここは爽快であった。

Johnny English Strikes Again001

毎度のこと、結果良ければすべてよし?で英雄扱いされて終わりとなる。
だが、あまり終盤まではスリルもお笑いもそれほどなく、盛り上がりに欠けた。
最後の下ネタもオースチン・パワーズよりも大分控え目でこれは好感が持てた(笑。



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十三人の刺客

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1963年

工藤栄一 監督
池上金男 脚本
伊福部昭 音楽

片岡千恵蔵 、、、島田新左衛門
里見浩太郎 、、、島田新六郎
内田良平 、、、鬼頭半兵衛
菅貫太郎 、、、松平左兵衛督斉韶
丹波哲郎 、、、土井大炊頭
嵐寛寿郎 、、、倉永左平太
西村晃 、、、平山九十郎
月形龍之介 、、、牧野靭負
水野浩 、、、三州屋徳兵衛
丘さとみ 、、、おえん
三島ゆり子 、、、牧野千世
藤純子 、、、加代
河原崎長一郎 、、、牧野妥女
水島道太郎 、、、佐原平蔵
加賀邦男 、、、樋口源内
沢村精四郎 、、、小倉庄次郎
阿部九州男 、、、三橋軍次郎
山城新伍 、、、木賀小弥太


昨日の「大殺陣」の監督の一年前の作品。脚本も同じ人だ。
道理で噺も世界観も内容も絵や撮り方も似ているはずだ。
わたしでも知っている豪華キャストが揃っていた。
音楽が何と伊福部昭である。
セリフはちょっと聞き取りにくい。

今回は、将軍の弟である暗愚で残虐な明石藩主松平斉韶を暗殺する刺客13人の噺である。

松平斉韶の悪政を訴え切腹して上位に訴える家老であったが、それが何らかの形でとりあげられることもなく、家老の家族も全員捕らえられ斉韶本人により無残に殺害されてしまう。
こんな男がやがて幕府の中枢に座るとなれば世も末である。
そこで乗り出すのが丹波哲郎演じる老中土井大炊頭であり、腹心である島田新左衛門に暗殺を命じることに。
この若すぎる丹波哲郎が見る角度によりアランドロンに見えたことは収穫であった。

それにしても片岡千恵蔵という人は浮世絵の侍そのものだとつくづく思った。
顔がである。
どう見ても偉い侍の顔である。
この人に頼まれたら断りにくい。ましてや三味線であんな腕前を魅せられては、、、。
放蕩していた新六郎も叔父のライブを観た夜に、侍に戻る決心をする。

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今回の話も、待つ間の緊迫感はかなりのもの。
まず、島田新左衛門の動きを察した鬼頭半兵衛が島田の屋敷に訪ねてくる。鬼頭自身誰よりも松平斉韶の馬鹿ぶりに悩んでいたが、自分の仕える主君でありそれを守るのが武士の務めである。全く対立しあう立場~関係となってしまった武士同士、昔の噺などを暫くしてから「また会おう」に対し「しかと!」と答えて、戦場で相まみえることを確認し、別れる。
両雄とも周到な計画を練り、ひたすら準備を進め、その日を迎える。
ただ島田は、参勤交代で帰藩して来る斉韶一行を襲うに際し、宿場町を丸ごと買い取るという太っ腹ぶり。
頭だけでなく金も湯水のごとく使う。それにより斉韶らの動きをかなり封じ込めるが、鬼頭も心理戦に持ち込み島田らをじらし混乱させようとする。ここは策士でもある平山九十郎が刺客の内輪揉めを一喝し乱れを治めてひたすら待たせる(ここは動いた方が劣勢になる)。

集まった剣士は皆かなりの腕がありそうである。
勿論、すでに人を真剣で切る世の中ではないにせよ、腕を磨き続けて来た平山九十郎のような剣豪もいる。
結局、13対53の対決となるが、これなら結構行きそうである。
そして双方の知略と駆け引きもなかなかのもの。
この辺、とても魅せる。

しかし、いざ決戦が始まると様々な仕掛けを作ってそこにうまく追い込んだのに、いまひとつ肝心の仕掛けが機能しているのかどうか、、、よく分からないゴタゴタの状況になってしまうのだ。
高い柵で囲った狭い迷路状の路に誘い込み、上から弓矢と長い槍で(横からも)集中攻撃をする。これは優れたアイデアである。数に差があってもこれなら圧倒的に有利に闘いを進められるはず。
だが、見ていると幾らでも狭い空間で狙い撃ちが出来るのに、余り当たっている様子がない。槍もそれほど効果が見られない。
更にこともあろうに、自分から飛び降りて切りかかり、逆に切られたりする刺客もいたりする。
何の為の罠なのだ。

迷路の中の出入口を鬼頭に見破られもするが、普通そここそが一網打尽にする誘い口にするだろう。
だが、そうもなってはいない。上に巨大な丸太を置いており、それを落とす仕掛けもあったが、今一つタイミングも取れずにほとんど空振りとなっている。とてもよく出来た仕掛けのようでいて、その運用の拙さから効果的に敵の戦力を削ぐことが出来ず、焦って自ら切り込んで行っている感もあった。

まあ、物語上、そう簡単に相手を倒したら噺にならない。
だが、ちょっとちぐはぐな感じは否めず、何でこんなに効率が悪く、刺客側が無駄死にしているのか、とイライラして来る。
どうも集団の闘いの難しさ、指揮系統の取りにくさの問題もあろうか。
この時、大将の島田新左衛門は宿の間にあって、静かに作戦地図を眺めて戦況を把握するに留まっている。
そこへ、ひとり逸れた松平左兵衛督斉韶が転がり込み、何やら威張って虚勢を張るが、クールにお命頂戴という感じでバスっと切り捨てられる。ここは爽快であった。
確かに切り殺すのは、この島田新左衛門でなければなるまい。(だが状況から見てたまたまそうなったに過ぎない)。
そしてそこに遅れて駆け付けた鬼頭半兵衛との一騎打ちも、なるほど武士とはこういうものかとは思い、取り敢えず納得はした。

だが、最後の平山九十郎の死に方はさっぱり分からない。
果たして剣豪が剣を失うとあのような姿になるものだろうか。
彼は闘いのなかでも自らの刀を敵に投げつけ、すぐさま敵の刀を拾って見事に応戦して大活躍をしていた。
独り敵を次々に切り倒す剣士であった(であるからやはり凄腕の鬼頭も彼を避けて隊を動かしていた)。
なのに、何故今剣を手放しているからと言って、あれほど戸惑うのか。少しばかり走れば直ぐに死んだ敵の刀を奪い応戦できたのでは、、、。未だによく分からないままである。
後に斉韶は参勤交代から帰還した日に病死したことで処理されている。
この暗殺の件でお咎めはないはずで、生きてさえいれば、そのまま元の生活に戻れるのではないか。


この監督は集団劇が好きなようだ。
そして権力の圧政に立ち向かうこころある武士の死にざまを描くことに美学を見出しているのか。
そういう趣味らしい。

時代劇も面白いがセリフが何とも聞き取りにくい。
わたしが聞き慣れないせいであろうか。



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大殺陣

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1964年


工藤栄一 監督
池上金男 脚本

里見浩太郎 、、、神保平四郎(書院番)
宗方奈美 、、、山鹿みや(素行の姪)
平幹二朗 、、、浅利又之進(浪人)
大友柳太朗 、、、酒井忠清(大老)
大坂志郎 、、、星野友之丞(御家人、暗殺の指揮を執る)
大木実 、、、北条氏長(大目付)
河原崎長一郎 、、、別所隼人(刺客)
三島ゆり子  、、、神保加代(平四郎の妻)
安部徹 、、、山鹿素行(軍学者)
稲葉義男 、、、渡海八兵衛(素行の部下、刺客)
砂塚秀夫 、、、助七(刺客)
山本麟一 、、、日下仙之助(僧になった刺客)


BSで録れた時代劇が幾つかたまっているので、少しは観てみることに、、、。
何でも日本映画で初めてハンディカメラが導入された作品だそうだ。
成るほどと思うシーンが幾つもある。
もう団子状で切り合いしているところに、カメラもサムライさながら突進して行く感じがそのブレからも容易に感じ取れる。
何とも言えない迫力だ。


まず権力の専横に苦しむ庶民や武士たちの様子が描かれる。
その元凶が大老酒井忠清であると、、。。
4代将軍・家綱の時代が舞台。

大老酒井忠清が家綱の弟である甲府宰相・綱重を後継に担ぎ出し、摂政として天下を操らんとする企てを、山鹿素行の計略で集めた少数の同調者により潰す噺。

多勢に無勢の闘いとなるが、山鹿素行曰く、なあに向こうは太平の世で刀など使えぬサムライばかり、大丈夫みたいなことを言って高をくくっていたが、こちらだって初めて人を切るような連中である。無謀にも程がある。
つまりこちらも、少数精鋭ではないのだ。
見ていてこの面々で大丈夫か、と心細い。

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この物語のポイントは、酒井忠清をストレートに暗殺するのではなく、彼ほど警備が厳重でない甲府宰相・綱重を少人数で暗殺するという素行の計画に従い実行する点である。
流石に、街道で綱重一行を待ち構えているあたりからの緊張感はかなりのもの。
指揮をとる星野友之丞などは、前夜に家族に累が及ばぬように妻・息子を切り殺してこの暗殺に臨んでいる。
その決意のほどは重いなどというものではない。
どのメンバーも異様にピリピリしており、それが伝わって来る。
実際、待つことが一番シンドイのではないか。

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しかしやはり「大殺陣」という割には、あの大根を切るような、ズバッ、ズバッという小気味よい音で次々に切り捨ててゆく感じではなく、大振りに刀をブルンブルン振り回し、それのほとんどは虚しく空を切り、たまたま敵のどこかに当たるという感じの百姓一揆みたいな(これもどんなんだか知らぬが)光景であった。
剣客と謂える強者がいない為、切っては捨て切っては捨てみたいな流れるようなリズムはそこには望めぬ。たまたま頭とかに当たってわあっとか相手が倒れるなど、そうしたものである。
だが実際の闘いはこういう感じであったように思えてくる。
きっとこちらがリアルなのだ。
そして捨て身の追撃の迫力で籠から転げ落ちた綱重とそれを守るサムライたちを吉原の門内におびき寄せるまでは成功するが、ここで何と一番肝が据わっていそうだった渡海八兵衛が弱気になり、裏切ることとなる。これで総崩れとなりターゲットを討ち果たすことなく、決死隊は皆討ち死にしてしまう。

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そして更にリアル感があるのが、これまでかというところで、かつて酒井の反対派の粛清の際にとばっちりで巻き沿いを喰った神保平四郎を助けた浪人浅利又之進が、運ばれてきた神保の無残な躯を目の当たりにする(彼は丁度吉原に遊びに来ていてこの事件に巻き込まれた)場面だ。神保の手には自分が貸した刀が固く握られていた。刃は中ほどでへし折れ、闘いの壮絶さを物語っていた。
神保の無念の姿に、これまで厭世的で享楽に耽って世を渡って来た彼の内面の奥底から激しい怒りが燃え滾って来た。
彼は神保の手から折れた刀を抜き取り、馬で駆け付けて来た酒井と今や談笑しながら吉原を後にしようとする綱重向って切り込んでゆく。
綱重などもうすんでのところまで追い詰められた直後だと言うのに何と楽観的なのか。
まさに喉元過ぎれば熱さ忘れるである。だが、これもリアルでよい。そんなものだろう。
一難去ったところでホッとして油断したのだ。
確かにテロ実行隊は殲滅された。
つまり想定外の男(吉原で遊んでいた男)にふいに綱重は討たれたのである。
無論、綱重を切った浅利又之進も取り押さえられ殺された。
だが、見事山鹿素行の計画は成就されたのだ。

酒井忠清の現実を認められない悲壮な姿は判るが、この様子を遠くから眺めている山鹿素行はどうしたものか。
全くの傍観者である。
立案者一人だけが生き残った。
(ちなみに彼の自慢の姪であるみやも仲間である日下仙之助の手にかかり殺されている)。

無常で暗い映画である。








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これから暫くは、時代劇というものを観てみたい。





ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間

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2018年
短編3つ並んだオムニバスアニメ映画。
昨日は実写オムニバスであったが、今日は日本アニメのオムニバスを観てみた。

スタジオジブリ出身の3人の監督がそれぞれ1作ずつ提供している。

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「カニーニとカニーノ」
米林宏昌 監督・脚本

木村文乃、、、カニーニ
鈴木梨央、、、カニーノ

借りぐらしのアリエッティ」、「思い出のマーニー」、「メアリと魔女の花」の監督である。
「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」はよい作品であった。
だが、この短編映画に関しては、どうもしっくりこない。
まず、このカニである。
擬人化したカニが実に中途半端な抽象的なモノなのだ。
人の形体ならそれでよいとしても、川の中にいるモノとしての物理属性がないとコンテクストから浮き出てしまう。
妙にリアルな川の流れ(CG)などを作っているため、尚更違和感を感じ続けるはめになる。
そう、大きな鯉?魚もCGで不気味な質感を出していた。
(川~その流れと巨大な魚を自然の脅威として描き、擬人カニを異質な存在としたかったのなら、それは一体何なのだ。カニとは完全に自然の側に生きるものであり、そのモドキはカニでもヒトでもない、文字通り宙に浮いた記号である)。
彼らは川底を歩く水(水圧)抵抗がまるで感じられない。地上を歩くのと同じなのだ。
そのくせ、水泡の威力はあるらしい。
カニを擬人化するのならどのカニも人型かと想えば、他のカニはカニそのものである。
向こうのカニも家族のようであったが、主人公家族とどう違うのか。

この家族には、どのような特権が与えられて浮いてしまっているのか。
それから羽~トンボの羽か~に何やら特別な意味~サインを見出しているように窺えるシーンがあるが、あれは何なのか。
何処かの伏線があったようにも見えない。

この擬人カニ家族はそのキャラクターだけでなく行動、振る舞い諸共、記号だ。
画面に重ねられるテロップみたいな在り方であった。
少なくともわれわれの間近に広がる小さな世界にこのようなドラマが潜んでいるみたいな実感など微塵も湧かない。
コンセプトに物質性がない。

米林宏昌という監督は、ジブリを離れてから後の「メアリと魔女の花」から作品に極端に精彩がない。
「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」は、ジブリにあって初めて可能となった作品であったようだ。

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「サムライエッグ」
百瀬義行 監督

篠原湊大、、、シュン
尾野真千子、、、ママ

卵アレルギーの少年シュンとママの奮闘記といった内容。
シュン君は野球の好きな活発な少年のようだ。
ママはダンススタジオで、先生をやってるのか?
ふたりとも体を動かすことが好きなのだ。
アレルギーがこのふたりの生活に特別大きな場所を占めているにせよ、とても普通な親子である。
食生活で僅かでも注意を怠ると大変な事態を引き起こすことも説得力を持って描かれていた。
いくら気を付けていても毎日の生活である。何らかの手違いは確率的にも起こるものだ。
あのようなアイスクリーム事故が起きたとしても不思議ではない。

試練を幾つも掻い潜ってきて、シュンは自分から「治す」とママに告げ治療に前向きになる。
(ここで見られる治療法は「経口免疫療法」のようだった)。
丁度抜けた前歯も生えてきたところで、生きる意欲を新たにする。
母子の絆も希望と共に強くなるのだろう。

絵のタッチは柔らかくて母子の愛情と生に向ける意欲を描くには、丁度良い。
われわれの近くにあるであろう、このような生活にスポットを当てる試みは成功しているのではないか。

ところでこの「サムライ~」というのは、何処から来たのか。
彼は野球ファンでもあるだろうから、例の「サムライジャパン」から来たものか?
あのように闘志を持って卵に負けない体を作って行くぞ、とかいうことだろうか。

それにしてもあまりピンとこない題である。
それまでにサムライが何らかの形で話題にでも出ていれば、それなりに分かるだろうが、最後にああいった形で出て来ても唐突感は否めない。

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「透明人間」
山下明彦 監督・脚本
中田ヤスタカ 音楽

オダギリジョー、、、透明人間
田中泯、、、盲目の老人

これには、ハッとした。
こちらの観る姿勢も自ずと変わる(笑。

唯一、惹き付けられるアニメであった。
拾い物である。

とても繊細でフラジャイルで危なっかしい。
この覚束ない抽象性と浮遊感。
いいねえ!
と思わずニンマリした。

まず、スピードとアングルと構図。
まるでジブリらしくない危うい疾走感が嬉しい。
(前のふたつは、ジブリの二番煎じの子供だ)。
ジブリ映画も確かにスピード表現はあるが、その質がまるで違う。
この翻弄されるがままの脆弱な強度である。
ジブリは確かな主体が速い速度で飛んで行く。王道であるが。主体がブレない。中心がある。
ここでは、全てのモノが相互関係も不全で不確かに複雑に揺れ動く。

明らかに異なる新たな流れで、ジブリから生まれたというこの何とかという会社の未来は、この危険な監督に賭けるべきだろう。
前2作を見終わる当たりでしみじみ思ったのは、京都アニメーションの実力の高さであった。
あのレベルは到底、今後は無理かと思っていたら、この作品である。
正直びっくりした。

見えないということは質量もないということだったのか。
そして透り抜けられてしまう、ようなシーンもあった(勿論われわれもミクロの視点から見ればスカスカなのだが。夥しいニュートリノが通り過ぎている)。
彼は服を着てサングラスをかけて、モノも運んだりして、何らかの形体は保持している、らしい。
スクーターにも乗って飛ばしていて、ちゃんと現実世界に作用を及ぼしている。
この微妙な存在の仕方が曖昧で不思議だが、心理的に納得出来てしまう。
この在り方~コンテクストが気になって物語に入れないということが、ないのだ。
物理的にではなく存在的(実存的)に納得出来てしまう。
何故ならわれわれ人間がそういう存在だから。
(実は物理的にもそうである。われわれの地球自体が超高速でピアノ曲線を描きグレートアトラクターに引っ張られているのだ)。
スリリングに本質を突いている。
だから良い。

とても贅沢なキャストをこれまた贅沢に使っている。
オダギリジョーと田中泯である。どういうつもりだ、と聞きたい。
(しかし田中泯さんは最近、こういった方面によく顔を出す。ダンスは続けているのだろうが)。
Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅの音楽プロデューサーである中田ヤスタカが音を担当ということだが、作画スタイルにピッタリあっていた。

この監督の作品を今後も期待したい。
「透明人間」拡大版も面白そうではないか。
最後に、彼がスクーターを安定した乗り方で錘(消火器とか)持たずに普通に乗っているのは、何とも言えない。
この先、彼は不透明な誰からも目に留まる人になってしまうのか。
あの赤ん坊を助けたのは、無我夢中のことであったろうが、赤ん坊に承認されてから自我の重みが出て来たのだ。
ヒッグス場を通過してある意味、失速してしまったのだ。これは存在にとって仕方のないことではある。



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人生模様

FULL HOUSE001

O. HENRY'S FULL HOUSE
1952年
アメリカ
オムニバス作品

オー・ヘンリー原作
ジョン・スタインベック、、、ナレーター

皆、上質な寓話とも謂える。
とても良くできた映画を一度に5編も観れてお得感はタップリである。



「警官と賛美歌」
The Cop and the Anthem
ヘンリー・コスター監督
ラマー・トロッティ脚本
ロイド・エイハーン撮影

チャールズ・ロートン、、、ソーピイ(浮浪者)
マリリン・モンロー、、、街で出逢った美女
デヴィッド・ウェイン、、、ホレス(浮浪者)

ほとんどコントみたいな内容であったがよく出来ていた。
公園で寝泊まりするソーピイは、冬の間は暖かく過ごしたい。
そこで、冬の3か月を刑務所で過ごすことにするが、罪を犯してもことごとく当てが外れ逮捕されない。
相棒のホレスに捕まる秘訣を教えてやろうと言ったはよいが、上手くいかない。
街角で出逢った目を見張るような美女には、感謝までされ調子が狂う。
盗んだステッキを彼女にあげてさっさと退散する。

しかしソーピイは(教会)ボランティアなどに身を委ねることには抵抗を示す。
嗄れなりの主張~拘りがあるのだ。
夜も更け今日は企みが全て失敗に終わったところで、休憩で入った教会に賛美歌が流れている。
それを聴いた拍子に涙が込み上げて来て止まらなくなる。

突然、自分のこれまでの生き方を対象化し、相棒が心配するのもよそに猛省してしまう。
すっきりして、明日から真面目に働くぞと歩いているところに警官がやって来て彼を逮捕してしまう。
(昼間は何をやっても見向きもしなかったのに)。
そして裁判所で、当初の狙い通りに収監されることに。罪状は浮浪罪である(爆。皮肉にしても出来過ぎではあるが(笑。

マリリン・モンローの果敢なげで繊細な美に打たれた。
キャストは皆、いうことなし。とても面白かった。



The Clarion Call
ヘンリー・ハサウェイ監督
リチャード・L・ブリーン脚本:
ルシアン・バラード撮影:

デイル・ロバートソン、、、バーニイ(刑事)
リチャード・ウィドマーク、、、ジョニイ(ギャング)

とある強盗殺人事件が迷宮入りしかけていた時、ニューヨーク市警16分署の刑事バーニイは犯人の遺留品に見覚えのあるキャンプタウン・レースと彫られたペンを見つける。
これを持っている人物は自分のよく知った男であった。
かなり探しまわった末、とある酒場でその男を見つける。10年ぶりに逢う幼馴染ジョニイであった。
その遺留品が決め手となり、バーニイはジョニイを自首させようとするが、彼はかつて1000ドルの貸しがあることを盾に逃れてしまう。

しかし、「クラリオン・コール新聞」編集長が犯人の情報提供者に1000ドルの懸賞広告を新聞に掲載したのを見て、バーニイはすぐさま新聞社に駆け付ける。
そしてシカゴ行きの列車の中でバーニイはジョニイにかつての借りを返し、心おきなく彼を逮捕する。

短い尺で無駄なくしっかりまとまっていて、見応えがあった。
リチャード・ウィドマークのゴロツキぶりが半端では無かった(笑。



「最後の一葉」
The Last Leaf
ジーン・ネグレスコ監督
アイヴァン・ゴッフ、ベン・ロバーツ脚本
ジョセフ・マクドナルド撮影

アン・バクスター、、、ジョアンナ(画学生)
ジーン・ピーターズ、、、スーザン(姉)
グレゴリー・ラトフ、、、バーマン(老画家)

この噺は子供の頃、児童書で読んで知っていたが、とても新鮮で瑞々しい想いで観る事が出来た。
この映画には特に古さは微塵も感じられない。
そんな美しさに充ち溢れている。
キャストの良さが大きい。
女性二人の美しさもそうだが、グレゴリー・ラトフの売れない画家がとても良い味を出している。

ある意味、彼のような存在こそが神と謂える。
何も言わず自分の絵を売った金でジョアンナの薬を買い与えたり、普通赤の他人がそうは出来まい。
老画家バーマンの亡くなった翌朝、夜通しの吹雪にも拘らず窓の向かいの壁のツタの葉っぱがひとつだけ残った。
姉も妹もそれに深く安堵し、生への希望を抱く。
しかしその葉は枝を離れてもそこに留まっているではないか。
不思議に思った姉が下を眺めると、ランタンと絵筆とパレットに梯子がバラバラに横たわっていた。

才能があれば彼も報われたのに、とベッドで回復の兆しを見せる妹の呟く言葉を遮り、「いえ、彼は最高の画家よ。今に分かるわ」と姉が答える。
知っている噺であっても率直に感動した。




「赤い酋長の身代金」
The Ransom of Red Chief
ハワード・ホークス監督
チャールズ・レデラー、ベン・ヘクト、ナナリー・ジョンソン脚本
ミルトン・R・クラスナー撮影

フレッド・アレン、、、サム”スリック”ブラウン(指名手配中の横領罪の犯人)
オスカー・レヴァント、、、ビル・ペオリア(サムの相棒)
リー・アーカー、、、J.B.(悪ガキ)

脚本というのは、こんなにたくさんの人で寄ってたかって書けるものなのか?
それにしては、良くまとまったストーリーであった。
コミカルでパンチも効いている。まるで漫画だ。ブラックコメディか。

アラバマ州が舞台であるが、そこで一儲けを企む指名手配の2人組がその地の金持ちを探るために村の寄り合いみたいな集合場所で、土地を買いたいと切り出し地主を紹介してもらう件での村人とのやり取りがほとんどギャグで可笑しい。
勿論、その家の子供を誘拐して身代金を奪う手筈だ。
だがその子役J.B.が、破格の悪ガキで、彼ら二人はいたぶられ散々な目に逢う。
無理やりインディアンごっこをさせられたり、時計を巻き上げられたり、かなりの暴力も受ける始末。
悪党がそれほど悪でないので、痛めつけられる彼らが気の毒に思えてくる。
ここで驚きなのは、J.B.が仕組んで本当の熊に彼らを襲わせようとするところである。
今ならCGで合成させるところだが、このシーンでは生出演なのだ。
かなり思い切った演出である。

結局子供を誘拐して身代金を奪うつもりが、同情するJ.B.の両親に頭を下げ金を払って、彼から解放してもらうこととなる。
映画史上ナンバーワンのおまぬけギャングであろう。
だが、笑う気にはなれなかった。



「賢者の贈り物」
The Gift of the Magi
ヘンリー・キング監督
ウォルター・バロック、フィリップ・ダン脚本
ジョセフ・マクドナルド撮影

ジーン・クレイン、、、デラ・ヤング(妻)
ファーリー・グレンジャー、、、ジム・ヤング(夫)

ニューヨークのクリスマス・イヴのお話である。
もうロマンチックな童話そのものという感じであるが、次女に薦めたら関心ないようだった。
何だろう、古さを感じたのか、、、。

しかしそこにあるのは、純粋に相手を大切に想うこころである。
こういった物語のある種の元型とも謂えるパタンであり、とても安堵して何故かハッピーな気分になってしまう(笑。
例の自分の自慢の髪を切り夫の時計に付けるプラチナの時計飾りを買った妻に、夫は自分の大切な時計を売って櫛をプレゼントしたのだった。

どちらもそのプレゼントを使うのは当分の間、我慢しなければならない。
だが、ずっとこの先、幸せを噛み締めることは出来る。
実にシンプルな噺だが、こちらも気持ちが充たされている。
きっと物語とはこういう装置なのだ。






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田舎司祭の日記

LE JOURNAL001

LE JOURNAL D'UN CURE DE CAMPAGNE
1950年
フランス

ロベール・ブレッソン監督・脚本
ジョルジュ・ベルナノス原作
ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト音楽

クロード・レデュ 、、、司祭
ジャン・リヴィエール 、、、領主
ニコル・ラドラミル 、、、シャンタル(領主の娘)
ニコル・モーリー 、、、ルイーズ(シャンタルの家庭教師、領主の愛人)
レイチェル・ベーレント、、、領主の妻
アンドレ・ギグベール、、、トルシーの司祭
アントワーヌ・バルペトレ 、、、デルバンド(医者)
マルティーヌ・ルメール、、、セラフィタ(司祭の教義問答の生徒)

バルタザールどこへ行く」、「スリ」、「ブローニュの森の貴婦人たち」は観ているが、まだ肝心な何作かは観ていない(「ジャンヌ・ダルク裁判」、「少女ムシェット」、「湖のランスロ」も、やはり観ておかないと、勿体ないだろう)、ロベール・ブレッソン監督の初期の作品である。
この作品、わが敬愛するタルコフスキーの最高のお気に入りだそうで、心して鑑賞したが、間もなく何度か睡魔に襲われる。
(懺悔せねばなるまい、、、この信仰の不可能性を突き詰めた映画で、不謹慎な)。
「ジャンヌ・ダルク」は、リック・ベンソンのミラ・ジョヴォヴィッチ主演では観ているが、かなり違うだろうな(これもかなり良かったが)。

彼はシネマトグラフと自身の映画を呼び、役者をモデルと言う。
今回もほぼ素人を使い、過剰な意味が帯びてしまうことを防いでいる。確かに自分の好きな役者が出たりすれば、その役者の演技を楽しみたいなどと言う鑑賞を許すことになる。
不純物は出来る限り取り払いたい。
純粋なテクストの提示、それが可能なら。
潔癖な人なのだ。
この主人公も同様に潔癖だろう。

彼は会う人みんなから、体の調子が悪そうだ。気をつけ給え、みたいな事を言われる。
(坂口安吾が聞いたらきっと羨ましがるに違いない),
この青白い主人公は、自らの使命の遂行のため、病を隠し通す。
言い訳をしない。
誤解も解かない。
全てを周りの(悪意ある)人々に委ねる。
これが司祭というものか、潔いのか、諦観もあるのか、ちょっと独特な宗教的な自閉性を感じる。
(シュルレアリストなら承知しない(爆)。

LE JOURNAL003

彼の初めての教区は、閉塞的で悪意に満ちた「バルタザール〜」でも印象深い共同体である。
そして結局、バルタザールと同じように、自分の意志などと関係なく、若くして生を取り上げられてしまう。
もう一つ共通に感じられることが、女性の裏切りと喪失である。
飼い主の裏切り、一目置き信じた女性〜少女の悪意である。
この辺、監督の原体験〜女性観なども感じてしまうところだ。
セラフィタはバルザックをちょっと意識してはいないか。ちょっと聖性を感じる少女ではあったが、悪魔だった、ような。

物語の展開の仕方はこれまで見たブレッソンのどれとも異なり、「日常の出来事を率直に書いた」日記にそくしてそれを読みつつその情景を描いてゆくタッチである。
(本当に虚飾のない表現もない素直な感情が書き記されてゆく)。
その文面が余りににシンプルなもので、それに従い展開する物語もミニマルである。

とても淡々とした干乾びた不毛の日々が反復される。
その間、胃の痛みは増してゆき、当初から肉・野菜が食べれず、ずっと安物の砂糖を入れた赤ワインとパンだけで過ごす。
これでは胃癌も進行するばかりだろう。度々倒れるが無理もない。
派手に吐血もする。

彼の教区の人間は彼を蔑み、ベテランのトルシーの司祭などは、教区の人間を蔑む。
根拠のない悪意と噂話に全く的外れな忠告。
これではコミュニケーション意欲も消失しよう。
彼らとのやり取りを経て、次第に信仰に対する懐疑心が大きく育ってゆく。
やはり一方的な癌の進行にも伴いか。

そして祈れなくなる。不眠に陥る。だが「仕事」は続ける。
内省と思索が迷いを深めてゆく。
不信感は募り、懐疑が頭をもたげる。
書くことは確かに優れた方法である。
自殺や激しく生々しい憎悪の告白が彼(の生)を揺り動かす。
音楽の入り方も禁欲的で良い。

領主の妻を導く、かなりの尺を使った件がかなりシンドイ。
ある意味、ここが真骨頂なのかも知れぬが、ここでのやり取りに関しては、わたしは蚊帳の外であった。
タルコフスキーのような宗教者(神学者)でないとついては行けないだろう。
ここを頭で理解しても意味はない。平穏なこころを見出し夫人は自殺する。

LE JOURNAL002

自転車による移動はみぞおちに来たが、オートバイに乗って疾走したとき、初めて危うい生の快感を知る。
ここが素晴らしい。ここでの彼の歳相応の明るく爽やかな笑顔に共感する。
こちらまで救われる思いがした。
死と隣り合わせで、バイクで飛ばすことは生の快感に直結するのだ。
彼はここで、違う生の可能性にも想いを馳せる。
だが時すでに遅すぎた。

死ぬ間際に彼が言い放ったという、、、
「それがどうした、すべては、神の思し召しだ!」
、、、実にカッコよい捨て台詞だ。
強烈な皮肉でもあり不信感の表明でもある。



クロード・レデュはとても優れた役者だと思う。そして他のキャストも申し分ない。
ロベール・ブレッソンの意図は充分に達せられているはず。



暗いディテールを見るならこちらBlu-rayか。
しかしわたしはDVDでも問題は感じなかった。

DVD



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