安寧をデザインする

NHKの「デザイントークス プラス」”安寧”を観た。
インスタレーション~スヌーズレンでも以前書いてみたが、、、
五感を研ぎ澄ませて自然に対し身体感覚を呼び覚ますことが、こんな時期だからこそ、肝要だ。
生活自体を見つめ直す。
そして何らかの働きかけをすること。
~デザインする~
五感で自然を受け止める「装置」を作ること。
(インスタレーション~スヌーズレンのような大掛かりで共同体向けのものではなく、ごく個人的なレベルで)。
古くは風鈴などがあった(今も夏の風物詩であるが、、、本来「鐸」であり風の音連れを知る装置だ)。
絵を描くときに落ち着くのもこの作用であり絵を描くこと自体が装置の稼働となる。
自然の見方を変えてみたら、というコーナーでは、やはり身体的な働きかけから始まっていた。
環境に向き合い、ちょっとしたスウィッチをまず自分で入れること。
やはり身近な環境のスケッチをしたり、必要な道具を作ってみたりする過程で新たな見方が生じる。
知覚(志向)~認識の片側(の場所)が生じると同時にその片側も生まれる。ゲシュタルト~全体性が現れる。
ここではランドスケープデザイナーやアーティストが幾つものヒントを出していた。
異化が起きる。
遊びも生まれる。
そう、落ち葉のフカフカの小山を見たら、それをクッションに見立てて腰を下ろしてみる、くらいのこころの余裕であろうか。
何かが変わる契機というのは。
意識のデザインをすること。
お寺の住職が精進料理を作っているところを見て、もっと料理自体に向かう意識を細やかに押し広げる必要を感じた。
(こうした風景を見るといつもそう思うのだが)。
素材に対して、調理~素材の変化に対して、、、。
光の反映を見ているだけで実際、意識のデザインが可能だ。
最近流行りの窓が壁面には無く、屋上の天窓から採光する住宅など特に光の変化で自然を微分的に味わうことが出来る。
特に雨後の気象における光(と影の織り成す繊細なパタンの動き)の雄弁さなど。
意識の強度が違うはず。
浮力や重力や磁力を自然物と人工物を用いて模型的に可視化するデザイナーの作品は印象的だった。
物理現象~力を極めて単純な形にまでそぎ落とした要素の動きで愉しく見えるものにする。
単純な形の紙片による大変面白い動きの世界だ。
ここまで透徹した作品は清々しい。
重力そのものを可視化したようなオイルの中を落下し続ける水玉など秀逸であった。
自然に五感と感性を解き放つこと。
これを忘れると人は狂ってしまう。
絵を無意識的に描こうとするのも、そんなところから来ていると思う。
